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甲府都市圏の貨物取扱駅
2020.5.4作成開始 2020.5.10公開 2021.8.8 訂補

《目 次》
はじめに
専用線一覧
駅別の貨物取扱量推移
 1964(S39)年度
 1967(S42)年度
 1971(S46)年度
 1976(S51)年度
 1982(S57)年度
 1985(S60)年度
 1995(H7)年度
 2000(H12)年度以降
最後に
2006.8竜王駅

■はじめに  
 山梨県の県都・甲府市は人口18.7万人(2020年4月現在)、甲府都市圏としては約60万人の人口を抱える。甲府市の人口は、鳥取市とほぼ同じで都 道府県庁所在地としては、最下位レベルだ。ただ人口密度は、甲府市は鳥取市の3.6倍ほどあり、さほど低い水準ではない(大津市や岡山市に近い)。都市 雇用圏としては、長野や郡山、山形といった都市圏と人口的には近く、甲府市の人口の少なさは周辺自治体と一体的な都市圏を形成していることと裏腹な関係と 言 えそうだ。

 さて、ここで興味深いのは、上記の長野、郡山、山形と甲府を鉄道貨物輸送的観点≠ナ比較すると、いずれもコンテナ取扱駅を擁する内陸都市である点だ。 しかし、そ の姿は四者四様と言えるほど異なる。

 郡山には、着発荷役線方式を備え大型コンテナも取り扱う郡山貨物ターミナル駅や日本オイルターミナル(株)郡山営業所の油槽所もあり、福島県どころか南 東 北を代表する鉄道貨物輸 送の一大拠点である。長野は、客貨分離された北長野駅というコンテナ取扱駅はあるが、着発荷役線化されることもなく基本的に昭和40年代に開設された設備 が残る中堅貨 物駅で、長野県を代表する貨物ターミナルとしては巨大な石油基地等を備えた南松本駅という構図だ。山形は、市内に発着する貨物列車は廃止されたものの、コ ンテナ基 地は郊外に移転し山形ORSとなり、鉄道貨物の繋がりが残っている。

 そして甲府は、その中でも中間的な位置付けで、甲府市に隣接する甲斐市内には山梨県唯一の貨物取扱駅である竜王駅が存在するが、コンテナ基地は小規模で 12ftコンテナを細々と取り扱うのみである。その一方で、JXエネルギー(株)甲府油槽所の専用線があり甲府都市圏の石油基地としての地位を今なお保っ ている。

 そのような事実は、郡山と同様な物資別適合ターミナルを甲府都市圏にも整備できたのではないか、という疑問に繋がる。第2回「統計から見る鉄道貨物輸 送」の「山形都市圏の貨物取扱駅」 に続いて、第3回は甲府都市圏で考察する。前回同様に各貨物取扱駅の取扱量の推移から、改めて貨物ターミナル駅の可能性を検証してみたい。



■専用線一覧赤字はJR貨物発足後も使用)  

山梨市
石 和
酒 折
甲 府
竜 王
南 甲府
東 花輪
石 油


エッソ石 油(株)
シェル石油(株)※5

日本石油(株)※5
丸善石油 (株)※3
共同石油(株)※3 ※8
大協石油(株)
鈴与(株)
山光石油(株)
山梨共栄石油(株)
三 井物産石油販売(株)※2
ゼネラル物産(株)※1
(株)ミ ツウロコ※4
共同石油(株)※6
ガ ス



東 京瓦斯(株)※2
岩谷産業 (株)
東京瓦斯 (株)
鈴与(株)
山光石油(株)
(株)ミ ツウロコ※4
セ メント

日本セメント(株)※6
秩父セメント(株)※5



小野田セ メント(株)
三菱鉱業セメント(株)※6
住友セメ ント(株)※5
砕 石/砂利

甲州砕石 (株)
(株)甲 石社※1
(株)甲石社※5

龍王産業 (株)

小田急砂 利(株)※3
飼 料/穀物





坂本産業 (合名)※3
白麦米 (株)※6
倉 庫



山梨倉庫 (株)

坂本産業 (合名)※3
甲府倉庫(株)※7

そ の他
日 本カーボン(株)※1


山梨県経 済連
三 信産業(株)※4 ※9
坂本木材(株)※7
日 本軽石ブロック(株)※2

「専用線一覧表」に存在する期間(昭和 39年版以降)
※1   S39年版まで
※2 S42年版まで
※3 S50年版まで
※4 S42年版〜S58年版まで 
※5 S45年版〜S58年版まで 
※6   S50年版〜S58年版まで
※7 S58年版のみ
※8 S39年版では東亜石油(株)
※9 業種不明、S58年版では(株)信栄
※印無しは、S39年版〜S58年版まで

 今回取り上げる駅は、山梨市、石和、酒折、甲府、竜王、南甲府、東花輪の7駅とした。甲府都市圏の定義と厳密に一致させて選定しているわけではなく、筆 者が 任 意に定めた7駅となるが、甲府盆地に発着する物資の鉄道貨物輸送の流れを把握するという観点では、ちょうど良い7駅ではないかと思う。



■駅別の貨物取扱量推移  
 この項では、『山梨県統計年鑑』より貨物取扱量を入手した1964 (S39)年以降で、「専用線一覧表」が発行された年、即ち「昭和39年版」「昭和42年 版」「昭和45年版」「昭和50年版」「昭和58年版」と同じ又 は近い年度で、駅別の取扱量を見ていく。

 また、『山梨県統計年鑑』は1986(S61)年度〜1994(H6)年度は、貨物取扱量のデータに欠損があるため、1985(S60)年度と1995 (H7)年度の取扱量を見ることにした。因みに1995年度は、筆者が最初に山梨県内に鉄道貨物の調査に訪れた年でもあり、このページの大半の写真はその 時に撮影したものである。更に1995年度は、JR貨 物の石 油・セメント輸送の大幅な集約が行われた1996(H8)年度以降〜2000年代前半直前のデータになるという意味でも、ちょうど良い≠ニ言えそうだ。

 そして、山梨県内における一連の鉄道貨物集約化が終了し、甲府都市圏はおろか県 内の貨物取扱駅が竜王駅に集約された2000(H12)年 度以降の数字も纏めておく。

1995.9竜王駅 日本石油(株)甲府油槽所


▼1964(S39)年度  
山 梨市
石  和
酒  折
甲  府
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
16,852
31,126
47,978
48,614
18,965
67,579
33,384
55,600
88,984
82,319
197,622
279,941
竜  王
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
168,104
41,504
209,608
62,239
194,925
257,164
36,490
15,488
51,978
447,912
555,230
1,003,142
(『昭和41年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 1964年当時は、甲府駅の貨物取扱量が都市圏で最大であるが、南甲府駅も同水準であることが分かる。石和駅や東花輪駅には当時セメント会社の専用線は 無 く、到着量は少ない。また甲府駅には石油やセメントの専用線は無く、専用線以外の一般貨物の取り扱いが殆どと思われる。また竜王駅の発送量の多さも目立 つが、これは龍 王産業(株)の専用線から砂利や砕石が東京方面に大量に発送されていたためと思われる。

