『15
年』 |
『15年
のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年 |
年
月 日 |
事
項 |
1933(昭
和08). |
9号地(危険物取扱地域)埋立完成(『15年』4頁) |
1949(昭
和24).03.01 |
日本石油(株)名古屋油槽所設置、戦前からの同社油槽所だったが石油配
給公
団所有の後、第3次民営移管により返還 (『日本石油百年史』日本石油株式会社、1988年、545頁) |
1949(昭
和24).12. |
三菱石油(株)名古屋油槽所設置(『三菱石油五十年史』
三菱石油株式会社、
1981年、456頁) |
1950(昭
和25).09. |
昭和石油(株)名古屋油槽所開設
(『昭和石油三十年史』昭和石油株式会社、
1974年、378頁) |
1953(昭
和28).03 |
日本石油(株)名古屋油槽所拡張(前
掲
『日本石油百年史』545頁) |
1959(昭
和34).11. |
モービル石油(株)名古屋油槽所竣
工
(『100年のありがとう モービル石油の歴史』モービル石油株式会社、1993年、243頁) |
1961(昭
和36).04. |
笠寺駅〜東港駅間の東臨港線の工事に着手(『15年』9
頁) |
1961(昭
和36).05. |
9号地の増設埋立工事完成(『15年』6頁) |
1961(昭
和36).05. |
丸善石油(株)名古屋油槽所、名古屋市港区潮見町に移転、同地に名古屋
LPG基地新設 (『35年のあゆみ』丸善石油株式会社、1969年、8頁) |
1961(昭
和36).07. |
ゼネラル瓦斯(株)名古屋ターミナルが
完成(『ゼネラル石油三十五年の歩み』ゼネラル石油株式会社、1982年、268頁) |
1962(昭
和37). |
東浜油脂(株)(後のリ
ノー
ル油脂)名
古屋工場が
竣工 |
1964(昭
和39).07. |
(合)三幸工業所〔後の(株)
サン
ラックス〕が三菱瓦斯化
学(株)と契約し9号地にタンクを建設、化学品の油槽所が誕生 |
1965(昭
和40).01.23 |
名古屋臨海鉄道(株)が設立(『15年』53頁) |
1965(昭
和40).08.20 |
名古屋臨海鉄道(株)汐見町線が運輸開始、汐見町駅が開業 |
1967(昭
和42)年度 |
三菱石油叶齬p線増設(『15年』116頁) |
1969(昭
和44)年度 |
(合)三幸工業所が専用線を設置
(『15年』
88頁)、8号地側線新設
(『15年』116頁) |
1970(昭
和45)年度 |
伊藤忠商事(株)が専用線を設置
(『15年』89頁)、昭和石油(株)・共同石
油(株)・日本通運(株)専用線増設(『15年』116頁) |
1971(昭
和46)年度 |
西及び南構外側線の出光興産(株)専
用線を宝石油化学(株)、豊田通商(株)が譲り
受けて石油類の輸送開始(『15年』89頁) 中央倉庫(株)専用線増設(『15年』116頁) |
1972(昭
和47)年度 |
三井物産(株)の専用線を利用していたモー
ビ
ル石油(株)が専用線設置(『15年』89頁) |
1976(昭
和51)年度 |
伊藤忠商事(株)が専用線新設
(『15年』116頁) 丸善石油(株)、三井物産(株)が専用線を廃止(『15年』89頁) |
1977(昭 和52)年度 | ゼネラル瓦斯(株)が専用線を廃
止
(『15年』90頁) |
1979(昭
和54)年度 |
南側線配線変更(11、12、21番線新設)(『15
年』117頁) |
1980(昭
和55).04. |
出光興産(株)が沢渡駅向けの輸
送に
ついて前川駅発送を汐見町まで船舶輸送
し同駅からの鉄道輸送へ転換 (『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社、1999年、123頁) |
1980(昭
和55).10. |
出光興産(株)が汐見町駅から南
松本
駅の日本オイルターミナル(株)向けタキ
11両の専用貨物列車新設(『15年』97頁) |
1993(平
成05).09. |
宝石油化学(株)が専用鉄道側 線を 整備しタンク貨車による全国への出荷体制を確立 |
1997(平
成09).03.22 |
ダイヤ改正で汐見町駅から穂積駅の日本石油(株)穂積油槽所向けの石油
列車
廃止、日本石油(株)名古屋油槽所の専用線廃止 |
1998(平
成10).03.30 |
伊勢湾岸自動車道 名港潮見ICが供用開始 |
1999(平
成11).04.01 |
日本石油(株)と三菱石油(株)が合併し、日石三菱(株)が発足 |
2002(平
成14).10. |
エ
ム・シー・ターミナル(株)は名古屋事業所を売却〔売却先は(株)辰巳商会〕 |
2003(平
成15).10.01 |
ダイヤ改正で汐見町駅に発着する貨物列車が消滅 |
2008(平
成20).09. |
新日本石油(株)名古屋油槽所の潤滑油物流拠点廃止(『日
