所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
浜釧路 | 釧路港湾管理者 | 私有機 | 1.1 | 4.6 | 公共臨港線 | |||
〃 | 釧路市長 | 公共臨港線から分岐 S58の時点で使用休止 |
||||||
留萌 | 留萌市 | 国鉄機 | A線 0.5 B線 0.5 |
0.8 | 公共臨港線 S58の時点で使用休止 |
|||
浜小樽 | 小樽市長 | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
臨港鉄道 所有機 |
A線 0.1 B線 0.4 |
1.5 | 第一埠頭線 |
浜小樽駅から伸びる臨港線の入れ換え作業を一手に引き受けていたと思われるのが浜小樽臨港鉄道という地方鉄道のような名前を持った運輸会社である。 専用線を持っているが,100mの国鉄側線であるし私有機の車庫としてでも使っていたのかも知れない。 wikiに拠ると概要・沿革は以下の如し。 小樽運河建設の小樽港第2期港湾修築工事が1932年(昭和7年)7月に竣工した。この工事にて小樽市は港湾荷役業務の効率化を図るために臨港鉄道の敷設 を政府に陳情したが、財政上の理由により受け入れられず、このため市は市費を投じて小樽築港駅構内分岐点から本線2km、側線2.2kmの敷設を行い鉄道 省へ寄付した。これにより鉄道省は当駅を開設した。当駅から港側に市営の公共臨港線を伸ばし、各埠頭の建設に併せて専用岐線を敷設して小樽臨港鉄道株式会 社に管理運用をさせていた。 歴史 1932年(昭和7年)7月1日 - 貨物支線・臨港鉄道と共に浜小樽駅開設。 1937年(昭和12年) - 第1号埠頭(現・港町埠頭の一部)完成。岐線使用開始。 1950年(昭和25年) - 第2号埠頭完成。岐線使用開始。 1954年(昭和29年) - 第3号埠頭第1期工事完成。岐線使用開始。 1972年(昭和47年) - 第4号埠頭(現・中央埠頭)完成。岐線使用開始。 1984年(昭和59年)2月1日 - トラック輸送への合理化のため、公共臨港線及び貨物支線廃線に伴い廃駅。 |
|
〃 | 旭硝子(株) | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
〃 | 0.1 | 0.1 | |||
〃 | 小樽市長 | 日本通運(株) 北海道通運(株) 日本塩回送(株) |
〃 | D線 0,5 | 0,7 | 一部国鉄側線 第二埠頭一号線 |
||
〃 | 小樽市長 | 日肝油糧(株) | 日本通運(株) 北海道通運(株) 日本塩回送(株) |
〃 | E線 0.5 | 0.8 | 一部国鉄側線 第二埠頭二号線 |
|
〃 | 小樽臨港鉄道(株) | 私有機 | 0.1 | 0.1 | 一部国鉄側線 | |||
〃 | 日本農産工業(株) | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
臨港鉄道 所有機 |
|||||
〃 | 小樽市長 | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
〃 | |||||
〃 | 小樽市長 | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
〃 | |||||
〃 | 小樽市長 | 〃 | A線 0.1 B線 0.1 C線 0.2 D線 0.5 E線 0.5 |
2.3 | 公共臨港線 | |||
〃 | 北海道合同マタイ(株) | 日本通運(株) 北海道通運(株) |
〃 | 0.1 | 0.1 | |||
〃 | 小樽市長 | 〃 | 0.8 | 0.8 | 第4埠頭公共臨港線 | |||
〃 | 小樽市長 | 北日本倉庫港運(株) | 〃 | 0.1 | 0.2 | 第4埠頭公共臨港線分岐 鋼材線 |
||
〃 | 日本セメント(株) | 〃 | 0.2 | 0.2 | 第4埠頭公共臨港線分岐 | |||
苫小牧 | 日本セメント(株) | 苫小牧埠頭機 | 0.8 | 1.4 | 公共臨港線分岐 | |||
〃 | 苫小牧市長 | 港開発機 | 3.3 | 15.4 | 公共埠頭線 (石炭埠頭) |
苫小牧駅の公共臨港線関連の入換作業を担っていたのは基本的に苫小牧埠頭で有ったようだが,石炭埠頭線に限っては苫小牧 港開発(臨海鉄道)が担っていた様である。 | ||
〃 | 苫小牧市長 | 苫小牧埠頭機 | 2.0 | 9.3 | 公共臨港線 (雑貨埠頭) |
|||
〃 | 苫小牧埠頭(株) | 三菱金属鉱業(株) 住友石炭鉱業(株) |
苫小牧楢崎港運(株) | 私有機 | 0.1 | 0.1 | 公共臨港線分岐 | 石炭の積み出し関連か? 当時三菱は夕張に住友は赤平(根室本線)に生産中の炭砿あり。 楢崎港運はもともと室蘭の会社。 |
〃 | 宇部興産(株) | 苫小牧埠頭機 | 0.5 | 0.7 | 公共臨港線分岐 | 宇部興産は苫小牧から帯広・足寄・比布・様似等にタキ3800を使用してセメント輸送をしていたそうである。 | ||
陣屋町 | 室蘭開発(株) | 室蘭海陸通運(株) 日本通運(株) (株)栗林商会 大昭和製紙(株) 楢崎港運(株) |