 この当時は、7駅合計で発送が44.8万トン、到着が55.5万トンと、発着にそれほど差が無かった。昭和40年代になると、発送が減る一方で到着が大 きく増加し、鉄道貨物が甲府都市圏向けの石油やセメントといった消費物資向けの輸送の比重が高くなる一方、一般貨物はトラック輸送等への転換が進み、発送 の減少に繋がったと考えられる。

 それでは、まずは石油から輸送体系を紐解いてみたい。
 南甲府駅は、この時点で石油やガス系の専用線が集積しており、石油元売会社以外の特約店・代理店も含めると日石、出光、三菱、丸善、大協、東亜(後の共 石)の6社の 油槽所が立地していた。

 1964年までの油槽所開設等の経緯は、下記の通りである。下表では 便宜上、LPGも含めている。
1949(S24) 年04月
山梨共栄 石油(株)が日本石油(株)の特約店になる
山梨共栄石油(株)webサイトより
1949(S24) 年04月
鈴与 (株)甲府支店が三菱石油(株)の特約店契約を結び再 発足
『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、
1971年、 p599
1953(S28) 年09月
山梨出光 石油(株)が創業。南甲府油槽所を建設。
同年10月には出光興産(株)の山梨県総代理店になる
山光石油(株)webサイトより
1953(S28) 年12月
鈴与 (株)が甲府市朝気に油槽所を開設
『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、
1971年、 p599

1954(S29) 年05月
山梨出光 石油(株)が山光石油(株)に改称 山光石油(株)webサイトより
昭和30 年代前半
丸善石油 (株)甲府油槽所が開所
東亜石油(株)〔後の共同石油(株)〕甲府油槽所が開所
『専用線一覧表』より予想
1960(S35) 年12月
山光石油 (株)南甲府油槽所にプロパンガス充填所を建設 山光石油(株)webサイトより
1961(S36) 年05月
大協石油 (株)甲府油槽所が開所 『大協石油40年史』大協石油株式会 社、
1980 年、p189

1962(S37) 年04月
鈴与 (株)甲府支店はプロパンガス充填所と30トンタンク 1基完成。
同時に三菱液化ガスの特約店になる
『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、
1971年、 p607
1963(S38) 年07月
鈴与 (株)甲府支店にLPガス専用20トンタンク車が配備
『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、
1971年、 p607


1995.9南甲府駅 鈴与(株)甲府支店

 南甲府駅以外にも石油系の専用線は設置されており、東花輪駅には 1960(S35)年8月に開所したゼネラル物産(株)甲府貯油所『ゼ ネラル石油三十五年の歩み』ゼネラル石油株式会社、1982年、p267)と 三井物産石油販売(株)の専用線があった。三井物産石油販売(株)は歴史的にもゼネラル物産(株)〔後のゼネラル石油(株)〕と関係が深く、両者は油槽所 も一体となっていた可能性がある。尚、ゼネラル物産の専用線は、「昭和39年版専用線一覧表」をもって姿を消しているが、作業キロが同じ(株)ミツウロコ の専用線が入れ替わるように「昭和42年版専用線一覧表」で現れており、ゼネラル物産は油槽所をミツウロコに譲渡したと思われる。尚、ミツウロコはゼネラ ル物 産と取引をしており、その可能性は高いと言えるだろう。

 また、ミツウロコは、1965(S40)年9月に甲府LPガスプラントを新築移転(『ミツウロ コ五十年史』株式会社ミツウロコ、1976年、p336)したとのことで、譲渡はこの頃かもしれない。

 更に酒折駅には、昭和30年代後半に開所したエッソ・スタンダード石油(株)甲府油槽所の専用線があった。

 『山梨県統計年鑑』には1971(S46)年度まで、「国鉄府県別貨物発送及び到着トン数」が掲載されており、1964年度の「鉱油」と「揮発油」の到 着トン数を下記の通り纏めた。これによると、神奈川県と静岡県が発送元の大部分を占めていることが分かる。

1995.9南甲府駅 山梨共栄石油(株)南甲府油槽所

(単位:トン)
1964年度
総 数
千 葉
東 京
神 奈川
静 岡
愛 知
三 重
和 歌山
そ の他
鉱 油
66,333
307
270
44,656
15,672
341
4,207
215
665
揮 発 油
45,459
740
55
34,549
8,730

1,325

60
合 計
111,792‬
1,047
325
79,205
24,402
341
5,532
215
725
(『昭和41年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

  ここまでの情報から、この当時の石油輸送体系を下記の通り考察してみた。
発 荷主
発 駅
着 駅
着 荷主
備  考
日本石油 (株)根岸製油所
根岸
南甲府
山梨共栄 石油(株)南甲府油槽所
1964 年6月に根岸線は貨物取り扱いを開始
日本石油 (株)横浜製油所
入江・新 興
南甲府
山梨共栄 石油(株)南甲府油槽所

三菱石油 (株)川崎製油所
扇町
南甲府
鈴与 (株)甲府支店

東亜石油 (株)川崎製油所
水江町
南甲府
東亜石油 (株)甲府油槽所

出光興産 (株)川崎油槽所
水江町
南甲府
山光石油 (株)南甲府油槽所
京葉臨海 鉄道の前川駅は1965(S40)年6月開業
丸善石油 (株)千葉製油所
浜五井
南甲府
丸善石油 (株)甲府油槽所
浜五井駅 は1963(S38)年9月開業
丸善石油 (株)横浜油槽所
新興
南甲府
丸善石油 (株)甲府油槽所 千葉県か らの石油到着トン数が少ないため、メインはこちらか
大協石油 (株)川崎油槽所
水江町
南甲府
大協石油 (株)甲府油槽所
三重県か らの石油到着トン数が少ないため、メインはこちらか
大協石油 (株)四日市製油所
四日市
南甲府
大協石油 (株)甲府油槽所
ゼネラル 物産(株)
清水
東花輪
ゼネラル 物産(株)甲府貯油所
清水駅に ゼネラル物産(株)の専用線あり
東亜燃料 工業(株)川崎製油所
浮島町
酒折
エッソ・ スタンダード石油(株)
甲府油槽所
浮島町駅 の東亜燃料工業(株)専用線は1964年11月営業開始
東亜燃料 工業(株)清水製油所
清水
酒折
エッソ・ スタンダード石油(株)
甲府油槽所


 この他に東京都からの到着は、日本石油(株)隅田川油槽所が発荷主かもしれない。同油槽所は、横浜・根岸製油所及び日本海側の製油所から石油を受け入 れ、給油所・特約店・需要家・工場等に配送する貯蔵及び輸送拠点で、配送地域は都内・埼玉・千葉・茨城の各県とのことだが(『貨物』 1974年9月号、p22)、1964年当時は山梨県にも出荷していたのかもしれない。

 愛知県は石油会社の専用線が集積する名電築港駅(後の汐見町駅)があるなど発送元の特定はおろか予想も困難で、和歌山県は初島駅の東亜燃料工業 (株)と下津駅・加茂郷駅の丸善石油(株)のどちらかと思われるが、決め手に欠ける。上記表でも充分に錯綜した輸送体系が想像されるが、現実には、更に複 雑 な 輸送となっていた可能性が高い。


