◆自動車輸送 2001.11作成 2003.4.13全面的に更新
2003.4.20更新
最盛期の北野桝塚。
(『日本の新しい鉄道』久保田博 昭和47年 保育社刊 p74-75より)
目次
@ はじめに
A自動車輸送
< 1. 自動車輸送の黎明期>
< 2. 1965(昭和40)年〜1966(昭和41)年 自動車輸送の準備期>
< 3. 1967(昭和42)年 自動車輸送の初期>
< 4. 1968(昭和43)年〜1972(昭和47)年 自動車輸送の最盛期まで>
< 5. 1973(昭和48)年〜1984(昭和59)年度 自動車輸送の衰退期>
< 6. 1985(昭和60)年度〜 車扱による自動車輸送の終焉とコンテナ輸送の進展。 カーラックシステム,軽自動車輸送など>
B バイク輸送
<1.国鉄時代>
<2.JR貨物後の輸送>
C 自動車部品輸送
D 自動車(物流)業界におけるトピック
@はじめに ▲
最後に、当時の自動車輸送の熱気を感じる文章を紹介して、本題に入る。
昭和40年頃から貨物輸送も量から質への転換が叫ばれ、その一環として物資別適合輸送の推進が行われたが、その中で自動車輸送は 花形であった。[1]
40年代に入ると、国鉄でも自動車工業の将来性に着目して、41年7月試作専用貨車2両で、(略)・・・輸送を開始した。このときの試作貨車は、各
メーカーによって製作されていた私有貨車を参考にして製作されたが、積載効率を高めるため、当時の
貨車常識を打ち破った上下2段積みのものであった。(略)・・・自動車輸送は
急成長を遂げ 、41年度わずか7万2,000トンであった輸送トン数が、47年度には224万2,000トンとなった。[2]
A自動車輸送 ▲
戦後急速なテンポで成長を遂げたわが国自動車工業の製品輸送は、当初自走、トラックまたは船舶によって行われて、昭和30年代の後半、わずかにテス
トケース的なものとして、私有貨車による鉄道輸送がトヨタほか数社の手によって行われたにすぎなかった。[2]
日産自動車株式会社富士工場は原料製品輸送のために、1936(昭和11)年8月5日に吉原駅〜富士工場2.3kmの専用鉄道の運輸
を開始している。※『鉄道要覧』より
海野實著『静岡県の鉄道 今と昔』明文出版社、1986年には、吉原駅の写真の1枚として、トラ貨車に「ダットサン」が2台づつ載った貨物列車がある。昭
和30年代まではこのような自動車輸送だったのだろう。
また吉原駅には塩浜操駅から冷延コイルが到着していたが、これは日産自動車着ではないだろうか? こちら参照。
また吉岡心平著『私有貨車図鑑』307頁には、ク300形(日産、ブルーバード)、クム1000形(トヨタ、パブリカ)といった黎明期の車運車の写
真がある。
<2.1965(昭和40)年〜1966(昭和41)年 自動車輸送の準備期>
◆試験輸送から本格輸送まで[1]
【1965.04.01】 自動車積み専用貨車2両の試作を決定。
【1965.11.10】 試験輸送区間を笠寺・東小金井間とし、対象荷主を三菱、プリンスとすること に決定。
【1966.03.06】 自動車積みク9000形式(後にク5000と改称)が日本車両豊川工場及び三菱重工三原工場で各1両ずつ落成。
【1966.03.31】 笠寺駅に自動車積卸線(有効長200m)及び積卸し設備1基が完成。
【1966.07.06】 営業試験輸送開始。(7月6日から9月30日まで) 笠寺(三菱)、東小金井(プリンス)間 で両基地から毎日1車ずつ発送。
【1966.07.19】 輸送中自動車の汚れ発生(鉄粉及び銅粉)、機関車次位連結に原因ありとして介在車4両を連結して輸送開始。
【1966.09.29】 自動車の汚れ防止のため自動車用シート作成。
【1966.10.01】 本格的輸送開始。(国鉄のダイヤ改正)
・新基地 籠原、川崎河岸、横須賀、厚木、 大宮操 、
百済、川西池田
・新荷主 トヨタ、日産、富士重工、ダイハツ 、 いすゞ
(既存荷主 三菱、プリンス)計7社
・1日当り使用車12車
・笠寺駅の使用車、トヨタ1、三菱2、計3車
◆1966(昭和41)年10月時刻改正について[3]
自動車専用貨車22車を新造し(年度末までには追加40両新造の予定)、各自動車基地の整備(モータープール、自走積卸装置)をし、相互に輸送を実施す
る。
*発着駅別輸送車数*
| 発駅 |
着駅 |
平均積載台数 |
月間輸送台数 |
荷主(筆者予想) |
| 籠原 笠寺 籠原 川西池田 厚木 東小金井 笠寺 厚木 東小金井 横須賀 |
笠寺 川崎河岸 百済 大宮操 百済 笠寺 東小金井 笠寺 川西池田 百済 |
12台 9台 12台 12台 10台 8台 9台 8台 8台 10台 |
300台 225台 300台 300台 250台 200台 225台 200台 200台 250台 |
富士重工 三菱 富士重工 ダイハツ 日産 プリンス 三菱 日産 プリンス 日産、トヨタ |
以上の計画に基き、貨車運用はヤード中継を極力省略し、予備車の1車は、笠寺常備とする。また運転日数は月間25日とする。
貨車の常備駅及び車数は次の通りである。 笠寺7車、東小金井6車、百済9車
<3.1967(昭和42)年 自動車輸送の初期>▲
◆国鉄自動車専用貨車ク5000を大幅増強[6]
国鉄は1966(S41)年7月から開始した物資別適合輸送の中で,自動車輸送が現在もっとも利用度が高
く,有望業種である ことから,今後ク5000を重点的に新造,輸送力の強化をはかることになった。
