◆自動車輸送 2001.11作成 2003.4.13全面的に更新
2003.4.20更新 2010.5.9若干訂補
最盛期の北野桝塚。
(『日本の新しい鉄道』久保田博 昭和47年 保育社刊 p74-75より)
目次
@ はじめに
A自動車輸送
< 1. 自動車輸送の黎明期>
< 2. 1965(昭和40)年〜1966(昭和41)年 自動車輸送の準備期>
< 3. 1967(昭和42)年 自動車輸送の初期>
< 4. 1968(昭和43)年〜1972(昭和47)年 自動車輸送の最盛期まで>
< 5. 1973(昭和48)年〜1984(昭和59)年度 自動車輸送の衰退期>
< 6. 1985(昭和60)年度〜 車扱による自動車輸送の終焉とコンテナ輸送の進展。 カーラックシステム、軽自動車輸送など>
B バイク輸送
<1.国鉄時代>
<2.JR貨物後の輸送>
C 自動車部品輸送
D 自動車(物流)業界におけるトピックス
◆試験輸送から本格輸送まで[1]
【1965.04.01】 自動車積み専用貨車2両の試作を決定。
【1965.11.10】 試験輸送区間を笠寺・東小金井間とし、対象荷主を三菱、プリンスとすること に決定。
【1966.03.06】 自動車積みク9000形式(後にク5000と改称)が日本車両豊川工場及び三菱重工三原工場で各1両ずつ落成。
【1966.03.31】 笠寺駅に自動車積卸線(有効長200m)及び積卸し設備1基が完成。
【1966.07.06】 営業試験輸送開始。(7月6日から9月30日まで) 笠寺(三菱)、東小金井(プリンス)間 で両基地から毎日1車ずつ発送。
【1966.07.19】 輸送中自動車の汚れ発生(鉄粉及び銅粉)、機関車次位連結に原因ありとして介在車4両を連結して輸送開始。
【1966.09.29】 自動車の汚れ防止のため自動車用シート作成。
【1966.10.01】 本格的輸送開始。(国鉄のダイヤ改正)
・新基地 籠原、川崎河岸、横須賀、厚木、 大宮操 、
百済、川西池田
・新荷主 トヨタ、日産、富士重工、ダイハツ 、 いすゞ
(既存荷主 三菱、プリンス)計7社
・1日当り使用車12車
・笠寺駅の使用車、トヨタ1、三菱2、計3車
◆1966(昭和41)年10月時刻改正について[3]
自動車専用貨車22車を新造し(年度末までには追加40両新造の予定)、各自動車基地の整備(モータープール、自走積卸装置)をし、相互に輸送を実施す
る。
発
駅 |
着
駅 |
平
均積載台数 |
月
間輸送台数 |
荷
主(筆者予想) |
籠原 笠寺 籠原 川西池田 厚木 東小金井 笠寺 厚木 東小金井 横須賀 |
笠寺 川崎河岸 百済 大宮操 百済 笠寺 東小金井 笠寺 川西池田 百済 |
12台 9台 12台 12台 10台 8台 9台 8台 8台 10台 |
300台 225台 300台 300台 250台 200台 225台 200台 200台 250台 |
富士重工 三菱 富士重工 ダイハツ 日産 プリンス 三菱 日産 プリンス 日産、トヨタ |
以上の計画に基き、貨車運用はヤード中継を極力省略し、予備車の1車は、笠寺常備とする。また運転日数は月間25日とする。
貨車の常備駅及び車数は次の通りである。 笠寺7車、東小金井6車、百済9車
【1967.02.01】 |
【1967.03.01】 |
【1967.04.01】 |
【1967.07.01】 |
【1967.10.01】 |
|
新基地 | 水島、広島、志免 |
なし |
磐田(使用車1車) |
岡山操、宮城野、沼垂、塩浜操 |
金沢 |
新荷主 |
愛知機械販売 |
なし |
鈴木自動車、東洋工業 |
ホンダ |
なし |
1日当り使用車 |
24.5車 |
38.5車 |
44車 |
108車 |
137.7車 |
保有車両数 |
62両 |
92両 |
112両 |
312両 |
382両 |
その他 |
・笠寺駅設備、積卸線2線、積卸設備2基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ3.5、三菱3.5、愛知0.5、計7.5車 |
