■概要
設
立 |
1907
(明治40)年2月23日 |
本
社所在地 |
東
京都中央区新川2-10-1 |
資
本金 |
1,020
億4,579万円 |
売
上高 |
2
兆2,785億円(2009年12月期キリンホールディングス連結) |
営
業利益 |
1,284
億円(2009年12月期キリンホールディングス連結) |
従
業員数 |
35,120
人(2009.12.31現在 キリンホールディングス連
結) |
■麒麟麦酒株式会社
麒麟麦酒(株)の生産拠点は戦前は横浜工場、神崎工場(後の尼崎工場)、仙台工場、広島工場と富田製壜工場だけであったが、
高度
経済成長期に相次いで工場を新設した。1957(昭和32)の東京工場完成を皮切りに、1962(昭和37)年の名古屋工場完成、さらに昭和40年代には
高崎、福岡、京都、取手、岡山、滋賀と全国に工場を新設しており、昭和50年代以降も千歳工場や栃木工場、平成以降も北陸工場、神戸工場の新設をするなど
拡大指向は続いた。
その後、麒麟麦酒は生産体制の合理化を進めることになり、1998年から2000年末までに横浜、名古屋、神戸、福岡の4工場に集中投資し、4工場合わ
せた年間生産能力を
約130万キロリットルから170万キロリットルに引き上げ、また1998年8月に東京、広島の2工場、1999年秋に京都工場を閉鎖するなどして大型工場の稼
働率を上げることとした。(『日本経済新聞』1998年7月30日付11面)
さて以下では、麒麟麦酒全体のトピックスを纏めておく。
▼キリンビール 大瓶すべて21%軽く 製造・物流で省エネ省資源 (『日
経産業新聞』2003年6月5日付18面)
キリンビールはビール用の大瓶について全量を軽量瓶に切り替えたことを明らかにした。軽量瓶の重量は従来よりも21%軽い475グラムで、キリンは
1993年から切り替えに着手した。消費者や流通段階での取り扱いが楽になるのに加え、製造や物流における省エネルギー・省資源にもつながるとしている。
軽量瓶は表面にセラミックスの皮膜を形成して強度を高め、薄肉化している。擦り傷が従来よりもつきにくいうえ、リサイクルのしやすさも変わらないという。
93年から累計で三億五千八百七十七万本を投入し、今月から出荷する全量が軽量瓶に切り替わった。
キリンは小瓶についても99年から設計変更した軽量瓶を導入、2000年に切り替えを完了した。小瓶の販売量は2002年の本数ベースで大瓶の約5%。
中瓶は同約66%あるが、需要が感に急速にシフトしていることから、今後、軽量瓶を導入するかどうか慎重に検討するという。
キリン以外のアサヒビール、サッポロビール、サントリーは3社共通の瓶を使っている。3社ともこれまで軽量瓶の研究や試験導入に取り組んでいるが、本格
的な実用化には至っていない。
▼キリンビールが国内工場の燃料転換加速 (『日
本工業新聞』2004年1月20日付)
キリンビールは、国内生産拠点で使う燃料の転換を加速する。2006年までに約10億円を投じて、9拠点で使用する燃料を重油からバイオガスなどに切り
替える。生産拠点の二酸化炭素(CO2)排出量削減が目的。これにより、10年までに1990年比25%削減するとしていた目標を07年に前倒して達成す
る。すでに、神戸工場(兵庫県)など4拠点にバイオガス・コージェネレーション(熱電併給)設備を導入しエネルギー転換を完了。これに続いて今年6月まで
に横浜工場(神奈川県)、06年までに現在設備のリニューアル工事中の福岡工場(福岡県)で、それぞれバイオガスによる燃料供給に切り替える。
キリンビールはこれまでに、神戸工場のほか、横須賀(神奈川県)、名古屋(愛知県)、千歳(北海道)の各工場でエネルギー転換を完了した。この4工場で
は、嫌気処理タイプの排水処理設備で発生するメタンガスをコージェネ設備に供給し、エネルギーを効率的に利用するシステムを導入している。
また、取手工場(茨城県)では昨年4月に排水処理で発生するバイオガスを利用した燃料電池設備を稼働。工場で使用する電力の約4%と蒸気の約1%を燃料
電池でまかなっている。これらの取り組みにより、同社の国内生産拠点では02年実績で90年比11%の消費電力削減を実現した。
横浜、福岡の両工場にも、神戸などと同様の設備を導入する計画。福岡工場ではCO2排出量を90年比50%に抑えられる見込みだという。ただ、国内11
工場のうち栃木(栃木県)と北陸(石川県)の両工場は、今回の計画では重油からガスへ全面転換する予定はない。
同社はこれまで、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援を受けてきた。今後導入する設備についても同支援制度を活用していく方針だ。同
時に、クリーンエネルギーとして風力や太陽光発電設備の導入も検討するが、エネルギーの安定供給やコストの面から、バイオガスコジェネ設備が中心となる見
通しだ。
▼キリンとヤクルトが事業提携 健康・機能性食品などで相乗効果 (『FujiSankei
Business i.』2005年6月16日付)
キリンビール、キリンビバレッジとヤクルト本社の3社は15日、健康・機能性食品や飲料を中心とした国内の事業提携に合意したと発表した。商品開発や生
産、物流、販売で連携するほか、自動販売機の相互活用も強化する。
提携基盤強化のため、ビバレッジはヤクルト株の1.4%を、ヤクルトはキリンビール株の0.44%、ビバレッジ株の0.36%を保有し合う。取得額は双
方ともに50億円。
キリンビールなどによると、健康・機能性食品の2004年度の市場規模は約1兆8,000億円に達し、今後6年間で3兆円規模にまで拡大が見込まれる。
業務提携により、キリングループは健康・機能性食品分野の強化を図り、ヤクルトは販路の拡大を目指す。
キリンはグループの健康食品製造会社「キリン ウェルフーズ」でビール酵母などの健康食品事業を展開しており、主にドラッグストアや通信販売などの販路
を確保している。一方、ヤクルトは乳酸菌を中心とした高い素材開発力と地域販売会社ネットワークによる、ヤクルトレディの訪問販売という独自の販売ルート
を構築している強みを持つ。
ヤクルトとビバレッジは2003年7月に自動販売機による相互商品の販売提携をスタート。さらに、キリン ウェルフーズの一部の商品をヤクルトレディが
販売している。今月にはキリングループの小岩井乳業東京工場でヤクルトブランドの商品の生産を開始した。
健康食品・飲料分野で生産・物流面に共通する機能を相互活用し、競争力を高めるほか、今後は健康・機能性食品の開発で、両グループの研究技術やマーケ
ティングのノウハウを相互活用する。
記者会見したキリンビールの荒蒔康一郎社長は「乳酸菌など健康に関する商品開発がヤクルトの魅力。両グループがお互いの強みを出し合い、相乗効果を上げ
ていきたい。なるべく早い時期に、具体的な商品を消費者に届けたい」と強調した。
ヤクルトの堀澄也社長も「健康に関する幅広い商品開発をしたい」と話した。
▼サッポロとキリンの共同配送 サントリーも合流 (『FujiSankei
Business i.』2008年5月31日付)
北海道 アサヒ包囲網加速へ
サントリーは30日、サッポロビールとキリンビールが5月から北海道で始めた商品の共同配送に合流する方向で検討に入ったことを明らかにした。物流効率
化によるコスト圧縮と二酸化炭素(CO2)排出量の削減につなげる。すでに3社はアルミ缶の一部を共通化しており、業界2強の一角を担うキリンを軸に物
流・資材調達で3社連合の動きがさらに加速する可能性もある。単独路線を歩むアサヒビールへの包囲網にも発展しそうだ。
サントリーは、サッポロとキリンの共同配送事業について「一緒にそのうちやりたいと考えている。(担当部署が)話をしていると思う」(首脳)とし、2社
に合流する意向を示した。時期や共同化する配送ルートなど具体的な内容については言及しなかったが、今後、合流の方向で具体策を詰めていく見通しだ。
サッポロとキリンの共同配送は26日に開始。ビールメーカーが物流分野で協力するのは初めてで、ほかのメーカーも含めた道内での配送ルートの拡大や道外
への展開などに関心が集まっていた。
ビール各社は原材料価格の上昇が収益圧迫要因になっている。キリンが導入しているアルミ使用量を13%以上削減した缶ぶたを、サントリーも昨秋に採用を
決めた。サッポロも昨年11月に同一規格の缶ぶたを導入。3社は缶ぶたでの歩み寄りを機に、物流分野に協力を拡大しつつあり、3社連合を視野に入れた提携
拡大に進む可能性もある。
▼キリン「ギネス」獲得 サッポロ「エビス」で対抗 業務用黒ビール 覇権争い激化
(『Fuji
Sankei Business i.』2009年8月20日付)
業務用「黒ビール」をめぐり、キリンビールとサッポロビールのせめぎ合いが激化してきた。サッポロは1964年からアイルランド産の黒ビール「ギネス」
で飲食店向けの黒ビール市場で圧勝してきたが、今年6月にギネス製造元の英ディアジオが販売委託先をキリンに切り替えたため、キリンの飲食店向けの販売が
サッポロを上回った。キリンが営業力をテコにギネスの採用店数の拡大を狙う一方、サッポロも7月から新たなエビスブランドの黒ビールを発売、巻き返しを
図っている。
キリンは19日、缶タイプのギネスの取扱店を現状の1万6,500店から、年内に1.2倍の2万500店に引き上げる方針を明らかにした。飲食店にとっ
てメンテナンスが難しいたる詰ではなく、缶でも注いだときに簡単に細かい泡を立てられる装置「サージャー」を、飲食店向けに提供し、新規店の開拓を進め
る。
キリンはギネスの販売権を獲得した今年6月、ディアジオとの合弁会社「キリン・ディアジオ」を設立。この合弁会社が主体となって、黒ビールの取り扱いが
多い首都圏や近畿、名古屋のバーや洋風飲食店に狙いを絞った営業を進めている。
キリンは、従来も飲食店向けに、黒ビール「一番搾りスタウト」を販売してきたが、ギネスの販売権取得で「飲食店向けの黒ビールでサッポロ、アサヒビール
を上回る首位になった」(業界関係者)との見方がある。実際、ギネスの販売は「順調に売れ行きを伸ばしている」(キリンの佐藤章マーケティング部長)状況
といい、年内に31万ケース(1ケースは大瓶20本換算)の販売を計画している。将来は現在の2倍に当たる年60万ケースに引き上げ、「バドワイザー」並
みの販売数量を狙うという。
一方、サッポロは、年間20万ケースの販売があったギネスの販売権を失ったが、7月に飲食店専用の黒ビール「エビス スタウト クリーミートップ」を発
売し、キリン追撃に打って出た。
炭酸ガスの割合を通常のエビスビールの半分に抑えることでコクや口当たりの柔らかさを強調するなど「日本人好みの味覚を実現できた」と、福永勝社長は胸
を張る。サッポロは「エビス スタウト」についてまず年10万ケースの販売を狙っており、採用店舗を年内に1,000店まで増やす計画だ。飲食店の反応も
良好で、すでに約700店の採用が決まっているという。
▼キリン、家庭用ハイボール缶投入 消費刺激、サントリーに「挑戦」
(『Fuji
Sankei Business i.』2009年11月26日付)
キリンビールは25日、ウイスキーなどの蒸留酒を炭酸で割った「ハイボール」の缶商品「世界のハイボール」2種類を2010年2月10日から発売すると
発表した。
ハイボールはサントリーの「角ハイボール」が火付け役となり、飲食店などを中心に人気が高まっている。キリンは家庭用での需要も見込めると判断した。実
勢価格は350ミリリットル入り缶で148円前後の見込み。20〜50代の男女向けに売り込み、年間110万ケース(1ケース=250ミリリットル×24
本)の販売を目指す。
新商品は、ベース酒にくせの少ない海外の樽(たる)熟酒を使うことで、従来にない飲みやすさを実現したのが特徴。「樽熟ウイスキーソーダ」(アルコール
度数7%)は、米国産のバーボンにウオツカを配合してコクを引き出した。「樽熟シェリーソーダ」(同6%)は、スペインのシェリー酒にウオツカとなどを加
え、香りを高めたという。
ハイボールは、サントリーがテレビCMを中心にウイスキーの炭酸割「角ハイボール」の販促活動を展開したことで人気が急上昇。角ハイボールの取り扱い飲
食店数は6万店となり、前年から4倍になる見通し。サントリーはさらに今年10月、家庭用向けに「角ハイボール350ミリリットル缶」を発売。11月には
年内の販売目標を当初計画比1.8倍の25万ケース(同)に上方修正するヒット商品となった。
◇
ビール代替、市場拡大目指す
経営統合交渉を進めているキリンとサントリーが、「ハイボール」分野で激突するのは「互いに消費者を刺激続けないと、アルコール類の全市場が一段と縮小
する」(佐藤章・キリンマーケティング部長)との危機感からだ。国内アルコール飲料の総市場は、2008年までに7年連続で縮小。少子高齢化が影響してい
るためで、ビール類については14年連続でマイナスとなっている。
その中にあってハイボールなどのアルコール度数6%程度の低アルコール飲料は、飲みやすさから若者の支持を得て、唯一成長している。サントリーによる
と、09年の同市場は前年比5%増の1億400万ケース(1ケース=250ミリリットル×24本)と2年連続で伸びるという。10年も4%程度の成長を予
測する。しかし、若者のアルコール離れが進む中で、手をこまねいていればこの市場もマイナスとなりかねない。
このため、本来なら統合前に重複した商品の投入は避けたいところだが、キリンはサントリーにあえて“挑戦状”をつきつけ、市場の活性化を目指す。
