日本の鉄道貨物輸送と物流: 目次へ
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日 本製粉株式会社
2012.4.9作成開始 2012.4.15公開  2012.11.3訂補
<目次>
日本製粉鰍フ会社概要
トピックス
日本製粉鰍フ車扱輸送
 小樽工場 横浜工場 小山工場 高崎工場 神戸工場 門司工場 久留米工場
日本製粉鰍フコンテナ輸送
 千葉工場 横浜工場
ニップン飼料鰍フ設立から解散まで
 設立 拡大 解散 鉄道貨物輸送
横浜工場 2009.11

■日本製粉鰍フ会社概要  
本 社所在地
東京都渋 谷区千駄ヶ谷5-27-5
設 立年月日
1896 (明治29)年9月
資 本金
122.4 憶円(2011年3月現在)
連 結売上高
2,521 億円(2010年度)
Web サイト
http://www.nippn.co.jp/
 日本製粉鰍ヘ我が国最初の近代的機械製粉会社と し て1896年に誕生した。国内の小麦粉販売シェアは最大手の日清製粉が4割弱を占め、2位の日本製粉は2割強、3位の昭和産業が1割弱という構図になってお り、このシェアは長年大きな変動が無い。

 同社の製粉部門は全国7カ所の生産拠点(小樽、横浜、千葉、名古屋、大阪、神戸甲南、福岡)で年間100万トンを超える小麦粉を生産している。一方、食品部門では全 国5カ所の生産拠点(竜ヶ崎、高崎、厚木、神戸甲南、加古川)で年間15万 トンを超える食品を生産している([1]p25)。


■トピックス  
*日本製粉 横浜工場 サイロを増設 小麦を保管、来春完成 (2001 年5月22日付『日経産業新聞』15面

 日本製粉は21日、小麦粉の生産を手掛ける横浜工場(神奈川県横浜市)に小麦を保管するサイロを建設すると発表した。投資額は10億円。2002年春を めどに完成する。日本製粉は昨年、首都圏の生産拠点の集約を完了し、残った3工場の生産体制の増強に動く方針だ。第一弾として不足していた横浜工場の保管 能力を引き上げる。
 新設するサイロの収容能力は2,500トン。増設後の横浜工場全体の収容能力は非公表だが、小幅増にとどまるという。
 昨年4月に袋詰めした製品を保管する倉庫(収容能力7,500トン)を近接地に建設したこともあり、横浜工場の小麦粉の月産能力は従来比14.3%増の 月 産4万トン規模まで拡大することが可能になる。
 現在は需要に生産が追いつかない状態で、増設後はただちに増産に動く見込みだ。
 横浜工場は小麦粉の生産を手掛ける専用工場で、年産能力は月産3万5千トン。関東では横浜工場のほか、千葉工場(千葉市)で製粉と、コーンスターチの原 料などに使われるコーングリッツを、竜ケ崎工場(茨城県龍ヶ崎市)でミックス粉の生産をそれぞれ手掛けている。

*製粉能力54%増強 日本製粉 千葉工場 125億円投資 (2003 年11月27日付『日経産業新聞』24面

 日本製粉は125億円を投じて、主力の千葉工場(千葉市)の隣接地に、小麦の挽砕(ばんさい)ベースで日産500トンの能力を持つ製粉ラインや、約2万 5千トンを収納できる原料サイロ(貯蔵庫)を新設する。これに伴い、小麦粉の国内販売シェア(数量ベース)を現在の21%から25%に引き上げ、37%以 上のシェアを握る最大手の日清製粉との差を縮めたい考え。
 すでに取得済みの隣接地面積は約3万2千平方メートル。製粉ライン、サイロは来年4月に着工、2006年3月に完成する。千葉工場の生産ラインは現在3 本あり、1日の製粉能力は計930トン。新設するラインが加わると、製粉能力は現行より約54%増えて1,430トンになる。サイロの収容能力も現行の5 万トンから7.5万トンになる。
 国内市場ではコメ離れが進み、めんやパン用の小麦粉需要は拡大傾向にある。このため、製粉最大手の日清製粉も昨秋、主力の鶴見工場(神奈川県川崎市)に 1ラインで日産500トンの能力を持つ7本目のラインを増設、同工場の日産能力を2,150トンに引き上げた。

*日本製粉の子会社オーマイ、パスタ生産能力を増強 (2004 年6月8日『日本経済新聞』朝刊

 日本製粉のパスタ製造子会社、オーマイ(神奈川県厚木市)は国内市場向けパスタの生産能力を引き上げる。9億円を投じて主力の厚木工場(同)に量産ライ ンを増設、9月をめどに稼働させる。同工場のパスタ生産能力は現行の約27%増の月2,650トンとなる。外食産業のほか、冷凍食品や総菜などの加工食品 業界からの需要増に対応する。
 厚木工場の既存の敷地内にラインを増設する。生産するのはスパゲティやマカロニなどのほか、通常より短い時間でゆで上がる早ゆでタイプのショートパスタ など。日本製粉は「オーマイ」ブランド商品のほか、イタリア産の「バリラ」などの輸入品を国内向けに販売している。前期の国内供給量は5万9,500ト ン。厚木工場の増産で、今期は6万1,300トンと前期より3%増やす計画。