・自動車専用列車 新鶴見〜志免間1往復 ・笠寺駅使用車、トヨタ6、三菱3.5、愛知0.5、計10車 |
・笠寺駅使用車、トヨタ6、三菱3.5、愛知0.5、計10車 |
・ローカルルートの輸送開始 ・自動車専用列車増設 新鶴見〜百済間1往復 ・笠寺駅設備、積卸線2線、積卸設備2基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ3.5、三菱3.5、愛知0.5、計7.5車 ・磐田駅使用車、スズキ4車 |
・自動車専用列車笠寺駅始発を新設 笠寺〜新鶴見 1往復 笠寺〜香椎 1往復 ・笠寺駅設備、積卸線4線、積卸設備4基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ29、三菱4.4、愛知1.9、計35.3車 ・磐田駅使用車、スズキ6車 |
発
駅 |
利用会社名 |
備 考 |
厚木 |
日産 |
|
磐田 |
スズキ |
|
笠寺 |
三菱 |
|
横須賀 |
日産・トヨタ |
|
水島 |
三菱 |
|
川西池田 |
ダイハツ |
発
駅 |
会
社 |
車
数 |
国
鉄列車 |
仙
台臨海鉄道列車 |
小金井 二条 川西池田 小計 |
日産 日産 ダイハツ |
1.0 1.5 1.5 4.0 |
5571 |
661 (6:45着) |
本牧埠頭 湘南貨物 厚木 西浜松 北野桝塚 笠寺 小計 |
日産 トヨタ いすゞ 日産 スズキ トヨタ 三菱 日産 |
3.0 2.0 0.5 5.5 3.5 4.5 0.5 0.5 20.5 |
9099 (自動車専用列車) |
665 (11:45着) |
東小金井 岩波 水島 小計 |
日産 トヨタ トヨタ 三菱 |
3.0 2.0 1.5 1.0 7.5 |
471 4175 |
667 (14:25着) |
合 計 |
31.5 |
会
社 |
発
駅 |
車
数 |
日産 |
小金井 二条 本牧埠頭 厚木 笠寺 東小金井 小計 |
1.0 1.5 3.0 5.5 0.5 3.0 14.5 |
トヨタ |
本牧埠頭 北野桝塚 東小金井 岩波 小計 |
2.0 4.5 2.0 1.5 10.0 |
スズキ |
西浜松 |
3.5 |
三菱 |
笠寺 水島 小計 |
0.5 1.0 1.5 |
ダイハツ |
川西池田 |
1.5 |
いすゞ |
湘南貨物 |
0.5 |
合 計 |
31.5 |
年
度 |
1972 (昭47) |
1973 (昭48) |
1974 (昭49) |
1975 (昭50) |
1976 (昭51) |
1977 (昭52) |
1978 (昭53) |
1979 (昭54) |
1980 (昭55) |
1981 (昭56) |
1982 (昭57) |
1983 (昭58) |
1984 (昭59) |
トン数 (千トン) |
64 |
205 |
148 |
123 |
120 |
103 |
100 |
108 |
105 |
102 |
79 |
62 |
34 |
年
度別 |
ク
5000 保有数 |
輸
送t数 (千t) |
年
度別 |
基
地数 |
使
用車 |
専
用列車 本数(始発) |
1966
(昭41) |
112 |
71 |
1966.10 |
9 |
12 |
− |
1967
(昭42) |
502 |
669 |
1967.10 |
18 |
138 |
10 |
1968
(昭43) |
752 |
1,312 |
1968.10 |
26 |
265 |
17 |
1969
(昭44) |
832 |
1,836 |
1969.10 |
28 |
323 |
19 |
1970
(昭45) |
902 |
2,050 |
1970.10 |
29 |
380 |
28 |
1971
(昭46) |
902 |
2,162 |
− |
|||
1972
(昭47) |
902 |
2,242 |
1972.10 |
28 |