私有機 | A線 0.1 B'線 0.2 B線 1.0 C線 0.5 |
2.4 | 陣屋町→白老で大昭和のチップ輸送あり。 楢崎港運は現在のナラサキ産業(株)傘下の楢崎総合運輸(株)の様である。沿革はこ ちら。 |
||
本輪西 | 室蘭開発(株) | 日本石油(株) 日本石油精製(株) (株)栗林商会 |
国鉄機 私有機 |
1.1 (機)0.5 |
0.1 | 専用鉄道 一部国鉄側線 |
||
〃 | 室蘭埠頭(株) (株)中卯商会 丸善石油(株) 三菱石油(株) |
北炭カーボン(株) | (株)栗林商会 (株)ほくさん 日本オイルターミナル(株) |
国鉄機 移動機 手押 |
D線 0.3 E線 0.3 F線 0.2 G線 0.1 I線 0.1 K線 0.1 L線 0.1 |
2.1 | 共有線 | |
東室蘭 | 室蘭市長 | 日本通運(株) 室蘭通運(株) |
移動機 | 1.4 | 2.6 | 市場線 使用休止 |
||
西室蘭 | 室蘭開発(株) | 三菱鉱業(株) | 私有機 | 0.6 | 1.1 | 公共臨港線から分岐(鋼材線) | ||
〃 | 協同飼料(株) | 日本通運(株) 室蘭海陸通運(株) |
開発(株) 所有機 |
0.2 | 0.2 | 公共臨港線から分岐 | ||
〃 | 室蘭市長 | 開発(株) 所有機 |
A線 0.1 B線 0.4 C線 0.4 D線 0.6 E線 0.3 F線 0.9 G線 0.3 |
公共臨港線 (1,2,3号埠頭線) |
||||
〃 | 北海道肥料(株) | 開発(株) 所有機 |
0.3 | 0.4 | 使用休止 公共臨港線分岐 |
|||
〃 | 日東肥料化学工業(株) | 開発(株) 所有機 |
0.3 | 0.3 | 公共臨港線分岐 | |||
函館 | 橋谷(株) | 日本通運(株) 函館運送(株) |
国鉄機 手押 |
A線 0.1 B線 0.1 |
0.2 | 函館市第一線と二線接続 | ||
〃 | 函館市第一 | 函館石炭石油(株) 北海運輸倉庫(株) 太洋石炭販売(株) 日清製粉(株) 三菱石油(株) 北炭燃料(株) |
日本通運(株) 函館運送(株) |
国鉄機 手押 |
C線 0.2 D線 0.1 |
0.4 | 橋谷線と二線接続 | 公共臨港線との記述は特になし。 |
〃 | 函館市第二 | 函館倉庫(株) 日本化学飼料(株) 函館石炭石油(株) 北海運輸倉庫(株) 日清製粉(株) 丸善石油(株) 岩谷産業(株) |
日本通運(株) 函館運送(株) |
国鉄機 | G線 0.5 K線 0.1 M線 0.4 J線 0.7 O線 0.4 |
公共臨港線との記述は特になし。 吉 岡氏に拠ると日本化学飼料KKはタム20500形を所有し,道内から魚油を函館工場に移入していたそうだ。 |
||
モービル石油(株) | 国鉄機 手押 |
0.1 | 0.1 | 函館市長線と二線接続 | ||||
函館市長 | 国鉄機 手押 |
P線 1.2 R線 0.6 |
2.6 | モービル石油線と二線接続 公共臨港線 |
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
青森 | 青森県 (1万トン岸壁) |
私有機 | 0.5 | 2.2 | 公共臨港線 | |||
本八戸 | 青森県 (第一専用線) |
八戸通運機 | 2.7 | 4.3 | ||||
〃 | 大平洋金属(株) | 八戸通運(株) | 〃 | 3.2 (共用2.7) |
1.1 | 青森県第一専用線に接続 | ||
〃 | 東北電力(株) | 八戸通運(株) | 〃 | 4.2 (共用3.3) |
0.9 | 青森県第一専用線に接続 | ||
〃 | 日本石油(株) | 八戸通運(株) 石油荷役(株) 八戸運輸倉庫(株) 日本石油輸送(株) 日本オイルターミナル(株) |
八戸通運機 手押 |
4.3 (共用3.8) |
0.9 | 青森県第一専用線に接続 | ||
〃 | 青森県 (第二専用線) |
八戸通運機 | 5.4 | 3.2 | 青森県第二専用線から接続 | |||
〃 | 仙台防衛施設局 | 〃 | 5.0 (共用4.9) |
0.5 | 青森県第二専用線に接続? | |||
〃 | 出光興産(株) | 八戸通運(株) 日本オイルターミナル(株) |
〃 | 5.1 (共用5.0) |
0.5 | 青森県第二専用線に接続 | ||
〃 | 共同石油(株) | 〃 | 〃 | 5.2 (共用5.1) |
0.1 | 青森県第二専用線に接続 | ||
〃 | 東西オイルターミナル(株) | 〃 | 〃 | 5.3 (共用5.2) |
0.3 | 青森県第二専用線に接続 | ||
鮫 | 青森県 (1万トン岸壁) |
〃 | 1.0 | 2.7 | 公共臨港線 使用休止 |
|||
〃 | 青森県(館鼻) | 国鉄機 八戸通運機 |
0.7 (機0.5) |
1.2 | 公共臨港線 | |||
〃 | 東北開発(株) | 八戸通運(株) | 八戸通運機 手押 |
0.1 | 0.1 | 八戸港1万トン岸壁臨港線から分岐 使用休止 |
||
石巻埠頭 | 宮城県 | 石巻臨海機 | 1.6 | 1.6 | 公共臨港線との記述はなし | |||
