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とはずがたりな掲示板   鉄 道貨物輸送スレ  セ メントスレ

◆セメント貯蔵基地
2001.12.7 作 成 2010.10.3大幅更新
2002.8本巣駅

=目次=
■1.は じめに
■2.東 京セメント運 輸(株)
■3.セメントターミ ナル(株)

  会津営業所(塩川駅)
  郡山営業所(郡山(タ)駅)
  五日町営業所(五日町駅)
  高崎営業所(倉賀野駅)
  浜松営業所(西浜松駅)
■4.セメント基地の集積地帯

  石狩CT
  仙台港
  小名浜港
  南松本駅
  坂祝駅
  境港
  細島港
  宮崎港
■5.都 市圏におけるセメント基地の配置と専用 線
  山形都市圏
  甲府都市圏
  名古屋都市圏
  京滋都市圏

2006.11 塩川駅

■1. はじめに  
 我が国のセ メ ントの国内需要量は、バブル経済期の1990(平2)年度には8,629 万トンと史上最高を記録した。(『日本物流年鑑1991・1992』運輸省、1992年、p263)
 また輸出を含めたセメ ントの国内生産量は、 1996(平8)年度に1億トンに迫る9,927万ト ンと過去最高 となった。(『日本物流年鑑1997』運輸省、1997年、p245)

 しかしバブル崩壊後の民間需要の不振や公共事業の抑制などによって国内需要は年々減少し、2009(平21)年度は4,250万トンと1990年度に比べ半分以 下に減少、国内生産量も大幅に減少 して同年度は5,863万トンと なった。(『Fuji Sankei Business i.』2010年4月21日付

 一方、鉄道貨物輸送におけるセメント輸送のピークは、1972(昭47)年度の1,786万トンで、 その後は 漸減傾向になりJR貨物発足後の国内需要のピーク期には700 万〜800万トンの 水準であったものが、国内生産量のピーク時の1995(平7)年頃には500 万 〜600万トンの水準まで減り、さらに2000(平12)年前後には200 万トン程度にまで急速に落ち込んだ。([1]p430-431)

 そして2007(平19)年3月には太平洋セメント(株)の東藤原〜四日市間のセメント輸送以外は全廃され、この輸送は藤原工場から四日市港経由で全国 に 移出される中継輸送であり,セメント工場から各地の包装所(SS)への輸送という国鉄のセメント輸送の典型形態は遂に廃絶、かつて鉄道貨物輸送の大宗貨物 が「石油・セメ ント・石灰石」の「3セ」と呼ばれた面影は無くなりセメントの年間輸送量は約70 万ト ン程度(ピーク時の約4%)となっている。

 「3セ」の石油輸送と比較してみると、鉄道貨物輸送における石油輸送のピークは、1978(昭53)年度の1,880万トン([1]p423)に対し、 2009年度は723万トンで ピーク時の約40%となっておりちょうどセメント輸送の10倍程 度の水準を維持していることになる。ただし今後、石油業界もセメント業界同様に国内需要の漸減傾向が続くと予想され、鉄道貨物輸送がどの程度の水準で維持 されるか予断を許さない状況であると考えられる。

 さて、このページでは物資別適合基地として整備されたセメントの共同貯蔵施設(東京セメント運輸セメントターミナル)をまずは纏めており、続いて複数 のセメント会社のサービスステーション(SS)が1カ所に集積している場所についても纏めてみた。石油業界における日本OTや東西OTの成長と比べると、 貯蔵施設の共同ターミナルへの集約が今ひとつうまくいかなかった印象のあるセメント業界だが、鉄道貨物輸送とは関係ない場所でのSSの集積などセメント業 界として集約化を試みた形跡も感じられる。今後、新たなセメントターミナル≠ェ生まれる可能性はあるのだろうか。



■2.東京セメント運 輸(株)  

  鉄道貨 物輸送における東京の北の玄関口、隅田川駅。
 その駅構内の北部に連なりそびえ立つセメント基地。

 現在その機能は完全に停止され、側線は撤去、サイロ群
は解体を待つかのように静けさに覆われている。
 この場所がまさに国鉄 の物資別適合基地の先駆けとなっ
た東京セメント運輸(株)の今日の姿なのだが、既に会社自
体消滅し、儚い空気だけが漂っている。

 しかし、かつてはここに関東各地のセメント工場からセメン
ト専用列車が何本も到着し、活気に溢れていた筈なのだ。

 後に設立されたセメントターミナル(株)への系譜を考えると、
この東京セメント運輸(株)が鉄道貨物輸送におけるセメント
輸送にもたらした影響は極めて大きかったと言えよう。
 それだけに今のような形で放置された同社の施設は非常
に痛ましく感じられてしまう。



←東横瀬駅の三菱セメント(株)(現、三菱マテリアル)から
到着したセメント列車([9]p22)

▼会社概要
([2]p71)
設 立年月日
1964(昭 39)年5月16日
資 本金
授 権1億 2,000万円
払込3,000万円
株 主
日 本運輸 倉庫(株)、日本セメント(株)、住友セメント(株)、日立セメント(株)
会 社の性格
通 運事業 法による通運事業(限定)
業 務内容
貨 車から サイロへの収納、サイロから消費地点への配送、包装及びその付帯業務、
基地内の貨車入換作業(配送はセメント各社の配送計画により行う)
取 扱量
年 間54 万トン(うちバラ43.3万トン、袋詰10.8万トン)