キリンの販売目標は、ヒットの目安と言われる200万ケースを下回る控えめな設定だ。しかし「こうした挑戦でビール類の落ち込みを一定量カバーできる」
(佐藤部長)とみる。ビールに期待できないなか、新たな酒類を開拓する動きが広がりそうだ。(今井裕治)
▼「栃木」の低アルコール飲料 キリン、「取手」に設備移管 数十億円で 生産能力
を維持 (『日経産業新聞』2010年1月25日付16面)
キリンビールは栃木工場(栃木県高根沢町)の低アルコール飲料(RTD)の生産機能を2011年3月までに取手工場(茨城県取手市)に全面移管する。移
管費用は数十億円。ビール系飲料の市場縮小に対応して栃木工場は10月に閉鎖するが、低アルコール飲料は今後も需要が堅調に推移すると判断、生産機能を取
手工場に移管し、生産能力を維持する。
取手工場に移管するのは「氷結」「コーラショック」など主力商品の生産機能。現在の生産能力は年間11.5万キロリットルで、閉鎖する10月までに能力
を減らさず栃木工場から生産ラインをそのまま取手工場に移す。
設備移管は今年11月に着手する計画。果汁をタンクに移す設備のほか、果汁の調合設備、パッケージラインなどを11年1月までに栃木工場から取手工場に
移設、細かな調整作業を進めたうえで、11年3月から本格稼働させる。
キリンは現在、栃木工場のほか、岡山工場(岡山市、生産能力12万キロリットル)、キリンディスティラリー富士御殿場蒸留所(静岡県御殿場市、6.5万
キロリットル)の合わせて3カ所でRTDを生産している。取手工場への生産設備移管によりグループ全体で年産30万キロリットルと業界最大規模の生産能力
を維持する考え。
RTDは甘みを含んだ味わいが若者や女性から支持を集め、市場は拡大基調にある。10年のビール系飲料の出荷数量が過去最低を更新する見通しであるのに
対して、RTD市場は3%程度の成長が見込まれる。
キリンはトップ商品の「氷結」シリーズをテコに消費者から支持を獲得。08年は33.9%と業界首位となるシェアを確保し、10年以降もトップの地位を
維持する考え。このため数十億円の移管費用を負担、従来通りの生産能力を確保する。
輸送機関に関して、100km以上は鉄道輸送、50〜99kmは原則として鉄道輸送とするが、必要に応じて自動車輸送も可、
50km未満は自動車輸送と
定めた。鉄道と自動車の経済上の分岐点は35kmであったが、機動
性、確実性、注文ロットの選択などのサービス面を考慮すると自動車のメリットが鉄道より
大きいため、実際上の分岐点は70kmとされた。注文数量に関して
は、特約店の店入では、鉄道輸送の場合には15トン貨車単位、
自動車の場合は6トン以上のパレット単位とした。発注日に関しては、特約店の店入では、鉄道、地場(トラック)とも月間予定を前月末までに通知するよう要
請した。([1]p43-44)
麒麟麦酒(株)の輸送箱数を輸送機関別に見ると、1968年度の実績で地場(トラック)輸送74.3%に対して、鉄道輸送は24.0%、海上輸送が1.7%であった。鉄道
輸
送は繁忙期に貨車が確保できなかったり、貨車の到着日時がはっきりしないという難点があったが、ビール専用輸送列車の出現により解消さ
れた。国鉄の貨物輸
送近代化の3本柱の1つである物資別適合輸送の施策により、1966(昭和41)年1月、全国初のビール集約輸送列車が仙台工場を出発し、その後、名古屋・
福岡・高崎・広島の各工場からも夏の最盛期に集約列車がビールを積み出し、貨車事情
の悪かった昭和40年代の輸送力確保、輸送合理化に貢献した。
麒麟麦酒は早くから貨車のパレチゼーションを実施するとともに、その作業の円滑化をはかるため、工場の専用線、プラットフォーム、荷捌場の改良を行ってき
た
、従来のパワム型貨車(パレット積み有蓋15トン貨車)では、構造上手積み作業が残っていたため、高崎工場は国鉄と共同研究の結果、完全パレチ化のビー
ル専用貨車パワム80000形式改良型を開発した。この改良型は1969年7月以降高崎工場に常備され、翌1970年4月以降名古屋・広島・福岡の各工場にも常備された。([1]p45-46)
本州から北海道への鉄道輸送については、青函航路がネックとなった
うえに、雪害と遵法闘争の影響により慢性的な輸送力不足が続いてい
た。1973(昭和48)年4月には、仙台工場製のビールがビール輸送用の15トントレーラーに積み込まれ、苫小牧港に向けてフェリーで仙台港を出発し
た。大量のビー
ル
を短時間で輸送できるフェリーは、北海道への主力輸送機関となった。
([1]p46)
鉄道輸送には国鉄の合理化策や遵法闘争など種々の制約が強まり、工場新設に伴う輸
送距離の短縮や、運賃の改定によってトラック輸送の経済分岐点が伸びる
こと等の問題が出てきたが、同社は安定的輸送力確保の観点から政策的分岐点を設け、トラック・貨車併用の輸送体制をとった。([1]p46)
1972(昭和47)年度における輸送機関別の輸送箱数のシェアは、トラック輸送が76.9%、鉄道輸送が22.4%、海上輸送が0.7%であった。([1]p45)
ビール工場の新設に伴い各地に専属の輸送会社を設立した。1968年3月、京都には洛陽陸運株式会社、1970年6月、取手に取手運輸株式会社、
1972年3月、岡山に岡山麦酒運輸株式会社を設立したのである。尚、横浜にあった専属運送会社の天沼運輸と京浜麦酒運輸の両社は、横浜工場を中心とする
運輸配送などの合理化をはかる一環として、1971年12月1日付で合併し、天沼京浜運輸株式会社となった。1973年度における麒麟麦酒の総輸送量の
80%はトラックによるものであったが、そのうち80%を専属運送会社が輸送しており、同社の物流面で大きな役割を果たすに至った。([1]p46)
1980年代には品種が急増する中で麒麟麦酒(株)の物流費は増加し続け、1982(昭和57)年には680億円台と、物流コストは総人件費を上回る金額に達した。物流費増加の要因の1つと
して工場間転送の増加が
あった。同社は、全国を北海道、東北、関東、中京、関西、中国・四国、九州の7ブロックに分けてブロック内での需給を目指していたが、各ブロック内で需給
は完結できていなかった。特に名古屋工場の缶製造列は1列のみであったため、関東、関西ブロックから缶製品を輸送しなければ市場の充足が図れなかった。九
州地区では瓶、缶製造列が共に不足していたため、一時は東日本の工場から順に西日本の工場に製品を玉突きのように転送して最終的に福岡工場に届けられるな
ど工場間転送が頻繁に行われていた。さらに、主力商品の配送運賃と併せて、多品種化により特定の工場で集中的に生産される新商品などの少量品転送運賃が、
次第に比重を高めつつあった。([2]p156-157)
1983(昭和58)年2月、国鉄は貨物輸送を全面的に拠点間直行輸送に転換し、駅を半減するとともに、ヤード機能を全廃するという合理化計画を発表、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正時から実施することになった。ビールは典型的ヤード貨物であり、ことに麒麟麦酒(株)は国鉄最大の荷主の1つで
あった。従って国鉄の操車場から専用線を通じて原料・製品の入出荷を行っていた各
工場の物流は、この合理化計画の影響をまともに受けることとなった。([2]p158)
国鉄の計画発表を受けて同社は、国鉄問題対策委員会を設けて、
@代替輸送の確立、A原料輸送方法の変更、Bトラック出荷設備の増強、C極端な地域需給不均衡の是正及び少量品種製造体制の見直し、D自製新びん等製造体
制の見直し、E特約店受け入れ体制の整備等の対応策について検討を進めた。([2]p158)
その結果、貨車全廃という事態になってもトラックや船舶などの代替輸送で対応することはできるとの結論に達した。また運輸会社は協力体制を確立し
て同社
の要請に応えることにした。一方、専用線は仙台・高崎・岡山・広島の4工場が輸入モルトの輸送にのみ継続使用する(筆者註:仙台工場は製品輸送も継続)こととし、栃木・福岡・名古屋・横浜・取
出・滋賀・京都各工場の専用線は、1984年から1985(昭和60)年にかけて順次廃
止された。専用線廃止に伴うトラック輸送の切り替えによって物流費は上昇したものの、前日受注・当日配送等輸送サービス水準の向上、輸送時間の短縮や小
ロットへの対応といったメリットが生じた。([2]p158)
2001年現在、麒麟麦酒(株)は九州や北陸を始め全国の工場でも、TPOに応じて鉄道コンテナを利用しているが、今のところ、こうした鉄道利用は同社
の環
境報告
書のデータにカウントされていない。利用量が同社の総輸送量(1999年の製品輸送:837
万トン、対前年比1%増)の1%にも満たないためだ。同社で環境報告書の制作を担当している社会環境部の山村宣
之部長補佐は「報告書に全事業の環境負荷は網羅できません。例えば資材に関しても、1%弱のスチール缶については書けていません。しかし今後、スチール缶
やコンテナ輸送についても、環境負荷をきっちり把握できるなら、実態を説明するために、徐々に書いていきたいと思っています」と説明した。(『JR貨物
ニュース』2001年5月1日号、3面)
今後はどうなのか。全国に11工場を配置し地域内輸送で製品を供給する生産体制を整えているため、ビールの製品輸送で鉄道コンテナ利用シェアを拡
大する
のは「困難」と、麒麟麦酒兜ィ流本部の野上卓部長代理。「ビールはフレッシュさが重視される商品。オーダーを受けた日に
品揃えして翌日届けるサービス水準を落とすわけにはいかない」とい
う。だが同時に「モーダルシフトは常に課題として考えている」と強調。実際に、キリン物
流(株)の2001〜2003年度にかけての中期計画に「モーダルシフト推進」
が盛り込まれている。同社には製品輸送以外の輸送需要も多くあり、びん・缶輸送をはじめ「ファジーな条件」で構わない諸種の輸送には、鉄道を使えるのでは
ないかと可能性を示
唆。そうした提案があれば検討する、積極的だ。モーダルシフトは従来から課題としてきたが、今回の中期計画ではこれを環境対応策として捉えているところ
に新しさがある。「環境負荷の少ない輸送手段であることを、もっと前面に押し出してセールスしてもよいと思う」と野上氏は、JR貨物から鉄道利用の場合の
環境負荷等のデータ提供があれば、歓迎する意向を示した。(『JR貨物ニュース』2001年5月1日号、3面)
▼拠点間輸送に鉄道貨物を活用 キリンビール、第3のビール (株式会社トラフィックス
『物流トピックス』2005年12月20日)
キリンビールは製品の輸送手段を鉄道貨物や船舶に切り替えるモーダルシフトを拡大する。第3のビール「のどごし〈生〉」の拠点間輸送に鉄道貨物を活用す
る。岡山工場(岡山県瀬戸町)と仙
台工場(仙台市宮城野区)を結ぶ路線など新たに3ルートを整備し、運用を始めた。これにより鉄道貨物を使った拠点間輸送は全国で12ルート
となり、物流時にかかる二酸化炭素(CO2)排出量の削減につなげる。
キリンビールは工場に物流拠点としての機能を併せ持ち、実際の製品輸送は物流拠点を介さずに工場間で行っている。
現在、仙台工場−千歳工場(北海
道千歳市)間など9ルートで鉄道輸送を実施。1月から10月まで合計3,826基のコンテナを使用した。これを通常のトラック輸送と比べた
場合、約2,900トンのCO2排出削減効果が見込めるという。
▼鉄貨協がキリンビールに「エコレールマーク」認定証を贈呈 (『カー
ゴニュース』2010年3月16日付、第3877号)
鉄道貨物協会(御手洗富士夫会長)は12日、エコレールマークの取組企業として新規に認定したキリンビールに対し認定証を贈呈した。東京・神宮前のキリ
ンビール社内で行われた贈呈式には、国土交通省やJR貨物などの関係者も出席し、同協会の二森茂輔理事長からキリンの吉田泰訓SCM本部物流部長に認定証
が手渡された。
認定証を受け取ったキリンビールの吉田部長は「キリングループ全体でCO2削減に取り組む中で、物流部門としても鉄道の利用拡大をはじめ輸送モードを幅
広く活用していこうという方向が示されている。今後の取り組みに向けて社内を盛り上げるためにも、認定をいただいたことがよいきっかけになると思う。
かつて国鉄の時代には、200キロメートル以上は貨車で輸送することにしていたため、国鉄の取扱貨物の1%をキリンが占めていた時代があった。その後、だんだんと利
用が少なくなってきたが、ここでもう一度、気を引き締めてやっていこうと思っており、JR貨物さんや通運さんと一緒に勉強していきたい。単にA地点からB
地点までの輸送があるから鉄道を使おうということではなく、販売、生産と連携したSCM全体の中で、鉄道による輸送をつくりだしていきたい」と述べた。
キリンビールの輸送全体に占める鉄道コンテナの比率は1%となっており、500キロメートル以上の長距離では9%程度となっている。今後は長距離分野での比率を25%から30%まで引き上げていくほか、キリンビバレッジや協和発酵キリンなどのグループ会社と連携して往復利用の
拡大にも取り組んでいく。
▼ビール各社 鉄道シフト加速 キリン、空きコンテナ活用 環境配慮や収益力強化
(『日
本経済新聞』2010年5月19日付13面)
ビールメーカー大手が輸送を主力のトラックから鉄道に切り替えるモーダルシフトを強化する。キリンビールは日本貨物鉄道(JR貨物)と組み、空いている
コンテナを全国で利用。サッポロビールも今年から大型コンテナを活用し、サントリーホールディングスも導入地域を広げている。二酸化炭素(CO2)排出量
の削減に有効なモーダルシフトを拡大し、コスト低減による収益力の向上にもつなげる。