経産業新聞』
2007年10月23日付23面) |
場所 |
専用者 →1995年時点の荷主名 |
第三者利用者 |
作
業 キロ |
1995 年12月 |
1983 年版 |
1975 年版 |
1970 年版 |
1967 年版 |
1964 年版 |
1961 年版 |
記
事・備考 |
本線 |
東陽油槽(株) | 日本通運(株) 共同石油(株) (株)油辰商店 |
0.9 | △ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
1967年版以前は第三者に日本漁網船具(株)有り 1964年版以前は共同石油(株)無し、東亜石油(株)有り |
本線 |
中央倉庫(株) | 日本通運(株) | 0.9 | △ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
|
駅 |
共同石油(株) →(株)ジャパンエナジー |
日本通運(株) |
0.4 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
1964年版以前は日本鉱業(株) |
南・中 ・西 |
日本石油(株) | 日本通運(株) 日本石油輸送(株) |
1.3 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
1975年版以前は第三者に日本石油輸送(株)無し |
南 |
豊田通商(株) | 日本通運(株) | 1.1 | × | ○ | ○ | − |
− |
− |
− |
|
南 |
エッソ石油(株) | 日本通運(株) ゼネラル石油(株) |
1.1 | ○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
1975年版以前はエッソ・スタンダード石油(株) 1964年版以前はゼネラル石油(株)無し |
南 |
日本通運(株) | 1.0 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
− |
||
南 | 丸善石油(株) | 日本通運(株) | 1.4 | × |
× |
× |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
南 |
三井物産(株) | 日本通運(株) モービル石油(株) |
1.9 | × |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
1964年版以前は第三者にモービル石油(株)無し、 亜細亜石油(株)(1961年版には無し)有り |
南 |
モービル石油(株) |
日本通運(株) |
1.9 |
○ |
○ |
○ |
− |
− |
− |
− |
|
南 |
ゼネラルガス(株) | 日本通運(株) 丸善石油(株) |
1.9 | × |
× |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
1970年版以前は第三者に丸善石油(株)無し |
南 |
リノール油脂(株) | 日本通運(株) | 2.3 | × |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
1964年版以前は東浜油脂(株) |
南 |
出光興産(株) | 日本通運(株) 日本オイルターミナル(株) |
0.7 | × |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
1975年版以前は第三者に日本オイルターミナル(株)無し |
南 |
三菱商事(株) →(株)エム・シー・ターミナル |
日本通運(株) | 2.5 | ○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
− |
|
南 |
伊藤忠商事(株) | 日本通運(株) 日本オキシラン(株) 東邦理化工業(株) |
2.3 | ○ |
○ |
○ |
− |
− |
− |
− |
社線側線(1983年版) 1975年版以前は日本オキシラン(株)、 東邦理化工業(株)無し |
南 |
伊藤忠商事(株) | 日本通運(株) 昭和電工(株) |
0.3 | ○ |
○ |
− |
− |
− |
− |
− |
|
中 | 昭和石油(株) →昭和シェル石油(株) |
日本通運(株) | 0.8 | ○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
西 |
ゼネラル物産(株) | 日本通運(株) | 0.2 | × |
× |
× |
× |
× |
○ |
○ |
|
西 |
(合)三幸工業所 →(株)サンラックス |
日本通運(株) | 0.5 | ○ |
○ |
○ |
○ |
− |
− |
− |
|
西 |