*東福製粉、筆頭株主の日本製粉と輸送・製造で協力急ぐ (2008 年5月17日『日本経済新聞』九州・沖縄

 福岡の地場製粉、東福製粉が業界2位の日本製粉との提携効果を輸送、製造面を中心に模索している。日本製粉を約18%の株式を持つ筆頭株主として迎え入 れて約半年。輸入小麦の値上げなど逆風が吹くなか、大手との提携で競争力確保を狙う。
 「いろいろなノウハウを取り込んで業績を上げる」。東福製粉の野上英一社長は提携の狙いをこう話す。現在、委員会をつくって製造部門や試験室など現場の 社員が月に2、3回ほど交流しているという。そうしたなか、提携の具体的な中身が定まりつつある。
 製造面では、ミックス粉の小袋など特定の分野の製品を日本製粉と融通することを検討中。「当社は100グラム〜1キログラム程度の小袋用に最新鋭の機械 を備えており、日本製粉の分も生産することで工場をフル稼働させコストを削りたい」(野上社長)という。一方、日本製粉が得意とするパン粉にも共同生産な どで本格参入を目指す。

*日本製粉、冷食の生産増強 新工場建設、能力2割向上 (2009 年9月15日『日本経済新聞』

 日本製粉はパスタなど冷凍食品の生産能力を2割増強する。20億〜30億円を投じて2011年をメドに新工場を建設する一方、老朽化で生産効率の悪い高 崎工場(群馬県高崎市)は閉鎖する。同社の冷食事業は20〜30%のペースで成長している。需要増に対応するとともに、工場の統廃合で生産効率のアップを 狙う。
 日本製粉の09年3月期の冷食売上高は200億円強で、前期比20%伸びた。主力のパスタ商品が好調だった。今後は増産に合わせて冷凍パスタのほか、コ ンビニエンスストア向けの冷凍弁当に力を入れ、3年後をメドに売上高300億円を目指す。(07:00)

*神戸甲南工場、小麦の処理能力2倍に 日本製粉 (2009 年11月7日『神戸新聞』

 製粉業大手の日本製粉(東京)は、神戸市東灘区の神戸甲南工場を増強し、原料小麦の処理能力を従来の約2倍に引き上げる。自宅で食事する“内食”の増加 などで関西地区での需要が伸びているため、供給量を増やす。
 同社は、全国的な需要増に対応した供給強化や設備の集約で計170億円の大規模な設備投資を計画。神戸甲南工場への投資額は115億円に上る。
 同工場では1ラインを増設し、処理能力を1日あたり420トンから950トンに引き上げるほか、2万トンの収容力を持つ原料サイロを新設する。いずれも 2010年に着工し、1、2年後に落成予定。
 このほか、グループ会社の瑞穂食品(加古川市)の米粉製粉設備を栃木県の上三川工場へ移転し、そば粉や米粉事業を集約して合理化を進める。また、県外で も冷凍食品工場の集約化やペットフード工場の新設を行う。
 同社は「神戸甲南工場は関西の主力工場。関西地区での生産性を上げたい」としている。(末永陽子)

*日本製粉グループ瑞穂食品 上三川に全面移転 来年4月操業開始  (2010 年6月24日『下野新聞』

 製粉大手の日本製粉(東京都渋谷区)グループで米粉製造の瑞穂食品(兵庫県加古川市、岡田素治社長)は、上三川町多功南原のテクノパークかみのかわに全 面移転する。23日までに本社兼工場の建設が始まった。
 新工場は来年4月の操業開始を予定し、現在の2倍にあたる年間最大2,400トンの米粉を製造する。戸別所得補償モデル対策で国が米粉用米の生産を奨励 し、従来の和菓子に加えパン、めん、洋菓子など新規用途の需要が拡大が見込まれる中、東京圏で新たな販路拡大を目指す。
 新社屋兼工場は同じグループ企業で、そば粉製造販売の松屋製粉(宇都宮市大通り3丁目)上三川工場の敷地内に建設する。鉄骨造り一部2階建てで、延べ床 面積は2011.8平方メートル。
 日本製粉グループの2カ年の「10/11中期経営計画SG130」は、老朽化し手狭になった瑞穂食品の工場のほか、松屋製粉本社工場の上三川工場への集 約も盛り込んでいる。

*米粉事業を日本製粉と提携 増産、全農通じて供給 秋田 (2010 年09月15日『河北新報』

 秋田県と全国農業協同組合連合会(全農)、日本製粉は14日、米粉の消費拡大を図るため連携すると発表した。米粉の生産増で農地の有効利用を促進したい 県と、米粉を安定的に確保したい日本製粉の思惑が一致した。
 日本製粉は2009年から県産米粉を調達しており、今後は全農を通じて一括して仕入れる。09年産は米粉用の玄米約900トン、10年産は約1,700 トンを確保したい考え。
 日本製粉の子会社の瑞穂食品は来年3月をめどに、栃木県内に米粉生産の拠点工場を建設中。年間生産量を現在の約900トンから約2,000トンに引き上 げる方針で、大部分は県産米を原料とする。
 米粉用の県産米の主力は「あきた瑞穂の舞」で、粒が大きく粉砕しやすいのが特徴。食料自給率の向上という観点から、輸入小麦に替わる米粉の利用促進を図 る動きが出ており、今後も需要増が見込まれる。
 同日、秋田県庁で会見した日本製粉の岡田素治執行役員は「品質と安定感から秋田の米粉を選んだ。食感を生かした商品開発を進めて消費拡大につなげたい」 と述べた。県流通販売課の照井義宣課長は「米粉の供給基地を目指す上で、日本製粉との連携は非常に大きい」と期待する。

