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汐見町駅 〜石油業界の物流合理化で役割を終えた専用線密集地帯の駅〜
2010.3.31作成開始 2010.4.23公開  2010.9.8訂補
<目次>
はじめに
汐見町駅と同駅に関連する事項の年表
汐見町駅(1961年版及び1964年版は名電築港駅)の専用線の推移
汐見町駅の発着トン数の推移
汐見町駅の配線図
東陽油槽葛yび中央倉庫鰍フ専用線と鉄道貨物輸送
潟Wャパンエナジー 名古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
日本石油竃シ古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
エッソ石油竃シ古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
モービル石油竃シ古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
ゼネラル瓦斯鰍フ専用線と鉄道貨物輸送
リノール油脂竃シ古屋工場の専用線と鉄道貨物輸送
出光興産竃シ古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
潟Gム・シー・ターミナル 名古屋事業所の専用線と鉄道貨物輸送
伊藤忠商事潟Pミカルタンクターミナルの専用線と鉄道貨物輸送
昭和シェル石油竃シ古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
潟Tンラックス 名古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
宝石油化学葛纃地油槽所の専用線と鉄道貨物輸送
汐見町駅の鉄道貨物輸送の纏め

1997.8 汐見町駅近くにある「9号地見取図」

■はじめに  
 「貨物取扱駅と荷主」の第6回は汐見町駅(名古屋臨海鉄道)を選択した。臨海工業地帯に位置する臨海鉄道の駅という点では第3回の千鳥町駅と共通する が、千鳥町 駅が成長を続ける♂wであるのと対照的に、汐見町は列車設定が無くなりその復活も当面見込めないような廃止同然の駅だが、今回取り上げることにした。

 汐見町駅を初めて 訪れたのは1995年12月末のこと、事前に鉄道ピクトリアル誌の「臨海鉄道」特集やアトラス社の道路地図などから専用線が高密度の張り巡らされているこ とは、頭では分かっていた のだが、現地を実際に訪問し、いざ目の前に次々と現れる専用線群を目の当たりにした時の衝撃は、とてつもなく大きいものだった。当時、普通自動車の運転免 許取得可能年齢にも達していなかった筆者は、とはずがたりが運転するシビック≠ゥら飛び降りて大興奮しながら走り回り、たくさんの 写真 を撮ったものだった。今思えば、それは汐見町駅の全盛期はとっくに過ぎてはいたものの、それでもまだ石油輸送を盛んに行っていると言えるだけの専用線とタ ンク 車が残っていた時代であった。

 その後も何度か同駅を訪問しているが、まさに急な坂を転げ落ちるように急速に専用線もタンク車もその数を減らし、鉄道貨物輸送が消滅していった。そして それ はタ ンクローリーなど他の輸送手段への転換を意味するというよりも、汐見町に立地する石油元売各社の油槽所が統廃合され、施設ごと撤去され更地と化した結果に 起 因するという、産業構造の転換に直面してのことだった。この荷主が行う物流再編に否応無しに巻き込まれ、なすすべくもなく衰退していく鉄道貨物輸送の姿 を、汐見町駅という場所で趣味者的立場≠ナはあるものの直面したことで、私の興味は単なる配線の趣や貨車のいる雰囲気に止まらない「荷 主研究」へと大きく進化することになったと思う。そういう意味で、筆者にとって汐見町駅はターニングポイントの1つに位置付けられる。

 何しろ初めて訪問したときは、大興奮して写真は撮りまくったものの、荷主研究にはまだ開眼しておらず、荷票の確認などの基本的な作業を殆どしておらず、 配線と雰囲気の確認で大満足して帰ってしまったのであった。その後、荷票の確認という極めて大事なこと≠ノ気付き出してからその目的で訪問した際は、時 既に遅 しで、鉄 道輸送は激減しており初回訪問時に見損なったタ ンク車の輸送内容は 永遠の謎になってしまった。これは今でも悔やんでも悔やみきれない口惜しさとして残っている。そういったこともあり、これまで汐見町駅は大好きな駅では あった が、纏まった形に整理することに踏み切れずにいた。

 しかし列車の発着が無くなり、実質的に廃止となって既に6年以上の月日が経ち、その間も何度か同駅には訪れているのだが、汐見町地区(9号地)全体が空 洞化した状態は 改善されるどころか更に進行している。鉄道貨物輸送再開の可能性が限りなくゼロに近い状況が今後も続く見通しの中、悔しさも大分薄れたこともあり同駅の輸 送を纏めておこうと思い立った のである。

1995.12 汐 見町駅ヤード、数多くのタンク車が留置され、まだまだ石油輸送が盛んな時代

※以下では下記の資料を頻繁に参照するため省略して脚注を付けている。
『15 年』
『15年 のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年


■汐見町駅と同駅に関連する事項の年表   
年 月 日
事   項
1933(昭 和08).
9号地(危険物取扱地域)埋立完成(『15年』4頁)
1949(昭 和24).03.01
日本石油竃シ古屋油槽所設置、戦前からの同社油槽所だったが石油配給公 団所有の後、第3次民営移管により返還
(『日本石油百年史』日本石油株式会社、1988年、545頁)
1949(昭 和24).12.
三菱石油竃シ古屋油槽所設置(『三菱石油五十年史』三菱石油株式会社、 1981年、456頁)
1950(昭 和25).09.
昭和石油竃シ古屋油槽所開設 (『昭和石油三十年史』昭和石油株式会社、 1974年、378頁)
1953(昭 和28).03
日本石油竃シ古屋油槽所拡張(前掲 『日本石油百年史』545頁)
1959(昭 和34).11.
モービル石油竃シ古屋油槽所竣工 (『100年のありがとう モービル石油の歴史』モービル石油株式会社、1993年、243頁)
1961(昭 和36).04.
笠寺駅〜東港駅間の東臨港線の工事に着手(『15年』9頁)
1961(昭 和36).05.
9号地の増設埋立工事完成(『15年』6頁)
1961(昭 和36).05.
丸善石油竃シ古屋油槽所、名古屋市港区潮見町に移転、同地に名古屋 LPG基地新設
(『35年のあゆみ』丸善石油株式会社、1969年、8頁)
1961(昭 和36).07.
ゼネラル瓦斯竃シ古屋ターミナルが 完成(『ゼネラル石油三十五年の歩み』ゼネラル石油株式会社、1982年、268頁)
1962(昭 和37).
東浜油脂梶i後のリノー ル油脂)名 古屋工場が 竣工
1964(昭 和39).07.
(合)三幸工業所(後の潟Tン ラックス)が三菱瓦斯化 学鰍ニ契約し9号地にタンクを建設、化学品の油槽所が誕生
1965(昭 和40).01.23
名古屋臨海鉄道鰍ェ設立(『15年』53頁)
1965(昭 和40).08.20
名古屋臨海鉄道且ャ見町線が運輸開始、汐見町駅が開業
1967(昭 和42)年度
三菱石油叶齬p線増設(『15年』116頁)
1969(昭 和44)年度
(合)三幸工業所が専用線を設置 (『15年』 88頁)、8号地側線新設 (『15年』116頁)
1970(昭 和45)年度
伊藤忠商事が専用線を設置 (『15年』89頁)、昭和石油共同石 油・日本通運叶齬p線増設(『15年』116頁)
1971(昭 和46)年度
西及び南構外側線の出光興産専 用線を宝石油化学、豊田通商鰍ェ譲り 受けて石油類の輸送開始(『15年』89頁)
中央倉庫専用線増設(『15年』116頁)
1972(昭 和47)年度
三井物産鰍フ専用線を利用していたモービ ル石油が専用線設置(『15 年』89頁)
1976(昭 和51)年度
伊藤忠商事が専用線新設 (『15年』116頁)
丸善石油梶A三井物産鰍ェ専用線を廃止(『15年』89頁)
1977(昭 和52)年度 ゼネラル瓦斯が専用線を廃止 (『15年』90頁)
1979(昭 和54)年度
南側線配線変更(11、12、21番線新設)(『15年』117頁)
1980(昭 和55).04.
出光興産が沢渡駅向けの輸送に ついて前川駅発送を汐見町まで船舶輸送 し同駅からの鉄道輸送へ転換
(『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社、1999年、123頁)
1980(昭 和55).10.
出光興産が汐見町駅から南松本 駅の日本オイルターミナル褐けタキ 11両の専用貨物列車新設(『15年』97頁)
1993(平 成05).09.
宝石油化学鰍ェ専用鉄道側線を 整備しタンク貨車による全国への出荷体制を確立
1997(平 成09).03.22
ダイヤ改正で汐見町駅から穂積駅の日本石油兜苣マ油槽所向けの石油列車 廃止、日本石油竃シ古屋油槽所の専用線廃止
1998(平 成10).03.30
伊勢湾岸自動車道 名港潮見ICが供用開始
1999(平 成11).04.01
日本石油鰍ニ三菱石油鰍ェ合併し、日石三菱鰍ェ発足
2002(平 成14).10.
エ ム・シー・ターミナル鰍ヘ名古屋事業所を売却(売却先は樺C巳商会)
2003(平 成15).10.01
ダイヤ改正で汐見町駅に発着する貨物列車が消滅
2008(平 成20).09.
新日本石油竃シ古屋油槽所の潤滑油物流拠点廃止(『日経産業新聞』 2007年10月23日付23面)



