『近畿地
方の日本国有鉄道 大阪・天王寺・福知山鉄道管理局史』大阪・天王寺・福知山鉄道管理局史編集委員会、2004年、177〜178頁 福知山線北伊丹(貨物)駅開業 1979(昭和54)年7月 1日 当時、大鉄局の福知山線の貨物取扱駅は、南の方から、尼崎港、尼崎、塚口、伊丹、北伊丹、川西池田、宝塚、生瀬、惣川、道場、三田と小規模な駅が多数あ り、取扱品目も、到着が主で、紙、米、鉄、化学薬品などで、発送は、自動車、ペッ トフードなどと多岐にわたっていた。 1973(昭和48)年に着工された福知山線の複線電化工事にあわせ、近代的な設備を持つ取扱駅が必要になり、また1978年10月から実質スタートし た貨物効率化施策による周辺の小規模な駅の集約も計画された。工事は、1974年2月から着手され、1979年7月1日に完成開業。同時に周辺の伊丹、川 西池田、宝塚、惣川、道場、三田の各駅の貨物集約も実施された。 【エピソード】 @ダイハツの自動車輸送のため積み卸し線2 線とモータープール2,000m2が、用 意されたが、諸般の事情により、1980(昭和55)年から自動車輸送 は中断された。 A新日鐵八幡(西八幡駅、現在は廃止)から到着する鉄鋼を降ろすため、タイヤ付き の5tトラベリフトが新設された。これは西浜松駅で使用されていたものを 移設したものである。 B道場駅には、敦賀駅と岡山臨港鉄道南岡山駅から硫酸が到着していたが、この荷 物を北伊丹駅で取り卸しすることになっ た。道場駅では、タンク 貨車からタン クローリー車に取り卸しをしていたが、北伊丹駅では、ストック用のタンクを新設し てもらった。 C上空が伊丹空港の着陸ルートになっていたため建物は防音仕様であった。 【設備の概要】 @面積 16,000m2 A積み卸しホーム 140m×2面、90m×2面 B列車本数 下り4本 うち終着3本 上り4本 うち始発3本 C工事費 約13億円 【Column】 横山 幸典(大鉄局北伊丹駅長) 私は、地域の荷主さんに愛される貨物駅にすることと規律ある明るい職場づくりをめざして取り組んだ。貨物営業では近代的設備が好評で鉄鋼、紙、米など主 要物資をはじめほとんどが、トラックに転移することなくご利用をいただいた。 開業後も、56年4月に複線電化開業に伴う複線化切替、電留線新設、駅本屋新設、硫酸タンク新設の諸 工事が続き、このための安全確保や現協、職委への提 案や協議に明け暮れたのも、今では懐かしい思い出である。 |
![]() ([12]3頁) |
1979年当時、北伊丹駅周辺の各貨物駅で取り扱いを行っていた国鉄の貨物輸送量は、1975年度以降は23〜24万トンの取り扱いを
して、ほぼ横這いである。 取扱主要品目は鉄鋼類が多く、その他米、紙、食料工業品となっている。 ・着発線 433m×1線 ・出発線 225m×1線 ・仕訳留置線 25〜140m×5線 ・引上げ線 90〜133m×2線 ・動車線 18m×1線 ・機待線 60m×1線 特に着発線の有校長は従来の福知山線の貨物駅に比べて100〜150m(収容貨車数によって、10〜15車)程度長くなっており、大幅に輸送能力が増強 された。 また伊丹駅は未舗装部分が約半分を占めていたのに対し、新駅は全面的に舗装を施してある。 ([12]1〜2頁) |
専
用線一覧表 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 |
作
業方法 |
作
業キロ |
総
延長キロ |
記
事 |
1964(昭和39)年版 |
川西池田 |
ダイハツ工業(株) |
日本通運 |
国鉄機 手押 |
0.2 |
− |
国鉄側線 |
1967(昭和42)年版 |
北伊丹 |
ダイハツ工業(株) |
日本通運 |
日通機 |
0.1 |
− |
|
1970(昭和45)年版 |
北伊丹 |
ダイハツ工業(株) |
日本通運 |
日通機 |
0.1 |
0.7 |
|
1975(昭和50)年版 |
北伊丹 |
ダイハツ工業(株) |
日本通運 |
日通機 |
0.1 |
0.7 |