キリンは500キロメートル超の長距離でモーダルシフトを導入す
る。JR貨物が顧客の荷物を運んだ後、空いているコンテナなどを有効利用す
る。両社は共同で専門チームを設立済みで、コンテナの利用状況とキリ
ンが3カ月単位で策定する配送計画を突き合わせ、空きコンテナを活用する。
キリンはこれまで拠点間の物流の大半をトラック輸送に依存してきており、鉄道を軸としたモーダルシフトの本格導入は初めて。第1弾として国内11工場と
商品の中継基地との物流を対象にする計画で、取扱量の大きいビールの「ラガー」や缶酎ハイの「氷結」などの商品から始める。トラックに比べCO2の排出量
を7分の1程度に圧縮できるうえ、物流費も10%程度削減できるという。
昭和30年代前半まで、麒麟麦酒では必要とする麦芽の大半は契約栽培によって調達した国内産ビール大麦を原料として自家製造してきた。しかし30
年代後
半以降、政府の奨励にもかかわらず、国内産ビール大麦の生産は、ビール製造の増加に見合うほどには増加せず、40年代後半には必要量の20%を割るに至っ
た。ビール大麦・麦芽に関する国の基本的な政策は、国内農業保護の立場から、国内産ビール大麦の使用を優先し、不足すれば外国産ビール大麦・麦芽の輸入を
認める、というものであった。([1]p67)
1970(昭和45)年、大凶作で国内産大麦の買い入れ量が予定を大きく下回ったビール業界では、不足分を輸入大麦の払い下げでなく、外国産麦芽
の輸入
で補うことを希望し、実現をみた。輸入麦芽はオーストラリア・北米・ヨーロッパの3大陸から調達した。輸入量は1966(昭和41)年の約3万3,000
トンから年々増加し、1973(昭和48)年には約21万1,000トンへと6.4倍に増大した。([1]p67-68)
1972(昭和47)年6月に、輸入麦芽を大量に効率よく受け入れるために、尼崎・名古屋両工場に海上コンテナによる麦芽のバルク輸送受け入れ設備を
導入、同年12月には、取出工場にバラ積み専用貨車による麦芽受け入れ設備を
導入し、逐次他の工場にも設置した。この麦芽大量輸送シ
ステムの一環として、1973(昭和48)年春、横浜港と神戸港に船から陸揚げした麦芽を一時保管する、麒麟麦酒専用の麦芽サイロを建設した。([1]
p68-69)
国産ビール大麦については、1969(昭和44)年ころから農村の過疎化等で生産は著しく低下(1976年の買入れ数量は1967年の約26%)した
が、1972年に世界を襲った異常気象を契機に政府は自給率の向上を目指し、麦類作付けを奨励した。この施策によって1978(昭和53)年から麦類の生
産量は急増し、生産者団体からはビール大麦についても契約数量の増大を強く要請された。しかし、1978年当時、輸入麦芽はトン当り7.5万円であるのに
対し、国産ビール大麦から麦芽にする場合はトン当り28万円と4倍の価格であった。ビール各社は買い付け数量増による国内産麦芽原料費の高騰を避けるた
め、生産者団体と粘り強い交渉を続け、1982(昭和57)年からビール業界で自主的に麦芽製造能力を調整できるようになった。([2]p155)
これを機に麒麟麦酒は、大麦の生産地に遠く、また小規模・老朽設備でコスト高になっている製麦工場の見直しを行い、大麦・麦芽の輸送、製麦方法を
含めた
低コスト・高効率の製造工場を展開するため、1983(昭和58)年10月の常務会で第1次製麦再編成の実施を決定した。1985(昭和60)年3月か
ら、尼崎、名古屋の製麦工場を廃止、広島工場も製麦2列のうち1列を閉鎖した。一方、産地に隣接している福
岡工場では、1985年12月に製麦設備を増強して製造能力を4倍の1日当り120トンとした。同社としては、製麦設備の増設は20年ぶりのことであっ
た。1987(昭和62)年3月からは第2次製麦再編成にとりかかり、京
都・横浜・広島工場の製麦は順次閉鎖され、1995(平成7)年には福岡・高崎の2工場体制となった。([2]p155-156)
麒麟麦酒の輸入麦芽使用比率は1983年当時は約79%であったが、国内産
ビール大麦の減少に伴い、1997(平成9)年には約86%まで増加した。コスト
削減のために、調達コストの約30%を占めていた輸入物流費の削減が求められたが、それにはグローバルな視点からの見直しが必要であった。従来国内主要港
で荷揚げし、トラックで長距離輸送していたが、アジアのハブ港で積み替え、近海船で工場の最寄りの港に荷揚げ
する方法を採ることによって大きなコストダウンが期待された。そこで、まず1993(平成5)年の北陸工場開設時に、北米(主にカナダ)・ヨーロッパ・
オーストラリア産麦芽を韓国の釜山港経由で金沢港揚げとし、1995年までにオーストラリア産麦芽のシンガポール経由、広島港・博多港での荷揚げを
実施した。([2]p161-162)
さて鉄道輸送的な観点から麒麟麦酒のビール主原料を考えると、同社所有のホキ車による輸入麦芽輸送をまずは取り上げるべきであろう。前述した1972年
12月の取手工場にホキ車用の荷役設備を導入し、その後他工場にも設置したとあるが、その発送拠点は山下埠頭駅(後に本牧操駅→横浜本牧駅)と湊川駅(後
に神戸港駅)であった。
「1975年版専用線一覧表」及び「1983年版専用線一覧表」によると、山下埠頭駅の乾倉庫(株)、鈴江組倉庫(株)、極洋冷蔵(株)の専用線(共用)の第三者利用者(真荷主)に麒麟麦酒(株)があ
り、また
同様に湊川駅の三菱倉庫(株)神戸支店の専用鉄道の第三者利用者(真荷主)に麒麟麦酒(株)が載っている。
さて、まずは山下埠頭
及び本牧からの鉄道輸送を纏める。
高島駅〜山下埠頭駅間の貨物運輸営業は、1986(昭和61)年10月31日限りで廃止されたが、(株)キョクレイ(旧、極洋冷蔵)の専
用線
からのキリンビールの麦芽輸送については、異例特例貨物として、本牧操駅にその積込設備が建設されるまでの期間、継続輸送が行われたため、神奈川臨海鉄道
鰍ヘこの業務委託を臨時措置として1987(昭和62)年2月28日まで継続して受託した。([3]p32)
本牧操駅の麦芽積込施設
([3]巻頭写真)
▼神奈川臨海鉄道(株)本牧地区の麦芽輸送の推移 ([4]
p92、[5]p85より筆者作成)
年
度 |
1987 |
1988 |
1989 |
1990 |
1991 |
1992 |
1993 |
1994 |
1995 |
1996 |
1997 |
食
料工業品(麦芽) |
32千t |
43千t |
36千t |
39千t |
30千t |
28千t |
20千t |
18千t |
19千t |
16千t |
11千 |
神奈川臨海鉄道は本牧操駅から麒麟麦酒の麦芽輸送を行うため、同駅18番線を神奈川臨海通運鰍フ専用線として1987年2月16日承認した。
([3]p35)
1987年4月6日、本牧操駅に(株)キョクレイの麦芽積込設備が竣工し(写真)、直ちに輸送を開始した。倉賀野及び仙台西港の麒麟麦酒
あて年間3万2,000トンの輸送が見込まれた。([3]p41)
設備の形状からすると、上述の横浜港の麒麟麦酒専用の麦芽サイロからトラックで麦芽をこのキョクレイの荷役設備に運び込み、ホッパ貨車に積み替えるとい
う輸送形態だったと思われ
る。
またこの荷役設備はキョクレイ所有だったようだが、1991年度の神奈川臨海鉄道の荷主として麦芽:三菱倉庫(株)があり([8]p52)、荷主と麦芽積
込設
備は別であったようだ。
「私有貨車番号表(1985年9月30日現在)」によると、山下埠頭駅常備の麒麟麦酒所有のホキ9800形は26両存在し、また入江駅常備も2両存在し
た。
ホキ9800形は1987年度に15両が廃車になり総数40両となり、1995年度には16両が廃車になり、総数は24両となった。([6]p346-
347)
仙台西港行きが廃止になった際に15両が廃車、倉賀野行きの輸送量が減少した際に16両が廃車、そして1998(平成10)年2月中旬頃から残りの24
両が麦芽輸送の海上コンテナへの切り替えのため廃車となり、ホキは横浜本牧駅構内で解体された。また荷
役設備はホキより早い1998年2月上旬に解体され、ホキによる麦芽輸送は終了した。([7]p55)
また倉賀野駅の麒麟麦酒専用線もこの麦芽輸送終焉と同時に廃止されたと思
われる。
次に神戸港からの鉄道
輸送である。
「私有貨車番号表(1979年3月31日現在)」によると、湊川駅常備の麒麟麦酒所有のホキ9800形は23両存在し、また尼崎駅常備も2両存在した。
上述したように、1984年2月のダイヤ改正によるヤード系輸送廃止後も岡山・広島の両工場は輸入モルト輸送用に専用線が残されたが、これらは湊川駅か
らホキ車によって到着していたと思われる。
湊川駅は1985年3月14日に廃止されたが、同駅は神戸港駅の構外側線として継続していたようである。尚、「私有貨車番号表(1985年9月30日現
在)」によると、神戸港駅常備の麒麟麦酒所有のホキ9800形は27両存在した。尼崎駅常備は消滅。
そして湊川駅廃止後も三菱倉庫(株)高浜岸壁発送のホキ9800による輸入麦芽専用列車が1日1往復が残ったのだが、1986年10月17日に同輸送は廃止さ
れた。([9]p114)
同時に岡山と広島の各工場の専用線も廃止されたと思われる。
◆千歳工場 ▲
▼年表 (麒麟麦
酒webサイトより作成)
年
月 |
事
項 |
1975(昭和50)年5月 |
千歳工場(清涼飲料水工場)完成 |
1986(昭和61)年5月 | 千歳工場(ビール工場)完成 年間5万キロリットルの小規模多品種工場を建設した([2]p154) |
千歳工場は千歳線の長都駅の近隣に位置している。北海道に麒麟麦酒のビール工場が完成したのは1986年と比較的近年で、それまでは仙台工場で製
造したビールを車扱や仙台港からのフェリーで輸送していた。現在、道内のビール輸送に鉄道コンテナが活用されているかどうかは不明である。しかし本州から
のビール輸送に鉄道コンテナが活用されている。(上記、全体の輸送状況参照)
また後述するキリンビバレッジ(株)の輸送では、工場倉庫から各地の物流センターへの商品輸送に鉄道コンテナ輸送を活用しており、例えば湘南工場は
1998
年に相模貨物駅から約3,650個のコンテナを発送したが、その内訳の1つに札幌(タ)駅着でキリンビール(株)千歳工場向けが1,400
個と
いうものがある。 (『運輸タイムズ』
1999年4月19日付) (※鈴木康弘氏の運営するwebサイト「日本の鉄道貨物輸送」を参照させ
て戴きました)
◆仙台工場 ▲
1998.5仙台西港駅 麒麟麦酒(株)仙台工場専用線
▼年表 (麒麟麦
酒webサイト及び社史より作成)
年
月 |
事
項 |
1919(大正08)年 |
東北振興のさきがけとして東洋醸造(株)設立([1]p220) |
1921(大正10)年 |
東洋醸造(株)により工場が建設([1]p220-221) |
1923(大正12)年5月 |
東洋醸造(株)との買収契約成立、仙台工場(仙台市小田原地区)発足 |
昭和30年代後半 |
設備の大更新工事実施([1]p221) |
1966(昭和41)年1月 |
全国初のビール集約輸送列車が仙台工場を出発([1]p45) |
1971(昭和46)年 |
第三次増設工事実施([1]p221) |
1973(昭和48)年4月 |
仙台工場製のビールを積載15トントレーラーで仙台港から苫小牧港へ
フェ
リー輸送開始([1]p46) |
1983(昭和58)年2月 |
製麦工場の終了式実施、新工場に製麦設備は設置されず([1]
p223) |
1983(昭和58)年3月 |
仙台港に仙台新工場移転完成、年間製造能力は24万キロリットル
([1]p221) |
1983(昭和58)年4月 |
仙台臨海鉄道(株)は仙台港〜仙台西港の仙台西港線を開業 |
1989(平成元)年6月 |
弘前及び東青森向けのビールを18Dコンテナ投入によりコンテナ化
([10]p103) |
1992(平成04)年3月 |
仙台西港発のビール輸送を全てコンテナ化([11]p7) |
▼キリンビール 仙台工場を増強 30億円投資し来春稼働
(『河北新報』2000年2月16日付、9面)
キリンビール(本社東京)は、仙台市宮城野区港の仙台工場のビール製造ラインを増強することになり、3月にも着手する。缶と樽用の2ライ
ンを加え、出荷アイテムを増やす計画。来春稼働を目指す。設備投資額は約30億円。
仙台工場では現在、瓶、業務用樽が各1ライン、缶が2ラインそれぞれ稼働し、年間24万キロリットルの製造能力を持つ。「ラガー」や「一番搾り」など主
要ビール5銘柄のほか、3月下旬に市場投入する麦芽100%の新製品「オールモルトビール素材厳選」の製造にも入っている。
今回のライン増強は、高崎工場(群馬県高崎市)が今夏以降に閉鎖されるのに伴い、同工場の製造ラインが栃木工場(栃木県高根沢町)と仙台工場に振り分け
られるため。主要部分は栃木工場に移管されるが、缶の1リットルと、樽の2リットル、3リットルの製造ラインが仙台工場に移る。仙台工場では、休止中の瓶
用ラインを樽用に振り替えて復活させるほか、現在の缶ラインに1リットル用缶の機能を付加する。
▼第三のビール醸造能力増強 キリン仙台工場 (『河
北新報』2007年02月14日付)
キリンビール仙台工場(仙台市)は、大豆タンパクを原料とする第三のビール「のどごし生」の醸造能力を増強するため、仕込み工程にタンパク分解釜を新設
した。
のどごし生は、大豆タンパクから大豆ペプチドとアミノ酸を生成し、糖を加えて加熱する独自技術「ブラウニング製法」を採用している。仙台工場では従来、
