日本の鉄道貨物輸送 と物流:目次へ
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宇部興産株式会社
2020.5.18作成開始

《目次》
■1.宇部興産(株)の鉄道貨物輸送
■2.美祢〜宇部港間の石灰石ピストン輸送
 ▼2.1輸送開始から1950年代まで
 ▼2.2輸送力増強が相次ぐ1960年代
 ▼2.3ピーク時の1970年代
 ▼2.4「宇部・美祢高速道路」の建設に ついて
 ▼2.5激減する1980年代
 ▼2.6廃止へと突き進む1990年代
■3.SS配置と鉄道貨物輸送


■1.宇部興産(株)の鉄道貨物輸送  
 宇部興産(株)のセメント事業における鉄道貨物輸送と言えば、何と言っても美祢〜宇部港間で行われていた石灰石ピストン輸送を語らねばなるまい。ピーク 時の1978(S53)年度には、年間869万トンを記録し、この数量は秩父鉄道がピークに記録した年間886万トン〔1973(S48)年度〕に近い。 秩父鉄道は石灰石以外にも、セメントや重油、鉱石、チップなど様々な品目があったのに対して、石灰石だけで年間869万トンである。その輸送量には小野田 セメント(株)も一部含まれるが、大半が宇部興産であり、全国の貨物駅の発送量と到着量のNo.1を美祢駅と宇部港駅が占めていた。

 一方で、宇部興産は製品セメント輸送では、セメント専用の私有タンク車を所有(1978年度末で僅か44両)していたものの、鉄道輸送の利用は少なく石 灰石ピストン輸送と対照的である。その要因は宇部興産の主力生産拠点が臨海工場なためであり、同社は古くから全国各地に臨海SSを展開していた。そのよう な臨海SSを中心とした輸送体系は、やはり臨海工場がメインの三菱鉱業セメント(株)〔三菱マテリアル(株)〕と似ており、同社も北九州地区で石灰石やク リンカを国鉄によるピストン輸送を行っていた点も偶然似ている。そんな2社が、共同出資で宇部三菱セメント(株)を設立するのも、何やら因縁めいている。

 しかし、この美祢〜宇部港間などのピストン輸送は、有名な割には輸送体系が整理されている情報がネット上には見当たらず、このページで宇部興産以外のピ ストン輸送も含めて、項を設けて整理することにした。



■2.美祢〜宇部港間の石灰石ピストン輸送  


▼2.1輸送開始から1950年代まで

年  月
項   目
1921(T10)年
宇部興産(株)が山口県美祢郡伊佐町高ノ峯を購入([1] p157)
1943(S18)年05月
宇部港駅に宇部興産(株)(セメント)専用線が敷設([2] p308)
1946(S21)年09月
宇部興産(株)伊佐採石所が発足([1]p157)
1946(S21)年11月
日本石灰石工業(株)から第2石灰工場と伊佐軌道(株)を買収([1] p157)
1947(S22)年03月
宇部港駅に宇部興産(株)(東石灰石)専用線が敷設([2] p308)
1947(S22)年08月
馬車軌道の伊佐軌道を止め、国鉄・吉則駅(現、美祢駅)接続の専用線を 敷設し完成。機関車と専用貨車も購入([1]p157-158)
1948(S23)年01月
於福駅に宇部興産(株)専用線が敷設([2]p308)
1948(S23)年09月
宇部興産(株)伊佐採石所の採掘を開始([1] p158)
1954(S29)年08月
宇部興産(株)が大嶺無煙炭鉱(株)を設立([1] p338)
1955(S30)年
吉則〜宇部港間に石灰石専貨が設定。1日10往復体制でスタート([7] p26)
1955(S30)年06月
重安駅に小野田セメント(株)(西線)専用線が敷設([2] p308)
1958(S33)年06月
宇部港駅に宇部興産(株)(西石灰石)専用線が敷設([2] p308)



▼2.2輸送力増強が相次ぐ1960年代

1963(S38)年10月 吉則駅が美祢駅に改称

▽石灰石ピストン列車本数の推移

美 祢〜宇部港
重 安〜小野田港
重 安〜宇部岬
合  計
1963年10月
12往復
5往復
1往復
 18往復
1967年04月
13往復
〃 
〃 
 19往復
1967年10月
14往復
〃 
〃 
 20往復
1968年10月
15往復
〃 
〃 
 21往復
1969年04月
19往復
〃 
〃 
 25往復
1969年08月
21往復
〃 
〃 
 27往復
([3]p119より作成)

▽1968年10月現在のピストン列車の内訳
社  名
運 用区間
品  名
運 転本数
1967 (S42)年実績
宇部興産 (株)
美祢〜宇 部港
石灰石、 クリンカ
15 往復
2,761 千トン
宇部興産 (株)
大嶺〜宇 部港 石炭
3 往復
461 千トン
小野田セメント(株)
重安〜小野田港
石灰石、生石灰
5往復
919千トン
セントラル硝子(株)
重安〜宇部岬
石灰石
1往復
94千トン
合    計
24往復
4,235 千トン
(う ち石灰石)
21往復
3,774‬ 千トン
([6]p31より作成)

▽1967年度の宇部興産の石灰石輸送機関別シェア
鉄 道
船 舶
ト ラック

ピ ストン輸送
コンベアで山陰
から船積み
地場消費のみ
合 計
252 万トン
12万トン
1万トン
265万トン
95.1%
4.5%
0.4%
100%
([6]p30より作成)

