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多木化学(株)
 2001.11作成 2006.1.1補綴

<概要>
会社四季報2002年1集によると「人造肥料の草分け、凝集剤(PAC)を開発、環境関連・機能性材料・不動産事業も併営」とある。

かつては別府鉄道を介して土山から肥料を発送していたが、別府鉄道は59.2のヤード系廃止を期に土山駅の貨物取り扱いが廃止され命運が尽きた。土 山−別府港、野口(高砂線)−別府港に路線を有していた。現在ではコンテナを用いての出荷も一部残る。

住友化学との合弁会社「別府化学」は、住友化学と新日鐵との合弁会社「製鉄化学」と合併、現在の住友精化だが別府化学は既に手を引いているようであ る。

多 木化学百年史編纂委員会編『多木化学百年史』多木化学株式会社、1985年 を読む(荷主研究者[Y])

148〜150頁 第7章 新規事業の開発
関東へ進出
 昭和44年頃にはポリ塩化アルミ(PAC)のパイオニアとして多木化学の関西におけるシェアは70〜80%に達した。
そしてかねてから膨大な需要を抱えている関東地区への出荷を企図していたが、工場建設に先立って市場開拓を行う必要があることから、関東にストックポイン トを置き、ここを基点に製品を出荷することにした。ストックポイントの選定、ならびにストックポイントまでの輸送方法を検討したが、結局「 (株)東京液体化成品センター」(江東区塩浜2−7−5、国鉄越中島タンク基地)に加入して、そこにタンクを設置、基地とすることに決定した。

PACの輸送体制
 タンクローリーによる製品の販売は、昭和37年12月朝日ビール吹田工場への納入が最初である。多木化学はタンクローリーによる製品販売は経験が無く不 安であった。木庭運送(高砂市)がゴムライニングを施したタンクローリーを所有しており、以来今日に至るまで継続している。
 またストックポイントの設置に伴って、本社工場とストックポイント間の輸送については、昭和44年8月、日本石油輸送株式会社と契約、 塩酸輸送用タンク車2両 を借り受けることにした。その後、関東地区におけるPACの市場開拓がすすむにつれて輸送量も増加し、昭和45年11月には、同社から借り受けるタンク車 は合計4両になった。

千葉工場の建設
 関東地区におけるPACの販売量は予想通り増加し、そのため関東地区に工場を建設することとなり、市原市潤井戸工業団地に千葉工場を建設し、昭和45年 12月23日から稼働を開始した。これによって東京中継基地の必要性がなくなったため、(株)東京液体化成品センターとの契約を昭和46年3月31日を もって 解除、清算した
 またPACは多木化学と大明化学工業(株)(Y註、北殿駅)の2社だったところへ、硫酸バンド(Y註、石巻にあったタンクの品目と同じ。 )メーカーが進出(S44年)に及んで、業界に混乱を招くことが危惧された。そのため日本無機薬品協会の提唱によって、部会に準じた組織として「PAC会 議」がS44年4月1日から発足することになった。当初のメンバーは大明化学、住友化学、日本化学、浅田化学、多木化学の5社であった。

 なかなか面白い内容だ。東京液体化成品センターは、どうやら多木化学自身がタンクを作ったようなニュアンスだし、利用期間も約1年半余りで短い。 化成品センターの荷主はかなり短期のものも珍しくはなかったのだろうか。
 さらに話はまだ終わらない。

202頁
(株)鐵興社(現東洋曹達工業株式会社)との提携
 多木化学は昭和47年7月、鐵興社から同社のPAC事業について提携の申し入れを受けた。協議の結果、「鐵興社が製造し、多木化学が販売する」形の基本 的合意に達し、S47年12月、契約を締結した。
 契約に基づき鐵興社は、酒田大浜工場内にPAC250A、生産能力1500トン/月の工場を建設、S48年6月から稼働に入った。多木化学も仙台市に事 務所を開設して販売活動を開始した。その後鐵興社は合併により、東洋曹達工業(株)となったが、多木化学との提携関係は現在も続いている。

