日本 の鉄道貨物輸送と物流:目次へ
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天竜川駅 〜浜松近郊 に存在し続けた多種多彩な専用線ターミナル〜
2018.4.7作成開始 2018.5.7公開 2018.8.14訂補 2021.1.18訂補
《目次》
はじめに
天竜川駅の関連年表
天竜川駅の貨物取扱量(ト ン)の推移
天竜川駅に接続する専用 鉄道・専用線一覧
日本通運(株)の鉄道 貨物輸送
 ソーダニッカ(株)の化学薬品輸送
 三井液化ガス(株)のLPG輸送
 
ゼネラル石油 (株)の石油輸送
 野沢石綿セメント(株)のセメント輸送
鈴 与(株)の鉄道貨物輸送
シェル石油(株)の鉄道 貨物輸送
日本楽器製造(株)の 鉄道貨物輸送
最後に


■はじめに  
 静岡県掛川市出身の筆者は、幼少時より東海道本線に乗って最も身近な都会≠ナある浜松市内に出かけることは多かった。そんな時、下り電車に乗り長大な 天竜川橋梁を渡った直後の風景に、常に心を奪われていた。

 それは、進行方向左側の天竜川の堤防沿いの奥の方から、雑草に半ば埋もれたか細い線路が、おもむろにカーブを描きながら近づいてくることから始まる。そ の線路は工場のような建物の合間 を抜け、小さな踏切を過ぎると本線と並行を始める。更に途中、田園の中に築堤と草蒸した線路が現れ、先程から並行する線路と合流する分岐部には、タンク 車が1両 ポツンと停まっている。これら線路はどこに行き、何に使われているのだろう…、そんなことを気にかけている内に天竜川駅に到着。毎回、こんな感じで あった。

 そして、この謎の線路の行き先を初めて確かめることができたのは、中学生になって初めての夏休み、自由研究のテーマに「日本の鉄道」を選んだ筆者は、父 親の運転す るホンダ・CIVICに乗り込み、鉄道貨物輸送の実例として、脳裏に真っ先に浮かんだこの地の訪問をお願いした。現地に到着したものの、いかんせん中学生 時代の筆者ができたことは、タンク車が無造 作に留置 されたヤードや薬品タンク、高床ホームを堤防の上から俯瞰して写真撮影したのみであった。もちろん当時は大満足し、帰途についたわけだが、しかしそれから 約半年後、この引込線 が廃止されたこ とを偶然立ち読みした『Rail Magazine』の名物コーナー「トワイライトゾ〜ン」で知り、少なからずショックを受けたのだった。

 このように筆者にとって天竜川駅は、鉄道貨物輸送に対する興味の原点として存在し、現役時代最末期に日本通運(株)専用鉄道を訪問し、調査こそ不十分で はあるが、写真撮 影だけでもできたことは大変な幸運であった。「貨物取扱駅と荷主」第1回で取り上げた富士駅、第6回の汐見町駅と並んで、筆者にとって天竜 川駅は今なお大きな存在感を保っている。

 天竜川駅の面白いところは、西浜松駅が浜松駅の客貨分離により、近代的設備を備えた貨物駅として1971(昭46)年4月に開業して以降も、独自の機能 を保ち1990年代初頭まで貨物取扱駅であり続けたことだ。同駅の日本通運(株)専用鉄道だけでも、充分に研究テーマとして成立する程の規模と内容を持つ が、それ 以外にも興味深い専用線がいくつもあり全く油断できない。西浜松駅という貨物専用駅とは別に、このような個性的な貨物取扱駅が1990年代まで並存できた というのは、さすが全国有数の工業都市浜松≠フ面目躍如といった感がある(笑)。

