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太平洋セメント株式会社
2010.9.24作成開始 2010.9.26公開  2010.11.3訂補
<目次>
◆1.会社概要
◆2.太平洋セメント発足後の沿革
◆3.事業所の概要
◆4.太平洋セメントの現在の鉄道貨物輸送の状況
 ■4−1.セメ ント輸送
 ■4−2.石灰 石輸送
  岩手開発鉄道の石灰石輸送
  秩父鉄道の石灰石輸送
  重安〜宇部岬の石灰石輸送
 ■4−3.石炭 輸送
 ■4−4.炭酸カルシウム及び石炭灰輸送
 ■4−5.無蓋コンテナによる焼却灰等の 廃棄物輸送
  太平洋セメント(株)上磯工場
  太平洋セメント(株)熊谷工場
  太平洋セメント(株)大分工場
◆5.合併前旧社及びグループ会社各社の鉄道貨物輸送
【旧社】
@小野田セメント(株)
A日本セメント(株)
B秩父セメント(株)
【グループ会社】
C明星セメント(株)
D敦賀セメント(株)
E第一セメント(株)〔現、(株)デイ・シイ〕
F山陽白色セメント(株)
G奥多摩工業(株)
H安倍川開発(株)
I甲州砕石(株)
J小野田化学工業(株)
K屋久島電工(株)
L三井埠頭(株)

2009.1 旧四日市港駅 太平洋セメント(株)藤原工場 四日市出荷センターにおけるタキ112460


◆1.会社概要(2010 年9月現在)  
本 社所在地
東京都港 区台場2-3-5 台場ガーデンシティビル
資 本金
695億 円
売 上高
連結= 7,285億円(2010年3月期)
従 業員数
2,133 名(2010年3月31日現在 出向従業員及び休職者等含まず)
生 産拠点
国内 11、米国3、中国3、ベトナム1、フィリピン1、韓国2(グループ含む)
同社webサ イトより)



◆2.太平洋セメント発足後の沿革  
年 月日
事   項
1998(平 10)年10月1日
秩父小野 田(株)と日本セメント(株)が合併し、太平洋セメント(株)が発足
2000(平 12)年10月
太平洋セ メント(株)は秩父工場 (生産能力160万トン)と香春工場(同240万トン)を分社化。それぞれ生産能力を80万トンとする。
これによりグループの生産能力は年産2,800万トンとなる。(同社ニュースリ リース2000年3月28日
2001(平 13)年04月
市原エコ セメント(株)が完成、千葉県内の自治体から約6万トンの焼却灰を受入れ、これを主原料を11万トンのエコセメントを生産する計画。
同社ニュース リリース2001年3月29日
2004(平 16)年03月末
香春太平 洋セメント(株)が解散、麻生セメント(株)に生産委託する。(同社ニュースリリー ス2003年9月4日
2007(平 19)年07月
太平洋セ メント(株)と奥多摩工業(株)が共同出資し「山陽太平洋ライム」(山陽小野田市)を設立。製紙用石灰を主力とする生石灰工場を新設。
美祢市の太平洋セメントの鉱山から石灰原料を調達し、2008年12月の操業を目指す。現在のグループ生産量の4割強に当たる年産29万トン
を見込む。(『日 本経済新聞』2008年2月27日付
2009(平 21)年12月
太平洋セ メント(株)藤原工場にトルエンなどの低引火点の廃油を代替燃料として受け入れる設備を導入。熊谷工場、日高工場、秩父太平洋
セメントには導入済み。(『日 刊工業新聞』2009年11月26日付
2010(平 22)年度上期
太平洋セ メント(株)は土佐工場、大分工場佐伯プラント、秩父太平洋セメント(株)秩父工場のセメント生産を中止する。
『朝 日新聞』2010年2月23日付
2010(平 22)年5月21日
太平洋セ メント(株)大分工場佐伯プラントがセメント生産を中止。石炭灰の保管のためのアッシュセンターとして存続。
『大 分合同新聞』2010年05月22日付



◆3.事業所の概要  
事 業所名
旧 系列
セメント生産量
(2009年)
所 在地
専 用線
(斜字:廃止)
鉄 道貨物輸送の概要
上 磯工場
日 本
2,902,655t
北斗市谷好1-151
上磯
1989 年に廃止された石灰石鉱山と工場を結ぶ専用鉄道が有名
現在は日甜芽室から無蓋コンテナでライムケーキが到着
大 船渡工場
小 野田
1,605,001t
大船渡市赤崎町
字跡浜21-6
赤崎
セメント 発送は早い段階で鉄道輸送を中止し、現在は岩手開発鉄道
による岩手石橋〜赤崎の石灰石輸送のみ
熊 谷工場
秩 父
1,528,633t
熊谷市三ケ尻5310
三ヶ尻
2006 年にセメントの車扱輸送を中止。詳細は秩父セメント(株)の項
参照。現在は石 灰石(影森・武州原谷発)、石炭(扇町発)、
無蓋コン テナで焼却灰が 到着
埼 玉工場
日 本
1,190,756t
日高市原宿721
高麗川
1999 年に車扱輸送廃止
藤 原工場
小 野田
1,816,559t
いなべ市藤原町
東禅寺1361-1
東藤原
現在も日 本唯一の鉄道貨車によるセメント輸送を行う工場
その他にも炭酸カルシウム・石炭灰輸送や砕石輸送等も行う
土 佐工場
日 本
1,015,526t
高知市孕東町25

過去から 現在まで鉄道貨物輸送とは縁が無かった模様
大 分工場
(津久見・佐伯)
小 野田
日本
5,623,655t
大分県津久見市
合ノ元町2-1
津久見
海崎

現在は四 日市から無蓋コンテナで焼却灰が到着
秩 父太平洋セメント(株)
秩 父
669,509t
秩 父市大野原1800 武州原谷
現在は 三ヶ尻への石灰石の発送、熊谷工場休業時のみ石炭の到着
(株) デイ・シイ
川崎工場
日 本
1,075,996t
川崎市川 崎区
浅野町1-1
浜川崎
1998 年まで奥多摩工業から石灰石が到着。古くはセメント発送も行う
明 星セメント(株)
糸魚川工場
日 本
1,487,407t
糸 魚川市
上刈7丁目1-1
糸魚川
2003 年に車扱によるセメント輸送廃止
敦 賀セメント(株)
敦賀工場
秩 父
721,225t
敦 賀市泉2-6-1 敦賀港
1996 年3月に車扱によるセメント輸送廃止
同 社webサイト、『セメント年鑑 2010』などより)
※赤崎はセメント輸送が廃止された時点で専用線は廃止され(「1983年版専用線一覧表」では存在せず)、現在の赤崎駅における石灰石輸送の到着は岩手開 発鉄道の側線の模様。



◆4.太平洋セメントの現在の鉄道貨 物輸送の状況  
 2010(平22)年9月現在の太平洋セメントの鉄道貨物輸送の利用状況を纏めておく。現在廃止された輸送については、基本的に5章以 降で旧社ごとに分けて纏めていく。(例、熊谷工場からの輸送は秩父セメント(株)の項で…)

