日本の鉄道貨物輸送と物流: 目次へ
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2001.11.9作成 2006.7.1更新開始  2006.12.30公開 2008.1.20訂補
 2010.5.17訂補 2010.11.24訂補 2013.2.11訂補 2013.12.8 訂補


=目次=
会社概要
年表
日本製紙グループの鉄道貨物輸送について
<日本製紙グループの生産体制再編について>
<工場別の状況>
1.日本製紙(株)北海道工場旭川事業所
鉄 道貨物について
2.日本製紙(株)釧路工場鉄道貨物について
3.日本製紙(株)北海道工場勇払事業所鉄道貨物について
4.日本製紙(株)北海道工場白老事業所鉄道貨物について
5.日本製紙(株)秋田工場鉄道貨物について
6.日本製紙(株)石巻工場鉄道貨物について
7.日本製紙(株)岩沼工場鉄道貨 物について
8.日本製紙物流(株)北王子倉庫
鉄 道貨物について
9.日本製紙(株)富士工場鉄道貨物について
10.日本製紙(株)吉永工場鉄道貨物に ついて
11.日本製紙(株)伏木工場鉄道貨物について
12.日本製紙(株)大竹工場鉄道貨物について
13.日本製紙(株)岩国工場鉄道貨物について
14.日本製紙ケミカル(株)江津事業所鉄道貨物について
15.日本製紙(株)八代工場鉄道貨物について
16.その他の工場
工場別の鉄道貨物輸送のまとめ
参考文献




<会社概要>  

【本社】東京都千代田区一ツ橋1-2-2
【設立】2001年3月30日
【資本金】(2009年3月末) 557億3千万円
【主要株主】(2006年3月末)日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社9.2%、 日本マスタートラスト信託銀行7.1%、日本生命保険相互会社3.3%、 (株)みずほコーポレート銀行3.0%、 三井生命保険(株)2.3%、(株)みずほ銀行2.0%、大王製紙(株)2.0%、(株)三井住友銀行1.9%、農林中央金庫1.6%、丸紅(株) 1.5%
【グループ従業員数】(2009年3月末)13,088名
【連結業績】(2009年3月期)売上高 1兆1,881億36百万円


<年表>  
 http://www.np-g.com/about/group_main/npi.html  及び[1]、[14]より筆者作成

赤字:旧日本製紙(株)事項   青字:旧大昭和製紙(株)事項
年月日
事  項
1873 (明治06)年02月1日
1893(明治26)年11月08日
1919(大正08)年09月
1919(大正08)年
1920(大正09)年07月
1924(大正13)年09月
1924(大正13)年12月

1927(昭和02)年03月
1933(昭和08)年
1937(昭和12)年05月
1938(昭和13)年06月01日
1938(昭和13)年09月23日
1939(昭和14)年06月
1940(昭和15)年06月
1940(昭和15)年12月
1943(昭和18)年04月
1945(昭和20)年11月08日
1946(昭和21)年11月01日
1949(昭和24)年08月01日
1949(昭和24)年12月13日
1951(昭和26)年

1952(昭和27)年04月
1952(昭和27)年06月03日
1960(昭和35)年06月27日

1960(昭和35)年10月

1962(昭和37)年09月
1964(昭和39)年02月01日
1964(昭和39)年02月
1964(昭和39)年
1965(昭和40)年03月18日
1966(昭和41)年11月
1966(昭和41)年12月
1968(昭和43)年03月31日
1968(昭和43)年04月
1968(昭和43)年11月
1969(昭和44)年10月
1969(昭和44)年11月01日
1970(昭和45)年01月
1970(昭和45)年03月16日
1972(昭和47)年03月31日
1973(昭和48)年08月31日
1975(昭和50)年08月
1980(昭和55)年04月30日
1983(昭和58)年04月01日

1985(昭和60)年08月
1992(平成04)年03月
1993(平成05)年04月01日
2001(平成13)年03月30日
2002(平成14)年10月01日
2003(平成15)年04月01日
2004(平成16)年
10月01日
2005(平成17)年04月01日
2008(平成18)年04月01日
2010(平成22)年04月01日
抄紙会社 設立
抄紙会社が王子製紙(株)に改称
北海工業(株)伏木工場 開業
寿製紙(株) 設立
富士製紙(株)釧路工場 開業
九州製紙(株)八代工場 開業
王子製紙(株)が北海工業(株)を買収
昭和製紙(株) 設立
昭和製紙(株) 開業
山陽パルプ工業(株) 設立
国策パルプ工業(株) 設立

大昭和製紙(株) 設立(昭和製紙・大正 工業・岳陽製紙の3社並びに傍系2社合併)
山陽パルプ工業(株)岩国工場 開業
国策パルプ工業(株)旭川工場 開業
東北振興パルプ(株)秋田工場、石巻工場 開業
大日本再生製紙(株)勇払工場 開業
国策パルプ工業(株)と大日本再生製紙(株)が合併
旧山陽パルプ工業(株)岩国工場の施設を継承し山陽パルプ(株)設立
王子製紙(株)が解体され十條製紙(株)設立
東北振興パルプ(株)、東北パルプ(株)と商号 変更
大昭和製紙(株)富士工場 開業

国策パルプ工業(株)勇払工場、LBKPを自製 して上質紙の製造開始
山陽パルプ(株)江津工場 操業開始
十條製紙(株)釧路工場、我が国最大の新聞用紙抄紙機(274インチ)運転開始
大昭和製紙(株)白老工場 開業

十條製紙(株)、ノーカーボン紙CCPの販売開始
十條製紙(株)、十條板紙(株)設立
十條製紙(株)伏木工場、我が国初のRGP製造
山陽パルプ(株)東松島工場 開業
十條セントラル(株) 設立
十條製紙(株)小倉工場 廃止
十條製紙(株)坂本工場 廃止(西日本製紙(株)として新発足)
十條製紙(株)と東北パルプ(株)が合併
大昭和パルプ(株)岩沼工場 開業
国策パルプ工業(株)小松島工場 開業
大昭和製紙(株)、我が国初のバーチフォーマー抄紙機を吉永工場に新設
十條製紙(株)勿来工場 開業
大昭和パルプ(株)、岩沼工場に342インチの新聞用紙抄紙機完成
東北製紙(株) 設立
山陽パルプ(株)と国策パルプ工業(株)が合併し山陽国策パルプ(株)設立

十條製紙(株)十條工場 廃止
十條製紙(株)釧路工場で我が国初のTMP設備稼働
十條製紙(株)、秋田工場を分離し十條パルプ(株)を設立(1986.5.31解散)
大昭和製紙(株)と大昭和パルプ(株)が合併

大竹紙業(株)、山陽国策パルプ(株)主導で再建を推進
十條製紙(株)、東北製紙(株)を完全子会社へ
十條製紙(株)と山陽国策パルプ(株)が合併し日本製紙(株)設立

日本製紙(株)と大昭和製紙(株)が事業統合  (株)日本ユニパックホールディング 発足
日本製紙(株)のDP・化成品事業を分離して日本製紙ケミカル(株)発足
洋紙、板紙事業をおのおの日本製紙(株)及び日本大昭和板紙(株)に合併・再編
(株)日本ユニパックホールディングを(株)日本製紙グループ本社に改称
富士工場と鈴川工場の組織を統合、富士工場とする
日本大昭和板紙(株)が生産会社4社を吸収合併
勇払、白老、旭川の各工場を統合し北海道工場とする



<日 本製紙グループの鉄道貨物輸送について>  

 日本製紙グループでは、主力の石巻・岩国両工場をはじめ、北海道から九州までの各工場で鉄道貨物輸送を利用している。特に石巻・岩国の両工場は専用線に コンテナ列車が入線するなど積極的に鉄道貨物輸送を活用している印象が強い。その他の複数の工場でも専用線が残り、専用線が無い工場では最寄りの貨物駅か らコンテナ輸送をしている。また原料の液化塩素、苛性ソーダ、ラテックスなどの薬品類の輸送でも鉄道輸送を利用している工場が多い。一方、合併に伴う生産 体制の見直しにより鉄道貨物輸送にも変化が生じているようだ。
 近年は、旭川工場の専用線廃止、岩国工場増強に伴うコンテナ輸送の増加、石巻港〜北王子間の紙列車のコンテナ化、塩素系薬品の利用中止に伴うタンク車に よる鉄道貨物輸送廃止など明暗の話題が尽きない。今後も製紙業界の合理化、提携、再編に伴い鉄道貨物輸送は様々な変化が予想される。
 それではまずは、各工場ごとには収まらない日本製紙グループ全体のトピックスからまとめる。但し、合併前の日本製紙(株)および大昭和製紙(株)のト ピックスも含む。

■バランスのとれた輸送手段 (『大昭和製紙五十年史』大昭和製紙株式会社、1991年)
 大昭和製紙の物流対策は、東京、大阪、名古屋に各輸送課があって、地域ごとに対策を練っている。全社の物流対策は、毎月中旬に物流会議を開催して営業本 部物流部が対応している。直送のしやすい富士地区に工場があるため、トラックの比率が多いが、いずれの輸送手段に偏ることなく、バランスのとれた物流を 図っている。
 大昭和製紙としては、特定の輸送機関だけに頼らない方針で、各輸送手段にコストとサービスを競争させる形で、輸送体系を作ってきた。他社と比較すると、 貨車の比率が高いことが特徴となっている。立地上貨車が使いやすいこともあるが、昭和55年、 各社が貨車の比率を落とすなか、意図的に落とさなかった。全工場内にJRの側線が引き込まれ、出荷体制が整っている。考えの基本は、(1) 長距離輸送は船、(2)近距離輸送はトラック、(3)その中間が貨車である。各輸送手段のメリットを活かし、立地から最高に効率のよい輸送手段を組み、 船・トラック・貨車等の輸送手段を相互に移し替えて、使い分けをしながら危険分散に留意してきたのである。
 大昭和製紙の首都圏周辺の倉庫は現在、都内(共同出資)と川口市(埼玉)にある。しかし首都圏における物流の現状は、内需拡大によって流通貨物が増大す るなか、交通渋滞や慢性的な倉庫不足を引き起こすなど多くの問題を抱えており、立地のいい場所における流通拠点確保が急務となっていた。問題は量への対応 であった。
 平成2年5月末竣工した有明物流センターは、今後の首都圏における販売・物流を担うものである。静岡からは、東京まで車で日帰りできる。これがまた、大 昭和製紙におけるトラックの比率の高さの理由であった。東京には自社倉庫はなく、営業倉庫による対応であった。貨車で運ばれた荷物は、飯田町物流センター に運ばれる。有明物流センターは海に向かって開かれた倉庫で、白老工場用、輸入紙用の倉庫となる。有明物流センターへの輸送手段は、今までの手段を太くす る方向、つまり1つの手段に偏らない方向でやっていく意向で、現在、岩沼工場からの船輸送は名古屋・大阪方面のみであったが、今後は東京へ運ぶことにもな る。
 生産地倉庫としては、鈴川・富士・吉永3工場に囲まれたなかに、比奈倉庫(平屋建て50棟、敷地面積5万平方メートル)がある。4万トン以上の能力をも つ倉庫である。直送の比率は72〜73%。工場が東海道本線・東名高速道路という幹線を利用しやすい立地にあることも幸いし、高い数字を示している。この 生産地倉庫の充実と、直送比率の高さから、全国に自社倉庫がなくても対応可能であった。有明物流センターが完成したことで、ストックを含めたフォローの物 流をどう考え、製品と資材の流れを洗い出し、両者連携させた効率化、合理化の推進に役立つことになった。

▽輸送状況(1989年)

紙生産量
板 紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
フェリー
鈴川工場
吉永工場
富士工場
白老工場
岩沼工場
231,252t
181,564t
441,230t
500,596t
492,941t

499,337t

123,362t
20%
35%
30%
10%
20%
5%
5%
5%
5%
10%
65%
50%
55%
15%
40%
10%
10%
10%
60%
20%



10%
10%

1,847,583t
622,699t
23%
6%
42%
24%
5%

■JR貨物 製紙大手6社と懇談会 鉄道貨物協会が主催  (『交通新聞』1999年3月19日付、5面)
 低迷する鉄道貨物復権のカギは荷主企業の声に耳を傾けることからと、JR貨物と製紙業界大手6社の幹部が初めて膝を突き合わせて語り合う懇談会が、この ほど東京都内で開かれた。
 懇談会には製紙業界から日本製紙、王子製紙など大手6社の物流担当の部長クラスと業界団体の日本製紙連合会代表に加え、JRの斉藤実営業部長、貨物協会 の岡田昌久理事長(日本オイルターミナル社長)、それにレール両端のフィーダー輸送を受け持つ日本通運の泉川正毅通運企画部長が顔をそろえた。
 意見交換では、「主要工場に本線からの貨車がそのまま乗り入れられる側線を残し、なるべくレールを使うよ うに心掛けているが、最近鉄道のシェアは減少している。これはトラックはじめ他輸送機関とのコスト競争の結果で、この点をクリアすれば逆転は可能 」(船田嗣寿日本製紙物流部長)などのJRへのエールに加え、「 商売を成功させるには時代に合わせたサービスが欠かせないと思うが、鉄道はトラックに比べてそうした魅力がほとんど無い。営業の窓口がJRと通運会社に分 かれているのも、鉄道貨物への理解を阻害している一因 」(船田部長)といった苦言も。
 また、「ISO14000シリーズの取得に際し、輸送手段に鉄道を使っているプラス評価されるので、JR は荷主企業にその点をアピールしてみては 」(虎井準之大昭和製紙営業管理本部長)などの利用促進のアイデアも出された。

■コスト優先とJR努力不足 「トラック輸送からのシフト困難」 鉄道貨物輸送シンポでメーカー  (省エネ・新エネ普及ネット会報 第19号 2001年2月)
http://www.enekan.net/fukyu/2001-02.htm
 鉄道貨物輸送のありかたを探るシンポジウム(全国通運連盟主催)が2月13日、東京都内で開かれた。この日はメーカーの物流担当者が鉄道貨物輸送利用の 現状と問題点を述べたが、現状ではトラックから鉄道貨物輸送へシフトするには、数多くの障壁があることが浮き彫りにされた。
 食品メーカーのキッコーマンは現在、物流手段は鉄道6.1%に対し、トラック81.1%で、圧倒的にトラックに依存しているが、当面、70万トンの全物 流量のうち8万トン(約11%)を鉄道に切り替えることにしており、将来10万トン(約14%)までは可能とみている。 一方、 鉄道、トラック、海上輸送がほぼ3分の1ずつという日本製紙では、「前近代的な商流(窓口までの配送)が変わらない限り、物流も変わらない。また、JR貨 物コンテナは使い勝手が悪い。ただ、再生用の古紙の輸送に関してだけはトラックから鉄道へ移管する可能性がある」 と述べた。
 松下電器産業では事業部により14%から15%は鉄道を利用しているが、「鉄道利用はエネルギーの節減、環境保全といった利点はあるものの、コストの削 減がカギになる」と指摘。長距離(500q以上)、中ロット(14m3コンテナ)なら鉄道利用の対象になるという見方を示した。
 メーカー側は鉄道利用が促進されない理由として、(1)JRコンテナの商品特性がよくわからない(2)コストメリットが出ない(3)事故、天災に遭う確 率が高い(4)貨物の追跡ができていない――などを挙げた。トラックから鉄道貨物輸送のシフトに関しては、温暖化対策やJR貨物へのテコ入れなどの観点か ら、経団連なども取り組もうとしているが、メーカー側のコスト優先とJR貨物の企業努力不足が大きなネックになっていることが、改めて確認された。

■1/3ずつ振分け 日本製紙(株)マーケティング本部物流部長 船田嗣寿氏
 (『JR貨物ニュース』2001年3月1日号、2面)
 2月13日に東京都内で開催された(社)全国通運連盟の鉄道貨物輸送シンポジウム。深尾典男・日経エコロジー編集長をコーディネーターとするパネルディ スカッション「21世紀の環境保全物流と効率的物流」では、キッコーマン、日本製紙、松下電器産業の物流担当者が、各社の取り組むモーダルシフト推進策を 披露した。
 現在日本製紙の物流量は340万トン(紙製品)。3月の経営統合で日本ユニパックホールディング(株)となれば、それが500万トンに膨らむ。輸送手段 は、 近距離をトラック、中長距離が鉄道、長距離は海運と、3分の1ずつ振り分けてバランスをとっている。製品の6割を首都圏や大 消費地に輸送しているが、鉄道 を使うのはドアツードアのコスト競争力があるルート。側線を持つ工場で出荷条件がよい、また納入先の条件も、鉄道のリードタイムや12フィートコンテナに 合う場合だ。また回収古紙の輸送に鉄道の復路を利用している。船田氏は、駅留置を倉庫代わりに活用できるように、鉄道輸送はレールの上だけでは完結しない 仕組みだと認識。今後の利用拡大は、JR貨物がどんな輸送商品を提示できるかに掛かっていることを示唆した。



<日 本製紙グループの生産体制再編について>  

 液化塩素の輸送は、タンク車による化学薬品の鉄道貨物輸送において、かなり高い比率を占めていると思われる。化学薬品列車には液化塩素専用独特の黄色い タン ク車(タキ5450形)が連結されていることがよくあるが、これらは製紙工場向けの輸送であることが多い。しかし、製紙業界は「脱塩素化」の流れにあ り、鉄道貨物輸送に対する影響も大きく、もちろん日本製紙グループも例外ではない。


■日本製紙 塩素使用を中止 全パルプ工場、2005年メド (『日本経済新聞』1999年6月29日付、1面)
 日本製紙は2005年をメドに、製紙業界で初めて、全パルプ工場で塩素系薬品の使用を中止する。塩素系薬品は処理を誤るとダイオキシンなど有害物質の発 生につながるとの指摘がある。環境問題への消費者の関心が高まっており、塩素を一切使わない紙製品の需要が中長期的に増えると見て代替品に切り替える。製 紙業界と同じく塩素を使う繊維業界でも、東洋紡が使用量の削減の検討に入るなど、産業界で環境対策のため、製造工程の抜本見直しが広がる見込みだ。
 全額出資子会社の東北製紙のパルプ製造設備(年産約20万トン)を塩素系薬品を使わない方式に改造、来年4月をメドに稼働させる。その後、主力の石巻工 場(宮城県石巻市)や岩国工場(山口県岩国市)などに拡大する。最終的に全国に計13系列あるパルプ製造設備の全てを転換し、年間約3万6千トン使用して いる塩素系薬品は全廃する。 設備投資額は規模によって異なるが、数億−数十億円を予定している。製紙原料のパルプは、木材チップを高温でほぐし、不要な成分を除去、液体塩素や次亜塩 素酸など塩素系薬品で漂白して製造する。日本製紙はまず、塩素系薬品の代替物質を使用。その後、開発中の無塩素漂白製法を導入する計画だ。
 政府は3月末に決めたダイオキシン総合対策で、2002年の排出量を97年比で9割削減する目標を掲げている。製紙業界では年間約800万トンの漂白パ ルプを生産、塩素系薬品の使用量は25万トンと推定される。
 
 また1999年6月30日付『日本工業新聞』14面では、「日本製紙の釧路工場と旭川工場で代替品の二酸化塩素に切り替えた」とある。

 そして生産再編について。日本ユニパックホールディング発足後には、まず老朽化した設備を廃棄し生産の集約が行われた。


■生産体制の再構築について (1999年5月21日  日本製紙株式会社) http://www.np-g.com/news/news99052101.html
 今日の製紙業界は、洋紙需要の変化・国際競争の激化など産業構造の急速な変化への新たな対応を迫られている。同社は、日本製紙誕生以来、率先して12台 の生産設備を停止・廃棄するなど諸施策を強力に推進してきたが、このような環境変化を踏まえて、21世紀の発展を可能とする強固な企業基盤の再構築を早期 に図り、併せて業界の過剰設備処理の一端を担うべく、以下のとおり生産体制のさらなる見直しを行うことにした。
(1)生産性の低い抄紙機6台を停止・廃棄するとともに、引き続き生産性向上を目指し追加廃棄を検討する。 
(2)都会地工場である都島工場を閉鎖し、その資産価値を有効活用する。 
(3)同社と製紙グループ各社(日本板紙・大竹紙業・三島製紙)の生産余力を相互に活用することにより、グループ企業の基盤強化を図る。 

▽廃棄設備と停止時期

マシ ン
年間 能力
停止 時期
八代工場
都島工場
岩国工場
旭川工場
旭川工場
2m/c
2・3・4m/c
2m/c
3m/c
原料統合化による減産
62,000トン
23,000トン
43,000トン
17,000トン
22,000トン
1999年9月
2000年3月 (工場閉鎖)
2000年3月
2000年3月
2000年3月

計 6台
167,000トン
(能力削減率4.7%)
八代工場、旭川工場、岩国工場の停止マシンの製品は、自工場で全量生産し、需要家への供給および品質維持に万全を期す。

▼都島工場の閉鎖
 都島工場は大正3年帝国製紙(株)として操業を開始し、(旧)王子製紙(株)の時代を経て昭和24年十條製紙(株)都島工場となり、今日に至っている。 長年にわたり、当社の薄葉紙工場として、ライスペーパー、インディアペーパー、グラシンペーパー、複写用紙など高度な生産技術に裏打ちされる高付加価値製 品の生産を行ってきた。また、ノーカーボン紙、各種情報記録用紙、複合紙(オーパー)の開発をはじめ、新製品開発の面でも大きな貢献を果たした工場であ る。
 しかし、都会地立地に由来するコスト面のハンディも徐々に重くなり、また主力製品の成熟化も顕著となるなど厳しい環境が続く中、懸命の合理化努力にもか かわらず競争力が著しく低下してきた。製紙産業の構造変化を踏まえ、都島工場での洋紙事業継続を断念し、むしろ当工場の大きな資産価値を活用することによ り資産効率を高め、企業体質の早期強化を図ることにした。
 生産は、原則として同社他工場(伏木・勇払・小松島)へ移管するが、一部品種につきましては薄葉紙の専門メーカーである三島製紙(株)に生産委託する。 従って、販売については生産委託品を含めてこれまで同様同社営業本部が責任をもって行い、お客さまにはご迷惑をかけないように万全の措置をとる。
 なお、都島工場に隣接する日本板紙(株)大阪工場も、同社の中期経営計画強化策の一環として閉鎖する予定になっている。

▼グループ各社間の生産余力の活用
 同社は都島工場の閉鎖に伴い、その生産品種の一部を三島製紙(株)に委託する。また、日本板紙(株)は大阪工場の閉鎖に加え、芸防工場の体質改善策の一 環として、抄紙機の一部停機を計画してるので、その生産を同社および大竹紙業(株)が受託する。その結果、日本板紙で余剰となるパルプは、当社岩国工場に かわって大竹紙業(株)に販売する。
 以上のとおり各社の生産余力を相互活用することにより、それぞれの収益改善を図ることにした。


■ユニパック 生産体制を再編 抄紙機3台廃棄、集約へ (『日経産業新聞』2001年11月2日付、18面)
 日本ユニパックホールディングは生産体制を再構築する。来年3月以降、老朽化した3台の抄紙機を廃棄し、全体の1.8%に当たる年産能力11万9千トン 分を削減する。稼働率を引き上げるほか、コスト競争力の高い工場、抄紙機に集約させることで年間51億円の収益改善を狙う。
 対象となる抄紙機は、傘下の大昭和製紙白老工場(北海道白老町)の4号機(印刷用紙、年産能力3万4千トン)、本社工場吉永事業所(静岡県富士市)の 13号機(紙器用板紙、同2万6千トン)、日本製紙小松島工場(徳島県小松島市)の2号機(情報用紙、同5万9千トン)。
 いずれも1960年代の稼動で老朽化が進んでいた。大昭和が来年3月、日本が2003年9月に停止する。削減分は国内他工場へ振り替える。岩国工場(山 口県岩国市)などの受け入れ工場は総額24億円をかけて設備を増強する。一方、高成長が期待できる合成紙(小松島工場)は11億円かけて生産能力を2倍に 引き上げる。紙需要が伸び悩む中、ユニパックグループの現在の工場稼働率は80%を割り込んでおり、これらの再構築、増強策で1.8ポイント引き上げる。 コスト低減などを目的に、日本は木材、飲料容器、化成品などの部門を来年10月に分社化する。2005年度末までに、3部門の人員を現在の1,800人か ら1,420人に減らす。


■勇払・八代・岩沼・白老で古紙パルプ設備を増設 (2002年1月7日 日本ユニパックホールディンググループ) 
http://www.np-g.com/news/news02010701.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙と大昭和製紙は、環境に対する社会的ニーズに応えて、次の4工場において、古紙パルプ設備を増設し、新 聞用紙へのさらなる古紙パルプ高配合を実現する。特に、日本製紙では、背糊のついた雑誌古紙などの低グレード雑誌古紙を製紙原料として利用できる技術を活 用しており、投資金額は4工場合わせて約59億円、設備能力は400トン/日増強される。

▽今回の増産による各設備の能力変化
工場 現生 産能力
増産 後生産能力
設備 投資額
完成 予定年月
勇払工場
230トン/日
340トン/日 (+110トン/日)
約15億円
2002年6月
八代工場
500トン/日
600トン/日 (+100トン/日)
約12億円
2002年6月
岩沼工場*
800トン/日
940トン/日 (+140トン/日)
約25億円
2002年4月
白老工場
120トン/日
170トン/日 (+50トン/日)
約7億円
2001年12月
*但し、岩沼工場の+80トン /日分は2001年10月に既に完成。

 日本製紙では、国内で生産する新聞用紙の古紙パルプ配合率について、すでに2000年度内に約70%を達成し、技術的には80%まで高める技術を獲得し ていたが、今回の設備投資により、生産しているすべての新聞用紙への高配合が可能となり平均75%、最大80%まで高めることができるようになる。一方、 大昭和製紙の岩沼工場では65%以上に、白老工場では70%以上に引き上げることが可能となる。
  なお、両社は、今回の4工場以外についても、日本製紙の釧路工場(北海道釧路市)・石巻工場(宮城県石巻市)・伏木工場(富山県高岡市)、並びに大昭和製 紙の本社工場富士事業所(静岡県富士市)の各工場において、新聞用紙への古紙パルプ高配合化をすでに実現している。


■日本製紙、道内3工場の物流統合 人員など合理化 (『北海道新聞』2003年4月8日付)
 日本製紙(本社・東京)は7日、物流関連会社の再編や輸送エリアの広域化を柱とする物流効率化策を4月から、道内など4地域で始めたと発表した。同社は 1日に大昭和製紙と合併して、新体制に移行しており、物流効率化で年間35億円以上のコスト削減を見込む。
 近接する工場を中心に、全国の工場の製品輸送エリアを北海道、東北、中部、関西以西の4ブロックに再編。道内では釧路工場を除き、旭川、勇払(苫小 牧)、白老(胆振管内白老町)の3工場が対象となった。白老工場を担当していた旧大昭和製紙系の物流子会社の事業を日本製紙子会社の旭新運輸(本社・旭 川)に譲渡し、3工場の物流体制を一本化した。
 すでに旭川、勇払両工場では物流の一本化が進められ、これに白老工場が加わることで、工場から顧客への直接出荷比率の拡大や倉庫の統廃合、人員の合理化 などの効果が期待できる。残る釧路工場も「いずれ、ほかの3工場と物流網を統合する必要がある」(同社)という。


■日本製紙、情報用紙生産を見直し (『日経産業新聞』2003年5月8日付、16面)
 日本ユニパックホールディング傘下の日本製紙は情報用紙の生産体制を一部見直す。今年9月に生産合理化の一環としてコピー用紙などを生産する小松島工場 (徳島県小松島市)の抄紙機を1台停止するのに伴い、年間6万トン分の生産を鈴川工場(静岡県富士市)などに移管する。
 鈴川工場からは年間6万トンほどのコンピュータ出力用紙の生産を岩国工場(山口県岩国市)に移す。これにより岩国工場でのコンピュータ出力用紙をフル生 産体制にする。
 日本ユニパックホールディングは3年後をめどに紙・板紙の工場稼働率を現在の88%から96%に高める計画を打ち出しており、情報用紙の分野でも生産合 理化を進める方針だ。


■ノーカーボン紙を増産 日本製紙 富士写にOEM供給
 (『日経産業新聞』2003年7月7日付、15面)
 日本ユニパックホールディング傘下の日本製紙は4日、富士写真フィルムから請求書などに使うノーカーボン紙の受託生産を拡大すると発表した。日本製紙は 富士写が持つ年3万6千トンほどのノーカーボン紙の塗工設備を購入し、来年4月をめどにOEM(相手先ブランドによる生産)供給を始める。
 日本製紙は富士写の塗工設備導入に伴い、ノーカーボン紙などを生産する勿来工場(福島県いわき市)を増強する。設備取得を含めた投資額は約24億円にな る見込み。
 日本製紙はノーカーボン紙のトップメーカーで、独自ブランド製品の2002年度の生産量は約7万トン。これとは別に富士写から年2万4千トンほどの受託 生産も手がけている。
 ノーカーボン紙は請求書や納品書などに使われる複写紙。企業の経費節減や書類のコンピュータ処理などに伴い、需要は年率5%ほど減少している。


■日本ユニパック、抄紙機2台停止 (『日経産業新聞』2003年8月5日付、8面)
 日本ユニパックホールディングは4日、2004年3月に日本製紙白老工場(北海道白老町)の紙・板紙の抄紙機を2台停止すると発表した。段ボール原紙と 新聞用紙の製造設備で、年産能力は計13万6千トン。これに伴い人員を約200人削減、原料供給する6つのパルプ設備も止める。
 同社は2005年度までに紙・板紙の生産能力を全体の8%にあたる67万トン削減する計画で、今回もその一環。段ボール原紙は傘下の日本大昭和板紙東北 (秋田市)、新聞用紙は日本製紙の勇払工場(北海道苫小牧市)と岩沼工場(宮城県岩沼市)に生産を移管する。

▽日本ユニパックホールディンググループの生産体制見直し
停止する工場の抄紙機
時期
生産 品目
亀有工場 3号・5号機
2003年3月
段ボール原紙
開成工場 2号機
2003年6月
家庭紙
白老工場 5号機
2003年9月
上質紙
伏木工場 3号機
2003年9月
グラビア
小松島工場 2号機
2003年9月
情報用紙
白老工場 1号・2号機
2004年3月
段ボール原紙、新聞用紙
1台
2004年3月

3台
2004年度

1台
2005年度



■大竹紙業株式会社株式譲渡について (2003年10月24日 日本製紙株式会社) 
http://www.np-g.com/news/news03102401.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙株式会社は、2001年4月の経営統合に際して公正取引委員会から指摘された事項に対する自主的措置と して、統合後3年以内に大竹紙業株式会社および富士コーテッドペーパー株式会社の株式を第三者に譲渡することを決定し、譲渡先の選定を進めてきた。これに より、まず本年4月1日に、富士コーテッドペーパーの株式を丸紅株式会社に譲渡した。
  今般、大竹紙業の株式譲渡につき、三島製紙株式会社と合意に達し、2004年4月1日に、大竹紙業普通株式2,200万株(発行済株式の100%)を39 億円にて譲渡する運びとなった。これをもって2社の譲渡措置はすべて完了する。株式譲渡後も、大竹紙業株式会社の事業内容に変更はなく、従前の通り生産・ 出荷を行っていく。

[大竹紙業株式会社概要]
1.所在地 広島県大竹市東栄1丁目16−1(本社・工場)
2.設立 昭和23年12月(1948年12月)
3.資本金 21億円(発行済株式22,000千株)
4.代表者 代表取締役社長 渡邊 總明
5.従業員数 313名
6.売上高 189億円(2002年度)
7.主な生産品目 塗工印刷用紙、上級印刷紙、包装用紙
8.生産量 177,682トン(2002年暦年)
9.主要生産設備
抄紙 機・コーター 型式
幅( mm )
日産 ( t )
主要 製品 稼働
1マシン
長網ヤンキー
3,440
92.1
包装用紙
1973.7
2マシン

3,300
42.1
包装用紙
1973.7
3マシン

1,920
24.5
包装用紙
1967.1
5マシン
長網多筒
2,522
92.2
上級印刷紙
停機中
6マシン
オントップ多筒
3,300
240.3
上級印刷紙
1989.3
7マシン

3,310
207.2
塗工原紙
1979.2
オフコーター
ブレードコーター
3,240
195.0
塗工印刷用紙
1980.7


■日本製紙、カラーレーザープリンター向け耐水印刷紙を開発 (『FujiSankei Business i.』2004年5月31日付) 
http://www.business-i.jp/news/chemical/art-20040530203348-XDHVLXJFAM.nwc
 日本製紙は、業務用に普及しているカラーレーザープリンターで印刷できる耐水用紙を開発、6月1日から販売を始める。既存のフィルム製耐水紙と同等の耐 水性を確保したうえで、高い印字性能や通常の紙と変わらない加工性を実現した。価格はA4判で50円前後とフィルム製の半額程度になる見通し。飲食チェー ンのメニューや小規模スーパーなど小売業の屋外展示用値札などに使う耐水用紙として売り込む。製品名は「オーパーMDP(メディア・オン・デジタルプリン ティング)」。印刷業者向けのオフセット印刷用耐水紙を改良し、レーザープリンターの熱(180〜190度)に耐える特殊樹脂を塗布して製品化した。
 印字速度が速く印刷品質も優れたカラーレーザープリンターは低価格化とともに出荷台数を伸ばしており、2003年度の出荷台数は18万台(前期比20% 増)。従来、同プリンターで使用できる耐水用紙は、実際にはフィルム材による“紙”や、紙に樹脂を染み込ませた製品があるが、フィルム材はA4判で120 円前後と高く、樹脂浸透紙は耐水性能に難点があった。
 オーパーMDPは、印字性能と耐熱・耐水機能を強化した樹脂層とコート層で紙を挟み込んだ独自の構造。フィルム材と同等の耐水性に加えて適度な光沢と色 彩再現性を備え、ミシン目や折り加工も可能。紙なので通常の燃えるゴミとして処理できる。
 対応プリンターは当初、カシオ計算機の「スピーディア」、東芝の「e−スタジオ」の2機種。カシオはすでにスピーディアにオーパーMDP専用モードを設 定するとともに、サプライ製品カタログに掲載。流通業や飲食チェーン向けのプリンター市場でトップシェアの強みを生かし、拡販への相乗効果を狙う考えだ。 日本製紙は当初、月50トン程度の生産を見込んでいる。


■国内4事業所(旭川、岩沼、東北、吉永)で発電設備を新設 (2006年1月17日 日本製紙グループ) 
http://www.np-g.com/news/news06011701.html
 日本製紙グループは、日本製紙旭川工場(北海道旭川市)と岩沼工場(宮城県岩沼市)、日本大昭和板紙東北(秋田県秋田市)、日本大昭和板紙吉永(静岡県 富士市)の4事業所に、バイオマス燃料などの新エネルギーを主な燃料とする発電設備の導入を決定した。

設置場所
設備投資額
完成予定
日本製紙 旭川工場
日本製紙 岩沼工場
日本大昭和板紙東北
日本大昭和板紙吉永
69億円
115億円
59億円
67億円
2008年09月
2007年11月
2008年04月
2008年04月

 設備投資額は合計310億円で、高騰している重油の使用量を年間で25万キロリットル削減することにより、年間82億円の投資効果を見込んでいる。ま た、木くず廃材、廃タイヤ、RPFなどを主燃料とすることにより、化石燃料由来の二酸化炭素排出量も、日本製紙グループ全体の排出量の3%に相当する年間 24万トン減少する見込み。
 同社グループは、社会的要請である地球温暖化ガスの排出量削減と廃棄物の有効利用、さらには収益の安定化を目的に、今後も既存の重油ボイラーを、木くず 廃材、廃タイヤ、RPFなどを燃料とする新エネルギーボイラーに切り替え、積極的にオイルレス化に取り組んでいく。


■日本製紙 特殊紙部門を集約 三島製紙を完全子会社化 (『日本経 済新聞』2007年10月23日付、11面)
 日本製紙グループ本社は製紙業界第10位の三島製紙を2008年2月に完全子会社化する。たばこ用紙や辞書用紙などの特殊紙部門を三島製紙に集約する。 主力の印刷用紙などでは不採算の国内生産拠点を3カ所閉鎖する。板紙部門の合理化に続き、印刷用紙や特殊紙などの紙部門でも生産体制を見直し、原燃料価格 の高騰に対応しながら収益力の回復を目指す。
 東証二部上場の三島製紙は日本製紙グループ本社子会社の日本製紙が第2位株主。日本製紙は社長も三島製紙に送り込んでいる。出資比率は約9.8%。08 年1月末に三島製紙の上場を廃止し、2月に日本製紙グループ本社100%出資の新会社として発足させる。
 日本製紙グループの特殊紙を同社に集約する方針で、4月には辞典用紙やたばこ用紙を生産する日本大昭和板紙西日本の高知工場(高知県いの町)を新会社に 組み入れる。
 印刷用などの生産拠点再編は日本製紙伏木工場(富山県高岡市)と同小松島工場(徳島県小松島市)、日本大昭和板紙西日本の和木事業所(山口県和木町)の 3カ所が対象。来年9月末に閉鎖する方針だ。同社の工場閉鎖は2000年3月の都島工場(大阪市)以来。板紙部門では、提携先のレンゴーと段ボール原紙の 生産を事実上、統合する方針で、主要工場の生産設備を共同廃棄することで合意している。
 製紙業界は歴史的な原油高が続き、各社はコスト高の克服が課題になっている。各社が今春以降に打ち出した値上げは浸透しているが、原燃料価格は一段と高 騰。「再び苦しい状況に戻っている」(日本製紙連合会)との見方が広がっており、生産設備の合理化など抜本的なコスト削減策が求められていた。


■3工場閉鎖で生産23万トン減 日本製紙、成長困難と判断  (『西日本新聞』2007年10月24日付)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/yamaguchi/20071024/20071024_005.shtml
 日本製紙グループ本社の中村雅知社長は24日、東京都内で記者会見し、中核子会社である日本製紙の伏木工場(富山県高岡市)と小松島工場(徳島県小松島 市)、グループ会社の日本大昭和板紙西日本の和木事業所(山口県和木町)の3工場の閉鎖によって年間生産能力が23万1,000トン減ると説明した。
 中村社長は3工場が最近赤字だったことを明らかにし、「存続については何年間も検討したが、今の段階では成長が難しいため」と閉鎖理由を説明。石巻工場 (宮城県石巻市)で印刷用紙の新生産設備が11月から営業運転するのを控え、閉鎖を決めるのに「一番いい時期と判断した」と述べた。
 3工場で廃棄される年間生産能力は、伏木工場が11万6,000トン、小松島工場が6万4,000トン、和木事業所は5万1,000トン。3工場で生産 している品目は、閉鎖に伴い他工場に生産を移す。


■日本製紙 板紙生産会社再編 秋田など4社合併 (『河北新報』 2007年10月24日付)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/10/20071025t42013.htm
 日本製紙グループ本社は24日、板紙を生産している子会社の日本大昭和板紙(東京)が、各地の拠点にある生産会社4社を来年4月1日に吸収合併すると発 表した。板紙事業を統合して経営効率を高める狙いがある。
 4社は日本大昭和板紙東北(秋田市)と日本大昭和板紙関東(埼玉県草加市)、日本大昭和板紙吉永(静岡県富士市)、日本大昭和板紙西日本(広島県大竹 市)。うち日本大昭和板紙西日本の芸防工場(大竹市)は、三島製紙から分割される大竹工場(大竹市)と来年4月1日に統合し、名称を「日本大昭和板紙大竹 工場」に変える。


■日本製紙、北越紀州製紙からの印刷用紙OEM調達を半減−内需低迷に対応  (『日本工業新聞』2009年10月12日付)
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0520091012cbab.html
 日本製紙は北越紀州製紙の新潟工場(新潟市東区)からOEM(相手先ブランド)調達している印刷用紙の量を、近く現行の半分以下に削減する。日本紙は旧 北越製紙との戦略的業務提携により、新潟工場から9月まで月に約6,000トンのOEM供給を受けていた。しかし、日本紙と北越紀州は今後も国内需要が低 迷すると判断、OEM量を調整することで、最新鋭の抄紙機を備えた工場の稼働率低下を防ぐ。
 具体的には、日本紙が北越紀州の新潟工場の最新鋭の抄紙機からOEM調達する量を月3,000トン以下に減らす。日本紙は月3,000トン以下と同量 を、生産効率の高い石巻工場(宮城県石巻市)の最新鋭抄紙機などに振り分けて生産し、北越紀州にOEM供給する。これにより、日本紙は需要が低迷する中で も工場の稼働率を維持できると見ている。


■特殊紙生産を勇払と旭川の2工場に集約 日本製紙 (『苫小牧民 報』2009年12月28日付)
http://www.tomamin.co.jp/2009t/t09122805.html
 日本製紙は、2010年3月末までに静岡県の富士工場の特殊紙生産部門を、苫小牧市の勇払と旭川の道内2工場に全面移管する。紙需要低迷を受け、全国的 に進めている工場の稼働停止や生産品目の集約化に伴う対応。試験生産を経て、4月から本格生産を始める計画だ。
 移管するのは紙コップやインスタントラーメン、ヨーグルトなど紙容器用の紙。富士工場で年間約1万5,000トン、勇払工場で約2万4,000トンを生 産しており、このうち富士工場の約1万1,000トンを勇払、約4,000トンを旭川に移管する。また、勇払から約1万2,000トンを旭川に移管する。 同社幹部によると、道内の特殊紙生産量は2工場合わせて7割増となる。
 移管作業は年度末までの完了を目標に進めており、「ユーザーが求める用途によって仕様が変わるため、その技術確立作業を進めている」(倉田博美勇払・白 老・旭川工場長)と言う。一部では試験抄造や品質確認作業中。道内各工場の人員増はなく、配置転換などで対応する考えだ。
 勇払工場では全国的な設備削減計画に基づき、今年10月末に1号抄紙機と1号塗工機の稼働を停止。一時的にコスト高になっているが、特殊紙生産の集約化 でこれを下げる方針。倉田工場長は「今後はいかに効率よく低コストで生産するかが鍵になる」としている。


■勇払、白老、旭川を統合し北海道工場に 日本製紙 (『苫小牧民 報』2010年3月4日)
http://www.tomamin.co.jp/2010t/t10030404.html
 日本製紙は、道内4工場のうち勇払、白老、旭川の3工場を、4月1日付で事業所にし北海道工場に統合する。山本直樹勇払・白老・旭川工場長代理は「統合 で予算などを柔軟に活用できる。社員の意識も融合させながら効率生産を進めたい」と話している。
 3工場はコスト削減や効率化などを狙いに、2001年から経理や原材料などの業務を集約している。さらに技術や工務部門も統合することにした。3工場に 勤務する社員約700人と、請負会社の約1,100人について、統合に伴う削減や異動は行わない。
 日本製紙は全国8工場が稼働中。北海道工場は最大規模の石巻工場(宮城県)に次ぐ年間約100万トン弱の生産能力を持つことになる。2010年は88万 トン規模の生産を予定している。
 山本工場長代理は、統合による効率化で工場撤退などのリスクが回避できるほか、事業所間の連携強化で事業基盤を再構築できるとし、工場ごとの職場意識の 壁もなくなることで、積極的な事業展開ができると話している。



<工場別の状況>

1.日本製紙(株)北海道工場旭川事業所  
 旭川工場は北海道のほぼ中心に位置し、道内各地からチップ・木材を容易に集荷できる地理的条件に加え、石狩川の水を活かして1938年(昭和13年)に 設 立された。永年培ってきた伝統と技術を背景に微塗工紙をはじめ、上質紙、情報関連用紙、特殊紙、クラフト紙、板紙、再生紙等を製造している。

■旭川工場概要データ(2009年4月1日現在)
パルプ設備能力
自製パルプ:700トン/日 古紙パルプ:80トン/日
抄紙機(オンマシンコーター含む)設備能力
5台 750トン/日
主要製品
上質紙、微塗工紙、情報用紙、積層板原紙、壁紙原紙、
包装用紙、板紙、製紙用パルプ

■生産量 http://www.npaper.co.jp/  及び http://www.np-g.com/about/factory/asahikawa.html
2000(平成12)年度実績
紙:235,000トン/年

外販パルプ:22,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙・板紙:247,049トン/年

外販パルプ: 8,000トン/年
2005(平成17)年実績
紙:232,739トン/年
板紙:8,364トン/年
外販パルプ:10,481トン/年
2006(平成18)年実績
紙:238,103トン/年 板紙:8,897トン/年 外販パルプ: 9,299 トン/年
2007(平成19)年実績
紙:241,716トン/年 板紙:8,787トン/年 外販パルプ: 7,139 トン/年
2009(平成21)年実績
紙:203,368トン/年 板紙:7,485トン/年


■設立前後 [2]
 国策パルプは昭和13年1月、朝日新聞と繊維業界の出資によって、溶解パルプの製造を目標に発足した。
 資本金8,000万円。首脳陣は日清紡績社長や前王子製紙専務、農林省、石川島造船相談役などであった。そして国策パルプ設立の舞台裏で動いたのは、当 時の朝日新聞経済部長の丹羽(のち国策パルプ相談役)で、その丹羽を支援したのが参謀本部第八課の高級課員岩畔であった。 
 当時、日本最大の国策会社だった南満州鉄道の資本金が2億円、王子製紙のそれが1億円の時代で、国策パルプの資本金8,000万円はそれに次ぐ規模で あった。
 国策パルプが建設した旭川工場の操業開始は昭和15年8月で、山陽パルプの岩国と比べるとちょうど1年遅れの差があり、東北の石巻、秋田の操業とは、ほ ぼ同時期に当たる。
 昭和20年4月、国策パルプは全額出資子会社の大日本再生製紙(勇払工場の操業開始は18年5月)を合併し、旭川、勇払の2工場体制となった。

■日本製紙旭川工場、3年ぶり黒字転換へ 存続の追い風に (『北海道新聞』2004年3月28日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?j=0024&d=20040328
 製紙大手の日本製紙(東京)旭川工場の2004年3月期決算が、経常利益約1億円の黒字に転じる見通しであることが、27日までにわかった。同工場の黒 字決算は、日本製紙が誕生した1993年以降では3年ぶり2回目。
 日本製紙と大昭和製紙の持ち株会社、日本ユニパックホールディング(東京)は、2005年度までにグループ全体で2,300人以上の人員削減などを計画 している。赤字工場の再編も取りざたされる中、3年ぶりの黒字は旭川工場存続の追い風になりそうだ。 同工場の2004年3月期決算は、紙価低迷で売上高は前年比2%減の予想だが、従業員の他工場への期限付き転勤、ボイラー燃料費の節約などで経費を計8億 円圧縮し、1億円の経常利益を達成できる見通しとなった。
 同工場は2001年に日本製紙の誕生以来初の経常利益約8千万円を計上したが、その後、売上高の低迷を支えきれず、2002年は12億円、2003年は 1億円の経常損失を出した。

■インクジェットに対応 日本製紙旭川工場、新OCR用紙製造へ (『北海道新聞』2005年1月30日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20050130&j=0024&k=200501292714
 日本製紙旭川工場は2月から、光学式文字読み取り装置(OCR)と呼ばれるデータ処理に使われる専用用紙に、インクジェット印刷への適性を加えた新製品 の製造を始める。
 マークシートや官公庁への各種申請用紙など情報を機械処理するために使われるOCR用紙には、近年、個人名や会社名、数字など固有の情報を液体インクを 吹きつける方法でインクジェット印刷する頻度が増えている。しかし、インクがにじんで不鮮明になるなどの課題があり、耐水性やインクの速乾性などの点でイ ンクジェット印刷への対応が求められていた。
 月産2万トンの製紙能力を持つ旭川工場は、高付加価値の商品としてこれまで、月産約700トンのOCR用紙を生産している。今後、同工場はOCR用紙の ほぼ全量をインクジェット印刷の適性を持った新製品に切り替えていく方針。