▼基地概要([2]p68-69)
荷 役線
荷 役線と して側線3本と入換機関車留置線1本
荷 役施設
* 荷役施 設は、貨車からの取卸しピットとサイロが主体をなし、この間を チェーンコンベアとバケットエレベーターで連結し、貨車からピットに取卸したバラセメントは短時間にサイロに収納できる構造となる。消費地への小運送はバ ラものは直ちにバラ積みトラックに積込まれ、袋詰のものは付属施設のパッカーによって自動袋詰されて積出される。
*サイロ、ピット及びこれらの関連施設は、各3セットずつ施設され、ピットの構造は国鉄から統一したものとするよう強い要 望があったが、貨車構造その他から各社それぞれの方式を採用することになったので、3社3方式である。
セ メント収容能力
サ イロ1 基当たり5,000トンを考えられたが、地耐力の関係などを考 慮して、1基4,000トンとし月間1基1万5,000トンの取扱を予定。
建 設費概算
埋 立、サ イロ施設、荷役線、支障物件の撤去費その他付帯工事等併せて5 億1千万円の見込みで、基地利用の荷主の負担によって建設し、国鉄の財産とされる。
基 地までの
輸送方法
私 有貨車 (30トン、40トンのホキ又はタキ)を用い、専用列車によっ て1社1日500トンずつ1日合計1,500トンを計画輸送する。発駅は、四ツ倉駅(住友セメント)、日立駅(日立セメント)、高麗川駅(日本セメント) である。

▼東京セメント運輸に関わるセメント輸送の沿革
年月日
事  項
1965(昭 40)年07月
サ イロ施 設が完成([2]p71)
1965(昭 40)年08月05日
日 本セメ ント(株)・住友セメント(株)が隅田川包装所を開設([32]p267)
1965(昭 40)年09月20日
日 立セメ ント(株)隅田川包装所が開設([32]p267)
1966(昭 41)年第1四半期
* 輸送量 (1966年第1四半期平均) ([3]p24)
日立セメント(株)日立工場: 日立〜隅田川   6,000トン/月
日本セメント(株)埼玉工場: 高麗川〜隅田川 11,700トン/月
住友セメント(株)四倉工場: 四ツ倉〜隅田川 10,000トン/月
1969(昭 44)年10月14日
西 武鉄道 秩父線開通に伴い東横瀬駅が開業し三菱セメント(株)横瀬工場東横瀬〜隅田川間の輸送を開始した模様
1969(昭 44)年11月06日
三 菱セメ ント(株)隅田川SS開設([32]p267)
1985(昭 60)年03月14日
四ッ 倉駅 の貨物取扱が廃止された(Wikipediaよ り)。この時点で住友セメントは発駅を上白石駅(栃木工 場)に変更し た模様
1986(昭 61)年09月
住 友セメ ント(株)四倉工場が閉鎖([4]p497)
1991(平 03)年11月
上 白石〜 業平橋のセメント列車3本の内2本が廃止、一部は隅田川 着に変更([5]p184)
1993(平 05)年03月
ダ イヤ改 正前は上白石〜業平橋間に運用される貨車6輌、上白石〜隅田川間は同5輌だったものを、業平橋の貨物取扱廃止により
ダイヤ改正後は上白石〜隅田川間の貨車10輌の運用となる ([5]p186)
1995(平 07)年当時
住 友大阪 セメント(株)田村工場からのセメント輸送として大越〜隅田 川間の輸送が ある([10]p18)
1996(平 08)年03月
西 武鉄道 は貨物営業を廃止、三菱マテリアル(株)の東横瀬〜隅田川間の輸送が廃止された
1997(平 09)年03月20日
上白石〜隅田川間のセメント輸送がこの日の運 転を最後に休止、9月には会沢線の 貨物営業廃止([6]p153)
1998(平 10)年03月
現 地訪問 した際には、上白石駅常備の住友セメント(株)所有のセメント専用タンク車が武 州原谷〜 隅田川間で運用されていた
1999(平 11)年06月下旬
太 平洋セ メント(株)埼玉工場は鉄道貨物輸送の一部をトラックに切り換えるとともに貨物列車の経路の見直しを行ったこと から、
高麗川駅常備のタキ1900形53輌が武州原谷駅常備に変更され、武州原谷〜隅田川間の輸送に使用されるこ とに([7])
1999(平 11)年09月16日
太 平洋セ メント(株)の高麗川〜隅田川間のセメント列車が廃止([8])
2000(平 12)年頃
荷 卸しを 行ったセメント貨車の1日当たりの車輌数は、太平洋セメント18 輌、 日立セメン ト18輌、住友大阪セメント5輌であった
http://web.churoi.go.jp/mei/pdf/m10427.pdf
2001(平 13)年06月
東 京セメ ント運輸の経営問題に関し、隅田川駅の中継基地を利用したセメント輸送に対し住友大阪セメントはコストの問題もあり
見切りを付けたいとし、日立セメントは 隅田川中継基地が必要で存続を主張した。太平洋セメントは態度を明確にせず
http://web.churoi.go.jp/mei/pdf/m10427.pdf
2003(平 15)年06月06日
東 京セメ ント運輸が2006年3月末に解散する方針を決定(http://web.churoi.go.jp/mei/pdf/m10427.pdf
2004(平 16)年03月
住 友大阪 セメントは所有する東京セメント運輸の株式を同社に無償譲渡した(http://web.churoi.go.jp/mei/pdf/m10427.pdf
2006(平 18)年03月
ダ イヤ改 正で、秩父鉄道のセメント輸送日立駅の日立セメント(株)専用線が廃止
東京セ メント運輸(株)に発着するセメント列車が全廃
2006(平 18)年05月17日
東 京セメ ント運輸の解散が同社の株主総会で決議、翌日登記された(http://web.churoi.go.jp/mei/pdf/m10427.pdf
 住友セメントの輸送は、発駅が四ッ倉→上白石→武州原谷と変わり末期には東京セメント運輸の株式を手放すなどの動きが見られたが、一方日立セメントは東 京セメント運輸の開業から廃止まで一貫して日立駅からの輸送を続けており、東京セメント運輸の経営問題が起きた時にも存続を主張したことからも重要な出荷 拠点として活用していたようだ。

