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日本合成化学工業(株) 2003.03.30作成
http://www.nichigo.co.jp/

目次
1.概要>
2.沿革>
3.社史に見る物流>
4.その後の輸送について>



1.概要>
三菱化学系化学メーカー。ポリビニルアルコール(PVOH)大手。エチレンビニルアルコール(EVOH)の世界市場をクラレと二分している。
資本金179.89億円(02.5.1)、株主は三菱化学が35.1%を占める。2002年3月期決算は連結売上高約711億円、経常利益74百万円。従 業員数は連結で1,552名(02.3)。
工場は大垣、水島、熊本の3ヵ所。「販売先」は三木産業、丸紅、丸紅ケミックスなど、「仕入先」は三菱化学、ダイセル化学、昭和電工など。

*『日経会社情報 2002-V夏号』日本経済新聞社、2002年、345頁


2.沿革>
1926年(昭和元年) 木酢生産4社の共同研究によりアセチレンを原料とする酢酸の工業化生産技術を確立 
1927年(昭和02年) 木酢生産4社が合同で(株)日本合成化学研究所を設立  岐阜県大垣市に大垣工場建設 開始 
1928年(昭和03年) 社名を「日本合成化学工業(株)」に変更  日本で初めての有機合成酢酸の工業化に成功、翌年能力大幅増強のため水化塔建設を開始  
1936年(昭和11年) 日本で最初にアセチレン法による酢酸ビニルモノマーおよび酢酸ビニル樹脂の製造に成功 
1939年(昭和14年)  カーバイドからの一貫によるアセトン・ブタノールの生産拠点を熊本県宇土町に定め、熊本工場(現・ 熊本事業所)の建設開始 
1947年(昭和22年)  大垣において酢酸ビニルモノマーの研究生産および酢酸エチルの生産を再開 
1949年(昭和24年)  熊本工場で酢酸ビニルモノマーの建設開始 大垣工場でゴーセノール(ポリビニルアルコール:PVOH)生産設備完成 
1951年(昭和26年)  大垣・熊本両工場でゴーセノール生産設備増強
1958年(昭和33年)  大成化薬(株)に出資
1960年(昭和35年)  大垣工場で、グリオキザールおよびケテン誘導品の生産を開始 川下製品の生産を主体とした大垣化成工業(株)を合弁で設立 
1963年(昭和38年) 石油化学への原料転換のため三菱化成工業(株)(現・三菱化学株式会社)と 提携し岡山県水島コンビナートに進出を決定
                            水島合成化学工業(株)(現・水島工場)を合弁で設立し、翌年アセトアルデヒドを原料 とする酢酸及び酢酸エチルの生産を開始
                            ハイセロン(水溶性PVOHフィルム)の製造を関西化学工業(株)へ委託 
1965年(昭和40年)  関西化学工業(株)へ資本参加 
1967年(昭和42年)  水島合成化学工業(株)にてゴーセノールの生産を開始  
1969年(昭和44年)  塗料原料樹脂ゴーセラック(不飽和ポリエステル)を開発、大垣工場で生産を開始 水島合成化学工業(株)にて酢酸ビニルモノマーの生産を開始  
1971年(昭和46年)  水島合成化学工業(株)を吸収合併
1972年(昭和47年)  東海樹脂(株)(現・大垣フィルム工場)を設立し、翌年ハイセロンの生産を開始
1975年(昭和50年)  熊本工場にてファインケミカル製品(医薬中間体)の生産を開始
1980年(昭和55年)  ボブロン(二軸延伸PVOHフィルム)の生産を熊本で開始
1984年(昭和59年)  ソアノール(エチレン・ビニルアルコール共重合樹脂)の本格生産を水島工場で開始

http://www.nichigo.co.jp/japanese/profile/f-guide.html  より


3.社史に見る物流>

『日本合成化学工業株式会社五十年史』日本合成化学工業株式会社、1980年、182〜185頁

水島合成の酢酸、酢酸エステルの稼動開始に伴い、大垣、熊本両工場では大量の酢酸を中間原料用として水島に仰ぐことになり、輸送の合理化が 重要な課題となった。
大量生産する水島製品の販売に関しても、物流面の合理化が強く要請された。

輸送面では、1959(昭和34)年頃から輸送容器や荷役設備、輸送方式の合理化に手を着け、59年11月「ソルベントME」の大垣 工場から横浜への輸送にタンク貨車の使用を開始 し、引き続いて酢酸エチル、酢酸ビニル等の輸送にタンク貨車を採用した。