363 |
25 |
1973
(昭48) |
932 |
2,050 |
1973.10 |
28 |
369 |
27 |
1974
(昭49) |
932 |
1,219 |
− |
|||
1975
(昭50) |
932 |
1,050 |
1975.03 |
27 |
244 |
19 |
1976
(昭51) |
932 |
892 |
1976.10 |
25 |
168 |
17 |
1977
(昭52) |
932 |
752 |
− |
|||
1978
(昭53) |
932 |
− |
1978.10 |
19 |
141 |
10 |
1980
(昭55) |
932 |
− |
1980.10 |
14 |
118 |
11 |
1982
(昭57) |
832 |
− |
1982.11 |
12 |
97 |
11 |
1984
(昭59) |
777 |
− |
1984.02 |
6 |
57 |
6 |
【1984.12.27】 トヨタも北野桝塚発12月27日を以て撤退した。ク5000形による国内向けの乗用自動車 輸送は一時全廃となり、 日産の宇都宮(タ)〜本牧埠頭の輸出用自動車輸送のみとなる。
*国鉄輸送、年内で廃止 トヨタ 貨車基地減り不便に*[33]
トヨタ自動車は国鉄の貨車を利用した自動車輸送を年内で打ち切る。国鉄側の貨車基地の合理化などに伴い、貨車による製品輸送が事実上難しくなっているた
め
で、同社の輸送手段は今後すべてトラックによる陸上輸送と船を使った海上輸送の二本立てに切り替わることになる。貨車輸送は一時期自動車物流の中核だった
こともあるが、トヨタの打ち切りはこうした自動車物流面にも新しい時代の波が寄せていることを示している。
トヨタは現在、上郷工場(愛知県豊田市)内の車両ヤードから国鉄岡多線の引き込み線を利用して一部自動車を貨車輸送している。しかし国鉄側の受け入れ基
地
となる貨車基地が一時全国で25ヵ所もあったのが、貨物輸送の合理化などで今では4ヵ所に縮小、自動車の輸送手段としての役割もジリ貧傾向をたどってい
る。
しかも、輸送コストや物流上の便宜性からみてもトラックや船による輸送に対抗できなくなっている。また同社と引き込み線で結ばれている岡多線も国鉄が第
三
セクターによる運営を打ち出すなど、将来的に自動車など貨車輸送を続けにくい方向にあることから、このほどトヨタと国鉄とが協議、貨車利用の年内打ち切り
で合意に達したもの。
トヨタが完成車の輸送手段として国鉄の貨車を利用し始めたのは1966年。ちょうど日本でも本格的なモータリゼーションを迎え始めた頃で、年々貨車利用
率
も高まり、ピーク時の1973年はトヨタの自動車輸送全体の22%に当たる年間35万台を貨車で輸送していた。しかし、その後はトラックや船が自動車輸送
の主流になり、1983年は貨車輸送は全体の5%に当たる約8万台強まで落ち込み、トラックによる陸送が59%、船が35%を占めた。
1997.3時点でのトヨタの輸送基地の跡。 宅急便トラックが一杯置かれていた。 出荷基地として使われているようだった。 |
同じく駅から輸送基地までの取り付け部分。 コンクリート橋が続いているが道路との交差部分は 撤去されていた。 |
【1985.03.X】 ダイヤ改正で自動車輸送の設定は無くなった。3月末までは宇都宮(タ)〜本牧埠頭の輸送は臨
貨 として残るが4月以降中止。ク5000形式は全車休車。[10]
1978年10月 |
1980年10月 |
1982年11月 |
1984年2月 |
5351(大宮操〜北野桝塚) 5851(北野桝塚〜志免) 5853(大宮操〜岡山操) 5350〜5151(北野桝塚〜陸前山王) 5352(北野桝塚〜大宮操) 5850(志免〜北野桝塚) 5852(岡山操〜北野桝塚) 5950(金沢〜北野桝塚) 5150(陸前山王〜宇都宮タ) 5250(宇都宮タ〜根岸) |
同左 同左 5853(北野桝塚〜岡山操) 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左 5951(米原〜金沢) |
