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塩釜埠頭駅 〜東北地方随一の石油発送拠点であった臨港貨物駅の残像〜
2017.2.15作成開始



■はじめに 

塩釜埠頭駅と一本松石油基地[1]
 塩釜港は仙台の外港として江戸時代より発展し、明治政府による野蒜築 港の失敗により、明治以後もその地位は揺らがなかった。塩釜港と鉄道の関係も古く、塩釜埠頭駅が所属した塩釜線は元を辿ると日本鉄道が1887(明20) 年に開業した路線である。塩釜港で資材を陸揚げし、宮城県や福島県に線路が敷設されたという歴史的経緯がある。

 そして塩釜埠頭駅の名称に関しては、改称や他駅との統合が複雑に絡み合いなかなかややこしい。
 簡単に整理をすると、塩釜埠頭駅は1933(昭8)年9月に開業した当時は、塩竈港駅(貨物)であった。しかし1956(昭31)年6月に塩竈港駅は塩 釜 埠頭駅に改称され、その1ヵ月後の同年7月には塩竈駅が塩釜港駅に改称され、同時に旅客営業が廃止された。

 その後、1986(昭61)年10月に塩釜港駅は廃止され、同駅は塩釜埠頭駅に統合された。そして1990(平2)年4月には塩釜埠頭駅の整理が行 われ、旧塩釜港駅−旧塩釜埠頭駅の線路が廃止された。塩釜埠頭駅は、旧塩釜港の場所に移転した。

 尚、1989(平元)年3月 に塩釜埠頭駅はコンテナの取り扱いを開始したが、1994(平6)年4月には営業を休止し、1997(平9)年4月に廃止され 、その長い歴史に終止符を打った。

 塩釜埠頭駅は隣の塩釜港駅、対岸の塩釜魚市場駅も含めると、石油、セメント、チップや飼料、鮮魚など臨港線としての機能が狭い範囲に凝縮されていた。特 に石油輸送については、堀込港湾の仙台港が開発され東北石油(株)仙台製油所が稼働しても、油槽所集積地帯としてタンク車輸送の重要拠点として暫く活動を 続けていた点が興味深い。