 ちょっと褒めすぎたところで、早速、第16回「貨物取扱駅と荷主」天竜川駅を始めてみよう。


■天竜川駅の関連年表  
年  月
内  容
1892(明 25)年09月
天龍川貨物取扱所を設置
1898(明 31)年07月
天竜川駅が一般駅で開業
1908(明 41)年08月
天竜川駅〜天竜川岸半場の日本通運(株)専用鉄道(2.2km)が運輸 開始
1949(昭 24)年04月
東京セロファン紙(株)浜松工場でセロファン製造を再開
1958(昭 33)年01月
シェル石油(株)専用線が使用開始([1]p97)
1960(昭 35)年04月
貨物上屋が改築竣工([1]p97)
1961(昭 36)年11月
東京セロファン紙(株)浜松工場にてビニロンフィルムの製造を開始(三井化学東セロ(株)webサ イトより)
1962(昭 37)年12月
鈴与(株)浜松充填所を建設([6] p607)
1963(昭 38)年01月
鈴与(株)専用線が使用開始([1]p97)
1965(昭 40)年06月
野沢石綿セメント(株)浜松SSが開設([14] p266)
1966(昭 41)年01月
野沢石綿セメント(株)は浜松SS含むセメント部門を住友セメント (株)との共同出資によって設立した滋賀興産(株)に譲渡([15]p266)
1966(昭 41)年04月
住友セメント(株)は滋賀興産(株)を吸収合併([15] p266)
1968(昭 43)年02月
日本通運(株)天竜川支店内に曹達商事(株)(後のソーダニッカ)浜松 出張所が開設([2]p165-166)
1970(昭 45)年06月
ソーダ商事(株)(後のソーダニッカ)浜松基地が誕生([2]p165-166)
1971(昭 46)年04月
浜松駅の客貨分離によって、西浜松駅が開業
1972(昭 47)年11月
遠州助信駅の貨物取り扱い廃止
1973(昭 48)年10月
西浜松駅にセメントターミナル(株)浜松営業所が開業
1973(昭 48)年12月
ソーダ商事(株)天竜川基地(後に浜松タンク基地)が完成([2]p165-166)
1978(昭 53)年09月
天龍木材(株)浜松工場製材部門が閉鎖、名古屋工場に集約([9]p195)
1982(昭 57)年03月
専用線発着を除く貨物の取り扱いを廃止
1991(平 03)年08月
冨士物産(株)は、ゼネラル石油(株)浜松貯油所を買収し、
県西部地区最大貯油量を誇る浜松オイルターミナルとして発足(冨士物産(株)webサイトより)
1993(平 05)年03月
この頃、苛性ソーダ輸送のトラック転換に伴い日本通運(株)専用鉄道の 運転休止([7])
1994(平 06)年12月
鈴与(株)専用線廃止に伴い、ダイヤ改正で天竜川駅の貨物列車発着が廃 止([8]p99)
2006(平 18)年04月
天竜川駅の貨物取り扱い廃止



■天竜川駅の貨物取扱量(トン)の推移  

 浜松市の発行する『浜松市統計書』は、同市内国鉄各駅の主要品目別の発送量・取扱量の統計を掲載しており、鉄道貨物輸送研究に多大な貢献をしている。

 各自治体が発行している統計書・統計年鑑等には、対象となる駅の貨物取扱量を記載しているケースは多いが、中には全く無視している自治体(千葉市、山口 県、福岡市など)、発送量のみ(新潟県、大阪府、大阪市など)、発着を合計した量のみ(旭川市など)、など自治体によって方法は様々である。中には愛知県 や福岡市 のように国鉄時代には各駅ごとに発送量、到着量を公表していたが、JR移管後に貨物取扱量は省略されるようになったり、岩国市は2005年度から記載が無 くなったりするケースもあり、全国的な傾向としては開示される情報が年々減っているのは、情報公開という観点からも残念である。

 そのような中で、浜松市は市内各駅の品目別(コンテナを除く)の発送量、取扱量を数年単位で公表しており、相対的に最高レベルの内容だ。同様の水準とし ては、仙台市、横浜市、富士市などの統計が挙げられる。浜松市の欠点は、貨物取扱量の統計が4〜3月の年度ではなくて、1〜12月の年単位になっているこ とだが、まぁこれは些細なことである。それ以上に不便なのが、過去のデータが平成18年度版以降しかネット上で公開されていない点だ。筆者は、浜松市立中 央図書館に赴いて、昭和30年代の統計書から複写を行ったが、せめて平成以降ぐらいのデータはネット上で公開して欲しいところである。

 さて、少し話が逸れたが、下記の表は天竜川駅の年ごとの発送量、到着量の推移である。1965(昭40)年から1993(平5)年は、全ての年を掲載し た。表の赤いセルは、1965〜1993年の間における各 品目の最高値、ピンクが第2位の値である。発送量全体で見ると、若干持ち直す時期はあるものの、概ね1965年から一貫して減少傾向にある。一方、到着量 は1971(昭46)年がピークで、その後も70年代は横這い傾向を維持していた。

 昭和30年代までは砂利と木材が取扱量の大半を占めるが、まず砂利の発送が昭和40年代初頭にはほぼ終了し、木材の到着が1960年代にピークを迎え、 その後急減する。代わって石油の到着が急増し、10年以上に亘って10万トン以上の取扱量が続いた。さらに昭和40年代後半から化学薬品の到着がスタート し、ビール・酒の到着も始まっている。しかし昭和50年代後半には急速に取扱量が減り始め、末期は化学薬品の発着と石油の到着に集約されていた。