*日本製粉、オーケー食品にTOB−連結子会社化へ (2010 年11月08日『日刊工業新聞』

 【福岡】日本製粉は株式の約33.3%を保有するオーケー食品工業に対し、TOB(株式公開買い付け)を行う。持ち株比率51%を上限に連結子会社化を 目指す。
 買い付け価格は普通株式1株につき123円、期間は8日から12月20日まで。オーケー食品の上場は維持する方針。同社は業務用味付けあげ最大手で、日 本製粉の子会社となることで品質管理や研究開発強化のほか、共同購買・物流でコスト削減を図る。
 両社は2003年から業務提携している。

*日本製粉子会社の上三川集積完了 (2011 年11月18日『下野新聞』朝刊

 製粉大手の日本製粉(東京都渋谷区)が進める、子会社2社の生産拠点のテクノパークかみのかわ(上三川町多功)への集積が10月末までに完了し、今月か ら本格的に始動した。機能集積により運営の効率化を図る。
 そば粉製造販売の松屋製粉(同町多功南原)は、宇都宮市にあった本社と工場機能を集約。そば粉生産ラインを2ラインに増設したほか、高級そば粉製造用の 石臼製粉ラインを設けた。投資総額は約13億円。
 生産能力は2工場体制時と同等の月1千トンだが、集約による効率化が見込めるのに加え、市街地にあった旧本社工場でできなかった深夜操業も可能になる。
 米粉製造販売の瑞穂食品(東京都渋谷区)は、兵庫県加古川市の工場を松屋製粉の工場敷地内に移転し、7月に本格生産を始めた。生産能力は月2千トン。従 来の約2倍に増えた。米粉の需要拡大への対応や、消費量の多い関東圏での販路拡大を目指す。投資総額は約14億円。
 2社の機能集積は、日本製粉が本年度末までの2カ年で進める中期経営計画の一環。グループ会社のライン増強などが盛り込まれており、計画全体の投資総額 は約200億円になる。


■日本製粉鰍フ車扱輸送  
 国鉄時代の高度経済成長期、貨物輸送近代化の切り札だった物資別適合輸送≠フ代表例の1つとして「ホキ2200形」による粉粒体輸送が あった。既にこのホキ2200形による輸送は全廃されてしまい存在しないのだが、最後までホキ2200形の輸送を行ったのが日本製粉であった。
 しかし製粉業界1位の日清製粉と比べた時に同2位の日本製粉のホキ輸送は少し規模が小さかったようである。それは輸送量が≠ニいうだけの意味に止まら ず、鉄道貨物輸送への依存度が相対的に低かったようなのである。即ち日清製粉は国鉄の物資別適合輸送が盛んであった昭和40年代は殆どの工場に専用線が設 置されていたが、日本製粉は全国12工場の内5工場(東京、名古屋、大阪、松山、神戸甲南)は専用線の存在しない工場であった。それらの工場が全て最新鋭 の臨海工場だから、というわけではなく東京工場や松山工場は現在閉鎖されてしまったし、名古屋工場と大阪工場も古い工業地帯に立地する工場で、神戸甲南工 場だけが比較的新しい工場と言える。
 そのため車扱輸送(特にホキ輸送)では、日清製粉の大川駅からの輸送が特に有名であったのに比べ、日本製粉の輸送はやや地味な印象がある。特に小樽工場 や神戸工場の鉄道による小麦粉輸送の実態が不明なので、今後の研究課題である。

▼小樽工場
所 在地
北海道小 樽市高島1-1-3(地図
生 産能力
製粉 日 産274.5トン(2000年3月末現在)
原 料小麦サイロ収容力
1,720 トン(2000年3月末現在)
開  設
1925 (大正14)年9月新設
専 用線接続駅
手宮駅
([2]p615参照)

 小樽工場は、『昭和5年版専用線一覧表』においても既に手宮駅接続の専用線が存在する。

 1977(昭和52)年11月、小樽工場は道内への小麦粉のバラ輸送を開始した。これを契機に原料サイロ10基(1,200トン)、小麦粉バラ出荷用サ イロ8基(280トン)を増設、翌1978(昭和53)年10月にも小麦粉バラ出荷用サイロ4基(180トン)を増設するなど大幅な設備増強を実施した ([2]p323)。

 一方、日本製粉鰍ヘ道内に内陸工場は存在しないため、本州や九州のように臨海工場から内陸工場へのホキ2200形による小麦輸送は存在しなかったのかも しれない。しかしそれでも専用線は長期に存在して『昭和58年版専用線一覧表』でも手宮駅接続の専用線は存続している。尚、1985(昭和60)年11月 に手宮駅は廃止されたので、その時点で小樽工場の専用線は廃止されたものと思われる。


▼横浜工場
所 在地
横浜市神 奈川区千若町2-1(地図
生 産能力
製粉 日 産1,470.2トン(2000年3月末現在)
原 料小麦サイロ収容力
82,540 トン(2000年3月末現在)
開  設
1924 (大正13)年5月新設
専 用線接続駅
東高島駅
([2]p611参照)

 横浜工場は、安価な外国産小麦を高能率に挽砕し、かつ海外市場にも積極的に進出していける体制を構築するために、我が国初の本格的な外麦専用の大規模臨 海工場として計画された。
 開設されたのは大正13年と古いながらも未だに日本製粉の主力工場の1つとして活躍している。
 