■汐見町駅(1961年版及び1964年版は名電築港駅)の専用線の推移  
場所
専用者
→1995年時点の荷主名
第三者利用者
作 業
キロ
1995
年12月
1983
年版
1975
年版
1970
年版
1967
年版
1964
年版
1961
年版
記 事・備考
本線
東陽油槽 日本通運
共同石油
竃辰商店
0.9






1967年版以前は第三者に日本漁網船具蒲Lり
1964年版以前は共同石油竃ウし、東亜石油蒲Lり
本線
中央倉庫 日本通運 0.9








共同石油
→款゙ャパンエナジー
日本通運
0.4







1964年版以前は日本鉱業
南・中
・西
日本石油 日本通運
日本石油輸送
1.3







1975年版以前は第三者に日本石油輸送竃ウし

豊田通商 日本通運 1.1 ×





エッソ石油 日本通運
ゼネラル石油
1.1






1975年版以前はエッソ・スタンダード石油
1964年版以前はゼネラル石油竃ウし

日本通運
1.0








丸善石油 日本通運 1.4 ×
×
×






三井物産 日本通運
モービル石油
1.9 ×






1964年版以前は第三者にモービル石油竃ウし、
亜細亜石油梶i1961年版には無し)有り

モービル石油
日本通運
1.9









ゼネラルガス 日本通運
丸善石油
1.9 ×
×





1970年版以前は第三者に丸善石油竃ウし

リノール油脂 日本通運 2.3 ×






1964年版以前は東浜油脂

出光興産 日本通運
日本オイルターミナル
0.7 ×






1975年版以前は第三者に日本オイルターミナル竃ウし

三菱商事
→感ム・シー・ターミナル
日本通運 2.5








伊藤忠商事 日本通運
日本オキシラン
東邦理化工業
2.3







社線側線(1983年版)
1975年版以前は日本オキシラン梶A
東邦理化工業竃ウし

伊藤忠商事 日本通運
昭和電工
0.3







昭和石油
→昭和シェル石油
日本通運 0.8







西
ゼネラル物産 日本通運 0.2 ×
×
×
×
×



西
(合)三幸工業所
→潟Tンラックス
日本通運 0.5







西
三菱石油 日本通運 0.5







西
宝石油化学
日本通運
1.1








場所
専用者
→1995年時点の荷主名
第 三者利用者
作 業
キロ
1995
年12月
1983
年版
1975
年版
1970
年版
1967
年版
1964
年版
1961
年版
記 事・備考
1995年12月は筆者調査による。それ以外は『専用線一覧表』による。作業キロは1983年版。1983年版で廃止されていた専用線はそれ以前の直近の もの。
○:存在 △:休止状態(筆者調査による) −:未開設 ×:廃止


■汐見町駅の発着トン数の推移  

年 度
発 送
(千トン)
到 着
(千トン)

(千トン)
名古屋臨鉄全体の
 石油類の発送
(千トン)
名古屋臨鉄全体の
 石油類の到着
(千トン)

(千トン)
1966(昭和41)年度
484.6
202.7
687.3
379.9
39.1
419.0
1970(昭和45)年度
695.7
253.1
948.8
570.0
85.1
655.1
1975(昭和50)年度
451.8
146.7
598.5
614.0
66.0
680.0
1977(昭和52)年度
552.7
136.2
688.9
748.9
54.2
803.1
1979(昭和54)年度
534.3
142.2
676.5
701.3
54.8
756.1
1987(昭和62)年度





500.4
1991(平成03)年度





523.7
1995(平成07)年度





493.9
1996(平成08)年度





451.9
1997(平成09)年度





292.2
1998(平成10)年度





280.2
1999(平成11)年度





107.6
2000(平成12)年度





89.2
2001(平成13)年度





65.1
2002(平成14)年度





1.2
『15年』146〜147頁、『鉄道統計年報』より筆者作成、2003年度以降は名古屋臨海鉄道に石油類の輸送無し

 開業時から1979年度までしか汐見町駅の発着量が分からないのが残念だが、1979年度の時点で発送量が約53万トン、名古屋臨海鉄道全体の発送量が 同年度は約171万トンだったので、約3割を汐見町駅が占めていたことになる。一方、到着量は1979年度で約14万トンで発送量の約4分の1程度。やは り臨海油槽所から内陸油槽所や需要家への石油発送がメインの 駅であったことが分かる。その一方で到着量が年間10万トンを超えるレベルであったことにも注 目したい。特に時代を遡ると1970年度には年間25万トンを超えており(上記表には1970年度しか載せていないが1969〜1973年度にかけて年間 約25万トン程度の到着がある)、名古屋臨海鉄道全体の石油の到着量が同年度は年間8.5万トン(やはり同様に1969〜1973年度にかけて名古屋臨鉄 全体で年間約8.5万トン程度の石油類の到着がある)もあることから、かつては汐見町駅は石油類の到着においても纏まった取扱量があったことが想像され る。そして1997年3月ダイヤ改正以後の言わば汐見町駅の晩年の石油輸送は、潤滑油の到着が細々と残っていたということもここで指摘しておきたい。

 さて発送量の話に戻すと、1978〜1979年の日本石油竃シ古屋油槽所からの鉄道貨物輸送による総出荷量(=発送量)は37.1千トン/月(野尻 亘『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』古今書院、1997年、57頁)であるので、年換算すると約44万トンとなる。これは1979年度の汐見町駅 の発送量約53万トンと比較すると、8割以上を日本石油が占めていた計 算になる。汐見町駅の荷主は多数の専用線の存在から分かる通りその数は非常に多かっ たわけだが、取扱量からすると日本石油への依存度が非常に高かったと言えよう。

 JR貨物発足後の1987年度から1996年度にかけて、名古屋臨海鉄道全体の石油類の輸送量は年間45万〜50万トンのレベルで推移しているが、知多 駅に接続する潟Wャパンエナジー知多製油所からの石油輸送が年間20〜30万トンと想定され、汐見町駅の石油輸送は年間20〜25万トン程度だったと想像 できる。また日本石油竃シ古屋油槽所からの石油輸送が廃止になった1997年度は前年度と比べて約16万トンほど石油輸送が落ち込んでおり、日本石油の末 期の輸 送量が予想できるのも興味深いところだ。

