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北伊丹駅 〜近代化と合理化の狭間で短命に終わった大阪都市圏近郊の貨物集約駅〜
2010.3.31作成開始 2010.4.4公開 2016.9.3 訂補
昭和57年7月末の構内配線図([1]165頁)

■はじめに
 「貨物取扱駅と荷主」の第4回は北伊丹駅を選んだ。これまでの第1回〜第3回までとは趣向を変えて、筆者がこれまで訪問したことのない貨物取扱駅(→そ の後2011年8月訪問)、それ も既に廃止された駅を取り 上げてみた。と言うのも先日、都立 中央図書館にて大阪鉄道管理局に関する資料を閲覧し、その中に北伊丹駅について非常に興味深い記述に遭遇したので、急遽テーマとして選びたくなったのであ る。

 さて1970〜80年代にかけて、国鉄の貨物取扱量はオイルショック後の一時的な鉄道貨物輸送の見直し時期を除き、大きく減少し続け、陸上物流における シェアをトラック輸送に大幅に侵食され続けていった。そのような状況下で国鉄は、貨物輸送の近代化・合理化を推し進め、貨物取扱駅の集約を積極的に行って いた。この集約は、国鉄末期には前向きな攻め≠ニしての合理化ではなく、必要最低限な投 資と 目先の赤字削減のための貨物駅集約と化した感があったが、ともかくそういった中で生まれた貨物集約駅は今でも活躍している貨物ターミナル駅が多い一方で、 逆にひっそりと姿を 消し ていった中堅貨物取扱駅もある。

 そんな今は無き中堅駅の中には、国鉄末期に設置されJR貨物発足以前に廃止されたという非常に短命な貨物取扱駅もあって、思いつくままに具体例を挙げれ ば、東鷲宮、北 柏、西船橋、湘南貨物そして今回クローズアップする北伊丹などの駅がある。これらの駅は、貨物取扱いをした期間が特に短いことから目立つことも無く、資料 等が不十分なため実態が不明な駅が多い。そしてこれらの駅に共通するのは東京圏や大阪圏の大都市近郊に位置しながらも、規模的には中規模で中途半端な貨物 取扱駅と いう 印象が強い点だ。国鉄末期の 貨物インフラ投資の失敗例としては、武蔵野操車場がよく例に挙げられるが、これら短命に終わった貨物取扱駅の設置も失敗に終わったと言わざるをえないだろ う。しかし、これ まで注目されることが少なく、議論の俎上に上がることが殆どなかったよう に思われる。

 今回、北伊丹駅の営業実態を示す資料を発見できたので、これを紹介しつつ貨物取扱駅としての北伊丹駅の失敗を考えたいと思う。

北伊丹駅、ダイハツの 自動車基地が今でも残っているのが分かる。

『近畿地 方の日本国有鉄道 大阪・天王寺・福知山鉄道管理局史』大阪・天王寺・福知山鉄道管理局史編集委員会、2004年、177〜178頁
福知山線北伊丹(貨物)駅開業 1979(昭和54)年7月 1日

 当時、大鉄局の福知山線の貨物取扱駅は、南の方から、尼崎港、尼崎、塚口、伊丹、北伊丹、川西池田、宝塚、生瀬、惣川、道場、三田と小規模な駅が多数あ り、取扱品目も、到着が主で、化学薬品などで、発送は、自動車ペッ トフードなどと多岐にわたっていた。
 1973(昭和48)年に着工された福知山線の複線電化工事にあわせ、近代的な設備を持つ取扱駅が必要になり、また1978年10月から実質スタートし た貨物効率化施策による周辺の小規模な駅の集約も計画された。工事は、1974年2月から着手され、1979年7月1日に完成開業。同時に周辺の伊丹、川 西池田、宝塚、惣川、道場、三田の各駅の貨物集約も実施された。

