日本の鉄道貨物輸送と物流: 目次へ
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倉賀野駅 〜国鉄が鉄道貨物輸送近代化の切り札として推進した「物資別適合輸送」の一大基地の残滓≠ニ 今後の発展への模索〜

2010.8.18作成開始  2010.9.19公開
<目次>
はじめに
倉賀野駅の発着トン数の推移
倉賀野駅の鉄道貨物輸送に関連する事項の年表
倉賀野駅に接続する専用線の推移
倉賀野駅の配線図
倉賀野駅の概要
日本オイルターミナル(株)高崎営業所の鉄道貨物輸送
 昭和シェル石油(株)高崎油槽所について
 全農ぐんま石油基地について
橋本産業(株)高崎営業所の鉄道貨物輸送
セメントターミナル(株)高崎営業所の鉄道貨物輸送
日本セメント(株)高崎サービスステーションの鉄道貨物輸送
秩父セメント(株)高崎サービスステーションの鉄道貨物輸送
日本飼料ターミナル(株)高崎基地の鉄道貨物輸送
倉賀野駅から発送される自動車及び自動車部品輸送
 ク5000形による自動車輸送
 ダイハツ車体(株)前橋工場の自動車輸送
 (株)ミツバの自動車部品の鉄道貨物輸送
倉賀野駅に発着する煙草・食品メーカーの鉄道貨物輸送
 日本たばこ産業(株)高崎工場の鉄道貨物輸送
 麒麟麦酒(株)高崎工場の鉄道貨物輸送
 日本ケロッグ(株)高崎工場の鉄道貨物輸送
 サントリーフーズ(株)榛名工場の鉄道貨物輸送
 日本デルモンテ(株)群馬工場の鉄道貨物輸送
 明治乳業(株)群馬工場の鉄道貨物輸送
 協同乳業(株)新工場の鉄道貨物輸送
 群栄化学工業(株)群馬工場の鉄道貨物輸送
倉賀野駅に発着する化学メーカーの鉄道貨物輸送
 信越化学工業(株)群馬事業所の鉄道貨物輸送
 東邦亜鉛(株)安中製錬所のタンク車及びISOタンクコンテナによる硫酸輸送
 倉賀野駅に発着するその他の化学品輸送
倉賀野駅に発着する電機メーカーの鉄道貨物輸送
 (株)沖電気物流センターの鉄道貨物輸送
 三菱電機(株)群馬製作所の鉄道貨物輸送
 倉賀野駅における小糸工業(株)の鉄道貨物輸送

2009.9 倉賀野駅

■はじめに  
 倉賀野駅と筆者の最初の出会い≠ヘ偶然の産物であった。北陸・新潟地区の貨物調査に出掛けていた1995年夏、1日目は 高岡地区を中心に調査。この日は大変な晴天であったものの、翌日は新潟県内に移動したところ台風が接近し大雨、乗車する予定だった越後線が冠水のため不通 となり 代行バスに乗っ てようやく新潟駅に辿り着くような有様であった。そして翌朝も前日の台風の影響は残っており、本来は青春18切符のため信越本線や上越線などの在来線を経 由して掛川 の実家まで帰る予定だったのだが、新潟駅の改札に行ってみたところ在来線は軒並み運休中。そこでとりあえず通常運転をしていた上越新幹線に乗り込 み、高崎までは不 本意ながら新幹線で移動することにしたのだった。

 高崎駅から高崎線の上り普通列車に乗り換えて車窓を眺め始めたところ、倉賀野駅手前でいきなり麒麟麦酒鰍フ専用線と見慣れぬホキ車、コキが車上荷役で専 用線入線している専用線(日本たばこ産業梶A以下JT)が現れ、全くこれらの専用線を認識をしていなかっただけに驚いてすぐに下車を決意したのが初めての 倉賀 野駅訪問となった。ホームに降り立つとさらに目の前には石油タンクがあり、小さな専用線にはタンク車が留置されていたのだが、これは橋本産業鰍フ専用線で あった。 当時、高校生だった筆者は「専用線一覧表」のような資料を持ち合わせておらず、インターネット普及前の時代でもあり、専用線の探索は小学館の『JR・私鉄 全線各駅停車』の配線図と一部所有していた昭文社の県別地図(但し群馬県は所有せず…)を頼りに探していたような状態で あった。

 そのため倉賀野駅の麒麟麦酒(株)、JT、橋本産業(株)の専用線は全く予備知識の無い状態で、配線図に載っていない駅から離れた貨物基地の存在など初 回訪問の 際は当然全く 知らず、前 記の専用線を調査(写真撮影のみだが…)しただけで大満足して帰ってしまったのであった。しかしそれから約1年後には、趣味誌を中心とした資料収集によっ て情報量がグンと増 え、倉賀野駅の貨物基地 にも初訪問を果たした。その広大なヤードや石油の油槽所、セメントの包装所(SS)の集積に強烈な印象を受け、その後も何度も訪れている。国鉄が目指 した物資 別適合ターミナルの完成形として、石油、セメント、飼料、自動車の各基地が整えられ、ビール会社や煙草会社、食品会社の専用線までも備えた集約型貨物駅で ある倉賀野駅の完成度≠ヘ非常 に高かったと言えるだろう。しかし、現在その様相は大きく変化してしまった。

 そもそも筆者が初訪問した時点で、既に飼料基地や自動車基地は姿を消しており、その後セメントターミナル鰍ヘ鉄道輸送を中止し、日本セメント鰍ヘ専用線 を廃止した。麒麟麦酒とJTは工場が閉鎖されてしまい、橋本産業の油槽所も撤去されてしまった。物資別適合輸送のターミナルで鉄道輸送が残るのは、気が付 けば日本オイルターミナル鰍セけである。産業構造の変革や荷主企業の合理化が倉賀野駅の鉄道貨物輸送のこのような衰退をもたらしたと言える が、決して衰退一辺倒ではない。

 それはコンテナ輸送においてはISOタンクコンテナの取扱いが開始され、それは自動車基地の跡地などを利用した点が象徴的だが、新陳代謝とでも言うべき 新た な輸送需要の発掘に成功しており、化成品輸送を中心に倉賀野駅の新たな輸送の柱として育ちつつある。また閉鎖され更地化された麒麟麦酒の高崎工場跡地に は、森永製 菓 鰍ェ主力級の工場を建設する予定であり、新たな荷主の出現に繋がる可能性もある。このように過去のものとなってしまった輸送にも興味深いものが多い一方 で、近年始まった輸送もあるなど倉賀野駅の底力は決して侮ってはいけないものがあるように感じる。今回は、宇都宮貨物ターミナル駅と同様に北関東を代表す る貨物駅の1つであり続ける倉賀野駅を纏めてみたい。


■倉賀野駅の発着トン数の推移  

車   扱
コ ンテナ
車扱+コンテナ

年   度
発 送
到 着
小 計
発 送
到 着
小 計
合 計
備 考(詳 細は下記参照)
1997 (平09)
 195,098
 1,851,468
  2,046,566
 130,867
 130,872
  261,739
2,308,305
1998.2麒麟麦酒(株)の ホキによる麦芽輸送廃止
1998 (平10)
185,795
1,797,328
1,983,123
133,759
126,617
260,376
2,243,499

1999 (平11)
177,867
1,754,546
1,932,413
145,761
123,657
269,418
2,201,831
1999.9セメントターミナル(株)高 崎営 業所が鉄道輸送中止
2000 (平12)
166,488
1,657,967
1,824,455
135,150
131,636
266,786
2,091,241

2001 (平13)
155,155
1,557,164
1,712,319
132,527
132,931
265,458
1,977,777
2001.12倉賀野駅にトップリ フターを導入
2002 (平14)
165,809
1,651,976
1,817,785
135,542
137,627
273,169
2,090,954

2003 (平15)
169,635
1,712,111
1,881,746
146,422
148,612
295,034
2,176,780

2004 (平16)
175,606
1,771,507
1,947,113
132,723
145,709
278,432
2,225,545
2004.11ダイハツが 工場移転 2005.3JT高崎工場が閉鎖
2005 (平17)
172,711
1,770,882
1,943,593
128,037
134,696
262,733
2,206,326

2006 (平18)
162,252
1,674,624
1,836,876
129,244
139,702
268,946
2,105,822

2007 (平19)
153,886
1,610,290
1,764,176
130,945
144,823
275,768
2,039,944

2008 (平20)
138,539
1,446,951
1,585,490
130,403
141,059
271,462
1,856,952

2009 (平21)
130,796
1,379,234
1,510,030
122,810
135,677
258,487
1,768,517

(『高崎 統計季報』より筆者作成)

 1997年度〜2007年度にかけては発着トン数の合計が200万トン前後、むしろ220万トン前後で上下していたのが2008年度、2009年度と 180万トン前後に減少してしまった。理由は、はっきりしていて車扱の到着の減少(=石油類の到着減)である。一方、コンテナは横這い傾向が続いている。

 さて、発着トン数を北関東のもう1つの主要貨物駅;宇都宮貨物ターミナル駅(以 下、宇都宮(タ)駅)と比較すると、同駅の2008年度発着トン数は約214万ト ン、うち車扱が約141万トン、コンテナが約73万トンである。車扱は若干倉賀野駅の方が上回るものの、コンテナでは宇都宮(タ)駅が圧倒している。但し 宇都宮(タ)駅の車扱の発着トン数の直近のピークのである2005年度は約208万トンであり、倉賀野駅の直近のピークである2004年度の約195万ト ンを上回る。つまり宇都宮(タ)駅の方が近年の車扱輸送の減少幅が大きいと言える。ただいずれにせよ両駅の車扱は2000年代以降はほぼ石油のみであった ことを踏まえると、石油輸送については同水準の両駅であると言え、まさに北関東の両横綱といった趣である。

 宇都宮(タ)駅との比較で言えば、コンテナ輸送の発着トン数が少ない水準ではないかと言いたくなるが、ただコンテナ輸送については倉賀野駅は熊谷貨物ターミナル駅 (2008年度発着トン数:約45万トンなので倉賀野より多い)と競合する面があると言えそうだ。実際、コンテナ列車の発着 本数は倉賀野駅より熊谷(タ)駅の方が圧倒的に多く利便性に大きな差があると言える。これは倉賀野駅のコンテナ基地はヤードの奥まった場所にあることか ら、発着に時間がかかるなど使い勝手が良くないことから発着本数が限られているものと思われ、伸び悩みの理由はこの辺にありそうだ。

 倉賀野駅のコンテナ基地を高崎操車場の跡地に移転の上、着発荷役線(E&S化)すればこのような問題は解決できそうであり、今後の検討課題と言 えよう。


■倉賀野駅の鉄道貨物輸送に 関連する事項の年表  
年 月 日
項   目
1951(昭 26).08.10
関東電工(株)を創立、関東製鋼(株)の肥料部を継承し業務を開始(同社webサイトより)
1959(昭 34).06.
関東電工(株)が化成肥料工場完成(同社webサイトより)
1960(昭 35).09.15
亜細亜石油(株)(後に共同石油)が倉賀野駅に専用線を開設([1] p56)
1965(昭 40).01.
日本セメント(株)高崎包 装所(サ イロ能力3,000トン×1基)新設([3]p190)
1965(昭 40).03.
麒麟麦酒(株)高崎工場が 完成 (拙web「麒麟麦 酒(株)高崎工場」 を参照)
1967(昭 42).10.01
日本オイルターミナル(株)(日本OT) 高崎 営業所が営業開始(同社 webサイトより)
1968(昭 43).04.01
ク5000形貨車による自動車輸 送基地を開設([1]p56)
1969(昭 44).
日本ケロッグ(株)高崎工場が アジア初、日本唯一の生産工場として進出(『高崎新聞』2008年6月よ り)
1969(昭 44).07.
麒麟麦酒(株)高崎工場か ら ビール専用列車運行開始(拙web「麒麟麦酒(株)高崎工場」 を参照)
1969(昭 44).10.01
コンテナ基地の使用開始([1]p56)
1969(昭 44).11.11
日本飼料ターミナル(株)倉賀野 基地が 営業開始([4]p8)
1976(昭 51).04.01
セメントターミナル(株)高崎営業所が 営業開始(同社パンフレット、発行年 不詳より)
1980(昭 55).10.
ダイヤ改正でク5000形貨車による自動車輸送基地が廃止([5] p228)
1981(昭 56).10
前橋駅高架化に伴い前橋、新前橋の貨物取扱いを移転する他、周辺5駅を 倉賀野駅に集約するのに伴い積卸設備増強([5]p194、[19]p113)
1986(昭 61).10.
日本飼料ターミナル(株)が解散([6]p433)
1994(平 06).10.01
上信電鉄が貨物営業廃止
1996(平 08).11.12
ダイハツ工業(株)群馬工場か ら12ftJRコンテナを用いた軽自動車輸送を倉賀野〜長崎・熊本・鹿児島間で開始
(鈴木 康弘氏の運営するwebサイト「日 本の鉄道貨物輸送」の「軽自 動車のコンテナ輸送」を参照させて戴きました)
1998(平 10).02.
横浜本牧駅からのホキによる麦芽輸送中止に伴い麒麟麦酒(株)高崎工場 の専 用線廃止(拙web「麒 麟麦酒(株)高崎工場」を参照)
1998(平 10).10.03
ダイヤ改正から安中駅のコンテナ取り扱いが倉賀野駅からのトラック代行 輸送に変更された
1999(平 11).04.01
安中駅のトラック代行輸送が廃止、倉賀野駅から直接集配されることに なった(Wikipedia 「安中駅」より)
1999(平 11).09.
セメントターミナル(株)高崎営業所が鉄道輸送中止([6] p430)
2000(平 12).08.
麒麟麦酒(株)高崎工場の操業終了(拙web「麒麟麦酒(株)高崎工場」 を参照)
2001(平 13).12.04
24トントップリフターを導入、信越化学工業(株)が黒井〜倉賀野間で ISOタンクコンテナ輸送開始
(『JR貨物ニュース』2002年2月1日号1面、2002年2月15日号4面)
2004(平 16).11.
ダイハツ車体(株)は大分工場完成に伴い本社所在地を前橋から同地に移 転、 ダイハツ車体(株)前橋工場を閉鎖(同社webサイトよ り)
2005(平 17).03.
日本たばこ産業(株)高崎工場が閉鎖(同社webサ イトより)
2005(平 17).08.
関東電化工業(株)が渋川工場における電解事業中止に伴い渋川駅の鉄道 貨物 輸送廃止
2006(平 18).03.18
ダイヤ改正で金沢(タ)→倉賀野に直通ルートを新設し、リードタイムが 翌々日午前から翌日午前に短縮(『2006貨物時刻表』p15)
2008(平 20).03.
安中駅からの東邦亜鉛(株) のタ ンク車による濃硫酸輸送廃止、倉賀野駅から のISOタンクコンテナ輸送へ転換された模様