国鉄のク5000保有両数は現在22両であるが,計画によると1967(S42)年2月に40両,3月末に50両を新造投入する一方,輸送基地も2月か
ら広島・北九州地区を加え,4月には専用貨車112両によるフル運転を開始する方針であるという。
国鉄が現在実施している物資別適合輸送は,自動車・粉粒体・鉄鋼の3品目であるが,このうちもっとも大規模に行われているのが自動車輸送。1966年7
月にまず2両で東京小金井〜愛知笠寺を下り日産プリンス,上り三菱重工の試験輸送を開始,10月のダイヤ改正で20両を増強し,富士重工・日産・いすゞ・
トヨタが参加,10月末にはさらにダイハツが加わり,本格輸送を開始,7月のスタート当時1日わずか42台の輸送量が,10月には236台,11月には
284台と増え,最近は自動車メーカーから早急な増備を要請されるようになったもの。
| 【1967.02.01】 |
【1967.03.01】 |
【1967.04.01】 |
【1967.07.01】 |
【1967.10.01】 |
|
| 新基地 | 水島、広島、志免 |
なし |
磐田(使用車1車) |
岡山操、宮城野、沼垂、塩浜操 |
金沢 |
| 新荷主 |
愛知機械販売 |
なし |
鈴木自動車、東洋工業 |
ホンダ |
なし |
| 1日当り使用車 |
24.5車 |
38.5車 |
44車 |
108車 |
137.7車 |
| 保有車両数 |
62両 |
92両 |
112両 |
312両 |
382両 |
| その他 |
・笠寺駅設備、積卸線2線、積卸設備2基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ3.5、三菱3.5、愛知0.5、計7.5車 |
・自動車専用列車 新鶴見〜志免間1往復 ・笠寺駅使用車、トヨタ6、三菱3.5、愛知0.5、計10車 |
・笠寺駅使用車、トヨタ6、三菱3.5、愛知0.5、計10車 |
・ローカルルートの輸送開始 ・自動車専用列車増設 新鶴見〜百済間1往復 ・笠寺駅設備、積卸線2線、積卸設備2基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ3.5、三菱3.5、愛知0.5、計7.5車 ・磐田駅使用車、スズキ4車 |
・自動車専用列車笠寺駅始発を新設 笠寺〜新鶴見 1往復 笠寺〜香椎 1往復 ・笠寺駅設備、積卸線4線、積卸設備4基となる。 ・笠寺駅使用車、トヨタ29、三菱4.4、愛知1.9、計35.3車 ・磐田駅使用車、スズキ6車 |
| 発 駅 |
利用会社名 |
備 考 |
| 厚木 |
日産 |
|
| 磐田 |
スズキ |
|
| 笠寺 |
三菱 |
|
| 横須賀 |
日産・トヨタ |
|
| 水島 |
三菱 |
|
| 川西池田 |
ダイハツ |
| 発 駅 |
会社 |
車数 |
国鉄列車 |
仙台臨海鉄道列車 |
| 小金井 二条 川西池田 小計 |
日産 日産 ダイハツ |
1.0 1.5 1.5 4.0 |
5571 |
661 (6:45着) |
| 本牧埠頭 湘南貨物 厚木 西浜松 北野桝塚 笠寺 小計 |
日産 トヨタ いすゞ 日産 スズキ トヨタ 三菱 日産 |
3.0 2.0 0.5 5.5 3.5 4.5 0.5 0.5 20.5 |
9099 (自動車専用列車) |
665 (11:45着) |
| 東小金井 岩波 水島 小計 |
日産 トヨタ トヨタ 三菱 |
3.0 2.0 1.5 1.0 7.5 |
471 4175 |
667 (14:25着) |
| 合計 |
31.5 |
| 会社 |
発駅 |
車数 |
| 日産 |
小金井 二条 本牧埠頭 厚木 笠寺 東小金井 小計 |
1.0 1.5 3.0 5.5 0.5 3.0 14.5 |
| トヨタ |
本牧埠頭 北野桝塚 東小金井 岩波 小計 |
2.0 4.5 2.0 1.5 10.0 |
| スズキ |
西浜松 |
3.5 |
| 三菱 |
笠寺 水島 小計 |
0.5 1.0 1.5 |
| ダイハツ |
川西池田 |
1.5 |
| いすゞ |
湘南貨物 |
0.5 |
| 合計 |
31.5 |
| 年度 |
1972 |
1973 |
1974 |
1975 |
1976 |
1977 |
1978 |
1979 |
1980 |
1981 |
1982 |
1983 |
1984 |
| トン数 (千トン) |
64 |
205 |
148 |
123 |
120 |
103 |
100 |
108 |
105 |
102 |
79 |
62 |
34 |
| 年度別 |
ク5000保有数 |
輸送t数(千t) |
年度別 |
基地数 |
使用車 |
専用列車本数(始発) |
| 1966 |
112 |
71 |
1966.10 |
9 |
12 |
− |
| 1967 |
502 |
669 |
1967.10 |
18 |
138 |
10 |
| 1968 |
752 |
1312 |
1968.10 |
26 |
265 |
17 |
| 1969 |
832 |
1836 |
1969.10 |
28 |
323 |
19 |
| 1970 |
902 |
2050 |
1970.10 |
29 |
380 |
28 |
| 1971 |
902 |
2162 |
− |
|||
| 1972 |
902 |
2242 |
1972.10 |
28 |
363 |
25 |
| 1973 |
932 |
2050 |
1973.10 |
28 |
369 |
27 |
