専
用線一覧表 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 |
作
業方法 |
作
業キロ |
総
延長キロ |
記
事 |
1961
(昭和36)年版 |
西三次 |
広島県経
済農業協同組合連合会 日本石油(株) |
国鉄動車 |
0.2 |
− | 共用線 |
|
1964
(昭和39)年版 |
西三次 |
広島県経済
農業協同組合連合会 日本石油(株) |
石油荷役 |
国鉄動車 |
0.2 |
− |
共用線 |
1967
(昭和42)年版 |
西三次 |
広島県経
済農協連 日本石油(株) |
石油荷役
日本通運 |
国鉄動車 |
0.2 |
− |
共用線 |
1970
(昭和45)年版 |
西三次 |
広島県経済
農協連 |
日本通運 |
国鉄動車 |
0.1 |
0.1 |
|
〃 |
西三次 |
日本石油
(株) |
石油荷役 |
0.2 |
0.2 |
||
1975
(昭和50)年版 |
西三次 |
広島県経
済農協連 |
日本通運
|
国鉄動車 |
0.1 |
0.1 |
|
〃 |
西三次 |
日本石油
(株) |
石油荷役
|
国鉄動車 |
0.1 |
0.2 |
|
1983
(昭和58)年版 |
西三次 |
広島県経済
農協連 |
日本通運 |
国鉄動車 |
0.1 |
0.1 |
|
〃 |
西三次 |
日本石油
(株) |
石油荷役 |
国鉄動車 |
0.1 |
0.2 |
![]() ([1]187頁) |
ホキ
2200×4両+石油タキ×2両の貨物列車。 全て西三次駅行きの貨車であろう。 ホキ2200=30トン積み×4両 石油タキ=40トン積み×2両 と仮定して、週5日運転の年間50週とすると、 ホキ⇒30千トン/年 石油タキ⇒20千トン/年 計50千トン/年と なる。 鉄道貨物輸送を維持するには厳しい数字か…。 これが、西三次駅の現実と言えよう。 |
![]() ([1]187頁) |
と、上記
では数字で厳しい現実を直視しつつ、 木材の集積地でもあった時代を振り返る。 写真のキャプションにも 「県北の貨物ターミナル」 とあるが、 まさにそれだけの位置付けの貨物取扱駅 だったのだろう。 石油、飼料、木材が揃い 「物資別適合基地」となる素質は 充分だったと言えそうだ。 |
![]() 県北の貨物の拠点だった西三次駅は昭和61(1986)年10月30日を最後に、貨物業務を廃止。 最後の列車連結を誘導する。([1]191頁) |
カルテッ
クスと日本石油の旧社紋が懐かしい。 タキ35993(ガソリン専用)で、常備駅は下松駅である。 下松〜西三次の営業キロは169.4kmである。 車扱としては比較的長距離と言えよう。 一方、奥に見える「くみあい配合飼 料」のサイロ 広島県経済農協連の専用線だが、 ホキで到着していたと思われる飼料原料は、 どこから発送されていたのであろう か? ⇒東広島駅に接続していた「宇品4者協定線」に 広島県経済連があり、ここから発送か。 |
![]() 広島県経済農協連専用線 1986年11月廃止([3]68頁) |
1979年9月 西三次駅構内にバルクセンター(飼料基地)が営業を開始した。 これに伴い、ホキ2200形式貨車により月間1,800トンの輸送量となる。([2]174頁) ⇒開業が1979年9月、廃止が1986年11月なので僅か7年間しかホキによる飼料輸送が 行われなかったようだ。 ※尚、JA西日本くみあい飼料(株)の西中国営業所は、三次市東酒屋町306-39にある。 中国道三次IC近くにある三次工業団地内である。 |