 なお年表の84頁では、S49年11月 鹿児島県国分駅にPACタンク基地を設置 とある。

 PACの販路拡大につれて、仙台事務所の開設に続き、S50年に福岡および名古屋に事務所を開設した。
 また輸送合理化のため下記のタンク基地を設置した。
S47年10月 福岡県博多港
S49年1月  鹿児島県国分
S51年10月 青森県八戸 
S52年3月  福岡県大牟田港
S57年11月 大分県大分港
 これらタンク基地へのPAC輸送には、従来、日本石油輸送(株)のタンク貨車5両を借り受け運搬していた。しかし基地の増設に伴ってタンク貨車の保有を 計画、S48年5月、35トン積み貨車3両(川崎重工業製)を発注、S49年1月から使用を開始した。
   同社史より


またタキ18300が液体ポリ塩化アルミニウムのタンク車である。(私有貨車図鑑)
このタンク車は、北殿駅常備の時期があった。

タ キ18300形18304
http://shimpei.3.pro.tok2.com/0001/121_pfc-special1/pfs037_taki18304.htm
 落成時の所有者はソーダ商事KK・常備駅は北殿だったが、昭和54年4月に新日化産業との合併によりソーダニッカKKとなった。昭和60年頃、常備駅は 酒田港に変更されたので、この間が北殿駅常備と言うことになる。晩年は塩酸専用車への改造も検討されたが実現せず、平成9年9月、3両同時に廃車された。 (吉岡氏のウェブサイト)

また、多木化学(株)所有のタキ5050(塩酸)が酒田港駅常備の東北東ソー化学の第三者使用になっていたのこの提携の一環。

(多木化学所有の)タキ55074は昭和49年川崎重工製、第三者使用は東北東ソー化学で,臨時専用種別はポリ塩化アルミニウム液(侵82)。平成8年4 月1日から平成9年3月31日まで。平成8年(1996年)4月27日に酒田港にて (「トワイライトゾーン 全国私有貨車クラブ 連載第43回 西片 洋氏の投稿,『Rail Magazine』156号 1996-9より)

タキ55074は用途が無くなり,売却しました。(「トワイライトゾーン 連載第122回 多木 隆元氏(多木化学社長←!)の投稿,『Rail Magazine』205号 2000-10より)


工場名
/発送先
立地(駅)
/発送駅
内 容
現状、その他など
東北東ソー(株)

酒田工場
酒田港
多木化学は昭和47年7月、鐵興社から同社のPAC事業について提携の申し入れ を受けた。協議の結果、「鐵興社が製造し、多木化学が販売する」形の基本的合意に達し、S47年12月、契約を締結した。 その後鐵興社は合併により、東洋曹達工業(株)となったが、多木化学との提携関 係は現在も続いている。
多木化学(株)

千葉工場
(市原市)
関東地区におけるPACの販売量は予想通り増加し、そのため関東地区に工場を建 設することとなり、市原市潤井戸工業団地に千葉工場を建設し、昭和45年12月23日から稼働を開始した。 これによって東京中継基地の必要性がなくなったため、(株)東京液体化成品セン ターとの契約を昭和46年3月31日をもって 解除、清算した
多木化学(株)


別府工場
別府港
昭和44年頃にはポリ塩化アルミ(PAC)のパイオニアとして多木化学の関西に おけるシェアは70〜80%に達した。



社名
立地名
内容
開設時期
その他備考
東京化成品ターミナル
越中島

期間:昭和45年12月23日
     〜昭和46年3月31日

多木化学
八戸

S51年10月

博多港

S47年10月

大牟田

S49年1月


大分

S57年11月

国分
鹿児島県国分駅に
PACタンク基地を設置
S49年11月


これらタンク基地へのPAC輸送には、従来、日本石油輸送(株)のタンク貨車5両を借り受け運搬していた。しかし基地の増設に伴ってタンク貨車の保有を計 画、S48年5月、35トン積み貨車3両(川崎重工業製)を発注、S49年1月から使用を開始した。

朝日ビール
吹田工場
吹田
木庭運送(高砂市)がゴムライニングを施したタンクローリーを所有しており、以 来今日に至るまで継続して利用。


1999年1月 多木化学 姫路貨物〜八戸貨物 肥料のコンテナ専用列車運転(交通新聞)

2002年1月 現地訪問 JRコンテナが上屋内にあった。
(金網越しの写真である。)

2006年9月 現地再訪問 コンテナ輸送は健在である

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