 1959(昭和34)年7月から開始された外麦のバラ売却は、年々その比重を高めた。製粉業界においても、バラ売却の値引きや輸送コストの低減は大きな 意味を持ち、加えて自社所有の原料サイロが政府指定倉庫になれば保管荷役料収入が得られるというメリットもあった([2]p243)。
 横浜工場では、保管荷役収入を増加させるため、自工場サイロへ陸揚げする原料小麦は、自工場使用分だけでなく高崎小山工場使用の現地売却分を見込んで保管し、扱 い数量の増加を図った。1960(昭和35)年6月には専用線内ばら小麦積 出装置を新設している([2]p243-244)。

 1966(昭和41)年5月に小山工場に原料小麦ばら積専用貨車により搬入される原料小麦のバラ受け設備が設置された([2]p244)ことから、東高島〜小山間でのホキ2200形による小麦輸送がこの時から開始されたものと思われる。
 また1966年10月からは同じく東高島〜小山間でホキ2200形によるとうもろこし輸送が開始された([3]p22)が、これは1966年9 月に竣工したニップン飼料鰹ャ山工場向けの輸送と思われる([2]p668)。
 更に同じ1966年10月には、東高島〜高崎間でもホキ2200形による小麦輸送が開始された([3]p22)。


東高島駅 日本製粉叶齬p線 1996.5

東高島駅 日本製粉叶齬p線 1996.5

 高崎工場の製粉部門は1994(平成6)年9月に閉鎖され た([2]p617)が、1993(平成5)年3月ダイヤ改正時点では高崎(操)〜高崎間に小麦粉・セメント専用列車が設定されていた。そのため閉鎖直前 までホキ2200形による東高島〜高崎間の小麦輸送は継続されていたものと思われる。
 また東高島〜小山間のホキ2200形による輸送は、2000(平成12) 年4月11日に終了した([4]p88)。これにより東高島駅に接続する日本製粉鰍フ専用線は廃止された。
 そしてかつては日本全国でその姿を見ることができたホキ2200形による輸送は、この終了により全廃となった。


東高島駅  日本製粉叶齬p線跡 2009.11


▼小山工場
所 在地
栃木県小 山市駅東通り2-2-33(地図
生 産能力
製粉 日 産498トン
プレミックス 月産2,060トン
原 料小麦サイロ収容力
12,500 トン
開  設
1920 (大正9)年3月合併
閉  鎖
2000 (平成12)年9月
専 用線接続駅
小山駅
([2]p615参照)

 『大正12年版専用線一覧表』によると小山駅接続の日本製粉鰍フ専用線が既に存在し、工場開設当初から専用線による貨車輸送が行われていたことが窺え る。

 1966(昭和41)年5月9日、小山工場に4,500トン原料サイロ竣工、原料バラ積み専用貨車搬入受け入れ設備(受入能力毎時80トン)が設置 された([2]p244、p668)。
 1966年9月、小山工場のサイロは内陸部としては全国で初めてのばら売却場所に指定され、業界から注目された([2]p244)。

 受け入れ設備設置と同時に横浜工場で陸揚げされた小麦を小山工場に移送するため、東高島〜小山間でホキ2200形による輸送が開始された([3] p22)ようだ。これは日清製粉鰍フ大川〜宇都宮間、全購連の清水港〜磐田間と並ぶホキ2200形による輸送の嚆矢であり、国鉄末期から全国各地のホキ輸 送が次々と廃止されていく中でも残り続け、結局ホキ2200形による最後の輸送として2000(平成12)年4月11日に終了([4]p88)した。また 小山工場自体も2000年9月に閉鎖されており、跡地は白鴎大学のキャンパスやヤマダ電機といった商業施設として再開発されている。


小山駅 日 本製粉鰹ャ山工場 1996.8

小山駅 日 本製粉鰹ャ山工場の専用線に停車するホキ2200 1996.8


▼高崎工場
所 在地
群馬県高 崎市下和田町4-1-16(地図
生 産能力
製粉 日 産227.7トン
原 料小麦サイロ収容力
1,123 トン
開  設
1920 (大正9)年3月合併
閉  鎖
1994 (平成6)年9月
専 用線接続駅
高崎駅
([2]p617参照)

 『大正12年版専用線一覧表』によると高崎駅接続の日本製粉鰍フ専用線が既に存在し、小山工場と同様に工場開設当初から専用線による貨車 輸送が行われていたことが窺える。
 1966(昭和41)年10月には、東高島〜高崎間でホキ2200形による小麦輸送が開始された([3]p22)。

 高崎工場の製粉部門は1994(平成6)年9月に閉鎖され た([2]p617)が、1993(平成5)年3月ダイヤ改正時点では高崎(操)〜高崎間に小麦粉・セメント専用列車が設定されていた。そのため閉鎖直前 までホキ2200形による東高島〜高崎間の小麦輸送は継続されていたものと思われる。
 尚、高崎工場は製粉部門は閉鎖になったもののニップン冷食轄m闕H場として存続している。


▼神戸工場

所 在地
神戸市兵 庫区明和通2-1-5(地図
生 産能力
製粉 日 産442.4トン
原 料小麦サイロ収容力
15,130 トン
開  設
1920 (大正9)年3月合併
閉  鎖
1995 (平成7)年3月
専 用線接続駅
新川駅
([2]p617参照)

 『大正12年版専用線一覧表』による新川駅接続の日本製粉鰍フ専用線が既に存在し、工場開設当初から専用線による貨車輸送が行われていたことが窺える。

 ホキ2200形による臨海工場から内陸工場への小麦輸送があったのかは不明だ。
 『昭和58年版専用線一覧表』でも新川駅接続の専用線は存続しているが、同駅は1984年2月1日に廃止されたため、同時に神戸工場の専用線も廃止され たものと思われる。