| 1974 |
932 |
1219 |
− |
|||
| 1975 |
932 |
1050 |
1975.03 |
27 |
244 |
19 |
| 1976 |
932 |
892 |
1976.10 |
25 |
168 |
17 |
| 1977 |
932 |
752 |
− |
|||
| 1978 |
932 |
− |
1978.10 |
19 |
141 |
10 |
| 1980 |
932 |
− |
1980.10 |
14 |
118 |
11 |
| 1982 |
832 |
− |
1982.11 |
12 |
97 |
11 |
| 1984 |
777 |
− |
1984.02 |
6 |
57 |
6 |
【1984.12.27】 トヨタも北野桝塚発12月27日を以て撤退した。ク5000形による国内向けの乗用自動車 輸送は一時全廃となり、 日産の宇都宮タ〜本牧埠頭の輸出用自動車輸送のみとなる。
*国鉄輸送、年内で廃止 トヨタ 貨車基地減り不便に*[33]
トヨタ自動車は国鉄の貨車を利用した自動車輸送を年内で打ち切る。国鉄側の貨車基地の合理化などに伴い、貨車による製品輸送が事実上難しくなっているため
で、同社の輸送手段は今後すべてトラックによる陸上輸送と船を使った海上輸送の二本立てに切り替わることになる。貨車輸送は一時期自動車物流の中核だった
こともあるが、トヨタの打ち切りはこうした自動車物流面にも新しい時代の波が寄せていることを示している。
トヨタは現在、上郷工場(愛知県豊田市)内の車両ヤードから国鉄岡多線の引き込み線を利用して一部自動車を貨車輸送している。しかし国鉄側の受け入れ基地
となる貨車基地が一時全国で25ヵ所もあったのが、貨物輸送の合理化などで今では4ヵ所に縮小、自動車の輸送手段としての役割もジリ貧傾向をたどってい
る。
しかも、輸送コストや物流上の便宜性からみてもトラックや船による輸送に対抗できなくなっている。また同社と引き込み線で結ばれている岡多線も国鉄が第三
セクターによる運営を打ち出すなど、将来的に自動車など貨車輸送を続けにくい方向にあることから、このほどトヨタと国鉄とが協議、貨車利用の年内打ち切り
で合意に達したもの。
トヨタが完成車の輸送手段として国鉄の貨車を利用し始めたのは1966年。ちょうど日本でも本格的なモータリゼーションを迎え始めた頃で、年々貨車利用率
も高まり、ピーク時の1973年はトヨタの自動車輸送全体の22%に当たる年間35万台を貨車で輸送していた。しかし、その後はトラックや船が自動車輸送
の主流になり、1983年は貨車輸送は全体の5%に当たる約8万台強まで落ち込み、トラックによる陸送が59%、船が35%を占めた。
97.3時点でのトヨタの輸送基地の跡。宅急便トラックが一杯置かれていた。 出荷基地として使われているようだった。 |
同じく駅から輸送基地までの取り付け部分。 コンクリート橋が続いているが道路との交差部分は撤去されていた。 |
【1985.03.X】 ダイヤ改正で自動車輸送の設定は無くなった。3月末までは宇都宮タ〜本牧埠頭の輸送は臨
貨 として残るが4月以降中止。ク5000形式は全車休車。[10]
*自動車の直行貨物列車* [1]184、227頁より筆者作成、太字は最末期まで残った輸送。
| 1978年10月 |
1980年10月 |
1982年11月 |
1984年2月 |
| 5351(大宮操〜北野桝塚) 5851(北野桝塚〜志免) 5853(大宮操〜岡山操) 5350〜5151(北野桝塚〜陸前山王) 5352(北野桝塚〜大宮操) 5850(志免〜北野桝塚) 5852(岡山操〜北野桝塚) 5950(金沢〜北野桝塚) 5150(陸前山王〜宇都宮タ) 5250(宇都宮タ〜根岸) |
同左 同左 5853(北野桝塚〜岡山操) 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左 5951(米原〜金沢) |
5351(新座タ〜北野桝塚) 同左 同左 同左 同左 同左(空) 5852(岡山操〜西浜松)(空) 同左(空) 同左 同左 5951(米原〜金沢) |
廃止 同左 廃止 同左 廃止 同左(空) 廃止 廃止 5150〜5351(陸前山王〜北野桝塚)(空) 同左 廃止 5231(根岸〜宇都宮タ)(空) |
| 合計10本 |
11本 |
11本 |
6本 |
*1984年2月ダイヤ改正 ク5000形式貨車 駅別発着計画* [1]228頁
| 発駅/着駅 |
仙台港 |
宇都宮タ |
本牧埠頭 |
北野桝塚 |
東広島 |
志免 |
計 |
| 仙台港 |
(8) |
(8) |
|||||
| 宇都宮タ |
21 |
(5) |
(5) 21 |
||||
| 本牧埠頭 |
(21) |
(21) |
|||||
| 北野桝塚 |
8 |
5 |
7 |
14 |
34 |
||
| 東広島 |
(5) |
2 |
(5) 2 |
||||
| 志免 |
(16) |
(16) |
|||||
| 計 |
8 |
(21) 5 |
21 |
(34) |
7 |
16 |
(55) 57 |
※単位は車数。また(X)は空車を示す。
※東広島に注目したい。北野桝塚から到着があるのはトヨタであろうが、東広島発志免着があり、これは当然東洋工業
であろう。末期まで荷主であったのだ。
<6.1985(昭和60)年度〜 車扱による自動車輸送の終焉とコンテナ化>▲