タンパク分解と、糖を加えて煮沸する2つの工程を「ブラウニングタンク」と呼ばれる1つの釜で行っていた。
タンパク分解の釜を独立させることで、1回目の仕込み液を分解釜からブラウニングタンクに移動させ、空いたタンパク分解釜で2回目の仕込みが開始でき
る。この結果、1日の仕込み回数が増え、仕込み能力が50%アップした。
総工費は約9,000万円。仙台工場は「生産性を向上させ、東北エリアへの商品の安定的な供給を図りたい」としている。
2007.5仙台西港駅 麒麟麦酒(株)仙台工場専用線
<仙台工場の鉄道貨物輸送 仙台臨海鉄道(株)仙台西港駅>
仙台工場の仙台港地区への移転に合わせて仙台臨海鉄道が仙台港〜仙台西港の仙台西港線を建設、1983(昭和58)年4月1日に開業し麒麟麦酒の鉄道輸
送を開始した。
1980(昭和55)年11月に麒麟麦酒から仙台臨海鉄道に提示された品目別輸送量の見込みは、発送がビール192千トン、到着が空壜90千トン、ビー
ル(清涼飲料)
64千トン、原料36千トン、到着計190千トン、発着計382千トンであった。([10]p45)
また1983年の開業時における麒麟麦酒(株)からの輸送申し込みは、発203千トン、着125千トン、計328千トンであった。([10]p50)
1983年度のビールの発送は124千トンで主な仕向地は、青森・秋田・岩手の3県及び北海道で
あり、他に最需要期には新潟・関東・名古屋・大阪地区への応援出荷という形態で、着駅総数は
約60駅に及んだ。ところが、開業早々の1984(昭和59)年2月のダイヤ改正により
北海道ルートが断たれたほ
か、貨物駅集約と輸送ルートの縮減により、
岩手県全域・秋田県南部・新潟地区及び関東以西宛のルートが無くなり、現在(筆者註、1990年頃)は八戸貨物・三
沢・ 東青森・弘前・大館・東能代・秋田貨物の7駅に限定されるに至っている。
([10]p102)
この輸送ルート縮減による輸送量への影響は、ビールの発送(ルート廃止及び駅集約)では26千トン減、空壜の到着(ルート廃止及び駅集約)では15千ト
ン減で、計41千トンに及ぶ。([10]p98)
廃止された輸送先の1つとして釜石駅がある。1986年頃の輸送として、「仙台へ空ビンを輸送」とあるので当然ビールも到着していたと思われる。但し、
上述の1984年2月ダイヤ改正で岩手全域宛のルートが無くなりとあるので、それ以前の輸送の可能性もあるが。([12]p116)
このように、鉄道輸送量は年々減少していたが、1989(平成元)年6月から18D型コンテナ投入により弘前及び東青森宛のビールをコンテナ化し増送に
努めた結果、同
年度は78千トンの実績をあげ開業以来の下降線を食い止めた。([10]p103)
▼仙台西港駅発キリンビール発送トン数(単位:トン) ([10]p104)
年
度 |
東
青
森 |
三
沢 |
八 戸 貨物 | 弘
前 |
大
館 |
東
能
代 |
秋
田
貨物 |
他 |
計 |
1983(昭
和58)年度 |
14,002 |
105 |
12,086 |
7,260 |
3,720 |
4,125 |
11,235 |
71,625 |
124,158 |
1984(昭
和59)年度 |
15,303 |
555 |
15,303 |
17,835 |
8,670 |
4,755 |
18,245 |
17,694 |
98,360 |
1985(昭
和60)年度 |
15,261 |
435 |
16,385 |
19,890 |
9,764 |
5,340 |
18,915 |
11,142 |
97,132 |
1986(昭
和61)年度 |
14,835 |
570 |
16,131 |
19,050 |
9,000 |
5,025 |
18,153 |
4,365 |
87,129 |
1987(昭
和62)年度 |
14,028 |
945 |
16,323 |
18,390 |
8,460 |
5,115 |
17,854 |
75 |
81,190 |
1988(昭
和63)年度 |
13,239 |
1,005 |
16,200 |
15,158 |
6,870 |
4,365 |
16,296 |
45 |
73,178 |
1989(平
成元)年度 |
14,987 (3,535) |
1,200 |
15,613 |
17,575 (12,655) |
7,920 |
4,590 |
16,380 |
45 |
78,310 (16,290) |
発
送 |
到
着 |
発
着 |
|||||||||||
年 度 |
金属機器 工業品
|
化学 工業品 |
食品 工業品 |
その他 等 |
コンテナ |
小
計 |
農産品 |
化学 工業品 |
食品 工業品 |
その他 等 |
コンテナ |
小
計 |
合
計 |
1983
(昭和58)年度 |
1,668 |
15,836 |
124,263 |
413 |
− |
142,180 |
2,115 |
72,640 |
35,037 |
1,480 |
− |
111,272 |
253,452 |
1984
(昭和59)年度 |
1,244 |
264 |
98,363 |
638 |
− |
100,509 |
2,323 |
58,803 |
22,323 |
153 |
− |
83,602 |
184,111 |
1985
(昭和60)年度 |
1,296 |
− |
97,387 |
220 |
− |
98,903 |
2,190 |
61,977 |
15,495 |
22 |
− |
79,684 |
178,587 |
1986
(昭和61)年度 |
1,564 |
− |
87,129 |
77 |
− |
88,770 |
750 |
53,423 |
15,645 |
26 |
− |
69,844 |
158,614 |
1987
(昭和62)年度 |
− |
− |
81,175 |
1,797 |
− |
82,972 |
− |
46,926 |
12,750 |
− |
− |
59,676 |
142,648 |
1988
(昭和63)年度 |
3,380 |
− |
73,178 |
− |
− |
76,558 |
− |
40,766 |
25,350 |
− |
− |
66,116 |
142,674 |
1989
(平成元)年度 |
2,972 |
− |
62,020 |
− |
16,290 |
81,282 |
− |
35,024 |
22,545 |
− |
8,540 |
66,109 |
147,391 |
1990
(平成02)年度 |
− |
− |
52,468 |
2,844 |
33,020 |
88,332 |
− |
− |
21,330 |
29,941 |
11,895 |
63,166 |
151,498 |
1991
(平成03)年度 |
1,532 |
− |
53,008 |
− |
39,420 |
93,960 |
− |
26,213 |
11,490 |
− |
17,620 |
55,323 |
149,283 |
1992
(平成04)年度 |
720 |
− |
− |
− |
79,010 |
79,730 |
− |
− |
5,400 |
− |
45,250 |
50,650 |
130,380 |
1993
(平成05)年度 |
− |
− |
− |
− |
83,630 |
83,630 |
− |
− |
− |
− |
48,810 |
48,810 |
132,440 |
1994
(平成06)年度 |
− |
− |
− |
− |
90,917 |
90,917 |
− |
− |
− |
− |
50,335 |
50,335 |
141,252 |
1995
(平成07)年度 |
− |
− |
− |
− |
86,123 |
86,123 |
− |
− |
− |
− |
46,940 |
46,940 |
133,063 |
1996
(平成08)年度 |
− |
− |
− |
− |
86,797 |
86,797 |
− |
− |
− |
− |
45,600 |
45,600 |
132,397 |
1997
(平成09)年度 |
− |
− |
− |
− |
77,002 |
77,002 |
− |
− |
− |
− |
40,883 |
40,883 |
117,885 |
1998
(平成10)年度 |
− |
− |
− |
− |
71,285 |
71,285 |
− |
− |
− |
− |
37,628 |
37,628 |
108,913 |
1999
(平成11)年度 |
− |
− |
− |
− |
64,247 |
64,247 |
− |
− |
− |
− |
36,930 |
36,930 |
101,177 |
2000
(平成12)年度 |
− |
− |
− |
− |
57,096 |
57,096 |
− |
− |
− |
− |
35,781 |
35,781 |
92,877 |
2001
(平成13)年度 |
− |
− |
− |
− |
55,014 |
55,014 |
− |
− |
− |
− |
28,730 |
28,730 |
83,744 |
2002
(平成14)年度 |
− |
− |
− |
− |
60,060 |
60,060 |
− |
− |
− |
− |
26,440 |
26,440 |
86,500 |
2003
(平成15)年度 |
− |
− |
− |
− |
56,268 |
56,268 |
− |
− |
− |
− |
25,293 |
25,293 |
81,561 |
2004
(平成16)年度 |
− |
− |
− |
− |
51,611 |
51,611 |
− |
− |
− |
− |
27,313 |
27,313 |
78,924 |
2005
(平成17)年度 |
− |
− |
− |
− |
55,961 |
55,961 |
− |
− |
− |
− |
43,503 |
43,503 |
99,464 |
2006
(平成18)年度 |
− |
− |
− |
− |
54,789 |
54,789 |
− |
− |
− |
− |
49,683 |
49,683 |
104,472 |
2007
(平成19)年度 |
− |
− |
− |
− |
51,144 |
51,144 |
− |
− |
− |
− |
50,518 |
50,518 |
101,662 |
2008
(平成20)年度 |
− |
− |
− |
− |
50,586 |
50,586 |
− |
− |
− |
− |
50,702 |
50,702 |
101,288 |
上 り |
下 り |
|||||||
ダ
イヤ改正 |
列
車種別 |
区
間 |
運
転日 |
本
数 |
列
車種別 |
区
間 |
運
転日 |
本
数 |
1993
(平成05)年03月 |
高速コン
テナ 専用コンテナ |
仙台西港
〜秋田貨物 仙台西港〜宮城野 |
1 1 |
高速コン
テナ 高速コンテナ |
秋田貨物
〜仙台西港 宮城野〜仙台西港 |
休日運休 |
1 1 |
|
1994
(平成06)年12月 |
専用コン
テナ |
仙台西港
〜仙台港 |
5 |
専用コン
テナ |
仙台港〜
仙台西港 |
5 |
||
1996
(平成08)年03月 |
専用コン
テナ 専用コンテナ |
仙台西港
〜仙台港 仙台西港〜仙台港 |
休日運休 |
5 1 |
専用コン
テナ 専用コンテナ |
仙台港〜
仙台西港 仙台港〜仙台西港 |
休日運休 |
5 1 |
1997
(平成09)年03月 |
専用コン
テナ |
仙台西港
〜仙台港 |
5 |
専用コン
テナ |
仙台港〜
仙台西港 |
5 |
||
1998
(平成10)年10月 2000 (平成12)年03月 2002 (平成14)年03月 2003 (平成15)年10月 |
専
用コンテナ |
仙
台西港〜仙台港 |
4 |
専
用コンテナ |
仙
台港〜仙台西港 |
4 |
||
2004
(平成16)年03月 2005 (平成17)年03月 2006 (平成18)年03月 2007 (平成19)年03月 2008 (平成20)年03月 |
専
用コンテナ 臨専用コンテナ |
仙
台西港〜仙台港 仙台西港〜仙台港 |
3 1 |
専
用コンテナ 臨専用コンテナ |
仙
台港〜仙台西港 仙台港〜仙台西港 |
3 1 |
||
2009
(平成21)年03月 |
専
用コンテナ |
仙
台西港〜仙台港 |
4 |
専用コン
テナ 臨専用コンテナ |
仙台港〜
仙台西港 仙台港〜仙台西港 |
2 2 |
||
2010
(平成22)年03月 |
専
用コンテナ |
仙
台西港〜仙台港 |
4 |
専用コン
テナ 臨専用コンテナ 単 |
仙台港〜
仙台西港 仙台港〜仙台西港 仙台港〜仙台西港 |
2 1 1 |
1998.5仙台西港駅 麒麟麦酒(株)仙台工場専用線 |
1998.5仙台西港駅 麒麟麦酒(株)仙台工場専用線 |
1998.4仙台港駅 |
<1998.4.28仙台港駅に停車中のコンテナ列車> ←コンテナ10両編成 ビール:仙台西港⇒東青森 3両 ビール:仙台西港⇒大館 2両 ビール:仙台西港⇒弘前 5両 <1998.5.4仙台港駅に停車中のコンテナ列車> 東青森⇒仙台西港 4両 |
◆栃木工場 ▲
▼年表
年
月 |
事
項 |
