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高山都市圏の貨物取扱駅
2020.5.30作成開始 2020.6.14公開  2020.11.3訂補
《目 次》
はじめに
専用線と貨物取扱 量
 1964〜1977年度
 1978〜1995年度
年表
品目別の輸送体系考 察
 石油
 セメント
 木材・チップ
最後に

2004.8飛騨一ノ宮駅


■はじめに  

 これまで「統計から見る鉄道貨物輸送」では、山形都市圏甲府都市圏と連続して内陸都市圏向けの石油、セ メ ントを中心とした鉄道貨物輸送を考察してきたが、今回も 内陸都市圏をテーマに取り上げてみたい。

 岐阜県北部に位置する高山都市圏は、人口約12万人であり、山形や甲府の各都市圏が50〜60万人クラスであったのと比べると格段に少ないが、飛騨山脈 や両白山地に囲まれた地理的条件もあって道路事 情が悪く、鉄道貨物輸送の果たす役割が大きかった。石油やセメントの油槽所・包装所の専用線が複数の駅に敷設され、東海や北陸の製油所・油槽所、セメント 工場を発地に貨車輸送 が行われた。また古くから林業が盛んな地域であることを反映し、各地のパルプ工場向けのチップ 発送が一時期盛んに行われていたのが、高山都市圏の鉄道貨物輸送の大きな特徴と言える。

 また上枝駅にあった石油系専用線は、タンク車1両程度の輸送量であったが、1990年代半ばまで奇跡的に存続していた。専用線の 専用者を石油会社ではなく日本通運(株)とし、所管駅も高山駅として残していた点も特異的であり、独自のスキームを構築し貨車輸送を維持していたと思われ る。

 現在、高山本線は「ワイドビューひだ」といった特急列車が行き交う観光路線としてのイメージが強いが、現在も富山口では速星駅を拠点に日産化学工業 (株)富山工場に発着するコンテナ列車が残り、2000年代初頭までは岐阜地区向けのセメントSSが集積する坂祝駅までセメン ト列車が設定され、北部では神岡鉱業(株)が出荷する硫酸のタンク車輸送や製品コンテナ輸送も行われていた。そして1990年代半ばまでは高山都市圏に向 けても石 油、セメントを輸送す る貨物列車が走っていたのだ。このように高山本線は、近年は廃止が進んでしまったものの産業路線としての性格も強いと言えよう。第4回「統計から見る鉄道 貨物 輸送」は、高山都市圏における各貨物取扱駅に着目する。



■専用線と貨物取扱量  

所 管駅
専 用者
第 三者使用者
作 業
km
S39
S42
S45
S50
S58
備   考
久々野
日本通運 (株)

0.1


×
×
×

久々野
名古屋営 林局
日本通運 (株)
0.2



×
×

久々野
中部電力 (株)
永楽運輸 (株)
0.3



×
×

飛騨一ノ 宮
名古屋営 林局
日本通運 (株)
0.2

×
×
×
×

飛騨一ノ 宮
宮村
(株)宮 本
0.2





(株)宮 本はS45以降 宮村は2005年に高山市と合併
飛騨一ノ 宮
住友セメ ント(株)

0.2





宮村線に 接続
飛騨一ノ 宮
日本石油 (株)
(株)北長商店

0.1





国鉄側線
(株)北長商店はS58は無し
飛騨一ノ 宮
王子製紙 (株)

0.1





一部国鉄 側線
高山
日本通運 (株)(原木線)

0.1





S39で は「原木線」無し
高山
興国人絹 パルプ(株)
日本通運 (株)
0.1

×
×
×
×
日本通運 線から分岐
高山
日本通運 (株)(チップ線)

0.1





原木線か ら分岐
高山
三菱石油 (株)
日本通運 (株)
0.1






高山
日本通運 (株)(石油線)

4.7





上枝駅の 専用線が移管
上枝
日本通運 (株)

0.1




×
一部国鉄 側線
飛騨古川
名古屋営 林局
日 本通運(株)
三井金属鉱業(株)
0.1


×
×
×

飛騨古川
電気化学 工業(株)