 2001(平13)年12月当時の日立セメントのwebサ イトには、隅 田川SSとして東京都荒川区南千住4−1−1が記載されていた。


1998.3隅田川駅  日立セメント(株)のタキ1900形 が停車中 
運用は日立→隅田川

1998.3隅田川駅  貨車は上白石駅常備、住友セメン ト(株)所有タキ1900形
運用は武州原谷→隅田川(住友大阪側入)

2006.3隅田川駅  日立セメント(株)の貨車が並ぶ

2006.3隅田川駅  廃止目前の姿である…。



■3. セメントターミナル(株)  
 業界をあげて海上輸送への転換が進められるなかで、内陸工場からの出荷は引き続き鉄道に頼らざるを得ず、また内陸部の鉄道を利用する包装所(SS)は最 寄駅から専用線を敷設する必要があり、適切な用地の確保が大きな問題となった。同時に出荷工場との間にピストン列車の効率的なダイヤが設定できるかどうか も重要なポイントであったが、概してこれら問題点の解消は難航するケースが多く、内陸部の供給体制は必ずしも十分といえなかった。このため1972(昭和 47)年4月に国鉄とセメントメーカー7社の共同出資によりセメントターミナル梶iCT)が設立され、国鉄用地の借 用並び にダ イヤ設定面での配慮な ど国鉄の協力を得ながら、適切な需要地に共同出荷基地の建設が進められた。([11]p443)

 また1972年4月に設立されたCTの資本金は5億円、出資比率は 国鉄50%、セメント会社8社が50%という記録もあるため([4]p298)、出資したセメントメーカーが7社又は8社とはっきりしない。

 現在の株主は同社webサイトに よると、JR貨物、太平洋セメン ト(株)、住友大阪セメント(株)、電気化学工業(株)、三菱マテリアル(株)であるので、この気になるセメント会社を仮に8社とした場合にその内訳は、 小野田、日 本、明星、秩父、住友、大阪、デンカ、三菱といったところであろうか。

 さて同社は、2007(平19)年3月ダイヤ改正で塩川、西浜松向けのセメント列車廃止によって、全ての営業所が鉄道貨車によるセメント搬入を中止し た。但し、日本飼料ターミナル鰍ニは異なって鉄道輸送廃止後も各基地は稼働を続けており、会社も存続している。

▼セメント輸送量の推移  (単位:千トン) ([1]p430)
年   度
1980 (昭55)
1985 (昭60)
1990 (平2)
1995 (平7)
2000 (平12)
2003 (平15)
全 国鉄道輸送量(A)
14,986
9,326
7,952
5,793
2,580
2,018
CT 基地入荷量(B)
603
582
891
635
306
146
(B) /(A)
4.0%
6.2%
11.2%
11.0%
11.9%
7.2%
※CT基地への最大入荷量は1990年度の891千トンである

 CTの取扱量は、鉄道で運ばれたセメント輸送量に占める割合としては、最大となった時期でも1割強程度であったことが分かる。これは鉄道による石油輸送 量に占める日本オイルターミナル梶i日本OT)への入荷量の割合が、1980年時点では23.8%、1990年では44.7%、2003年には64.7% と年々その比重を高めていったことと対照的である。([1]p423より算出)

 詳しくは各社の荷主研究を参照して欲しいが,合併後,一定期間経った段階でも合併前各社のSSが個別に近接して残るなど,セメント会社の出荷基地の集約 は思いの外困難である様で,CTもセメント各社のSSを集約・統合して設置されたというよりも、需要地にセメント各社の共同SSとして設置されたに過ぎな いという構造が考え られる。つまり散在する油槽所を集約し、広範囲な地域に石油を供給することを期待されて設置された日本OTの営業所のような位置付けではなく、あくまでも セメント会社が各社単独でSSを設置するのではなく、1カ所に集約する目的でCTは営業所を設置したと考えられる。そのため周辺の広範囲なSSを集約した ものではないことから、CT 設置に併せ周辺に立地していたSSが集約・廃止されるという動向は見られなかった

 セメント不況時には不況カルテルなどの結成 が認められたりもしたセメント業界であったが、それによる出荷拠点の共同利用などがあった為か、石油業界が独自に東西オイルターミナルなどを設立したのに 対し、セメント業界にはその様な共同経営の出荷基地は見当たらないのである。その様な点は日本OTと大きな違いがあると言え、CTの大規模化も限度があ り、全国 のセメントの鉄道輸送量に占める割合も低いレベルに止まり、鉄道輸送存続の決め手になり得なかったと考えられる。これがセメント需要家とセメント会社の関 係によるものかセメントの製品の特性上の問題なのか更なる調査が必要と云えよう。セメントはセメントだろうと云う印象があったが、早強セメントだの高炉セ メントだの種類もあるようだし、住友セ メント浜松工場がそのセメントの多くを供給した佐久間ダム建設時には可成りの品質への要求もあったようで、意外に会社毎の品質競争も あって統合できない可能性もあり住友セメント向け東京セメント運輸に秩父セメントから到着したり交換出荷など行われているので一般向けには需要家との 関係が強いのではないかと思われるが如何であろうか?

