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日 本セメント株式会社
2010.10.18作成開始 2010.11.8公開
<目次>
1.日本セメント(株)の鉄道貨物輸送 
2.各工場の鉄道貨物輸送
 2.1 上磯工場
 2.2 埼玉工場
 2.3 西多摩工場
 ▼2.4 糸崎工場
 2.5 門司工場
 2.6 香春工場

 2.7 佐伯工場
 2.8 八代工場
 2.9 明星セメント(株) 
 ▼2.10
第一セメント(株)
3.SS配置と鉄道貨物輸送
 3.1北海道・東北地方
  札幌SS 小樽SS 苫小牧SS 青森SS 秋 田SS 塩釜SS 蔵王SS 上山SS 喜多方包装所 
  会津CT 郡山CT 小 名浜SS
 3.2関東地方
  水戸SS 宇都宮SS 高崎SS 下板橋SS 隅田川SS 芝浦SS
 3.3甲信越地方
  甲府SS 松本SS 上片桐SS 篠ノ井SS 姫川包装所 柏崎SS 五日町CT 長岡SS 新潟SS 坂町SS
 3.4東海地方・北陸地方
  大海SS 平岡SS 名 古屋SS 坂祝SS 小 杉SS 金津SS
 3.5近畿地方・中国地方
  大阪SS 糸崎SS
 3.6九州地方
  門司SS 小倉SS 苅 田SS 福岡SS 唐津SS 玉名SS 人吉SS
2006.6 西 大家駅に接続していた日本セメント(株)埼玉工場の専用線跡

■1.日本セメント(株)の鉄道貨物輸 送   

バラ貨車による出荷([1]p162)
 旧日本セメントの貨車によるセメント輸送は、工場からの輸送では高麗 川駅に専用線が接続していた埼玉工場が最後まで残っていたのだが、その廃止時期は 1999(平成11)年9月であり旧秩父セメント(株)や住友大阪 セメント(株)、電気化学工業(株)といった同業他社と比べてやや早い時期に鉄道貨物輸送を中止したこともあって、印象は何となく淡白である。

 主力の上磯工場佐伯工場は臨海工場であり貨車輸送の依存度は操業開始 以来一貫して低く、主力ながら内陸の香春工場は鉄道貨物輸送を積極的に利用してい たが、それは港湾から出荷するための臨海SS へのピスト ン輸送であり、内陸需要地のSSへの貨車による出荷は僅かであった。またグループの明星セメント(株)は臨海工場でないことから当初は鉄道への依存度が極 めて 高かったものの、近隣の姫川港の整備によって臨海工場としての機能を得て海上輸送への転換が進んだ。

 結局、埼玉工場が 主力工場で唯一の内陸工場であったと 言えるのだが、同工場から鉄道で輸送していたSSは、新設・廃止等による変動はあるものの、およそ5ヵ所程度で 推移し少なかった。その点では、同じ埼玉県内に 工場が立地する秩父セメントの場合は、多数の内陸SSへの輸送を鉄道貨物輸送で行っていたことと対照的であった。そういった点からも日本セメントの鉄道貨 物輸送に淡白さを感じてしまうのかもしれない。

 しかし鉄道貨物輸送を行っていたSS配置(3項で詳述)を見れば、北海道から九州まで、中四国地方を除いて 全国に点在しており小野田セメント (株)住 友セメント(株)と同様に全国規模でセメントの貨車輸送を行っていたことが分かる。ただ筆者は大阪、小野田、住友、秩父、デンカ、日立、明星など のセ メント貨車を実際に目撃・写真撮影したことはあるのだが、残念ながら日本セメントの社紋を付けた貨車については直接この目で見る機会に恵まれなかった。そ れは偶然そのような機会が無かったということに過ぎないのだが、それもまた同社の印象を淡白にしている理由の1つ(極めて個人的な事情だが)かもしれな い…。



■2.各工場の鉄道貨物輸送  

▼2.1上磯工場(上磯駅)  
上 磯工場([1]巻頭)

▽日本セメント(株)上磯工場の専用鉄道 (『1978年度 民鉄要 覧』 より)
動 力
軌  間
区   間
キ ロ程
免 許
年月日
運輸開始
年月日
連 絡駅
運転
管理者
摘   要
電気
1,067m
江差線
上磯駅、工場
上磯駅、峨朗
峨朗線起点0.6km、万太郎沢

0.5km
6.6km
3.4km
計10.5km

大02.09.08
昭19.11.10
昭29.03.29

大04.04.06
昭23.09.21
昭29.06.01

上 磯



国 鉄
自 社


峨朗セメント(株)より譲受
昭04.02.09許可
昭24.02.10実施

▽少量発送するセメント工場からの鉄道輸送(1977〜1978年)
発  駅
月間平均発送量
到着先物流基地の
所在市・町名
SS・ 工場等
上 磯
2.1千トン(夏季)
札幌
苫小牧
帯広
札幌SS(苗穂駅に専 用線)
苫小牧SS(苫小牧駅に専用線)
日本高圧コンクリート(株)か?(帯広駅に専用線あり)
([4]p54より、但しSS・工場名は筆者が追加)

 月間平均発送量が、北海道においてセメント需要が増える夏季(冬季は工事等ができないため)ですら2.1千トンなので、年間でも最大約2万トン程度と見 られる。この当時の鉄道によるセメント輸送が盛んな工場では年間100万トン〜200万トンクラスの発送量の駅が幾つもあったので、上磯駅からの発送量は 非常に少ないと言え、あえて鉄道輸送をする必要もなかったのではないかという気すらする。

 また「1979年版 私有貨車番号表」によると、日本セメント (株)所 有の 上磯駅常備のセメント専用貨車は、タキ9050形4両タキ11500形13両計17両に過ぎず、 貨車によるセメント輸送はこの点からも僅かであったことが窺える。

 上磯駅は1985(昭60)年3月に貨物取扱いが廃止された。Wikipediaよ り)



▼2.2埼玉工場(高麗川駅)  
埼 玉工場([1]巻頭)

▽埼玉工場の鉄道貨物輸送に関する年表
年  月
事  項
1955(昭 30)年04月
埼玉工場を新設([1]p775)。高麗川駅所管の日本セメント(株) 専用 線(作業キロ1.9km)が新設。
石灰石が氷川(現奥多摩)駅から1日7個列車、武甲駅から同3個列車が到着の ほか、東武鉄道の根古屋駅 から石灰石、高坂駅 から粘土
が列車単位でトキ・ホキ・ヲキなどの無蓋貨車で高麗川駅に到着。
(渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻第154号、1995年、p22)
1955(昭 30)年10月
セメント原料の粘土を輸送する葛袋専用線(高坂〜葛袋間2.4km)が 敷設。
(花上 嘉成「東武鉄道 貨物列車ものがたりA」『鉄道ファン』通巻第518号、2004年、p157)

「1957年版 専用線一覧表」では高坂駅所管の日本セメント(株)・秩父鉱業(株)専用線(作業キロ2.6km)あり。

1956(昭 31)年03月
下板橋構内に日本セメント(株)下板橋包装所の専用線が整備される。(前掲「東武鉄道 貨物列車ものがたりA」p157)
1959(昭 34)年09月
日本セメント(株)芝浦包装 所(芝 浦駅に専用線)が新設。
1962(昭 37)年03月
三菱石油(株)川崎製油所(扇町駅)のタンク車出荷製品のうち高麗川駅 向け 重油を日本石油輸送(株)が一括請負輸送を受託。
(『日本石油輸送50年史』日本石油輸送株式会社、1997年、p69)
1963(昭 38)年05月
東武鉄道越生線に西大家(信)が設置され、日本 セメント(株)埼玉工場まで の構外側線が敷設される。
(前掲「東武鉄道 貨物列車ものがたりA」p157)

「1975年版 専用線一覧表」以降は西大家駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:2.8km)となる。
1965(昭 40)年03月
日本セメント(株)高崎包装 所(倉 賀野駅に専用線)が新設。
1965(昭 40)年08月
東京セメント運輸(株)隅 田 川包装所(隅田川駅構内に設置)が新設。
1965(昭 40)年前後
高麗川駅常備のホキ3500形は約70両あり、その向け先は隅田川芝 浦倉賀野水上などがあった。
(渡辺 一策「梓川開発資材輸送列車」『レイル・マガジン2月号』通巻第149号、1996年、p49)

尚、水上駅には「1967年版専用線一覧表」には東京電力(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。