1970(S45)年8月 大嶺無煙炭鉱(株)閉山
1970(S45)年11月 山陽無煙鉱業所閉山



▼2.3ピーク時の1970年代

▽石灰石ピストン輸送量
年  度
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
輸送量(千トン)
8,461
8,266
8,371
8,390
8,691
8,400
8,111
([3]p127、[4]p172より作成)

▽石灰石ピストン列車本数の推移

美 祢〜宇部港
重 安〜小野田港
重 安〜宇部岬
合  計
1970年08月
23 往復
5往復
1往復
 29往復
1970年10月
25 往復
〃 
〃 
 31往復
1971年04月
28 往復
4往復
〃 
 33往復
1971年10月
31 往復
〃 
〃 
 36往復
1972年10月
33 往復
〃 
〃 
 38往復
1982年07月
26 往復
3往復
〃 
 30往復
([3]p119、[4]p172より作成)



▼2.4「宇部・美祢高速道路」の建設について


宇部・美祢高速道路(1975年4月現在)
[1]p380

 美祢〜宇部港間で33往復にまで成長した宇部興産の石灰石ピストン輸 送だが、その栄光の時期は短いものであった。引導を渡したのは、私有の高規格道路としては、我が国唯一とも言うべき「宇部・美祢高速道路」の存在である。

 頻発する国鉄のストライキによって輸送量が不安定となり、道路は交通渋滞など一般道路の走行が大幅に制約を受けた。当時の宇部興産社長は、早くから長期 的に見て何らかの抜本策が是非必要であるとし、宇部〜伊佐間30kmの物流体制の構想を抱いており、ベルトコンベア、鉄道、道路の3案について検討を命じ た。その結果、経済性から見ればベルトコンベアが最も有利、鉄道がやや劣り、道路はコストが合わないというものであった。([1] p380)

 しかし社長は、道路案を選択した。社内外から慎重な声が大きかったが道路方式を譲らなかったのは、ベルトコンベアは建設費は安いが貨物の種類が限定さ れ、大型機材の輸送ができず、鉄道の場合は国鉄と競合する。一方、道路は多目的に利用でき、美祢地区の地域振興にも寄与できる。経済性については100年 先まで見据えたものであり、沿道で取れる粘土や珪石をセメント原料に利用できるなど、問題無いと判断した。([1]p380-381)

 宇部興産は1967(S42)年11月、石灰石輸送開発部を発足させた。当時、名神高速道路が開通し、東名高速道路が工事中であった。宇部〜伊佐間の道 路も2車線で同様な機能を持ち、しかも総重量70〜100トンの大型車が時速100kmで走行し、安全性等も考慮して、小曲線半径400m以上、縦断勾配 2%以下、途中の公道や鉄道とは立体交差を原則とした。([1]p381)

 輸送用車両は、当初大型ダンプカーを予定し、米国ユークリッド社製35トン積みを1台輸入して検討したが、横幅が広過ぎた。そのため三菱自動車工業に 40トン積み、総重量67トンの大型トレーラー8台を発注した。実際に工事を進めると、当初予定の一部を変更せざるを得なかった。2車線を4車線に広げ、 勾配が2%で収まらない部分は3%に改めた。([1]p382)

 最初に開通したのは、1972(S47)年9月、宇部市東須恵岡田屋の国道190号から厚狭郡楠木町船木までの9kmであった。全線に亘る工事の中で最 大の難所は堀越峠を貫く全長860mの伊佐隧道であった。1973(S48)年3月に貫通し、同年10月に開通した。([1]p382)

 1974(S49)年5月に岡田屋〜伊佐セメント工場間の道路が開通し、「宇部・美祢高速道路」(通称、宇部興産道路)と命名した。岡田屋から西沖干拓 入口までの延長工事が完成したのは1975(S50)年4月であった。総工費は当初計画の100億円を大幅に上回り、240億円に達した。([1] p383)







▼2.5激減する1980年代

▽石灰石ピストン輸送量
年  度
1980
1981
1982
1983
1984
1985
輸送量(千トン)
8,111
7,377
4,823
3,663
3,382
3,296
([4]p172、[5]p45より作成)



▼2.6廃止へと突き進む1990年代

▽美祢駅の発送トン数推移(単位:千トン)
年 度
  発送量 
年 度
  発送量 
1986
3,109
1992
1,920
1987
3,216
1993
1,920
1988
1,925
1994
1,922
1989
1,925
1995
1,909
1990
1,922
1996
1,894
1991
1,932
1997
1,820
(『山口県統計年鑑』より作成)



■3.SS配置と鉄道貨物輸送  





[1]『宇部興産 創業百年史』宇部興産株式会社、1998年
[2]『中国支社30年史』日本国有鉄道 中国支社、1966年
[3]『広島鉄道管理局この10年史』日本国有鉄道 広島鉄道管理局、1976年
[4]『広島鉄道管理局 昭和50年代史』日本国有鉄道 広島鉄道管理局、1986年
[5]『広島鉄道管理局 貨物この20年史』日本国有鉄道 広島鉄道管理局、1987年
[6]『国鉄線 No.236』日本国有鉄道、1969年1月号
[7]『国鉄線 No.391』日本国有鉄道、1981年12月号

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