 その後、神戸工場は大型臨海工場である神戸甲南工場が稼働したこともあり相対的な地位が低下、阪神大震災によって再起不能に陥り閉鎖を余儀なくされた ([2]p498)。


▼門司工場

所 在地
北九州市 門司区大里元町5-11(地図
生 産能力
製粉 日 産492トン
原 料小麦サイロ収容力
16,920 トン
開  設
1920 (大正9)年3月合併
閉  鎖
1997 (平成9)年9月
専 用線接続駅
門司駅
([2]p617参照)

 『大正12年版専用線一覧表』による大里駅接続の日本製粉鰍フ専用線が既に存在し、工場開設当初から専用線による貨車輸送が行われていたことが窺える。

 1966(昭和41)年10月には、門司〜久留米間でホキ2200形による小麦輸送が開始された([3]p22)。関東の同社で見られるのと同様 に、臨海部の門司工場から内陸の久留米工場への原料小麦の移送である。
 この輸送並びに門司工場の専用線は、久留米工場が1985年3月末に閉鎖された時点で廃止されたものと考えられる。

 また門司工場は福岡工場への集約に伴い、1997(平成9)年8月に操業を停止し、9月30日をもって廃止となった([2]p513)。


▼久留米工場

所 在地
福岡県久 留米市荘島町(地図
生 産能力
製粉 日 産305.7トン
開  設
1914 (大正3)年12月竣工
閉  鎖
1985 (昭和60)年3月31日
専 用線接続駅
久留米駅
([2]p415参照)

 『大正12年版専用線一覧表』による久留米駅接続の日本製粉鰍フ専用線が既に存在し、工場開設当初から専用線による貨車輸送が行われていたことが窺え る。

 1966(昭和41)年10月には、門司〜久留米間でホキ2200形による小麦輸送が開始された([3]p22)。

 
久留米工場は原料事情が大きく変化し、臨海工場中心の時代になってくると、酒造米の精米から揚げ粉、そばミックスの製造なども手掛けた が、1985(昭和60)年2月の福岡工場の完成により、その使命を終え閉鎖された([2]p415)。
久留米工場([2]p415)


■日本製粉鰍フコンテナ輸送  

 日本製粉鰍ヘ車扱輸送こそ全廃となったものの、現在でもコンテナ輸送を比較的、積極的に行っている印象だ。
 同社の製品はタンクローリー車によるバルク輸送(バラ)とトラックやコンテナによるユニット貨物輸送(クラフト袋や段ボール箱)により輸配送されてい る。バルク輸送は小麦粉のみの輸送形態で、「NIPPN」のロゴマークを付けたローリー車が運んでいる。域内輸送はトラックが中心で、鉄道輸送は遠距離向 けに年間4万トン程度行っ ている。12ft コンテナが大半を占めるが、一部私有コンテナによるバルク輸 送も行っている([1]p25)。

▼千葉工場

所 在地
千葉市美 浜区新港229-4(地図
生 産能力
製粉 日 産823.6トン
コーン 日産141.7トン
原 料小麦サイロ収容力
50,605 トン
開  設
1977 (昭和52)年10月新設
([2]p612参照)

 東京都江東区大島に立地していた東京工場は、明治期以来の歴史ある工場であったが、昭和40年代に入ると公害問題や設備の老朽化など様々な問題が生じて きた。そのため大型船が接岸できる臨海工業地帯に最新鋭の工場を建設することになり候補地を探し出した。そのような状況下で伊藤忠商事鰍ゥら京葉コンビ ナートの一角の土地の譲渡斡旋があり1973(昭和48)年6月に購入した。その後、オイルショック等があり難しい時期ではあったが、1976(昭和 51)1月に千葉工場は着工、1977(昭和52)年10月に原料サイロが完成、火入れ式を挙行し正式に千葉工場が発足した([2]p311-312)。

 千葉工場は開業当初から現在に至るまで専用線を設置されたことは無く、同じ千葉の臨海工業地帯に工場が立地し、嘗て京葉臨海鉄道の食品線に専用線を接続 させていた日清製粉鰍竦逞t製粉鞄凾ニは対照的である。特に日清製粉の場合は、首都圏における旧来の拠点の鶴見工場と新設の千葉工場の両方で専用線を確保 したのに対して、日本製粉の場合は横浜工場には専用線があったが千葉工場は専用線敷設を前提にしない鉄道から離れた臨海工場となっている。そもそも日本製 粉は東京工場も専用線を有しておらず、首都圏における内陸工場に対する専用線を介した鉄道輸送の発送拠点は横浜工場に限定するという方針があったのかもし れない。

 このように千葉工場は車扱輸送においては特に見るべきものはなかったのだが、コンテナ輸送となると話は別である。12ftJRコンテナと20ft私有タ ンクコンテナで東北地方等の遠距離向けを中心に鉄道貨物輸送を利用しているようである。

▽京葉臨海鉄道のコンテナ輸送における会社別発着駅・主要品目(1996 年度実績)
発 駅
会 社名
主 な着駅
品 目
千葉貨物
日本製粉
八戸貨 物、弘前、秋田貨物、西岡山、福岡(タ)
小麦粉
([5]p110-111より抜粋)