1966(昭 41)年06月
東京電力(株)梓川水力発電所建設用セメント列車が高麗川〜新島々(松本電 鉄)間で輸送開始。(前掲「梓川開発資材輸送列車」p48)
1967(昭 42)年04月
東武鉄道根古屋線(小川町〜根古屋間4.3km)が廃止。Wikipediaよ り)
1969(昭 44)年半ば
高麗川〜新島々間の東京電力(株)梓川水力発電所建設用セメント輸送が ほぼ 終了。(前掲「梓川開発資材輸送列車」p50)
1970(昭 45)年11月
成田新空港建設用のセメント輸送が開始。諸資材の搬入で道路が輻輳する ため空港敷地内に東京セメント運輸(株)がサイロを設置し、
埼玉工場から鉄道輸送を行った。([1]p441)
1971(昭 46)年07月
高坂駅から分岐する葛袋専用線が高本まで2.2kmを延長。全線電化の 上、東武鉄道に委託され輸送を担当。
(前掲「東武鉄道 貨物列車ものがたりA」p157)
1971(昭 46)年09月
日本セメント(株)甲府包装所(石 和駅に専用線)が新設。
1984(昭 59)年02月
埼玉工場までのベルトコンベア完成により秩父鉄道武甲線(影森〜武甲間 1.4km)廃止。
(澤内 一晃「関東地方のローカル私鉄 秩父鉄道」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』通巻第620号、p189)
1984(昭 59)年08月
西大家駅接続の日本セメント(株)埼玉工場専用線が廃止されたのに伴 い、西大家〜下板橋間のセメント輸送廃止。
(花上 喜成「東武鉄道 貨物列車ものがたりB」『鉄道ファン』第44巻第7号、通巻第519号、2004年、p183)

同時に高坂駅分岐の日本セメント(株)専用鉄道から西大家駅間の粘土輸送廃止。
(吉田 明雄「消えた高麗川の専用線」『トワイライトゾ〜ン・マニュアル16』ネコ・パブリッシング、2009年、p75)
1985(昭 60)年03月
芝浦駅が廃止。(日本セメント(株)芝浦SSの専用線も同時期に廃止と 思わ れる)
1998(平 10)年10月
日本セメント(株)と秩父小野田(株)が合併し、太平洋セメント(株) が発足。
1999(平 11)年06月
埼玉工場は鉄道貨物輸送の一部をトラック輸送に転換、輸送経路の見直し を行ったことから高麗川駅常備のタキ1900形53両が余剰となり
常備駅が武州原谷駅に変更された。変更されたタキは武州原谷〜隅田川間 で使用される予定。
(大河内 正造「八高線貨物列車情報」『レイル・マガジン9月号』通巻第192号、p107)
1999(平 11)年09月 太平洋セメント(株)埼玉工場の専用線が廃止。(池田岳 人 「さようなら八高線貨物列車」『レイル・マガジン12月号』通巻第195号、1999年、p107)
これに伴い9月16日付で高麗川〜隅田川・石和温泉間 の貨物列車が廃止された。
(倉吉 勲・二階堂 弥「9月16日、JR貨物運用改正概要」
『レ イル・マガジン12月号』通巻第195号、1999年、p112)
 1987.6.19拝島〜小宮間
急行越前様から現役時代の大変貴重な写真をご提供して戴きました!

▽少量発送するセメント工場からの鉄道輸送(1977〜1978年)
発  駅
月間平均発送量
到着先物流基地の
所在市・町名
SS 等
高麗川
39.0千トン
東京
高崎
成田
山梨県石和町
東京セメント運輸(株)(隅田川駅に専用線)
高崎SS(倉賀野駅に専用線)
新東京国際空港公団(成田駅に専用線)
甲府SS(石和駅に専用線)
([4]p54より、但しSS等は筆者が追加)

 「1979年版 私有貨車番号表」によると、日本セメント(株)所 有の 高麗川駅常備のセメント専用貨車は、タキ1900形61両タキ9050形4両タキ9450形4両ホキ5700形18両計87両、石灰石専 用貨車はホキ9500形24両があった。

▽埼玉工場のセメント生産量及び高麗川駅からの鉄道貨物発送量の推移

1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2005
2009
生 産量(t)
1,643,957
1,619,199
1,805,306
2,037,669
2,145,207
2,201,821
2,430,657
2,342,481
2,010,102
1,735,755
1,698,833
1,516,700
1,190,756
年  度
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2005
2009
発 送量(t)
313,688
279,094
300,544
367,194
382,888
337,630
321,214
266,342
197,524
30,236



シェ ア(%)
19%
17%
17%
18%
18%
15%
13%
11%
10%
2%



(『セメント年鑑』及び『埼玉県統計年鑑』より作成)

 埼玉工場のセメント生産量は1990年代半ばに240万トンを超える水準に達したが、2009年には120万トンを切るレベルまで低下しピーク時から半 減している。この傾向が続くと工場の存続も危ぶまれる事態になりそうである。

 一方、鉄道貨物輸送量は1990年度から1997年度にかけて30万トン前後で推移しているが、生産量に占めるシェアは2割にも満たない。1990年代 の発送先は、隅田川倉賀野石和温泉の3駅だけであったと思われるが、発送先の少なさとシェアの低さが鉄道貨物輸送の廃止時期が相対的に早いこ とと大きく関係しているであろう。



▼2.3西多摩工場(大久野駅)  
西 多摩工場([1]巻頭)

 日本セメント(株)西多摩工場は1929(昭4)年5月に新設され、1980(昭55)年4月にセメント焼成を中止した。([1] p775)

 現在の同地には太平洋セメント(株)西多摩事務所、太平洋マテリアル(株)西多摩工場といった事業所があり、セメント関連製品の製造を行っているようで ある。

▽西多摩工場の専用線概要の推移
専用線
一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
真荷主
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
記事
1957年版
大久野
日本セメント(株)
東京都水道局
(株)岩井工業所
矢吹興業(株)
東洋製袋興業(株)
国鉄機
粘土線0.5
工場線1.6

1.経常費徴収
2.両専用線相互間にわたって
運送する場合の駅構内キロ程
は400メートルとする。
1967年版
大久野
日本セメント(株)
(西多摩工場)
(株)岩井工業所
国鉄機
私有機
粘土線0.5
工場線1.6
(機)0.6


1975年版
大久野
日本セメント(株)
(西多摩工場)
(株)岩井工業所
東洋製袋興業(株)
国鉄機
私有機
0.6
4.1


 大久野駅は武蔵五日市駅起点2.1kmに位置し、1974(昭49)年10月1日に旅客営業が廃止された後は貨物駅となったが、1982(昭57)年 11月15日に廃止された。

 1966(昭41)年10月現在、氷川(現奥多摩)駅から大久野 駅に石灰石がホキ車で1日7両運用されていた。
(渡辺 一策氏の調査より 澤内 一晃「国鉄ホッパ車の史的展開−物資別適合貨車と貨車との関係−」『鉄道ピクトリアル』通巻第606号、p52)



2.4糸崎工場(糸崎駅)




2.5門司工場(門司埠頭駅)  

年  月
事  項


1976(昭51)年02月 日本セメント(株)門司工場はセメント焼成中止([1] p775)
1980(昭55)年04月 日本セメント(株)門司工場が閉鎖([1]p775)
1986(昭61)年11月01日 葛葉駅が廃止

「1957年版 専用線一覧表」:葛葉駅所管の日本セメント(株)門司工場専用線(作業キロ:0.8km及び0.3kmの2 線)あり
「1983年版 専用線一覧表」:葛葉駅所管の日本セメント(株)門司工場専用線(作業キロ:0.8km)あり(記事:国鉄側線)
「1983年版 専用線一覧表」:葛葉駅所管の日本セメント(株)門司工場専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:葛葉駅所管の日本セメント(株)門司工場専用線(作業キロ:0.2km)あり(記事:国鉄側線)



▼2.6香春工場(香春駅・勾金駅)  
香春工場([1]巻頭)

 日本セメントのセメント輸出は、香春、門司の両工場品をあててきたが、香春品は小倉 港、門司品は門司港で積出しを行ってきた。しかし戦後は小倉港は輸出港としての適格性を失い、輸出は専ら門司港に集中するようになった。そこで香春工場の 積込設備、門司工場の荷受設備及びセメントサイロを改造すると同時に、セム型15ト ン貨車をバラ積み貨車に改造し、毎月香春〜門司間を7,000トン移送することとし、1951(昭26)年9月から実施 した。([1]p140)

 1955(昭30)年11月に小倉包装所が新設されたのに伴い、香春工場〜小倉 包装所間でバラ積み専用貨車によるピストン輸送が開始された。([1]p440)