発  送
到  着
発  着

総 数
機 械
車両
化 学
薬品
ガ ラス
製品
木 材
砂利
そ の他
総 数
石 油・
木炭・石炭
化 学
薬品
木 材
ビー ル・

紙・
パルプ
鉄 鋼
砂 利 セメント
コー クス
そ の他
合 計
1956
162,437
235
-
-
29,515
128,446
4,241
113,804
4,327
-
108,663
-
-
-
-
358
-
456
276,241
1960
72,852
1,657
-
-
6,253
43,753
21,189
151,313
21,203
-
109,361
-
-
-
-
660
-
20,089
224,165
1965
55,970
26,530
-
-
5,004
4,148
20,288
210,820
76,958
-
85,417
-
464
754
870
15,655
-
30,702
266,790
1966
53,239
32,823
-
-
1,862
5,046
13,508
241,002
81,267
-
115,742
-
521
4,508
440
7,419
-
31,105
294,241
1967
52,109
30,979
-
-
1,345
606
19,179
254,570
88,569
-
127,185
-
789
2,307
125
1,450
-
34,145
306,679
1968
35,665
20,078
-
-
957
1,170
13,460
267,977
106,268
-
109,704
-
877
1,269
795
1,248
-
47,816
303,642
1969
36,520
22,955
-
-
593
813
12,159
293,306
129,380
-
108,026
-
1,535
247
1,581
889
-
51,648
329,826
1970
37,162
24,472
-
-
265
103
12,322
290,861
135,776
-
94,716
-
1,721
532
254
567
-
57,295
328,023
1971
26,591
25,797
-
-
680
-
114
295,639
143,167
-
70,665
-
1,390
675
258
811
-
78,673
322,230
1972
41,084
28,302
-
8,658
460
-
3,664
272,954
152,155
-
45,607
13,121
1,290
235
3,961
1,070
-
55,515
314,038
1973
38,504
25,987
-
7,833
1,870
58
2,756
257,294
143,732
42,079
45,308
16,543
1,638
61
1,325
1,182
-
5,426
295,798
1974
31,863
21,691
1,640
7,847
518
-
167
222,542
111,187
47,903
37,770
10,294
953
1,879
1,381
1,589
-
9,586
254,405
1975
36,487
24,904
2,295
8,699
434
-
155
226,825
121,958
54,018
20,766
12,806
2,049
1,764
2,056
1,555
-
9,853
263,312
1976
39,389
27,276
2,187
9,097
15
-
814
247,533
136,411
59,930
21,463
14,255
618
2,395
2,084
1,843
-
8,534
286,922
1977
35,281
27,249
2,469
5,336
-
-
227
232,262
141,874
56,333
14,845
2,747
464
1,652
4,384
1,335
-
8,628
267,543
1978
37,488
27,643
2,292
7,285
59
-
209
221,687
148,880
52,252
6,872
1,800
699
2,128
1,364
1,170
-
6,522
259,175
1979
36,926
28,511
2,472
5,743
42
-
158
245,006
154,270
54,767
21,866
1,945
814
2,387
1,226
986
-
6,745
281,932
1980
28,961
24,582
2,164
1,618
38
-
559
218,171
134,323
52,678
18,192
1,280
464
3,597
795
930
2,537
3,375
247,132
1981
27,151
23,632
1,530
1,452
66
-
471
202,590
129,265
51,120
8,661
1,420
3,558
2,993
497
933
1,659
2,484
229,741
1982
17,552
14,214
1,650
1,243
-
-
445
140,830
74,020
48,222
2,945
915
5,770
3,812
120
600
1,845
2,581
158,382
1983
14,178
10,564
2,032
1,331
11
-
240
93,197
32,836
44,617
532
1,140
7,667
3,015
-
615
1,469
1,306
107,375
1984
12,344
9,732
1,850
704
-
-
58
78,708
32,369
38,628
150
510
5,083
262
-
15
895
796
91,052
1985
11,152
9,219
1,526
407
-
-
-
72,721
29,576
37,382
-
420
3,777
-
90
-
711
765
83,873
1986
9,826
7,889
1,530
365
-
-
42
61,933
25,137
34,526
-
285
1,464
-
90
-
-
431
71,759
1987
8,879
6,839
2,040
-
-
-
-
50,522
22,102
27,500
-
-
-
460
-
-
-
460
59,401
1988
6,817
4,937
1,880
-
-
-
-
37,042
9,462
27,392
-
-
-
-
-
-
-
188
43,859
1989
5,934
4,132
1,802
-
-
-
-
31,950
6,938
24,792
-
-
-
-
-
-
-
220
37,884
1990
3,682
3,682
-
-
-
-
-
28,845
6,162
22,487
-
-
-
-
-
-
-
196
32,527
1991
3,702
3,702
-
-
-
-
-
26,582
6,093
20,317
-
-
-
-
-
-
-
172
30,284
1992
2,940
2,940
-
-
-
-
-
22,207
11,900
10,163
-
-
-
-
-
-
-
144
25,147
1993
774
522
252
-
-
-
-
3,889
2,176
1,681
-
-
-
-
-
-
-
32
4,663