 さて以下の表は、かつて(2005年当時)は同社webサイトからダウンロードができた各営業所ごとのパンフレットの情報を基に、各CTの営業所ごとの 出荷先工場からの鉄道貨物輸送の概況を纏めたものである。


▼セメントターミナル(株)の各営業所概要

▽会津営業所(塩川駅)
開 業
1974(昭 49)年11月1日
利 用荷主
太平洋セ メント(株)
電気化学工業(株)

サ イロ容量
鋼板製サ イロ
2,000t×2基=4,000t
1,000t×1基=1,000t
500t×1基=500t

計4基=5,500t
パ ンフレット
パンフレット


2006.11塩川駅
出荷先工場からの鉄道貨物輸送
日本セメント(株)は1974年11月に 会津C・Tに2,000tサイロ1 基新設([11]p447)

明星セメント(株)の 製品用包装所としてCTは会津包装所 (1974年11月開設、2,000tサイロ1基)を設置([12]p66)
⇒当初から日本セメントは明星セメント(株)糸魚川工場(糸 魚川駅)から 鉄道輸送を行っていたことになる

秩父セメント(株)はCT の塩川(会津)SSに参加([13] p208)
⇒1977〜1978年当時は秩父第二工場(武州原谷駅) から鉄道輸 送を実施([31]p54)

電気化学工業(株)は1974 年10月25日に会津セメント SS開設(貯蔵タンク1,000t1基)([14]p587)
⇒青海工場(青海駅)からの 鉄道輸送は2007(平19)年3月ダイ ヤ改正で廃止された。

*1995(平成7)年当時の輸送として大越(住 友大阪セメント)〜 塩川間のタキ1900形11輌編成のセメント輸送がある。
この輸送は月曜日だけ運休となり、月曜だけは糸魚川発の11輌に振り替わる([10]p16)

*大越〜塩川間のセメント輸送は1998(平10)年10月ダイヤ改正で廃止となり、青梅〜広田間に新たにセメント列車が設定された。
この輸送が2007年3月ダイヤ改正まで継続したことになる
広 田駅に住友セメントのSS残存


▽郡山営業所〔郡山(タ)駅〕
開 業
1977(昭 52)年3月1日
利 用荷主
太平洋セ メント(株)
宇部三菱セメント(株)

サ イロ容量
コ ンク リート製サイロ
3,000t×2基= 6,000t

パ ンフレット
パン フレット


2006.11 郡山(タ)駅
出荷先工場からの鉄道貨物輸送
日本セメント(株)は1977年3月に郡 山C・Tに3,000tサイロ1基 新設([11]p448)

*1995(平7)年当時の輸送として陸中松川三菱マテリアル)〜郡山(タ)のセメ ント輸送がある([10] p15)
*1996(平8)年2月23日に陸中松川駅の三菱マテリアル(株)岩手工場の鉄道貨物輸送が廃止([15])

*1994(平6)年12月改正ダイヤでは大越住友大阪セメント)〜郡山(タ)間の セメント列車は3往復(内1往復は安積永盛発着)
*1996年3月改正ダイヤでは同区間は2往復(内1往復は安積永盛発着)、
*1998(平10)年10月改正ダイヤでは安積永盛発着1往復が郡山(タ)で解放と連結を行うだけとなった
*2000(平12)年3月10日に住友大阪セメント(株)田村工場閉鎖に伴い大越〜郡山(タ)のセメント列車は廃止された([16])
*郡山駅に住友セメント(株)、安積永盛駅に秩父セメント(株)の専用 線が存在した


▽五日町営業所(五日町駅)
開 業
1974(昭 49)年5月20日
利 用荷主
太平洋セ メント(株)
電気化学工業(株)
サ イロ容量
コンク リート製サイロ
2,000t×3基= 6,000t
1,000t×1基= 1,000t

鋼板製サイロ
1,000t×1基= 1,000t

計5基=8,000t
パ ンフレット
パ ンフレット


2003.5 五日町駅
出荷先工場からの鉄道貨物輸送
日本セメント(株)は1974年4月に五 日町C・Tに2,000tサイロ1 基新設([11]p447)

明星セメント(株)の 製品用包装所としてCTは五日町包装所 (1974年4月開設、2,000tサイロ1基)を設置([12]p66)
⇒当初から日本セメントは明星セメント(株)糸魚川工場(糸 魚川駅)から 鉄道輸送を行っていたことになる

秩父セメント(株)はCT の五日町SSに参加([13] p208)
⇒1997(平9)年3月ダイヤ改正では熊谷(タ)〜五 日町間にセメ ント専用列車が設定されていたが、1998(平10)年10月ダイヤ改正で廃止

電気化学工業(株)は1974 年5月20日に五日町セメント SS開設(貯蔵タンク2,000t1基)([14]p587)
*1998年10月ダイヤ改正では青海〜五日町間 にセメント列車が定 期1往復、臨時1往復設定
*2000(平12)年3月ダイヤ改正で、同区間の臨時セメント列車は消滅、定期1往復だけに
*2003(平15)年10月ダイヤ改正で、同区間のセメント列車が臨時化され、2006年3月ダイヤ改正で廃止
*五 日町駅には住友セメントの専用線も存在


▽高崎営業所(倉賀野駅)
開 業
1976(昭 51)年4月1日
利 用荷主
太平洋セ メント(株)
電気化学工業(株)
住友大阪セメント(株)
サ イロ容量
コンク リート製サイロ
5,000t×1基= 5,000t
3,000t×2基= 6,000t

