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株式会社大春化学工業所
2016.5.7作成

 (株)大春(おおはる)化学工業所は、自社のwebサイトが無いため会 社の実態は今一つ掴めない。そもそも大春はだいしゅん≠ナはなくておおはる≠ニ読むらしいということも、公式なwebサイトが無く、園芸用品のwebに 載っていたから分かったもので、本当に正しいかどうか不明である。

 同社の工場が立地する長野県伊那市を中心とする伊那谷北部には、主として御岳火山に由来する火山灰や軽石が堆積して形成された「信州ローム層」が発達 し、このローム層中に挟有される軽石層のうち「Pm-T」と呼ばれるものは風化し、白色のハロイサイトになっており、採掘・精製され「伊那カオリン」とし て、我国を代表するカオリンの1つとされ、主として製紙用に利用されてきた。『伊那カオリン−信州ローム 層の粘土化を測る−』地質ニュース650号、2008年)

 筆者がそのような同社を知ることになったのは、1998(平10)年9月に宮城野駅で目撃したJRコンテナがきっかけである。
 18Cコンテナに差し込まれた荷票の、「白土:岡谷(大春)→石巻港(日 本製紙側入)」という輸送に刮目した。
 言うまでも無く、製紙会社向け白土≠ニ言うと、板谷駅のジークライト化学鉱業(株)や吉永駅の王子製紙(株)が連想され、見過ごすことができない。そ して着荷主の日本製紙側入≠煖サ味深い。製紙会社の専用線は大量の発送がある一方で、着荷の確保が課題であり、効率的な専用線活用として、白土の到着輸 送が行われていることに興味を惹かれた。

 下記の『運輸タイムズ』の記事から車扱時代の輸送とその廃止、コンテナ輸送の再開といった流れは大まかに把握できる。
 しかし疑問点は残り、車扱はワムやトキによる輸送であったのか?関東の製紙工場はどこか?(⇒富士カオリン工業(株)がタンクコンテナでカオリンを発送 していた高萩の日本加工製紙(株)か?)などが気になるところである。更に記事中の専用線荷主の車扱輸送は現在も行っている≠ェ疑問である。岡谷駅の車 扱営業は廃止されたので、南松本駅から行っていたのであろうか。謎である…。

だから鉄道コンテナで (株)大春化学工業所 (『運輸タイムズ』1993年 5月17日付、3面)
東北の製紙工場向けトラックから移す

 (株)大春化学工業所(本社・神奈川県寒川町)は、長野県の伊那工場が製造する製紙用塗工剤のカオリンを、東北の製紙工場へコンテナ(18D)で、鉄道 輸送している。国鉄当時は全国へ車扱輸送していたが、車扱が廃止されたため全量トラック輸送に転換した。しかし、顧客への安定供給と発駅頭に一時留置でき る(倉庫不足対策)メリットなどから1990年にコンテナ輸送を始めた。当初は利用個数は少なかったが、昨年秋に製紙工場の製造ラインが変わり、製品の荷 姿やコンテナへの積載方法も変更となったため、最近は利用は増えている。現在、東北の製紙工場向けはト ラック輸送は一部だけで(非定型)で、殆どがコンテナ輸送となっている。

国鉄当時は車扱輸送で
 同社伊那工場は国鉄当時、製品のカオリンは車扱を主力輸送手段として、今回コンテナ輸送を始めた東北(石巻を はじめ関東東海(富士中国(米子の 各製紙工場へ出荷していた。しかし、1984年1月、貨物合理化で飯田線(発駅は伊 那北)の一般車扱が廃止になったため、トラック輸送に切り替えた(専用線荷主の車扱輸送は現在も行っている。尚、車扱廃止直後 は中央線の岡谷駅から車扱輸送したが、不便さからすぐに中止 した。岡谷駅の車扱営業は1986年廃止)。

 車扱輸送はできなくなったが、コンテナ輸送をしなかったのは、
 @取扱駅の岡谷(1986年1月、コンテナセンターとなり南松本駅へ通運がトラックで代行輸送)までの距離が遠く、時間がかかる上、通運料金が高い
 A積卸し作業がし難く、長時間を要する
――などが理由だった。

 一方、トラックは速く、輸送力も豊富にあり、長野県へ紙輸送してきた帰りを使えば、安い運賃で送れることもコンテナ輸送しなかった理由の1つであった。

コンテナの利点を認識
 今回、コンテナ輸送で鉄道利用再開のきっかけとなったのは、JR貨物と通運のセールスによる。「JR貨物(長野支店)と通運からコンテナが便利な輸送手 段であることの説明を受け、利用を勧められた。検討した結果、メリットのあることが分かったので、トラック輸送を止め、コンテナに切り替えた」と同社の大 春英紀常務は言う。
 伊那工場がコンテナ輸送にあたって検討したのは運賃、納期、作業性、(輸送の)安定性などだが、利用を決定づけたのは「ユーザーへ安定供給ができ、倉庫 不足への対応にもなる」ということ。
 1990年当時は好景気によりトラック輸送力を確保することが難しく、ユーザーへの安定供給に問題があった。例えば、トラックを手配できた時に出荷しな ければならないため平準出荷が不可能で、供給の安定性を欠いていた。また、到着すると直ちに荷卸ししなければならないこともトラック輸送のマイナス面だっ た。