 太平洋セメントは、国内唯一のセメント列車やJR線ではこれまた国内唯一の石炭列車の荷主であるし、セメント用石灰石輸送を営業の柱とする私鉄の荷主で もあるし、更には炭酸カルシウム・フライアッシュの車扱による往復輸送という効率的かつ理想的な車扱輸送≠フ先鞭を付けた輸送もあるなど、今でも特徴あ る鉄道貨物輸送を展開している主要荷主と言える。目立った鉄道貨物輸送の利用が無くなってしまったライバル・住友大阪セメント(株)とは対照的な存在とも 言え よう。もちろん、かつて全国各地で行われていたセメントの鉄道輸送や大量の石灰石輸送などがあった時代と比べると、見る影も無い現状かもしれないが、それ でも研究対象として食指が動くだけの輸送を今もって行っている荷主だと思われる。
2007.1三 岐鉄道・東藤原駅構内から藤原工場を望む


■4−1.セメント輸送  
 現在、国内唯一≠ニなってしまった「車扱によるセメント列車」は、藤原工場で生産されたセメントを四日市港にある同工場の四日市出荷センターまで運ぶ ための東藤原〜四日市間 で運行されている列車である。2007(平19)年3月に東藤原〜坂祝・西浜松のセメント列車が廃止になって以降、四日市向けの輸送だけが残る現在の形 態 となった。2010年3月ダイヤ改正では富田〜四日市にはセメント専用列車が4 往復設定されている。


2007.1東藤原駅構内

2007.1三岐鉄道の車内から藤原工場のセメント貨車 荷役線を撮影

▼太平洋セメント(株)藤原工場のセメント生産量の推移 (単位:ト ン)
年 別
1999 年
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
2005 年
2006 年
2007 年
2008 年
2009 年
生 産量
1,694,488
1,828,826
1,761,480
1,881,601
1,974,091
2,210,705
2,380,493
2,363,999
2,178,584
2,141,079
1,816,559
(『セメント年鑑』より作成)

▼三岐鉄道のセメント及び総輸送量の推移 (単位:トン)
年 度
2003 年度
2004 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
セ メント
830,946
658,768
705,660
760,684
656,032
総 輸送量
1,223,550
1,036,828
1,049,500
1,094,770
1,004,274
(『鉄道統計年報』より作成)

 「年」と「年度」で統計年の違いがあることに留意する必要はあるが、2007年の藤原工場のセメント生産量(約218万トン)と三岐鉄道のセメント輸送 量(約66万トン)を比較すると、生産量の約3割が鉄道 輸送されていることが分かる。これを大きいと見るかどうかは判断の分かれるところであるが、ある一定のシェアは確保しているという評価はできよう。

 尚、1994(平6)年度の東藤原〜四日市港間のセメント輸送は85万4,000トンであった。坂祝、膳所、西浜松、元善光寺などは約10万〜3万ト ン程度の出荷量で、圧倒的に四日市港向けの輸送が多かった。([16]p32)


▼太平洋セメント(株)藤原工場 四日市出荷センター
 四日市出荷センターは、1960(昭35)年7月、小野田セメント(株)四日市SSとして設置された。サイロ能力は完成時、サイロ4基、 総 収容能力17,200トンであった。設置目的としては、セメント出荷能力の増強と共に、藤原工場で使用する石炭・コークスの受入原価低減もあった。 ([1]p592)
2009.1
道路沿いに掲げられた見取図


2006.4 セメントサイロに隣接してコンクリート工 場も存在

2006.4 土砂置場

2009.1 主力機関車が変わっていた

2009.1 2006年当時の主力機は車庫で休む


■4−2.石灰石輸送  
 太平洋セメントは現在、大船渡工場熊谷工場の 2工場に対して、セメント原料の石灰石について鉄道貨物輸送を利用している。前者が岩 手開発鉄道岩手石橋〜赤崎)、後者が秩父鉄道影森・武州原谷〜三ヶ尻)で、それぞれ私鉄の線内輸送である点が特徴的 だ。また、記憶に新しい重安〜宇部岬間の石灰石列車の廃止だが、これは太平洋セメント(株)重安鉱業所からの発送であり、廃止間もないということで、この 項で 取り上げることにした。この輸送はセメント原料ではなく、セントラル硝子の中和剤用生石灰の原料輸送であったのが、興味深いところである。


▼岩手開発鉄道の石灰石輸送  
 岩手開発鉄道は1939(昭14)年8月、岩手県大船渡港と本県内陸部を鉄道で結び、産業振興を図ると共に、その沿線地域の開発を目的として国鉄(現 JR)大船渡市盛駅と遠野市平倉駅間に約29kmの鉄道を敷設するため、岩手県、沿線市町村並びに関係企業による第三セクター地方鉄道会社として設立され た。1950(昭25)年10月にまず日頃市線の盛〜日頃市間が営業を開始し、1957(昭32)年6月には赤崎線の盛〜赤崎間が営業開始、そして 1960(昭35)年6月には日頃市線の日頃市〜岩手石橋間が延長され石灰石輸送を開始した。同社webサイトより)

 一方、大船渡工場は東北セメント(株)として1931(昭11)年4月に設立、1942(昭17)年4月に小野田セメントと合併し同社大船渡工場となっ た。([1]p759)

 1983(昭58)年2月28日付で盛駅において接続する大船渡線への連絡貨物は廃止されており([2]p41)、この 時点で大船渡工場からの鉄道に よるセメント出荷は廃止され、岩手開発鉄道の貨物輸送は自社線内だけの石灰石輸送に特化したものと思われる。

 同社の石灰石列車は、ディーゼル機関車1輌+ホッパ車18輌で総トン数630トン。この石灰石列車が2編成で運用されている。([3] p48)

▽岩手開発鉄道の輸送量の推移 (単位:トン)
1985 年度
1990 年度
1995 年度
2000 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
3,311,396
4,468,178
4,491,468
3,166,468
2,088,144
2,011,032
1,882,512
(『鉄道統計年報』より作成)

▽岩手開発鉄道のダイヤの推移
年月日
事 項
1992 (平成04)年4月1日
ダイヤ改正で朝7時〜翌5時までの1日29往復の設定([2]p50- 51)
2003 (平成15)年1月
1日の運転本数が18往復になる([4]p5)
2003 (平成15)年4月1日
夜間運転を中止して1日の運転本数が13往復体制になる([4] p5)


2007.9岩手石橋駅

2007.9赤崎駅

▽岩手・住田で新鉱山開発へ 太平洋セメント (『河 北新報』2008年03月25日付
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/03/20080326t32016.htm

 太平洋セメント(東京)は、大船渡工場(岩手県大船渡市)で生産するセメント原料の石灰石採取のため、岩手県住田町上有住地区で新鉱山の開発に着手する ことを決め、25日までに町に計画を示した。2014年の生産開始を目指す。