0.2






〇:存在 ×:廃止 ‐:未開業


▼1964〜1977年度の貨物取扱量推移 (トン)

久 々野
飛 騨一ノ宮
高  山
年  度
発 送
到 着

発 送
到 着

発 送
到 着

1964
27,647
8,584
36,231
1,764
4,831
6,595
112,882
148,576
261,458
1966
15,841
25,107
40,948
24,155
6,661
30,816
79,142
163,270
242,412
1968
14,802
99,266
114,068
25,415
9,197
34,612
51,242
163,981
215,223
1970
2,000
27,000
29,000
42,000
66,000
108,000
42,000
138,000
180,000
1971
2,000
24,000
26,000
37,000
31,000
68,000
38,000
125,000
163,000
1973
1,786
18,163
19,949
38,318
93,179
131,497
35,346
100,295
135,641
1975
550
11,812
12,362
34,278
81,873
116,151
21,353
80,974
102,327
1977
960
2,130
3,090
33,299
72,995
106,294
20,459
63,999
84,458
(『岐阜県統計書』より作成)

 久々野駅は、1960年代後半に到着が一時的に増加した。同駅には中部電力(株)専用線があり、発電所関係の輸送かと想像し調べてみたところ、ネット上 で情報が見つかった。

 「にしみやうしろ仮駅」さんのwebサ イトに「久々野駅 の側線(中部電力高根水力専用線)」があり、そこから情報を纏める。『久々野町史』によると、1952(S27)年8月に中部電力の専用線(1番 線、2番線)が完成し、翌1953(S28)年1月には日本通運(株)専用線が完成したとのこと。久々野駅から朝日ダムには16kmに渡る索道で資材を輸 送していたとのこと。その後、高根第1、第2ダム発電所建設に際し、1965(S40)年6月〜1969(S44)年7月の間に大がかりな輸送が行われ、 東藤原駅から小野田セメント(株)の30トンホッパ車でセメントが輸送されていたようだ。

 久々野駅の到着トン数は、1965(S40)年度:24,657トン、1966(S41)年度:25,107トン、1967(S42)年度: 89,054トン、1968(S43)年度:99,266トン、1969(S44)年度:14,654トンと推移し、1967〜1968年度が特にピーク であったことが分かる。

 飛騨一ノ宮駅は、1960年代から日本石油(株)の専用線があり、石油の到着があった筈だが到着量は1968年度まで1万トンを下回る程度で、意外と少 ない。しかしセメントの到着も加わった1970年代は一気に増加していることが分かる。



上  枝
飛 騨国府
飛 騨古川
合  計
年  度
発 送
到 着

発  送
到  着

発  送
到  着

発  送
到  着

1964
19,586
4,553
24,139
35,043
4,386
39,429
111,263
33,969
145,232
308,185
204,899
513,084
1966
29,155
7,232
36,387
29,200
4,896
34,096
162,379
69,512
231,891
339,872
276,678
616,550
1968
27,313
19,195
46,508
14,595
5,805
20,400
93,580
21,985
115,565
226,947
319,429
546,376
1970
30,000
27,000
57,000
13,000
5,000
18,000
93,000
38,000
131,000
222,000
301,000
523,000
1971
20,000
23,000
43,000 6,000
4,000
10,000
95,000
60,000
155,000
198,000
267,000
465,000
1973
5,499
13,486
18,985
348
250
598
71,208
66,691
137,899
152,505
292,064
444,569
1975
2,120
11,971
14,091



51,379
53,748
105,127
109,680
240,378
350,058
1977
2,421
14,452
16,873



44,713
46,133
90,846
101,852
199,709
301,561
(『岐阜県統計書』より作成)

 飛騨古川駅は、後述するようにチップの発送が盛んで、1967(S42)年には全国初のチップ専用列車の発駅となって、一躍脚光を浴びたこともあった。 しかし、発送量は1966(S41)年度をピークに減少しており、1970(S45)年前後は年間9万トン程度で横ばいだったものが、それ以降急激に減少 しており、 チップ輸送が盛んであったのは短い期間であったようだ。上枝駅や飛騨国府駅も1970年代初頭まで発送量が到着を上回り、チップや原木などを発送する木材 輸送が行 われていたのかもしれない。