■鉄道貨物輸送について (新旭川駅・北旭川駅)

▼旭川工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業
方法
作 業
キロ
総 延長
キロ
備 考
1951(昭26)年版 新旭川
国策パルプ工業(株)
昭和電工(株)(代表)
日本通運(株)
内外輸送(株)
関東紙業(株)
国鉄機
手押
A線0.9
B〃0.1
C〃0.1
D〃1.5
E〃1.3
F〃1.4
G〃0.8
昭電〃0.5

経常費収受
1953(昭28)年版
新旭川
国策パルプ工業(株)
昭和電工(株)(代表)
日本通運(株)
内外輸送(株)
関東紙業(株)
国鉄機
手押
国策線
A線1.1
B〃1.4
C〃0.1
D〃1.2
E〃0.1
F〃1.2
G〃0.7
H〃0.5
昭電線
A’線0.3
S 〃 0.3

経常費収受
1957(昭32)年版 新旭川
国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
北海道林業(株)
国鉄機
手押
A線0.5
B〃1.1
C〃0.1
D〃0.1
E〃1.4
F〃0.5
G〃1.3
H〃1.2
I 〃1.1


1964(昭39)年版
新旭川
国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
内外輸送(株)
千代田紙業(株)
北海道林業(株)
国木加工(株)
広栄化学工業(株)
国鉄機
手押
A線0.5
B〃1.1
C〃0.1
D〃0.1
E〃1.4
F〃0.5
G〃1.4
H〃0.7
I 〃0.6
J 〃0.6
K〃1.4


1967(昭42)年版
新旭川
国策パルプ工業(株)










国策パルプ工業(株)(西線)
日本通運(株)
内外輸送(株)
千代田紙業(株)
北海道林業(株)
国木加工(株)
広栄化学工業(株)
北林製材(株)
国策木材(株)



日本通運(株)
旭川通運(株)
国鉄機
手押









国鉄機
手押
A線0.5
B〃1.1
C〃0.1
D〃0.1
E〃1.4
F〃0.5
G〃1.4
H〃0.7
I 〃0.6
J 〃0.6
K〃1.4
0.1


1970(昭45)年版
新旭川
国策パルプ工業(株)











国策パルプ工業(株)(西線)
千代田紙業(株)
北海道林業(株)
国木加工(株)
広栄化学工業(株)
北林製材(株)
国策木材(株)
日本通運(株)
内外輸送(株)




北海道林業(株)
日本通運(株)
旭川通運(株)
国鉄機
手押










国鉄機
手押
A線0.5
B〃1.1
C〃0.1
D〃0.1
E〃1.0
F〃0.4
G〃1.0
H〃0.7
I 〃0.5
J 〃0.5
K〃0.9
L〃0.4
0.1
12.9











0.1

1975(昭50)年版
新旭川
山陽国策パルプ工業(株)











山陽国策パルプ工業(株)(西線)
千代田紙業(株)
北海道林業(株)
国木加工(株)
広栄化学工業(株)
北林製材(株)
国策木材(株)
日本通運(株)





日本通運(株)
旭川通運(株)
国鉄機
手押
A線0.5
B〃1.1
C〃0.1
D〃0.1
E〃1.0
F〃0.3
G〃0.6
H〃0.7
I 〃0.5
J 〃0.5
K〃0.9
L〃0.4
0.1
11.6











0.1

1983(昭58)年版
新旭川
山陽国策パルプ(株)
千代田紙業(株)
北海道林業(株)
国木加工(株)
広栄化学工業(株)
北林製材(株)
国策木材(株)
日本通運(株)
日通機
手押

8.5


旭川工場の地図(『北海道道路地図』昭文社、2001年)

 1940(昭和15)年8月に旭川工場は完成したが、その前年10月には原料木材の積み込みに専用線の使用が開始されていた。開業以来ずっと国鉄機が ずっと入線していたが、国鉄合理化のため1980(昭和55)年に運転管理を日本通運とし、日通機による運行が始まった。路線は、新旭川駅構内のヤード部 分、JR石北本線に沿って工場に至る通路線、工場内に分けられるが、ヤードでは貨車の入れ換えをJRが行い、日通機がそれを引き継いで工場内に入る。工場 内には、かつてはパルプや原木の搬入のため5本もの側線があったが、現在は2本の側線に、石油及び薬品のピット線、ワム車使用の新聞用紙等積み込み線、コ ンテナ車使用の上質紙等積み込み線が設けられている。[3]
 線路延長は、ヤード・本線・側線あわせて4,417mで、30kg、40kgレールが混在しているが、徐々に40kgレールが増えつつある。[3]
 輸送量は、製品が年間約33万トン(筆者註:1990年頃?)で、本州方面に送られる。製品出荷量に占める鉄道輸送のシェアは9割を超えており、近年の 鉄道貨物輸送の信頼性向上を反映している。今後も鉄道輸送にかける期待は大きいようだ。[3]
 
 1988年2月26日付日本経済新聞30面によると、1988年3月13日のダイヤ改正から新旭川駅は専用線のコンテナ扱いを開始した。
 1993年3月ダイヤ改正で新旭川駅発送で飯田町駅着で(株)飯田町紙流通センターに向けて1日あたりワム7両輸送されていた。しかし1994年10月 7日に新旭川駅発送も含めた北海道発飯田町駅着の紙輸送ワム車のコンテナ化が実施された。コンテナは隅田川駅から新たに開業した飯田町営業所にトラック移 送されることとなった。[4]
 一方、飯田町向けの輸送はワム8両だったという記事もあり、今となっては真相は不明だ。[5] 
 但し、ワム7〜8両の輸送量ということはコキ4〜5両に相当し、それほどの量ではないとも言える。

 原料の液化塩素や苛性ソーダ等は苫小牧港開発(株)港北駅に専用線のある北海道曹達(株)から到着していたと予想される。北海道曹達(株)の株主は、旭 硝子(株)が32.7%の筆頭株主、日本製紙(株)が25.7%で第2位、王子製紙(株)が9.8%で第3位となっており、道内の各製紙工場に薬品を供給 していると思われる。
 1985年版私有貨車番号表によると、北海道曹達(株)はタキ4200形(カセイソーダ液専用)を19両(港北駅常備)、タキ5450形(液化塩素専 用)を30両(港北駅常備)などを所有している。また同書によると山陽国策パルプ(株)はタキ5400形(液化塩素専用)1両を港北駅常備で所有してお り、1983年版専用線一覧表によると港北駅の北海道曹達(株)専用線の第三者利用者には山陽国策パルプ(株)がある。以上のことから港北駅〜新旭川駅で 液化塩素や苛性ソーダの輸送をしていたと考えられる。
 
 また燃料の石油は本輪西駅の日本石油精製(株)室蘭製油所からタンク車で輸送されていた。[3]

 このように原料から製品まで鉄道輸送に依存していた旭川工場だが、1997(平成9)年9月に専用線は廃止されてしまった。[6]

 なお苫小牧港開発(株)も1998(平成10)年3月31日をもって休止された。
 苫小牧港開発の1991年度の輸送量は約26万5千トンで、そのうち化学薬品の輸送量は約4万2千トンあったが[7]、1998年度は総輸送量で約1万 トンしか見込めないため休止された。[8]
 同社の直接的な廃止理由としては石油輸送の廃止が大きいと思われるが、日本製紙の旭川工場専用線廃止に伴う化学薬品の廃止も少なからず影響をしたと思わ れる。ただ先に述べた通り、1999年には旭川工場は塩素系薬品の使用を止め、代替品の二酸化塩素に切り替えており液化塩素の輸送は遠からず廃止になる運 命であったとも言える。
 
 また日本製紙は1993年4月の合併以来、製品転換を推進しており旭川工場では新聞用紙から微塗工紙への転換が行われている。[9]
 これは新聞用紙マシンを大改造して微塗工紙マシンに切り替えたもので、1995年11月に稼動している。 旭川の微塗工紙は苫小牧に陸送し、そこからはフェリーで首都圏に運ばれている。北海道の新聞用紙は、それまで釧路(旧十條)、旭川(旧山 国)、勇払(同)の3工場体制であったが、旭川の微塗工紙転換によって釧路と勇払への集中生産 が可能となった。[2]
 さらに2000年3月にはグループ全体で生産体制の再構築が行われ、旭川工場では抄紙機(年間能力:17,000トン)が停止、原料統合化による減産 (同22,000トン)が行われている。[10]

 この結果、上述した2005年の旭川工場の生産量(約25万トン)と上記の1990年頃の製品の年間鉄道輸送量(約33万トン)を比較すると、生産量が 専用線があった頃の鉄道輸送量を下回っており、同工場の物流量が大きく減少したことは想像できる。しかし製品出荷量に占める鉄道輸送のシェアが9割を超え ていた同工場において、生産量25万トンの9割は22万トンを超え(但し生産量と出荷量には乖離がある可能性があるが)、小規模な臨海鉄道に匹敵する輸送 量が期待でき専用線を維持できると思われる。鉄道輸送に大きく依存していた同工場が専用線を廃止してしまったのは非常に残念だが、本州への輸送は他の臨海 工場へシフトし鉄道輸送の依存度が下がったとも考えられる。
 現在、日本製紙(株)は北旭川駅から紙を発送しており[11]、専用線廃止後もある程度、鉄道コンテナ輸送を利用していることは間違いない。

▼旭川工場発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
車扱
日本製紙(株)
新旭川

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
1994年10月にコンテナ転換[4]
コンテナ
日本製紙(株)
新旭川

(株)飯田町紙流通センター
隅田川
JRコンテナ
[4]
コンテナ
日本製紙(株)
新旭川


西浜松
18D
1997.8.15西浜松
コンテナ
日本製紙(株)
新旭川


多治見
JRコンテナ
1996.12.26多治見
コンテナ
日本製紙(株)
北旭川
印刷紙

宮城野
19D
1998.10.11宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
北旭川
印刷紙
日本通信紙(株)?
土浦
18D
1998.3.22土浦 岩国→土浦(日本通信紙)の輸送あり
コンテナ
日本製紙(株)
北旭川
クラフト

越谷タ
19B
1998.12.12長町
コンテナ
日本製紙(株)
北旭川
印刷紙
(株)飯田町紙流通センター?
隅田川
18D
1998.12.12長町

▼旭川工場到着の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式及び所有
備 考
車扱
日本石油(株)
本輪西
石油
日本製紙(株)
新旭川
タキ
[3]
車扱
北海道曹達(株)
港北
液化塩素
日本製紙(株)
新旭川
タキ5450形
筆者予想
車扱
北海道曹達(株)
港北
苛性ソーダ
日本製紙(株)
新旭川
タキ4200形
筆者予想
コンテナ
荒川化学工業(株)
富士
工業薬品
日本製紙(株)
北旭川
UR18A JOT
1998.2.17富士



2.日本製紙(株)釧 路工場  
  釧路工場は屈斜路湖を源とする新釧路川の河口に1920年(大正9年)設立された。日本製紙グループにおける新聞用紙生産の基幹工場として生産 活動を続け ている。新聞用紙の生産には高度な技術が要求されるが、当工場は特に古紙パルプ高配合に関して高い技術力を誇り、また日本で初めて塩素を使わないパルプ漂 白方法を導入するなど、環境へも十分配慮している。 また、2012年からはクラフト紙や衣料素材レーヨンの原料となる溶解パルプの生産も開始した。

■釧路工場概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在)
自製パルプ:836トン/日 古紙パルプ:920トン/日
パルプ設備能力(2008年4月1日現在)
自製パルプ:903トン/日 古紙パルプ:920トン/日
パルプ製造設備(2014年4月1日現在)
木材パルプ:840トン/日 古紙パルプ:920トン/日
抄紙機設備能力(2008年4月1日現在)
3台 1,260トン/日
主要製品
新聞用紙、中下級印刷用紙、クラフト紙、製紙用パルプ、溶解パルプ

■生産量 http://www.npaper.co.jp/main/profile/kushiro.html  及び http://www.np-g.com/about/factory/kushiro.html
2000(平成12)年度実績
紙:418,000トン/年
外販パルプ:78,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙:414,762トン/年 外販パルプ:71,176トン/年
2005(平成17)年実績
紙:414,040トン/年 外販パルプ:76,173トン/年
2006(平成18)年実績
紙:412,082トン/年
外販パルプ:86,646トン/年
2007(平成19)年実績

紙:424,473トン/年

外販パルプ:44,972トン/年
2009(平成21)年実績
紙:378,545トン/年

2010(平成22)年実績
紙:360,964トン/年

2012(平成24)年実績 紙:373,169トン/年
2013(平成25)年実績
紙:390,609トン/年


■開業当時 [12]
 大正9年7月、富士製紙の工場として開業。当初はGPだけを生産する工場であった。この工場の位置は、かつて北海道で最初のパルプ工場といわれる前田製 紙の天寧工場の跡地だが、この工場は大正2年に全焼して廃工場となっていた。工場の建設は北海道興業の手で進められたが、完成前にこの会社は富士製紙に合 併された。
 大正10年に2台の長網ヤンキーを神崎工場から移設し、Gロールなど包装用紙を抄造するようになった。大正11年長網機を増設して新聞用紙を抄造した が、このマシンは昭和2年にA巻2本取り142インチの網幅に改造された。
 昭和8年5月、富士製紙は王子製紙に合併されたので、王子製紙の釧路工場となった。十條製紙発足時には、長網機1台と長網ヤンキー3台、計4台の抄紙機 を持ち、大正14年に完成した10トン木釜1基もあって、SP・GPとも自給する能力を持っていた。

■高度経済成長期 [12]
 昭和33年3月には、釧路工場の142インチ新聞用紙マシン(5号m/c)が稼動した。このマシンは、最高抄速600メートル、日産130トンで、小 倉・坂本両工場をはるかに凌ぐものであった。33年後半には王子製紙の長期ストがあって、このマシンの完成は大きな力を発揮した。
 昭和33年4月、釧路工場において5号m/cと同時に設置したCGP(ケミカルGP)設備が稼動した。CGPは広葉樹(L材)をパルプ化する1つの新し い方法であって、釧路工場が採用した「熱中性亜硫酸塩法」は世界でも初めての試みであり、このCGPを新聞用紙に配合したことも、十條製紙が国内では最初 であった。
 先に打ち出された十條製紙の長期計画では、釧路工場を新聞用紙の、八代工場を上質紙の基幹工場として、重点投資する方針が明らかにされた。昭和34年3 月、釧路工場に我が国最大の274インチ新聞マシンを設置するとの発表をした。当時、国内では王子製紙苫小牧工場、東北パルプ石巻工場の208インチが最 大であった。昭和35年6月27日、このマシン(6号m/c)の始動式が行われた。
 さらに昭和40年10月には、釧路にもう1台の274インチマシン(7号m/c)が完成した。274インチとしては、この間王子製紙苫小牧工場が1台完 成していたので、3台目であった。同時に完成したアスプルンドのCGPの良品質もあって、チリも少なく、白色度もよい新聞用紙が生産された。このマシンの 完成で、釧路工場は日産800トンの大工場となった。
 7号m/cの増設で増加する原木は、これを全面的に国内に頼ることは許されず、三井物産を通じて、米国のウエアハウザー社から北米産ヘムロックのチップ を購入する契約を、昭和42年2月に取り結んだ。十條製紙はこのチップを運搬するため、専用船として「十條丸」2万2千トンを建造し、第1船が釧路に入港 したのは、 43年3月であった。
 釧路工場は、新聞用紙の主力工場として、新聞用紙の需要増大に対処するとともに、対外競争力を強化するため、外材チップの確保を条件とし、釧路西港完成 時期(昭和50年)を目途に、大型新聞用紙マシンの増設を計画した。増設により釧路工場は新聞用紙日産820トンから、同1,300トンの新聞用紙の大工 場となる。

■安定成長期 [2]
 昭和50年を目途に増設を検討していた大型新聞用紙マシンは、第1次石油ショックのため着工がずれ、2年ほど遅れて完成、稼動した。この8号マシンは新 聞用紙専抄としては日本初のベルベフォーマー型マシンで、抄速780メートル(のち1,000メートルに改造)、日産330トン。着工は51年9月、営業 運転に入ったのが翌52年9月6日だった。
 その後、釧路工場では自家発電比率向上を目指し、微粉炭ボイラーを設置(昭和61年11月完工)するなどの投資が続いた。このボイラー設置前の釧路の自 家発電比率は34.8%で、買電価格(北海道電力)の高いことが釧路の新聞用紙採算の大きなネックになっていた。それが微粉炭ボイラー完成後は91.1% になり、円高による輸入炭価の連続的な低減もあり釧路の競争力強化対策として十分な効果を発揮した。当初の計画利益24億円に対し、実績利益は36億円弱 (昭和62年度)に達した。

■紙製造時の「灰」で土壌改良 特殊処理法を開発 1年内に商品化 (『北海道新聞』2005年7月8日付)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20050708&j=0024&k=200507088253
 日本製紙(東京)釧路工場は7日、新聞用紙を製造する際に発生する繊維かすの「ペーパースラッジ灰」を特殊処理し、農地の土壌改良や凍結抑制の路盤材と して有効活用する技術を開発したと発表した。1年以内の商品化を目指す。
 同社によると、紙を製造する過程で発生するペーパースラッジはいったんボイラーの補助燃料として燃やしているが、釧路工場だけでも年間で約2万8千トン の灰が発生。灰はセメント原料として利用するしかなかった。 このため、釧路工場の技術環境室が中心となって別の活用法を模索。新商品は灰を圧縮した直径1センチほどの塊で、特殊処理を施すことで有害物質を取り除い た。無害で軽量のうえに吸水性に優れ、ドロドロにならない。
 昨年夏には、農地の土壌改良試験を実施。地下1メートルに新材料を敷き詰めた畑は水はけがよくなり、通常の土壌で育てたダイコンに比べて根の張り方も大 きさも1−2割程度上回ることが確認された。さらに、釧路工場のアスファルトの下に新材料を敷き詰め、道路の凍結抑制効果を確認する。同工場は「1年以内 の商品化を目指すとともに、農地や路盤材以外の活用法も探っていきたい」と話している。

■釧路工場の設備増強へ 日本製紙 (『北海道新聞』2006年5月11日付)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060511&j=0024&k=200605116660
 日本製紙グループ本社は10日、2006−08年度の中期経営計画を発表した。傘下の日本製紙の釧路工場で古紙再生設備を増強するほか、石巻工場(宮城 県石巻市)に630億円を投じ、印刷用紙の生産能力では国内最大級の設備を新設する。
 古紙再生設備増強では、釧路を含めた全国四工場で日量800トンの生産増を目指す。関連の設備投資は150億円。釧路工場では、最大で日量920トンの 生産能力を同約1,070トンにまで引き上げる。
 石巻工場は老朽化した設備を一新して新設備を導入、光沢がある塗工紙などの洋紙を中心に年間35万トンを生産。来年11月の稼働を目指す。
 旭川、白老工場などで進めているバイオマス・新エネルギーボイラーへの更新も、従来の燃料だった重油の価格高騰を受けてさらに拡大させる。


■鉄道貨物輸送について

▼釧路工場の専用線概要の推移

専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1930(昭和5)年版
新富士
富士製紙会社
釧路川治水事務所
省機関車
手押
A線0.5
B線0.3
C線0.3
D線0.3
E線0.2
F線0.4
G線0.5


1951(昭和26)年版 新富士
十条製紙(株)
雄別炭鉱鉄道(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
相手方機
手押
1.3

専用線名
 製紙株式会社
1953(昭和28)年版
新富士
十条製紙(株)
雄別炭鉱鉄道(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
相手方機
手押
1.3


1957(昭和32)年版 新富士
十条製紙(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
私有機
1.3
(機)1.0


1964(昭和39)年版
新富士
十条製紙(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
富士興業(株)
国鉄機
私有機
1.9
(機)1.0


1967(昭和42)年版
新富士
十条製紙(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
富士興業(株)
国鉄機
私有機
1.9
(機)1.0


1970(昭和45)年版
新富士
十条製紙(株)
富士興業(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
私有機
1.9
(機)1.0
6.2

1975(昭和50)年版
新富士
十条製紙(株)
富士興業(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
私有機
0.7
4.2

1983(昭和58)年版
新富士
十条製紙(株)
富士興業(株)
日本通運(株)
三ツ輪運輸(株)
国鉄機
私有機
0.7
2.9


 新富士駅は富士製紙の工場創業に伴い開設された駅で、1923(大正12)年12月25日に開業した。1930年の専用線一覧表によると当時すでにA線 からG線までの大規模な専用線があったことが分かる。
 しかし国鉄末期の1984(昭和59)年2月1日のダイヤ改正で新富士駅の貨物取り扱いは廃止され[13]、同時に釧路工場の専用線は廃止されたと思わ れる。
 その後、新富士駅は1989(平成元)年8月1日に貨物取り扱いを復活している。この間は浜釧路駅に貨物扱いを委託していた。[13]

 現在、日本製紙(株)は新富士駅から紙を発送しており[11]、鉄道コンテナ輸送を利用していることは間違いないが、本州への輸送は船舶がメインで鉄道 輸送は限られたものと考えられる。
 首都圏向けの輸送は船舶で、関西向けが鉄道コンテナといった使い分けをしているのだろうか。
 ここに興味深い記事がある。釧路港西港区のwebからの抜粋(http://www.ks.hkd.mlit.go.jp/kouwan/port/kushiro/nishi.html) で、RORO船について「釧路の三大基幹産業の一つである製紙業・製紙工場の生産規模は、年間約125万トンで、ロール状の紙がパルプとなってRORO船 で東京や宮城など日本各地 に運ばれてる。内訳は、日本製紙が年間約42万トン(うち新聞用紙が37万 トン)、王子製紙では、年間約83万トン(うちダンボール原紙50万ト ン、印刷用紙22万トン、新聞用紙11万トン)となっている」とあり、記事の内容が正しければ釧路工場の生産量の殆どがRORO船で運ばれていることにな る。



3.日本製紙(株)北海道工場勇払事業所  
 勇払工場は1943年(昭和18年)設立され、勇払原野など周辺の豊かな自然資源と、新千歳空港、苫小牧港などの交通拠点の整備とともに発展し、現在で は 苫小牧臨海工業地帯の一角を担っている。
1990年(平成2年)に最新鋭の新聞抄紙機の運転を開始し、従来の上級紙、塗工紙、情報用紙、特殊紙に加え、最新の技術と安定した生産力で高品質の製品 を市場に送り出し、2001年(平成13年)には国内初のオゾン漂白設備(世界でも最大級)が稼動し、品質の向上を図るとともに、環境に配慮した操業を続 けている。

■勇払工場概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在)
自製パルプ:500トン/日 古紙パルプ:340トン/日
パルプ設備能力(2008年4月1日現在)
自製パルプ:510トン/日 古紙パルプ:340トン/日
抄紙機設備能力
5台 1,005トン/日
抄紙機設備能力(2014年4月1日現在)
4台 826トン/日
塗工機設備能力(2009年4月1日現在)
1台 180トン/日
主要製品
新聞用紙、上質紙、塗工紙、ノーカーボン紙用原紙、
感熱紙用原紙、紙コップ用紙、接着紙原紙

■生産量 http://www.npaper.co.jp/  及び http://www.np-g.com/about/factory/yufutsu.html
2000(平成12)年度実績
紙:312,000トン/年
外販パルプほか:6,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙:318,662トン/年

2005(平成17)年実績
紙:319,370トン/年

2006(平成18)年実績
紙:324,863トン/年
2007(平成19)年実績
紙:335,866トン/年 外販パルプ:2,481トン/ 年
2009(平成21)年実績
紙:250,513トン/年


■開業当時
 勇払工場は、昭和13年に設立された国策パルプ(株)が全額出資して設立した大日本再生製紙(株)が前身で、昭和18年5月に操業を開始している。その 後、昭和20年4月に大日本再生製紙は国策パルプと合併し、国策パルプ勇払工場となった。[2]

■日本初のオゾン漂白パルプ製造を決定 (2000年2月4日 日本製紙株式会社)
http://www.np-g.com/news/news00020401.html
 日本製紙は、オゾン漂白によるECFパルプ(塩素を使わないで漂白するパルプ)の製造を決定した。パルプ製造工程でのオゾン使用は、国内業界初である。
 クラフトパルプ(KP)は、原料である木材チップを苛性ソーダで煮て(=蒸解)木材中の繊維を取り出し、次にその繊維を薬品で漂白する方法で生産する。 漂白薬品には塩素、二酸化塩素、次亜塩素酸ソーダ、酸素などが使用されるが、近年欧米を中心に、塩素(Cl2)を使わないで漂白するECF (Elementary Chlorine Free)法が普及しはじめている。
 今回の計画は、
1.勇払工場のKP設備(日産520t)で、従来漂白工程の第一段階で使用していた塩素を、全量オゾンで代替する。
2.使用するオゾンの製造プラントを新設する。
 オゾン発生能力は1基で120Kg/hとなり、日本最大の能力である。
 この結果、ダイオキシン発生量の指標である「AOX」はほぼゼロとなり、現在国内で用いられている、塩素に代えて二酸化塩素を使用するECF法に比較し ても、さらに環境負荷が軽減できる。
 同社グループでは、すでに釧路工場で針葉樹パルプ 363t/日、旭川工場で針葉樹パルプ 100t/日のECFパルプ設備が稼働し、本年5月にはグループ会社である東北製紙株式会社秋田工場でECF化工事が完成する予定である(いずれも二酸化 塩素によるECF)。今回の設備はこれらに次いで4番目で、今後当社他工場KP設備について、オゾン漂白導入の可能性を検討していく。

工事概要
工 期
1)オゾン発生プラント新設 120Kg/h
2)酸素発生設備新設     20t/日
3)オゾン漂白工程増強(漂白工程初段に増設)
2000(平成12)年2月着工
2000(平成12)年12月完成予定

■勇払工場に古紙パルプ製造設備が完成 〜日本初の、雑誌古紙が100%利用可能な設備〜 (2002年7月1日 日本製紙株式会社) 
http://www.np-g.com/news/news02070102.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙は、これまで紙の原料としては使用できなかった雑誌古紙を利用できる技術を確立した。現在、各工場への 設備導入、技術導入を進めており、勇払工場(北海道苫小牧市)において、雑誌古紙を100%利用できる日本国内で初めての古紙パルプ(DIP)製造設備 が、7月1日に営業運転を開始した。
 同社は、これまで、「日本製紙環境憲章」の行動指針として「古紙利用の推進」を掲げ、
(1)新聞用紙へのDIP配合率 は平均70%を目標とする
(2)上質系古紙、雑誌古紙の利用拡大を図る
という2点に取り組んできた。
 今回の勇払工場における新鋭DIP設備は日産110トン(投資額約15億円)。これにより勇払工場のDIP生産能力は日産230トンから340トンへ増 強され、同工場の新聞用紙へのDIP配合率は最大80%にまで引き上げが可能となる。新聞用紙へのDIP配合率については、勇払工場をはじめ各工場に DIP設備を増設したことにより、平均75%を達成する見通し。
 製紙原料として古紙を利用するにあたって、最大の課題は異物を取り除く技術である。代表的な古紙である新聞古紙(新聞紙・チラシ)は異物の混入率が低 く、製紙各社で多く利用されている。しかし雑誌古紙は、自治体などを中心に回収システムが整っているにも関わらず、背糊・シールという異物を除去すること が非常に困難であったため、これまで板紙以外に紙の原料として使用することができなかった。
 そこで、同社では、回収されながら余っている雑誌古紙を紙の原料に使うための技術開発を進め、確実に雑誌古紙を使いこなす技術を他社に先駆けて確立し た。これにより、古紙リサイクルの社会的要望にこたえるだけでなく、同社にとっても、より安価な原料調達によるコスト削減が期待される。さらに、上質系古 紙については、産業系古紙(製本・印刷所から排出される古紙)の中で、これまで使用していた異物が少なく品質が良好な古紙に加えて、紙の原料として使えな かった低グレードな古紙のほか、トナー除去や異物対策が困難なオフィス系回収古紙の使用技術についても開発の目処がついており、今後、新聞用紙はもちろ ん、印刷・情報用紙向けDIPの製造技術をさらに高めていく。

■製糖工場産廃で硫黄酸化物半減 日本製紙勇払工場が考案 (『北海道新聞』2006年4月28日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060428&j=0024&k=200604283498
 日本製紙勇払工場(苫小牧、倉田博美工場長)は11月から、製糖工場から排出される産業廃棄物の「ライムケーキ」を活用し、同工場の石炭ボイラーから出 る硫黄酸化物(SOx)を半減させる国内初の取り組みを始める。環境保全とコスト削減を両立させる取り組みとして、業界の注目を集めそうだ。
 最大蒸気量260トン毎時で、同工場の動力の七割を担う主力ボイラーに導入する。同工場では現在、燃料の石炭と同時に石灰石を投入し、ボイラーから排出 されるSOxを抑えている。ビートから砂糖を作る際、脱色する過程で出るライムケーキの成分が、石灰石と同じ炭酸カルシウムである点に着目、活用を決め た。ライムケーキは道内の製糖工場全体で年間約20万トンが発生し、ほぼ半分が産業廃棄物になっている。同工場は、伊達市の製糖工場から年間5千−6千ト ンを無償で譲り受ける方針だ。
 ライムケーキをボイラーまで運ぶコンベヤーなどの設備の建設に、5月末から着手する。総投資額は約1億5千万円。半分は道の補助で賄う考えだ。稼働後 は、現状のSOx排出量(80−90ppm)を半減できるほか、年間約7千万円の経費節減が可能という。

■製紙機械2台を9月で恒久停止 日本製紙勇払工場 (『北海道新 聞』2009年 07月22日付)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/178475_all.html
 【苫小牧】日本製紙勇払工場(苫小牧)は21日までに、本年度前半に休止する予定だった製紙機械2台を9月いっぱいで恒久停止することを明らかにした。 景気低迷で需要回復が見込めないため。
 製紙機械6台のうち、ちらしやカタログに使われる塗工紙用の2台を停止。従業員は削減せず、担当の30人余りの配置転換などで対応する。
 塗工紙生産は勇払工場の生産能力(年間34万トン)の18%を占める。10月以降は設備能力が高い白老工場(胆振管内白老町)などに移管する一方、勇払 工場には岩国(山口県)、勿来(なこそ)(福島県)の両工場から感熱原紙などの生産を移す。勇払工場の本年度の総生産量は前年度より2割少ない25万 〜26万トンの見通し。

■日本製紙勇払工場、抄紙機1台を停止 (『苫小牧民報』2009年 11月17日付)
http://www.tomamin.co.jp/2009t/t09111703.html
 日本製紙勇払工場(苫小牧市勇払、倉田博美工場長)の1号抄紙機・1号塗工機が10月30日付で稼働停止していたことが、16日までに分かった。紙需要 減少に伴う全国8工場15台を対象とした減産対応の一環。同工場はこれまで5台の製造設備が稼働。年間約34万トンの生産能力を保有していたが、11月か ら4台約28万トンに縮小している。
 日本製紙グループ本社では今年3月、急激な需要減少への対応策として生産性の高い設備に生産を集約し、8工場で年間約88万トン削減する方針を表明。勇 払工場の同設備が該当し、9月末で停止する計画だったが、一部ユーザー対応のため1カ月延期。10月24日に操業を停止し、30日に工場幹部や関係職員を 集めて停機式を行った。設備停止に伴い、一部従業員の配置転換を実施。11月1日現在の従業員数は260人となっている。
 同工場は1943年に操業開始。90年に当時としては最新鋭の新聞抄紙機を導入し、新聞用紙や上級紙、情報用紙、特殊紙を生産している。
 同社グループは現在、全社的な生産集約化を実施。全国12工場のボイラーやパルプ設備の定期点検時に、運転を継続していた抄紙機について点検中は一時稼 働休止するなど、生産能力を削減する取り組みも進めている。


■鉄道貨物輸送について
2008.3 勇払駅 雪もあり専用線の跡は分からなかった

▼勇払工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版 勇払
国策パルプ(株)

日本通運(株)

国鉄機
手押
1.8


1953(昭和28)年版
勇払
国策パルプ工業(株)

日本通運(株)
国鉄機
手押
A0.5
B0.3
C0.2
D0.8
E0.4
F0.4
G0.4


1957(昭和32)年版 勇払
国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
国鉄機
手押
A線0.5
B〃0.3
C〃0.2
D〃0.8
E〃0.4
F〃0.5
G〃0.6


1964(昭和39)年版
勇払
国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
丸国興業(株)
国鉄機
手押
A線1.2
B〃0.3
C〃0.2
D〃0.8
E〃0.4
F〃0.5
G〃0.6


1967(昭和42)年版
勇払
国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
丸国興業(株)
国鉄機
手押
A線1.2
B〃0.3
C〃0.2
D〃0.8
E〃0.4
F〃0.5
G〃0.6
H〃0.4

大形コンテナ
による小口扱
も取扱う
1970(昭和45)年版
勇払
国策パルプ工業(株)

日本通運(株)
丸国興業(株)
国鉄機
移動機
手押
A線1.2
B〃0.3
C〃0.2
D〃0.9
H〃0.4
5.5

コンテナによる
小口扱も取扱う
1975(昭和50)年版
勇払
山陽国策パルプ工業(株)
日本通運(株)
丸国興業(株)
国鉄機
移動機
手押
A線1.2
B〃0.3
B'〃0.1
C〃0.2
D〃0.9
H〃0.3
4.5
コンテナ貨物も
取扱う

 勇払工場は日高本線の勇払駅に接続する専用線があり、昭和40年代から少なくとも昭和50年までは専用線コンテナ扱いもしていたのだが、昭和50年代末 期には既に専用線は廃止に なってしまったようで、1983年版の専用線一覧表に記載が無くなっている。大手メーカーの主力製紙工場の専用線としては異例とも言える早い時期での廃止 の理由は謎だ。船舶輸送への全面転換が早かったのかもしれない。

 しかし専用線廃止後も鉄道輸送は継続しており、苫小牧港開発(株)の港北駅を発駅に飯田町駅の(株)飯田町紙流通センターに向けて1日あたり ワム80000形3両が発送されていた。輸送形態は新旭川、港北、萩野、苫小牧の各製紙工場発送のワ ムを1列車に仕立てた上で飯田町駅に到着していた。[5]
 尚、苫小牧港開発(株)の1991年度の輸送実績において、紙は11,115トンである。[7] (1日あたりワム3両発送=15トン×3両×稼働日 250日=11,250トンで計算が合う)
 また1992年頃の話題としては、1990年に完成した工場から出荷される紙製品を 専用線利用 により鉄道輸送しようというもので、工場の稼働率がある程度まで達すれば 専用線は建設される予定 であったという。[7] 1990年に完成した工場とは、最初に記述した1990年に最新鋭の新聞抄紙機の運転を開始したことを指すと思われるが、新聞用 紙を専用線で大量輸送する計画だったのであろう。
 結局、この構想は実現せず苫小牧港開発(株)そのものが1998年3月末に休止されてしまうが、もし勇払工場の専用線が敷設されていれば、八戸臨海鉄道 や秋田臨海鉄道のように存続できていたかもしれない。極めて残念だ。

 一方、港北駅から飯田町駅に発送されていたワムについては、1994(平成6)年10月7日に北海道発飯田町駅着の紙輸送ワム車のコンテナ化が実施され ている。[4]
 この時にワム車による港北駅発送が廃止され、コンテナによる苫小牧駅発送に切り替えられたと考えられる。
 JR貨物北海道支社のwebにより日本製紙(株)は苫小牧駅から紙を発送している ことは確かめられている。[11]



4.日本製紙(株)北 海道工場白老事業所  
2008.3 白老工場 北吉原駅の橋上駅舎から工場を望む

 白老工場は資源豊かな北海道の南部、苫小牧市と室蘭市のほぼ中間の臨海部に位置し、1960年(昭和35年)に操業を開始した。工場のある白老町は、水 資 源が豊富で、温暖な海洋性気候により、過去30年間の最深積雪量は約40cmと、北海道では最も降雪の少ない地域。1996年(平成8年)に最新鋭の大型 塗工機設備によるコート紙の生産を開始し、従来の上質紙、新聞用紙、情報用紙に加えて様々な種類の紙を生産している。

■白老工場概要データ
パルプ設備能力
自製パルプ:983トン/日
パルプ設備能力(2014年4月1日現在) 木材パルプ 1,024トン/日
抄紙機設備能力(2006年4月1日現在)
4台 1,951トン/日
抄紙機設備能力(2008年4月1日現在)
3台 1,354トン/日
抄紙機設備能力(2014年4月1日現在)
3台 1,177トン/日
塗工機設備能力
1台 597トン/日
塗工機設備能力(2014年4月1日現在)
1台 622トン/日
主要製品
上質紙、塗工紙、情報用紙、包装用紙

■生産量 [14] http://www.np-g.com/about/factory/shiraoi.html
1989(平成元)年実績
紙:500,596トン/年
板紙:123,362トン/年
2004(平成16)年実績
紙:372,559トン/年

2005(平成17)年実績
紙:385,660トン/年

2006(平成18)年実績
紙:391,527トン/年
2007(平成19)年実績
紙:393,139トン/年
2009(平成21)年実績
紙:348,419トン/年


■開業当時 [14]
 パルプ製造技術の発達により、広葉樹雑木がパルプ材として使用されるようになった。それによりパルプの生産事情が大きく変貌したことを示す典型的な例 が、大昭和製紙(株)の北海道進出、1960年の白老工場の建設であろう。北海道における紙パルプ産業は国有林の森林資源を基盤として成立し、発展した。 1938年の国策パルプ工業は国有林の増伐という前提で成立し、1959年の広葉樹を主たる原木として段ボール用ライナーを生産する本州製紙釧路工場の新 設も、国有林からある一定の原木が供給されることが前提になっていた。しかし、白老工場の建設の際、国有林からの原木の供給に関する協議はなされなかった とされている。それは北海道国有林の針葉樹の供給量はこれ以上増加できない状態になっていて、新設工場への供給を懇請したとしても許容されないことは明ら かであったこと、広葉樹(北海道には日本全土の27%を占める森林資源があり、その64%が広葉樹)を主たる原木とすれば必ずしも国有林に依存する必要が なかったからである。このようにして、白老工場は国有林からの原木供給を前提としない北海道における最初の、そして唯一の工場として建設された。国有林の 森林資源に対する依存、または既得権益の上に成立していた北海道の紙パルプ産業にとって、これは極めて衝撃的なことであった。大昭和製紙の北海道進出を可 能ならしめた技術的基礎は広葉樹雑木を原木として、針葉樹に劣らないパルプを製造しうる技術の発達にあったことはいうまでもない。

 1957(昭和32)〜1960(昭和35)年頃、新聞用紙専用の大型高速抄紙機は北海道、東北に集中した。1957年10月から苫小牧の208インチ 抄紙機が稼動し、1959年10月には本州釧路の208インチ抄紙機(ダンボール原紙・ライナー)が動き始めた。1960年になると、6月には十條釧路の 274インチ抄紙機(日産272トン)が稼動、7月には東北パルプ(石巻)の208インチ抄紙機(新聞用紙)が稼動、11月には大昭和白老で212インチ 抄紙機(新聞用紙)が稼動した。当時、広葉樹(L材)が使えるケミカル・グランドパルプ(CGP)設備の研究が進んではきたが、新聞用紙はパルプ配合率で 8割近いグランドパルプ(GP)がほとんど針葉樹(N材)で、大企業でなければ、新聞用紙メーカーとして収益面でうまみが無かった。しかも新聞用紙の需要 については更紙を合わせて考えなければならず、週刊誌ブームが続いていた当時、新聞用紙需給は当分緩和しないだけに、 新聞用紙では王子製紙の牙城と目された北海道へ大昭和製紙の進出を許したことは興味深い出来事 であった。1958年春には、大昭和製紙と北海道5社(王子3社、国策パルプ、北日本製紙)との話し合いが行われている。
 白老工場は60万坪の敷地に、第1期工事としてGP日産60トン、CGP日産120トン、GCP(丸太法)日産70トン、新聞用紙日産250トンの生産 設備を1960年9月までに完成させる。使用原木は月間5万3,000石、年間にして64万石。原料パルプの配合率はGP30%、CGP40%、 GCP30%という計画で、この配合率で新聞用紙の生産に成功すれば、業界に一大革命をもたらすと期待された。即ち、CGP設備の所要原木はすべてL材で ある。そのため1ヶ月間の原木使用率はN材30%、L材70%ということになる。これが大昭和製紙が北海道進出を許された理由でもあった。
 北海道5社が紙パルプ連合会木材部会長を通じて、大昭和製紙へ申し入れた事項は、次の3項であった。
1.大昭和では針葉樹については直接国有林に依存しない方針だと側聞しているが、今後もこの方針を堅持して貰う。
2.木材の集荷については、道内既存工場と密接なる連絡協力によって、常に適正な価格と需給関係その他に就き強調されたい。
3.第2項を円満に推進するためには、北海道パルプ材協会に加入することが望ましい。
 とにかく、よもやと思われた大昭和製紙が北海道に進出した。北海道5社としては、北海道モンロー主義≠正面から振りかざすこともできず、黙って見送 るわけにもいかぬ、というのが偽らない心情であっただろう。

■増設工事 [14]
 白老工場では1973(昭和48)年7月から総額3百数十億円を投じて9号抄紙機、KP製造、発電、公害防止、その他関連設備を含む増設工事が進められ ていた。1974年9月、パルプ設備の根幹である日産550トンのカミヤ式ハイヒート洗浄型ダイジェスター(連続蒸解釜)が立ち上がった。1975年4月 には試運転を開始、日産400トンの新設備は順調に運転され本格操業は10月であった。設備の特徴は、パルプ部門での排水中のCOD対策に重点が置かれ、 その負荷量を極度に減少させ、かつ高白色度の晒パルプが得られるよう、我が国で初の酸素漂白法が採用されている。従来は塩素−アルカリ−ハイポ−二酸化塩 素という多段漂白で、塩素−アルカリの段階が排水の汚染原因であったが、新方法ではこれに酸素を加えて負荷を抑え、廃液は蒸解工程で黒液とともに回収し て、処理するようになっていた。
 なお、1974年11月には260トン重油ボイラーの火入れ式が行われ排煙脱硫装置も稼動した。
 白老工場では前述の第1期工事に加え、第2、第3期増設工事が順調に行われた。第2期工事は、回収ボイラー、苛性化装置の設置で、回収ボイラーは 1976年5月、試運転された。このボイラーには臭気対策が施され、またユーカリ黒液に対処できるように3次空気を強化した。排ガス対策として2基の電気 集塵機も設置された。
 第3期工事は1978年12月、310トン/日の10号抄紙機とパルプ設備一式の稼動で完了した。

 白老工場では、紙の需要の増大に対処するため、増産と合理化を図ることになり、1985年1月、増設工事に取り掛かった。1986年以後の紙生産量を5 万トンと見込み、しかも上級紙の増産が必要なことから、まず省エネルギーと黒液処理能力不足を補う工事を開始し、11月、5号真空蒸発缶が完成した。さら にUKP1,360トン/日の生産体制を確立するため増設工事を進め、11月27日、中濃度酸素脱リグニン装置の完成をみた。これにより、KP合理化工事 はすべて完了し、省エネルギーと環境保全の向上、パルプ生産体制の安定化が図られたのである。

■日本製紙白老工場、抄紙機2台来年停止 (『室蘭民報』2003年8月5日付) 
http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/joho/shinbun/2003_08.htm
 日本ユニパックホールディンググループは4日、中期経営計画の生産設備削減計画を前倒して、傘下の日本製紙白老工場の中心的な生産設備である抄紙機2台 を来年3月に停止すると発表した。これに伴い同工場では社員など約200人が削減されることになる。同工場によると、平成16年に停止されるのは、 段ボール原紙を生産する1号抄紙機(年産能力6万1,000トン) 新聞用紙の2号抄紙機(同7万5,000トン) 。1号機は来年9月停止の当初スケジュールを半年前倒し。2号機は計画に入っていたが公表されていなかった。いずれも同工場が操業した間もない昭和35年 に稼働している。
 2機の停止で、18年までに正社員111人、関連会社社員86人の合わせて197人を削減する。現在同工場社員は560人、関連会社400人。削減は定 年退職者の不補充による自然減と富士工場など他工場への転出で対応する考えだ。 新聞用紙は勇払と岩沼(宮 城県)工場へ、 段ボールは同グループ傘下の日本大昭和板紙秋田工場 へそれぞれ移行される。
 白老工場の生産量約52万トンは2割程度落ち込むことになるが「道内の旭川、勇払工場などに比べると全体の生産量は多く、道内の主力工場との位置づけは 変わらない」(尾藤秀士工場長代理)としている。しかし、港の利用にも影響が出そうな状況。白老町では既に、白老港第3商港区建設ゴーサインを出し、同工 場も建設を要望していた経緯がある。「生産量は減るが港に対しては収益性の問題」(同)と話している。同工場では今年9月に上質紙を製造する5号抄紙機停 止が予定されている。これを含めると約230人の人員削減。年間約40億円のコスト削減につながるという。同工場で残るマシンは上質紙を生産する8、9号 機と、コート紙の9号機で、同工場の生産体制はコート紙と上質紙生産に特化、競争力を高める。
 約200人の削減は町にとって打撃で、坂下利明町長は「日本製紙から話は聞いていない。情報収集して善後策を検討したい」と話している。また、白老町商 工会の川田憲秀会長は「正式には聞いていないが大幅な人員削減もあり心配だ。港の問題も含めて、いずれにしても町づくりにも大きくかかわる問題」とコメン トした。
 日本ユニパックは、今年4月の中期経営計画発表時に17年度末までにグループ全体で計13台の抄紙機を停止するとしていた。

■日本ユニパック白老工場100人削減 07年度に350人体制 (『北海道新聞』2004年7月17日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20040717&j=0024&k=200407177307
 【白老】製紙大手の日本ユニパックホールディング(東京)は16日までに、傘下の日本製紙白老工場(胆振管内白老町)の従業員を段階的に百人削減し、 2007年度に350人体制とすることを明らかにした。同工場の従業員は現在450人。定年退職者の不補充や道外の他工場への異動で削減する見通し。
 03年4月の日本製紙、大昭和製紙の合併に伴う合理化で、大昭和系の白老では今年4月、段ボール原紙や新聞用紙製造の抄紙機2台、パルプ製造設備3台を 停止。全社的に希望退職者を募り、苫小牧市の勇払工場との事務部門の統合も進めている。
 同社は抄紙機の停止により、従業員550人(3月末)を05年度までに400人規模にする方針を4月に示し、今回は05年度以降の削減人員を具体化し た。「これ以上の希望退職者募集や新たな抄紙機などの停止は考えていない」(広報室)と話している。

■白老工場のパルプ設備をECF化 (『化学工業日報』2005年1月17日付、12面)
 日本製紙は白老工場(北海道白老郡)のクラフトパルプ設備を塩素ガスを使用しない漂白法(ECF化)に切り替える。昨年12月に着工しており、今年11 月に完成する。投資額は15億円。二酸化塩素を使用した漂白法を採用する。塩素ガス、次亜塩素酸塩の使用量をゼロにすることで、クロロホルムなど有機塩素 化合物の発生を大幅に削減、環境負荷軽減につなげる。
 また二酸化塩素の自製設備も更新、製法転換や高効率化を図ることで漂白システム全体の操業効率、漂白効率の向上を図る。
 現在、同社はクラフトパルプ漂白方のECF化を進めており、今回の新設備が稼動すれば05年度中にグループのECF化率は約85%となる。

