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桃山駅 〜苛性ソーダ及び エチレングリコール基地 としても活躍した京都の小貨物取扱駅〜
2012.12.16作成開始 2012.12.24公開 2012.12.26-28訂補 2013.1.14訂補 2015.7.27訂補
<目次>
はじめに
桃山駅の専用線概要
三和倉庫鰍フ苛性ソーダ輸送
日本カーバイド工業鰍フ苛性ソー ダ輸送
日曹油化工業鰍フエチレングリコール輸送
纏め
最後に


■はじめに
 私(荷主研究者)が桃山駅を貨物取扱駅として初めて意識したのは、鉄道貨物輸送に興味を持って間も無い高校1年生の春のことであった。毎月鉄道雑誌を立 ち読みしていた本屋で手に取った『鉄道ピクトリアル』1995年6月号(通巻606号)の特集が「貨車への興味」だったため迷わず購入したのだが、その中 に「−追憶−関西都市部の貨物風景」という見開きの記事があり、そこに「桃山駅の貨物扱所」の 写真が1枚だけあって(下記転載)、独特な雰囲気を醸し出す写真に興味を惹かれた。更にその写真には写っていないものの、コメントには苛 性ソーダタンク があった≠ニいう記述があり、より一層この桃山駅が気になる存在として頭の片隅に残っていた。しかし各年次の「専用線一覧表」を見ても桃山駅は日本通運 の専 用線があったことが分かる だけで、苛性ソーダタンクの荷主はもちろんのこと、どこからの輸送だったのかも皆目見当がつかず、そのまま15年以上の月日が流れていた。

 ところが最近になって「化学薬品タンク車輸送表」 を改めて整理・拡充する調査を始めたところ、桃山駅 の苛性ソーダタンク向けに関する輸送を示す資料を発見できた。個人的に、これにはかなり興奮をしてしまい、2010年11月公開の大竹駅以 来、更新がすっかり滞っていた「貨物取扱駅と荷主」に桃山駅を急遽取り上げることにした。社史≠フ発掘をして見つけ出した鉄道貨物のネタとしては最高の 部類であると私は密かに自負しているのである(笑)。


桃山駅の貨物扱所
旅客ホームから稲荷寄りの三角形の狭い土地に貨車やトラックがひしめいていた。
場所がらか酒・アルコール用タンク車も出入りしていた。
また写真右手手間側にも側線が伸び苛性ソーダタンクがあった。
現在この土地はマンションになっている。
桃山 1983.12.25

(真鍋 裕司「−追憶−関西都市部の貨物風景」『鉄道ピクトリアル』1995年6月号(通巻606号)、p39)

 私(とはずがたり)が京都の大学へ進学して以来、京阪・近鉄とJRの結節点である伏見桃山界隈(JR桃山・近鉄桃山御陵前・京阪伏見桃山)は乗り換え駅 として度々利用する機会があり、京阪と近鉄の乗換よりは頻度は落ちるものの桃山駅も幾度か利用する機会があった。京阪と近鉄の公式(?)の乗換駅としては 丹波橋となっており、京 阪・近鉄は丹波橋に現在で特急を含む全列車が 停車するものの、京阪の伏見桃山は各停しか停まらない中書島と丹波橋に挟まれた小駅扱いされているが駅前を横断する大手筋には商店街があり、旧伏見市の中 心部は寧ろこち ら側である。(京阪は2面4線の丹波橋に対して2面4線化の余地のない伏見桃山をターミナルにするわけにはいかない事情がありそうであるが、伏見市が存続 していたなら丹波橋〜中書島くらいは、近鉄と併せて区画整理と高架化でこちらを伏見市の中心駅として整備したのではないかなどと夢想される。。。)そんな 中、ちと離れた場所にある国鉄(笑)桃山駅は、駅前の一等地はがらんとしており、自転車置き場なんかが粗放的に配置されている現在では 鄙びた委託駅の小駅で はあるが、やたらと長大な有効長のそれなりに広々とした構内があったり、国鉄末期の合理化で撤去されていた中線が復活してみやこ路快速の通過線として利用 されたり、なんとなく気になる駅ではあった。