 さて、次にLPGを考察する。東京瓦斯(株)の輸送体系は解明できていない(京浜地区から石油やガスが到着していたと思われる)が、それ以外は下記のよ うな輸送が考えられる。鈴与は、前述した通り同社の社史から、確実に貨車によるLPGの到着があったと言え、扇町〜南甲府間の輸送もほぼ確実であろう。岩 谷産業と山光石油は直接的な情報が不足しており、筆者の予想である。
発 荷主
発 駅
着 駅
着 荷主
備  考
大協石油 (株)四日市製油所
四日市
竜王
岩谷産業 (株)
四日市駅 の第三者使用に岩谷産業(株)あり
三菱液化 瓦斯(株)
扇町
南甲府
鈴与 (株)甲府支店

ブリヂス トン液化ガス(株)川崎工場
末広町
南甲府 山光石油 (株)
末広町駅 のブリヂストン液化ガス(株)専用線は1964年3月営業開始
第三者使用に出光興産(株)あり

1995.9南甲府駅 鈴与(株)甲府支店


 続いてセメント輸送を考察する。1964年当時は山梨県内はバラ輸送用のサービス・ステーション(以下SS)の設置が無く、専用線としては小野田セメン ト(株)のみ存在している。

 しかし、当然袋詰めセメントの到着が専用線とは関係なくあった筈で、まずは『山梨県統計年鑑』の「国鉄府県別貨物到着トン数」から1964年度の「セメ ント」を確かめると、下表の通りかなり広範囲から到着があった。但し、この数字は山梨県全体なので、今回着目している甲府都市圏6駅以外の数量も含まれて いることは留意が必要。

1964年度
セ メント(トン)
比 率(%)
想  定 荷 主
総  数
165,178
100.0

福 島
3,728
2.2
住友セメ ント(株)田村工場、住友セメント(株)四ツ倉工場
茨 城
7,775
4.7
日立セメ ント(株)日立工場
栃 木
294
0.2
住友セメ ント(株)栃木工場
埼 玉
55,511
33.6
秩父セメ ント(株)熊谷工場、秩父セメント(株)秩父工場、日本セメン ト(株)埼玉工場
東 京
30,259
18.3
日本セメ ント(株)大久野工場
神 奈川
11,989
7.3
第一セメ ント(株)、小野田セメント(株)川崎SS
新 潟
17,756
10.7
電気化学 工業(株)青海工場、明星セメント(株)糸魚川工場
静 岡
12,145
7.4
小野田セ メント(株)清水SS、住友セメント(株)浜松工場
愛 知
6,677
4.0
小野田セ メント(株)田原工場
三 重
1,617
1.0
小野田セ メント(株)藤原工場
滋 賀
15,060
9.1
大阪セメ ント(株)伊吹工場、住友セメント(株)彦根工場
そ の他
2,367
1.4
秋田県 (1,308トン)、宮城県(601トン)、山口県(162ト ン)など
(『昭和41年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)


1995.9南甲府駅 秩父セメント(株)甲府倉庫
撮影時は気付かず、残念ながら酷い写真しか残っていない

 小野田セメント(株)は、南甲府駅に専用線はあったもののSSの開設 は1970(S45)年で、一般倉庫に袋詰めセメントが到着していたと思われる。ただそ の発送工場は、上記表でも小野田セメント(株)は4カ所もあり、特定はできない。後年、ホッパ車によるバラ輸送は、巴川口(小野田セメント(株)清水 SS) 〜南甲府間で行われたことは確認されているので、メインはこの当時から清水SSだったのかもしれない。

 また南甲府駅に隣接して、1955(S30)年9月に秩父セメント(株) 甲 府倉庫が開設(『秩父セメント五十年史』秩父セメント株式会社、1974年、p472)され、1995 (H7)年時点では、この倉庫の鉄 道輸送は廃止になっていたと思われるものの、倉庫自体は残っていたのを確認しており、かつては専用線こそ無かったが南甲府駅の貨物側線で秩父鉄道所有の有 蓋車から袋詰めセメントが積み下されていたのであろう。尚、この倉庫には最後までSSが新設されることはなく、山梨県の秩父セメントのバラ積み輸送の荷下 ろし拠点は、石和駅に1968(S43)年に設置された石和SSのみである。

 また南甲府駅に専用線を持つ山梨共栄石油(株)は、 1949(S24)年11月に秩父セメント(株)の特約店に なっており、この秩父セメント(株)甲府倉庫は、このような特約店向けのセメント保管に活用されていたのかもしれない。

 このような地場の特約店向けの袋詰めセメント輸送は、駅頭荷役でのトラック積み替えや営業倉庫保管が大部分を占めると思われ、輸送体系の解明には、情報 が全く足りていない。

 
 次に飼料輸送を考察する。
 この当時の輸送として判明しているのが、ワム車を用いた輸入トウモロコシのバラ輸送で、清水港〜南甲府間で行われていた。
発 駅
清水港駅
鈴与倉庫(株)専用線
豊年サイロ積込
着 駅
南甲府駅
坂本産業(合名)専用線取卸
荷 送人
全購連東 京支所
荷 受人
坂本産業 (合名)
荷 役
清水運送 (株)
荷 役
甲府倉庫 (株)
使 用車
有蓋車(ワム)
取 卸方法
輸入トウモロコシを貨車からベルトコンベヤにより横移動
昇降機によりバラ保管サイロ上方より落下、累積させる
輸送開始
試験輸送の後、1964年8月から本格輸送を予定
(『貨物』1964年8月号、p30-31)

 このワム車による輸送は、後述するように物適貨車のホキ2200形の登場によって、ホキ輸送に変更された。尚、荷受人の坂本産業は、謎の企業でwebで 検索しても情報は見つからず、現存しない企業のようである。〔1982(S57)年度の項で記述しているよう に、坂本産業が立地していた場所は、甲府倉庫(株)の倉庫になっている模様〕

 その後、『山梨県経済連30年史』(山梨県経済農業協同組合連合会、1980年)を閲覧する機会に恵まれ、全購連と坂本 産業の関係が判明した。従来は山梨県の各単協の最寄駅等対して川崎くみあい 飼料(株)より出荷されていたのだが、全購連、山梨県経済連、坂本産業との間で合意が得られ、坂本産業を全購連の委託工場に認定し、受け渡しを1961(S36)年 7月1日より全面的に坂本産業より出荷することになった。(前掲『山梨県経済連30年史』p381-382)

 ここでも『山梨県統計年鑑』の「国鉄府県別貨物到着トン数」から、1964年度の「麦類」と「飼料」を見ておこう。上記のトウモロコシ輸送は、飼料にカ ウ ン トされそうだが、静岡からの飼料の到着トン数は僅かなことからすると、麦類に含まれている、または麦類や飼料とも異なる別項目(飼料原料は飼料とは異なる 項目なのかもしれない)でカウントされているのであ ろう。

(単位:トン)
1964年度
総 数
茨 城
栃 木
埼 玉
東 京
神 奈川
静 岡
そ の他
麦  類
31,793
3,399
1,910
2,092
815
12,278
10,077
1,222‬
(『昭和41年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