集荷当日には必ず発送
 これに対し、コンテナは定時定型輸送でき、必要な輸送力(枠)も確保してもらえるので、ユーザーへの供給が安定的に行える。
 また通常は南松本駅から発送し、梶ヶ谷(タ)駅中継で東北の製紙工場へ送っているが、中継駅からの列車が運休する休日は隅田川駅へ送り、同駅から東北の 着駅へ向かうため、集荷当日発送できない――ということもない。
 尚、5月のゴールデンウィーク中も休業しなかったユーザーへは、4月中に先送りした。このため、「いつもより出荷量が増えたが、JR貨物は出荷に支障が 無いよう、輸送力を確保してくれた」と同工場は言っている。
 また、ユーザーの工場には専用線が入っており、これを利用してコンテナ輸送できるという利便性もある。

製品の形状と荷姿変更
 同工場は保管場所(倉庫)が狭いため、大量の在庫を抱えることができない。しかしコンテナ輸送は、発駅頭で短期間の留置が可能なので、保管スペース不足 を解消できるメリットもある。
 このほかJR貨物、通運の対応で運賃はトラックに比べて有利となり、納期の面でも問題となるところが無い。
 昨年の秋、ユーザーの製紙工場が製造工程を変えたため、製品の形状、荷姿も新しくなった。カオリンは従来、乾燥して500kgフレキシブルコンテナ(鉄 道コンテナには10袋積み)に入れて出荷していた。これがユーザー工場の製造工程の変更で、水分含有率が高い製品となり、フレキシブルコンテナも1トン入 れに替えた(鉄道コンテナには5袋積み)。

荷役作業が大幅に改善
 コンテナ積みは、これまではパレット上にフレキシブルコンテナを二段重ねて載せ、フォークリフトで積みつけていたが作業性が悪く、荷崩れ防止策も必要 だった。しかし1トンフレキシブルコンテナになったことで、パレット上のフレキシブルコンテナを1袋ごと積載することができるようになり、作業性が格段に 向上した。
 また、最近は容量の大きい18D形式をもって通運が集荷に来るようになり、これも作業改善にプラスとなった。

 コンテナ利用個数も伸びており、現在は1カ月平均120個。1991年度は1カ月平均75個だったので、これを約60%上回っている。尚、同年度は870個のコンテナを利用し、今年4月は124個(前年同月は 81個)を使った。
 昨年の秋以降、それまでトラック輸送していたものを切り替えたため、定型 的な出荷については現在、ほぼ100%コンテナ化し、トラック輸送は帰り車利用のごく一部。


安定供給確保へ 製紙用塗工剤 コンテナへ転換 大春化学工業  (『運輸タイムズ』1996年7月1日付、3面)

 (株)大春化学工業(本社・神奈川県)伊那工場(長野県)は、製紙用塗工剤カオリンの輸送を昨年夏、トラック(フェリー利用)からコンテナに切り替え た。

 北海道向けで大手製紙メーカーの釧路工場納め。南松本駅か ら発送し新富士駅へ着けている(岡谷駅コンテナセンターから発駅へ通運がトラック代行輸送)。
 同工場は、釧路工場と同じ製紙メーカーの石巻工場へ納品する定 型出荷のカオリンを平成2年にトラックからコンテナ輸送に転換した経緯がある(不安定型出荷は、紙輸送の帰り便トラックを利用)。

 釧路工場納めの輸送をコンテナ化したことによってコンテナ輸送地域は従来の東北1カ所から北海道へも広がった。北海道向けをコンテナに切り替えたのは、 発着時間がはっきりしている鉄道を利用することによって顧客への安定供給を確保することが目的。また、長距離のため物流費の軽減を図ることもできる。
 釧路工場への輸送個数は月平均20個。石巻工場納めの月間90〜100個に比べて少ないが、紙需要の回復で製紙工場が増産体 制に入っているため、カオリンのコンテナ輸送個数は今後増加するものとみている。
 荷姿は1トンフレキシブルコンテナで、12ftコンテナに5袋積み。内容積の大きい18Dを使用している。
 石巻工場と同じ製紙メーカーの釧路工場と言うことなので、日本製紙(株)で あることが分かる。コンテナ輸送は、石巻港(日本製紙石巻工場)と新富士(日本製紙釧路工場)だけなのだろうか。

 車扱輸送をしていた当時は、富士(日本製紙富士工場?王子製紙富士工場?)や米子(これは王子製紙米子工場だろう)への輸送もあったとのことなので、こ れらの輸送もコンテナ輸送に転換できたかどうかも課題である。


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