▽香春工場〜苅田包装所間にピストン列車開設
 第1次石油ショック後の1975(昭50)年10月、集中生産方式への転換の一環として、香春工場に日本セメントで最大生産能力を有する7号キルンが 完成した。これにより香春工場は既存の6号キルンと合わせ、日産1万トンの大規模工場となった。出荷面では、従来香春工場から門司小倉両包装所にいったん出荷し、そこからタンカー積を行ってい たが、生産量の増加によりこれでは追いつかなくなり、新規の船積み基地が必要となった。

 そのため、苅田包装所 を開設し、香春工場〜苅田包装所間をピストン列車で結ぶ計画を立案した。休止していた国鉄線を復活して香春工場から勾金駅まで引き出し、そこから田川線、 日豊線を経由して苅田港に至る最短ルートを設定したが、1日当たり最大 2,400トン(筆者註:40トン積貨車60両に相当)のセメントが運ばれるため、沿線住民との折衝並びに国鉄当局とのダイヤ設定交渉は難 航した。しかし、この輸送が成立しなけれ ば日本セメント最大の新鋭キルンも能力半減となることは明らかであったので、九州支店、香春工場の担当者は、懸命の折衝を重ねた。その結果、1976(昭 51)年12月無事開通の運びとなった。これにより香春工場は、内陸部に位置しながらも門司、小倉、苅田と3カ所の船積み包装所と直結し、海岸工場同様の機能を持つ工場となった。([1]p443- 444)

▽日本セメント(株)香春工場から船舶中継港湾への鉄道発送(1977〜1978 年)
発  駅
中 継港湾
着  駅
月 間平均
輸送量
輸 送距離
(実キロ)
1980年10月ダイヤ改正
によるセメント列車本数
勾 金
苅 田
苅田港
70千トン
30km
勾金→苅田港 
3本/日
香 春
関 門
葛 葉
24千トン
41km
香春→葛葉 
4本/日
香 春
関 門
門司埠頭
26千トン
41km
(葛葉駅から門司埠頭駅が分岐)
不 明
香 春
関 門
東小倉
77千トン
32km
香春→東小倉
5本/日
([4]p51から抜粋、列車本数は『'80貨物時刻表』より)

 「1979年版 私有貨車番号表」によると、日本セメント(株)所 有の 香春駅常備のセメント専用貨車は、タキ1900形73両ホキ3500形51両ホキ5700形9両計133両、勾金駅 常備がタキ1900形53両で両駅合計で186両存在した。

 門司埠頭駅は1982(昭57)年11月15日に廃止された。

 1985(昭60)年3月ダイヤ改正では、香春〜東小倉間 のセメント専用列車は4本/日香春〜門司間の同列車は1本/日香春〜葛葉間の同列車は4本/日という水準を維持して いたのだが…。
 香春駅
は1986(昭61)年10月3日限りで日本セメント(株)専 用線からの貨物輸送が廃止されたWikipediaよ り)。前年のダイヤ改正では廃止など微塵も感じない充実したダイヤであったのだが、あっけなく鉄道貨物輸送が廃止されたことになる。

 そして葛葉駅には日本セメント以外にも協同飼料(株)、日本専売公 社、 日本紙 運輸倉庫(株)、北九州市などの専用線が「1983年版 専用線一覧表」では確認できる。同駅は日本セメントの香春工場からの輸送が廃止されてから間もな い 1986年11月1日に廃止された。

 最後まで残った勾金〜苅田港間のセメント輸送だが、田川線の平成筑 豊鉄道への転換直前の1989(平元)年7月9日限りで廃止された。Wikipediaよ り)

▽少量発送するセメント工場からの鉄道輸送(1977〜1978年)
発  駅
月間平均発送量
到着先物流基地の
所在市・町名
SS 等
香 春
9.6千トン
(船舶中継を除いた分)
玉名
唐津
玉名SS(玉名駅に専用 線あり)
唐津SS(西唐津駅 専用線無し)
([4]p54より、但しSS等は筆者が追加)

http://www.taiheiyo-cement.co.jp/news/news/030904.html
2003(平成15)年9月4日 太平洋セメント株式会社
*子会社の解散およびセメント生産委託について

 太平洋セメント株式会社は、平成16年3月末をもって子会社である香春太平洋セメント株式会社(福岡県田川郡)を解散することとし、同社の地場向のセメ ント出荷については麻生セメント株式会社(福岡県福岡市)に生産を委託することを決定しました。なお、香春太平洋セメント株式会社の鉱山部門は、新会社を 設立し資源事業を継続します。

 香春太平洋セメント株式会社は、平成12年12月に生産構造最適化のための施策の一環として、香春工場の生産規模を縮小した上で当社から分社化し、その 後地場を中心としたセメント事業や、石灰石資源を活用した資源事業などを行ってきました。そうした中で同社は、徹底的な経費の削減、積極的な廃棄物処理へ の取り組みなど様々なコスト削減対策を実施し、また当社としても同社の存続に向けあらゆる面での協力を行ってきました。

 しかしながら、国内セメント需要は予想を超えるペースで激減し、香春太平洋セメント株式会社の地場需要も減少する中、将来における需要の回復も望めない 状況では、その生産規模ならびに内陸工場であるという点から、他工場に比べコスト高の状況にある同社の存続は極めて難しい状況であると判断し、平成16年 3月末をもって同社を解散することを決定しました。但し、鉱山部門については新会社を設立し、資源品の製造・販売事業を継続します。

 香春太平洋セメント株式会社の従業員については、関係者と十分に協議を行いながら当社または鉱山部門を承継する新会社およびグループ各社などにおいて雇 用の確保に最善を尽くしていきます。

 また、香春太平洋セメント株式会社の解散に伴い麻生セメント株式会社に生産を委託します。委託数量などの詳細については今後協議の上決定します。

 香春太平洋セメント株式会社の解散による特別損失は、除却損などにより今期約60億円を想定しています。なお、当社の今期業績見込みは、現在集計中で す。

<香春太平洋セメント株式会社の概要>
(1)商号:香春(かわら)太平洋セメント株式会社
(2)代表者:取締役社長 照井 敬侯(てるい のりよし)
(3)本店所在地:福岡県田川郡香春町大字香春812
(4)設立年月日:平成12年6月29日
(5)資本金:490百万円
(6)当社の出資比率:100%


*セメント2工場が閉鎖、需給がタイトに ([7] p25)

 三井鉱山、香春太平洋セメントの両セメント工場が2004年3月末で閉鎖され、それぞれ40年、69年の歴史に幕を閉じた。

 香春太平洋の工場閉鎖は太平洋セメントの生産体制見直しによるもので、3月20日にキルンの運転を停止した。三井と香春太平洋の工場の閉鎖を受けて麻生 セメント(現麻生ラファージュセメント)は4月1日、太平洋からの受託生産を開始、同時に従来の三井ブランドのユーザーへの供給を始めた。

 香春太平洋の工場は生産能力(クリンカ年産)が80万トンで2003年(暦年)のセメント生産量は79万トンだった。太平洋はこのうち地場向け出荷分 と、三井の工場から引き取って販売していたものの一部の生産を麻生に委託した。その量は2004年度60万トン程度の見込み。

 太平洋は香春太平洋を3月末で解散したが、これより先の1月に100%出資で「香春鉱業梶vを設立し、4月から営業を開始した。新会社は香春鉱山で石灰 石、寒水石などの生産を継続。石灰石は麻生にも販売を始めた。



▼2.7佐伯工場(海崎駅)  
 「1975年版専用線 一覧表」では海崎駅所管の日本セメント (株)専用線(作業キロ0.6km)の専用線が存在するが、1983年版では既に存在しない。

 佐伯工場のセメント輸送は海上輸送主体のため鉄道貨物輸送は早い段階で廃止されたようだ。
2006.3 海崎駅

*太平洋セメント佐伯プラント新事業で存続へ (『大 分合同新聞』2010年05月19日付

 5月21日でセメント生産を中止する太平洋セメント大分工場の佐伯プラント(佐伯市)が、火力発電で石炭を燃焼させた際に出る副産物、フライアッシュを 一時的に貯蔵する「アッシュセン ター」として“存続”することが分かった。関連の従業員は10人未満と大幅に規模を縮小するが、完全閉鎖は免れそうだ。新 事業の開始は9〜10月ごろになる見通し。

 大分工場(津久見市)の板屋敦工場長が明らかにした。地域経済に貢献し続けてきた生産活動は中止する一方、「セメント製品を貯蔵する設備(サイロ)と港 湾の一部を活用し、アッシュセンターを設置する」との方針を話した。

