【バ
ラ出荷高の推移】([1]p208) |
バラ出荷の輸送
機関別割合(%) |
||||
年
別 |
バ
ラ出荷高 (トン) |
全
出荷高に 対する割合(%) |
貨
車 |
ト
ラック |
そ
の他 |
1965(昭
40)年 |
695,375 |
28.5 |
15.7 |
12.8 |
− |
1966(昭
41)年 |
1,087,250 |
34.8 |
16.2 |
18.6 |
− |
1967(昭
42)年 |
1,417,698 |
39.6 |
20.6 |
18.6 |
0.4 |
1968(昭
43)年 |
1,764,652 |
43.6 |
22.3 |
20.9 |
0.4 |
1969(昭
44)年 |
2,348,687 |
53.2 |
27.4 |
25.2 |
0.6 |
1970(昭
45)年 |
2,954,007 |
61.6 |
33.0 |
28.0 |
0.6 |
1971(昭
46)年 |
3,424,840 |
67.2 |
36.1 |
30.5 |
0.6 |
1972(昭
47)年 |
4,048,135 |
73.2 |
35.7 |
36.9 |
0.6 |
営
業年度 |
秩
父第一 工場 |
秩
父第二 工場 |
熊
谷 工 場 |
合
計 |
1967(昭
42) |
76.9 |
87.8 |
47.1 |
65.4 |
1968(昭
43) |
62.7 |
82.9 |
43.4 |
57.4 |
1969(昭
44) |
61.6 |
77.6 |
40.4 |
53.9 |
1970(昭
45) |
68.4 |
70.5 |
37.6 |
53.1 |
1971(昭
46) |
65.4 |
69.4 |
33.9 |
50.7 |
1972(昭
47) |
58.4 |
63.2 |
31.4 |
46.4 |
営
業年度 |
増
車数 (両) |
年
度末 保有数 (両) |
バ
ラ貨車 輸送量 (トン) |
1958
(昭33) |
4 |
10 |
14,760 |
1960
(昭35) |
0 |
10 |
37,399 |
1962
(昭37) |
30 |
40 |
95,027 |
1964
(昭39) |
40 |
90 |
278,355 |
1965
(昭40) |
10 |
100 |
338,055 |
1966
(昭41) |
12 |
112 |
462,607 |
1967
(昭42) |
70 |
182 |
660,427 |
1968
(昭43) |
70 |
252 |
866,487 |
1969
(昭44) |
50 |
302 |
1,057,960 |
1970
(昭45) |
85 |
387 |
1,468,867 |
1971
(昭46) |
90 |
477 |
1,759,061 |
1972
(昭47) |
79 |
556 |
1,937,620 |
発
送 |
到 着 |
|||
セ メ ン ト |
石
膏 |
石
炭 |
石
油 |
|
寄
居経由 |
熊
谷(タ)経由 |
寄
居・熊谷(タ) 経由 |
寄
居・熊谷(タ) 経由 |
寄
居・熊谷(タ) 経由 |
川島(日本コンクリート工業(株) 川島工場)※1
南高崎(高崎
SS)小宮(小宮SS) 石和温泉(石和SS)※2 川中島(川中島SS) 南松本(松 本SS) 沢渡(沢渡SS) 元善光寺(飯田SS) |
友部(友部SS) 矢板(矢板SS) 宝積寺(日本セメント (株)宇都宮SS) 五日町〔セ メントターミナル(株)五日町(営)〕 八木原(電気化学工業(株) 八木原SS) 倉賀野〔セメントターミナル(株)高崎(営)〕 隅田川〔東京セメント運輸(株)〕 京葉市原(市 原SS) 下曽我(小田原 SS) 原(原SS) |
秋田港※3 中条 太郎代※4 |
浜川崎 扇町 ※石炭輸送は 太平洋 セメント(株) の項を 参照。 |
根岸※5 (日本石油精製(株) 根岸製油所) |
年
月 |
廃
止輸送先 |
1994
(平06)年09月 |
南
高崎 |
1996
(平08)年03月 |
京
葉市原、沢渡、元善光寺、原 |
1997
(平09)年03月 |
川
島、小宮、石和温泉、川中島、南松本 |
1998
(平10)年10月 |
五
日町 |
1999
(平11)年09月 |
倉
賀野、下曽我 |
2000
(平12)年03月 |
八
木原 |
2006
(平18)年03月 |
友
部、矢板、宝積寺、隅田川 |
2003
年度 |
2004
年度 |
2005
年度 |
2006 年度 |
281,884
トン |
252,472
トン |
223,706
トン |
0 トン |
年
別 |
1995 年 |
2003
年 |
2004
年 |
2005
年 |
2006
年 |
2007
年 |
2008
年 |
2009
年 |
熊
谷工場 |
3,166,381 |
2,316,689 |
2,175,750 |
2,171,311 |
2,253,310 |
2,103,271 |
1,975,092 |
1,528,633 |
秩父太平洋・秩父工場 |
1,986,396 |