1979(昭和54)年4月 |
栃木工場完成、年産能力は12万キロリットル([1]p218) |
1979(昭和54)年7月 |
仁井田駅からの専用線開通([1]p220) |
1985(昭和60)年3月 |
仁井田駅の貨物取り扱い廃止 |
1995(平成07)年10月 |
東京(タ)〜宇都宮(タ)で栃木工場向け輸入麦芽の海上コンテナ輸送開
始 |
2011(平成23)年10月 |
栃木工場閉鎖(予定) |
現地レポはこちらを参照
輸送体制については、道路事情や将来の増設などからみて、全量トラックに依存するのは問題であると判断し、専用側線敷設の計画を立てた。国鉄が合
理化政策をとっていたため敷設の見通しは暗かったが、交渉の末1977(昭和52)年11月に至ってようやく国鉄の合意が得られた。ただちに用地の買収に
か
かったが、一部の地権者との交渉が難航し、そのため敷設工事が遅れ、側線の開通をみたのは1979(昭和54)年7月、出荷最盛期の直前であった。側線の
運
転開始までは、栃木麦酒運輸(株)が、専らトラックによって製品を輸送した。([2]p220)
このように苦労して開始した鉄道輸送であったが、僅か6年後の1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で仁井田駅は貨物取り扱いを廃止しており、この時点
で専用線が廃止されたと思われる。
1995(平成7)年10月2日から、JR貨物はキリンビールと契約を結び、東京(タ)〜宇都宮(タ)で輸入麦芽を積んだ海上コンテナ輸送を開始
し
た。年間取扱い個数は20フィートコンテナで2,400個。(『交通新聞』1995 年9月8日付、1面)
三菱倉庫(株)の扱う栃木工場あての輸入麦芽である。(『JR貨物社内報 ぽるて』108号、1996年3月1日号、2面)
⇒拙web「貨物取扱駅と荷主」の「宇都宮貨物ターミナル駅に発着する
海上コンテナの鉄道貨物輸送」も参照されたい。
また1996(平成8)年11月には上記列車は郡山(タ)まで延長された。([14]p104) この延長は、アサヒビール(株)福島工場向けのビール
原料
輸送開始のためのようだ。
▼キリンビール チューハイも増産 栃木工場で「氷結」 (『日刊工業新聞』2003年10月17日、34面)
キリンビールは16日、栃木工場(栃木県塩谷郡高根沢町)で缶入りチューハイ「氷結」の生産を開始した。投資額は19億円で、年産能力は11万
5,000キロリットル。これでキリンビバレッジなど関連会社を含む4工場でのチューハイ年産能力は32万キロリットル(従来比28%増)となる。
ビール・発泡酒の総需要が横ばいの中で、キリンは低アルコール飲料の氷結の強化を進めてきた。03年は3,330万ケース(前年度比49.3%増、1
ケースは250ミリリットル缶20ケース)の販売を見込み、今後も需要増が続くと見られることから増産対応を進めてきた。同工場では当面レモン、梅の2品
種を担当し、03年は1万キロリットルを生産する予定だが、04年は品目も増やし、年産6万キロリットルとする計画。
▼キリン栃木工場閉鎖 需要低迷で来年10月 高根沢 (『下
野新聞』2010年10月27日付)
キリンホールディングス(HD)は26日、高根沢町花岡のキリンビール栃木工場を来年10月末で閉鎖すると発表した。ビール類需要が低迷する中、工場再
編で生産能力を適正化し、コスト競争力の向上、収益性の改善を図る。生産機能については他工場に順次集約する。従業員201人のうち、社員148人は取
手・横浜工場を中心に再配置し、期間従業員53人は契約更新しない。
同日発表した中期経営計画の一環で、来年8月末に北陸工場(石川県白山市)も閉鎖し、国内工場を11カ所から9カ所に集約する。2工場閉鎖のコスト削減
効果は約40億円。
少子高齢化、若年層のビール離れなどでビール類市場は縮小基調にある。08年の出荷量は4年連続で減少し、過去最低を更新した。キリン全体で過剰な生産
能力となっており、需給バランスのギャップ解消が課題だった。
2工場について、東京都内で会見したキリンHDの加藤壹康社長は「物流対応ができ、規模が比較的小さいことなどから選定した」と説明。宇都宮市内のホテ
ルで会見したキリンビールの田村潤副社長は「これまでと同じ取り組みではいいものを提供できない。(栃木工場の閉鎖は)立地環境、工場規模、物流費などコ
ストを総合的に検討した結果」と話した。
32ヘクタールに及ぶ栃木工場の跡地利用は未定だが、建物を解体し更地にされる公算が大きい。工業用水や法人税収入など、県や高根沢町への影響も大きい
とみられる。
サントリーHDとの経営統合について、加藤社長は「あらゆる点から交渉中で、前向きに話し合いを継続している。(栃木工場閉鎖などの中期計画の策定は)
統合を前提に決定したものではない」としている。
栃木工場は1979年4月に操業。ラガービールや一番搾り、チューハイなどを製造し、東日本における多品種型の拠点となっていた。今年、30周年を迎え
たばかりだった。
▼RTD機能は取手に移転 11年3月までにキリン栃木工場 (『下
野新聞』2010年1月29日付)
今年10月末で閉鎖されるキリンビール栃木工場(高根沢町花岡)の岡田明彦工場長は28日、缶酎ハイ「氷結」シリーズを生産するRTD機能を2011年
3月までに、取手工場(茨城県取手市)に移転する方針を明らかにした。移転費用は数十億円という。また同日、同工場をはじめとするキリングループ県内6社
が県庁で記者会見し、10年事業方針を説明した。
同工場の年間生産能力はビール・発泡酒が11万キロリットル、RTDが11.5万キロリットル。RTDの生産能力は維持し、閉鎖後の11月以降に取手工
場へ移す。RTDは栃木工場のほか、岡山と御殿場の2カ所で生産しているのみ。岡田工場長は「近隣の他の工場で対応できない製品。最後まで責任を持って製
造していく」と話した。
ビール・発泡酒の機能の移設については今後、検討していくという。
記者会見で岡田工場長は、工場閉鎖にかかわる対応の進捗状況を報告した。地元採用の正社員約130人と複数回面談する一方、異動先となる取手や横浜工場
との調整を進めている。雇い止めとなる期間従業員については求人情報提供など再就職支援を行っている。
跡地活用は決まっていないが、キリンホールディングス内のグループ会社で不動産関連業務を行う「キリンリアルエステート」と協議しながら検討中。
2005.12 仁井田駅 麒麟麦酒(株)栃木工場専用 線跡
◆高
崎工場 ▲
▼年表 (麒麟麦
酒webサイト及び社史より作成)
年
月 |
事
項 |
1965(昭和40)年3月 |
高崎工場完成 |
1969(昭和44)年7月 |
高崎工場からビール専用列車運行開始([1]p46) |
1984(昭和59)年頃 |
専用線からのビール輸送が廃止され、麦芽輸送のみ鉄道貨物輸送を継続 ([2] p158) |
1989(平成元)年8月 |
高崎医薬工場完成 |
1998(平成10)年2月 |
横浜本牧〜倉賀
野間のホキ9800形による麦芽輸送廃止([7]
p55)、同時に専用線も廃止 |
2000(平成12)年8月 |
高崎工場操業終了 |
以前、高崎工場に勤務されていらした方から大変貴重な情報を戴きましたので、転載させて戴きま
す。ありがとうございました。 ▽関東には、東京工場、栃木工場、取手工場と主要な「本工場」があり、高崎工場は基本的には本工場ではなくこれら3つの工場の「調整工場」という扱いで あった。 ▽そのため他の工場のように一日中同じ製品を作り続けるのではなく、時間と数量で頻繁に製造品目を変えていた。 ▽新潟地区、群馬地区、埼玉地区の配送拠点であった。 ▽当時製造していたのは、ラガービール、一番搾りの瓶・缶製品、ハートランドビール、業務用樽製品、地方限定ビール(新潟限定「じょんのび」)、業務用キ リンレモン瓶・キリンオレンジ瓶、ラガービール・一番搾り特大瓶、輸出用一番搾りなど。 ▽ホキ車以外の麦芽輸送は、トラックまたは紙帯、フレコン。サイロ搬入口では貨車輸送廃止後も生き残った貨車積み用のフォークリフトが原料受け入れに活躍 していた。 ▽このフォークリフトは特殊な構造で、バックレフトから先が2〜3m先まで伸びる仕様だった。パレット積みするためワム車の奥に入れる際に必要だったとの こと。 ▽一時期、一番搾りの缶製品について、缶を海外で製造したものを海上コンテナで持ってきて使用したが、不良品が多く1シーズンで終了した。 |
[1]p46
年
月 |
事
項 |
1970(昭和45)年5月 |
取手駅接続の専用線開通([1]p62) |
1970(昭和45)年6月 |
取手工場完成、年産能力は6万4,000キロリットル([1]p62) |
1972(昭和47)年12月 |
取手工場にバラ積み専用貨車による麦芽受け入れ設備を導入([1] p68) |
1973(昭和48)年 |
1971〜1973年にかけて増設工事を実施し、年産能力を26万
6,000キロリットルとした([1]p62) |
1980(昭和55)年春 |
壜詰ライン1列増設、年産能力37万1,000キロリットルに増強され 同社最大能力の工場となった([1]p223) |
1985(昭和60)年3月 |
取手駅の貨物取り扱い廃止、同時に取手工場の専用線も廃止されたと思わ
れる |
バラ積み専用貨車による麦芽受け入れ設備については、先述したように山下埠頭駅に
麒麟麦酒(株)所有のホキ9800形用の麦芽出荷設備があったため、同駅から麦芽が到着していたと思われる。
取 手工場の専用線([19]p21)
▼キリン取手工場 年産能力25%増強 (『茨
城新聞』2010年6月25日付)
横浜と並び最大級に
キリンビールは24日、栃木工場(栃木県高根沢町)の閉鎖による取手工場(取手市)への移管に伴い、同工場で「キリンフリー」など主要3製品の生産を来
年3月までに始め、25%増の年産50万キロリットルに生産
能力を上げる計画を明らかにした。同計画により取手は横浜工場(横浜市)と並んで同社最大級の
工場になる。
生産工場再編の一環で、栃木工場は今年10月から11月までに閉鎖を予定。これに伴い同工場の生産品目は取手、横浜、仙台などの各工場に移管する。栃木
のほか、北陸工場(石川県白山市)を閉鎖する。取手工場には、ノンアルコールビールの人気商品「フリー」と、発泡酒「淡麗ダブル」を移管し、今年9月に出
荷予定。さらに「キリンチューハイ氷結」シリーズの生産を来年3月から始める。
設備投資額は、栃木からの全面移管となる「フリー」で約6億円、果汁調合設備が必要な「氷結」で数十億円を見込む。フリーの出荷量は年300〜400万
ケース。出荷エリアは従来の首都圏に加え、北関東も含める。
キリンは、栃木の従業員約200人の一部を取手工場などに移転する。
取手工場では現在、主力の「一番絞り」などのビールや、発泡酒、第3のビールで計11種類、年40万キロリットルの生産能力を持つ。発酵タンクは139
本あり、主力の瓶製品のほか、缶製品も増強し、新たな品種の生産開始により能力を大幅に増やす。
年
月 |
事
項 |
1907(明治40)年2月 |
麒麟麦酒(株)設立(当時は横浜山手工場) |
1918(大正07)年5月 |
横浜製麦工場完成 |
1923(大正12)年9月 |
関東大震災により横浜山手工場倒壊 |
1926(大正15)年6月 |
横浜・生麦に横浜新工場完成 |
1927(昭和02)年1月 |
横浜工場に製麦工場完成 |
1928(昭和03)年2月 |
横浜工場に清涼飲料工場完成 |
1929(昭和04)年10月 |
横浜工場に製壜工場完成、びんを自給化 |
1934(昭和09)年2月 |
横浜工場に製栓工場完成 |
1988(昭和63)年9月 |
横浜工場の製栓工場を閉鎖し名古屋工場に移設統合([2]p232) |
1991(平成03)年5月 |
横浜工場リニューアル工事完成 |
横浜工場の入江駅接続の専用線は1984年〜85年の間に廃止された。([2]p158)
▼年表
年
月 |
事
項 |
1962(昭和37)年2月 |
名古屋工場完成 名古屋以西の工場に王冠栓を自給する目的で製栓工場設置([1]p69) |
1972(昭和47)年6月 |
名古屋工場に海上コンテナによる麦芽のバルク輸送受入れ設備を導入 ([1]p68) |
1985(昭和60)年頃 |
清州駅接続の専用線を廃止 |
1988(昭和63)年9月 |
横浜工場の製栓工場を閉鎖し名古屋工場に移設統合([2]p232) |
1991(平成03)年9月 |
王冠栓の自製を廃止し全量外注化することになり製栓工場を閉鎖([2]
p232) |
1997.3
左端の線路が廃止された麒麟麦酒(株)名古屋工場専用線
名古屋工場の清州駅接続の専用線は1984年〜85年の間に廃止された。([2]p158)
1985(昭60)年度の名古屋(タ)駅の荷主別発送量の第6位がキリンビールである。東北・九州方面へのコンテナ輸送が増えて、対前年比65%増と
な
る年間1,600トン弱を発送した。([15]p44)
◆北陸工場 ▲
▼年表
年
月 |
事
項 |
1993(平成05)年4月 |
北陸工場完成 |
2011(平成23)年8月 |
北陸工場閉鎖(予定) |
1990(平成2)年の長期需給計画シミュレーションによると、当時リニューアルを進めていた横浜工場の製造能力を加えても、1993年度の需給
は
逼迫す
ることが予想された。その対応策として特に需給バランスの悪い東海(横浜・名古屋間)、九州地域に重点投資する方針を決めた。福岡工場の増設と同時に、静
