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とはずがたりな掲示板  鉄 道貨物輸送研究スレ

東レ・ファインケミカル株式会社 (守山駅)
2016.1.16作成 2016.2.14訂補

1998.3守山駅 東レ・ファインケミカル(株)専用線

1996.12守山駅 東レ・ファインケミカル(株)専用線


 現在、滋賀県は定期的に貨物を取り扱う駅が存在しない鉄道貨物空白 県≠ニなっている。事業はスタートしているものの、進捗が遅々としており、なかなか開業しない米原貨物駅構想≠ェあるため、将来的に県内に鉄道貨物輸送 の拠 点が誕生する可能性は高いもの の、現状はORS(オフレールステーション)すら存在 しないという状態である。しかし1990年代まではそんなことは無く、高月、近江長岡、石山、膳所、そして守山といった貨物取扱駅がいくつも存在し、石 油、セメン ト、化学薬品の車扱輸送が行われていた。

 第2回の「専用線とその輸送」に取り上げることにした東レ・ファインケミカル(株)の専用線がある守山駅は、上原成商事(株)向けに四日市駅のコスモ石 油(株)四日市製油所からの石油輸送が2003年まで残り、またそれ以前には富士車両(株)(第三者利用者に宇部興産(株)あり)、旭化成工業(株)、川 本倉庫(株)といった専用線もあり、コンテナの取扱 駅は近隣の草津駅に設置された(1982年廃止)ものの、石油、セメント、化学薬品の取り扱いがある滋賀県を代表する専用線ターミナル≠ニいった趣で あった。

 私が訪れた1990年代半ばの守山駅は、駅周辺には高層マンションが建ち並び、新快速や普通列車が頻繁に発着して京都や大阪のベッドタウンとしての発展 が窺える一方で、駅の周囲に工場や油槽所が立地し、スイッチャーによるタンク車の入れ換えが終日行われているという、独特な光景が繰り広げられていた。そ して東レ・ファインケミカ ルの専用線は、化学工場としては非常にこじんまりとした専用線ではあったが、1990年代後半まで現役であったという点で興味深い存在であった。

1997.9守山駅 東レ・ファインケミカル(株)専用線と側線に留置中の石油タキ群
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.2.13)。 ありがとうございます!

 まずは東レ・ファインケミカルの守山事業場の沿革から見ていく。同社は、昭和工業(株)という社名で発足したが、設立60周年を機に東レ・ファインケミ カルに社名を変更した。


内   容
1932(昭 7)年
二硫化炭素メーカーとして昭和工業(株)を守山市に設立
1944(昭 19)年
東レ (株)の関係会社になる
1963(昭 38)年
守山工場 でナイロン6リサイクル(ナイロン解重合)事業を開始
1967(昭 42)年
守山工場 でDMSO事業を開始
1973(昭 48)年
日本硫炭工業(株)に出資し、二硫化炭素の共同生産を開始
1974(昭 49)年
守山工場 で不織布(“ウォセップ”)を事業化
1979(昭 54)年
守山工場 でファインケミカル事業を開始
1982(昭 57)年
守山工場 でファインケミカル設備を増設
1992(平 4)年
東レ・ ファインケミカル株式会社に社名を変更
1994(平 6)年
守山工場 で電子材料用ケミカル製品の生産を開始
2005(平 17)年
3月31 日 二硫化炭素事業収束
(東レ・ファインケミカル(株)webサイトよ り作成)


1995.3守山駅 タキ10122 越中島駅常備 日本陸運産業(株)所有 二硫化炭素専用

 二硫化炭素メーカーとして誕生した昭和工業(株)は、守山工場で製造した二硫化炭素をタンク車で発送していたものと思われる。
 例えば昭和46年6月分の(株)東京液体化成品センター・越中島基地へ の鉄道輸送状況図(『貨物』1971年11月号、p20)には守山駅が発駅として含まれており、越中島駅で守山駅常備の昭 和工業(株) 所有の二硫化炭素専用のタンク車の目撃情報もある。

