![]() 1995.3浪速駅構内と谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫 |
![]() 1996.12浪速駅〔谷川運輸倉庫 (株)専用線向け貨車輸送は廃止済み〕 |
紙 製 品 |
浪速駅合計 |
紙 製 品 |
浪速駅合計 |
||||||
年 度 |
発
送 |
到
着 |
発 送 |
到 着 |
年 度 |
発
送 |
到
着 |
発 送 |
到 着 |
1973 |
8,416 |
112,142 |
129,274 |
214,667 |
1985 |
- |
85,068 |
31,700 |
152,108 |
1974 |
8,921 |
132,361 |
108,300 |
241,040 |
1986 |
- |
68,625 |
27,897 |
122,946 |
1975 |
12,793 |
126,022 |
91,467 |
213,705 |
1987 |
- |
61,762 |
23,709 |
93,224 |
1976 |
15,354 |
131,536 |
91,300 |
221,529 |
1988 |
114 |
76,854 |
23,315 |
109,900 |
1977 |
18,871 |
135,932 |
79,358 |
228,586 |
1989 |
135 |
77,300 |
17,260 |
113815 |
1978 |
13,497 |
125,670 |
64,488 |
202,864 |
1990 |
- |
83,652 |
20,601 |
115,853 |
1979 |
4,942 |
112,475 |
63,841 |
187,566 |
1991 |
- |
77,466 |
19,928 |
104,215 |
1980 |
4,621 |
114,445 |
59,320 |
196,720 |
1992 |
- |
64,743 |
17,715 |
88,961 |
1981 |
2,962 |
104,773 |
44,564 |
177,034 |
1993 |
554 |
21,956 |
19,868 |
43,196 |
1982 |
1,686 |
98,128 |
37,299 |
170,183 |
1994 |
- |
18,644 |
17,491 |
33,880 |
1983 |
2,148 |
102,176 |
29,107 |
165,278 |
1995 |
105 |
9,296 |
23,345 |
21,388 |
1984 |
543 |
88,477 |
52,761 |
136,529 |
1996 |
- |
378 |
18,909 |
12,184 |
年
月 日 |
備
考 |
1962(S37)
年05月 |
谷川運輸
倉庫(株)と平田運輸倉庫(株)が共同出資して大阪紙通運(株)を
設立を企図し、通運事業経営免許を申請。 梅田駅の紙類貨物を集約した10号ホームの貨車卸し作業と引取り作業の分離をして、荷傷防止と責任体制の明確化、 貨車の運用効率と荷卸しホームの回転率の向上などを目指した。([1]p70) |
1964(S39)
年 |
在阪の朝
日、毎日、大阪読売、産経、日本経済の各新聞社が荷主側の立場から大阪紙通運(株)による一貫作業体制の 必要を訴え、通運事業免許の許可について要望書を提出。([1]p70-71) |
− |
免許取得
に関わる目立った動きは無く、大阪紙通運(株)は結局設立されることは無かった。([1]p71) |
1970(S45)
年04月 |
製紙工場
から貨車を利用して新聞用紙を大規模倉庫にストックし、各顧客に小口配送する拠点間輸送方式が東京で開始。 大阪でも計画されていたため、谷川運輸倉庫(株)は新聞用紙の扱いでは圧倒的なシェアを持ちながら専用倉庫が無い状況で、 同業他社と比べた際に専用側線を持った新聞用紙の専用倉庫の建設に遅れをとることは許されない状況であった。([1]p83) |
1971(S46)
年10月 |
王子系製
紙会社4社(王子、十條、本州、神崎)と紙代理店7社の共同出資によって、大阪紙共同倉庫(株)が設立され倉庫が 完成。谷川運輸倉庫(株)が倉庫荷役を全て請け負うことになり、東大阪市宝町に現業所開設。([1]p80) |