■白老港に初、17日に外国船 日本製紙に石灰石 (『北海道新聞』2006年2月15日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060215&j=0024&k=200602154771
 胆振管内白老町の白老港に17日、初めて外国籍の貨物船が入港する。同町内の中核企業・日本製紙白老工場(伊藤與四郎工場長)に製紙原料である石灰石約 5千トンを運搬するためで、1990年に同港が開港して以来、最大級の船の入港となる。
 韓国籍の「KYペナテス号」(約4,400トン)。石灰石は紙につやを出す塗料の原料。同工場はこれまで、九州で調達した石灰石を白老港で陸揚げしてい たが、今年からコスト削減を図るため、外国船を使って安価なベトナムから運搬することにした。同社は今後も年2回、定期的に外国産の石灰石を同港に運び込 み、陸揚げする予定。

■日本製紙白老工場 脱原油の新ボイラー 2008年導入 (『北海道新聞』2006年4月29日付) 
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060429&j=0024&k=200604293791
 日本製紙白老工場(倉田博美工場長、胆振管内白老町)は28日までに、重油ボイラーに代え、石炭と木くずなどを燃料とする国内最大級の新ボイラーを 2008年7月から導入することを決めた。原油高騰に伴う生産コストの抑制が狙い。総投資額は90億円で、年間21億円の経費削減を見込む。
 新ボイラーは最大蒸気量が毎時280トン。石炭が7割、残りの3割は廃プラスチックや古紙を圧縮固形化したRPF、木くずなどを燃やす。発生させた蒸気 は、発電や紙の乾燥などに使う。 新ボイラーの導入に伴い、現存の5基を新規の1基に集約するため、年5万 5千キロリットルの重油が削減 できる。
 これにより、2003年の合併に伴う人員の余剰配置や原油高騰などで、厳しい収支が続く同工場の黒字転換が可能になるという。 同工場はポスターやカタログなどに使われる光沢のあるコート紙などの生産拠点で、2006年3月期の生産量は38万5千トン。2007年3月期は原油高騰 により、予算ベースで4億5千万円の経費増を予想している。


■鉄道貨物輸送について

▼白老工場の専用線概要の推移

専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1957(昭和32)年版 萩野
大昭和製紙(株)

私有機
2.2


1964(昭和39)年版
萩野
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
私有機
2.6


1967(昭和42)年版
萩野
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
私有機
2.6

大形コンテナによる
小口扱貨物も取扱う
1970(昭和45)年版
萩野
大昭和製紙(株)

日本通運(株)
私有機
2.6 11.2
コンテナによる
小口扱貨物も取扱う
1975(昭和50)年版
萩野
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
私有機
2.6
12.3
コンテナ貨物も取扱う
1983(昭和58)年版
萩野
大昭和製紙(株) 日本通運(株)
私有機
2.6
12.8
コンテナ貨物も取扱う

白老工場の地図

▼輸送状況(1989年度) [14]

紙生産量
板紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
フェリー
白老工場
500,596トン
123,362トン
10%
5%
15%
60%
10%

 室蘭本線萩野駅から専用線が分岐する。工場は隣の北吉原駅北側に位置する。1959(昭和34)年6月、白老町の熱心な誘致活動の末に大昭和製紙白老工 場が創立、1960年10月操業を開始した。専用側線は原料の搬入のため5月に完成、運転を開始している。その後工場は規模拡張を繰り返し、今では年間 60万トンの生産を行うほどに成長した。 [3]
 1964(昭和39)年から専用線発コンテナを取り扱うことになったが、宗谷本線の美深(10月1日から、荷主:天塩川木材)と 室蘭本線の萩野(7月15日から、荷主:大昭和製紙)の両駅扱のみである。萩野駅発のコンテナは隅田 川駅を着駅に1日コンテナ5個の輸送であった。[30]
 路線は萩野駅を出て室蘭本線沿いに500mほど西進、北にカーブして4番線までもつヤードに入る。ここにはたいがいトラやワムが留まっており室蘭本線の 列車からも見える。このあと線路は南から製品、チップ、重油の3つに大きく分かれて工場内に入っていく。総延長は11,278.18m、レールは37kg を使用しているが一部100mほど50kgもある。最急曲線半径は160mで1カ所、あとはR200mが多い。構内道路との踏切が12カ所あり、他に萩野 駅近くにJR共用のものが1カ所ある。車庫はなく、機関車は製品線とチップ線の間にある引き込み線に置いてある。原木用のヤード線もあったが現在では撤去 されている。全体の配線は運転開始当時から大きな変化はなく、総延長もやや短くなった程度である。 [3]
 運転開始の時は原木輸送が使命であったが今ではすべてトラック輸送にかわり、チップに押され量も少なくなった。原木にかわって原料に使われるようになっ たチップは室蘭港(陣屋町)からトラックと貨車で運ばれるが、これもトラックが7割強を運び 鉄道では約27%の232,000トン(平成元年度)を運んでいるにすぎない。もはやコスト的にも鉄道の有利さはなく、安定供給のため2方 法にしているのだそうだ。重油は全体の 8割弱の57,000キロリットル(同)をタンク車 で受け入れている。パルプの漂白に使う薬品類はほぼすべてトラックに転換されている。製品は 生産の1割、60,000トン(同)を送り出している。運転は1日5回(9:20、11:30、12:50、15:30、18:00)で工 場から駅に出てきては帰っていく。日曜、祝日も運転しておりゴールデンウィークに数日運休になるだけである。運転管理は日通、近年はJRのコンテナ化が進 み、白老工場でも製品発送のコンテナが徐々に増加している。当分の間大きな変動はないようだが、長期的に見ると白老港の商業港格上げが実現すれば原料は直 接工場に運ばれ、専用線の使命もあまりなくなることになろう。 [3]

 専用線については、社史によると1959年12月29日に白老工場引込線完成とあり[14]、上記の1960年5月完成、運転開始と食い違うようだが、 「完成」と「運転開始」の差か。
 1993年3月ダイヤ改正で萩野駅発送で飯田町駅着で(株)飯田町紙流通センターに向けて1日あたりワム13両輸送されていた。しかし1994年10月 7日に萩野駅発送も含めた北海道発飯田町駅着の紙輸送ワム車のコンテナ化が実施された。コンテナは隅田川駅から新たに開業した飯田町営業所にトラック移送 されることとなった。[4]
 JR貨物北海道支社のwebによると大昭和製紙(株)は萩野駅、東室蘭駅から紙を発送している。[11]

 上記、記事にあったように白老工場は2004年に抄紙機の停止などの生産体制の再編が行われた結果、2005年の生産量は38万6千トンでピーク時には 60万トンを超えていた生産量と比べると6割程度にまで落ち込んでいる。鉄道貨物輸送にも影響は避けられないだろう。将来的には、チップが室蘭港から白老 港で荷揚げ場所が変更になることや、重油が石炭に切り替えられることが予定され、いずれも鉄道貨物を利用しなくなる見込みで専用線を維持する輸送量が確保 できなくなる可能性があり気になるところだ。特にチップ輸送の動向が萩野駅の専用線の存続を左右すると思われる。


▼新型チップ貨物を導入 JR貨物北海道支社 低コストの改造車両 (1998年5月21日 日本工業新聞 26面)
 JR貨物北海道支社は、室蘭港から大昭和製紙白老工場にチップを運んでいる専用貨車が老朽化したために、新しいチップ専用車両を導入した。この貨車はワ ム80000形式の屋根の一部を開放、片側の側引戸をアオリ戸に変更するなどチップ輸送に対応可能なように改造したもの。改造貨物は民営後初めてで、新品 貨車に比べて十分の一のコストで済み、来年度までに90両を計画している。
 チップ輸送は、室蘭港に隣接する室蘭線陣屋町から白老町の萩野まで約38キロ。1日2往復で年間に22万6,000トンを輸送する。これまでの貨車は 55年代に製造されたもので老朽化が著しく、チップが金網に入るなど、保守にも多大な労力を必要としていた。

 尚、チップ輸送の専用列車は、長らく午前と午後の1日2往復体制であったが、2004年3月ダイヤ改正から午後の1往復だけになっている。これはまさに 白老工場の生産量の減少の影響と思われる。
 そしてチップを発送する陣屋町駅の室蘭開発(株)の専用線についてここで触れておく。

 陣屋町駅臨港線の終端に専用線を持ち、運転しているのが室蘭開発(株)である。同社は室蘭港の港湾管理を行う室蘭市などが出資する第3セクター会社であ り、以前は旧西室蘭駅から室蘭港西岸に延びる専用線も運転していた。1970(昭和45)年11月、室蘭港陣屋地区の開発に伴って、同地区に接続する国鉄 臨港線と共に運転を開始している。[3]
 路線は陣屋町貨物駅で室蘭本線から分岐、通路線を1.5km進んで臨港地帯に至る。ここにJR貨物事務所を兼ねた室蘭開発(株)陣屋町現業所があり、そ れを挟んで東に留置線・木材線、西に着発線が配置されている。ここまでがJRの臨港線で、専用側線はその先から始まり、大昭和製紙(株)のチップヤードに 向かって山手線、王子製紙(株)のチップヤードに向かって海手線が延びている。専用側線の総延長は2,168.66m、通路線を除く臨港線部分は総延長約 2kmである。車庫は専用線始点の近くにあり、機関車2両を収容できる。レールは37kgだが、臨港線の通路線は50kgを使用している。[3]
 運転開始当初は下川で採掘された硫化鉱がセキで1日20両到着し、入港したラワン材を1日数量、静内へ発送していた。硫化鉱は1年後に取り扱いをやめ、 1972年から王子製紙苫小牧工場・山陽国策パルプ向けのチップ発送を始めたものの、苫小牧港の整備でまもなくそちらに切り替わった。1973年から大昭 和製紙白老工場向けのチップ輸送をしている。1975年頃ラワン材の取り扱いが無くなり、現在チップを1日チトラ68車、年間232,000トン発送して いる。山手線1番線のチップヤードにベルトコンベアがあり、それでチップをチトラに積み込む。10両しかチップヤードに入らないため、1日7回に分けて積 み込んでいる。チップを積み終わった貨車は留置線に移動、組成され1日午前中と午後それぞれ1回JR貨物機で着発線から萩野に向かって発送される。作業は 朝8時から始まり16時頃終了する。日曜・祝日も運行。冬季には重連でチトラを牽く姿も見られる。[3]
 なお社史によると、室蘭港崎守埠頭輸入チップ貯蔵設備は1975年11月12日に完成している。[14] 上記記事では1973年から白老工場向けの チップ輸送をしているとのことだが 、貯蔵設備完成前から始まっていたのだろうか。


1999.8 陣屋町駅
当時のチップ輸送はワム車とトラ車の混成列車となっていた

2008.3 陣屋町駅
室蘭海陸通運(株)崎守チップ現業所


▼ここにも貨物駅 東室蘭駅 農産品と紙がメイン  (『JR貨物ニュース』2002年8月15日号、4面)
 東室蘭駅は1996年に大規模基盤整備事業がおよそ4年の歳月をかけて完成、これにより同駅は、昔ながらのヤードからE&S方式のコンテナ扱い 駅へと改良された。現在、同駅の輸送主体となっているのは、伊達・洞爺・羊蹄等のJAから送られてくる農産品や、紙等のコンテナ貨物。集配エリアは広く、 白老町・倶知安町・黒松内町の辺りまでカバーしている。
 平成13年度の発送個数は、馬鈴薯3,970個、砂糖2,514個、野菜1,783個、 紙3,132個
 特に最近増加しつつあるのが紙。これはフェリーから少しずつシフトしてきている もので、今後も 増え続ける見込み。ここ最近では、 福岡・姫路・福井向けの輸送が新規に開始した。シフトの理由は様々だが、日本海周りのフェリーは、冬 期、海が時化たりするとコンスタントな輸送が難しくなる。そのため南福井向けの紙は輸送を確実にする目的で一部を鉄道にシフトしたのだという。

▽荷崩れ防止に知恵絞る
 輸送の増加に伴い東室蘭では、コンテナのクリーンアップや荷崩れ防止に対する意識が、これまで以上に高まっている。特に紙輸送の荷崩れ防止には力を入れ ており、紙輸送用に19型の新しいコンテナを確保したり、ラッシングベルトの使用を始めた。ベルトはまだ数も少なく、現在は一部方面の紙輸送のみの利用だ が、今後は少しずつ増やしていきたいと考えている。回収は着通運と打ち合わせ、宅配便で送り返してもらっているそうだ。また、フォーク作業の際に一層の注 意を喚起するため、紙を積載したコンテナの荷票には、「紙」という大きなゴム印を押している。


▼物資別特集 紙製品 確立間近! 荷崩れ防止方法 日本製紙 (株)白老工場  (『JR貨物ニュース』2003年6月15日号、3面)

▽各社で進む生産・物流の再編

 ここ数年、製紙各社は生産体制や物流体制の再編を進めている。日本ユニパックホールディンググループは、今年4月1日、日本製紙(株)、大昭和製紙 (株)、日本紙共販(株)を合併し、同時に洋紙事業と板紙事業を再編することにより、改めて、印刷・情報紙でトップシェアに立つ日本製紙(株)と、日本大 昭和板紙(株)には板紙事業のすべての機能が集約されている。今回取材した白老工場は、大昭和製紙(株)から日本製紙(株)に社名が変わった。
 またこれと並行して同グループは、今年1月に営業・販売用の情報システム「PRIME」を稼動するとともに、4月から新物流体制の構築にも着手した。生 産地を北海道・東北・中部・関西以西の4ブロックに分けて、各ブロックの物流をそれぞれの主管会社に集約。管理範囲の広域化によるスケールメリットや、情 報の一元管理により効率化を図る。
 鉄道にとって紙製品は、車扱輸送全盛の頃からの主要物資で、全国の工場と倉庫間に何本もの専用列車が走る。しかし製紙業界の物流環境が変化して直送も増 え、仕向け先は多様化。一方、荷崩れ・荷ずれしやすい物資として、鉄道コンテナ輸送でも様々な防止策が試行錯誤されてきた。他の輸送モードとの競争が激化 する中、鉄道にも、より高度な輸送品質の提供が求められているからだ。
 その点、このほど日本製紙(株)白老工場で開発された荷崩れ・荷痛み防止方法は画期的で、紙製品の輸送品質を総体的に向上する有効策として期待できる。 本紙既報の中央通運(株)によるラッシングコンテナや簡易ラッシング方式と同様の発想に基づく方法だが、本方式で際立つのは、ハード面に加えて用具管理な どソフト面への目配り。日本製紙の同方式に対する評価は高く、現在、同社他工場でも導入が検討されている。

▽コンテナ向きの直送化推進
 日本製紙(株)白老工場を訪ね、事務部製品課の平紀陽典主査に、生産・物流再編後の変化や鉄道コンテナ利用について話を聞いた。
 日本ユニパックホールディンググループの北海道ブロックでは、4月から旭新運輸(株)が主管会社を努め、白老を始め勇払・旭川工場を管轄することになっ た。
 大昭和製紙から日本製紙に社名が変わっても、工場に勤める社員の顔ぶれは同じ。ただし製品課では、以前同室で仕事をしていた物流担当が旭新運輸に移っ た。「今後は意識して連携を密に保たないと」と語る。またユーザー直送の推進により、輸送ロットの小口化が進み、工場サイドで今まで以上の対応が必要にな ろう、と予測する。東京都内などには大型トラックで通れない道も多く、輸送単位も鉄道コンテナ向きが増える。そのためにも鉄道コンテナの輸送品質向上は、 不可欠だった。

▽画期的な養生方法
 紙製品、中でも平判紙が鉄道輸送時に荷痛みを起こす原因として考えられるのは、輸送中の微振動だ。平主査は「白老工場では鉄道利用の歴史は長く、微振動 による荷ずれは昔からあった。以前、顧客はそれをあまり問題にしなかったが、最近は厳しい目が注がれるようになった」と語る。
 これまで試した荷ずれ防止策は様々だ。仕切り板、板ゴム敷き、エアバックなどなど。だが完全に荷痛みを封じることができない。利用を抑制し始めたところ へJR貨物室蘭営業所で提案したのが、今回の防止策だった。ラッシングリングの役目を果たすチェーンをJRコンテナの床面両側に差渡して、パレタイズした 紙製品の中央部を、ラッシングベルトで固定する方式である。3月中旬に工場内専用線から出荷する隅田川駅行きのコンテナでテストし始めたところ、全く荷ず れ荷崩れを起こさず、有効性は明らか。そのため4月から同方式を本格的に採用することになった。
 エアバックと異なりチェーンとラッシングベルトは、半永久的に使用できる。何度かの改良を経て、コンテナ1個につき15分程度で養生できるようになっ た。熟練の要なく作業性もよい。ラッシングベルトが当たる製品の角には、段ボール紙を当てる。3パレットを一度に固定する時は、中央の貨物に毛布をかけ て、ずれを防いでいる。ラッシングベルトは輸送先別に色を変え、番号が付く。工場内の積込み作業を担当する日本通運(株)が、コンテナごとに利用したベル トナンバーと毛布・コーナー用当て紙などの枚数を伝票に記して、管理する。
 工場内専用線で車上荷役する時、荷物をコンテナに積載した後でも、ベルトを差し渡し易いようにと、5月中旬、レールの壁際に1メートル幅のスチール製プ ラットホームも完成した。この方式について平主査は「画期的です」と、その効果を評価する。同社の石巻工場や岩国工場他も関心を示していて、導入される可 能性が高いという。
 なお白老工場の場合、コンテナ貨物をエアバックで養生していた時には、工場が同購入費を負担。毎月その補充経費も発生していた。しかし、船やトラック輸 送での養生材(毛布や緩衝材、三角形のストッパーなど)は、運送会社が用意している。鉄道だけに養生材を提供するのは説明がつかないと、今回の方式に工場 はコスト負担していない。

2008.3 萩野駅 駅構内にはコキ3両が留置されているのみだった

▼白老工場発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
車扱
大昭和製紙(株)
萩野

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
1994年10月にコンテナ転換[4]
コンテナ
大昭和製紙(株)
萩野

(株)飯田町紙流通センター
隅田川
JRコンテナ
[4]
コンテナ
大昭和製紙(株)
萩野
印刷紙
(株)飯田町紙流通センター?
隅田川
19B
1998.3.21隅田川
コンテナ
大昭和製紙(株)?
東室蘭


岩沼
19D
2001.11.22岩沼
コンテナ
大昭和製紙(株)?
東室蘭


南福井
JRコンテナ
2002年にフェリーからシフト
(JR貨物ニュース 2002年8月15日号)
コンテナ
大昭和製紙(株)?
東室蘭


姫路貨物?
JRコンテナ
フェリーからシフト
(JR貨物ニュース 2002年8月15日号)
コンテナ
大昭和製紙(株)?
東室蘭


福岡(タ)?
JRコンテナ
フェリーからシフト
(JR貨物ニュース 2002年8月15日号)

▼白老工場到着の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式及び所有
備 考
車扱
新日本石油(株)
本輪西
重油
日本製紙(株)
萩野
タキ
[3]
車扱
室蘭開発(株)
陣屋町
チップ
日本製紙(株)
萩野
ワム80000形
2004年3月ダイヤ改正で1往復に
2008年3月ダイヤ改正で廃止

1999.8萩野駅 重油タキやチップワム・トラが留置



5.日本大昭和板紙(株)秋田工場  
 同社は1970年、秋田県の誘致企業として設立され、段ボール原紙専門メーカーとして操業を開始した。1989年十條製紙株式会社(現日本製紙株式会 社) の傘下に入り、1990年洋紙マシン完成と共に洋紙分野にも進出した。豊かな水量を誇る雄物川河口である秋田港に隣接する臨海工場としてその利便性を最大 限活用し、安定した原材料の調達を基盤に顧客のニーズに迅速に対応している。また、2003年稼働したPS焼却炉発電設備によってエネルギーコストの削減 と産業廃棄物の減量化を図った。その結果、古紙や間伐材・解体材チップなどを活用する、競争力のあるリサイクル工場となった。
2006.8向浜全景

■概要データ(2006年4月1日現在)
パルプ設備能力
自製パルプ:1,000トン/日 古紙パルプ:1,000トン/日
抄紙機設備能力
2台 1,600トン/日
塗工機設備能力
1台 500トン/日
主要製品
段ボール原紙、コート紙、外販パルプ

■生産量 http://www.np-g.com/about/factory/ndp_tohoku.html  及び http://www.np-g.com/news/news99062901.html
1998(平成10)年実績
紙:140,000トン/年
板紙:300,000トン/年
不 明
2004(平成16)年実績
紙:168,000トン/年
板紙:375,000トン/年
外販パルプ:99,000トン/年
2005(平成17)年実績
紙:160,000トン/年
板紙:366,000トン/年
外販パルプ:97,000トン/年
2006(平成18)年実績
紙:170,000トン/年 板紙:368,000トン/年 外販パルプ:96,000トン/年
2007(平成19)年実績
紙:174,000トン/年 板紙:368,000トン/年 外販パルプ:69,500トン/年
2009(平成21)年実績
紙:106,056トン/年
板紙:286,863トン/年

2011(平成23)年実績
紙:155,062トン/年
板紙:359,104トン/年

2012(平成24)年実績
紙:143,350トン/年 板紙:341,594トン/年
2013(平成25)年実績
紙:153,354トン/年
板紙:359,911トン/年


■開業から大増強まで [2]
 1970(昭和45)年3月、三井物産と高崎製紙の合弁によって東北製紙(株)が設立された。同社は秋田県の誘致によりクラフトライナー生産を目的とし て、資本金20億円、三井物産42%、高崎製紙40%、聨合紙器(現レンゴー)7.5%ほかの出資でスタートし、操業は1972年である。
 しかし、オイルショック後の深刻な板紙不況で長く業績が低迷し、社長が高崎側から物産側へ変わる。そして結局、十条が主導権を持ち、洋紙マシン建設とい う形で本格テコ入れすることになった。十條製紙が東北製紙の株式を65%、正式に取得したのは1989年3月末で、さらに1992年3月末全株取得した 。
 東北製紙秋田工場は、秋田運河(旧雄物川本流)に面した大型の臨海工場である。敷地は67万平方メートルで、運河を隔てた対岸は土崎港になる。周りには 各社の合板工場が建ち並んでいる。原料チップや重油などを揚げる秋田工場に隣接する専用バースは、以前は水深10mであったが現在は11mまで浚渫され、 5万トンのチップ船が接岸できる。
 こういう立地に1970年、三井物産と高崎製紙は網幅6,900ミリのライナーマシン(インバーフォーム型)1台とカミヤ式連続KP釜1基、エスコ式 KP釜(主として秋田杉の廃材チップを蒸解)1基、重油ボイラー1缶、回収ボイラー1缶などの設備を建設したのである。当時は最先端をゆく新鋭Kライナー 稼動と期待されたが、操業後は茨の道≠フ連続となった。マシン操業が必ずしも順調でなかったし、KP釜の効率も悪くエネルギーコストが高かった。
 十條製紙が、この東北製紙に洋紙設備を建設することを正式に決めたとき、従来からのKライナーをどうするか、将来を見据えた板紙の基本的な戦略が確立さ れていたわけではなかった。十條と物産の事業基礎調査は、年産25万トンのKライナーに新しく洋紙マシンを足したら、どう強化されていくのか、そういう観 点から新しい絵を描き、両者合意して建設が走り出したのであった。
 十條製紙が総力を挙げて東北製紙に建設した洋紙設備は、およそ次のようなもので1990年10月に本格操業を始めた。
〇網幅5,800ミリ抄紙機1台(ベルフォームフォーマー型、日産350トン、コート原紙用、現N1マシン)。
〇ファウンテンブレード型コーター1台(日産450トン、現1号コーター)。
〇網幅3,600ミリパルプ抄き取りマシン1台(日産300トン)。
〇カミヤ式連続中濃度さらし設備一式(LBKP日産640トン)。
〇回収ボイラー、タービンを含むKP回収設備の改造、増強など。

 一方、Kライナーは当時、機械がかなり陳腐化し、長期の品質安定は得られない状態にあった。白い紙のマシンに転換する手もあったが、東北製紙は秋田杉廃 材の活用を図りたいという県の要請からそもそも端を発している。この初期目標はなるべく活かすこととした。改造は、ワイヤーパートを3層から4層に増強、 プレスパート全取り替え、設計抄速を600m/分から業界初の900mにアップするという大規模なもので、総改造費用は当初見込み85億円を大幅に上回る 100億円にまで達した。このベルボンドフォーマー、網幅6,900ミリのL1マシンが完成し、稼動を始めたのは1992年3月のことであった。

 1989年の初めから、当初420億円の予算で始まった秋田N1マシンの建設は、折からの平成景気による資材費高の影響もあり、関連工事いっさいを含め ると528億円という金額に達していた。それにKライナーの改造費が約100億円。結局、その他の老朽化対策を含めると東北製紙秋田へは計650億円とい う大投資になった。
 これによりKライナーマシンはかつて年産25、6万トン程度であったものが、大改造後は38万トンの線に向上している。洋紙向けカミヤ式連釜のLBKP は、日産700トン。一方ライナー向けエスコ式連釜のNUKPは、日産400トン。それぞれ洋紙、板紙向けに特徴を出している。このほかに古紙処理設備が 3系列あり、これは日産950トンの能力がある。なお、カミヤ連釜LBKPの原料チップは豪州ユーカリ材と米材、エスコ釜のほうは秋田杉廃材チップが主力 である。秋田のLBKPには余裕があり、月6,000トンから9,000トン程度、シートパルプとして市販されている。
 東北製紙は、改造直後に不況に見舞われ市況が低迷、重い償却負担とあいまって1991年、92年、93年と連続して大幅な赤字が出た。しかし1994年 下期からはKライナーの抄速が600m/分から900mまでスピードを上げるなど増産体制が整い、結果として大きな黒字を出すようになり1995年、96 年と東北製紙の業績は急回復した。これは市況が上向き、売れ行きが伸びてきたことも大きいが、東北製紙の場合、増産効果と原単位向上によるコスト削減が業 績に大きく貢献している。かつては操業度が低かったためエネルギーコスト高が収益を阻害していたが、その後の連釜とエバポレーター、回収ボイラー、タービ ンの強化などによって、原燃料費が著しく改善されている。また洋紙の出荷はJRを経由するが、秋田から遠隔地の 西日本向けライナー製品については、そのほとんどが工場正門前岸壁から内航船経由 、という方向を打ち出している。これによる物流費削減にも、みるべきものがある。

■東北製紙秋田工場で ECFパルプ製造を決定 (1999年6月29日 日本製紙株式会社)
http://www.np-g.com/news/news99062901.html
 日本製紙は、関連会社の東北製紙株式会社秋田工場(注)で、塩素を使用しないECFパルプの製造を行うことを決定した。
 クラフトパルプ(KP)は、原料である木材チップを苛性ソーダで煮て(=蒸解)木材中の繊維を取り出し、次にその繊維を漂白薬品でさらす方法で生産す る。漂白薬品には塩素、二酸化塩素、次亜塩素酸ソーダ、酸素などが使われるが、近年欧米を中心に、塩素(Cl2)を使わないで漂白する方法(ECF (Elementary chlorine Free)法)が普及し始めている。
 今回の計画では、同工場のKP製造設備の1系列(日産650t)で、従来漂白工程の第一段階で使用していた塩素を、全量二酸化塩素で代替する。このため 使用が増える二酸化塩素について、プラントの製液能力を増強する。この結果、ダイオキシン発生量の指標である「AOX」は0.4〜0.5kg/パルプt程 度と、従来に比べ半減できる見込みである。
 同社グループでは、すでに日本製紙釧路工場で針葉樹パルプ 363t/日、日本製紙旭川工場で針葉樹パルプ 100t/日のECFパルプ設備が稼働している。今回の設備はこれらに次いで3番目、他社も含めた日本国内では4番目のものとなるが、今後同社主力工場 (石巻、岩国)をはじめとして各設備のECF化をはかり、将来の無塩素漂白をめざしていく。
 工事の概要は次の通りである。
工事概要
工 期
1)二酸化塩素プラント能力増強 4.5→6t/日
2)二酸化塩素塔 容量アップ改造工事
1999(平成11)年10月着工
2000(平成12)年04月完成

(注)東北製紙株式会社
日本製紙の全額出資の子会社。洋紙140千t・板紙300千t(1998年実績)を生産しており、洋紙については全量同社が仕入れ、販売している。


■鉄道貨物輸送について
2006.8 雄物川橋梁にて

▼専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
備 考
1975(昭和50)年版
向浜
東北製紙(株)
日本通運(株)
秋田海陸運送(株)
秋田運送(株)
秋田臨海通運(株)
社機
1.4

1983(昭和58)年版
向浜
東北製紙(株)
日本通運(株)
秋田海陸運送(株)
秋田運送(株)
秋田臨海通運(株)
社機
1.4


秋田工場の地図

▼向浜駅と秋田工場に関する年表
年 月日
事    項
1970(昭 45)年10月23日
東北製紙(株)秋田工場起工式。([46]p34)
1971(昭 46)年07月07日
秋田臨海鉄道南線全線が開通、向浜駅が営業開始。同駅には製品原料の チップ、原木、薬品、
建築資材などが到着。しかし不況により試運転期間が継続し、製品の発送は今後を待つことに。([46]p34)
1971(昭 46)年12月23日
東北製紙(株)段ボール原紙積込訓練開始。([46]p35)
1972(昭 47)年04月08日
東北製紙(株)段ボール原紙初出荷。([46]p36)
1972(昭 47)年06月
東北製紙(株)は大宮淀 川駅着定型扱開始。([46]p35)
1972(昭 47)年10月27日
東北製紙(株)秋田工場竣工式。([46]p36)
1972(昭 47)年11月半ば
東北製紙(株)に対する営業割引実施。([46]p35)
1973(昭 48)年03月17日
東北製紙(株)がワキの使用開始。([46]p36)
1983(昭 58)年08月21日
東北製紙(株)コンテナ積付検討会。([46]p44)
1983(昭 58)年10月07日
東北製紙(株)段ボール積付試験輸送。([46]p45)
1985(昭 60)年10月02日
東北製紙(株)段ボールの名古屋向け試験輸送。([46]p47)
1986(昭 61)年02月26日
東北製紙(株)段ボールの大阪向けコンテナ化。([46]p48)
1986(昭 61)年11月01日
国鉄の輸送改革により、大阪向け車扱の輸送ルートが廃止されたことから、紙輸送を車扱からコンテナ扱い に
切替成功([46]p47)。 向浜駅のコンテナ基地開設、開業。([46]p48)
1990(平 02)年05月22日
東北製紙(株)ドリックス試験輸送(札幌行き)。([46]p51)
1990(平 02)年10月01日
東北製紙(株)洋紙部門コンテナ初出荷。([46]p51)
1992(平 04)年03月
東北製紙(株)のKライナーが稼働。([2])
1994(平 06)年07月
秋田臨海鉄道の新規貨物として故紙の到着が輸送開始。1994年度は5 千トンの実績をあげた。([46]p54)
1995(平 07)年度
前年の新規到着貨物の故紙は輸送上の都合により減送となった。 ([46]p55)
1996(平 08)年度
東北製紙(株)は溶解パルプが水分を圧縮するドライ化設備を導入したため輸送量は減少。洋紙は輸出の増加に
よって、横浜向けが大幅増になり10万トンの大台を突破した。 ([46]p55-56)
1999(平 11)年度
前年度と比べ洋紙、段ボール原紙が増送、薬品の到着増と新規荷物の故紙 の北海道方面からの到着など
約1万8千トンの増送があった。([46]p58、90)
2000(平 12)年06月13日
洋紙平判にエアーバック装着開始。([46]p59)
2000(平 12)年12月27日
東北製紙(株)段ボール80個(4回転)出荷(12月27日〜1月6 日、記 録達成)。([46]p59)
2003(平 15)年05月
東北製紙(株)向けのカットタイヤ輸送が開始。(『JR貨物ニュース』 2003年11月1日号、2面)

 秋田臨海鉄道南線の取扱貨物は向浜の東北製紙専用線からの紙の発送と、同専用線への化成品の到着がある。東北製紙は、秋田臨海鉄道の開業時からの荷主だ が、当初はまだ規模が小さく、向浜への列車は数日に1回という時期もあった。1990年頃から工場が大幅に拡張され、現在では秋田臨海鉄道発着トン数の 75%を占める大荷主だ。紙の発送は、当初はもちろんワム80000型などの車扱だったが、比較的早い1986年からコンテナ化が始まっており、現在は全 てコキ車(コキ104およびコキ50000型)が、工場の製品倉庫引込線まで入り、積込みを行っている。行先は、関東から関西各地にわたる主要貨物駅だ。 コンテナは標準の5トンタイプのほか、最近ではJRの大型20フィートの30A形式も 使われ始めた。 [15]
 また向浜駅発本牧埠頭駅着の輸出用紙は秋田臨海鉄道と神奈川臨海鉄道の連携により折衝を進め、1992年度からは全てコ ンテナ化された。[26]
 南線でのDD56型の牽引定数は600トンで、多いときは1列車でコキ車12両まで牽引する。タンク車積の化成品では、苛性ソーダ(タキ2600・ 7750型)が酒田港や勿来、塩素(タキ5450型)が酒田港、ラテックス(タキ8350・23800型)が奥野谷浜などから到着している。これらのタン ク車とその返空の空車は 、21・22レにコキと併結で輸送される。[15]
2008.4 秋田貨物駅 30A-237は荷票差に新座、30A-251は荷票差に向浜とある。

▼ 秋田営業支店 着実に実を結ぶ鉄道シフト (『交通新聞』2000年10月11日付、2面)
時間短縮へアイデア 大阪市内は「トラック」提案
 同支店は新田芳治支店長以下社員6人の少数精鋭で、横手駐在の社員1人とともに秋田県全域をカバー。そして、自他ともに認める「最大のお得意様」(新田 支店長)の1つが、同市向浜に本社兼工場を構える東北製紙である。
 生産するのは業界用語でライナーと呼ばれる段ボール原紙に加え、印刷紙、それに製紙原料のパルプ。このうち、オンレール貨物の主流が関西向けの段ボール原紙と印刷紙だ。原紙の目的地は大阪市港区の 倉庫。秋田発の輸送ルートは、まず工場の専用線から秋田臨海鉄道経由で秋田貨物駅に。そこから東海道線の梅田までコンテナ列車で運び、次いで桜島線安治川 口までフィーダー列車で運んでいた。ところが、これでは大阪市内の輸送にどうしても丸一日かかってしまう。そこで、秋田支店の出したアイデアが梅田で列車 を卸し、後は通運会社のトラックで運ぶという新しい輸送ルート。
 併せて、輸送力確保にもひと工夫。指定席が満席だと乗り切れない旅客列車同様、貨物の場合も空枠≠ェないと目的の列車にコンテナは載せられない。そこ で、本社や東北、北海道支社との連携プレーで、秋田発分に加え札幌貨物ターミナル発梅田行き列車にも秋田発分のスペースを確保。ライバルのフェリーに対す る競争力を維持している。

▽時間にシビアな紙
 「保存の利く紙類はちょっと考えるといつ運んでもいいようですが、実は決められた時間までに納品しなければならず、輸送には案外シビアなんですね。その 点、鉄道は定時性ならお手のもの。大阪市内の輸送改善で従来の『大量・定型』のキャッチフレーズに、もう1つ『迅速』が加わった鉄道貨物は一層使いやすく なりました」と話す。東北製紙サービスで物流を受け持つ緑川昭取締役・物流部長はJRファン≠自任。「現在、JRさんからは着駅に至近な『梅田の倉庫 を利用したら』とのお話もいただいており、まとまれば鉄道貨物を利用する余地もますます増えそうです」と期待を語る。

▼「カットタイヤ輸送の鉄道コンテナ化−鉄道輸送によるリサイク ル事業化を目指して」 (株)サポートオーティー、JR貨物関東支社営業部  (『JR貨物ニュース』2003年11月1日号、2面)
 年間1億本もあるという廃タイヤ。その再資源化を目指す(財)日本自動車タイヤ協会・日本タイヤリサイクル協会から、発電用燃料となるカットタイヤを東 北製紙(株)へ輸送する方法について相談を受け、プロジェクトが始動した。
 カットタイヤとは、一辺が10センチを超えるように32分割した使用済みのタイヤで、燃料用に売買されるもの。年間約60万トンあり廃タイヤの60%を 占める。
 プロジェクトチームは試行錯誤を経て、コンテナ積載に適した専用のJIS規格の折り畳み式メッシュパレットを開発した。固形の入れても壊れ難く、返送時 は折り畳めるので回送しやすい。組み立ても簡単なボックスパレットだ。
 均質な輸送品質を提供できるよう「作業箇所別作業マニュアル」を作り、県別に集荷時の利用運送事業者を選定。またパレットを円滑に運用するために「カッ トタイヤ管理センター」を設け、異常時の対応や情報交換も行える体制を整える。これにより関東地区から東北製紙向け、年間約2万トンを全量鉄道コンテナで 運ぶ契約が交わされた。
 東北製紙のプラントは今年10月に本格稼動したが、それに先立つ今年5月から、カットタイヤのコンテナ輸送は開始している。発駅は、栃木埼玉神奈川長野新潟各県の計8駅
 本プロジェクトは、紙輸送ルートの帰り荷開発という観点からも注目に値するもので、プロジェクトチームは「今後、他の製紙会社にもセールスをかけ」さら なる増送を図るとしている。

▼廃タイヤのオンレール化に成功 SOTとJR貨物関東支社  (『交通新聞』2003年11月11日付、3面)
 秋田市内の製紙工場が環境にやさしい新規事業としてスタートさせた、発電用のプラントで燃焼させるカットされた廃タイヤの鉄道輸送が、本格スタートし た。JR貨物グループのサポートオーティー(SOT)が、JR貨物関東支社とともにオンレール化に成功。首都圏から秋田向けの新規貨物は、工場から出荷さ れる紙製品を運んだ後の空コンテナを効率的に利用できるのが大きなメリット。この新しい輸送は鉄道貨物の利用促進につながる事例として、先に鉄道貨物振興 奨励賞の特別賞を受けた。
 
▽首都圏−秋田で
 工場内の自家発電のほか、一部の余った電力を地元の東北電力に売る売電用の発電プラントを立ち上げたのは、秋田市臨海部にある日本大昭和板紙東北(旧東 北製紙)。製紙工場では紙の製造工程でペーパースラッジと呼ばれる「紙のかす」が必ず出るが、これまでは利用方法がなかったためやむを得ず海洋投棄してい た。
 しかし、こうした処分方法は環境面に加え、リサイクル上も好ましくないことから再利用方法を検討。その結果、スラッジとカットタイヤを混合して燃焼する 火力発電プラントが有効なことが分かり、2001年度(平成13年度)に静岡県内の製紙工場で稼動。次いで今回は秋田にもプラントが完成し、JRがカット タイヤの輸送を受け持つことになった。
 新規貨物を誘致したSOTは、日本オイルターミナル(OT)が全額出資して1994年に設立されたJR貨物の孫会社。鉄道貨物の利用促進を狙いに、新規 貨物を開拓する中でカットタイヤに着目。数回にわたるテスト輸送を繰り返した結果、荷主企業からも高く評価され今秋から本輸送が始まった。
 実際の輸送は栃木や埼玉、千葉といった関東地区に点在するカットタイヤの工場から集荷して秋田まで鉄道輸送。輸送上のポイントは容器になる金属製のメッ シュパレットで、引越し貨物を運ぶボックスパレットをヒントに考案。15センチ角という細かいカットタイヤを効率的に運べるほか、帰路は小さく折り畳める のがミソ。最も一般的な5トンタイプの鉄道コンテナに48個積載でき、SOTでは合わせて1,600個製作。JR貨物とSOTは現在、特許を出願してい る。
 日本大昭和板紙東北は秋田臨海鉄道を経由して工場にレールが延び、首都圏への紙製品輸送にはもっぱら鉄道を利用。通常は空コンで回送される、秋田行きの コンテナを効率的に利用できるのも見逃せないメリットだ。輸送量は1カ月当たり約2,000トン、年間ではおよそ2万5,000トンを見込んでいる。
 今回の新規輸送は製紙業界が環境保全の取り組みとして高く評価しているほか、タイヤのリサイクルに力を入れるタイヤ産業界も注目。SOTで陣頭指揮した 須永長次郎リサイクル事業部長は「カットタイヤの輸送はエネルギー資源の有効活用面でも大きな意義を持つはずで、今後も“物流からの環境保全”をキーワー ドに全国の製紙会社などに利用を働き掛けたい」と意欲を示している。

▼カットタイヤと廃棄物を発電燃料の燃料に (『JR 貨物ニュース』2005年2月1日号、3面)
 ダンボール原紙を製造している日本大昭和板紙東北(株)(NDB東北という)は省資源・省エネルギーを環境方針として、廃棄物の削減と有効利用をめざし 2003年10月、化石燃料を一切使用しない廃棄物発電設備を新設稼動した。同社の所属する日本大昭和板紙グループは、製紙工程で必ず発生するペーパース ラッジの再利用と、非化石燃料への置き換えを進めていて、2002年には日本大昭和板紙吉永(株)もペーパースラッジとRDFを燃料とする廃棄物発電設備 を稼動させている。カットタイヤを燃料に使うNDB東北の同設備は、2000年の補助金事業公募を機に、検討を開始したものだった。
 同発電設備は年間330日稼動で、その間燃料を切らせない。同社は日本タイヤリサイクル協会(現、日本自動車タイヤ協会)と協議を重ねてカットタイヤの 調達方式を模索した結果、地元の東北地区から年間25,000トンをダンプ式トラックで、関東信越地区などからは年間20,000トンを、主に鉄道コンテ ナで搬入することになった。
 当初関東地区からの輸送手段は、1回で1,000トンを運べる船輸送を第一候補にしていたが、秋田港で荷下ろし後の保管に、コスト面と防災管理面で課題 が多いことや、海が荒れる冬期には船が入港できない日が多いこと、さらに発の港までトラック輸送時に、CO2を鉄道輸送に比べ大量に排出すること等がネッ クだった。
 一方鉄道利用の場合は、工場構内まで引込線が通り、少量ずつでも毎日安定的に届けられ、路線事故等により不通となった場合も、秋田貨物駅に約1週間分の 荷物保管が可能なことから稼動に支障がない。また受入時点で燃料(有価物)になるものの、搬入するまでのカットタイヤは、マニフェストで荷動きを管理しな いといけない。その点多くの駅で廃棄物処理の免許を持つJR貨物は、各種廃棄物の取扱い実績が豊富なので、信頼感も厚かった。
 現在、鉄道で届くカットタイヤは年間搬入量の45%。土日を除く毎日、12フィートコンテナ20個が構内の専用卸場に到着する。カットタイヤを下ろすと コンテナは一旦秋田貨物駅に戻され、内部を清掃後、製品発送用に回る。製品発送に使うコンテナは1日60〜80個。まだ一部だが、そのコンテナに往復荷を 確保できたメリットも大きい。
 ダンプトラックと異なり鉄道コンテナにはカットタイヤをバラ積みできないので、鉄道コンテナ輸送するカットタイヤは、新開発した専用のボックスパレット に入れてコンテナに積み、工場到着後、回転式のフォークリフトでパレットからダンプ荷台に積み替え、構内運搬している。
 初めは側面が全てメッシュのパレットを使ったが、カットタイヤがメッシュのに引っかかるので、側面を鉄板に改良したものを新たに導入した。パレットは使 用後折り畳んでコンテナに収容し、満杯になると発地に戻される。
 本廃棄物発電設備の稼動で、75%だった同社の自家発電率は93%にアップした。さらに100%をめざして今後、焼却炉の処理能力向上やカットタイヤの 集荷量拡大を図る予定だ。

▼秋田臨海鉄道の品目別発着トン数の推移 (単位:トン)

車 扱
コンテナ
車 扱・コンテナ
発  着
発 送
到 着
発 着
発 送
発 着
年  度
段 ボール
原紙
洋 紙
パ ルプ
化 学薬品
チッ プ
小 計
段 ボール
原紙
洋 紙
パ ルプ
そ の他
小計
合  計
1972 (昭47)
107,500


23,900
5,600
137,000





137,000
1974 (昭49)
111,500


21,100
16,900
149,500





149,500
1976 (昭51)
52,700


18,400
14,500
85,600





85,600
1978 (昭53)
51,500


17,500
4,400
73,400





73,400
1980 (昭55)
47,500


15,600
100
63,200





63,200
1982 (昭57)
50,300


9,800

60,100





60,100
1984 (昭59)
29,400


5,500

34,900





34,900
1986 (昭61)
12,700


4,600

17,300
8,300



8,300
25,600
1988 (昭63)



3,600

3,600
19,400



19,400
23,000
1990 (平02)

3,000
6,600
13,000

22,600
22,400
21,500
9,900
200
54,000
76,600
1992 (平04)


5,000
17,200

22,200
30,300
83,500
42,600

156,400
178,600
1994 (平06)


2,300
16,500

18,800
47,700
95,600
51,700

195,000
213,800
1996 (平08)



16,400

16,400
57,700
103,100
26,900
100
187,800
204,200
1998 (平10)



12,300

12,300
52,300
85,500
24,400
100
162,300
174,600
1999 (平11)



16,100

16,100
55,900
101,900
16,500
100
174,400
190,500
[46]p121-126より作成

※秋田臨海鉄道の発着トン数のため化学薬品の到着には秋田製錬鰍ネどへの到着分も含む。またチップの到着先が東北製紙鰍ゥどうかは定かではない。

▼秋田臨海鉄道と小坂製錬の輸送量(一部抜粋)の推移 (単位:トン)
年   度
秋田臨海鉄道
化学薬品

(車扱):(A)
小坂製錬
化学薬品
(車扱):(B)
(C)=
(A)−(B) ※1
秋 田臨海鉄道
コ ンテナ ※2
備  考
2000 (平12)
269,004
215,770
53,234
185,165
1999年10月から船川港駅着が変更となった硫酸輸送開始[15]
2001 (平13)
242,059
209,814
32,245
183,055

2002 (平14)
225,150
194,246
30,904
186,110

2003 (平15)
195,280
169,322
25,958
208,520
2003年5月、日本大昭和板紙東北褐けカットタイヤ輸送開始
2004 (平16)
151,488
132,385
19,103
198,895

2005 (平17)
161,126
150,062
11,064
193,985

2006 (平18)
207,722
204,473
3,249
不明

2007 (平19)
157,152
157,801
-649
201,865

『鉄道統計年報』より作成

※1 秋田臨海鉄道の化学薬品の輸送量から小坂製錬のそれを引いた数量である上記(C)は、秋田臨海鉄道の秋田製錬からの硫酸発送量と日本大昭和板紙向け の化学薬品到着量の合計とほぼ等しくなる(但し小坂製錬には化成品の到着が少量(1998年度:1.8千トン)あった([47]p77)がここでは無 視)。秋田製錬の硫酸輸送量は1999年度で32千トン([46]p124)であったが、その数量を維持していたとなると2001年度以降は日本大昭和板 紙向けの化学薬品輸送が殆ど無くなってしまったとも読み取れる。
※2 コンテナの輸送量は全量が日本大昭和板紙鰹H田工場が荷主の輸送と思われる。尚、2006年度は『鉄道統計年報』においてデータが抜けている。

▼日本大昭和板紙(株)秋田工場 発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

北旭川
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

札幌(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ 東北製紙(株) 向浜
段ボール原紙

札幌(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

盛岡(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙 パレット

宮城野
C35
1998.6.21宮城野
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

郡山(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
パルプ

小名浜
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

水戸
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

矢板
18D
1998.2.26黒磯
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
パルプ

熊谷(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

倉賀野
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙 パレット
大東通運(株)
隅田川
C35
1998.3.21隅田川
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

越谷(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

越谷(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙
(株)飯田町紙流通センター?
新座(タ)
30A
[46]p93 2008.4.17秋田貨物
コンテナ
日本大昭和板紙東北(株)
向浜
印刷紙
日本紙運輸倉庫(株)?
本牧埠頭
18D 多数
2003.8.3本牧埠頭
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙 パレット
日本紙運輸倉庫(株)?
本牧埠頭
V19A
1998.3.21横浜本牧
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
パルプ