 東北地方を代表する石油発送拠点の1つであった塩釜埠頭駅の歴史を俯瞰してみたい。


■塩釜埠頭駅の関連年表
年  月
出  来  事
1933(昭08)年09月
塩竈線が塩竈港駅まで延伸。塩竈港駅が開業
1947(昭22)年11月
(株)亀井商店が塩釜市中埠頭に油槽所建設([1] p234)
1950(昭25)年05月
スタンダードバキューム石油(株)塩釜貯油所が開所(『ゼ ネラル石油三十五年の歩み』1982年、p263)
1950(昭25)年12月
(株)亀井商店は塩釜市一本松に塩釜油槽所を完成。日本石油(株)とス タンダードバキューム石油(株)の寄託業務が本格化([1]p235)
1952(昭27)年06月
小野田セメント(株)塩釜SSが設置(『小野田セメント 百年史』1981年、p529)
1953(昭28)年09月
日本石油(株)塩釜油槽所が完成([1]p235)
1953(昭28)年10月
富士運輸倉庫(株)が設立。営業所を中埠頭に置き三菱石油(株)を荷主 に営業開始([1]p236)
1956(昭31)年06月
塩竈港駅が塩釜埠頭駅に改称
1956(昭31)年07月
塩竈線の旅客営業が廃止。塩竈駅が塩釜港駅に改称
1957(昭32)年12月
丸善石油(株)塩釜油槽所が新設(塩釜魚市場駅)
1960(昭35)年10月
富士運輸倉庫(株)内に(株)亀井商店がLPGの20トンストレージタ ンク2基完成。日本石油瓦斯(株)川崎ターミナルからタンク車輸送開始([1]p252)
1963(昭38)年11月
塩釜港西埠頭に日本配合飼料(株)が進出([2] p150)
1964(昭39)年05月
大協石油(株)塩釜油槽所が完成(『大協石油40年史』 1980年、p189、p511)
1964(昭39)年05月
日本セメント(株)塩釜包装所が新設(『百年史』日本セ メント株式会社、1983年、p446)
1964(昭39)年08月
モービル石油(株)塩釜油槽所が開所(『100年のあり がとう モービル石油の歴史』1993年、p452)
1965(昭40)年10月
塩釜魚市場駅までの貨物支線開通。塩釜魚市場駅が開業
1965(昭40)年12月
一本松地区の8社共同による鉄道側線工事が完了。入換作業は富士運輸倉 庫(株)が請け負う([1]p236)
1966(昭41)年05月
(株)亀井商店は中埠頭油槽所の施設を一本松に集約、中埠頭の敷地を売 却([1]p235)
1966(昭41)年09月
品川油化(株)塩釜出張所・LPG基地新設(『品川燃料 六十年史』1987年、p397)
1967(昭42)年02月
共同石油(株)塩釜油槽所が開所(『共同石油20年史』 1988年、p528)
1968(昭43)年04月
丸善石油(株)塩釜油槽所が塩釜市貞山通に移転(塩釜埠頭駅)(『35 年のあゆみ』丸善石油株式会社、1969年、p11)
1968(昭43)年09月
塩釜港で大昭和パルプ(株)岩沼工場向け輸入チップ取り扱い開始([2] p151)
1970(昭45)年12月
品川燃料(株)塩釜油槽所を新設(『品川燃料六十年史』 1987年、p399)
1978(昭53)年12月
塩釜魚市場駅までの貨物支線廃止。塩釜魚市場駅が廃止
1981(昭56)年09月
品川燃料(株)が丸善石油(株)塩釜油槽所を買収(『品 川 燃料六十年史』1987年、p282)
1986(昭61)年10月
塩釜港駅が塩釜埠頭駅に統合され廃止
1989(平元)年03月
塩釜埠頭駅でJRコンテナ取り扱い開始(『塩竈港運送株 式会社 創立70周年史』2014年、p175)
1990(平02)年04月
塩釜埠頭駅が旧・塩釜港駅の場所に移転
1994(平06)年04月
塩釜線の営業休止


■塩釜埠頭駅の貨物取扱量(トン)の推移
駅 名
塩  釜 埠 頭 駅
塩  釜 港 駅
合   計

発送
到着
小計
発送
到着
小計
発送
到着
合計
1985(S60)年
218,807
35,164
253,971
8,426
8,532
16,958
227,233
43,696
270,929
1986(S61)年
149,312
22,959
172,271
3,867
6,916
10,783
153,179
29,875
183,054
1987(S62)年
1,003
327
1,330



1,003
327
1,330
1988(S63)年
679
243
922



679
243
922
1989(H元)年
900
4,900
5,800



900
4,900
5,800
1990(H02)年
997
4,820
5,817



997
4,820
5,817
1991(H03)年
910
5,735
6,645



910
5,735
6,645
1992(H04)年
300
5,045
5,345



300
5,045
5,345
1993(H05)年
290
4,850
5,140



290
4,850
5,140



■塩釜埠頭駅及び塩釜港駅、塩釜魚市場駅に接続する専用線一覧
専用者
第 三者利用者
(真荷主 又は
通運事業者等)

1953
年版
1957
年版
1961
年版
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
富士運輸倉庫(株)
三菱石油(株)
富士興産(株)
日本石油瓦斯(株)
日本石油(株)
出光興産(株)
(株)亀井商店


日本石油輸送(株)
岩谷産業(株)
シェル石油(株)
大協石油(株)


























































×
×









×
×
×
×







×
×
×
×
×







×
×
×
×





1970年版以前は(株)亀井商店が専用者
富士運輸倉庫(株)は第三者利用者
1954年版にはスタンダードバキューム石油(株)が第三者利用者
小野田セメント(株)










日本セメント(株)








×

日本石油(株)
石油荷役(株)









エッソ石油(株)
ゼネラル石油(株)
日本石油輸送(株)








日本石油輸送(株)は1975年版以降
ゼネラル石油(株)は1967年版以降
宮城県









公共臨港線
大協石油(株)


出光興産(株)

