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西武生駅 〜福井都市圏の内陸油槽所全盛期の風景が今なお残る駅〜
2019.3.4作成開始 2019.3.10公開

《目次》
はじめに
西武生駅の専用線
福井都市圏の鉄道によ る石油輸送
 専用線一覧
 石油輸送に関連する 年表
まとめ


■はじめに  

2019.3西武生駅
 福井都市圏は、福井鉄道とえちぜん鉄道が放射状に広がり、JRに依存 しない民鉄による都市型輸送を構築している。JRは北陸本線や越美北線といった路線網を持つものの、普通列車の 本数は相対的に少なく、都市圏内の鉄道輸送の主力は福井鉄道とえちぜん鉄道が担っている感が強い。

 そして興味深いのは、鉄道貨物輸送の特に石油輸送においても、福井鉄道と京福電鉄(現 えちぜん鉄道)が福井都市圏で大きな存在感を放っていたのだ。今回取り上げる西武生駅(福井鉄道)には大協石油(株)と共同石油(株)の2社、京福電鉄は 福井口駅にシェル石油(株)[一時は日本石油(株)]、西福井駅に丸善石油(株)、三国港駅に出光興産(株)といった石油元売各社の専用線が点在していた ほ か、福井鉄道・花堂駅には三菱石油(株)特約店の専用線もあった。福井周辺の油槽所は、当時の国鉄ではなく私鉄沿線に数多く立地していたのだ。このような 内 陸油槽所の私鉄沿線への立地は、東武鉄道や遠州鉄道などでも見られるが、福井都市圏は特に私鉄2社に集中しているのが特徴的である。

 西武生駅の貨物取り扱いが廃止されて久しいが、奇跡的に今なお2カ所の内陸油槽所が残り、鉄道貨物輸送が現役だった頃の雰囲気が色濃く残っている。既に 石油元売会社所有の油槽所ではなく、タンク車輸送も行われていないものの、石油タン ク群が線路の両側に立ち並び、今なお往時のように石油タンクローリーが行き交っている。

 臨海型共同油槽所へと集約が進む前の鉄道貨物輸送全盛期の石油輸送を彷彿とさせる西武生駅を中心に、福井都市圏の石油輸送の概観を、第18回「貨物取扱 駅と荷主」のテーマと したい。


■西武生駅の専用線  
 西武生駅の専用線は、石油会社2社のみである。駅の東側には信越化学工業(株)の武生工場が立地しているが、そちらには国鉄の武生駅から専用線が伸びて いた。
 周辺は古くからの市街地であり、現在でも住宅密集地である。そのような場所ではあるが、今も油槽所が稼働している。また西武生駅(現、北府駅)には車両 工場があり、駅構内は広く貨物取り扱いの頃の雰囲気が残っている。


 下表は「専用線一覧表」から西武生駅における専用線の有無を纏めたも ので、大協石油(株)と共同石油(株)では開設時期に、10年以上の開きがある。
専 用者
1957
1961
1964
1967
1970
1975
1983
備  考
大 協石油(株)






×

共 同石油(株)






×

〇:存在 ×:廃止 −:未開業

 『大協石油40年史』(1980年)によると、大協石油(株)武生油槽所は、1959(昭34)年3月に完成した。完成時の貯蔵能力は100klと小規 模である。当時は、四日市駅大協石油(株)四日市製油所からタンク車で石油類が到着していたと思わ れる。閉鎖は1979(昭54)年11月である。

 一方、同社が出資する東西オイルターミナル(株)福井油槽所が、 同年同月に開所しており内陸油槽所から臨海油槽所に転換されたと考えられる。尚、この福井油槽所は、1999(平11)年6月に閉鎖されており、2005 (平17)年4月に当時の新日本石油(株)から運営を受託された現在の同社福井油槽所とは別である。