 新鉱山の予定地は、住田町上有住の袰下(ほろし)山(587メートル)周辺の約300ヘクタール。同町世田米と大船渡市日頃市町にある計3カ所の既存鉱 山の北西約5キロに位置する。社有地、町有地、その他私有地などがほぼ3分の1ずつ占めている。既に県条例に基づく環境影響評価の手続きに 入っており、町 役場と大船渡工場で資料の公告、縦覧を始めた。土地買収や一連の手続きが終了後、早ければ10年に開発に着手する。総事業費は数十億円から100億円。生 産量は既存鉱山3カ所の合計分とほぼ同じ年間約300万トン。埋蔵量は100年分を見込む。

 既存鉱山3カ 所はいずれも今後約10年以内に資源枯渇が予想され、 新鉱山確保が必要になった。3カ所の従業員約70人は新鉱山に移行する。
 大船渡工場は「環境に配慮し、地元の理解を得ながら開発を成功させたい」と話す。


▼秩父鉄道の石灰石輸送   
 セメント輸送が2006(平18)年3月までに廃止された秩父鉄道にとって、石灰石輸送が総輸送量に占める割合はますます高いものと なっている。かつて秩父鉄道では、日本セメント向けの石灰石輸送も行われたが、その輸送が1984(昭59)年2月に廃止以後は秩父セメント向けだけと なった。秩父(秩父第一工場)、武州原谷(秩父第二工場)、三ヶ尻(熊谷工場)と秩父鉄道沿線に3工場を擁した秩父セメントであったが、太平洋セメント発 足前(秩父小野田時代の1996年)に秩父第一工場は閉鎖、秩父第二工場は秩父太平洋セメント(株)として分社化された後、2010(平22)年上期には セ メント生産を中止、熊谷工場のみがセメント生産を続けている状態で、このような変化が秩父鉄道の石灰石輸送にも大きな影響を与え、近年はその輸送量を減ら し続けている。
2006.8 武州原谷駅 影森から秩父第二工場向け石灰石は高架の荷卸線に到着[13]p68

但し、第二工場向け石灰石は叶山鉱山からのベルトコンベアに切り替わったためこの高架線は使われなくなった。([13]p68)

▽秩父鉄道の石灰石輸送に関わる年表
年 月日
事    項
1918(大 7)年9月16日
影森−武甲間(貨物線)が開業、浅野セメントの東京工場(深川)に石灰 石を供給([8]p15)
1925(大 14)年11月
三輪鉱山に影森駅から側線が敷設され送石が開始された。当初の積込槽は1車線5両 積みの2車線であった([5]p293)
1951(昭 26)年
1953(昭28)年
2回にわたり増設が行われ、10両積み2車線となった([5] p293)
1955(昭 30)年
秩父第二工場向けとして10両積み2車線の積込槽が建設され、同時に カットゲートの開閉が従来の手回し式から圧縮空気による方法
に切替([5]p293)
1961(昭 36)年
武甲(秩父鉱業)から高麗川の日本セメント(株)埼玉工場向け石灰石列 車を トキ15両編成で運転開始([13]p68)
1962(昭 37)年
熊谷工場送りの鉱石専用車は以前の1両24トン積みから35トン積みに なった([5]p293)
1968(昭 43)年
熊谷工場向けを20両編成とするため、従来の2車線分を20両積込みに 増強した。これにより10両2車線、20両2車線の計4車線となり、
積込槽の貯鉱能力は9,500トンとなった([5]p294)。ディーゼル機関車が増車され原石輸送体制が強化([5]p222)
1972(昭 47)年9月
新たに10万トンの貯鉱能力を有する第二貯鉱場が完成した([5] p222)
1974(昭 49)年
武甲(秩父鉱業)〜高麗川(日本セメント埼玉)の石灰石輸送は、武州原 谷駅に積込設備を新設し発駅を同駅 に変更し合理化([13]p68-69)
1984(昭 59)年2月1日
影森〜武甲間の武甲線(貨物線)が、武甲山より日本セメント(株)埼玉 工場 までのベルトコンベア完成に伴い廃止([7]p189)
1993(平 5)年2月1日
秩父セメント叶山鉱山で採掘された石灰石の積出設備が同社秩父工場第2プラント武州原谷)内に完成し、
従来影森から同社熊谷工場(三ヶ尻)に運行されていた石灰石列車のうち3往復が武州原谷発着に変更と なっ た。([6])
1994(平 6)年12月
影森〜三ヶ尻の石灰石列車が16往復(区間運転あり)設定されている ([7]p191-192)
2007(平 19)年03月
平日ダイヤでは、影森→三ヶ尻の石灰石列車は定期4本・不定期4本、武 州原谷→三ヶ尻の石灰石列車は定期3本(『2007貨物時刻表』p142)
2010(平 22)年03月
平日ダイヤでは、影森→三ヶ尻の石灰石列車は定期4本・不定期3本、武 州原谷→三ヶ尻の石灰石列車は定期1本・不定期2本
(『2010貨物時刻表』p141)

▽秩父鉄道の石灰石及び総輸送量の推移 (単位:トン)
年 度
1985 年度
1990 年度
1995 年度
2000 年度
2003 年度
2004 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
石 灰石
-
-
-
-
2,242,640
2,158,320
2,200,400
2,249,406
2,068,153
総 輸送量
6,181,822
6,672,795
4,834,724
3,052,402
2,807,815
2,684,996
2,675,407
2,513,494
2,307,702
(『鉄道統計年報』より作成)

▽影森駅の発送トン数の推移 (単位:トン)
1990 年度
1991 年度
1992 年度
1993 年度
1994 年度
1995 年度
1996 年度
1997 年度
1998 年度
1999 年度
3,980,686
3,992,280
3,027,383
2,379,343
2,493,560
2,244,023
2,250,143
1,700,000
1,102,280
1,051,960
2000 年度
2001 年度
2002 年度
2003 年度
2004 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
2008 年度

665,040 608,600 639,200 690,880 605,880 665,040 898,926
630,836
648,040

(『埼玉県統計年鑑』より作成)


2006.8影森駅 秩父太平洋セメント (株)三輪鉱山の側 線

2002.12武川駅 三ヶ尻駅へと向かう石灰石列車


▼重安〜宇部岬間の石灰 石輸送  
 2009(平21)年10月18日をもって廃止された重安駅(太平洋セメント(株)重安鉱業所)から宇部岬駅(セントラル硝子(株)宇部工場)間の石灰 石輸送 についても、近年廃止されたばかりということで、ここで取り上げておく。

 重安駅からの石灰石輸送の歴史は古く、小野田セメント重安鉱山からの石灰石を輸送するために建設された美祢軽便鉄道が1916(大5)年に開業した。 1920(大9)年には国有化されたが、その後も小野田港駅の小野田セメント(株)向け及び宇部岬駅のセントラル硝子(株)向けの石灰石輸送が行われ続け た。重 安〜小野田港の石灰石列車は1960年代半ばから1970年代初頭にかけては1日当たり片道5本が運転され、一方の重安〜宇部岬間は1960年代初頭から 同1本の運 行であった。([9]p123)

 重安駅の小野田セメント(株)(東線)の専用線敷設は1924(大13)年、同社(西線)の専用線敷設は1955(昭30)年6月、小野田港駅の小野田 セメント(株)(南線)の専用線敷設は1943(昭18)年4月、同社(北線)の専用線敷設は1944(昭19)年4月となっている。([10] p308)