  閑話休題、嘗ては伏見の清酒等の積み出し基地であり、日通の基地があって云々と云う話しを聞いてはいたものの、国鉄型配線では貨物ホームがある駅本屋の直 ぐ脇には自転車 置き場と駅前道路が融合した様な粗放的な空間があるが貨物「基地」としては小さすぎるし、駅本屋と反対側のよく貨物側線がある敷地もヤードなり貨物上屋が あったと云うには狭 すぎる。六地蔵方も木立があってそれっぽい空間はない。藤森方は直ぐに大手筋の踏切でその向こうは京都方面向かって左手(線路の西側)はマンション、右手 (同じく東側)は斜面となっており、別段なにか復活させたいと云う心情を煽ぐ様な雰囲気は全く感じさせなかった。

 今回調べてみるに、貨物取扱所 はその大手筋の向こう側、京都方面向かって左手のマンションの敷地内(ここ。 現在の敷地に匹敵する面積だったようにも見える。)に有ったと云う事である。確かに戦時合併で京都市に市役所持ってかれて寂れに寂れてい る旧伏見市の市街外延部の中でちと新しめの巨大マンションは周囲の市街地とちょっと異質ではあるものの、(例えば桃山御陵前と京阪丹波橋の間の京阪と近鉄 の連絡線の跡地の宅地など)割と旧鉄道施設の敷地跡に敏感な俺でも不覚にも全く気付かなかったのである。国鉄分割民営化で国鉄清算事業団が継承してバブル 崩壊前迄に売り抜けて開発が済んでしまった例なのであろう。一度、当時の貨物取扱所を眺める最適地だったっぽい黒橋の方まで歩いていって旧景を想像しつつ 写真に収めに行く必要性を感じている。→というわけで早速行ってきた。上の1983年が30年後の2013年にはこんな感じになっている。
2013.1



■桃山駅の専用線概要   
 桃山駅の日本通運叶齬p線は、「昭和26年版専用線一覧表」で既に存在している。「昭和32年版専用線一覧表」以降に記載されている作業キロは「昭和 58年版専用線一覧表」まで変化は無く、専用線の規模は長年殆ど変らなかったようだ。また「昭和42年版専用線一覧表」から「昭和58年版専用線一覧表」 にかけて記事にはコンテナも取扱う旨の注記がある。

▼「昭和58年版専用線一覧表」による桃山駅の専用線
専 用線
番号
所 管駅
専 用者
作 業
方法
作 業
キロ
総 延長
キロ
記  事
2417
桃 山
日本通運
国鉄動車
手 押
1番線 0.1
2番線0.2
(機)0.1
3番線0.1
0.4
コンテナ 貨物も取扱う

 桃山駅は1966(昭41)年10月ダイヤ改正から専用線コンテナ扱いを開始した。([1]p19)
 一方、『'80貨物時刻表』(昭和55年10月ダイヤ改正)では、既に桃山駅はコンテナ扱いをしていない表記になっている。

 専 用線で日通がコンテナ貨物を取り扱うと云う上述の「昭和58年版専用線 一覧表」の記事と桃山駅で国鉄がコンテナ扱いをしないと云う『'80貨物時刻表』(昭和55年10月ダイヤ改正)は矛盾しているのか、矛盾していないの か、更なる調査が必要である(国鉄は桃山駅の専用線コンテナ扱いを廃止したものの日通側ではいつでも再開できるようにしていたのか、実際国鉄としては取扱 を しなかった扱いだけれど日通が取り扱ってたのか、など)。類似の事例として、宇部岬駅のセントラル硝子鰍フ専用線を挙げておこう。同駅は 『貨物時刻表』を確認する限りは、1996年3月ダイヤ改正で専用線コンテナ扱いが廃止されていたのだが、2000年12月に現地を訪問し確認した際は、 専用線内にコンテナを載せたコキが堂々と停車していたのである(詳細はこちらを参 照)。