〃 | 第一燃料工業(株) | (株)ミツウロコ | 石巻海陸運送(株) | 〃 | 0.8 (共用1.4) |
0.1 | 宮城県専用線に接続 | |
〃 | 東洋曹達工業(株) | 日本通運(株) | 〃 | 0.8 (共用1.0) |
0.7 | 宮城県専用線に接続 | ||
塩釜埠頭 | 宮城県 | 国鉄機 | 0.4 | 0.7 | 公共臨港線 | |||
仙台埠頭 | 宮城県共同倉庫(株) | 日本通運(株) 塩釜港運送(株) 協和運輸倉庫(株) 東洋埠頭(株) 鈴江組倉庫(株) (株)仙台梱包運輸倉庫 仙台海陸運送(株) 仙台運送(株) | 社機 | 0.2 | ─ | 臨鉄の駅なので第三者利用の区別及び総延長キロの記載無し。 | ||
酒田港 | 日新電化(株) | ソーダニッカ(株) 酒田海陸運送(株) |
酒田臨港開発機 | 2.0 | 1.6 | 公共臨港線に接続 | 酒田港の臨港線は
酒田臨港開発機が活躍していた様だが,鉄興社(S58当時は東洋曹達工業,現在は分社化されて東北東
ソー)の専用線のみは独立していたようで作業方法に酒田臨港開発機が出てこない。(その為この表でも省いた。) 酒田港の臨港線に関してはヨッ キがレポし ている。 ※花王石鹸線の作業方法は酒田臨港開発機の誤りであろう |
|
〃 | 農林省 | 日本通運(株) 酒田海陸運送(株) |
酒田臨港開発機 手押 |
0.5 | 0.8 | |||
〃 | 小野田セメント(株) | 酒田臨港開発機 手押 |
0.4 | 0.6 | 使用休止 | |||
〃 | 山形県 | 酒田臨港開発機 | 2.1 | 4.1 | 公共臨港線 | |||
〃 | 花王石鹸(株) | 日本通運(株) 東曹産業(株) (株)小西安兵衛商店 住友化学工業(株) |
酒田臨港開発線[ママ]※ | 1.2 | 0.4 | 公共臨港線に接続 | ||
〃 | 米田物産(株) | 酒田臨港開発機 | 0.4 | 0.5 | 公共臨港線に接続 | |||
〃 | (株)テルナイト | 酒田海陸運送(株) 日本通運(株) |
〃 | 0.1 | 0.2 |
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長 キロ |
記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長 キロ |
記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
東新潟港 | (株)高助商店 | 共同石油(株) | 国鉄機 | 0.1 | 0.1 | 新潟臨港海陸運送は才津(越後交通)の電化や新潟臨海鉄道の各所等で第三者利用に名が挙がっている。 | ||
〃 | (株)高助商店 新潟臨港海陸運送(株) 山ス運送(株) |
〃 | 0.2 | 0.2 | 国鉄側線 共用 |
|||
〃 | 新潟臨港海陸運送(株) (海陸1番線) |
国鉄機 手押 |
0.2 | 0.2 | ||||
〃 | 新潟臨港海陸運送(株) (海陸2・3番線) |
丸肥運送倉庫(株) | 〃 | 2番線0.3 3番線0.2 |
0.2 | |||
〃 | 新潟臨港海陸運送(株) (海陸4番線) |
日本海護謨(株) | 〃 | 0,1 | 0.1 | |||
新潟港 | 新潟県経済農協連 | 日本通運(株) 新潟運輸倉庫(株) |
国鉄機 | 0.1 | 0.1 | 何となく載せた。因みに新潟港駅の日本セメントは抜いた。 | ||
〃 | 東洋埠頭(株) | 宇部興産(株) | 国鉄機 手押 |
0.2 | 0.2 | |||
〃 | 新潟県 | 国鉄機 万代公共臨港線 運営組合機 |
水産物揚場線1.2 万代島線2.5 |
4.8 | 公共臨港線 | 万代公共臨港線運営組合が運営にあたっていたようである。 | ||
〃 | 北陸天然ガス興業(株) | 日本通運(株) | 万代公共臨港線 運営組合機 |
1.6 | 0.1 | 公共臨港線に接続 | 北陸ガスの関連会社で現存の様である。(ウェ ブサイト) | |
〃 | 丸善石油(株) | 〃 | 0.1 | 0.1 | 公共臨港線に接続 | |||
岩瀬浜 | 大平洋金属(株) | 日本通運(株) 富山通運(株) |
国鉄機 私有機 手押 |
0.7 (機 0.4) |
0.8 | |||
〃 | 富山港運送(株) | 国鉄機 私有機 |
1.0 (機 0.4) |
0.7 | 太平洋金属線に接続 | |||
〃 | 東洋曹達工業(株) | 錦商事(株) | 日本通運(株) | 日通機 | 0.2 | 1.0 | 旧鉄興社。錦商事は呉羽化学の専用線でも名を見かける。 | |
〃 | 新日本化学工業(株) | 日新苦土肥料(株) | 日本通運(株) 富山港運送(株) |
日通機 | 1.1 | 0.9 | 東洋曹達工業線に接続 富山港運送の取り扱う貨物は日新の発着に限る。 使用休止 |
|
奥田 | 富山県木材倉庫協同組合 | 日本通運(株) 富山通運(株) |
国鉄機 | 0.1 | 0.1 | 富山,奥田間途中分岐 使用休止 |
この時点で全て使用休止であるが材木埠頭でもあったようである。 奥田絡みのチップ輸送もあったような気がする。 |
|