三菱石油(株) | 日本通運(株) | 0.5 | △ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
西 |
宝石油化学(株) |
日本通運(株) |
1.1 |
○ |
○ |
○ |
− |
− |
− |
− |
|
場所 |
専用者 →1995年時点の荷主名 |
第
三者利用者 |
作
業 キロ |
1995 年12月 |
1983 年版 |
1975 年版 |
1970 年版 |
1967 年版 |
1964 年版 |
1961 年版 |
記
事・備考 |
年 度 |
発
送 (千トン) |
到
着 (千トン) |
計 (千トン) |
名古屋臨鉄全体の 石油類の発送
(千トン) |
名古屋臨鉄全体の 石油類の到着 (千トン)
|
計
(千トン) |
1966(昭和41)年度 |
484.6 |
202.7 |
687.3 |
379.9 |
39.1 |
419.0 |
1970(昭和45)年度 |
695.7 |
253.1 |
948.8 |
570.0 |
85.1 |
655.1 |
1975(昭和50)年度 |
451.8 |
146.7 |
598.5 |
614.0 |
66.0 |
680.0 |
1977(昭和52)年度 |
552.7 |
136.2 |
688.9 |
748.9 |
54.2 |
803.1 |
1979(昭和54)年度 |
534.3 |
142.2 |
676.5 |
701.3 |
54.8 |
756.1 |
1987(昭和62)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
500.4 |
1991(平成03)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
523.7 |
1995(平成07)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
493.9 |
1996(平成08)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
451.9 |
1997(平成09)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
292.2 |
1998(平成10)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
280.2 |
1999(平成11)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
107.6 |
2000(平成12)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
89.2 |
2001(平成13)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
65.1 |
2002(平成14)年度 |
− |
− |
− |
− |
− |
1.2 |
1995.12 汐見町駅ヤード 日本石油(株)所有の石油タンク車が並ぶ 左に分岐するのは南構外側線 |
1995.12 汐見町駅ヤード (株)ジャパンエナジー所有のタキ23364(ガソリン専用) 潤滑油輸送向けと思われる |
1995.12 汐見町駅 南構外側線、右に分岐するの は 日本石油(株)専用線 |
1995.12 汐見町駅 南構外側線に留置中の 三 菱石油(株)所有タキ35912(ガソリン専用) |
1995.12 汐見町駅 手前が東港駅 |
2009.8 汐見町駅 右側が東港駅 |
1995.12 汐見町駅 |
2002.2 汐見町駅 |
2003.1 汐見町駅 「JOMO」の文字が印象的な 名古屋油槽所末期の姿 タンク車も停まっている |
2006.4 汐見町駅 油槽所は完全に撤去され更地化 後方のタンク群は(株)サンラックスの油槽所 |
発
駅 |
発
荷主 |
品
名 |
着
駅 |
着
荷主 |
貨
車 |
確
認・備考 |
北袖 |
(株)ジャパンエナジー 袖ヶ浦潤滑油工場 |
潤滑油 |
汐見町 |
(株)ジャパンエナジー 名古屋油槽所 |
タキ40120 JOT タキ35748 (株)ジャパンエナジー タキ36105 JOT |
2002.2.20汐見町 1999.1.3汐見町 1998.3.11 西小坂井 |
東水島 |
(株)ジャパンエナジー 水島製油所 |
機械油 |
汐見町 |
(株)ジャパンエナジー 名古屋油槽所 |
タキ35745 (株)ジャパンエナジー 貨車不明 |
1999.1.3汐見町 1997.8.15汐見町 |
1995.12 汐見町駅 南構外側線から分岐する日本 石 油(株)専用線 分かりづらいが奥の荷役設備の横にはタンク車の姿もある |
輸送先
としては、主に穂積駅にあった日本石油(株)穂積油槽所向けであったが、1997年3月ダイヤ改正で
