『日 清製粉株式会社七十年史』日清製粉株式会社編纂・発行、1970年 | :『70年史』 |
『日
清製粉この十年の歩み』日清製粉株式会社編纂・発行、1980年 |
:『80年史』 |
『チャ レンジこの一〇年−日清製粉創業九〇周年記念史』日清製粉株式会社編纂・発行、1990年 | :『90年史』 |
『日 清製粉100年史』日清製粉株式会社編集・発行、2001年 | :『100年史』 |
▼日清製粉、2020年めどに売上高1兆円へ 海外強化 (2011
年11月2日『Fuji Sankei Business i.』) 日清製粉グループ本社は2日、2020年をめどに売上高を2010年度比で2倍以上の1兆円に、営業利益もほぼ2倍の500億円へと増やす経営計画を明 らかにした。 「国内は少子高齢化でマーケットの拡大は望めない」(同社)として海外でM&A(企業の合併・買収)や業務提携を進め、売上比率を現在の約5%から 30%に大幅に引き上げる。 国内外ともに主力の製粉、加工食品を強化するほか、成長分野と位置づける中食やバイオ、健康食品、ペットフードなどを伸ばす。 海外では拠点を持つ北米や中国を引き続き強化することに加えて、ベトナムやインドネシア、インドなど高い経済成長が見込まれる地域での事業展開も検討す る。 同社の10年度連結決算は、売上高が4,241億円、営業利益が253億円だった。 |
工
場名 |
北
見 |
小
樽 |
函
館 |
水
戸 |
宇
都宮 |
館
林 |
高
崎 |
千
葉 |
鶴
見 |
名
古屋 |
知
多 |
神
戸 |
岡
山 |
坂
出 |
福
岡 |
鳥
栖 |
筑
後 |
専
用線 所管駅 |
北見駅 |
手宮駅 |
函館駅 ※函館市専用線 の第三者利用者 |
赤塚駅 |
宇都宮駅 |
館林駅 |
高崎駅 |
食品南駅 |
大川駅 |
笹島駅 |
知多駅 |
新川駅 |
西岡山駅 |
坂出港駅 ※坂出市専用線 の第三者利用者 |
福岡港駅 |
鳥栖駅 |
羽犬塚駅 |
駅
名 |
岩
沼駅 |
焼
島駅 |
高
田駅 |
備
考 |
日通商事
(株)の第三者利用者 小麦粉のバルクステーション |
山陽木材
防腐(株)の第三者利用者 詳細不明。工場は無いので荷扱い所と思われる |
日本通運
(株)の第三者利用者 飼料のバルクセンター |
北見工場(『70年史』p296) |
「昭和26年版 専用線一覧表」には、北見駅に日清製粉(株)の専用
線があ
る。 1967(昭42)年11月、国鉄のバラ積み貨車が 北海道にも配車され、北見工場は原料小麦30トンを積んで小樽港か ら到着した。(『70年史』p77) なお小樽港には日清製粉(株)小樽飼料工場があり、手宮駅には1967年1月16日に日清製粉(株)の専用線が敷設された。(Wikipedia参 照) そのため小樽飼料工場内に小麦粉の出荷設備があり、手宮〜北見間でホキ2200による小麦粉輸送が行われていたものと思われるが、手宮駅は1985(昭 60)年11月5日に廃止されたため、この時点で輸送はトラックに転換されたものと思われ、北見工場の専用線も廃止されたと考えられる。 |
▼日清製粉 北見工場を閉鎖へ 来年11月末、函館などに集約 (2009
年10月31日付『北海道新聞』) 製粉最大手の日清製粉(東京)は30日、北見市の北見工場を来年11月末で閉鎖すると発表した。コスト競争力強化に向けた工場再編の一環で、北見工場の 生産分は函館工場や本州の大型工場に集約する。正社員13人は他工場などへ配置転換させる方針だ。 同社は内陸部の小規模工場を閉鎖し、海外から小麦を搬入しやすい臨海部の大型工場への集約を進めている。 1937年(昭和12年)に操業開始した北見工場は、道内市場向けにめん用や菓子用の中力粉や薄力粉を製造。ただ同社の全国11工場の合計生産能力は1 日約8,000トン(原料ベース)で、北見工場はこのうち120トンと最も 少ない上、内陸部にあり陸送費用がかさむなど他工場より生産コストが割高だった。 日清製粉は北見工場閉鎖後、工場跡に「北海道小麦センター」を置き、行政や生産者との関係強化を図る拠点とする考え。具体的な業務については「道産小麦 の情報収集や新品種開発研究などが考えられる」としている。 |
水戸工場(『70年史』p78) |
1966(昭41)年10月ダイヤ改正から日清製粉
は大川〜赤塚・館林・高崎でホキ2200によ
る小麦輸送を