 このように『貨物時刻表』を確認する限りにおいては、専用線コンテナ扱いが廃止されたと判断されるのに実際にはコンテナ扱いが継続していたというケース は存在するのである。この 取扱いの位置付け≠ヘ不明である。 いずれにせよ、桃山駅の貨物取扱いは、1984(昭59)年2月のダイヤ改正で廃止されたものと思われ、京都地区の鉄道貨物のフロント扱いは梅小路駅に集 約さ れることになる。

  hal*r*ilさんのブログ「鉄道写真 撮り続けて50年」 には、「国鉄桃山駅 貨車入換 機 1976(昭和51年)7月」という記事があり、桃山駅の貨物扱いの様子を貴重なカラー写真で窺うことができる。
 またcaveさんのブログ「偏屈の洞窟」には、「昭和46年 国鉄奈良線 桃山貨物駅」 という記事があり、桃山駅にあった苛性ソーダタンクの専用線の様子を窺い知ることができる。


■三和倉庫鰍フ苛性ソーダ輸送   
 三和倉 庫鰍ヘ1950(昭25)年5月に設立され、日本曹達鰍フ実質的子会社≠ニして業容を拡大していった。

 1952(昭27)年2月には日本曹達の全面的な支援を受けて大阪倉庫が営業を開始し、日本曹達関連の苛性ソーダ、塩化カルシウム、炭酸カリウム、オ キシ塩化リンなどのほか、日本ゼオン鰍フ塩化ビニールなどを扱った。更に大阪倉庫の管轄下に複数の衛星倉庫が開設され、殺到する貨物が保管されたが、 1954(昭29)年8月に桃山 荷 扱所(国鉄桃山駅構内・京都市伏見区毛利長門町33番地)が開設された。
 桃山荷扱所は、液状苛性ソーダの管理と運送を目的としたもので、保管専用タンクが設置された。([2]p12-14)

 桃山荷扱所は開設以来、日本曹達専用の苛性ソーダ基地として活用されていたが、1985(昭60)年11月に閉鎖された。日本曹達から業務展開の都 合 上、苛性ソーダの基地を三和倉庫大東事業所に移設してほしいという要望があったのに対応したものであるが、しかし大東事業所には危険品倉庫を建設する余地 が無かったので、日本曹達では樺C巳商会(安治川)構内に基地を設置し た。但し三和倉庫でも辰巳商会の保有地に苛性ソーダ希釈用コンテナを設置、日本曹達関連の運送業務を引き受けた。([2]p67-68)
 2012年12月現在に於いても三和倉庫の大東事業所は存在しており、同社のウェブサイトに拠ると、 「危険品倉庫と普通品倉庫が併設しており、危険品と普通品の物流の効率化に適した倉庫としても御利用いただけます」との事である。危険物倉庫を建設する余 地がなかったのではなく、危険物を取り扱う免許等はあって有利だったもの増設の余地が無かったのかもしれない。

 桃山荷扱所は、開設当初は二本木駅の日本曹達鞄本木工場からタンク車で苛性ソーダが到着していたと思われるが、二本木工場での苛性ソーダ生産の停止後 は、京葉臨海鉄道の甲子駅日曹化成から桃山駅にタンク車で苛性ソーダを輸送する体制に変わった ようだ。
([3]p194、p196)

 尚、日曹化成(日本曹達100%子会社)は、1999(平11)年4月1日に日本曹達に合併された。日 曹化成轄併に関するお知らせ
 甲子駅の専用線には、二本木駅の日本曹達から苛性カリ、青海駅の電気化学工業鰍ゥら苛性ソーダなどが到着していた。2008(平20)年3月のダイヤ 改正で専用線の使用は中止された模様。

桃山荷扱所([2]p14)