(単位:トン)
1964年度
総 数
岩 手
千 葉
東 京
神 奈川
新 潟
愛 知
そ の他
飼  料
16,044
619
1,708
1,806
8,454
569
1,228
1,660‬
(『昭和41年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)



▼1967 (S42)年度  
山 梨市
石  和
酒  折
甲  府
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
10,615
28,628
39,243
35,241
25,065
60,306
18,122
76,997
95,119
64,305
170,935
235,240
竜  王
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
244,807
53,722
298,529
47,257
210,620
257,877
26,438
21,023
47,461
446,785‬
586,990‬
1,033,775‬
(『昭和44年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 1964(S39)年度の発送44.8万トン、到着55.5万トンの計100.3万トンと比べると、1967年度は発送44.7万ト ン、到着58.7万 トンの計103.4万トンとなっており到着が若干増えているが、あまり大きな変化は無い。専用線は、山梨市駅の日本カーボン(株)が消滅し、東花輪駅はゼ ネラル物産(株)が無くなり(株)ミツウロコが増えているが、上述の通りゼネラルからミツウロコに油槽所が譲渡されただけの可能性が高い。

(単位:トン)
1967年度
総 数
千 葉
東 京
神 奈川
新 潟
静 岡
愛 知
三 重
和 歌山
そ の他
鉱 油
95,028
2,547
137
63,748
167
16,348
280
11,431
354
16
揮 発 油
68,810
1,598
39
43,175
757
15,265

7,943

33
合 計
163,838
4,145
176
106,923
924
31,613‬
280
19,374‬
354
49
(『昭和44年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)


2021.7東花輪駅  (株)ミツウロコ 山梨支店
 石油関係は、荷主がゼネラル物産からミツウロコに代わった程度である が、その量は1964年度は鉱油+揮発油で計11.8万トンであったも のが、1967年 度は計16.4万トンと約1.5倍に増えている。

 また発地も神奈川が7.9万トンから10.7万トン、静岡が2.4万トンから3.2万トン、三重が0.6 万トンから1.9万トン、千葉が0.1万トンから0.4万トンといずれも増加しており、新潟県からの到着も年間1千トンに満たないが発生しているのも気に なる。日本石油(株)が京浜地区からの供給だけでは不足し、新潟方面(柏崎製油所、新潟製油所)からも山梨に供給していたのであろうか。

 参考データとして、1968(S43)年度の酒折駅の到着トン数82,185トンの内、石油は72,650トンを占めることが分かっている。
(『貨 物資料 昭和43年度運輸概 況』東京西鉄道管理局など、p78)


1967年度
セ メント(トン)
比 率(%)
想  定 荷 主
総  数
300,815
100.0

福 島
7,153
2.4
住友セメ ント(株)田村工場、住友セメント(株)四ツ倉工場
茨 城
8,644
2.9
日立セメ ント(株)日立工場
埼 玉
85,777
28.5
秩父セメ ント(株)熊谷工場、秩父セメント(株)秩父工場、日本セメン ト(株)埼玉工場
東 京
33,773
11.2
日本セメ ント(株)大久野工場
神 奈川
15,881
5.3
第一セメ ント(株)、小野田セメント(株)川崎SS
新 潟
49,357
16.4
電気化学 工業(株)青海工場、明星セメント(株)糸魚川工場
静 岡
68,074
22.6
小野田セ メント(株)清水SS、住友セメント(株)浜松工場
愛 知
98
0.0
小野田セ メント(株)田原工場
三 重
7,730
2.6
小野田セ メント(株)藤原工場
岐 阜
15,403
5.1
住友セメ ント(株)岐阜工場
滋 賀
7,750
2.6
大阪セメ ント(株)伊吹工場、住友セメント(株)彦根工場
そ の他
1,175
0.4
秋田県 (101トン)、岡山県(142トン)、山口県(187トン)な ど
(『昭和44年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 セメント輸送では、1964年度と比較すると、埼玉県や新潟県が大幅増、更に岐阜県が加わっている一方で、栃木県が無くなり、愛知県が 激減しているなど 変化が見られる。ただ1967年までは、鉄道貨物輸送に関係するSSの新設は無く、依然として袋詰めセメントの輸送が大半であったと思われる。


 飼料輸送では、1966(S41)年10月からホキ2200形の 運用が始まった。発駅は清水港(荷受人:全購連)、着駅は南甲府(荷受人:坂本産業) で、品目は「トウモロコシ」、使用貨車は3両(配置貨車6両)、月間輸送トン数は2,250トンであった。(『貨物』1967年3月号、 p32-35)



▼1971 (S46)年度  
山 梨市
石  和
酒  折
甲  府
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
6,409
24,289
30,698
67,217
128,482
195,699
62,586
89,292
151,878
46,997
117,528
164,525
竜  王
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
85,194
82,598
167,792
43,582
297,521
341,103
13,865
75,266
89,131
325,850
814,976‬
1,140,826‬
(『昭和48年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 1967(S42)年度は発送44.7万トン、到着58.7万トンの計103.4万トンであったが、1971年度は発送が32.6万トンに減る一方、到 着が81.5万トンに大幅増となり、計114.1万トンになっている。
 発送の減少は竜王駅が24.5万トンから8.5万トンになった分が大きく、到着の増加は石和駅が2.5万トンから12.8万トン、竜王駅が5.4万トン から8.3万トン、南甲府駅が21.1万トンから29.8万トン、東花輪駅が2.1万トンから7.5万トンになるなど軒並み増えている。

 この時期は、道路整備も急速に進んでおり、例えば国道20号(甲州街道)は1971年には甲府バイパスが開通し、新笹子トンネルが無料開放になるなど都 内との交通の便が向 上していった。これに伴って、専用線発着以外の物資を中心に鉄道からトラックへの転換も進んでいったと思われる。

(単位:トン)
1971年度
総 数
千 葉
東 京
神 奈川
新 潟
静 岡
愛 知
三 重
和 歌山
そ の他
鉱 油
166,380
5,261

125,176
11
23,931
29
11,675
209
88
揮 発 油
99,159
3,718
20
71,296

22,256

1,854

15
合 計
265,539‬
8,979
20
196,472
11
46,187‬
29
13,529
209
103
(『昭和48年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 石油は、酒折駅にシェル石油(株)甲府油槽所が1967〜1970年の間に開所した。発送は、浜川崎駅の昭和石油(株)川崎製油所 と思われる。

 また竜王駅の日本石油(株)甲府油槽所も1967〜1970年の間に開所した。東京、新潟、愛知の発送が殆ど無いことから、この時点で日本石油は根岸〜 竜王間の石 油輸送がメインであったと思われる。そして、その輸送体系が現在まで継続しているという点が特筆される。