総数
機 械
車両
化 学
薬品
ガ ラス
製品
木 材
砂利
そ の他
総 数
石 油
化 学
薬品
木 材
ビー ル・

紙・
パルプ
鉄 鋼
砂 利
セメント
コー クス
そ の他
合 計

発  送
到  着
発  着
(『浜松市統計書』より作成)

*機械車両の発送は、空タンク車と思われる。
*ガラス製品の発送は、ビール・酒の到着があることからその空瓶と思われる。両品目とも1972年に取扱が始まっている。
*その他の発送には、日本楽器製造(株)のピアノ等の楽器が含まれるのだろうか。
*石油の到着は、1982〜1983年に10万トン以上から3万トン台に激減しており、シェル石油(株)の専用線がこの頃廃止されたと思われる。
*木材の到着は、日本楽器製造(株)向けがメインであろう。
*紙・パルプの到着は、東京セロファン紙(株)向けだろうか。同社は東北パ ルプ(株)山陽国策パルプ(株)からパルプ を供給されていた。([3]p37-38)
*セメントの到着は、1965年から急増するが野沢石綿セメント(株)の 浜松SS開設によるものだろうが、同社はその直後の1966年1月にセメント部門を住友セメント(株)に営業譲渡した。住友セメント(株)は近隣に金指工 場があり、貨車輸送はすぐに終焉を迎えたようだ。SS自体も廃止になったのだろうか。その後のセメントの到着は有蓋車による袋詰めセメントであろうか。 1984年の15トンはワム1車到着に相当する。三河田原駅や東藤原駅の小野田セメント(株) からの到着だろうか。三河田原駅からのセメント輸送は1984年2月に廃止になったことから、三河田原駅の可能性が高いかもしれない。
*コークスの到着が1980〜1985年にかけて存在していたが、どのような荷主だったのだろうか。名古屋港駅の東邦ガス(株)からコークスが到着してい たのかもしれない。
*その他の到着には、野菜類、石灰石、肥料、飼料等を含んでいるが、元資料においてその他≠ェ1972年まで数万トンレベルで存在する。具体的には何な のか、謎である。



■天竜川駅に接続する専用鉄道・専用線一覧  

専  用 者 [第三者利用者]
1951
1953
1957
1961
1964
1967
1970
1975
1983
日本通運(株)(南線) ※専用鉄道

船角1.4
下工場1.9
上工場2.0

駅南0.3
船留1.3
下土場1.7
上土場2.0

駅南0.3
船留1.3
下土場1.7
上土場2.0
北線0.1

駅南0.3
船留1.3
下土場1.7
上土場2.0
北線0.1

駅南0.3
船留1.3
下土場1.7
上土場2.0
北線0.1

駅南0.3
船留1.4
下土場1.7
上土場2.0
野沢線1.0

駅南0.3
船留1.4
下土場1.7
上土場2.1
野沢線1.0

駅南0.3
船留1.4
下土場1.7
上土場2.1
野沢線1.0

駅南0.3
船留1.4
下土場1.7
上土場2.1
 [東京セロファン紙(株)浜松工場]









日本通運(株)(北線) ※専用鉄道






×
×
×
日本通運(株)









日本楽器製造(株)

第1 0.7
第2 0.9

第1 0.4
第2 0.9

第1 0.4
第2 0.9

第1 0.4
第2 0.9
第3 1.3

第1 0.4
第2 0.9
第3 1.3

第1 0.4
第2 0.9
第3 1.3

第1 0.4
第2 0.9
第3 1.3

第1 0.4
第2 0.9
第3 1.3

第1 0.4
第2 0.9
シェル石油(株)







(一部)
日本鉱業(株)





×
×
×
×
大阪合同(株)









鈴与(株) ※大阪合同線に接続









−:未開業、〇:存在、△:使用休止、×:廃止

 東京セロファン紙(株)浜松工場が第三者利用者であることから、同社は私有貨車を借り受けしていたのかもしれない。



■日本通運(株)の鉄道貨物輸送  

1988年8月現在の専用鉄道([11])
  日本通運(株)の専用鉄道は、1908(明41)年に運輸開始され た歴史ある鉄道で、いくつもの線が分岐する大規模なものであった。この専用鉄道は、天竜川流域の木材資源の開発を目的に設立された天龍木材(株)と天龍運 輸(株)(戦時中に日本通運(株)に吸収合併、戦後分離独立し(株)丸運となる)が共同で敷設した。両社は、「材木を保管 するため、貯木池を掘り引込線を入れ、鉄道貨車で積出せるように」([10]p93)するために、専用鉄道を開設したので ある。