 尚、日本曹達は大阪東港駅にあった化成品基地(辰巳商会と思われる)から宇治駅にタキ車で苛性ソーダを輸送していた。(吉岡心平氏の webサイトの「タ キ7750形47786」参照)
 これは宇治駅に専用線があったユニチカ向けの輸送と思わ れるが、桃山駅に苛性ソーダのタンク基地が存在していた時点(1981年12月)で、既に大阪東港〜宇治間で日本曹達の苛性ソーダ輸送が行われていたという事に なる。下記の日本カーバイド工業の苛性ソーダ輸送の例の様に、桃山駅の荷物取扱所が宇治のユニチカ向け 苛性ソーダのストックポイントとして機能していたと思われるが、専用線直送とタンクローリー継送の使い分けがあった可能性もあるし、またその他にも末端 ユーザーが存在した可能性 も考 えられよう。


■日本カーバイド工業鰍フ 苛性ソーダ輸送  

苛性ソーダタンク車([4]p126)
 日本 カーバイド工業鰍ヘ1935(昭10)年10月に設立された。工場は富山県内に魚津工場と滑川工場の2工場を有し、特に魚津工場は魚津駅に専用線が接続 し、タンク車や有蓋車などによる鉄道貨物輸送を行っていた。

 苛性ソーダは同社において塩ビの原料塩素の副生品として生産され、生産量は1956(昭31)年には2,988トンだったものが、1965(昭40)年 には32,903トンと大幅に上昇した。主な納入先は、日本レイヨン、東洋レーヨン、 中越パルプなどである。
 販売に弾力性を持たせるために、液状苛性ソーダのストックポイントとして、1961(昭36)年2月に京都市伏見区桃山75トン1基のタンクを設置した。また液状苛性ソーダ輸送のため、逐次 タンク車を購入し(作者註、1968年頃)現在56輌を保有している。
([4]p125-126)

※主な納入先の記述から予想すると桃山駅のストックポイントは日 本レイヨ ン(現、ユニチカ)宇治工場向けの苛性ソーダがメインである可能性が高いが、販売の弾力性という記述は、ユニチカ向けのローリーによる小規 模な納入を意味する他、周辺の小口需要家へも供給の可能性もあるかと思われる。

 上述のcaveさんのブログの「昭和 46年 国鉄奈良線 桃山貨物駅」の2枚目の写真、右端のタンク車は社紋板だけが辛うじて写っているが、この社紋がまさに日本カーバイド工業である。

 ユニチカに関する苛性ソーダは、上述の通り日本曹達も行っていたが、桃山荷扱所を経由せず直接宇治駅の専用線に入線していたようだ。
 そうなるとなぜ日本カーバイド工業が桃山のストックポイントを 活用していたのかが謎だが、考えられるのは以下のようなケースだ。
@日本 カーバイド工業もユニチカ向けは宇治駅の専用線に入線し、それ以外のユーザー向けのストックポイントとして桃山駅が活用されていた。
Aユニチ カは当初、専用線内に苛性ソーダの荷扱設備が無かったため、桃山駅の三和倉庫及び日本カーバイド工業のストックポイントでローリーに積み替えてユニチカに 納入していた。
Bユニチカの需要する苛性ソーダの 種類や発注のタイミングなどによって輸送(納入)方法を使い分けていた。

 例えば@のケースでそれ以外のユーザーとしては、caveさんのブログで新 日本理化の工場が近隣にあることを挙げているように候補の企業は色々と考えられよう。但し、苛性ソーダタンクを桃山駅に立地させたという点で は、近隣のユニチカ宇治工場を狙ったストックポイントではないのかという想いは拭い切れない。

 一方Aのケースでは当初はユニチカ向けのストックポイントとして両社とも桃山駅を活用していたが、やがてユニチカ専用線内で苛性ソーダの荷扱が可能に なったためストックポイントを置く必要性自体が薄れ、国鉄の貨物取扱駅の縮小に合わせて廃止されてしまったというストーリーが考えられる。1985年には 大阪府下の大東市へのストックポイントの移設を模索したように、需要の重心が京都桃山周辺から大阪内陸部に移っていた様であるが、このことは桃山のストッ クポイントからユニチカの需要分が直送で無くなった可能性も示唆される。(この移設には前年の桃山駅での貨物取扱廃止で桃山のストックポイントの輸送上の メリットもほぼ失われた可能性もある。大東事業所は大阪中環にもほど近い交通至便な場所にある。)