2009.9 倉賀野駅

■倉賀野駅に接続する専 用線の推移  
専 用者
第 三者利用者
作 業キロ
総 延長
キロ
1996
年8月
1983
年版
1975
年版
1970
年版
1967
年版
1964
年版
1961
年版
1957
年版
1953
年版
備  考
関東電工(株)
日本通運(株)
取卸線0.6
積込線0.6
倉庫線0.7
0.3
×








貨物基地主線から分岐
昭和石油(株)
日本通運(株)
0.7
0.6
×








貨物基地主線から分岐
岩谷産業(株)
日本通運(株)
0.3
0.1
×








貨物基地主線から分岐
共同石油(株)
日本通運(株)
0.4
0.2
×








貨物基地主線から分岐
1967年版では高崎第一油槽所
1964年版以前は亜細亜石油(株)
日本セメント(株)

0.8
0.3









貨物基地主線から分岐
橋本産業(株)

0.1
0.1









麒麟麦酒線から分岐
共同石油(株)
高崎第二油槽所
日本通運(株)
0.1

×
×
×
×





麒麟麦酒線から分岐
1964年版以前は日本鉱業(株)
但し[2]p492によると、共石の高崎第二油槽所の所在地は
高 崎市本町124であり倉賀野駅とは全く別の場所である
日本専売公社
高崎地方局

日本通運(株)
0.7
1.6









麒麟麦酒線から分岐
麒麟麦酒(株)
日本通運(株)
6番線1.3
7番線1.3
8番線1.3
3.6










日本ケロッグ(株)

0.3
0.3
×









1996年8月は筆者調査による。その他は『専用線一覧表』による。
○:存在 ×:廃止 −:未設置

2009.9 倉賀野駅 岩谷産業(株)群馬LPGセンター

■倉賀野駅の配線図  
 1971(昭46)年現在の倉賀野駅の配線図は以下の通りである。上記の専用線推移に載せた各企業の位置関係がよく分かる。また1976(昭51)年に 営業を開始したセメントターミナル(株)高崎営業所は存在していない。また現 在、日本OT高崎営業所の北側に広がるコンテナ基地も存在していない。

([1]p57)
[11]p36 上記配線図と同時期と思われる倉賀野駅。国道17号バイ パスはまだ存在していない。

 こちらのペー ジでは、1996(平成8)年8月頃時点の配線図を載せているので、併せて参照されたい。


■倉賀野駅の概要  
『JR貨 物ニュース』2002年2月1日号、1面より抜粋
トップリフター配備増に 倉賀野駅

 倉賀野駅に昨年末、総重量24tまでの20〜40ftタイプ・大型コンテナを荷役できるトップリフターが配備された。倉賀野−黒井間では20ftタイプのISOタンクコンテナが、月間10数個のペースで発着し始めている。
 倉賀野駅は、現状では大型コンテナを取り扱えるホームが限定されているが、管内化学メーカー(筆者註、信越化 学工業(株)群馬事業所)の要請に応えて、黒井駅間で総重量24トンのISOタンクコ ンテナを輸送し始めた。
 現在、ISOタンクコンテナを載せているのは106形式のコンテナ貨車。だが高崎営業支店では今後、48トン対応の200形式貨車運用による輸送効率化 や、駅構内の整備やレイアウト見直しを進めて、トップリフターの導入効果を最大限生かしたいとしている。
『JR貨 物ニュース』2002年2月15日号、4面
ここにも貨物駅 倉賀野駅

▽物資別輸送の拠点
 妙義・榛名・赤城の上毛三山を望む北関東有数の商業都市、群馬県高崎市にある倉賀野駅は、石油やセメントに代表される物資別輸送の拠点駅として歴史を重 ねてきた。また立地にも恵まれ高崎市周辺には工業団地も数多く、近隣の前橋市や伊勢崎市、太田市、桐生市などと共に関東平野西北部に一大工業生産圏を形成 している。

▽明治20年開業
 高崎線倉賀野駅は明治20年旅客駅として営業を開始した。面積は8,712平方メートル、最大長1,364メートル、貨物の着発線は日本たばこ産業の専 用線に沿って旅客施設との間に敷設された。ところが高崎市の発展に伴い旅客・荷物が増加するにつれ、貨物の積み下ろしが困難になり昭和42年、同駅から少 し離れた場所に現コンテナ基地を開拓。コンテナ基地までの2kmほどを駅の着発線と線路で繋ぎ、石油基地を新設した。
 同44年コンテナ基地を、同51年にセメントターミナルを新設し、後に基地のフロント作業を分業化。駅では信号操作を残すのみになり、貨物の積み下ろし や貨車の入換は全てコンテナ基地側に集約した。平成10年からはフロント業務効率化のため、基地の作業をグループ会社の高崎運輸(株)に委託した。
 コンテナ基地の面積は95,234平方メートル。ホーム2面に上屋1棟、駅側の貨物着発線に繋がる356mの主線を中心に、構内には積み下ろし線やヤー ド式貨物駅独特の仕訳線ほか36本もの線路が走る。
 中央にある日本オイルターミナル(株)の石油貯蔵タンクが印象的で、石油の需要が増える冬場にはコンテナ・車扱併せて1日23本の列車が発着している。 セメ ント列車の発着は今は無くなったがターミナル施設はまだ残り、稼働を続けている。
 貨物の発送量は、平成12年度でコンテナが135,150トン、車扱166,488トン。到着はコンテナ131,636トン、車扱が1,657,967 トン。石油貯蔵施設の関係で車扱貨物が圧倒的に多いのがこの駅の特色を際立たせている。
 一方コンテナの利用荷主は飲料水・食品・自動車部品メーカーが 多く、平成12年に産業廃棄物収集運搬業許可認定を取得し徐 々に産業廃棄物関連の荷物も増 やしている。

▽大型トップリフター
 同駅では昨年暮、従来からある5トン用フォーク3台の他に、トップリフターが配備された。40ft海上コンテナ対応の大型で、12月4日から大手化学工 業品メーカー黒井駅発倉賀野駅着で運んでい る化学薬品を積んだISO規格私有タンクコンテナの積み下ろしに使用している。
 トップリフターは、東海道線方面行きの列車が発着する、基地東南の自動車線に面したコンテナホームに置かれている。高崎営業支店では今後、名古屋四日 市方面の新規荷物を開拓し、稼働率を上げて営業成績の向上に繋げていきたいとトップリフター導入効果への期待を語っている。
2009.9 倉賀野駅 自動車線に面したコンテナホーム
『JR貨 物ニュース』2006年5月1日号、4面
ゼロイン貨物駅 時代とともに 倉賀野駅

 倉賀野駅の歴史は古い。もともと中山道の宿場町として栄え、河岸を含めた交通の要衝でもあった群馬県の倉賀野に駅が出来たのは明治20年5月1日。来年 で120年だ。
 昭和に入ると次々に専用線が繋がり、8本の専用線から貨車が行き来する活気あふれる駅となっていた。時代が移り、旅客、荷物ともに増えると、旧来の駅構 内では捌ききれなくなった。そこで倉賀野駅から1.7km離れた現在地に、昭和42年には石油基地が、続いて自動車輸送基地、コンテナ基地、飼料基地など が開設された。こうして倉賀野駅は、駅部分に信号取り扱いのみを残し、物資別基地となった。
 さてコンテナ荷役ホームは、仕訳線が竹箒のように広がる真ん中に日本オイルターミナルの基地があり、旧基地(自動車線側)と新基地(駅事務室・通運事務 所等)に二分されている。

 倉賀野駅のあれこれを、入江駅長と高崎営業支店の塩谷支店長に聞いてみた。
Qどうしてこのような形になったのですか?
 「もともと車扱を中心とした旧基地に周辺の貨物取扱駅の集約により貨物上屋を新設し出来上がったのが新基地です。その設備をそのままに、コンテナ扱を開 始したわけですから、非常に使い勝手が悪い駅となっていま す。上屋のある積卸8番線は立派な長いホームですが、コンテナ扱は不可能です。昔はハワムなどの 貨車から荷物を積み下ろしするときに上屋が必要だったわけですが…。
 現在上屋はバニング場として一部は使っていますが、上屋を取り払って、コンテナホームとすれば、駅はもっと使いやすくなるでしょうね。バニング用上屋は 別の場所にテントハウスを作れば済むわけですから。」
Qどのようにコンテナホームを使い分けていますか?
 「コンテナホームは市道を挟んで2面荷役(新基地と旧基地)となっています。構内をやりくりしてもらっている通運さんには作業面で大変なご協力いただい ているのです。
 また、24トン対応のトップリフターが、石油基地を挟んだ、旧基地側にあるので、その運用にも苦労しているそう。トップリフターが必要なISOタンクコ ンテナなどは、そちらに入線するように予め組まなければならず、発送先も台車の組込み上限定されている。」
Q自動車7番≠チて?
 「昔の役割がそのまま名称となって残っているのです。例えば『自動車線』は、以前は自動車の完成車が、『飼料線』はその名の通り飼料が、その線から発送 になったり到着したりしていた名残です。」
Q今春のダイヤ改正で変化はありますか?
 「30kmほど離れた渋川駅のコンテナ取扱いがなくなったの で、倉賀野駅から広域集配をするようになりました。」
Qどんな荷物を取り扱っていますか?
 「多いのは飲料ですね。この辺は水がいいので、パッカーさんも多いです。自動車部品や、群馬県下仁田名物のこんにゃくを使った製品などもあります。飲料 は波動が大きいので、出荷の多い時にお断りしないように、通運さんと協力していくつもりです。ほかに、オイルターミナルさんは群馬県の石油消費の7割強を カバーしています。」
Q営業について一言。
 「環境意識の高まりから、モーダルシフトに関心を向けてくれるお客様がかなり増えてきていますが、輸送障害時の対策を如何にスピーディにするかが重要と なっています。代替手段等仕組み作りを事前にきちっとして提案していかないといけません。群馬県内の東毛地区から埼玉県にかけてのエリアはいろいろな業種 の企業、工業団地、倉庫などありますので、開拓の余地はまだまだたくさんあります。」
  ●
 設備的に厳しい面のある倉賀野駅だが、フロント業務を委託している高崎運輸(株)を始め、利用運送事業者、駅、営業支店が一体となって、柔軟に知恵を出 し、 工夫しながら前向きに取り組んでいる印象を強く持った。


■日本オイルターミナル(株)高崎営 業所 の鉄道貨物輸送  
 日本OT高崎営業所は、西上田駅の上田営業所と共に日本OTの最初の油槽所として1967(昭42)年10月に開業した。その後、周辺に立地する油槽 所を統合・集約しタンク群の増強も行うなどして現在に至っている。また隣接する昭和シェル石油(株)高崎油槽所、JA全農ぐんま石油基地とはパイプライン で結 ばれ一大石油基地を形成している。

 「年間取扱量240万klで内陸油槽所としては世界一の取 扱量を誇って」おり、「群馬県下の70〜75%の需要に応えるため、1年365日24時間、1日当り1万kl取扱って」いるとのことで、まさに日本を代表 する内陸油槽所である。(『MONTHLYかもつ』2006年2月号、18頁)