796,724 |
840,653 |
876,585 |
820,137 |
823,848 |
792,724 |
669,509 |
合 計 |
5,152,777 |
3,113,413 |
3,016,403 |
3,047,896 |
3,073,447 |
2,927,119 |
2,767,816 |
2,198,142 |
年
月 |
事
項 |
1925
(大正14)年06月 |
工場操業開始(第1号回転窯運転開始)。([1]p452) |
1949
(昭和24)年05月 |
秩父工場若返り整備工事着工。([1]p468) |
1959
(昭和34)年12月 |
秩父第一工場、第1、2号回転窯胴体拡大工事完成。([1]p476) |
1960
(昭和35)年04月 |
秩父第一工場、第6号回転窯(ACL)運転開始。([1]p476) |
1960
(昭和35)年08月 |
秩父第一工場、第5号回転窯胴体拡大工事完成。([1]p477) |
1963
(昭和38)年08月 |
秩父第一工場、重油専焼に転換。([1]p480) |
1964
(昭和39)年11月 |
秩父第一工場、第5号回転窯ACL化改造工事完成。([1]p482) |
1965
(昭和40)年09月 |
秩父第一工場、第1、2号回転窯ACL化改良工事完成。([1]
p482) |
1967
(昭和42)年10月 |
秩父第一工場、大型原料ミル据付。([1]p485) |
1969
(昭和44)年04月 |
秩父第一工場、第6号回転窯運転開始。([1]p486) |
1971
(昭和46)年11月 |
秩父第一工場、第7号回転窯SP化改造工事完成。([1]p488) |
1996
(平成08)年06月 |
秩父第一工場が閉鎖。(Wikipediaよ
り) |
着
駅数 |
着
駅あたり 平均輸送距離 |
最
短輸送距離 (実キロ) |
最
長輸送距離 (実キロ) |
月
間発送量 (千トン) |
最
大量到着地 (千トン/月間) |
6 |
145.3km |
南 高崎 59km | 矢
板 211km |
64.5 |
南
高崎 22.0 |
年
月 |
事
項 |
1956
(昭和31)年05月 |
秩父第二工場竣工式。([1]p473) |
1957
(昭和32)年04月 |
秩
父第二工場、貨車バラ積設備据付。([1]p474) (同社webサイトより) |
1958
(昭和33)年03月 |
秩父第二工場、第3号回転窯運転開始。([1]
p474) |
1958
(昭和33)年06月 |
秩父第二工場、第4号回転窯運転開始。([1]
p475) |
1959
(昭和34)年05月 |
秩
父第二工場、貨車トラック共用バラ積設備据付。([1]p476) |
1963
(昭和38)年04月 |
秩父第二工場、重油専焼に転換。([1]p480) |
1969
(昭和44)年04月 |
秩父第二工場、第5号回転窯運転開始。([1]
p486) |
1969
(昭和44)年10月 |
秩父第二工場、大型仕上ミル据付。([1]p486) |
2000
(平成12)年06月 |
秩父太平洋セメント叶ン立。(同社webサイトより) |
2000
(平成12)年12月 |
秩父工場第2プラント、三輪鉱業所、叶山鉱業所の事業を継承し 秩父太平洋セメ ント鰍ニして営業開始。(同社webサイトより) |
2010
(平成22)年08月 |
秩父太平洋セメント樺&ロH場はセメント生産を中止。 (『セ メント新聞』2010年9月6日号) |
着
駅数 |
着
駅あたり 平均輸送距離 |
最
短輸送距離 (実キロ) |
最
長輸送距離 (実キロ) |
月
間発送量 (千トン) |
最
大量到着地 (千トン/月間) |
11 |
197.9km |
北 茅ヶ崎 152km | 塩
川 369km |
80.1 |
下
板橋 14.0 |
年
月 |
事
項 |
1962
(昭和37)年05月 |
熊谷工場、トラックバラ積設備据付。([1]p479) |
1962
(昭和37)年07月 |
熊
谷工場・武川駅間専用鉄道開通。([1]p479) 熊谷工場、第1号回転窯運転開始(重油専焼)。([1]p479) |
1962
(昭和37)年08月 |
熊谷工場、第2号回転窯運転開始。([1]p479) |
1962
(昭和37)年09月 |
熊谷工場、貨車バラ積設備据付。([1]p479) |
1963
(昭和38)年03月 |
熊谷工場、第3号回転窯運転開始。([1]p480) |
1963
(昭和38)年10月 |
熊谷工場、第4号回転窯運転開始。([1]p480) |
1964
(昭和39)年10月 |
熊
谷工場・籠原駅間専用鉄道開始。([1]p481) |
1966
(昭和41)年12月 |
熊谷工場、第5号回転窯運転開始。([1]p483) |
1967
(昭和42)年05月 |
熊谷工場、第6号回転窯運転開始。([1]p484) |
着
駅数 |
着
駅あたり 平均輸送距離 |
最
短輸送距離 (実キロ) |
最
長輸送距離 (実キロ) |
月
間発送量 (千トン) |
最
大量到着地 (千トン/月間) |
15 |