 また1974(昭49)年度における石灰石のピストン輸送における荷主別輸送量は、重安〜小野田港の小野田セメントが834千トン、重安〜宇部岬のセントラル硝子が141千トンであった。([11]p127)
 1970年代以降、小野田港向けの石灰石列車は徐々に本数を減らしていき、1985(昭60)年に小野田セメントが小野田工場を閉鎖したため廃止され た。([9]p123、125)

 一方の宇部岬向けの輸送は変わらぬ輸送を続けていたが、貨車の老朽化に伴い廃止されることになった。廃止後はトラック輸送に切り替えられる。尚、セント ラル硝子に運ばれた石灰石は焼成されて生石灰となり、それに水 を加えて乳化、各製造工程における中和剤(アルカリ源)と して使用されている。([9]p123)


2007.9重安駅 太平洋セメント(株)重安鉱業所の 専用 線

2007.9宇部岬駅 セントラル硝子(株)宇部工場の 専用 線

 宇部岬向けの輸送について廃止が噂され始めた頃に下記のような記事があり、鉄道による石灰石輸送の増加に淡い期待をしたものの叶わなかった…。
▽太平洋セメント、鉄鋼向け石灰石を増産 山口に11億円で新設備 (『日 本経済新聞』2008年8月16日付
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20080816AT1D1503615082008.html

 太平洋セメントは鉄鋼の製造工程で使う石灰石を増産する。主力拠点の重安鉱業所(山口県美祢市)で約11億円を投じて石灰石の加工設備を増設。2009 年度から国内外の鉄鋼メーカーに年20万トン出荷する。今後、韓国やタイで製鉄所の新設が相次ぐことなどから、鉄鋼向け石灰石の需要が伸びると判断し、生 産体制を整える。石灰石はセメントや紙の原料としても使い、粗鋼生産時にはリンなどの不純物を取り除くために利用する。太平洋セメントは輸出を含め年 400万トンを鉄鋼メーカーに販売している。重安鉱業所では現在、セメント原料などに使う比較的不純物の多い石灰石を年200万トン販売しているが、鉄鋼 向け石灰石はこれまで生産していなかった。

  廃止時には話題となり、一般紙に記事も載った。
▽美祢線の石灰石列車廃止へ (『中 国新聞』2009年10月18日付
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200910180034.html

 戦前から美祢市の石灰石をJR美祢線など経由で運搬してきた貨物列車が18日で廃止される。宇部、山陽小野田地区のセメント産業の成長を支えてきた歴史 に幕を下ろし、輸送はトラックに切り替えられる。

 荷主の太平洋セメント(東京)によると、石灰石貨物列車は、美祢市の重安鉱山で採掘された石灰石を美祢線重安駅で積み込み、美祢、山陽、宇部線を経て宇 部市のセントラル硝子宇部工場に運んでいる。全行程は約42キロ。現在は35トン積みの貨車10両編成で1日に1往復する。

 廃止は1970年製造の貨車の老朽化に伴う。廃止後は、宇部興産(宇部 市)の専用道路を一部使用するなどしてトラック輸送にする。
 18日は午前9時15分に重安駅に入り、石灰石を積み込んで10時に出発する。「さようならピストン列車」と書かれたヘッドマークを付けて運行する。

【写真説明】石灰石を積み終え、出発を待つ石灰石貨物列車。勇姿も18日が最後となる(美祢市のJR重安駅)



■4−3.石炭輸送  

2003.8扇町駅 三井埠頭(株)専用線

2006.8三ヶ尻駅 石灰石専用に変更されたホキ 10000形が留置

 現在、JR線上を走る国内唯一≠フ「石炭列車」は扇町〜三ヶ尻(武州原谷)間 の太平洋セメント向けの列車である。

 かつてセメント業界は石炭を焼成に用いていたが、1951(昭26)年にセメント業界で初めて重油が焼成用に使用された。その後、昭和30年代後半か ら急速に重油使用が増加していった。秩父セメントは、熊谷工場は当初から重油専焼で企画され、その第1号回転窯の火入れは1962(昭37)年7月で あった。続いて1963(昭38)年4月には秩父第二工場が、8月には秩父第一工場がそれぞれ全面的に重油専焼に切り替えられた。([5] p177)

 しかしオイルショックを契機に石炭の使用が見直され、秩父セメントでは1980(昭55)年7月、秩父第一工場のセメント焼成キルンをC重油から石炭 に切り替えた。これにより発電用以外は重油に依存しない石炭専焼メーカーとなった。このための設備投資は110億円。1日当たり430トンの石炭が東京港 から鉄道で運ばれるが、石炭転換が完了すると、年間80万トンの石炭が必要となる。そのうち4分の1が国内炭(北海道)、4分の3が海外炭(豪州)だが、 これを輸送するために必要な貨車250両を、同社は25億円をかけて新造した。(『運輸と経済』1980年10月号、p1-2)

 この石炭輸送は1980年の当初は越中島駅の豊洲石炭埠頭 (東洋埠頭)からホキ10000形で1日36両が発送された が、1984(昭59)年には発駅が扇町に移行した。 ([14]p11)

 この秩父鉄道向け石炭列車はかつてダイヤ改正で頻繁に発駅の変更等の変化があった。

 1985(昭60)年3月ダイヤ改正では、浜川崎→熊谷(タ)に石炭専用列車が2本、扇町→熊谷(タ)に石炭専用列車が1本それぞれ設定されている。

 1988(昭63)年3月ダイヤ改正では、浜川崎→熊谷(タ)の石炭専用列車が1本に減る一方、扇町→熊谷(タ)の石炭専用列車が2本に増加している が、1989(平元)年3月ダイヤ改正では浜川崎発が2本、扇町発が1本に戻るが、扇町→浜川崎に臨時の石炭専用列車が1本設定されている。しかしこの 臨時列車は1990(平2)年3月ダイヤ改正では消滅。

 次に変化があったのが、1996(平8)年3月ダイヤ改正で、扇町発の 石炭列車が消滅、浜川崎→熊谷(タ)は定期の石炭専用列車2本は変わらないものの、同区間に臨時の石炭専用列車が1本設定されている。 1998(平10)年10月ダイヤ改正で、定期の石炭専用列車が1本に減 少、臨時は1本のままとなった。さらに2000(平12)年ダイヤ改正では、定期の石炭専用列車の発駅は扇町に変更され、浜川崎→熊谷(タ)の臨時石炭専用列車は消滅した。その一方で川崎貨物→浜川崎に臨時の石炭 返空列車が1本設定された。この臨時石炭返空は2003(平15)年10月ダイヤ改正で消滅した。

 2010(平22)年3月ダイヤ改正時点においても、扇町→熊谷(タ)に定期の石炭専用列車が1本設定されている。尚、石炭の着駅は三ヶ尻駅(熊谷工 場)だが、Wikipedia「武 州原谷駅」によると「熊谷工場の休業時期のみ武 州原谷駅発着となる」とのこと。