2009.9日本OT高崎営業所

2009.9日本OT高崎営業所

2009.9日本OT高崎営業所

1996.8日本OT高崎営業所
タンクの増設工事中の ようであった


▽日本OT高崎営業所の概要

タ ンク容量
敷 地面積
取 扱量
利 用荷主
備 考
1973 年3月現在
24基
13,900kl
33,800m2

9社
パイプラインにより
昭和石油基地へ接続 [7]p16
1996 年現在

48,000m2
1,968千kl(1994年度)
日石、出光、Jエナジー、コスモ、
昭シェル、三菱、ゼネ石、モービル、
キグナス(計9社)
[8]p6
2003 年7月現在


2,200千kl(2002年度のことか?)
群馬県内で消費される石油類の約7割に相当

『交通新聞』
2003年7月10日付4面
 1996年現在の利用荷主に「出 光」の名があるのには衝撃である。当時、既に前川駅の出光興産叶逞t製油所の専用線は廃止されており(1988年11月廃止[10] p123)、鉄道タンク車輸送は行っていないが、日本 OTの利用は継続していたのであろうか。下記の目撃したタンクローリーに出光があればさらに確信が持てるのだが、残念ながら未だ目撃はできていない。

▽日本OT高崎営業所で目撃したブランド別タンクローリー
年 月日
ブ ランド名
2003年5月11日
JOMO、コスモ
2009年9月6日
エネオス、JOMO、コスモ、エクソンモービル、キグナス
 
2009.9 倉賀野駅 石油タンク車が数多く並ぶ

▽倉賀野駅及び同駅に関係する石油輸送の年表
年 月 日
事   項
1960(昭 35).09.15 亜 細亜石油(株)〔後に共同石油(株)〕が倉賀野駅に専 用線を開 設([1]p56)
1963(昭 38).10. 亜 細亜石油(株)〔後に共同石油(株)〕高崎LPG基地 完成 ([2]p490
1967(昭 42).10.01
日本オイルターミナル(株)(日本OT)高崎営業所が営業開始(同社webサイトより)
1972(昭 47).
日本OT高崎営業所のローリー積込み設備を安全性向上のため機械式から 電気式に変更(『交通新聞』2002年12月27日付2面)
1978(昭 53).
両 毛丸善(株)が油槽所建設、北館林荷扱所に専用線開業 (同社webサイトより)
1985(昭 60).07.
共 同石油(株)〔現、(株)ジャパンエナジー〕の石油専貨が新興駅 発〔アジア石油(株)〕から北袖発〔富 士石油(株)〕に変更された([10]p122)
1986(昭 61).11.01 上毛電気鉄道三俣駅の貨物営業廃止。同駅には日本石油(株)のタンク車が1日に2両程度到着 して いた([23]p220)
同駅に隣接して日本石油の特約店(丸屋 石油)の油槽所があるが、同駅には専用線が無かったことから構内側線で取り卸しをしていた模様
1988(昭 63).03.13
ダイヤ改正で塩浜操〜新前橋の石油列車廃止。油槽所を廃止し河川輸送に切り替えられたが一部 は倉賀野の日本OTを利用し鉄道輸送継続([9]p43)
1997(平 09).03.22
ダイヤ改正で蘇我〜倉賀野に石油列車を新設(『'97貨物時刻表』p7)
1997(平 09).03末? 1997年3月ダイヤ改正時には川崎貨物〜新町の石油専用列車はあるが、 『群 馬県統計年鑑』によると1997年度から新町駅の貨物取扱量は0となって
おり、1996年度末でゼネラル石油(株)専用線は廃止されたと思わ れる
1999(平 11).03.
昭和シェル石油(株)は新潟製油所の原油精製設備を廃止し大規模輸入基 地に 転換(『石油文化』第46巻第8号、1998年、p31)
2000(平 12).3.11
ダイヤ改正で川崎貨物〜倉賀野の石油列車が20両から23両編成(1,380トン)に増結 (『2000貨物時刻表』p8)
2002(平 14).06.20
日本OTは高崎OTビルを竣工(『交通新聞』2006年2月6日付2 面)
2002(平 14).11.18
日本OT高崎営業所でハッチ管理システム稼働(『交通新聞』2006年 2月6日付2面)
2002(平 14).12.
日本OT高崎営業所の出荷設備近代化工事完成(ローリー会社とオンライ ンシステム構築、積込み時間のスピードアップ、26kl積みローリー対応)
(『交通新聞』2002年12月27日付2面)
2003(平 15).05.
日本OT高崎営業所が24時間フル稼働化(『交通新聞』2003年7月 10日付4面)
2003(平 15).08.02
東武鉄道の実質的な貨物営業最終日、浜五井〜北館林荷扱所両毛丸善(株)向けの石油輸送がこの日をもって廃止([13] p188)
2004(平 16).11.30
日本OT高崎営業所はタンク元バルブを自動化(『交通新聞』2006年 2月6日付2面)
2005(平 17).03.01
ダイヤ改正で根岸〜岡部・倉賀野・宇都宮(タ)の石油列車の牽引定数を1,100トン(18両)から 1,200トン(20両)に増強(『2005貨物時刻表』p16)
2005(平 17).08.
渋川駅の関東電化工業(株)の専用線廃止。同社専用線着で行われていた根岸・浜川崎・末広町〜渋川の重油輸送が廃止
2007(平 19).03.18
ダイヤ改正で日本OTは川崎貨物〜倉賀野に高速石油列車(20両編成)下り2本、上り1本を新設(『交 通新聞』2007年1月15日付1面、3月22日付3面)
日本石油輸送鰍ヘ浜川崎〜倉賀野の下り1本に高速石油列車新設(『交 通新聞』2007年1月15日付1面)
2009(平 21).03.14
ダイヤ改正で千葉貨物〜倉賀野の石油列車をタキ1000形式を投入し高速化(『2009貨物 時刻表』p16)
2010(平 22).03.13
ダイヤ改正で根岸〜倉賀野の石油列車をタキ1000形式を投入し高速化(『2010貨物時刻 表』p16)


2009.9上毛電気鉄道・三俣駅 (合)丸屋石油の油 槽所と構内側線

2003.5渋川駅 関東電化工業(株)専用線で荷役す るタ キ45000形

 宇都宮(タ)駅の日本OT宇都宮営業所の項でも周辺に位置する石油関係の専用線が集約された状況を纏めたが、倉賀野駅でも同様に纏めてみた。東武鉄道に 接続する専用線が早い段階で集約されていったことが窺えるが、それは鉄道事業者の事情によるものか、それとも荷主側の事情によるものか、興味深いところで ある。

▽『1967(昭和42)年版 専用線一覧表』から抜粋の高崎周辺の石油関係の専用 線一覧
専 用線
番号

線 名
所 管駅
専 用者
※は第三者使用
作 業キロ
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備   考
1073
高崎線
桶川
ゼネラル石油(株)※
構内線0.5
工場線0.7


×
×

1077
高崎線
吹上
三菱石油(株)
0.4



2000年3月ダイヤ改正で扇町から根岸に発駅変更
2002年3月ダイヤ改正で石油列車廃止
1078
高崎線
吹上
丸善石油(株)
0.5



1983年版では丸善流通サービス(株)
浜五井からの輸送は1994年10月一部がタンクローリーへ転換、
1997年6月に廃止([10]p123)
1087
高崎線
岡部
日本石油(株)
専用1番線0.3
専用2番線0.3




現存
1093
高崎線
新町
ゼネラル石油(株)
0.2



1996年度に廃止
1111
上越線
新前橋
シェル石油(株)
0.2



新前橋駅は1988年3月ダイヤ改正以降石油列車発着無し
1112
上越線
新前橋
モービル石油(株)
モービル線0.3



東芝線との共有線、1988年3月ダイヤ改正で廃止
1115
上越線
八木原
日通商事(株)
0.5


×
2009年9月現在で日通商事(株)前橋LPガス事業所は存在
1130
両毛線
足利
(株)漆原油店※
0.1



1975年版以降では専用者
1133
両毛線
伊勢崎
大協石油(株)
専用1番線0.1
専用2番線0.2



×

1148
信越本線
群馬八幡
丸善石油(株)
0.4


×

3055
秩父鉄道
武川
大協石油(株)
0.2



1993年6月廃止([10]p123)
3099
東武・伊勢崎線
川俣
共同石油(株)
0.1
×
×
×

3100
東武・伊勢崎線
川俣
橋本産業(株)
0.3



1970年版以降では(第1工場線)と(第2工場線)の2線になる
1997年10月ダイヤ改正で川俣駅の貨物取扱い廃止([13]p186)
3102
東武・伊勢崎線
館林
モービル石油(株)※
0.2

×
×

3106
東武・伊勢崎線
太田
出光興産(株)
0.1
×
×
×

3111
東武・伊勢崎線
剛志
群馬石油(株)
0.1
×
×
×

3112
東武・伊勢崎線
新伊勢崎
(株)ミツウロコ
0.2


×
2009.9現在で(株)ミツウロコ存在、LPガスタンク等あり

東武・佐野線
北館林荷扱所
両毛丸善(株)
0.1



2003.8鉄道輸送廃止。2009年9月現在油槽所残る
3117
東武・佐野線
堀米
丸善石油(株)
0.1


×



1996.8新町駅 ゼネラル石油(株) 高崎ターミナル専用 線

2009.9川俣駅 橋本産業(株)館林 工場

▽浜五井駅及び北袖駅発送の倉賀野駅(日本OT)及び吹上、武川駅到着の輸送量の推 移 (単位:千トン)
発 駅
浜五井(コスモ)
北袖(JOMO)
年 度
吹上
到着トン数
武川
到着トン数
北館林荷扱所
到着トン数
倉 賀野
到着トン数
 小計
合計
倉 賀野の
占める割合
倉 賀野
到着トン数
 合計
倉 賀野の
占める割合
1989 年度
96.2
69.3
309.8
165.3
640.6
956.9
17.3%
229.8
799.2
28.8%
1991 年度
117.9
96.5
330.9
181.0
726.3
1,059.2
17.1%
261.4
746.5
35.0%
1993 年度
95.8
10.0
341.1
212.4
659.3
883.3
24.0%
261.7
774.7
33.8%
1995 年度
47.2
0.0
342.6
241.3
631.1
837.5
28.8%
278.6
820.4
34.0%
1997 年度
3.7
0.0
342.0
276.2
621.9
876.8
31.5%
264.2
725.4
36.4%
([10]124頁より筆者作成)

 浜五井駅発送の倉賀野向けの石油輸送の到着トン数は1989年度から1997年度にかけて大きく増加している。その理由としては、埼玉県内の吹上駅及び 武川駅向けの輸送が油槽所廃止に伴い倉賀野駅に集約された分があるのではないかと思われる。ただ武川駅は倉賀野駅は約25km程の距離だが、吹上駅は同約 40km程の距離があることから全量が倉賀野にシフトしたわけではなく、ローリー輸送に転換した分も 相当量あるのではないかと思われる。数字的にも吹上、武川の減少分がそのまま倉賀野の増加分とはなっていないことが分かる。

 また北館林荷扱所向けの輸送量は、倉賀野向けより多かったことも分かるが、2003年8月に北館林荷扱所向けの鉄道輸送が廃止された後、倉賀野にどの程 度シ フトしたのであろうか。北館林荷扱所と倉賀野間は40km強、同じく宇都宮(タ)間は40km弱といった距離があるが、倉賀野や宇都宮(タ)の日本OTか らローリーで両毛丸善の館林油槽所に供給する形態なのか、両毛丸善のガソリンスタンドに対して日本OTの高崎・宇都宮の両営業所からローリーで供給する形 態になったのか、気になるところである。ただ館林油槽所が残っていることからすると、同油槽所向けがコスモ千葉製油所から直接ローリーで石油輸送されてい るとするならば、日本OTの利用は非常に限られたものかもしれない。

 尚、両毛丸善は同社webサイトによると群 馬県内に43店舗のガソリンスタンドを展開しているが、そのうち伊勢崎地区11店舗、前橋地区5店舗、桐生地区6店舗ぐらいは日本OT高崎を利用していて 欲しいものだ。

▽倉賀野駅及び周辺の駅に到着する石油列車の発駅別列車本数の推移
発 駅
根 岸(新興)
浜 川崎
扇 町
川 崎貨物
蘇我・千葉貨物
熊谷(タ)
倉賀野到着の
列車本数計

荷 主
新 日本石油(株)
昭 和シェル
石油(株)
三 菱石油(株)
エ クソンモービルGr.
(末広町駅・浮島町駅)
コスモ石油(株)(浜五井駅)
三井石油(株)(甲子駅)
(株)ジャパンエナジー(北袖駅)

小 計
合 計
1985年
3月改正
専 用1(新興発)
専用1
岡部行き専用2

専 用2
新前橋行き専用1
(吹上で解放)

