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とはずがたりな掲示板  鉄 道貨物輸送研究スレ

東 邦瓦斯株式会社 (名古屋港駅)
2016.2.11作成 2018.12.29加筆  2020.5.24加筆

1996.3名古屋港駅 東邦瓦斯(株)専用線

 名古屋港界隈には古くから複数の臨港線が存在し、その中でも1911 (明44)年5月に開業した名古屋港(なごやみなと)駅は、既に100年以上の歴史を持つ伝統ある貨物駅≠ナある。現在は、事業用のレール輸送のみに活 用されて おり、実質的な貨物フロントとしての機能は消滅していると言えるが、2000(平12)年頃までは日産化学工業(株)名古屋工場や(株)ミヤタコーポ レーション向けなどの化成品タンク車輸送が残っていた。また1990年代までは、藤沢薬品工業(株)所有のタキ6950形(コンクリート混和剤専用)の常 備駅としても名古屋港駅の名は知られた。このように化学薬品の取り扱いの多かった同駅であるが、第4回「専用線とその輸送」で取り上げる東邦瓦斯(株)の 専用線もまたそのような化成品系の専用線であったようだ。

 東邦瓦斯は言わずと知れた中京圏を地盤にした大手都市ガス4社≠フ内の1社であり、2014年度の売上高は5,064億円に達する巨大企業である。東 京瓦斯(株)や大阪瓦斯(株)、北海道瓦斯(株)といった同業他社と同様に、都市ガス事業者はコークスやLPG、LNG、重油などの輸送で鉄道貨物を活用 することがあり、専用線を所有することも珍しくはなかった。東邦瓦斯の場合は、鉄道貨物輸送への依存度がどの程度だったのか不透明だが、1990年 代後半まで専用線が残っていたことは特筆すべきことであろう。


 まずは、専用線のあった東邦瓦斯(株)港明工場を中心に同社の沿革を確認してみる。戦前に操業 を開始した熱田製造所が港明工場のルーツになるようだ。

年  月
出  来 事
1922(大 11)年6月
東邦瓦斯 (株)が資本金22,000千円をもって設立
1940(昭 15)年1月
名古屋製 造所(旧桜田製造所)に加え、熱田製造所(旧港明工場)操業開始
1958(昭 33)年9月
港明製造 所(旧港明工場)操業開始、それに伴い翌年4月桜田製造所廃止
1978(昭 53)年6月
天然ガス 転換開始
1993(平 05)年5月
天然ガス 転換完了
1998(平 10)年6月
港明工場 廃止
2003(平 15)年4月
合同瓦斯 (株)、岐阜瓦斯(株)、岡崎瓦斯(株)を合併
東邦ガス(株) webサイトより)

 一方、同社の専用線は「昭和26年版 専用線一覧表」で既に確認することができる。

■専用線一覧表による推移
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者使用
作 業方法
作 業km
総 延長km
記  事
昭和26 年版
名古屋港
東邦瓦斯 (株)
日本通運 (株)
国鉄機
0.7


昭和36 年版
名古屋港
東邦瓦斯 (株)
日本通運 (株)
東邦理化工業(株)
国鉄機
0.7


昭和58 年版 名古屋港
東邦瓦斯 (株)
日本通運 (株)
東邦理化工業(株)
国鉄機
0.7
1.1


 それでは、専用線を活用してどのような輸送が行われていたのであろうか。

 まず考えられるのは都市ガスの原料となる石炭やLPGの輸送に使われていたケースである。東邦瓦斯の他の専用線としては、尾張一宮駅に存在し、また関連会社の岐阜瓦斯(株)の専用線が岐阜駅に存在した。但し、尾張一宮駅の専用線は、「昭和36年版 専用 線一覧表」では現役であるものの、「昭和39年版 専用線一覧表」では使用休止≠ニなっており、早い段階で輸送は消滅したようだ。一方の岐阜瓦斯(株) の専用線は「昭和58年版 専用線一覧表」でも現役となっており、国鉄末期まで使われていたようだ。

 しかしLPGの鉄道輸送が行われていたとしても、LPGは石油元売り各社の製油所で製造されるか、臨海部の1次基地に輸入されるため、そこからの輸送が 主であると考えられる。そのため中京地区では、2000年代までタキ25000形によるLPG輸送が行われていた塩浜駅の昭和四日市石油(株)から岐阜瓦 斯(株)にタンク車輸送されていた可能性の方が高そうである。

 一方、興味深い輸送の実例が判明している。
 2016(平28)年2月現在、残念ながらホームページが閉鎖されてしまっているが、貨車界の重鎮吉岡心平氏≠フwebサイトにおいて、実例を見るこ とができた。
 それは2001(平13)年3月9日作成の【特別編33】タキ42250形42251である。タキ42250形は、日本陸運産業(株)所有のナフタリン専用のタンク車で、同氏が1985(昭60)年7月に稲沢駅 で目撃した際は、名古屋港駅の東邦瓦斯から酒田港駅の花王石鹸(株)にナフタリンを輸送していたとのこと。

 タキ42250形は、タキ1500形からの改造車4両(タキ42250〜42253)は1989(平元)年9月に廃車になり、また新製車であったタキ 42254は1986(昭61)年8月に常備駅が西八幡駅から村田駅に変更になったが、この頃に失職したものと思われ、その後は神栖駅に長期留置されてい たが、1996(平8)年1月に廃車となったとのことである。

 この名古屋港〜酒田港のナフタリン輸送は貨車の廃車時期から、1989年頃には消滅したものと考えられるので、筆者が専用線を撮影した1996(平8) 年当時はどのような輸送が行われていたのか、全く不明である。専用線内にスイッチャーも居たので完全な休止状態ではなかったと思うのだが、今のところ情報 が無い。