 そして2001年6月には潟Wャパンエナジーが知多製油所における原油処理を停止した。同製油所からの鉄道輸送は2002年2月現在で継続していたのを 筆者は確認したが、結局2002年3月のダイヤ改正で知多駅からの石油輸送は廃止されてしまった。名古屋臨海鉄道の石油類の輸送量は2002年度は僅かに 1.2千トンに過ぎず、これは汐見町駅に残っていた潟Wャパンエナジー名古屋油槽所向けの潤滑油輸送の輸送量に該当すると思われる。そして2003年度以 降は名古屋臨海鉄道において石油類の輸送は無くなり、汐見町駅は僅かに化学薬品の輸送が残っていた模様だが、2003年10月のダイヤ改正で貨物列車の発 着が無くなった。

 名古屋臨海鉄道と言えばかつては、石油と石灰石が大宗貨物として大きな割合を占めていたが、現在は石灰石が引き続き順調に輸送を継続しているものの、石 油は消滅しコンテナ輸送が 大きく伸張した。コンテナ輸送は特にトヨタの自動車部品専用列車や大同特殊鋼の積極的なモーダルシフトなどの新しい輸送が出現していることが大きい。そう いった中でか つては石油輸送で隆盛を誇った汐見町駅はひっそりと役目を終え、休止状態にある。上記表から分かる通り、知多駅を含め5年間程度の間に一気に石油の輸送量 が 減少し、そして消滅してしまったわけで、産業構造の大きな変革が汐見町駅を襲ったと言えよう。実際に汐見町駅とその周辺は、油槽所そのものが各所で撤去さ れ更地となってしまったままなこともあって全体的に空虚な、儚い空気が 流れている気すらする。一方で、名古屋南貨物駅はコンテナ輸送の拠点としてより一層の活気に溢れる。この明暗こそが、鉄道貨物輸送というものが物流需要の 急 激な変化に対して即応できない輸送機関であると同時に、特定の産業に偏った貨物輸送がもたらすリスクの一端を如実に示しているように感じる。


1995.12 汐見町駅ヤード
日本石油鰍フタンク車が並ぶ。左に分岐するのは南構外側線

1995.12 汐見町駅ヤード
潟Wャパンエナジー所有のタキ23364(ガソリン専用)、潤滑油輸送と思われる



■汐見町駅の配線図  
 汐見町駅にはピーク時には石油元売会社を中心に約20社の専用線が存在した。下記には汐見町駅開業間もない1965(昭和40)年9月現在と汐見町駅の ピーク時とでも言うべき1981(昭和56)年3月現在の配線図を名古屋臨海鉄道の社史より抜粋した。

 専用線の大半は南構外側線、中構外側線、西構外側線の3本の構外側線から分岐していることが分かる。現在の汐見町駅は専用線こそ殆どが撤去されてしまっ たが、これら構外側線は雑草に埋もれつつもある程度残っている。

▼汐見町駅配線略図(1965(昭和40)年 9月) (『15年』163頁)


▼汐見町駅の配線略図(1981(昭和56)年 3月) (『15年』164頁)



1995.12 汐見町駅 南構外側線、右に分岐するの は 日本石油叶齬p線

1995.12 汐見町駅 南構外側線に留置されている 三 菱石油鰹蒲Lタキ35912(ガソリン専用)



 以下、船見町駅〜汐見町駅間に存在した東陽油槽葛yび中央倉庫梶A汐見 町駅のヤードに接続していた潟Wャパンエナジー、南構外側線、中構外側線、西構外 側線 に接続した各主要専用線の順番で鉄道貨物輸送の実態を纏めていきたい。

■東陽油槽梶A中央倉庫鰍フ専用線と鉄 道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 手前が東港駅

2009.8 汐見町駅 右側が東港駅
 東陽油槽鰍竰央倉庫鰍ノついては、自社のwebサイトを持っていないようで、詳細な会社情報を入手できていない。
 開業当時(1965年度)の中央倉庫鰍フ主な扱品名としては「穀物」とあり(『15年』56頁)、現在でも倉庫とサイロがあることから、同社は輸入した 穀物を陸揚げして保管、内陸に発送する業務を行っていると思われる。どのような地域、着荷主があったのか興味深いところだ。



■潟Wャパンエナジー 名古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送  
 潟Wャパンエナジーについてはこちらも参照→http://butsuryu.web.fc2.com/jomo.html

1995.12 汐見町駅

2002.2 汐見町駅

2003.1 汐見町駅 「JOMO」の文字が印象的な 名古屋油槽所末期の姿

2006.4 汐見町駅 油槽所は完全に撤去され更地と なって いた、後方のタ
ンク群は潟Tンラックスの油槽所である

 潟Wャパンエナジー名古屋油槽所の鉄道貨物輸送は、潤滑油・機械油の到着があった一方で、石油類の発送は確認できていない。ジャパンエナジーは知多製油 所があり、知多駅から西上田駅や南松本駅の日本オイルターミナル褐けに石油列車の設定があったので、石油類の発送は全て知多駅で行っていたと考えるのが 自然であろう。ただ知多製油所は1973(昭和48)年10月の操業開始であるので、それ以前は名古屋油槽所から石油類の発送を行っていた可能性はあるよ うに思われる。

▼潟Wャパンエナジー 名古屋油槽所に到着する鉄道貨物輸送
発 駅
発 荷主
品 名
着 駅
着 荷主
貨 車
確 認・備考
北袖
潟Wャパンエナジー 袖ヶ浦潤滑油工場
 潤滑油
汐見町
潟Wャパンエナジー 名古屋油槽所
タキ40120 JOT
タキ35748 款゙ャパンエナジー
タキ36105 JOT
2002.2.20汐見町
1999.1.3汐見町
1998.3.11 西小坂井
東水島
潟Wャパンエナジー 水島製油所
 機械油
汐見町
潟Wャパンエナジー 名古屋油槽所
タキ35745 款゙ャパンエナジー
貨車不明
1999.1.3汐見町
1997.8.15汐見町
 上記写真からも分かる通り、2003年1月の時点でもタンク車による輸送が残っていた。前述の通り2003年度の名古屋臨海鉄道の品目別輸送量では石油 類が消滅していることから2002年度末でこれらジャパンエナジーの輸送は終了したと思われる。また潤滑油や機械油の輸送なのでそれほど輸送頻度が多かっ たとは思えないものの、現地を訪問する度に専用線内 などでタンク車を目撃したため、この種の輸送にしては頻度は多かったとも思える。

 そして2006年4月に訪れた際は、未練を断ち切れと言わんばかりに完全に施設は撤去され、きれいな更地と化していた。現在は、中京地区の潤滑油・機械 油の物流拠点は、知多製油所なのだろうか。



■日本石油竃シ古屋油槽所の専用線と鉄 道貨物輸送  
 日本石油鰍ノついてはこちらも参照→http://butsuryu.web.fc2.com/shin-nihonsekiyu1.html
 
日本石 油竃シ古屋油槽所は汐見町駅において、南・中・西構外側線の全てに専用線があるという贅沢な配線となっていた。さすが業界最大手として君臨してきたとでも 言うべきか。
 ただ逆に業界最大手なのに中京地区に製油所が無い日本石油の弱点を名古屋油槽所の規模の大きさで補っていたとも言えそうだ。

1995.12 汐見町駅 南構外側線から分岐する日本 石 油叶齬p線
分かりづらいが奥の荷役設備の横にはタンク車の姿もある

 輸送先 としては、主に穂積駅にあった日本石油兜苣マ油槽所向けであっ
たが、1997年3月ダイヤ改正でこの輸送が廃止されたため、汐見町駅の専
用線も同時に廃止となったと思われる。

