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三井鉱山セメント株式会社
2017.10.1作成開始 2018.1.3公開
目次
◆1.三井鉱山(株)のセメント事業の概要
◆2.三井鉱山(株)のセメント事業撤退
◆3.三井鉱山セメント(株)の鉄道貨物輸送

2003.8 金田駅 三井鉱山セメント(株)専用線

◆1.三井鉱山(株)のセメント事業の概要  
 石炭産業が斜陽化した1960年代から1970年代、北部九州は黒いダイヤ石炭≠ノ替わって、白いダイヤ石灰石≠原料とするセメント産業が隆盛を 極めた。内陸に立 地するセメント工場からの出荷には鉄道貨物輸送が活用され、石炭輸送のために構築された稠密な線路網が役立つことになった。

 三井鉱山(株)もそのような北部九州に立地するセメント会社の1社だが、そもそも言わずと知れた石炭業界の名門である。そんな同社も石炭産業からの離職 者対策としてセメント生産に進出することになり、1963(昭38)年に三井セメント(株)を設立、翌年には田川工場が操業を開始しセメント事業を開始し た。当初から小野田セメント(株)(現太平洋セメント)に全量を販売委託し ていた。1976(昭51)年に三井セメント(株)を吸収合併、1981(昭56)年から一部を自社ブランドで販売を始めた。

 1999(平11)年にセメント製造部門を三井鉱山セメント(株)として分離。セメント工場の生産能力(クリンカ年産)はNSPキルン2基で約200万 トン。ピーク時の1991(平3)年には生産量は210万トンにのぼっていたが、2000年代には100万トン程度に落ち込み、稼働率は50%程度に低 迷、キルン1基を事実上休止していた。

 生産量のうち自社ブランドによる販売量は、1991年55万トンから減少が続き、2002(平14)年は27万トンにとどまっている。そのほか7割強は 太平洋セメントが販売。自社販売は近畿以西で行われ、9割が九州で販売されていた。

▼沿革
年  月
出  来 事
1963 (昭38)年6月
三井鉱山 (株)の田川・山野両鉱業所(石炭)の離職者対策の関係もあ り、三井鉱山、小野田セメント(株)、三井物産(株)の3社を主体に三井セメント(株)が設立
1964 (昭39)年10月
第1期計 画として田川工場(焼成工場)、門司工場(仕上工場)の操業開 始
1966 (昭41)年11月
第2期計 画として田川工場に回転窯1基を増設、仕上工場と出荷設備を併 設
1969 (昭44)年6月
田川工場 に仕上工場を増設
1970 (昭45)年1月
門司工場 に仕上工場を増設
1970 (昭45)年3月
SP方式 大型回転窯1基を増設
1976 (昭51)年
三井セメ ント(株)が三井鉱山(株)に吸収合併
1999 (平11)年
セメント 製造部門を三井鉱山セメント(株)として分離
2004 (平16)年3月
三井鉱山 (株)はセメント事業から撤退
(『セメント年鑑』より作成)

▼セメント生産高の推移(トン)

1965
1970
1975
1980
1985
1986
1987
1988
1989
田  川
341,818
537,805
902,341
891,420
648,400
680,300
679,500
767,358
897,271
門  司
-
756,076
629,407
1,203,926
1,242,400
1,201,595
1,031,600
1,012,582
605,171
合  計
341,818
1,293,881
1,531,748
2,095,346
1,890,800
1,881,895
1,711,100
1,779,940
1,502,442


1990
1991
1992
1995
1997
2000
2001
2002
2003
2004
田  川
1,283,119
1,488,978
1,186,862
1,326,650
1,281,997
1,137,009
1,014,243
1,109,572
859,887
187,822
門  司
114,526
619,102
873,542
465,589
441,436
73,080
-
-
-
-
合  計
1,397,645
2,108,080
2,060,404
1,792,239
1,723,433
1,210,089
1,014,243
1,109,572
859,887
187,822
(『セメント年鑑』より作成)