岡地域に工場建設用地を探し求めたが、条件を満たす用地が得られない中で、石川県松任市に工場建設用地が入手可能となり、以
下の理由で北陸工場の新設を決定した。([2]p282)
@1993年度の増産対応に間に合う適当な工業団地が入手可能であること。かつそれまで滋賀工場の出荷テリトリーであった北陸3県を新工場のテリトリーと
することによって、滋賀工場に余裕が生じ、滋賀工場と名古屋工場の出荷テリトリーを組み替えることによって、結果的に横浜・名古屋間の需給バランスを改善
できる。
A工場立地に適当な販売市場規模がある。
B地域性が強く、市場密着型マーケティングが期待できる。
C日本海側へ初めてのビール工場進出となる。
北陸工場は、松任市の北部工業団地内に1993(平成5)年5月に完成した。([2]p282)
麦芽の輸入物流費削減のため、国内主要港で荷揚げしトラックで長距離輸送する方法から、アジアのハブ港で積み替え近海船で工場の最寄り港に荷揚げ
する方法がとられた。北陸工場開設時には、釜山港経由で金沢港揚げとした。([2]p162)
キリンビールは、北陸の工場でもTPOに応じて鉄道コンテ
ナを利用している。(『JR貨物ニュース』2001年5月1日号、3面)
▼キリンビール、北陸工場で27%増産 (『日
本経済新聞』2004年1月23日付)
キリンビール北陸地区本部(金沢市)は22日、2004年の北陸3県での事業計画を発表した。石川県松任市にある北陸工場での生産量を7万6000キロ
リットルと、前年に比べ27%増やす。発泡酒「淡麗〈生〉」の販売に力を入れるほか、工場間の生産分担を見直し、新潟県の南部だけでなく中部も北陸工場の
出荷地域になるため。
今年は北陸で、ビール・発泡酒合計の販売数量を前年比1%増の6万400キロリットルをめざす。「ビールに比べて割安だがおいしいという発泡酒の商品価
値が、北陸の消費者にも認知されるようになった」(キリン)ことから、発泡酒の販売数量が17%増え、ビールを上回ると見込む。また4月をメドに、卸を経
由せずスーパーや酒類量販店の店頭に発泡酒を並べる「北陸工場直送」キャンペーンを開始する。
▼キリンビール北陸工場、正社員の雇用ゼロ ミネラル水生産へ、地元新規は10人弱
(『北
國新聞』2004年11月3日付)
キリンビール(本社・東京)は2006(平成18)年春から、北陸工場(松任市)でミネラルウオーターの生産に乗り出す。事業費約40億円を投じ、同工
場内に新ラインを整備する。ただ、東証1部上場の”大物企業”の増設に雇用創出への期待もあったが、地元での新規雇用は10人に満たず、正社員の雇用はゼ
ロとなる見通しで、県も思わぬ肩透かしを食った格好である。
キリンビールの荒蒔康一郎社長らが県庁を訪れ、谷本正憲知事に報告した。キリンビールが関連会社のキリンMCダノンウォーターズから受託生産し、子会社
のキリンビバレッジが西日本を中心に販売する。ミネラルウオーターの新工場は敷地面積約4千平方メートルで、来年5月から工場棟に隣接の形で貯蔵倉庫を整
備する。年間生産量は約12万キロリットル。初年度は約7万キロリットルを生産し、約72億円の売り上げを見込む。
従業員約20人のうち地元での新規雇用は10人程度を予定するが、「人員削減が全社的な流れであり、採用者数は10人に満たない可能性が大きい。正社員
の雇用も考えていない」(北陸工場)としている。工場の増設計画は、ビールや発泡酒の国内市場が伸び悩む中、新たな収益源の確保と生産効率化を目指すキリ
ンビール主導で進められた。1990(平成2)年に北陸工場を誘致した県側も、「詳細な計画は最後まで知らされなかった」(産業立地課)という。
東証1部上場の県誘致企業が県内で工場を増設するのは、金沢市の金沢テクノパークに進出した日機装(東京)が人工腎臓(じんぞう)用の血液透析器の製造
工場を整備した2002(平成14)年5月以来となる。県では「キリンビールの地元雇用者数が少ないのは残念だが、税収増や来年2月に誕生する白山市を宣
伝する好機にはなる」(同課)とみている。
▼白山伏流水を全国展開 キリン北陸工場、3月初旬に生産開始 (『北
國新聞』2006年2月4日付)
キリンビール北陸工場(白山市)は白山の伏流水を使った「アルカリイオンの水」を3月初旬から製造する。すでに工場敷地内の製造棟が完成し、試運転を始
めた。北陸や西日本、北海道向けに出荷する予定で、清流のイメージが強い白山の水を前面に打ち出して販売を強化する。初年度出荷量は約700万ケース(1
ケースは2リットル入り6本)になるとみられる。
「アルカリイオンの水」はキリンビールの関連会社キリンビバレッジが販売する。現在は富士山の伏流水を使い、御殿場工場(静岡県)だけで生産されてい
る。
ミネラルウオーターの国内市場は最近10年で約3倍、アルカリイオンの水ついても販売量が4年で3倍になるなど、今後も需要の拡大が見込まれることから
増産に踏み切った。
アルカリイオンの水は天然水を電気分解しており、料理でだしがよく出るという特長がある。昨年の出荷量は1,365万ケースで、今年は前年比2割増を目
指す。
製造棟は2階建てで、延べ床面積約4,400平方メートル、倉庫棟が延べ床面積5,600平方メートル。事業費約40億円を投じた。
▼第三のビール生産開始へ設備増強 キリン北陸工場 5億円投資、4月から出荷
(『北
國新聞』2007年2月28日付)
キリンビール北陸工場(白山市)は5億円を投資し、「第三のビール」の生産設備を新設する。稼働は3月下旬になる見通しで、4月初旬から北陸三県と新潟
を中心に出荷を開始する。業界全体で市場が膨らむ第三のビールのシェア拡大を目指す。
同工場で新たに生産されるのは「キリンのどごし<生>」。ろ過した液体を貯蔵するタンクや、原料となる大豆タンパクや液糖の投入設備などを設置する。の
どごし<生>の生産により、同工場の今年のビール類の製造量は、前年比で25%増える見通し。
大手ビール4社の昨年のビール類の販売量は、前年比でビールが2%減、発泡酒が10%減だったのに対し、第三のビールは22%増えている。第三のビール
はキリンビールも好調で、39%の増加となった。同社は、今年はさらに10.8%の販売量増を目指しており、増産体制を整えるため、今春から北陸、神戸の
2工場で新たに第三のビールの製造を開始する。
4月以降、北陸工場で白山の伏流水を用いて生産されるビール類は、全7品種となる。
▼キリン北陸工場が「恩返し」 醸造設備を格安で地元・白山の酒造5社に譲渡へ
(『北
國新聞』2010年4月8日付)
今年8月末に17年間の操業を終えて閉鎖するキリンビール北陸工場(白山市)は地域貢献の一環として、日本酒を製造する地元酒造メーカー5社などに、
ビール醸造設備の一部を格安で譲渡する方針を決めた。閉鎖する工場の設備とはいえ「現役」だけにまだ新しく、地元関係者は「キリンの恩返し」を歓迎してい
る。
北陸工場が設備譲渡を呼び掛けたのは、「白山菊酒」の統一ブランドで地酒を売り出している車多酒造、金谷酒造店、小堀酒造店、吉田酒造店など5社。先月
に開催された白山菊酒関係者の会合で、北陸工場幹部が「工場内の設備で使える物があったら、ぜひ役立ててほしい」と呼び掛けたことがきっかけで、先月24
日には5社の技術担当者ら9人が北陸工場を視察した。
酒造メーカー関係者によると、日本酒もビールも醸造で製造されるアルコール飲料のため工程が似ており、北陸工場の設備は酒造りに転用しやすいという。工
場視察時には、ビール用小型タンクやボイラーなどに注目が集まり、酒造りの技術者からは「同じ酒類業だが、やはり日本を代表するメーカーだけに設備も立
派」との声も上がった。
北陸工場は視察時、普段は非公開の設備も1993(平成5)年の操業以来初めて紹介した。白山菊酒呼称統制機構の金谷芳久理事長は「地元への配慮は大変
ありがたい。『企業市民』の精神が伝わった」としている。
同工場によると、設備は工場閉鎖時に査定し、同社の他の工場で使用できない設備は有償で譲渡する予定。設備の一部譲渡は市側にも説明している。同社は市
に対し、工場閉鎖後も市内の水源地での植樹活動や町内会へのビール提供などの「地元貢献」を続ける意向を伝えている。
同工場については、キリンホールディングス(東京)が昨年10月末、国内のビール類市場の縮小傾向に対応する生産調整を理由に閉鎖を発表し、地元関係者
からは「キリンなのにドライな決断だ」との声も漏れていた。
今回の設備譲渡の打診を受けた関係者は「工場撤退後もビールの販売は続く。地元とのつながりを大事にする姿勢の表れだろう」と話した。
年
月 |
事
項 |
1974(昭和49)年5月 |
滋賀工場完成 |
1974(昭和49)年6月 |
近江鉄道の多賀駅接続の麒麟麦酒(株)滋賀工場専用線からのビール輸送
開始
(近江鉄道webよ
り) |
1981(昭和56)年春 |
壜詰ライン1列を増設([1]p223) |
1984(昭和59)年10月 |
近江鉄道は多賀駅からの麒麟麦酒のビール輸送廃止(近江鉄道webよ
り) |
2005(平成17)年2月 |
滋賀工場でペットボトル入り清涼飲料の製造開始 |
『日
本経済新聞』2004年1月22日付によると、キリンビバレッジは2006年までの中期経営計画を発表、2004年にキリンビールの滋賀工場(滋
賀県多賀町)に年産800万ケース(1ケースは500ミリリットルペットボトル24本換算)のペットボトル飲料製造ラインを新設、05年から稼働させる。
▼キリンビール滋賀工場 200億円かけ改修へ (『中
日新聞』2007年2月1日付)
キリンビールは、多賀町敏満寺の滋賀工場を約200億円を投じて改修すると発表した。国内最多となる30品種のビール・発泡酒を同時製造でき
る体制を整えることで、消費者ニーズの多様化に応える狙いだ。工事期間は2月から2010年4月まで。
滋賀工場は1974年に操業を開始。西日本の少量多品種製造拠点として、現在は17品種を生産している。大幅な改修は今回が初めて。
改修は醸造設備が中心。50キロリットルの仕込み設備を新設するほか、発酵・貯蔵タンクの半数を小型化することで、多品種を効率良く製造でき、同時に生
産量も13万キロリットルから20万キロリットルまで増強できるという。
省エネ施策も実施する。エネルギー源を天然ガスに転換して、排水処理時に発生するガスを利用できる発電設備も導入するという。(岩田忠士)
▼キリンビールがリニューアルした滋賀工場で初仕込み式 (『Fuji
Sankei Business i.』2010年1月27日付)
キリンビールは26日、改装工事が完了した滋賀工場(滋賀県多賀町)で初仕込み式を行った。関係者約70人が出席し、同社の松沢幸一社長らが、ビールに
苦みや泡持ちなどをつける主要原料のホップを仕込み釜の中に投入し、新たなスタートを切った。
滋賀工場は昭和49年に操業を開始し、近畿にビールや発泡酒などを供給。老朽化が進み、平成19年から約200億円を投じて改装工事を行った。新醸造棟
を建設し、仕込み設備や発酵タンク、貯蔵タンクなどを更新した。生産能力は15万キロリットル。工場の大規模な改装は、福岡工場(福岡県朝倉市)以来約4
年ぶり。
キリンは栃木工場(栃木県高根沢町)と北陸工場(石川県白山市)を年内にも閉鎖する方針だが、会見した松沢社長は「今後も必要な投資は継続していく」と
述べた。消費者の節約志向を背景に販売好調が続く第3のビールの生産を滋賀工場で行うかについては「各工場の役割分担を考えながら、さらに需要が伸びれば
検討したい」とした。
◆京都工場 ▲
▼年表
年
月 |
事
項 |
1962(昭和37)年 |
寶酒造(株)は京都麦酒工場を新設(同社web) |
1968(昭和43)年5月 |
京都工場完成(旧、寶酒造京都工場を買収して増改築)、年間製造能力は
5万4,000キロリットル([1]p60) |
1969(昭和44)年春 |
小壜専用壜詰ライン1列と缶詰ライン1列を増設([1]p61) |
1972(昭和47)年 |
その後の2度の増設工事を経て、年間製造能力は24万5,000キロ
リットルとなった([1]p61) |
1972(昭和47)年6月 |
キリンレモンを製造する壜詰ライン1列を新設([1]p61) |
1988(昭和63)年7月 |
製麦工場跡地に多品種のビールを製造する我が国初のミニビールプラント
が完成([2]p230) |
1999(平成11)年8月 |
京都工場操業終了 |
京都工場は、もと宝酒造(株)のビール工場で同社がビール事業から撤退するのに際し、大蔵省の斡旋で麒麟麦酒が買収した。麒麟麦酒は1967(昭
和
42)年7月1日に工場の引き渡しを受けたが、大改造した上で生産を開始する方針をとった。その結果、1968(昭和43)年5月27日に初出荷を行っ
た。([1]p60-61)
京都工場の向日町駅接続の専用線は1984年〜85年の間に廃止された。([2]p158)
1998(平成10)年3月に敦賀駅で19Dコンテナで秋田貨物(中央シリカ)から梅小路(キリンビール)に珪藻土を輸送するのを目撃。
中央化成(株)の子会社中央シリカ(株)は秋田工場で珪藻土濾過助剤を生産。
年
月 |
事
項 |
1918(大正07)年4月 |
神崎工場(後の尼崎工場)竣工 |
1930(昭和05)年7月 |
神崎工場に製麦工場完成 |
1949(昭和24)年1月 |
神崎工場を尼崎工場と改称 |
1951(昭和26)年3月 |
尼崎工場に清涼飲料工場完成 |
1972(昭和47)年6月 |
尼崎工場に海上コンテナによる麦芽のバルク輸送受入れ設備を導入
([1]p68) |
1986(昭和61)年5月 |
尼崎工場リニューアル工事完成 |