185.7km |
蕨 52km | 伊
達 293km |
120.6 |
千
住 18.0 |
1952(昭27)年10月 仙台倉庫開設([1] p469) ※北仙台駅に隣接 |
1960(昭35)年10月 長町倉庫開設([1] p477) |
1965(昭40)年08月 長町倉庫開設([1] p482) ※上記長町倉庫の移転か? |
1966(昭41)年10月 長町バラ倉庫開設([1] p483) |
<現
況> 1998(平10)年6月の現地調査時点で廃止、場所の特定も困難 |
「1967年版 専用線一覧表」:長町駅所管
の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり ※長町バラ倉庫の開設に合わせて専用線を設置した模様。 「1983年版 専用線一覧表」:長町駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり |
1975.9長町駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1984.11長町 駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1965(昭40)年02月 上ノ山倉庫開設([1] p482) |
1966(昭41)年09月 上ノ山バラ倉庫開設([1]
p483) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では、大越〜上ノ山間にセメント専用列車の設定あり 下記の伊達SS向けが少なくとも1978(昭53)年時点で熊谷工場からの最長輸送距離であったことからして も、 上ノ山向けの輸送は早い段階から大越駅の住友セメント(株)田村工場からの出荷となっていたと思われる。 これは、上記長町SS向けも同様だと思われる。 |
1991(平03)年09月 上ノ山駅の貨物取扱い廃止(Wikipediaよ
り) |
<現
況> 2005(平17)年5月の現地調査時点では太平洋セメント(株)上ノ山SSは残る。 但し2005年現在の『セメント年鑑』([6]p93)では存在せず。 |
「1967
年版 専用線一覧表」:上ノ山駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.3km)あり。 「1983 年版 専用線一覧表」:上ノ山駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり。 |
1976.10上ノ山駅 |
2005.5かみのやま温泉駅 |
1971(昭46)年05月 伊達SS、伊達倉庫開設([1] p488) |
1977(昭52)〜1978(昭53)年における熊谷工場(籠原駅)からの鉄道による最長輸送距離が伊達駅向けであった([3]
p54) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜伊達間にセメント専用列車の設定あり |
1988(昭63)年03月 ダイヤ改正では福島〜伊達にセメント専
用列車の設定があり、大越〜漆山間のセメント専用列車が福島駅で 解放を行っていることから、この時点で発駅が大越(住友セメント(株)田村工場)に変更となっていた模様 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で伊達駅の貨物列車発着が消滅 |
<現
況> 2000(平12)年現在([7]p101)では存在せず 2007(平19)年5月の現地調査時点ではSSの施設群は残っていた |
「1975
年版 専用線一覧表」:伊達駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.5km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:伊達駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.5km)あり |
2007.5伊達駅 |
2007.5伊達駅 |
1966(昭41)年08月 安積永盛バラ倉庫開設([1] p483) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜伊達間のセメント専用列車が安積永盛駅で解放を行う |
1988(昭63)年03月 ダイヤ改正では大越〜安積永盛間にセメント専用列車の設定があり、この時点で発駅が大越(住友
セメント(株)田村工場)に 変更となっていた模様 |
1999(平成11)年06月 大越駅からのセメント列車が廃止される
(Wikipediaよ
り) |
<現
況> 2006(平18)年11月の現地調査時点では太平洋セメント(株)安積永盛SSとして使用していたが、2010(平22)年現在([2] p90)で は存 在せず |
「1967