1971年度
セ メント(トン)
比 率(%)
想  定 荷 主
総  数
261,826
100.0

福 島
1,908
0.7
住友セメ ント(株)田村工場、住友セメント(株)四ツ倉工 場
埼 玉
127,341
48.6
秩父セメ ント(株)熊谷工場、秩父セメント(株)秩父工 場、日本セメン ト(株)埼玉工場
東 京
4,350
1.7
日本セメ ント(株)大久野工場
神 奈川
863
0.3
第一セメ ント(株)、小野田セメント(株)川崎SS
新 潟
13,376
5.1
電気化学 工業(株)青海工場、明星セメント(株)糸魚川工 場
静 岡
105,227
40.2
小野田セ メント(株)清水SS、住友セメント(株)浜松工 場
愛 知
548
0.2
小野田セ メント(株)田原工場
三 重
3,585
1.4
小野田セ メント(株)藤原工場
岐 阜
934
0.4
住友セメ ント(株)岐阜工場
滋 賀
2,463
0.9
大阪セメ ント(株)伊吹工場、住友セメント(株)彦根工場
そ の他
1,231
0.5
青森県 (296トン)、岡山県(682トン)など


1995.9石和温泉駅 日本セメント(株)甲府SS
(『昭和48年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 セメントは1967年度と比較すると、埼玉県と静岡県が大きく増加 し、この2県 だけで全体の約9割を占める一方で、茨城県が無くなり、福島県・新潟県・三重県・滋 賀県など遠隔地が大きく減っている傾向がある。これは、SSの整備が進み遠距離の袋詰輸送が無くなったり、小口輸送のトラック化が進展したためと考えられ る。

 1968〜1971年の3年間にSSが次々と開設された。石和駅には秩父セメント(株)石和バラ倉庫が1968(S43)年3月に開設、日本セメント (株)甲府包装所が1971(S46)年9月に開設、東花輪駅は住友セメント(株)東花輪包装所が1968(S43)年8月に開設、南甲府駅は小野田セメ ント(株)甲府SSが1970(S45)年2月に開設された。想定される輸送体系は下記の通り。

発 荷主
発  駅
着  駅
着 荷主
備  考
秩父セメ ント(株)秩父工場
/熊谷工場
秩父・武 州原谷
/籠原
石和
秩父セメ ント(株)石和バラ倉庫  石和駅の 1968年度の到着トン数の内
セメントは28,234トン
(『貨物資料 昭和43年 度運輸概況』p78)
日本セメ ント(株)埼玉工場
高麗川
石和
日本セメ ント(株)甲府包装所

住友セメ ント(株)浜松工場
金指
東花輪
住友セメ ント(株)東花輪包装所

小野田セ メント(株)
清水SS
巴川口
南甲府
小野田セ メント(株)甲府SS
清水SS からの貨車バラ積み出荷量は
45,375トン(1972年)だが、
全量が南甲府向けかは不明
(『セメント年鑑1973』より作成)

1995.9南甲府駅 小野田セメント(株)甲府SS

 この時期はSS向けバラ輸送と袋詰めセメント輸送が並行して行われていた。例えば石和駅は、秩父セメントのSSが設置された後の1968(S43)年度 の到着トン数は45,995トンだが、その内セメントが28,234トンを占める。また同年度は、山梨市駅の到着でセメント は4,201トン、酒折駅は同5,030トン、甲府駅は同18,282トンなど各駅でセメントの到着が見られるが、これは基本的に有蓋車による袋詰めセメ ントであろう。(『貨物資料 昭和43年 度運輸概況』東京西鉄道管理局など、p78)



山梨くみあい飼料(株)
『山梨県経済連30年史』p847

 飼料輸送は、1964(S39)年度と1971年度を比較すると、麦 類や飼料の到着トン数がいずれも若干減っており、石油やセメントと比べて輸送の伸び が見られない。

 一方で農協が供給する配合飼料の依存度が高まり、1964年度における3万9千トンが1967年度には6万2千トンの取扱高となる一方、全購連と製造委 託 契約を結んでいる坂本産業の工場は老朽化が進行し、畜産経営規模の拡大に対応するためにも全面改築が必要となっていた。

 そこで経済連40%、全購連10%、坂本産業50%の出資で、1969 (S44)年2月に山梨くみあい飼料(株)が設立された。所 在地は甲府市南口町1-6、配合飼料の生産能力は月産7,000トン、操業開始は同年4月である。南甲府駅に接続する側線を完備しており貨車による原料受 入、製品出荷が便利な立地となっている。山梨県下唯一の配合飼料工場として、各農家に出荷している。
(前掲『山梨県経済連30年史』p518-519、846-847)

 専用線としては、坂本産業(合名)に代わって山梨くみあい飼料(株)の名が現れることは無いが、坂本産業は山梨くみあい飼料に出資していることから専用 線の所有者は変更されなかったのかもしれない。

(単位:トン)
1971年度
総 数
茨 城
栃 木
埼 玉
東 京
神 奈川
静 岡
徳 島
香 川
そ の他
麦  類
27,853
11,393
1,148
524
634
2,149
1,770
4,121
4,255
1,859‬
(『昭和48年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

(単位:トン)
1971年度
総 数
千 葉
東 京
神 奈川
新 潟
富 山
長 野
静 岡
そ の他
飼  料
12,851
557
867
4,397
679
603
687
1,772
3,289‬
(『昭和48年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 この当時のホキ2200形の輸送例としては、「トウモロコシ・コウリャン」が浜川崎(全購連)〜南甲府間で20,896トン(1971年度)、 「大豆粕」が新興(味の素)〜南甲府間で5,699トン (同)が挙げられる。(『貨物資料 昭和46年度運輸概況』東京南鉄道管理局、 p116-117)

 清水〜南甲府間も1967年と同様に年間2万トン程度の輸送があったとすれば、南甲府駅には年間5万トン弱の飼料原料の到着があったことになる。上記統 計資料と数字が合わないが、やはり飼料原料は「飼料」に含まれず、別項目でカウントされているのであろう。


 1971年当時、47都道府県で唯一、コンテナ基地の無かった山梨県であったが、1972(S47)年9月1日から甲府駅にコンテナ基地が開設された。 洋酒や葡萄酒、電気機器、味噌・醤油、菓子類など日用雑貨を中心に1日平均15個の発送が見込まれている。向け先は札幌、仙台、酒田港、新潟、名古屋、大 阪、広島、九州と全国に広がっている。(『貨物』1972年11月号、p25)



▼1976 (S51)年度  
山 梨市
石  和
酒  折
甲  府
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
3,909
16,929
20,838
27,416
252,192
279,608
53,754
111,339
165,093
13,835
76,288
90,123
竜  王
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
42,799
107,017
149,816
58,656
190,624
249,280
33,520
277,162
310,682
233,889
1,031,551‬
1,265,440‬
(『昭和53年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

  1971(S46)年度は発送が32.6万トン、到 着が81.5万トン、計114.1万トンだったが、1976年度は発送が更に減って23.4万トン、到着は逆に増えて103.2万トンの計126.5万ト ン となった。到着は発送の約4.4倍に達しており、鉄道貨物は甲府都市圏への消費物資の供給を担う役割に拍車がかかっている。1976年度前後の数字を見る と、7駅合計の取扱量は1976年度がピークと思 われる。