▼1978〜1995年度の貨物取扱量推移 (トン)

飛騨一ノ宮
高山
上枝
飛騨古川
合  計
年  度
発 送
到  着

発  送
到  着

発  送
到  着

発  送
到  着

発  送
到  着

1978
30,494
74,834
105,328
16,051
67,705
83,756
2,333
14,309
16,642
32,378
46,217
78,595
81,256
203,065
284,321
1979
33,989
80,911
114,900
14,318
73,119
87,437
2,013
14,626
16,639
26,774
47,639
74,413
77,094
216,295
293,389
1980
32,446
70,823
103,269
12,595
55,308
67,903
1,475
11,915
13,390
21,090
38,924
60,014
67,606
176,970
244,576
1981
27,895
67,129
95,024
7,956
53,310
61,266
1,208
10,031
11,239
17,091
52,507
69,598
54,150
182,977
237,127
1982
29,565
68,744
98,309
10,302
62,861
73,163



17,921
46,799
64,720
57,788
178,404
236,192
1983
22,681
63,361
86,042
8,432
57,295
65,727



14,071
35,388
49,459
45,184
156,044
201,228
1984
6,644
61,411
68,055
4,918
41,489
46,407






11,562
102,900‬
114,462
1985
6,972
63,164
70,136
4,462
39,753
44,215






11,434
102,917
114,351
1986
4,320
39,573
43,893
3,996
35,805
39,801






8,316‬
75,558‬
83,694‬
1987
2,832
26,904
29,736
3,400
28,669
32,069






6,232‬
55,573‬
61,805‬
1988
2,776
26,524
29,300
2,668
21,745
24,413






5,444
48,269
53,713‬
1989
2,560
22,610
25,170
1,628
12,898
14,526






4,188‬
35,508‬
39,696‬
1990
2,908
27,626
30,534
1,592
13,588
15,180






4,550
41,214‬
45,764‬
1991
3,480
32,908
36,388
1,660
11,688
13,348






5,140
44,596‬
49,736‬
1992
2,112
21,280
23,392
1,400
13,387
14,787






3,512
34,667
38,179‬
1993
2,496
23,864
26,360
1,448
12,390
13,838






3,944‬
36,254‬
40,198
1994
3,492
33,174
36,666
1,264
11,242
12,506






4,756‬
44,416‬
49,172‬
1995
528
4,864
5,392
536
4,551
5,087






1,064‬
9,415‬
10,479‬
(『岐阜県統計書』より作成)

 上枝駅は、1982(S57)年3月に貨物取り扱いが廃止されたものの、高山駅の側線扱いという形で引き続き石油輸送が継続された。そのため統計上は、 当 然高山駅に含まれるのだが、この輸送は上枝駅末期や高山駅末期の到着量からすると、年間1.3〜1.5万トン程度の需要であったと思われる。40トンタン ク車が、年間300日到着すれば1.2万トン相当になるため、ま さにタンク車1両程度の輸送量ということになる。

 高山都市圏全体で見ると、1970年頃は発着合計で年間50万トンを超えていたが、10年後の1980(S55)年度には半減して同24.5万トン、5 年後の1985(S60)年度に更に半減の11.4万トン、その3年後の1988(S63)年度に半減以下の5.4万トンと、減少するスピードも加速して おり、国鉄時代に全廃されても不思議ではない輸送量のようにも思われる。それでも、廃止されなかったのは道路輸送の困難さから荷主側の強い要請もあったと 想像される。

 1989(H元)年度にあっさりと年間5万トンを下回ってからは、減少傾向に歯止めがかかり、年間4〜5万トン程度で上下している。とは言っても、絶対 量として鉄道貨物輸送を維持するようなレベルでは無かったようで、ついに1995(H7)年9月末をもって貨車輸送は終焉を迎えた。