◆2.三井鉱山(株)のセメント事業撤退  

▼三井鉱山 セメント撤退 麻生に採掘権を売却 従業員百人は全員解雇  (2003年12月20日付『西日本新聞』)

 産業再生機構の支援で再建を図る三井鉱山(東京)は19日、セメント製造子会社の三井鉱山セメント(福岡県田川市)の工場(同)を閉鎖したうえで、同社 が保有する船尾鉱山(同)の採掘権と関連施設を、2004年3月末に麻生セメント(福岡市)に売却する、と発表した。三井鉱山セメントの従業員約100人 は原則全員解雇する。

 売却額は非公表。従業員の解雇条件などは今後、労働組合と協議する。三井鉱山セメントは04年中に清算する方針。

 三井鉱山のセメント事業は国内需要の低迷や販売競争で収益が悪化しており、再生機構の支援を仰ぐ前提として生産からの撤退を決めていた。麻生セメントと 三井鉱山セメントは石灰石の取引があり、生産工場も近いことから採掘権などの売却先に決めた。麻生セメントは引き続き船尾鉱山から年間約50万トンの石灰 石を採掘し、セメント原料として使う。

 三井鉱山は旧三井田川炭鉱の離職者対策として1961年にセメント事業に参入し、64年から生産を開始。最盛期の79年度には約219万トンを生産した が、02年度は約115万トンにとどまった。同社はセメント生産撤退後、麻生セメントの販売店として関西以西の顧客には麻生セメントの製品を販売する。

 三井鉱山はセメント事業から撤退し、経営資源をコークス事業などに集中。社名も2009年4月には日本コークス工業(株)に変更した。

 閉鎖後の田川工場の跡地は、「道の駅いとだ」等に生まれ変わり、工場があった頃の面影は失われている。専用鉄道の跡地もサイクリングロードなどへの整備 が進んでいる。一方、セメント輸送という柱が失われた平成筑豊鉄道は、厳しい経営が続いており三井鉱山のセメント事業撤退が地元に与えた影響は小さくな い。


◆3.三井鉱山セメント(株)の鉄道貨物輸送  
 三井鉱山セメント(株)に関連する鉄道貨物輸送は、生産拠点である田川工場からのクリンカ及びセメントの発送、原料の石炭の到着が中心であった。
 筆者の調査では、クリンカ:金田〜外浜、セメント:金田〜外浜・諫早・荒尾・上熊本、石炭:荒尾・大牟田〜金田で行われていた。輸送体系は比較的シンプ ルなもので、謎など無さそうだが、実際には廃止時期など、はっきり しない部分も少なくない。

 田川工場は金田駅に接続する専用鉄道(金田と工場所在地の見立を結ぶことから金見鉄道≠ニ呼ばれていた)で、三井鉱山 (株)と小野田セメント(株)の共用であった。1978(昭53)年度時点の概要は下記の通りである。

▼金見鉄道≠フ概要
動 力
軌 間
区 間
キ ロ程
免 許
年月日
運 輸開始
年月日
連 絡駅
運 転管理者
摘 要
敷 設の目的
目 的外使用
内燃
1,067mm
金田駅、 田川市見立
5.2km
1937(昭 12).2.8
1964(昭 39).9.10
金田
自社
麻生産業 から譲受
(昭33.9.16許可)
石灰石、 生石灰、
石灰輸送
なし
(『民鉄要覧 昭和53年度』より作成)

2003.8 金田駅 三井鉱山セメント(株)専用線


@セメント輸送
  タンク車による主なセメント輸送の着駅は、北九州市内の田野浦埠頭にある外浜駅であった。同駅には船舶に継送する田ノ浦SSの専用線があり、田川工場の臨 海出荷拠点として機能していた。
 金田〜外浜のセメント輸送は、勾金〜苅田港や東藤原〜四日市港と同様に内陸セメント工場と船舶による二次輸送を介在する一次輸送であった。