 また二硫化炭素は、レーヨン製造に用いられるため、同じ滋賀県内の石山駅に専用線が接続していた東レ(株)滋賀工場向けの輸送もあったかもしれない。距離的 には 近いものの二硫化炭素は危険物であり、タンク車輸送されていた可能性は高いと思われる。

■専用線一覧表による推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者使用
作 業方法
作 業km
総 延長km
記  事
昭和26 年版
守山
江州煉瓦 (株)
昭和工業 (株)
日本通運(株)
手押
0.4


昭和39 年版
守山
昭和工業 (株)
日本通運 (株)
日通機
0.2

江州煉瓦 株式会社線に接続
昭和42 年版
守山
昭和工業 (株)
日本通運 (株)
日通機
0.2

江州煉瓦 (株)線に接続
昭和45 年版
守山
昭和工業 (株)
日本通運 (株)
日通機
0.2
0.1
江州煉瓦 (株)線に接続
昭和50 年版
守山
昭和工業 (株)
日本通運 (株) 日通機
0.2
0.3

昭和58 年版
守山
昭和工業 (株)
日本通運 (株)
日通機
0.2
0.3


 現在、同社は二硫化炭素事業から撤退したため、守山工場も二硫化炭素の製造を行っていない。後述の通り2005年に二硫化炭素事業から撤退したものと思 われる。

 1973年に同社は日本硫炭工業(株)(工場:大分市)に出資し、二硫化炭素の共同生産を 開始したとあり、その時点で生産の主力は守山から日本硫炭工業に移ったと思われる。
 実際、1998(平10)年3月に筆者が守山駅で目撃したタキ10108(日本硫炭工業所有、二硫化炭素専用)は、二本木→守山の運用であり、守 山駅は二硫化炭素が到着する側になっていた。また 日本硫炭工業で製造された二硫化炭素は安治川口→守山でタンク車輸送 されていた模様。

 尚、二本木の日本曹達(株)は天然ガス法によって二硫化炭素を製造しており、守山駅以外に安治川口駅や美濃赤坂駅にも二硫化炭素専用のタキが運用されて いた。

1997.9守山駅 タキ5106 守山駅常備 東レ・ファインケミカル(株)所有 二硫化炭素専用

1998.8黒井駅 タキ5119 守山駅常備 日本硫炭工業(株)所有 二硫化炭素専用
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.2.13)。ありがとうございます!!

 守山駅の東レ・ファインケミカル(株)専用線は、1998年8月時点ではNRS所有の二硫化炭素タキが駅構内に留置されているのを目撃しており、専用線 も使用されているよう だったが、1999(平11)年4月にはタキの姿は駅構内、専用線にも無く、2000(平12)年1月には荷役設備が撤去され、レールが錆ついているのを いずれも東海道本線 の車内から確認した。そのため1998 年度に廃止されたと見ている。この段階では二硫化炭素の輸送はタンク車からタンクローリーに切り替わったのであろう。

 その後、同社は、上述の沿革によると2005年3月に二硫化炭素事業を収束≠ニあるので、日本曹達や日本硫炭工業から二硫化炭素を調達する必要も 無くなった と思われるが、その日本曹達も既に二硫化炭素事業からは撤退しているようだ。というのも日本硫炭工業は現在、日本唯一の二硫化炭素メーカーとなっており、どうやら日本曹 達は二本木工場で実施した2000年代後半の一連の合理化の際に二硫化炭素事業から手を引いたものと思われる。

 そして現在の東レ・ファインケミカルの守山事業場は同社webサイトに よるとお客様と一体となった製造開発とIT関連材料の生産を担う工場≠ニあり、ファインケミカルの製造拠点となっている。もはや二硫化炭素事業を行って いた頃の面影を感じることは難しいが、webサイトにある工場の空撮写真に専用線の跡地がはっきりと分かる形で残っているのが、唯一の名残といったところ か。

 一 方で、同社は、国内唯一のジメチルスルホキシド(DMSO)メー カーとして知られ、京葉久保田駅からISOタンクコンテナによるDMSOの鉄道貨物輸送を 行っていることに触れておきたい(→こちらこちらを参照)。同社と鉄道貨物輸送の縁が切れてしまったわけではない 点は、嬉しいところである。



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