開始した。 (『貨物』第16巻第10号、1966年、p22) また1980年代前半当時の輸送として食品南駅の千葉共同サイロ(株)から赤塚駅への運用があったため、同社からの小麦輸送もあった可能性がある。 (『京 葉臨海鉄道20年史』京葉臨海鉄道株式会社、1983年、p195・p197) 水戸工場は1990(平2)年7月末をもって閉鎖した。同工場の小麦粉製造は海工場である千葉工場へ、ライ麦粉製造は館林及びロジャーズ・フーズ へそれぞれ移管した。(『100年史』p439) |
@東武鉄道の側線が廃止され、そのうえ1973(昭48)年3月には西武鉄道側線へのホキ車乗り入れ中止について国鉄
当局より強い申し入れがあり、ゆくゆく中止の公算が大となっ
た。 Aかつて内麦主産地であった埼玉県及びその周辺の減産傾向が目立ち、内麦生産地に立地することの意義がなくなった。 B工場本館が老朽化し、改修・増設も難しく、現有能力(1日原料挽砕能力140トン:筆者註ホキ5両弱)では将来の競争に耐えられなくなっ た。 C工場敷地が居住区域に指定され、将来工場適地ではありえなくなった。 |
食品南駅配線図(前掲『京葉臨海鉄道20 年史』p315) |
京葉臨海鉄道の食品南駅は1975(昭50)年5月10日に営業を
開始した。同駅には日清製粉(株)の専用線があった。 京葉臨海鉄道の食品線は、1979(昭54)年度を境として輸送量は次第に減少し、1989(平元)年度以降は取扱量は皆無となった。 食品線(南)の発送トン数のピークは1979年度の10万1千トンで、その内「麦」が7万8千トンを占めた。到着トン数のピークは1976(昭51)年 度の1万6千トンで、その内「飼料」が7.5千トン、肥料が6.7千トンであった。また取扱のあった最終年度である1988(昭63)年度は発送が6 千トンで全量が「麦」、到着は一足早く1987(昭62)年度から皆無であった。 (『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社、1999年、p25-26) 食品南駅の日清製粉の専用線の廃止は、1989年5月であった。(前掲『35年のあゆみ』p109) 食品線は1994(平6)年1月20日に廃止された。 |
主
なる着駅 |
宇
都宮・金指・石巻埠頭・高田 |
主
要発送品目 |
小麦粉、
皺、配合飼料 |
年
度 |
1964
年度 |
1965
年度 |
1966
年度 |
1967
年度 |
1968
年度 |
1969
年度 |
輸送量
(d) |
21,219 |
33,264 |
13,015 |
19,943 |
17,517 |
10,292 |
1995.3 博多港駅構内、ホキ2200形が並ぶ。福岡市中心部のすぐそばにこんな風景があった とは今となってはとても信じられない…。 |
1995.3 ホキ2200形への小麦積込み装置とアント。須崎公共臨港線廃止後にこのような積込 み装置を設置したのであろう。 |
※急行越前様から大変貴重な写真をご提供して戴きました
(2013.1.20)。ありがとうございます!! |
▼日清製粉、筑後・鳥栖工場閉鎖へ (『朝
日新聞』2011年2月1日) 閉鎖される日清製粉筑後工場=筑後市山ノ井 ■従業員「聞いてない」 製粉最大手の日清製粉が31日に発表した筑後工場(筑後市)と鳥栖工場(佐賀県鳥栖市)の閉鎖は、地元に衝撃を与えた。2014年、福岡市に立地する新 工場の稼働と同時に撤退する予定だが、長く地元経済に貢献していただけに、行政関係者は戸惑うばかり。両工場の社員は新工場や本州の工場に配置転換される というが、従業員からは不安の声が漏れた。 (岡田玄、上山崎雅泰、小浦雅和) ●筑後市長「寝耳に水」 JR羽犬塚駅の西側に広がる筑後工場は1937(昭和12)年から操業を続けてきた。敷地内にはレンガ造りの建物などが並び、レトロな雰囲気が漂う。 同日夕、構内は終業時間が近いためか静かだった。守衛は同社の発表を知らず、「初めて聞いた。いつ閉鎖されるんですか。発表があったんですか」と驚いた 様子で記者に尋ねた。 突然の発表に驚いたのは、地元自治体も同じだ。筑後市の中村征一市長は「寝耳に水」とコメントした。というのも、同社が筑後市と鳥栖市に工場閉鎖を伝え たのは午後2時ごろ。それぞれの工場長らが市役所を訪ね、経緯を説明したという。 中村市長はこの後、「雇用確保の観点からも今の時期に閉鎖されるのは大変厳しい。跡地への関連企業立地など十分配慮してほしい」との談話を出した。 日清製粉広報部と両市によると、筑後工場はパン、めん、菓子用の小麦粉を1日190トン生産。正社員31人が在籍している。鳥栖工場が操業を始めたのは 1924(大正13)年。正社員は33人おり、1日450トンの小麦粉を製造している。 両市とも、固定資産税など数千万円単位の税収があっただけに、工場閉鎖が与える影響は深刻だ。計64人の雇用について同社は、新工場や本州の別の工場へ の配置転換となると説明したという。 