富士
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

新守山
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

新守山
C35
1997.3.6新守山
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

多治見
19B 多数
1998.2.6笠寺
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

能町
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

金沢
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

梅小路
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

大阪(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

大阪(タ)
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

梅田
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
洋紙

梅田
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

安治川口
19D
1998.7.11長町
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

姫路貨物
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ
東北製紙(株)
向浜
段ボール原紙

福知山
JRコンテナ
[46]p93

▼日本大昭和板紙(株)秋田工場 到着の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式及び所有
備 考
コンテナ

北見
故紙
東北製紙(株)
向浜
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ

札幌(タ)
故紙
東北製紙(株)
向浜
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ

五稜郭
故紙
東北製紙(株)
向浜
JRコンテナ
[46]p93
コンテナ

東青森
故紙
東北製紙(株)
向浜
JRコンテナ
[46]p93
車扱
東北東ソー化学(株)
酒田港
苛性溶液
東北製紙(株)
向浜
タキ24212
東北東ソー化学(株)
1999.2.19酒田港
車扱
東北東ソー化学(株)
酒田港
液化塩素
東北製紙(株)
向浜
タキ5450形
[15] [46]p93
車扱
呉羽化学工業(株)
勿来
苛性ソーダ
東北製紙(株)
向浜
タキ37778
早川商事(株)
2001.8.24秋田港
東北製紙側入 ※1
車扱
JSR(株)
奥野谷浜
ラテックス
東北製紙(株)
向浜
タキ8350形
[15] 秋田港駅着かも? ※2
コンテナ
三井化学(株)
市原工場茂原センター
千葉貨物
アクリルアマイド
日本大昭和板紙
東北(株)?
秋田貨物
UT9C-5023
(株)エム・ティー・ビー
2006.8.8秋田市内
車扱
昭和電工(株)
扇町
液化塩素
日本大昭和板紙(株)
向浜
タキ5450形
Wikipediaの「扇 町駅」より
車扱
旭化成(株)
千鳥町
ラテックス
東北製紙(株)?
秋田港
タキ8360 旭化成(株)
1999.1.5千鳥町 返空を目撃 ※3
コンテナ
サンノプコ(株)
名古屋(タ)
ステアリン酸カルシウム
東北製紙(株)?
秋田貨物
UT5A-148
1998.9.19宮城野
※1 呉羽化学工業(株)は2003年3月に専用線を廃止した。[16]

※2 2005年1月25日付の化学工業日報の3面によると、JSRはラテックスの生産体制を再編したと発表した。同社は鹿島(年産1万6千トン)と四日 市(同10万トン)に塗工紙用ラテックスの製造設備があったが、鹿島での製造を中止し四日市に集約したとのこと。そのため、四日市〜秋田に輸送距離 が延びることになり、ISOタンクコンテナによる鉄道輸送が行われている可能性 がある。

※3 旭化成(株)は2006年4月に千鳥町駅の専用線からタンク車によるラテックス輸送を廃止。8月には専用線も廃止。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036414563/453
拙web「貨物取扱駅と荷主」の『千鳥 町駅』で旭化成ケミカルズ (株)川崎製造所の 輸送を考えたが、この千鳥町〜秋田港間のラテックス輸送は秋田貨物駅着のISOタンクコンテナに転換された可能性を指摘している。

2008.4秋田貨物駅 ラテックス専用ISOタンクコ ンテナ

2010.10秋田貨物駅 サンノプコ梶@ステアリン酸 カルシウム専用



6.日本製紙(株)石巻工場  
1998.8 石巻工場と石巻港駅

 石巻工場は豊かな水をたたえた北上川と海に囲まれ、立地条件に恵まれた臨海工場として1938年(昭和13年)設立された。機械パルプ・化学パルプ・古 紙 パルプなどの多彩な原料を使い、上質紙、中質紙、微塗工紙、コート紙、新聞用紙などさまざまな種類の紙を生産している。また、日本製紙グループの基幹工場 としてその重責を担っており、印刷用紙では単独工場としては世界トップレベルの生産能力を誇っている。臨海工場として原材料の調達に適するだけでなく、首 都圏に近い生産基地として製品の輸送に有利な点を生かして、高品質な製品の安定供給に邁進している。

■石巻工場概要データ
パルプ 設備能力(2006年4月1日現在)
自製パ ルプ:1,800トン/日 古紙パルプ:640トン/日
パルプ設 備能力(2008年4月1日現在)
自製パル プ:1,800トン/日 古紙パルプ:1,040トン/日
パルプ設 備能力(2013年4月1日現在)
木材パル プ:1,820トン/日 古紙パルプ:600トン/日
抄紙機 設備能力(2006年4月1日現在)
11台  2,430トン/日
抄紙機設 備能力(2008年4月1日現在)
10台  3,255トン/日
抄紙機設 備能力(2013年4月1日現在) 6台   2,410トン/日
塗工機 設備能力(2006年4月1日現在)
3台  1,000トン/日
塗工機設 備能力(2008年4月1日現在)
3台  1,020トン/日
塗工機設 備能力(2013年4月1日現在)
2台    610トン/日
主要製品
新聞用紙、上質紙、塗工紙、微塗工紙、中質紙
主要製品(2013年4月1日現在)
上質紙、塗工紙、微塗工紙、中質紙、PPC用紙

■生産量 http://www.npaper.co.jp/  及び http://www.np-g.com/about/factory/ishinomaki.html
2000(平成12)年度実績
紙:869,000トン/年

2004(平成16)年実績
紙:904,615トン/年

2005(平成17)年実績
紙:903,385トン/年

2006(平成18)年実績
紙:929,124トン/年
2007(平成19)年実績
紙:930,562トン/年 外販パルプ:6,298トン/年
2009(平成21)年実績
紙:839,094トン/年

2010(平成22)年実績
紙:965,586トン/年

2012(平成24)年実績
紙:532,157トン/年
2013(平成25)年実績
紙:841,963トン/年


■東北振興パルプ(株)として開業 [12]
 東北パルプは、初め東北振興パルプと称して、昭和13年1月に、旧王子製紙と東北興業(東北地方の産業の振興を目的として、政府が半額出資してつくった 会社)が、人絹パルプ生産のために共同で設立した会社である。わが国の人造絹糸工業は、昭和年代に入って急速に発展し、昭和12年には世界第1位の生産国 になった。しかし、その原料である人絹パルプはすべて輸入に依存していたことから、昭和12年に日華事変が始まると、その自給をはかることが重要な国策と なった。
 旧王子製紙では、針葉樹を原料とする人絹パルプについては、すでに昭和7年に日本人絹パルプ(樺太)、11年に日満パルプ(満州)、12年に山陽パルプ (山口県)などの各関係会社を設立して生産を行っていたが、旺盛な需要に応えるために、昭和9年から広葉樹を原料とする人絹パルプ生産の研究を進めて、 13年には成算を得ていた。
 そこで、ブナ(広葉樹)が豊富にある東北地方に工場を建設し、ブナと赤松の混用による人絹パルプの生産計画が進められたのである。東北興業は、この計画 を国策に沿ったものとして歓迎し、共同出資を申し入れ、旧王子製紙はこれを受け入れて半々の出資とした。が、工場の建設、技術、経営その他一切は旧王子製 紙が行った。したがって、旧王子製紙の経営参加ということから、人も王子から出向した。昭和15年には、石巻と秋田に工場が完成して、わが国では初めての 広葉樹を使用した人絹パルプの生産を開始した。
 東北振興パルプの人絹パルプは、品質も良く生産も順調に伸びたが、紙と同じく平和産業であるために、戦争の進行とともに石炭や原木の入手が困難となり、 軍用パルプに一部転換されたりした。

■東北パルプ(株)として発展 [12]
 戦後は、GHQの指令で、昭和21年1月には旧王子製紙の関係会社の位置を断たれ、分離独立を余儀なくされた。さらに「集排法」の適用による、2工場の 分割が日程に上ったが、幸いにこれは免れた。この会社は、操業当初から人絹パルプとあわせて製紙用パルプをも生産していたが、戦後樺太を失ってSP設備の 大半を失った旧王子製紙にとっては、主要なパルプ補給源となった。(この関係は、十條製紙が旧王子製紙から分離独立してからも同じで、十條がSPの自給体 制を整えるまでは、同社からの購入パルプで賄った)
 しかし、昭和24年12月には、社名を「東北パルプ」と称し、25年には東北興業が持株を全部放出したので、東北興業との関連はなくなった。戦後のパル プ会社がすべてそうであったように、東北パルプもまた22年ころから両工場に丸網抄紙機を設置して和紙を生産したが、25年には石巻工場に長網抄紙機を設 置して、本格的に洋紙生産に乗り出した。
 石巻工場は、26年ころから人絹パルプをやめ、製紙用パルプ一本とした。なお、前記25年の長網抄紙機に続いて、29年、30年、34年、37年と上質 紙マシンを次々と増設し、上質紙については、全国で1、2位のシェアを占めるようになり、またこれらのマシンで中質紙その他も生産した。さらに33年、 35年には新聞用紙マシンを増設した。ことに35年の増設は、208インチの大型であったから、新聞用紙についても大手メーカーにランクされた。36年に はKP設備も完成した。しかも39年にはコート紙も生産するようになった。
 かくして、人絹パルプ生産工場として発足した石巻工場は、抄紙機7台、日産約600トンの一大製紙工場と変貌し、さらに地の利を生かしての拡張が、東北 パルプによって考えられていた。
 昭和42年上期の東北パルプの売上金額は約143億円で、紙パ業界では大昭和、王子、十條、本州、山陽に次いで、第6位の地位にあった。

■十條製紙(株)との合併へ [12]
 十條製紙が東北地方に新工場建設を計画し、昭和35年末から用地を調査し、38年3月には福島県勿来市(現いわき市)に用地の買収を終わり、39年に印 刷用紙の第1期計画を作成した。
 39年10月には、勿来工場建設委員会が発足、勿来工場に設置するパルプ設備などが、本格的に検討された。40年は一般的にも深刻な不況の時期であった し、十條製紙としては九州3工場統合問題の折衝があって、全社をあげて勿来新工場に取り組むことはできなかった。
 けれども41年8月に、@十條工場を全面的に勿来に疎開する。AパルプはLBKPとLHPを主体とする。B3,680ミリマシン3台新設、十條工場から 4台を移設する、などを骨子とする勿来工場案が出来上がり、通産省の承認も得た。そして十條工場の全面疎開は、この時初めて打ち出されたものである。十條 工場は都心に位置して、用水費、排水費も高く、かつ東京都条例からこれ以上の拡張もできないという情勢であったから、将来的にはまったく競争力の望めない 工場であった。このころは、紙製造設備の新増設は行政指導によって抑制されていた。だから、不採算の十條工場を勿来に移転し、効率の良い新工場で採算を取 ることが得策と思われた。この計画に沿って、41年12月、勿来工場建設室が新設された。
 このような十條製紙の東北地方進出計画にあたり、原木面での競合を避けるため、この地方に既存する東北パルプとの折衝が続けられていたことは当然であっ た。もともと東北パルプと十條製紙は同じ旧王子製紙の流れを汲む会社である。人的にも親しい仲で、これまでも技術の交換や南方林業の共同開発などを行って きた。そのため、十條製紙の東北進出によって両社の関係はさらに深まり、勿来に関する原木供給問題にとどまらず、業務全般の提携にまで進展した。昭和41 年6月、十條製紙と東北パルプは業務提携に調印した。原木や製品の交錯輸送排除、販売面の提携、資材購入情報の交換、技術面の交流などが進められた。
 このころは、紙パ業界としても、単に政府の不況対策にばかり依存せず、新たな競争秩序のために企業の合同や提携をはかるべきであるという反省が生まれて きていた。この意味でも、十條製紙と東北パルプの業務提携は、紙パ業界に好業績を与えるものと好感されたのである。
 昭和41年6月の業務提携以来1年余にわたり、両社間で営業、資材、原価、原木、技術などについての情報交換が行われ、多くの成果が得られたが、やはり 業務提携だけでは自ずから限度があった。
 もし両社が合併すれば、その企業規模の拡大から、シェアの増大、投資力の増加、管理費の節減などが考えられる。しかも、当面十條製紙の勿来新工場建設計 画と東北パルプの石巻工場拡張計画を、石巻・勿来工場計画として一体化し設備投資を調整すれば、なお大きなメリットがあることも明らかだ。即ち、十條製紙 が勿来工場で考えていた抄物は、中質やコート紙であったが、石巻工場でも同じものを抄造している。だから、どちらか適している工場で、集中生産したほうが 有利だ。また勿来工場の化学パルプ設備は、用水の関係でやや制約を受ける状況にある。しかし、石巻工場は臨海工場であるから、将来外材を集中輸入して大型 パルプ設備をつくれば、勿来にはパルプ設備がいらないことになり、勿来の25万坪の広大な用地はさらに有効に活用される。
 以上のような事情で、次第に両社首脳の間に合併への決意が固まっていった。昭和42年10月20日には合併に関する覚書の調印が行われ、続いて10月 31に合併契約書に調印するに至った。当時業界において売上高第3位の十條製紙と第6位の東北パルプの合併は、業界第1位の地位となる大型合併であった。 合併期日は昭和43年3月31日に繰り上げられ、新会社の社名も十條製紙株式会社をそのまま残すこととなった。合併の結果、十條製紙は売上高および紙生産 高において、断然業界第1位となったが、品種別にも新聞用紙、印刷用紙においてシェアを増した。

■石巻工場の拡張 [12]
 石巻・勿来工場計画は、臨海工場である石巻工場にパルプ設備、中質紙・コート紙の設備を集中し、勿来は高級紙特殊工場とする構想を根本としていた。即ち 石巻・勿来工場計画こそ、十條製紙と東北パルプ合併の最大の眼目であり、その実現は急を要したから、旧王子系3社の合併流産後の昭和43年12月の取締役 会で、まず勿来に約50億円をかけて高級特殊紙工場を建設することが決定された。この高級特殊紙とは、十條製紙が38年12月に一般販売を開始してから、 驚異的伸びを示している「CCP」(ノーカーボン紙)であった。
 石巻工場は、東北パルプ時代から7台の抄紙機を持つ大製紙工場であった。しかも40年代に入って外材への依存度が高まるにつれ、わが国の製紙工場の立地 条件は臨海工場が有利となったが、石巻工場は臨海工場であって、かつ用水も豊富、用地も拡張できるという好条件に恵まれていた。したがって合併後は、勿来 工場は別として、どの工場よりも重点的な投資を行い、この石巻工場を国際競争力ある印刷機工場に仕上げることが急がれた。
 合併後の人事交流は、一般的に言っても望まれることであるが、特に石巻工場は、製紙工場としては後発に属する。そのため製紙では先輩に当たる従来の十條 製紙の技術を導入して、効率の増進、品質の改善を図ることになった。そして43年7月には一部の管理職、11月には工場長の交替など逐次交流を図りなが ら、新会社としてメリットを出す態勢を整えていった。
 44年9月には、石巻工場の既設7台の抄紙機とパルプ設備一式の改造工事が完了して、効率がアップした。45年1月には、6,000ミリ抄紙機1台(現 8号マシン)とLHP設備を完成し、このマシンは上更紙抄造を主体とした。46年5月には大型KP工事(日産544トン)が完成したが、これは臨海工場の 立地を生かして、オーストラリアからのユーカリチップを原料とし、勿来などの他工場へパルプを供給するとともに、次に増設する抄紙機への布陣であった。 オーストラリアのユーカリチップは、十條製紙が他社に先駆けて、三井物産を通じタスマニア州政府と契約したもので、チップ専用船「ネゴ・トライアバナ号」 (重量3万5千トン)が、KP完成と同時の46年5月に、これまた完成したばかりの石巻港大型バースに横付けとなった。
 昭和47年10月には、電話番号簿用抄紙機の5,650ミリ9号マシンが完成した。電話番号簿用紙は十條工場の専抄であったが、増大する需要に応ずるた めには、将来的に石巻工場に集中することが有利であった。またこのマシンは、世界初の新型ベルベーフォーマーであって、最大抄速700メートル、計画日産 143トン、表裏差のない紙が得られるのが特長であった。48年2月、十條工場7号マシンを改造移設した3,750ミリコート原紙用10号マシンと、同時 に新設した3,500ミリ、オフ・マシンコーターも稼動して、石巻工場はパルプ設備と10台の抄紙機(日産約1,000トン)を持つ大工場となった。十條 製紙は、まず最重点的に石巻工場を国際競争力ある印刷用紙工場へと成長させたのである。

■その後の石巻工場 [2]
年 月日
内   容
昭和52年08月
昭和53年10月01日
昭和55年10月09日
昭和55年11月25日
昭和56年01月14日
昭和56年08月
昭和57年06月25日
昭和59年03月
昭和59年12月
昭和60年01月
昭和60年11月
昭和61年09月30日
昭和61年11月
平成元年04月08日



平成02年12月08日
釧路工場8号機(中質紙)の操業に伴い石巻工場5号機は中質紙から上質紙転抄となる。
石巻から十條倉庫(王子)への貨車輸送、準専用30両編成となる。
石巻8号機サイズプレス(ゲートロールコーター)設置。
石巻SP停止。
石巻7号機、新聞用紙からコート原紙へ転抄。3号コーター(現1号コーター)稼動。
石巻8号機、ピレーヌ・デラックス、アルプス・デラックス抄造開始(花形商品微塗工紙へと発展)。
石巻N・DIP(日産100トン)稼動。
石巻1KP(N)をバッチ型から連続蒸解釜に切り替え。5号、7号回収ボイラーのS型化を実施し近代化と増産を図る。
石巻の大型投資を中核とする第二次中期計画(60年度〜62年度)が策定。
石巻仕上げ設備の増強と近代化を図る。
石巻N4マシン(コート原紙用抄紙機、網幅5,680ミリ、ゲートロールコーター設置、日産300トン)と4号コーター営業運転に入る。
石巻2号機休止(63年4月再稼動)。
石巻微粉炭ボイラー、タービン完工。
石巻N5マシンとTMP、DIP本格稼動。総工費360億円。
○石巻5号マシン(デュオフォーマーF型網幅7,500ミリ/295インチ、抄速1,200メートル/分、オンマシン・コーター設置)
○TMP(日産300トン)。
○N・DIP(日産300トン)、F・DIP(同100トン)、LBKP(同950トン)へ。
石巻8号機改造工事完工。

日本製紙石巻工場に新プラント 高白色度パルプ製造 2000年4月稼動 需要多い再生紙に対応  (1999年12月3日 河北新報 9面)
 急増する再生紙需要に対応するため、日本製紙は、新聞や雑誌の古紙を原料に高白色度パルプを製造する新型の脱インキパルプ(DIP)プラントを石巻工場 に建設している。2000年4月の稼動を目指す。同社がDIPプラントを建設するのは初めてで、石巻工場での再生パルプ生産の5割増を図る。
 石巻工場原質部によると、プラントは、古紙をミキサー状の機械でほぐしたり、大きな異物を取り除いたりする古紙仕込み棟(鉄骨平屋、延べ床面積約 1,900平方メートル)、脱インキや漂白などをするDIP棟(鉄筋3階、3,000平方メートル)、パルプを貯蔵するストックタワーなどから成る。総工 費は43億1千万円で、1日当たり200トンの高白色度DIPを生産する計画。
 繊維業界で使っていた漂白剤をパルプ漂白に応用することで白色度を上げ、パンフレットやカタログなど高い白色度が要求される出版物用紙の原料に使えるよ うにした。
 出版物の用紙は、バージンパルプの他、上質ちらしや印刷に失敗した本などを再生した上質脱インキパルプ(FDIP)を主原料にしている。しかし、官公庁 や企業がパンフレットやカタログに再生紙を使用するケースが増え、古紙供給が少ないFDIPだけでは需要を賄い切れないのが現状。製紙業界では高白色度 DIPプラントの建設を急ぐ企業が増えているという。
 石巻工場の古紙再生パルプの日産量は現在、新聞用紙などにする新聞脱インキパルプ(NDIP)が300トン、FDIPが100トン。古紙は主に首都圏か ら調達している。

■石巻工場 拡張へ着々 日本製紙 岩国に並ぶ基幹工場に 関東に近く、立地優位 (2001年9月17日 日刊工業新聞 22面)
 日本製紙が宮城県石巻工場の競争力強化に取り組んでいる。大昭和製紙との事業統合で製紙業界の最大勢力を形成した次の課題が拠点の選択と集中。その中で 石巻は、西の山口県岩国工場と並ぶ東の基幹工場として強化が進む。3月には工場隣接地約23万平方メートルを購入して拡張余地を確保した。景気低迷で減産 対応のかたわら、数年後の拡張をにらむ石巻工場をルポした。(佐々木 信雄)
 石巻工場は11台の抄紙機を有し、コート紙、微塗工紙、セミ上質紙などの印刷・情報用紙を主力に新聞用紙まで幅広く500品目を生産している。日産 2,500トン、年間90万トン能力は、日本製紙全体の26%を占める。紙の表面に塗工する副資材の炭酸カルシウムの自生体制も強みだ。旧十條製紙が旧東 北パルプを合併して手に入れた1968(昭和43)年以後、1989年にかけて2,000億円を資金をつぎ込んだ。北上川という豊富な水資源と臨海部の立 地、大市場の関東圏に向けて鉄道輸送が使える強みで、「国内トップの競争力を目指している」(大即信行取締役石巻工場長)と、基幹工場としての自負を見せ る。
 一段の競争力アップに期待をかけるのが工場南側に隣接した新造成地23万平方メートル。国と県から今年3月に購入契約を結び、総額50億円のうち3分の 1を払い込んだ。2004年度末に防波堤が整い、潮の干満を気にせず大型船が入着できる水深13メートルの接岸バースが全面共用になる。
 一方、1989年のN5マシン導入後は抄紙機の新設を抑えて、古紙活用と環境投資などに力を注いできた。2000年3月に43億円かけ新聞・雑誌古紙な ど比較的低級な古紙原料から白色度の高い古紙パルプを製造する設備を稼動。
 石巻工場のパルプ使用量に占める古紙パルプの割合は1997年に約19%だったが2000年に33.3%、2001年も33.9%へと高めていく。木材 チップからパルプを作る漂白工程で使う塩素を別の薬品に置き換るECF化も、2系列のうち1系列を今年8月導入。2系列目も2002年4月に導入し、基幹 工場でのECF化がいち早く整う。

■日本製紙・石巻工場 多様な原料、製品500種 古紙利用30%超す  (2001年9月25日 日経産業新聞 20面)
 宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場。岩国工場(山口県岩国市)が同社の西日本の拠点であるのに対し、石巻工場は東の拠点と位置付けられている。海を臨 み、大市場である首都圏に近い立地。印刷用紙などの生産規模は年間90万トンと世界トップ水準にある。効率化で競争力を高める一方、古紙パルプの活用、パ ルプ漂白のECF(無塩素漂白)化など環境対策に力を入れている。

▼全社の26%を生産
 石巻工場は1938年に東北振興パルプ石巻工場として設立、47年に上質紙の生産を始めた。現在、抄紙機11台、3台の塗工機を抱える。紙生産量は全社 の26%分を担う。石巻工場が「高い競争力を誇る」(大即信行取締役工場長)のは、第一に臨海工場であるために原材料の調達が有利であることだ。カナダ東 部からチップ、オーストラリアからチップ、石炭、インドネシア、中国から石炭を輸入しているため、臨海の利点は大きい。

▼関東へ直行便で輸送
 さらに、一大消費地である関東圏へ直行便で運ぶことが可能だ。JRコンテナ、トラックなどで、地域別出荷割合は関東向けが60%に上る。また、工業用水 は北上川の豊富な水を利用し、将来の規模拡大にも十分に対応できる取水権を持っていることも強みだ。「これまで一度も渇水の経験がない」(大即工場長)と いう。
 エネルギー源は、業界最大規模の微粉炭ボイラーをメーンに、パルプ工程で発生する黒液を燃料として利用する。黒液は全エネルギーの3割弱を占める。こう したコスト面だけでなく、需要家の多種多様なニーズに即応できる体制を整えていることも高い競争力支える。自製パルプは化学、古紙、機械など12品種、填 料の炭酸カルシウムも生産する。
 これらの原料をもとに「高白色・高不透明コート紙」「低密度タフシリーズ」など製品群は500種類に上る。自製炭酸カルシウムは従来品と異なって結晶が 「ロゼッタ型」で、コスト低減だけでなく、かさ高、高不透明、高白色を実現している。最近力を入れているのが環境対策だ。印刷用紙工場としてはトップレベ ルの古紙利用技術を持ち、古紙100%再生紙の開発を進める一方、積極的な古紙利用を進めている。新聞、雑誌古紙を主原料とする脱墨パルプ(DIP)設備 を昨年3月に導入。3台目のDIP設備で、日産200トン。97年に18.8%だった古紙利用率は昨年には30%を超えた。

▼環境投資を積極化
 さらに、針葉樹チップが原料のパルプ、NBKPは今年7月からECFにシフトしている。有害物質が発生する危険をなくすのが目的だ。大即工場長は「コス ト削減、生産効率化だけでなく、地域との共生を進めるうえでも今後の環境投資は不可欠」と話す。石巻工場は93年に650トンだった生産性(1人当たり生 産量)が2000年に875トンに上昇。2003年には1,044トンに引き上げる計画を立てている。今後は生産工程見直しといった効率化だけでなく、同 じ日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙の生産拠点との連携が課題となりそうだ。(黒沢裕)

■日本製紙 白くて軽い微塗工紙 かさ高、雑誌や漫画本向け (2005年6月15日 日経産業新聞 15面)
 日本製紙は白さと軽さを両立させた嵩(かさ)高の微塗工紙を発売した。中質紙だが上級紙の品質に近付けており、軽くて厚みのある特性を生かし需要が伸び ている雑誌や漫画本など向けに販売する。石巻工場(宮城県石巻市)で生産し、月1,000トンの販売を目指す。
 新製品「ペガサスブラネール」の白さの度合いを示す白色度は87.5%と、競合他社の製品に比べると2−5ポイント程度高いという。1平方センチメート ル当たりの重さも0.59グラムと、従来品より数%程度軽くした。これまで軽くするには、製紙原料に木材チップを砕いて作る機械パルプを多めに使う必要が あった。重いが白色度の高い化学パルプの配合比率を高めるなどして、白さと軽さを両立させた。

■基幹工場の競争力強化 日本製紙 抄紙機を改造 (2005年6月21日 日経産業新聞 13面)
 日本製紙は今年度までに石巻工場(宮城県石巻市)で設備の改造などに60億円超を投資する。中国産など割安な輸入紙の増加に備え、基幹工場の品質強化や 生産効率化によるコスト削減を急ぐ。
 日本製紙は8月に、約35億円を投じて石巻工場で最も大きな抄紙機などを改造し、高品質の紙を生産できるようにする。軽くて厚い嵩(かさ)高と呼ばれる 紙などを作るため、紙の厚さを均一にすると同時に表面に光沢感を出すカレンダーと呼ばれる設備などを改造する。
 石巻工場内の物流費の削減も進める。工場に隣接する埋め立て地(約12万5千平方メートル)を昨年、約25億円で購入。今後3年以内に、製紙原料チップ や燃料となる石炭などを船から荷揚げする場として活用する。ベルトコンベアーを使って原料や燃料を直接工場に搬送する予定だ。従来の荷揚げ場から工場まで はトラックで輸送していたが、購入地の利用で物流費を年間4億−5億円削減する考え。

■日本製紙、基幹設備を一新 宮城の工場10年ぶり、国内最大級 「高品質」軸に効率化 500億円投入 輸入紙に対抗  (2006年5月10日 日本経済新聞 9面)

▽国内製紙大手 主な競争力向上策
社 名
案  件
投資額
印刷・情報
用紙シェア
日本製紙
石巻工場に新抄紙機(08年度稼動)
約500億円
28.8%
王子製紙
中国・南通市で印刷用紙を生産へ
約2,200億円
23.3%
大王製紙
三島工場(愛媛県四国中央市)に新抄機
(07年度稼動)
約450億円
8.4%
北越製紙
新潟工場(新潟市)増産に備え動力源増強
130億円
8.4%
(注)シェアは2005年日本製紙連合会調べ

 日本製紙グループ本社は製紙の基幹となる抄紙機で10年ぶりの新設備を、主力の石巻工場に2008年度稼動させる。年産能力は約30万トンと抄紙機で国 内最大級。投資額は約500億円。印刷用の高品質品を中心に生産し、一部を輸出する。割安な輸入紙流入と燃料の石油価格高騰を背景に、製紙業界はアジアで の競争に突入。日本製紙は能力増よりも生産効率化・コスト削減に軸足を置いた設備更新で競争力を高める。
 同社の抄紙機設置は、1998年に八代工場(熊本県八代市)で新聞用紙向けに稼動して以来。新抄紙機で生産するのは、塗工紙と呼ばれる印刷用紙の主力製 品。表面に光沢があり、チラシやパンフレットなどに使う。紙の表面に薄く塗工剤を加工する工程を一体化して高速で生産し、製造コストの低減と高品質の薄型 シフトを進める。
 軽量化と省資源につながる薄型の塗工紙は国内外で需要が増えている。高度な抄紙や塗工の技術が必要で、日本勢が得意。日本製紙は一部を中国や北米に輸出 する方針だ。石巻工場は老朽抄紙機を数台廃棄、他工場も複数機を停止し、低迷する国内市況に配慮して大幅な増産を避ける考え。
 日本製紙グループ本社の06年3月期決算は原燃料価格高騰で、日本製紙と大昭和製紙が01年3月に経営統合して以来初の経常減益となった。有利子負債削 減が進んだことなどから、06年度−08年度の設備投資合計は3千億円と05年度までの3年間より6割強増やす計画だ。この柱に抄紙機の投資を据える。
 内需型産業の製紙は1996年に新王子製紙と本州製紙が合併して王子製紙が誕生し、日本製紙との2強を軸に集約された。現在、競争の舞台は国内からアジ ア全体に広がる。最大の要因は中国製などの輸入紙だ。00年以降、割安な輸入紙の流入が本格化、05年は印刷用紙で100万トン強と印刷・情報紙の国内生 産の9%を占める。足元はアジア製の一部は日本より価格の高い北米などに流れているが、中国ではアジア大手のAPP(シンガポール)や現地メーカーが増産 し、中長期に近隣の日本への輸出が増える可能性が高い。
 大規模設備が武器の海外勢に対抗するには、日本勢はコスト・品質の両面で対策を迫られ、日本製紙の動きもこれに沿ったもの。新設備は輸出も想定し攻守の 要となる。一方、王子製紙は日本企業の中国投資で最大の2,200億円をかけて印刷用紙の現地生産を計画。それぞれの戦略で勝ち残りを目指している。
抄紙機(しょうしき)
製紙の基幹設備の1つ。水や薬品で薄めた原料パルプを脱水したり乾燥させて紙にする。一般的に大型 だと紙幅が広くて運転が速いため、
生産効率が良い。世界的に大型・高速化が進み、大王製紙が2007年度にも稼動する抄紙機は幅が8.1メートル、運転速度は毎分1,800メートルと最新 鋭。ただ、国内では小規模かつ低速の老朽設備が多い。


■日本製紙、石巻工場の設備増設 国際競争力を強化 (2006年05月10日 河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2006/05/20060510t12034.htm
 日本製紙(東京)は9日までに、同社最大工場の石巻工場(石巻市南光町)に、印刷用紙の主力商品である薄物コート紙などの製造設備を増設し、同工場の年 間生産能力を90万トンから120万トン規模に増強することを決めた。2007年末に稼働の予定で投資総額は約600億円。王子製紙と国内最大手を競う日 本製紙グループとして国際競争力の強化を図り、アジアでの市場拡大を目指す。
 新設備で生産するのは、薄物コート紙の軽量塗工紙(A3コート紙)と微塗工紙。これらの商品は海外市場拡大のための最重点戦略製品に位置付けている。
 石巻工場の薄物コート紙の年間生産能力は、約35万トン増強される見込み。併せて古紙パルプ設備や製紙工程に使う炭酸カルシウムの自家製造設備も増設。
 一方、同工場の一部生産ラインを停止して生産効率を向上させるとともにコスト削減を図り、国際競争力の基盤を強化する。
 日本製紙グループは現在、王子製紙とともに世界の紙パルプ企業上位10位以内に入っている。今回の設備投資は、15年度までに世界の上位5位入りを目指 すグループが今春スタートさせた第2次中期経営計画(06―08年度)の重要事業の1つ。
 石巻工場は日本製紙の国内12工場でトップの基幹工場。従業員は約780人。

■日本製紙、石巻工場さらに増強 生産能力年150万トンに  (2007年02月14日 河北新報)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/02/20070215t12027.htm
 製紙業界2位の日本製紙グループ本社は14日、石巻工場(宮城県石巻市)の印刷用紙の生産設備を、2009−11年度にかけて増設する方針を明らかにし た。インドへの輸出を始めるなど海外販売も強化し、将来は印刷・情報用紙の輸出を年間60万トンにまで倍増させるとしている。
 石巻工場では今年11月、630億円かけて年35万トンの生産能力がある雑誌向けなどの塗工紙の生産設備を増設。主力である塗工紙の生産能力をさらに高 めるため、年35万トン程度の設備を新たに増設する計画で、投資額は630億円を上回る見通し。一部の老朽化設備を停止し、全体の生産能力は現在の年90 万トンが150万トン程度になるとしている。
 印刷・情報用紙の輸出は、経済成長で需要拡大が見込める東南アジア向けを強化。インドにも輸出を始める一方、米国やオーストラリアでの販売量も伸ばした い考えだ。
 製紙大手のレンゴーや住友商事との資本・業務提携を3月2日に結ぶことも明らかにした。

■新抄紙機が運転開始 日本製紙石巻工場 (2007年11月08日  河北新報)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/11/20071109t12018.htm
 約630億円をかけて建設してきた日本製紙石巻工場の新たな生産設備N6号抄紙機が完成し、石巻市の現地で8日、関係者に披露された。
 完成したのは、紙の生産と表面加工工程を一体化した「オンマシンコーター」。紙幅9.45メートル、運転速度が最高毎分1,800メートルの世界トップ クラスの大型高速マシン。印刷用の軽量コート紙、微塗工紙を一日当たり約1,000トン、年間約35万トン生産できる。
 今月1日から営業運転を始め、約1年かけて生産速度をアップ。国内をはじめ需要が拡大する環太平洋、アジア市場を照準にした国際競争力強化の要にする。
 増設に伴い石巻工場の年間生産量は約95万トンから約120万トンに引き上げられ、日本製紙グループ最大の基幹工場として生産能力の一層の集約を図っ た。同グループは2015年に「世界紙パルプ企業トップ5」入りを目指している。
 中村雅知社長は「製紙市場は国内は頭打ちで、今後は中国などアジアが需要拡大をけん引する。今回の大型生産設備で海外向けの生産を拡大し、将来は石巻港 から直接輸出できるようにしたい」と抱負を述べた。

■日本製紙、石巻工場を輸出拠点に 今年度3倍増の25万トン  (2008年8月21日 日本経済新聞 東北)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20080820c3b2003z20.html
 日本製紙はカタログやチラシなどに使う塗工印刷用紙の海外展開を強化する。石巻工場(宮城県石巻市)に導入した新型設備の稼働で、2008年度はこれま での3倍以上の年間25万トンを豪州や米国などに輸出、約5%だった同工場の海外販売比率を約2割に高める。飽和感が強い国内市場依存から脱却し、需要増 が見込める海外に販路を求める。
 石巻工場から輸出される製品は現在、豪州とニュージーランド向けが約4割、マレーシアやタイなどアジア向けが4割程度、残りは米国向けだ。豪州とニュー ジーランドは従来、北欧から紙製品を輸入してきたが、ユーロ高で北欧からの輸入が減る傾向にある。
 石巻工場は07年11月に総額630億円を投じて新型製紙設備「N6号抄紙機」を導入した。表面に光沢があり雑誌やパンフレットなどに使う塗工紙と呼ば れる印刷用紙の主力製品を作る。紙の表面に薄く塗工剤を加工する工程を一体化して高速で生産し、コスト低減と高品質の薄型シフトを進める。

■日本製紙、石巻工場でフル生産 豪中心に輸出拡大 (2009年 12月22日 日本経済新聞 東北)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20091221c3b2104721.html
 日本製紙は印刷用紙を生産する石巻工場(宮城県石巻市)で昨年7月以来のフル生産体制に入った。生産量を9、10月の6万トンから11月には5割増の9 万トンに引き上げ、年明け以降も継続する。オーストラリアなどでチラシやカタログに使う塗工紙の需要が急増しているためで、輸出量は今春の3倍に拡大。国 内市場が低迷するなか、外需の持ち直しに支えられる構図が鮮明になってきた。
 石巻工場は同社最大の工場で、生産能力が年間100万トンを超す唯一の拠点。今年度の見込みでは同社の総生産量の2割を占める。景気悪化による企業の広 告宣伝の抑制でチラシなどの需要が急減。減産のピークだった今年2月の生産量は5万7,000トンまで落ち込んだが、今夏から徐々に回復。現在は2月より 6割多い水準だ。
 フル生産に入った最大の要因は、オーストラリアを中心とした海外需要の拡大だ。石巻工場では今年4月に7,000トンだった輸出量が12月は2万トンを 超える見通し。約半数を同国向けが占めており、国内市場の飽和感が強まるなか、輸出比率は1割から3割近くに跳ね上がりそうだという。


■鉄道貨物輸送について
1998.8 石巻港駅

▼石巻工場の専用線概要の推移

専用線一覧表
所管駅
専用者
第三者利用者
作業方法
作業キロ
総延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版
東北パルプ(株)
南光運輸(株)
相手方機 1.0

専用鉄道
1953(昭和28)年版

東北パルプ(株)
南光運輸(株) 相手方機
1.0

専用鉄道
1957(昭和32)年版
東北パルプ(株)
南光運輸(株) 私有機
1.0

専用鉄道
1964(昭和39)年版

東北パルプ(株)
南光運輸(株)
私有機
0.1

専用鉄道
1967(昭和42)年版

東北パルプ(株)
南光運輸(株)
私有機 0.1
専用鉄道
1970(昭和45)年版

十條製紙(株) 南光運輸(株)
私有機
0.1
0.2
専用鉄道
コンテナによる小口扱貨物も取り扱う
1975(昭和50)年版
石巻港
十條製紙(株) 南光運輸(株)
石巻臨海機
私有機
A線0.2
B線0.7
1.4
専用鉄道
コンテナ貨物も取扱う
1983(昭和58)年版
石巻港
十條製紙(株)
南光運輸(株)
石巻臨海機
私有機
A線0.2
B線0.7
1.4
専用鉄道
コンテナ貨物も取扱う

石巻工場の地図

▼運輸省鉄道局監修『鉄道要覧 平成6年版』より
動 力
軌 間(米)
区  間
km
免許
年 月 日
運輸開始
年 月 日
連 絡駅
運 転管理者
敷設目的
目的外使用
内燃
蒸気
1,067
釜、第3分岐点
第3分岐点、第1分岐点
第1分岐点、本線終点

0.1
0.2
0.8
1.1
昭14.8.7
昭14.11.1
昭15.5.5
  〃
石巻港
自社
原料・資材の輸送
必要なる物品輸送

▼石巻港駅の輸送量(トン)推移 (『石巻市統計書』より筆者作成)
年 度
発送
到着
備  考
1975(昭和50)年度
474,862
276,746

1981(昭和56)年度
391,409
164,543
発送:繊維工業品347,291 到着:繊維工業品1,477
1986(昭和61)年度
524,736
140,588

1987(昭和62)年度
527,684
128,314

1988(昭和63)年度
532,662
137,398

1989(平成元)年度
611,170
167,582

1990(平成02)年度
597,085
168,578
発送:紙製品370,532/コンテナ206,038 到着:紙製品:1,743/コンテナ28,630
1991(平成03)年度
583,791
158,381

1992(平成04)年度
524,768
140,253

1993(平成05)年度
533,174
115,223

1994(平成06)年度
557,370
119,140
発送:紙製品345,815/コンテナ201,892 到着:紙製品:6,250/コンテナ42,914
1995(平成07)年度
570,106
107,049

1996(平成08)年度
557,950
91,135
発送:紙製品334,991/コンテナ213,814 到着:紙製品:1,751/コンテナ26,949
1997(平成09)年度
535,892
60,102
発送:紙製品297,183/コンテナ232,973 到着:紙製品:1,204/コンテナ25,460
1998(平成10)年度
500,485
37,583

1999(平成11)年度
530,149
35,138

2000(平成12)年度
535,057
36,282
発送:紙製品514,835 到着:その他36,282
2001(平成13)年度
502,007
36,486
発送:紙製品480,103 到着:その他36,486
2002(平成14)年度
535,558
26,550
発送:紙製品516,211 到着:コンテナ26,550


2007.9石巻港駅

2007.9石巻港駅

 石巻工場で生産される紙の輸送手段は鉄道貨物が主流で、そのシェアは約6割に達するという。2006年3月ダイヤ改正で石巻工場発送の鉄道輸送は全てコ ンテナ輸送化されており、北王子駅の日本製紙物流(株)の倉庫向けや隅田川駅や越谷(タ)駅などの関東方面を中心に全国各地に鉄道輸送されている。構内の 入換作業を担当する南光運輸(株)のwebには石巻工場の鉄道輸送への依存度の高さを象徴するかのように、鉄道物流について詳しい記事がある。 まずはその記事から。

▼南光運輸(株)web http://www.nankou.co.jp/railroad/column.htm
*環境にやさしい鉄道物流
 世界有数の規模を誇る日本製紙株式会社石巻工場で生産される製品の60%が鉄道輸送されています。トラック輸送が大半の現在、なぜ半分以上の製品を鉄道 輸送しているのでしょうか。
 石巻工場を夕方出発した専用貨物列車は、翌日の昼頃には都内東十条にある日本製紙物流株式会社に到着します。製品を送り出す石巻工場にも受ける側の日本 製紙物流にも側線があるので、石巻工場内の倉庫から直接製品を積み込み、日本製紙物流の倉庫へ直接製品を搬入する事ができます。石巻の工場から東京の工場 まで350kmを1本のレールで結んだ効率的な輸送システムが整っているのです。
 また鉄道輸送は大量の貨物を少ない人数で長距離輸送する事を可能にします。現在は、機関車1台に貨車40両、重量にして600トンもの輸送力を持つ専用 貨物列車を2本設定し、1日最大貨車80両1,200トンの出荷が可能。また鉄道コンテナにおいても、全国各地に1日最大215個1,075トンの発送を 行っています。
 その他、鉄道郵送は専用通路を使用するので事故が少なく安全で、渋滞の問題もなく正確な時間で輸送することができます。そして何よりも他の輸送機関と比 べエネルギー効率が極めて高くCO2の排出量が少ない事から、地球環境に優しい輸送システムとして見直されています。

【保有機関車】 http://www.nankou.co.jp/railroad/index.htm
35-2機関車 昭和56年製 340PS
40A-1機関車 平成3年製 600PS
40A-2機関車 平成8年製 600PS

▼石巻港線で30Aコンテナ運用開始 (『鉄道ピクトリアル』第46巻第7号、通巻623号、1996年)
 このほど石巻港線で30Aコンテナが運用を開始した。30Aコンテナが積載されるのは651レ・652レで火・木曜日に限り1日各1個積載される。新聞 用紙輸送用とみられる。(H8.4.22 仙台市 遠藤 浩一)

▼優しく造って、優しく運ぶ、石巻→東京 専貨5180、5182レ (『よ〜し!日本製紙 Vol.5』日本製紙株式会社洋紙営業本部、 1999年11月25日発行)[17]
 平日の朝8時前、王子駅。京浜東北線の脇にある頼りなげな線路の上に、赤いディーゼル機関車に牽かれた貨物列車が姿を現す。1両、2両とゆっくり通り過 ぎる。全部で18両。ハワムと書かれた貨車の車票には「北王子、印刷用紙」の文字が読める。
 そう、この列車は日本製紙石巻工場(宮城県)から東京への製品輸送の列車なのだ。石巻工場での生産量は1日あたり約3,000トンこの内約1,200 トンを貨車で運んでいる。
 石巻から東京へは専用貨物列車が2本設定されている(5180、5182列車)。各列車は15トン積み40両の編成、つまり1本当たり600トンの輸送 能力なのだ。コンテナ列車化の進む中で、全国的にも珍しい存在だ。各々の列車は石巻を夕方出発し、翌日の朝から昼にかけて都内東十条にある日本製紙物流/ 東京事業所に到着する。
 トラック輸送の全盛時代になぜ貨物列車をメインにしているのだろうか。それはまず貨車輸送の条件が整っているいるからだ。石巻工場内に側線があり、工場 内の倉庫から製品積込みができる。また、受ける側の日本製紙物流側も側線があり、貨車から直接倉庫への搬入が可能になっている。それに、東京との距離が 350kmと1日で着く範囲である(これより遠いとよりスピードの速いコンテナ列車になる)。
 さらに、鉄道輸送はエネルギーの使用量CO2の排出量という面で、環境に対しても優しい。同じ物を運んだ場合、エネルギーの使用量はトラック>鉄道>船 という順になる。輸送手段も適材適所、石巻工場では納期、納入先などその時に応じ、貨車、コンテナ、トラック、フェリーの中から、最も適当な手段を選択し ている。
 近年の再生紙需要の増加に伴い、石巻工場でも古紙処理設備を増強している。古紙の利用は資源節約につながる。環境に優しい紙を生産するだけではなく、そ れを運ぶ手段も環境に優しいものにしたい。

▼荷主さん訪問 日本製紙(株)石巻工場 (JR貨物ニュース 2000年9月1日号 7面)
 石巻工場では、雑誌・電話帳・カタログ・パンフレット等、あらゆる用途に使用される洋紙と新聞用紙を生産している。
 生産量は月間7万5,000トンと日本製紙の最大規模を誇る基幹工場として発展を続けており、同工場から出荷される製品は、新聞用紙は東北6県の新聞社 へ、洋紙は関東方面を中心に、印刷所や代理店・紙卸商の倉庫に直接納入されるほか、全国の物流倉庫に送られ顧客の元に届けられる。
 関東地区への出荷が多いのは、消費量の多いのが首都圏であり、さらに同社には西日本地域に岩国工場があるため、石巻工場が東日本地域をカバーする拠点工 場の役割を担っているためだ。
 石巻工場において製品の 輸送手段は全出荷量のほぼ6割をJR貨物に依存 している。同工場が製品の輸送手段として鉄道に大きく依存しているのは、 日々の膨大な出荷量をさばくため、工場内の製品倉庫横に専用線を引き込み、製品の積み込みが鉄道輸送に有利な構造になっていることと、東京の自社製品倉庫 への直行便が石巻港駅から編成されているためであるという。
 これにより、現在 関東地区には1日当たり1,200トン(有蓋貨車1日80両,週5便)の貨車による車扱 と、全 国各地には同1,000トン(5トンコンテナ1日200個,週5便) の紙製品が石巻工場から出荷されている。
 ただ鉄道輸送の依存が高い同工場としては、近年貨物専用線が各地で無くなってきており、東京都北区の王子にある自社倉庫に敷かれた線路がいつまで使える のか不安があり、また、JR貨物に対する要望として製品課長の恩田氏は、「1998年の豪雨による東北本線不通のような線路災害で列車が動かなくなった時 の、しっかりとした代替輸送の確立をお願いしたい」と語った。