この輸送が廃止されたため、汐見町駅の専用線も同時に廃止となったと思われる。 それ以外には、飯田線の七久保駅の日本石油(株)伊那油槽所向けの輸送があった(『鉄道ダ イヤ情報』第24巻11号、通巻154号、27頁)が、七久保駅は1996年3月16日のダイヤ改正で貨物取扱が廃止されている。 また筆者は1995年3月と1996年12月に石山駅の関西日本電気(株)専用線側の側線で日本石油鰹蒲Lのタンク車を目撃し た。これは汐見町駅からの到着だったと思われる。 1977〜1978年の日本石油(株)名古屋油槽所の鉄道貨物輸送の実態は下記の通りである。 月間総出荷量37.1千トン(年換算:約44.5万トン)、着駅数は8駅、最大量到着地は穂積駅で月間10千トン(年換算:約 12万トン)であった。(前掲『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』57頁) また『岐阜県統計書』によると、1990年度の穂積駅の到着トン数は13.1万トン、1996年度は12.2万トンで廃止直前まで輸送量は殆ど変わらな かったようだ。 |
では、
8駅のうち穂積、七久保、石山の3駅は判明したとして、それ以外はどこだろうか。1975年版の『専用線一覧表』から
考察した。 東から磐田〔(株)遠 州日 石〕、遠州上島(日本石油(株)浜松油槽所、但し1976年4月貨物営業廃止)、飛騨一ノ宮(同社高山油槽所)、鳥居本(同社彦根油槽所)の各駅ぐらいが可能性があるだろうか。 しかし『'85貨物時刻表』では安治川口→彦根に石油列車の設定があり大阪の安治川油槽所からの輸送だけだった可能性が非常に高そうだ。 以上4油槽所以外に、需要家としては1979年の第2次オイルショックまでは重油輸送が盛んに行われていたセメント工場向けもありそうだ。 具体的には金指〔住友セメント(株)浜松工場〕、三河田原〔小野田セメント(株)田原工場〕、本巣〔住友セメント(株)岐阜工場〕、近江長岡〔大阪セメント(株)伊吹工場〕、彦根〔住友セメント(株)彦根工場〕、ここも安治川口から到着か)ぐらいが候補とし て挙げられる。セメント工場 以外では高月〔日本電気硝子(株)〕向けもありそう。 候補を含めると結局8駅をオーバーしているが…。 |
1995.12 汐見町駅 中構外側線に接続する日本石 油(株)専用線 汐見町駅の全専用線群の中で最も大規模な専用線と言えよう |
2006.4 汐見町駅 左と同じ場所、レールは残って いた 門柱の看板には「新日本石油(株)名古屋油槽所第二作業所」とある |
1995.12 汐見町駅 西構外側線から分岐する日本 石 油(株)専用線 奥のタンクは隣接する宝石油化学(株) |
2009.8 汐見町駅 左と同じ場所 奥の宝石油化学(株) のタンクの塗 装 は禿げているが残っている |
1995.12 汐見町駅 エッソ石油(株)専用線内にはタ ンク車が4〜5両留置中 |
1995.12 汐見町駅 分かり難いが「エッソ」と「ゼネラル」の両方の看板が掲示 |
1996.12 多治見駅 8873石油専用列車 タキ 1000-143の荷票 |
文字が非
常に読みづらいが、荷票の内容は下記の通りである。 発駅:塩浜駅 昭和四日市石油(株)専用線 荷送人:ゼネラル石油(株) 着駅:南松本駅 側線入 荷受人:日本オイルターミナル(株) 輸送品:灯油 発送:平成8年12月26日 扱店名:日本石油輸送(株)中部支店 三重塩浜営業所 少なくとも1996年12月の段階で、昭和四日市石油(株)専用線から ゼネラル石油(株)向けの輸送が行われていたことが分かる。 石油輸送でよく見られる物流提携の1つの事例であろう。 |
1995.12 汐見町駅 この時点で潤滑油中心の油槽 所のようであった |
1995.12 汐見町駅 小規模なタンクが3基ほど見 える |
1997.8 汐見町駅 タキ35786〔第三者利用者:東燃(株)、臨時常備駅:清水駅〕 |
1999.1 汐見町駅 右のタンク車はNRS所有タキ35789(ガソリン専用)※ |
2002.2 汐見町駅 タンク車の入線は無く、レールは 錆ついていた |
2006.4 汐見町駅 油槽所は撤去され舗装された空 き地になった |
※タキ
35789の輸送内容 第三者利用者:東燃(株) 臨時常備駅:清水駅 臨時専用種別:石油類 期間:H10.1.1〜H10.12.31 発駅:清水駅 着駅:汐見町駅 ソク入取卸し 荷受人:モービル石油 品名:キカイ油 発送日:12/26 |
2003.1 汐見町駅 ゼネラルマークのガスタンクが 見える |
ゼネラ
