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石油埠頭駅 〜臨海鉄道のまさに申し子、石油≠ニ埠頭≠フ組み合わせ〜
2017.2.15作成開始


▼苫小牧港開発の歴史
 苫小牧港開発(株)は1968(昭和43)年12月3日に新苫小牧駅〜石油埠頭駅間10.2kmを開業させた。石油埠頭駅には多数の石油会社の専用線が 敷設され、苫小牧港開発は開業以来品目別では石油類が常に第1位を占めてきた。

 苫小牧港開発の輸送量のピークは1976(昭和51)年度で全体では167.7 万トン、そのうち石油類は110.6万トンにも達した。しかし翌1977(昭和52)年度は釧路石油基地の新設に伴う海上輸送への転換で石油類の輸送は 100万トンを下回り([1]p262)、それ以後も急速に石油類の輸送が減少し、JR貨物発足時の1987(昭和62)年度時点では石油類は約30万ト ン、1990(平成2)年度には20万トンを下回る水準まで落ち込み以後16〜17万トン(全体では20〜26万トン)で推移していた。

 そして1997(平成9)年9月に三菱石油(株)、1998(平成10)年3月にコスモ石油(株)がタンク車輸送を中止したことで以後、化学薬品類が年 間1万トン程度の輸送しか見込めなくなることから([3]p54)、1998(平成10)年4月1日に石油埠頭駅を含む全線が営業休止となった。そして 2001 (平成13) 年3月末に正式に営業が廃止された。


▼石 油埠頭駅に接続する専用線一覧
専 用者
第 三者利用者
作 業
キロ
輸 送開始
[1]p259
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備   考
丸善石油(株)
昭和石油(株)
日本オイルターミナル(株)
シェル石油(株)
三菱石油(株)
日本石油輸送(株)
0.5
1968.12.3



丸善石油、昭和石油共用線
三菱石油(株)と日本石油輸送(株)は1975年版以降
昭和石油(株)

0.7
1968.12.3




丸善石油(株)

0.4
不明




ゼネラル石油(株)
日本石油輸送(株)
日本オイルターミナル(株)
0.7
1968.12.3



日本石油輸送(株)と日本オイルターミナル(株)は1975年版以降
共同石油(株)
日本オイルターミナル(株)
苫小牧栗林運輸(株)
日本石油輸送(株)
0.9
1968.12.3



日本石油輸送(株)は1975年版以降
液化ガスターミナル(株)
日本通運(株)
日通商事(株)
1.1
1968.12.3



1970年版と1975年版はブリヂストン液化ガス(株)
日通商事(株)は1983年版のみ
出光興産(株)
日本オイルターミナル(株)
日本石油輸送(株)
1.7
1969.8.26



日本オイルターミナル(株)と日本石油輸送(株)は1975年版以降
苫小牧埠頭(株)
日本石油輸送(株)
日本オイルターミナル(株)
1.1
1974.11.26
(専用線敷設)



苫小牧埠頭(株)共同オイルタンクを使用するの は、
シェル石油(株)、三菱石油(株)、大協石油(株)、モービル石油(株)で
シェルと三菱は1970年12月から輸送開始していたが、
大協とモービルは1974年12月から輸送開始となっている[1]p259
これはシェルと三菱は丸善・昭石共用線から輸送を開始していたためであろう
−:未設置 ○:存在

▼苫小牧埠頭(株)共同オイルターミナル基地 [2]p172-188
 北海道開発の進展に伴い道内の石油需要は年々増加傾向を辿り、昭和40年代には道内に立地する製油所の増強や新設が行われたものの、移入量の増大は必至 で港頭貯油設備の増強が要望されていたが、既存油槽所の敷地には限界があることから、新たな基地造成の必要が叫ばれていた。 
 かつて道内の港湾で石油の移入量が最も多いのは室蘭港で以下、釧路、苫小牧、函館などと続いていたが、1969(昭和44)年には苫小牧が釧路を抜き2 位に、1970(昭和45)年には室蘭も上回って道内最大の揚地港となり、道内の3分の1を扱うようになった。

 苫小牧埠頭(株)は、このような情勢認識のもとで「第二石油配分基地」の造成に意欲を燃やし、1970年に共同オイルターミナル基地建設構想を立て、関 係先 と接触を開始した。この計画は、石油各社が個々に立地するのではなく、同社が単独で施設一切を建設し、これを一元的に管理運営して各社の共同利用に供する というもので、この方式によると各社が個別に建設・運営するのに比べ、法規制上タンク設備にしても隣接タンクとの保有距離が短縮緩和され、用地の有効利用 が図られるほか、設備・管理・作業各部門の単一化によって、配置人員の適正合理化や経費の節減が可能となるなどメリットが多く、国内でもあまり例をみない 新方式として注目された。

 一方、苫小牧港開発(株)もこれとは別に新たな石油配分基地造成計画を立てていたのだが、両社の間で計画の一本化が図られ建設に着手した。
 石油各社との協議の結果、1972(昭和47)年12月丸 善石油と 約10万キロリットルの備蓄用タンク使用に関する協定を結び、これを成約第1号として翌1973(昭和48)年中に大協石油、富士興産、マルハ産業、シェ ル石油。1974(昭和49)年 には富士興産アスファルト、モービル石油及び三菱石油と利用契約を締結した。
 建設する油槽規模は、第1期工事分として石油タンク19基、15万2,400キロリットル、アスファルト用タンク1基、3,000トンと決定。このうち 84%が民生用灯油格納施設である。

 油槽施設は構内東側に建設された丸善石油専用灯油タンク9基、9万3,400キロリットルが1974年7月に完成。8月に第一船を迎え灯油4,000キ ロリットルがタンクに収納され始動した。西側に建設中の共用及び専用石油タンク10基、5万9,000キロリットル、アスファルトタンク3,000トン1 基も11月初めに竣工。モービル石油扱いの灯油5,200を入れて共用施設も稼働を開始した。

 1977(昭和52)年に入って、かねての計画通り第2期工事を実施し、灯油及びガソリン用タンク5基、2万1,000キロリットルを増設した。また 1980(昭和55)年にはLPGタンク1基、950トンを建設した。
 タンクの専用部分と共用部分の利用動態をみると、施設面では容量構成が専用7、共用3で専用の占める割合が多い。出荷量は逆に専用が4分の1、共用が4 分の3である。年間回転率は共用の10〜12回転に対し、専用は1回転。これは専用施設が冬場の需要期に備えた備蓄用灯油タンクの ためであ る。油種別では灯油が最も多く、全体の55%を占めている。


[1] 『苫小牧港開発株式会社二十年史』苫小牧港開発株式会社、1980年
[2]『苫小牧埠頭株式会社二十年史』苫小牧埠頭株式会社、1980年
[3]『創立40周年記念誌 北の大地を創る』苫小牧港開発株式会社、1998年

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