こうしてク5000形式による乗用車輸送は全廃されたのだが、すぐに復活を遂げた。それが日産自動車の輸出用自動車輸送であり、一時は国内輸送も復 活した。しかしその復活はあくまで一時的なものであり、コンテナ輸送が鉄道による自動車輸送の主役となっていく。やがて車扱輸送は終焉を迎えるのだが、コ ンテナによる自動車輸送は試行錯誤しつつも、荷主は増加し、現在に至っている。
*乗用車の輸送形態別輸送台数・輸送比率* 各年の『日本物流年鑑』ぎょうせい発行、から筆者が作成
| 貨車 |
自走 |
積載車 |
船舶 |
計 |
|
| 1987年度 |
3,280 0.1% |
36,717 0.7% |
3,155,431 61.1% |
1,967,218 38.1% |
5,162,646 100.0% |
| 1988年度 |
32,922 0.6% |
29,601 0.5% |
3,341,694 60.8% |
2,111,505 38.3% |
5,506,722 100.0% |
| 1989年度 |
34,613 0.6% |
30,852 0.5% |
3,447,515 57.9% |
2,436,347 41.0% |
5,949,327 100.0% |
| 1990年度 |
32,790 0.5% |
32,092 0.5% |
3,740,712 58.3% |
2,618,819 40.8% |
6,424,413 100.0% |
| 1991年度 |
32,519 0.5% |
27,263 0.5% |
3,439,655 57.9% |
2,437,987 41.1% |
5,937,424 100.0% |
| 1992年度 |
20,814 0.4% |
29,288 0.5% |
3,096,240 57.4% |
2,249,452 41.7% |
5,395,794 100.0% |
| 1993年度 |
17,712 0.3% |
17,534 0.3% |
3,018,616 58.4% |
2,118,835 41.0% |
5,172,697 100.0% |
| 1994年度 |
5,260 0.1% |
9,514 0.2% |
2,995,568 58.3% |
2,126,211 41.4% |
5,136,553 100.0% |
| 1995年度 |
20,606 0.4% |
11,693 0.2% |
3,033,147 57.5% |
2,208,527 41.9% |
5,273,973 100.0% |
| 1996年度 |
|||||
| 1997年度 |
26,703 0.4% |
275,192 3.6% |
4,904,404 64.8% |
2,365,988 31.2% |
7,572,287 100.0% |
| 1998年度 |
23,585 0.3% |
344,177 4.7% |
4,619,852 63.5% |
2,291,897 31.5% |
7,279,511 100.0% |
※国内販売分の輸送台数(=日産の輸出用自動車輸送は含まれない)、1997年度から統計手法が変更か?
※1989年前後が日産のク5000形による国内輸送の最盛期ということになろう。1995年度からカーラックによる輸送開始。台数が急増していることが
わかる。
◆その後の日産自動車の自動車輸送 〜宇都宮貨物ターミナル駅、神奈川臨海鉄道を中心に〜
*神奈川臨海鉄道における自動車輸送量*[9]
| 年度 |
1969 |
1970 |
1971 |
1972 |
1973 |
1974 |
1975 |
1976 |
1977 |
1978 |
1979 |
1980 |
1981 |
1982 |
1983 |
1984 |
1985 |
1986 |
1987 |
1988 |
1989 |
1990 |
1991 |
1992 |
| 千トン |
15 |
72 |
118 |
116 |
162 |
108 |
105 |
124 |
118 |
145 |
217 |
246 |
218 |
155 |
132 |
119 |
30 |
105 |
163 |
133 |
154 |
136 |
76 |
50 |
*JR貨物 乗用車輸送で新会社 バイクのパックツアーも*[32]
JR貨物は乗用車の輸送を担当する子会社、JRFエンジニアリングを1994年12月9日付けで設立した。乗用車の鉄道輸送は国鉄時代の72年をピークに
急速に減少、現在はほとんど手を引いた状態となっている。JR貨物は新会社によって市場開拓を進める一方、年内に新型貨車の導入を始め、自動車輸送を本格
化する。また新会社はJTBと提携して、バイク輸送を含むパックツアーなども手掛ける。
新会社の資本金は7千万円で、出資比率はJR貨物が65%、日本梱包運輸倉庫が25%、日本フレートライナーが10%。近く貨車メーカーやコンテナメー
カーを対象に2千万円程度の増資をする予定で、増資後のJR貨物の出資比率は51%となる。新会社は札幌、新潟、名古屋、福岡営業所を置く。
第一弾としてトヨタ自動車の完成車の物流子会社、トヨタ輸送と近く契約を結び、1995年3月から輸送を始める予定。トヨタの元町工場(愛知県豊田市)で
生産される「クラウン」、高岡工場(同)の「カローラ」を運ぶ見通し。区間は名古屋から新潟までで、輸送量は年間4,500台を見込んでいる。トヨタが完
成車輸送で鉄道を使用するのは84年以来、ほぼ10年ぶり。JR貨物では今後、他のメーカーに対する営業活動も本格化させる。
1995年3月6日 名古屋タ〜新潟タでコキ71形を用いたカーラック輸送が開始された。[21]