ル瓦斯鰍ヘ1959(昭34)年4月に設立されたが、1980(昭55)年10月にゼネラル石油(株)と合併した。 また汐見町駅にゼネラル瓦斯(株)の専用線が存在した時代の事業所名は分からないのだが、1997(平9)年8月時点の現地で確認した際は、「ゼネラル 石 油(株)中部配送事務所」であった。 さて、ゼネラルガス(株)の専用線が廃止になったのは1977(昭52)年度と相対的に早い時期だ。(『15年』90頁) LPGを鉄道輸送していたものと思われるが、輸送先はどこであろうか。1975年版『専用線一覧表』では中京地区界隈にゼネラル瓦斯(株)の専用線は存 在し ないが、名古屋臨海鉄道の輸送先としてお馴染みの長野県内では、南松本駅に はゼネラル石油(株)の専用線の第三者利用者としてゼネラル瓦斯(株)がある。尚、この専用線には浮島町駅のゼネラル石油(株)の専用線からタキ 25000形でLPG が到着していたのを確認している。(1997.3南松本駅で確認) そのため当初、汐見町→南松本でLPG輸送されていたものが、汐見町駅の専用線が1977年度に廃止された以降に浮島町駅発送に切り替えられたという経 緯が考えられる。 一方で、この汐見町の専用線が発送ではなくて、到着用だった可能性もありそうだ。同じく1975年版『専用線一覧表』では清水駅の東亜燃料工業(株)専用線の第三者利用者にゼネラル瓦斯(株) があるの だ。清水→汐見町で上記のモービル石油鰍フ潤滑油輸送があったのと同様に、清水からLPGの到着があったとしても不思議ではない気がする。 このように勝手に想像を膨らませてみたが、もちろん正解は分からない。廃止時期も早いだけに今後も解明するのは極めて困難だと思われる。 |
1995.12 汐見町駅 リノール油脂の工場が増築さ れたため専用線は行き止まり状態 |
【リノール油脂(株)の沿革】 1947(昭22)年に東浜油脂工業(株)(後のリノール油脂梶jが設立され、1962(昭37)年には東浜油脂(株)名古屋工場が竣工、三菱印の食用 油の 販売を開始した。 1966(昭41)年に東浜油脂(株)は社名をリノール油脂(株)に変更、1969(昭44)年には日清製油(株)が経営に参加した。そして2002 (平14)年には日清製油(株)、ニッコー製油(株)、リノール油脂(株)の3社が経営統合し、純粋持ち株会社の「日清オイリオグループ(株)」が誕生し た。その後、2004(平16)年にはリノール油脂(株)を含む持ち株会社傘下の事業会社を合併させて、改めて「日清オイリオグループ(株)」が設立され た。 【鉄道貨物輸送の概要】 さて、リノール油脂(株)名古屋工場は工場完成時から専用線による鉄道貨物輸送を行っていたと思われる。 名古屋臨海鉄道の開業時の1965(昭40)年度の東浜油脂(株)の「主な扱品名」としては、「大豆、大豆粕、食用油、種子」となっている。(『15 年』 56頁) また名古屋臨海鉄道の発送トン数では、「大豆」が昭和40年代に年間約15〜20千トンレベルで推移し、昭和50〜54年にかけては同約30〜45千ト ンレベルで推移をしている。この全てがリノール油脂(株)からの発送かどうかは不明だが、年間で5万トンにも満たない水準であり決して多いとは言えない。 専用線の廃止時期は分からないが、1984(昭59)年2月のダイヤ改正の頃であろうか。 尚、日清オイリオグループ(株)は横浜磯子工場は横浜本牧駅から、水島工場は東水島駅からそれぞれ食用油のコンテナ輸送を積極的に行っており、JR貨物 の主 要荷主の1社に位置付けられよう。名古屋工場でもコンテナ輸送を行っていて欲しいものだ。 |
1995.12 汐見町駅 左側に小さく出光興産のアポ ロマークの看板がある。専用線の痕跡は見当たらず |
出光興
産(株)は石油輸送のタンク車輸送を全廃した石油元売会社として知られ、個人的には嫌いな会社である(笑)。出光のガソリンスタンドを利用しないのが私の
ポリ
シー
である。 さて、そんな出光興産(株)だが、過去には石油類のタンク車輸送を行っていた。京葉臨海鉄道の前川駅に接続する千葉製油所の専用線は大規模なもので関東 一円 に石油類を発送していたが1988年11月に廃止され、新南陽駅の徳山製油所の専用線からは益田駅のダイワボウ向けにタンク車で重油 輸送が行われていたが、こちらは1996年3月に廃止された。北海道製油所にも苫小牧港開発の石油埠頭駅から専用線があったし、鉄道貨物輸送を 積極的に行っていた時期もあったのだ。それなのになぜタンク車輸送を全廃してしまったのか、理由は分からないが同社を再度、鉄道貨物輸送に誘導する手立て はないも のであろうか…。 話が逸れたが、出光は中京地区には1975(昭和50)年操業開始の愛知製油所があるのだが、近接する知多駅には専用線を設置することは無かった。しか し意外なことに汐見町駅に接続する名古屋油槽所の専用線を利用して積極的にタンク車輸送を行っていたようだ。 具体的には、1980(昭55)年10月から出光興産は汐見町駅から南松本の日本オイルターミナル(株)向けタキ11両で専用貨物列車を新 設 し、早朝作業によって100%運用とした(『15年』97頁)。この輸送は、40トン積みタンク車11両で 週6日運転の前提で計算すると 年間約13万トンの輸送量となる。 |
このような輸送があったのに知多駅に専用線を敷設せず、愛知製油所から名古屋油槽所まで一次輸送(おそらく船舶)し、二次