 それ以外の荒尾駅や上熊本駅といった内陸SS向けのセメント輸送も1990年代後半まで存続していた。しかし、そのレポートを目にしたことは無く、現役 当時の輸送量などの詳細はよく分からない。

 また1974(昭49)年の田川工場の輸送機関別出荷高(一次輸送)は、貨車がバラ積み:341,184トン、包装品:29,841トン、トラックがバ ラ積み:349,272トン、包装品:67,970トンであった。包装品が3万トン弱あり、ワム車といった有蓋車による発送もあったと思われる。

▼平成筑豊鉄道の鉄道貨物輸送量(トン)
年 度
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
輸 送量
697,767
660,831
529,831
467,765
557,786
558,063
526,979
年 度
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
輸 送量
580,982
563,274
582,687
473,594
492,442
371,792
378,328
(『鉄道統計年報』より作成)

▼金田駅からのセメント輸送
着 駅
SS 名
開 設時期
鉄 道輸送の
廃止時期
備  考
外浜
小野田セ メント(株)田ノ浦SS
1957(昭 32)年
2004(平 16)年3月

諫早
小野田セ メント(株)諫早SS
1972(昭 47)年10月
1986(昭 61)年10月
1986 年11月ダイヤ改正で諫早駅の貨物取り扱いが廃止
荒尾
小野田セ メント(株)三池SS
→三井鉱山(株)三池SS
1970(昭 45)年2月
1997(平 9)年3月
1997 年3月ダイヤ改正で荒尾駅の貨物取り扱いが廃止
上熊本
小野田セ メント(株)熊本SS
1970(昭 45)年2月
1997(平 9)年3月
1997 年3月ダイヤ改正で上熊本駅の貨物取り扱いが廃止
(『セメント年鑑』等より作成)

2000.12 外浜駅


Aクリンカ輸送
 三井鉱山(株)は、1964(昭39)〜1979(昭54)年にかけてホキ6800形を106両製造し、金田〜外浜間でセメントクリンカをピストン輸送 していた。しかし1990(平2)年9月に突如、全車が一斉廃車となった。輸送方法がセメントクリンカからセメントに変更となったためだが、実際1990 年に門司仕上工場の生産量が前年より大きく落ち込んでいる。その後、一時的に生産量が持ち直すが2000年で同工場の生産は終了している。
 ホキ6800形が廃車になった時点で、田川工場〜門司仕上工場のクリンカ輸送はトラックに転換したが、門司仕上工場の閉鎖時期より10年以上早い時期に トラックへの転換が図られた経緯は興味深い。

▼金田駅からのクリンカ輸送
着 駅
工 場名
開 設時期
鉄 道輸送の
廃止時期
備  考
外浜
三井鉱山 (株)門司仕上工場
1964 年10月
1990 年9月 ホキ6800形廃車 1985 年3月ダイヤ 金田〜外浜:セメント6往復
1989年3月ダイヤ 金田〜外浜:クリンカ6往復(内2往復臨時)

1987.12 金田駅(Wikipediaより)


B石炭輸送
 三井三池炭鉱の石炭は古くから貨車で金田の三井セメントに供給されていたようだが、1978年3月に荒尾〜金田間の2往復の石炭列車が廃止され一時姿を 消した。

 しかしオイルショックを機にセメント工場の石炭転換が始まり、1979年5月に大牟田〜金田間に1往復の石炭列車が設定され復活、九州唯一の石炭列車と して運転が続いた。貨車は三井鉱山(株)所有のホサ8100形を中心に運用されていた。

 1992年10月には石炭輸入港の変更によりこの石炭輸送は廃止となった。また三池炭鉱は1997年3月に閉山となった。

1987.12 金田駅(Wikipediaより)


*参考文献
『1975 セメント年鑑』セメント新聞社、1975年
『2004 セメント年鑑』セメント新聞社、2004年

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