 生産中止の決定を発表した2月下旬以降、受注残をこなしてきたセメント生産は間もなく終える。21日以降はサイロに貯蔵された製品を順次出荷。7月ごろ には空になるサイロはメンテナンスを施し、アッシュセンターに転用する。

 同センターは、県外の電力会社の火力発電所で発生するフライアッシュを受け入れ、貯蔵する一時保管場所。季節要因などで変動する需給を調整する役割を果 たす。セメントサイロ4〜5基を用い、容量は計3万立方メートルという。
 佐伯プラントは、セメント生産の終了後も自家発電設備が8月末ごろまで運転する。

<ポイント>フライアッシュ
 石炭を燃やす際に大量に出る灰の一種。セメントやコンクリートに混ぜると耐久性や加工性が増すなどのメリットがあり、かつての産業廃棄物から工業製品の 一種として認知されるようになっている。


*太平洋セメント佐伯プラント 生産を中止 (『大 分合同新聞』2010年05月22日付

 セメントの需要激減に伴う生産体制の見直しにより、太平洋セメント大分工場佐伯プラント(佐伯市)が21日、セメント生産を中止。大正時代から続く84 年の歴史に幕を閉じた。協力会社が10社を超えるなど地域との結び付きの強い企業だけに、今後雇用面や地域経済への影響が懸念される。

 旧日本セメントが1926年に操業を始め、業界再編によって現在のプラントになった。年間119万トンを生産し、国内外に出荷。国内トップクラスの生産 規模を誇る大分工場の一翼を担ってきた。生産中止の対象となった3工場のうち、実際に窯を閉じたのは同プラントが初めて。

 同日午後、稼働していたセメント焼成装置の火を消した。午後5時ごろ、終業時間を迎えた従業員が次々に正門に姿を見せ、普段と変わらない様子で工場を後 にした。24日にあらためて火止め式を行うという。

 生産中止の背景には、公共事業の削減などにより、国内需要がピーク時の半分以下になったことがある。従業員の中には「自分たちの工場を守りたかった」と 悔しがったり、「民主党の掲げた『コンクリートから人へ』の政策は、セメント業界への名指し批判も同然」と不満を漏らす人も。

 同プラントは7月ごろまで、貯蔵設備に残された製品を順次出荷。その後は電力会社の火力発電所で生じた石炭の燃焼灰を一時保管する「アッシュセンター」 として整備する。リサイクル資源の需給を調整する役割を果たす。

 従業員の処遇については、早期退職の募集や配置転換などを行うが、詳細は決まっていない。協力会社も出張所の閉鎖や縮小、リストラなどを行う予定。市は 関係機関と対策会議を立ち上げ、対応を協議している。



▼2.8八代工場(八 代駅)
 八代工場と八代包装所は別の場所にあり、八代工 場には八代駅からの専用線が敷設されていた。一方、八代包装所は八代港の埠頭の先端部に立地し、専用線が敷設されることは無かった。
 年 月 事 項
1939(昭 14)年10月
旧 日本セメント(株)が浅野セメント(株)と合併し、同社八代工場発足([1]p775)
1964(昭 39)年03月 八代包装所新設、6,000トンサイロ1基([1] p446)
1977(昭 52)年 八代工場品のタンカー積出基地であった八代包装所を他工場からの受入基 地に転換([1]p441)
1977(昭 52)年05月 八代包装所、10,000トンサイロ1基増設([1] p448)
1979(昭 54)年06月
日 本セメント(株)八代工場はセメント焼成を中止([1]p775)
1980(昭 55)年04月
八 代工場が閉鎖([1]p775)
1980(昭 55)年12月 八代包装所、10,000トンサイロ1基増設([1] p448)

<現況>
2000(平 12)年現在では、太平洋セメント(株)八代SS(八 代市新港町1-13あり([6]p104)
2005(平17)年現在は無し([7]p95)
「1951年版 専用線一覧表」:八代駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:5.1km)あり。(記事:人絹、三楽、 セメ ント線は相接続する)
「1975年版 専用線一覧表」:八代駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:セメント線4.5km)あり(記事:三楽線に接続)
※日本セメント(株)人 吉SS(人吉駅に専用線)向けに貨車によるセメント輸送を行っていたと思われる



▼2.9 明星セメント糸魚川工場(糸魚 川駅)
 糸魚川工場と姫川包装所は八代工 場と八代包装所の関係と同様。糸魚川工場に石灰石供給をする田海鉱山は隣の青梅町にあり、青梅町への立地を当初予定していたが同町内に立地する電気化学の 反対により紛糾、誘致のあった糸魚川市内に建設された。詳細はこ ちら参照

 また日本石灰石開発に関してはこちらも参照



■3.SS配置と鉄道貨物輸送

▼3.1北海道・東北地方  


▽札幌SS (苗穂駅)
1961(昭36)年04月 札幌包装所開設。1964年12月現在はサイロ3基、総収容能力 3,200トン([1]p163)
1971(昭46)年01月 札幌包装所、100トンサイロ2基増設([1] p447)
<現 況>
2010(平22)年現在は、太 平洋セメント(株)札幌SS(北海道札幌市東区苗穂町1-2-2)、サイロ4基・能力3.0千トン([3]p90)
「1961年版 専用線一覧表」:苗穂駅所管 の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:苗穂駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
*1977〜1978年における輸送として、日本セメント(株)上磯工場から札幌市への鉄道輸送あり([4]p54)

1976.9 苗穂駅  「地図・空中写真閲 覧サービス」より


▽小樽SS (浜小樽駅)
1973(昭48)年07月 小樽包装所新設、10,000トンサイロ1基([1] p447)
1982(昭57)年04月 小樽包装所、15,000トンサイロ1基増設([1] p449)
1983(昭58)年
浜小樽駅の日本セメント(株)専用線からの輸送停止
(「小樽臨港鉄道が廃止」『鉄道ジャーナル』第19巻第2号、通巻第216号、1985年、p121)
<現 況>
2010(平成22)年現在は、太 平洋セメント(株)小樽SS(北海道小樽市港町8-2)、サイロ2基・能力25.0千トン([3]p90)
「1975年版 専用線一覧表」:浜小樽駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:浜小樽駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり

*1977〜1978年における輸送として、日本セメント(株)は浜小樽〜東札幌間 で10千トン/月(夏季)の輸送あり([4]p51)
尚、東札幌駅には「1983年版 専用線一覧表」では日鐵セメント(株)の専用線あり

*「1979年版 私有貨車番号表」:日本セメント(株)所有の浜小樽駅常備のホキ3500形(セメント専用)が21両あり

1976.8 浜小樽駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より

2014.6 浜小樽駅


▽苫小牧SS (苫小牧駅)
1966(昭41)年05月 苫小牧包装所新設、6,000トンサイロ1基([1] p446)
1968(昭43)年07月 苫小牧包装所、6,000トンサイロ1基増設([1] p446)
1972(昭47)年04月 苫小牧包装所、250トンサイロ2基創設([1] p447)
<現 況>
2010(平22)年現在は、太 平洋セメント(株)苫小牧SS(北海道苫小牧市入船町2-2-10)、サイロ7基・能力43.0千トン([3]p90)
「1967年版 専用線一覧表」:苫小牧駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.8km)あり(備考:公共臨港線分 岐)
「1983年版 専用線一覧表」:苫小牧駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.8km)あり(備考:公共臨港線分岐)

*1977〜1978年における輸送として、日本セメント(株)上磯工場から札幌市への鉄道輸送あり([4]p54)

2008.3 苫小牧港


▽青森SS (青森駅)
1955(昭30)年03月 青森包装所開設。1964年12月現在はサイロ2基、総収容能力 7,000トン([1]p163)
1970(昭45)年12月 青森包装所、100トンサイロ1基増設([1] p446)
1975(昭50)年09月 青森包装所、6,000トンサイロ1基増設([1] p448)
1979(昭54)年09月 青森包装所、500トンサイロ1基増設([1] p448)
<現 況>
2010(平22)年現在は、太 平洋セメント(株)青森西SS(青森市本町3-5-14)、サイロ3基・能力10.0千トン([3]p90)
また隣接して旧小野田セメントの太平洋セメント(株)青森東SSも存在([3]p90)
( 尚、小野田セメント(株)青森SSには専用線無し)
「1957年版 専用線一覧表」:青森駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:青森駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり

*上磯工場から船舶でセメント到着と思われる。鉄道による輸送先として青函トンネル工事用と思われる三厩駅のSSがある
三厩駅の日本セメントのSSは「懐 かしい駅の風景〜線路配線図とともに」に1982 年3月当時の写真がある

