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日本鉱業株式会社
2020.3.8作成開始


■豊羽鉱山(株)

▽豊羽鉱山専用鉄道の沿革
年  月
内   容
1937年10月
粗鉱運搬のため専用鉄道敷設工事開始(水松沢〜錦橋、藤の沢〜石山選鉱 場)
1938年12月
豊羽鉱山専用鉄道として認可
1939年07月
鉄道敷設工事完了し鉱石輸送開始。機関車7200型で牽引
1940年04月
輸送力増強のため機関車を1112型に切り替え
1941年12月
戦時増産体制により、機関車を8115型、8105型、C121型に切 り替えてピストン運行
1944年10月
豊羽鉱山の坑内水没(9月)により輸送中止
1950年09月
定山渓鉄道(株)により専用鉄道の補修工事開始
1951年10月
輸送再開
1952年03月
石山選鉱場完成、鉱石輸送開始
1954年04月
石山構内の入換用として、10トンディーゼルロコ運行
1957年06月
45トンディーゼルロコに切り替え輸送合理化
1958年09月
石山構内入換用として20トンディーゼルロコに切り替え、10トンロコ は水松沢構内用に転用
1963年09月
専用鉄道廃止。輸送打ち切り
([2]p119)


▽鉛精鉱
発 送期間
発 送先
輸 送機関
発 駅
経 由
着 地
1952年3月〜1958年3月
太平鉱業(株)細倉鉱業所
鉄道
藤の沢
青函
石越駅
1952年10月〜
日本鉱業(株)佐賀関鉱業所
鉄道〜船
藤の沢
浜小樽駅
小樽港駅
飾磨港駅
佐賀関港
([1]p114)

▽亜鉛精鉱
発 送期間
発 送先
輸 送機関
発 駅
経 由
着 駅
1952年3月〜
東邦亜鉛(株)秋田工場
鉄道
藤の沢
青函
羽後牛島
1954年4月〜1955年3月
三菱鉱業(株)秋田工場
鉄道
藤の沢
青函
羽後牛島
1952年3月〜1955年3月
太平鉱業(株)細倉鉱業所
鉄道
藤の沢
青函
石越
1959年4月〜1959年5月
日本曹達(株)
鉄道
藤の沢
青函
大寺(磐梯町)
1955年2月〜
三日市製錬(株)
鉄道
藤の沢
青函
速星
敦賀
([1]p114)

▽硫化精鉱
発 送期間
発 送先
輸 送機関
発 駅
経 由
着 駅
1952年3月
東洋高圧(株)砂川工場
鉄道
藤の沢
苗穂
豊沼
([1]p114)


■日立鉱山


■三日市製錬所

▼コンテナ化計画 車扱輸送の亜鉛 (1995年6月26日付『運 輸タイムズ』5面)

 日鉱亜鉛(株)三日市製錬所では、黒部駅分岐の専用線から車扱輸送している亜鉛を、コンテナ輸送に切り替える検討を進めており、着駅からの配達の問題が 解消されれば、1996年3月からコンテナ化する計画。

 同製錬所は、今までもコンテナ化を進めてきており現在、鉄道輸送している半分は車扱からの転換(コンテナで1ケ月800トン車扱で500トン)。車扱輸送の着駅は小名木川千葉貨物ターミナル西名古屋港名古屋南港梅田東水島など。

 今後のコンテナ化に当たっての問題点は、@私有貨車がまだ使える、A着地の保管場所の確保。

 小名木川、梅田駅では現在、車扱で到着すると上屋ホームに仮置きし、顧客へ引き渡している。しかし、コンテナ輸送では着駅留置日数に制限があり、一方顧 客側の在庫(保管)スペースが十分ではない。発荷主が着地にSP倉庫を確保すれば、物流コスト負担が大きくなる。

 現在、同社はJR貨物とコンテナ化のための話し合いを行っているが、黒部駅から梅田駅向けの場合は直行列車がなく、中継輸送では日数がかかりすぎるとい う問題がある。

 また私有貨車の耐用年数いっぱいまで使いたい、という意向も同社ではもっている。

 亜鉛の用途として、「溶融亜鉛めっき」があるため鉄鋼メーカーが着荷主と思われる。そのため下記3駅は以下のような荷主が考えられる。

*千葉貨物ターミナル駅:川崎製鐵(株)千葉製鉄所
*名古屋南港駅:新日本製鐵(株)名古屋製鐵所
*東水島駅:川崎製鐵(株)水島製鉄所


■敦賀工場


■佐賀関製錬所



参 考文献
[1]『豊羽鉱山株式会社 十年史』豊羽鉱山株式会社、1961年
[2]『豊羽鉱山30年史』豊羽鉱山株式会社、1981年


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