コキ71形式低床式コンテナ車に乗用車積「カーラック」コンテナを積載、返路にはこれに汎用5トンコンテナを載せられるという貨車の有効活用をねらったシ
ステム。 トヨタ自動車の新車を名古屋タ〜新潟タまで毎日2両(乗用車16〜18台)輸送している。[16]


03.5直江津駅にて
*カーラック輸送の1年*[22]
昨年3月から、名古屋タ〜新潟タ間で営業を開始したカーラックシステムも、無事1年を迎えることになりました。当初の隔日輸送が7月からは月〜金曜日の毎
日輸送となり、8月には小型乗用車が5台積載できる新型のラック(コンテナ)も投入されました。
また10月以降は,既存のT社にM社(筆者註、三菱自動車だろう)の商品車輸送も加わり
、現在では日々20台の商品車が土・日曜日も休まず輸送されています。(東海支社営業課)
◆軽自動車のコンテナ輸送▲
*軽自動車 本格輸送スタート 鉄道コンテナ初*[24]
鉄道コンテナによる国内初の軽自動車輸送が1996年5月14日、東水島駅から新潟貨物ターミナル駅までの区間で本格的にス
タートを切った。JR貨物の子会社「JRF・エンジニアリング」が開発した軽自動車専用の「ワイドコンテナ」を使い、倉敷市内の
三菱自動車工業水島工場で生産された軽自動車の完成車を新潟向けに運ぶ。
「ワイドコンテナ」の長さは7.45メートルで、従来の5トンコンテナ2個分の24フィートに相当。幅は5トンコンテナより51センチ大きい2メートル
95センチ、高さは2メートル45センチ。幅を広くしたことで、軽自動車のサイズだと列車の進行方向に2台づつ2列に並べて計4台を積載できる。
側面はシートに覆われており、支柱が「く」の字型に曲がる構造。目的地に到着後は折り畳んで回送する仕組みで、従来のコンテナの概念を打ち破った。しか
も、軽自動車だけでなく農業用車両やバイクなども積むことが可能。軽自動車は三菱自工のモータープールから自走し、隣接する倉敷貨物ターミナル駅でワイド
コンテナに積載。東水島駅で列車に仕立てられて22時5分に出発、翌日19時27分に新潟貨物ターミナル駅に着く。到着後も自走してトラックに積み替え、
販売会社のモータープールに納入される。このようにワイドコンテナの輸送区間はレール上に限定されており、「戸口から戸口へ」という考え方に基いた鉄道コ
ンテナの一貫輸送とは大きく異なる。
1996年3月から試験輸送を始めており、これまでに常時4個を運用してきた。現在は1列車に2個(軽自動車8台)を積み、週3回のペースで運んでいる。
新潟に4個のコンテナが着いた時点で4個分を重ねて1つにまとめ、東水島まで回送している。7月下旬には8個まで倍増する予定で、毎日2個の輸送体制が実
現する。
軽自動車4台積みの24ft「ワイドコンテナ」UM21Z型が1996年に誕生し、倉敷タ〜新潟タのルートで1日2〜3個がコキ100系に積まれて 輸送されていた。しかし 1998年軽自動車の規格変更で積めなくなり、その後は5トン汎用コンテナに合った専用パレットに軽自動車 を載せて、1コンテナ1台の輸送 となり継続している。[16]
※「ワイドコンテナ」は輸送方法や設計に新機軸を盛り込んだ面白いコンテナだったのだが、わずか2年後に規格変更で使えなくなるとは情けない。規格
変更の情報は把握していなかったのだろうか?
幸い、12フィートコンテナによる軽自動車輸送が開始されていたから継続できたが、傍から観察している身にとって冷や汗が出る話だ。それにしても特殊コン
テナは新しい需要を発掘できるが、柔軟性に欠ける嫌いがある。汎用コンテナを柔軟に使うことの方が確実である、という面もあるのかもしれない。
*12フィートコンテナによる軽自動車輸送*[25]
JR貨物では12フィートコンテナによる軽自動車の輸送をJRFエンジニアリングと共同で開発してきた。この方式は、軽自動車専用パレット
(2輪車も積載可能)に軽自動車を1台載せて固定し商品の安全を確保しつつ、荷役効率を高める。積み付け試験と輸送試験の結果は良好であった。
そこで1996年11月12日から、ダイハツ工業(筆者註、ダイハツ車体)の群馬工場から
鹿児島・熊本・長崎 の販売会社へ、この方式を用いた出荷が始まる。発駅は倉賀野で、毎日各2台づつを輸送する。従来は船かトラッ
クで輸送していたが、コンテナの毎日輸送で納期短縮・在庫負担軽減を図れるとのことだ。
また新規ルートとして秋田・米子・金沢などの空コン回送地区への発送を要請している。
*新車物流センター開設*[26]
*12フィートコンテナによる軽自動車輸送の拡大*[28]
1998年には、軽自動車輸送は12フィートコンテナで42個にまで拡大し、JR貨物では専用パレットを190枚保有している。そして運用の効率化を図る
ため、4枚毎に回収している(本来は10枚まで12フィートコンテナに積載することができる)。輸送ルートは以下の通り。
| 発駅 |
着駅 |
荷主(含筆者予想) |
| 倉賀野 |
熊本 長崎 鹿児島 米子 |
ダイハツ工業 |
| 熊谷タ |
米子 |
富士重工業 |
| 梅小路 |
新潟タ 米子 |
ダイハツ工業 |
| 大阪タ |
新潟タ |
ダイハツ工業 |
| 東水島 |
新潟タ 金沢 |
三菱自動車工業 |
到着個数が多いのは、新潟(タ)が20個、米子が11個など。
2000年11月に三菱自動車ロジスティクスは第2種鉄道利用運送事業の許可を取得した。拠点駅は郡山貨物ター
ミナル駅 で、利用運送事業者は日本通運。[34]
※軽自動車輸送の着駅拡大か?