 それ以外には、飯田線の七久保駅日本石油活ノ那油槽所向けの輸送
があった(『鉄道ダイヤ情報』第24巻11号、通巻154号、27頁)が、七久保駅は1996年
3月16日のダイヤ改正で貨物取扱が廃止されている。

 また筆者は1995年3月と1996年12月に石山駅関西日本電気専用線
側の側線で日本石油鰹蒲Lのタンク車を目撃した。これは汐見町駅からの
到着だったと思われる。

 1977〜1978年の日本石油竃シ古屋油槽所の鉄道貨物輸送の実態は下
記の通りである。
 月間総出荷量37.1千トン(年換算:約44.5万トン)、着駅数は8駅最大量
到着地は穂積駅で月間10千トン(年換算:約 12万トン)であった。
(前掲『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』57頁)
 また『岐阜県統計書』によると、1990年度の穂積駅の到着トン数は13.1万
トン、1996年度は12.2万トンで廃止直前まで輸送量は殆ど変わらなかった
ようだ。
 では、8駅のうち穂積、七久保、石山の3駅は判明したとして、それ以外はどこだろうか。1975年版の『専用線一覧表』から 考察した。
 東から磐田渇棟B日 石遠州上島日本石油兜l松油槽所、但し1976年4月貨物営業廃止)、飛騨一ノ宮(同社高山油槽所)、鳥居本(同社彦根
槽所
)の各駅ぐらいが可能性があるだろうか。 しかし『'85貨物時刻表』では安治川口→彦根に石油列車の設定があり大阪の安治川油槽所からの輸送
だけだった可能性が非常に高そうだ。

 以上4油槽所以外に、需要家としては1979年の第2次オイルショックまでは重油輸送が盛んに行われていたセメント工場向けもありそうだ。
 具体的には金指住友セメント兜l松工場)、三河田原小野田セメント田原工場)、本巣住友セメント滑阜工場)、近江長岡大阪セメント活ノ吹
工場)、彦根住友セメント兜F根工場、ここも安治川口から到着か)ぐらいが候補とし て挙げられる。セメント工場 以外では高月日本電気硝子)向け
もありそう。
 候補を含めると結局8駅をオーバーしているが…。

1995.12 汐見町駅 中構外側線に接続する日本石 油 叶齬p線
汐見町駅の全ての専用線群の中で最も大規模な専用線と言えよう。

2006.4 汐見町駅 左と同じ場所、レールは残って い た。
門柱の看板には、「新日本石油竃シ古屋油槽所第二作業所」とある。

1995.12 汐見町駅 西構外側線から分岐する日本 石 油叶齬p線
奥のタンクは隣接する宝石油化学鰍フものである

2009.8 汐見町駅 左と同じ場所、奥の宝石油化学 のタンクの塗 装 は禿げ
てしまっているが変わらず残る

 新日本石油竃シ古屋油槽所は中京地区に製油所を持たない新日石の重要な物流拠点であったが、現在その機能は大幅に縮小されているようだ。その理由が他社 との物流提携だ。

 例えば、日石三菱且梠繧フ2001(平成13)年4月から出光興産鰍ニの石油製品のバーター取引を増やした。両社のバーター取引量は既に年間500万キ ロリットルに達 しているが、同550万キロリットルに拡充する。出光興産活、知製油所から日石三菱に現在年間100万キロリットルを供給しているが、4月から同150万 キロリットルに増やす予定。日石三菱は現在、水 島製油所などから製品を輸送しているが出光の愛知製油所からの供給量を増やし、物流を効率化する。(『日経産業新聞』2001年3月9日付16面)

 そして、潤滑油の国内物流網効率化によって2008(平成20)年9月に名古屋油槽所を閉鎖するなどの集約を行うことになった。廃止後は三重県の業務提 携先の油槽所 に任せる計画。(『日経産業新聞』2007年10月23日付23面)

 さらに2010(平成22)年4月に発足したJXホールディングス鰍ノよって潟Wャパンエナジーと経営統合をしたわけだが、その結果中京地区には石油精 製は休止中だ が知多製油所という巨大な物流拠点を持つことになった。このため名古屋油槽所はその役割を完全に終えたと考えるべきであろう。



■エッソ石油竃シ古屋油槽所の専用線と 鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅
エッソ石油叶齬p線内にはタ ンク車が4〜5両留置中。レール踏面も光る。

1995.12 汐見町駅
分かりづらいが「エッソ」と「ゼネラル」の両方の看板が掲げられている

 エッソ石油竃シ古屋油槽所の鉄道輸送こそが、「はじめに」で書いた1995年12月に初めて汐見町駅を訪れた際に専用線にタンク車が留置されていたにも 拘らず、「荷票」の確認などの基本的な作業をしなかった場所の1つである。2回目に訪れたのは1997年8月だったのだが、その時は既に専用線は廃止され ており、上記写真の輸送がどのようなものであったかは謎のまま現在に至っている。

 それでは全く想像できないかというと、ヒントのようなものはある。それは下記の荷票である。

1996.12 多治見駅 8873石油専用列車 タキ 1000-143の荷票
文字が非 常に読みづらいが、荷票の内容は下記の通りである。

発駅:塩浜駅 昭和四日市石油叶齬p線
荷送人:ゼネラル石油

着駅:南松本駅 側線入
荷受人:日本オイルターミナル

輸送品:灯油 発送:平成8年12月26日
扱店名:日本石油輸送樺部支店 三重塩浜営業所


少なくとも1996年12月の段階で、昭和四日市石油叶齬p線から
ゼネラル石油褐けの輸送が行われていたことが分かる。
石油輸送でよく見られる物流提携の1つの事例であろう。
 エッソ石油竃シ古屋油槽所の専用線の第三者利用者にはゼネラル石油鰍ェあり、実際油槽所にはエッソとゼネラルの両方の看板が掲げられていたことは写真か らも分かる。

 また名古屋臨海鉄道沿線の石油系荷主企業の輸送先として、長野県内向けは多く(例:ジャパンエナジーや出光興産は日本オイルターミナル向け石油列車を設 定)、エッソ石油竃シ古屋油槽所も同様に長野県内向けに鉄道輸送をしていても不思議ではないと考えられる。

 つまり纏めると、エッソ石油葛yびゼネラル石油鰍フ名古屋油槽所は南松本駅の日本オイルターミナル褐けにタンク車輸送を行っていたが、1996年頃に 専用線を廃止し昭和四日市石油鰍ゥらのタンク車輸送に切り替えたのではないか、という推理が成り立つのである。



■モービル石油竃シ古屋油槽所の専用 線と鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 この時点で潤滑油中心の油槽 所のようであった

1995.12 汐見町駅 小規模なタンクが3基ほど見 える

1997.8 汐見町駅
タンク車はタキ35786(第三者利用者:東燃梶A臨時常備駅:清水駅)だった

2002.2 汐見町駅
タンク車の入線は無くレールは 錆ついており鉄道輸送は廃止されたようだった

2006.4 汐見町駅 油槽所は撤去され舗装された空 き地になった

1999.1 汐見町駅
最も手前のタンク車はNRS所有タキ35789(ガソリン専用)
第三者利用者:東燃梶@ 臨時常備駅:清水駅  臨時専用種別:石油類
期間:H10.1.1〜H10.12.31

発駅:清水駅 着駅:汐見町駅 ソク入取卸し 荷受人:モービル石油
品名:キカイ油 発送日:12/26
 モービル石油竃シ古屋油槽所も潟Wャパンエナジーの名古屋油槽所と同様に、潤滑油や機械油の物流拠点であったようだ。1995年12月時点で油槽所には ガソリン用などの大きなタンクは見当たらなかったと記憶する。また鉄道輸送も上記写真に記述した清水駅の東燃ゼネラル石油叶エ水工場から機械油が到着する のみであった。