シェル石油(株)
共同石油(株)
丸紅(株)
品川燃料(株)
丸善石油(株)
エッソ石油(株)
三井物産(株)
富士運輸倉庫(株)
日本オイルターミナル(株)
モービル石油(株)
渡兵運輸(株)
モービル石油(株)

日本オイルターミナル(株)

共同石油(株)



モービル石油(株)






















































































×












×




日本オイルターミナル(株)は1983年版のみ
モービル石油(株)は1975年版のみ
渡兵運輸(株)は1970年版のみ
モービル石油(株)は1970年版のみ
1964年版以前は塩釜港駅に専用線あり
日本オイルターミナル(株)は1983年版のみ、1987年3月廃止[3]p64



1964年版以前は塩釜港駅に東北丸善石油販売(株)あり
1983年版では使用休止
大昭和製紙(株)
塩釜港運送(株)








国鉄側線
−:未設置 ○:存在 △:使用休止 ×:廃止


所 管駅
専 用者
第 三者利用者
1953
年版
1957
年版
1961
年版
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
塩釜港
(株)亀井商店
三菱商事(株)
日本配合飼料(株)







×
三菱商事(株)は1957〜1970年版
日本配合飼料(株)は1967〜1975年版
塩釜港
東北丸善石油販売(株)
石油荷役(株)




×
×
×
×
1957年版は丸善石油(株)
塩釜港
出光興産(株)
塩釜港運送(株)




×
×
×
×

塩釜港
日本冷蔵(株)
塩釜港運送(株)
仙台運送(株)







×

塩釜魚市場
東北造船(株)
塩釜港運送(株)
塩釜通運(株)






×
×

塩釜魚市場
丸善石油(株)
石油荷役(株)







×

−:未設置 ○:存在 △:使用休止 ×:廃止


■塩釜埠頭駅の石油輸送

 塩釜埠頭駅は、1933(昭8)年に開業した当時は塩竈港駅の名であり、1956(昭31)年に塩釜埠頭駅に改称されたが、その前から油槽所の設置が始 まり石油輸送が開始された。
 その先鞭をつけたのが(株)亀井商店〔現・カメイ(株)〕であり、1947(昭22)年11月には塩釜港に油槽所を建設した。さらに将来的な石油需要の 増加を見据えて、塩釜市一本松地区(塩釜市貞山通二丁目)の広大な土地を買収、1,000トンのガソリンタンク2基を1950(昭25)年12月に完成さ せた。([1]p234)

 一本松石油基地の開設と相前後して、仙山線経由での山形方面への輸送においての「石油優先列車」(現在の石油専 用列車)の運行が開始された。これは仙山線の輸送力に制約があったことから秋冬期に使用割り当て制が行われ、石油元売各社はその対策に苦慮していたのだ が、 1965(昭40)年10月ダイヤ改正を機に同線に石油優先列車の運行が実現し、輸送条件を著しく改善したものであった。これは日本石油輸送(JOT)の 運用タンク車を対象としたものとしては最初であった。([4]p120-121)

 塩釜埠頭駅の石油輸送は、仙台臨海鉄道の仙台北港駅が1971(昭46)年10月に開業したことの影響を強く受けた。同駅には東北石油(株)仙台製油 所)の専用線が接続しており、ジョイント輸送の進展などにより塩釜埠頭駅から仙台北港駅へ徐々に発送元が集約されて いった ためだ。(三菱石油、日本石油へのジョイント輸送開始は1977年10月[3]p101)

 それでも『'85貨物時刻表』では、塩釜港発の石油専用列車は6本もある。内訳は漆山行きが2本、楯山行きが1 本、盛岡(タ)行きが1本、二枚橋行きが1本、陸前山王行きが1本である。漆山行きは途中解結無しで同駅にはシェル、出光、丸善の専用線があり、楯山行き も解結無しで同駅はエッソの専用線、盛岡(タ)行きも解結無しで同駅は日本OT向けであろう。一方、二枚橋 行きは六原(三菱製紙)、北上(日石)、村崎野(昭石)、二枚橋(シェル)と解放をしており()内の専 用線向けの石油輸送だったと思われ る。陸前山王行きは、同駅で蔵王行き石油列車が連結を行っており、蔵 王駅 には共石の専用線が あったため同駅向けの輸送に継走されたと 想像される。また長町駅にはシェル、共石の専用線、岩沼駅にはゼネ石の専用線がありこれらも塩釜埠 頭駅から石油が到着していたと思わ れる。このように塩釜埠頭駅は岩手、山形両県の内陸油槽所向けを中心に石油タンク車輸送の一大拠点であったことが窺える。(専用線は「1983年版専用線 一覧表より」)