 このような経緯から、当初は天龍木材(株)が製造する建材、合板、原料の木材の輸送が多く、また天竜川で盛んに採取されていた川砂利の出荷がメインで あった。しかしそれら輸送が減少した1970年代からは、化成品専門商社であるソーダニッカ(株)浜松タンク基地向けの化成品輸送が始まっている。 また日通商事(株)LPG充填所への三井液化ガス(株)からのLPG輸送やゼネラル石油(株)浜松貯油所向け石油輸送も忘れてはなるまい。

 ただ「専用線一覧表」を見る限り、日本通運(株)以外には東京セロファン紙(株)の名が確認できるのみで、ソーダニッカ(株)や日通商事(株)、ゼネラ ル石油(株)は専用線 一覧表をいくら読み込んでも、その名が現れることはない。その一方で、ソーダニッカ(株)が取引をしていた東京セロファン紙(株)が第三者利用者としてそ の 名を刻んでいるというのが、面白い。セロハンの主要原材料は、パルプ、苛性ソーダ、二硫化炭素、硫酸などであり、その内、苛性ソーダと硫酸はソーダニッカ (株)の基地で取り扱っていたことが確認できる。

 この日本通運(株)専用鉄道は、1993(平5)年に運転休止となった。その時点ではトラック輸送への転換であったようだが、浜松タンク基地の命脈もそ こから長くはなかった。主要取引先である東京セロハン紙(株)浜松工場が、1995(平7)年5月末にセロハン製造を停止したのだが、1996(平8)年 9月に同基地を訪問した時点で、タンク等は残っているものの使用停止状態であった。2001(平13)年12月に同地を訪れたところ、タンク等の設備は撤 去され更地となっていた。



▼ソーダニッカ(株)の化学薬品輸送  
 ソーダニッカ(株)は、1947(昭22)年に曹達商事(株)として設立され、1970(昭45)年にはソーダ商事(株)に社名変更、1979(昭 54)年には新 日化産業(株)と合併し、ソーダニッカ(株)となった。

*浜松タンク基地([2]p165-166)


 1968(昭43)年2月、日本通運(株)天竜川支店内に浜松出張所が開設された当時は、高度成長時代の前兆の相を呈し、 浜松以東、静岡以西の東海道ベ ルト地帯の各市町村の企業誘致策と相まって、数多くの企業進出計画が出始めていた。静岡支店としてはその進出企業をワークし、浜松−富士間の2点を結び、 線となすべく浜松に事務所開設の計画を持っていた。同年4月正式に静岡支店管轄の出張所としてスタートした。

 当面の業務は本社ソーダ部の取引先であった東京セロファン紙(株)浜松工 場大日精化工業(株)東海工場への納入手 配、及び日通天竜川支店の側線敷地内に設置された呉羽化学工業(株)液体苛 性ソーダ専用タンクの管理であった。

 同年11月、曹達商事の取引先であった天塩川製紙(株)名寄工場取締役業務部長が日通浜松支店長として着任し、同氏の斡旋を機会に天竜川駅より専用側線 が引 き込まれている土地買収に取り掛かり、1970(昭45)年6月買収を完了し、敷地両サイド40mの約300坪(990平方m)に浜松基地が誕生した。 当初液体苛性ソーダ用タンク1基のみであったが、同年夏に次亜塩素酸ソーダ用 タンク完成、翌71(昭46)年2月に液体苛性ソーダ用タンク・濃硫酸用 タンクが完成、更に1973(昭48)年12月には濃硫酸用タンクが追加され、深井戸も完備されて、天竜川基地(後の浜松タンク基地)が完成した。

 この基地が一段とクローズアップされたのは東海道線高架化に伴い、1972(昭47)年11月に遠州鉄道助信駅の貨物取扱いが停止してからである。同社 ではこの事態をいち早く察知し、他社に先駆けて基地建設を始め、71年には完成させていたため、営業面では最大限その機能を発揮することができた。


1992.8天竜川駅 日本通運(株)専用鉄道

1992.8天竜川駅 日本通運(株)専用鉄道

  この化成品基地向けには、どのような輸送が行われていたのだろうか。『Rail Magazine』誌における、かつての名物コーナー「トワイライトゾ〜ン」で、数々の貴重 な 情報を投稿されていた成瀬公一氏のレポートに「天竜川の専用線」(『レイル・マガジン』通巻第103号、1992年)が あり、貴重な写真や詳細な配線図、タンク配置図が記録されている。また貨 車趣味界の重鎮・吉岡心平氏のwebサイト(現在閉鎖)からの情報も含めて纏めると、以下の通りである。

 尚、成瀬氏のレポートでは
品 目と発駅のみで あり、発荷主 は筆者による推定である。また全てがソーダニッカ(株)の取り扱いとは限らない可能性があることも留意。

【苛性ソーダ】
発 駅
発  荷 主
備   考
郡 山
保土谷化学工業(株)