 そんなタンク車による鉄道輸送が廃止された理由は、エクソンモービルグループの潤滑油の生産体制再編に伴うものであった。
 2001年12月末に東燃ゼネラル石油清水工場(潤滑油: 年産13万キロリットル)、2002年3月末にエッソ石油鶴見潤滑油工場(同3万キロリットル)での潤滑油の生産を停止する。 東燃ゼネラル石油和歌山工場(潤滑油:同18万キロリットルから22万キロリットルに増強)とモービル石油鶴見潤滑油工場(同1万キロリットルから13万 キロリットルに増強)に集約する。エクソンモービルグループの潤滑油国内シェアは20%で日石三菱に次ぐ。自動車用のシェアが高い。(『日刊工業新聞』 2001年5月21日付18面)

 清水駅の東燃ゼネラル石油鰍フ専用線は2001年6月に廃止されており、その時点で汐見町駅のモービル石油叶齬p線も廃止されたものと思われる。 2002年2月に訪問した際には専用線含めて設備が残っていたが、2006年4月に訪れた時には既に油槽所もろとも完全に撤去され、跡形も無かった。



■ゼネラル瓦斯鰍フ専用線と鉄道貨物 輸送  

2003.1 汐見町駅 ゼネラルマークのガスタンクが 見える
 ゼネラ ル瓦斯鰍ヘ1959(昭和34)年4月に設立されたが、1980(昭和55)年10月にゼネラル石油鰍ニ合併した。
 また汐見町駅にゼネラル瓦斯鰍フ専用線が存在した時代の事業所名は分からないのだが、1997(平成9)年8月時点の現地で確認した際は、「ゼネラル石 油樺部配送事務所」であった。

 さて、ゼネラルガス鰍フ専用線が廃止になったのは1977(昭和52)年度と相対的に早い時期だ(『15年』90頁)。
 LPGを鉄道輸送していたものと思われるが、輸送先はどこであろうか。1975年版『専用線一覧表』では中京地区界隈にゼネラル瓦斯鰍フ専用線は存在し ないが、名古屋臨海鉄道の輸送先としてお馴染みの長野県内では、南松本駅に はゼネラル石油鰍フ専用線の第三者利用者としてゼネラル瓦斯鰍ェある。尚、この専用線には浮島町駅のゼネラル石油鰍フ専用線からタキ25000形でLPG が到着していたのを確認している。(1997.3南松本駅で確認)

 そのため当初、汐見町→南松本でLPG輸送されていたものが、汐見町駅の専用線が1977年度に廃止された以降に浮島町駅発送に切り替えられたという経 緯が考えられる。

 一方で、この汐見町の専用線が発送ではなくて、到着用だった可能性もありそうだ。同じく1975年版『専用線一覧表』では清水駅の東亜燃料工業叶齬p線の第三者利用者にゼネラル瓦斯鰍ェあるの だ。清水→汐見町で上記のモービル石油鰍フ潤滑油輸送があったのと同様に、清水からLPGの到着があったとしても不思議ではない気がする。

 このように勝手に想像を膨らませてみたが、もちろん正解は分からない。廃止時期も早いだけに今後も解明するのは極めて困難だと思われる。



■リノール油脂竃シ古屋工場の専用線 と鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 リノール油脂の工場が増築さ れ専用線は行き止まりに
【リノール油脂鰍フ沿革】
 1947(昭和22)年に東浜油脂工業梶i後のリノール油脂梶jが設立され、1962(昭和37)年には東浜油脂竃シ古屋工場が竣工、三菱印の食用油の 販売を開始した。
 1966(昭和41)年に東浜油脂鰍ヘ社名をリノール油脂鰍ノ変更、1969(昭和44)年には日清製油鰍ェ経営に参加した。そして2002(平成 14)年には日清製油梶Aニッコー製油梶Aリノール油脂鰍フ3社が経営統合し、純粋持ち株会社の「日清オイリオグループ梶vが誕生した。その後、2004 (平成16)年にはリノール油脂鰍含む持ち株会社傘下の事業会社を合併させて、改めて「日清オイリオグループ梶vが設立された。

【鉄道貨物輸送の概要】
 さて、リノール油脂竃シ古屋工場は工場完成時から専用線による鉄道貨物輸送を行っていたと思われる。
 名古屋臨海鉄道の開業時の1965(昭和40)年度の東浜油脂鰍フ「主な扱品名」としては、「大豆、大豆粕、食用油、種子」となっている(『15年』 56頁)。
 また名古屋臨海鉄道の発送トン数では、「大豆」が昭和40年代に年間約15〜20千トンレベルで推移し、昭和50〜54年にかけては同約30〜45千ト ンレベルで推移をしている。この全てがリノール油脂鰍ゥらの発送かどうかは不明だが、年間で5万トンにも満たない水準であり決して多いとは言えない。
 専用線の廃止時期は分からないが、1984(昭和59)年2月のダイヤ改正の頃であろうか。

 尚、日清オイリオグループ鰍ヘ横浜磯子工場は横浜本牧駅から、水島工場は東水島駅からそれぞれ食用油のコンテナ輸送を積極的に行っており、JR貨物の主 要荷主の1社に位置付けられよう。名古屋工場でもコンテナ輸送を行っていて欲しいものだ。


■出光興産竃シ古屋油槽所の専用線と 鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 左側に小さく出光興産のアポ ロマークの看板がある
専用線の痕跡は見当たらず。
 出光興 産鰍ヘ石油輸送のタンク車輸送を全廃した石油元売会社として知られ、個人的には嫌いな会社である(笑)。出光のガソリンスタンドを利用しないのが私のポリ シー である。
 さて、そんな出光興産鰍セが、過去には石油類のタンク車輸送を行っていた。京葉臨海鉄道の前川駅に接続する千葉製油所の専用線は大規模なもので関東一円 に石油類を発送していたが1988年11月に廃止され、新南陽駅の徳山製油所の専用線からは益田駅のダイワボウ向けにタンク車で重油 輸送が行われていたが、こちらは1996年3月に廃止された。北海道製油所にも苫小牧港開発の石油埠頭駅から専用線があったし、鉄道貨物輸送を 積極的に行っていた時期もあったのだ。それなのになぜタンク車輸送を全廃してしまったのか、理由は分からないが同社を再度、鉄道貨物輸送に誘導する手立て はないも のであろうか…。

 話が逸れたが、出光は中京地区には1975(昭和50)年操業開始の愛知製油所があるのだが、近接する知多駅には専用線を設置することは無かった。しか し意外なことに汐見町駅に接続する名古屋油槽所の専用線を利用して積極的にタンク車輸送を行っていたようだ。
 具体的には、1980(昭和55)年10月から出光興産は汐見町駅から南松本の日本オイルターミナル褐けタキ11両で専用貨物列車を新設 し、早朝作業によって100%運用とした(『15年』97頁)。この輸送は、40トン積みタンク車11両で週6日運転の前提で計算すると 年間約13万トンの輸送量となる。
 このような輸送があったのに知多駅に専用線を敷設せず、愛知製油所から名古屋油槽所まで一次輸送(おそらく船舶)し、二次 輸送はタンク車で信州の内陸部まで運ぶという手間をかけていたわけだ。これは不効率な輸送体系と言えよう。

た1980(昭和55)年4月には京葉臨海鉄道から沢渡向けが、汐見町へ船舶輸 送同基地よりレール輸送に転換された(前掲『35年 のあゆみ』123頁)のだが、1983年版『専用線一覧表』によると沢渡駅(飯 田線)には出光興産鰍フ専用線があるため、これは出光興産鰍フ輸送の ことと考えられる。