▽JR貨物からお客様へ 倉庫直結輸送を今後も推進
 駅の有効利用と貨物の輸送コスト削減等を目的とした、鉄道輸送と配送拠点倉庫を直結した輸送体系は、品質及び輸送効率化の面からみても、非常に魅力ある モードと私どもも考えております。
 JR貨物といたしましても、倉庫の立地につきましては今後とも、鉄道と専用線を利用した輸送体系の維持・拡大を進めていく所存です。
 また、ご心配の災害時における代替え輸送手段としましては、他線への迂回輸送やトラック及び船舶による代行輸送を現在実施して、輸送力の確保を図ってお ります。昨年10月の東北本線不通時においても、3日目に盛岡(タ)〜東青森、八戸貨物間にトラックによる代行輸送を実施しました。
 今後とも災害時においては、お客様にご迷惑をかけないよう、すばやい代替え輸送手段を、通運事業とも協力しながらシステムの構築等含めて、日々研究を重 ねて行く所存です。

▼東北支社管内発の紙輸送 4月〜 コンテナ化進む (JR貨物ニュース 2003年3月15日号 2面)
 日に2本運転している石巻港−北王子間の紙専用車扱列車のうち1本(40両編成)が、4月に一部コンテナ 化 される。コンテナで輸送する方が発送個数や行き先を変更しやすいというお客様の要望を受けたもので、当面、貨車20両分をコンテナ化。 車扱輸送のまま残る20両も着駅を北王子から隅田川に変更する。さらに製紙会社の再編に伴い、岩沼駅 からコンテナ発送している紙製品も、4月から一部、着駅変更されるもようだ。

▽コンテナ輸送力の品質向上
 このように、輸送規模が月に何千トン単位の紙製品をコンテナ化するには、それだけのコンテナ輸送力を確保せねばならない。そのためJR貨物東北支社は、 昨年12月1日のダイヤ改正で名古屋・東京方面列車の大幅な輸送時間短縮を行い、コンテナ化で急増する関東向け優等列車の輸送力需要に備えた。31時間 12分かかっていた盛岡(タ)発名古屋(タ)行き列車の輸送時間を24時間19分に、27時間40分かかっていた弘前発隅田川行き列車を12時間12分に 短縮したもので、これによりコンテナ化の進む4月以降も、全てのコンテナ貨物に従来通りの輸送サービスを提供できる見込みだ。

▼ここにも貨物駅 石巻港駅 日に8列車で紙発送 (JR貨物ニュース 2003年12月15日号 6面)
 石巻港駅の14年度の取扱い量はコンテナが約27万トン、車扱が26.5万トンだった。その90%以上が、日本製紙(株)石巻工場内専用線から発送され る紙製品である。駅のフロントで扱うコンテナ貨物は、日に20個程度となっている。
 日本製紙石巻工場では、1日8本のコンテナ列車と車扱列車で、毎日、製品を全国に送り出す。広いとはいえない構内に11本の仕訳線が連なり、専用線への 入換えを日に8回行う。その作業を石巻港駅では、フォークリフト荷役や貨車検修とともに、石巻臨海運輸(株)に委託しているが、紙製品なので積み込みには 慎重さが求められる。一方、列車時刻は遅らせられないので、駅長を兼務する高谷営業所長に気を抜く間はない。
 紙製品を取り扱う貨物駅では、どこでも荷崩れ、荷痛み防止方法を、さまざま工夫している。ところが実はまだ、決定打といえる方策が見つかっていない。
 最近開発されたラッシングベルトで固縛する方法は「効果が大きい」ものの、工場設備が異なるところには、そのまま導入できないのがネック。石巻港駅で は、お客様や工場内の荷役担当事業者と相談して、昨年、平判紙輸送にエアバッグで養生する方式を導入し始めた。同駅では全国各地に発送しているが、まず中 継の多いルートから。
 しかしエアバッグ方式にも、回収・コストその他の課題がある。そのため、よりよい方策を開発するために、他工場を見学したり、情報を交換したりと、日々 取り組みが続く。

▼コンテナ船輸送、初の入港を祝う 石巻港 (2008年11月06 日木曜日 河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/11/20081106t12038.htm
 石巻港で5日、日本製紙石巻工場のコンテナ船による製品輸送が始まった。同港での本格的なコンテナ輸送は初めてで、宮城県石巻市などが第一船の入港を 祝った。
 輸送に使われるのは、日本通運(東京)の「うらが丸」 (5,818トン)。コンテナ専用のクレーンを積載しており、毎週水曜日に同港を出港する。雑誌などに使う中質紙を中心に、1回約500トンを関西圏に運ぶ。歓迎式で土井喜美夫石巻市長は「地元 の産業や経済にとって大きな刺激となる。市もポートセールスに力を入れたい」とあいさつ。関係者がテープカットし、 石巻港の利用拡大に期待を寄せた。同工場の平川昌宏常務取締役工場長は「コンテナ船の利用は効率的で物流メリットが大きい。海外輸出なども視野に入れ、海 上輸送を拡大したい」と話した。

⇒関西向けのコンテナ船は、鉄道輸送と大いに競合しそうである・・・。

▼東北の大手製造業、仙台港の利用拡大 日本製紙やリコー  (2010年3月10日 日本経済新聞 東北)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20100309cfb0807609.html
 東北に拠点のある大手製造業各社が仙台港の利用を拡大している。日本製紙は宮城県内の生産品のうち、仙台港からの出荷割合を2006年の3割から09年 は8割強まで高めた。リコーも仙台港の利用を促進している。同港は周辺の整備が進み、利便性が向上している。
 日本製紙は宮城県内に岩沼工場(岩沼市)と石巻工場(石巻市)の2拠点を持つ。輸出する紙製品の多くは主に横浜港から輸出していたが、07年に石巻工場で最新設備が稼働して生産量が増加。工場内の積み替え 施設の整備が進み、仙台港からの出荷にシフトした。工場から港まではトラックで製品を運ぶ。鉄道輸送が減り、物流費を約3 割圧縮した。
 リコーは岩手・宮城の3拠点で生産する複写機などの輸出品の3割弱を仙台港から出している。09年、米国西海岸への週1度の直行定期便が就航したのを機 に、仙台港の利用を増やした。年間の物流経費は1000万円強削減できたという。子会社の東北リコー(宮城県柴田町)の新工場が7月に稼働すると、仙台港 からの出荷量は一段と増える見通しだ。

 ▼石巻工場発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
紙 新聞巻取

酒田港
19D
2004.6.6酒田港
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙

倉賀野
18D
1998.3.23新町
車扱
日本製紙(株)
石巻港

日本製紙物流(株)
北王子
ワム80000形
2003年4月コンテナ化
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港

日本製紙物流(株)
北王子
JRコンテナ
2006年3月ダイヤ改正で全面コンテナ化
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙
日本運輸倉庫(株)
隅田川
18D 多数
2001.11.8宮城野
車扱
十條製紙(株)
石巻港


越中島
ワム80000形
1971年4月から専用列車運転開始[42]
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙

越谷(タ) 18D コキ5両
1998.12.26黒磯
車扱
十條製紙(株)
石巻港

清田商事(株)
品川 ※1
ワム80000形
[18] 清田商事(株)専用線の第三者利用者は千代田倉庫(株)
車扱
日本製紙(株)
石巻港

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
15両/日輸送、1994年12月コンテナ化[4]
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙
(株)飯田町紙流通センター?
新座(タ)※2
C35
1998.4.28宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙
日本紙運輸倉庫(株)?
本牧埠頭
C31
1998.3.21横浜本牧
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港

日本紙運輸倉庫(株)?
本牧埠頭
19D
2003.8.3横浜本牧
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙

横浜羽沢
18C 1998.3.21横浜本牧
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙
入江 ※3
大阪(タ)
C35
1998.9.29宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
石巻港
印刷用紙

西岡山
18D
1996.12.25向日町
※1 品川駅には伏木駅および鵜殿駅から紙輸送のワム80000形が到着している。[18] また鵜殿駅発の紙輸送は1994年10月にコンテナ化され着 駅も東京(タ)駅に変更された。[19] 同時に石巻港〜品川間の紙輸送も廃止されたと思われる。尚、1994年12月ダイヤ改正で5176レ石巻港〜川 崎貨物(川崎貨物〜品川に紙列車あり)の編成内容は紙から化成品へと変更された。

※2 新座(タ)駅の1999年度の実績のうち、到着は日本製紙は1日あたりコンテナが75個 、王子製紙が60個等、上位の殆どを製紙会社が占めている。隅田川駅は新聞用の巻き取り紙が多いのに比べて、新座(タ)駅は折込ちらし用の印刷紙の扱いが 多くなっている。(JR貨物ニュース 2000年10月1号 6面)

※3 入江運輸倉庫(株)だろう。本社:大阪市。紙類の保管、配送を行う。http://www.irieus.co.jp/  また岩国(日本製紙)→新守山の着荷主。

▼石巻工場到着の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式及び所有
備 考
車扱
秋田製錬(株)
秋田北港
硫酸
日本製紙(株)?
石巻港
タキ
年間1万トン以上の出荷があったが、1997年度に
経路変更で迂回することになりタンクローリーに
切り替わった[46]p56
車扱
ジークライト
化学鉱業(株)
板谷
白土
十條製紙(株)
石巻港
タキ23951
ジークライト化学鉱業(株)
吉 岡心平氏のサイト内の記事
車扱
東北東ソー化学(株)
酒田港
液化塩素
日本製紙(株)
石巻港
タキ155455
1999.4.1中条
車扱
呉羽化学工業(株)
勿来
液化塩素
日本製紙(株) 石巻港
タキ135458 JOT
タキ125483 蔵町工業(株)
1998.12.23長町 返空を目撃
車扱
呉羽化学工業(株)
勿来
苛性ソーダ
日本製紙(株)
石巻港
タキ57786
保土谷化学工業(株)
1998.12.23長町
車扱
旭硝子(株)
浜五井
苛性ソーダ
液体塩素
十條製紙(株)?
石巻港
タキ
1981年頃の輸送[34]
車扱
JSR(株)
奥野谷浜
ラテックス
日本製紙(株)
石巻港
タキ23805 JOT
1998.7.11長町 返空を目撃
車扱
昭和電工(株)
扇町
液化塩素
日本製紙(株)
石巻港
タキ85461
関西化成品輸送(株)
1998.12.23長町 返空を目撃
コンテナ
旭化成
ケミカルズ(株)
横浜本牧
ラテックス
日本製紙(株)
仙台港
ISOタンクコンテナ JOT
拙web「貨物取扱駅と荷主」
千鳥町駅:旭化成(株)を 参照
コンテナ
大春
岡谷
白土
日本製紙(株)
石巻港 18C
1998.9.24宮城野 日本製紙側線入
(株)大春化学工業所伊那工場あり
コンテナ
日本コーンスターチ(株)?
半田埠頭
コンス
日本製紙(株)?
石巻港
C36
1998.8.1石巻港
コーンスターチは紙のコーティング剤に使用
コンテナ
(株)日新化学研究所
梅田
ステアリン酸カルシウム
日本製紙(株)
宮城野
UT11A-5099
1998.4.28宮城野 返空を目撃


1998.7.11長町駅
タキ23805 日本石油輸送(株) ラテックス専用


1998.4宮城野駅 
UT11A-5099 (株)日新化学研究所 ステアリン酸カルシウム専用




7.日本製紙(株)岩沼工場  
1998.4 岩沼工場全景

 岩沼工場は、仙台から南へ約20Km、国道4号線と6号線、また、東北本線と常磐線が合流する交通の要衝にあり、東北の工業地帯の要である仙台港、塩釜 港 の近くに位置し、仙台空港からもアクセスしやすい立地にある。このような良好な立地条件に加え、豊かに流れる阿武隈川の水資源にも恵まれ、発展してきた。 1968年(昭和43年)、最先端の技術を結集し、最新鋭の工場として誕生した岩沼工場は、敷地面積583,300平方mを有し、その広大なスペースの中 には、紙パルプの一貫生産ラインが理想的にレイアウトされている。

■岩沼工場概要データ 
パルプ設備能力(2006年4月1日現在)
自製パルプ:940トン/日 古紙パルプ:1,190トン/日
パルプ設備能力(2008年4月1日現在)
自製パルプ:830トン/日 古紙パルプ:1,430トン/日
パルプ設備能力(2013年4月1日現在)
木材パルプ:1,230トン/日 古紙パルプ:1,430トン/日
パルプ設備能力(2014年4月1日現在)
木材パルプ:820トン/日 古紙パルプ 1,430トン/日
抄紙機設備能力(2006年4月1日現在)
4台 1,867トン/日
抄紙機設備能力(2008年4月1日現在)
4台 1,709トン/日
抄紙機設備能力(2013年4月1日現在)
3台 1,488トン/日
抄紙機設備能力(2014年4月1日現在)
3台 1,475トン/日
塗工機設備能力(2006年4月1日現在)
3台 399トン/日
塗工機設備能力(2008年4月1日現在)
1台 394トン/日
主要製品
新聞用紙、塗工紙、中質紙
主要製品(2013年4月1日現在)
新聞用紙、中下級印刷用紙

■生産量 [14] http://www.np-g.com/about/factory/iwanuma.html
1989(平成元)年実績
紙:492,941トン/年

2004(平成16)年実績
紙:627,932トン/年

2005(平成17)年実績
紙:633,279トン/年

2006(平成18)年実績
紙:635,552トン/年
2007(平成19)年実績
紙:637,893トン/年 外販パルプ:6,162トン/年
2009(平成21)年実績
紙:592,860トン/年

2010(平成22)年実績
紙:564,213トン/年

2012(平成24)年実績
紙:504,946トン/年

2013(平成25)年実績
紙:493,263トン/年


■大昭和パルプ(株)の設立 [14]
 昭和38年10月、通産省の指導による設備規制が行われているなかで、岩沼工場の建設方針が打ち出された。東北地区の原資材の確保と利用を図り、仙台臨 海工業地区南部の立地条件を勘案した宮城県名取郡岩沼町吹上地区約8万坪の敷地への工場建設推進であった。中芯原紙、ライナー原紙、クラフト紙の抄紙機設 備(3台)、パルプ設備(KP、古紙処理)、動力設備(汽力設備一式、電気設備一式)、その他事務所、排水、取水、倉庫、社宅、引込線設備等で、設備費約 67億円をかけ、工事を3期に分けて推進する計画であった。さらに同年12月には、当社傍系会社からの要請で、内地工場に供給されているGPの確保を原木 面から打開するため、東北地区へ設備を移設し、将来は第二次計画としてKP、BKPの増設を行い、原資材の安定的確保を図るため、岩手県北上市黒沢尻地区 にパルプ工場の建設を計画した。しかし、39年2月の24社社長会において、各社の協調と互譲によって業界の設備投資を秩序ある適正速度にすることが決定 された。この社長会の決定は大昭和製紙の宮城県岩沼地区および岩手県北上地区の工場建設に少なからず影響を及ぼし、実情に即した建設内容の再検討と建設時 期等について、若干の変更を余儀なくされた。
 大昭和製紙は岩沼工場建設について、39年5月までに33万平方メートル(約10万坪)の第一次用地買収を完了し、設備規制のもとで関係諸官庁との折衝 を続けた結果、39年12月4日、岩沼町と吹上地区に昭和43年度以内に操業開始を目標に製紙工場を新設する覚書を交わし、また県の新産業都市誘致大規模 工場第1号として、岩沼工場建設計画は歩み出した。なお、仙台新港の進捗状況を勘案して、45年までに中芯原紙、Kライナー、クラフト紙などを、続いて新 聞専抄抄紙機新設の構想を持っていた。
 旧日本製紙(株)は38年5月会社更生法の適用申請を行い、管財人には大昭和製紙(株)の監査役が就任し、旧日本製紙は大昭和製紙の系列に入った。一 方、42年8月、大昭和製紙岩沼工場にKP300トン設備の認可が得られた。大昭和製紙は、岩沼工場と計画中の日本製紙岩沼工場の一本化を計画し、これを 通産省に図ったところ、通産省繊維雑貨局長から紙パルプ連合会会長に業界諮問があった。パルプ分科会、林材部総合調整委員会等の審議を経た結果、同年11 月15日承認され、両者の共同出資による別会社の設立が最も効果的な運営であるとの方針が打ち出された。大昭和製紙と旧日本製紙との合併会社「大昭和パル プ株式会社」はこうして設立された。同社の概要は以下の通り。

@会社の商号   大昭和パルプ株式会社
A設立年月日   昭和43年4月1日
B資本金   授権資本 30億円  設立時払込資本金 10億円
C株主構成  大昭和製紙株式会社 70%  日本製紙株式会社 30%
D本店所在地   東京都中央区日本橋通2-2

 大昭和パルプ岩沼工場は宮城県名取郡岩沼町吹上東200にあり、33万平方メートルの敷地は阿武隈川沿いに東北本線と常磐線の交差する地点で国道4号線 岩沼バイパスに面しており、新仙台港、塩釜港を控えた臨海立地の好条件を備えていた。しかも、阿武隈川の良質な用水30万トン/日を確保でき、排水につい ては国、宮城県、岩沼町、受益者の4者からなる特別都市下水道延長7キロが43年3月末完成。なお東北地区は広葉樹が我が国蓄積量の27%、針葉樹は 20%を占める森林資源の宝庫であり、労働力にも恵まれていた。
 設備内容は次の通りであり、43年10月から稼動に入った。 
カミヤ連続クラフトパルプ製造設備
アイムコ苛性化装置
三機ドル流動焙焼設備
スベンソン真空蒸発缶
カミヤ連続ディフュージョンウォッシング晒設備
新マチソン二酸化塩素発生装置
アメリカ・ベーリングマスターパルプマシン
三菱CE回収ボイラー
バークボイラー
専用側線
430トン/日
2,340立方メートル/日
170トン/日
5,500立方メートル/日
400トン/日
7トン/日
400トン/日
450トン/日
20トン/日
6km

 尚、旧日本製紙株式会社は昭和45年の暮れ、会社解散を決定し、組合が強硬な反対運動を続けたものの、46年2月12日の株主総会で会社提案は承認され 同年3月31日をもって解散された。

■軽量新聞に対応 [14]
 昭和48〜49年は世界的に紙の需要が軽量紙に大きく転換した時期であった。特に48年10月の石油危機以来、省資源、省エネルギーの観点から、先進国 では軽量紙が普及し、アメリカ、カナダ、ヨーロッパでは米坪49グラムの新聞用紙がスタンダードになりつつあった。しかし日本で使われる新聞用紙は定量 51.8グラムで、原料事情や新聞社の高速輪転性と、厳しい品質要求に対応するため、実際には各製紙メーカーはさらに2〜4グラム過斤し、53〜55グラ ムで抄造していた。
 岩沼工場新聞用3号抄造機(幅8,750ミリメートル)は49年8月に稼動し、国内最高速度の850メートル/分で安定操業していたが、大昭和紙商事新 聞用紙部の要請に応え、50年9月から朝日新聞社と共同開発を続け、他社に先駆けて51年10月新製品(49グラム)の開発に成功した。この開発は日本の 新聞用抄造の技術に新段階を画し、また朝日新聞社の経営にも大きく寄与するものと評価された。
 49グラム紙へ移行することによって、ユーザーである新聞社側では、同じ巻取幅なら増連が可能となるので、印刷時の運搬作業が楽になり、合理化につなが る。また紙の価格は重量単位だから、同部数であれば価格が安くなるため、コストダウンに結び付くなど、メリットが多いと判断し、軽量化へ動くことになっ た。先陣を切った大昭和製紙は、一般的には52グラム紙のパルプは機械パルプのうちGP100%で、長網抄紙機で抄造していた。49グラム紙にそのままの 原料を使えば、裏抜けや強度の問題などがあることから、パルプはTMPに変わり、抄紙機はツインワイヤー式を採用するなど、原料から設備まで一新、薄くて も裏抜けがない、表裏差の少ない紙の生産が可能になった。軽量化はまた、メーカー側にもメリットをもたらした。同面積を生産すれば、それだけ原料を減少さ せ、しかも収率90%と効率の良いTMPが使用可能となり、さらに価格の安い古紙を混入できたからである。
 新聞軽量紙の生産は原料問題から急速に普及し、昭和53年の新聞用紙の生産量248万トンに対して軽量紙は97万トンと39%を占め、54年には70% まで伸びた。面白いことに、石油危機以前は古紙混入を伏せていたが、昭和54年以後は、新聞用紙の古紙配合率を高められることは技術力であるように見方が 変わり、また流通面でも同連数を運ぶために少ない巻取数ですむため、運賃を削減できた。
 我が国で呼ばれている「軽量紙」は、1平方メートル当たり52グラムの基準に対し、49グラム基準を指し、新聞用紙の54年10月の生産実績では全生産 の84%が軽量紙だった。しかし、軽量化が先行している欧米では、すでに49グラム紙が「普通紙」で「軽量紙」は45〜46グラム程度の紙へと移行してい た。
 岩沼工場の新聞用1号抄紙機(日産能力約430トン)を56年秋をめどに、長網多筒式の従来型抄紙機を軽量新聞用紙を生産しやすいツインワイヤー式へ切 り替え、設計抄紙速度は分速1,200メートルで、日産能力は500トン、最大600トンに増大することに決定した。岩沼工場はツインワイヤーの3号抄紙 機を使って、我が国で最も早く軽量新聞用紙を実用化しており、1号抄紙機を改造して、軽量紙をさらに6%程度軽い「超軽量紙」を開発する狙いがあり、注目 された。
 工事は56年10月完了し、超軽量紙46グラムの新聞用紙の生産を開始した。56年に入って市場に登場した46グラムの超軽量新聞は、その後、シェアが 急激に伸び、59年12月には84%に達した。このようにシェアアップできたのは、需要家が新聞用紙の軽量化により印刷作業性を向上させようとする、高生 産性の追及が幅広く行われたためであった。
 超軽量紙時代の到来を注目した岩沼工場は、他社に先駆け44グラムの超軽量新聞の生産のため、1号抄紙機の改造工事を60年6月から取りかかり、7月 18日完了した。岩沼工場3号抄紙機が昭和49年8月に稼動を開始、新聞専抄マシンとしては日本で初めての大型高速ツインワイヤーであるデュオフォーマー E型が採用され、昭和62年4月の改造が行われるまでの過去12年間、その特性を活かし、軽量新聞用紙の開発に輝かしい実績を上げてきた。しかし新聞用紙 の品質競争の激化と原材料、エネルギー事情の変遷等により、周辺を取り巻く環境が徐々に変わり、この間部分的な改造を重ねて変化に対応してきたが、今後ま すます厳しくなる品質競争や諸情勢の変化を先取りし、新聞用紙の将来を見据えた対応(43グラム)を図ることを目的に抜本的な改造を実施して、昭和62年 7月7日運転を開始した。
 そして平成2年上期の大昭和製紙の実績をみると、軽量紙46グラムは80.2%(業界全体では85.7%)、超軽量紙43グラムが18.0%(同 11.6%)と相変わらず軽量化の先端を走っている。なお呼称も進化して49グラムが普通紙、52グラムが重量紙となった。

■大昭和製紙 製造設備を更新 ホワイトカーボン 岩沼工場で月産750トン (2001年7月23日 日本工業新聞 12面)
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は、岩沼工場(宮城県岩沼市)に新聞用紙に添加するホワイトカーボンの製造設備を8億4千万円を投じ て新設する。生産量は月産750トンで2002年3月の完成を目指す。
 ホワイトカーボンはシリカの微粒子。紙中に充填することで紙の不透明性を高めてインクの吸収性を改善する効果がある。新聞用紙の軽量化や古紙パルプ配合 率の増加で使用量が増えている。
 新設する設備は、日本ユニパックグループの日本製紙が開発したもので、従来に比べて細かで多孔質の粒子を製造できる。すでに日本製紙は釧路工場(北海道 釧路市)で生産している。
 大昭和製紙は日本製紙から技術移転を受けるとともに、新設備で製造するホワイトカーボンを日本製紙の石巻工場(宮城県石巻市)に供給する。現在、大昭和 製紙は岩沼工場に28億円を投じて古紙処理設備を改造中で、来年6月に古紙パルプ配合率は65%以上を計画している。高品質のホワイトカーボンを使用する ことで新聞用紙の品質向上を期待している。

■ユニボード事業部の分社化について (2002年1月31日 大昭和製紙株式会社) http://www.np-g.com/news/news02013101.html
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は、平成14年4月1日をもってユニボード事業部の分社化を行なうこととした。
 大昭和製紙では、中期経営計画を昨年3月に策定し、その中でユニボード事業部について、より強固な事業基盤を確立し発展していくために、事業分野に特化 した独立企業として経営を行なっていくことが最善であると認識し、独立分社化を視野に入れた事業の運営方法を検討してきた。この度、会社分割制度による分 社型新設分割により分社化を行ない、新会社を設立することとした。

【新会社の概要】
社 名
所在地
資本金
代表取締役社長
従業員
年間売上高
事業内容
設立予定日
大昭和ユニボード株式会社
宮城県岩沼市吹上西111番地
490百万円 (大昭和製紙100%出資)
筒井 幸弘 (現ユニボード事業部 営業部長) (平成14年4月1日就任予定)
約80名(設立時)
40億円
パーティクルボード、建材、家具材等の製造・加工・売買
平成14年4月1日

■岩沼工場に古紙パルプ製造設備を新設 〜新聞用紙の古紙パルプ配合率75%に〜 (2002年7月11日 大昭和製紙株式会社) http://www.np-g.com/news/news02071101.html
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は、岩沼工場(宮城県岩沼市)に32億円を投資して、最新型の古紙パルプ(DIP)製造設備を新設す る。生産量は日産250トン、2003年5月に完工する予定。岩沼工場は、日本ユニパックホールディンググループの 新聞用紙生産主力工場として、3台の抄紙機で日産約1,500トンの新聞用紙を生産している。本年5 月、既設DIP製造設備(2系列)について品質改善・増産工事を行い、新聞用紙向けのDIP生産量は日産940トンになった。今回の新設DIP製造設備の 稼働後は日産1,190トンとなり、新聞用紙のDIP配合率は現状60%から75%に向上する。
 今回新設するDIP製造設備は、背糊付き雑誌古紙などの低グレード古紙を積極的に製紙原料として使うために日本ユニパックホールディンググループ全体で 取り組んできた研究開発の成果を生かしたシステムとする。具体的には、「最新型高性能スクリーン」および「ホットディスパージョン+最新型の粘着異物除去 用高性能フローテーター」の採用により、雑誌等に起因する粘着異物の除去効率を飛躍的に高めるとともに、インキ除去率を向上させる点がシステムの特徴。こ れにより、DIP高配合の新聞用紙の品質向上に努めていく。
 岩沼工場は、本年3月に新填料(ホワイトカーボン)自製設備が稼働を開始しており、今回の新DIP製造設備の新設により、薬品費・原材料費ともにコスト ダウンが図られ、新聞用紙生産工場として高い国際競争力を有する工場となる。新DIP製造設備の稼働後には、既設GP設備停止、新聞用紙向けDIPの高配 合化による購入TMP量の削減などが実現できる見込みであり、大幅なコストダウン効果が期待できる。

 白老工場の記事で述べた通り、2004年に白老工場の新聞用紙設備が停止され、岩沼工場と勇払工場に移管している。そのため1989年と2005年の生 産量を比較すると約14万トンほど増加している。

■汚泥燃料化を共同研究 日本製紙岩沼工場と新庄市など (2008 年02月15日金曜日 河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/02/20080216t72018.htm
 山形県新庄市のリサイクル企業バイオソリッドエナジー(小笠原謙一社長)と日本製紙岩沼工場(宮城県岩沼市)、新庄市の3者は15日、新エネルギー・産 業技術総合開発機構(NEDO)との共同研究により、下水、し尿処理で発生する汚泥の燃料化実証事業を4月に始めると発表した。
 実証事業は、新庄市と周辺7町村から出る汚泥(年間9,000トン)を地元産木チップ(2,250トン)を燃やして乾燥させ、粒状の汚泥燃料 (2,000トン)を生成。燃料は日本製紙岩沼工場の自家発電用の石炭ボイラーで補助燃料として使用する。
 市内に建設中の専用プラントは床面積1,600平方メートルで4月に稼働する予定。日量30トンの汚泥を処理し、6.5トンの汚泥燃料を生成できる。
 総事業費は16億円。うちNEDOからの補助は7億円。共同研究期間は1、2年程度を見込み、将来的にはバイオソリッドエナジーが本格的に事業展開する 計画だ。
 小笠原社長は「大半が産廃処分されている汚泥を燃料化できれば、環境負荷が減らせ、長期的には行政の処理コストも削減できる」と話した。


■鉄道貨物輸送について
1998.4 岩沼工場

▼岩沼工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1970(昭和45)年版
岩沼
大昭和パルプ(株)

日本通運(株)
日通機
3.0
0.7
1975(昭和50)年版
岩沼
大昭和パルプ(株)
日本通運(株)
日通機
3.0
10.2

1983(昭和58)年版
岩沼
大昭和製紙(株) 日本通運(株)
日通機
3.0
10.2


岩沼工場の地図

▼岩沼駅の輸送量(トン)の推移 (『岩沼市統計書』より作成)
年 度
発送
到着
備  考
1987(昭和62)年度
165,142
63,931

1988(昭和63)年度
169,371
75,818

1989(平成元)年度
167,735
82,189

1990(平成02)年度
137,875
81,853

1991(平成03)年度
144,440
75,931

1992(平成04)年度
142,234
68,916

1993(平成05)年度
141,177
62,760

1994(平成06)年度
152,463
70,678

1995(平成07)年度
167,201
72,353

1996(平成08)年度
162,799
60,388

2001(平成13)年度
179,458
45,221
発送:コンテナ177,664t/車扱2,066t(JR貨物ニュース 2002年11月1日号 8面)
2002(平成14)年度
172,207
43,570

2003(平成15)年度
189,489
48,801

2004(平成16)年度
200,851
53,826

2005(平成17)年度
196,950
49,544

2006(平成18)年度
189,263
32,517


▼輸送状況(1989年度) [14]

紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
フェリー
岩沼工場
492,941トン
20%
10%
40%
20%
10%
※1989年度の生産量の492,941トンの鉄道輸送量分の30%は約148千トン。同年度の岩沼駅の発送量は約168千トンであり、同駅発送量の約 88%を大昭和製紙が占めることになる。

 この専用線は、岩沼から工場までの3.0kmの本線を主として、その作業キロは10kmにも及ぶという大規模なもので、鉄道輸送を含め、輸送業務のほぼ 全般を日本通運(株)仙南支店大昭和製紙事業所が管轄している。事業所という一部門の位置付けになっているが、下手な支店よりも大きな組織になっているよ うだ。近年の趨勢に合わせて鉄道による製品発送はすべてコンテナに切り替わり、同時にトラックへの移行も進んだようだ。タキ車は、工場内で使う薬品類の輸 送用とのこと。[20]

▼ここにも貨物駅 岩沼駅 紙工場の拠点駅 (JR貨物ニュース 2002年11月1日号 8面)
 岩沼駅の輸送力は岩沼−宮城野間と、岩沼−郡山(タ)間を繋ぐ2本の列車で、通常1日にコンテナ車23台115個。
 多くは専用線を持つ紙工場の貨物で占められ、「荷物の量によってはコンテナ車を2台増やし、輸送力をさらに10個確保する」(仙台営業支店菊地営業課 長)も、同工場から出荷される紙製品だけで輸送枠がほぼ埋まってしまう。そのため岩沼駅で「コンテナの輸送枠は1日115個あっても、紙以外の一般貨物を 載せられる枠はこの内10個程。載せきれなかった荷物は宮城野駅までトラックで代行輸送している」(菊地課長)という。

▼東北支社管内発の紙輸送 4月〜 コンテナ化進む (JR貨物ニュース 2003年3月15日号 2面)
 製紙会社の再編に伴い、岩沼駅からコンテナ発送している紙製品も、4月から一部、着駅変更されるもよう だ。

▼日本製紙岩沼工場、製品輸送の3割を鉄道に 経費2400万円削減  (2009年3月18日 日本経済新聞 東北)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20090317c3b1704k17.html
 日本製紙は新聞紙などを生産する岩沼工場(宮城県岩沼市)の製品について、2009年度中をメドに約3割をトラックから鉄道による輸送に変える。鉄道利用により物流費用 を年間で2400万円程度減らせるという。景気悪化で紙の需要は低迷しており、コスト圧縮で利益率の改善を急ぐ。
 日本製紙は日本貨物鉄道(JR貨物)と契約して1日に2便、岩沼工場と石巻工場(石巻市)内に引き込んだ線路から、日本製紙の倉庫があるJR貨物の北王 子駅(東京・北区)まで専用の直行列車を運行している。貨物量は1便当たり約500トン。石巻工場の鉄道出荷率が約 55%と高いのに比べ、岩沼工場は約25%と低い。
 岩沼工場について来年度中に新たに約2万トン分の製品輸送をトラックから鉄道に切り替える。将来は直行列車の増便を検討するが、ダイヤの調整などが必 要。当面は岩沼工場からJR宮城野駅(仙台市)までトラック 輸送し、JR貨物の列車に積み替えて各地に運ぶ方法を採用する。岩沼工場の全体の生産量の約3割に当たる年間20万トン程度を鉄道で運 ぶ計算になる。


2002.3岩沼駅ヤード

2007.5岩沼工場 奥にタキ5450形が見える

▼岩沼工場発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
コンテナ
大昭和
岩沼
合板
市村
札幌(タ)
C36
1998.4.26岩沼
コンテナ
大昭和
岩沼
合板
東陶
浜小倉
C35
1998.4.26岩沼
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

宇都宮(タ)
18D 多数
1998.6.21宮城野 1998.4.26岩沼 1998.2.26黒磯
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙
(株)飯田町紙流通センター
小名木川
19B コキ3両
1998.6.21宮城野
小名木川駅は2002年3月ダイヤ改正で廃止。
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙
(株)飯田町紙流通センター
隅田川
V18C 2001.11.22岩沼 1998.3.21隅田川
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

横浜本牧
JRコンテナ
1998.3.21横浜本牧
車扱
大昭和製紙(株)
岩沼

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
13両/日輸送、1994年12月コンテナ化。[4]
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

静岡貨物
18D コキ1両
1998.6.21宮城野
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

岐阜(タ)
18D 多数
1998.4.26岩沼 1998.3.11西小坂井
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
印刷紙

新守山
V18C 多数
1998.4.26岩沼
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
印刷紙

梅田
18D
1998.6.21宮城野
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

米子
18D
1998.4.26岩沼
コンテナ
大昭和製紙(株)
岩沼
新聞巻取紙

浜小倉
19A
1998.4.26岩沼

▼岩沼工場到着の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式及び所有
備 考
車扱
呉羽化学工業(株)
勿来
液化塩素
大昭和製紙(株)
岩沼
タキ95488 関西化成品輸送(株)
1998.4.26岩沼 2両あり
車扱
呉羽化学工業(株)
勿来
苛性ソーダ
大昭和製紙(株) 岩沼
タキ47783 保土谷化学工業(株)
1998.8.6高萩
車扱
旭硝子(株)
浜五井
苛性ソーダ
液体塩素
大昭和製紙(株)?
岩沼
タキ
1996年度実績[35]
車扱
旭電化工業(株)
知手
液化塩素
大昭和製紙(株)
岩沼
タキ5450形 旭硝子(株)
1998.4.26岩沼
コンテナ
ヨシカワ
隅田川
古紙
大昭和
岩沼
C35
2001.11.22岩沼 1998.4.26岩沼
車扱
旭化成(株)
千鳥町
ラテックス
日本製紙(株)
岩沼
タキ8359 旭化成(株) 2005.10.2千鳥町 1999.1.5千鳥町
1998.4.26岩沼
車扱
昭和電工(株)
扇町
液化塩素
大昭和製紙(株)
岩沼
タキ105466 関西化成品輸送(株)
2002.3.20岩沼
車扱
昭和電工(株)
扇町
苛性ソーダ
大昭和製紙(株)
岩沼
タキ14206 昭和電工(株)
吉 岡心平氏のサイトの記事
コンテナ
サンノプコ(株)
名古屋(タ)
ステアリン酸カルシウム
大昭和製紙岩沼
宮城野
UT11A-5067  JOT
1998.4.28宮城野


1998.4岩沼駅 

2002.3岩沼駅 



8.日本製紙物流(株)北王子倉庫  

■十條工場の開業 [12]
 明治43年5月に印刷局抄紙部王子工場の分工場として開業し、マシン1台で葉書用紙を専門に抄造していた。大正5年の行政整理で、この工場は民間に払下 げられることとなり、王子製紙が135万円で買った。これは大正5年7月から王子製紙の十條工場となったが、8年に1台、大正11年に2台、昭和2年と5 年に各1台のマシンを増設して6台の長網抄紙機を持つ工場となった。
 抄物は、その買収のいきさつから印刷局に納入することが義務付けられていた葉書用紙をはじめ、マシン増設後は出発本文用紙、グラビア紙、模造紙、加工原 紙など、多彩な洋紙生産工場として声価を高めた。ことに大正14年創刊されて莫大な部数となった講談社の大衆雑誌「キング」の本文洋紙は十條工場が納めて いたので、その増量に応えるため、昭和5年に、特に168インチという大型マシンを新設した。

■十條工場の閉鎖
 太平洋戦争末期には空襲を受け操業が全面停止になるが、いち早く復興し十條製紙として発足する際は、社名の由来にもなった。
 昭和40年代に入ると、十條工場は首都圏整備法により今後工場規模の拡大を期待できない。工場用地の土地価格が非常に高く、その資産価値を製紙業で生か しうるかどうか極めて疑問である。公害の規制が今後ますます厳しくなる。労働事情の悪化から、要員の確保が相当困難になりつつある。非一貫性で老朽設備が 多いため、番号簿用紙、中下級紙、コート紙を前提とする限り対外競争力がない。といったように抜本的な対策が必要な工場となっていた。[12]
 昭和47年10月に、十條製紙は十條工場の疎開を含めた合理化を打ち出した。組合の抵抗に合うなどしたものの、跡地利用による雇用の配慮などで解決を図 り、昭和48年8月末、伝統ある十條工場は正式に閉鎖となった。工場跡地のうち8万8千平方メートルは日本住宅公団に120億円で売却された。[2]

■十條倉庫(株)の設立から日本製紙物流(株)へ
 十條工場跡地の大部分は日本住宅公団に売却され公団住宅に変貌を遂げたが、跡地の一部分には現在でも日本製紙(株)の子会社の日本製紙物流(株)の北王 子倉庫があり、鉄道輸送を行っている。

▼日本製紙物流(株)北王子倉庫の沿革 http://www.np-log.co.jp/sub_12.htm  などから筆者作成
1972(昭和47)年11月
1973(昭和48)年07月
1977(昭和52)年02月
1978(昭和53)年10月
1979(昭和54)年06月
1992(平成04)年04月
1997(平成09)年04月
2003(平成15)年04月
2006(平成18)年03月
十條倉庫(株)設立
北王子倉庫営業開始
北王子3号倉庫完成、専用線ホーム延長工事実施
石巻から十條倉庫(王子)への貨車輸送、準専用30両編成となる
北王子4号倉庫完成
北王子6号倉庫完成
十條倉庫(株)は三裕倉庫運輸(株)及びエヌピー山田物流(株)と合併し日本製紙物流(株)に社名変更
石巻港〜北王子の紙列車の一部コンテナ化
北王子駅発着の列車が全てコンテナ列車化


■鉄道貨物輸送について
2002.12 北王子駅

▼十條工場及び十條倉庫(株)の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1930(昭和5)年版
下十條
王子製紙会社

遷車台迄
省機関車
其之他
手押
荷物積込場
 貨車0.1
 機関車0.1
石炭取卸場
 貨車0.4
 機関車0.3
荷物取卸場
 貨車0.5
 機関車0.3

鉄道
1951(昭和26)年版 北王子
十条製紙(株)

日本加工紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
石炭卸線0.1
荷物卸線0.3

鉄道
1953(昭和28)年版
北王子
十条製紙(株)

日本加工紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
相手方機
0.5

鉄道
国鉄機作業の場合の機
関車キロ程は300mとする
1957(昭和32)年版 北王子
十条製紙(株)
日本加工紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
私有機
0.5
(機)0.3

鉄道
1964(昭和39)年版 北王子
十条製紙(株)
(十条工場)
日本加工製紙(株)
日本通運(株)
私有機
0.5

専用鉄道
1967(昭和42)年版
北王子
十条製紙(株)
(十条工場)
日本加工製紙(株)
日本通運(株)
私有機
0.5

専用鉄道
1970(昭和45)年版 北王子
十条製紙(株)
(十条工場)
日本加工製紙(株)
日本通運(株)
私有機
0.5
0.7
専用鉄道
1975(昭和50)年版
北王子
十条製紙(株)
十条倉庫(株)
日本通運(株)
日本通運機
0.5
1.8

1983(昭和58)年版
北王子
十条製紙(株)
十条倉庫(株)
日本通運(株)
日本通運機
0.5
1.8


▼都北に残る貨物線と北王子貨物駅 [21]
 北王子駅に到着する貨車は、すべて石巻港駅からの紙積みワム80000形である。田端操までは専用の5180レおよび5182レで運ばれてくるが、2列 車とも現在では珍しいオール・パワムで組成された45両の長編製である。田端操到着後、同駅にて北王子駅のホームに合うように18両編成5本の列車に分割 し、北王子駅に向けて1日5本の運転となっている。
 現行ダイヤは、最近出荷量が落ち込んでいるため、平日の月曜から金曜のみ運転となっているが、以前は指定日に限り土曜日にも運転されていた。田端操−北 王子間はDE10が牽引、営業線といっても貨物側線に近い扱いになっているらしく、機関車のデッキに列車掛が乗り込み、機関車を誘導しながら走行する昔懐 かしい風景を見ることができる。

▼今月のお客様 日本製紙物流株式会社 東京事業部北王子倉庫 (MONTHLY JRかもつ 2006年5月号)
 日本製紙物流株式会社は、昭和47年11月十條倉庫株式会社として設立したのが前身で、平成9年1月に現在の社名になりました。
 同社は自社倉庫だけでも約15万5千トンの紙の保管能力を持ち、東京事業部最大の北王子倉庫には約4万2千トンを保管できます。田端操駅から1日4列車 でコンテナ200個が到着します。それらの荷役にはフォークリフトなどの荷役機械56台が稼動しています。1カ月当たり入庫、出庫の取り扱い数量はそれぞ れ2万3千トン程度で、85%が巻取紙、残りが平判紙となっています。そのうち 75%が日本製紙石巻工場の製品で、石巻港駅からコンテナ列車で到着します。
 石田企画担当部長、戸佐東京事業部長はコンテナ輸送について「品物が紙製品なので雨濡れに最も神経を使います。また新聞巻取紙はお客様への配送納期が厳 しく、天災を含め異常時の連絡体制をより綿密にしていただきたいというのが私たちの要望です。また平成18年1月17日には関東運輸局より第一種貨物利用 運事業の登録が完了し、平成18年5月1日より利用運送事業を開始いたします。」と話してくれました。

▼北王子駅の輸送量(トン)推移 (『東京都統計年鑑』より筆者作成)
年 度
車 扱:発送
車 扱:到着
コ ンテナ:発送
コ ンテナ:到着
合 計:発送
合 計:到着
1990(平成02)年度
3,609
238,997


3,609
238,997
1991(平成03)年度
3,871
212,737


3,871
212,737
1992(平成04)年度
3,454
243,431


3,454
243,431
1993(平成05)年度
3,459
270,495


3,459
270,495
1994(平成06)年度
4,704
305,116


4,704
305,116
1995(平成07)年度
3,272
351,515


3,272
351,515
1996(平成08)年度
3,610
331,587


3,610
331,587
1997(平成09)年度
3,229
290,891


3,229
290,891
1998(平成10)年度
2,319
257,200


2,319
257,200
1999(平成11)年度
2,427
276,883


2,427
276,883
2000(平成12)年度
2,123
263,258


2,123
263,258
2001(平成13)年度
3,069
224,369


3,069
224,369
2002(平成14)年度
3,058
245,748


3,058
245,748
2003(平成15)年度
3,685
173,958


3,685
173,958
2004(平成16)年度
4,356
145,476

118,795
4,356
264,271
2005(平成17)年度
3,080
98,822
1,570
164,585
4,650
263,407
2006(平成18)年度

4,655
259,285
4,655
259,285
2007(平成19)年度


4,660
271,705
4,660
271,705
2008(平成20)年度


4,085
247,975
4,085
247,975



9.日本製紙(株)富士工場  
 富士工場は雄大な富士山と駿河湾に囲まれた「紙のまち富士」の中心にあり、また近くに東名高速や田子の浦港があり、交通の要衝に位置しており、首都圏に も 近く、立地条件に恵まれている。
 1933年(昭和8年)に操業を開始した同工場は、日本初のクラフトパルプ(KP)製造設備を完成させ、以来、各種のクラフト紙(包装用紙など)を生産 し てきた。先進性に富む同工場は1960年(昭和35年)にコート紙製造技術を開発し、コート紙生産工場としての地位を獲得している。またPPC用紙の生産 量では国内トップの生産を誇っている。近年ではパルプの自製設備だけでなく、古紙処理設備を増強した。木材パルプと古紙パルプをバランス良く使える生産体 制を構築し「都市型の資源リサイクル工場」として高品質な製品を安定して供給している。

■富士工場概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在) 自製パルプ:1,670トン/日 古紙パルプ:640トン/日
パルプ設備能力(2009年4月1日現在)
木材パルプ:1,620トン/日 古紙パルプ:620トン/日
パルプ設備能力(2013年4月1日現在) 古紙パルプ:420トン/日
抄紙機(オンマシンコータ含む)設備能力(2006年4月1日現在) 13台 2,376トン/日
抄紙機設備能力(2009年4月1日現在)
12台 2,220トン/日
抄紙機設備能力(2013年4月1日現在)
4台   473トン/日
塗工機設備能力
1台 460トン/日
主要製品
新聞用紙、色上質紙、塗工紙、微塗工紙、中質紙、情報用紙、
包装用紙、食器容器原紙、ノーカーボン紙用原紙
主要製品(2013年4月1日現在)
色上質紙、微塗工紙、再生上質紙、再生PPC用紙、グラシン、
印刷用紙、電話帳本文

■生産量 [14] http://www.np-g.com/about/factory/fuji.html
1989(平成元)年実績
富士(紙):441,230トン/年
鈴川(紙):231,252トン/年
  計(紙):672,482トン/年

2004(平成16)年実績
紙:679,763トン/年

2005(平成17)年実績
紙:693,467トン/年

2006(平成18)年実績
紙:682,158トン/年
2007(平成19)年実績
紙:689,005トン/年 外販パルプ:110,399トン/年
2009(平成21)年実績
紙:476,761トン/年