 もちろん専用線があるのに薬品系タンク車が専 用線を利用せずに近隣の駅に到着する事例は珍しくは無い。例えば、向浜駅に専用線のある東北製紙褐けのラテックスが秋田港駅に到着、焼島駅に専用線のあ る北越製 紙褐けのラテックスが沼垂駅に到着(こちらを 参照)などが 挙げられる。これらは着駅でローリーに積み替えて荷主に届けられていたわけだが、着荷主側の受け入れ設備の関係で最終的にローリー納入が好まれるケースは あるのだろう。但し桃山とユニチカの関係は、苛性ソーダタンク車がユニチカ専用線にも入線していたらしいという事実があるためタキ車に拠る直接大量納入の 他スポット的なタンクローリーによる臨時小規模納入の組み合わせによるBの様な可能性も考えられるであろう。この辺りの事情は更に詳しく調べる必要があり そうである。


■日曹油化工業鰍フエチレングリコール輸送  
 日曹油 化工業鰍ヘ、日本曹達51%、新日本窒素肥料34%、日本レイヨン15%の資本構成で、1963(昭38)年6月に設立さ れた。([5]p30)
 同社は千葉県に五井工場建設期間中、エチレングリコール(EG)製造設備稼働に備えての販路確保の観点から、合繊各社への納入が急務であった。同社の株主である日本レイヨン以外の納入は困難という事情もあり、合繊 各社への販路を切り開くために、タンク貯蔵基地の整備が必要であった。([5]p36-37)

 まず帝人、倉敷レイヨン、東洋紡、鐘紡の各工場が瀬戸内海に面していたこともあり、広島県の糸崎にEGの基地を確保した。この糸崎貯蔵所開設と前後し て、東京都の鐘ヶ淵と京都府の桃山合繊に次ぐ需要量を持つ不凍液用EG供給の ためのタンク類を設置した。両基地には五井工場より鉄道タンク車で輸送し、 タンク基地よりタンクローリー車による出荷体制を とった。([5]p37)

 桃山のEG貯蔵タンク基地は、設置が1964(昭39)年9月、タンク容量は50klであった。1985(昭60)年11月に廃止された。([5] p36)

 桃山駅は苛性ソーダだけでなく、EGのタンク基地でもあったのだ。日本曹達系の三和倉庫が既に桃山にタンク基地を設けていたことが、同じ日本曹達系の日 曹油化工業のEG貯蔵基地を桃山に設ける理由になった(三和倉庫にタンク基地の運営を委託?)と考えられるし、更に日曹油化工業の株主に日本レイヨン (現、ユニチカ)の名があることにより、同社宇治工場向けEGの基地であったと想像するのは容易だ。
 しかし上述の社史では、桃山は合繊向けではなくて不凍液用EGのためのタンクだったとある。EGやテレフタル酸を原料と して使用するポリエステル製造は、日本レイヨンの場合、岡崎工場が拠点で あり、宇治工場はナイロン製造の事業拠点であった。そのため宇治工場ではEGは不要だったと考えられる。

 ちなみに京葉臨海鉄道の『貨物輸送概況』(昭和55年度)の会社別主要発着駅(p40)を参照すると、浜五井駅の日曹油化の主なる着駅∞主なる発 駅≠ヘいずれも北岡崎駅(日本レイヨン→ユニチカ)のみである(ちなみに主要品目はエチレングリコール≠ナある)。つまり1980年の時点で、桃山駅向 けは主なる輸送ではないことはもちろん、既に廃止されていた可能性す らある。このように桃山向けのEG輸送からは、どことなくミステリアスな匂いが漂っている…。