〃 | 古池木材(株) | 日本通運(株) | 〃 | 0.1 | 0.2 | 〃 | ||
〃 | 富山中央木材(株) | 日本通運(株) | 〃 | 0.1 | 0.2 | 使用休止 | ||
伏木 | 伏木海陸運送(株) (二号線) |
内外輸送(株) | 国鉄機 | 0.1 | 0.1 | 伏木海陸運送はこちら参照。 | ||
〃 | 富山県 | 伏木海陸運送(株) | 国鉄機 手押 |
0.2 | 0.2 | |||
〃 | 伏木海陸運送(株) (一号線) |
内外輸送(株) | 〃 | 0.2 | 0.2 | |||
〃 | 日本石油(株) | 伏木海陸運送(株) | 伏木海陸機 | 0.2 | 0.7 | |||
〃 | 出光興産(株) | 〃 | 〃 | 1.3 | 0.1 | |||
〃 | エッソ石油(株) | 〃 | 〃 | 1.2 | 0.1 | |||
〃 | 共同石油(株) | 日本ゼオン(株) | 〃 | 〃 | 1.1 | 0.1 | ||
〃 | 昭和石油(株) | 〃 | 〃 | 0.9 | 0.2 | |||
〃 | 伏木海陸運送(株) (三号線) |
1.8 | 私有機の車庫線 | 車庫線にしては随分長い。。 | ||||
新湊 | 伏木海陸運送(株) | 国鉄機 手押 |
0.2 | 0.2 | ||||
〃 | 荻布倉庫(株) | 日本重化学工業(株) 十條製紙(株) セントラル石油瓦斯(株) 多田薬品工業(株) 住友林業(株) |
伏木海陸運送(株) | 国鉄機 私有機 手押 |
0.7 (機)0.2 |
1.7 | ||
〃 | 荻布倉庫(株) (西部線) |
国鉄機 手押 |
0.1 | 0.1 | ||||
〃 | 荻布倉庫(株) (中部線) |
伏木海陸運送(株) | 国鉄機 手押 |
0.1 | 0.1 | |||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
〃 |
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
松尾寺 | 舞鶴市長 | 日本津運(株) | 日通機 | 1番線 0.5 2番線 0.3 3番線 0.4 大波1番線 4.5 大波2番線 1.3 |
6.9 | 公共臨港線の記述は無し 日本板硝子(株)専用線が接続。 |
||
西舞鶴 | 日立造船(株) 舞鶴工場 |
日之出化学工業(株) | 日本通運(株) | 国鉄機 日通機 手押 |
略 | 3.5 | (倉谷線と呼称) 一部使用休止 |
倉谷線から日之出化学工業(熔成燐肥メーカー)が分岐 |
舞鶴港 | 京都府 | 日本通運(株) | 国鉄機 国鉄動車 手押 |
0.4 (機)0.3 |
0.4 | 使用休止 | 所謂喜多臨港線の事と思われ。 材木埠頭などあったが,使用期間は僅かであったようである。 |
|
宮津 | 『懐かしい駅の風景』さんの宮津駅に拠ると臨港線があったそうだ。 | |||||||
安治川口 | 京阪練炭工業(株) | 国鉄機 | 0.3 | 0.5 | 公共臨港線に接続 | |||
〃 | 大阪市 | 大阪北港埠頭(株) | 国鉄機 | 0.6 | 0.6 | 公共臨港線 | ||
桜島 | (株)辰巳商会 | 国鉄機 | 0.7 | 0.2 | 東洋埠頭線及び櫻島埠頭線に接続 使用休止 |
|||
〃 | 桜島埠頭(株) | 日本通運(株) 三井物産(株) |
国鉄機 移動機 |
1.0 (機)0.6 |
1.2 | 桜島埠頭はこちら参照。 | ||
〃 | 日本冷蔵(株)大阪支社 | 日本通運(株) 大阪合同通運(株) |
国鉄機 | 0.7 | 0.5 | 桜島埠頭線に接続 使用休止 |
||
〃 | 昭和石油(株) 大阪営業所(南) |
日本通運(株) | 国鉄機 | 0.6 | 0.3 | 桜島埠頭,日本冷蔵線に接続 | ||
〃 | 桜島埠頭(株) 共同石油(株)大阪支店 |
日本石油輸送(株) | 国鉄機 私有移動機 |
0.9 | 0.9 | 桜島埠頭,日本冷蔵線に接続 共用線 |
||
〃 | 東洋埠頭(株)大阪支店 | 日本通運(株) 東永運輸(株) 日商(株) 日通商事(株) 岩谷産業(株) 北陸工業瓦斯(株) ブリジストン液化ガス(株) |
国鉄機 私有機 |
1番線 1.0 (機)0.8 4番線 0.4 |
1.5 | 桜島埠頭線に接続 | ||
〃 | 住友化学工業(株) | 双葉運輸(株) 広栄化学工業(株) 日本石油輸送(株) |
国鉄機 双葉運輸機 |
1.6 (機)1.3 |
1.5 | 東洋埠頭及び桜島埠頭線に接続 | ||
〃 | ||||||||
〃 | ||||||||
湊川 | 三菱倉庫(株)神戸支店 | |||||||
〃 | 篠崎倉庫(株) | |||||||
神戸港 | 森本倉庫(株) 渋沢倉庫(株)神戸支店 辰巳倉庫(株) 神戸支店 |
略称三倉庫専用線 共用 |
||||||
〃 | 森本倉庫(株) | |||||||
〃 | 篠崎倉庫(株) 京神倉庫(株)神戸支店 大神倉庫(株) 辰巳倉庫(株)神戸支店 |
略称四倉庫専用線 共用 |
||||||
浪速 | (株)杉村倉庫 | |||||||
〃 | 全国農協連 | |||||||
〃 | 谷川運輸倉庫 | 紙倉庫である | ||||||