2010(平成22)年実績
紙:456,801トン/年

2012(平成24)年実績
紙:304,624トン/年

2013(平成25)年実績
紙:166,043トン/年


■大昭和製紙(株)の誕生と鈴川工場 [14]
 昭和2年3月、齊藤知一郎が静岡県富士郡吉永村比奈に資本金10万円で昭和製紙株式会社を創立した。創業と同時に本社所在地の第一工場にて和用紙の製造 を始め、昭和8年には富士郡元吉原村に第三工場〔現、富士工場(鈴川)〕を建設。当初は長網抄紙機1台で洋紙専門に操業していた。また傍系会社となった駿 富製紙の工場を貸借して第二工場とし和紙類を増産していた。
 第一および第三工場ともに抄紙機械の増設を重ね、紙屑類の大量使用処理設備も整っていた。第三工場には火力発電所を建設、工場内に鈴川駅より専用鉄道側 線を敷設、工場に隣接して砕木パルプ工場・硫酸曹達パルプ製造工場の建設などを行った。
 そして1938(昭和13)年9月、昭和製紙が母体となり同一系統の大正工業、岳陽製紙、駿富製紙、昭和産業の4社と対等合併して、「大昭和製紙株式会 社」が誕生した。合併の目的は、準戦時体制下の統制や経済情勢の悪化に対して、経営の合理化を図り、原料統制に対処するためであった。
 「大昭和製紙」の商号は、昭和13年9月、合併会社の主軸であった大正工業と昭和製紙の商号の一部を組み合わせて決定されたものである。しかし商号決定 までには、昭和製紙が中心であるからそのまま合併後の社名にしたいという考えと、大正工業側からは「大正製紙」という案が出されて難航したが、立会人が折 衷して「大昭和製紙」という大きな社名≠持ち出して両者を納得させたといわれている。当初の正しい呼称は「タイショウワ」であった。しかし、世間では 「ダイショウワ」と呼んで通称化していたのである。その後、ローマ字綴りの英文社名が必要になり、25年7月提出の有価証券報告書から 「DAISHOWA」と明記されるようになった。
 鈴川工場は、昭和製紙によって昭和8年に建設が始められ、5社合併によって大昭和製紙となった後の14年に、日産能力25トンのクラフトパルプの生産を 始めた。同社にとって、パルプ自給は悲願であり、鈴川工場の果たした役割は大きい。24年に砕木機1台を増設し、25年5月には5号抄紙機が完成し合計5 台の操業となった。これによりクラフトパルプに加え、サルファイトパルプ等を使用し包装紙、製袋紙、印刷紙を抄造している。
 鈴川工場のパルプ設備は旧式で老朽化しているため昭和28年に設備改造を決定し、昭和29年2月、スメルトボイラー増設ならびにソーダ回収設備一式が完 成し、3月にはミューレンワーレン型回収ボイラーの運転を開始、4月、5トン釜3、4号および付帯設備一式を竣工、5月、運転開始、さらにロータリースク リーン、ウェットマシンの移設や鉄工関係の工場新設などで一連の設備計画を完了した。さらに翌30年、パルプの増産とコスト引き下げのための1号薬品回収 炉代替用の最新式トムリンソン型回収ボイラーが完成し、日産180トンのクラフトパルプが生産できる日本最高位の工場となった。
 さらに34年10月、6号抄紙機の改造・運転開始、12月、3号抄紙機改造・運転開始など製造設備の拡充を図った結果、34年度のクラフトパルプおよび クラフト紙の生産量は日本一となった。昭和35年に入ってパルプから紙生産までの合理化工事としてパルプ部門各設備の増強を図った。まず、35年8月木釜 増設が完成し、日産230トンが可能となった。この合理化工事は最新鋭カミヤ式ドラムバーカーの設置、連続洗浄装置用としてブロータンク300立方メート ルの増設、ドル式連続苛性化装置の白液清澄槽、石灰泥洗浄槽各1基の増設で、これで第1期工事が完了した。第2期工事としては蒸煮廃液の回収装置としてス エンソン型真空蒸発缶、CER式ボイラー、生石灰の自家製造装置としてフラッシュドライヤーの設置、そのほか木釜2基増設などを行い、深刻化する原木不足 をソ連材に求め、購入チップ、L材使用率の増加で凌いでいった。

■富士工場の開業 [14]
 太平洋戦争後の紙パルプ産業の業態はきわめて複雑で、正確な業種別分類はできなくなっていた。戦前は、王子製紙、北越製紙等のようにパルプ生産から洋 紙、板紙生産まで一連の過程を一貫して経営する形態も、また大昭和製紙や三菱製紙、巴川製紙のようにパルプを購入し、製紙を専業とする経営形態も、東海パ ルプ、東北振興パルプ、国策パルプ、山陽パルプ、日本パルプ等のようにパルプ生産を専業とする経営もあった。戦後は製紙を専業としていた企業はパルプ生産 を、パルプ生産専業の企業は紙を生産をするようになり、企業ばかりでなく工場自体でも一貫生産への方向がとられるようになって、パルプ生産と紙生産の結合 度が強まった。大昭和製紙としても富士工場を建設して、サルファイトパルプをどうしても自給したいという念願があった。
 経営形態の複雑化はそれだけではない。戦後各製紙会社は各種の紙の生産を始めた。戦前にも王子製紙と北越製紙は洋紙と板紙を製造していた例はあるが、他 の大部分の会社は洋紙あるいは板紙の製紙をそれぞれ専門としていた。それが戦後は洋紙製造会社が板紙あるいは和紙を、また機械漉和紙生産会社が板紙あるい は洋紙生産というように、生産種目の領域は拡大されていた。
 昭和20年代半ば、依然パルプ需給は品不足であった。戦時中における木材の乱伐と朝鮮動乱による人絹、スフに対する異常な需要のためである。パルプメー カーはクラフトパルプ(KP)とサルファイトパルプ(SP)の両設備をもっていたが、24年以降、化繊業界が好況をみせSPは主としてレイヨン工業に向け られていたため、製紙工場へのSP事情は最悪の状態にあった。印刷紙、板紙の主要原料はSPであり、SPの全般的不足によって良質紙の生産に著しい制約を 受けていた。
 25年8月、SP自給態勢確立の計画をたて、東京芝浦電気富士工場から遊休設備となっていた敷地、建物ならびに構築物を譲り受け、月産1,500トンを 目標とするパルプ建設を決定した。富士地区に工場を集中的に持つ大昭和製紙としては、工場ごとの専抄化を考え、昭和25年に富士工場建設の第1歩を踏み出 した。基本構想としては、富士工場は洋紙の専門工場とすることであった。
 25年9月、サルファイトパルプ製造設備工事に着手し、26年6月に竣工式を挙行、8月15日操業を開始、10月には全3基操業を開始した。
 27年12月には富士工場のサルファイトパルプ連続晒設備(日産60トン)が完成して紙質の改善と均一化を高め、さらに2号長網抄紙機も28年3月に完 成して新聞用紙の抄造を開始した。
 その後、設備の高度・近代化を目指し、31年11月、クラフトパルプ設備建設を開始した。設備内容は木釜4基、ヤンチョピン式薬液回収炉1基、ドル式連 続苛性化装置1基で、UKP生産能力4,750トンとして32年10月に稼動した。そして34年2月には連続5段晒設備が完成した。また平行して抄紙機設 備の増強も行われ、31年6月、3号抄紙機(長網ヤンキー、純白片艶クラフト紙)の増設、33年4月5号抄紙機(長網、クラフト紙)を運転してクラフト紙 の生産を大幅に増加させた。これで富士工場はパルプ製造から製紙まで一連の工程を設置して完全な自給体制を保つこととなった。
 富士工場はパルプはクラフトパルプ、サルファイトパルプ、ケミグランドパルプ、グランドパルプの4種類、また、製紙は薄葉紙、純白片艶紙、温床紙、包装 紙、上質紙、中質紙、製袋原紙、両更クラフト紙、特殊加工紙等を網羅している。しかも優秀な最新鋭の設備機械を備えて、抄紙量日産300トンに及んでい た。30年代前半当時、規模の点では富士工場に匹敵する工場は他にもあったが、富士工場ほど多種多様な品目をつくり、しかも100%パルプを自給している 工場は、日本の製紙界では見当たらなかった。

■鈴川工場の発展 [14]
 昭和42年10月、鈴川工場7号抄紙機が運転を開始した。輸入チップを背景としたKPプラント、晒設備、抄紙機等一連の設備増強が終了した。資本自由化 によっていよいよ熾烈な国際競争の場に立たされていたわが国の紙パルプ業界は、体質の強化を迫られており、一方、国内木材資源の需給逼迫のため、パルプ設 備の増設は通産省の規制下にあった。完成した設備は、大昭和製紙の開発した輸入チップによるパルプ設備として41年5月通産省に認められたKPプラントを 含む画期的なものであった。7号抄紙機は日産135トン、最新式の設備で強力クラフト紙を抄造し、重袋用紙として画期的なもので、需要増で原紙の窮迫して いる業界で期待された。またKPプラント稼動以前は輸入パルプを毎月晒、未晒で計2,500〜3,000トン購入していたが、これで自給体制が整い、紙の 売り上げ増とともに大いに収益に貢献した。
 鈴川工場では61年11月、チップハンドリング設備工事が竣工したが、抄紙機についても昭和42年に竣工して以来20年ぶりに8号抄紙機の新設工事の起 工式が昭和62年11月行われた。8号抄紙機の特徴は情報用紙としてのPPC原紙と、DSK用紙の品質特性を十分に検討し、各所にその効果を生かしている ことである。また将来の中性紙化への対応も可能であった。設計抄速1,000メートル/分、日産205.6トンで、同時に建設されているBKP設備から流 送されるパルプを主原料にフォーム用紙、PPC用紙を抄造する。昭和63年11月、8号抄紙機設備の竣工式が行われた。
 63年1月14日、日本で最初のクラフトパルプ製造の地・鈴川工場においてBKP新設工事起工式が行われた。当工場の近代化と体質改善計画はOCSの整 備(61年11月完工)、苛性化装置のスクラップ&ビルド、そして8、9号抄紙機新設に伴うパルプ設備の増強で、付帯設備として重油ボイラーおよびタービ ン発電機の新設、排水処理設備等も含まれた。BKP新設工事の概要は、日産能力650トン、ハイポ製造能力12トン/日、二酸化塩素製造能力3.6トン/ 日である。BKP設備と苛性化統合工事は11月に竣工した。鈴川工場は昭和14年、クラフトパルプ製造設備を完成して以来、半世紀にわたり本格的なクラフ ト紙工場として発展してきた。今回の晒設備の完成で、日量1,250トン生産されているパルプの約55%が晒パルプに転換されることにより、未晒主体の工 場から晒主体の工場に生まれ変わることになった。
 9号抄紙機新設工事の起工式が昭和63年9月に行われた。運転抄速1,000メートル/分、日産約400トンである。そして平成2年2月28日に竣工式 が行われた。昭和63年11月にはBKP設備と8号抄紙機の竣工、平成2年1月には9号抄紙機および仕上室、製品倉庫(2階建て延べ2万110平方メート ル、1階・製品倉庫、2階・加工設備)と6号発電設備が完成した。当工場の一連の大型工事は9号抄紙機の竣工式をもって終了し、名実ともに近代化設備を誇 る製紙工場へと大きく変貌をした。

■富士工場の発展 [14]
 富士工場に新抄紙機12号機(電話番号簿本文用紙抄造)を設置することになった。電話は日常生活における必需品として急速に発達し、このため番号簿の増 ページ、増版も必然的となり、用紙も年10%以上の伸びが予想されていた。当時、紙不足は世界的な傾向であり、電話帳の配布も半減、または3分の2程度に 減らさねばという状態にあった。このような情勢のなかで供給責任に万全を期すため、また電電公社の要望もあって設置に踏み切ったのである。抄紙機は日産能 力170トンであった。12号抄紙機は10、11号抄紙室の東側へ並列して設置されたが、建屋工事は49年3月開始、規模は調成室を含めて幅32メート ル、長さ158メートルに及んだ。12号抄紙機には製紙会社として富士地区で初めての日立製作所製の無線操縦50トン天井クレーン2基が取り付けられた。 50年10月、12号抄紙機は運転を開始し、短期間のうちに、本格稼動を開始した。
 富士工場は昭和50年の12号抄紙機が稼動して以来14年ぶりの新設抄紙機として、平成2年4月、富士工場13号抄紙機および33号コーター設備(超軽 量コート紙)の竣工式が行われた。

■本社工場(鈴川、吉永、富士事業所) 炭酸カルシウム自製化によりコスト削減と品質向上を実現  (2002年3月1日大昭和製紙株式会社)
http://www.np-g.com/news/news02030101.html
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は、技術及び原材料分野における事業統合効果のひとつとして、本社工場富士事業所において炭酸カルシ ウム(炭カル)を自製化する。 これにより、本社工場全体における紙の製造コストの削減と一層の品質向上が可能になる。
 今回の自製化では、軽質炭酸カルシウム(軽カル)・重質炭酸カルシウム(重カル)の2種類について、メーカー出資により当社の本社工場富士事業所の敷地 内に製造設備を設置し、メーカー操業により本社工場全体(鈴川、吉永、富士事業所)に全量供給する。(営業開始:平成14年9月予定)

種類
計画数量
契約先メーカー
軽カル
重カル
5,000トン/月
4,000トン/月
奥多摩工業株式会社(東京都渋谷区)
株式会社イメリスミネラルズ・ジャパン(東京都千代田区)

 具体的には次のような効果を見込んでおり、合計約6億円/年のコストダウンを実現する。
(1)薬品費の削減
 紙の製造工程において使用する薬品の中でも使用量が多く、購入から自製に切り換えることにより、本社工場全体における薬品費の低減が可能になる。
(2)品質向上によるユーザーニーズへの対応
 炭カルは紙の表面の平滑性、印刷適性(インキ受理性)、白色度および不透明度をより向上させることができる。原紙に軽カルを多く使用することは、中性抄 造化を促進するとともに、白色度、不透明度アップによって古紙パルプの使用量を増やすことができる。また、重カルは、他の塗工用薬品と比較して高品質な塗 工紙の製造が可能になる。なお、軽カルの自製に必要な炭酸ガスは、富士事業所重油ボイラーの排ガスを利用することを計画しており、CO2削減という環境対 策の一翼を担うことが期待されている。

■鈴川工場と富士工場を統合 (2005年3月16日 日本製紙株式会社)  http://www.np-g.com/news/news05031601.html
 日本製紙(社長:三好孝彦)は、鈴川工場と富士工場を2005年4月1日より統合することを決定した。統合後の工場名称は「富士工場」となる。
 鈴川工場と富士工場は、ともに静岡県富士市内に立地しており、これまでも製紙原料であるパルプを相互融通するなど操業体制の一元化を推し進める一方で、 管理・間接部門においても組織統合と業務の集約による効率化を図ってきた。このたび、両工場組織・機能の一層の簡素化を図り工場運営を一元化するため、両 工場の統合を行う。


■鉄道貨物輸送について

 1996.12 富士工場(旧富士工場)


2006.5 富士工場(旧鈴川工場)

▼富士工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1953(昭和28)年版
富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株) 相手方機
東線1.9
南線1.8

東京芝浦電気線に接続
1957(昭和32)年版 富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株) 私有機
東線2.0
南線2.1

東京芝浦電気線に接続
1964(昭和39)年版
富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
日通機
東線2.0
南〃2.1

東京芝浦電気線に接続
1967(昭和42)年版
富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
日通機 東線1.9
西〃2.5

東京芝浦電気線に接続
1970(昭和45)年版
富士
大昭和製紙(株) 日本通運(株)
日通機
東線1.9
西線2.5
4.4 東京芝浦電気線に接続
1975(昭和50)年版
富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
日通機
東線1.9
西線2.5
4.1
東京芝浦電気線に接続
1983(昭和58)年版
富士
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
日通機
東線1.9
西線2.5
4.0
東京芝浦電気線に接続

▼富士工場(鈴川)の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版 鈴川
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
相手方機
国鉄機
0.8


1953(昭和28)年版
鈴川
大昭和製紙(株)
日本通運(株) 国鉄機
相手方機
0.8


1957(昭和32)年版 吉原
大昭和製紙(株)
日本通運(株) 国鉄機
私有機
0.7
(機)0.5


1964(昭和39)年版
吉原
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
日通機
0.7
(機)0.5


1967(昭和42)年版
吉原
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
日通機
1.0
(機)0.5


1970(昭和45)年版
吉原
大昭和製紙(株) 日本通運(株)
国鉄機
日通機
1.0
(機)0.5
2.7

1975(昭和50)年版
吉原
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
日通機
1.0
(機)0.5
2.3

1983(昭和58)年版
吉原
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
国鉄機
日通機
1.0
(機)0.5
2.3

▼富士駅の品名別(抜粋)輸送量(トン)の推移 (『富士市統計書』より作成)
年 度
発送
(紙・パルプ)

発送
(コンテナ)

発送
(合計)
到着
(工業薬品)

到着(チッ プ・
パルプ材)

到着
(紙・パルプ)
 到着
(その他)
到着
(コンテナ)

到着
(合計)
備 考
1987(昭62)
194,507
81,900
276,407
 7,941
1,325
13,020
3,853
45,675
71,814

1988(昭63)
178,584
90,796
269,380
2,212
1,150
11,771
1,002
54,485
70,620

1989(平元)
173,077
102,709
275,786

590
12,189
1,492
65,710
79,981

1990(平02)
214,903
114,590
329,493


11,580
1,104
86,725
99,409

1991(平03)
211,842
113,952
325,794


9,330
769
85,310
95,409

1992(平04)
184,930
121,522
306,452


5,580
768
83,515
89,863

1993(平05)
182,429
118,680
301,109


3,855
712
71,415
75,982

1994(平06)
186,557
111,020
297,577


 1,650
783
68,585
71,018

1995(平07)
173,698
132,185
305,883



 618
84,785
85,403

1996(平08)
136,464
139,121
275,585



222
92,765
92,987

1997(平09)
96,304
140,947
237,251



 176
89,600
89,776

1998(平10)
86,256
132,046
218,302




68,005
68,005

1999(平11)
77,595
140,519
218,114




68,085
68,085
大昭和製紙富士工場で大阪向け
不定期品をコンテナ輸送[25]
2000(平12)
81,527
133,370
214,897




66,925
66,925

2001(平13)
74,742
134,457
209,199




64,490
64,490

2002(平14)
66,056
139,965
206,021




73,735
73,735

2003(平15)
63,696
140,420
204,116




88,965
88,965

2004(平16)
55,790
140,940
196,730




90,155
90,155

2005(平17)
49,043
153,477
202,520




101,250
101,250

2006(平18)
44,115
166,143
210,258




106,520
106,520

2007(平19)
40,335
163,443
203,778




105,420
105,420


▼輸送状況(1989年度) [14]

紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
富士工場
441,230トン
30%
5%
55%
10%
※1989年度は貨車:13万2千トン、コンテナ:2万2千トンとなる。

▼吉原駅の品名別(抜粋)輸送量(トン)の推移 (『富士市統計書』より作成)
年 度
     発送
(車扱:紙・パルプ)
発送
(コンテナ:紙)

発送(合計)
到着
(工業薬品)
到着
(紙・パルプ)
到着(合計)
1987(昭62)
24,783

24,783
15

15
1988(昭63)
34,575

34,575
1,530

1,530
1989(平元)
61,672

61,672
3,366

3,366
1990(平02)
60,893

60,893
4,420

4,420
1991(平03)
59,814

59,814
2,992

2,992
1992(平04)
57,291

57,291
2,584

2,584
1993(平05)
47,560

47,560
3,162
 956
4,202
1994(平06)
40,496
1,610
42,106
3,372
105
3,527
1995(平07)
31,411
11,315
42,726
3,972

3,972
1996(平08)
22,677
6,985
29,662
3,857

3,857
1997(平09)
19,255
9,800
29,475
3,434

3,434
1998(平10)
16,325
11,150
27,883
3,332
328
3,660
1999(平11)
16,714
7,740
24,454
1,428

1,428
2000(平12)
14,200
7,700
21,970



2001(平13)
12,075
7,910
19,985



2002(平14)
9,072
10,735
19,807



2003(平15)
11,218
13,155
24,373



2004(平16)
14,796
12,725
27,521



2005(平17)
21,629
8,440
30,069



2006(平18)
16,404
7,610
24,014



2007(平19)
13,896
9,545
23,441




▼輸送状況(1989年度) [14]

紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
鈴川工場
231,252トン
20%
5%
65%
10%
※1989年度は貨車:4万6千トン、コンテナ:1万1千5百トンとなる。

▼富士・吉原地区の鉄道貨物輸送
 1939(昭和14)年6月、鈴川工場の専用側線1,170メートル完成。[14]
 1951(昭和26)年6月15日、富士工場の専用側線完成。[14]
 1959(昭和34)年2月、吉原駅の大昭和製紙専用側線16番線が新設、1960(昭和35)年5月31日には同社17番線が新設され使用開始した。 [28]
 1957(昭和32)年パレット貨車として、ワム80000形式有蓋車が試作された。この車両は1966年までは貨物および荷主を限定した専用運用可能 なものに限って増備され、 富士・吉原を中心とした岳南地区から東京・大阪着の紙などに充当さ れ、1967年以降は一般用としても量産された。[31]
 1971(昭和46)年8月1日には富士駅のコンテナ基地の営業を開始された。[28]
 1990(平成2)年3月29日、富士工場の貨車専用線工事が完成し、新設した10号倉庫ホームで竣工式が行われた。専用線工事は13号抄紙機の新設に 伴う一連の10、11、12号倉庫の改築工事の一環として行われ、新設軌道はOCS東側入り口から75メートル先のクラリファイヤー横までを廃線とした旧 設軌道に沿って敷設された。新設軌道は全長320メートルで有効ホームは120メートルとなっている。貨車10両を横付けして荷役作業をすることができ、 全天候型ホームのため雨が降っても製品が濡れる心配はない。10、11、12号倉庫は建屋も大幅に改築されており、トラックドッグの改造と併せ近代化され た専用線付きの倉庫として生まれ変わり、需要家からの厳しい品質、納期の要望に十分対応できる設備となった。[14]

▼ここにも貨物駅 富士駅 (JR貨物ニュース 2003年2月1日号 4面)
 富士駅のコンテナ発送貨物の50%以上を紙製品が占める。
 さらに大昭和製紙の工場には専用線がつながり、ハワム車による紙輸送も健在。ひところ車扱列車のコンテナ化が進んだが、これら車扱列車は首都圏と大阪向 けで、 ハワム車に積む方が効率よい製品などを運んでいる。コンテナ化するよりトータルメ リットがあると、判断された。全般検査の時期を迎えるハワム車もあるが、「補充は可能」とか。
 現在、同駅の輸送力は1日当たり3列車計115個。数年前まで1日の発送個数が80個前後と伸び悩んでいたが、現在は輸送力をほぼ使い切るまでになっ た。紙製品以外には食品添加物、コーンスターチ、インク、自動車部品、フィルムなども発送している。新たに工業団地に進出した工場の飲料なども伸びてきて いる。平成13年度の発送個数は32,200個だった。
 一方、紙関連の原料など到着貨物の取り扱いは発送の3分の1程度。そのため静岡貨物から空コンテナを回してもらっている。

▼富士工場発送の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
コンテナ
大昭和製紙(株)
吉原


宮城野
C35
1998.6.30宮城野
車扱
大昭和製紙(株)
吉原

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
1993年3月ダイヤ時点ではワム2両輸送[4]
車扱
日本製紙(株)
吉原

(株)飯田町紙流通センター?
新座(タ)
ワム80000形
2006.5.6吉原
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士

北旭川
18D コキ1両
1998.2.16富士
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士
紙・紙製品

札幌(タ)
18D 複数
1998.2.17富士
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士


秋田貨物
V18B
1998.9.24宮城野
車扱 大昭和製紙(株)
富士

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
1993年3月ダイヤ時点ではワム21両輸送[4]
車扱
日本製紙(株)
富士

(株)飯田町紙流通センター?
新座(タ)
ワム80000形
2006.5.6富士
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士


名古屋(タ)
18D コキ2両
1998.2.16富士
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士

脇田運輸倉庫
名古屋(タ)
19B コキ1両
1998.12.26富士
コンテナ
大昭和製紙(株)?
富士


金沢
C36
1998.2.17富士
車扱
大昭和製紙(株)
富士


梅田
ワム80000形
1998.3.11幸田

▼富士工場到着の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
車扱
保土谷化学工業(株)
郡山
塩素酸ソーダ液
森洋運輸
吉原
タキ21350 保土谷化学工業(株)
1996.12.28吉原



10.日本大昭和板紙(株)吉永工場

同社は富士山の麓、「紙の町」富士市の東北部に位置し、1927年に操業を開始した。富士山の豊富な地下水と大量の古紙を主原料とする白板紙と段ボール原 紙を生産する同社は「板紙の吉永」と呼ばれ、高い評価を得ている。また、板紙の製造で培った古紙処理技術を洋紙部門にも展開し、古紙を高配合した情報用 紙・印刷用紙を生産している。さらに、工場から発生する廃棄物などを燃料とした焼却炉は、資源の有効活用を図るバイオマス発電設備として注目を集めてい る。

■概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在) 古紙パルプ:2,030トン/日
パルプ設備能力(2009年4月1日現在)
古紙パルプ:1,917トン/日
パルプ設備能力(2013年4月1日現在)
古紙パルプ:1,720トン/日
抄紙機設備能力(2006年4月1日現在) 5台 1,990トン/日
抄紙機設備能力(2009年4月1日現在)
5台 2,110トン/日
抄紙機設備能力(2013年4月1日現在)
3台  1,730トン/日
主要製品
段ボール原紙、白板紙、情報用紙、コート原紙
主要製品(2013年4月1日現在)
段ボール原紙、白板紙

■生産量 [14] http://www.np-g.com/about/factory/ndp_yoshinaga.html
1989(平成元)年実績
紙:181,564トン/年
板紙:499,337トン/年
2004(平成16)年実績
紙:123,000トン/年
板紙:531,000トン/年
2005(平成17)年実績
紙:131,000トン/年
板紙:515,000トン/年
2006(平成18)年実績
紙:134,000トン/年 板紙:504,000トン/年
2007(平成19)年実績
紙:131,000トン/年 板紙:497,000トン/年
2009(平成21)年実績
紙: 64,865トン/年
板紙:452,108トン/年
2011(平成23)年実績

板紙:489,924トン/年
2012(平成24)年実績

板紙:465,226トン/年
2013(平成25)年実績

板紙:461,059トン/年

■吉永工場の誕生と発展 [14]
 昭和2年3月、齊藤知一郎が静岡県富士郡吉永村比奈に資本金10万円で昭和製紙株式会社を創立した。創業と同時に本社所在地の第一工場において和洋紙の 製造を始めた。この第一工場が5社合併後、大昭和製紙(株)吉永工場となる。円網式ヤンキー抄紙機3台、長網式ヤンキー抄紙機1台、円網漉合抄紙機1台の 計6台により障子紙、仙貨紙、パルプ半紙等の和紙、包装紙および板紙を抄造している。特に板紙の漉合紙は専売公社に納入し、煙草の函製作に供されている。 パルプ製造設備については小型砕木機1台で自家用パルプを製造し、これと購入パルプおよび鈴川工場のクラフトパルプ等を使用している。
 昭和27年9月には吉永工場7号抄紙機を新設、28年5月に3号円網抄紙機を漉合抄紙機に改造する工事も施工された。28年9月には5号抄紙機を改造、 5号抄紙機の改造中に2号抄紙機の改造に着手し、和紙の製造はなくなり、もっぱら3号抄紙機がクラフト紙を製造し、他は全部板紙(段ボール原紙・マニラ ボール・両面ガード・小函用原紙<タバコ用>・国鉄乗車券用紙・牛乳栓用紙・クラフトボール)を製造することになった。
 本来、漂白が困難とされていたクラフトパルプの晒技術が確立したため、木材資源の活用範囲が広がり、針葉樹から広葉樹まで利用できるようになった。吉永 工場では抄紙部門の充実は進んでいたが、パルプの自給率が低かったのでパルプ部門の強化、合理化が求められていた。そこで水が豊富であるという理由からク ラフトパルプ晒設備の設置を決定し、昭和31年7月、日産100トン・6段晒設備が完成した。そして原料として使用する鈴川工場生産の未晒クラフトパルプ 流送のための配管を31年6月に完成した。
 コート白ボールの「JETスター」は33年4月に誕生した。JETスターが生産されたのは、33年2月完成した8号抄紙機(後の7号抄紙機)であった。 長網円網コンビネーション多筒式、日産68トンを予定し、従来の生産量の2倍の能力があった。この抄紙機にコーター設備を設置して抄造したのである。コン ビネーション方式は板紙メーカーに大きなショックを与えた。高品質であり需要範囲が広いため、市場の人気は高く、先行きコート白ボールの需要の増大が見込 まれたので、さらに増産のため10号抄紙機(後の22号機、日産80トン)の増設に踏み切った。35年3月に本格稼動した。この10号機も8号機と同様、 長網・円網のコンビネーション方式であった。
 すでに日本の白板紙メーカーの王座を占めていた吉永工場は、10号抄紙機の稼動により、生産高においても品質においても、自他ともに許す磐石の地位を確 立していたが、さらに11・12号抄紙機の増設を考え、その設置をすでに決定していた。そればかりか、将来構想として大型抄紙機2台を加えて、合計14台 の大型抄紙機設備を持つ吉永工場の生産陣容を確立しようと考えた。このため現在の敷地建物では足りないため工場に隣接した土地の買収にかかった。
 35年1月の政府の貿易自由化基本方針の決定で、紙パルプ業界も37年を目標に実施が見込まれ、各企業では強烈な企業防衛意識を持って、国際競争に耐え うる体質強化を目指し、いっせいに設備増強に取り掛かった。
 吉永工場も抄紙機の増設により、生産設備の充実強化を図り、36年12月、11号抄紙機(コート・ノーコートマニラボール)の完成後、37年11月には ラフバック白板抄造用として12号抄紙機(後の10号機)を試運転、39年8月には、13号抄紙機(コート白ボール)、40年2月には14号抄紙機(コー ト白ボール・後の12号機)を完成し、吉永工場の近代化と国際競争力に耐えうる体質改善の合理化がなされた。
 吉永工場の白板紙については12号抄紙機を設置して以来20年以上設備拡張のチャンスに恵まれなかった。このため設備の老朽化、旧式化が目立ち、品質、 生産性、ユーザーサービスなどの点で同業他社との間に大きく水を開けられていた。昭和30年代、吉永工場の白板紙は生産高において、また製品の優秀性にお いて名実とも日本一を誇っており、大昭和製紙の板紙シェアは35%であったが、時代の流れとともに設備投資目標が白老、岩沼へ移り、パルプ・洋紙分野への 進出と変わり、板紙のシェアは15%に過ぎない。そこで昭和62年8月、吉永工場で新コーター設備が稼動した。この設備はドイツ、フィンランドの先進技術 の粋を集めたもので、随所に新技術を取り入れた超高級マシンである。この設備は30号コーターと呼称され、抄紙機とは分離して設置されているオフマシン コーターである。

■大昭和製紙 DIPラインを増設 吉永工場 日量200トンで来秋に稼動 古紙配合率38%に  (2001年10月25日 日刊工業新聞 23面)
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙(静岡県富士市今井4−1−1、北岡郊司郎社長、0545・30・3000)は富士地区の本社3工場 の1つ、吉永工場に古紙パルプ(DIP)ラインを42億円で増設する。2002年10月に日量200トン能力で稼動予定。富士工場の2000年増設に続く DIP投資で、3工場のDIP能力を約27%増の日量930トンに引き上げる。今後見込む抄紙機の設備更新に先行し、安価な原料自給の確立を急ぐ。
 大昭和製紙の吉永工場に導入するのは、新聞や低級な雑誌古紙を原料に白色度70-73%の高白色DIPを生産するライン。吉永の洋紙系の既存100トン ラインに日量200トンの新ラインを加えて、塗工紙や上質紙の原料パルプに対するDIP配合率を現在の28%から36%へと高め、本社3工場の木材チップ からパルプを製造している鈴川工場にも4分の1を供給し、鈴川での再生紙製品の生産も拡充する。鈴川が主に生産しているコピー紙は安い海外製品の攻勢を受 けており、コスト競争力とともに古紙配合による環境対応イメージの差別化を図る。
 新ラインの増設で富士地区3工場の原料自給率は、木材チップからの新パルプとDIP合わせて現在の85%から91%にアップする。これまで大昭和は製紙 大手の中で海外からの購入パルプの使用比率が高いのが弱点だったが、古紙発生源の首都圏に最も近い工場立地を生かして競争力を高める。吉永は新ラインの増 設後、既存100トンラインで白色度を一段高めたDIPの技術開発にも取り組み、DIP活用の拡大を狙う。日本ユニパックグループのうち日本製紙はDIP 投資が2000年までにほぼ一巡。今後は大昭和の宮城県・岩沼工場、北海道・白老工場でのDIP投資やエネルギー源の転換にも投資を進める考え。

■脱墨パルプを増強 大昭和製紙、100億円を投資 発電設備も設置 (2001年11月16日 日経産業新聞 15面)
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は、本社工場吉永事業所(静岡県富士市)を増強する。総額約100億円を投じ、脱墨パルプ(DIP) 製造の新設、エネルギーコスト引き下げなどを進める。普通紙複写機用紙などに使われるPPC用紙の生産体制を強化する狙い。
 2003年9月までに日本製紙小松島工場(徳島県小松島市)の製造分5万9千トン(年間)を富士地区に移設し、増強・生産集約によりコスト競争力を引き 上げる。吉永事業所の設備投資は、まず既存のDIP設備を約6億円かけて生産能力を上げる。さらに、来年10月までに通常より高品質・高白色度の 「SDIP」設備を新設する。日産能力は200トンで、投資額は約42億円。増産分は吉永だけでなく、富士地区内の本社工場鈴川事業所にも供給する。
 増強の結果、富士事業所を含めた富士地区の3事業所の自製パルプ使用比率は、85%から90%に上昇。DIP使用比率は49%から54%に上昇する。
 吉永ではこのほか、「N1抄紙機」を5億円を投じて改良し、品質向上にも着手。エネルギー・環境対策でも、ペーパースラッジと呼ばれるパルプ生産工程で 発生する汚泥を燃料とする発電設備を設置する。投資額は49億円で、完成は2002年11月。年間6,800キロリットルの重油削減と同4,400万キロ ワット時の購入電力削減が可能になる。
 ユニパックは統合後の再構築策として、すでにPPC用紙生産体制見直しを決定。国内最大の紙消費地である首都圏に近く、古紙調達が容易な富士地区に生産 を集約する計画だ。古紙入りは市場ニーズが多いほか、輸入紙との対抗上、コストの安い自製DIPをいかに増やせるかがカギとなっている。

■脱墨パルプ設備 本社工場に導入 大昭和製紙 (2002年10月10日 日経産業新聞 16面)
 日本ユニパックホールディンググループの大昭和製紙は9日、本社工場吉永事業所(静岡県富士市)に白色度の高い脱墨パルプ(DIP)製造設備を導入した と発表した。投資額は約42億円で、11月から稼動する。設備の日産能力は200トンで、75%程度の白色度を持つPPC(普通紙コピー機)用紙が生産で きるという。このほか、パルプの原料として、上質紙系の古紙は使わず、雑誌古紙を25%、新聞古紙を75%の割合で用いているという。


■鉄道貨物輸送について
2006.5 比奈駅

▼比奈駅接続の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
備 考
1957(昭和32)年版 比奈
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
社機
0.6

1964(昭和39)年版
比奈
大昭和製紙(株)
日本通運(株)
社機
1.2

1967(昭和42)年版
比奈
大昭和製紙(株)(北線)
大昭和製紙(株)(南線)
日本通運(株)
日本通運(株)
社機
社機
1.2
0.4

1970(昭和45)年版
比奈
大昭和製紙(株)(北線)
大昭和製紙(株)(南線)
日本通運(株)
日本通運(株)
社機
社機
1.2
0.6

1975(昭和50)年版
比奈
大昭和製紙(株)(北線)
大昭和製紙(株)(南線)
日本通運(株)
日本通運(株)
社機
社機
1.2
0.6

1983(昭和58)年版
比奈
大昭和製紙(株)(北線)
大昭和製紙(株)(南線)
日本通運(株)
日本通運(株)
社機
社機
1.2
0.6


▼岳南原田駅及び本吉原駅接続の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
備 考
1964(昭和39)年版
本吉原
大昭和製紙(株)

社機
0.5

1967(昭和42)年版
本吉原
大昭和製紙(株)

社機
0.5

1970(昭和45)年版
本吉原
岳南原田
大昭和製紙(株)
大昭和製紙(株)

社機
社機
0.5
0.6

1975(昭和50)年版
本吉原

岳南原田
大昭和製紙(株)

大昭和製紙(株)
大日製紙(株)
大昭和紙商事(株)
社機

社機
0.5

0.6

1983(昭和58)年版
本吉原
岳南原田
大昭和製紙(株)
大昭和製紙(株)

社機
社機
0.5
0.6
使用休止

吉永工場の地図

▼岳南鉄道(株)の輸送量(トン)推移 (『鉄道統計年報』等より筆者作成)
年  度
コ ンテナ
車 扱
合 計
備  考
1987(昭和62)年度

221,936
221,936

1988(昭和63)年度

294,871
294,871

1989(平成元)年度

276,660
276,660

1990(平成02)年度

262,306
262,306

1991(平成03)年度

245,320
245,320

1992(平成04)年度

237,942
237,942

1993(平成05)年度

240,413
240,413

1994(平成06)年度
5,620
223,476
229,096

1995(平成07)年度
5,700
201,047
206,747

1996(平成08)年度
16,665
148,796
165,461

1997(平成09)年度
11,820
158,428
170,248

1998(平成10)年度
 11,095
129,376
140,471

1999(平成11)年度
11,825
129,058
140,883
大昭和製紙吉永工場で大阪向け不定期品をコンテナ輸送[25]
2000(平成12)年度
15,865
130,159
146,024

2001(平成13)年度
16,390
135,380
151,770

2002(平成14)年度
18,270
106,921
125,191

2003(平成15)年度
18,320
93,242
111,562

2004(平成16)年度
27,375
94,544
121,919

2005(平成17)年度
27,540
106,933
134,473

2006(平成18)年度
24,040
95,080
119,120

2007(平成19)年度
26,140
66,626
92,766


▼比奈駅及び岳南原田駅の輸送量(トン)の推移
 (『富士市統計書』より作成)
年 度
比奈駅
発送
比奈駅
到着
比奈駅

岳 南原田駅
発送
岳 南原田駅
到着
岳 南原田駅

1987(昭和62)年度
177,350
2,431
179,781
12,083
1,136
13,219
1988(昭和63)年度
260,079
2,449
262,528
6,117
1,245
7,362
1989(平成元)年度
246,608
440
247,048
9,628
1,140
10,768
1990(平成02)年度
234,660
2,290
236,950
5,683
1,099
6,782
1991(平成03)年度
211,881
2,648
214,529
7,556
3,387
10,943
1992(平成04)年度
204,595
1,794
206,389
4,531
7,754
12,285
1993(平成05)年度
213,744
1,402
215,146
2,239
5,842
8,081
1994(平成06)年度
216,475
1,469
217,944
1,968
750
2,718
1995(平成07)年度
196,490
1,932
198,422
2,077
660
2,737
1996(平成08)年度
155,170
1,667
156,837
3,012
660
3,672
1997(平成09)年度
160,659
1,789
162,448
2,838
660
3,498
1998(平成10)年度
136,090
2,119
138,209
64
450
514
1999(平成11)年度
137,782
1,449
139,231
52
450
502
2000(平成12)年度
143,610
1,346
144,956
44
338
382
2001(平成13)年度
149,656
1,562
151,218
36
306
342
2002(平成14)年度
123,108
1,496
124,604
37
340
377
2003(平成15)年度
109,807
1,485
111,292
32
204
236
2004(平成16)年度
110,431
1,672
112,103
9,578
238
9,816
2005(平成17)年度
121,668
1,897
123,565
10,704
204
10,908
2006(平成18)年度
105,265
2,335
107,600
11,520

11,520
2007(平成19)年度
79,360
2,596
81,956
10,810

10,810

▼輸送状況(1989年度) [14]

紙生産量
板紙生産量
貨車
コンテナ
トラック
船舶
吉永工場
181,564トン
499,337トン
35%
5%
50%
10%
※1989年度は貨車:23万8千トン、コンテナ:3万4千トンとなる。

▼岳南鉄道による大昭和製紙(株)の鉄道貨物輸送
 岳南鉄道は、昭和24年11月17日に鈴川駅(現吉原駅)と吉原本町間の2.7kmが開通し、続いて2期工事は吉原本町〜本吉原間0.3kmが行われ、 25年4月18日に開業した。3期工事は本吉原〜岳南富士岡の3kmが行われ、26年12月20日に開業、4期工事は岳南富士岡〜岳南江尾に至る 2.9kmが行われて、28年1月20日に開通した。[28]
 1951(昭和26)年12月、吉永工場の専用側線が完成した。[14]
 岳南鉄道は開業当初、直流600Vで電化されていたが、輸送力増強のため昭和44年に1,500V昇圧が実施されている。昇圧により老朽化した電気機関 車は廃車となり、代わりに大井川鉄道、小田急電鉄、松本電気鉄道などから40〜50トンクラスの機関車を購入し、6形式7両の電気機関車が揃った。しかし 輸送量の減少に伴い、3両が廃車、1両は休車状態で、実質的な稼動は3両となっている。[29]
 岳南鉄道の比奈駅は昭和44年当時、年間総取扱量約100万トンのうち53万トンを最高に現在も岳南鉄道の貨物総取扱量の約58%を占めており、全国各 地へ製品を発送している。地元の地場産業と固く結び付いて発達してきた岳南鉄道は40年以降トラックまたは船舶輸送等に貨物輸送が転換しているとはいえ、 依然として地元の紙製品その他の原材料の輸送を主体としており、この地域では貴重な輸送手段である。 [28]
 貨物輸送は昭和25年度から開始されたが、輸送量は4万576トン、それ以後増加を続け、31年は53万トン、38年度は60万トン、42年度には65 万6,000トンと伸び、44年度には約100万トンの最高を記録している。順調に伸びてきた貨物輸送量はこの時期を境にトラック輸送に押されて急速に減 少した。45年度は89万トン、47年度には78万トン、50年度には60万トン、53年度51万トン、56年度45万トン、59年度には31万トンに低 落した。このように減少した理由は何か。主な原因は製紙業界の過剰設備投資から製品の過剰生産をうんだため在庫調整をしたことと、主要幹線道路整備による トラックの普及ならびに昭和45年に完成した田子の浦港の開港に伴う船舶大量輸送によるものである。加えて昭和55年7月頃からの不況により製紙業界は製 品販売量の減退により生産制限、また操業短縮を高め鉄道貨物輸送の減少に一層の拍車をかけた。[28]

▼日本大昭和板紙(株)吉永工場発送の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備  考
車扱
日本大昭和板紙吉永(株)
比奈


越谷(タ)
ワム80000形
2006.5.6比奈
車扱
大昭和製紙(株)
比奈

(株)飯田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
[29] 1993年3月ダイヤ時点ではワム15両輸送[4]
車扱
大昭和製紙(株)
比奈


新守山 ワム80000形
[29]
車扱
日本大昭和板紙吉永(株)
比奈

梅小路
ワム80000形
2006.5.6比奈
車扱
日本大昭和板紙(株)吉永工場
比奈


梅田
ワム80000形
2010.5.5比奈 2006.5.6比奈 2002.2.16比奈
車扱
大昭和製紙(株)
比奈


百済
ワム80000形 [29]
車扱
大昭和製紙(株)
岳南原田


梅小路
ワム80000形
1996.12.28比奈
コンテナ
日本大昭和板紙(株)吉永工場
岳南原田


札幌(タ)
19D コキ2両
2009.5.2岳南原田 2010.5.5比奈
コンテナ
日本大昭和板紙吉永(株)
岳南原田


南福井
19D コキ1両
2006.5.6岳南原田

▼日本大昭和板紙(株)吉永工場到着の鉄道貨物輸送
種類
発荷主
発駅
品目
着荷主
着駅
形式
備 考
車扱
保土谷化学工業(株)
郡山
塩素酸ソーダ液
大昭和製紙(株)?
比奈
タキ21350 保土谷化学工業(株)
[43]
車扱
住化A&L(株)?
安治川口
ラテックス
大昭和製紙(株)?
岳南原田
タキ35000 JOT
[43]
車扱
徳山曹達(株)
新南陽
液化塩素
大昭和製紙(株)?
比奈
タム12393 徳山曹達(株)
吉 岡心平氏webサイトより
 郡山駅の保土谷化学工業(株)からの塩素酸ソーダ液は吉原駅着については、1996年12月28日に同駅で目撃している(→富士工場参照、吉原駅のタキ21369
 また安治川口駅からのラテックス輸送については、現在富士駅には住化A&L(株)(現、日本A&L株式会社)のラテックス専用のタンクコンテナ が到着している。
(→拙web「貨物取扱駅と荷主」:富士駅を 参照)



11.日本製紙(株)伏木工場  
 伏木工場は1919年(大正8年)、樺太材を原料としたパルプ工場として設立された日本初のグラビア用紙の生産工場。現在では北洋材のチップを利用した RGPそして資源再利用をはかるDIPなどのパルプから中質印刷用紙、微塗工紙、新聞用紙や教科書用紙など多種の商品を生産している。クラフトパルブから は辞典などに使われる高級薄葉紙も生産している。

■伏木工場概要データ
(2006年4月1日現在)
パルプ設備能力
自製パルプ:160トン/日 古紙パルプ:155トン/日
抄紙機設備能力
3台 338トン/日
主要製品
新聞用紙、微塗工紙、中質紙

■生産量 http://www.npaper.co.jp/main/profile/fushiki.html  及び http://www.np-g.com/about/factory/fushiki.html
2000(平成12)年度実績
紙:128,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙:114,613トン/年
2005(平成17)年実績
紙:112,681トン/年
2006(平成18)年実績
紙:114,218トン/年
2007(平成19)年実績
紙:109,429トン/年

■開業当時
 大正7年12月、関西の紙業者と北海電化、北海曹達の創始者が東京で会合し、製紙会社の創立について協議し、翌8年1月、資本金100万円で北海工業株 式会社を創立した。同社はこの年9月、伏木において敷地約50,000平方メートル、建物約10,000平方メートルをもち、樺太木材を利用する砕木パル プ製造工場を設立した。大正9年になるとこの北海工業は、王子製紙の附属経営下に組み入れられて西洋紙の生産に営業目的を拡張し、13年には王子製紙株式 会社伏木工場となった。同工場は、太平洋戦争の末期陸軍第6技術研究所とされたが、戦後になっていったんは王子製紙に戻り、やがて十條製紙株式会社伏木工 場となった。 [32]
 大正8年9月に北海工業の工場として開業した当初は砕木機4台でGPを生産する工場であった。大正11年には1台の長網機を設置して下級印刷機を抄造し た。王子製紙は大正10年ころから、この会社の経営に関与するようになったが、大正13年12月正式に買収して、王子製紙の伏木分社とした。[12]
 大正14年、この伏木に静岡県の中部工場から2台の長網機を移設し、大正15年に長網ヤンキー1台を設置した。長網機では新聞用紙、下級印刷用紙、ヤン キーでは包装用紙を抄造した。この工場のGPは王子製紙諸工場のなかでも良質との定評があり、更紙も品質的に優秀であった。 [12]

■戦後の増強 [12]
 昭和26年8月に取締役会は、伏木工場に164インチ中・下級紙用マシンを新設することを決定した。先に増設したSP設備から一貫生産が可能であり、東 京市場へも近い伏木が選ばれたのである。当時の雑誌はすべてA判であったから、網幅もこれに適したものが選ばれた。
 このマシン(現伏木5号m/c)は、当時国産機としては最大のものであった。27年10月に営業運転に入ったが、この頃は新聞社の販売合戦で、主要新聞 社は週6回12ページ建となり、新聞用紙が不足していたので、本来の目的である中・下級紙の抄造を変更し新聞用紙を抄造して九州地区の応援をした。さら に、29年5月から30年7月までの間に、このマシンで抄造された13,700トンという大量の新聞用紙が主としてオーストラリアに輸出され、その品質の 優秀さが認められて、大いにわが国の名誉を上げた。またこのマシンと同時に、4,000kwの火力発電設備と新型のリング・グラインダー2台を設置した。 総工費は8億円の大工事であった。かくして、十條製紙発足以来、SP設備、新マシン増設と、伏木工場はその面目を一新、紙の月産高は、当初の1,100ト ンから2,700トンに上昇したのである。
 この伏木のマシンが稼動した27年下期から、十條製紙は王子製紙を抜いて業界一の生産高となった。