専 用1(新町で解放)
新前橋行き専用2
(高崎操で解放)

専用2
(内1本熊谷タで解放、高崎操着)
熊谷タ行き専用1(吹上で解放)

専用7
臨専0
7
1990年
3月改正
専 用1
岡部行き専用2
(内1本は熊谷タで解結)

専 用2
専 用1
新町行き専用1
専用1
臨専1
熊谷タ行き専用2(内1本は吹上で解放)
専 用1
専用6
臨専1
7
1994年
12月改正
専 用1(高崎操行き解結)
岡部行き専用2
(内1本は熊谷タで解結)

専 用2
専 用1
新町行き専用1
(熊谷タで解放)

専用2
熊谷タ行き専用2(内1本は吹上で解放)
専 用1
専用7
臨専0
7
2000年
3月改正
専 用2
吹上行き専用1
岡部行き高速1
岡部行き専用1

(熊谷タで解結)

専 用2

専 用1
臨専1
熊谷タ行き専用1
専用1
臨専1
専 用1
専用7
臨専2
9
2005年
3月改正
専 用3
(内1本は高崎操行きが解結)
(内1本は熊谷タで連結)
岡部行き高速2

(内1本は熊谷タで連結)
専 用2

専 用1
臨専1
専用1
臨専1

専用7
臨専2
9
2010年
3月改正
高 速1
臨専2
(内1本は横浜羽沢発)
岡部行き高速2
(内1本は熊谷タで連結)
高 速1

高 速2
専用1
熊谷タ行き臨専用1
(その他)

高速1
専用1
専 用1
(その他)
高速5
専用2
臨専2
9
『貨物時刻表』より筆者作成

▼昭和シェル石油(株)高崎油 槽所 について  

1996.8焼島駅
262レ 東新潟港→新潟(タ)の石油専用列車

 昭和 シェル石油(株)高崎油槽所は日本OTと国道17号を挟んで反対側に立地しており、パイプラインで日本OTと接続する形で鉄道輸送を利用している。

 同油槽所は『専用線一覧表』によると1961(昭36)年版以降には「昭和石油(株)」として存在しているのだが、1974(昭49)年発行の『昭和石 油三十年史』の「事業所分布図」(p338〜339)には全国の油槽所が網羅されているのだが、「高崎油槽所」は存在していない。単純なミスの可能性もあ るが、不思議である。

 さて上記の倉賀野に到着する発駅(荷主)別の石油列車運転本数では、浜川崎(昭和シェル石油)発の石油専用列車は2000(平12)年3月ダイヤ改正以 前は存在していない。それは倉賀野向けの石油輸送は、東新潟港駅に専用線が接続していた昭和シェル石油(株)新潟製油所が主な供給を担っていたからのよう だ。

 1996(平8)年8月26日に焼島駅における目撃では、タキ35000形(JOT)によって東新潟港→倉賀野軽油輸送が行われていた。タキは13両程度の編成でまとまった量 の輸送があったようだ。尚、1996年3月ダイヤでは新潟地区から倉賀野に向けて石油専用列車の設定は無いが、東新潟港→新潟(タ)に石油専用列車があり 酒田→川崎貨物の化学薬品列車(新専貨)が新潟(タ)で解結を行い、これが熊谷(タ)で解結をしている。そして熊谷(タ)→倉賀野には石油専用列車の設定 があり、このような新専貨を活用した輸送体系であったようだ。

 1999(平11)年3月に昭和シェル石油(株)は新潟製油所における原油処理を停止し大型輸入基地に転換したが、その時点で浜川崎駅発送に切り替えら れた模様だ。

2003.5倉賀野駅 昭和シェル石油 (株)高崎油槽所

2009.9倉賀野駅 昭和シェル石油 (株)高崎油槽所


▼全農ぐんま石油基地について   

2003.5倉賀野駅

2003.5JA全農ぐんま石油基地

2009.9国道17号からJA全農ぐんま石油基地を望 む

 JA全農ぐんま石油基地は日本OTとパイプラインで接続されており、鉄道貨物輸
送を間接的に利用していると言える。

 JA全農ぐんまのwebサイトには、「事業所案内」のページがあり、物 流 センターや
LPガスセンターなどが紹介されているが、石油基地については全く触れられていな
い。なぜだろうか、web上で公開すると安全上問題があると考えているのか…。

 また全農エネルギー(株)のwebにおいても、石油基地に当該基地は 掲載されてい
ないので、あくまでもJA全農ぐんまの所有する石油基地である筈だ。


■橋本産業(株)高崎 営業 所の鉄道貨物輸送  

1995.8倉賀野駅
橋本産業(株)高崎営業所の専用 線


2003.5倉賀野駅
橋本産業(株)高崎営業所


2009.9倉賀野駅
橋本産業(株)高崎営業所の専用線跡  タンク等は全て撤去済み

 橋本産 業(株)高崎営業所の油槽所は、日本OT等からは離れた倉賀野駅の旅客駅に隣接する場所に立地していた。

 専用線は棒線が1本だけのささやかなもので、1995(平7)年8月に訪問した際はタキ1両が留置されているだけで、取扱量は多くなかったと思われる。 ただこの時は荷票の確認をすることを認識する以前であったため、どこから石油が到着していたのかは確認していない。

 1999(平11)年1月5日に扇町駅を訪問した際に、タキ35697・35699(共にJOT)の荷票に「灯油:扇町→倉賀野(橋本産業側入)荷受人:橋本産業」とあるのを目撃した。このように扇町の三菱石油 (株)川崎製油所が発送元であったことが分かったが、同製油所は1999(平11)年9月に原油処理を停止し川崎事業所となった。

 それに伴い、1998(平10)年10月ダイヤ改正時点では扇町→倉賀野間に石油専用列車が2本設定されているなどしたものが、2000(平12)年3 月ダイヤ改正では川崎貨物行きの石油列車以外は全廃されている。おそらくこの時点で、倉賀野の橋本産業向けの石油輸送は根岸(新日本石油)発送に切り替え られたのではないだろうか。(拙web「新 日本石油(株)」の「旧三菱石油(株)(関東 地 方)」を参照)

 2003年5月時点ではこの高崎営業所は存在していた(但し専用線に貨車無し)が2009年9月訪問時には油槽所は完全に撤去され、更地となっていた。


■セメントターミナル(株)高崎営業 所の 鉄道貨物輸送  

※2005年当時のセメントターミナル(株)のwebサイトからダ ウン ロードできたパンフレットより

 セメントターミナル(株)(以下CT)高崎営業所の利用荷主としては、上記パンフレットによると太平洋セメント(株)、電気化学工業(株)、住友大阪セ メント(株)と なっている。

 まず太平洋セメント(株)についてだが、旧日本セメント(株)はCTの向かい側に同社の高崎サービスステーションが存在するためCTを利用しているとは 考えにく く、小野田セメント(株)は近隣に工場は無いことから秩父セメント(株)の利用だけと思われる。

 また住友大阪セメント(株)については、旧住友セメント(株)が栃木工場からセメントが到着していたと考えられる一方で、大阪セメント(株)の利用は無 かったものと 考えられる。

 以下、各荷主のCTに関わる鉄道貨物輸送の動向を『貨物時刻表』等を中心に纏めてみた。
荷   主
発 駅
事   項
秩父セメント(株)
熊谷工場

三ヶ 尻
*1996年8月にCT高崎営業所に停車中のCT所有のタキ1900形 の常備駅は「三ヶ尻駅」であった
*1998年10月ダイヤ改正では、熊谷(タ)〜倉賀野にセメント専 用列車の設定あり
*1999年9月にセメントターミナル(株)高崎営業所が鉄道輸送中止([6]p430)
秩父セメント(株)
秩父第二工場

武 州原谷
*1994年12月ダイヤ改正時点では武州原谷発、寄居から八高線経由の倉賀野のCT着の輸送がCT所有のタキによって行われてい た([12]p22-23)
*1997年3月ダイヤ改正で八高線のセメント輸送は縮小、寄居経由のセメント列車は廃止された。この時点で武州原谷発のCT高崎営業所向けの
輸送は廃止になったのだろうか
電気化学工業(株)
青海工場

青 海
*1994年12月ダイヤ改正まで、青海〜高崎操にセメント専用列車の設定あり。同列車は八木原で解結を行ってい る。
高崎操〜倉賀野は石油返空に連結されていたようだ。
*1996年3月ダイヤ改正で、上記青海発のセメント専用列車は熊谷(タ)に着駅が変更され、高崎操には運転停車のみ。
八木原では解結を行っている。熊谷(タ)〜倉賀野はセメント専用列車の設定等がある
*1997年3月ダイヤ改正で、青海発高崎方面のセメント専用列車は廃止された。八木原は熊谷(タ)発のセメント専用列車の到着となった
住友セメント(株)
栃木工場

上 白石
*1985年3月ダイヤ改正時点では、佐野〜倉賀野にセメント専用列車の設定あり。これは明らかに上白石発の住友セメ ント(株)のセメント専用列車
であろう
*1986年11月ダイヤ改正で佐野駅における貨車中継が廃止された([13]p183)


1996.8倉賀野駅
右:セメントターミナル(株) 左: 日本セメント(株)


1996.8倉賀野駅
左:セメントターミナル(株) 右: 日本セメント(株)


2003.5倉賀野駅
当時貨車輸送は廃止されていたが 貨車が留置されていた


2009.9倉賀野駅
貨車の留置は無くなり荷役線はガ ランとしている

 『セメント年鑑 2010』(セメント新聞社、2010年)の「工場外貯蔵出荷設備(SS)一覧表」(p85〜93)によると、住友大阪セメントは「高 崎:サイロ1基、能力5千t」(p88)、太平洋セメントは「CT高崎:サイロ2基、能力6千t」(p91)、電気化学工業は「高崎:サイロ1基、能力5 千t」(p92)がそれぞれあり、現在でもセメントターミナル高崎営業所を利用していることが分かる。


■日本セメント(株) 高崎 サービスステーション(SS)の鉄道貨物輸送  

1996.8倉賀野駅
日本セメント(株)高崎SSの専用線


2003.5倉賀野駅
CTの側線越しに太平洋セメント(株)高崎SSのサイロが聳え立つ


2009.9倉賀野駅
セメントサイロは消滅、北関東秩 父コンクリート(株)の施設が残る

  1965(昭40)年1月に日本セメント(株)は高崎包装所(サ イロ能力3,000トン×1基)を新設した。([3]p190)

 長年、高麗川駅に専用線が接続する日本セメント(株)埼玉工場か らセメントが到着していたようで、1998(平10)年10月に秩父小野田(株)と合併し太平洋セメント(株)が発足した後もこの鉄道貨物輸送は継続して いた。

 1998年10月ダイヤ改正では、八高線の高麗川〜高崎操に セメント専用列車が設定されていた。

 1999(平11)年6月下旬に太平洋セメント(株)埼玉工場は鉄道貨物輸送の一部をトラック輸送に切り替えたとのことで、この時点で倉賀野行きの輸送 がトラックに転換された模様だ。([14])

 結局、太平洋セメント(株)埼玉工場の専用線は1999年9月13日に最終出荷を行い廃止された。([15])
 尚、廃止時点の出荷先は隅田川、石和温泉のみであったようだ。([16])

 また高崎SSのセメントサイロは2003(平15)年5月時点では現役であったが、専用線は完全に撤去済みであった。そして2009(平21)年9月に 訪問した際はセメントサイロも完全に撤去され更地化されていた。


■秩父セメント(株)高 崎 サービスステーション(SS)の鉄道貨物輸送  

([20]写真より)
 上信電 鉄の南高崎駅にはかつて秩父セメント(株)の専用線があり、1994(平6)年9月まで鉄道貨物輸送が行われてきた。同駅は倉賀野駅に非常に近い立 地であるが、秩父セメントはセメントターミナルと高崎SSを併用し続けていたわけだ。

 セメント会社の相次ぐ合併やセメント需要の減少に伴いSSの集約は必至であったと考えられるが、高崎SSは2003(平15)年5月に訪問時点では跡形 も無く撤去され、跡地にはマンションが建っていた。

 高崎SSの機能はセメントターミナル高崎営業所に統合 されたと当然考えられるので、ここで項を設けて纏めることにした。

<沿革>
1935 (昭10).09. 南高崎駅 開業
1953 (昭28).01. 秩父セメ ント高崎倉庫開設([20]p470)
1957 (昭32)〜
1961(昭36).
南高崎駅 所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.3km)開設
1960 (昭35).12. 秩父セメ ント高崎バラ倉庫開設([20]p477)
1966 (昭41).06. 秩父セメ ントと日本車輛製造(株)が共同開発したテキ 200形10両によって、秩父〜南高崎間で包装セメント のパレット積貨車輸送を開始([20]p211)
1970 (昭45).12. 秩父セメ ントはバラ倉庫をSSと改称([20]p487)
1993 (平05)年度 上信電鉄 の輸送実績は、セメントが9万8,000トン
1994 (平06)年当時 武州原谷駅発のセメントが八高 線経由で最大12両輸 送されるが、上信電鉄内は専用線有効長の関係から、最大6両で輸送される。
高崎〜南高崎のダイヤは6往復設定されるが、午前のスジで運転され午後は荷が無くなり運休が多い([21]p37)
1994 (平06).9.30
上信電鉄 の貨物営業廃止
1994 (平06).10.1
小野田セ メント(株)が秩父セメントを合併、秩父小野田(株)が発足
1998 (平10).10.1
秩父小野 田と日本セメント(株)が合併し、太平洋セメント(株)が発足