村田駅  UT19A-3 1996.5
発  駅
発 荷主
品 目
着  駅
着 荷主
備  考
村田
日本製粉
小麦粉
八戸貨物
八戸東洋
1996.5 に八戸貨物〜村田の返空を目撃。
八戸東洋は東洋水産100%出資子会社。


▼横浜工場

  車扱輸送において長年ホキ2200形を利用した輸送を行ってきた横浜工場だが、その輸送と専用線が廃止された今でもコンテナ輸送を継続して 利用し ている。

▽日本製粉梶@荷崩れ防止装置付きコンテナでパレット輸送 (『JR貨物ニュー ス』2004年7月15日号 一貫パレ推進特集号2-3面)

 日本製粉渇。浜工場で生産しているパスタ原料のデュラム小麦粉をグループ会社のオーマイ渇チ古川工場へ、20トントレーラで1日に60〜70トンを出荷 していたが、その一部を2004(平成16)年4月から東京(タ)発、神戸(タ)着の鉄道コンテナ輸送に切り替えた。JR貨物 関東支社が提案した荷崩れ防 止装置付きコンテナ19C・E形式を運用しての輸送である。
 JR貨物は19C・E形式計900個を、主に関西発首都圏行きの平判紙輸送に運用している。JR貨物関東支社が日本製粉に提案したのは、そのうち帰り荷 のないまま回送するコンテナの活用だった。これを受けて日本製粉が2003(平成15)年7月に試験輸送を行ったところ、輸送品質の確実性 を大筋で確認。 パレタイズ貨物にストレッチフィルムを巻く必要もなく環境面でも優れているため、2004年4月から本格運用を開始した。
 デュラム小麦製品は、関西圏の同製品需要をカバーしていた神戸工場が、阪神淡路大震災で被災して以降、横浜工場が関西圏についてもカバーしている。その ため本事例はモーダルシフトでコスト競争力のもてる輸送距離(550km)だった。同社は環境対策としてモーダルシフトに積極的に取り組んでいるが、本来 エリア内流通が基本の製粉事業で、これ以上モーダルシフトが可能なのかについては、例えば東日本エリアの千葉〜青森間などは800kmあり、九州エリアで は福岡〜鹿児島間でも350kmあるため、こうした中長距離ルートでは鉄道輸送を検討している。

▽日本製粉、日通などと連携 鉄道で小麦粉輸送 横浜〜八戸間 CO2 8割減へ  (2006 年9月15日付『日経産業新聞』13面

 日本製粉と日本通運、日本貨物鉄道(JR貨物)の3社は、横浜〜八戸間 の省エネルギー輸送で連携する。日本製粉の横浜市内の工場から青森県八戸市の大口 の取引先に小麦粉を配送する手段について今年度中に区間の大半を鉄道輸送に切り替える。同社では最も長距離の鉄道輸送となり、小麦粉専用のコンテナも活 用。環境負荷の少ない輸送機関を使う「モーダルシフト」を地方向け配送で積極採用する。
 日本製粉はこれまで横浜〜八戸間の輸送にはローリー車を利用してきた。この区間のトラック輸送時の二酸化炭素(CO2)の排出量は年間455トンとみら れるが、鉄道輸送に切り替えることで81.8%減の83トンまで減らすことを見込んでいる。
 横浜工場から小麦粉をコンテナに積んでトラックでJR貨物の隅田川駅(東 京・荒川)に送り、コンテナを鉄道貨車に積み替える。同駅を午後11時ごろに出 発する鉄道便で翌朝8時ごろに八戸貨物駅に輸送。再びトラッ クにコンテナを積み、供給先の製めん工場に届ける。逆ルート で空コンテナを回収する。
 利用するコンテナはJR仕様の20フィート(10トン)タイプのバルクコンテナ。日本製粉が費用を負担して同社専用の既存コンテナを改良して製造し、3個をそろえて年間延べ200個弱の輸送に活用する。小麦粉を袋詰めしてから内部に積 む手間を省き、コンテナ上部から小麦粉を衛生措置が施された内部に流し込むように投入する。搬出時もコンテナ側面下部から抜き出せるという。
 日本製粉ではこれまで、横浜工場と加古川工場での輸送や、横浜工場と山形県の取引先を結ぶ輸送でも貨物鉄道を導入したが、横浜〜八戸間は同社で最長区間 となる。燃料使用を抑える効果も大きく、輸送コストも割安になる見込み。今後も取引先の理解も得ながらモーダルシフトを推進する。
 3社は今回の鉄道シフトにあたり、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の事業費補助制度を活用した。


隅田川駅 UT18A-15 日本製粉鰹蒲L 小麦粉専用 2009.9

隅田川駅 UT10A-7 日本製粉鰹蒲L 小麦粉専用 2003.5

▽小麦粉等食品をタンクコンテナとJRコンテナで輸送 トンキロベース約5%を鉄道で  ([6]p7-10)

 日本製粉単体としては、国内生産拠点として製粉7工場とプレミックス2工場を擁し、エリア内物流を構築するなど物流効率化に努めてきた。
 物流を統括する経営企画部ロジスティックスグループの野村主幹は「小麦粉自体は運賃負担力が低いので、基本的に製粉事業の物流は生産拠点のある5つのエリア内で完結するように設計されている。プレ ミックス工場は東西に1つずつあり、トラック輸送の他に海上・鉄道輸送を利用している。エリア外や中長距離の輸送、例えば、横浜工場からオーマイ加古川工 場(兵庫県)へは12ftコンテナを利用している」と説明した。
 日本製粉は輸送効率向上のため、小麦粉のバラ輸送化も進めており、タンクローリーとタンクコンテナで出荷している。タンクコンテナは「鉄道輸送用」に小 麦粉専用コンテナを保有しており、隅田川駅〜八戸貨物駅等で 鉄道輸送が行われている。
横 浜工場でタンクコンテナに小麦粉を充填し、隅田川駅に向かう小麦粉専用タンクコンテナ