■高度成長期の伏木工場 [12]
 伏木工場は、原木価格が割高である。工場用地は増設余地が少ない。最近公害問題が深刻化してきている。老朽設備が多く、工場規模も少ない。主要抄物であ るグラビア、出版本文用紙は、長期的には国際競争力上問題品種である。以上のような理由から、紙パルプ部門への投資は最小限に抑え、立地を生かした新規事 業への進出をはかることが基本方針とされた。なお、将来、ソ連チップの大量輸入交渉の成功などにより、立地条件が大幅に好転すれば、その時点で紙パルプの 投資が改めて検討された。
 公害問題が厳しくなるにつれ、46年5月からはSPを減産し、不足分は購入により賄っている。伏木工場のグラビア紙は、過去において日本一の品質と量を 誇っていたが、現在では輸入紙の厳しい攻勢を受ける品種となっている。
 伏木工場の新規事業としては、46年4月に「十條建材」を設立して、この工場内で集成材の生産を始めた。48年4月には2号マシンを改造してアスパール (※)のマシンとし、またジュピーライトにも乗り出すこととなった。

※アスパール(アスベスト含有60%以上) http://www.np-g.com/whatsnew/whatsnew05080301.html
石綿種類
用 途
生産時期
白石綿
壁紙・建材用化粧紙、クッション床材裏打材、特殊建材、パイプ保護材など
伏木工場 : 昭和48年4月〜昭和62年3月

■その後の伏木工場 [2]
 伏木DIPを増強し、DIPの配合率を高める(15%から38%へ)。さらに6号機にゲートロールコーターを設置、伏木の収益向上をはかる(昭和58年 8月稼動)。
 昭和61年7月14日 伏木SP停止。
 昭和62年4月8日、伏木2号機停止。
 昭和62年10月10日、伏木6号機品質対策及び増速工事完工。
 昭和63年7月、常務会で伏木の微粉炭・タービン工事決定(投資額50億円、平成元年11月稼動)。
 昭和63年12月13日、伏木5号機増速改善工事を決定(ツイン化、ワインダー取り替えなど。平成元年10月稼動、工費30億円)。

■突然の通告「ショック」 日本製紙伏木工場閉鎖へ (2007年 10月25日 北日本新聞)
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20071025/7925.html
 日本製紙伏木工場(高岡市伏木、円谷典幸工場長)が来年9月末で閉鎖することが決まった24日、関係者にショックが広がった。突然の通告に、従業員は 「何も言えない」、協力会社の幹部は「新しい顧客を開拓しなければ」と表情を曇らせた。80年以上の歴史を刻み、伏木に活気をもたらした職場≠フ消滅 に、住民も寂しさを隠せなかった。
 24日正午、管理職19人と協力会社12社の代表が同工場体育館に集められた。円谷工場長が閉鎖を伝えたが、質問はない。「ショックで意見が出せないと いう雰囲気だった」。これまで3回、伏木工場に勤務した工場長は目を伏せた。
 労働組合伏木支部の事務所にいた男性は「支部長が東京へ行っており、指示を待っている状況。まだ何も言えない」と話した。会社は雇用を確保するが、従業 員の県外への配置転換は避けられない。「自分は県外出身だが、地元の人は大変だろう」。20代の男性従業員が小声で語った。
 製品や原料を運ぶ運輸会社の幹部は「ショックは大きい。閉鎖までの1年間で、新しい顧客を見つけたい」と言う。
 伏木工場は大正8年9月、北海工業として操業を開始。大正、昭和期の業界再編に伴い、旧王子製紙、十條製紙を経て、平成5年、日本製紙伏木工場となっ た。「80年以上苦楽をともにしてきたのに、いきなりの話。再考してほしい」。橘高岡市長は24日、報告に訪れた円谷工場長に存続を強く求めた。
 高岡商工会議所は協力会社への影響を抑えるため、運転資金などの相談対応を強化する。高岡職業安定所は25日、工場側から事実確認を行い、対応を検討す る。
 かつては大勢の工場労働者でにぎわった伏木。今では煙を吐く煙突も少ない。「日本製紙までなくなれば、ますます寂しくなる」。地元古府校区の太田清連合 自治会長がつぶやいた。
 同工場は新聞用紙や印刷用紙を主力にする。生産量は平成2年の14万トンをピークに漸減し、昨年は11万4千トンにとどまった。昭和30年代に従業員は 1,000人を超えていたが、現在は約140人。その8割が県人だ。工場はこの日も通常通り3交代で稼働を続けた。

■89年の歴史に幕 日本製紙伏木工場が生産終了 (2008年9月 21日 北國新聞)
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20080921203.htm
 今月末で閉鎖する日本製紙伏木工場(高岡市)は20日、生産を終了した。従業員約30人が89年間にわたって伏木港臨海工業地帯の発展を支えてきた同工 場の最後の生産工程を見守った。工場は2年程度で完全撤退する予定で、跡地の利用についてはまだ決まっていないが、他企業への売却を検討している。
 教科書用紙などを作る6号機械が停止すると、目頭を押さえたり、機械に向かって深々と頭を下げたりする従業員の姿が見られた。
 同工場は年間13万トンの紙を生産してきたが、原材料高騰などで収益が悪化し、日本製紙グループ本社(東京)が昨年10月、閉鎖を決めた。
 円谷典幸工場長は「地域の方々には89年間お世話になった。安全第一で仕事を終えたい」と話した。


■鉄道貨物輸送について
1995.8 伏木駅ヤード

▼伏木工場の専用線概要の推移

専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1923(大正12)年版
伏木
北海工業(株)

手押
1哩

専用鉄道
1930(昭和5)年版
伏木
王子製紙会社
伏木合同運送会社
省機関車
手押
1.2

専用鉄道
1951(昭和26)年版 伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株)
国鉄機 十条1.2

専用鉄道
1953(昭和28)年版
伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株) 国鉄機
十条1.2

専用鉄道
1957(昭和32)年版 伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株)
丸星肥料(株)
国鉄機
十条1.3

専用鉄道
1964(昭和39)年版
伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株)
丸星肥料(株)
国鉄機
十条1.3

専用鉄道
1967(昭和42)年版
伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株)
丸星肥料(株)
国鉄機 十条1.3

専用鉄道
1970(昭和45)年版
伏木
十条製紙(株) 丸星肥料(株)
伏木海陸運送(株)
国鉄機
十条1.3
1.0
専用鉄道
1975(昭和50)年版
伏木
十条製紙(株)
丸星肥料(株)
伏木海陸運送(株)
国鉄機
十条1.3
1.0
専用鉄道
1983(昭和58)年版
伏木
十条製紙(株)
伏木海陸運送(株)
国鉄機
十条1.3
1.0
専用鉄道

▼運輸省鉄道局監修『鉄道要覧 平成6年版』より
動力
軌間(米)
区  間
km
免許
年 月 日
運輸開始
年 月 日
連絡駅
運転管理者
敷設目的
目的外使用
内燃
1,067
伏木駅構内、
 日本製紙工場

1.0

1.0
大8.4.2
大9.10.27
伏木
JR貨物
自社
発着製品原料品
運送積卸
なし

 1973年当時は伏木〜飯田町に(株)飯田町紙流通センター向けの列車が設定されていたが[22]、JR貨物発足当時の1987年当時は見当たらなく なっている。[18]
 また1987年当時は伏木〜品川の輸送あり、これがいつ廃止になったかは不明だが、鵜殿〜品川の紙列車がコンテナ化された1994年10月と同時期、も しくは隅田川ニッソウセンターが開業した1993年に着倉庫を変更したと考えられる。
 1995年頃の輸送としては,パワム車26〜27両が、2本の貨物列車で毎日発送されていた。着駅は隅田川、川崎貨物などであった。 [19]
 1996年3月のダイヤ改正で列車は全てコンテナ化され、2006年3月ダイヤ改正では、伏木駅はコンテナ列車2往復(1往復は休日運休)設定されてい る。
 輸送量は、1列車コキ8両の2往復とすると、コキ16両=400トン/日、300日稼動で12万トンとなる。2005年の同工場の生産量は約11万トン なので、同工場の鉄道輸送への依存度は相当高いと考えられる。

▼伏木工場発送の鉄道貨物輸送
種 別
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備  考
車扱
十條製紙
伏木


小名木川
ワム80000形
1986年11月ダイヤでは伏木〜小名木川に紙列車[33]
車扱
日本製紙
伏木

日本運輸倉庫梶H
隅田川
ワム80000形
[19]
コンテナ
日本製紙
伏木
巻取紙
日本運輸倉庫
ニッソウセンター※
隅田川
18D
コキ50000形8両分
1999.4.2伏木駅
車扱
日本製紙
伏木

清田商事
品川
ワム80000形
[18] 清田商事叶齬p線の第三者利用者は千代田倉庫
車扱
日本製紙
伏木


川崎貨物
ワム80000形
[19]
車扱
日本製紙
伏木

株ム田町紙流通センター
飯田町
ワム80000形
[22] 1987年時点では飯田町行きは無し[18]
※隅田川ニッソウセンターは紙製品専用の倉庫として機能しており、日本製紙 、北越製紙鰍ゥら1日5便で約1千トンの製品が到着する。レール貨物の受け皿として1993(平成5)年に開業したが、2005(平成17年)度は年間 27万トンが入荷し、同量が 出荷している。同センターは特定の利用運送事業者はなく、多数のトラックが出入りする。(『MONTHLY JRかもつ』2006年5月号、18頁)

▼伏木工場到着の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式及び所有
備 考
コンテナ
日本ゼオン(株)
川崎貨物
ラテックス
日本製紙(株)?
高岡貨物
UT11A JOT
2004.8.12高岡貨物駅
コンテナ
旭化成 水島
東水島
ラテックス
日本製紙(株)伏木
高岡貨物
UST2 NRS
2004.8.12高岡貨物駅



12.日本大昭和板 紙(株)大竹工場
 芸防工場は、日本三景のひとつ、宮島の南対岸に位置し、三菱レイヨン、三井化学などがある化学コンビナートの一角に位置している。工場の近くを 流 れる小瀬川の流域はもともと手漉き和紙の盛んな地域として知られていた。芸防工場は1959年に旧海兵団跡地他にパルプの自給体制を計るため建設され、 1973年より高級白板紙、2001年より段ボール原紙の生産を開始している。2008年4月、日本製紙グループの事業再編に伴い、旧三島製紙株式会社大 竹工場が統合され、新たな大竹工場として発足した。小瀬川の上流には約1億トンの貯水量をほこる弥栄ダムがあり、豊富で良質な 水を供給しており、土地、水、港に恵まれた工場だ。近隣には日本製紙株式会社岩国工場と株式会社クレシア岩国工場があり、日本製紙グループとして各種協力 体制・連携メリットを追求している。

■大竹工場概要データ

パルプ設備能力(2006年4月1日現在) 自製パルプ:390トン/日 古紙パルプ:540トン/日
パルプ設備能力(2008年4月1日現在)
木材パルプ:670トン/日 古紙パルプ:560トン/日
パルプ設備能力(2013年4月1日現在)
古紙パルプ:700トン/日
抄紙機設備能力(2006年4月1日現在) 2台 693トン/日
抄紙機設備能力(2008年4月1日現在)
7台 1,370トン/日
抄紙機設備能力(2013年4月1日現在)
6台 1,125トン/日
塗工機設備能力(2008年4月1日現在)
1台 260トン/日
主要製品
晒クラフトパルプ、高級白板紙、段ボール原紙
主要製品(2013年4月1日現在)
段ボール原紙、高級白板紙、カップ原紙、純白ロール紙、
片艶クラフト紙、上質紙

■生産量  http://www.np-g.com/about/factory/ndp_geibo.html
2004(平成16)年実績

板紙:215,000トン/年
外販パルプ:29,000トン/年
2005(平成17)年実績

板紙:226,000トン/年
外販パルプ:28,000トン/年
2006(平成18)年実績

板紙:209,000トン/年 外販パルプ:35,000トン/年
2007(平成19)年実績
紙:178,000トン/年 板紙:214,000トン/年 外販パルプ:36,500トン/年
2009(平成21)年実績
紙:138,652トン/年
板紙:196,276トン/年

2011(平成23)年実績
紙:98,818トン/年
板紙:233,673トン/年

2012(平成24)年実績
紙:90,776トン/年
板紙:221,019トン/年

2013(平成25)年実績
紙:93,603トン/年
板紙:231,902トン/年


■三島製紙 塗工紙に参入 大竹紙業株、来年4月取得 (2003年 10月27日 日経産業新聞 17面)
 三島製紙は通販のカタログなどに使う塗工紙事業に参入する。日本製紙の全額出資子会社で、塗工紙や印刷・包装用紙を生産・販売する大竹紙業(広島県大竹 市、渡辺総明社長)の全株式を2004年4月1日付で取得する。三島製紙は2003年3月期に148億円の売上高を2005年3月期に340億円に伸ばす 計画だ。
 大竹紙業は抄紙機6台と塗工設備1台を持ち、年産能力は約26万トン。従業員は313人で、2003年3月期の売上高は約189億円だった。株式取得後 も当面、大竹工場(広島県大竹市)の運営や日本製紙から大竹紙業への約60人の出向者などはそのままで、日本製紙の営業網による大竹紙業の塗工紙販売も継 続する方針。
 三島製紙はたばこの巻紙や辞書などに使う洋紙事業が強いが、出版不況の影響などで売上高は最盛期に比べ約3割縮小。水に溶けにくい特殊紙などの売上高も 伸びず新たな収益源を探していた。

 2003年4月に日本板紙(株)は日本製紙(株)の板紙事業と統合され日本大昭和板紙(株)が発足。生産会社として日本大昭和板紙西日本(株)芸防工場 が誕生した。
 尚、2008年2月に日本製紙グループ本社は三島製紙を完全子会社化し、2008年4月には日本大昭和板紙(株)が4生産子会社を合併し、芸防工場は日 本大昭和板紙(株)大竹工場とした。また三島製紙(株)大竹工場も統合された。


■鉄道貨物輸送について

▼JR貨物は大竹営業所を営業支店へ格上げ
 (『運輸タイムズ』1999年2月1日付) ※鈴木康弘氏のwebサイト「日本の鉄道貨物輸送」の記述を引用させて 戴きました。
 JR貨物は、関西支社広島支店の大竹営業所を、1998年12月1日付で営業支店へ格上げした。要員も1名増えた。
 大竹営業支店は、管内に大竹駅と岩国駅の2駅を持つ。大竹駅はコンビナート地帯にあり、三井化学、三菱レイヨン、帝人、日本板紙、日本製紙(子会社:大竹紙業)など大手荷主が多 い。

 また1974(昭和49)年度の荷主別輸送量において、大竹紙業の コンテナ輸送は18千トンであった。[45]p127

▼日本大昭和板紙(株)大竹工場発送の鉄道貨物輸送

種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備 考
コンテナ
日本板紙(株)?
大竹
紙 板紙 印刷紙
マルイチ 光川口倉庫
越谷(タ)
V18B 複数
2000.12.28大竹駅

▼日本板紙物流(株)広島営業所 (『モーダ ルシフト事例集』国土交通省 中国運輸局 2007.1月作成
● モーダルシフトした取扱貨物と導入時期
 取扱貨物:白板紙
 導入時期:1994(平成6)年頃
 シフト区間:大竹〜関東(鉄道)
● 対象貨物数量と輸送機関比率(鉄道・海運)の推移(1四半期分貨物量比較)

● シフトの内容

● 導入の経緯
 @物流費の削減と計画輸送の実現。
 ANOX・PMの削減など環境対応の強化。
● シフトへの工夫した点(生産調整、出荷調整等)
 @営業部と協力して計画的なオーダーを確立。
 A出荷に際してコンテナ優先とした積み込みの確立。
2009.9 熊谷(タ)駅
30A-1160コンテナ 右下に「広島支店大竹駅常備 大竹−越谷タ」 の表記がある。上記輸送に使用されていたものか。


▼日本板紙(株)芸防工場 (『モーダ ルシフト事例集』国土交通省 中国運輸局 2007.1月作成
● モーダルシフトした取扱貨物と導入時期
 取扱貨物:JT純白ロール
 導入時期:2001(平成13)年9月
 シフト区間:玖珂〜静岡(鉄道)
● 目標数量と結果(月間)
区間数量:680トン
目標数量:680トン
シフト数量:680トン(100%)
● シフトの内容

● 導入の経緯
 @生産縮小に伴い、物流コストの削減を検討していた。
 A長距離輸送についてはトラックよりJRコンテナ輸送が有利と判断した。
● シフトへの工夫した点(生産調整、出荷調整等)
 @荷役機械の操作や輸送管理(製品の損傷防止、衛生管理)を工夫した。
 A顧客に対しトラックに劣らないサービスの提供を保証した。



13.日本製紙 (株)岩国工場  
 岩国工場は1939年(昭和14年)に溶解用パルプ工場としてスタートした。近くには錦帯橋、広島の宮島という風光明媚な土地でありつつ、瀬戸内海に面 し た臨海工場で、原料の搬入から、製品の輸送までが容易であるとともに、用水が豊富、近隣の安価な鉱物資源が確保できるといった立地条件に恵まれた工場だ。 上質紙、塗工紙、情報用紙を主に生産しており、特に塗工紙の生産では日本製紙グループ内でトップの生産力を誇っている。また、国内最大規模で最新鋭の 5KP、8号回収ボイラー、9号マシンを導入し、永年培ってきたコート紙製造技術を集大成して生産性や品質の極限を追及している。さらに最近のデジタルカ メラの普及とともに需要が増えている、高光沢のキャストコートタイプインクジェット用紙の生産体制も増強している。

■岩国工場概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在) 自製パルプ:1,850トン/日
パルプ設備能力(2013年4月1日現在)
木材パルプ:1,800トン/日
抄紙機設備(オンマシンコータ含む)能力(2006年4月1日現在) 6台 2,100トン/日
抄紙機設備(オンマシンコータ含む)能力(2013年4月1日現在)
4台  1,740トン/日
塗工機設備能力(2006年4月1日現在) 6台 1,050トン/日
塗工機設備能力(2009年4月1日現在)
6台 1,090トン/日
塗工機設備能力(2013年4月1日現在)
4台   790トン/日
主要製品(2006年4月1日現在) 上質紙、塗工紙、情報用紙、インクジェット紙、製紙用パルプ
主要製品(2013年4月1日現在)
塗工紙、情報用紙、キャストコート紙、製紙用パルプ

■生産量 http://www.npaper.co.jp/main/profile/iwakuni.html  及び http://www.np-g.com/about/factory/iwakuni.html
2000(平成12)年度実績
紙:645,000トン/年
外販パルプ/化成品など:224,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙:707,047トン/年
外販パルプ:74,000トン/年
2005(平成17)年実績
紙:715,460トン/年
外販パルプ:56,500トン/年
2006(平成18)年実績
紙:727,480トン/年 外販パルプ:49,883トン /年
2007(平成19)年実績
紙:729,896トン/年 外販パルプ:48,904トン /年
2009(平成21)年実績
紙:481,082トン/年

2010(平成22)年実績
紙:514,690トン/年
外販パルプ:57,751トン /年
2012(平成24)年実績
紙:551,609トン/年
外販パルプ:32,206トン /年
2014(平成26)年実績
紙:508,753トン/年
外販パルプ:9,696トン/ 年

■開業当時から戦後まで [2]
 
山陽パルプは、元をただせば戦前の昭和13年から14年にかけ王子製紙の別働隊組織として山口県の麻里布(現岩国市)に、化繊向けの溶解パルプ 工場を建設したのが始まりである。当時の社名は山陽パルプ工業、資本金は2,000万円で全額王子製紙の出資だった。工場の建設は昭和13年の1月から始 まり、水路敷設、周辺の埋立が進み、埋立工事がほぼ完了したのはこの年の5月であった。第1期溶解パルプ年産2万トン設備の営業運転は翌14年8月1日 で、同27日に初出荷されている。
 この山陽パルプ工業岩国は太平洋戦争が激化するにつれて、航空機燃料の製造に転換するため、産業設備営団に買収される(昭和18年6月)。この時点で王 子製紙の手から離れ「ミヨシ化学興業」として新発足することになる。(山陽パルプ工業は昭和20年1月解散)。しかし、ミヨシ化学興業の潤滑油製造(原料 は南方のパーム油)は約1年半の短期間で終わる。20年8月14日、岩国市は空襲を受け、潤滑油工場も被爆、操業がストップする。翌15日、敗戦。すでに 木釜やスクリーンなどの主要設備はあらかた撤去され、かつてのパルプ工場原型はとどめていなかった。
 いくつかの曲折があって結局、商工省(現通産省)の強い後押しのもとで岩国のパルプ工場復旧が現実のものとなり、昭和21年11月、資本金1,000万 円の新しい「山陽パルプ」が発足する。昭和24年暮、溶解パルプ年産4万トン工場として再スタートした岩国は、84インチ長網マシン、さらに142インチ マシンなどを新設して上質紙分野に進出していく。

■コート紙生産設備増設について
 (1995年10月3日 日本製紙株式会社)  http://www.np-g.com/news/news95100301.html
 日本製紙は、岩国工場にコート紙生産設備を増設することを決定した。
 増設の理由は平成5年4月の合併以来、生産集約(抄紙機6台(年産能力13万t)を廃棄)および製品転換(旭川工場 新聞用紙から微塗工紙へ)を推進し てきたが、今後の紙需要増加に対し生産能力の不足が見込まれるので、新たにコート紙設備を増設するもの。なお岩国工場の3号コーターは停止するほか、全社 的な生産体制の見直しを行い、生産効率の一層の改善をはかる予定だ。

▽増設概要
運転開始時期 1997(平成9)年5月
総工費
320億円
設備内容
○抄紙機、塗工機の形式
オンマシンコーター
 ワイヤー幅 8,000mm 最大取幅 7,040mm 平均抄速 1,200m/m  
 日産700t(年産24万t)
○付帯設備
仕上設備−巻取包装機1台 カッター2台
製品倉庫−7,000平方メートル
排水処理設備
なお原料のパルプは、回収ボイラーの増強(総工費180億円で実施中)による増産で対応する。

■岩国工場のパルプ製造設備をECF化 (2004年4月26日 日本製紙株式会社)  http://www.np-g.com/news/news04042601.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙(社長:三好孝彦)は、岩国工場(山口県岩国市)のクラフトパルプ製造設備をECF化(塩素を使用しな い漂白法)する工事を行う。
 今回の工事は約25億円を設備投資し、岩国工場に2系統あるクラフトパルプ漂白工程をECF化するもので、平成16年3月に着工し、それぞれ平成17年 6月と平成18年1月に完成予定である。
 ECF化においては二酸化塩素を使用した漂白法を採用し、酸素漂白の二段化や酸処理システム(硫酸による高温処理)などの最新技術を導入する。これらの 設備の完成により、操業効率・漂白効率の向上とともに、塩素・次亜塩素酸ソーダの使用量をゼロにすることにより、クロロホルムなどの有機塩素化合物による 環境負荷を低減させる。
 当社は、平成5年4月に制定し平成15年8月に改訂した「日本製紙環境憲章」に則り、クラフトパルプ漂白法のECF化を積極的に推進しており、本工事完 了後のECF化率は、日本ユニパックホールディンググループ全体で75%近くになる。

■日本製紙グループ、間伐材を購入で林業支援 岡山・西粟倉村と協力  (2010年2月24日 日本経済新聞 中国)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20100223cjb2300t23.html
 日本製紙グループは環境関連の非営利組織(NPO)オフィス町内会(東京・港)と組んで、岡山県西粟倉村の森林の間伐促進を支援する。同村で出た間伐材 を日本製紙が割増価格で買い取り、紙製品を関西の企業向けに販売。採算性の低い間伐作業を費用面から支え、森林育成と林業再生につなげる。製品を買う企業 は追加負担と引き換えに、環境保全への取り組みを社内外にアピールできる。
 この仕組みはオフィス町内会が企画した。すでに岩手県葛巻町と岩泉町が三菱製紙と共同で取り組んでおり、あいおい損害保険やカルソニックカンセイなど大 手企業が紙の購入で協力している。西粟倉村と日本製紙グループは4月をメドに関西で事業を展開する。
 西粟倉村は地元の美作森林組合と組んで、産出した間伐材を木材チップメーカー経由で日本製紙岩国工場(山口県岩国市)に供給する。同社はグループの紙商 社、日本紙通商(東京・千代田)の関西支社を通じ、この間伐材から作った印刷用紙を印刷会社に納入する。


■日本製紙ケミカル(株)岩国事業所
 日本製紙(株)岩国工場化成品製造部は木材の完全利用を目的に発足し、ほとんどが当社独自技術によるものであり、高い技術開発力を持つ研究所の協力とユ ニークな製品群によって幅広く展開している。特に塩素化ポリオレフィン樹脂の総合メーカーとしてこの分野では圧倒的な強さを誇っている。 http://www.npaper.co.jp/main/profile/iwakuni.html

▼塩素・苛性ソーダ製造設備隔膜電解法からイオン交換膜電解法に転換 (1998年9月24日 日本製紙株式会社)
http://www.np-g.com/news/news98092401.html
 当社は、岩国工場の塩素・苛性ソーダ製造設備を、隔膜電解法からイオン交換膜電解法に全面転換することを決定した。
 日本製紙岩国工場は、化成品やパルプ製造用の自家消費薬品供給のために、日本の紙パルプ工場の中で唯一電解工場を持ち、塩素、苛性ソーダを生産してい る。  岩国工場の電解設備は、昭和36年に水銀法でスタートしたが、環境汚染防止の観点から、昭和49年に隔膜法に製法転換した。しかし、隔膜電解装置も四半 世紀経過すると、メンテナンス費用も増大し、これ以上の製造原価の低減や省力化も不可能と判断され、このたびイオン交換膜法に製法転換することとした。
 この転換により、蒸気・電力原単位が改善され、省エネルギーに役立つほか、昼夜シフト運転が強化できることで、夜間電力使用による電力コストの引き下げ も可能となる。
なお当社岩国工場の設備は、日本で最後まで残った隔膜電解装置で、今回の製法転換により、日本での隔膜電解法はすべて姿を消すことになる。

1.転換工事概要
イ) イオン交換膜設備一式 能 力 : 31,200トン/年(苛性ソーダ換算)…現状とほぼ同じ
ロ) 液塩,苛性ソーダ充填設備増強
ハ) 塩水精製設備更新、増強
ニ) 整流器更新
2.総工費 14億7千万円
3.工 期 平成10年9月着工。平成11年8月完成。

▼日本製紙 塩素化PPペレット製造設備 岩国工場(山口)に新設
 (2001年8月16日 日本工業新聞 9面)
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙は、岩国工場(山口県岩国市)に、塗料やインキの原料となる塩素化ポリプロピレン(PP)のペレット品 の製造設備を新設する。投資額は約8億円。
 同社の塩素化PPの生産能力は年間2,000トン。ペレット品の製造能力は明らかにしていないが、設備新設で生産能力は現状に比べて30%アップすると いう。また増強に合わせて約2億円を投資して溶媒回収装置も新設し、溶媒の使用量を80%削減する計画だ。
 塩素化PPは、日本製紙の化成品事業の主力製品。自動車用PP製バンパー用の塗料やPPフィルム用印刷インキの主力樹脂として使用されており、需要が伸 びている。

▼日本製紙ケミカル 食塩電解から撤退 来年3月末 供給先の無塩素化で (2005年3月25日 日経産業新聞 15面)
 日本製紙の子会社、日本製紙ケミカル(東京・千代田)は24日、2006年3月末で食塩電解事業から撤退すると発表した。電解で発生する液体塩素の主な 供給先である日本製紙岩国工場(山口県岩国市)が、同年1月までにパルプ製造設備の2系列すべてを塩素を使わない漂白に切り替えるため。
 電解設備は日本製紙の岩国工場内にあり、2003年度はカセイソーダを2万7千トン、液体塩素を2万1千トン生産していた。設備の除却損、撤去費用など 約8億円の損失が出る見通し。
 同設備で生産する液体塩素の約半分を岩国に供給している。日本製紙ケミカルは塩素液体を原料に、自動車部品などに塗料を塗りやすくするコート剤を生産し ているが、今後は外部から原料を調達する。

▼日本製紙ケミカル ソーダ電解から撤退 岩国の設備 来春めど停止 (2005年3月25日 化学工業日報 1面)
 日本製紙ケミカルは、ソーダ電解事業から撤退する。親会社の日本製紙がクラフトパルプ製造設備のECF(塩素ガスを使用しない漂白法)化を推進、日本製 紙岩国工場(山口県岩国市)でも2006年1月にECF化設備に切り替えるためで、日本製紙ケミカルの岩国事業所内にある電解設備の操業を2006年3月 末までに停止する。設備は廃棄する方向だ。これにより、国内の紙・パルプ業界で唯一のソーダ電解設備が姿を消す。
 日本製紙ケミカルは、日本製紙のDP・化成品事業本部が分社化して2002年10月に発足し、ソーダ電解事業も継承した。電解設備は山陽パルプ(現・日 本製紙)が岩国工場でのカセイソーダ自給を目的として1951年に建設、74年に隔膜電解法、99年にイオン交換膜法へと製法を転換し、操業を継続してき た。
 ソーダ電解設備の年産能力はカセイソーダで3万1千トン、液体塩素で2万6千トン。カセイソーダはほぼ全量を日本製紙向けに供給し、塩素については日本 製紙向け供給と日本製紙ケミカルでの自家消費のほかに、一部を外販している。昨年の塩素生産量は2万1千トンで、日本製紙ケミカルが岩国事業所で生産して いる塩素化ポリオレフィン用に約4千トンを自家消費し、約8千トンを外販した。
 液体塩素の国内需要は1993−2003年に年率2%で縮小しており、日本製紙岩国工場でのECF化で余剰となる液体塩素の新規外販先を開拓するのは困 難と判断、ソーダ電解事業自体からの撤退に踏み切る。製造停止後は、必要なカセイソーダと塩素は外部から調達する。調達先は今後詰める。
 イオン交換膜法への転換投資によりソーダ電解設備の償却は残っているが、設備の使命は果たしたとして廃棄する。撤去費用を除く設備除却損は3億−4億円 を見込む。日本製紙ケミカルの今期売り上げ見込みは約290億円。セルロースパウダーは国内トップ、塩素化ポリオレフィンは世界トップシェアを握る。


■鉄道貨物輸送について
2003.8 岩国

▼岩国工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版 岩国
山陽パルプ工業(株)

国鉄機 0.9


1953(昭和28)年版
岩国
山陽パルプ(株)

相手方機
0.9


1957(昭和32)年版 岩国
山陽パルプ(株)
内外輸送(株) 私有機
1.5


1964(昭和39)年版
岩国
山陽パルプ(株)
内外輸送(株)
岩国産業運輸(株)
私有機
1.5


1967(昭和42)年版
岩国
山陽パルプ(株)
内外輸送(株)
岩国産業運輸(株)
私有機 1.3


1970(昭和45)年版
岩国
山陽パルプ(株) 内外輸送(株)
岩国産業運輸(株)
私有機
1.3
4.4

1975(昭和50)年版
岩国
山陽国策パルプ(株)
内外輸送(株)
岩国産業運輸(株)
私有機
1.7
4.9

1983(昭和58)年版
岩国
山陽国策パルプ(株)
内外輸送(株)
岩国産業運輸(株)
私有機
1.7
4.8

 岩国工場(山陽パルプ)の専用線は、1938(昭和15)年5月に敷設された。[44]p307

岩国工場の地図

▼山陽国策パルプ(株)所有のタンク車のうち岩国駅常備 (『私有貨車番号表 昭和54年3月31日現在』)
所 有者
車 種
形 式
番 号
両 数
荷 重
常 備駅
山陽国策パルプ(株)
液化塩素専用
タム2300
12414-12416、12440、12461、12462
6
15
岩国
山陽国策パルプ(株)
液化塩素専用
タム8500
8527
1
15
岩国
山陽国策パルプ(株)
カセイソーダ液専用
タキ2800
12854、12855、12884
3
30
岩国
山陽国策パルプ(株)
カセイソーダ液専用
タキ4200
14221、14222、14283
3
35
岩国
山陽国策パルプ(株)
亜硫酸パルプ廃液
タキ9300
9300、9301
2
30
岩国
山陽国策パルプ(株)
塩酸
タム5000
6173
1
15
岩国
山陽国策パルプ(株)
塩酸
タキ5050
55093
1
35
岩国
 この内タキ12884(日本製紙(株) 岩国駅常備)は1997(平成9)年9月23日に岩国駅で確認されている。[36]
 またタキ14283(日本製紙(株) 岩国駅常備)は2000(平成12)年10月に廃車回送された。この時点で長らく使われていなかったため、タンク 体がボロボロになっていた。[37]
 なお2000年12月28日に岩国駅を訪問した際には、同工場の専用線にタキ42750形(JOT)が2両留置してあったが、荷票は付いていなかった。 未確認だが、タンク車による亜硫酸パルプ廃液輸送は2001年には廃止されたと考えていいだろう。

▼日本製紙ケミカル(株)所有のコンテナ コンテナの絵本(http://container.pro.tok2.com/ )を参照
所 有者
専 用
形 式
備 考
日本製紙ケミカル(株)
リグニン液
UT5E-15
1999年は亜硫酸パルプ廃液専用、2000年にリグニン液専用
http://container.pro.tok2.com/htmt/ut5e15.htm
日本製紙ケミカル(株)
リグニン液
UT5E-26、27、28、29、30
UT5E-28は2002.2.16富士駅
日本製紙ケミカル(株)
リグニン液
UT5E-36、59
2006.12.2富士駅

▼岩国駅の輸送量(トン)推移 (『岩国市統計書』より筆者作成)
年  度
発送
到着
備  考
1975(昭和50)年度
193,425
85,691
帝人叶齬p線は使用休止
1980(昭和55)年度
114,601
72,021
1985(昭和60)年度
100,740
27,010

1990(平成02)年度
163,420
14,969

1995(平成07)年度
147,219
3,185

2000(平成12)年度
217,147
4,271
1997年5月にコート紙設備増設
2001(平成13)年度
168,978
3,019

2002(平成14)年度
208,201
2,994

2003(平成15)年度
213,731
3,264

2004(平成16)年度
222,138
2,982

 広島鉄道管理局管内の1974年度荷主別輸送量において山陽国策パルプは184千トン(車扱)であった。[45]p127

 日本経済新聞1988年2月26日付け30面によると、1988(昭和63)年3月13日のダイヤ改正から岩国駅は専用線のコンテナ扱いを開始した。

▼JR貨物は大竹営業所を営業支店へ格上げ (『運輸タイムズ』1999年2月1日付) ※鈴木康弘氏のwebサイト「日本の鉄道貨物輸送」の記述を引用させて 戴きました。
 JR貨物は、関西支社広島支店の大竹営業所を、1998年12月1日付で営業支店へ格上げした。要員も1名増えた。
 大竹営業支店は、管内に大竹駅と岩国駅の2駅を持つ。大竹駅はコンビナート地帯にあり、三井化学、三菱レイヨン、帝人、日本板紙、日本製紙(子 会社:大竹紙業)など大手荷主が多い。
 一方 岩国駅は日本製紙岩国工場の専用線発着の貨物だけを取り扱う。2年前に生産ラインを増設して以来コ ンテナ利用個数が大きく増え、現在は1日約160個を発送す る。
 これら2駅のコンテナ発送実績は、広島支店直轄エリア内の40%になる。
 上村栄・営業支店長は、「営業支店化で輸送契約等についてこれまでより即応できるはず」と話している。そして、中継貨物の荷崩れなど、即急な解決を要す る課題や、セールスに取り組んでいる。

▼平成15年モーダルシフト優良荷主(事業場) 日本製紙(株)岩国工場 http://www.cgt.mlit.go.jp/kikaku/ninushi01.pdf
○モーダルシフトした取扱貨物と導入時期
 取扱貨物:コート紙
 導入時期:1997(平成9)年4月

○評価対象貨物数量と輸送機関比率(鉄道・海運)

トン/1-3月
鉄道・海運比率
2002年
53,000トン
74.6%
2003年
72,500トン
92.0%

○シフトの内容 (トラック:⇒ 鉄道:→)
 <シフト前>
 日本製紙(株)岩国工場(山口県) ⇒ストックポイント(首都圏) 計1,000km 15時間

 <シフト後>
 日本製紙(株)岩国工場(山口県) ⇒JR岩国駅→JR広島(タ)駅→JR新鶴見(信)駅 → JR新座(タ)駅⇒ストックポイント(首都圏) 計972.5km 20時間

 発着間の所要時間(荷役時間、駅での滞留時間、ドライバーの休憩・休息時間等も含む)

○導入の経緯
 @平成9年、当工場への最新設備導入に伴い、生産拠点工場の出荷体制の製造・物流総合管理において、輸送コストの低減及び環境面対策として実施
 A工場専用線の有効活用を推進することからも実施

○シフトへの工夫した点
 @専用線増強工事の実施(専用線の延長・線形改良工事)
 A平板紙の糊付け輸送の開始

○荷姿:12ftドライコンテナ(巻取紙、平板紙(パレット))

○シフトによる効果
所要時間
1.3倍
車両走行距離
98.0%減

○シフトによるメリット
・輸送コスト低減、定時・安全輸送の確保、輸送力の確保(JR5トンコンテナ175個/日

○シフトによるデメリット
・輸送中の作業、列車の振動等による荷物事故の発生(荷痛、荷崩れ)
・速達性を優先する顧客への対応

○今後の展望
・鉄道輸送による荷痛等の解消及び直行ダイヤの設定等の問題が改善されれば、環境面への配慮や輸送コストの軽減を考慮する上で、鉄道輸送比率向上を検討し ていく予定

▼(社)鉄道貨物協会 広島支部主催 「モーダルシフト推進懇談会」開催 (MONTHLY JRかもつ 2006年11月号)
 2006年10月12日、第2回目となる「モーダルシフト推進懇談会」が広島で開催された。同懇談会には、荷主企業7社、利用運送事業者4社が出席し た。
【日本製紙株式会社岩国工場 事務部製品課主任】
@鉄道貨物輸送を選択する上での輸送条件
・安定輸送(天候に左右されない)
・コストメリット(最近薄れている)
・輸送事故に強い製品(平判以外)
・納期に余裕のあるもの

A鉄道貨物輸送を利用しての問題点・改善点
・荷キズが多い(荷崩れが多い)ということがある
・コンテナ内のビスによるキズが多い
・2段積み不可の製品が多いので、上下2段タイプのコンテナがあると良い

B今後、鉄道へのモーダルシフトを進めるに当たっての意見・要望
・12フィート以外のコンテナも必要。コンテナのバリエーションを増やしてほしい
・コンテナのメンテナンスを万全にお願いしたい
・料率が上がるとJRコンテナのメリットがなくなる

Cその他、意見・要望
・スポット輸送への柔軟な対応
・納期、事故情報の迅速な情報の提供

▼岩国工場発送の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備 考
コンテナ
日本製紙(株)
大竹
リグニン液

水沢
UT5E 日本製紙(株)
2002.2.16富士 UT5E-28
コンテナ
日本製紙ケミカル(株)
大竹
リグニン液

千葉貨物
UT5E 日本製紙ケミカル(株)
2006.12.2富士 UT5E-59
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
印刷紙
木津屋
盛岡(タ)
C31
2000.12.28大竹
コンテナ
日本製紙(株)? 大竹
印刷用紙
青葉紙業(株)
宮城野
UV1 JOT
1998.4.28宮城野
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
紙 印刷紙
国際紙パルプ
宮城野
19D
2007.5.2宮城野
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
巻取
日本仙台
宮城野
UR17A JOT
1998.4.28宮城野
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
紙 印刷紙 戸田

会津若松
18D
2006.11.4会津若松
コンテナ
日本製紙(株) 岩国
大竹
洋紙
山智物流新潟
南長岡
19F 多数
2000.12.28大竹
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
巻取

渋川
19F
2003.5.11渋川
コンテナ
日本製紙(株) 岩国
大竹
サンエキス
クニミネ工業(株)
小名浜
C20
1998.3.22土浦
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
紙 洋紙−巻

隅田川
UR19A JOT
2007.9.10大竹
車扱
日本製紙(株)?
大竹


小名木川
ワキ5000形
[18]
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
洋紙
日本有明
東京(タ) 19B
2000.12.28大竹
車扱
日本製紙(株)?
大竹
板紙・巻取紙

川崎貨物
ワキ5000形?
[27] 川崎貨物駅東部貨物で取扱い。
東部貨物は95.8廃止
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
印刷用紙
日通? 富士デポ
富士
UR18A
1998.2.16富士
コンテナ
日本製紙(株) 岩国
大竹
紙 洋紙−巻
大昭和加工 今泉
富士
19D
2006.5.6富士 
大昭和加工紙業(株)今泉工場あり
コンテナ
日本製紙(株) 岩国
大竹
紙 洋紙−巻

富士
19D 2006.5.6富士
コンテナ
日本製紙(株)?
大竹
紙 印刷紙
富士デポ
富士
19D
2006.12.2富士
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
トフックス
宮城野
19B
1999.2.17宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
日本製紙仙台
宮城野
18D
1998.9.29宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
芳賀洋紙仙台
宮城野
18D
1998.10.11宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷用紙
富士フィルムロジスティックス(株)
宮城野
C35 1998.7.18宮城野 1998.4.28宮城野
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
日本通信紙(株)石岡
土浦
C35 多数
1998.3.22土浦
車扱
日本製紙(株)
岩国


小名木川
ワキ5000形
[18]
車扱
日本製紙(株)
岩国
亜硫酸パルプ廃液

千葉貨物
タム500形、タキ3000形
コンクリート減水剤用途 [23]
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
紙 パレット

越谷(タ)
19G
2005.8.12越谷タ
車扱
日本製紙(株)
岩国
亜硫酸パルプ廃液

川崎貨物
タム500形、タキ3000形
コンクリート減水剤用途 [23]
車扱
日本製紙(株)
岩国
板紙・巻取紙

川崎貨物
ワキ5000形
[27] 川崎貨物駅東部貨物で取扱い。
東部貨物は95.8廃止
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
コート紙
ストックポイント
新座(タ)
JRコンテナ
http://www.cgt.mlit.go.jp/kikaku/ninushi01.pdf
車扱
日本製紙(株)
岩国
亜硫酸パルプ廃液

四日市
タム500形、タキ3000形
コンクリート減水剤用途 [23]
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
入江運輸倉庫(株)名古屋
新守山
C31
1997.3.6新守山
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
印刷洋紙
萱場倉庫 追送
新守山
18C
1997.3.6新守山
コンテナ
日本製紙(株)
岩国
洋紙
日本通運 萱場倉庫
多治見
JRコンテナ
1996.12.26多治見
車扱
日本製紙(株)
岩国
カセイソーダ
日本製紙(株)江津事業所
江津
タキ2800形、タキ7750形
[19]

2000.12 岩国駅



14.日本製紙ケミカル(株)江津事業所  
 同事業所は江の川の河口に1938(昭和13)年設立された。木材の持つセルロース分を溶解パルプとして製品化するだけでなく、高付加価値化を目指して CMC(カルボキシメチルセルロース)の製造設備を新設し、さらにセルロースパウダーの生産を開始した。一方セルロース以外の成分の有効利用を目的に酵母 核酸の製造設備を新設し、飼料や食品の調味料として市場に送り出している。また溶解パルプの生産工程で溶出するリグニン分については設備を増強し、工業用 界面活性剤の本格生産に入った。今後も貴重な資源である木材の多角化利用を推進していく。

■生産量
 http://www.npaper.co.jp/main/profile/ezu.html
2000(平成12)年度実績
溶解パルプ:86,000トン/年
化成品:63,000トン/年

■社歴 (2004年10月1日現在) http://www.np-g.com/about/group_main/np_chemi.html
1937年(昭和12年)
1938年(昭和13年)
1944年(昭和19年)
1946年(昭和21年)
1951年(昭和26年)
1972年(昭和47年)
1993年(平成05年)
2002年(平成14年)
2004年(平成16年)10月
山陽パルプ工業(株)設立。新日本レーヨン産業(株)設立
国策パルプ工業(株)設立。
新日本レーヨン産業(株)が島根化学工業(株)に社名変更
山陽パルプ(株)設立
山陽パルプ(株)が島根化学工業(株)と合併
山陽パルプ(株)と国策パルプ工業(株)が合併し山陽国策パルプ(株)設立
十條製紙(株)と山陽国策パルプ(株)が合併し日本製紙(株)設立
日本製紙(株)DP・化成品事業本部が分社化し日本製紙ケミカル(株)が誕生
日本製紙ケミカル(株)と日本製紙(株)機能材料事業本部が事業統合

■日本製紙ケミカル、11月から江津事業所で、粉末セルロース増産 (2004年7月21日 日本経済新聞 地方経済面)
http://job.nikkei.co.jp/contents/news/inews/nt21auto005/025.html
 日本ユニパックホールディング傘下のパルプメーカー、日本製紙ケミカル(東京・千代田、町原晃社長)は食品添加物などの用途で需要が伸びている粉末セル ロースを増産する。11月をめどに江津事業所(島根県江津市)の生産能力を倍増し、新たな戦略製品に育成する。
 約2億5千万円かけて江津事業所の生産ラインを増設し、粉末セルロースの生産能力を現在の年間1,200トンから2,400トンに引き上げる。年間約2 億7千万円の売り上げ増加を目指す。粉末セルロースはパルプから精製した無味無臭の白色粉。保水性が高いほか、形状が安定しやすく、焼却時に灰が少ないな どの特性がある。食品や化粧品、排水ろ過材など様々な用途で需要が広がっている。
 既に勇払製造所(北海道苫小牧市)でも粉末セルロースを年間2,400トン生産しているが、主力の江津事業所に最新設備を導入し、生産コストを下げ、競 争力を高める。

■浜田港団地に貯炭場が完成 (2008年5月21日 中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200805210049.html
 高騰が続く重油から転換するため、石炭ボイラーを建設中の日本製紙ケミカル江津事業所(江津市江津町)の貯炭場が、浜田市熱田町の浜田港臨海工業団地に 完成し20日、現地で完工式があった。同事業所が県から長期借地した1万平方メートルの敷地に高さ5メートルのコンクリート塀をコの字形に建て、冷却用の 放水設備やトラックの泥落とし場を設けた。貯蔵能力は2万トン。建設費は1億8,000万円。

■日本製紙ケミカル、パルプ製造設備増設 江津事業所に (2009 年12月9日 日本経済新聞 中国)
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20091208c6b0802108.html
 日本製紙グループの日本製紙ケミカル(東京・千代田)は、パルプや化成品を生産している主力工場の江津事業所(島根県江津市)に新たなパルプ製造設備を 建設する。投資額は63億円で2011年秋の完成予定。新施設の導入で製品の付加価値を高めるのが狙い。
 江津事業所は、セルロースの純度が高い「溶解パルプ」の生産を国内で唯一、手掛けている。現在は2台のパルプ製造設備が稼働しており、生産能力は年間 10万トン。国内外のレーヨンやセロハンメーカー向けに「シート形状」の溶解パルプを供給してきた。
 今回の施設では「ロール形状」の溶解パルプの製造が可能になり、製品は医薬や化粧品など幅広い分野で使われる「セルロース誘導体」の原料として使われ る。
 製造設備は3台になって製品の高付加価値化に寄与するが、原料の木材チップ処理能力に限りがあるため、溶解パルプの生産能力は現在と変わらないという。
 日本製紙グループは11年を目標とする中期経営計画で紙以外の分野での事業を強化しており、今回の投資はその一環。


■鉄道貨物輸送について

▼江津工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版 石見江津
島根化学(株)
鳥居運送店
相手方機 SF工場線1.0
紡績工場線0.4