〃 | (株)辰巳商会 | |||||||
〃 | 浪速鉄道産業(株) | 私有動車 | ||||||
大阪港 | 宇部興産(株) | 日本通運(株) | 浪速鉄道産業機 手押 | 0.2 | 0.4 | |||
〃 | 三井倉庫(株) | 日本通運(株) | 〃 | 0.1 | 0.2 | 使用休止 | ||
大阪東港 | 大阪市 | (株)辰巳商会 | 日本通運(株) | 浪速産業機 手押 | 東線0.3 倉庫線0.4 南線0.3 | 1.2 | 辰巳商会は液体苛性ソーダーの取扱に限る。 | |
〃 | 〃 | 〃 | 安治川第3ふ頭積卸線1.0 安治川第2ふ頭積卸線1.7 | 2.8 | 公共臨港線 | |||
水軒 (南海線) | wikiに拠ると以下の通り。専用線ではないが一種の公共臨港線である。 木材輸送を目的に和歌山県が建設した和歌山港線の終点駅。1971年(昭和46年)に南海の駅として開業したが、輸送は既にトラック輸送に切り替えられており、2002年(平成14年)に廃止されるまで木材輸送貨物列車が走ることはなかった。 | |||||||
川端 (和歌山線) | 『懐かしい駅の風景』さんの川端駅は配線の情報あり。紀ノ川の川運との連絡駅で或る意味臨港線w | |||||||
熊野地(紀勢本線) |
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業 キロ |
総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
@
北海道 |
室
蘭開発
|
A
東北 |
小
名浜石
油埠頭 |
B関東 |
国際埠頭 三
井埠頭 |
C
東海 |
清
水埠頭
|
D新潟・北陸 |
伏木海陸運送 |
E近畿 |
櫻島埠頭 |
F
中四国・九州 |
|
G
その他 |
東
洋埠頭
|
所
在地 |
横
浜市中
区豊浦町3番地 |
創
立 |
1966
年3月25日 |
資
本金 |
18 億円 |
事
業内容 |
港
湾運送
事業 倉庫業 農産物及び鉱産物の加工業 内航海運業 貨物利用運送事業他 |
取
扱品目 |
塩(工
業
用、一般用) 穀物(麦、米、大豆、飼料原料、モルト) 鉱産品(硅砂、他) エネルギー資源(石炭) |
株
主 |
三
菱商事
丸全昭和運輸 日本郵船 他18社 |
年 月 |
項 目 |
1966
年
03月 |
国
際埠頭
椛n立 |
1967
年
09月 |
倉
庫業認
可、1000坪倉庫竣工 |
1968
年
03月 |
ア
ンロー
ダー完工、第一次サイロ建設開始(53千トン) |
1968
年
04月 |
一
般港湾
運送事業免許取得、営業開始 |
1969
年
03月 |
第
一次サ
イロ竣工(53千トン) |
1969
年
10月 |
神
奈川臨
海鉄道・本牧線が営業開始。同時に本牧操駅の国
際埠頭叶齬p線が開業 (『神奈川臨海鉄道30年史』 p139) |
1972
年
08月 |
1000
坪倉庫を2号倉庫とし塩専用に改造 |
1972
年
09月 |
硅
砂取扱
開始、日本専売公社塩本格的取扱開始、日塩鰍ニ覚書締結 |
1974
年
03月 |
塩
専用1
号倉庫竣工 |
1974
年
04月 |
第
二次サ
イロ竣工(33千トン) |
1979
年
07月 |
第 三次サ イロ竣工(12千トン) |
1979
年
10月 |
第
一大豆
選別工場竣工 |
1981
年
07月 |
第
四次サ
イロ竣工(42千トン)、倉荷証券発行認可 |
1981
年
08月 |
4
号倉庫
竣工 |
1981
年
09月 |
東
京穀物
商品取引所より受渡指定倉庫指定を受ける |
1982
年
07月 |
4 号シッ プローダー100m岸壁拡張工事竣工 |
1982
年
08月 |
5
号倉庫
竣工 |
1983
年
04月 |
硅
砂加工
事業を日鐵商事より引継直営とする |
1983
年
09月 |
旧
食糧
庁、麦サイロ備蓄始まる |
1984
年
05月 |
モ
ルト取
扱開始 |
1984
年
06月 |
新
硅砂加
工場竣工 |
1985
年
06月 |
旧
硅砂加
工場の一部をベントナイト加工場に改造 |
1985
年
10月 |
ベ
ントナ
イト加工事業開始 |
1986
年
03月 |
旧
硅砂加
工場の一部を6号倉庫に改造 |
1987
年
02月 |
4
号倉庫
を大豆粉加工場に改造、大豆粉事業開始 |
1987 年 08月 | 5
号倉庫
増設し低温倉庫に改造 |
1987
年
11月 |
5
号倉庫
旧食糧庁指定倉庫となる、米取扱開始 |
1989
年
04月 |
第
二大豆
選別場竣工、8号低温倉庫竣工 |
1989
年
11月 |
神
奈川臨
海鉄道による国際埠頭鰍フ公社塩輸送廃止 (『神奈川臨海鉄道30年史』p179) 工業塩輸送を従来のバラ積みから、JR貨物及び神奈川臨海鉄道と共同開発したFRPボックスでの利用に 切り替えて、塩害防止並びに荷役の向上を図り、将来にわたる輸送量を確保した (『神奈川臨海鉄道30年史』p82) |
1995
年
08月 |
6
号倉庫
を輸入塩流通加工場に改造、日塩鰍ニの提携による輸入塩粉砕加工包装事業開始 旧食糧庁指定サイロ 83,170トンとなる |
1997
年
07月 |