 既に太平洋セメント向けの石炭輸送しか行われていない2000(平12)年度のJR貨物の品目別輸送量において石炭は28万トン、2003(平 15)年度は22万トンで あった([12]p57)。2009年度輸送量では石炭は15万トンまで減少している。 ([15]p1)

2006.9扇町駅 武州原谷駅常備 秩父セメント表記 の ホキ10098(石炭専用)

2006.9扇町駅 左のホキ10098の荷票 石炭: 扇町→三ヶ尻(太平洋セメント)



■4−4.炭酸カルシウム及び石炭 灰輸送  
▽「炭カル・FA輸送」に注目 三岐鉄道−JR貨物東海支社−衣浦臨海鉄道 3社共同 専用貨 車で効率化実現 (『交通新聞』1993年3月29日付、2面)

 低迷する景気が物流にも影響し、鉄道貨物の輸送量も減少傾向にある中、順調に実績を伸ばしている輸送がある。小野田セメント藤原工場中部電力碧南火力 発電所との間で行われている「炭酸カルシウム・フライアッシュ輸送」(炭カル・FA輸送)がそれ。JR貨物東海支社を仲介に、三岐鉄道、衣 浦臨海鉄道の3 社に跨っており、順調な輸送量増は3社が共同して力を注いできた成果といえる。さらに、専用貨車を用いた効率の良い往復輸送の形態になっており、今後の鉄 道貨物輸送の在り方を示唆する1つのモデルともいえそうだ。(岩田 浩行記者)

 「炭カル・FA輸送」の内容は、小野田セメントから碧南火力発電所へ向けて炭 酸カルシウムを、逆に発電所からセメント工場へフライアッ シュ(石炭灰)を 送るというもの。石炭を用いている同発電所では脱硫剤として炭酸カルシウムが必要であり、反対にフライアッシュはセメント製造の原料として使われる。
 三岐鉄道東藤原駅−JR関西線富田駅−同東海道線稲沢駅−同武豊線東浦駅−衣浦臨海鉄道碧南市間を往復するのが輸送ルートで、片道110kmほどの道の り。列車はほぼ毎日運行されており、東藤原を1日目の夕方に出、翌日の午前中に碧南市着、帰りは同日の午後に碧南市を出発、3日目の昼ごろ東藤原に着くと いうダイヤとなっている。

90年にスタート
 輸送がスタートしたのは、1990年(平成2年)11月。炭酸カルシウムとフライアッシュを合わせた初年度の輸送量は5カ月間で約6,600トンだった が、フル運行になった91年度は約12万トンに増え、本年度は約18万1,000トンになる見込み。発電所がフル稼働する新年度はさらに増え、約24万ト ンを輸送する計画だ。

さまざまな課題
 「当初計画より若干少ないが、不確定な問題を解決しながらよくここまで来たというのが実感」と言うのは、三岐鉄道の日比社長。この貨物を鉄道に誘致する に当たっては大変な苦労があったようだ。
 「鉄道で何とか運べないものか」という話が持ち上がったのは84年(昭和59年)の秋ごろというから、もう10年近くも前になる。碧南市の臨海工業地帯 に中部電力が石炭火力発電所を建設する計画を進めている最中だった。
 石炭火力発電所ができればフライアッシュが発生するし、炭酸カルシウムが必要。小野田セメントは同発電所へ炭酸カルシウムを売りたいと希望し、中部電力 側でもフライアッシュを有利な条件で引き取ってもらえるなら、ということで話が進んでいた。
 ただ、それを何で運ぶか――トラックか、船舶か、それとも鉄道にするかは決定をみていなかった。そこで、JR貨物、三岐鉄道、衣浦臨海鉄道の3社は、小 野田セメント、中部電力の両社に強力なセールスをかけるとともに、とくにトラックよりも安い運賃で輸送するにはどうすればよいのか、検討に検討を重ねた。
 値段面では、炭酸カルシウムとフライアッシュを同じ貨車を使って往復輸送する形を取れば、効率的な輸送ができ、運賃も往復割引ができる。往復輸送にする には貨車をどうするかが、まず問題となった。

新型貨車を開発
 貨車は当初セメント用を流用する計画だったが、これだと1両当たり25トンしか積めず、セメントよりも比重の小さい炭酸カルシウムやフライアッシュを運 ぶには効率が悪い。このため、新形式の貨車の開発を開始、台車はトキ25000形式の流用ながら、上回りを新調したホキ1000形式の貨車を作り上げた。
 ホキ1000形式は、1両当たり35トンを積むことができる。全部で32両を製作、小野田セメント の私有貨車となっている。

約3割の値引き
 料金面で決め手となったのは、三岐鉄道の擬制キロ改定だった。87年度(昭和62年度)に、それまでの 26割増しから12割増しに変更したもので、およそ30%の値引きという思い切った決断だった。
 加えて、経営状況の思わしくない衣浦臨海鉄道を使って欲しいと、同鉄道への出資者でもある愛知県が中部電力へ要請したの も、大きな力となった。
 こうして、鉄道利用の方針が固まり、鉄道3社に荷主2社を加えた5者会談が実施されたのが、87年5月。さまざまな課題を順次克服しながら、それから3 年余りたった90年秋の輸送開始にこぎ着けた。

発電所フル稼働 新年度も期待大きく
 この輸送が現在、鉄道3社に占める割合(収入ベース)は、JR貨物東海支社にとっては1.3%程度だが、三岐鉄道(旅客輸送も含む)では約13%、衣浦 臨海鉄道にいたってはおよそ6割になる。
 発電所のフル稼働により、新年度からさらに輸送量が増えると予想される。また現在、フライアッシュを混合した施工性の良いセメントの開発も進められてお り、これが実用化すれば、フライアッシュの需要が増え、輸送量も増えると期待されている。
 いずれにしても、この輸送は全国でもあまり類を見ない効率的な往復輸送。JR貨物はじめ鉄道3社では、今後もこういった輸送の新規開拓、育成に努めてい くことにしている。

2007.1東藤原駅 藤原工場の炭酸カ ルシウム・石炭 灰の荷役線と思われる

▽炭カルと石炭灰往復輸送 碧南市−東藤原で 衣浦臨海鉄道(株)  (『JR貨物ニュース』2001年12月15日号、2面より抜粋)

 炭酸カルシウムと石炭灰の往復輸送の専用のホッパ車は34両あり、全てセメント会社 の所有。最長16両編成で、 毎日輸送されている。碧南市構内にはサイロもあり、取り下ろしは駅社員が行う。サイロは当初、石炭灰用の1,000トンのものが1基、500トンの炭酸カ ルシウム用が1基で稼働していたが、火力発電所の炉増設計画に伴い、今年9月、500トンの炭カルサイロをもう1つ設置した。

 取り下ろし用の設備も構内に完備しており、ホッパ車底部から炭酸カルシウムを出すのと、上部から石炭灰を入れる作業を、それぞれ2両ずつ同時進行でき る。約25分の工程だ。ホッパ車はV字型で、中身が落ちやすいように工夫されたデザイン。また、駅社員がゴムの金槌で側面を叩き、残留を防ぐことも行って いる。発電所と駅との横持ちは、専用のホッパトラックで行う。
1995.3 碧南市駅