 さて日曹油化工業のその後も確認しておきたい。1966(昭41)年11月に帝人鰍ニ日本曹達の提携が成立。1967(昭42)年5月に日曹油化工業に 対する日本レイヨン出資分を日本曹達に名義書き換え、同年8月に新日本窒素肥料出資分を日本曹達に名義書き換え。これにより日曹油化工業は日本曹達 100%子会社化。1969(昭44)年3月に日曹油化工業に帝人が資本参加(日本曹達10億円、帝人5億円)となった。([5]p40- 41)
 このように設立から早い段階で日本レイヨンの出資が無くなったことは興味深い。但し、日曹油化工業にとって日本レイヨンは五井工場の創立以来の納入先 であり、当社の大口需要家としての発展的な需給関係の継続をうけている([5]p41)とのこと。
 更に日曹油化工業は1985(昭60)年10月に酸化エチレン(EO)、EG等の製造販売を目的に丸善石油化学鰍ニ共同出資で日曹丸善ケミカル鰍設立 し、五井工場は同社の拠点となった。この直後の同年11月に日曹油化工業の桃山のEG貯蔵タンク基地が廃止されたことは偶然ではないだろう。
 その後、1999(平11)年12月には日本曹達、帝人が持つ日曹油化工業(日曹丸善ケミカルも含む)の全株式を丸善石油化学が取得し、日本曹達が手掛 けていたEO、EGの全事業が丸善石油化学に譲渡された。このように桃山にEG貯蔵タンク基地が存在していた頃と事業スキームが現在では全く変わってし まっていることも意識しておきたい。


■纏め  
 宇治駅の専用線の動向、大阪東港〜宇治間で運用された苛性ソーダタンク車(タキ47786)と桃山駅の動きを年表に纏めると以下の如し。

▼「昭和26・28・32・39・45・50・58年版専用線一覧 表」による宇治 駅の専用線
26
28
32 36
39 42
45 50 58
所 管駅
専 用者
第三者使用
作 業
方法
作 業
キロ
記  事







宇 治
ユニチカ
日本通運
私有機
2.4
専用者は、昭和42年版までは日本レイヨン
昭和26・28年版:作業キロ0.9 昭和32年版:作業キロ1.6
昭和36年版以降:1番線1.1 2番線1.2 3番線1.5 4番線1.6 5番線1.6





×
×
宇 治 鰍ウし治商店
手押 0.1 国鉄側線

▼桃山駅とタキ47786(苛性ソーダ専用)を中心とした動向
年  月 日
事    項
1954(昭29)年8月 三和倉庫・桃山荷扱所(国鉄桃山駅構内・伏見区毛利長門町33番地)が 開設。
1953(昭28)年〜1961(昭36)年
宇治・日本レイヨンの専用線が増強される。
1961(昭36)年2月 日本カーバイド工業が京都市伏見区桃山に苛性ソーダ用75トン1基のタ ンクを設置。
1964(昭39)年9月
日曹油化工業が京都府桃山にエチレングリコール貯蔵タンク基地を設置。 京葉臨海鉄道・浜五井駅からタンク車で輸送。
1975(昭50)年11月 日本車輛でタキ47785〜47787が3両ロットで製作。日本曹達 所有で常備駅は二本木駅。
1980(昭55)年10月
タキ47786の常備駅が京葉臨海鉄道の甲子駅に移動。
1981(昭56)年12月
この時点でタキ47786は大阪東港の化成品基地と宇治間の運用に使用 されている。(但し写真では二本木駅常備となって いる)
同じ頃、甲子駅の日曹化成鰍ヘ桃山駅向けに苛性ソーダの発送を行っていた模様。
1984(昭59)年2月
ダイヤ改正で桃山駅、宇治駅の貨物取扱い廃止。
1985(昭60)年9月30日
この時点で甲子駅常備の日本曹達鰹蒲Lの貨車は、苛性ソーダ液のみ(タ キ2600形・16両、タキ4200形・4両、タキ7750形・19両)。
1985(昭60)年11月 桃山駅の日本曹達の苛性ソーダ基地である三和倉庫の桃山荷扱所閉鎖。取 扱は樺C巳商会(安治川)に移管。
日曹油化工業が桃山に設置したEG貯蔵タンク基地が廃止。
1986(昭61)年8月 タキ47786の常備駅が再び二本木駅に戻る。
1986(昭61)年11月1日 浪速駅に統合された旧大阪東港駅の側線扱いでの営業も廃止となった。([6])
2007(平19)年10月 タキ47786除籍。
2008(平20)年3月 ダイヤ改正で甲子駅の日本曹達叶齬p線の使用は中止された模様。
※タキ47786の動向は、吉岡心平氏の webサイトの「タ キ7750形47786」より。