年版 専用線一覧表」:安積永盛駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.3km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:安積永盛駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.2km)あり |
2006.11安積永盛駅 |
2006.11安積永盛駅 |
1968(昭43)年03月 友部バラ倉庫、友部倉庫開設([1] p485) |
1990(平02)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜泉間のセメント専用列車が友部駅で解結を行う |
1996(平08)年08月 現地調査で武州原谷〜友部間で運用される秩父セメント(株)所有のセメント専用貨車を目撃 |
2006(平18)年03月 ダイヤ改正で友部駅に発着するセメント
列車が廃止された (旧秩父セメントの各工場からの鉄道によるセメント輸送全廃) |
<現
況> 太平洋セメント(株)友部SS(茨城県笠間市南友部1966-5)、 サイロ4基・能力6.0千トン([2]p90) |
「1970
年版 専用線一覧表」:友部駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.2km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:友部駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.2km)あり |
1996.8友部駅 |
1996.8友部駅 |
1996.8友部駅 |
2010.12友部駅 |
2010.12友部駅 |
1970(昭45)年07月 矢板バラ倉庫、矢板倉庫開設([1] p487) |
1977(昭52)〜1978(昭53)年における秩父第一工場(秩父駅)からの鉄道の最長輸送距離が矢板駅向けであった([3]
p54) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜矢板間にセ
メント専用列車の設定がある |
2006(平18)年03月 ダイヤ改正で矢板駅に発着するセメント
列車が廃止された (旧秩父セメントの各工場からの鉄道によるセメント輸送全廃) |
<現
況> 太平洋セメント(株)矢板SS(栃木県矢板市末広町24-4)、 サイロ4基・能力6.0千トン([2]p90) |
「1970
年版 専用線一覧表」:矢板駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり(記事:専売公社線から分岐) 「1983 年版 専用線一覧表」:矢板駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.6km)あり(記事:専売公社線から分岐) |
2000.3矢板駅 |
2005.12矢板駅 |
1965(昭40)年12月 小金井バラ倉庫開設([1] p483) |
1966(昭41)年04月 小金井倉庫開設([1] p483) |
1980(昭55)年10月 ダイヤ改正時点で既に小金井駅は貨物取
扱いが廃止されている |
<現
況> 貨物取扱い廃止が早かったことからも、SSは早期に廃止されたと思われる |
「1967
年版 専用線一覧表」:小金井駅所管の相鉄興産(株)専用線の第三者使用に秩父セメント(株)あり 「1975 年版 専用線一覧表」:小金井駅所管の相鉄興産(株)専用線の第三者利用者に秩父セメント(株)あり |
1975.1小金井 駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1960(昭35)年12月 高崎バラ倉庫開設([1] p477) |
詳細は拙
web「貨物取扱駅と荷主」の「倉賀野駅」における「秩父セメント(株)高崎SS」
を参照 |
1935(昭10)年05月 下板橋倉庫開設([1] p457) |
1957(昭32)年06月 下板橋倉庫に初めてバラタンクが付設された。この時、バラセメント輸送用 私有貨車6両が購入された([1]p155) |
1977(昭52)〜1978(昭53)年における秩父第二工場(武州原谷駅)からの鉄道による最大量到着地は下板橋(14.0千トン/月間)である
([3]p54) |
1986(昭61)年 下板橋SS廃止(『セメント年鑑
1987』p45) |
1986(昭61)年10月 東武鉄道東上線の貨物輸送全廃
([4]p184) |
<現
況> 鉄道貨物輸送の廃止時点でSSも廃止されたか? |
「1951
年版 専用線一覧表」:下板橋駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:下板橋駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり ※秩父セメントから東上線向けのセメント輸送(1965年当時)は袋詰が圧倒的に多かったとのこと (渡辺 一策「あの日のジョイント音」『トワイライトゾ〜ンMANUAL13』ネコ・パブリッシング、2004年、p157) |