横浜本牧〜郡山間の塩輸送が保土谷化学工業鰍フ電解事業の再編に
伴い廃止 (『創立40周年を迎えて』神奈川臨海鉄道株式会社、p135) |
1998
年
03月 |
4
号シッ
プローダー更新 |
1998
年
08月 |
1
号低温
倉庫竣工、水処理プラント設備設置竣工 |
2000
年
02月 |
ヒ
ターク
レーマー更新 |
2000
年
04月 |
横浜本牧〜渋川間の工業塩輸送がコンテナ化(拙
web「専用線コンテナ扱」
の横
浜本
牧駅:国際埠頭参照) |
2002
年
11月 |
コ
ンテナ
バラ貨物搬入設備竣工 |
2005
年
05月 |
グ
リーン
物流パートナーシップ会議会員登録 |
2005
年
08月 |
関東電化工業鰹a川工場の電解事業撤退に
伴い横浜本牧〜渋川間のコンテ
ナによる工業塩輸送が廃止さ
れた |
2006
年
12月 |
新6 号倉 庫竣工、ベントナイト加工事業撤退 |
2007
年
01月 |
5
号シッ
プローダー更新 |
2008
年
09月 |
石
炭作業
場竣工、4号シップローダー更新 |
1999.1 扇町駅の三井埠頭叶齬p鉄道 |
2003.8 扇町駅の三井埠頭叶齬p鉄道、太平洋セメント向け石炭列車 |
1978(昭和53)年度版 敷設目的:石炭及び雑貨輸送 区間:扇町駅、西
埠頭 0.7km
運輸開始:昭和25年2月9日 1994(平成06)年度版 敷設目的:石炭及び雑貨輸送 区間:扇町、三井埠頭構内 3.4km 運輸開始:昭和25年2月9日 |
▼
三井埠頭を太平洋セメントが支援へ (『日本工業新聞』1998年10月16日付13面) 経営破綻した三井埠頭を太平洋セメントが支援することになった。川崎市の三井埠頭の所有する埠頭が太平洋セメントの物流拠点として極めて重要なため、支 援するに至った。旧秩父小野田はここに2万トンのサイロを持つ川崎サービスステーションを設けており、 大船渡工場、津久見工場など製造コストの安い大型臨海工場からのセメントを首都圏に受け入れるセメントターミナルとして活用してい る。一方旧日本 セメントも原燃料の荷揚げ施設として活用しており、 現在でも日高工場向けに燃料の石炭荷揚げ基地となっている。 合理化を進めるセメント業 界においては効率的物流システムの構築が不可欠である。このため従来と同様の施設利用は避けて通れないことから、太平洋セメントは三井埠頭の支援に乗り出 すことに決定した。 |
▼三井埠頭からのセメント輸送 (渡
辺
一策「相模鉄道の貨物輸送」『鉄道ピクトリアル』通巻672号、1999年7月臨時増刊号) 三井埠頭からのセメント輸送は、小野田セメントの工場から船舶輸送されてきたセメントを扇町の三井埠頭に陸揚げし、そこから貨車に積み替えて発送するい わゆる二次輸送で、1964年に始まった。 着駅は厚木(相模 鉄道)と 川島(水 戸線)の両駅で小野田セメントの私有貨車による専用列車が設定 されていた。 相模鉄道の輸送は当初保土谷〜西横浜〜厚木経由で、保土谷まで1日20 両国 鉄専用貨物列車で到着する貨車を西横浜で10両2個列車に分割し、厚木の小野田レミコン専用線内まで輸送されていた。その後当地のセメント需要は次第に減 少し、1979年3月のダイヤでは相模鉄道のセメント列車は9両編成1日1往復になっており、同年10月改正で国鉄相模線厚木駅経由に変更となり、相模鉄 道は小野田のサイロに積み込む入換作業だけとなり、1986年の輸送廃止まで続いた。 尚、川島への輸送は、1985年3月ダイヤ改正の貨物時刻表においては、寄 居〜川島のセメント専用列車の設定となっており、秩 父セメントの工場からの到着に変更されていた。 1995年当時は、武州原谷発川島行きのセメント貨車が約15 両の 輸送であった。(渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』第24巻11号、通巻154号、1995年) この輸送は、1997年3月ダイヤ改正で廃止された。 |
専
用線 番号 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 |
作
業キロ |
総
延長キロ |
記
事 |
1047 |
川島 |
日本コ
ンクリート工業梶i上河原線) |
小野田
セメント |
上河原
線0.1 セメント到着0.2 |
0.7 |
国鉄砂
利線に接続 |
1366 |
扇町 |
三井埠
頭 |
日本通
運 日本オイルターミナル |
0.7 |
5.1 |
専用鉄
道 |
1406 |
厚木 |
小野田
セメント |
0.8 |
相模鉄
道側線から分岐 セメント専用貨車到着に限る |
||
1424 |
高麗川 |
日本セ
メント梶i埼玉工場) |
1.4 |
8.2 |
▼通運事業(『伏
木海陸運送株式会社50年史』1994年、