1996(平成08)年8月 |
尼崎工場操業停止 |
1997(平成09)年5月 |
神戸工場完成 |
尼崎工場は1918(大正7)年の完成以来、西の主力工場であったが、神戸工場への移転に伴い1996(平成8)年8月31日をもって閉鎖され
た。
◆岡山工場 ▲
▼年表
年
月 |
事
項 |
1972(昭和47)年4月 |
岡山工場完成、年産能力は10万7,000キロリットル([1]
p63) |
1986(昭和61)年10月 |
神戸港駅からの
ホキ9800形による輸入麦芽輸送廃止 |
1986(昭和61)年11月 |
万富駅の貨物取り扱い廃止(Wikipediaよ
り) |
▼キリンビール岡山工場、缶チューハイ増産 (『日
本経済新聞』2004年8月11日)
キリンビール岡山工場(岡山県瀬戸町)は缶チューハイを増産する。8月は前年同月比30%増の生産を計画、9月以降も新製品の投入効果で高水準の生産を
見込む。今夏は猛暑の影響でビール、発泡酒も上向いているが、販売が伸びている缶チューハイの増産により、一段の生産規模拡大を目指す。
キリンでは岡山、栃木(栃木県高根沢町)とグループ会社の御殿場(静岡県御殿場市)、湘南(神奈川県寒川町)の計4工場で缶チューハイ「氷結」を生産し
ている。岡山工場は年産能力12万キロリットルで、「氷結」7種類を生産し名古屋以西に出荷する西日本の主力拠点。9月8日に全国発売する青リンゴ味の新
製品「グリーンアップル」の生産を今月中旬から始め、製造品目を8種類に増やす。
年
月 |
事
項 |
1937(昭和12)年7月 |
広島駅に接続する麒麟麦酒叶齬p線が敷設される([17]p307) |
1938(昭和13)年3月 |
広島工場完成 |
1938(昭和13)年9月 |
広島工場に製麦工場完成 |
1986(昭和61)年10月 | 神戸港駅からの ホキ9800形による輸入麦芽輸送廃止 |
1998(平成10)年8月 |
広島工場操業終了 |
1974(昭和49)年度荷主別輸送量(広島鉄道管理局)によると、キリンビールは165千トン(車扱)であった。但しこの輸送量は周防富田駅か
らの富田製壜工場に関係する輸送も含む。[18]p127
ホキ車による神戸港駅からの輸入麦芽輸送は1986(昭和61)年10月に廃止になったが、同時に東広島駅に接続する広島工場の専用線も廃止に
なったと思われる。
▼キリン広島ブルワリー閉鎖へ (『中
国新聞』2010年1月20日付)
広島県府中町にあるキリンビールの小規模醸造所「キリン広島ブルワリー」が8月末で閉鎖される。同じ場所にあった旧広島工場から引き継いだ、72年にわ
たる広島県でのキリンビール製造の灯が消えることになる。跡地は隣接の商業施設の増床に活用してもらう。
キリンビール(東京)とイオンモール(千葉市)が19日発表した。
ブルワリーはキリンがたる詰め生ビールなどを製造し、広島市の飲食店やマツダスタジアム(新広島市民球場)向けに年間約2千キロリットルを造っている。
隣接する商業施設、イオンモール広島府中ソレイユの増床計画に伴って用地賃借の打診があり、応じることにした。
これで県内にキリンの製造拠点はなくなり、製造は岡山工場(岡山市東区)が引き継ぐ。
キリンは1938年、旧広島工場でビール製造を始めた。工場は98年に閉じたが、ビール造りの存続を求める声や少量の限定商品の需要を考慮し同年、ブル
ワリーを開設して製造を再開していた。
ブルワリー閉鎖後、敷地約1万250平方メートルはイオンモールが賃借し、駐車場や商業施設として活用を検討する。ブルワリーの従業員14人は配置転換
する方針。隣接するビアレストランは当面存続する。
年
月 |
事
項 |
1938(昭和13)年4月 |
富田製壜工場完成 |
1948(昭和23)年3月 |
周防富田駅に接続する麒麟麦酒叶齬p線が敷設される([17]
p307) |
1950(昭和25)年9月 |
富田製壜工場操業再開 |
1952(昭和27)年10月 |
横浜製壜工場を休止し、製壜事業を富田製壜工場に一本化 |
1970(昭和45)年11月 |
原料溶解窯を1基増設して合計2基とし、製壜ラインを1列増設した
([1]p69) |
1988(昭和63)年9月 |
1号窯列を休止して2号窯列だけの稼働体制とした([2]p231) |
1992(平成04)年4月 |
山村硝子(株)との合弁でケー・ワイ・シー(株)を設立、富田製壜工場
の事
業を
継承([2]p231) |
2003(平成15)年春 |
解散 |
▼ビール瓶製造の関連会社 キリン、来夏操業中止 需要低迷、委託で対応
(『日経産業新聞』2001年9月17日付、19面)
【山口】キリンビールは14日、同社と日本山村硝子の共同出資会社のケー・ワイ・シー(山口県新南陽市、長江尚之社長)でのガラス瓶製造を2002年8
月に終了し、同社を2003年春に解散することを発表した。ケー・ワイ・シーではキリンビールのビール瓶の約70%を生産しているが、ガラス瓶の需要が低
下していることから、製造中止、解散に踏み切った。
同社は1938年に瓶製造を始めたキリンビール富田工場が前身。92年にキリン51%、山村硝子(当時)49%出資の会社として設立した。年間約4万ト
ン、ビール大瓶換算で約7千万本の生産能力を持つ。ケー・ワイ・シーでの製造終了後は日本山村硝子などに製造を委託する。従業員63人は近隣の工場や支
社、支店などに配置転換する。解雇などは行わない。キリンビールは「社員の異動を円滑に行うため、製造終了1年前に発表した」と説明している。
◆福岡工場 ▲
▼年表
年
月 |
事
項 |
1966(昭和41)年2月 |
福岡工場完成 |
1980(昭和55)年春 |
壜詰ライン1列を増設、年産能力が20万4千キロリットルから26万キ
ロリットルに増強([1]p223) |
1984(昭和59)年9月 |
2月ダイヤ改正後も太刀洗駅は貨物扱いが残ったが、9月19日に貨物取
り扱いが廃止、 麒麟麦酒(株)福岡工場の専用線も廃止された(Wikipediaよ り) |
福岡工場は出荷量の3分の1が鉄道で、行き先は南九州各地であった。原料の搬入はホキ2200、ホキ9800を使用しほとんどが鉄道であった。
([16])
キリンビールは、九州の工場でもTPOに応
じて鉄道コンテナを利用している。(『JR貨物ニュース』2001年5月1日号、3面)
以上は荷主研究者の作成。とはずがたりによる補遺は以下の頁 。
■メルシャン株式会社 ▲
メルシャン(株)は旧、三楽オーシャン(株)(1985年に三楽鰍ノ社名変更)で、味の素グループであった。そのため鉄道貨物輸送については、荷主企業
事例研究
の「味の素グループ」に三楽株式会社として纏めている。
▼キリンがメルシャンを買収、国内市場の成熟化で酒類事業を総合強化
(2006
年11月17日(金)06:02)
キリンビールは16日、メルシャンと資本・業務提携を結んだと発表した。メルシャン株式の過半数を公開買い付け(TOB)で取得し、連結子会社にする。
買収額は247億9,700万円。業務提携は、ワインの生産・販売の全機能をメルシャンに集約するとともに、焼酎・低アルコール飲料の販売機能をキリンに
移管することが柱。国内の酒類市場が伸び悩む中で、ビールの代表的メーカーであるキリンとワインに強いメルシャンの両社は「国内最強の総合酒類グループを
目指す」としている。
キリンによるメルシャンTOBは、1株につき370円。発行済み株式総数の50.12%に相当する6,700万株の取得を目指す。期間は11月17日か
ら12月18日までの32日間。メルシャン株の大株主である味の素は、所有する12.82%の全株式をTOBに応募して手放す方針。
<メルシャンの上場は維持、買い増しの意思ない>
キリンは、TOB完了後にメルシャンを連結子会社にするが、メルシャンの東証・大証への上場は維持する方針。来年7月にキリンが持ち株会社を設立した後
は、キリンビール、キリンビバレッジとともに「キリンヒールディングス」の傘下に入る。また、キリンは来年3月のメルシャンの株主総会で役員を派遣する。
会見したキリンビールの加藤壹康社長は、メルシャンの上場を維持することについて「ブランドを維持するためにいいことだ」と述べた。さらにメルシャンを
子会社化した後は「岡部メルシャン社長には続投して(もらい)、経営を継続してほしい」と述べた。50.12%を取得するメルシャン株式について「現時点
で買い増しの意思はない」との意向を明らかにした。
また、加藤社長は、TOBの財務アドバイザーが三菱UFJ証券であることを明らかにしたうえで、370円のTOB価格は「専門家の算定で決めた。適正だ
と思う」と述べた。
また、メルシャンの岡部有治社長は、キリンビールの傘下に入ることについて「業務提携の効果を最大化する手段だ」と述べて、敵対的買収からの防衛策との
見方を否定した。さらに岡部社長は、記者団が「キリンとの提携は、味の素との決別か」と質問したのに対して「大株主ではなくなるが、業務上の友好関係は保
たれる」と答えた。その一方で「味の素とは同根の会社だが、これまでにシナジーを出せる場面がなかった」と述べたうえで、キリンとの資本・業務提携は「酒
類事業のメルシャンの将来を考えるとベストの選択」と語った。
<国内市場の成熟化に対応>
酒類業界の推計によると、キリンの酒類別の出荷量(課税数量ベース)は、ビールはアサヒビールにトップの座を明け渡し2位ながら、発泡酒や第3のビー
ル、チューハイ・カクテルなど低アルコール飲料部門では首位。メルシャンは、ワイン全体ではサントリーに次いで2位だが、国産ワインに限定すると首位のポ
ジションを保っている。
両社は、ワイン事業と焼酎・低アルコール飲料の販売事業をそれぞれ集約してシナジーを目指すが、詳細は、今後の業務提携検討委員会で詰めていく。加藤キ
リン社長は、メルシャンが持つ焼酎の甲類免許など、キリンが持たない酒類免許を活用することで、柔軟な経営戦略が立案できることもメリットとして強調し
た。
また、加藤キリンビール社長は、両社の資本・業務提携が、国内市場の成熟化の状況に対応したものであるとの考えを示すとともに「これから酒類事業を拡大
していくうえで、海外が積極的に展開する土俵になる」と述べて、M&Aの手段を含めて、海外事業も強化していく方針を示した。
■キリンビバ
レッジ株式会社 ▲
▼キリンビバレッジ(株)の鉄道貨物輸送 (『運輸タイムズ』
1999年4月19日付) (※鈴木康弘氏の運営するwebサイト「日本の鉄道貨物輸送」を参照させ
て戴きました)
キリンビバレッジが製造販売する商品は全部で約150種類。全国の46工場で製造している。このうち
自社工場は湘南工場(神奈川県)と舞鶴工場(京都府)だけである。
商品の国内物流は本社物流部が管理している。物流ルートは、卸ルートと直販ルートの2種類があるが、多くは物流センターを経由する。全国に27ヶ所の地
域物流センターがあり、商品の在庫保管と配送を行う。27ヶ所のうち14ヶ所は同社の商品だけを保管するが、他の13ヶ所はキリンのビール工場と共同利用
している。共同利用の場合は、ビールと清涼飲料水を1つのコンテナに混載する。
同社は全国で、ビール混載も含め1998(平成10)年に8,462個の
鉄道コンテナを利用した。これは商品の全物流量の約2%にあたる。工
場倉庫から各地の物流セン
ターへの商品輸送に主として使っている。例えば湘南工場は、1998
年に相
模貨物駅から約3,650個のコンテナを発送
した。内訳は、札幌(タ)駅着でキリンビール千歳工場向けが1,400個、仙台港駅着でキリンビール仙台工場向けが494個、大阪(タ)駅着で尼崎物流センター向け
が430個など。また仙台工場発は、仙台港駅からビール混載を含めコンテナ約2,000個(1998年)が発送された。
荷姿は、主にダンボール箱詰めのパレット積み。自社の平パレット(横900mm、縦1100mm)に荷物を載せ、ストレッチ包装で荷崩れを防いでいる。
自社でパレット回収拠点を27ヶ所持っているため、パレット回収に問題はない。
同社は、輸送時間の正確さを評価し、主に小ロット荷物の輸送手段として、鉄道コンテナを使っている。トラックと比較してコストメリットはあまり感じてい
ない。配達の延滞や荷崩れ事故もないわけではないが、利用状況はあまり変化していない。
JR貨物は、トラックと同様に早期確定割引などの様々なサービス企画を実施し、荷主の関心をひき付ける努力が必要と同社は話す。また夏場の繁忙期は積み
込みが間に合わないことがあるので、列車の本数を増やし発車時刻を繰り下げるなど、荷主の立場を考慮してほしいとしている。
▼今月のお客様 キリンビバレッジ株式会社 湘南工場 (『MONTHLYかもつ』2006年7月号、10-11頁)
約30品種の清涼飲料を生産する最大規模工場
キリングループの清涼飲料の歴史は古く、キリンレモンの製造は昭和3(1928)年のことで、全国のキリンビールの工場で生産されていました。昭和30
年代に入って自動販売機が普及し、それに対応して清涼飲料の製造能力の増強が必要となり、昭和48(1973)年キリンレモンサービス椛竃ヘ工場として創
業されたのがキリンビバレッジ鰹テ南工場の前身で、平成3(1991)年1月現在の社名になりました。工場生産品目は、PET容器21品種(生茶、午後の
紅茶、アミノサプリ、キリン酔茶等)、紙パック容器10品種(トロピカーナ、小岩井無添加野菜、アミノサプリ等)で、年間最大生産量は3,300万ケース
(37万KL)となっています。
キリンレモンの製造時代から輸送手段として旧国鉄を利用してきた同社は、現在、JR貨物相模貨物駅から年間約9,700個(420万ケース)のコンテナ輸送を行っています。