▽衣浦臨海鉄道の炭カル及び石炭灰と合計の輸送量の推移 (単位:ト ン)
年 度
1991 年度
1992 年度
1995 年度
2000 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
炭 カル
35,140
57,610
83,440
66,570
145,939
162,759
151,515
石 炭灰
84,630
122,500
163,940
138,460
152,180
153,360
144,760
小 計
119,770
180,110
247,380
205,030
298,119
316,119
296,275
総 輸送量
255,314
299,662
366,369
288,069
354,808
375,571
363,725
(『鉄道統計年報』より作成)



■4−5.無蓋コンテナによる焼却 灰等の廃棄物輸送  
 セメント業界は産業廃棄物、一般廃棄物のセメント原料としての受け入れを強化しており、その引き取り料金がセメント会社の収益の大きな柱となっている。 セメント需要が落ち込む中、この新たな収益はセメント業界全体にとっても非常に大きなものとなってきているようだ。そして同時に新たな静脈物流の需要が発 生していることでもあり、鉄道貨物輸送にとっても重要な商機となっている。
*太平洋セメント 建設発生土のセメント原料化 熊谷工場でも本格着手 前処理設備が稼動 追 加投資も検討 (『化 学工業日報』2003年12月4日付12面

 太平洋セメントは、熊谷工場(埼玉県熊谷市)で建設発生土の原料化に本格的に着手した。粘土代替として活用するもので、今年度は2万トン規模となる見込 み。すでに大船渡工場(岩手県大船渡市)などで実施しているが、これを全工場に広げ2005年度には100万トンの建設発生土を処理する計画。その一環と して、熊谷工場では数年以内にも10万トンの再資源化を目指す。

 太平洋セメントは、製鉄所で発生する高炉スラグ、火力発電所などからの石炭灰、各種プラントの排煙脱硫装置からの副産石膏、下水汚泥・スラッジ、廃タイ ヤ、廃油、廃プラスチックなどをセメントの原・燃料として活用している。セメント全社では、2002年度に2723万8千トンの産業廃棄物・副産物を使用 しているが、そのうち太平洋セメントは663万6千トンを受け入れている。
 さらに同社では、建設発生土の工場での再資源化を決め、建設発生土の多い関東地区に中継基地を設け、今年4月から大船渡工場でセメント原料としての受け 入れを開始した。

 受け入れる建設発生土は事前に物性をチェックし、セメント原料として適正に処理できることを確認した後、中継基地となっている神奈川県川崎市の三井埠頭 内に搬入し、ここから大船渡工場に搬送している。熊谷工場もこの中継基地から建設発生土を運び入れ、今年8月から使用開始。これまでに約1万トンを扱っ た。

 さらに熊谷工場では、受け入れ設備やガラなどを取り除く前処理設備を整備し、今月から本格的に稼動させる。目標の年間10万トンの建設発生土の受け入れ に当たっては、追加の設備投資を検討している。

 熊谷工場では、高炉スラグ、副産石膏の従来型リサイクル資源に加え、石炭灰、浄水場汚泥、製鋼・高炉スラグ、非鉄鉱さいや再生油、廃タイヤ、廃プラス チックなどニーズが高まっている新規リサイクル資源を含め、2002年度に合計83万トンのリサイクル資源を使用した。これにともなう設備投資も続けてい る。

 なかでも、一般廃棄物(都市ごみ)の焼却灰と飛灰を含む煤塵を再資源化する「灰水洗システム」の初号機が稼動している。焼却灰は異物を除去、煤塵は水洗 いし脱塩素したあと、それぞれセメント原料となる。このシステムは、埼玉県廃棄物広域処分対策協議会と協定を結び2001年7月から運転を開始しているも ので、処理許可数量は焼却灰152トン/日、煤塵44トン/日。年間処理量は合計6万3千トンで、埼玉県が埋め立て処分している約4分の1に相当する。加 えて、パチンコ台を年間40万−50万台処理し、廃木材と廃プラスチックから石炭並みの熱量を持つ固形燃料を同7千−9千トン製造、使用している。これら に加え、今年度から建設発生土の使用を本格化させることで、資源循環型社会の形成に貢献していく。

*汚泥土を再生しセメント原料 国内各社が新収益源に (『北 海道新聞』2004年5月7日2:30
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20040507&j=0024&k=200405074429

 国内のセメント各社が、工場やガソリンスタンドの跡地など、有害物質を含む汚染土壌の処理を受託するビジネスに力を入れている。汚染土をセメント原料と して利用できる一石二鳥のリサイクル事業だ。昨年施行された土壌汚染対策法も追い風になり、最大手の太平洋セメント(東京)の2003年度の処理収入は二 十数億円に上った。

 セメントの国内需要は公共事業の減少を受けて低迷。セメント各社は廃プラスチックや廃タイヤ、石炭灰など産業廃棄物の処理を受託し、セメント原料に使う リサイクル事業を新たな収益源としており、汚染土の活用もこの一環だ。受け入れた汚染土はセメント工場で他の原料とともに、回転窯で高温処理し、有害物質 を除去した上でセメントを製造する。

 特に、昨年2月に施行された土壌汚染対策法は、汚染土に含まれる有害物質による人体への健康被害を防ぐため、土地所有者らに汚染の調査と除去を義務づ け。セメント各社が処理ビジネスに参入する大きなきっかけとなった。

 太平洋セメントは、2003年4月から大都市の再開発地などで発生する汚染土のリサイクル事業を始めた。2003年度の国内11工場の処理量は24万ト ンで、上磯工場(渡島管内上磯町)でも約5千トンを処理した。

 国内の汚染土の8割は首都圏で発生するが、同社は各工場からセメントを運んだ復路の積み荷として汚染土を運び、輸送コストも低く抑えている。2004年 度は50万トン、2005年度には100万トンと受け入れ量を拡大する方針だ。

 住友大阪セメント(東京)でも2003年度は約10万トンを処理。日鉄セメント(室蘭)も「条件に合う土があれば受け入れる」などと、各社の関心は高 い。
 業界団体のセメント協会(東京)は「量の多寡はあるが、ほとんどのセメント会社が汚染土の処理を手がけている」と説明。処理量の統計はないが、土壌汚染 対策法の施行によって「汚染土処理の需要はさらに伸びる」と予想している。

*広がる廃棄物再利用 セメント大手 (『日 経産業新聞』2006年4月21日付18面より抜粋)
 セメント生産の大手が相次いで廃棄物の受け入れを拡大する。宇部興産は廃プラスチックの処理設備を山口県で増強する。太平洋セメントは都市ごみの焼却灰 を再資源化する設備を大分県に新設した。セメント工場では廃棄物を燃料や原料に利用できる。資源高の傾向が止まらないなか、廃棄物を資源として有効利用す る事業が、収益面からも重視されるようになってきた。