5351(新座タ〜北野桝塚) 同左 同左 同左 同左 同左(空) 5852(岡山操〜西浜松)(空) 同左(空) 同左 同左 5951(米原〜金沢) |
廃止 同左 廃止 同左 廃止 同左(空) 廃止 廃止 5150〜5351(陸前山王〜北野桝塚)(空) 同左 廃止 5231(根岸〜宇都宮タ)(空) |
合計10本 |
合計11本 |
合計11本 |
合計6本 |
発
駅/着駅 |
仙
台港 |
宇
都宮(タ) |
本
牧埠頭 |
北
野桝塚 |
東
広島 |
志
免 |
計 |
仙台港 |
(8) |
(8) |
|||||
宇都宮タ |
21 |
(5) |
(5) 21 |
||||
本牧埠頭 |
(21) |
(21) |
|||||
北野桝塚 |
8 |
5 |
7 |
14 |
34 |
||
東広島 |
(5) |
2 |
(5) 2 |
||||
志免 |
(16) |
(16) |
|||||
計 |
8 |
(21)
5 |
21 |
(34) |
7 |
16
|
(55)
57 |
こうしてク5000形式による乗用車輸送は全廃されたのだが、すぐに復活を遂げた。それが日産自動車の輸出用自動車輸送であり、一時は国内輸送も 復 活した。しかしその復活はあくまで一時的なものであり、コンテナ輸送が鉄道による自動車輸送の主役となっていく。やがて車扱輸送は終焉を迎えるのだが、コ ンテナによる自動車輸送は試行錯誤しつつも、荷主は増加し、現在に至っている。
*乗用車の輸送形態別輸送台数・輸送比率* (各年の『日本物流年鑑』ぎょうせい発行、から筆者が作成)貨車 |
自走 |
積載車 |
船舶 |
計 |
|||||
1987
年度 |
3,280 |
0.1% |
36,717 |
0.7% |
3,155,431 |
61.1% |
1,967,218 |
38.1% |
5,162,646 |
1988
年度 |
32,922 |
0.6% |
29,601 |
0.5% |
3,341,694 |
60.8% |
2,111,505 |
38.3% |
5,506,722 |
1989
年度 |
34,613 |
0.6% |
30,852 |
0.5% |
3,447,515 |
57.9% |
2,436,347 |
41.0% |
5,949,327 |
1990
年度 |
32,790 |
0.5% |
32,092 |
0.5% |
3,740,712 |
58.3% |
2,618,819 |
40.8% |
6,424,413 |
1991
年度 |
32,519 |
0.5% |
27,263 |
0.5% |
3,439,655 |
57.9% |
2,437,987 |
41.1% |
5,937,424 |
1992
年度 |
20,814 |
0.4% |
29,288 |
0.5% |
3,096,240 |
57.4% |
2,249,452 |
41.7% |
5,395,794 |
1993
年度 |
17,712 |
0.3% |
17,534 |
0.3% |
3,018,616 |
58.4% |
2,118,835 |
41.0% |
5,172,697 |
1994
年度 |
5,260 |
0.1% |
9,514 |
0.2% |
2,995,568 |
58.3% |
2,126,211 |
41.4% |
5,136,553 |
1995
年度 |
20,606 |
0.4% |
11,693 |
0.2% |
3,033,147 |
57.5% |
2,208,527 |
41.9% |
5,273,973 |
1996
年度 |
|||||||||
1997
年度 |
26,703 |
0.4% |
275,192 |
3.6% |
4,904,404 |
64.8% |
2,365,988 |
31.2% |
7,572,287 |
1998
年度 |
23,585 |
0.3% |