■日本飼料ターミナル(株) 高崎 基地の鉄道貨物輸送  
 日本飼料ターミナル(株)は、1969(昭44)年1月に配合飼料のサイロ基地の建設と運営を目的に国鉄、日本農産工業、日本配合飼料、アミノ飼料の共 同 出資により設立された。([6]432頁)
 1969(昭44)年11月11日、日本飼料ターミナル(株)倉賀野基地は営業を開始した。([4]p8)
 1973(昭48)年3月現在の敷地面積は3,400m3、サイロ容量は52基、1,040トン、利用荷主は4社である。([7] p17)

 さて、倉賀野駅の利用荷主については、発駅は下記表の通り明らかになっているので、荷主のみ筆者が考察した。拙webの「宇都宮(タ)駅」の「日本飼料ターミナル(株)宇都宮基 地の 鉄道貨物輸送」の項でも利用荷主について考察しているので併せて参照されたい。

▼日本飼料ターミナル(株)高崎基地の利用荷主の纏め(筆者予想を含む)
発 駅([7]p17)
荷  主
備  考
田浦
アミノ飼料工業(株)
1980年10月 伊藤忠飼料(株)に改称
1982年7月 横須賀工場を閉鎖し、千葉工場に統合
(同 社webサイトより)
東高島
日本製粉(株)
日本製粉(株)は配合飼料部門から1990年2月末撤退([17] 442頁)
新興
日本農産工業(株)
横浜エビス工場は現在閉鎖
新興
中部飼料(株)
横浜工場は1988年6月閉鎖(Wikipediaよ り)
村田
ア ミノ飼料工業(株)
荷主は[18]p194 但し主なる着駅は郡山(タ)のみ
京葉市原
日本配合飼料(株)
荷主は[18]p194 着駅に倉賀野あり
千葉工場は1988年9月閉鎖(Wikipediaよ り)
 上記では4社となっているが発駅からの結論としては5社になっている。これは新興駅が2社可能性あるからなのだが、日本農産工業が日本飼料ターミナルの 設立時の出資企業であることを考慮すると中部飼料が倉賀野基地を利用していない可能性が高いと言えよう。


([7]p17)

([24]p21)

2003.5 倉賀野駅 飼料基地の跡地は未利用である


■倉賀野駅から発送される自動車及 び自動車部品輸送  
 前橋にはかつてダイハツ車体(株)群馬工場があり、太田市には現在でも富士重工業(株)群馬製作所の工場群があることから、群馬県は自動車部品工業を含 め自動車 産業が盛んな地域 となっている。
 倉賀野駅は国鉄時代には自動車基地が設置されるなど、古くから自動車輸送が行われてきた。JR貨物になってからはJR12ftコンテナによる軽自動車輸 送が開始されたのだが、2004年に荷主のダイハツ車体が九州の中津に工場を移転させたことから、この輸送は消滅したと思われる。また富士重工業の軽自動 車輸送は熊谷(タ)駅を利用しているため倉賀野駅は利用していないようだ。

▼ク5000形による自動車 輸送  
 1968(昭43)年4月に倉賀野駅に自動車基地が開設された([1]p56)が、同駅は発送と到着の両方のある基地であった。具体的な輸送としては 下記の通りである。

▽国鉄関東支社管内 ク5000形による基地別自動車輸送計画表より 抜粋(1971年10月現在) ([22]p33)

メー カー
車 種
貨 車輌数/日

メー カー
発 基地名
貨 車輌数/日
発送
富士重工業(株) 
日産自動車(株) 
スバル  
サニー  
14
4
到着
東洋工業(株)
トヨタ自動車(株)
東広島
北野桝塚 
7
 発送メーカーの到着先が分からないのが、残念であるが当時は富士重工業が自動車輸送については倉賀野駅を利用していたことは興味深い。また日産自動車は 近隣には製造拠点が無いように思われるので不思議である。サニーについては、日産自動車の座間工場で1966(昭41)年に生産開始された(日 産自動車(株)座間事業所パンフレットより)とのことだが、座間と倉賀野ではあまりに遠いように思われる。例えば新潟・秋田方面への輸送の際に は、座 間から倉賀野までキャリアカーで運びク5000形に積み替えて輸送するというような輸送形態であったのであろうか。
 1980(昭55)年10月ダイヤ改正で倉賀野駅の自動車基地は廃止された。([5]p228)


▼ダイハツ車体(株)前 橋工 場の自動車輸送  
 JR貨物では12ftコンテナによる軽自動車の輸送をJRFエンジニアリングと共同で開発してきた。この方式は、軽自動車専用パレット(2輪車も積載可 能)に軽自動車を1台載せて固定し商品の安全を確保しつつ、荷役効率を高める。積み付け試験と輸送試験の結果は良好であった。

 そこで1996(平8)年11月12日から、ダイハツの前橋工場から鹿児島熊本長崎の販売会社へ、この方式を 用いた出荷が始まる。発駅は倉賀野で、毎日各2台づつを輸送する。従 来は船かトラックで輸送していたが、コンテナによる毎日の輸送で納期短縮・在庫負担軽減を図れるということだ。また新規ルートとして秋田米子金沢などの空コン回送地区への 発送を要請している。

 1998(平10年)当時の倉賀野駅からのこの軽自動車輸送の着駅は、鹿児島・熊本・長崎に加えて米子がある。また熊谷(タ)発米子着の軽自動車輸送もあるが、これは富士重工業 が荷主と思われる。また大阪(タ)発新潟(タ)着、梅小路発米子・新潟(タ)着の輸送もあり、いずれも荷主はダイハツ工業(株)と思われる。このようにダ イハ ツはこの軽自動車輸送を積極的に活用していたようだ。
(これらは鈴木 康弘氏の運営するwebサイト「日本の鉄道貨物輸送」の「軽自 動車のコンテナ輸送」を参照させて戴きました)

 また『JR貨物ニュース』2003年8月1日号、4面によると、米子駅には専用パレットで固定された軽自動車が、12ftコンテナで倉賀野・ 熊谷(タ)・梅小路各駅から合わせて毎日10〜12個到 着するとのこと。コンテナで汚れや雨から守られた自動車は販売店に好評とのことである。

 ダイハツ工業は本社・前橋工場を大分県中津市に移転することになり、2004(平16)年11月26日に前橋工場で生産を終了し、 同年12月15日には新しい中津工場が本格操業を開始した。
『西 日本新聞』2004年12月7日付


▼(株)ミツバの自動車部 品の 鉄道貨物輸送  
『JR貨 物ニュース』2001年8月15日号、3面
鉄道便利ですか 鉄道で小ロット品積合せ輸送 (株)ミツバ

 (株)ミツバ(本社・群馬県桐生市、日野昇社長)は桐生市を拠点に、自動車とオートバイ用の電装部品の製造を柱に事業を拡大してきた。県内に5ヵ所の工 場・ 研究施設を稼働する。平成10年から一時途絶えていたコンテナの利用を広島と防府にある自動車組立て工場向けで再開。一昨年からは熊本と水島の取引先工場 にも鉄道コンテナの利用を広げている。

 (株)ミツバは複数の自動車工場と取引があり生産品目も多岐にわたる。自動車部品には、ジャストインタイム配送が求められるが、同社ではリードタイムに 余裕 をもたせるため、取引先工場の近くにデポとして外部倉庫を借り、製品はこの倉庫に配送している。
 デポへの配送は、基本的に各工場倉庫から直送しているが、ロットが小さくて10トントラックにまとまらない小口荷物は、新田郡藪塚本町の物流倉庫に移送 し、鉄道コンテナやトラックに積み合せて輸送している。同倉庫からは月間約 3,500トンを出荷しているが、この内鉄道コンテナの発送が約425トンある。
 倉賀野駅東京(タ)駅を発駅として、広島防府熊本水島向けに利用しているが、コンテナ輸送を再開後の僅か2〜3年でコン テナの利用割合はおよそ12%に まで拡大してきた。

大型コンテナ帰り便を活用
 コンテナは12ftタイプばかりでなく、日本梱包運輸倉庫鰍フ31ftタイプコンテナも使用している。熊本からオートバイを運んでくるコンテナの帰り荷 に二輪車用の電装部品を積んでいるので、本輸送の発駅は東京(タ)だ。
 東京(タ)までは集荷距離が100km程あるが、熊本行きの荷物は月間220トンあり、一度に大量の製品を運べるためにコスト面で有利とみて、一昨年の 3月から始めた。

多種の通い函
 一方、12ftコンテナを使う時には、床面積の広い19A形式に限定して使用している。容器の大きさによって荷物がパレットから少しはみ出したり、また パレットもT11型だけでなく取引先によって指定されるケースがあるからだ。同社の通い函には、自動車工場向けだけで取引先・製品別に寸法・容積の異なる ものが10種類以上、そのほか二輪車部品用の通い函もある。
 同社ではこれら通い函をパレットに載せて荷役するが、大きさが異なる複数の函をうまくパレットに組むのが難しい。そのためコンテナ発送時の積込み作業は 複雑で、パレタイズ専門のスタッフがいるほどだ。
 これらコンテナ輸送した製品の通い函やパレットは、デポである程度まとめてから鉄道コンテナで返送しているが、日本梱包運輸倉庫の31ftコンテナで輸 送したものについては、船で大阪と鈴鹿にある日本梱包運輸倉庫の営業施設に返送し、トラックで回収している。

締切り時間が早い
 同社物流部の三田賢一部長は「倉賀野駅発の広島・防府行き列車 は締切り時刻が午後3時半と早い。受注は朝7時から始まるので、それから取引先別に製品をピッキングし、複雑なパレタイズ処理をこなして出 荷しなければならず、間に合わせるのが難しい」と鉄道利用の現況を説明しながらも「輸送コストの低減をさらに追及する中で今後、コストに見合えば兵庫方面 の取引先向けに、新たに鉄道コンテナ輸送を検討する余地はある」と語る。
 道路事故が無い鉄道輸送の安全性や輸送時間の正確さは評価していて、環境に対する配慮も大事だと考えているからだ。
 しかし同時に、利用拡大するために望ましいあり方として「最寄 の倉賀野駅に、締切り時刻の遅い便利な西行き列車を設定して欲しい。また輸送障害時にはJR貨物本体から迅速・正確な確定情報提供を」また 「現場では売上に対する輸送コスト比が何パーセントになるかが重視される。宅配便の運賃が荷物1個単位であるように、JR貨物も、荷物の容積、重量等、荷 量の実態に応じた弾力的な料金体系や運賃契約を改めて考えてはどうか。コンテナ輸送をより使いやすくするために、荷主にもっと密着したサービスの提案が必 要だと思う」と率直な意見を述べてくれた。


■倉賀野駅に発着する煙草・食品 メーカーの鉄道貨物輸送  
 高崎周辺には食品メーカーが多数立地する。そして倉賀野駅には、食品工業の範疇に含んで構わないと思われるが煙草工場としてJT専用線、さらにれっきと した食品メーカーとして麒麟麦酒(株)と日本ケロッグ(株)がそれぞれ専用線を敷設し、煙草・食品メーカーの専用線が3社も存在していた。現在、それら専 用線は全 て廃止されてしまったが、前者2社は工場自体が閉鎖されており荷主企業の合理化の影響をまともに受けた格好だ。しかし、閉鎖された麒麟麦酒の跡地には、森 永製菓(株)が進出予定となっており、新たな食品メーカーの立地が新たな輸送需要を産み出す可能性があり、倉賀野駅にとっても朗報となる可能性は高い。駅 周辺 に限らず群馬県内には大手食品メーカーの工場が多く、その点は宇都宮(タ)駅と似たような傾向があると言えそうだ。


▼日本たばこ産業(株)高崎工場の鉄 道貨 物輸送  
 倉賀野駅は現在、専用線は全て廃止されてしまった(日本OTは側線)が、最後まで残っていた専用線が日本たばこ産業(株)(JT)高崎工場でコンテ ナ入線をしていた専用線であった。この専用線の廃止は2005(平17)年3月末の工場閉鎖によるものなので、やむを得ない理由ではあるが残念である。

1995.8倉賀野駅 JT高崎工場の専 用線

1995.8倉賀野駅 JT高崎工場の専 用線

1995.8倉賀野駅 JT高崎工場の専 用線

1995.8倉賀野駅 JT高崎工場の専 用線

▽JT高崎工場に到着するコンテナ輸送
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
コ ンテナ
目 撃・備考
友部
日本たばこ産業(株)
緩和刻
倉賀野専