輸送はタンク車で信州の内陸部まで運ぶという手間をかけていたわけだ。これは不効率な輸送体系と言えよう。 1980(昭55)年4月には京葉臨海鉄道から沢渡向けが、汐見町へ船舶輸 送、同基地よりレール輸送に転換された(前 掲『35年 のあゆみ』123頁)のだが、1983年版『専用線一覧表』によると沢 渡駅(飯 田線)には出光興産(株)の専用線があるため、これは出光興産(株) の石油輸送の ことと考えられる。 それでは、出光興産(株)名古屋油槽所の専用線がいつ廃止されたのであろうか。例えば『鉄道統計年報』で名古屋臨海鉄道の石油製品の輸送量を見ると、 1985年度 から1987年度にかけて年間約9万トン程減少(約59万トン→約50万トン)した。先に仮定した南松本向けの輸送量からすると、この減少分を出光分と想 定するのに無理は無さそうではないか。 そのためこの頃に出光興産竃シ古屋油槽所の専用線が廃止されたと考えてみたが、どうであろうか。 |
1995.12 汐見町駅 |
1999.1 汐見町駅 |
2002.2 汐見町駅 この時点では専用線は現役と思 われる |
2003.1 汐見町駅 レールが切断され廃止直後と思 われる |
発
駅 |
発
荷主 |
品
目 |
着
駅 |
着
荷主 |
貨
車 |
目
撃・備考 |
郡山 |
保土谷化学工業(株) |
オルソジクロル ベンゼン |
汐見町 |
(株)エム・シー・ターミナル |
タキ21700 所有者失念 |
1998.2.16清水 後に勿来駅発送に変更 |
二本木 |
日本曹達(株) |
亜塩素酸 ソーダ液
|
汐見町 |
? |
タキ5705 日本曹達(株) |
吉
岡心平氏webサイトより |
勿来 |
呉羽化学工業(株) |
オルソジクロル ベンゼン |
汐見町 |
側入取卸し 記事:東レ(株) |
タキ10711 JOT |
1999.3.28汐見町 郡山駅発送から変更 |
東新潟港 |
昭和シェル石油(株) |
ペンタン |
汐見町 |
(株)エム・シー・ターミナル? |
タキ42351 昭和石油(株) |
吉
岡心平氏webサイトより 急 行越前様からの情報では、南構外側線で 同タンク車を目撃されたとのこと |
新南陽 |
日本ポリウレタン 工業(株) |
TDI |
汐見町 |
(株)エム・シー・ターミナル? |
タキ8723 JOT |
1997.8.15東港 返空を目撃 |
大牟田 |
三井化学(株) |
MDI |
汐見町 |
? |
チキ1000形 NRS |
殆ど運用されずに1997年度に廃車 (『鉄道ピクトリアル』通巻第660号、1998年、75頁) |
大牟田 |
三井化学(株) |
ニトロシル 硫酸溶液
|
汐見町 |
(株)エム・シー・ターミナル? |
タキ10850 NRS |
吉
岡心平氏webサイトより (株)エム・シー・ターミナルの入口付近で撮影 された写真をweb上 で見つけた |
1999.3 汐見町駅 タキ10711、背後はモービ ル石油(株)名古屋油槽所 |
1999.3 汐見町駅 左のタキ10711の荷票 |
1997.8東港駅 |
左は
JOT所有のタキ8723(酢酸ビニル専用)、荷票の内容は以下 臨時専用種別:TDI 期間:H8.11.1〜H9.10.31 発駅:汐見町 着駅:新南陽 日本ポリウレタン側入 品名:返空 尚、日本ポリウレタン工業(株)の販売先として、エム・シー・ケミカル(株)〔現、三菱商事ケミカル(株)〕がある。(『会社四季報 '98下期』東洋経済新報社、1998年、379頁) そのためこの輸送は、(株)エム・シー・ターミナルに到着していたと思われる。 さて上記のオルソジクロルベンゼンの輸送も(株)エム・シー・ター ミ ナル向けの輸送として知られていた。この輸送は元々は郡山駅の保土谷化学工業(株)から発送されていた(1998.2.16清水駅で確認)が、 保土谷化学工業(株)と呉羽化学工業(株)との塩素系事業の提携によって勿来駅発送に変更された。東レ(株)向けであった点にも注目だ。同社は名古屋地区に複数の事業所 を持っている。 |
2006.4 汐見町駅 (株)辰巳商会 名古屋ケミカルターミナル |
2006.4 汐見町駅 レールは撤去されているが、バラス トなどはそのままである |
1995.12 汐見町駅 左に分岐していくのは(株)エ ム・シー・ターミナル専用線 |
2006.4 汐見町駅 この時点では廃止されていた が、レール等は残されていた |
1995.12 汐見町駅 JOT所有タキ16515 (プロピレンオキサイド専用) |
1995.12 汐見町駅 汐見町→東港:三洋化成の名 古屋臨海鉄道の線内輸送である |
1999年1月に現地訪問をした際に、JOT所有のタキ16500形(プロピレンオキサイド専用)が8両留置されている中の1両(タキ16508)が、臨
時常備駅:汐見町駅、第三者使
用者:日本オキシラン(株)、
期間:H10.4.1〜H11.3.31があった。日本オキ