344,177 |
4.7% |
4,619,852 |
63.5% |
2,291,897 |
31.5% |
7,279,511 |
◆その後の日産自動車の自動車輸送 〜宇都宮貨物ターミナル駅、神奈川臨海鉄道を中心に〜
*神奈川臨海鉄道における自動車輸送量*[9]年
度 |
1969 (昭44) |
1970 (昭45) |
1971 (昭46) |
1972 (昭47) |
1973 (昭48) |
1974 (昭49) |
1975 (昭50) |
1976 (昭51) |
1977 (昭52) |
1978 (昭53) |
1979 (昭54) |
1980 (昭55) |
千
トン |
15 |
72 |
118 |
116 |
162 |
108 |
105 |
124 |
118 |
145 |
217 |
246 |
年
度 |
1981 (昭56) |
1982 (昭57) |
1983 (昭58) |
1984 (昭59) |
1985 (昭60) |
1986 (昭61) |
1987 (昭62) |
1988 (昭63) |
1989 (平元) |
1990 (平02) |
1991 (平03) |
1992 (平04) |
千
トン |
218 |
155 |
132 |
119 |
30 |
105 |
163 |
133 |
154 |
136 |
76 |
50 |
*JR貨物 乗用車輸送で新会社 バイクのパックツアーも*[32]
JR貨物は乗用車の輸送を担当する子会社、JRFエンジニアリングを1994年12月9日付けで設立した。乗用車の鉄道輸送は国鉄時代の72年をピーク
に
急速に減少、現在はほとんど手を引いた状態となっている。JR貨物は新会社によって市場開拓を進める一方、年内に新型貨車の導入を始め、自動車輸送を本格
化する。また新会社はJTBと提携して、バイク輸送を含むパックツアーなども手掛ける。
新会社の資本金は7千万円で、出資比率はJR貨物が65%、日本梱包運輸倉庫が25%、日本フレートライナーが10%。近く貨車メーカーやコンテナメー
カーを対象に2千万円程度の増資をする予定で、増資後のJR貨物の出資比率は51%となる。新会社は札幌、新潟、名古屋、福岡営業所を置く。
第一弾としてトヨタ自動車の完成車の物流子会社、トヨタ輸送と近く契約を結び、1995年3月から輸送を始める予定。トヨタの元町工場(愛知県豊田市)
で
生産される「クラウン」、高岡工場(同)の「カローラ」を運ぶ見通し。区間は名古屋から新潟までで、輸送量は年間4,500台を見込んでいる。トヨタが完
成車輸送で鉄道を使用するのは84年以来、ほぼ10年ぶり。JR貨物では今後、他のメーカーに対する営業活動も本格化させる。
1995年3月6日 名古屋(タ)〜新潟タでコキ71形を用いたカーラック輸送が開始された。[21]
コキ71形式低床式コンテナ車に乗用車積「カーラック」コンテナを積載、返路にはこれに汎用5トンコンテナを載せられるという貨車の有効活用をねらった
シ
ステム。 トヨタ自動車の新車を名古屋(タ)〜新潟(タ)まで毎日2両(乗用車16〜18台)輸送している。[16]
03.5直江津駅にて
*カーラック輸送の1年*[22]
昨年3月から、名古屋(タ)〜新潟(タ)間で営業を開始したカーラックシステムも、無事1年を迎えることになりました。当初の隔日輸送が7月からは月〜
金曜日の
毎
日輸送となり、8月には小型乗用車が5台積載できる新型のラック(コンテナ)も投入されました。
また10月以降は,既存のT社にM社(筆者註、三菱自動車だろう)の商品車輸送も加わり
、現在では日々20台の商品車が土・日曜日も休まず輸送されています。(東海支社営業課)
1998.8倉敷(タ)駅 |
1998.8倉敷(タ)駅 |
発駅 |
着駅 |
荷主
(含筆者予想) |
倉賀野 |
熊本 長崎 鹿児島 米子 |
ダイハツ工業 |
熊谷タ |
米子 |
富士重工業 |
梅小路 |
新潟タ 米子 |
ダイハツ工業 |
大阪タ |
新潟タ |
ダイハツ工業 |