1972(S47)
年03月28日 |
谷川運輸
倉庫(株)は志村化工(株)福崎分工場閉鎖に伴い、浪速駅所管の専用線が売却される情報を掴み、用地買収と 「浪速倉庫新築の件」を取締役会で議決した。([1]p83) |
1972(S47)
年06月22日 |
谷川運輸
倉庫(株)は国鉄・天王寺鉄道管理局より志村化工(株)専用線を譲り受けることの承認を得た。([1]p84) |
1972(S47)
年11月01日 |
東京都千
代田区の飯田町駅に(株)飯田町紙流通センターが開業 |
1972(S47)
年11月27日 |
谷川運輸
倉庫(株)は大阪陸運局より通運事業(浪速駅取り扱い)の免許を受けた。([1]p84) |
1973(S48)
年02月28日 |
谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫が完成。鉄筋コンクリート2階建て、面積
11,077平方mで、同社最大の営業倉庫となった。([1]p84) |
− |
倉庫敷地
内には留置線含めて全長200mの専用線が引き込まれ、貨車から直接搬出できるプラットホームが設けられ、 倉庫2階でトラックの積み降ろし作業ができるように2階に通じるトラック専用通路を設置した。 専用線に入る貨車は1日3便(1便18両)で、専用線を備え た待望の新聞用紙の専用倉庫が誕生した。([1]84-85) |
1983(S58)
年09月 |
谷川運輸
倉庫(株)浪速倉庫は尻無川にて沿岸荷役を開始。([1]p85) |
1993(H05)
年03月 |
苫小牧〜
浪速間のワキ車による新聞巻取紙輸送がコンテナ化により梅田駅着に変更 |
1994(H06)
年12月 |
二塚〜浪
速間のワム車による新聞巻取紙輸送がコンテナ化により大阪(タ)駅着に変更 |
1995(H07)
年10月 |
岩沼〜浪
速間のワム車による紙輸送がコンテナ化により梅田駅着に変更 |
1996(H08)
年03月 |
伏木〜浪
速間のワム車による紙輸送がコンテナ化。浪速駅発着の車扱による紙輸送が終了 |
2006(H18)
年04月01日 |
浪速駅が
廃止 |
発
駅 |
発
荷 主 |
品
目 |
貨
車 |
備
考 |
苫小牧 |
王子製紙
(株)苫小牧工場 |
新聞巻取
紙 |
ワキ
5000形 |
梅田行き
の混載貨物と併結し5両編成(『貨物』1984年7月号、p15) 1993年5月、コンテナ化に伴い梅田駅着に変更(『運輸タイムズ』1993年7月12日) |
岩沼 |
大昭和製
紙(株)岩沼工場 |
紙 |
ワム
80000形 |
1995 年10月、コンテナ化に伴い梅田駅着に変更(『運輸タイムズ』1995年12月11日) |
二塚 |
中越パル
プ工業(株)二塚工場 |
新聞巻取
紙 |
ワム
80000形 |
(『運輸
タイムズ』1994年6月6日) 1994年12月ダイヤ改正でコンテナ化、大阪(タ)駅着に変更(『運輸タイムズ』1994年12月19日) |
伏木 |
日本製紙
(株)伏木工場 |
紙 |
ワム
80000形 |
(『運輸
タイムズ』1995年7月17日) 1996年3月ダイヤ改正で伏木駅の紙輸送はコンテナ化 |
![]() 谷川運輸倉庫(株)浪速倉庫([1]巻頭 カラー) |
浪速倉庫専用線向けの紙輸送は、JR貨物による車扱のコンテナ化の
経営方針を受けて、順次コンテナ化され着駅が近隣のコンテナ取扱駅に変更されていった。浪速倉庫へ直接コキ車が入線することは
叶わず、最終的にはコンテナ化に伴う車扱輸送の終焉と共に専用線の廃止となったわけだが、浪速倉庫建設に至る経緯、特に谷川運輸倉庫の熱意を知った上で考
えてみると、専用
線へのコンテナ入線を
図って浪速駅共々そのまま維持するという選択肢は無かったのだろうかと、筆者ならずとも疑問が湧くはずだ。 しかし一方で、浪速駅がそもそもコンテナ取扱駅でなかったことを考えると、そのハードルが高いことは、部外者ならずとも想像に難くない。またJR貨物と しては、大阪地区に大阪鉄道倉庫(株)という倉庫直結の側線を備えたグループ企業があり、紙輸送のコンテナ化の施策にも活用さ れていたため、浪速倉庫のコンテナ取扱化による専用線維持と いう方向性にはならなかったのかもしれない。これは、あくまでも筆者の推理に過ぎず、それらしい情報を知っているわけではない。 |