 尚、大協・武生油槽所は現在、藤井防災エネルギー(株)北府油槽所として現役であり、同社webサイトによると灯油 200kl、軽油100kl、A重油300klの地上タンクや倉庫を備えている。同社は、大協石油(株)武生油槽所の配送業務部門を1968(昭43)年 8月に分離独立して、(有)藤井オイルサービスを設立しており、大協石油の時代から運営に携わっていたようだ。

 一方、『共同石油20年史』(1988年)には、共同石油(株)武生油槽所に関する記述が無く、開所や閉所時期は不明である。専用線が存在した時期は、 1970年代初頭から1980年代初頭前後までの10年程度と見られ、短命であった。前述の社史によると、1978(昭53)年12月に共同石油(株)福井油槽所(坂井郡三国町新保)が開所しており、大 協石油と同様に内陸油槽所から臨海油槽所へのシフトにより廃止されたと思われる。

 武生油槽所へは、知多駅東亜共石(株)からタンク車で石油類が到着していたと思われる。

 現在の共石・武生油槽所は、福鉄商事(株)武生配送セン ターとして現役である。石油タンクには今なお、共石マーク≠ェうっすらと残っており現役ながらも貴重な遺構となっている。
 尚、福井鉄道福武線の貨物営業は、Wikipediaによると1979(昭54)年10月3日に武生新駅〜西武生駅を最後に全廃されており、西武生駅の 石油輸送が最末期まで残ったようだ。


▽旧、大協石油(株)武生油槽所(現、藤井防災エネルギー(株)北府 油槽所)

2019.3西武生駅

2019.3西武生駅


▽旧、共同石油(株)武生油槽所(現、福鉄商事(株)武生配送セン ター)

2019.3西武生駅

2019.3西武生駅

2019.3西武生駅  今なお共石時代の看板が残存

2019.3西武生駅  共石マークが懐かしい!



■福井都市圏の鉄道による石油輸送  
 福井都市圏の石油関係の専用線は、先述した通り福井鉄道や京福電鉄といった私鉄に集中しており、国鉄駅が少ないという特徴があった。更にその廃止時期が 相対的に早く、「1983年版専用線一覧表」では、全廃されている。

 鉄道による石油輸送が廃止されたのは、1978(昭53)年7月に堀込港湾の共用を開始した福井港の影響が大きいだろう。同港には日本石油(株)、出光 興産(株)、昭和シェル石油(株)、エッソ石油(株)、共同石油(株)、東西オイルターミナル(株)の油槽所が建設され、元売各社の内陸油槽所を一気に駆 逐したと考 えられる。

 また同時期(1976〜1980年)に北陸自動車道の米原Jct〜福井IC間が開通した影響も無視できない。これにより関西や中京地区からのタンクロー リー輸送の競争力が向上した影響もあるだろう。

▼専用線一覧  
 下表は、「専用線一覧表」より福井都市圏(敦賀も含む)の石油関係(一部LPG含む)専用線の消長を纏めたものである。これら専用線は、基本的に石油が 到着していたと思われるが、その発駅は残念ながら確定できていない。しかし、上述の大協石油の四日市〜西武生は可能性が非常に高いと思われ、共同石油の知 多〜西 武生もほぼ間違いないだろう。

 それ以外は、シェルは塩浜、エッソは伏木(又は初島)、日石は汐見町(又は伏木)、丸善は下津や加茂郷、田中油商店(三石)は汐見町、といった想像はで きる。しかし福井地区は、中京や関西、伏木港のいずれからも供給の可能性がありそうで、決め手に欠けるところがある。そういった便利な地理的条件もまた、 鉄道貨物輸送 が維持できなかった理由の1つかもしれない。

路 線
駅 名
専 用者
1953
1957
1961
1964
1967
1970
1975
1983
想定される
発駅
備   考
国 鉄・北 陸本線
森田
出光興産 (株)






×
×
徳山
LPG充 填所
京福電鉄
三国港
出光興産 (株)





×
×
×
汐見町又 は
発送のみ
室 新太 郎 専用線の第三者利用
臨海油槽所か?
京福電鉄
福井口
シェル石 油(株)