 また、横浜物流センターから出荷される天ぷら粉・パスタ等の家庭用製品、パスタソース・オリーブオイル等のパスタ関連商品といった段ボール箱入り製品に も12ftコンテナを利用している。鉄道利用割合はトンキロベースで約5%に なる。
 同グループの山口主幹は「当社製品は食品の原料であり、納入先の衛生面の指導も厳しいため、輸送時には破袋や汚れを防ぐためにコンテナの床・壁面に段 ボールシートを使用し、適宜緩衝材を挟む。利用運送事業者にも積み方を留意してもらい、天面も紙で保護している。また、紙袋製品を輸送する際には荷崩れ防 止装置(パネル)を利用している」と話した。
25kg紙袋をパレット積みする 横浜工場で

 横浜工場からの紙袋製品出荷に利用している荷崩れ防止装置付きのコンテナは、製紙会社の平判紙輸送に利用されている19E形式で、返回送区間の有効活用 を行っている。
 「モーダルシフトを進める上で、年々配送ロットが小さくなっているためJRコンテナの5t単位ではやや大きいと感じる場合もある。カゴ車単位などフレキシブ ルな商品開発をしてもらえると、さらに鉄道を活用できると思う」と野村主幹は提案した。
 日本製粉は2010年7月、エコレールマーク取組企業認定と「オーマイ天ぷら粉」・「オーマイお好み焼き粉」・「オーマイホットケーキミックス」の3品 目で商品認定を取得した。


■ニップン飼料鰍フ設立から解散まで  

 日本製粉は飼料事業から既に撤退しており、飼料事業が事業の柱の1つであるライバルの日清製粉グループや昭和産業と対照的だ。
 同社の飼料事業を担ったニップン飼料は会社を解散してしまっており、日本飼料ターミナル鰍フように今ではその痕跡を辿ることも難しくなりつつある。そこ で、まずはこの興味深いニップン飼料の歴史を詳しく纏めることにする。

▼ニップン飼料鰍フ設立
 製粉業の関連分野である飼料事業は、日本製粉でも比較的早い時期から進出を考えていた分野であった。当初は同社の一部門として運営する計画であったが、 方針を変えて別会社を設立することになり、1961(昭和36)年9月25日、ニップン飼料鰍ェ発足した。資本金は3,000万円で日本製粉の全額出資で あっ た([2]p260)。

 1962(昭和37)年4月に操業開始となった名古屋工場は、 設備能力は月産5,000トンで、まず養鶏用と養豚用の飼料を製造し、同年11月から養牛用飼料に範囲を広げた。全くの新規事業であったが、経営は次第に 軌道に乗り、出荷高は1963(昭和38)年頃から順調に伸び始めた。月間出荷高が4,000トンを超す勢いになった1965(昭和40)年には名古屋工 場の能力不足が問題となり、新工場の建設計画が種々検討され、日本製粉鰹ャ山工場の敷地内に小山工場の建設が決定した。1966(昭和41)年9月に竣工となった 小山工場は、月産3,000トンの能力があったが、早くも12月には2,000トンを超える出荷を達成した([2]p260)。

 ニップン飼料ではその後、製品の多様化を図りつつ能力の拡充を進めることとし、1969(昭和44)年12月に名古屋工場を増強し、生産能力を月産1万 トンに倍増した。続いて1971(昭和46)年3月、小山工場構内に月産150トンのドッグフード用飼料工場を新設し販売を開始したところ非常に好調で、 翌1972(昭和47)年、生産能力を100トン増強するとともに、名古屋工場には養魚用飼料工場を新設した。こうして同社は一般家畜用からペット用、養 魚用まで主要な製品分野を網羅するに至った([2]p260-261)。

▼ニップン飼料鰍フ拡大
 ニップン飼料は日本製粉竃蜴i工場敷地内に1972(昭和47)年12月、月産能力5,000トンの門司飼料工場が竣工、門司営業部も設置され畜産の重点地区である九州地 方への進出が実現し、同年9月には資本金も6,000万円に倍額増資された([2]p261)。
 同社は、九州地区に続いて北海道地区への進出を企図し、1974(昭和49)年4月、かねて資本参加していた小樽の北海道糧食鰍吸収合併して小樽工場とし、同時に北海道営業部を設置した。また養魚用飼料部門の拡 張にも力を入れ、1979(昭和54)年6月には名古屋工場の養魚用飼料製造設備を増強した([2]p347)。
 資本金も逐次増資を行い、1977(昭和52)年10月には資本金が3億6,000万円となった([2]p348)。

 昭和50年代後半になると、同社は再び配合飼料事業の拡大を積極的に進めた。まず、小樽工場の合理化工事として、1982(昭和57)3月に製品タンク の増設と製品荷役・出荷設備の改善を行い、1983(昭和58)年にフレーク飼料工場を増設した。その一方、需要の拡大が予想された東北地方への進出を計 画し、82年、三井物産梶A日本配合飼料梶A協同飼料鰍ニの共同出資で八戸飼料穀物コンビナート内に東北飼料を設立、83年7月から東北地方向け畜産飼料の製造を委託し た([2]p348)。