■年表  
年  月
出   来  事
1955(S30)年頃
三菱石油(株)高山油槽所が開所
1960(S35)年11月
日本石油(株)高山油槽所が開所
1965(S40)年06月
久々野駅着で中部電力(株)高根第1、第2ダム発電所建設用資材輸送開始
1967(S42)年07月
飛騨古川〜奥田間で19両編成のチップ専用列車運転開始
1969(S44)年07月
久々野駅着の中部電力(株)高根第1、第2ダム発電所建設用資材輸送が 終了
1969(S44)年10月
住友セメント(株)飛騨一ノ宮包装所が開設
1969(S44)年11月
電気化学工業(株)飛騨古川セメントSSが開設
1973(S48)年04月
飛騨国府駅の貨物取り扱い廃止
1977(S52)年11月
久々野駅の貨物取り扱い廃止
1982(S57)年03月
上枝駅の貨物取り扱いが廃止され、高山駅の側線扱いに変更
1984(S59)年01月
飛騨古川駅の貨物取り扱い廃止
1986(S61)年11月
高山駅の貨物取り扱い廃止
1987(S62)年03月
高山駅の貨物取り扱いを再開
1995(H07)年09月
飛騨一ノ宮駅向けセメント及び高山(専)駅向け石油輸送が廃止



■品目別の輸送体系考察  
 石油、セメント、木材・チップの3品目について、輸送体系を考察する。セメントは単純な輸送体系で分かりやすいのに対して、石油は輸送体系について確実 な資料が入手でき ておらず、状況証拠から予想している。高山都市圏は中京圏や富山県の伏木港から近く、南北両方向からの輸送が予想される。木材・チップは、飛騨古川〜奥田 間や飛騨一ノ 宮〜春日井間といった判明している区間もあるが、それ以外は残念ながら明確にはなっていない。

 LPGの輸送もありそうではあるが、今のところ見出せていない。石油以上に小口となるLPGは、高山都市圏向けについては当初から貨車ではなくタンク ローリー輸送だっ たのかもしれない。


▼石油  
 『昭和44年版 岐阜県統計書』までは、国鉄の都道府県別貨物発送・到着トン数が掲載されていたのだが、同書より1968(S43)年度 のデータとして、「プロパンガス」「揮発油」の到着トン数を下記の通り抜粋する。岐阜県全体のデータであることに留意しつつ、高山都市圏への貨車による石 油輸送の参 考としたい。
1968 年度
総 計
神 奈川
新 潟
富 山
静 岡
愛 知
三 重
大 阪
和 歌山
プ ロパンガス
1,378
30



935
353
60

揮 発油
54,169
33
66
133
314
37,129
14,425

2,069
(『昭和44年版 岐阜県統計書』p266-269)


飛騨一ノ宮駅(1977年9月現在)
地 図・空中写真閲覧サービス
 飛騨一 ノ宮駅には1960年に開所した日本石油(株)高山油槽所の専用線があった。同所向け石油輸送の発送駅は、同じ岐阜県内の日本石油(株)穂積油槽所と同様 に、汐見町駅の日本石油(株)名古屋油槽所と考えられる。臨 海油槽所からの二次輸送として考えると、伏木駅の日本石油(株)伏木油槽所からの方が距離的には近いものの、上記の都道府県別の到着トン数では、富山県は 僅か年 間133トンであるのに対して、愛知県が同3.7万トンでありメインは汐見町駅であろう。

 更に飛騨一ノ宮駅は、(株)宮本(宮村の第三者使用者)、(株)北長商店といった石油関係と思われる2社の専用線もあった。

 (株)宮本は、1948 (S23)年設立の昭和シェル石油(株)の特約店であり、石油やガスを取り扱っている。そのため塩浜駅の昭和四日市石油(株)から石油やガスが到着していた可能性があ る。(株)北長商店は、1949(S24)年設立で戦前からスタン ダード石油の取り扱いを行っていた。またエッソ系のガソリンスタンドを運営していたのでエッソ系のようだ。そ のため、汐見町駅〔エッソ石油(株)名古屋油槽所〕から石油 が到着してい た可能性があるが、伏木駅にもエッソ石油(株)伏木油槽所の 専用線があり、案 外富山県からの年間133トンという到着が、この北長商店向けだったりするかもしれない。
 高山駅 には「昭和32年版 専用線一覧表」から、三菱石油(株)が現れる。そのため、1955(S30)年頃に高山油槽所が開所し専用線が開設されたと思われ る。右記写真でも分かる通り、油槽所としては小規模と言えそうだが、開所時期は全国的に見ても早い部類になる。高山の道路輸送の困難さという地理的条件 が、油槽所を早い段階で必要としたのかもしれない。