(2020.5.24加筆)
  1994年10月31日付『運輸タイムズ』5面によると、三井金属鉱業(株)は、グループ企業の神岡鉱業(株)が神岡鉱山前〜名古屋港・西名古屋港・中条間で硫酸を鉄 道輸送しており、名古屋港駅向けは専用線を持つ肥料、ガスな ど3顧客への輸送とのことで、これは明らかに東邦瓦斯向けに濃硫酸のタンク車輸送が行われていたということであろう。この神岡鉱山前からの濃硫酸輸送が、 専用線が廃止になる最後 まで残存していたと思われる。また専用線廃止後は、西名古屋港駅の(株)東京液体化成品センターからの供給に切り替わった可能性も考えられる。

 また第三者利用者に名前のある東邦理化工業(株)は、可塑剤メーカーであったようだが、2001年に生産を(株)ジェイ・プラスに委託して撤退してお り、2006(平18)年に東邦液化ガス(株)に吸収合併され会社は消滅したようだ。専用線は、可塑剤や原料の無水フタル酸の輸送にも活用されていたのか もし れない。

 1998(平10)年6月に港明工場は閉鎖されており、現在跡地は広大な空き地と化している。先に述べたように、名古屋港駅の貨物駅としての機能低下が 著しいが、駅周辺も既に工業地帯とは言えない環境である。並行して地下鉄名港線が走っていることもあって、西名古屋港線が名古屋臨海高速鉄道に生まれ変 わったのとは異なり、 少なくとも名古屋市としては名古屋港線の旅客化を目指すことは無いだろう。当面レール輸送のみを細々と継続するほかないのが、今の名古屋港駅の姿である。


 2016年2月時点では、上記のように限られた輸送しか判明していな かったが、その後関係各社の「社史」から輸送先の全容が少しずつ見えてきたので、纏めておく。(2018年12月時点)
 専用線は、無蓋車によるコークスの発送がメインであったようだ。タンク車による化成品の発送もあったが、タンクローリーを貨車に横付けして直接、荷 役していたようである。

@コークス輸送

([1]p92)
 東邦ガス(株)港明工場は、コークス炉を中心とした工場として 1958(昭33)年9月に完成した。

 これにより東邦ガスはコークスの販売量を大きく伸ばし、1955(昭30)年度の213千トンから、1964(昭39)年度には559千トンに上った。

 コークスの用途は鋳物用のほか、製鉄、合金鉄、非鉄金属製錬、石灰、カーバイド、硫安などその用途は様々で、専用線から無蓋貨車で各地の需要家に輸送さ れてい たと思われる。

 尚、社史の写真や記述からコークスの貨車輸送は確実に行われていたことが分かるが、貨車で輸送されていた需要家までは殆ど明確にはなっていな い。しかし社史には数多くの需要家の名が現れるため、貨車輸送が実施されていたと想定される輸送先を下表の通り纏めている。


([1]より筆者作成)

Aタール製品

5ガロン缶の側線からの出荷([2])
 東邦ガスは、多種多様なタール製品を製造・販売していた。
 具体的には、コールタール、クレオソート油、中ピッチ、精製ナフタリン、純ベンゼン、90%ベンゼン、トルエン、ソルベントナフサ等である。無蓋貨車で 缶製品を出荷 する写真が残っているが、どの程度の製品が貨車輸送されていたかは不明。

 しかし社史から判明した需要家から、鉄道貨物輸送を想像すると下記の通りである。


([2]p17-18より筆者作成)

Bメタノール及びDOP輸送

メタノールの出荷([3]p47) タム3721形
 1952(昭27)年6月に東邦ガス(株)金川工場(※ 1965年7月に金川・港明両工場を統合し「港明工場」として発足)でコークスを原料とする半水性ガスからメタノールを製造するプラント が本格的に操業した。メタノール製造装置の能力は20トン/日であった。

 メタノールの販売は東海タール製品(後の東邦タール製品)が始め、関東地区では金田商店深川倉庫をストックポイントにして、15トン貨車で名古屋からドラム缶詰めで配送し、同倉庫から錦商事、極 東物産(現 三井物産)等が引き取り販売を始めた。中部地区では、東亞合成等への納入を始まっている。([3]p45-46)

 その後、天然ガスを原料とするより低廉なメタノールが登場し、東邦ガスはコスト的に太刀打ちできなくなり、日本瓦斯化学(株)、住友化学工業(株)の勧 めで、両社にメタノールの委託生産を決め、1962(昭37)年11月に生 産を休止した。([3]p86-87)

 一方、塩化ビニル樹脂の可塑剤DOP(フタル酸ジエチルヘキシル)は需要が伸び続けていることから、東邦ガスは参入することとし、1963(昭38)年 12月に設備能力3,600トン/ 年のプラントを完成した。

 また同年8月には東京都足立区小台の旭倉庫(株)足立営業所構 内に、従来のメタノールタンクに加えて、DOP用100キロリットルタンクを設置。12月には日本石油輸送(株)と20トンタンク車の貸借契約を結び、 DOP生産開始に合わせて名古屋港駅〜王子駅間の輸送に備え た。([3]p93)

 
尚、旭倉庫(株)足立営業所は、2000(平12)年10月に足立区小台地区再開発のため閉鎖された。同社webサイトより)



[1]『東邦コークスの歩み』東邦コークス販売株式会社、1980年
[2]『東邦タール三十年の歩み』東邦タール製品株式会社、1977年
[3]『東邦理化工業30年史』東邦理化工業株式会社、1981年

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