▼キリンビバレッジ 4商品で「エコレールマーク」を取得 適正な輸送手段を選択す
ると、長距離輸送には鉄道に (『カーゴニュース』2008年3月27日付、第3690号、64-65頁)
キリンビバレッジ(齋藤信二社長)は企業、そして商品としても「エコレールマーク」を取得し、鉄道を中心としたモーダルシフトを図っている。
06年2月に「キリン生茶」、「キリン アルカリイオン水」、07年12月に「キリンレモン」、「午後の紅茶」と、500km以上の陸上輸送部分で鉄道
利用率が30%を超え、商品として「エコレールマーク」を取得した。同社では箱単位で売れる商品のカートン(箱)にマークを入れ、アピールを行っている。
キリンビバレッジは99年頃から、本格的な鉄道利用を開始し、07年のコンテナ利用個数は前年度比13%増の約5万1,000個。通運会社である日本通運と協働し、鉄道利用を拡大
させている。社内間輸送のうち鉄道の利用率は13%に達す
る。
発地場所としては同社の湘南工場、グループ工場のある石川、静岡、長野。着地側は九州、中四国、北海道、東北方面の遠距離の物流拠点へ鉄道を利用した輸送を実施。
同社では海上輸送についてもモーダルシフトを図っているが、社内間輸送のうちで海上輸送の占める割合は少ない。主な経路は晴海〜博多、晴海〜苫小牧、舞
鶴〜小樽など。海上輸送は一度に大量輸送が可能だが、一定の航路でしか運用できない点がネックになっている。
このため、輸送ルートのほか、環境、コストなどを考慮に入れて適正な輸送手段を選択すると、長距離輸送には鉄道輸送の利用を進めることとなった。
今後も鉄道輸送の拡大を続ける方針だが、課題としてコストの問題と、輸送枠の確保を上げる。輸送枠については、特に東京〜大阪間の東海道は激戦区となっ
ており、「枠の問題がクリアできれば、さらにシフトしていきたい」(田中文敏・ロジスティクス本部物流部物流企画担当主任)としている。
同社ではCO2排出量削減を@生産拠点から流通への直送A物流拠点配置の最適化B10トンから13トン増トン車の導入などトラックの積載率の向上Cモー
ダルシフト−という4つの視点で取組み、トータルの切り口で対応していく。
▽鉄道コンテナの利用基数
年 |
基
数 |
備
考 |
1999
年 |
3,602 |
『MONTHLYかもつ』2006年10月号、25頁 |
2000
年 |
16,097 |
同
上記 |
2001
年 |
23,651 |
同
上記 |
2002
年 |
28,839 |
同
上記 |
2003
年 |
28,166 |
同
上記 |
2004
年 |
29,156 |
同
上記 |
2005
年 |
40,624 |
同
上記 |
2006
年 |
約45,000 |
『カー ゴニュース』2008年3月27日付 |
2007
年 |
約51,000 |
同
上記 |
▼キリンビバレッジが物流拠点を大幅集約、組織体制の見直しによりコストダウン進め
る (『カー
ゴニュース』2009年7月30日付、第3819号)
キリンビバレッジ(前田仁社長)は次期の中期計画で物流拠点を現在の40ヵ所(デバニング拠点含む)から30ヵ所に減らすなど大幅な物流合理化を進め
る。
同社はキリングループ全体の効率化を進める中で、域内配送や受注、需給手配をキリン物流に委託、共同化しており、拠点集約でも40ヵ所ある物流拠点のう
ちキリンビールの工場10ヵ所とデバニング拠点6ヵ所は除く。
削減対象とするのは同社が契約している22ヵ所の営業倉庫とキリンビールの物流拠点2カ所。これを半減させて、全体では30ヵ所程度まで拠点数を減らす
計画だ。
これによって、保管費用、及び間接費用のコストダウンのほか、拠点を集約することによっての在庫削減に繋げる。
また、同時に現在は7ブロックに分けている国内の業務体制も4ブロック程度に集約することもキリングループとともに検討していく。
国内の飲料水市場は頭打ちになってきているといわれ、こうした中で固定費を削減するために、来年度から始まる中期計画では物流効率化に力をいれることに
したもの。
▼キリンビバレッジのコンテナ輸送
発
駅 |
発
荷主 |
品
目 |
着
駅 |
着
荷主 |
コ
ンテナ |
目
撃・備考 |
静岡貨物 |
キリンビ
バレッジ |
きりり氷
結168 |
盛岡
(タ) |
KBC盛
岡 |
18D |
2000.9.2
一ノ関 |
■キリン協和フー
ズ株式会社 ▲
協和醗酵フーズ(株)とキリンフードテック(株)が2009年4月に合併してキリン協和フーズ(株)が発足した。
▼貨物バラエティ 世界技術のうまみ調味料やサプリメント (『JR
貨物ニュース』2002年12月15日号、4面)
筑波山麓を彼方に臨む、協和醗酵
工業(株)土浦工場。同工場は1956(昭和31)年に開設され主に、調味料、加工食品、製菓・製パン用材料、健康食品などを製造してい
る。
調味料や加工食品は主として業務用。20キロの紙袋入りなど、寸法や重量の大きな製品が多い。
左写真でコンテナに積込みしているのはみりん。これは家庭用・業務用のものだ。サイズは1リットル、1.8リットルのペットボトルと18リットル、20
リットルのバックインボックス、そして1,000リットルコンテナの5種類。バックインボックスとは、段ボールケースの内にポリエチレン製の袋が入ってお
り、直接液体を入れられるようになっている入れ物。積込みの際はそのまま、
他の段ボールケースと同じように取り扱われる。
調味料類は他にカツオだし、うまみ調味料など。皆、業務用の大きなサイズだ。
ところで、うまみ調味料はグルタミン酸ソーダが主体であるが、現在世界中で利用されている画期的な発酵法によるグルタミン酸ソーダの開発は、協和醗酵が
手掛けたものだ。アミノ酸では世界的な技術水準の高さが窺える。
一方、健康食品の方は薬局等で販売されている一般ユーザー向けで普通のサイズ。土浦工場では多種の健康食品が作られている。
製品の一例を挙げると、顆粒のアガリクスや、濃縮タンパク液の「肝元」、様々なビタミンやコラーゲンのサプリメント類、ブルーベリーのドリンク剤など。
協和醗酵のこれらの健康食品を、ドラッグストアで一度は手に取ったことのある方も多いに違いない。
協和醗酵土浦工場では、これら製品の一部を鉄道コンテナで出荷し
ている。
同社ではストックポイントを札幌・仙台・東京・神戸・防府・福岡の6カ所に置いている。工場から出荷される製品のうち、SP向けとユーザー直送は半々
位。
コンテナ利用のメインは加工食品。しかも北海道・下関向けのユーザー直送分なので鉄道利用の割合はどちらかとい
うと少ない。
だが土浦工場には、同社防府工場からコンテナ輸送されて来る原材料も
多い。また北海道からもやはり原材料をコンテナで搬入してい
る。
話を聞いた宮寺則保業務課長によると、「運賃面で折り合えば、『着発線荷役駅』として大きく改良された土浦駅を利用し、環境に優しいJRコンテナ出荷を
積極的に検討してみたい」そうだ。
■ナガノトマト株式会社 ▲
▼鉄道便利ですか 大阪のトランスファセンターや九州のデポに鉄道コンテナ出荷
(株)ナガノトマト (『JR貨物ニュース』2002年9月15日号、3面)
(株)ナガノトマト(本社・長野県松本市、成川愼一社長)は、1957(昭和32)年創業。ジュースやケチャップ等のトマト製品他、野菜ジュース、なめ
茸製
品など、信州
を生かした製品作りを続けている。取材時はちょうどトマトの収穫時期で、「これからトマト製造のピーク」というところ。提携農家からのトマト出荷を待ち受
ける松本工場で、上村井物流部長に話を聞いた。
(株)ナガノトマトの鉄道利用は古くまで遡る。
現在のJR貨物南松本駅が、そもそも貨物輸送基地として営業開始したのは1968(昭和43)年。しかし上村井部長によると、そのさらに前から、同社の
本社工場最寄
駅である篠ノ井線村井駅より、貨車輸送を行っていたそうだ。
それでは、現在の同社の製品物流はどのようになっているのだろうか。
ナガノトマトでは、本社工場・松本工場と2つの工場を持ち、松本工場内にある倉庫から両工場の製品を全国に出荷している。
輸送手段はトラック、特積み貨物、コンテナ・チャーター便がそれぞれ3分の1ずつで、残りがフェリー。
同社では都市部の東京・名古屋・大阪にトランスファセンターを、北海道・広島・九州にはデポを持つ。製品はこれら物流拠点向けに輸送されるが、ユーザー
直送も僅かにある。
駅でトランスファできれば
トランスファセンターで行うのは名前の通り積み替え作業。工場から大型トラックで夜間到着する製品を顧客ごとに即小分け、翌朝には配送を済ませる。従っ
てここに在庫が置かれることは殆どない。またリードタイムにも厳しいため、メインは大型トラックで、鉄道の利用は限られる。
それに対し、デポは在庫が置いてある分、出荷にも時間の余裕がある。コンテナを利用しているのは主にこちら行きのものだ。
最も利用が多いのは九州。デポと一部のユーザー直送分で、南松本駅発福岡
(タ)着のものが月間約40個、鹿児島駅着が月間約10個程だ。
次に多いのは大阪のトランスファセンター向け。これはちょうど翌朝配送可能なダイヤ(安治川口駅着の1650列車)があるため、大型トラックで輸送している
分が、少しずつだがシフトしてきている。
残りは北海道・東北向けだが、こちらの利用は少ない。数年前、より料金の
安いフェリーにシフトして以来、コンテナの利用は減少してしまった。
鉄道で運んでいるのは、トマトジュースを始めとする同社の各種製品。これらを利用運送業者の松本運送鰍ェ大型トラックで集荷し、駅頭でコンテナにバラ積
みしている。工場には集荷のトラックが次々来るので、ここでコンテナ積込みを行うことはない。
コンテナへバラ積みする際、荷崩れ防止具などは特に用いていない。しかし濡損防止のため、段ボール箱にビニールで覆いをしている。
「翌朝に配送できる列車ダイヤがあれば、もっと鉄道を利用できるのだが」と上村井部長。なおかつ、トランスファセンターと同様の作業が着駅構内でできれ
ば、鉄道利用の可能性もさらに広がる、と話す。
▼ナガノトマト、OEM向けペットボトル飲料を増産 (『日
本経済新聞』2004年2月3日付)
飲食料品メーカーのナガノトマト(長野県松本市、成川慎一社長)は、大手メーカーにOEM(相手先ブランドによる生産)供給しているペットボトル飲料の
増産に乗り出す。消費拡大を受け、大手が拡販するのに対応する。松本工場(松本市)の製造要員や稼働日を3割増やし、年間供給量を従来の22%増に引き上
げる。
ペットボトル飲料は持ち運びやすさなどから人気が年々高まり、商品の種類も増えている。全国清涼飲料工業会(東京・中央)によると、すでに国内の清涼飲
料生産量の約半分を占めており、2002年の生産量は前の年に比べ7.3%増えた。
ナガノトマトはキリンビバレッジ向け「生茶」や「アミノサプリ」などを生産している。昨年は1380万ケース(1ケースは1.5リットルボトルで8本の
換算)供給した。今年は300万ケース(約22%)増やし、約1680万ケース供給する。
増産に向け、昨年10月時点で91人だった製造要員を119人に増やした。14日からは土日の操業も開始。年間操業日数を220日から290日にする。
▼ナガノトマト、キリンビバ向けなどOEM事業拡大 (『日
本経済新聞』2004年2月28日付)
キリンビールグループのナガノトマト(長野県松本市、成川慎一社長)は27日、中期経営計画(2004―06年12月期)の概要を発表した。キリンビバ
レッジ向け飲料などOEM(相手先ブランドによる生産)事業を拡大、3年間で1割の増収を狙う。
06年12月期の目標売上高は、03年実績比10.4%増の249億3000万円、目標経常利益は同47.3%増の5億7300万円。OEMに加え、業
務用の自社商品を学校給食向けや外食チェーン、東名阪の中堅食品スーパーに売り込み、増収を図る。またグループ内での資材や燃料などの共同調達、製造合理
化で増益を目指す。
設備投資額は今後3年間は毎年9億―10億円程度と、6億2500万円だった03年12月期の1.5倍前後に引き上げる。製造設備の合理化に加え、ライ
ンや工場の新設も検討する。
27日発表した03年12月期の売上高は前の期比5.5%増の225億9000万円、経常利益は同2.1倍の3億8900万円、最終利益は同94.7%
増の1億7500万円。売上高の7割を占めるOEMが12%伸びた。
▼ナガノトマトの食品事業を売却 キリンHD (『Fuji
Sankei Business i.』2010年6月15日付)
キリンホールディングス(HD)は15日、連結子会社であるナガノトマト(長野県松本市)の食品事業を、ナガノトマト経営陣による自社買収(MBO)に
より9月30日付で売却すると発表した。キリンHDの事業見直しの一環。残る飲料製造受託事業は、分割して新たに100%子会社の「信州ビバレッジ」を設
立する。
ナガノトマトには1976年にキリンビールが出資していた。ナガノトマトの食品事業はケチャップやなめ茸製品が主力だが、大口の受託生産の中止などで売
り上げ減少が続いており、2009年12月期は5年前のほぼ半分の52億円に落ち込んでいた。
キリンでは、ナガノトマトの井垣孝夫常務ら経営陣に株式を売却し、経営基盤を立て直すのが適切と判断した。売却金額は明らかにしていない。
新会社に分割する飲料製造受託事業の売上高は、2009年12月期で157億円。
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