×

×
塩浜
福井油槽 所
京福電鉄
福井口
エッ ソ・
スタンダード石油(株)






×
×
×
伏木又は
汐見町
福井油槽 所
京福電鉄
福井口
日本石油 (株)






×
×
汐見町
1970 年版だけ現れるのは不自然なため
シェル石 油(株)の誤りか?
福井鉄道
花堂
田中油商 店(株)
→(株)田中油本店 が正






×
×
汐見町
現、タナ カエネルギー(株)
三菱石油(株)の福井県特約店
福井鉄道
江端
青山石油 (株)






×
×
不明

京福電鉄
西福井
福井鉱油 (株)





×
×
×
不明

京福電鉄
西福井
丸善石油 (株)






×
×
下津及び
加茂郷
福井油槽 所
福井鉄道
西武生
大協石油 (株)







×
四日市
武生油槽 所
福井鉄道
西武生
共同石油 (株)







×
知多
武生油槽 所
国 鉄・北 陸本線
敦賀
共同石油 (株)







×
桜島及び
知多
旧 日本鉱業(株)敦賀油槽所
発駅は、桜島駅の日本鉱業(株)桜島油槽所から
知多駅の東亜共石(株)に変更となった可能性あり
国 鉄・北 陸本線
敦賀
エッ ソ・
スタンダード石油(株)







×
×
伏木又 は
汐見町
東洋紡績 (株)専用線の第三者利用
〇:存在 ×:廃止 −:未開業


▼石油輸送に関連する年表  
年  月
内   容
1913(大 正03).01
鉄道院三 国線 三国港荷扱所が開設(翌年貨物駅に変更)
1914(大 正03).02
京福電鉄 福井口駅が開業
1924(大 正13).02
福井鉄道 西武生駅が開業
1925(大 正14).07
福井鉄道 花堂駅、江端駅が開業
1928(昭 和03).12
京福電鉄 西福井駅が開業
1959(昭 和34).03
大協石油 (株)武生油槽所が開所
1962(昭 和37).11
エッソ・ スタンダード石油(株)三国油槽所が開所(福井油槽所を廃止)
(『オーバルのもとに エッソ石油20年の歩み』1982年、p19)

1971(昭 和46).03
京福電鉄 西福井駅の貨物取り扱い廃止(『北陸・山陰820駅』p172)
1973(昭 和48).04
北陸本線 森田駅の貨物取り扱い廃止
1976(昭 和51).11
北陸自動 車道の福井IC〜武生ICが開通
1977(昭 和52).06
福井鉄道 花堂駅の貨物取り扱い廃止(『北陸・山陰820駅』p176)
1977(昭 和52).12
北陸自動 車道の武生IC〜敦賀ICが開通
1978(昭 和53).07
福井港の 堀込港湾が供用開始
1978(昭 和53).11
福井港の 石油配分基地操業(オイルイン)開始
日本石油(株)福井油槽所が開設(『日本石油百年史』1988年、p804)
1979(昭 和54).11
大協石油 (株)武生油槽所が閉鎖
東西オイルターミナル(株)福井油槽所(旧)が開所
福井鉄道 西武生駅の貨物取り扱い廃止(『北陸・山陰820駅』p176)
1980(昭 和55).04
北陸自動 車道の敦賀IC〜米原Jctが開通
1980(昭 和55).08 京福電鉄 福井口駅の貨物取り扱い廃止(『北陸・山陰820駅』p168)
1999(平 成11).06
東西オイ ルターミナル(株)福井油槽所(旧)が閉鎖
2000(平 成12).04
福井港が 重要港湾の指定を解除され、地方港湾に格下げ
2005(平 成17).04
新日本石 油(株)福井油槽所の運営を東西オイルターミナル(株)が受託し、
同社福井油槽所が開所