タンクローリーの利用も前後して始まり、酢酸、酢酸エチル、ソルベントME、グリオギザール、酢酸ビニル等の専用ローリーを配備して大口需要先への輸送に 供した。コンテナもこの頃から採用し、固体輸送のみならず液体輸送にも利用するようになった。

大量輸送方式採用と共に酢酸及び溶剤等液体製品のストックポイントとして、1962年11月尼崎市国鉄塚口駅に隣接して大阪荷捌所を開設し、 翌年3月には京浜地区向け酢酸エチルのストックポイントを品川油槽所内に開設した。

こうして製品の流通面ではバルク販売(タンクローリー又はタンク貨車)が浸透した。酢酸を例にとると1962年下期の瓶体販売とバルク販売の比率は80対 20であったが、小口需要家の庭先にまで当社の費用で専用タンクを設置したこともあって、65年下期の頃には30対70の比に逆転した。この様なバルク販 売の拡大に伴い、65年11月現在で当社の各地常備のタンク貨車は16輌、ローリー車は19輌を数えるに至った。

一方流通機構面でも、業界協調の機運もあって1965年頃から酢酸販売に関し同業メーカーとの地区別製品相互交換が実現した。名古屋地区では酢酸、酢酸エ チルの共同タンクを設置して、各社はこの共同タンクから出荷し、その見返りとして融通を受けた分だけ所定地区で融通出荷する等、自社の枠を越え輸送合理化 を推進することになった。

→作者註:酢酸輸送の共同施設(1966年8月13日 化学工業日報)『運輸と経済』第27 巻第10号、1967年、9〜10頁
ダイセル、電気化学、昭和電工、日本合成化学、チッソなど酢酸メーカーは、酢酸販売に伴う輸送の合理化について、メーカーが共同体制をとっ て、酢酸のびんづめ、荷さばき施設の共同利用を行っている。酢酸は従来、純用、工用を問わず各社それぞれに小分け(びんづめ等)などして輸送していたが、 共同施設を 川崎赤羽等に設置してバルク輸送を行い、従来のびんづめ、荷さばき作業が大幅に軽減されるとともに、空容器の 返送の必要がなくなるなどの合理化を期待したものである。

物流合理化進展の中で画期的であったのは、水島合成の稼動に伴う海上輸送の開始とストックポイント網の設置であった。もともと水島進出決定以来、水島工場 製品の輸送原案は陸上輸送であった。既存の 倉敷市営鉄道を延長して工場敷地内に引き込み、専用30トンタンク車多数を購入し輸送に当てようと いうものであった。

これまでの工場はすべて内陸部に位置し、水島立地が初めての海外線への進出で製品の海上大量輸送の経験は無かった。石油の例をとるまでもなく、大量輸送に は海上輸送が最も効率的であるが、何分これまで腐蝕性の激しい酢酸を運ぶ事例は無かった。しかし何とか海上輸送を実現すべく検討を始めたのは1962年初 め頃であった。

水島建設着工が遅れたこともあり専用タンカーの建造、配船計画、ストックポイントの設置等、一連の海上輸送ラインの建設には万全を期すことができた。輸送 業者としては関西運油(株)の起用が決定した。

1964年2月起工式、7月完成試運転の後、8月17日専用船が初出荷の酢酸を積み処女航海の途に突き、以後水島と母体工場を結ぶパイプの役割を果たすこ とになった。ストックポイントとしては大垣、熊本工場への搬入、近畿地区及び京浜地区の主要市場への出荷用として計4ヵ所の確保が必要であった。

まず近畿地区の基地として神戸市(西村商店)が決定した。熊本工場用基地としては当初三角港が候補に上がったが、海峡で流れが速いことと水道設備が無かっ たこともあり、八代港(松岡石油)に落ち着いた。京浜地区では既存の品川油槽所に専用タンクを設置した。最も難航したのは大垣工場用及び中京地区市販用基 地であった。結局三菱化成が四日市港に所有するバースを利用して建設することにした。
[1978年1月名古屋市の東海ケミカルタンク(株)に移管]

以上の4ストックポイントの整備によって新しい流通体系は完成をみるに至った。

その後1967年には、エチレン法酢酸ビニル製造設備の建設並びにそれに先行してポバール製造設備の水島での建設・稼動という事態に対処して既存工場間の 酢酸ビニルの大量輸送、販売面の輸送経路変更等の物流合理化が再び関心を呼ぶに至った。このため改めて同年8月三角港(松藤商事)にも酢酸、酢酸ビニル及 び重油のストックポイントを設置した。