計3基=11,000t
パ ンフレット
パンフレット


1996.8 倉賀野駅
出荷先工場からの鉄道貨物輸送
* 高崎営 業所の詳細に関しては、拙web「貨 物取扱駅 と荷主」における「倉賀野駅」 のCTの 項を参照

*南高崎駅に秩父セメントの専用線が存在した


▽浜松営業所(西浜松駅)
開 業
1973(昭 48)年10月1日
利 用荷主
住友大阪 セメント(株)
太平洋セメント(株)
サ イロ容量
コンク リート製サイロ
3,000t×4基=12,000t

鋼板製サイロ
500t×1基=500t
400t×1基=400t

計6基=12,900t
パ ンフレット
パン フレット



1997.8 西浜松駅
出荷先工場からの鉄道貨物輸送
小野田セメント(株)は1973年に浜松 SSに3,300tサイロ新設、藤 原工場から貨車輸送([17]p662)
*1994(平6)年度の東藤原〜西浜松間の輸送量は6万5,000トン([18]p32)
*1999(平11)年当時は東藤原〜西浜松間の輸送はCT所有のタキ1900形を主に、タキ12200形(小野田セメント所有、早強形)も加わり、編成 は最長7両である([19]p82)
*2007(平19)年3月ダイヤ改正で東藤原〜西浜松間のセメント列車は廃止された

秩父セメント(株)はCT の浜松SSに参加([13] p208)
⇒当時は三ヶ尻などからセメント輸送を行っていたのか?または住友セメントから交換出荷か?

*CTによって1973年10月に住友セメント(株)西浜松 包装 所が開設された([4]p298)
*2002(平14)年3月改正ダイヤでは本巣〜西浜松間(稲沢で連結有り)にセメント専用列車の設定あり
*2003(平15)年10月改正ダイヤでは稲沢〜西浜松間の設定となる。本巣駅からの住友大阪セメント(株)岐阜工場の鉄道貨物輸送は2005(平 17)年3月に廃止された

大阪セメント(株)は1973 年に浜松SSを設置した ([20]p99)
これはCTのことと思われ、伊吹工場(近江長岡駅)から西浜松のCTへ鉄道貨物輸送によるセメント輸送を行っていたと考えられる。
*住友大阪セメント(株)伊吹工場の専用線は1999(平11)年6月28日に廃止された([21])



▽構想で終わった基地
所 在地
概  要
盛 岡
*盛 岡(タ)駅(1974年)の平面図によると物資別基地に石油と並んでセ メントがある。
これがCTの計画なのかは不明だが、可能性はあるだろう([22]p93)
ちなみに石油は日本OTが1981年に開業している。
宇 都宮
* 宇都宮(タ)駅か?
*秩父セメントが参加を予定([13]p208)
*小野田セメントが参加。海送→川崎SSの二次輸送で貨車輸送を計画(『セメント年鑑 1975』p52)
南 越谷
* 越谷(タ)駅か?
*秩父セメントが参加を予定([13]p208)

*越谷(タ)駅に隣接して太平洋セメント(株)越谷SSがある。旧秩父セメントの越谷SS
2002.11越谷(タ)駅
梶ヶ 谷
* 梶ヶ谷(タ)駅か?
*秩父セメントが参加を予定([13]p208)
*小野田セメントが参加。海送→川崎SSの二次輸送で貨車輸送を計画(『セメント年鑑 1975』p52)
奈 良(大和小泉)
*大阪セ メント高知工場の生産品を、大阪を中継して貨車輸送を行う構想(『セメント年鑑 1975』p52)



■4.セメント基地の集積地帯  
 日本各地の貨物取扱駅や港湾には、セメント各社のSSが集積するセメント基地の集積地帯と呼ぶべき場所が存在する。セメント会社の合併・再編によって SSの統廃合は一部行われつつあるが、石油会社の油槽所ほど抜本的な再編は実行されていないような印象がある。

▼ 石狩CT  
 嘗て存在した日本セメント(株)のwebサイトには全国のSSが載っていたが、そのうち石狩だけは何故か「石狩CT」であった。要調査。但しセメント集 積地 帯という場所でないようだ。
 また『セメント年鑑 2010』(セメント新聞社、2010年)の「工場外貯蔵出荷設備(SS)一覧表」によると、太平洋セメント(株)に石狩CT(石 狩市 新港中央1-475-7)が存在する。

▼仙台港  

1998(平10) 年5月4日調査 Yahoo地図に加筆

▽仙台港に立地する各社のSS
企業名及びSS名
開設年
サイロ
備  考
住 友セメ ント(株)仙台港SS 1976(昭 51)年 1 基  12千トン
宇部興 産(株)仙台セメントセンター
1975 (昭50)年
2基  35千トン

東 北開発 (株)仙台港SS 1979(昭 54)年 1 基  10千トン 1998 年当時は、三菱マテリアル(株)東北セメント事業部 仙台SS
秩父セ メント(株)仙台港SS 1977 (昭52)年 1基  15千トン
小野田 セメント(株)仙台SS 1979 (昭54)年 1基  15千トン
*『セメント年鑑 1988年度』 (セメント新聞社、1988年)より作成
 仙台臨海鉄道の仙台埠頭線は1975(昭50)年3月3日に着工、立地企業として宮城県共同倉庫を主体に、宇部興産、住友セメント、秩父セメント等の専用線群に 重点を置いて建設さ れた。しかしセメント群の専用線は、東北自動車道・東北新幹線工事の一段落、タンクローリー、ミキサー車の発達等により遂に日の目を見ることはなかった。 ([23]p42)
 尚、仙台埠頭駅は1975年9月1日開業した。