1975.1 下板橋駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1961(昭36)年12月 千住バラ倉庫開設([1] p478) |
1977(昭52)〜1978(昭53)年における熊谷工場(籠原駅)からの鉄道による最大量到着地は千住(18.0千トン/月間)である([3] p54) |
1987(昭62)年04月 三ヶ尻〜羽生〜千住間のセメント列車(平日2本)が廃止。ホキ車及びタキ車で1
日当たり18両が運転([4]p184) |
<現 況> 鉄道貨物輸送の廃止時点でSSも廃止されたか? |
「1961
年版 専用線一覧表」:千住駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。 「1983 年版 専用線一覧表」:千住駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。 ※現役時の千住駅構内の様子は、前掲「あの日のジョイント音」p166にあり。 |
1984.10 千住駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
秩父セ メント(株)千住SS ([9]p944) |
1949(昭24)年09月 業平橋倉庫再開([1]
p468) |
1963(昭38)年02月 業平橋倉庫新築移転([1] p480) |
1987(昭62)年04月 三ヶ尻〜千住間の輸送が廃止された時点 で業平橋向けの輸送は廃止されていた模様 |
<現
況> 鉄道貨物輸送の廃止時点でSSも廃止されたか? 現地は現在、東京スカイツリー建設中 |
「1961
年版 専用線一覧表」:業平橋駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:業平橋駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり |
1975(昭50)年10月21日 千葉SS開設([8]
p291) |
1981(昭56)年頃の京葉市原駅の秩父セメントには三ヶ尻駅からセメント到着 (『京葉臨海鉄道20年史』京葉臨海鉄道株式会社、1983年、p194・196) |
1994(平06)年度 京葉臨海鉄道の品目別輸送量のセメントは
1994年度で消滅(1995年3月に廃止?) |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で熊谷(タ)〜村田間のセメント列車が廃止 |
<現
況> 2000(平12)年現在([7]p101)では存在せず。 2007(平19)年2月の現地調査時点で更地。尚、太平 洋セメント(株)市原SSは市 原市八幡海岸通74-3にあり([2]p90) |
「1983
年版 専用線一覧表」:京葉市原駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり。 |
1996.5京葉市原駅 |
1996.5京葉市原駅 |
年
度 |
1975 |
1977 |
1979 |
1981 |
1985 |
1987 |
1989 |
1991 |
1992 |
1993 |
1994 |
到着トン
数 |
53,330 |
112,225 |
126,580 |
86,600 |
100,546 |
83,600 |
98,268 |
87,400 |
82,460 |
65,740 |
45,220 |
1961(昭36)年02月 小宮倉庫開設([1] p477) |
1965(昭40)年02月 小宮バラ倉庫開設([1] p482) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜小宮間にセメント
専用列車が2往復設定 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で寄居〜小宮間のセメント専
用列車が1往復に減少 |
1997(平09)年03月 ダイヤ改正で小宮駅発着のセメント列車
廃止 |
<現
況> 2002(平14)年12月の現地調査時点ではSSは使用していたが、2005(平17)年現在([6]p93)は存在せ ず |
「1961
年版 専用線一覧表」:小宮駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。 「1983 年版 専用線一覧表」:小宮駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり。 |
2002.12小宮駅 |
2002.12小宮駅 |
1964(昭39)年06月 茅ヶ崎バラ倉庫、茅ヶ崎倉庫開設 ([1]p481) |
1977(昭52)〜1978(昭53)年における秩父第二工場(武州原谷駅)からの鉄道による最短輸送距離は北茅ヶ崎である([3] p54) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では茅ヶ崎〜北茅ヶ崎間にセ
メント専用列車が設定 |
1986(昭61)年 茅ヶ崎SS廃止(『セメント年鑑
1987』p45) |