19B、18D×2個
1998.8.6友部駅  複数あり
金沢
JTI
カードケース
倉賀野専
JTI
JRコンテナ
1998.3.23新町駅
佐土原
JT
タル
倉賀野側

18D
1998.3.23新町駅
 荷票上の着駅は「倉賀野専」や「倉賀野側」となっていたのが興味深いところである。また筆者はこのJT高崎工場発のコンテナ輸送を目撃できなかったが、 おそらく偶然だと思われる。


▼麒麟麦酒(株)高崎工場の鉄 道貨 物輸送  
 拙web「キリンホールディングス (株)」 に「麒麟麦酒(株) 高崎 工場」の項があり、工場の概要と鉄道貨物輸送について纏めているので、詳細はそちらに譲ることとする。

 麒麟麦酒(株)高崎工場は専用線を使った鉄道貨物(ワム80000形)によるビール輸送の廃止後も、ホキを利用した輸入麦芽輸送を継続したことから、専 用線 は大幅に縮小されたものの維持された。下記の写真からもホキ車の荷役用に2線だけ残された専用線の姿が分かるだろう。上 記の配線図と比べるとその規模の違いがよく分かる。

 この輸送は1998(平10)年2月まで残り、ビール会社のホキによる最後の麦芽輸送であった。そして高崎工場は2000(平12)年8月に操業を 停止し、この跡地には森永製菓(株)が工場を建設することとなっている。

1995.8倉賀野駅 麒麟麦酒(株)高崎工場の専用線

1995.8倉賀野駅 麒麟麦酒(株)高崎工場の専用線


▼日本ケロッグ(株)高崎 工場 の鉄道貨物輸送  
『高崎新 聞』2008年6月
「意外と知らない高崎の食品工業/県下最大の食品工業都市に」よ り抜粋

 日本ケロッグ高崎工場は1969(昭和44)年に操業を開始した。

 現在は東京港横浜港を海外との窓口として物流を行っているが、新潟港、北関東道全線 開通による茨城・常陸那珂港の利用も研究しているとのこと。 高崎か ら東京、横浜、新潟、那珂湊への時間はほぼ同じで、各港の航路や物流ノウハウが選択のカギになっているようだ。ケロッグでは、高崎が日本国内での唯一の生 産工場のため、緊急時には、アジアの各工場より日本に商品が供給されるような危機管理体制をシミュレーションしている。

 ケロッグが高崎に進出したのは物流効率の良さが大きな理由だった。1969年、アジア初の生産工場として、ケロッグの世界戦略に位置づけられた日本工場 である。首都圏近郊の候補地の中で高崎が選ばれた。ケロッグ高崎工場の佐藤真澄工場長は「群馬は日本の真ん中。当時は現在ほど交通網が発達していなかった が、高崎への進出は正しい選択をしたと考えている」と話す。シリアル食品(穀物加工品)の生産は70アイテムで 年間4,000万個、ビスケット類が12アイテムで1,700万個。物流拠点も工場横に立地し、午前中の受注は翌日には全国に届けられる

 高崎工場では商品の研究開発も行われ、ブランフレーク、玄米フレーク、チョコワはアメリカ本社主導ではなく高崎で生まれた商品だ。他にも、特保(特定保 健用食品)製品、ビスケットなど、日本人の嗜好にあわせた味、色、食感の研究も高崎で行われている。「アメリカの製品をそのまま持ってきても、日本ではま ず売れない」と佐藤工場長は苦笑。食物繊維とビタミンバランスの良いビスケット製品は、女性を中心にこれから伸びていく分野として力を入れている。

 4、5年ほど前から、お客様相談室も東京本社から高崎に移した。健康や安心・安全への関心が高まり、専門的な問い合わせが増えたのも理由の一つだが、何 よりも「お客様を待たせずに、品質管理の専門家がすぐに対応できる。お客様の声をすぐに改善に生かせる」と言うのが最大の理由だ。ケロッグのパッケージに は、全てお客様相談室のフリーダイアルと高崎工場の住所が印刷されている。


1996.8倉賀野駅
日本ケロッグ(株)高崎工場の専用線


2003.5倉賀野駅
専用線の踏切部分より手前部分の レールは撤去されていた

 2009年9月に訪問した際は、工場内の専用線のレールも完全に撤去されてしまったようであった。ただバラストは残り専用線の跡地は確認できた。
 この専用線は配線図によると棒線1本だけの単純なものであったようだが、原料の小麦などを搬入するために 活用されていたのであろうか。高崎工場は日本唯一の生産拠点とのことなので、全国各地への輸送に倉賀野駅からのコンテナ輸送を活用している可能性はありそ うだ。


▼サントリー フーズ(株)榛名工場の鉄道貨物輸送  
『JR貨 物ニュース』2006年4月1日号、1面
サントリーフーズ(株) 缶コーヒーを倉賀野で積み替え
金沢の出荷拠点向けを鉄道にシフト
倉 賀野駅上屋でコンテナに積み替える

 サントリーフーズ(株)(本社・東京、磯川進社長)は、サントリー鰍フ洋酒・ビール以外の食品事業の販売を担う企業として1972年に設立された。清涼 飲料 水のほか健康食品事業やウォーターサービス事業なども手掛け、常に新しい商品を展開している。

 サントリー(株)榛名工場(群馬県)ではサントリーフーズ鰍ェ販売する主力商品、缶コーヒー「BOSS」シリーズを製造している。清涼飲料水はアイテム 数が 多くボリュームも大きいので、国内各地の生産工場から消費地に向けての輸送が発生する。
 今年2月から始まった倉賀野駅発金沢(タ)着の鉄道コンテナ輸送も、そうした輸送の 1つ。
 榛名工場で生産された缶コーヒー「BOSS」を、北陸方面の得意先向け出荷拠点へ輸送するが、その全量を鉄道へモーダルシフトしたのだ。経緯をサント リーフーズ物流部の久保孝文部長に聞いた。
 今回のモーダルシフトは、サントリーフーズとJR貨物両社にとって都合の良いものであった。物資の流れには上り下りで荷量に偏りがあり、いかにその偏り を均すかというのが1つの課題。JR貨物も例外ではなく、首都圏〜金沢間は、上り便に対し下り便の荷確保が難しいのが現状だ。そこでJR貨物関東支社で は、金沢向け輸送をサントリーフーズに提案。条件面で合意に達し、輸送の運びとなった。
 「列車を1本仕立てようと思えば、トラックの方が運賃は安い。しかし今回のケースでは、JR貨物は金沢方面に送る荷を、当社は重量勝ちの製品を送るツー ルを確保できる。コスト面と環境面でメリットがあったし、双方のニーズも合致したということです」。
    ●
 「BOSS」は1パレットに110ケース積みで約800キロ、12ftコンテナに6パレットを積んで5トン近くになる。コンテナは1コンテナ単位の料金 設定で、コストを低く抑えられる。
 榛名工場では缶以外にも紙パックやペットボトルに入った製品を製造しているが、輸送はトラック。そうした製品は缶に比べて嵩高となるため、1コンテナに 満載しても5トンまでいかず、トンキロ単位で料金を設定するトラックの方が安いからだ。
 それでも、関東で製造して金沢向けに出荷する清涼飲料水は、生産拠点の配置上缶入り製品の方が多く、12ftコンテナで、月間50個の 発送がある。

一層のモーダルシフトには
 サントリーフーズは、サントリーと共同で製品を輸送するなど物流効率化を図っているが、独自でも輸送体制を整備。主力モードであるトラックは、増トン 車・トレーラーの導入を始め、8割方は大型化が進んでいる。長距離輸送に関しては船・鉄道を利用、「500km以上の長距離については、トンキロベースで 6割はモーダルシフトが済んでいる」という。
 サントリー並びに製造委託しているパッカー各社の工場は全国にあり、「全国的に鉄道をどんどん使いたい気持ちはあるが、遠隔地にはコストで勝る船 の利用が多い。他業種を含め他社とタッグを組んで、上下の荷量格差の調整等アレンジが可能であれば、船とコストが競合でき、鉄道にもっとシ フトできるのではないか」と久保部長は語った。


▼日本デルモンテ(株) 群馬 工場の鉄道貨物輸送  
『JR貨 物ニュース』2002年1月15日号、7面
鉄道便利ですか 日本デルモンテ(株) 環境考えて利用拡大

 キッコーマングループの日本デルモンテ(株)(本社・東京都中央区、安田敦社長)は、昨年秋、群馬工場始め長野、福島の3工場で鉄道コンテナの利用を拡 大し た。大阪の鳥飼物流センターに送る商品をトラック輸送から鉄道に転換したものだ。

グループ会社で物流を統括
 日本デルモンテ(株)はキッコーマン(株)が経営多角化の一環で設立した農産品加工食品メーカーだ。設立後間もなく米国デルモンテ社と技術提携して国内 屈指のト マト加工メーカーに成長した。その経緯からキッコーマングループの一員として、同社製品の販売はキッコーマンが担い、物流もキッコーマン東京本社の物流企 画課が統括している。

日本通運前橋倉庫
 日本デルモンテの自社5工場の1つ、群馬工場では、ケ チャップ、ソースをはじめとした多数のアイテムを生産している。そのため工場倉庫だけでは製品を保管し切れず、40km離れた前橋市にある日本通運椛O橋 支店の営業倉庫に移送し、保管・管理を同支店に委託。同支店では4倉庫(約3,600平方メートル)をデルモンテとキッコーマンの商品保管に充当して対応 している。
 日本通運前橋支店への出荷指示は、工場への出荷指示を取りまとめている東京と大阪のキッコーマン受注センターから入る。
 この時商品の納品期日や納品先・ロット数などの他、輸送モードやパレット使用の有無まで伝票で指示がある。これを受けて前橋支店ではピッキングリストを 作成し、リストに基づいて商品を出庫。全国各地のキッコーマンの地域デポや配送センターに供給したり、大型店舗の物流倉庫や食品問屋に直送している。

大阪向けを鉄道転換
 同倉庫から倉賀野駅へは20km。倉賀野駅の日本通運高崎支店がコンテナ集荷して駅に持ち込む。
 デルモンテ群馬工場がこのほどコンテナ利用を開始したのは、大阪の摂津市にある日本通運・鳥飼物流センターに納入する品物。着駅は大阪(タ)だ。
 鳥飼物流センター行きが鉄道コンテナに転換して以降、倉賀野駅か ら発送されるデルモンテ製品のコンテナ個数は、10月153個(前 年115個)、11月208個(同159個)と増えた。
 環境経営に積極的なキッコーマングループとして、流通段階のCO2排出抑制を目指したモーダルシフト推進である。
 そのため、日 本デルモンテ長野・福島両工場でも鳥飼物流センター向け製品輸送を鉄道コンテナに転換し始めていて、徐々に利用が拡大している。

出庫・積付け工夫
 納品形態は取引先によってパレット積みとバラ積みがある。日本通運前橋支店の黒須宏志営業課長は同社製品の取扱いについて、「製品にはなるべく手を触れ ず、入庫の状態を出庫までそのまま保つことと、食品は賞味期限があって日付管理が重要なため、出庫する時は入庫の早い順に間違い無く出荷できるよう留意し ている」。
 また荷崩れを防止する方法を「製品が潰れないように重量物は下から積む。パレット積みの時はストレッチフィルムを2〜5重に固く巻き、パレット間に少し 隙間が空くため、輸送中ずれないよう荷物をなるべく進行方向に寄せて積む」と説明した。
 さらに「積込み前にはコンテナの破損、内部の汚れなどがないか必ず確認してから積み込んでいる」と、食品を扱う者ならではの気配りも語った。
※上記記 事では、デルモンテ長野・福島両工場でも鉄道コンテナに転換し始めているとあるが、福島工場は閉鎖されることになった。ただその分、群馬工場や長野工場か ら鉄道輸送が増える可能性もありそうなので、必ずしもマイナスとは言え無さそうである。

日 本デルモンテ、福島など3工場閉鎖 生産拠点を集約
(『河北新報』2010年01月26日付)
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/01/20100126t72012.htm
 キッコーマンは25日、完全子会社の日本デルモンテ(東京)の福島工場(南相馬市)など国内3生産拠点を閉鎖すると発表した。デフレ下で食料品の価格競 争が激化するなど事業環境が厳しさを増しており、生産拠点を集約することで効率を高めるのが狙い。
 福島工場を2011年9月に閉鎖するほか、木島平分工場(長野県木島平村)を10年7月、日本デルモンテ子会社の東北デルモンテ(二戸市)を11年3月 に閉める。
 計約160人の従業員のうち、正社員と雇用期間が決まっていない契約社員は日本デルモンテの他の事業所への配置転換などで雇用確保を目指す。期間が決 まっている契約社員は、工場閉鎖以降は契約を更新しない。跡地は売却する方向だ。
 日本デルモンテは、トマトケチャップやパスタソースといった「デルモンテ」ブランドの製品を主に生産している。現在、国内に5カ所ある拠点をトマト調味 料中心の群馬工場(群 馬県沼田市)、飲料中心の長野工場(長 野県千曲市)の2カ所に再編。設備投資などに約50億円を投じる計 画で、年間約10億円の経費 の削減に寄与するという。
 キッコーマンによると、福島工場では88人が働いており、うち正社員は54人。正社員は群馬、長野工場に配置転換することも含め、これから協議してい く。残り34人は非正規雇用で、閉鎖時点で契約満了になる。
 日本デルモンテによると、東北デルモンテは1966年操業で、従業員34人を雇用している。工場閉鎖方針について、二戸市商工観光課は「情報収集を急 ぎ、対応を決めたい」と話している。