1998.5仙台埠頭駅

2007.5仙台埠頭駅

2007.5仙台埠頭駅

2007.5仙台埠頭駅


▼小名浜港  
1996 年頃のSS配 置([24]) Yahoo地図に加筆

▽小名浜港に立地する各社のSS
企業名及びSS名
開設年
サイロ
備  考
太 平洋セ メント(株)
小名浜南SS
1976(昭 51)年 1 基  15.0千トン
* 旧小野 田セメント(株)
住友大 阪セメント(株)
小名浜SS
1976 (昭51)年
1基  12.0千トン
*1976 年3月に住友セメント(株)小名浜SS開設([4]p333)
太 平洋セ メント(株)
小名浜北SS
1976(昭 54)年 1 基  15.0千トン
* 旧日本 セメント(株) 小名浜包装所は1976年3月に新設([11]p448)
*「1983年版 専用線一覧表」では小名浜駅所管の日本セメントの専用線あり
宇部三 菱セメント(株)
小名浜SS
1972 (昭47)年 7基  53.6千トン
*三菱 マテリアル(株)と宇部興産(株)のSSが統合
*宇部興産は1972年9月に小名浜セメントセンターを発足させた([25]p444)
*「1983年版 専用線一覧表」では小名浜駅所管の東北開発(株)及び宇部興産(株)の専用線あり
*『セメント年鑑 2010』(セメ ント新聞社、2010年)より作成


2003.10小名浜港

2003.10小名浜港


▼南松本駅   
1997 年3月9日調 査 Yahoo地図に加筆

▽南松本駅に立地する各社のSS
企 業名及びSS名
開 設年月日
サ イロ
([26]より)

備   考
電 気化学 工業(株)
松本セメントSS
1965(昭 40)年10月10日
3基
6.1千トン
開 設年月 日は[14]p570
三菱マ テリアル(株)
松本SS
1985 (昭60)年
1基
1.2千トン
開設年 は[26]p87
住 友セメ ント(株)
松本SS
1965(昭 40)年10月
3基
3.45千トン
開 設年は『セメント年鑑 1995』p267 1997年3月調査時は昭和産業(株)松本工場
日本セ メント(株)
松本SS
1968 (昭43)年10月
8基
10.0千トン
1968 年10月2,000tサイロ新設、1969年2月80tサイロ増設、1971年8月2,500tサイロ増設
1978年11月200tサイロ増設、1981年9月1,900tサイロ増設([11]p446-449)
秩父セ メント(株)
松本SS
1969 (昭44)年4月

開設年 月は[13]p486 現在閉鎖?


1997.3南松本駅

2011.4南松本駅

1997.3南松本駅

1997.3南松本駅


▼ 坂祝駅  

1996年12月26日調査 Yahoo地図に加筆

▽坂祝駅に立地する各社のSS
企 業名及び
SS名
開 設年月日
サ イロ
([26]より)

備   考
1995年当時の輸送形態
([10]p30)
小 野田セ メント(株)
美濃SS
1971 年

新 設時は サイロ3基3,000トン、藤原工場から貨車で到着
([17]p662)
東 藤原駅 発ホキ5700形
5輌到着
日本セ メント(株)
坂祝SS
1972 年2月
5基
5.0千トン
1972 年2月2,000tサイロ新設、1973年2月300tサイロ増設([11]p448)
明星セメント製品用包装所を日本セメントが設置([12]p66)
東 藤原駅 発タキ1900形
6輌到着
電 気化学 工業(株)
坂祝SS
1974 年9月3日
3基
4.8千トン

本 巣駅発 のタキ1900形など
8〜9輌到着


1996.12坂祝駅  小野田セメント(株)美濃SS

1996.12坂祝駅  電気化学工業(株)坂祝SS


▼境港  
1998 年8月10日 調査 Yahoo地図に加筆

▽境港に立地する各社のSS
企 業名及びSS名
開 設年月日
サ イロ
([26]より)

備   考
秩 父小野 田(株)境港SS
1974(昭 49)年
3 基  23.0千トン
開 設年は [26]p91 旧小野田セメントか?
住友セ メント(株)境港SS
1977 (昭52)年
2基  7.0千トン
開設年 は [26]p89
宇 部興産 (株)境港セメントセンター
1968(昭 43)年
4 基  12.5千トン
開 設年は [25]p446


▼ 細島港  
2006 年3月20日 調査 Yahoo地図に加筆

▽細島港に立地する各社のSS

企 業名及びSS名
開 設年月日
サ イロ
([26]より)

備   考
三 菱マテ リアル(株)
1967(昭 42)年
4 基   5.0千トン
開 設年月 は[26]p87 現在は宇部三菱セメント(株)日向SS
新日鐵 高炉セメント(株)日向SS
1970 (昭45)年
2基    3.0千トン
開設年 月は[26]p88
日 本セメ ント(株)日向SS
1975(昭 50)年12月
3 基  14.0千トン
開 設年月 は[11]p448 現在は太平洋セメント(株)日向SS
小 野田セ メント(株)
不 明
不 明
上 記日本 セメント(株)日向SSに統合

2006.3 細島港


▼ 宮崎港  
2006年3月20日 調査 Yahoo地図に加筆

▽宮崎港に立地する各社のSS

企 業名及びSS名
開 設年月日
サ イロ
([26]より)