東水島 |
新潟タ 金沢 |
三菱自動車工 |
*貨物バラエティ コンテナは新車のギフトボックス*[41]
倉敷市の三菱自動車(株)水島工場で、今最も売れ筋のクルマは軽自動車のeKワゴン。セミトール型で広いスマートな室内、衝撃に強い幅広バンパーに加え
て運
転席・助手席にエアバックを標準装備する高い安全性、また2010年の燃費基準にも適合する超低排出ガス等々が、人気の所以である。
工場近くの三菱自動車ロジスティクス(株)のモータープールには、
完成
したばかりのクルマが区画毎にびっしり整列していた。どのクルマもボンネットとルーフのところに、傷や汚れから保護する白いシートが貼られている。クルマ
の前後左右は50cmあるかなきか−構内運転・輸送を請負う日本梱包運輸倉庫(株)の運転技術は脱帽ものだ。
新車たちは、同所に止まること1〜2日で日本国内各地を始め、世界各国に輸出されていく。その輸送手段は主に船、キャリアカーだが、軽自動車輸送には鉄
道コンテナも使われている。隣接する水島臨海鉄道(株)の倉敷貨物ターミナル駅か
ら、毎日15個前後の12ftコンテナで、新潟・金沢へ運ばれている
のだ。
モータープールの一画に集められた鉄道で輸送するクルマを、日本梱包運輸倉庫のドライバーが1台ずつ運転して駅に届け、軽自動車用の特殊パレット(軽パ
レ)に載せる。軽パレと自動車を固定し、フォークリフトでコンテナ積載するのは水島臨海鉄道の役割だ。
eKワゴンの場合、全長3395mm、全幅1475mm、全高1550mm、重さは800kg前後。12ftコンテナの内寸は、長さ3642×幅
2270×高さ2252mm(19D形式)なので、軽パレに載せたクルマを積むと、まるで誂えたようにぴたりと納まる。
貨車 |
積載車 |
船舶 |
計 |
||||
1988
年度 |
0 |
0.0% |
1,649,979 |
93.9% |
107,936 |
6.1% |
1,757,915 |
1989
年度 |
15,106 |
0.9% |
1,520,201 |
91.0% |
134,838 |
8.1% |
1,670,145 |
1990
年度 |
49,156 |
3.1% |
1,368,644 |
86.3% |
167,649 |
10.6% |
1,585,449 |
1991
年度 |
57,020 |
3.7% |
1,268,178 |
82.5% |
212,041 |
13.8% |
1,537,239 |
1992
年度 |
88,047 |
6.5% |
1,037,463 |
77.2% |
219,116 |
16.3% |
1,344,626 |
1993
年度 |
77,433 |
6.4% |
943,752 |
77.6% |
195,137 |
16.0% |
1,216,322 |
1994
年度 |
45,016 |
3.8% |
988,620 |
83.4% |
152,468 |
12.9% |
1,186,104 |
1995
年度 |
79,726 |
6.6% |
999,724 |
82.5% |
132,336 |
10.9% |
1,211,786 |
1996
年度 |
|||||||
1997
年度 |
74,786 |
3.5% |
1,995,923 |
92.1% |
95,775 |
4.4% |
2,166,484 |
1998
年度 |
82,712 |
3.7% |
2,065,142 |
92.6% |
82,851 |
3.7% |
2,230,705 |
*1989年にバイク輸送用コンテナ登場*
1989年度に、バイク輸送専用コンテナU53Aが10個製作された。コキ100系積載限定であるため、区別のため39500番台となっている。
1990
年度も引き続き増備が続けられた。[30]
所有は日本梱包運輸倉庫(株)で福岡(タ)〜東京タで運用されている。[15] 熊本にあるホンダの工場からのバイク輸送に使用されていると思われる。
*軌道に乗るバイク輸送 少ない台数でも効率的*[31]