p100-104) 昭和19年(1944)3月、伏木海陸運送の発足時は内陸輸送の主体は鉄道輸送であった。同社は国鉄の伏木、吉久、中伏木、新湊の臨港4駅における貨物 の積込み取卸し、集貨配達業務をこなすことにより、地元メーカーの物流の手足となり、かつ海陸一貫輸送体制の一翼を担っていた。 昭和25(1950)年4月、小運送事業が通運事業に改正された。昭和26年以降、伏木、新湊駅の臨港2駅を中心に、伏木港を利用した中継貨物の 70〜80%を貨車輸送で対応していた。 貨車輸送全盛期 伏木港の中継貨物の他に地元メーカーの専用線において、貨物の積卸業務に携わっていた。十條製紙梶i現、日本製紙梶j、中越パルプ工業兜囑リ工場、日産 化学工業梶A東亞合成化学工業鰍ナあった。 昭和20年代後半から十條製紙葛yび中越パルプ工業蒲シ伏木工場の巻取紙の発送、パルプ材の到着貨物量が増加したことにも加え、昭和28〜30年には、 伏木駅の発着貨物量が1日2,000トン近くになり、金沢鉄道管理局内貨物取扱番付でトップを占めるに至った。 昭和34〜35年ころは、国鉄新湊、伏木両駅の取扱い主力は、石 炭から原 木に移った。当時の新湊駅での原木の取扱いの運用とその対応が、現在、新湊地区の木材業者の北洋材の供給に関し、日本一の生産 県とシェアを 成し得た大きな要因の1つとなっている。 30年代後半から40年代に入って、オイル コークス・マンガン・クローム鉱石・燐鉱石・鋼材・工業塩などの輸入貨物の中継が増加 し、取扱量は年間150万〜170万トンに 達した。 |
1995.8伏木駅 ワム車は基本的に日 本製紙向けと思われる |
1995.8伏木駅 ワム80000は日 本製紙向け貨車が留置されて いるだけと思われる。 伏木港1号岸壁に伸びる臨港線。 |
主なる
向け先は日本カーバイド工業、
新潟県青海の電気化学工業、
黒井の信越化学工業、日本ステンレス、長野県田口の中央電気工業、二本木の日本曹達、昭和電工椛蜥ャ工場、塩尻工場、秩父工場、金沢の日本電工、福井県武生の信越化学工業など、北信越各県にわ
たっていた。更に、遠くは赤城合金椛蜉ヤ々工場、栗村金属宇治工場へも貨車輸送してい
た。このように当時は、マンガン・
クローム鉱石の我が国の一大発送基地ともなっていた。 貨物量の増加とともに、昭和30年代から当社への貨車配給率が金鉄局管内で30〜40%となり、貨車不足状態が続き、貨車確保のため、当時の常務を始め 関係者が金鉄局へ日参していた。時には、国鉄本社、中部支社へも貨車増配方の陳情に出かけていった。このように会社一丸となって貨車を確保し、伏木港頭の 貨物の荷捌きをするのに一生懸命であった。そのお陰で、伏木港は最も機能性の高い港であるとの評価を受けた。 貨車扱いの衰退とコンテナ化への移行 40年代後半から、新潟、福井方面への貨車扱い貨物が減少してきた。それは、各県に新港が建設されてきたためであり、更に積雪やストライキによる貨物の 遅延、滞留が相次ぎ、また道路網の整備とトラック輸送の発達により国鉄離れが進んでいったことなどによる。 昭和59年(1984)、国鉄は貨物取扱駅を大幅に廃止し、全国460駅体制とした。伏木、新湊の両駅は、地元周辺メーカーや当社、関係者の努力によっ て存続することになり現在に至っている。 従来の集配列車を廃止し、コンテナ及び専貨形態の輸送体系にした。これにより貨車扱いは、日本製紙鰍フ巻取紙発送と東亞合成鰍フタンク車の発着が殆どで あり、年間20万トンに 落ち込む取扱量になってしまった。 |
▼カルサインコークスと伏木港 昭和35年頃より電極用カルサインコークスとして、アメリカよりグレートレイク社(GL社)製造のものが三菱商事活オいとして伏木港に輸入された。その 後、広島県大野港より興亜石油叶サ造の内地カルサインの伏木港中継が始まる。 昭和48年(1973)、四日市の石原産業で 生産される 酸化チタンの公害問題が発生し、従来の製造方法である硫酸法が塩素法に転換されたことにより、GL社製カルサインが酸化チタンの触媒として使用されること になり、伏木港中継を強力に働きかけ決定した。同社は三菱商事鰍フ要請に応え、カルサインの整粒プラントの設置を昭和49年(1974)7月に完工し、隣 接する専用側線を利用してホッパ車3両で 三重県四日市までピ ストン輸送を行った。 その後、需要の増加に備えて昭和51年(1976)7月富山新港流通用地に同じ整粒プラントを増築した。昭和54年(1979)9月にはホッパ車1両を 増備した。 この頃、電極生産は活況を呈し、アルミ製錬用、加炭材用などに、四国や九州地区へも配送していたが、やがて国内アルミ生産が衰退し、石原産業鰍ヨは国内生産カルサインが出荷されるよ うになり、伏木港の中継基地としての 必要性が無くなり、平成元年 (1989)に、約15年間稼働した整粒プラントを休止した。 (前掲『伏木海陸運送株式会社50年史』p97、276) (『伏木海陸運送株式会社40年史』1984年、p96-97) |
1995.8伏木駅 休車中の伏木海陸運 送所有のホキ9300形 (コークス粉専用) |