備   考
(株) トクヤ マ
1979(昭 54)年
3 基    5.2千トン
開 設年月 は[26]p93
日 本セメ ント(株)新宮崎SS
1979(昭 54)年6月
3 基  12.0千トン
6,000t サイロ新設、1981年10月4,000tサイロ増設([11]p448-449)
現在太平洋セメント(株)宮崎SS
小野田 セメント(株) 1979 (昭54)年
不明
上記日 本セメント(株)新宮崎SSに統合
三 井鉱山 セメント(株)
1982(昭 57)年
不 明
現 在、新 日鐵高炉セメント(株)宮崎SS(宮崎市港2-14)になった模様

2006.3 宮崎港


■5. 都市圏におけるセメント基地の配置と専用線   
 セメントの需要地である都市には、セメント会社各社がSSを配置し内陸立地の場合は特に専用線が敷設されることが多かった。都市圏によっては多数の駅に 散らばってセメント会社のSSの専用線が存在したため、ここでそれらを纏めてみた。尚、「都市圏の定義」が難しいところではあるが、筆者の独断で常識 的≠ネ範囲で当該都市圏として考えている。
 尚、表中にある「XXXX年版」は「専用線一覧表」を示し、「XXXX年当時」は筆者の(現地)調査等によるものである。

▼山形都市圏のSS配置と専用線  
所 管駅
専 用者
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
1997 年
当時
備   考
上 ノ山
秩 父セメ ント(株)
上ノ山SS





×
1966 年9月上ノ山バラ倉庫開設[13]p483 2005年5月に現地訪問しSSは現役
2010年現在無し[26]p85
上 ノ山
明 星セメ ント(株)
上ノ山SS





×
1970 年10月開設[12]p59 山形新幹線建設工事に伴い蔵王駅にSSを新設し廃止
蔵 王
東 北開発(株)
山形SS





×
1996 年2月23日に陸中松川駅の三菱マテリアル(株)岩手工場の貨車輸送廃止([15])
2010年現在無し[26]p85
蔵 王
日 本セメ ント(株)
蔵王SS






1998 年9月に専用線廃止([27]p88)
2005年5月に現地訪問しSSは現役。2010年現在無し[26]p85
漆 山
住 友セメ ント(株)
山形SS






1963 年設置[4]p279 1998年6月に専用線廃止([27]p88)
2002年3月現地訪問しSSは現役。2010年現在無し[26]p88
専用線の状況【−:未設置 ○:存在 ×:廃止】


1998.9蔵王駅  三菱マテリアル(株)専用線

1998.4漆山駅  住友大阪セメント(株)専用線


▼甲府都市圏のSS配置と専用線  
所 管駅
専 用者
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
1995 年
当時
備   考
石 和温泉
秩 父セメ ント(株)
石和SS






1968 年3月石和バラ倉庫開設[13]p485 2000年8月現地訪問した際は施設は撤去済み
石 和温泉
日 本セメ ント(株)
甲府SS






1971 年9月新設[11]p447 1999年9月16日に高麗川〜石和温泉のセメント列車廃止([8])
2010年現在は太平洋セメント(株)甲府SS[26]p88
東 花輪
住 友セメ ント(株)
東花輪SS





×
1968 年設置[4]p279 2010年現在は住友大阪セメント(株)東花輪SS[26]p88
南 甲府
三 菱マテ リアル(株)
甲府SS






2010 年現在無し[26]p86 1996年3月に東横瀬〜南甲府のセメント列車廃止
南 甲府
小 野田セ メント(株)
甲府SS





×
社 史では 1970年設置となっており、搬入方法は清水SSからの貨車[17]p662
2010年現在無し[26]p88
専用線の状況【−:未設置 ○:存在 ×:廃止】


1995.9石和温泉駅

1995.9南甲府駅


▼名古屋都市圏のSS配置と専用線  
所 管駅
専 用者
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
1996 年
当時
2000 年
当時
備   考
笠 寺
住 友セメ ント(株)
笠寺SS






×
1960 年頃(岐阜工場竣工に伴う)開設[4]p226
1996年3月当時はSSも専用線も現役だったが、1998年3月にはSSが撤去済み
熱 田
敦 賀セメ ント(株)


×
×
×
×
×
詳 細不明
枇 杷島
大 阪セメ ント(株)
名古屋SS





×
×
1958 年設置[20]p99 1995年11月30日専用線廃止([28])
1997年3月現地訪問し施設は残るものの使用されていない模様
清 州
敦 賀セメ ント(株)
名古屋SS





×
×
1995 年3月訪問当時はサイロが残っていた
清 州
電 気化学 工業(株)
名古屋セメントSS






×
1964 年11月28日開設[14]p568 2010年現在も現役
稲 沢
住 友セメ ント(株)
稲沢SS







旧 野沢石 綿セメント(株)、1966年設置[4]p279
野沢石綿セメントは1965年に滋賀興産(株)になり、1966年4月に住友セメントと合併
し同社彦根工場 ([4]478-479)
2005年3月の本巣駅の住友大阪セメント(株)岐阜工場からの貨車輸送廃止時まで
専用線は現役だったか?
2010年現在は住友大阪セメント(株)稲沢SS[26]p89
西 名古屋港
日 本セメ ント(株)
名古屋SS
×
×
×
×
×
×
×
1953 年5月開設[11]p163  「1961年版 専用線一覧表」では
名古屋港管理組合(北線)専用線の第三者利用者に日本セメント(株)あり
また明星社の社史では、1969年7月に日本セメント名古屋包装所に明星セメント
製品用包装所として貨 車バラ受設備完成と あるので、専用線廃止後も側線として
糸魚川から鉄道貨物輸送が行われていた模様。([12]p59)
2010年現在は太平洋セメント(株)名古屋SS[26]p91
八 田
秩 父セメ ント(株)
八田SS