▼明治乳業(株)群馬工場の鉄 道貨 物輸送  
『JR貨物ニュース』2007年6月1日号、1面
明治乳業(株)群馬工場 「明治ブリックパック」等を鉄道で  倉 賀野駅から札幌(タ)へ
保 冷コンテナへ積込み(群馬工場で)

パレット積みで破損リスク減
 明治乳業(株)(本社・東京、浅野茂太郎社長)は、『明治おいしい牛乳』『明治ブルガリアヨーグルト』等乳製品を中心とした商品ラインナップを揃え、人 々の 健やかな生活を支えている。群馬工場ではブリックパック、アイスクリーム、液体調整栄養食品(流動食)等を製造しており、チルド日配品工場が多い同社の中 では特異な存在だが、売上高はナンバーワン。そこで、20年来続く群馬工場の鉄道利用について聞いた。

 明治乳業(株)群馬工場からは、北海道向け輸送に鉄道コンテナが使われている。ポーションクリームが1割ほどあるが、9割を占めるのは『明治ブリック パッ ク』の輸送だ。
 ブリックパックは、酸素や光から内容物を守るアルミ箔を使った包装材に無菌充填するため、常温で長期間保存できるのが特徴。乳飲料や緑茶、コーヒー飲料 など種類も多い。
 中村裕忠工場長は、「ほかに同様の品目を製造している北海道と京都の2工場に比べても製造量が多いため、当工場から全国の拠点へ製品を供給しています」 と説明する。
 いわゆるLL(ロングライフ)だが「賞味期限は4ヵ月。しかし出荷前の製品検査や輸送期間がありますし、納入鮮度基準もありますから、私たちに与えられ た時間はそれほど長くはない」と品質管理課の土屋祐嗣課長は話す。
 敷地内の自動洗浄機で洗ったパレットは、そのまま工場内へ運ばれケース入り製品を載せて自動倉庫へ。パレットごとにユニットラベルで情報を管理しており 販売店からも製造ロットを追跡可能だ。
 鉄道コンテナ出荷時には、パレット積載のまま搬出された製品にストレッチフィルムが巻かれ、12ft級コンテナ倉賀野駅から札幌(タ)へと送られる。
 品質管理課物流係の今泉貴博主任によると、北海道へは倉賀野駅からほぼ毎日コンテナ1個ずつ出荷していて、月間では40個に なる。1コンテナには11型を6パレット積む。
 ブリックパックは無菌充填であるがゆえ、雑菌が混入するリスクを最も避けなければならない。ケース破損の可能性をできる限り排除する必要があるのだ。
 そこでコンテナへの積込みも2年前からパレット積みとなった。以前はバラ積みされていたが、人の接触が増えれば増えるほど破損リスクが高まるからだ。も ちろん荷崩れも厳禁。「デリケートな商品」である。
 物流を元請けする東京牛乳運輸(株)伊勢崎営業所の小倉謙一郎所長は「やはり荷崩れがないように気を遣います。また、常温保存できる商品ではあります が、製 品の品質保持のため保冷コンテナで輸送してくれるように日本通運(株)に手配しています」という。

ルートごとに提案を
 明治乳業では「到着荷の状態もよく、輸送品質にも問題ない」と評価しながらも、「できるだけモーダルシフトしたいと考えているが、リードタイムと、コス ト的に優位性があるのかは疑問。倉賀野駅からは輸送日数がかかる」と話す。
 最後に中村工場長は「当社は鉄道を長く使っているゆえに、固定概念でリードタイムが長いと思い込んでいるところがあるかもしれない。群馬工場から、特に東海・関西地区向けに利用 を拡大していければと考えています。これからは環境問題だけでなく、トラック運転手の長時間労働も大きな課題。だからこそ鉄道を選択しやす い環境を整えて欲しいですね。物量の多い工場ですから、物流を見直せばメリットも出やすいでしょう。ルートや製品ごとにいろいろな提案をお願いしたい」と 要望した。


▼協同乳業(株) 新群 馬工場の鉄道貨物輸送  
 協同乳業は「メイトー」ブランドで知られる乳業メーカーである。2000(平成12)年10月に竣工した新群馬工場は群 馬県伊勢崎市北千木町1435にある。(同社webサ イトより)
リンク先を失念(既に消滅の可能性あり)してしまったが、
関東運輸局のweb上に
モーダルシフトの事例集が あり、
そこからダウンロードした
資料である。

*企業名 協同乳業
*輸送品目 ロングライフ飲料
*年間輸送量 370トン/年
*導入年月 2003(平成15)年2月

<コメント>
*協同乳業鰍ナは、日配品(チルド)が主体の輸送であるが、
発〜着までの時間がトラック便より1〜2日遅れてしまう鉄道
コンテナ輸送を行うにあたって、輸送可能な商品を検討し、
ロングライフ商品の輸送をコンテナ便で行うことにした。

*輸送コストが5%削減された。



▼群栄化学工業(株)群馬工場 の鉄 道貨物輸送  
 群栄化学工業はフェノール系樹脂と澱粉糖類の2本柱の事業を展開しているメーカーで、本社は高 崎市宿大類町700にある。澱粉糖類については、本州最北に位置するメーカーとして知られる。
 同社は、1946(昭和21)年に群馬栄養薬品鰍ニして設立、澱粉糖製造販売事業をスタートした。現在の澱粉糖類の拠点であり本社もある群馬工場は 1989(平成元)年に完成した。2005(平成17)年には食品第二工場(群馬工場)が完成した。(同社webサイトよ り)

◆糖化品生産で提携 −群栄化学と王子コンス− 関東圏の安定供給目指す  (『食 品化学新聞』2005年3月24日付、10面
 群栄化学工業(群馬県高崎市)と王子コーンスターチ(東京都中央区)は、主要製品である異性化糖・水あめ等の糖化製品の生産に関し4月1日より業務提携 に入ることに合意した。今回の提携は、昨年糖化品の大きなシェアを占めていた参松工業が倒産し、生産拠点のあった関東圏では需要期の夏場に玉不足が深刻化 し、出荷の延期等が発生したことから、それに対処し今夏の安定供給を目指したものである。また糖化製品は液状のシロップでユーザーの利用に便利な反面、品 質の劣化や多くの品種を一度に製造できなく、衛生管理や専用ローリー車の確保、輸送コストなどに課題があった。そのため関東の市原市(王子コンス)と高崎 市(群栄化学)に工場を持つ両社は、昨年の経験から、それぞれの生産・貯蔵・輸送能力を効率的に運用し、よりよい対応を可能とするため業務提携を行うこと にしたものである。

 提携の骨子は次のような内容からなっている。@交換生産や集中生産により経済的ロスを少なくする生産面で協力。Aそれぞれの客先で、物流メリットのある 商品はより近い生産拠点から供給する。B両社のタンク貯蔵能力を活かし、少量品種の在庫統合などによりタンクの稼動効率を上げ、在庫の運用面で協力する。 C品質管理面でも協力、品質向上させる。D副資材の調達に関しても協力し、コスト削減・安定操業を目指す。E販売面は両者の独自性を維持していく。
 両社は今後、ユーザーとの打ち合わせを通じ、従来以上の品質管理レベルの追求と安定供給の両立を目的に、関東圏における糖化製品のサプライチェーンシス テム確立を目指す。

 さて筆者は倉賀野駅において、液 糖ISOタンクコンテナを目撃した。これの荷主が群栄化学工業かどうかの確証は無いのだが、おそらく同社が荷 主と思われる。

2009.9倉賀野駅 JOTU671542_4 液糖 専用

2009.9倉賀野駅 東京(タ)からの返空であろう か?

▽群栄化学工業が荷主のコンテナ輸送
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
コ ンテナ
目 撃・備考
帯広  
ホクレン  
砂糖  
倉賀野  
群栄  
18D
1998.6.30倉賀野駅  


■倉賀野駅に発着する化 学メーカーの鉄道貨物輸送  
 専用線が多数接続していた倉賀野駅だが、化学メーカーの専用線は存在しなかった(関東電工鰍ヘ肥料メーカーである)。ところで倉賀野の貨物基地の主線 は、戦前に存在した「岩鼻軽便鉄道」という地方鉄道の線路跡を利用しているのだが、その鉄道の敷設目的としては陸軍省岩鼻火薬製造所の物資輸送で、貨物専 業であった。戦 後、同所の一部は日本化薬鰍フ工場となって現在に至っており、そういった意味では倉賀野駅と化学産業(火薬ではあるが…)の縁は意外と深いのではないかと いう気がしてくる。

 実際には2001(平成13)年12月にトップリフターが配備されて以降、化学メーカーのISOタンクコンテナ輸送が開始されたことで倉賀野駅と化学 メーカー の結び付きが強くなったと言えよう。そしてトップリフター配備前は地味なコンテナ輸送の印象が強かった倉賀野駅が、この化学薬品のISOタンクコンテナ輸 送の開始に よって一気に華やかになり、面白みが出てきたと思われる。


▼信越化学工業(株)群 馬事 業所の鉄道貨物輸送  
 信越化学工業の群馬事業所は、磯部工場(安中市磯部)や松井田工場(松井田町人見)などの工場で構成されている。磯部工場は特に信越本線磯部駅から専用 線を簡単に敷設できそうな立地なのだが、専用線は設置されなかったようである。
 1938(昭和13)年に磯部金属試験所(現群馬事業所)を設置、1992(平成4)年に松井田工場を設置し、同工場と磯部工場を統括する群馬事業所を 設置した。(同社webサイ トより)
 生産品目は、磯部工場が各種シリコーン、エポキシモールディングコンパウンド、酸化物単結晶、PBN、半導体シリコンなど、松井田工場は、シリコーン、 合成石英となっている。(同社webサイトよ り)

 さて2001(平成13)年12月の倉賀野駅にトップリフターが配備されると早速、倉賀野駅〜黒井駅で化学メーカーによるISOタンクコンテナ輸送が始 まったのだが、これがまさに信越化学工業が荷主の輸送である。倉賀野駅〜黒井駅間は南長岡駅経由で238.3qであり、中距離といったところだろう。一 方、同社群馬事業所の最寄ICである松井田妙義ICから上越高田ICまでは161.3qで事業所とIC間が多少離れているとはいえ、鉄道輸送はかなり遠回 りしていることにはなる。黒井駅と同社直江津工場は隣接しているが、倉賀野と同社群馬事業所は倉賀野〜磯部間の営業距離で22km程あるので、その程度の ドレージ輸送があったとしても、中距離輸送におけるISOタンクコンテナの鉄道貨物輸送を選択したというのは興味深いところである。

 拙webの「貨物取扱駅と荷主」の「黒井駅」 では、「黒井駅に発着する信越化学工業樺シ江 津工場が荷主の鉄道貨物輸送」の項を設けて纏めており、倉賀野〜黒井間のISOタンクコンテナによる鉄道貨物輸送についても言及している。具体的 には黒井→倉賀野ではトリクロロシランの輸送が行われ、それをメチル化したメチルトリクロロシランを倉賀野→黒井で輸送を行うという工場間輸送が行われて いることを指摘した。

 さて以下写真の通り、シロキサンやシリコーン溶液といった信越化学工業が荷主と思われるISOタンクコンテナが倉賀野駅構内には多数留置してあり同社が 同駅の主要荷主の一角を占めていることを印象付ける。輸送先が黒井以外に他にどういったところがあるのか今のところ不明なので、その解明が大きな課題であ る。

2009.9倉賀野駅 JOTU771010_8 シロ キサン(SX-4)専用

2009.9倉賀野駅 JOTU471078_4 シリ コーン溶液専用

2009.9倉賀野駅
UT16C-8009 メチルジクロロシラン(KA-12)専用 倉賀野駅〜黒井駅専用

2009.9倉賀野駅 このコンテナは日本OT北側にあ るコンテナ基地に留置
UT4C-162 トリメチルクロロシラン(KA-31)専用


▼東邦亜鉛(株)安中製 錬所 のタンク車及びISOタンクコンテナによる硫酸輸送 

1998.3安中駅
東邦亜鉛(株)安中製錬所の専用線 硫 酸用の荷役線


2009.9安中駅 既に硫酸用の荷役線は使われていな い
 東邦亜鉛といえば、宮下〜安中間の製錬所間を結ぶ亜鉛精鉱・亜鉛焼鉱列車「東邦号」があまりにも有名である。現在国内に残る唯一の車扱による化成品輸送 となっただけに注目される機会も増えているようだ。