勿 来
呉羽化学工業(株)
東京セロファン紙(株)は、苛性ソーダを呉羽化学工業(株)から購入 ([3]p38)
浜 五井
旭硝子(株)

知 手
旭電化工業(株)
成瀬さんのレポートには苛性ソーダのタンクは「旭電化/ソーダニッカ」 と表記されているとのこと
東京セロファン紙(株)は、戦前より苛性ソーダを旭電化工業(株)から購入([3]p38)
鶴見川口
鶴見曹達(株)
(※東亞合成(株)グループ)
吉岡心 平氏のwebサイトタ キ7750形27777より
東京セロファン紙(株)は、苛性ソーダを東亞合成(株)から購入([3]p38)
青海
電気化学工業(株)
1980年3月31日に天竜川駅でタキ22640を目撃(吉岡心 平氏のwebサイトタ キ2600形22640より)

 苛性ソーダのタンクは、ソーダニッカ(株)だけでなく、浜松長瀬(株)天竜川中継所も存在した。浜松長瀬(株)はおそらく化成品商社・長瀬産業(株)の 子会社と思われるが、詳細不明である。
 当然、この会社も専用線一覧表には現れず、日本通運(株)専用鉄道の実態をより混沌とさせている。

2001.12天竜川駅 ソーダニッカ(株)浜松タンク基地は撤去済み

2001.12天竜川駅 浜松長瀬(株)天竜川中継所のタンクのみ残っていた

【濃硫酸】
発 駅
発  荷 主
備   考
西 名古屋港
(株)東京液体化成品センター

昭 和町
東亞合成(株)
東京セロファン紙(株)は、硫酸を東亞合成(株)から購入([3] p38)
神 岡鉱山前
神岡鉱業(株)
東京セロファン紙(株)は、硫酸を三井金属(株)から購入([3] p38)
敦 賀
日鉱亜鉛(株)
東京セロファン紙(株)は、硫酸を日本鉱業(株)から購入([3] p38)
 東京セロファン紙(株)は、その他に東邦亜鉛(株)からも硫酸を購入していた。([3]p38) 西名古屋港の(株)東京液体化成品センター経由で調達 することもあり得るか?


 ま た成瀬氏によると、この専用線からは発送として汐 見町駅セ ロハン廃液(硫化ソーダ)も あったとのこと。品目からすると、東京セロファン紙(株)(現、東 セロ)が発荷主であろうが、着荷主はエム・シー・ターミナル(株)のような化成品基地であろうか。この発送には、JOT所有のタキ 24800形(硫化ソーダ液専用)が使われていたが、このタンク車の借受者とするため東京セロファン紙(株)が専用鉄道の第三者利用者に名を連ねていたの かもしれない。



▼三井液化ガス(株)のLPG輸送  

1967年頃の専用鉄道([10])
 1996(平8)年9月現在では、「三井石油」のLPGタンクがまだ 残っており充填所として使われていたようだったが、現在は更地となっている。

 タンク車輸送がいつまで行われていたか不明だが、1982(昭57)年現在では末広町:三井液化ガス(株)〜天竜川でタキ25000形(NRS所有)に よるLPG輸送が行われていた。([4]p120)

 末広町駅の三井液化ガス(株)の専用線は、1985(昭 60)年6月30日に廃止されており、この頃にこの鉄道輸送は姿を消したのであろう。([5]p174)
 


▼ゼネラル石油(株)の石油輸送  

1983年10月現在 「地図・空中写真閲覧サービス」より
 ゼネラル石油(株)浜松貯油所の設備は、1982(昭57)年7月末 現在でタンク基数7基、最大容量2,437キロリットルであった。同社の他の直轄貯油所と比較すると、規模は小さい方に属するが松本や名古屋ターミナルと いった貯油所と 同水準である。([11]p259)

 立地からすると、清水駅東亜燃料工業(株)清水製油所の専用線から石油が到着していたと想定さ れる。1991(平3)年8月に同貯油所は、冨士物産(株)に売却されているが、1991年から1992年にかけて天竜川駅における石油の到着量が2万ト ン台から1万トン台に急減したことを踏まえると、この時点まで石油輸送が継続していたのかもしれない。

 逆に言えば、冨士物産(株)はタンク車輸送を行っていないと思われる。特に根拠は無いのだが…。



▼野沢石綿セメント(株)のセメント輸送  

1966年9月現在
地図・空中写真閲覧サービス」より
 日本通運(株)専用鉄道には、「1967年版専用線一覧表」から「野 沢線1.0km」が現れる。当初、何のことか分からなかったのだが、野沢石綿セメント(株)が浜松SSを浜松市龍光町に1965(昭40)年6月に開設し たことが分かり、疑問が氷解した。同社彦根工場の彦根駅専用 線からセメントが貨車輸送されていたのだと思われる。尚、左に貼り付けた1966(昭41)年9月現在の空中写真では、赤丸に囲んだ箇所にセメントサイロ と思われる施設が写っている。