◆乗用車輸送用新型コンテナ
*JR貨物が開発着手 車種問わぬ汎用性 1997年春新ダイヤの目玉に*[24]
JR貨物は、自動車輸送用の新型コンテナの開発に着手した。同社の自動車コンテナは現在、積載する車種に応じて「カーラック」「ワイドコンテナ」の2種類
が運用されているが、新型コンテナはこの両タイプに続く第3世代となる。バイクや軽自動車から大型ワゴン車に至るまで、乗用車であれば車体の大きさに関係
なく積載が可能なため汎用性も高く、効率輸送につながるものと期待されている。JR貨物では1997年3月のダイヤ改正を目途に実用化する考え。
カーラック、ワイドコンテナともにコンテナ化した輸送形態であるため、駅での積み卸し作業が容易な上、行きは自動車、帰りは別の荷物という具合に往復の効
率輸送が可能となる。全体を覆うカバーも付いており、輸送中に車体の塗装を傷めないなどのメリットもある。ところが、カーラックは小型自動車しか積載でき
ず、ワイドコンテナは軽自動車以外にオートバイや農業用トラクターなどの軽車両が積み込める程度。多様な車種に対応するという汎用性という点では課題も
残っていた。
新型コンテナには、車体の大きいワンボックスカーなどのレジャー用RV車を積載し、輸送量の底上げを図るという狙いもある。RV車は昨今のアウトドアブー
ムで生産台数も伸びているが、従来型コンテナでは乗用車に比べ車高が高くなり積載できないためだ。JR貨物では「今やRV車は国内の乗用車生産の25%を
占め、輸送需要も大きい」(営業部)としており、新型コンテナを1997年3月のダイヤ改正の目玉商品とする考えだ。
※結局、このコンテナは開発に失敗(または中止)したのか?目玉商品にする予定だったようだが。現在も開発の検討はしているのだろうか。
◆JR貨物後の鉄道による自動車輸送のまとめ
<作成中>
Bバイク輸送 ▲
<1.国鉄時代>
*ワム80000形式 オートバイ輸送用物資別適合貨車*[29]
1968年浜松貨車区がワム83750号車を使用して試験的に改造したものを基礎として、その後日車で58300〜583011の12両が製作された。そ
の構造はオートバイを2段積みできるように棚を設けてあり、復路一般貨物を積載できるように棚を床面高さ1840mmまで可動できる構造になっている。
<2.JR貨物後の輸送>
*二輪車の輸送形態別輸送台数・輸送比率* 各年の『日本物流年鑑』ぎょうせい発行、から筆者が作成
| 貨車 |
積載車 |
船舶 |
計 |
|
| 1988年度 |
0 0.0% |
1,649,979 93.9% |
107,936 6.1% |
1,757,915 100.0% |
| 1989年度 |
15,106 0.9% |
1,520,201 91.0% |
134,838 8.1% |
1,670,145 100.0% |
| 1990年度 |
49,156 3.1% |
1,368,644 86.3% |
167,649 10.6% |
1,585,449 100.0% |
| 1991年度 |
57,020 3.7% |
1,268,178 82.5% |
212,041 13.8% |
1,537,239 100.0% |
| 1992年度 |
88,047 6.5% |
1,037,463 77.2% |
219,116 16.3% |
1,344,626 100.0% |
| 1993年度 |
77,433 6.4% |
943,752 77.6% |
195,137 16.0% |
1,216,322 100.0% |
| 1994年度 |
45,016 3.8% |
988,620 83.4% |
152,468 12.9% |
1,186,104 100.0% |
| 1995年度 |
79,726 6.6% |
999,724 82.5% |
132,336 10.9% |
1,211,786 100.0% |
| 1996年度 |
||||
| 1997年度 |
74,786 3.5% |
1,995,923 92.1% |
95,775 4.4% |
2,166,484 100.0% |
| 1998年度 |
82,712 3.7% |
2,065,142 92.6% |
82,851 3.7% |
2,230,705 100.0% |
※国内販売分の輸送台数、1997年度から統計手法が変更か?
※1992年には積載車輸送のシェアが77%まで下がり、モーダルシフトが進展していた。しかしその後、船舶のシェアが大きく落ち込み(鉄道へのシフトも
考えられる)、積載車のシェアが大きく伸びた。またその一方で貨車のシェアは船舶と同じとなり、バイク輸送においては鉄道輸送は一定の存在感を持っている
と言っても過言でないのでは。さらに99年度にスタートし軌道に乗ったという以下↓の輸送が反映した99年度以降の数字が楽しみである。
*1989年にバイク輸送用コンテナ登場*
1989年度に、バイク輸送専用コンテナU53Aが10個製作された。コキ100系積載限定であるため、区別のため39500番台となっている。1990
年度も引き続き増備が続けられた。[30]
所有は日本梱包運輸倉庫(株)で福岡タ〜東京タで運用されている。[15] 熊本にあるホンダの工場からのバイク輸送に使用されていると思われる。
*軌道に乗るバイク輸送 少ない台数でも効率的*[31]
これまでトラックやフェリーが主役だったバイクのメーカーからの出荷輸送に、1999(平成11)年4月から新しく鉄道コンテナが使用され
始め軌道に乗っている。少ない台数でも効率的に運べるコンテナの機動力を武器に、JR貨物がグループの全国通運、JRF・エンジニアリングの両社と共同で
背高タイプのコンテナとバイクを効率的に積める専用パレットを開発した。現時点では荷主は 本田技研工業1社だが、このほど日本自動車工業