鳥栖市商工振興課の担当者も「突然の閉鎖の連絡で驚いている」とする一方で、「(工場は)国道3号沿いにあり、九州自動車道の鳥栖インターチェンジに近 いなど、流通面で良い立地。新たな企業を閉鎖後の跡地に誘致をしていくことになるだろう」と話した。 ●新工場立地の福岡市は歓迎 新工場の立地が決まった福岡市は、同社の決定を歓迎している。 同市国際経済部によると、進出の可能性について昨夏に問い合わせがあったという。担当者は「必ずしも九州に限らない複数の候補地が検討されたと聞いてい る」。 新工場は博多港の須崎ふ頭に建設される計画だ。九州で輸入食用小麦を陸揚げしているのは同港のみ。須崎ふ頭には複数の製粉会社や飼料業者の施設が置かれ ている。 担当者は「穀物船の大型化に対応して岸壁や航路の整備が進められており、その点が評価されたのだろう。いずれ雇用や税収面でも波及効果が見込まれる」と 喜んだ。(田中久稔) |
製造 |
日清製粉株式会社 |
販売 |
日清飼料株式会社 |
着
駅 |
品
名 |
荷
受人 |
1
日平均 使用車 |
月
間輸送 トン数 |
八戸 |
配合飼料 |
日本飼料
ターミナル |
1.5 |
1,125 |
村崎野 |
配合飼料 |
日本飼料
ターミナル |
0.4 |
300 |
内原 |
配合飼料 |
日本飼料
ターミナル |
1.5 |
1,125 |
宇都宮
(タ) |
配合飼料 |
日本飼料
ターミナル |
1.0 |
750 |
館林 |
配合飼料 |
日清製粉 |
0.8 |
600 |
高崎 |
配合飼料 |
日清製粉 |
1.3 |
975 |
下土狩 |
配合飼料 |
日本飼料
ターミナル |
0.7 |
525 |
1981(昭56)年3月現在の知多駅の配線(抜粋) (『15年のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年、p166) |
1969(昭44)年6月に専用側線が開通した。(『70
年史』p142〜146、『100年史』p212〜213) 名古屋工場からの鉄道貨物輸送は、まず奈良県の国鉄高田駅構内に 1969年5月に設けられたバルクセンター(詳細は後述)向けが挙げられる。 また日本飼料ターミナル(株)(詳細は後述)は、1969年12月に豊橋駅に 基地を開設しており、この基地向けの輸送もあったと想像される。 (前掲『貨物鉄道百三十年史(中巻)』p432) 専用線廃止の時期は不明だが、日本飼料ターミナルが1986(昭61)年10月に解散しており、その頃ではないかと思われる。 |
基
地名 |
収 容力 | 完 成 | 発 送工場 | 備 考 | 廃 止 |
野田 |
135
トン |
1967
年2月 |
鶴見 |
秦野精麦
(株)の工場内か? |
1984
年2月:野田市駅の貨物取扱い廃止 |
高崎 |
180
トン |
1967
年9月 |
鶴見 |
高崎工場
内? 国内初のホキ2200による配合飼料のバ ラ積み輸送 (『70年史』p148) |
|
岡山 |
120
トン |
1968
年1月 |
神戸 |
岡山の製 粉工場内(『70年史』p148) | |
坂出 |
160
トン |
1968
年1月 |
神戸 |
坂出の製 粉工場内(『70年史』p148) | 1984
年2月:坂出港駅廃止 1986年11月:坂出〜旧坂出港の貨物支線廃止 |
高田 |
80
トン |
1969
年5月19日 |
神戸、 名古屋 |
国鉄高田
駅構内 国鉄駅構内に初めて設置されたバルクセンター (『70年史』p148〜149) |
1984 年2月:高田駅の貨物取扱い廃止 |
八本松 |
60
トン |
1969
年6月23日 |
神戸 |
広島県八 本松(『70年史』p828) 八本松駅構内と思われる | 1974 年12月:八本松駅の貨物取扱い廃止 |
小野田 |
80
トン |
1969 年8月2日 | 福岡 |
山口県小 野田(『70年史』p828) | 1984 年2月:小野田駅の貨物取扱い廃止 |
館林 |
120
トン |
1970 年2月 | 鶴見 |
館林の製 粉工場内(『70年史』p149) | |
筑後 |
120
トン |
1970
年2月 |
福岡 |
筑後の製 粉工場内(『70年史』p149) | |
和田山 |
不
明 |
1970
年12月 |
神戸 |
神戸港駅〜和田山駅で定形貨物としてホキ1車設定されていた (『福知山鉄道管理局史』1973年、p528) 和田山がバルクセンターかどうかは不明 和田山駅に日清製粉(株)専用線あり |
1982 年10月:和田山駅の貨物取扱い廃止 |