【エピソード】
@ダイハツ自動車輸送のため積み卸し線2 線とモータープール2,000m2が、用 意されたが、諸般の事情により、1980(昭和55)年から自動車輸送 は中断された。
A新日鐵八幡西八幡駅、現在は廃止)から到着する鉄鋼を降ろすため、タイヤ付き の5tトラベリフトが新設された。これは西浜松駅で使用されていたものを 移設したものである。
B道場駅には、敦賀駅岡山臨港鉄道南岡山駅から硫酸が到着していたが、この荷 物を北伊丹駅で取り卸しすることになっ た。道場駅では、タンク 貨車からタン クローリー車に取り卸しをしていたが、北伊丹駅では、ストック用のタンクを新設し てもらった。
C上空が伊丹空港の着陸ルートになっていたため建物は防音仕様であった。

【設備の概要】
@面積  16,000m2
A積み卸しホーム  140m×2面、90m×2面
B列車本数   下り4本 うち終着3本  上り4本 うち始発3本
C工事費  約13億円

【Column】
横山 幸典(大鉄局北伊丹駅長)
 私は、地域の荷主さんに愛される貨物駅にすることと規律ある明るい職場づくりをめざして取り組んだ。貨物営業では近代的設備が好評で鉄鋼、紙、米など主 要物資をはじめほとんどが、トラックに転移することなくご利用をいただいた。
 開業後も、56年4月に複線電化開業に伴う複線化切替、電留線新設、駅本屋新設、硫酸タンク新設の諸 工事が続き、このための安全確保や現協、職委への提 案や協議に明け暮れたのも、今では懐かしい思い出である。

([12]3頁)
  1979年当時、北伊丹駅周辺の各貨物駅で取り扱いを行っていた国鉄の貨物輸送量は、1975年度以降は23〜24万トンの取り扱いを して、ほぼ横這いである。
 取扱主要品目は鉄鋼類が多く、その他食料工業品となっている。

・着発線 433m×1線
・出発線 225m×1線
・仕訳留置線 25〜140m×5線
・引上げ線 90〜133m×2線
・動車線 18m×1線
・機待線 60m×1線

 特に着発線の有校長は従来の福知山線の貨物駅に比べて100〜150m(収容貨車数によって、10〜15車)程度長くなっており、大幅に輸送能力が増強 された。
 また伊丹駅は未舗装部分が約半分を占めていたのに対し、新駅は全面的に舗装を施してある。
([12]1〜2頁)

 このようになかなか興味深い貨物輸送が行われていた北伊丹駅であったが、1986(昭和61)年11月の国鉄最後のダイヤ改正で貨物取扱いが廃止され た。貨物集約のための新貨物設備が完成してから僅か7年で廃止になったということになる。

 さて、以下では、エピソード@〜Bの輸送について、もう少し詳しく検討してみたい。


@ ダイハツの自動車輸送について
 自動車輸送についてはかつて「物資別適合輸送と物流ターミナルの研究」の項で纏めた(→自動車輸送)が、その中 で北伊丹駅のダイハツ工業(株)に関する輸送にも触れている。
 今回、本項では、北伊丹駅及び同駅の輸送に関係する川西池田駅のダイハツ工業(株)本社工場(大阪府池田市)の自動車輸送を纏めてみた。

▽北伊丹駅及び川西池田駅のダイハツ工業叶齬p線の推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
総 延長キロ
記 事
1964(昭和39)年版
川西池田
ダイハツ工業(株)
日本通運
国鉄機
手押
0.2

国鉄側線
1967(昭和42)年版
北伊丹
ダイハツ工業(株)
日本通運
日通機
0.1


1970(昭和45)年版
北伊丹
ダイハツ工業(株)
日本通運
日通機
0.1
0.7

1975(昭和50)年版
北伊丹
ダイハツ工業(株)
日本通運
日通機
0.1
0.7

 「専用線一覧表」から推察すると、当初ダイハツ工業(株)は川西池田駅から自動車輸送を行っていたものの程なく北伊丹駅発送に変更されたようだ。そして 「1983年版 専用線一覧表」には北伊丹駅のダイハツ工業(株)専用線の記載が無く、エピソード@で1980年に自動車輸送が中断されたとあるので、そ の時 点で専用線は廃止になったのであろう。

 川西池田駅に自動車基地が設置されたは、1966年10月1日であった。([2]51頁) 一方、北伊丹駅は1968年10月に自動車基地が開設され た。([3]107頁)
 また1966年10月ダイヤ改正では、発駅:川西池田→着駅:大宮操で自動車輸送(月間300台)の設定があり([4]21頁)、これはダイ ハツ工業の自動車輸送と思われる。