*「1979年版 私有貨車番号表」:日本セメント(株)所有の青森駅常備のタキ11500形(セメント専用)が6両あり

1975.10 青森駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽秋田SS (中島埠頭駅)
1969(昭44)年04月 秋田包装所新設、3,000トンサイロ1基([1] p446)
日本セメントの明星セメント(株)製品用包装所として開設([2]p59)
1972(昭47)年08月 秋田包装所、7,000トンサイロ1基増設([1] p447)
1985(昭60)年06月
中島埠頭駅の日本セメント(株)専用線廃止。(『秋田臨 海鉄 道30年のあゆみ』秋田臨海鉄道株式会社、2001年、p91)
尚、下記発着トン数から分かる通り1984年以降は発着量が0となり事実上廃止状態であった
1986(昭61)年09月
中島埠頭駅の日本セメント(株)専用線撤去。(前掲『秋 田臨 海鉄道30年のあゆみ』p48)
<現 況>
2010(平成22)年現在は、太 平洋セメント(株)秋田北SS(秋田市土崎港相染町字土浜38)、サイロ3基・能力15.0千トン([3]p90)
また隣接して旧小野田セメントの太平洋セメント(株)秋田南SSも存在([3]p90)
( 尚、小野田セメント(株)秋田SSには専用線無し)
「1970年版 専用線一覧表」:秋田港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり。(備考:日本石油線 に接 続)
「1983年版 専用線一覧表」:中島埠頭駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり。
*臨海SSながら、下記表から分かる通り専用線は到着主体であった。但し1974年以降の到着量は僅かである。

*中島埠頭駅の日本セメント(株)の発着トン数の推移 (単位:ト ン)

1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
発送
5,300
8,100
1,000
200




300
800




到着
49,100
77,400
13,400
800
1,900
1,300
1,600
1,700
2,000
700
400
400
200


54,400
85,500
14,300
1,000
1,900
1,300
1,600
1,700
2,300
1,500
400
400
200

(前掲『秋田臨海鉄道30年のあゆみ』p128-129より)

 当初は明星セメント(株)糸魚川工場から貨車輸送を主体に輸送していたようだが、到着量が急減する1973(昭48)年頃から船舶輸送に切り替えられ たも のと思われる。尚、明星セメントの海上輸送は姫川港が1973年9月に開港し姫川包装所が完成した同年11月からスタートし([1] p442)、まずは秋田を含む臨海包装所へ海上輸送が開始された。([2]p159)

 海上輸送が主流になってもすぐに専用線を廃止せず、年間で1,000〜2,000トン程度の到着分だけは貨車輸送を継続していたということであろうか。 末期の400トンはタキ10両相当分に過ぎないのだが、それでも専用線を維持していたというのは驚愕だ。

2001.8中島埠頭駅

2008.4中島埠頭駅


▽塩釜SS (塩釜埠頭駅)
1964(昭39)年05月 塩釜包装所新設、6,000トンサイロ1基([1] p446)
1973(昭48)年08月 塩釜包装所、8,500トンサイロ1基増設([1] p447)
<現 況>
2010(平成22)年現在は、太 平洋セメント(株)塩釜東SS(塩釜市貞山通1-6-26)、サイロ4基・能力21.0千トン([3]p90)
また隣接して旧小野田セメントの太平洋セメント(株)塩釜西SSも存在([3]p90)
「1964年版 専用線一覧表」:塩釜埠頭駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1975年版 専用線一覧表」:塩釜埠頭駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり

1975.9塩釜埠頭駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より

2009.7 塩 釜埠頭駅


▽蔵王SS (蔵王駅)
1991(平3)年頃
蔵王SS新設と見られる。
1998(平10)年9月30日
蔵王駅の日本セメント(株)蔵王SS専用線が廃止。
(遠藤 浩一「仙山線貨物列車全廃」『レイル・マガジン12月号』通巻第183号、1998年、p103)

1998.9蔵王駅

2005.5蔵王駅


▽上山SS (上ノ山駅)
1970(昭45)年10月 明星セメント(株)上山包装所新設、700トンサイロ1基([1] p446,[2]p59)
1971(昭46)年10月 上山包装所、100トンサイロ1基増設([1] p447)
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の上山包装所を日本セメント(株)の組織に編入 ([1]p669)
<現 況>
山形新幹線工事に伴い上ノ山駅の貨物取扱いが廃止されることになり、蔵 王駅に蔵王SSを新設し貨物扱いを移転
尚、上ノ山駅には秩父セメ ント(株)上ノ山SSがあり、太平洋セメント(株)上ノ山SSと して2005(平17)年現地調査では存在したが、2010年は無し
「1970年版 専用線一覧表」:上ノ山駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:上ノ山駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり

1976.10 上ノ山駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽喜多方包装所 (喜多方駅)
1971(昭46)年09月
明星セメント(株)喜多方包装所開設、100トンサイロ2基([2] p59)
所在地は喜多方市字千刈中道上。明星セメント(株)(糸魚川駅)から貨車でセメントが到着(『セメ ント年鑑 1973』p138)
1974(昭49)年11月
塩川駅に会津CT新設に伴 い、閉鎖と思われる

1976.10 喜多方駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽会津CT (塩川駅)
1974(昭49)年11月 会津CT新設、2,000トンサイロ1基([1] p447)
詳細はセメント貯蔵基地セメントターミナル(株)会津営業所を 参照


▽郡山CT (郡山(タ)駅)
1977(昭52)年03月 郡山CT新設、3,000トンサイロ1基([1] p448)
詳細はセメント貯蔵基地セメントターミナル(株)郡山営業 所を 参照


▽小名浜SS (小名浜駅)
1976(昭51)年3月 小名浜包装所新設、15,000トンサイロ1基 ([1]p448)
1977(昭52)年10月 日本セメント(株)水戸包装所開 設に伴い、小名浜(小名浜臨海鉄道) 〜内原(常磐線)間でタキ1900形によるセメント専用列車の輸送開始
(茨城大学鉄道研究会「茨城県の福島臨海鉄道」『鉄道ピクトリアル』通巻第432号、1984年、p97)
1979(昭54)年3月31日
「1979年版 私有貨車番号表」によると、日本セメント鰹蒲Lの小名浜駅常備のタキ1900形(セメント専用)が21両あり
1984(昭59)年当時
1日1往復の列車が設定され、平均すると月に20往 復余りの運転をしていた。
通常タキ1900形19両編成で水戸包装所からは、茨城県一帯栃木県南部にトラックで配送される。
(前掲「茨城県の福島臨海鉄道」p97)
2000(平12)年3月7日
小名浜〜内原間の太平洋セメント専用列車が廃止された。これは陸 揚港を小名浜から日立に 移したためである。
内原の設備はタキ1900形で20車分あるが、景気低迷とセメントメーカーの合理化により取扱量が減少し、末期は週3便・15車程度になっていた。
3月中旬には、専用線のレールが一部撤去、自動車輸送 のための工事が 行われた。
(佐藤 直人「太平洋セメント内原、鉄道輸送廃止」『レイル・マガジン6月号』通巻201号、2000年、p129)

<現 況>
2010(平成22)年現在は、太 平洋セメント(株)小名浜北SS(いわき市小名浜字高山327)、サイロ1基・能力15.0千トン([3]p90)
「1983年版 専用線一覧表」:小名浜駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり。


1992.2小名浜駅

1992.2小名浜駅
急行越前様から現役時代の大変貴重な写真をご提供して戴きました!