 それでは、出光興産竃シ古屋油槽所の専用線がいつ廃止されたのであろうか。例えば『鉄道統計年報』で名古屋臨海鉄道の石油製品の輸送量を見ると、 1985年度 から1987年度にかけて年間約9万トン程減少(約59万トン→約50万トン)した。先に仮定した南松本向けの輸送量からすると、この減少分を出光分と想 定するのに無理は無さそうではないか。
 そのためこの頃に出光興産竃シ古屋油槽所の専用線が廃止されたと考えてみたが、どうであろうか。
 1995年12月に現地を訪問した際には、出光興産竃シ古屋油槽所は確認できず、大雄竃シ古屋充填所となっていた。(目次の下に貼り付けた「9号地見取 図」にも大雄しか書かれていない。その背後はリノール油脂の工場となっており、出光興産竃シ古屋油槽所は閉鎖されリノール油脂に敷地を売却したと想定され る)

 また1997年8月に現地を訪問した際の確認では、同地には石油タンクは無く、出光マークの付いたLPGタンクのみしか見当たらないようであった。愛知 製油所の存在もあり、名古屋油 槽所は早期に閉鎖されたものと思われる。



■潟Gム・シー・ターミナル 名古屋事業所の専用線と鉄道貨物輸送  
 潟Gム・シー・ターミナルは三菱商事系の化成品のタンクターミナルである。『専用線一覧表』では三菱商事鰍ェ専用者となっ ていたが、分社化されたのがいつなのかは不明である。

1999.1 汐見町駅

1995.12 汐見町駅

1997.8 東港駅
左は JOT所有のタキ8723(酢酸ビニル専用)、荷票の内容は以下。

臨時専用種別:TDI  期間:H8.11.1〜H9.10.31
発駅:汐見町  着駅:新南陽 日本ポリウレタン側入
品名:返空

 尚、日本ポリウレタン工業鰍フ販売先として、エム・シー・ケミカル梶i現、三菱
商事ケミカル梶jがある(『会社四季報'98下期』東洋経済新報社、1998年、379頁)
 そのためこの輸送は、潟Gム・シー・ターミナルに到着していたと思われる。



 さて下記↓のオルソジクロルベンゼンの輸送も潟Gム・シー・ターミ ナル向けの
輸送として知られていた。この輸送は元々は郡山駅の保土谷化学工業鰍ゥら発
送されていた(1998.2.16清水駅で確認)が、保土谷化学工業鰍ニ呉羽化学工業
との塩素系事業の提携によって勿来駅発送に変更された。
 東レ向けであった点にも注目だ。同社は名古屋地区に複数の事業所 を持っ
ている。

1999.3 汐見町駅 タキ10711、背後はモービ ル石油竃シ古屋油槽所

1999.3 汐見町駅 左のタキ10711の荷票

2002.2 汐見町駅 この時点では専用線は現役と思 われる

2003.1 汐見町駅 レールが切断され廃止直後と思 われる
 汐見町駅は石油や化学薬品の発送が目立つ駅だったが、潟Gム・シー・ターミナルの専用線に関しては、到着だけだったと思われる。そして汐見町駅に到着す る化学薬品関係の車扱輸送というのは私自身が目撃したものも含めて結構あった。それらが全て潟Gム・シー・ターミナル向けの輸送だったかどうかは分からな いが、その可能性は比較的高いのではないかと思う。
 そこで、以下でそれらの輸送を纏めてみた。

▼汐見町駅が着駅の化学薬品関係の車扱輸送
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨 車
目 撃・備考
郡山
保土谷化学工業
オルソジクロルベンゼン
汐見町
潟Gム・シー・ターミナル
タキ21700 所有者失念
1998.2.16清水 後に勿来駅発送に変更
二本木
日本曹達
亜塩素酸ソーダ液
汐見町

タキ5705 日本曹達
吉 岡心平氏webサイトより
勿来
呉羽化学工業
オルソジクロルベンゼン
汐見町
側入取卸し 記事:東レ
タキ10711 JOT
1999.3.28汐見町 郡山駅発送から変更
東新潟港
昭和シェル石油
ペンタン
汐見町
潟Gム・シー・ターミナルか?
タキ42351 昭和石油
吉 岡心平氏webサイトより
急 行越前様からの情報では、南構外側線で
同タンク車を目撃されたとのこと。
新南陽
日本ポリウレタン工業
TDI
汐見町
潟Gム・シー・ターミナルか?
タキ8723 JOT
1997.8.15東港 返空を目撃
大牟田
三井化学
MDI
汐見町

チキ1000形 NRS
殆ど運用されずに1997年度に廃車
(『鉄道ピクトリアル』通巻第660号、1998年、75頁)
大牟田
三井化学
ニトロシル硫酸溶液
汐見町
潟Gム・シー・ターミナルか?
タキ10850 NRS
吉 岡心平氏webサイトより 
潟Gム・シー・ターミナルの入口付近で撮影
された写真をweb上 で見つけた。

 このようにバラエティに富んだ鉄道輸送が見られた潟Gム・シー・ターミナルであったのだが、親会社の三菱商事鰍ヘ国内外のタンクターミナルの再整備を行 うこととし、名古屋事業所は2002年10月に売却された。(『化学工業日報』2003年1月8日付9面)

 売却先は樺C巳商会であったようで、現在は同社の「名古屋ケミカルターミナル」として稼働している。専用線は2003年1月時点で廃止されており、売 却時に鉄道輸送を中止したと思われる。

 ただ潟Gム・シー・ターミナルは化成品の中継基地であるため、必ず最終的な需要家がいるはずである。オルソジクロルベンゼンの場合は、東レ鰍ェ最終ユー ザーだったようだ。ニトロシル硫酸溶液は上記の吉 岡心平氏のwebサイトでは「平成11年1月に私有コンテナに転換された」とあるが、それによって需要家に直送 されるように物流形態が変更されたのであろうか。さらには樺C巳商会に売却された際に既存のユーザーは引き継がれたのであろうか。このように疑問だらけな のだが、この樺C巳商会の化学薬品基地は汐見町駅の鉄道貨物輸送が復活する可能性があるとしたら、カギとなる荷主の1社であるだけに現時点の輸送形態が気 になるところだ。


2006.4 汐見町駅 樺C巳商会  名古屋ケミカルターミナル

2006.4 汐見町駅  レールは撤去されたがバラス トなどはそのままである
樺C巳商会 名古屋ケミカルターミナルの沿革http://www.tatsumi-cs.co.jp/comp/outline.htmlよ り抜粋)
2002(平成14)年11月:名古屋ケミカルターミナル開設
2004(平成16)年09月:名古屋ケミカルターミナルに塩酸1号タンク竣工
2006(平成18)年03月:名古屋ケミカルターミナルに危険物屋内貯蔵所竣工



■伊藤忠商事潟Pミカルタンクターミ ナルの専用線と鉄道貨物輸送  
 南構外側線の末端の専用線である。

1995.12 汐見町駅 左に分岐していくのは潟G ム・シー・ターミナル専用線

2006.4 汐見町駅 この時点では廃止されていた が、レール等は残されていた

1995.12 汐見町駅 JOT所有タキ16515 (プロピレンオキサイド専用)

1995.12 汐見町駅 汐見町→東港:三洋化成の名 古屋臨海鉄道の線内輸送である
 1999年1月に現地訪問をした際に、JOT所有のタキ16500形(プロピレンオキサイド専用)が8両留置されている中の 1両(タキ16508)が、臨時常備駅:汐見町駅、第三者使 用
者:日本オキシラン、 期間:H10.4.1〜H11.3.31があった。日本オキ シラン鰍ヘ伊藤忠商事叶齬p線の第三者利用者にその名が確認できる。

 では、同社はどのような会社かと言うと、出資比率が住友化学60%、ライオンデル・ケミカル・カンパニー40%、事業内容はプロピレンオキサイド及 びスチレンモノマー
の製造・販売で、千葉工場(千葉県袖ヶ浦市北袖2番)はプロピレンオキサイドの設備能力181,000トン/年を備える。(同社webサイトより)