▼糖蜜タンク 昭和46年(1971)12月、日 本海沿岸で初めての糖蜜貯蔵 用タンクが、伏木港左岸4号岸壁背後地の伏木海陸運送所有地に総工費6千万円で新築完成した。タンクは3,000トン1基と、 500トン1 基で3,500トンの貯蔵能力を有する。 昭和47年2月10日、糖蜜を積んだ第1船が入港した。すなわち、フィリピンのマニラから、2,300トンを積んだ大晃丸が伏木港左岸4号岸壁に接岸し た。 当時、我が国では約100万トンの糖蜜をタイ、フィリピンなどから輸入し、家 畜飼料や酒造用の原料に使用されており、日本海沿岸では荷受施設がなかったところから、これまで太平洋沿岸で荷揚げし陸送され ていたのであ る。 伏木海陸運送がタンクを建設したことにより、この糖蜜は伏木港を基地として富 山、石川、福井、新 潟、長野の 各県の飼料工場へ貨車輸送さ れることになった。 (前掲『伏木海陸運送株式会社40年史』p101-102) その後、1994年時点では伏木のくみあい飼 料と新潟の信越くみ あい飼料の工場に糖蜜を送っている。 (前掲『伏木海陸運送株式会社50年史』p152) 貨車輸送されていた富山、石川、新潟、長野の各県の飼料工場の 駅を検討してみる。 富山は、新湊駅近くにくみあい飼料の工場があったのだが、これは貨車輸送ではなくて、トラック輸送ではないか。 石川は、松任駅に石川県経済農協連の専用線があり、 1995年8月に現地目撃した際は飼 料サイロ的なものがあったので飼料工場と思われる。 福井は、飼料工場の所在地が不明である…。 新潟は、佐々木駅や犀潟駅に新潟くみあい飼糧の専用線があった が、これは飼料工場かストックポイ ントか不明である。 長野は、辰野駅と篠ノ井駅の長野県くみあい飼料の専用線向けと 思われる。 意外とはっきりしないのだが、着駅の駅頭でローリー荷役された可能性があるので、専用線が無い可能性もあろう。 |
糖蜜タンク(前 掲『伏木海陸運送株式会社 40年史』p101) |
●本 社 〒554-0032 大阪市此花区
梅町1丁目1番11号 ●設 立 昭和23年2月12日 ●資本金 7億7,000万円 ●従業員数 72名 ●営業種目 1.港湾運送事業 (1)一般港湾運送事業 (2)港湾荷役事業 (3)はしけ運送事業 2.倉庫業 3.貨物利用運送事業 4.通関業 5.損害保険代理業 ●取扱貨物 ・ばら貨物:原塩、ソーダ灰、石炭、コークス、合金鉄、その他鉱砿石等 ・液体貨物:石油類、石油化学品類、苛性ソーダ等 ・冷凍・冷蔵:冷凍食品、チルド食品、ドライ品等 (同社 webサイトよ り) |
(同社 webサイトよ り) |
年
月 |
項
目 |
昭
和23
年2月 |
櫻
島埠頭
株式会社設立 |
昭
和26
年8月 |
港
湾運送
事業法の施行により、 一般港湾運送事業、船内荷役事業、 はしけ運送事業、沿岸荷役事業の4種目を登録 |
昭
和27
年2月 |
(旧)
日
本専売公社輸入塩の取扱開始 |
昭
和30
年11月 |
石
油化学
品の保管受払業務開始 |
昭
和37
年6月 |
石
油埠頭
に油槽所が完成し、業務開始 |
昭
和45
年3月 |
隣
接の
(旧)ゼネラル物産(株)の施設一切を買取りし、当社梅町油槽所とした |
昭
和45
年8月 |
海
上3号
起重機完成 |
昭
和48
年8月 |
倉
庫業法
に基づき、倉庫業の許可を受け、(旧)日本専売公社輸入塩の西日本各地への配送基地として1号ばら貨物倉庫完成 |
昭
和50
年5月 |
2
号ばら
貨物倉庫完成 |
昭
和53
年9月 |
国
内化学
品タンク7基完成 |
昭
和56
年9月 |
梅
町化学
品タンク8基完成 |
昭
和59
年3月 |
3
号ばら
貨物倉庫完成 |
昭
和59
年4月 |
石
油埠頭
の重油タンク1基を化学品用タンクへ転換 |
昭
和61
年5月 |
石
油埠頭
の重油タンク1基を化学品用タンクへ転換 |
平
成3年
10月 |
梅
町油槽
所の重油タンク撤去跡地に ペイント物流センター3棟完成 |
平
成4年
10月 |
梅
町油槽
所の重油タンク撤去跡地に 低温物流センター完成 |
平
成5年
5月 |
石
油埠頭
の糖蜜タンクを撤去し、化学品用タンク2基を完成 |
平
成7年
9月 |
冷
蔵倉庫
完成 |
平
成8年
3月 |
テ
ント倉
庫完成 |
平
成12
年9月 |
第2
低温
物流センター、食材加工施設完成 |
平
成13
年5月 |
4
号ばら
貨物倉庫完成 |
平
成14
年9月 |
5
号ばら
貨物倉庫完成 |
平
成15
年12月 |
梅
町油槽
所の化学品タンクを白油タンクへ転換 |
平
成18
年10月 |
ペ
イント
物流センターに荷捌場完成 |
平
成19
年2月 |
石
油埠頭
指定可燃物用タンク1基完成 |
所管駅 | 専用者 | 第三者利用 | 作業方法 | 作業キロ | 総延長キロ | 記事 | その他・備考 | |
真荷主 | 通運事業者等 | |||||||
大楽毛 | 釧路臨港埠頭運輸(株) | 日本化学飼料(株) | 手押 | 0.1 | 0.1 | |||
岩内 | 岩内港運(株) | (株)岩内製材工場 鈴木炭売所 日鉄鉱業(株) 常盤産業(株) |
国鉄機 手押 |
0.2 | 0.2 | 一部国鉄側線 | ||
手宮 | 北海道石炭荷役(株) | 三井鉱山(株) 北海道炭砿汽船(株) |
〃 | 0.7 | 1.0 | 国鉄側線 使用休止 |
||
秋田港 | 秋田海陸運送(株) | 秋田臨海機 | 0.1 | 0.1 | 国鉄側線 | |||
船川港 | 日本鉱業(株) | エッソ・スタンダード石油(株) 共同石油(株) |
船川臨港運送(株) 日本石油輸送(株) |
国鉄機 国鉄動車 日本石油輸送機 |
原油線0.5 出荷線0.5 |
0.6 2.0 |
船 川臨港運送はググれば引っ掛かるし現存の様だ。 | |
〃 | 同和鉱業(株) | 秋田海陸運送(株) | 国鉄機 国鉄動車 |
0.1 | 0.3 | |||