1953(昭和28)年版
石見江津
山陽パルプ(株)江津工場
鳥居運送店
岩国産業(株)
相手方機
工場線1.5
旧紡績線0.4


1957(昭和32)年版 石見江津
山陽パルプ(株)江津工場
鳥居運送(株)
岩国産業(株)
私有機
工場線1.5
旧紡績線0.4


1964(昭和39)年版
石見江津
山陽パルプ(株)江津工場 鳥居運送(株)
私有機
工場線1.5
旧紡績線0.4


1967(昭和42)年版
石見江津
山陽パルプ(株)江津工場
鳥居運送(株)
江津通産(株)
私有機 工場線1.5
旧紡績線0.4


1970(昭和45)年版
江津
山陽パルプ(株)江津工場 鳥居運送(株)
江津通産(株)
私有機
工場線1.5
旧紡績線0.4
4.1

1975(昭和50)年版
江津
山陽国策パルプ(株)江津工場
鳥居運送(株)
江津通産(株)
私有機
工場線1.5
倉庫線0.5
4.5

1983(昭和58)年版
江津
山陽国策パルプ(株)江津工場
鳥居運送(株)
江津通運(株)
私有機 工場線1.5
倉庫線0.5
4.5


 1995年現在の江津工場(当時)関係の鉄道貨物輸送は、江津駅に7〜8両のタンク車編成で到着していた。発駅は岩国、新南陽、宇部港、安治川口、幸崎 などで新南陽へ一旦終結したタンク車を山陰方面向けに組成していた。新南陽発の時点では益田(大和紡績)着の貨車もあるため12〜13両編成であり、積荷 は濃硫酸、カセイソーダ、二硫化炭素、重油の4種類がほとんどだが、重油は益田着だけであった。また江津→益田間には芒硝積パワムが数両つくことがあっ た。貨車は濃硫酸のタキ300、4000、5750形、カセイソーダのタキ2800、7750形、二硫化炭素のタキ5100、10100形、石油類のタキ 9800形などで、この内タキ9800形は出光興産(株)所有であった。 [19]
 1996(平成8)年9月に同事業所の専用線は撤去された。[38]
 なお江津と益田両駅の貨物扱いは同時に廃止された。これはJR貨物が荷主であるダイワボウと日本製紙に提案したためである。[39]

▼江津工場発送の鉄道貨物輸送

種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式及び所有
備 考
車扱
日本製紙(株)?
江津
芒硝
大和紡績(株)?
益田
ワム80000形


▼江津工場到着の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備  考
車扱
四国化成工業(株)?
東洋化成工業(株)? ※
安治川口
二硫化炭素
日本製紙(株)
江津
タキ5100形、タキ10100形
[19]
車扱
日本製紙(株)
岩国
カセイソーダ
日本製紙(株)
江津
タキ2800形、タキ7750形
[19]
車扱
東ソー(株)?
新南陽
カセイソーダ
日本製紙(株)
江津
タキ2800形、タキ7750形
[19]
車扱
宇部興産(株)
宇部港
濃硫酸
日本製紙(株)
江津
タキ300形
[19]
車扱
日鉱金属(株)
幸崎
濃硫酸
日本製紙(株)
江津
タキ300形、タキ4000形、タキ5750形
[19] 幸崎駅は1996.3ダイヤ改正で貨物取り扱い廃止
車扱
旭化成工業(株)
南延岡
カセイソーダ
日本製紙(株)
江津
タキ47758 (株)西井
[24] 
※東洋化成工業鰍ヘ本社:大阪市北区。東洋紡グループで二硫化炭素やエチレングリコール等を製造、販売。 http://www.toyobo.co.jp/annai/13.htm



15.日本製紙(株)八代工場  
2006.3 八代駅

 八代工場は九州のほぼ中央に1924年(大正13年)設立された。近くを流れる球磨川の水と共に、古紙や木材チップなどの豊かな製紙資源だけでなく、原 材 料や製品などの物流面でも立地条件に恵まれている。日本製紙グループにおける九州唯一の工場として新聞用紙、上質紙、情報用紙など多品種の紙をパルプ製造 から一貫生産している。また世界トップレベルの新聞用紙専抄マシンや世界初設置の親巻自動搬送の装置など、国際競争力のある工場へと躍進を続けている。

■八代工場概要データ
パルプ設備能力(2006年4月1日現在) 自製パルプ:1,200トン/日 古紙パルプ:600トン/日
パルプ設備能力(2009年4月1日現在)
木材パルプ:1,200トン/日 古紙パルプ:630トン/日
抄紙機設備能力
4台 1,430トン/日
主要製品
新聞用紙、上質紙、微塗工紙、情報用紙
主要製品(2014年4月1日現在)
新聞用紙、上質紙、PPC用紙、製紙用パルプ

■生産量 http://www.npaper.co.jp/main/profile/yashiro.html  及び http://www.np-g.com/about/factory/yatsushiro.html
2000(平成12)年度実績
紙:452,000トン/年
外販パルプ:18,000トン/年
2004(平成16)年実績
紙:486,508トン/年

2005(平成17)年実績
紙:490,290トン/年
外販パルプ: 2,906トン/年
2006(平成18)年実績
紙:492,325トン/年 外販パルプ: 1,970トン/年
2007(平成19)年実績
紙:502,857トン/年 外販パルプ: 4,489トン/年
2009(平成21)年実績
紙:470,649トン/年

2010(平成22)年実績
紙:480,533トン/年

2012(平成24)年実績
紙:485,805トン/年

2013(平成25)年実績
紙:486,013トン/年


■設立当時 [12]
 大正13年9月に九州製紙坂本工場の分工場として開業し、当初はマシン1台で新聞用紙を抄造した。大正15年に九州製紙は樺太工業に合併され、この時長 網ヤンキー2台が増設され、昭和2年には10トン木釜1基も設置された。ヤンキーでは本四ロールや有光紙という包装用紙を抄造した。
 昭和8年、当工場は樺太工業が王子製紙に合併されたので、王子製紙の八代工場となった。昭和17年と19年に丸網ヤンキー2台を増設したが、1台は昭和 18年ニューギニアへ移設された。
 八代工場は太平洋戦争末期に空襲を受けたが被害は無く、当社発足時においては、長網機1台、長網ヤンキー2台、丸網ヤンキー1台、計4台の抄紙機を持 ち、SP・GPを自給して、本家の坂本工場よりは大きい工場となっていた。

■高度成長期の八代工場 [12]
 昭和31年3月、九州にKP工場を建設することを決定した。即ちLBKPを生産して小倉、都島、十條の上質紙に配合することと、半晒NKPを生産して九 州3工場の新聞用紙に配合して抄速を上げることが目的であった。このKP工場は八代につくられることとなり、32年5月に着工、突貫工事で33年3月に完 成した。この工事は、なべ底景気と言われる不況のなかに行われ、しかも40億円という巨費を投じたものであったから、まさに社運をかけた工事であった。そ して完成後半年で計画日産120トンに到達した。
 このKP工場の完成で、十條製紙の体質は大きく改善され、化学パルプ自給率は100%以上となって、パルプ社外販売が可能となった。社外販売が目的では なかったから、続いて八代工場に上質紙マシンを設置することが計画された。十條製紙の上質紙は、十條、都島、小倉工場で、月2,000トン余を生産してい たが、いずれも古いマシンによるものであり、全国上質紙生産に対するシェアも低かった(35年で約7%弱)。上質紙は、26年ころから各社が競って増産を 図り、この急激な生産増加が洋紙全般の市況を崩す原因となったが、上質紙自体はその用途の広さから見れば、長い目で見て成長品種であり、また輸出の中核品 種であった。同社がこのままで推移すれば、上質紙の分野でますますシェアが後退し、輸出市場で太刀打ちできなくなることが予想された。加えて同社原木のL 材比率を高めるためにも、上質紙の増産が必要であったから、KP設備のある八代工場に上質紙マシンを増設して、量・質・コストともに他社に劣らないもの を、生産することを決めた。
 このマシン(現八代工場6号m/c)は、良質の上質紙を高速度で抄造するすべての条件を備えた新鋭機として、36年10月から営業運転に入った。
 パルプ面では、38年2月には八代工場で新SPの開発に成功した。この新SPとは、従来のカルシウムベースを新しいベースに変えることによって歩留まり が著しく向上し、またL材や落葉松が使用可能となった。しかも従来の木釜に若干手を加えることで、これが使用できた。KPが時代の寵児であったが、この設 備には多額の資金を要するので、従来の木釜を再生させるという点で、当時としては画期的な発見と見られた。八代工場の後に、伏木工場、釧路工場も新SPに 切り替え、他社でこれにならうものも出てきた。
 八代工場は、42年3月に九州3工場統合で小倉、坂本のマシンを統合し、45年1月には気相蒸解のVKP、自家発電の増強を行って、すでに対外競争力の ある工場となっていた。この工場は、九州地区および関西の新聞用紙を供給するとともに、ここで抄造する上質紙の品質向上に大いに努力した結果、「日本一の 上質紙」の盛名を得るに至った。

■その後の八代工場 [2]
昭和56年1月7日、八代DIP増設稼動(日産100トン)。
昭和59年6月、八代KP回収設備を近代化し、KPコストの大幅引き下げを図る。
昭和61年10月1日、八代1号機停止。
昭和62年1月21日、八代6号機増速工事完工。
昭和62年5月26日、八代3号機増速、品質向上工事完工。
昭和63年11月1日、八代N1号機運転開始。
平成元年4月、新LBKP(日産570トン)運転開始。N1マシンと合わせた総工費291億円。
また、このN1の稼動に伴い西日本製紙(株)は63年9月末で正式解散となった。
平成4年10月19日、八代酸素漂白設備起工。
平成5年2月10日、八代微粉炭ボイラー火入れ式。

■八代のN2マシン建設 [2]
 新聞用紙専抄マシンで、日本製紙としては初のA巻5本取りマシン(網幅9,000ミリ/356インチ、抄速1,500メートル、月産2万トン)である。 稼動は平成10年1月。
 九州地区の新聞用紙は日本製紙がほぼ、その半分のシェアを占める。しかし、これまでは八代のマシン(2号機と3号機)では消費量を満たすことができず、 釧路とノーパックの紙が応援している形となっていた。N2マシン稼動後は、2号機、3号機を止め、あわせて5号機(上質紙)も停機とする。パルプもGPを 全廃し、代わって杉チップを主体とするTMPと古紙設備を増強した。総工費は、TMPとDIP設備の増強も入れて約400億円という巨額なものになる。

■八代工場体質改善計画  (1996年3月25日 日本製紙株式会社)  http://www.np-g.com/news/news96032501.html
  当社は八代工場体質改善のための計画を検討してきたが、近く次のとおり決定する予定である。

1.計画の目的
  (1)八代工場の体質改善
  (2)新聞用紙の能力増強

2.工事の内容
(1)N2抄紙機(マシン)増設
  月産 20,000トン(新聞用紙A巻 5本取)
  ワイヤー幅 9,000mm
  平均抄速 1,500m/分

(2)N2マシンの稼働に合わせて、下記のマシン3台を停機。
  2マシン (新聞用紙 月産 5,500トン)
  3マシン (新聞用紙 月産 5,500トン)
  5マシン (上級紙 月産 2,500トン)
  計 月産 13,500トン

(3)付帯設備
  TMP増強 日産能力 150トン/日 を 350トン/日へ
  DIP増強 日産能力 300トン/日 を 450トン/日へ
  構内製品倉庫増強 保管能力 8,500トン
  排水処理設備

(4)総工費 400億円

3.要員合理化
  正規従業員700人を550人に削減

4.営業運転
  平成10年(1998年)1月

■八代工場に炭酸カルシウム製造設備を新設 (2001年10月12日 日本製紙株式会社)
http://www.np-g.com/news/news01101201.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙は、八代工場に約13億円を投じて、中性紙を抄造するときに使用される填料である軽質炭酸カルシウム (以下略して「炭カル」)の製造設備を8月に完成させた。この自製炭カル設備の稼働により、八代工場で生産されるすべての洋紙を中性紙として抄紙すること が可能となる。
 この設備は、米国の白色顔料メーカーであるイメリス社との技術提携によるもので、平成10年に稼働した石巻工場に次いで当社としては2番目の自製炭カル 製造設備となる。
 現在、塗工紙や上級紙の多くは中性紙として抄造されているが、中質紙や新聞用紙はバンドを使用した酸性紙として抄造されるのが一般的となっている。
 中性紙とは、バンド(硫酸バンド)を殆ど使用せず、填料として主に炭カルを配合する洋紙であり、
1)保存性に優れている。
2)品質が向上する(白色度や不透明性に優れている)。
3)省資源化が可能となる。
といった利点を持つため、近年、酸性紙から中性紙への転換が世界的に進んでいる。
 当社の八代工場では、当面、新聞用紙を除く洋紙に自製の炭カルを使用し、将来的には新聞用紙にも配合して、すべての製品を中性紙に転換することを目標と している。
 中性紙には、特に古紙の有効利用や環境負荷の低減の面からメリットが期待される。 現在のところ、新聞古紙に含まれるチラシの多くは、塗工紙や上級紙であり、中性紙である。それらを含む新聞古紙を利用して新聞用紙を生産する場合、一旦ア ルカリ性で脱墨処理して古紙パルプ(DIP)を作り、それをわざわざ酸性に戻してから新聞用紙を抄造しているが、今後、自製炭カルの使用による製品の中性 紙化を図っていくことにより、アルカリ性でできた古紙パルプをわざわざ酸性に戻して抄造することから生じるエネルギーロスや廃棄物を低減させていくことが 可能となる。
 当社では、先に稼働した石巻工場の自製炭カル設備の経験を生かして、設備においても一層の改善を実現しており、八代工場の新設備で生産される新しい炭カ ルは、同工場で抄造する紙の品質に適した粒径にコントロールされ、優れた性質を持つ。月産能力は約2,500トンで、8月から稼働し、今後徐々に生産量を 上げていく予定である。

■八代工場にECF漂白設備を設置 〜環境対応のECF漂白方法としてオゾン漂白法を導入〜 (2002年1月22日 日本製紙株式会 社)
http://www.np-g.com/news/news02012201.html
 日本ユニパックホールディンググループの日本製紙は、八代工場(熊本県八代市)に約29億円を投資して、平成15年5月完成予定で、クラフトパルプ製造 設備の漂白工程をECF化することした。また、ECF化にはオゾン漂白法を利用する。
 日本製紙では、平成5年4月に制定し、平成12年3月改訂した「日本製紙環境憲章」により、クラフトパルプ漂白法のECF化(塩素を使用しない漂白法) を積極的に推進することとしている。これに則り、国内で初めて平成8年、釧路工場に設置して以来、クラフトパルプ製造設備のある旭川、勇払工場と順次改造 を進めており、現在、石巻工場の設備を改造している。
 今回の設備投資は、八代工場に2ラインあるクラフトパルプ漂白工程をECF化するもので、それぞれ平成15年1月と同年5月に完成予定。このうちの1ラ インに、勇払工場に続く同社で2基目のオゾン漂白設備を導入することとなった。ECF漂白を導入することにより、有機塩素化合物の発生や排水の色、排水の 量等、環境負荷を大幅に低減させることができる。また今回は、「酸処理プロセス」というものを日本で初めて導入する。これは硫酸を用いてパルプを高温処理 する方法で、従来よりも操業効率、漂白効率を向上させるのが目的。

■日本製紙 八代工場 国際競争に挑戦 コスト削減を継続 環境・安全面にも注力 (2003年10月8日 日刊工業新聞 14面)
 日本の紙パルプ産業が他の製造業と同様に中国の急速な台頭に直面する中、日本ユニパックホールディング傘下の日本製紙八代工場(熊本県八代市)では、世 界最新鋭の抄紙設備を武器に国際競争に挑戦している。減産にも耐えられるコストダウンを主軸に、環境保全と安全操業にも等しく注力。地域社会から信頼され るモノづくり拠点のあり方を模索している。(井上正広)
 八代工場(敷地面積37万平方メートル)は日本3大急流の1つに数えられる球磨川を間近に臨む八代市(人口11万人)の中心部に立地する。同社における 九州唯一の製紙工場として原料の古紙や木材チップからの一貫生産を行っている。年産能力は4基の抄紙機を合わせて50万トン。九州島内のほぼ中心部という 地の利を生かし主力の新聞用紙を中心に、上質紙、普通紙複写機(PPC)用紙などを生産。中でも新聞用紙は九州での需要の半分を担い、また官製はがき用紙 は全国の65%分を供給している。
 来年に工場開設80周年を迎える予定だが、長引く不況と中国などからの輸入紙の増大を受けて足元の生産実績は年45万−46万トン台で推移中。紙の市況 もデフレ圧力にさらされ続けており、こうした向かい風に対応できる収益体制の確立が最大の課題となっている。具体的には「新聞用紙を運んだ帰りのトラック を古紙回収に使い、物流を効率化」(平川昌宏工場長代理)する一方、「購入品の内製化や1人当たりの生産性を上げる」(同)ことなどを進めている。そして 同工場が最も期待を寄せるのは世界最新鋭の抄紙機として98年に導入した「N−2マシン」のフル活用によるコスト削減だ。既に日本催促となる分速 1,635メートル(時速約98キロメートル)での安定操業ノウハウを体得済みで、5人×3交代で機器を見守る。一般用印刷紙需要が伸び悩んでいるだけに 稼働率向上のため「新聞用紙を九州に限らず中国、関西地区にも出していきたい」(濱沖賢抄造部長)と語る。
 環境・安全面の拡充にも力を注いでいる。「工場の周りがすぐ市街地」(平川工場長代理)という立地だけに、国の規制基準より厳しい環境保全協定を93年 に八代市と結んで騒音、振動、臭気の低減に努めているほか、古紙の脱墨過程で発生する廃液(黒液)も発電用蒸気ボイラの燃料として再利用。今年から塩素フ リーのパルプ化装置を稼動させるなど、環境負荷のミニマム化を不断に進めている。
 一方、新日鐵やブリヂストン、出光興産など夏以降に相次いだ製造現場での大規模事故を受けて、工場の防災体制の見直しにも着手した。防災管理の強化が柱 で「毎年行っている訓練の上乗せ」(同)が可能かどうかなどを、現在検討しているという。

■日本製紙 省資源化設備を導入 八代工場 木材チップなど削減 (2006年6月14日 日経産業新聞 16面)
 日本製紙は13日、パルプの製造に使う木材チップと薬品を削減する省資源化設備を八代工場(熊本県八代市)に導入すると発表した。木材チップの溶解に使 う薬品を一度電気分解してから活用する設備で、チップの使用量を5%ほど削減できる。投資額は約13億円。2007年9月の完成を予定している。
 新設備ではまずチップの溶解に使う白液と呼ばれる薬品を電気分解し、ポリサルファイドと呼ばれる薬品に転換。ポリサルファイドをチップの溶解に使った場 合、パルプの主成分の木材繊維まで分解してしまう危険性が白液に比べて少なくなるという。
 この結果、パルプの歩留まりが上がり、木材チップの消費を減らすことができる。八代工場は木材チップから1日約800トンのパルプを製造。新設備の導入 により年間約4万平方メートルの木材資源の消費削減につながるとみている。
 電気分解の過程でパルプの漂白に使う苛性ソーダも生じるため、苛性ソーダの購入も減らすことも可能だ。
 新設備で活用する技術は、化学薬品メーカーの川崎化成と電解槽メーカーのクロリンエンジニアズ(東京・江東)との3社で共同開発した。


■鉄道貨物輸送について

▼八代工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1930(昭和5)年版
八代
樺太工業会社

社機関車
0.6

専用鉄道
1951(昭和26)年版 八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
相手方機 0.6

専用鉄道
1953(昭和28)年版
八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
合資会社松木組
相手方機
北門線0.6
カミル線0.6

専用鉄道
1957(昭和32)年版 八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
(合資)松木組
私有機
北門線0.6
カミル線0.6

専用鉄道
1964(昭和39)年版
八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
合資会社松木組
私有機


専用鉄道
1967(昭和42)年版
八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
(合資)松木組
私有機

専用鉄道
1970(昭和45)年版
八代
十条製紙(株)八代工場 日本通運(株)
松木産業(株)
国鉄機
私有機

5.0
専用鉄道
1975(昭和50)年版
八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
松木産業(株)
国鉄機
私有機

5.0
専用鉄道
1983(昭和58)年版
八代
十条製紙(株)八代工場
日本通運(株)
松木産業(株)
国鉄機
私有機

5.0
専用鉄道

八代工場の空中写真 専用線やヤードにタキ5450形らしき貨車が見える。

▼運輸省鉄道局監修『鉄道要覧 平成6年版』より
動力
軌間(米)
区  間
km
免許
年 月 日
運輸開始
年 月 日
連絡駅
運転管理者
摘要
内燃
1,067
八代、会社工場


1.0

1.0
大14.12.11
大15.9.18
八代
松木産業(株)
元王子製紙より整備計画認可による承継
昭24.8.1認可
昭25.2.22届

▼国鉄新輸送システムへの対応 [40]
 国鉄合理化の最大の眼目である貨物部門の赤字解消のための新しい輸送システムが、1984年2月1日から実施に移された。
 国鉄の当初発表では、ヤード方式を拠点間直行方式にすることにより、本州向車扱輸送が不可ということであった。しかしその後、荷主の国鉄離れが予想以上 となり、国鉄としても採算割れから一部方針を変更し、拠点間直行列車を途中駅、または終点駅で中継するという「再託送制度」を導入することが決定し、物理 的には本州向車扱輸送が可能になった。
 しかし、この再託送制度は、
@運用面で不明瞭な部分が多い。
A運賃がアップすることは必至である。
B国鉄の貨物対策が基本的に先行き不明である。
などの問題点があり、現状の貨車輸送主体を漸減、他輸送機関に分散せざるを得ない状況となっ てきた。
 物流プロジェクトチームでは、その対策として代替輸送機関の検討や、貨車積込ホームをトラック積込ホーム への改造 、トラックが運行しやすいように建物の一部移設を行うなど、積極的な対応手段を講じつつある。

▼八代駅が着発荷役線に [41]
 八代駅の貨物取扱設備は1989(平成元)年11月12日に移転した。新設備は旅客ホームに隣接した(筆者註:八代工場にも隣接)旧機関区・客貨車区跡 地に建設された。特色として、初の交流電化区間における着発荷役線を実現したことである。

 八代駅の着発荷役線完成と同時に八代工場の専用線は廃止された可能性がある。旧貨物設備は八代工場から離れた場所にあったが、新しくできた着発荷役線 ホームは八代工場に隣接し、横持ちに都合が良い。また専用線が着発線と交差することも考えられ、その解消を狙って廃止された可能性もあるのではないか。む しろ自社の専用線の荷役設備を撤去し、JR貨物の着発荷役線側にスペースを与え、日本製紙として物流の合理化を図るといった積極的な考え方で専用線を廃止 したとも考えられる。

▼ここにも貨物駅 八代駅 発貨物の8割が紙 (JR貨物ニュース 2002年5月1日号 8面)
 八代海沿いを南に下る鹿児島本線が「く」の字を描いて東に向きを変えると、八代駅に着く。旅客ホームの南側、下り方向には製紙工場とその煙突が見える。 同工場は八代駅から発送される貨物の80%以上を出しているお客様だ。
 八代駅には11両編成対応のE&Sホームと6両編成対応の荷役線がある。現在、発列車は17:48締切りと18:10締切りの2本。一方到着するのは 15:30引取りのコンテナ列車と南延岡発の車扱列車各1本。
 コンテナの到着貨物が1日25〜30個と、発送個数の半分弱しかないので、着列車には空コンテナを熊本駅から回送してくる役目もある。同駅の1日の輸送 力は、札幌(タ)、東京(タ)、名古屋(タ)、梅田行きの直行コンテナ車14両(70個)と熊本行き3両(15個)。JR貨物八代営業所の久保常男所長が いつも苦心しているのは、この限られた輸送力をいかに配分するかだ。

▽支社主導で荷崩れ防止
 隣の製紙工場には東京や大阪方面行きを主体に、年間安定的に利用していただいているが、月の上・中・下旬で細かい波動がある。最近は倉庫入れより、納期 指定でユーザーに直送するケースも多い。「鉄道に理解の深いお客様だけに一層、ニーズに合わせたリードタイムを確保し、信頼に足る輸送品質を確保しない と」と久保所長。
 同工場では月1回、鉄道、トラック、船、全ての運送会社を集めて物流会議も開かれている。
 そこで昨年6月、荷崩れ防止対策に本腰を入れるため、エアバッグをJR貨物九州支社が購入して、同工場の平判紙輸送に使い始めた。平判紙は工場からト ラックで集荷して、駅の荷捌き場でコンテナに積載する。そのときにエアバッグをパレタイズ貨物の両脇に入れて膨らませ、荷物が動かないように固定する。1 コンテナ当たり4枚が基本だ。
 使用済みのエアバッグは東京・名古屋・大阪の到着駅に溜めておき、150枚まとまった段階でコンテナで月2回程度返送する。現在、お客様の用意したもの も加えて、約1,000枚のエアバッグが八代発の紙輸送に使われている。 

▼日本製紙(株)八代工場 環境保全のため廃棄物は生産高の1万分の1以下を既に達成 (MONTHLY JRかもつ 2006年7月 号)
 日本製紙(株)八代工場は、1924(大正13)年、九州製紙(株)として創立し、その後幾多の変遷を経て、1993(平成5)年に現在の社名となっ た。
 八代工場は年間50万トンの生産能力をもっており、品種構成は49%が新聞用紙、30%が上質紙その他、21%がPPC用紙(コピー用紙)で、特に全国 で使用される再生葉書用紙の約70%を生産している。地域別出荷状況は九州が56%と最も多く、関東13%、関西11%、中部6%となっている。 輸送手段では全体の17%をコンテナ輸送が占め、特に遠距離である関東向けの42%、関西向けの45%、中部向けの61%がコンテナ輸送 となっている。
 同工場の大きな特徴は、環境保全に万全を期していることで、例えば原材料に九州全域から回収された新聞古紙を有効利用しているのはもちろんのこと、杉の 廃材チップも活用している。場内ではチップも野積みにするのではなく、チップサイロに受け入れ、払出作業は自動的に行われている。回収ボイラーではパルプ 製造工程で出る排液を燃焼させることにより発生する蒸気で発電し、石炭、重油ボイラー、タービン発電機などとともに、自社内で使用する電気使用量の98% を賄っている。また、排水処理・排気処理設備を完備しており国の基準よりさらに厳しい規制値である八代市の環境保全協定に対応し、水質汚染防止、臭気、排 煙、集塵など地域社会に信頼される工場づくりに努めている。
 2005年下期(10〜3月)で118%もの伸びを示したコンテナ輸送について、加来事務部製品課長、梶原製品課主任は「環境に優しい鉄道輸送にさらに モーダルシフトしていくのは良いことだと考えている。今後の課題としては、製品の発送が期末に集中するときのコンテナの確保や輸送品質、安定輸送、異常時 の連絡体制の整備などがあり、今後さらに検討を続けたい」と話した。

▽八代工場の物流状況 (上記記事と生産量から筆者推定)

出 荷量
出荷比率
鉄 道輸送量
鉄道輸送比率
2005年生産量
49.3万トン
100%
8.4万トン
17%
九州向け
27.6万トン
56%
不 明

関東向け
6.4万トン
13%
2.7万トン
42%
関西向け
5.4万トン
11%
2.4万トン
45%
中部向け
3.0万トン
6%
1.8万トン
61%
その他向け
6.9万トン
14%
不 明

※全体の鉄道輸送量8.4万トンから判明している関東・関西・中部向けを除くと向け先不明が 1.5万トン

▼八代工場発送の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備 考
コンテナ
日本製紙(株)?
八代


宮城野 C31
1998.7.18宮城野
コンテナ
日本製紙(株)?
八代
紙 印刷紙

松山 19D
2003.1.3松山

▼八代工場到着の鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備 考
車扱
旭化成(株)
南延岡
液化塩素
日本製紙(株)
八代
タキ5450形
JR貨物ニュース2002年5月1日号8面から想定
2003年の八代工場のECF化に伴い廃止か。



16.その他の工場

■十條製紙(株)秋田工場

東北パルプ(株)秋田工場 [12]
 秋田工場は、石巻と同じく丸網抄紙機を設置したが、昭和29年には休転し、もっぱら木釜を増設して人絹パルプ(現在は溶解パルプ、DPと称している)の 生産 工場となった。木釜は32年には全部で8基となり、DPの年産は約11万トンで、山陽パルプに次いで国内第2位の地位にあった。しかし、DPを原料とする 人絹・スフは、天然繊維や合成繊維に挟まれて、31年ころから大幅な操短を余儀なくされていた。そのうえ、34年からはアラスカパルプの製品が輸入され、 37年からは貿易が自由化されるなど国際競争の場に立たされた。この事態に対処するためコスト引き下げの努力が続けられ、それまではせいぜい50%の混入 率であったL材を、34年ころからは一挙に100%とすることに成功した。
 また秋田工場では、パルプ廃液を利用して、36年には酵母設備を完成し、家畜飼料、食品添加、栄養保健剤などを生産販売し、また核酸設備工事も計画され ていた。

十條製紙(株)秋田工場 [12]
 秋田工場はDPを主力としているだけに、国際競争力上問題の多い工場である。DPの今後の需要は、合繊の出現によって大幅な増大が期待できない。した がって、DPの増産を目的する設備投資は、原則としてこれを行わず、化成品の積極的な開発を推進してファインケミカル部門へ進出、または立地上の特性を生 かした新規事業の開発を図ることが基本方針とされた。
 実情としては、48年2月の実質的円切り上げからDPの値上げは困難の度を増した。その一方、DPの生産は公害対策の面でも一般紙用パルプよりも更に厳 しい環境におかれている。コスト引き下げ努力も容易ではない。国内メーカー4社のうち、日本パルプは48年8月で生産を停止することになった。十條製紙で は、国内需要家に対し、公害対策費のハネ返りなどを説明して、アラスカパルプなど輸入品の価格にかかわらず、値上げの努力が続けられている。47年下期に おけるDPの月平均生産高は約10,000トン、販売金額は7億円である。秋田工場生産金額の9割を占めるDPの帰趨は、まことに重大といわざるを得な い。
 秋田工場のブナパルプの廃液は、酵母の生産に適しており、旧東北パルプ時代の36年から生産されていた。
 この酵母は畜産、食品、調味料界に原材料として販売されているが、酵母には非常に有効な成分が含まれていて、いろいろな物質を抽出することが出来る。秋 田工場ではすでに「アミノ酸」、「酵母エキス」、「核酸」などをこれから生産し、販売している。
 食品・飼料原料としての酵母は、石油酵母と関連して発ガン物質の含有が問題となったが、十條製紙の酵母は木材の中の糖分を原料とするものであり、長年に わたる安全試験の結果が出ているので、この問題は解決した。世界的蛋白質不足により、酵母の需要は伸びており、十條製紙としてはその増産を検討中である。 酵母関連を含めて、47年度売上高は約6億円であり、49年度までには、さらに新製品の企業化が期待されている。
 またリグニンは粉末状のものと液状のものとがあるが、セメント会社やコンクリート会社の分散剤、農薬メーカーや飼料会社の粘結剤として販売されている。 需要家の要望に応じて薬品添加など加工を加えているが、需要は横ばいである。47年度売上高は3.4億円であるが、この売上増は、工場の公害減少のメリッ トとなることでもある。

十條パルプ(株) [2]
 昭和51年7月、秋田工場対策委員会が設置され、秋田の収益をいかに立て直すかが急務となった。翌52年3月には、人員合理化(624人から372人体 制へ)を骨子とする緊急策がまとめられた。そしてその合理化の受け皿として、秋田十條サービスや秋田十條緑化(52年9月設立)、また石巻への山林業務移 管など、人員の再配置が進められていくことになる。しかし、そういった一連の努力は報われず、むしろ円高の急速な進展と輸入品の安値に地道な努力は打ち消 されて、秋田の収益は日増しに悪化した。昭和54年10月には、秋田別会社化による再建策を打ち出さねばならなくなった。
 昭和55年5月1日、十條パルプ(株)が発足する。資本金25億円で全額十條製紙が出資。発足時の従業員は392名(関係会社51名も含む)で、これま でよりも80名も少ないスリムな形となった。分離後、初の決算に当たる55年上期では、若干の円安、DP売価の回復もあって、十條パルプは700万円の利 益を計上することができる。ホッとしたのも束の間、またもやDP売価はジリジリと値を下げていく。
 そしてまもなく、有力得意先7社から預かった長期安定取引保証金を分割で返さなければならないときがくる。
溶解パルプ長期安定取引
に関する諸協定
昭和49年6月、日東紡績、クラレ、富士紡績、東レ、ユニチカの化繊5 社。
さらに東京セロファン、福井化学のセロファン2社。計7社との間に結ばれた
もので、契約期間は7年間であった。
その内容は、取引数量に応じた保証金を預託金として受け取り、5年間据え
置いたのち、残り2年の間に分割返済するというもの。預託金に対しては一
定の利息が支払われた。
 保証金を完済すると途端に取引をストップするところが現れてくるという状態になる。それだけ化繊業界は、ますます斜陽化しているのだった。そういった先 細りしていく取引先のなかで、以前よりも増して十條パルプを応援してくれる得意先が1社あった。それは日東紡績の郡山と富久山工場で、「われわれも頑張る から、秋田も頑張ってください」といい、1トンも減らさず購入してくれたのだった。月産8,000トン。需要が先細りするなかで、その内の2,500トン を安定的に引き取ってくれたのである。
 明暗区々のなかで、しかし、事態はますます泥沼状態に陥っていく。円高が進み、売価のジリ安が続く中で、究極的に秋田の採算に致命的な打撃を与えたの は、南アのサイカー社の安値攻勢であった。サイカーのDPは、ユーカリ、アカシアといった材を原料とする広葉樹パルプである。ブナ材を主体とする秋田DP との真正面からの戦いになる。売れ行きが減る中でのサイカーのキロ100円を割るという安値パルプの影響は深刻だった。秋田は、またもや大きな赤字を免れ ない情勢になる。
 そういった状況の中、経営陣はA案とB案の検討に入った。A案はDPの縮小生産、そして排液利用の薬品類でなんとか黒を出す案。B案は跡地会社を作って 少しでも雇用を確保し、DP工場を閉鎖する案である。昭和60年は一時期、円安に戻していた為替がプラザ合意によって再び急激に円高となり、ついに1ドル 200円台を割るという大変な年であった。誰しも予想しえなかった危機的な事態である。ここまでくればもはやB案、すなわち閉鎖の道しかない。具体的な計 画の調整を進めることになった。60年10月初めのことであった。
 61年1月4日、新年早々からDPは半操業となり、並行して関東、関西のユーザー、チップ業者、さらに秋田県庁、秋田市、秋田銀行、羽後銀行などの金融 機関、新聞社への説明が手分けして行われていく。
 61年3月19日、調木、木釜関係はすでに止まり、1台だけ動いていたパルプマシン(3,500ミリ)も操業がストップする。秋田の火は、この日をもっ て事実上、消えるのである。5月30日には解散式が行われている。跡地会社(十條化成、十條緑化、十條建産など)に残る者116名、石巻、勿来、東京本社 などに転出する者72名、退職する者111名、ほか2名、計301名の従業員はおそらく、それぞれが感無量であっただろう。初操業以来、ほぼ50年。この 歴史ある秋田もSP木釜8基、溶解パルプ専業だっただけに、得意先の斜陽、急激な為替変動にはついに勝てず、半世紀足らずで幕を下ろすことになった。

▼白いマイタケ人気 秋田十條化成が生産販売 (2004年02月04日水曜日 河北新報)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2004/02/20040205t42013.htm
 日本製紙(東京)の子会社、秋田十條化成(秋田市)が生産、販売しているマイタケ「華まいたけ」が好評だ。焦げ茶色のほかに真っ白なものもあり、加藤洸 一社長は「白は高級感があり、首都圏や大阪の料理店で使われている」と説明している。
 マイタケに着目したのは1980年代。十條製紙(現日本製紙)が秋田工場のパルプ生産を停止したのを機に、廃液利用で培った培養技術を生かそうと、86 年に秋田十條化成を設立。オガクズなどを使った菌床培地によるキノコ栽培と販売を始めた。
 独自の培地に特にこだわる。抗がん作用があるとされる多糖類のベータグルカンの含有量は、華まいたけは通常のほぼ2倍に上るという。
 ただ「安売り競争に巻き込まれたくない」(秋田十條化成)と、スーパーでの販売はごく一部にとどめている。料理店などにじかに売り込んでおり、現在は8 割以上を玉川温泉(秋田県田沢湖町)や鬼怒川温泉(栃木県)の旅館やホテルなどに直接販売している。
 華まいたけは茶色が7割、白が3割を占め、生産量は当初の70トンから150トンに増加した。価格はいずれも1キロ1,500円で、昨年の売上高は1億 円以上に上る。
 加藤社長は「食材へのこだわりが、親会社のイメージアップにもなる」と話している。

▼鉄道貨物輸送について

▽秋田工場の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1951(昭和26)年版 新屋
東北パルプ(株)
日本通運(株)
共栄運輸社
相手方機
手押
2.0


1953(昭和28)年版
新屋
東北パルプ(株)
日本通運(株)
共学運輸社
相手方機
手押
2.0


1957(昭和32)年版 新屋
東北パルプ(株)
日本通運(株)
共学運輸社
私有機
手押
2.0


1964(昭和39)年版
新屋
東北パルプ(株)
日本通運(株)
共栄運輸社
国鉄機
私有機
手押
2.0


1967(昭和42)年版
新屋
東北パルプ(株)
日本通運(株)
共栄運輸社
国鉄機
私有機
手押
2.0


1970(昭和45)年版
新屋
十条製紙(株) 日本通運(株)
新屋運輸(有)
共栄運輸(株)
国鉄機
新屋運輸機
2.0
(機)0.4
8.1

1975(昭和50)年版
新屋
十条製紙(株)
日本通運(株)
新屋運輸(株)
共栄運輸(株)
国鉄機
新屋運輸機
2.0
7.2

1983(昭和58)年版
新屋
十条パルプ(株)
日本通運(株)
新屋運輸(株)
共栄運輸(株)
国鉄機
新屋運輸機
2.0
6.5


▽十條製紙(株)所有のタンク車のうち新屋駅常備 (『私有貨車番号表 昭和54年3月31日現在』)
所 有者
車 種
形 式
番 号
両 数
荷 重
常 備駅
十條製紙(株)
亜硫酸パルプ廃液専用
タム4900
4907-4909
3
15
新屋



■西日本製紙(株)

▼十條製紙(株)坂本工場 [2]
 明治31年10月に東肥製紙の工場として開業し、マシン2台で証券用紙に類するものを抄造したが、開業直後火災にあい、幸いマシンは復旧できたが、東肥 製紙は経営困難となったので、明治36年、大川平三郎がこの工場を引き受けて九州製紙を設立した。
 ここは大正5年に長網機と長網ヤンキー各1台、大正13年に長網機2台を増設し、新聞用紙や包装用紙を抄造するようになった。昭和5年にも長網ヤンキー 1台を増設して、7台のマシンを持つ工場となった。しかしこの工場は狭い谷あいにあったので、増設マシンの向きがまちまちであったり、また製品・諸資材は 坂本駅と工場との間にエンドレスのワイヤロープを設置し、これを使用してトロッコで運搬したが、エンドレスの支線のトロッコは牛が引くという大時代なとこ ろがあった。
 それが大正15年には樺太工業の工場となり、昭和8年には王子製紙の工場となった。が、昭和15年には1台を満州の錦州パルプへ移設、もう1台は昭和 17年に廃棄したので、十條製紙発足時には、長網機3台、長網チッシュ1台、長網ヤンキー1台、計5台の抄紙機を持っていた。
 また、この工場には水力発電(2,027kw、明治42年、大正10年、昭和7年完成)、火力発電(225kw、昭和5年3月完成)、5トン木釜(大正 元年設置)があったが、電力・SPともに自給とまではにはいかなかった。

▼西日本製紙(株)の発足と解散 [2][12]
 昭和32年1月には、坂本工場の142インチ新聞用紙マシンが稼動した。このマシン(当時坂本工場の1号m/c、後に移設して現八代工場3号m/c) は、小倉工場と同じメーカーであり、性能も似たようなものであった。これで九州の新聞マシンは、八代、小倉、坂本の各1台、計3台となって、九州の需要を 賄い、関西方面にも出荷できる能力となった。
 十條製紙は九州に小倉、八代、坂本の3工場を持っていたが、その生産量合計は釧路1工場の生産量と同じで、人員を合計すれば釧路の2倍であった。しかも 小倉工場は用水の不足から現状以上の拡張は出来ず、また化学パルプは八代工場から供給を受けていた。坂本工場は土地が狭いため拡張が無理であり、その人件 費増大から赤字が目立ってきた。この両工場を八代工場に統合して、パルプからの一貫生産を図れば、集約による相当の利益が見込まれる。
 昭和40年4月、統合の具体案を発表した。小倉工場の1号m/c(上質紙)、2号m/c(上質紙)、3号m/c(新聞用紙)の3台と、坂本工場の1号 m/c(新聞用紙)、計4台のマシンを改造して八代工場へ移設し、坂本工場の残りのマシンやSP設備は廃棄、または他工場へ移設する。また移設の時期は、 両工場の新聞マシンが移設のため停止しても、新聞社に迷惑をかけないように、釧路工場の新設7号m/cが順調に操業される時期、すなわち41年4月から 11月までの間とした。
 坂本跡地新会社は、41年12月に「西日本製紙株式会社」として発足し、資本金は1億円、地元の坂本村なども株主であった。従業員約270名(十條製紙 出向者も含む)で、長網機1台、ヤンキーマシン2台で出発したが、この会社が自立できるという範囲の中で、できるだけ労働条件の改善などが行われた。
 しかし、八代工場のN1マシンの稼動に伴い西日本製紙(株)は63年9月末で正式解散となった。

▼鉄道貨物輸送について

▽西日本製紙(株)の専用線概要の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
備 考
1953(昭和28)年版
坂本
十条製紙(株)坂本工場
相手方機
0.9


1957(昭和32)年版 坂本
十条製紙(株)坂本工場

私有機
0.9


1964(昭和39)年版
坂本
十条製紙(株)坂本工場

私有機
0.9


1967(昭和42)年版
坂本
西日本製紙(株)
私有
0.9


1970(昭和45)年版
坂本
西日本製紙(株) 坂口産業(株)
私有機
0.9
1.1

1975(昭和50)年版
坂本
西日本製紙(株)
坂口産業(株)
私有機
0.9
1.1

1983(昭和58)年版
坂本
西日本製紙(株)
坂口産業(株)
国鉄機
私有機
1.4
1.8
一部国鉄側線


■その他の日本製紙グループの鉄道貨物輸送
種 類
発 荷主
発 駅
品 目
着 荷主
着 駅
形 式
備 考
コンテナ
三菱製紙(株)北上工場
六原
クラフトパルプ
日本板紙
高松
C31
1998.3.11幸田
コンテナ
日本製紙(株)
小名木川
紙器
コーバックインターナショナル
山形
18D
1998.9.7山形
コンテナ
十條セントラル(株)
隅田川
ピュアパック

郡山(タ)
19A
1998.6.21宮城野
コンテナ
十條セントラル(株) 隅田川
ピュアパック

東福島
19B
1998.6.21宮城野
コンテナ
十條セントラル(株)
姫路貨物
ピュアパック

南福井
18D
1998.2.28富士




<工場別の鉄道貨物輸送のま とめ>
工 場名
専 用線
コ ンテナ
車  扱
鉄 道輸送量
備  考
旭川工場
新旭川駅
1997.9廃止
専用線廃止後
北旭川駅発送
液化塩素、重油が
到着
約33万トン/年(90年頃)
現在不明
生産再編に伴い鉄道輸送依存度が下がった模様
釧路工場
新富士駅
1984年頃廃止
専用線廃止後
新富士駅発送
薬品類が到着か?
詳細不明
現在コンテナで
数千トン程度か?
釧路工場の輸送の主力は船舶輸送と思われる
勇払工場
勇払駅
1980年頃廃止
専用線コンテナ扱
現在、苫小牧駅発送
港北駅発送で飯田町紙
流通センター向け輸送
飯田町向け車扱は
1万1千トン/年(91年度)
勇払工場の輸送の主力は船舶輸送と思われる
白老工場
萩野駅
2008.3廃止
専用線コンテナ扱
及び東室蘭駅発送
チップが陣屋町から
重油が本輪西から到着
紙は生産量の1割:6万トン/年
チップは約23万トン/年(98年)
チップ輸送は白老工場の生産量の減少に伴い、
半減した後2008.3廃止。
コンテナ輸送も同時に廃止。
日本大昭和
板紙
秋田工場
向浜駅
専用線コンテナ扱
原料の一部が
コンテナで到着
苛性ソーダ、液化塩素、
ラテックスがタンク車で
到着(秋田港着含む)
コンテナ輸送が約20万トン/年
2003年から発電燃料のタイヤがコンテナで到着

石巻工場
石巻港駅
専用線コンテナ扱
北王子などへ輸送
原料の一部が
コンテナで到着
ワム80000形による北王子
への輸送はコンテナ化
苛性ソーダ、液化塩素、
ラテックスがタンク車で
到着
約50万トン/年(02年度)
2006年に発送はすべてコンテナ化
宮城野駅着でステアリン酸カルシウムが到着
岩沼工場
岩沼駅
専用線コンテナ扱
原料の一部が
コンテナで到着
苛性ソーダ、液化塩素、
ラテックスがタンク車で
到着
約17万トン/年(01年度)
宮城野駅着でステアリン酸カルシウムが到着
富士工場
富士駅
専用線コンテナ扱
ワム80000形による
紙輸送(新座タ、梅田)
車扱で約5万6千トン/年
(04年度)
富士駅発送の車扱は90年頃は約20万トンあり、
輸送量の落ち込みが激しい
富士工場
(鈴川)
吉原駅
専用線コンテナ扱
ワム80000形による
紙輸送(新座タ)
塩素酸ソーダ着(廃止)
車扱で1万5千トン/年、
コンテナで1万3千トン/年
(04年度)
吉原駅発送の車扱は90年頃は約6万トンあり、
輸送量の落ち込みが激しい
日本大昭和
板紙
吉永工場
比奈駅
専用線コンテナ扱
岳南原田駅発送
ワム80000形による
紙輸送(越谷タ、梅田等)
比奈駅は約11万トン/年、
岳南原田駅は約1万トン/年
(04年度)
岳南原田駅発送は2004年度から復活
伏木工場
伏木駅
2008.9工場閉鎖
専用線コンテナ扱
隅田川などへ輸送
ワム80000形による
隅田川へ輸送(コンテナ化)
約10万トン/年と予想
鉄道輸送の依存度が高い(90%以上か)
日本大昭和
板紙
大竹工場
無し
大竹駅から発送
無し
不明
旧、日本板紙
岩国工場
岩国駅
専用線コンテナ扱
全国各地へ発送
液化塩素が到着の模様
ワキ5000形の紙輸送(廃止)
約22万トン/年(04年度)
日本製紙ケミカル(株)が
コンテナ輸送(リグニン液)
八代工場
八代駅
2003年頃廃止?
専用線廃止後は
八代駅から発送
南延岡から液化塩素が
到着していた模様
約8万トン/年(05年頃)
専用線廃止後も鉄道貨物輸送を一定量継続、
八代工場全体の17%が鉄道輸送



参考文献
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[19]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』第24巻第11号、通巻154号、1995年
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[21]渡辺 一策・前沢 浩二「東京圏を走る貨物列車あれこれ」『鉄道ピクトリアル』第47巻第3号、通巻634号、1997年
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[46]『秋田臨海鉄道30年のあゆみ』秋田臨海鉄道株式会社、2001年
[47]冨手 淳「注目の貨物輸送〔小坂製錬〕−三重連と硫酸輸送健在−」『鉄道ピクトリアル』第50巻第1号、通巻第680号、2000年

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