 つまり日本オキシラン叶逞t工場で製造されたプロピレンオキサイドはおそらくケミカルタンカーで名古屋の伊藤忠商事潟Pミカルタンクターミナルまで運ば れ、そこでタンク
に貯蔵された後、タンク車によって東港駅の三洋化成工業鰍ノ納入されるという輸送形態だったと想像される。

2002.2 汐見町駅 この当時も東港:三洋化成工業 向け輸送は残っていた

2006.4 汐見町駅 雑草が生い茂った以外は余り変 化がない
 2006年4月に確認した際には、伊藤忠商事鰍ナはなくケミカルロジテック鰍ノなっていた。同社は伊藤忠商事鰍フ100%出資子会社である。
ケミカルロジテック竃シ古屋油槽所 http://www.tkclt.com/tanktrance/nagoya.html
【敷地面積】52,000m2
【タンク設備】32基 総容量約21,300L
【付帯設備】ローリー積込設備、トラックスケール、ボイラー設備、窒素供給設備

空中写真、専用線が 残っているのが分かる。



■昭和シェル石油竃シ古屋油槽所の専 用線と鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 中構外側線から分岐、直進の 奥 が日本石油叶齬p線

1995.12 汐見町駅 タキが1両荷役していた。こ こでも荷票の確認を失念!

1995.12 汐見町駅 あたかも日本石油鰍フ専用線 のようだが・・・

1995.12 汐見町駅 上記配線図より昭和シェル石 油叶齬p線と判明

2006.4 汐見町駅 2002年2月の段階で更地化 されていた
 昭和 シェル石油竃シ古屋油槽所の専用線も苦い思い出がある。上記写真に
も書いた通り、目の前のタンク車の写真を撮りながらも、荷票の確認をしていな
かったのである。タ ンク車1両が積み荷を降ろしていたようなので、ここも潟Wャ
パンエナジーやモービル石油鰍フ名古屋油槽所のように潤滑油が到 着してい
たのであろうか。

 尚、昭和シェル石油鰍ヘ潤滑油の製造を横浜事業所と神戸事業所で行って
いる(同 社web)。横浜事業所は旧浜安善駅に隣接する立地であり、1983年版
『専用線一覧表』ではシェル石油鰍フ専用線がある。但し1995年の時点ではこ
の専用線は廃止になっていたのではないかと思われるのだが…。残念ながら
現段階では、これといった具体的な輸送を推測できないままである。

 尚、西名古屋港には昭和シェル石油叶シ名古屋油槽所があったが、1998年
にジャパンオイルネットワーク梶iJONET)に移管された。1999年3月に現地訪
問もした。しかしJONETのwebサイトの2004年3月現在 の油槽所施設概要一覧
に西名古屋油槽所の掲載は無く、閉鎖されたようだ。中京地区には昭和四日
市石油且l日市製油所があり、名古屋港に油槽所は必要ないということなの
だろう。



■潟Tンラックス 名古屋油槽所の専用線と鉄道貨物輸送  
 1983年版『専用線一覧表』では、(合)三幸工業所という社名であったが、1992(平成4)年4月に潟Tンラックスに 社名変更されている。初めて汐見 町駅を訪れた時は、この潟Tンラックスの専用線の写真を撮ったのだが、実は専用線という認識もなく何となく撮影したに過ぎなかった。その後、ヤードに留置 されていたタンク 車を調査した際に第三者使用者:潟Tンラックスの名前を見つけ、あそこは専用線だったのか!ととても驚いた記憶がある。1990年代後半において、全国で 知名度が低く地味な 現役専用線ランキングを付ければ、トップクラスになりそうな専用線(失礼!)であった。しかも輸送先は南四日市駅という近さで、尚更目立たないことに拍車 がかかって いた。汐見町:伊藤忠商事・宝石油化学〜東港:三洋化成工業のプロピレンオキサイド輸送もそうだが、短距離のタンク車輸送が目立つのも汐見町駅の特徴の1 つかもしれない。

1995.12 汐見町駅 左は三菱石油叶齬p線、右端 が潟Tンラックス専用線

1995.12 汐見町駅 潟Tンラックス専用線

1997.8 汐見町駅 この↑タキ35506の第三者 使用者:サンラックス梶A
臨時専用種別:燃32、期間:H8.4.1〜H9.3.31

1997.8 汐見町駅 左記タンク車の荷票。
南四日市→汐見町:サンラックス側入(返空)
 1999年1月には再びこのタキ35506を汐見町駅で目撃した。第三者使用者:サンラックス臨時専用種別ノ ルマルヘキサン、期間:H9.4.1〜H10.3.31で あっ
た。これで、積み荷と汐見町→南四日市の運用区間は、分かったのだが着荷主は依然不明であった。

 ところが、『レイル・マガジン』誌の「トワイライトゾ〜ン」のコーナーでその答えと言ってもいい情報が出てきた。以下内容を要約する。2001年6月、 南四日市駅に
接続する JSR叶齬p線はタンク車によるラテックス輸送を廃止してしまったらしく構内に留置されていたタンク車が全て消えてしまった。その後は、汐見町から化
学薬品を輸
送して来るタキ35000形が2、3度入ったが、 荷役作業を済ませると構内に留まることなく、翌日には出て行ってしまった。
(近藤 弘志「消えたJSR構内のタンク車」『レイル・マガジン』第18巻第11号、2001年、106-107頁)

 以上から、ノルマルヘキサン汐見町(サンラックス)→南四日市(JSR)で 輸送していたという実態が浮かび上がってきた。なかなか短距離なタンク車輸送
であったと言えよう。2002年3月には伊勢湾岸道がみえ川越ICまで達したことから、9号地は名港潮見ICからR23号を経由してスムーズに四日市まで 行けるよう
になったので、ローリー等への輸送転換も問題なくできたのではないかと思える。

 尚、ノルマルヘキサンのメーカーがどこなのか、という点は気になることとして残っている。
 汎用タンク車であるタキ35000形を利用した趣味的には£n味な輸送ではあるが、発荷主や輸送区間の意外性という点で非常に興味深い。こういった輸 送
を目撃できたことが汐見町駅に対する私の思い入れを深くしたに違いない。

1997.8 汐見町駅 この専用線にタンク車が入線し ているところは、遂に目撃
できなかった…。

2006.4 汐見町駅 左と同じ場所。潟Tンラックス 専用線は雑草に覆われ、
背後にあった三菱石油竃シ古屋油槽所は更地となった。
 『化 学工業日報』2006年4月12日付10面によると、内外輸送鰍ヘ2006(平成18)年から潟Tンラックスと業務提携しており、熱田にあった名 古屋支店は地理的条件から競争力が無いとして2006年3月31日付で閉鎖された。中部地区の工業用アルコールの輸送・保管については、名古屋港の9号地 にタンクや桟橋を整備したサンラックスとビジネスパートナーとして業務提携した。

 内外輸送鰍フか つてのwebには名古屋支店の紹介がされており、熱田駅近くの名古屋支店はアルコールタンク等を備えた物流拠点であった。専用線もあったのだが 1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で熱田駅の貨物取扱廃止によりタンク車輸送は廃止となった。

 内外輸送鰍フような鉄道貨物輸送的には著名な♀驪ニと、この潟Tンラックスという汐見町で小規模な専用線を所有していた企業が繋がっていたというの が、なか なか興味深く、面白い。