1995.9南甲府駅 三菱マテリアル(株)甲府SS

1995.9東花輪駅 (株)ジャパンエナジー 甲府油槽所

 南甲府駅には、1974(S49)年3月に三菱鉱業セメント(株)甲府SSが開設された。1969(S44)年10月に西武鉄道・秩父線開通によって東 横瀬 駅が開業し、同社横瀬工場からの貨車輸送が開始されたのだが、このタイミングでは高麗SS(高麗駅)、相模原SS(南橋本駅)、隅田川SS(隅田川駅)の 3駅に 向けてセメントのバラ輸送が始まった。甲府SSは、これらSSより4年半ほど遅れてからの開設となったわけだが、このような昭和40年代後半という時期 に、南甲府駅のような昭 和30年代からの古い専用線集 積駅に新たなセメント専用線が敷設されたという事実は興味深い。南甲府駅は当時から周辺の市街地化が進み、道路も狭隘だったりして物流拠点として使い勝手 が良いようには思えないのだが、この当時はまだ鉄道 貨物の拠点性があると評価 されていたと言えそうだ。

 尚、三菱鉱業セメントは横瀬工場からの鉄道輸送の向け先を甲府SS以降に増やすことは無く、4カ所とも貨車輸送廃止まで残るのだが、それだけ に甲府SSをあえて$ン置した感が強い。

 東花輪駅には、1974年4月に共同石油(株)新甲府油槽所が開設され、新興駅〔アジア石油(株)横浜製油所〕から石油が到着していた。そして、この開 設により南甲府駅の共同石油(株)専用線が廃止されたと思われる。三菱鉱業セメント(株)の甲府SS開設と同じ時期に行われた、この油槽所移転による廃止 は、南甲府 駅の位置付け、貨物取扱駅の新陳代謝を考える上で非常に興味深い。

 また神奈川臨海鉄道・水江町駅の出光興産(株)川崎油槽所の専用線は、1973(S48)年4月に廃止された。そのため、この頃に南甲府駅の山光石油 (株)向けの石油輸送は、水江町駅発送が前川駅の出光興産(株)千葉製油所に切り替わった可能性がある。



1995.9東花輪駅 白麦米(株)のサイロ
 飼料輸送は、ホキ2200形の輸送では、「トウモロコシ・コウリャ ン」が浜川崎(全農)〜南甲府間で34,500トン(1976年度)、「大豆粕」が新興(味の素)〜南甲府間で6,960トン(同)で、いずれも1971 年度 よりも数量は増加している。(『貨物資料 昭和51年度運輸概況』東京南鉄道管理局、p166-167)

 一方、小麦輸送としては、東花輪駅の白麦米(株)〔現、(株)はくばく〕の専用線が「昭和50年版専用線一覧表」から現れる。

 (株)はくばくのweb サイトによると、1972(昭47)年に「自然飲料麦茶の生産工場新設、麦原料サイロ新設、収容能力2,500トン」とあり、これが東花輪駅構内 のサイロのことであると思われる。
 小麦は、京浜地区の例えば新興駅の食糧庁サイロからホキ2200形によって到着しても不思議ではないだろうが、上掲の『貨物資料』の輸送実績には現れ ず、清水港 線からの到着かもしれない。

 東花輪駅は、石油、セメント、LPG、小麦の物資別適合輸送が揃い、甲府都市圏において、南甲府駅に次ぐ専用線ターミナル≠ニなったと言えそうだが、 個別の企業がバラバラに立地してきた感が強く偶然の産物とも言えそうだ。しかしそれでも、総合的な貨物ターミナル駅としてのポテンシャルを仄かに感じる。



▼1982 (S57)年度  
山 梨市
石  和
酒  折
甲  府
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
435
5,472
5,907
24,946
239,646
264,592
45,307
50,078
95,385
15,006
45,395
60,401
竜  王
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
15,162
101,877
117,039
24,661
215,490
240,151
23,462
175,711
199,173
148,979‬
833,669‬
982,648
(『昭和59年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

  1976(S51)年度は発送が23.4万トン、到着は103.2万トンの計126.5万トンであったが、1982年度は発送が14.9万トン、到着が 83.4万トンの計98.3万トンに縮小した。前述したように1976年度がピークであったが、その後も発着数量は、1977(S52)年度が計 116.9万トン、 1978(S53)年度が計123.0万トン、1979(S54)年度が122.7万トン、1980(S55)年度が121.6万トン、1981 (S56)年度が115.0万トンと横這い又は微減といった傾向が続いたのだが、1982年度は一気に減少が進み、合計で100万トンを割ってしまった。

 ちなみに道路整備に関しては、1977年12月には中央自動車道・大月Jct〜勝沼ICが開通し、東京都内と甲府盆地が高速道路で結ばれるという大きな 変化があった。

 駅別に見ると、減少幅が大きいのは酒折駅の到着で、1982年は1976年と比較して▲5.9万トン、東花輪駅の到着が同▲3.2万トン、南甲府駅の到 着が同▲1.6万トンなどとなり、専用線の廃止こそ少数ではあるが、石油やセメントの輸送量が減っていったと思われる。尚、石油関係では南甲府駅の大協石 油(株)甲府油槽所が1979 (S54)年6月に閉鎖されている。

 飼料では、坂本産業(合名)の専用線が「昭和58年版」では、甲府倉庫(株)に替わっている。そのため、このタイミングで、坂本産業が工場移転なのか、 飼料事業撤退なのか、経営破綻なのか、web上で全く情報を見つけることができず定かではないが、工場が無くなりホキ車による飼料輸送も廃止になったと想 像される。

 『山梨県経済連30年史』が発行された1980年12月時点では、山梨くみあい飼料(株)が存在していたので、1981〜1983年にかけて同社の工場 が閉鎖され、坂本産業(合名)の専用線が甲府倉庫(株)に替わったと予想される。

 そして結局、甲府都市圏におけるホキ車による輸送は、この坂本産業(山梨くみあい飼料)向け以外は見出すことはできていない。日本飼料ターミナル(株) の基地は立地せず、各飼料 メー カーの鉄道輸送用のストックポイント、飼料サイロが設置されることも無かったようだ。これは京浜地区からの距離の近さや畜産業の需要など、様々な要因が考 えられるが、大手飼料メーカーの内陸工場が立地していない点からしても、飼料輸送の需要は限定的だったと考えられる。



▼1985 (S60)年度  
石  和
酒  折
竜 王
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
23,729
231,196
254,925
51,593
69,790
121,383
11,569
97,716
109,285
南 甲府
東 花輪
合  計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
9,644
98,647
108,291
13,931
131,873
145,804
110,466‬
629,222‬
739,688‬
(『昭和62年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 1982(S57)年度は発送が14.9万トン、到着が83.4万トンの計98.3万トンであったが、3年後の1985年度には発送が 11.0万トン、 62.9万トンの計74.0万トンまで減っている。山梨市駅は1982(S57)年11月、甲府駅は1984(S59)年2月にそれぞれ貨物取り扱いが廃 止された。

 さらに酒折駅は1986(S61)年11月に貨物取り扱いが廃止されており、JR貨物発足時には石和、竜王、南甲府、東花輪の4駅に集約された。

酒折駅(1975年10月現在) 地図・空中 写真閲覧サービスより

酒折駅(1986年5月現在)
 地図・空中写真閲覧サービスより

 尚、酒折駅のエッソ石油(株)とシェル石油(株)の油槽所は、上記空中写真を見ても明らかに1986年5月時点では撤去済みであり、同年11月に貨物取 り扱いが廃止される以前に酒折駅 の石油輸送は消滅していたようだ。