▼ニップン飼料鰍フ解散
 配合飼料業界は主原料のとうもろこしの国際的な値下がり、米国からの牛肉自由化圧力など多くの難問を抱え、構造不況に陥っていた。そのため経営難の企業 が多くなり、会社整理をするところも出てきた中で、ニップン飼料でも名古屋工場のライン縮小など経営の立て直しに努めてきた。同社は飼料業界では後発メー カーであり、また製造・販売原価が割高なことから、次第に競争が困難な状況に追い込まれていた。しかも飼料業界自体、飼料販売の4割を握る全農が価格決定 などを左右しているという特殊な体質であった([2]p440-441)。
 ニップン飼料は生産合理化として、まずは1985(昭和60)年3月に小樽第1工場を第2工場に集約したが、主眼を置いたのは、門司、名古屋地区を中心 に日本配合飼料 鰍ニの提携関係を強化することであった。門司地区にはニップン飼料の門司飼料工場と日本配合飼料の門司工場とがあったが、ニップン飼料は 85年10月に北九州飼料を日本配合飼料との共同出資で設 立、1986(昭和61)年8月から同社に畜産用飼料製造を委託し、門司飼料工場は土地を日本配合飼料に、機械設備を新会社に売却して閉鎖された。名古屋 地区では、日本配合飼料の知多工場が85年7月から別会社の知多飼料と なり、ニップン飼料は同社に資本参加をして86年2月から飼料製造を委託、ニップン飼料名古屋工場はペットフードと養魚用飼料の生産に専念することになっ た([2]p442)。
 そのような中、ペットフード事業については、日本製粉、ニップン飼料、ユ ニ・チャームの3社間で業務提携契約が1987(昭和62)年3月23日に締結された。ニップン飼料名古屋工場では同年8月からペットフー ド生産ライン(月産1,000トン)の整備に取り掛かり、12月から本格操業を開始した([2]p442)。

 一方、ニップン飼料の再建計画を進めていた日本製粉は、1988(昭和63)年3月に至り、畜産用配合飼料の製造廃止、養魚用飼料の拡大、ペットフード の拡充、そして会社は1年半後に解散という最終的な処置案を決定した。同年の秋には日本配合飼料と共同で茨城県鹿嶋市に鹿島飼料工場を建設した上で小山工場を閉鎖、同工場の土地建物は日本製 粉に返還された([2]p442)。
 有望なペットフード部門は新会社の手で新たな発展を期すこととなり、1989(平成元)年3月10日、ペットフードの製造販売を事業目的とするエヌピー エフジャパン鰍ェ日本製粉100%出資(4,000万円)により発足した。同社は、ニップン飼料名古屋工場の一部を使用して操業に入り、5月1日にはニッ プン飼料からペットフード部門の全営業権と製造設備を従業員とともに譲り受け、製造を開始した。また同時にニップン飼料の畜産・養魚の営業権は日本配合飼 料へ譲渡された([2]p442)。
 ニップン飼料 は、1990(平成2)年2月28日に解散した。最後に残った小 樽工場日本配合飼料からの受託製造を終了し て日本製粉に返還された([2]p442)。

▼ニップン飼料鰍フ鉄道貨物輸送
 ニップン飼料も鉄道貨物輸送を利用していたようだが、その実態はあまりよく分からない。しかし専用線一覧表から想像される輸送がある。

▽「昭和50年版専用線一覧表」によるニップン飼料関係の専用線
路 線名
所 管駅
専 用者
第 三者利用者(真荷主)
作 業方法
総 延長`
手宮線
手宮
ニップン飼料

国鉄機  手押
0.2
根室本線
帯広 (貨)
大丸倉庫 梶i第1)
北 海道糧食
ニップン飼料
私有機
0.2
函館本線
近文
旭川塩酸 販売
ニッ プン飼料
国鉄機
0.1
石北本線
北見
北見パル プ
ニッ プン飼料
国鉄機
1.1
東北本線
小山
日本製粉
ニッ プン飼料
高崎運輸 機 移動機
0.9

1984.11.16手宮駅・ニップン飼料叶齬p線
※「鉄道・四季憧憬」様から大変貴重な写真をご提供して戴きました!

 手宮のニップン飼料鰹ャ樽工場からは、帯広近文北見にホキ2200形やワムで飼料を運んでいたものと思われる。着駅側 にはサ イロを備えた飼料基地があったものと想像される。
 これら道内の専用線は、「昭和58年版専用線一覧表」でも残っており、手宮駅が廃止された1985(昭和60)年11月頃まで輸送が継続していたのかも しれな い。

 1966(昭和41)年10月から東高島〜小山間でホキ2200形によるとうもろこし輸送が開始された([3]p22)が、これは1966年9 月に竣工したニップン飼料鰹ャ山工場向けの輸送と思われる([2]p668)。
 この輸送は1988(昭和63)年にニップン飼料の小山工場が閉鎖された時点で廃止されたものと思われる。



[1]『Monthlyかもつ』第59巻第4号、鉄道貨物協会、2009年
[2]『日本製粉社史 近代製粉120年の軌跡』日本製粉株式会社、2001年
[3]「昭和41年10月時刻改正について」『貨物』鉄道貨物協会、第16巻第10号、1966年
[4]伊藤 博志「新興、東高島両駅の近況」『レイル・マガジン6月号』第18巻第7号、2001年
[5]『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社、1999年
[6]『Monthlyかもつ』第60巻第11号、鉄道貨物協会、2010年

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