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とはずがたりな掲示板  鉄 道貨物輸送研究スレ
谷川運輸倉庫株 式会社 (浪速駅)
2024.4.28 作成開始 2024.5.4公開


1995.3浪速駅構内と谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫


1996.12浪速駅〔谷川運輸倉庫 (株)専用線向け貨車輸送は廃止済み〕


  阪神工業地帯と大阪大都市圏を後背地に、日本有数の取扱量を誇る大阪港には開港以来着々と整備されてきた多数の埠頭が備わるが、かつてはそれら埠頭へ向け て国鉄線とそこから分岐する臨港線や 専用線による鉄道貨物輸送網が構築されており、貨物専用駅や貨物取扱駅としても浪速、大阪港、大阪東港、安治川口、桜島、大阪北港の各駅が拡がってい た。

 それら駅の中で、現在でも鉄道貨物輸送の拠点として残るのは安治川口駅だけとなってしまったが、もう1駅、比較的近年まで残っていたのが浪速駅であっ た。 2004(H16)年11月に休止、廃止は2006(H18)年4月であり、車扱のみの取り扱いであった。特に(株)辰巳商会の 福崎ケミカルターミナル向け化学薬品のタンク車輸送が末期まで残っていたこともあり、その 印象が強いと思われる。筆者も浪速駅構内で日産化学のタンク車を撮影していて、化成品のタンク基地と共に記憶に刻まれている。一方で、紙輸送の歴史的観点 からも浪速駅は注目すべき存在であった。かく言う筆者も初めて浪速駅を訪れた際には、そのことを全く認識できておらず、何気なく撮影した浪速駅構内の写真 に1枚だけ、今回の谷川運輸倉庫(株)専用線とそこに停まるワム車の記録を残すことができており、幸運だったとしか言 いようがない。

 第12回「専用線とその輸送」は浪速駅の谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫の専用線を取り上げ、新聞用紙の貨車輸送の合理化を目的に設置・敷設された倉庫及び 専用線の歴 史と輸送体系を紐解いてみたい。



■ 浪速駅の貨物取扱量推移(トン)

紙 製 品
浪速駅合計

紙 製 品
浪速駅合計
  年 度
発 送
到 着
発 送
到 着
  年 度
発 送
到 着
発 送
到 着
1973
8,416
112,142
129,274
214,667
1985
-
85,068
31,700
152,108
1974
8,921
132,361
108,300
241,040
1986
-
68,625
27,897
122,946
1975
12,793
126,022
91,467
213,705
1987
-
61,762
23,709
93,224
1976
15,354
131,536
91,300
221,529
1988
114
76,854
23,315
109,900
1977
18,871
135,932
79,358
228,586
1989
135
77,300
17,260
113815
1978
13,497
125,670
64,488
202,864
1990
-
83,652
20,601
115,853
1979
4,942
112,475
63,841
187,566
1991
-
77,466
19,928
104,215
1980
4,621
114,445
59,320
196,720
1992
-
64,743
17,715
88,961
1981
2,962
104,773
44,564
177,034
1993
554
21,956
19,868
43,196
1982
1,686
98,128
37,299
170,183
1994
-
18,644
17,491
33,880
1983
2,148
102,176
29,107
165,278
1995
105
9,296
23,345
21,388
1984
543
88,477
52,761
136,529
1996
-
378
18,909
12,184
(大阪市港湾局『大阪港勢一斑』より作成)

 まずは谷川運輸倉庫(株)の専用線の取扱量から考察してみたい。大阪市港湾局が発行する『大阪港勢一斑』には、大阪市内の港湾部に位置する各貨物取扱駅 の取扱量の統計が掲載されている。嬉しいことに細かな品目別数量と なっており資料的価値が高い。

 同資料より浪速駅の取扱量を抜粋し、その推移を上記表の通り纏めたが、紙製品の発送や到着がほぼ全量が谷川運輸倉庫の専用線の取り扱いと思われる。 国鉄末期までは到着量で年間10万トンを 超える水準となっており、JR移行後の1990年代初頭までは年間6万トン以上を維持していた。

 浪速駅の到着量合計の半分以上を紙製品が占めていたわけで、同駅における同社専用線の存在感の大きさを感じる。一方、発送でも紙製品は年 間1万トン以上の時期もあるが、これが谷川運輸倉庫の専用線関連かどうかは不明であるが、その可能性は十分あると言えるだろう。

 一方で化学薬品の到着量は上記表中の時期で多い時でも年間4万トン超(発送量は同4千トン程度)といったところで、紙製品には到底及ばない。このように 浪速駅は化学薬品輸送の駅≠ニいうよりも、紙輸送の駅≠ニいう方が実態に即していたと言えよう。



 さて、それでは谷川運輸倉庫(株)が浪速駅に新聞用紙のために浪速倉庫を完成させて、専用線による貨車輸送が始まるまでの経緯について、同社社史 (100年 史)を読み進めると興味深い記述に遭遇した。それらを中心に、筆者の考える関連事項含めて下記の通り年表に纏めてみた。