1978(昭和53)年末現在の物流の概要は以下である。

◆海上輸送関係
使用船 4隻
輸送トン数 月間約14,000トン
輸送品目 酢酸、酢酸ビニル、ソルベントME、酢酸エチル

◆陸上関係
◎ストックポイント
ストックポイント名
所在地
契約先
扱い品目
契約年月
東洋合成工業株式会社
市川市
菱化運輸株式会社
酢酸ビニル
1976年7月
菱化運輸株式会社川崎油槽所
川崎市
菱化運輸株式会社
酢酸エチル
1969年11月
内外輸送株式会社横浜支店
横浜市
内外輸送株式会社
ソルベントME
1959年10月
東海ケミカルタンク株式会社
名古屋市
丸紅飯田
酢酸ビニル
1978年1月
[三菱化成・四日市]
四日市市
三菱化成工業株式会社
酢酸、酢酸ビニル
1964年10月
[1978年1月廃止]
内外輸送株式会社塚口支店
尼崎市
内外輸送株式会社
無水酢酸、酢酸、酢酸エチル
1962年7月
神港ケミカルタンク株式会社 神戸市
丸紅株式会社
ソルベントME、酢酸 1969年7月
株式会社西村
神戸市
丸紅株式会社
酢酸ビニル、酢酸、酢酸エチル
1964年7月
松藤商事合資会社
三角営業所
宇土郡
三角町
松藤商事
酢酸ビニル、ソルベントME、酢酸
1967年12月
松岡石油株式会社八代
八代市
松岡石油
酢酸エチル
1964年8月
博多ケミカルタンク株式会社
(他社と共同)
福岡市


1973年10月
1972年 昭和47年 1月 丸紅飯田、社名を丸紅に変更

◎陸上輸送
タンクローリー 計57台
・東京地区 5台
・大垣工場、名古屋地区 23台
・大阪地区 17台
・水島工場 4台
・熊本工場 8台
輸送品目 酢酸、酢酸ビニル、酢酸ブチル、酢酸エチル、ソルベントME、グリオキザール、イソブチロルニトリル

◎私有タンク車 15輌
酢酸、酢酸エチル、酢酸ビニル輸送用



[ 『日本合成化学工業株式会社五十年史』より]

4.その後の輸送について>


『昭和54年版私有貨車所有者別番号・常備駅一覧表』より
東水島駅常備
両数
西大垣駅常備
両数
宇土駅常備
両数
タサ4500(酢酸ビニール)
タキ8700(酢酸ビニール)
タキ7700(酢酸エチル)
タキ3700(酢酸)




タキ3700(酢酸)

タキ3700(酢酸)

合計






東水島駅常備のタキ3700(酢酸)については、以下のページ等を参照。東水島→安治川口・塩浜等で運用されていたのか?
http://shimpei.3.pro.tok2.com/0001/111_pfc-weekly1/pfw038_taki3746.htm
http://highland.hakuba.ne.jp/~natsume/kamotsu/fctank3/tak37h.htm

また1995年時点で、日本合成化学工業所有のタキ3700形式は3746、3747の2両あったが、どのような輸送に使用されていたかは不明。
『鉄道ピクトリアル』第45巻第6号、通巻第606号、42頁

『昭和58年版全国専用線一覧表』より
専用線番号
所管駅
専用者
第三者 真荷主
第三者 通運事業者
作業キロ
総延長キロ
記事
1343
2279
3322
3334


新興
塚口
宇土
三角


内外輸送(株)
内外輸送(株)大阪支店
日本合成化学工業(株)熊本工場
熊本県


(株)大和商会


日本通運(株)
三角海運(株)
内外輸送(株)
日本通運(株)

日本通運(株)
0.6
0.2
0.1
東線0.5
西線0.4
0.8
0.2
0.1
1.2

国鉄側線
国鉄側線


専用線番号
所管駅
専用者
第三者利用者
作業キロ
記事
4310

4311

4342
西大垣

西大垣

東水島
日本合成化学工業(株)

日本合成化学工業(株)

三菱化成(株)
日本通運(株)
内外輸送(株)
日本通運(株)
内外輸送(株)
水島合成化学工業(株)
三菱液化瓦斯(株)
三菱商事(株)
日本合成化学工業(株)
0.1

0.1

1.8
東線

西線

専用鉄道

また、これまでの調査で判明したコンテナ輸送は以下。
1999年4月2日 黒井駅
ゴーセノール:東水島(日合)→黒井(ダイセル化学) V18Cコンテナ


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