 発送元としては、「昭和32年版」では三菱石油(株)名古屋油槽所〔1949(S24)年12月開所〕に専用線は無く、その当時は鷹取駅に専用線のあった同社神戸油槽所〔1953(S28)年12月開 所〕 だったのかもしれない。しかし「昭和36年版」では、明電築港駅(後 の汐見町駅)に三菱石油の専用線が現れ、これ以降は名古屋油 槽所から石油の供給を受けていたと考えられる。

高山駅(1977年9月現在)
地 図・空中写真閲覧サービス

上枝駅(1977年9月現在)
地 図・空中写真閲覧サービス
 上枝駅 には日本通運(株)の専用線があったが、石油の取り扱いを行っていた。同駅に隣接して(株)山善商店 上枝油槽所があり、同所向けの石油輸送が行われていた と思われる。「専用線一覧表」には、(株)山善商店の名は一切現れず、現地に行き初めて分かった情報である。

 (株)山善商店は、1950(S25)年に設立され、コ スモ石油(株)の特約店である。そのため、四日市駅のコスモ石油四日市製油所の専用線から石油が 到着していたものと思われる。

 2004(H16)年8月の段階で(株)山善商店の上枝油槽所は撤去済みで、空き地となっていた。

2004.8上枝駅

2018.5上枝駅



1980年代半ばと思われる 三菱石油(株)高山油槽所
※YK様からご提供いただきました!!

1988.8 高山〜上枝間
※YK様からご提供いただきました!!
 「YK 様」から1980年代の貴重な写真や情報をご提供いただきましたので、転載させていただきました。

 三菱石油(株)高山油槽所は、廃止後も暫く石油タンクなどの施設が残っていたとのことで、写真は撮影時期不明で油槽所廃止後かもしれないとのこと。また 油槽所が稼働している頃は、専用線にはいつもタンク車が1両停車していたとのこと。

 上枝駅の石油輸送は、見事にタキ2両の輸送で上枝駅の入換風景が記録されているほか、上枝駅から見た現役時代の油槽所の写真も大変貴重な風景。

 YK様ありがとうございます!!

1986〜1987年頃 上枝駅入換風景
※YK様からご提供いただきました!!

1986〜1987年頃 上枝駅入換風景
※YK様からご提供いただきました!!

1986〜1987年頃 上枝駅入換風景
※YK様からご提供いただきました!!



▼セメント  

2004.8飛騨一ノ宮駅  住友大阪セメント(株)飛騨一ノ宮SS
 住友セ メント(株)飛騨一ノ宮SSは、同じ県内の同社本巣工場から貨車でセメントが供給され、専用線廃止までその輸送体系は変更されなかった。

 JR貨物になってからの期間は、飛騨一ノ宮駅の到着量は年間2〜3万トン程度で、全てが住友セメント向けの輸送量と思われるが、数量の少なさが意外であ る。 40トン積みタンク車で、1日3両程度で事足りる規模だ。

 2020(R2)年6月現在で、住友大阪セメント(株)のwebサイトに よると飛騨一ノ宮SSは現役であり、専用線を含めて貨車輸送の名残を色濃く残し ている。

2004.8飛騨古川駅  電気化学工業(株)飛騨古川セメントSS
 電気化 学工業(株)飛騨古川セメントSSは、青海駅の同社青海工場から貨車でセメントが供給され、こちらも専用線廃止まで輸送体系の変更は無かったようだ。

 飛騨古川駅の到着量から推定すると、年間4〜5万トン程度のセメント輸送が行われていたようで、飛騨一ノ宮駅の住友セメントよりも1.5倍程度、数量が 多かったようだ。しかし、廃止時期は国鉄末期と飛騨一ノ宮駅よりも大分早く、そういった点は皮肉だ。

 2004(H16)年当時は、SSが稼働中であったがその後閉鎖され、サイロ等の施設は完全に撤去された。



時期不明 飛騨一ノ宮駅
※YK様からご提供いただきました!!