■浪速駅の谷川運輸倉庫(株)専用線に関連する年表
年  月 日
備    考
1962(S37) 年05月
谷川運輸 倉庫(株)と平田運輸倉庫(株)が共同出資して大阪紙通運(株)を 設立を企図し、通運事業経営免許を申請。
梅田駅の紙類貨物を集約した10号ホームの貨車卸し作業と引取り作業の分離をして、荷傷防止と責任体制の明確化、
貨車の運用効率と荷卸しホームの回転率の向上などを目指した。([1]p70)
1964(S39) 年
在阪の朝 日、毎日、大阪読売、産経、日本経済の各新聞社が荷主側の立場から大阪紙通運(株)による一貫作業体制の
必要を訴え、通運事業免許の許可について要望書を提出。([1]p70-71)

免許取得 に関わる目立った動きは無く、大阪紙通運(株)は結局設立されることは無かった。([1]p71)
1970(S45) 年04月
製紙工場 から貨車を利用して新聞用紙を大規模倉庫にストックし、各顧客に小口配送する拠点間輸送方式が東京で開始。
大阪でも計画されていたため、谷川運輸倉庫(株)は新聞用紙の扱いでは圧倒的なシェアを持ちながら専用倉庫が無い状況で、
同業他社と比べた際に専用側線を持った新聞用紙の専用倉庫の建設に遅れをとることは許されない状況であった。([1]p83)
1971(S46) 年10月
王子系製 紙会社4社(王子、十條、本州、神崎)と紙代理店7社の共同出資によって、大阪紙共同倉庫(株)が設立され倉庫が
完成。谷川運輸倉庫(株)が倉庫荷役を全て請け負うことになり、東大阪市宝町に現業所開設。([1]p80)
1972(S47) 年03月28日
谷川運輸 倉庫(株)は志村化工(株)福崎分工場閉鎖に伴い、浪速駅所管の専用線が売却される情報を掴み、用地買収と
「浪速倉庫新築の件」を取締役会で議決した。([1]p83)
1972(S47) 年06月22日
谷川運輸 倉庫(株)は国鉄・天王寺鉄道管理局より志村化工(株)専用線を譲り受けることの承認を得た。([1]p84)
1972(S47) 年11月01日
東京都千 代田区の飯田町駅に(株)飯田町紙流通センターが開業
1972(S47) 年11月27日
谷川運輸 倉庫(株)は大阪陸運局より通運事業(浪速駅取り扱い)の免許を受けた。([1]p84)
1973(S48) 年02月28日
谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫が完成。鉄筋コンクリート2階建て、面積 11,077平方mで、同社最大の営業倉庫となった。([1]p84)

倉庫敷地 内には留置線含めて全長200mの専用線が引き込まれ、貨車から直接搬出できるプラットホームが設けられ、
倉庫2階でトラックの積み降ろし作業ができるように2階に通じるトラック専用通路を設置した。
専用線に入る貨車は1日3便(1便18両)で、専用線を備え た待望の新聞用紙の専用倉庫が誕生した。([1]84-85)
1983(S58) 年09月
谷川運輸 倉庫(株)浪速倉庫は尻無川にて沿岸荷役を開始。([1]p85)
1993(H05) 年03月
苫小牧〜 浪速間のワキ車による新聞巻取紙輸送がコンテナ化により梅田駅着に変更
1994(H06) 年12月
二塚〜浪 速間のワム車による新聞巻取紙輸送がコンテナ化により大阪(タ)駅着に変更
1995(H07) 年10月
岩沼〜浪 速間のワム車による紙輸送がコンテナ化により梅田駅着に変更
1996(H08) 年03月
伏木〜浪 速間のワム車による紙輸送がコンテナ化。浪速駅発着の車扱による紙輸送が終了
2006(H18) 年04月01日
浪速駅が 廃止

 1970年4月から東京で開始された貨車による新聞用紙の拠点間輸送方式というのは、苫小牧〜越中島間の「おうじ号」によるワキ輸送のことだと思われ る。この製 紙業界にとっても、国鉄貨物にとっても一大エポックであった「おうじ号」運転開始は、着側の越中島駅では東洋埠頭(株)専用線にそのままワキ車が乗り入れ て荷役しており、この新たな輸送体制に谷川運輸倉庫(株)側が大いに刺激を受けたことが社史の記述からよく分かる。苫小牧〜梅田間でも同様に「おうじ号」 のワキ輸送が始まっ たのだ が、着側としては以前と同じ梅田駅構内ホームでの荷役であり、倉庫専用線に直結していなかった点で越中島向け貨車輸送より効率性で劣っていたと同社が認識 していたと言 えそうだ。