シラン(株)は、伊藤忠商事(株)専用線の第三者利用者にその名が確認できる。 では、同社はどのような会社かと言うと、出資比率が住友化学(株)60%、ライオンデル・ケミカル・カンパニー(株)40%、事業内容はプロピレンオキ サイド及 びスチレンモノマーの製造・販売で、千葉工場(千葉県袖ヶ浦市北袖2番)はプロピレンオキサイドの設備能力181,000トン/年を備える。(同社webサイトより) つまり日本オキシラン(株)千葉工場で製造されたプロピレンオキサイドは、おそらくケミカルタンカーで名古屋の伊藤忠商事(株)ケミカルタンクターミナ ルまで運ば れ、そこでタンクに貯蔵された後、タンク車によって東港駅の三洋化成工業鰍ノ納入されるという輸送形態だったと想像される。 |
2002.2 汐見町駅 この当時、東港:三洋化成工業(株)向けタンク車輸送は残る |
2006.4 汐見町駅 雑草が生い茂った以外は余り変 化がないが、廃止状態 |
1995.12 汐見町駅 中構外側線から分岐、直進の 奥 が日本石油(株)専用線 |
1995.12 汐見町駅 タキが1両荷役していた。こ こでも荷票の確認を失念! |
1995.12 汐見町駅 あたかも日本石油(株)の専用線 のように見えるが… |
1995.12 汐見町駅 上記配線図より 昭和シェル石 油(株)専用線と判明 |
2006.4 汐見町駅 2002年2月 の段階で更地化 されていた |
昭和
シェル石油(株)名古屋油槽所の専用線も苦い思い出がある。上記写真にも書いた通り、目の前のタンク車の写真を撮りながらも、荷票の確認をしていなかった
のである。タ
ンク車1両が積み荷を降ろしていたようなので、ここも(株)ジャパンエナジーやモービル石油(株)の名古屋油槽所のように潤滑油が到
着していたのであろうか。 尚、昭和シェル石油(株)は潤滑油の製造を横浜事業所と神戸事業所で行っている(同 社web)。横浜事業所は旧浜安善駅に隣接する立地であり、「1983年版 専用線一覧表」ではシェル石油(株)の専用線があ る。但し1995年の時点ではこの専用線は廃止になっていたのではないかと思われるのだが…。残念ながら現段階では、これといった具体的な輸送を推測でき ないままである。 尚、西名古屋港には昭和シェル石油(株)西名古屋油槽所があったが、1998年にジャパンオイルネットワーク(株)(JONET)に移管された。 1999年3月に現地訪問もした。しかしJONETのwebサイトの2004年3月現在 の油槽所施設概要一覧に西名古屋油槽所の掲載は無く、閉鎖されたようだ。中京地区には昭和四日市石油(株)四日市製油所があり、名古屋港に油槽所 は必要ないということなのだろう。 |
1995.12汐見町駅 三菱石油(株)名古屋油槽所 三石のタンクローリーあり |
1995.12汐見町駅 三菱石油(株)名古屋油槽所の専用線 |
1995.12 汐見町駅 (株)サンラックスの油槽所と専用線 |
1995.12 汐見町駅 (株)サンラックス専用線 |
1997.8 汐見町駅 タキ35506の第三者 使用者:サンラックス(株) 臨時専用種別:燃32、期間:H8.4.1〜H9.3.31 |
1997.8 汐見町駅 左記タキ35506 南四日市→汐見町:サンラックス側入(返空) |
1999年1月には再びこのタキ35506を汐見町駅で目撃した。第三者使用者:サンラックス(株)、臨時専用種別:ノ
ルマルヘキサン、期間:H9.4.1〜H10.3.31で
あった。これで、積み荷と汐見町→南四日市の運用区間は、分かったのだが着荷主は依然不明であった。 ところが、『レイル・マガジン』誌の「トワイライトゾ〜ン」のコーナーでその答えと言ってもいい情報が出てきた。以下内容を要約する。2001年6月、 南四日市駅に接続する JSR(株)専用線はタンク車によるラテックス輸送を廃止してしまったらしく構内に留置されていたタンク車が全て消えてしまった。その後は、汐見町から化学薬品を輸送して来るタキ35000形が2、3度入ったが、 荷役作業を済ませると構内に留まることなく、翌日には出て行ってしまった。(近藤 弘志「消えたJSR構内のタンク車」『レイル・マガジン』第18巻第11号、2001年、106-107頁) 以上から、ノルマルヘキサンを汐見町(サンラックス)→南四日市(JSR)で 輸送していたという実態が浮かび上がってきた。かなり短距離なタンク車輸送であったと言えよう。2002年3月には伊勢湾岸道がみえ川越ICまで達したこ とから、9号地は名港潮見ICからR23号を経由してスムーズに四日市まで 行けるようになったので、ローリー等への転換も問題なくできたのではないかと思える。 尚、そもそもこのノルマルヘキサンのメーカーがどこなのか、という点は気になるところではある。 汎用タンク車であるタキ35000形を利用した趣味的には£n味な輸送ではあるが、発荷主や輸送区間の意外性という点で非常に興味深い。こういった輸 送を目撃できたことが汐見町駅に対する私の思い入れを深くしたに違いない。 |
1997.8 汐見町駅 この専用線にタンク車が入線し ているところは、目撃できず… |