 しかし、野沢石綿セメント(株)は1966年にセメント事業を住友セメント(株)に譲渡しており、左の写真の時期には住友セメントになっていると思われ る。一方、「1967 セメント年鑑」によると、住友セメントの「工場外貯蔵出荷設備一覧表」には浜松SS≠ヘ存在しない。同社は金指工場があり、浜松 市内にあえてSSを必要としないことは想像でき、譲渡を受けてからすぐに廃止されたのかもしれない。また上述の貨物取扱量で は、1967年以降セメントの到着量は激減しており、SSへの貨車輸送が廃止になったようにも思われる。

 一方、「専用線一覧表」では1975年版まで「野沢線」が残っている。セメント輸送と関係なく、側線だけが何かしらの用途で残っていた可能性はあるが、 謎ではある。

 いずれにせよ野沢石綿セメント(株)浜松SSは、セメント業界の事業再編の渦中に消えた謎の多いSSであり、面影は全く残っていない。



■鈴与(株)の鉄道貨物輸送  

1995.7天竜川駅 鈴与(株)専用線
 鈴与(株)浜松支店は、戦前から日本石油(株)の石油を取り扱っており、1970(昭45)年末現在で 200キロリットルタンク3基、100キロリットルタンク3基、50キロリットルタンク3基を備えていた。1960(昭35)年の同支店の石油販売量は 14,178キロリットルに過ぎないが、1965(昭40)年は同56,261キロリットル、1970年の同135,405キロリットルと伸びている。([6] p600)

 1961(昭36)年に日本石油瓦斯(株)のLPGの販売 を開始し、1962(昭37)年12月に浜松市龍光町に浜松充填所を建設、30トンストレージタンク1基を備えて、静岡県西部地区の販売を強化した。([6] p607)

 日本石油瓦斯(株)から充填所のLPG輸送に際しては、当初はタンクローリーであったが安定かつ安全で多量な輸送を可能とする貨車輸送を導入した。鈴与 (株)所有、天竜川駅常備のタンク車が1963(昭38)年10月に1両が川崎〜浜松で運用を開始し、1964(昭39)年11月と1965年11月に各 1両が増備された。([6]p608-609)

 鈴与(株)浜松支店の1970年のLPG販売量は4,884トンである。([6]p611)

 1979(昭54)年3月末時点の「私有貨車番号表」によると、鈴与(株)所有、天竜川駅常備のタサ5700形(LPガス専用)が1両存在する。

 このため浮島町:日本石油ガス(株)〜天竜川:鈴与(株) 間で同社所有のタサ5700形によるLPG輸送が行われていたと考えられる。一方、石油がタンク車輸送されていたかは不明だ が、天竜川駅の立地からすると、汐見町駅の日本石油(株)名古屋油槽所専用線からタンク車輸送が行われてた可能性はありそうだ。

 天竜川駅で最後まで貨物を取り扱っていたのが、この専用線であったとのことで1994(平6)年12月ダイヤ改正で廃止となった。



■シェル石油(株)の鉄道貨物輸送  

1976年2月現在 「地図・空中写真閲覧サービス」より
 『静岡局のあらまし 55-10』(静岡鉄道管理局)によると、管内 における主要到着品目のうち「石油」の主要発駅として、塩浜があげられており、これが天竜川駅向けの輸送かどうかは定かではないが、昭和四日市石油(株) からの石油輸送として塩浜〜天竜川間でタンク車輸送が行われ ていた可能性は高いと思われる。

 その他の発駅の候補として、汐見町駅の昭和シェル石油(株)名古屋油槽所専用線から石油が到着し ていた可能性も考えられる。

 1983年10月現在の空中写真では、油槽所敷地は空き地となっており閉鎖済みのようだ。現在跡地は倉庫となっている。



■日本楽器製造(株)の鉄道貨物輸送  

1976年2月現在 「地図・空中写真閲覧サービス」より  ← 浜松駅方向
※貯木場に沿って専用線が続く

1976年2月現在 「地図・空中写真閲覧サービス」より  天 竜川駅構内→
※トキ車と思われる貨車が4両停車中

 北洋木材積適合貨車として1972(昭47)年度にトキ25000形から35両がトキ23800形に改造された。舞鶴港駅常備として原木輸送に用いら れ、舞鶴港〜天竜川・浜松等の運用があったが、1982(昭 57)年度から廃車が始まり、1983(昭58)年度に全滅した。([12]p140-141)