 さて安中駅は、2008(平成20)年3月ダイヤ改正まで化学薬品列車発着の設定があり、タンク車によって硫酸輸送が行われていた。筆者調査による輸送 先は下記の通りだが、これらタンク車輸送廃止後はその一部はISOタンクコンテナによって鉄道貨物輸送の利用を継続している模様で、倉 賀野駅には「発煙硫酸」専用のISOタンクコンテナが置かれていた東邦亜鉛が荷主であるという確証までは得られていないのだ が、その可能性は極めて高いものと思われる。

  そこでここでは、東邦亜鉛(株)安中製錬所のタンク車によって行われていた硫酸輸送をまず纏めることにして、その後で倉賀野駅において目撃した「発煙硫 酸」専 用のISOタンクコンテナ輸送について考察することとする。

▽安中駅から発送される東邦亜鉛(株)が荷主のタンク車による硫酸輸送
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨 車
目 撃・備考
安中
東邦亜鉛(株)
濃硫酸及び
発煙硫酸
東新潟港
不明
タキ105782 日鉱金属(株)
1996.8.26焼島駅 返空を目撃
安中
東邦亜鉛(株)
発煙硫酸
中条
(株)クラレ
新潟事業所
タキ34040 伊藤忠商事(株)
タキ14096 東邦亜鉛(株)
タキ24098 伊藤忠商事(株)
1998.3.23安中駅 第三者使用方:東邦キャリア(株)
1999.4.1中条駅
2004.2.1熊谷(タ)駅 返空を目撃
安中
東邦亜鉛(株)
濃硫酸
羽前水沢
水澤化学工業(株)
水沢工場
タキ105770 三井物産(株)
タキ95775 カクタス化成(株)
2004.6.6酒田港駅 返空を目撃


1996.8焼島駅
タキ105782 日鉱金属(株)所有 返空:東新潟港→安中


1998.3安中駅 
タキ34040 伊藤忠商事(株) 発煙硫酸:安中→中条 クラレ側入


1999.4中条駅
(株)クラレ専用線 硫酸荷役線に停車 する東邦亜鉛のタキ


2004.2熊谷(タ)駅
安中駅に返空される伊藤忠商 事(株)所有のタキ24098など


2004.6酒田港駅
三井物産(株)所有のタキ105770とカクタス化成(株)所有のタキ95775


2004.6酒田港駅
空車:羽前水沢→安中


 さて上記の安中駅から発送される硫酸のタンク車輸送の表で明記したように、「発煙 硫酸」の輸送とはっきり分かっているのは中条のクラレ向けの輸送だけで あった。

 一方、下記写真の通り倉賀野駅で目撃した発煙硫酸のISOタンクコ ンテナと全く同じコンテナ番号のものを新潟(タ)駅で目撃をした。写真から明らかなように、このコンテナは1年弱の間 に表記などに変化が見られるが、同じコンテナ番号の同じコンテナである。そのため東邦亜鉛は、クラレ中条向けの発煙硫酸輸送については倉賀野〜新潟(タ) を鉄道によるISOタンクコンテナ輸送に転換、両末端輸送はトラック輸送という輸送形態に変わったと想像される。安中〜倉賀野間の営業キロは6.2km、 倉賀野〜新潟(タ)間は同231.6km、新潟(タ)〜中条間は同35.4qという輸送で、全体では273.2qなのでローリー輸送への全面転換が可能な 距離のようにも思われるが、関越トンネルは危険物車両は通行禁止であるし、鉄道貨物輸送が相対的に競争力を持つのだと考えられる。

2009.9倉賀野駅 NRSU191012_6 発煙 硫酸専用

2010.8新潟(タ)駅 NRSU1901012_6  発煙硫酸専用


▼倉賀野駅 に発着するその他の化学品輸送  
 倉賀野駅で目撃したISOタンクコンテナには荷主が不明なものもある。下記写真の「界面活性剤」や「メタノール」のISOタンクコンテナがそのような荷 主不明のコンテナである。おそらく倉賀野駅には到着していると思われるが、発荷主・着荷主とも気になるところである。

2009.9倉賀野駅
JOTU671246_7 界面活性剤専用  JOTU671347_9 界面活性剤専用

2009.9倉賀野駅
NRSU361038_6 メタノール専用
 「界面活性剤」専用のISOタンクコンテナについては、『MONTHLYかもつ』2005年11月号、p8〜9によると日触物流(株)姫路支店の輸送としてJOTU671463_9(界面活 性剤 専用)のコンテナが載っており、姫路貨物駅発送の(株)日本触媒の輸送の可能性がありそうだ。


■倉賀野駅に発着する電 機メーカーの鉄道貨物輸送  
 倉賀野駅の荷主には沖電気工業(株)や三菱電機(株)などの電機メーカーもある。また群馬県内の駅ではかつて新前橋駅には東芝電気器具(株)、群馬総社 駅には日新電 機(株)の専用線があった(両線とも1975年版専用線一覧表まで存在)。これらの企業が現在でも倉賀野駅から鉄道コンテナ輸送を行っているかも気になる とこ ろであ る。

▼(株)沖電気物流セン ター の鉄道貨物輸送  
『JR貨 物ニュース』2004年1月15日号、4面より抜粋
わが社の環境問題対応策 沖電気工業(株) 包装材削減考え て製 品開発

 「ネットワークソリューションの沖電気」を標榜する沖電気工業(株)は、03年10月、会社組織をネットワーク型カンパニー経営に一新した。金融ソ リュー ションカンパニーのATM(現金自動預払機)、システムソリューションカンパニーの空港チェックインシステムなど、同社製品には、大きさ・重量とも多岐に わたる各種機器を組み合わせたシステム機器が多い。システム機器の場合、納入時に取り付けまでを行うほか、全国各地の店舗に一斉取り付けを行うようなこと もしばしばあり、在庫の仕方も単体の製品とは少し異なる。こうした条件のもとで、物流を担当するグループ会社の渇ォ電気物流センターは、製品包装と輸送の 2側面から、環境負荷を低減する対策に取り組んでいる。

基幹定期便に鉄道利用
 輸送に関しては基幹定期便の設定から改革に着手した。運用車両を大型化して輸送効率を高めるために、埼玉や長野の工場で製造した品目を伊勢崎の北関東セ ンターに集め、基幹定期便で札幌・仙台・名古屋・大阪・広島・高松・博多の同社支所に送るようにしたのだ。
 その基幹定期便に、95年から鉄道コンテナを利用し始めた。倉賀野駅発で モーダルシフトしたのは、リードタイムの合う札幌広島高松博多行き。今年からは仙台行きも、越谷(タ)発で鉄道にシフトした。
 鉄道コンテナには裸方式のATMを積載したり、システム機器の各種品を積み合せたりしているが、渇ォ電気物流センター企画業務部の宮崎惇雄部長は「鉄道 コンテナは輸送中の振動がトラックに比べて少ない」と評価する。
 一方「トラックに比べラッシングベルトなどを固定できる付帯設備が少ない。トラックのようにラッシングバーが付いているとよいのだが」と注文した。様々 な製品の積み合せや小ロット輸送に対応できるコンテナがあれば、鉄道へのモーダルシフトに終着点はないようだ。
リンク先を失念(既に消滅の可能性あり)してしまったが、関東運輸局の web上にモーダルシフトの事例集があり、そこか らダウンロードした資料である。

企業名  沖電気工業(株)
物流事業者  (株)沖ロジスティクス
輸送品目  電子機器、通信機器、デバイス部品


克服した課題
・荷主要求に対する配送リードタイム(トラック輸送より約1日必要)
・荷主に対して、コストメリット・環境対策・安全性等を説明し、出荷指示の早期化を依頼、実施。

独自の工夫
・JRコンテナ内の製品固定方法を、JRと検討し安全対策(荷崩れ・転倒防止)を実施。
・広島地区拠点をJRコンテナの集配送に合わせて移動。

事業の副次的効果
・環境報告書にて情報開示することによる、企業イメージの向上。
・物流リードタイムの一定化(道路状況等による遅延の減少、計画的輸送効率向上)
・輸送コストが1.6%削減された。

<シフト事例>
*年間輸送量 387 トン/年
*導入年月   1995(平成7)年4月


<シフト事例>

*年間輸送量 467 トン/年
*導入年月   1995(平成7)年4月


<シフト事例>

*年間輸送量 284 トン/年
*導入年月 1995 (平成7)年4月


<シフト事例>

*年間輸送量  1,014トン/年
*導入年月 1995 (平成7)年4月



▼三菱 電機(株)群馬製作所の鉄道貨物輸送  
『MONTHLY かもつ』2007年10月号、p10より抜粋
第15回JR貨物ネットワーク 熊谷通運株式会社 熊谷支店

 熊谷通運(株)熊谷支店は熊谷(タ)と倉賀野駅で営業しており、
埼玉県北部から群馬県南部地区を営業エリアとして利用運送
事業を展開している。
 同社は、大型トラックと同等量積載できる31ftウイングコンテ
ナを5個製作し、三菱電機(株)の製品輸送を モーダ ルシフトした。
2006(平成18)年6月から倉 賀野駅−鳥栖(タ)間で月〜金曜
まで毎日1個発送している。


※三菱電機(株)群馬製作所のwebはこちら

※三菱電機(株)群馬製作所の所在地は、
群 馬県太田市岩松町800番地である。

※創立は1959(昭和34)年4月1日

※主要生産品目は電気温水器、大容量給湯システム

(『MONTHLYかもつ』2007年10月号、p11)


▼倉賀野駅における小糸工業 (株) の鉄道貨物輸送  
 小糸工業(株)は、鉄道車両用電気機器、車両用シート、航空機用シート、照明機器、交通システム機器などのメーカーで、(株)小糸製作所の自動車照明以 外の事業 を継承して発足した会社である。事業所は、本社・工場が横浜市戸塚区前田町、富士長泉工場が静岡県駿東郡長泉町南一色にそれぞれある。(同社webサイトより)

 倉賀野駅で下記のような小糸工業(株)(JR貨物倉賀野駅)と書かれたパレットのようなものを見かけたが、どのような輸送が行われているのか不明であ る。
2009.9 倉賀野駅



[1]原田 雅純「失われた鉄道、軌道を訪ねて〔36〕 岩鼻軽便鉄道」『鉄道ピクトリアル』第23巻第11号、通巻第285号、1973年
[2]『共同石油20年史』共同石油株式会社、1988年
[3]『百年史』日本セメント株式会社、1983年
[4]『昭和44年度 鉄道貨物輸送概況』日本国有鉄道貨物局
[5]『鉄道貨物輸送近代化の歩み』日本貨物鉄道株式会社、1993年
[6]『貨物鉄道百三十年史(中巻)』日本貨物鉄道株式会社、2007年
[7]中津川 亨「物資別共同着基地について」『鉄道ピクトリアル』第23巻第12号、通巻第287号、1973年
[8]「流通コスト削減のかなめ 油槽所の共同化」『石油文化』第44巻第7号、1996年
[9]『創業25年のあゆみ』神奈川臨海鉄道株式会社、1988年
[10]『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社、1999年
[11]『日本石油輸送の25年』日本石油輸送株式会社、1973年
[12]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』第24巻第11号、通巻第154号、1995年
[13]花上 嘉成「東武鉄道 貨物列車ものがたりB」『鉄道ファン』第44巻第7号、通巻第519号、2004年
[14]大河内 正造「八高線貨物列車情報」『レイル・マガジン9月号』第16巻第11号、通巻第192号、1999年、p107
[15]池田 岳人「さようなら八高線貨物列車」『レイル・マガジン12月号』第16巻第16号、通巻195号、1999年、p107
[16]倉吉 勲・二階堂 弥「9月16日、JR貨物運用改正概要」『レイル・マガジン12月号』第16巻第16号、通巻195号、1999年、p112
[17]『日本製粉社史 近代製粉120年の軌跡』日本製粉株式会社、2001年
[18]『京葉臨海鉄道20年史』京葉臨海鉄道株式会社、1983年
[19]『貨物鉄道百三十年史(下巻)』日本貨物鉄道株式会社、2007年
[20]『秩父セメント五十年史』秩父セメント株式会社、1974年
[21]楠居 利彦「私鉄の貨物列車 旅客・貨物の両営業を行なう全国13社の現況」『鉄道ダイヤ情報』第23巻第10号、通巻140号、1994年
[22]渡辺 一策『車を運ぶ貨車(上)』ネコ・パブリッシング、2006年
[23]宮脇 俊三・原田 勝正『JR・私鉄全線 各駅停車4 関東700駅』小学館、1993年
[24]「昭和40年代 写真で見る国鉄の貨物輸送。」『東京人』第24巻第3号、通巻第265号、2009年


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