2017.10福井港 東西オイルターミナル(株)福井油槽所

2017.10福井港 ジャパンオイルネットワーク(株)福井油槽所

 参考までに福井港の石油製品の取り扱い概況を『福井港港湾統計年報』から見ておく。

 移入量は2009年度:1,259千トン(うち重油:102千トン、石油製品:842千トン)、2017年度:1,262千トン(うち重油:245千ト ン、石油製品:618千トン)となっており移入量のうち石油の占める割合は高い。2009年度と2017年度を比較すると、重油は増加しているが、石油製 品は大きく減少している。また移入元は、昭和シェル石油系列の西部石油のある宇部港、JXTGエネルギー水島製油所がある水島港の比重が高い。

* 重油(2017年度)
港 湾名
移 入量
想 定製油所・油槽所
苫小牧港
5,165
出光興産  苫小牧製油所
仙 台塩釜港
40,462
JXTG エネルギー 仙台製油所
四日市港
1,989
コスモ石 油 四日市製油所
昭和四日市石油 四日市製油所
和歌山下 津港
2,299
JXTG エネルギー 和歌山製油所
水 島港
44,200
JXTG エネルギー 水島製油所
宇 部港
20,980
西部石油  山口製油所
岩 国港
27,378
JXTG エネルギー 麻里布製油所
北九州港
5,143
不明
大 分港
97,687
JXTG エネルギー 大分製油所
* 石油製品(2017年度)
港 湾名
移 入量
想 定製油所・油槽所
室蘭港
15,891
JXTG エネルギー 室蘭製造所
千葉港
5,210
コスモ石 油 千葉製油所
川崎港
5,500
JXTG エネルギー 川崎製油所
四日市港
5,910
コスモ石 油 四日市製油所
昭和四日市石油 四日市製油所
堺泉北港
13,300
JXTG エネルギー 堺製油所
和歌山下 津港
9,950
JXTG エネルギー 和歌山製油所
水 島港
189,830
JXTG エネルギー 水島製油所
江田島港
7,500
伊藤忠エ ネクス 江田島ターミナル
宇 部港
292,340
西部石油  山口製油所
岩国港
48,150
JXTG エネルギー 麻里布製油所
六連島港
5,502
大東タン クターミナル 六連油槽所
菊間港
14,920
太陽石油  四国事業所
大分港
3,980
JXTG エネルギー 大分製油所



■まとめ  
 西武生駅をはじめとする、福井都市圏各駅への鉄道による石油輸送は、1960年代から盛んになり、1970年代後半までには油槽所の閉鎖と共に消滅し た。一方で同じ北陸地方でも、石川県の松任駅に専用線のあった日本石油(株)は1980年代半ば、富山県の東富山駅に同じく専用線のあったコスモ石油 (株)は1990年代半ばまで、タンク車輸送が残っていたのと比べても、相対的に早い時期に貨車輸送が姿を消したことになる。

 それは中京や関西に近い福井県の地理的条件や福井港や高速道路の整備による内航海運及びタンクローリーへの転換がスムーズに進んだことが理由と思われ る。

 さらに、これはあくまでも想像だが、福井鉄道や京福電鉄の輸送合理化という事情もあるかもしれない。例えば福井鉄道は、西武生駅へは国鉄と連絡する武生 新駅から貨物輸送を行っていたが、武生新〜西武生間は僅か0.6kmであり、小規模な内陸油槽所への貨物輸送は輸送量も多くはなかったであろう。短距離か つ小量な貨物輸送であり、福井鉄道にとって合理化すべき輸送と認識されていたかもしれない。これは福井口駅への石油輸送を行っていた京福電鉄も同様の傾向 がありそうだ。

 鉄道事業者サイドで貨物輸送を廃止したい意向があったことで、荷主の石油元売会社が臨海油槽所への集約を急いだのかもしれない。もしそうであるならば、 私鉄沿線に油槽所が立地していたことが、国鉄沿線の石川県や富山県の油槽所と比べてタンク車輸送の廃止が早かった一因になった可能性がある。この点を確か める術は無いが、気になるところだ。


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