 『塩釜市統計書』によると、塩釜埠頭駅の発送量は1985(昭60)年は219千トン、1986(昭61)年は149千トンであったが、1987(昭 62)年は僅か1千トンに激減した。この時点で塩釜埠頭駅の石 油輸送は全廃されたと見ていいだろう。

 仙台臨海鉄道は塩釜港駅及び塩釜埠頭駅の入換業務の受託を受けていたが、1984年9月に丸善石油が一部を残し大部分をローリー輸送に切り替えられた のを皮切りに、元売各社は次々と塩釜埠頭駅一本松石油基地から撤退し、1987年3月に昭和シェル石油の撤退により石油発送は皆無となり、受託業務廃止と なった。[3]p63-64

 その一方で仙台臨海鉄道の石油製品の輸送量は、 『鉄道統計年報』によれば、1985年度は552千トン、1986年度は572千トンだが、1987年度は647千トンと前年度より75千トンも伸びてい る。塩釜埠頭駅からのタンク車輸送は一部はローリー輸送へと転換された分もある筈(楯山駅のエッソ石油向けの輸送など)だが、それでも相当な量が仙台北港 駅に移管されたことが窺える。

 塩釜埠頭駅の専用線一覧表を見ると石油元売各社が軒並み専用線を敷設していたことがよく分かる。また品川燃料(株)や岩谷産業(株)のように短期 間しかそ の名前が現れない荷主もあり興味深いところだ。

 現在の塩釜港区に立地する油槽所としては、最大規模を誇った日本石油(株)塩釜油槽所は閉鎖され姿を消したが、カメイ(株)塩釜貞山油槽所、エ クソンモービル(有)塩釜油槽所、出光興産(株)塩釜油槽所、昭和シェル石油(株)塩釜油槽所、東西オイルターミナ ル(株)塩釜油槽所(旧、コスモ石油(株)塩釜油槽所)、丸紅(株)塩釜油槽所、(株)ジャパンエナジー塩釜LPG基地、品川燃料(株)塩釜油槽所など各 社の油槽所が規模を縮小しつつも現存している。


■塩釜埠頭駅のセメント輸送

 塩釜埠頭駅には小野田セメント(株)塩釜SS、日本セメント(株)塩釜SSと2社の専用線が存在したが、共にその輸送体系は謎である。

 小野田セメント(株)塩釜SSへは、大船渡工場からタンク車輸送でセメントが運ばれたのかもしれないが、船舶輸送よりも有利とは思えず、陸揚げしたセメ ントを鉄道で内陸SSや需要家に発送する拠点だったと思われる。しかし該当するような内陸SSの専用線は無く、その他の需要家としては山ノ目駅の岩手 ヒューム管工業 (株)、村崎野駅のピーエス・コンクリート(株)、東北ポール(株)、岩沼駅の東日本コンクリート(株)、神町駅のピーエス・コンクリート(株)の専用線 あたりが輸送先として怪しいだろうか。

 同様なことは日本セメント(株)でも言える。もしかすると東北新幹線建設用のセメントサイロ向けといったタンク車輸送もあったかもしれないし、ワム車に よる袋詰セメント輸送だったりすると、調べようがなく実態が解明できない。石油輸送と比べると、実態が見えてこないのがもどかしいところである。


■塩釜埠頭駅のチップ輸送



■おわりに




[1]『風調雨順 亀井商店の八十年』株式会社亀井商店、1984年
[2]『塩竈港運送株式会社 四十五年史』塩竈港運送株式会社、1989年
[3]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として)』仙台臨海鉄道株式会社、1990年
[4]『日本石油輸送の25年』日本石油輸送株式会社、1973年


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