 また、貨車輸送のための紙倉庫としては、国鉄と製紙業界の共同出資による東京の「(株)飯田町紙流通センター(以下IPC)」は著名であり、物資別適合 輸送に お ける成功例の1つとしても、よく挙げられる。その開業が谷川運輸倉庫の浪速倉庫と同じ1972年度というのは偶然ではあろうが、因縁めいたものも感じ る。ただIPCは、5階建ての面積46,000平方mの倉庫で、浪速倉庫より遥かに規模は大きい。実際、IPCへの貨車による到着量は、ピーク時には年間 80万トンを超えており、谷川運輸倉庫の同10万トンレベルの貨車輸送とは比べるまでもない取扱量を誇った。

 各社共同出資によるIPCが巨大かつ取扱量が多くなるのは、至極当然と思われるが、大阪地区でも谷川運輸倉庫を中心に大阪紙通運の設立を成功させ、さら に貨車輸送用の共同倉庫 の建設まで事業が進んでいれば、現在とは違う形で鉄道貨物輸送が維持できていたのではと、筆者は夢想してしまう。尚、浪速倉庫と同時期に建設された大阪紙 共同 倉庫(株)は、国鉄線から離れた立地で残念ながら専用線を有せず、貨車輸送との結びつきは薄い(皆無?)ものと思われる。

 さて、そんな浪速倉庫だが、同倉庫向けには苫小牧(王子製紙)以外にも発送元があったことは判明しており、IPCのように全国各地からの複数の発荷主が 存在したこと は興味深い。輸送体系を下記の通り纏めておく。判明しているのは関西以東からの貨車輸送のみとなっているが、関西以西からの貨車輸送が 無かったと明確になっているわけではない点は要注意。

■浪速駅の谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫 専用線に到着する紙輸送
発  駅
発  荷 主
品  目
貨  車
備   考
苫小牧
王子製紙 (株)苫小牧工場
新聞巻取 紙
ワキ 5000形
梅田行き の混載貨物と併結し5両編成(『貨物』1984年7月号、p15)
1993年5月、コンテナ化に伴い梅田駅着に変更(『運輸タイムズ』1993年7月12日)
岩沼
大昭和製 紙(株)岩沼工場

ワム 80000形
1995 年10月、コンテナ化に伴い梅田駅着に変更(『運輸タイムズ』1995年12月11日)
二塚
中越パル プ工業(株)二塚工場
新聞巻取 紙
ワム 80000形
(『運輸 タイムズ』1994年6月6日)
1994年12月ダイヤ改正でコンテナ化、大阪(タ)駅着に変更(『運輸タイムズ』1994年12月19日)
伏木
日本製紙 (株)伏木工場

ワム 80000形
(『運輸 タイムズ』1995年7月17日) 1996年3月ダイヤ改正で伏木駅の紙輸送はコンテナ化


谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫([1]巻頭 カラー)
 浪速倉庫専用線向けの紙輸送は、JR貨物による車扱のコンテナ化の 経営方針を受けて、順次コンテナ化され着駅が近隣のコンテナ取扱駅に変更されていった。浪速倉庫へ直接コキ車が入線することは 叶わず、最終的にはコンテナ化に伴う車扱輸送の終焉と共に専用線の廃止となったわけだが、浪速倉庫建設に至る経緯、特に谷川運輸倉庫の熱意を知った上で考 えてみると、専用 線へのコンテナ入線を 図って浪速駅共々そのまま維持するという選択肢は無かったのだろうかと、筆者ならずとも疑問が湧くはずだ。

 しかし一方で、浪速駅がそもそもコンテナ取扱駅でなかったことを考えると、そのハードルが高いことは、部外者ならずとも想像に難くない。またJR貨物と しては、大阪地区に大阪鉄道倉庫(株)という倉庫直結の側線を備えたグループ企業があり、紙輸送のコンテナ化の施策にも活用さ れていたため、浪速倉庫のコンテナ取扱化による専用線維持と いう方向性にはならなかったのかもしれない。これは、あくまでも筆者の推理に過ぎず、それらしい情報を知っているわけではない。



 そして現在、ネット化の一層の進展と新聞離れの両面から新聞用紙の需要は急速に減り続けており、新聞用紙専用で建設された浪速倉庫の位置付けそのものが 変容してい る可 能性も考えられる。この点は谷川運輸倉庫のwebサイトを 隈なく見ても窺い知ることはできない。一方で、谷川運輸倉庫は大阪(タ)駅、百済(タ)駅などで第二種 鉄道利用運送事業を手掛けており、紙輸送における鉄道コンテナの利用運送 事業者としての位置付けは変わらないと言える。浪速倉庫の専用線というミクロ的視点でのみ議論を進めても、限界があると言えるだろう。筆者は、個人的に幸 運にも現役時代の写真撮影ができた浪速倉庫の専用線は非常に好きであり、興味深い存在として取り上げたのだが、専用線の廃止自体は諸事情を鑑みると止むを 得なかったとも感じている…。



[1]『新たなる出発、100年を礎に 谷川運輸倉庫株式会社創業100年史』谷川運輸倉庫株式会社、2001年10月発行

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