 さらに1967年7月1日から宮城野駅に自動車基地が開設された が、川西池田(ダイハツ)駅から自動車が到着している。([5]94頁)
 その後、宮城野駅から仙台港駅に自動車基地が移設されることにな り、1972年11月から輸送を開始した。川西池田(ダイハツ)から は1.5車の輸送であった。([6]58頁)
 但し、この時点では川西池田駅のダイハツ工業の専用線は廃止され、北伊丹駅発送に切り替えられていた筈なので、北伊丹駅発送の誤りかもしれない。

 そしてこの仙台港駅向けのダイハツの自動車輸送は1977年度に全 量が船舶輸送に切り替えられた。([6]59頁)

 1968年10月の所謂「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正における福知山線の貨物時刻表は以下の通り。([10]272頁)
 この時点では、川西池田駅が自動車輸送基地として機能していることが分かる。



 JR貨物になってからは、ダイハツ工業はJR12ftコンテナを利用した軽自動車輸送を行っている。本社工場関連としては、大阪(タ)→新潟(タ)の 輸送がある。([9])
2011.8 北伊丹駅に隣接するダイハツ輸送(株)


A 新日鐵八幡の鉄鋼輸送について
 新日鐵八幡から住友電気工業(株)伊丹製作所あてのビレッ ト(鋼片)の輸送について、昭和40年代初頭に専用貨車(ビレット固定用の枠を貨車に取り付け)が導入され、また定量定時出荷をすることを条件に、月間約6,000トンを貨車輸送することになった。貨車はチキを充当 し、1967年度までに約50両を改造、同年度中に更に15両を補充する計画であった。しかし着駅の伊丹の設備能力から、これ以上の増送が困難であること から、隣接の北伊丹の貨物駅構想の早期完成が望まれていると のこと。([11]31頁)

 昭和40年代から北伊丹に貨物駅構想があったことが分かる。荷主からの増送要望に応える形で、北伊丹駅は開業したと言えそうだが、時既に遅しだったのか もしれない。

 一方、西浜松駅で使用された5tトラベリフトが移設されたというの も興味深いところだ。西浜松駅は1971年4月開業、「コンテナ・自動車・オートバイ・鉄鋼など物資別貨物を主体とする基地」([8]837頁)とのことだが、このよ うな荷役機械が設置されていたということが分かる。『浜松市統計書』によると、1973年には西浜松駅における鉄鋼の到着量が91,475トンに達し、品 目別到着量でトップの品目を占めている。しかし北伊丹駅開業時の1979年の同駅の鉄鋼到着量は39,022トンにまで減少している。このような取扱量の 減少が、荷役機械の北伊丹駅の移設に繋がったのかもしれない。


B 敦賀駅及び南岡山駅からの硫酸到着について
 岡山臨港鉄道南岡山駅からの硫酸到着については、同社社史によって、輸送の実態が明らかになった。
 「発送品目の第1位の座を常に保ってきた『同和鉱業(株)』岡山製錬所の 硫酸も暗雲が立ち込めてくる。危険物関係法規の改正による規制強化に伴い、仕向け先の駅が年々減少してきたのに加え、唯一大口の仕向け先駅である福知山線 の道場駅が、国鉄合 理化による貨物取り扱い廃止駅となり1981(昭和56)年に輸送が中止された。痛手を受け たのは『同和鉱業(株)』岡山製錬所から富士チタン工業(株)向けの硫酸輸送であった。」 ([7]109頁)

 上記記述では、道場駅廃止後に北伊丹駅着に変更になったとは書かれていないのが気になるところだ。ただ廃止が1981年なので、道場駅の貨物取り扱い が北伊丹駅集約後の年であることは注目だ。ただ一方で、1979年にタンクを新設するまでして北伊丹駅で継続した硫酸輸送が1981年には廃止になったと いうのは早すぎる気がする。

 一方、敦賀駅の発送荷主は日鉱亜鉛(株)であることは間 違い ないと思われる。また着荷主も南岡山駅発送と同様に富士チタン工業であろう。この輸送がいつ廃止になったのかが定かではないが、南岡山駅発送と同様に 1981年であろうか。

