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とはずがたりな掲示板
鉄 道貨物輸送研究スレ
株式会社豊島屋
(辰野駅)
2024.7.7 作成開始 2024.8.18公開
1997.3辰野駅 (株)豊島屋 専用線
2002.10辰野駅
(株)豊島屋 専用線
我が国の鉄道タンク車による石油輸送は、日本オイルターミナル(株)を中心に共同石油基地向けが殆どで、石油元売会社や燃料会社の油槽所へのタンク車輸 送 は僅かに残るのみである。しか し、かつては全国各地の内陸部にある小規模な油槽所にも専用線が敷設され、製油所や大規模臨海油槽所の専用線からそういった小規模油槽所へもタンク車輸送 を行われることは珍しくはなかった。
筆者は荷主企業事例研究の「
両毛 丸善株式会社
」において、北関東の内陸部に立地する大規模油槽所の設置と東武鉄道の貨物輸送の末期を彩った同社向け石油輸送の骨太な歴史を纏めた が、今回取り上げる長野県上伊那郡辰野町に専用線のあった(株)豊島屋は、その対極とも言うべき内陸の小規模油槽所で、専用線も線路1本にタンク車3両程 度が荷役できるのみというこじんまりとしたものであった。
その荷主企業の豊島屋は、2024(令6)年8月現在でホームページを開設していないようで、どのような会社なのか沿革等の詳細は残念ながら不明であ る。旧日石 系のガソリンスタンドを経営し、今でもエネオス系列の燃料会社として盛業中のようではある。
貨車輸送の歴史を紐解くと、「専用線一覧表」において辰野駅所管の豊島屋の専用線が初めて現れるのは、1961(昭36)年1月4日現在の同表であるこ とから、同表の発行タイミングより1957(昭32)〜1961(昭36)年の間に専用線が開設されたことになる。作業キロが「0.1km」、作業方法が 「国鉄機、手押」という専用線の規模感は、廃止されるまで一貫して変わらなかった模様だ。
トップの専用線風景の写真を見ても分かる通り、棒線が1本だけの極めてシンプルな専用線と荷役設備である。開設から約50年に亘って専用線が使われ続け たことになるが、シンプルな専用線だからこそ維持費用を抑えることができたとも言えそうである。
1997.3辰野駅 (株)豊島屋 専用線を遠望
1997.3辰野駅構内
一方、辰野駅に関しては、中央本線と飯田線の分岐駅ということもあり、塩嶺トンネル開通前は特急列車も停まるという交通の要衝であり、鉄道貨物輸送の観 点でも豊島屋以外に長野県くみあい飼料(株)〔後に信越くみあい飼料(株)〕辰野工場の専用線もあり、1990年代後半までホキ車によって、とうもろこし やコウリャンなどの飼料原料輸送が行われていた。飼料原料の発送元は、当初は浜川崎駅や清水港駅であったようだが、名古屋臨海鉄道の知多駅開業に伴い東海 サイロ(株)〔後に全農サイロ(株)〕の専用線が開設されると辰野駅及び篠ノ井駅向けにホキ専用列車が設定され、辰野駅向けの飼料原料輸送は1996(平 8)年3月ダイヤ改正まで残った。
辰野駅向けの石油輸送は、長年に渡り日本石油(株)の新潟県内の製油所から供給を受けていたようだ。1997(平9)年3月ダイヤ改正時点では、沼垂〜 辰野間に石油専用列車(5378レ)が設定され、同列車は柏崎駅で解放・連結を行っている。そのため日本石油(株)新潟製油所からの発送をメインに日本石 油加工(株)柏崎工場も発送元だったと思われる。
しかし1998(平10)年10月ダイヤ改正で同社新潟製油所からの石油類のタンク車発送は終了し、根岸駅の日本石油精製(株)根岸製油所からの発送に 切り替わったようだ。ダイヤの設定としては、南松本〜辰野間に石油専用列車(5578レ)が設定されている。
辰野駅着の1日当たりの輸送量は、石油タキが3両程度に対して、飼料原料ホキが9両程度と石油の方が圧倒的に少なく、信越くみあい飼料のホキ輸送が廃止 になったと同時に豊島屋向けの輸送も廃止になっても不思議ではない水準だったと思われるが、それ以降もしぶとく石油輸送は継続し、結局2009(平21) 年3月ダイヤ改正をもって廃止された。タキ3両程度ということは、1日120トン、年間250日稼働で約3万トンとなる。拙web「
高山都市圏の貨物取扱駅
」で触れた上枝 駅向け石油輸送では、到着量が1日タキ1両程度、年間1万トン強の輸送が1990年代半ばまで残っていたのだが、それと比べれば豊島屋の輸送は、ある程度 纏まった数 量と言えるかもしれない。
またWikipediaの「辰野駅」の項目には、
1 日平均貨物取扱数量
(『辰野町町勢要覧』)
の推移が載っている。1998〜2008年度においてピークは2000 (平12)年度の113トン、最小は2008(平20)年度の53トンであった。
2009年3月時点で、豊島屋以外ではこのような年間数万トンにも満たない小口の石油タンク車輸送はとっくに全廃になっていたと言えそうであり、なぜ豊 島屋 がいわば例外的に残っていたのか、JR貨物と荷主の間で人知れぬ交渉があったのか、それとも他にやむを得ない事情があったのか、などその背景への興味は尽 きない。
貨車輸送廃止後は、当然ローリー輸送に転換されたと考えられるが、その発送元が当時の新日本石油精製(株)根岸製油所または新日本石油(株)松本油槽 所、もしくは日本オイルターミナル(株)松本営業所(以下OT松本)、はたまたそれ以外の拠点なのか気になるところである。尚、新日本石油(株)松本油槽 所は、2011(平23)年3月に閉鎖されておりOT松本に集約されたと考えられる。
OT松本〜豊島屋間の道のりは30km程度に対して、根岸製油所〜豊島屋間はルートにもよるが230〜250km程度もあり、交通渋滞の多い首都圏から のローリー輸送は非効率であろう。そのためOT松本からの配送に切り替わったと考えるのが、ごく自然ではないかと考えている。
豊島屋の専用線は、線路が今も現役当時のまま残っているようだが、これは南松本駅では石油以外の専用線の使用が無くなった後も「道路が万一使えなくなっ た時のために」剥がさず残しているとのこと
(『JR貨物ニュース』2008年2月15日号)
で、同様の考えに基づき、あえ て撤去しないままでいるのかもしれない。豊島屋が油槽所そのものを廃止しないというのも、非常時に備えて在庫を確保しておくという経営方針があるのかもし れず、元売会社直営ではもはや見ることができなくなった小規模な内陸油槽所ではあるが、末長い活躍を期待したい。ちょっと大袈裟かつ相当先の話かもしれな いが、石油産業の衰退と共にいずれ産業遺産的な価値が出てくるかもしれない。つまり専用線とセットで、「高度経済成長期の石油産業を偲ぶ内陸の石油貯蔵タ ンク群」のようなイメージである。そんなことまで感じさせる佇まいが豊島屋の専用線にはあると個人的に思っている。
2011.4辰野駅 (株)豊島屋 貨車輸送廃止後の専用線
2011.4(株)豊島屋 辰野油槽所
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