2001.8小名浜駅

2001.8小名浜駅



▼3.2関東地方  

▽水戸SS (内原駅)
1977(昭52)年10月 水戸包装所新設、6,000トンサイロ1基([1] p448)
<現 況>
2000(平成12)年現在は、太平洋セメント(株)水戸SS (茨城県東茨城郡内原町大字三湯字舞台443-1)あり([6]p102)
2005(平成17)年現在では無し([7]p93)
2009(平成21)年4月現地調査の時点では施設は残っていた
「1983年版 専用線一覧表」:内原駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:通路線0.3km、1番線0.3km、2 番線 0.3km、3番線0.3km)あり。
輸送の詳細は、小名浜SSを参照

2009.4内原駅

2010.12内原駅


▽宇都宮SS (宝積寺駅)
1969(昭44)年12月 宇都宮包装所新設、1,000トンサイロ1基([1] p446)
1973(昭48)年9月 宇都宮包装所、2,300トンサイロ1基増設([1] p447)
1985(昭60)年3月現在
ダイヤ改正では熊谷(タ)〜矢板間のセメント専用列車が宝積寺駅で解放
2006(平18)年3月
ダイヤ改正で宝積寺駅の貨物取扱いが廃止
<現 況>
2005(平17)年12月現地調査の時点では太平洋セメント(株)宇都 宮北SSは使 用されていたが、2009(平21)年11月現地調査の時点では閉鎖
「1970年版 専用線一覧表」:宝積寺駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ0.2km)あり。
「1983年版 専用線一覧表」:宝積寺駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ0.2km)あり。

2005.12 宝積寺駅


▽高崎SS (倉賀野駅)
1965(昭40)年03月 高崎包装所新設、3,000トンサイロ1基([1] p446)
詳細は「貨物取扱 駅と荷主」の倉賀野駅日本セメント(株)高崎 SSを 参照


▽下板橋SS (下板橋駅)
1956(昭31)年02月 下板橋包装所開設([1]p163)
1964(昭39)年12月現在 サイロ3基、総収容能力8,000トン([1] p163)
1984(昭59)年08月
西大家駅接続の日本セメント(株)埼玉工場専用線が廃止されたのに伴 い、西大家〜下板橋間のセメント輸送廃止
(前掲「東武鉄道 貨物列車ものがたりB」p183)
1985(昭60)年
下板橋SS廃止(『セメント年鑑 1986』p43)
<現 況>

「1957年版 専用線一覧表」:下板橋駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:下板橋駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり

1975.1 下板橋駅  「地 図・空中写真閲覧サービス」より

日本セメント (株)下板橋包装所([8]p888)


▽隅田川SS (隅田川駅)
1965(昭40)年08月 隅田川包装所新設、4,000トンサイロ1基([1] p190)
詳細はセメント貯蔵基地東京セメント運輸(株)を参照


▽芝浦SS (芝浦駅)
1959(昭34)年09月 芝浦包装所開設([1]p163)。ア サノコンクリート(株)は芝浦工 場を1959年9月に新設
1964(昭39)年12月現在 サイロ6基、総収容能力4,000トン([1] p163)
1985(昭60)年03月01日
芝浦駅が廃止
「1961年版 専用線一覧表」:芝浦駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:芝浦駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり(使用休止)
*1965(昭40)年前後の輸送として、高麗川駅からセメント専 用のホキ3500形の向け先として芝浦駅があった。
(前掲「梓川開発資材輸送列車」p49)

1975.1芝 浦駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より



▼3.3甲信越地方  

▽甲府SS (石和温泉駅)
1971(昭46)年09月 甲府包装所新設、3,000トンサイロ1基([1] p447)
1981(昭56)年07月 甲府包装所、2,000トンサイロ1基増設([1] p449)
1985(昭60)年03月現在
ダイヤ改正で高麗川〜石和間にセメント専用列車が設定
1999(平11)年09月
太平洋セメント(株)埼玉工場の専用線廃止に伴い高麗川〜石和温泉間の セメ ント列車廃止
<現 況>
2010(平22)年現在は、太 平洋セメント轄b府SS(笛吹市石和町松本454-1)、サイロ3基・能力5.0千トン([3]p91)
「1975年版 専用線一覧表」:石和駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり。(記事:国鉄砕石線分 岐)
「1983年版 専用線一覧表」:石和駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:専1番0.2km 専2番0.2km 専3番0.2km)あり
※石和駅には秩 父セメント(株)石和SSの専用線もあったが、1997(平9)年3月に廃止と思われる

1995.9石和温泉駅

2006.8石和温泉駅


▽松本SS (南松本駅)
1968(昭43)年10月 明星セメント(株)松本包装所新設、2,000トンサイロ1基([1] p446、[2]p59)
1969(昭44)年02月 松本包装所、80トンサイロ1基増設([1]p446)
1971(昭46)年08月 松本包装所、2,500トンサイロ1基増設([1] p447)
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の松本包装所を日本セメント(株)の組織に編入 ([1]p669)
1978(昭53)年11月 松本包装所、200トンサイロ1基増設([1] p448)
1981(昭56)年09月 松本包装所、1,900トンサイロ1基増設([1] p449)
1991(平03)年03月現在
ダイヤ改正で糸魚川〜上片桐間のセメント専用列車が南松本駅で解放
2002(平14)年03月現在
ダイヤ改正で青海〜南松本間のセメント専用列車が糸魚川駅で解結
2003(平15)年03月
糸魚川駅の明星セメント(株)専用線が廃止されたことに伴い松本SSの専用線も廃止された と思われる
<現 況>
2010(平22)年現在は、太 平洋セメント(株)松本SS(松本市市場1-67)、サイロ8基・能力10.0千トン([3]p91)
「1970年版 専用線一覧表」:南松本駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.7km)あり(記事:松本市専用線 分 岐)
「1983年版 専用線一覧表」:南松本駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.7km)あり

1997.3南松本駅

1997.3南松本駅

2002.10南松本駅

2002.10南松本駅


▽上片桐SS (上片桐駅)
1969(昭44)年07月 明星セメント(株)上片桐包装所新設、500トンサイロ2基([1] p446)  但し[2]p59に拠ると500トンサイロ1基
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の上片桐包装所を日本セメント(株)の組織に編 入 ([1]p669
1979(昭54)年12月 上片桐包装所、1,500トンサイロ1基増設([1] p448)
1985(昭60)年03月現在
ダイヤ改正で青海〜辰野間のセメント列車が糸魚川駅で連結、辰野〜上片桐間にセメント専用列車2往復設定
1991(平03)年03月現在
ダイヤ改正で糸魚川〜上片桐間にセメント専用列車が設定
1996(平08)年03月
ダイヤ改正で上片桐駅の貨物列車発着が廃止
「1970年版 専用線一覧表」:上片桐駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:第1積卸0.1km 第2積卸0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:上片桐駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:第1積卸0.1km 第2積卸0.2km)あり(記事:松川町線に接続)

1997.3上片桐駅

1997.3上片桐駅

1997.3上片桐駅

2004.8上片桐駅


▽篠ノ井SS (篠ノ井駅)
1965(昭40)年11月 明星セメント(株)篠ノ井包装所新設、2,000トンサイロ1基([1] p446、[2]p59)
1966(昭41)年10月 篠ノ井包装所、500トンサイロ1基増設([1] p446)
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の篠ノ井包装所を日本セメント(株)の組織に編 入 ([1]p669)
1990(平02)年03月現在
ダイヤ改正で糸魚川〜西上田間のセメント専用列車が篠ノ井駅で解放
2002(平14)年03月現在
ダイヤ改正で青海〜南松本間のセメント専用列車が糸魚川駅で解結、篠ノ井駅で解結
2003(平15)年03月
糸魚川駅の明星セメント(株)専用線が廃止。同時に篠ノ井SSの専用線 も廃 止と思われる
<現 況>
2010(平成22)現在は、太 平洋セメント(株)篠ノ井SS(長野市篠ノ井岡田415-1)、サイロ3基・能力4.0千トン
「1967年版 専用線一覧表」:篠ノ井駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:篠ノ井駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり

1996.8篠ノ井駅

2002.10篠ノ井駅

2010.11篠ノ井駅

2010.11篠ノ井駅


▽姫川包装所 (姫川港)
1973(昭48)年11月 姫川港の開港を機に新設、2,000トンサイロ1基([2] p159)
セメントの出荷基地。糸魚川工場との間はダン プ型トラックによってピストン輸送。
現在10台で一日最大約3,000tの輸送能力がある。

当初は青森、秋田、新潟の3臨海包装所向けに限られていたが以降明星セメントからの出荷は漸次貨車輸送から海上輸送に移行。
流通コストの低下を図るために、酒田、柏崎、金沢の各港に54年以降包装所を設置し海上輸送を開始した。


▽柏崎SS (柏崎駅)
1971(昭46)年11月 明星セメント(株)柏崎包装所新設、700トンサイロ1基([1] p447、[2]p59)
1973(昭48)年8月 明星セメント(株)所属の柏崎包装所を日本セメント(株)の組織に編入([1] p671)
1981(昭56)年9月
新柏崎包装所新設、10,000トンサイロ1基([1] p448)
新柏崎包装所は明星セメント(株)と電気化学工業(株)が共同で使用している([1]p218)
柏崎は海上輸送に移行したとのことより新柏崎包装所は臨海型と思われる([2]p159)
<現 況>
2010(平成22)年現在は、太 平洋セメント(株)新柏崎SS・柏崎SS(共に柏崎市中浜2-4- 47)あ り([1]p90)
この臨海SS開設時に内陸SSは閉鎖か
「1975年版 専用線一覧表」:柏崎駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:柏崎駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり(記事:使用休止)