 「1983年版 専用線一覧表」では北伊丹駅に専用線は存在しない。 硫酸タンク用の側線はおそらくは専用線として存在したであろうから、1983年版に専用線が無いということは既にこの硫酸輸送は廃止になっていたと考えら れる。

 尚、富士チタン工業・神戸工場は道場駅の駅前に立地(→ 地図)している。道場駅に硫酸が到着していた当時は、タンク車からタンクローリーに積み替えて納入していたというが、工場内のタンクで在庫を確保 する体制であったのだろう。一方、北伊丹駅にタンクを設置し、在庫を 北伊丹駅で確保する体制になったとしても鉄道貨物輸送の有利さは相当減じたと思われる。


■ 北伊丹駅のまとめ
 自動車の発送と鉄鋼・硫酸の到着などというバラエティに富んだ特色ある輸送が見られた北伊丹駅であるが、自動車輸送は新駅開設直後に廃止されており、い きなり躓いた格好だったわけだ。その後も硫酸輸送が長続きしないなど、せっかくの貨物集約駅もその機能を存分に発揮できた期間は非常に短かったと想像され る。さらにはコンテナ取扱駅でなかったことが最終的に北伊丹駅の運命を決めたと言えよう。それでは、コンテナ取扱駅化する価値はなかったのだろうか、とい う疑問が湧く。

 北伊丹駅の周辺には、ダイハツ工業(株)はもちろん、ユニ・チャームペットケア(株)(旧、味の素ゼネラルフーヅ)、松谷化学工業(株)、サカタインク ス(株)、ハウス ウェルネスフーズ(株)(旧、武田食品工業)、三菱電機(株)、住友電気工業(株)などの大手企業の工場等があり、物流需要は充分にありそうだ。梅田や神 戸(タ)など のコンテナ取扱駅の中間に位置する地域でもあるので、そういった点からもコンテナ扱いをしても良かったのではないかと言いたくなる。ただコンテナ取扱駅に する最大のネックは、福知山線にコンテナ列車が走っていないことであろう。東海道本線沿線の駅ならば、現在走っているコンテナ列車を停車させるだけで済む が、福知山線は北伊丹駅向けの支線系統の列車設定が必要であり、非効率だ。そういった観点からすると、もし北伊丹駅がコンテナ扱いをしていたとしても早 晩、オフレールス テーション化されてしまったことであろう。

 北伊丹駅には今後、現地調査に行かねばならないと思っている。貨物取り扱い設備の跡地を確認し、周辺の様子も観察した時にどのような所感を持つか、それ によってまた私の意見は変わってくるかもしれない。
 …と書いてから約1年後に現地訪問をしたが、ダイハツ輸送の基地が残っている点は貨物駅の名残は感じたものの、貨物駅を復活すべしとまでは盛り上がらな かった(笑)。やはり阪急と激しい競争を繰り広げる福知山線に鉄道貨物輸送を受け入れる余地は無さそうである。



[1]『国鉄全線各駅停車G近畿400駅』宮脇俊三・原田勝正編 小学館 1983年
[2]『鉄道貨物輸送近代化の歩み』貨物近代化史編集委員会、1993年
[3]遠藤 浩一「30年の歴史に終止符をうったク5000形」『鉄道ピクトリアル』第46巻第10号、通巻第627号、1996年
[4]「昭和41年10月時刻改正について」『貨物』第16巻第10号、鉄道貨物協会、1966年
[5]遠藤 浩一「仙台地区の自動車輸送の記録から」『鉄道ピクトリアル』第46巻第10号、通巻第627号、1996年
[6]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として)』仙台臨海鉄道株式会社、1990年
[7]『岡山臨港鉄道50年史』岡山臨港鉄道株式会社、2000年
[8]『日本国有鉄道百年史 第13巻』日本国有鉄道、1974年
[9]『運 輸タイムズ』1998年4月27日付2面
[10]『復刻版 昭和43年10月貨物時刻表』 交通新聞社、2010年
[11]杉山 邦久「鉄鋼の貨車輸送」『貨物』第17巻第7号、鉄道貨物協会、1967年
[12]山上 光彦「北伊丹駅貨物設備の開業について」『貨物』第29巻第9号、鉄道貨物協会、1979年

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