これまでトラックやフェリーが主役だったバイクのメーカーからの出荷輸送に、1999(平成11)年4月から新しく鉄道コンテナが使用さ
れ
始め軌道に乗っている。少ない台数でも効率的に運べるコンテナの機動力を武器に、JR貨物がグループの全国通運、JRF・エンジニアリングの両社と共同で
背高タイプのコンテナとバイクを効率的に積める専用パレットを開発した。現時点では荷主は 本田技研工業1社だが、このほど日本自動車工業
会が主催する見学会も開かれ、さらなる利用促進も期待されている。
バイクの工場からの出荷には、従来からトラックやフェリーが使われるケースがほとんど。しかし、こうした輸送手段では一度にまとまった量を運ばね ば ならず、着地での在庫量もかさみがち。「もっと手軽に運べる手段があれば鉄道に載せたい」とのメーカー側の意向を、全国通運などがキャッチ。トラックから 鉄道へのシフトを目指し、本社営業部が主体になってコンテナとパレットの開発を進め、数次にわたるテスト輸送でバイクの固定方法やパレットのジョイント部 を改善、このほど実用化にこぎつけた。新たに開発したコンテナは通常の5トン(12フィート)と同タイプながら、高さを2.6mと10cm高くしたのが ポイント。また、バイクを積み卸しする際の安全性を確保するため、前面だけでなく天井の部分も宝石箱のように開閉可能。目的地に運んだ帰路は、もちろん通 常のコンテナとしても使える。
一方のパレットは鋼製で、二段積み方式を採用。小型から大型まであらゆるサイズのバイクに対応でき、大型バイクはコンテナ1個に6−8台。小型は 20台まで積載。これまでの一段積みに比較して輸送効率を大幅にアップしたことから、結果的に1台当りの運賃を下げられる計算。バイクを載せない回送時に は折り畳め、パレット3組分(6個)を1個のコンテナで返送。バイク以外の農機具輸送にも利用可能だ。
実際の輸送は、熊本〜札幌・盛岡・新潟間と浜松〜札幌・松山間で実施され、熊本発は1日コンテナ2個、浜松発は同じ く 2−3個の輸送量。バイクメーカーは現在、物流効率化を進めているところで、自工会二輪車部会が企画して4月末に西浜松駅で開かれた見学会では、他メー カーも興味津々の様子。JR貨物営業部では今回のバイク輸送を好例に、今後も輸送用具開発による新規荷主開拓に力を入れることにしている。
輸送経済新聞社 '01.4.24
*JR貨物と太平洋F、フェリーに鉄道コンテナ/災害時輸送の受託を条件に
長距離フェリーに常時、鉄道コンテナが積載される可能性が出てきた。日本貨物鉄道(=JR貨物、本社・東京、伊藤直彦社長)の東海支社(大森寿明支社
長))が、太平洋フェリー(同・名古屋市、板倉康祐社長)と緊急災害時の業務提携について具体的な交渉に入っている。
再三にわたり、豪雨や地震で鉄道輸送が寸断される事態が起き、荷主や特積み輸送業者のJR貨物離れが進行。荷主の信頼を確保するため、“物流切断”を何
と
しても避けたいとするJR貨物側が、非常時の代替輸送手段として長距離フェリーに注目し、太平洋フェリーに協力を要請した。太平洋フェリーは当初、「災害
時は、ほかの荷主も困っている。JR貨物だけ優先することはできない」として交渉は棚上げに。そのため、東海支社では平常時もコンスタントにコンテナ貨物
輸送を太平洋フェリーに委託するという条件を提示した。支払い運賃による若干の出血も覚悟してのことだ。
太平洋フェリーは「互いに困った時に助け合い、円滑な輸送を全うする」との条件を掲げ今月、1便3個のコンテナ輸送の見積もりとして22万円を提示。月
内
に、あらためて話し合いの場を持つ。
JR貨物が危機感を深めている背景には、相次ぐ輸送障害を嫌気した荷主や通運業者のJR離れがある。東海支社管内では昨年、名鉄運輸が北
海
道向けコンテナ輸送を新日本海フェリーに切り替えた。さらに
今年4月からはトヨタ自動車の北海道への自動車部品補給コンテナ輸送の仕事がなくなった。いずれも、JR貨物の緊急時における輸送危機管理体制の
不十分さが主因。