1975.11 柏崎駅 地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽五日町CT (五日町駅)
1974(昭49)年04月 五日町CT新設、2,000トンサイロ1基([1] p447)
詳細はセメント貯蔵基地セメントターミナル(株)五日 町営 業所を参照


▽長岡SS (上除駅)
1968(昭43)年07月 明星セメント(株)長岡包装所新設、2,000トンサイロ1基 ([1]p446、[2]p59)
1970(昭45)年10月 長岡包装所、200トンサイロ1基増設([1] p446)
1975(昭50)年09月 長岡包装所、900トンサイロ1基増設([1] p448)
1985(昭60)年03月現在
ダイヤ改正で青海〜新発田間のセメント専用列車は糸魚川駅で連結、来迎寺駅で解放
1993(平05)年03月31日
越後交通の西長岡〜越後関原間4.3kmが廃止
<現 況>
2000(平12)年現在は、長岡SS(長岡市宝地町335)あり([6]p102)
「1970年版 専用線一覧表」:上除駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.5km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:上除駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.5km)あり

1975.11 上除駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より

2003.5 上 除駅


▽新潟SS (万代駅、新潟港駅)
1955(昭30)年03月 新潟包装所開設([1]p163) 北 海道、九州より海上移入([2]p54)
1961(昭36)年 明星セメント糸魚川工場操業開始に伴い貨車受入設備を新設
直後の6月に新潟地震で当分使用不能に([2]p54)
1964(昭39)年12月現在 サイロ2基、総収容能力7,000トン([1] p163)
1965(昭40)年08月20日
万代駅が廃止、新潟港駅に
1973(昭48)年11月 姫川包装所開設により新潟包装所への海上輸送が開始([2]p159)
1980(昭55)年01月 新潟包装所、3,000トンサイロ2基廃止([1] p448)
1980(昭55)年02月 新しい新潟包装所開設により旧新潟包装所閉鎖([1] p671)
<現 況>
新しい新潟包装所は太平洋セメント(株)新潟南SS(新潟市中央区竜が島1-13)として現役 ([3]p90)
「1957年版 専用線一覧表」:万代駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり
「1975年版 専用線一覧表」:新潟港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:3.3km)あり(記事:公共臨港線に接続)
「1983年版 専用線一覧表」:新潟港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.5km)あり(記事:国鉄側線)

1975.11 新潟港駅  「地 図・空中写真閲覧サービス」より

2003.5 太平洋セメント(株)新潟南SS


▽坂町SS (坂町駅)
1970(昭45)年10月 明星セメント(株)坂町包装所新設、3,000トンサイロ1基、 1,000トンサイロ1基([1]p446、[2]p59)
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の坂町包装所を日本セメント鰍フ組織に編入([1] p671)
1974(昭49)年07月 坂町包装所、300トンサイロ1基増設([1] p447)
1984(昭59)年01月20日
坂町駅の貨物取扱い廃止Wikipediaよ り)
<現 況>
1995(平7)年現在は、坂町SS(新潟県岩船郡荒川町大字羽ケ榎9-1)あり([5] p109)
「1970年版 専用線一覧表」:坂町駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:坂町駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり

1975.8 坂町駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より



▼3.4東海地方・北陸地方  

▽大海SS (大海駅)
1971(昭46)年11月 大海包装所新設、750トンサイロ1基([1] p447)
 ※日本セメント(株)が開設した明星セメント(株)製品用の 包装所([2]p66)
1984(昭59)年1月16日
大海駅の貨物取扱い廃止Wikipediaよ り)
<現 況>
2000(平12)年現在は、太平洋セメント(株)大海SS(新城市大海字南田26)あり([6] p102)
2005(平17)年現在では無し([7]p94)
「1975年版 専用線一覧表」:大海駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:セメント線0.1km 砂利0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:大海駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:セメント線0.1km 砂利0.1km)あり

2000.8大海駅

2000.8大海駅


▽平岡SS (平岡駅)
1977(昭52)年12月 平岡包装所新設、500トンサイロ1基([1] p448)
 ※日本セメント(株)が開設した明星セメント(株)製品用の 包装所([2]p66)
1984(昭54)年01月21日 平岡駅の貨物取扱い廃止(Wikipediaよ り)
<現 況>
1995(平7)年現在は、日本セメント(株)平岡SS(下伊那郡天竜村大字平岡1427-1)あり([5] p109)
2000(平12)年現在では無し([6]p102)
「1983年版 専用線一覧表」:平岡駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり(記事:国鉄側線)


▽名古屋SS (西名古屋港駅)
1953(昭28)年5月 名古屋包装所開設。2,800トンサイロ2基。貨車積能力400トン/ 日([1]p140)
1964(昭39)年12月現在 サイロ4基、総収容能力12,500トン([1] p163)
1969(昭44)年7月
明星セメント(株)製品用包装所として名古屋包装所に貨車バラ受け設備完 成([2]p59)
1972(昭47)年4月 名古屋包装所、100トンサイロ1基増設([1] p447)
1981(昭56)年6月 名古屋包装所、15,000トンサイロ1基増設([1] p448)
<現 況>
2010(平22)年現在は、太平洋セメント(株)名古屋SS(名古屋市港区一州町86-1)、サイロ5基・ 27.0千トンあり([3]p91)
「1953年版 専用線一覧表」:西名古屋港駅所管の名古屋港管理組合専用線(作業キロ:1.6km)の第三者使用に日本セメ ント(株)あり
「1961年版 専用線一覧表」:西名古屋港駅所管の名古屋港管理組合専用線(作業キロ:0.5km)の第三者使用に日本セメント(株)あり(記事:北 線)
「1964年版 専用線一覧表」以降では存在しないが、1969年に貨車バラ受け設備が完成しているので側線として存続と思われる

1975.11西名古屋港駅 
 「地 図・空中写真閲覧サービス」より

2018.1西名古屋港駅


▽坂祝SS (坂祝駅)
1972(昭47)年02月 坂祝包装所新設、2,000トンサイロ1基([1] p447)
 ※日本セメント(株)が開設した明星セメント(株)製品用の 包装所([2]p66)
1973(昭48)年02月 坂祝包装所、300トンサイロ1基増設([1] p447)
1999(平11)年当時
東藤原から太平洋セメント(株)坂祝SSへの発送はタキ1900形(明 星セ メント)でセメント降口が車両下面にあるタイプ、
編成は最長6両と決められている
(安田 孝哉「注目の貨物輸送〔三岐鉄道〕−セメント輸送 西の雄−『鉄道ピクトリアル』通巻第680号、2000年、p81-82)
2007(平19)年03月
東 藤原〜坂祝間のセメント専用列車が廃止
<現 況>
2005(平17)年現在は、太平洋セメント(株)坂祝SS(加茂郡坂祝町取組字砂田761)あり([7] p94)
2010(平22)年現在では無し([3]p91)
「1975年版 専用線一覧表」:坂祝駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:坂祝駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり

1996.12坂祝駅 手前はデンカの荷役設備

2017.12坂祝駅


▽小杉SS (小杉駅)
1964(昭39)年05月 日本セメント(株)小杉包装所開設、3,000トンサイロ1基 ([1]p446)。これに先立つ4月に明星セメント(株)糸魚川工場操業開始([2]p54)
1980(昭55)年09月 小杉包装所、1,000トンサイロ1基増設([1] p448)
1985(昭60)年03月現在
ダイヤ改正で糸魚川〜小杉間にセメント専用列車が設定
1996(平08)年07月25日
小杉駅の貨物取扱が廃止Wikipediaよ り)
<現 況>
1995(平7)年現在は、日本セメント(株)小杉SS(射水郡小杉町三ケ2216)あり([5] p109)
2000(平12)年現在では無し([6]p102)
「1964年版 専用線一覧表」:小杉駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:小杉駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり

小杉包装所([2]p35)

2011.10小杉駅


▽金津SS (芦原温泉駅)
1970(昭45)年07月 明星セメント(株)金津包装所新設、10,000トンサイロ2基 ([1]p446) ※但し[2]p59に拠ると2,000tサイロ1基
1971(昭46)年08月 金津包装所、100トンサイロ1基増設([1] p447)
1973(昭48)年08月 明星セメント(株)所属の金津包装所を日本セメント(株)の組織に編入 ([1]p671)
1980(昭55)年12月 金津包装所、300トンサイロ1基増設([1] p448)
1988(昭63)年
芦原温泉駅のセメント輸送が廃止Wikipediaよ り)
<現 況>
1995(平7)年現在では無し([5]p109)
1995年8月現地目撃では、「アサノセメント」と表示されたセメントサイロが残り専用線のレールも残っていた
「1970年版 専用線一覧表」:金津駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:芦原温泉駅所管の明星セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり

1975.10 芦原温泉駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より



▼3.5近畿・中国地方  

▽大阪SS (大阪港駅)
1960(昭35)年04月 大阪包装所開設([1]p163)
1964(昭39)年03月 大阪包装所、6,000トンサイロ1基増設([1] p446)
1964(昭39)年12月現在 サイロ3基、総収容能力13,000トン([1] p163)
1970(昭45)年02月 大阪包装所、2,000トンサイロ1基増設([1] p446)
<現 況>
2010(平22)年現在は、太平洋セメント(株)大阪SS(大 阪市港区海岸通り3-4-77、サイロ5基・能力25.0千トンあり
「1961年版 専用線一覧表」:大阪港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり。
「1975年版 専用線一覧表」:大阪港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。

1975.3大 阪 港駅
  地 図・空中写真閲覧サービス」より

2019.10 大 阪港駅


▽糸崎SS (糸崎駅)
1961(昭36)年
糸崎包装所新設
<現 況>
2000(平12)年現在は、太平洋セメント(株)糸崎SS(三原市糸 崎町5310-6)あり
2005(平17)年現在は無し。但し同社三原SS(三原市糸崎町5928-1)あり
「1961年版 専用線一覧表」:糸崎駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:糸崎駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり

1975.1 糸崎駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より



▼3.6九州地方  

▽門司SS (葛葉駅・門司埠頭駅)
1957(昭32)年11月 門司包装所開設
1964(昭39)年12月現在 サイロ17基、総収容能力22,200トン([1] p163)
1982(昭57)年11月15日
門司埠頭駅が廃止
<現 況>
2000(平12)年現在は、太平洋セメント(株)門司SS(北 九州市門司区西海岸2-5-39あり([6]p104)
2005(平17)年現在は無し([7]p95)
「1957年版 専用線一覧表」:門司埠頭駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり
「1975年版 専用線一覧表」:門司埠頭駅所管の日本セメント(株)門司工場専用線(作業キロ:0.2km)あり(記事:国鉄側線)
香春工場(香春駅)から貨車でセメントが到着

1975.3 門司埠頭駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽小倉SS (東小倉駅)
1955(昭30)年11月 小倉包装所開設([1]p163)
香春工場〜小倉 包装所間でバラ積み専用貨車によるピストン輸送が開始された([1]p440)
1963(昭38)年12月 小倉包装所、6,000トンサイロ1基増設([1] p446)
1964(昭39)年12月現在 サイロ4基、総収容能力16,500トン([1] p163)
1980(昭55)年06月 小倉包装所、2,000トンサイロ1基増設([1] p448)
<現 況>
2005(平17)年現在は、太平洋セメント(株)小倉SS(北 九州市小倉北区末広町2-2-1あり([7]p95)
2010(平22)年現在では無し([3]p91)
「1957年版 専用線一覧表」:東小倉駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.9km)あり(記事:東京製綱線 に接 続)
「1983年版 専用線一覧表」:東小倉駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.9km)あり(記事:東京製綱、共同石油、
ゼネラル線に接続)
1974(昭49)年度の空中写真(「国 土画像観覧システム」の「北 九州福岡 CKU-74-24」より)


▽苅田SS (苅田港駅)
1974(昭49)年06月 苅田包装所新設、10,000トンサイロ1基([1] p447)
1976(昭51)年12月
勾金駅接続の日本セメント(株)香春工 場の 専用線が開通により勾金〜苅田港間にセメント列車運転開始([1] p444)
1980(昭55)年 苅田包装所にフライアッシュセメント混合設備を設置([1] p444)
1980(昭55)年05月 苅田包装所、15,000トンサイロ1基増設([1] p448)
1982(昭57)年 苅田包装所に高炉セメント混合設備を設置([1] p444)
1982(昭57)年04月 苅田包装所、10,000トンサイロ1基増設([1] p449)
1985(昭60)年03月現在
勾 金〜苅田港間にセメント専用列車が3往復設定
1989(平元)年07月09日
この日限りで勾金〜苅田港間のセメント専用列車が廃止Wikipediaよ り)
<現 況>
2005(平17)年現在では、太平洋セメント(株)苅田SS(京都郡苅田町字長浜町)あり([7] p95)
2010(平22)年現在では無し([3]p91)
「1975年版 専用線一覧表」:苅田港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:苅田港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり(記事:専用貨車に限る)

1975.3 苅田港駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽福岡SS (博多港駅)
1960(昭35)年01月 福岡包装所開設([1]p163)
1964(昭39)年12月現在 サイロ1基、総収容能力2,000トン([1] p163)
<現 況>
1995(平7)年現在では、日本セメント(株)福岡SS(福 岡市東区東浜1-9-25あり([5]p110)
2000(平12)年現在は無し([6]p104)
「1961年版 専用線一覧表」:博多港駅所管の日本セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり(記事:福岡市東浜線 か ら分岐)
「1983年版 専用線一覧表」:博多港駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.2km)あり(記事:福岡市東浜線から分岐)
香春工場(香春駅)から貨車でセメントが到着か?

1975.3 博多港駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より

2013.4 博 多港駅


▽唐津SS (西唐津駅)
1970(昭45)年7月
唐津包装所新設、500トンサイロ1基(『セメント年鑑  1971』p54)
1985(昭60)年
新たに唐津SSが新設(唐津市中瀬通)されたことに伴い閉鎖か
1986(昭61)11月
西唐津駅の貨物取り扱い廃止
<現 況>
唐津東港フェリー埠頭となり、跡形も無し
西唐津駅に専用線無し。セメント出荷は西唐津駅(『セメント年鑑 1973』p137)

香春工場(香春駅)から貨車でセメントが到着(『セメント年鑑 1973』p137)

1977.10 西唐津駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より


▽玉名SS (玉名駅)
1972(昭47)年11月 玉名包装所新設、1,500トンサイロ1基([1] p447)
1980(昭55)年11月 玉名包装所、300トンサイロ1基増設([1] p448)
1985(昭60)年03月現在
ダイヤ改正で鶴崎〜竜田口間の石油専用列車が門司駅で連結、玉名駅で解放
1986(昭61)年04月01日
玉名駅の貨物取扱が廃止(『鉄道貨物輸送近代化の歩み』 日本貨物鉄道 輸送株式会社、1993年、p317)
<現 況>
1995(平7)年現在では、日本セメント(株)玉名SS(玉名郡岱明町野口字上河原250-2)あり([5] p110)
2000(平12)年現在は無し([6]p104)
「1975年版 専用線一覧表」:玉名駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.1km)あり
「1983年版 専用線一覧表」:玉名駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.1km)あり

香春工場(香春駅)から貨車でセメントが到着

1975.1 玉名駅  「地 図・空中写真閲覧サービス」より

2019.9 玉名駅  googleストリートビューより


▽人吉SS (人吉駅)
1971(昭46)年05月 人吉包装所新設、500トンサイロ1基([1] p447)
<現 況>
1995(平7)年現在では、日本セメント(株)人吉SS(人吉市中青井町字上青井田343-10)あり ([5]p110)
2000(平12)年現在は無し([6]p104)
「1975年版 専用線一覧表」:人吉駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.1km)あり(記事:国鉄側 線)
「1983年版 専用線一覧表」:人吉駅所管の日本セメント(株)九州支店専用線(作業キロ:0.1km)あり(記事:国鉄側線 使用休止)

八代工場(八代駅)から貨車でセメントが到着
八代工場が1979年6月にセメント焼成を中止し1980年4月 に閉鎖となったので、その頃に専用線が使用休止になったと予想される。

1976.10 人吉駅  地 図・空中写真閲覧サービス」より




[1]『百年史』日本セメント株式会社、1983年
[2]『明星セメント25年のあゆみ』明星セメント株式会社、1983年
[3]『セメント年鑑 2010』セメント新聞社、2010年
[4]野尻 亘「素材の鉄道輸送−セメント・石油・木材チップの場合−」『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』古今書院、1997年
[5]『セメント年鑑 1995』セメント新聞社、1995年
[6]『セメント年鑑 2000』セメント新聞社、2000年
[7]『セメント年鑑 2005』セメント新聞社、2005年
[8]『東武鉄道百年史』東武鉄道株式会社、1998年

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