×
1964 年8月八田倉庫開設[13]p481 1969年9月八田バラ倉庫開設[13]p486
1997年秋にSS廃止に伴い専用線廃止([29])
八 田
小 野田セ メント(株)
名古屋SS





×
×
1950 年9月設置、藤原工場より貨車で輸送された包装品を一時貯蔵する貯蔵倉庫
を有していたが、1954年10月にはサイロを完成し小野田セメント初のバラ積貨車が
藤原工場〜名古屋SS間で開始。([17]p461、810) 1989年7月専用線廃止([30])
碧 南市
大 阪セメ ント(株)
碧南SS







1979 年設置[20]p99
『鉄道統計年報』:2002年度以降は衣浦臨海鉄道のセメント輸送が消滅している
2007年2月現地訪問しSSは撤去済み
昭 和町
宇 部興産(株)
昭和セメントセンター





×
×
1949 年11月完成[25]p156
2006年4月に現地訪問し施設は使用されていない模様
専用線の状況【−:未設置 ○:存在 ×:廃止】


1997.3清洲駅  電気化学工業(株)専用線

1997.3稲沢駅  住友大阪セメント(株)専用線


▼京滋都市圏のSS配置と専用線  
所 管駅
専 用者
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
1995 年
当時
備   考
守山
宇部興産 (株)
滋賀SS





×
富士車両 (株)の第三者利用者
膳所
小野田セ メント(株)
大津SS






灰 孝小野田レミコンの生コン工場併設。
同社のミキサー車は京都市内でもよく見かける。
向日町
大阪セメ ント(株)
向日町SS






専用線は シェル石油線に接続。
京都生コンの向日町工場併設。
神足
住友セメ ント(株)
神足SS





×

西ノ宮
住友セメ ント(株)
西宮SS





×

野田
敦賀セメ ント(株)
大阪SS




×
×

専用線の状況【−:未設置 ○:存在 ×:廃止】




[1]『貨物鉄道百三十年史(中巻)』日本貨物鉄道株式会社、2007年
[2]宮地 実雄「セメント輸送の新方式」『運輸と経済』第25巻第5号、1965年
[3]中津川 亨「物資別輸送のはなし」『鉄道ピクトリアル』第17巻第2号、通巻第193号、1967年
[4]『住友セメント八十年史』住友セメント株式会社、1987年
[5]花上 嘉成「東武鉄道 貨物列車ものがたりB」『鉄道ファン』第44巻第7号、通巻第519号、2004年
[6]「東武の貨物列車」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』通巻第647号、1997年
[7]大河内 正造「八高線貨物列車情報」『レイル・マガジン9月号』第16巻第11号、通巻第192号、1999年、p107
[8]倉吉 勲・二階堂 弥「9月16日、JR貨物運用改正概要」『レイル・マガジン12月号』第16巻第16号、通巻第195号、1999年、p112
[9]「昭和40年代 写真で見る国鉄の貨物輸送。」『東京人』第24巻第3号、通巻第265号、2009年
[10]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』第24巻第11号、通巻第139号、1995年
[11]『百年史』日本セメント株式会社、1983年
[12]『明星セメント25年のあゆみ』明星セメント株式会社、1983年
[13]『秩父セメント五十年史』秩父セメント株式会社、1974年
[14]『デンカ60年史』電気化学工業株式会社、1977年
[15]遠藤 浩一「大船渡線貨物列車全廃」『レイル・マガジン5月号』第13巻第9号、通巻第152号、1996年、p113
[16]豆村 勇二「磐越東線貨物列車全廃」『レイル・マガジン6月号』第17巻第7号、通巻第201号、2000年、p124
[17]『小野田セメント百年史』小野田セメント株式会社、1981年
[18]松本 典久「関西本線 富田駅の業務を見る」『鉄道ジャーナル3月号』第30巻第3号、通巻第353号、1996年
[19]安田 孝哉「注目の貨物輸送〔三岐鉄道〕−セメント輸送 西の雄−」『鉄道ピクトリアル』第50巻第1号、通巻第680号、2000年
[20]『たゆまなき挑戦−住友大阪セメント90年史−』住友大阪セメント株式会社、1998年
[21]居松 重和「悲しいお知らせ」『レイル・マガジン11月号』第16巻第14号、通巻第194号、1999年、p87
[22]『貨物鉄道百三十年史(下巻)』日本貨物鉄道株式会社、2007年
[23]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として)』仙台臨海鉄道株式会社、1990年
[24]『アールエムモデルズ3月号』第2巻第4号、1997年、45頁
[25]『宇部興産創業百年史』宇部興産株式会社、1998年
[26]『セメント年鑑 2010』セメント新聞社、2010年
[27]遠藤 浩一「10月で全廃!山形地区の貨物列車」『鉄道ピクトリアル』第48巻第11号、通巻第611号、1998年
[28]東野 誠「名古屋界隈貨物の話題」『レイル・マガジン5月号』第13巻第9号、通巻第152号、1996年、p56
[29]『レイル・マガジン2月号』第15巻第2号、通巻173号、1998年、p50
[30]『鉄道ファン』第36巻第1号、通巻第417号、1996年、p114
[31]野尻 亘「素材の鉄道輸送−セメント・石油・木材チップの場合−」『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』古今書院、1997年
[32]『セメント年鑑 1995』セメント新聞社、1995年

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