時期不明 飛騨一ノ宮駅
※YK様からご提供いただきました!!

時期不明 飛騨一ノ宮駅 移動機
※YK様からご提供いただきました!!
 「YK様」から飛騨一ノ宮駅に到着する住友セメント(株)所有のタキ1900形5両を連ねたセメント列車の写真を提供いただ きました。

 またYK様からご提供いただいた1984年1月29日付『岐阜日日新聞』(現、岐阜新聞)によると、電気化学工業(株)古川SSは新潟県の工場から、
年間4万4千トンのセメントを富山駅経由で飛騨古川駅に輸送しているが、同駅の貨物取り扱い廃止に伴いトラック輸送に転換するとのこと。

 YK様ありがとうございます!!



▼木材・チップ  
 上記石油でも引用した『昭和44年版 岐阜県統計書』より「パルプ用材」、「チップ」の都道府県別発送トン数を抜粋する。こちらも岐阜県全体の数量であ ることに留意しつつ、高山都市圏からの木材・チップ輸送のヒントとしたい。岐阜県からの輸送先として、メインは富山県と愛知県であることは一目瞭然で、地 理的にも当然と言える。

1968 年度
総 計
富 山
福 井
岐 阜
静 岡
愛 知
そ の他
パ ルプ用材
49,277
39,553
-
257
3,313
5,990
164
チッ プ
115,930
75,308
7,410
-
566
32,646
-
(『昭和44年版 岐阜県統計書』p262-265)

 さて、上記表に対して「昭和45年版 専用線一覧表」を用いて、輸送先を下記の通り予想した。基本的に紙・パルプメーカーが輸送先と思われる。静岡県 は、下記表には含めなかったが富士市内の大昭和製紙(株)や本州製紙(株)も該当するかもしれない。


富   山
福  井
岐  阜
静  岡
愛  知
駅   名
奥  田
能  町
伏  木
二  塚
芦 原温泉
中 津川
可 児川
島  田
用  宗
春 日井
荷   主
(株) 興人
中 越パルプ
工業(株)
十 條
製紙(株)
砺 波
製紙(株)
福 井化学
工業(株)
本 州
製紙(株)
名 古屋
パルプ(株)
東 海
パルプ(株)
(株) 巴川
製紙所
王 子
製紙(株)

 これらの内、実際に判明しているのが奥田駅の(株)興人向けのチップ輸送である。興人(興国人絹パルプ)は、高山駅に専用線があったが昭和42年版では 姿を消し、そのまま日本通運(株)のチップ線となったようだが、時を同じくして飛騨古川〜奥田間にチップ専用列車が設定されており、興人は発駅を高山駅か ら飛騨古川駅に変更したと考えられる。

  1967(S42)年7月11日から全国初の試みとして、飛騨古川〜奥田間に チップ専用列車が設定された。一般の貨車輸送では、両駅間を富山操車場経由 で最短20時間を要したが、19両編成の専用列車を運転する ことにより、飛騨古川駅を15時に出発し、奥田駅には翌日6時半に到着し、時間が明確になると 共に、4時間短縮されることになった。奥田の工場では、全国初と言われるチッ プ取卸専用設備を設置しており、トラックから鉄道への大幅な移行が期待されて いる。(『金鉄だより No.128』国鉄金沢鉄道管理局、1967年、p6)

 『富山市統計書』によると、奥田駅の1969(S44)年度の「パルプ用材」の到着量は102,084トンであり、飛騨古川駅の同時期の発送量が年間約 9万トンであったことを踏まえると、奥田駅に到着するチップの大半が飛騨古川発のものであったと思われる。

 奥田駅の「パルプ用材」の到着量の推移は下記の通り。
年   度
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
パ ルプ用材(トン)
102,084
93,035
86,712
66,578
55,172
37,830
38,389
42,070
36,410
24,545
6,318
13