会が主催する見学会も開かれ、さらなる利用促進も期待されている。
バイクの工場からの出荷には、従来からトラックやフェリーが使われるケースがほとんど。しかし、こうした輸送手段では一度にまとまった量を運ばねば ならず、着地での在庫量もかさみがち。「もっと手軽に運べる手段があれば鉄道に載せたい」とのメーカー側の意向を、全国通運などがキャッチ。トラックから 鉄道へのシフトを目指し、本社営業部が主体になってコンテナとパレットの開発を進め、数次にわたるテスト輸送でバイクの固定方法やパレットのジョイント部 を改善、このほど実用化にこぎつけた。新たに開発したコンテナは通常の5トン(12フィート)と同タイプながら、高さを2.6mと10cm高くしたのが ポイント。また、バイクを積み卸しする際の安全性を確保するため、前面だけでなく天井の部分も宝石箱のように開閉可能。目的地に運んだ帰路は、もちろん通 常のコンテナとしても使える。
一方のパレットは鋼製で、二段積み方式を採用。小型から大型まであらゆるサイズのバイクに対応でき、大型バイクはコンテナ1個に6−8台。小型は 20台まで積載。これまでの一段積みに比較して輸送効率を大幅にアップしたことから、結果的に1台当りの運賃を下げられる計算。バイクを載せない回送時に は折り畳め、パレット3組分(6個)を1個のコンテナで返送。バイク以外の農機具輸送にも利用可能だ。
実際の輸送は、熊本〜札幌・盛岡・新潟間と浜松〜札幌・松山間で実施され、熊本発は1日コンテナ2個、浜松発は同じく 2−3個の輸送量。バイクメーカーは現在、物流効率化を進めているところで、自工会二輪車部会が企画して4月末に西浜松駅で開かれた見学会では、他メー カーも興味津々の様子。JR貨物営業部では今回のバイク輸送を好例に、今後も輸送用具開発による新規荷主開拓に力を入れることにしている。
◆トヨタ自動車系
1997. 4. 6〜4.12 物流ニッポン新聞社
*アイシン精機(株)がコンテナに広告

JR貨物は10日、貨物コンテナを広告媒体として活用する実験的な取り組みを開始する、と発表した。既に先月29日、アイシン精機(株)を対象に
無料で実
施。往路が自動車部品、復路はボックスパレットの広告フィルムを張り、 刈谷コンテナセンター〜名古屋〜熊本の区間でコンテナ輸送した。同
社ではこの実験を踏まえた上で、広告媒体としての知名度を高め、積極的に展開していきたい考えだ。
1998年3月11日の刈谷駅において,発駅が熊本(アイシン九州)から刈谷(50.70.安城 西尾)に空
ケース
を輸送するアイシン精機の広告付きのV18Cコンテナを目撃した。着荷主が意味不明だが,コンテナが広告付きのためアイシン精機だろう。このため同社は自
動車部品をアイシン九州へ送っていると思われる。アイシン九州からトヨタ自動車九州や本田技研工業に納入しているのであろうか?
またこのときには,この他のアイシン精機の広告付きV18Cコンテナの輸送としては,苫小牧から刈谷にパレット
又は返送パレットの輸送が多数見られた。
*トヨタ自動車東北
トヨタ自動車の100%出資子会社「トヨタ自動車東北」が,宮城県大和町の仙台北部中核工業団地に建設していた生産工場で1998年10月26日に完工式
が行われ,本格的な操業が始まった。同工場はトヨタとしては東北初の生産工場で,ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)など電子制御装置3種類を生
産。同工場の東北進出は1990年に計画発表され,1993年から稼働予定だったが,業績低迷などを理由に一時は凍結状態になるなど,計画は大幅に遅れて
いた。[a]
新工場ではABSを月産2万6千個,電子制御式サスペンションを同1万6千本,車高調整装置を同8千個製造。トヨタは全社でABSの20%を内製し,この
内の半分を新工場で製造する。環境や安全性を左右する電子部品は今後大きく伸びるという。課題としては 部品の現地発注率がゼロの点だ。東
北工場は愛知の本社工場と4日間かけて船で部品をやりとりし,九州工場(組立工場)には2日間かけて鉄道輸送
する。効率重視の同社にとってこれは無駄な輸送コストとリードタイムである。[b]
トヨタ自動車東北の社長のコメント:「新工場の製品は,親工場の広瀬工場でも扱っていない最新部品である。サスペンションや車高調整装置が標準装備される
ようになれば設備能力をさらに拡大する。出荷先は国内の組立工場である。部品調達については,
既に愛知から岩手の関東自動車向け定期路線が確立しているためこれを活用する。当面地元調達はしない。」[b]
<トヨタ自動車東北を取り巻く大まかな物流> [c]
愛知県内の
トヨタ関連工場など→部品:船→トヨタ自動車東北→電子部品:船
−−−→愛知県内の関連工場 −−→完成車
→電子部品:JR−−→トヨタ自動車九州 −−−→完成車
→電子部品:トラック −→関東・東北の関連工場−−→完成車
→(将来)電子部品:輸出→米国内の工場
※このように船で愛知県内から東北に部品を運んでいるのだが,関東自動車向けも含めて鉄道輸送へ誘致したいところだ。
一方,東北の産業基盤の薄さが「現地の部品調達率ゼロ」に象徴されている。コスト高ならば進出しなければよいのだが,トヨタは愛知に工場が集中しているた
め,バブル期にはリスク分散の観点から,北海道や東北,九州に工場を分散させることにした。北海道や九州は,東北よりも早く工場ができたが,東北は凍結さ
れたままで進出が危ぶまれていたようだ。しかし,トヨタは工場進出の撤回によって企業ブランドに傷が付くのを恐れ,工場を建設することで東北地区でのイ
メージ向上からシェア拡大を狙っているようである。つまり東北工場は巨大な広告塔の役割を担う面もあり,そのための輸送コスト等は安いものだと考えている
のであろう。
[a]読売新聞(仙台版)1998年10月27日,27面
