年
月 |
内
容 |
1937年10月 |
粗鉱運搬のため専用鉄道敷設工事開始(水松沢〜錦橋、藤の沢〜石山選鉱
場) |
1938年12月 |
豊羽鉱山専用鉄道として認可 |
1939年07月 |
鉄道敷設工事完了し鉱石輸送開始。機関車7200型で牽引 |
1940年04月 |
輸送力増強のため機関車を1112型に切り替え |
1941年12月 |
戦時増産体制により、機関車を8115型、8105型、C121型に切
り替えてピストン運行 |
1944年10月 |
豊羽鉱山の坑内水没(9月)により輸送中止 |
1950年09月 |
定山渓鉄道(株)により専用鉄道の補修工事開始 |
1951年10月 |
輸送再開 |
1952年03月 |
石山選鉱場完成、鉱石輸送開始 |
1954年04月 |
石山構内の入換用として、10トンディーゼルロコ運行 |
1957年06月 |
45トンディーゼルロコに切り替え輸送合理化 |
1958年09月 |
石山構内入換用として20トンディーゼルロコに切り替え、10トンロコ
は水松沢構内用に転用 |
1963年09月 |
専用鉄道廃止。輸送打ち切り |
発
送期間 |
発
送先 |
輸
送機関 |
発
駅 |
経
由 |
着
地 |
1952年3月〜1958年3月 |
太平鉱業(株)細倉鉱業所 |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
石越駅 |
1952年10月〜 |
日本鉱業(株)佐賀関鉱業所 |
鉄道〜船 |
藤の沢 |
浜小樽駅 小樽港駅 飾磨港駅 |
佐賀関港 |
発
送期間 |
発
送先 |
輸
送機関 |
発
駅 |
経
由 |
着
駅 |
1952年3月〜 |
東邦亜鉛(株)秋田工場 |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
羽後牛島 |
1954年4月〜1955年3月 |
三菱鉱業(株)秋田工場 |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
羽後牛島 |
1952年3月〜1955年3月 |
太平鉱業(株)細倉鉱業所 |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
石越 |
1959年4月〜1959年5月 |
日本曹達(株) |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
大寺(磐梯町) |
1955年2月〜 |
三日市製錬(株) |
鉄道 |
藤の沢 |
青函 |
速星 敦賀 |
発
送期間 |
発
送先 |
輸
送機関 |
発
駅 |
経
由 |
着
駅 |
1952年3月 |
東洋高圧(株)砂川工場 |
鉄道 |
藤の沢 |
苗穂 |
豊沼 |
▼コンテナ化計画 車扱輸送の亜鉛 (1995年6月26日付『運
輸タイムズ』5面) 日鉱亜鉛(株)三日市製錬所では、黒部駅分岐の専用線から車扱輸送している亜鉛を、コンテナ輸送に切り替える検討を進めており、着駅からの配達の問題が 解消されれば、1996年3月からコンテナ化する計画。 同製錬所は、今までもコンテナ化を進めてきており現在、鉄道輸送している半分は車扱からの転換(コンテナで1ケ月800トン、車扱で500トン)。車扱輸送の着駅は小名木川、千葉貨物ターミナル、西名古屋港、名古屋南港、梅田、東水島など。 今後のコンテナ化に当たっての問題点は、@私有貨車がまだ使える、A着地の保管場所の確保。 小名木川、梅田駅では現在、車扱で到着すると上屋ホームに仮置きし、顧客へ引き渡している。しかし、コンテナ輸送では着駅留置日数に制限があり、一方顧 客側の在庫(保管)スペースが十分ではない。発荷主が着地にSP倉庫を確保すれば、物流コスト負担が大きくなる。 現在、同社はJR貨物とコンテナ化のための話し合いを行っているが、黒部駅から梅田駅向けの場合は直行列車がなく、中継輸送では日数がかかりすぎるとい う問題がある。 また私有貨車の耐用年数いっぱいまで使いたい、という意向も同社ではもっている。 |