(『富山市統計書』より作成)

 1970年代後半になると急速に到着量が減っており、飛騨古川〜奥田間のチップ輸送は1979(S54)年頃に廃止されたものと思われる。


1984年頃 飛騨国府〜飛騨古川
※YK様からご提供いただきました!!
 「YK 様」からご提供いただいた先述の1984年1月29日付『岐阜日日新聞』によると、飛騨古川駅からチップ材を発送している飛州産業は1964(S39)年に駅の北側に工場を建設し、貨物ホーム との間にベルトコンベヤーを設け、貨車に直接チップ材を積み込んでいたとのこと。しかし1984(S59)年2月のダイヤ改正による飛騨古川駅貨物取り扱 い廃止により、トラック輸送に転換されることになった。同社試算によると、これまで貨車1両(14トン積み)分の運賃は、3万5〜6千円だったが、トラッ ク輸送は約4万円にコストアップする。

 奥田駅向けのチップ輸送が廃止された後は、春日井駅の王子製紙(株)向けの輸送が残っていたのであろうか。廃止間近に飛騨国府駅側でYK様がチップ貨車 を目撃されていることから、愛知県側の輸送が残っていたような気がする。

 YK様ありがとうございます!!


 また飛騨一ノ宮駅には、王子製紙(株)の専用線があり、春日井駅の同社春日井工場向けのチップ輸送用に敷設した専用線であろう。
 尚、飛騨一ノ宮駅から春日井駅の王子製紙向けのチップ輸送量としては、1977〜78年度の平均で月間2.3千トンである。野 尻 亘『日本の物流=産業構造の転換と輸送空間=』1997年)
 この輸送については、飛騨一ノ宮駅が1983(S58)年度の発送量22.7千トンだったのが、翌年には6.6千トンに急減しており、この頃に廃止され たと想像される。

 さらに同時期の1984(S59)年1月に飛騨古川駅の貨物取り扱いが廃止されていることから、高山都市圏からの貨車によるチップ輸送はこの頃全廃され たと思われる。



■最後に  

 長いこと道路事情に恵まれなかった高山都市圏であるが、2000(H12)年10月には東海北陸自動車道の飛騨清見ICが開通、高山都市圏も直接高速道 路ネットワークに組み込まれた。東海北陸自動車道は、2008(H20)年7月には全線開通し、現在は高山都市圏を東西に走る中部縦貫道の高山清見道路の 建設が進んでいる。また従来からある国道41号の機能強化も進んでおり、高山市内には高山国府バイパスのような高規格道路も整備されるなど、自動車による ア クセスは飛躍的に向上している。筆者自身、2018(H30)年にこれら地域をクルマで訪れた際は、地域一帯で非常に快適なドライブが可能で、道路事情の 改善 を身をもって体感した。

 そのため、高山都市圏に対して鉄道貨物輸送の復活を唱える気はそれほど起きないというのが正直な気持ちではある。末期における取扱量の少なさもそれに輪 をかける。ただ飛騨一ノ宮駅や高山駅、上枝駅の各油 槽所や石油タンク車、専用線の荷役風景など記録写真が発掘できていないのは寂しい。セメント会社のSSは貨車輸送廃止後ではあるが、自ら撮影した写真はあ るだけに、石油 系も何とか写真だけでも出てきて欲しいところだ。(※その後、YK様よりご提供いただきました!!) 高山都市圏の産業活動をかつて支えていた鉄道貨物輸 送の記録は残していきたいというのが、今のささやかな 願 いである。



《主 な参考文献》
『セメント年鑑』セメント新聞社、1988年など
『昭和44年版 岐阜県統計書』岐阜県、1970年
『富山市統計書』富山市、1970年など
『日本石油百年史』日本石油株式会社、1988年
野尻 亘『日本の物流=産業構造の転換と輸送空間=』古今書院、1997年
『三菱石油五十年史』三菱石油株式会社、1981年
渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻139号、1995年
各社webサイト
Wikipedia
など


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