▽太平洋セメント ごみ焼却灰 原料に

 太平洋セメントは大分工場(津久見市)に都市ごみの焼却灰を処理してセメント製品の原料に再利用する施設を設けた。同社で2カ所目で、九州の広域から焼 却灰の処理需要の取り込みを狙う。大分工場の再資源化施設は焼却灰の処理能力が年間4万トン。佐賀、長崎両県を除く九州各県から都市ごみ焼却灰を収集しセ メント原料として再資源化する。 自治体から引き取り料金を受け取る。同社は同様の再資源化ビジネスを熊谷工場(埼玉県熊谷市)で手掛けており、大分工場は2カ所目。設備投資額は数億円と 見られる。都市ごみ焼却灰は埋め立て処理の処分場不足などが課題になっている。同社は九州で焼却灰処理の潜在需要が年間約20万トンあると見ており、追加 投資も検 討する。

 同社の環境事業の売上高は05年3月期が約590億円で拡大傾向にある。焼却灰のほか汚泥など様々な廃棄物の再利用を今後も進める方針。

*太平洋セメント 都市ごみ焼却 残渣再利用拡大 大分工場 煤塵処理追加 受け入れ工場も倍 増 (『日 経産業新聞』2009年9月3日付2面

 太平洋セメントは、都市ごみ焼却残渣のセメント原料へのリサイクルを拡大する。焼却灰処理を手がける大分県内の工場に2012年をめどに、煤塵処理設備 を追加導入。残渣を受け入れる工場も現在の国内3工場から、同6工場へ広げる方針。都市ごみは工場などから出る産業廃棄物に比べ、景気変動による排出量増 減の振れが少ないため、原料の安定調達につながると判断した。

 集塵機で捕捉する微細な灰である煤塵の処理設備を、大分工場(大分県津久見市)に数十億円を投じて導入。処理能力は年間1万5,000トンを見込む。
 同工場では07年4月から焼却工場の燃えかすである焼却灰の処理設備を稼働させている。九州全域などから都市ごみを搬入し、現在は4万トンの処理能力が ある。12年をめどに焼却工場で焼却灰と同時に出る、煤塵も受け入れる体制を整える。

 煤塵は、セメント製造工程でプラントを損傷する懸念がある塩素の含有量が10〜20%あり、セメント原料にするためには水洗などの処理に手間がかかる。
 太平洋セメントはすでに焼却残渣について熊谷工場(埼玉県熊谷市)で焼却灰4万5,000トン、煤塵1万5,000トン、藤原工場(三重県いなべ市)で 煤塵6,000トンを手がけている。こうした実績を踏まえ設備を大分にも導入する。

 上磯工場(北海道北斗市)でも一般廃棄物処理の許可を取得し、地元自治体と規模や時期を調整する。その後、大船渡工場(岩手県大船渡市)、土佐工場(高 知市)にも焼却残渣の受け入れを広げる方針だ。

 太平洋セメントのリサイクル原料は高炉スラグなどの産業廃棄物が大半を占め、都市ごみなど一般廃棄物は5%程度にとどまる。ただ、メーカーの減産などの あおりで発生量が急減するリスクが伴う。中期的に一般廃棄物の比重を高める。

◇リサイクル率10% 効率処理の確立課題

 一般廃棄物では瓶・缶や古紙、ペットボトルなどのリサイクルは進んでいる。一方で、都市ごみの焼却灰・煤塵は年間600万〜700万トン発生するが、処 理の難しさなどからリサイクル率は10%弱とみられる。大部分は埋め立て処分されているのが現状だ。

 国内の埋め立て処分場は、新規に受け入れる自治体が限られ逼迫している。中間処理工場から出る焼却灰などのリサイクルが進めば、埋め立てスピードが緩和 され、現存の処分場が長く使える利点がある、と太平洋セメントはみる。

 半面、原料の安定調達に向けた事情もある。廃タイヤや廃プラスチックは安定して効率的に処理しやすく、近年は製紙会社などとの調達競争が激しくなってい る。残渣の処理には水洗の手間もかかるが、一般廃棄物の効率的な処理の体制を確立すれば、国内でのリサイクル原料確保の幅を広げられる。(加藤貴行)


▼太平洋セメント(株)上磯 工場   
*セメント原料にする製糖工程の副産物ライムケーキを鉄道輸送 日本甜菜製糖(株)芽室製糖所  (『JR貨物ニュース』2008年12月15日号、1面より抜粋)

 糖液の製造工程において、石灰を投じて不純物を吸着させるのだが、その石灰を糖液から取り除き、さらに脱水して固めたのがライムケーキである。

 日本甜菜製糖(株)芽室製糖所では1日に350トン、年間(10月〜翌年2月まで)4万5千トンのライムケーキを排出する。

 1年前からこのうち約1〜2万トンを、太平洋セメント(株)上磯工場でセメント原料にリサイクルしている。輸 送手 段には、バルク船輸送24トン積みのトラック輸送を併用しているが、トラック輸送の場合、凍 結しがちな道路を往復900km走るので気遣いが絶えない。

 そこへ昨年20ft級のオープントップ型コンテナで鉄道輸 送をすることを働き掛けられた。輸送単位は10トンに半減するが、コストも折り合いが付いたので試験的に利用してみると、具合が良い。

 コンテナ積みもマニフェスト管理も、トラックと同じ感覚で作業できるので、今年から輸送を開始し、1日2個のペースで帯広駅から 発送している。発送翌日の夕方五稜郭駅に着き、3日目朝、セメント
工場に搬入するリードタイムだ。帯広側の集荷は廃棄物取扱免許を持つ清水運送梶A利用運 送事業者は同免許を持つ北海道ジェイアール物流鰍ェ行う。

 芽室製糖所の鈴木副所長は「今年は2,500トンを鉄道で 輸送する予定ですが、今後、可能ならばトラック輸送を全面的に安心な鉄道輸送に切り替え、4,000トン位を輸送したい」と、利用拡大の意向を明らかにした。

 またライムケーキは、そのまま肥料にもなり、今年、同製糖所では1万5千トンを、酸性土壌を中和する肥料として有効利用した。

 セメント原料に2万トン、肥料に1万5千トン。それでも残る1万トンのライムケーキは、自社の最終処分場に埋め立てるが、既存の施設はもうすぐ満杯のた め、新しい処分場建設を予定しているが、並行して新たな利用法を模索している。


▼太平洋セメント(株)熊 谷工 場  
*太平洋セメント(株) 埼玉県下の焼却灰等再資源化 新座(タ)・越谷(タ)〜熊谷工場間  鉄道 コンテナで輸送 (『JR貨物ニュース』2002年7月1日号、1面)

 太平洋セメント(株)熊谷工場は6月、鉄道コンテナにより埼玉県南部の一般廃棄物処理施設から排出される焼却灰と煤塵の受け入れを開始した。県内各所の 一般 廃棄物処理施設の焼却灰等を、原料に活用して再資源化するゼロエミッション事業。さいたま新都心建設の時、建設残土を鉄道コンテナで市内公園に受け入れた 熊谷市に、再び鉄道コンテナが到着し始めた。

 太平洋セメント(株)は1996(平8)年から、生産設備活用事業を「彩の国倍プラント化計画」として推進する埼玉県・熊谷市と共同して、都市ごみ焼却 灰 と煤塵の、セメント工場による再資源化に取り組んできた。