■宝石油化学葛纃地油槽所の専用線 と鉄道貨物輸送  

1995.12 汐見町駅 タキ16500形(プロピレ ンオキサイド専用)が2両

1995.12 汐見町駅

1997.8 汐見町駅 左の専用線は日本石油竃シ古屋 油槽所

1999.1 汐見町駅

1999.1 汐見町駅 背後は三菱石油竃シ古屋油槽所

1999.1 汐見町駅 安治川口→汐見町:宝石油化学 椛、取卸し(返空)

2006.4 汐見町駅
西構外側線が残っており、左の旧日本石油叶齬p線も残っている

2009.8 汐見町駅
「宝石油化学葛纃地油槽所」と「出光興産活、知第二配送センター」

 宝石油化学鰍フ専用線も伊藤忠商事鰍ニ同様に、プロピレンオキサイドを東港駅の三洋化成工業叶齬p線に発送していた。しかし宝石油化学鰍ヘそれだけでな く、上記写真にもあるように安治川口駅にもプロピレンオキサイドを発送していた。着荷主は関西化成品輸送鰍ナあろうか。

 一方、このプロピレンオキサイドのメーカーはどこであろうか。その答えになりそうなのが、タンク車にあった。1999年1月に同地で目撃したJOT所有 のタキ16524(プロピレンオキサイド専用)に第三者使用者:潟gクヤマ、臨時常備駅:新南陽駅、期間:H6.4.1〜H7.3.31との表記があった。潟gク ヤマは南陽工場でプロピレンオキサイドを製造しており、船舶で宝石油化学葛纃地油槽所まで輸送し、タンクに貯蔵した上で、タンク車によって東港駅の三洋 化成工業鰍ノ出荷していたという輸送形態が想像される。但し、汐見町駅から安治川口駅の出荷は、潟gクヤマがメーカーだとすると山口県から愛知県まで輸送 したものを大阪府に戻すという非効率な輸送になってしまうので、違和感を感じる。潟gクヤマ以外のメーカーのプロピレンオキサイドを宝石油化学鰍ェ取り 扱っていたのかもしれない。

 2002年2月時点では、汐見町:宝石油化学→東港:三洋化成工業のプロピレンオキサイド輸送は残っていたが、下記↓の沿革では2002年8月にISO コンテナ車を配備したとあり、その頃にタンク車輸送を中止したのではないだろうか。

 さて宝石油化学鰍フwebには未 だにタンク車の荷役風景の写真が掲載されており、また現地で見る限り荷役設備等も残されており、今後鉄道貨物輸送を復活させる必要があればすぐに対応でき るようになっているようにも思われる。(楽観的か…)

沿革
年  月
項   目
1957(昭和32)年10月 中部石油化学工業株式会社(昭和16年設立)の設備一切を買収し宝石油 化学株式会社を設立。
1957(昭和32)年12月 潤滑油専業者の全国団体、全国石油工業協同組合に加盟。
1969(昭和44)年10月 出光興産株式会社(旧第一油槽所)を買収し潤滑油及びベースオイルの貯 蔵と委託貯蔵管理業務を開始。
1993(平成05)年09月 特殊引火物貯蔵及び受払設備が完成し稼働開始。
中部運輸局より一般貨物自動車運送事業が許可され事業開始。
専用鉄道側線を整備し タンク貨車による全国への出荷体制を確立。
2002(平成14)年08月 ユーザーの要望に答えるべくISOコンテナ車を配備し運送体制の強化を 図る
 1993年9月に専用鉄道側線を整備したとある。1993年はちょうどプロピレンオキサイド専用のタキ16500形が最後に増備され た年でもあり、まだ薬品系のタンク車輸送を荷主サイドも前向きに考えていたことが窺える。また全国への出荷体制を確立ともあるので、東港や 安治川口以外の向け先もあったのかもしれない。
 以下、宝石油化学鰍フwebサイトか ら転載をさせて戴いた。

業務内容

受入

移送

タンク貨車充填

秤量設備 貨車・ローリー兼用

タンク貨車移動

タンク貨車出荷

現在はローリーとISOタンクコンテナ化されたようだ。JOTのISOコンテナだけに鉄道 貨物輸送を期待してしまう。



■汐見町駅の鉄道貨物輸送の纏め  
専 用線の荷主企業
鉄 道貨物輸送の内容
現 況
潟Wャパンエナジー
名古屋油槽所
北袖駅から潤滑油、東水島駅から機械油がタンク車で到着。
2003年に鉄道輸送廃止。
2006年までに油槽所閉鎖、
更地化
日本石油
名古屋油槽所
穂積駅(日石穂積油槽所)、七久保駅(日石伊那油槽所)、石山駅(関西 日本電気)向けが
末期まで残るが、1997年3月のダイヤ改正で廃止。
2008年9月に油槽所閉鎖、
2009年8月時点では施設残る
エッソ石油
名古屋油槽所
南松本駅の日本オイルターミナル褐けにタンク車による石油輸送してい たと予想。
1996年頃に専用線廃止か。
2006年までに油槽所閉鎖、
更地化
モービル石油
名古屋油槽所
清水駅(東燃)から機械油がタンク車で到着。2001年の東燃ゼネラル 石油が清水工場で
潤滑油製造を中止したことに伴い鉄道輸送廃止の模様。
2006年までに油槽所閉鎖、
更地化
ゼ ネラル瓦斯
南松本駅 のゼネラル瓦斯鰍ノLPGを発送していたと予想。専用線廃止は1977年度。
2003 年時にはLPGタンク確認、
現在も操業中の模様
リ ノール油脂
名古屋工場
大豆等を 発送していた模様。1984年頃に専用線廃止か。
日清オイ リオグループ
名古屋工場として操業中
出光興産
名古屋油槽所
1980年に南松本駅の日本オイルターミナル褐け専用列車を新設する など取扱量は大き
かったようだが、1986年頃には専用線を廃止した模様。
1997年の段階で油槽所無し
エム・シー・ターミナル
名古屋事業所
勿来駅 (呉羽化学工業)からオルソジクロルベンゼン、新南陽駅(日本ポリウレタン工業)か
らはTDI、大牟田駅(三井化学)からニトロシル硫酸溶液などがタンク車で到着していた。
2002年に同所は樺C巳商会へ売却時され、その際に専用線廃止の模様。
樺C巳商 会 名古屋ケミカル
ターミナルとして操業中
伊 藤忠商事
ケミカルタンクターミナル
日本オキ シラン叶逞t工場から船舶で到着したプロピレンオキサイドをタンク車で東港駅の
三洋化成工業鰍ノ発送していたが、2002〜2003年に廃止。
ケミカル ロジテック
名古屋油槽所として操業中
昭和シェル石油
名古屋油槽所
輸送内容は不明、予想も今のところ思いつかず。タンク車による潤滑油の 到着か。
1995年当時は使用中だったが、1997年訪問時は専用線が廃止されていた。
2002年までに油槽所閉鎖、
更地化
サンラックス
名古屋油槽所
タンク車 でノルマル ヘキサンを南四日市駅のJSR叶齬p線に発送していた。
2001〜2002年頃に廃止の模様。
2006 年に内外輸送 鰍ニ提携する
など、設備増強され操業中
宝 石油化学
九号地油槽所
潟gクヤ マ南陽工場から船舶で到着したプロピレンオキサイドをタンク車で東港駅の三洋化
成工業鰍ノ発送していたが、2002〜2003年に廃止。安治川口駅にも発送。
ISOタ ンクコンテナ扱いも開始する
など操業中
 ピンク色にした荷主は現在も操業しているところだ。石油元売会社の油槽所はことごとく閉鎖され更地化されてしまったのが分かる。そして更地のままで跡地 活用が進んでいないのが汐見町(むしろ9号地というべきか)の大きな課題と言える。ただ一部の跡地には潟_イセキというリサイクル業者が進出したというよ うな動きは確認でき、今後、9号地の企業立地次第によっては鉄道貨物輸送再開の可能性が出てくるのかもしれない。



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