■最後に  
 このように桃山駅は、日本曹達と日本カーバイド工業の苛性ソーダ基地、日曹油化工業のエチレングリコール基地という複数のユーザー・品目の化成品基地と しての役割を果たしていた。但し専用線としては日本通運が所有していたようで、荷 扱は日本通運が行い、荷主が三和倉庫(日本曹達)や日本カーバイド工業、日曹油化工業だったということのようだ。このような形態は、天竜川駅にあった日本 通運の専用線を 連想させる。この専用線は日本通運が所有し、ソーダニッカ鰍フタンク基地向けに苛性ソーダや濃硫酸などが全国各地からタンク車で到着していた。このような 化成 品基地と日本通運の関係は面白そうなテーマの1つであるが、桃山駅は格好の一事例となりそうだ。
 
 また桃山駅は伏見の酒などの一般貨物も取り扱っており、活気溢れる貨物上屋の写真からは専用線に発着するタンク車以外にも様々な荷主が存在したことを想 像させるが、現時点では残念ながらそちらの調査までは着手できていない。今回はあくまでも桃山駅の貨物取扱いの歴史におけるほんの一部分を取り上げたに過 ぎないと言える。

 さて、先に述べた天竜川駅の専用線が廃止から約20年ほど経った現在でも草むした築堤などが残り、天竜川駅構内も側線のレールが錆ついたまま放置され貨 物取扱駅の名残が色濃く残しているのに対して、桃山駅の貨物扱い設備があった土地は上述の如く今はマン ショ ンが建ち並び跡形も無い。

 JR奈良線は京都〜奈良間では近鉄京都線と、京都〜宇治間では京 阪宇治線と競合関係にあり、国鉄末期に電化こそされたものの当時のダイヤではとてもこれら大手私鉄と競合できるような状態ではなかった。しかしJR西日本 は1990年代後半以降、京都府や沿線自治体と協力して奈良線の部分複線化や駅の新設・改良に取り組み、快速や普通列車の増発を行うなど利用者獲得に向け 積極的にインフラ整備とダイヤ改善に取り組んでいる。

 かつてはユニチカの専用線に発着するタンク車の姿が見られた宇治駅は2面4線 化されて私鉄の緩急接続駅の様な配線となり、保線用の側線を有し駅の敷地も広いが大協石油鰍フ油槽所や専用線は 影も形も無くなり複線区間と単線区間の境界駅となった新田駅など、奈 良線沿線各駅には桃山駅と同様に鉄道貨物輸送を行っていた名残が微塵も感じられなくなっているのは、京都都市圏近郊という立地を踏まえても当然のことなの かもしれない。



[1]日本国有鉄道貨物営業局運輸課「昭和41年10月時刻改正について」『貨物』第16巻第10号、1966年
[2]『三和倉庫50年史』三和倉庫株式会社、2000年
[3]『京葉臨海鉄道20年史』京葉臨海鉄道株式会社、1983年
[4]『日本カーバイド工業株式会社30年史』日本カーバイド工業株式会社、1968年
[5]『日曹油化工業25年史』日曹油化工業株式会社、1989年
[6]wikipedia「大阪東港」より。一次資料としては『大阪築港100年 海からのまちづくり』下巻 p.376

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