 またそれ以外の石油輸送の大きな変化としては、1985年7月に共同石油(株)の再編に伴い、東花輪駅向けタンク車輸送の発駅が新興駅〔アジア石油 (株)〕から北袖駅〔富士石油(株)〕に変更となった。
 これ以降の北袖〜東花輪間の石油類輸送量の推移は下記の通りである。(『京葉臨海鉄道50年史』2013年、p68-69)
年 度
1985
1988
1989
1991
1992
1993
1994
数 量
63,400
100,600
95,900
84,500
104,900
105,400
110,000
(単位:トン)

 セメントでは、清水港線が1984(S59)年2月に廃止され、巴川口〜南甲府間の小野田セメント(株)の貨車輸送が廃止された。また住友セメント (株)浜 松工場は1984年8月に閉鎖され、金指〜東花輪間のセメント輸送も廃止となった。浜松工場廃止の代替措置として、住友セメントは清水港に清水SSを設置 しており、清水SS〜東花輪SS間はローリー輸送になったと思われる。

2021.7東花輪駅 住友大阪セメント(株)東花輪SS


 LPG輸送の廃止時期は、残念ながら情報が乏しくはっきりしない。「昭和58年版専用線一覧表」には竜王駅の岩谷産業(株)、南甲府駅の東京瓦斯 (株)、鈴与(株)、山光石油 (株)、東花輪駅の(株)ミツウロコの専用線が残っており、この頃までは継続していた模様だが、一方で「私有貨車番号表(昭和60年9月30日現在)」で は、岩谷産業(株)のLPガス専用は根岸駅常備が消滅し、鈴与(株)や出光興産(株)所有のLPガス専用タンク車が無くなっている。また1985年6月に は三井液化ガス(株)川崎製造所の専用線が廃止されたので、この頃に廃止が進んだと予想される。



▼1995 (H7)年度  
石 和温泉
南 甲府
東 花輪
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
19,116
181,450
200,566
3,072
28,956
32,028
13,128
110,262
123,390
竜  王

車 扱
コ ンテナ
  4駅車扱合計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
17,123
174,866
191,989
13,126
25,757
38,883
52,439‬
495,534
547,973‬
(『平成9年刊行 山梨県統計年鑑』より作成)

 1985(S60)年度に発送が11.0万トン、62.9万トンの計74.0万トンであったが、10年後の1995年度にはコンテナを 除く車扱は発送が 5.2万トン、到着が49.6万トンの計54.8万トンとなった。ピーク時の1976(S51)年度と比べると、約4割の水準である。

 この当時の輸送体系は、かなり整理されており、セメント輸送は日本セメント(株)が高麗川〜石和温泉、秩父小野田(株)が三ヶ尻/武州原谷〜石和温泉、 三菱マテリアル(株)が東横瀬〜南甲府、石油輸送は(株)ジャパンエナジーが北袖〜東花輪、日本石油(株)が根岸〜竜王となり、関東各地から甲府都市圏へ 石油とセメントが鉄道で供給されていた。

 それより前の1992(H4)年3月ダイヤ改正で、扇町〜南甲府間の石油専用列車が廃止されており、三菱石油(株)川崎製油所から鈴与(株)向けの石油 輸送がタンクローリーに転換されたと思われる。


1995.9南甲府駅

1995.9東花輪駅

 尚、北袖〜東花輪間の石油類輸送量の推移は下記の通りである。本輸送のピークは1995年度であった。(『京葉臨海鉄道50年史』 2013年、p69‐70)
年  度
1995
1996
1997
1998
1999
数 量
111,600
108,300
88,100
34,300

(単位:トン)



▼2000 (H12)年度以降  

2000年度
2004年度
2008年度
車扱
コンテナ
車扱
コンテナ
車扱
コンテナ
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
17,664
184,236
201,900
11,857
29,790
41,647
26,512
303,684
330,196
11,424
32,840
44,264
32,379 261,483 293,862 19,773 24,208 43,981

2012年度
2016年度
2017年度
車扱
コンテナ
車扱
コンテナ
車扱
コンテナ
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
発 送
到 着
合 計
28,992
280,876
309,868
15,460
26,132
41,592
29,396
316,007
345,403
22,891
27,415
50,306
29,794
319,705
349,499
23,634
28,965
52,599
(『山梨県統計年鑑』より作成)

 一時的に小康状態に見えた甲府都市圏の鉄道貨物輸送だが、1990年 代後半に入ると大きな変化が 続く。

 まずは、1996(H8)年3月に西武鉄道の貨物輸送廃止に伴い、東横瀬〜南 甲府間のセメント輸送が廃止、1997(H9)年3月ダイヤ改正頃に秩父小野田 (株)石和SS廃止に伴い、秩父鉄道〜石和温泉間のセメント輸送が廃止、1998(H10)年9月には(株)ジャパンエナジー甲府油槽所の閉鎖に伴い、北 袖〜東花輪間の石油輸送が廃止、そして1999(H11)年9月に太平洋セメント(株)埼玉工場の貨車輸送廃止に伴い、高麗川〜石和温泉間のセメント輸送 が廃止された。

 このように4年弱の間に山梨県の貨物取扱駅は、竜王駅の1カ所に集約された。日本石油(株)甲府油槽所専用線とコンテナ扱いに鉄道貨物輸送が凝縮された のである。

 鉄道貨物輸送の合理化と並行し、石油、セメント業界の再編も進んでいった。石油業界では、日本石油(株)は1999(H11)年4月に三菱石油(株)と の合併で日石三菱(株)となり、2002 (H14)年6月には商号が新日本石油(株)となった。2010(H22)年4月に(株)ジャパンエナジーと経営統合、2017(H29)年4月に東燃ゼ ネラル石油(株)を子会社化、JXTGエネルギー(株)となった。更に2020(R2)年6月には社名をENEOS(株)に変更した。

2006.8竜王駅

 セメント業界は、秩父小野田(株)と日本セメント(株)の合併で1998(H10)年10月に太平洋セメント(株)が発足、住友セメント(株)は 1994 (H6)年10月に大阪セメント(株)と合併し、住友大阪セメント(株)が発足、三菱マテリアル(株)も宇部興産(株)と共同出資で1998(H10)年 7月に宇部三菱セメント(株)を設立した。

 甲府都市圏向けセメントの貨車輸送は消滅したが、竜王駅向けの石油輸送は近年は微増傾向である。2000年頃は同駅の到着量が20万トンを切っていた が、直近 の2017(H29)年度は32万トンと1.5倍ほど増えている。石油業界の再編に伴い、JXTGエネルギーのシェアが高くなった影響や山梨県向けは鉄道 へのモーダルシフトが進んでいるのか、貨物取扱 量が増えているのは興味深い。

 またコンテナ輸送も、特に発送量は増加傾向にあり、2000年度の1.2万トンに対して2017年度は2.4万トンに倍増している。2005(H17) 年 3月から、サントリーフーズ(株)白州工場は天然水を梶ヶ谷(タ)駅に向けて4個/日で発送を始める(『JR貨物ニュース』2005年4月 15日号)などの輸送が寄与しているのかもしれない。