 この輸送が日本楽器製造(株)(ヤマハ)向けの輸送かどうか分からないが、天龍木材(株)の製材工場が1978(昭53)年に閉鎖になって以降も天竜川 駅に木材の到着があることから、同社向けの木材輸送が1984(昭59)年頃まで継続していたと考えられる。



■最後に  
 浜松市は遠州灘に面するものの、工業港を持たないため実質的には内陸都市であり、内陸油槽所・LPG充填所が都市圏の複数の貨物取扱駅に設置されてい た。

 今回取り上 げた天竜川駅にはシェル石油(株)、ゼネラル石油(株)、鈴与(株)、高塚駅はエッソ石油(株)、中部液化ガス(株)、遠州上島駅は日本石油(株)、大協 石油(株)、磐田駅に遠州日石(株)、袋井駅にセントラル石油瓦斯(株)、掛川駅に静岡資材(株)等である。このうち例えば、遠州上島駅は1970年度の 貨物到着量が26.8万トンと天竜川駅と遜色ない水準であった。しかし遠州上島駅は1975年4月、高塚駅は1983年10月、袋井駅と掛川駅は1984 年2月に貨物取り扱いを廃止しており、磐田駅を除くと天竜川駅よりも10〜20年程度早めに貨物とは縁が切れた形だ。磐田駅も遠州日石(株)専用線は、 1980年代半ばには姿を消したと思われる。

 もしこれら廃止のタイミングで、浜松都市圏における石油やLPGの専用線集約という方向性に話が進んだならば、天竜川駅に日本オイルターミナル(株)の ような共同油槽所を設置し、LPGや化学薬品、セメントも含めた内陸型物資別適合ターミナル≠ェ誕生していたかもしれない、と夢想をしてしまう。西浜松 駅には、セ メントターミナル(株)の基地が設置されたことを考えると、それほど無茶な発想ではないような気がするのである。ちなみに西浜松駅は当初、石油の物資別基 地を整備する計画があった([13]p28-29)が実現しなかった。

 日本通運(株)専用鉄道を母体としたこの専用線ターミナルは、帯広貨物駅の「帯広市産業開発公社」や元善光寺駅の「(株)座光寺共同専用線センター」と 同じようなイメージなのだが、もちろんこれは筆者の勝手な妄想で、実際に国鉄当局や荷主サイドでそのような検討を行った痕跡があるわけではない。この地域 は、1980年代半ばの時点で東名高速道路は とっくに全通し、国道1号線もバイパスの整備が進んでおり、道路事情には比較的恵まれていたと言える。そのため油槽所機能は近隣の清水港、大井川港、三 河港そして名古屋港に代替され、トラックやタンクローリー輸送への転換がスムーズに進んだと思われる。西浜松駅の石油の物資別基地が実現できなかったのも 同様な理由であろう。

 そして現在では、新東名が開通し、国道1号線バイパスは多車線化が次々と完成するなど、道路網の充実に拍車がかかっている。一方、ヤマハの貯木場は埋め 立てられ半導体工場となり、セロハン工場は無くなり、天然ガスパイプラインの敷設による重油やLPGからの燃料転換も進む等、産業構造の転換も目まぐるし い。天竜川駅を活用した物資別適合ターミナルの想像は夢がある一方で、このような現実にも目を向けると、天竜川駅の鉄道貨物輸送は歴史的役割を終えたもの と結論付けざるを得ないのが、今の正直な気持ちではある。



[1]海野 實『静岡県の鉄道今と昔』明文出版社、1986年
[2]『ソーダニッカ35年の歩み』ソーダニッカ株式会社、 1982年
[3]『東セロ70年史』東セロ株式会社、2000年
[4]吉岡 心平「私有貨車セミナー 第143回」『レイル・マガジン』通巻第263号、2005年
[5]『神奈川臨海鉄道30年史』神奈川臨海鉄道株式会社、1993年
[6]『鈴与百七十年史』鈴与株式会社、1971年
[7]村瀬 勉「天竜川駅専用線 運転休止!」『レイル・マガジン』通巻第119号、1993年
[8]吉田 耕治・筒井 俊之「3363・3362列車の変遷」『トワイライトゾ〜ン・マニュアル15』ネコ・パブリッシング、2007年
[9]『天龍木材株式会社 80年史』天龍木材株式会社、1989年
[10]『天龍木材株式会社 60年史』天龍木材株式会社、1967年
[11]『ゼネラル石油三十五年の歩み』ゼネラル石油株式会社、1982年
[12]吉岡 心平「国鉄貨車教室・第55回 トキ23800・チキ910形」『レイル・マガジン』通巻第266号、2005年
[13]『国鉄線 1969.4』日本国有鉄道、1969年
[14]『1995 セメント年鑑』セメント新聞社、1995年
[15]『住友セメント八十年史』住友セメント株式会社、1987年

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