1986(昭61)年11月 北茅ヶ崎駅の貨物取扱い廃止(Wikipediaよ
り) |
<現
況> 跡地はシマチュウ(ホームセンター)となっている。SS廃止時期は不明 |
「1964
年版 専用線一覧表」:北茅ヶ崎駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:北茅ヶ崎駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり |
茅ヶ崎 SS([1]p183) |
1978.2 北茅ヶ崎駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1971(昭46)年11月 小田原SS開設([1] p488) |
1971(昭46)年12月 小田原倉庫開設([1] p488) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜下曽我間に
セメント専用列車が設定 |
1988(昭63)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜原間にセメ
ント専用列車が相模貨物で解放。相模貨物〜下曽我間にセメント専用列車が設定 (※1985年時点の熊谷(タ)〜下曽我・吉原(原で解放)間の各セメント列車が1本に集約された形) |
1999(平11)年09月 相模貨物〜下曽我間のセメント列車の設
定が廃止 (倉吉 勲・二階堂 弥「9月16日、JR貨物運用改正概要」『レイル・マガジン12月号』通巻第195号、1999年、p112) |
<現
況> 太平洋セメント(株)小田原SS(小田原市曽我原660-1)、 サイロ2基・能力3.0千トン([2]p90) |
「1975
年版 専用線一覧表」:下曽我駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり(記事:一部国鉄側線) 「1983 年版 専用線一覧表」:下曽我駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり(記事:一部国鉄側線) |
2004.3下曽我駅 |
2004.3下曽我駅 |
1968(昭43)年03月 石和バラ倉庫開設([1] p485) |
1969(昭44)年10月 石和倉庫開設([1] p486) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜元善光寺間のセメント専用列車が石和駅で解放 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正では寄居〜小宮間のセメント
専用列車が高麗川駅で解放、高麗川〜石和温泉間にセメント専用列車が設定 |
1997(平09)年03月 ダイヤ改正によって寄居発のセメント専
用列車が廃止されたので、石和SSの専用線も廃止されたと思われる |
<現
況> 2006(平18)年8月の現地調査時点で跡地はパチンコ店となっていた |
「1970
年版 専用線一覧表」:石和駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり。(記事:国鉄砕石線分岐) 「1983 年版 専用線一覧表」:石和駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり。(記事:国鉄砕石線分岐) |
1995.9石和温泉駅 |
1995.9石和温泉駅 |
1964(昭39)年12月 川中島バラ倉庫、川中島倉庫開設 ([1]p482) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜川中島間にセメン
ト専用列車が設定 |
1997(平09)年03月 ダイヤ改正で川中島駅発着のセメント列
車が廃止 |
<現
況> 貨物取扱い廃止後もSSは使用されていたが、2008年にSSは更地化された(Wikipediaよ
り) |
「1964
年版 専用線一覧表」:川中島駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:川中島駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり |
1975.11川中 島駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1972(昭47)年07月 大町SS開設(『セメント 年鑑 1973』p54) |
1983(昭58)年09月 大町SS廃止(『セメント 年鑑 1984』p40) |
<現
況> |
「1975
年版 専用線一覧表」:信濃大町駅所管の関西電力(株)〔第三者利用者:東京電力(株)〕専用線(作業キロ:2.1km)あり 「1983年版 専用線一覧表」:信濃大町駅所管の関西電力(株)〔第三者利用者:建設省〕専用線(作業キロ:2.1km)あり |
1977.9信濃大 町駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1969(昭44)年04月 松本バラ倉庫開設([1] p486) |