 太平洋セメントゼロエミッション事業部は同計画推進に向けて、製造するセメントの質を変えずに再資源化を実現する、煤塵の灰水洗システムを開発。実証実 験を熊谷市と共同して3年にわたり実施して実効性を確認し、昨年7月、新事業が立ち上がった。

 セメントは石灰石(78%)、粘土(16%)、珪石(4%)、鉄原料(2%)などの原料を配合して作られる。本事業ではその粘土を1日196トン焼却灰 と煤塵に代替する。また、本事業の実施にあたり、地元の熊谷氏は、焼却灰の受け入れは環境負荷の少ない輸送手段でと要望していた。

 そこで輸送手段については、JR貨物や秩父鉄道鰍ニ検討を重ね、このほど新座(タ)・越谷(タ)駅の周辺10km圏から出る焼却灰の鉄道輸送が開始され た。

 新 座(タ)越谷(タ)両駅〜熊谷(タ)間 は高速コンテナ列車で、秩父鉄道社線の熊谷(タ)から三ヶ尻駅までは、従来から運行 しているセメント用車扱列車にコンテナ車を連結して鉄道輸送 する。

 その間、約60〜70km。利用するのは20ftタイプのオープントップコンテナだ。コンテナは専用線で熊谷工場内まで入ってくるが、焼却灰はコンテナ をダンプアップしないと取り下ろせないので、工場ではコンテナホーム工事を 行うと共に、コンテナを取り下ろすフォークリフトとダンプ アップ車を新たに用意して受け入れに備えた。

 初年度の鉄道輸送量は3千トンとなる見込みだが、来年度以降は5〜6千トンに拡大する予定。
                
太平洋セメント熊谷工場に着いたコンテナ(JR 貨物ニュース紙面より)              2006.8 熊谷(タ) 駅 この焼却灰輸送用であろうか?

▽秩父鉄道のコンテナ輸送量 (単位:トン)
2002 年度
2003 年度
2004 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
2,185
4,481
4,423
4,545
4,660
521
(『鉄道統計年報』より作成)

*2006年度までは輸送量は徐々に増加してきたのが、2007年度に急減している。また2009年3月ダイヤまでは熊谷(タ)→武川の703レの編成内 容は「コンテナ・その他」であったものが、2010年3月ダイヤ改正 からは、編成 内容が「その他」に変わっているのが非常に気になる。輸送が中止され てしまったのだろうか…。


▼太平洋セメント(株)大分工場   
SPOT LIGHT 四日市市環境部生活環境課 (『MONTHLYかもつ』 2009年10月号、p16-18)
清掃工場の焼却灰を四日市から大分へ鉄道輸送 焼却灰をセメント原料と するリサイクルが実現

 四日市市の人口は約31万4千人。同市は燃やすごみ、燃やさないごみ、資源の3種類に分けて収集しているが、燃やすごみは全量を市の北部清掃工場で焼却 処理している。市環境部生活環境課の辻正人副参事は、「平成20年度は約85,000トンの燃やすごみを焼却処理し、これにより焼却灰が約11,000ト ン排出された」と説明した。

 四日市市は今年4月から北部清掃工場で出る焼却灰の一部を、九州にある太平洋セメント鰍フ工場でセメント原料にリサイクルすることとし、四日市駅発西大分駅行きの鉄道 貨物輸送を開始した。利用するコンテナは太平洋セメントグループで所有する荷 重10トン、20ftタイプのオープントップコンテナ。

 市がごみ減量化を働きかけているものの、平成21年度も北部清掃工場の焼却灰排出量は約10,000トンとなる見込みで、「そのうちの2,000トンを太平洋セメン トの大分工場で、セメントの材料として利用してもらう契約を結んだ」とのこと。

 昨年度まで、市は北部清掃工場の焼却灰を全量、三重県環境保全事業団が運営する廃棄物処理センターに持ち込みガス化溶融炉で溶融、スラグに減容化してセ メント製品の材料などにリサイクルしていた。しかし処理方法の選択肢を増やし、リスクを分散する必要があると判断しセメントリサイクルへ向けて検討をして いた。

 様々な輸送手段を検討した結果、焼却灰輸送用の鉄道コンテナは密閉性が確保されているため、安全最優先の観点から鉄道を選択した。

 現在、北部清掃センターでは焼却灰を月〜金曜日は従来通り廃棄物処理センターへトラックで輸送、日曜日に鉄道コンテナ4個で太平洋セメ ントに発送するというローテーションを組んでいる。
手前のUM12A-105059は龍南運送(株)所有


◆5.合併前旧社及びグループ会社各社 の鉄道貨物輸送  
【旧社】
@小野田セメント
A日本セメント
B秩父セメント
【グループ会社】
C明星セメント
D敦賀セメント
E第一セメント梶i現潟fイ・シイ)
F山陽白色セメント
G奥多摩工業
H安倍川開発
I甲州砕石
J小野田化学工業
K屋久島電工
L三井埠頭



[1]『小野田セメント百年史』小野田セメント株式会社、1981年
[2]「私鉄の貨物列車は今…」『レイル・マガジン3月号』第13巻第5号、通巻第150号、1996年
[3]大泉 正一「今なお現役'98 岩手開発鉄道」『レイル・マガジン9月号』第15巻第11号、通巻第180号、1998年
[4]寺田 祐一「私鉄の貨物列車2003 ハンドブック」『レイル・マガジン10月号付録』第20巻第10号、通巻第241号、2003年
[5]『秩父セメント五十年史』秩父セメント株式会社、1974年
[6]青山 慎一「秩父鉄道ダイヤ改正」『鉄道ピクトリアル』第43巻第5号、通巻第575号、1993年、p111
[7]澤内 一晃「関東地方のローカル私鉄 秩父鉄道」『鉄道ピクトリアル』臨時増刊号、通巻第620号、1996年
[8]青木 栄一「日本の石灰石・セメントと鉄道」『鉄道ピクトリアル』第48巻第11号、通巻第661号、1998年
[9]吉野 敦裕「終焉迫る 美祢線石灰石輸送」『鉄道ジャーナル11月号』第43巻第11号、通巻第517号、2009年
[10]『中国支社30年史』日本国有鉄道中国支社、1966年
[11]『広島鉄道管理局この10年史』日本国有鉄道広島鉄道管理局、1976年
[12]『貨物鉄道百三十年史(中巻)』日本貨物鉄道株式会社、2007年
[13]渡辺 一策「高度成長期・西関東を走った鉱石列車」『トワイライトゾ〜ンMANUAL10』ネコ・パブリッシング、2001年
[14]渡辺 一策・古谷 雅之「東京都港湾局豊洲・晴海線の思い出」『トワイライトゾ〜ンMANUAL13』ネコ・パブリッシング、2004年
[15]安田 晴彦「貨物輸送とダイヤ改正」『運転協会誌』第52巻第9号、通巻第615号、2010年
[16]松本 典久「関西本線 富田駅の業務を見る」『鉄道ジャーナル3月号』第30巻第3号、通巻第353号、1996年


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