[b]日本経済新聞(東北経済面)1998年10月27日,33面
[c]朝日新聞(仙台版),1998年10月27日,27面
輸送経済新聞社 '01.4.24
*JR貨物と太平洋F、フェリーに鉄道コンテナ/災害時輸送の受託を条件に
長距離フェリーに常時、鉄道コンテナが積載される可能性が出てきた。日本貨物鉄道(=JR貨物、本社・東京、伊藤直彦社長)の東海支社(大森寿明支社
長))が、太平洋フェリー(同・名古屋市、板倉康祐社長)と緊急災害時の業務提携について具体的な交渉に入っている。
再三にわたり、豪雨や地震で鉄道輸送が寸断される事態が起き、荷主や特積み輸送業者のJR貨物離れが進行。荷主の信頼を確保するため、“物流切断”を何と
しても避けたいとするJR貨物側が、非常時の代替輸送手段として長距離フェリーに注目し、太平洋フェリーに協力を要請した。太平洋フェリーは当初、「災害
時は、ほかの荷主も困っている。JR貨物だけ優先することはできない」として交渉は棚上げに。そのため、東海支社では平常時もコンスタントにコンテナ貨物
輸送を太平洋フェリーに委託するという条件を提示した。支払い運賃による若干の出血も覚悟してのことだ。
太平洋フェリーは「互いに困った時に助け合い、円滑な輸送を全うする」との条件を掲げ今月、1便3個のコンテナ輸送の見積もりとして22万円を提示。月内
に、あらためて話し合いの場を持つ。
JR貨物が危機感を深めている背景には、相次ぐ輸送障害を嫌気した荷主や通運業者のJR離れがある。東海支社管内では昨年、名鉄運輸が北海
道向けコンテナ輸送を新日本海フェリーに切り替えた。さらに
今年4月からはトヨタ自動車の北海道への自動車部品補給コンテナ輸送の仕事がなくなった。いずれも、JR貨物の緊急時における輸送危機管理体制の
不十分さが主因。
交渉は一歩前進したが、解決すべき課題もある。太平洋フェリーは「フェリー利用の荷主からクレームが発生しないか。その説明を納得してもらえるか。鉄道に
荷主をもっていかれないか」と心配する。一方のJR貨物にも「名古屋地区からのコンテナ輸送需要は見込めるものの、北海道から常時、フェリーを使うほどの
需要があるか」との不安がある。いずれにせよ、両者にとり初めての試みだけに、今後も曲折が予想される。
◆マツダ系
*「マツダライナー」運転開始 『鉄道ジャーナル2月号』第24巻第2号,通巻280号,1990年,126頁
1989年11月2日から西浜松〜東広島で,「マツダ」の貸切による専用コンテナ列車の運行を開始した。これは1989年秋生産を始める軽自動車の部品
を湖西市の下請工場から広島県府中町の本社組立工場に輸送するためで,土・日を除く毎日1往復の運転。往路の数量は1日あたり12フィートコンテナ100
個,復路もボックスパレットの返送のため40個が積載される。今回の契約は4年間に渡るが同一の荷主が通年でコンテナ1個列車を貸切利用するのは,列車の
定時性・低廉性が高く評価された事例として注目を浴びている。
*自動車メーカー共同輸送を拡充 1994.4.7日経流通 12面
*日産・三菱も協力 完成車輸送 関東−中部で 1994.5.12日経流通 14面
*物流合理化は宝の山 ダイハツの挑戦 1994.7.28 日経産業 11面
*深浦工場閉鎖検討 トヨタ系の関東自動車 1998.12.16 読売新聞 8面
トヨタ自動車系の関東自動車工業は、主力工場の1つである深浦工場(神奈川県横須賀市)の閉鎖を検討し始めたことを明らかにした。深浦工場は、トヨタの小
型乗用車「カローラ」を年間約12万台生産しており、実現すれば、乗用車組立工場の閉鎖としては、95年3月の日産自動車座間工場に続くケースとなる。閉
鎖時期は「カローラ」のモデルチェンジ期に当たる2000年夏をめどに調勢が進むとみられる。
新車販売の低迷を受けて、深浦工場での「カローラ」の生産台数は、98年上半期で前年同期比24.8%減となっている。生産能力の過剰感が強まっているた
め、トヨタグループとして工場再編の検討に着手することにした。
*日産が自動変速機工場分社化 1999.5.15 朝日新聞 10面
日産自動車は、自動変速機や無段変速機を生産している富士工場(静岡県富士市)を分社化し、6月28日付で新会社「トランステクノロジー」(本社・同市、
資本金193億円)を設立した。日産の100%出資で、社員は日産から3,900人出向する。また日産は1999年中に、新会社とグループの自動変速機
メーカーであるジャトコを合併させる。合併後の新会社には、外国メーカーからの出資を受け入れる方針。
*岩手でトヨタ車増産 仙台港から輸送へ 2000.8.28 河北新報 22面
トヨタ自動車系列の関東自動車工業岩手工場(岩手県金ヶ崎町)で、2000年10月から増産されるトヨタ車(乗用車)の約8割が、従来通り仙台港を経由し
て、関東、中部方面に海上輸送される見通しが強まった。トヨタ側に仙台港の利用を働きかけてきた宮城県は、「東北の物流拠点港としての発展に一層の弾みが
付く」として歓迎している。
岩手工場では、「マークK」や「アルテッツァ」などの乗用車の組み立て作業を行っており、年間の生産台数は約10万台。このうちの2割は釜石港から海上輸
送しているが、残りの8割については東北自動車道を利用して仙台港まで陸送し、仙台港から船積みしている。
トヨタ自動車はリストラ策の一環として、7月に関東自動車工業の横須賀工場を閉鎖し、10月から岩手工場に生産を集約させる。これに伴い、岩手工場の一日
当たりの生産規模は、現在の400台から700台に増えると見られる。トヨタ自動車車両物流部は「増産、輸送計画はまだ検討中だ」としながらも、「関東、
中部方面から仙台港に車を陸揚げした船の帰りの作業効率を考えると、これまで通り、仙台港がメーンの積み出し港になるだろう」と話している。
*トヨタ車・日産車を共同輸送 2001.8.18日経 1面