1969(昭44)年06月 松本倉庫開設([1] p486) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜南松本間にセメン
ト専用列車が設定 |
1988(昭63)年03月 ダイヤ改正では寄居〜川中島間のセメン
ト専用列車が南松本駅で解放 (※1985年時点の寄居〜川中島・南松本間の各セメント列車が1本に集約された形) |
1997(平09)年03月 寄居〜川中島間のセメント列車が廃止さ
れたため、松本SS専用線もこの時点で廃止か? |
<現
況> 2002(平14)年10月時点ではSSは使用されているようだったが、その後旧日本セメント
(株)松
本SSに集約されて廃止されたと思わ
れる |
「1970
年版 専用線一覧表」:南松本駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.7km)あり(記事:松本市専用線分岐) 「1983 年版 専用線一覧表」:南松本駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.7km)あり |
1997.3南松本駅 |
2011.4南松本駅 |
1968(昭43)年03月 沢渡バラ倉庫、沢渡倉庫開設([1] p485) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜元善光寺間のセメ ント専用列車が沢渡駅で解放 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で沢渡駅発着のセメント列車
が廃止 |
<現
況> 2000(平12)年現在([7]p102)では存在せず 2002(平14)年10月の現地調査時点ではSSは確認できず |
「1970
年版 専用線一覧表」:沢渡駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:沢渡駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ0.1km)あり(記事:西春近財産区線に接続) |
1994.6沢渡駅 |
1994.6沢渡駅 |
1974(昭49)年12月9日 飯田SS開設([8]
p289) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では寄居〜元善光寺間のセメ ント専用列車が設定 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で元善光寺駅発着のセメント
列車が廃止 |
<現
況> 隣接する旧小野田セメント飯田SSと一体化され、太平洋セメント(株)飯田SS(飯 田市 座光寺3631-2)、サイロ3基・能力4.0千トン([2]p91) |
「1975
年版 専用線一覧表」:元善光寺駅所管の(株)座光寺協同専用線センターの第三者利用者(真荷主)に秩父セメント鰍り 「1983 年版 専用線一覧表」:元善光寺駅所管の(株)座光寺協同専用線センターの第三者利用者(真荷主)に秩父セメント鰍り |
1997.3元善光寺駅 |
1997.3元善光寺駅 |
1969(昭44)年06月 新潟バラ倉庫、新潟倉庫開設([1] p486) |
1984(昭59)年01月 上沼垂駅が貨物取扱いを廃止(Wikipediaよ
り) |
<現
況> 鉄道貨物輸送廃止と同時期にSSも廃止か? |
「1970
年版 専用線一覧表」:上沼垂駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:上沼垂駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり ※熊谷工場(三ヶ尻駅)からセメント到着か? |
新 潟SS([1]頁不詳) |
1975.11 上沼垂駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1965(昭40)年10月 宮内バラ倉庫開設([1] p483) |
1969(昭44)年08月 宮内倉庫開設([1] p486) |
1986(昭61)年11月 宮内駅の貨物取扱いが廃止([5]
p316) |
<現
況> 1995(平07)年現在([8]p105)では存在せず 2007(平19)年3月の現地調査時点でSSは跡形も無し |
「1967
年版 専用線一覧表」:宮内駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:宮内駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり ※「懐かしい駅の風景〜線路配線図と ともに」には宮内駅の秩父セメント(株)専用線の貴重な現役時代の写真あり⇒こ ちら ※熊谷工場(三ヶ尻駅)からセメント到着か? |
1975.11 宮内駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1969(昭44)年11月 直江津バラ倉庫、直江津倉庫開設 ([1]p487) |