交渉は一歩前進したが、解決すべき課題もある。太平洋フェリーは「フェリー利用の荷主からクレームが発生しないか。その説明を納得してもらえるか。鉄道
に
荷主をもっていかれないか」と心配する。 一方のJR貨物にも「名古屋地区からのコンテナ輸送需要は見込めるものの、北海道から常時、フェリーを使うほど
の
需要があるか」との不安がある。いずれにせよ、両者にとり初めての試みだけに、今後も曲折が予想される。
◆マツダ系
*「マツダライナー」運転開始 『鉄道ジャーナル2月号』第24巻第2号,通巻280号,1990年,126頁
1989年11月2日から西浜松〜東広島で,「マツダ」の貸切による専用コンテナ列車の運行を開始した。これは1989年秋生産を始める軽自動車の部品
を湖西市の下請工場から広島県府中町の本社組立工場に輸送するためで,土・日を除く毎日1往復の運転。往路の数量は1日あたり12フィートコンテナ100
個、復路もボックスパレットの返送のため40個が積載される。今回の契約は4年間に渡るが同一の荷主が通年でコンテナ1個列車を貸切利用するのは,列車の
定時性・低廉性が高く評価された事例として注目を浴びている。
*自動車メーカー共同輸送を拡充 1994.4.7日経流通 12面
*日産・三菱も協力 完成車輸送 関東−中部で 1994.5.12日経流通 14面
*物流合理化は宝の山 ダイハツの挑戦 1994.7.28 日経産業 11面
*深浦工場閉鎖検討 トヨタ系の関東自動車 1998.12.16 読売新聞 8面
トヨタ自動車系の関東自動車工業は、主力工場の1つである深浦工場(神奈川県横須賀市)の閉鎖を検討し始めたことを明らかにした。深浦工場は、トヨタの
小
型乗用車「カローラ」を年間約12万台生産しており、実現すれば、乗用車組立工場の閉鎖としては、95年3月の日産自動車座間工場に続くケースとなる。閉
鎖時期は「カローラ」のモデルチェンジ期に当たる2000年夏をめどに調勢が進むとみられる。
新車販売の低迷を受けて、深浦工場での「カローラ」の生産台数は、98年上半期で前年同期比24.8%減となっている。生産能力の過剰感が強まっている
た
め、トヨタグループとして工場再編の検討に着手することにした。
*日産が自動変速機工場分社化 1999.5.15 朝日新聞 10面
日産自動車は、自動変速機や無段変速機を生産している富士工場(静岡県富士市)を分社化し、6月28日付で新会社「トランステクノロジー」(本社・同
市、
資本金193億円)を設立した。日産の100%出資で、社員は日産から3,900人出向する。また日産は1999年中に、新会社とグループの自動変速機
メーカーであるジャトコを合併させる。合併後の新会社には、外国メーカーからの出資を受け入れる方針。
*岩手でトヨタ車増産 仙台港から輸送へ 2000.8.28 河北新報 22面
トヨタ自動車系列の関東自動車工業岩手工場(岩手県金ヶ崎町)で、2000年10月から増産されるトヨタ車(乗用車)の約8割が、従来通り仙台港を経由
し
て、関東、中部方面に海上輸送される見通しが強まった。トヨタ側に仙台港の利用を働きかけてきた宮城県は、「東北の物流拠点港としての発展に一層の弾みが
付く」として歓迎している。
岩手工場では、「マークK」や「アルテッツァ」などの乗用車の組み立て作業を行っており、年間の生産台数は約10万台。このうちの2割は釜石港から海上輸
送しているが、残りの8割については東北自動車道を利用して仙台港まで陸送し、仙台港から船積みしている。
トヨタ自動車はリストラ策の一環として、7月に関東自動車工業の横須賀工場を閉鎖し、10月から岩手工場に生産を集約させる。これに伴い、岩手工場の一
日
当たりの生産規模は、現在の400台から700台に増えると見られる。トヨタ自動車車両物流部は「増産、輸送計画はまだ検討中だ」としながらも、「関東、
中部方面から仙台港に車を陸揚げした船の帰りの作業効率を考えると、これまで通り、仙台港がメーンの積み出し港になるだろう」と話している。
*トヨタ車・日産車を共同輸送 2001.8.18日経 1面