![]() 1996.3名古屋港駅 東邦瓦斯(株)専用線 |
![]() 1996.3名古屋港駅 東邦瓦斯(株)専用線 |
年
月 |
出
来 事 |
1922(大
11)年6月 |
東邦瓦斯
(株)が資本金22,000千円をもって設立 |
1940(昭
15)年1月 |
名古屋製
造所(旧桜田製造所)に加え、熱田製造所(旧港明工場)操業開始 |
1958(昭
33)年9月 |
港明製造
所(旧港明工場)操業開始、それに伴い翌年4月桜田製造所廃止 |
1978(昭
53)年6月 |
天然ガス
転換開始 |
1993(平
05)年5月 |
天然ガス
転換完了 |
1998(平
10)年6月 |
港明工場
廃止 |
2003(平
15)年4月 |
合同瓦斯
(株)、岐阜瓦斯(株)、岡崎瓦斯(株)を合併 |
専
用線一覧表 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者使用 |
作
業方法 |
作
業km |
総
延長km |
記
事 |
昭和26
年版 |
名古屋港 |
東邦瓦斯
(株) |
日本通運
(株) |
国鉄機 |
0.7 |
||
昭和36
年版 |
名古屋港 |
東邦瓦斯
(株) |
日本通運
(株) 東邦理化工業(株) |
国鉄機 |
0.7 |
||
昭和58 年版 | 名古屋港 |
東邦瓦斯
(株) |
日本通運
(株) 東邦理化工業(株) |
国鉄機 |
0.7 |
1.1 |
1994年10月31日付『運輸タイムズ』5面によると、三井金属鉱業(株)は、グループ企業の神岡鉱業(株)が神岡鉱山前〜名古屋港・西名古屋港・中条間で硫酸を鉄
道輸送しており、名古屋港駅向けは専用線を持つ肥料、ガスな
ど3顧客への輸送とのことで、これは明らかに東邦瓦斯向けに濃硫酸のタンク車輸送が行われていたということであろう。この神岡鉱山前からの濃硫酸輸送が、
専用線が廃止になる最後
まで残存していたと思われる。また専用線廃止後は、西名古屋港駅の(株)東京液体化成品センターからの供給に切り替わった可能性も考えられる。 |
([1]p92) |
東邦ガス(株)港明工場は、コークス炉を中心とした工場として
1958(昭33)年9月に完成した。 これにより東邦ガスはコークスの販売量を大きく伸ばし、1955(昭30)年度の213千トンから、1964(昭39)年度には559千トンに上った。 コークスの用途は鋳物用のほか、製鉄、合金鉄、非鉄金属製錬、石灰、カーバイド、硫安などその用途は様々で、専用線から無蓋貨車で各地の需要家に輸送さ れてい たと思われる。 尚、社史の写真や記述からコークスの貨車輸送は確実に行われていたことが分かるが、貨車で輸送されていた需要家までは殆ど明確にはなっていな い。しかし社史には数多くの需要家の名が現れるため、貨車輸送が実施されていたと想定される輸送先を下表の通り纏めている。 |
5ガロン缶の側線からの出荷([2]) |
東邦ガスは、多種多様なタール製品を製造・販売していた。 具体的には、コールタール、クレオソート油、中ピッチ、精製ナフタリン、純ベンゼン、90%ベンゼン、トルエン、ソルベントナフサ等である。無蓋貨車で 缶製品を出荷 する写真が残っているが、どの程度の製品が貨車輸送されていたかは不明。 しかし社史から判明した需要家から、鉄道貨物輸送を想像すると下記の通りである。 ([2]p17-18より筆者作成) |
メタノールの出荷([3]p47) タム3721形 |
1952(昭27)年6月に東邦ガス(株)金川工場(※
1965年7月に金川・港明両工場を統合し「港明工場」として発足)でコークスを原料とする半水性ガスからメタノールを製造するプラント
が本格的に操業した。メタノール製造装置の能力は20トン/日であった。 メタノールの販売は東海タール製品(後の東邦タール製品)が始め、関東地区では金田商店の深川倉庫をストックポイントにして、15トン貨車で名古屋からドラム缶詰めで配送し、同倉庫から錦商事、極 東物産(現 三井物産)等が引き取り販売を始めた。中部地区では、東亞合成等への納入を始まっている。([3]p45-46) その後、天然ガスを原料とするより低廉なメタノールが登場し、東邦ガスはコスト的に太刀打ちできなくなり、日本瓦斯化学(株)、住友化学工業(株)の勧 めで、両社にメタノールの委託生産を決め、1962(昭37)年11月に生 産を休止した。([3]p86-87) 一方、塩化ビニル樹脂の可塑剤DOP(フタル酸ジエチルヘキシル)は需要が伸び続けていることから、東邦ガスは参入することとし、1963(昭38)年 12月に設備能力3,600トン/ 年のプラントを完成した。 |