■最後に  

 1964(S39)年から現在に至るまで、長々と石油、セメント、LPGを中心に輸送体系を考察してきたが、最後に改めて、主な輸送概要を下記の通り纏 めておく。

【石油】
発  荷 主
発 駅
着 駅
着  荷 主
備   考
日本石油 (株)根岸製油所
根岸
竜王
日本石油 (株)甲府油槽所
現在も継 続
日本石油 (株)根岸製油所
根岸
南甲府
山梨共栄 石油(株)南甲府油槽所

三菱石油 (株)川崎製油所
扇町
南甲府
鈴与 (株)甲府支店
1992 年3月ダイヤ改正で廃止
富士石油 (株)袖ケ浦製油所
北袖
東花輪
(株) ジャパンエナジー 甲府油槽所
1998 年9月廃止、油槽所閉鎖
東亜燃料 工業(株)川崎製油所
浮島町
酒折
エッソ石 油(株)甲府油槽所
1985 年頃廃止
東亜燃料 工業(株)清水製油所
清水
酒折
エッソ石 油(株)甲府油槽所
身延線 ルートの貨物輸送は1984年廃止
出光興産 (株)川崎油槽所
水江町
南甲府
山光石油 (株)南甲府油槽所
川崎油槽 所は1973年4月に専用線廃止
出光興産 (株)千葉製油所
前川
南甲府
山光石油 (株)南甲府油槽所 水江町か ら前川に発駅変更か
昭和石油 (株)川崎製油所
浜川崎
酒折
シェル石 油(株)甲府油槽所
1985 年頃廃止
丸善石油 (株)千葉製油所
浜五井
南甲府
丸善石油 (株)甲府油槽所

大協石油 (株)四日市製油所
四日市
南甲府
大協石油 (株)甲府油槽所
甲府油槽 所は1979年6月閉鎖

【セメント】
発  荷 主
発  駅
着  駅
着  荷 主
備   考
小野田セ メント(株)清水SS
巴川口
南甲府
小野田セ メント(株)甲府SS
1984 年2月廃止
秩父セメ ント(株)秩父工場/熊谷工場
武州原谷 /
三ヶ尻
石和温泉
秩父セメ ント(株)石和SS
1997 年3月廃止
日本セメ ント(株)埼玉工場
高麗川
石和温泉
日本セメ ント(株)石和SS
1999 年9月廃止
住友セメ ント(株)浜松工場
金指
東花輪
住友セメ ント(株)東花輪SS
1984 年8月廃止
三菱マテ リアル(株)横瀬工場
東横瀬
南甲府
三菱マテ リアル(株)甲府SS
1996 年3月廃止

【LPG】
発  荷 主
発  駅
着  駅
着  荷 主
備  考
日本石油 (株)根岸製油所
根岸
竜王
岩谷産業 (株)

三菱液化 瓦斯(株)
扇町
南甲府
鈴与 (株)甲府支店

ゼネラル 石油(株)
浮島町
東花輪
(株)ミ ツウロコ

三井液化 ガス(株)川崎製造所
末広町
南甲府
山光石油 (株)
三井液化 ガス専用線の第三者使用に出光興産(株)あり
三井液化 ガス専用線は1985年6月廃止
前川駅の出光興産(株)千葉製油所から発送の可能性もあり


2021.7竜王駅

2021.7南甲府駅

 東花輪駅や南甲府駅は、石油やセメント、LPGなどの専用線が集積する駅であったが、計画的に整備されたわけではなく、中小の油槽所やセメントサイロが 単独立地 しており、「物資別適合ターミナル」と呼ぶには些か迫力不足である。

 しかし甲府都市圏には、石油元売り各社や特約店の油槽所が4駅に分散しつつも最大11社存在し、セメントも5社のSSが立地し、貨車輸送が行われた。石 油やセメント以外も含めてではあるが、到着量だけで一時期は年間100万トンを超えており、日本オイルターミナル(株)やセメントターミナル(株)等を備 えた甲府貨 物ターミ ナル駅≠昭和40年代後半に整備しても良かったのではないか、と今一度考えてみたい。

 立地場所を勝手に想定するのは、なかなか難しいが、鉄道貨物輸送の合理化も見据えて中央本線沿線に絞ると、石和温泉〜酒折間辺りの田園地帯がまとまった 土地の確保がしやすそうではある。国道20号線とも距離が近くなり、甲府盆 地全体へのアクセスに優れるというメリットもあるだろう。

 ただ石油においては、大月市など山梨県東部は、日本オイルターミナル(株)八王子営業所の管轄範囲になりそうであり、山梨県南部は静岡県の「田子の浦 港」の油槽所と競合 しそうである。そう考えると甲府盆地の北西部にある竜王駅に油槽所を残しているJXTGエネルギー(株)の選択には、納得させられるものがある。

 またセメントは、1998(H10)年に開通した国道140号線の雁坂トンネルにより、秩父地域から甲府盆地へのアクセスが飛躍的に向上し、三菱マテリ ア ル(株)横瀬工場や太平洋セメント(株)熊谷工場からのトラック輸送の競争力が強化された。また圏央道の開通によって、太平洋セメント(株)埼玉工場から 甲府都市圏への陸送も利便性が向上している。田子の浦港にはセメント会社の臨海SSも立地し、内陸工場とは別の供給ルートもある。北関東のセメント工場に 対して、鉄道路線が遠回りである点を踏まえると、貨車輸送が有利な駅というのが、甲府都市圏においてセメントは石油以上に見出し難いと言えそうだ。

 竜王駅のコンテナ扱いは増加傾向とは言っても、現状は年間5万トン程度でコンテナとしては中堅以下の小駅である。膨大な輸送需要が見込める対京浜・京葉 方 面との貨物輸送は、その距離の近さ(100〜150km程度)からトラック輸送に有利である。結局のところ、そういった甲府都市圏の立地条件が、鉄道貨物 輸送における甲府貨物ターミナル駅≠困難にさせていると言えるかもしれない。そうなると、竜王駅を活かし油槽所の機能強化、共同油槽所化によって、更 なる貨 車輸送の増強に繋げるのが得策と思えてくる。

 首都圏に位置付けられる甲府都市圏は、精密機器や電気機器などの工場が多数立地し、京浜港に対する海上コンテナのドレージ輸送のモーダルシフトやインラ ンドデポ設置のような需要は期待できるかもしれない。しかし、中央本線の車両限界といった物理的な制約がありそうなので、せめて20ftコ ンテナ扱いぐらいは竜王駅でも始めてほしいところだ。北関東の両雄「宇都宮貨物ターミナル駅」や「倉賀野駅」レベルは期待できないもの の、土浦駅クラスのコンテナ駅にはなって欲しいという願望だ。そのためには竜王駅のコンテナ設備の狭隘さを解消する必要がありそうで、油槽所と専用線はそ のまま活用するとしても、コンテナ駅の移転 は必要と言えるかもしれない。最近は、油断するとORS化されてしまうこともあり得るため、コンテナに関しては攻めの姿勢を見せて欲しいところだ。



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