2006.4 汐見町駅 左と同じ場所。(株)サンラックス 専用線は雑草に覆われ、 背後にあった三菱石油(株)名古屋油槽所は更地となった |
1995.12 汐見町駅 タキ16500形(プロピレ ンオキサイド専用)が2両 |
1995.12 汐見町駅 |
1997.8 汐見町駅 左の専用線は日本石油(株)名 古屋 油槽所 |
1999.1 汐見町駅 |
1999.1 汐見町駅 背後は三菱石油(株)名古屋油槽所 |
1999.1 汐見町駅 安治川口→汐見町:宝石油化学(株)側取卸し(返空) |
2006.4 汐見町駅 西構外側線が残っており、 左の旧日本石油(株)専用線もレールは残っている |
2009.8 汐見町駅 「宝石油化学(株)九号地油槽所」及び 「出光興産(株)愛知第二配送センター」 |
年
月 |
項
目 |
1957(昭和32)年10月 | 中部石油化学工業株式会社(昭和16年設立)の設備一切を買収し宝石油 化学株式会社を設立。 |
1957(昭和32)年12月 | 潤滑油専業者の全国団体、全国石油工業協同組合に加盟。 |
1969(昭和44)年10月 | 出光興産株式会社(旧第一油槽所)を買収し潤滑油及びベースオイルの貯 蔵と委託貯蔵管理業務を開始。 |
1993(平成05)年09月 | 特殊引火物貯蔵及び受払設備が完成し稼働開始。 中部運輸局より一般貨物自動車運送事業が許可され事業開始。 専用鉄道側線を整備し タンク貨車による全国への出荷体制を確立。 |
2002(平成14)年08月 | ユーザーの要望に答えるべくISOコンテナ車を配備し運送体制の強化を 図る |
受入 |
移送 |
タンク貨車充填 |
秤量設備 貨車・ローリー兼用 |
タンク貨車移動 |
タンク貨車出荷 |
専
用線の荷主企業 |
鉄
道貨物輸送の内容 |
現
況 |
(株)ジャパンエナジー 名古屋油槽所 |
北袖駅から潤滑油、東水島駅から機械油がタンク車で到着。 2003年に鉄道輸送廃止 |
2006年までに油槽所閉鎖、 更地化 |
日本石油(株) 名古屋油槽所 |
穂積駅(日石穂積油槽所)、七久保駅(日石伊那油槽所)、石山駅(関西
日本電気)向けが 末期まで残るが、1997年3月のダイヤ改正で廃止 |
2008年9月に油槽所閉鎖、 2009年8月時点では施設残る |
エッソ石油(株) 名古屋油槽所 |
南松本駅の日本オイルターミナル(株)向けにタンク車による石油輸送し
てい
たと予想 1996年頃に専用線廃止か |
2006年までに油槽所閉鎖、 更地化 |
モービル石油(株) 名古屋油槽所 |
清水駅(東燃)から機械油がタンク車で到着。2001年の東燃ゼネラル
石油が清水工場で 潤滑油製造を中止したことに伴い鉄道輸送廃止の模様 |
2006年までに油槽所閉鎖、 更地化 |
ゼ
ネラル瓦斯(株) |
南松本駅
のゼネラル瓦斯鰍ノLPGを発送していたと予想。専用線廃止は1977年度 |
2003
年時にはLPGタンク確認、 現在も操業中の模様 |
リ
ノール油脂(株) 名古屋工場 |
大豆等を
発送していた模様。1984年頃に専用線廃止か |
日清オイ
リオグループ(株) 名古屋工場として操業中 |
出光興産(株) 名古屋油槽所 |
1980年に南松本駅の日本オイルターミナル(株)向け専用列車を新設
する
など取扱量は大き かったようだが、1986年頃には専用線を廃止した模様 |
1997年の段階で油槽所無し |
(株)
エム・シー・ターミナル 名古屋事業所 |
勿来駅
(呉羽化学工業)からオルソジクロルベンゼン、新南陽駅(日本ポリウレタン工業)からは TDI、大牟田駅(三井化学)からニトロシル硫酸溶液などがタンク車で到着していた 2002年に同所は(株)辰巳商会へ売却時され、その際に専用線廃止の模様 |
(株)辰
巳商
会 名古屋ケミカル ターミナルとして操業中 |
伊
藤忠商事(株) ケミカルタンクターミナル |
日本オキ
シラン(株)千葉工場から船舶で到着したプロピレンオキサイドをタンク車で東港駅の 三洋化成工業(株)に発送していたが、2002〜2003年に廃止 |
ケミカル
ロジテック 名古屋油槽所として操業中 |
昭和シェル石油(株) 名古屋油槽所 |
輸送内容は不明、予想も今のところ思いつかず。タンク車による潤滑油の
到着か 1995年当時は使用中だったが、1997年訪問時は専用線が廃止されていた |
2002年までに油槽所閉鎖、 更地化 |
(株)
サンラックス 名古屋油槽所 |
タンク車
でノルマル
ヘキサンを南四日市駅のJSR(株)専用線に発送していた 2001〜2002年頃に廃止の模様 |
2006
年に内外輸送(株)と提携する など、設備増強され操業中 |
宝
石油化学(株) 九号地油槽所 |
(株)ト
クヤ
マ南陽工場から船舶で到着したプロピレンオキサイドをタンク車で東港駅の三洋化 成工業(株)に発送していたが、2002〜2003年に廃止。安治川口駅にも発送 |
ISOタ
ンクコンテナ扱いも開始する など操業中 |