1986(昭61)年 直江津SS廃止(『セメント年鑑
1987』p45) |
1986(昭61)年11月 犀潟駅の貨物取扱いが廃止([5]
p316) |
<現
況> 1995(平07)年現在([8]p105)では存在せず。詳細不明 |
「1983
年版 専用線一覧表」:犀潟駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.4km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:犀潟駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.5km)あり ※熊谷工場(三ヶ尻駅)からセメント到着か? |
直江津SS([1] p207) |
1975.9犀潟駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1962(昭37)年05月 原バラ倉庫開設([1] p479) |
1966(昭41)年10月 原倉庫開設([1] p483) |
1985(昭60)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜吉原間のセ
メント専用列車が原駅で解放 |
1988(昭63)年03月 ダイヤ改正では熊谷(タ)〜原間にセメ
ント専用列車が設定 |
1996(平08)年03月 ダイヤ改正で原駅のセメント列車発着が
廃止 |
<現
況> 2001(平13)年9月の現地調査時点ではSSは使用中であったが、その後閉鎖、撤去 2000(平12)年現在([7]p102)では残るが、2005(平17)年現在([6]p94)では無し |
「1964
年版 専用線一覧表」:原駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:原駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.3km)あり |
1976.2 原駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
原SS([10] p143) |
1955(昭30)年07月 島田倉庫開設([1] p472) |
1967(昭42)年07月 島田バラ倉庫開設([1] p484) |
1986(昭61)年 島田SS廃止(『セメント年鑑
1987』p45) |
<現
況> 1995(平7)年3月の現地調査時点でSSは跡形も無く、詳細不明 |
「1970
年版 専用線一覧表」:島田駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:島田駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり |
1976.2 島田駅 「地図・空中写真閲覧サービス」より |
1964(昭39)年08月 八田倉庫開設([1] p479) |
1969(昭44)年09月 八田バラ倉庫開設([1] p486) |
1990(平02)年03月 ダイヤ改正では近江長岡〜八田間にセメント専用列車の設定あり。稲沢、枇杷島で解放あり (それ以前のダイヤでも近江長岡〜八田間にセメント専用列車の設定あり、但し名古屋や笹島で連結あり) |
1994(平06)年10月 秩父セメント(株)と小野田セメント
(株)が合
併し秩父小野田(株)が発足。 |
1994(平06)年12月 東藤原〜八田間でセメント輸送開始 (松本 典久「関西本線 富田駅の業務を見る」『鉄道ジャーナル3月号』通巻第353号、1996年、p32) |
1997(平09)年11月 八田駅の貨物取扱いが廃止(Wikipediaよ
り) |
<現
況> 現地は商業施設「カーマ」となっている |
「1964
年版 専用線一覧表」:八田駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km)あり 「1983 年版 専用線一覧表」:八田駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.1km[製品線]、0.2km[セメント線])あり |
1996.3八田駅 |
八田SS([10]p144) |
1976(昭51)年10月 魚津SS開設(『地域と共
にあゆみ50年』株式会社丸八、2004年、p23) |
「1970
年版 専用線一覧表」:魚津駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり〔(株)丸八、富山県経済農協連との共用線〕 「1983年版 専用線一覧表」:魚津駅所管の秩父セメント(株)専用線(作業キロ:0.2km)あり〔(株)丸八、富山県経済農協連との共用線〕 ※「懐かしい駅の風景〜線路配線図と ともに」には魚津駅の秩父セメント(株)専用線の貴重な現役時代の写真あり。⇒こ ちら |
上掲『地域と共にあゆみ50年』p23 |
魚津 SS([10]p136) |