桃山駅の貨物扱所 旅客ホームから稲荷寄りの三角形の狭い土地に貨車やトラックがひしめいていた。 場所がらか酒・アルコール用タンク車も出入りしていた。 また写真右手手間側にも側線が伸び苛性ソーダタンクがあった。 現在この土地はマンションになっている。 桃山 1983.12.25 (真鍋 裕司「−追憶−関西都市部の貨物風景」『鉄道ピクトリアル』1995年6月号(通巻606号)、p39) |
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単位:トン
|
専
用線 番号 |
所
管駅 |
専
用者 |
作
業 方法 |
作
業 キロ |
総
延長 キロ |
記
事 |
2417 |
桃 山 |
日本通運
(株) |
国鉄動車 手 押
|
1番線
0.1 2番線0.2 (機)0.1 3番線0.1 |
0.4 |
コンテナ
貨物も取扱う |
三和倉
庫(株)は1950(昭25)年5月に設立され、日本曹達(株)の実質的子会社≠ニして業容を拡大していった。 1952(昭27)年2月には日本曹達の全面的な支援を受けて大阪倉庫が営業を開始し、日本曹達関連の苛性ソーダ、塩化カルシウム、炭酸カリウム、オ キシ塩化リンなどのほか、日本ゼオン(株)の塩化ビニールなどを扱った。更に大阪倉庫の管轄下に複数の衛星倉庫が開設され、殺到する貨物が保管されたが、 1954(昭29)年8月に桃山 荷 扱所(国鉄桃山駅構内・京都市伏見区毛利長門町33番地)が開設された。 桃山荷扱所は、液状苛性ソーダの管理と運送を目的としたもので、保管専用タンクが設置された。([2]p12-14) 桃山荷扱所は開設以来、日本曹達専用の苛性ソーダ基地として活用されていたが、1985(昭60)年11月に閉鎖された。日本曹達から業務展開の都 合 上、苛性ソーダの基地を三和倉庫大東事業所に移設してほしいという要望があったのに対応したものであるが、しかし大東事業所には危険品倉庫を建設する余地 が無かったので、日本曹達では(株)辰巳商会(安治川)構内に基地を設置し た。但し三和倉庫でも辰巳商会の保有地に苛性ソーダ希釈用コンテナを設置、日本曹達関連の運送業務を引き受けた。([2]p67-68) 2012年12月現在に於いても三和倉庫の大東事業所は存在しており、同社のウェブサイトに拠ると、 「危険品倉庫と普通品倉庫が併設しており、危険品と普通品の物流の効率化に適した倉庫としても御利用いただけます」との事である。危険物倉庫を建設する余 地がなかったのではなく、危険物を取り扱う免許等はあって有利だったもの増設の余地が無かったのかもしれない。 桃山荷扱所は、開設当初は二本木駅の日本曹達(株)二本木工場からタンク車で苛性ソーダが到着していたと思われるが、二本木工場での苛性ソーダ生産の停 止後 は、京葉臨海鉄道の甲子駅の日曹化成(株)から桃山駅にタンク車で苛性ソーダを輸送する体制に変 わった ようだ。 ([3]p194、p196) 尚、日曹化成(日本曹達100%子会社)は、1999(平11)年4月1日に日本曹達に合併された。(日 曹化成(株)合併に関するお知らせ) 甲子駅の専用線には、二本木駅の日本曹達から苛性カリ、青海駅の電気化学工業鰍ゥら苛性ソーダなどが到着していた。2008(平20)年3月のダイヤ 改正で専用線の使用は中止された模様。 |
桃山荷扱所([2]p14) |
苛性ソーダタンク車([4]p126) |
日本
カーバイド工業(株)は1935(昭10)年10月に設立された。工場は富山県内に魚津工場と滑川工場の2工場を有し、特に魚津工場は魚津駅に専用線が接
続
し、タンク車や有蓋車などによる鉄道貨物輸送を行っていた。 苛性ソーダは同社において塩ビの原料塩素の副生品として生産され、生産量は1956(昭31)年には2,988トンだったものが、1965(昭40)年 には32,903トンと大幅に上昇した。主な納入先は、日本レイヨン、東洋レーヨン、 中越パルプなどである。 販売に弾力性を持たせるために、液状苛性ソーダのストックポイントとして、1961(昭36)年2月に京都市伏見区桃山に75トン1基のタンクを設置した。また液状苛性ソーダ輸送のため、逐次 タンク車を購入し(作者註、1968年頃)現在56輌を保有している。([4]p125-126) ※主な納入先の記述から予想すると桃山駅のストックポイントは日 本レイヨ ン(現、ユニチカ)宇治工場向けの苛性ソーダがメインである可能性が高いが、販売の弾力性という記述は、ユニチカ向けのローリーによる小規 模な納入を意味する他、周辺の小口需要家へも供給の可能性もあるかと思われる。 |
@日本 カーバイド工業もユニチカ向けは宇治駅の専用線に入線し、それ以外のユーザー向けのストックポイントとして桃山駅が活用されていた。 |
Aユニチ カは当初、専用線内に苛性ソーダの荷扱設備が無かったため、桃山駅の三和倉庫及び日本カーバイド工業のストックポイントでローリーに積み替えてユニチカに 納入していた。 |
Bユニチカの需要する苛性ソーダの 種類や発注のタイミングなどによって輸送(納入)方法を使い分けていた。 |
日曹油
化工業(株)は、日本曹達(株)51%、新日本窒素肥料
(株)34%、日本レイヨン(株)15%の資本構成で、
1963(昭38)年6月に設立さ
れた。([5]p30) 同社は千葉県に五井工場建設期間中、エチレングリコール(EG)製造設備稼働に備えての販路確保の観点から、合繊各社への納入が急務であった。同社の株主である日本レイヨン以外の納入は困難という事情もあり、合繊 各社への販路を切り開くために、タンク貯蔵基地の整備が必要であった。([5]p36-37) まず帝人、倉敷レイヨン、東洋紡、鐘紡の各工場が瀬戸内海に面していたこともあり、広島県の糸崎にEGの基地を確保した。この糸崎貯蔵所開設と前後し て、東京都の鐘ヶ淵と京都府の桃山に合繊に次ぐ需要量を持つ不凍液用EG供給の ためのタンク類を設置した。両基地には五井工場より鉄道タンク車で輸送し、 タンク基地よりタンクローリー車による出荷体制を とった。([5]p37) 桃山のEG貯蔵タンク基地は、設置が1964(昭39)年9月、タンク容量は50klであった。1985(昭60)年11月に廃止された。([5] p36) |
26 |
28 |
32 | 36 |
39 | 42 |
45 | 50 | 58 |
所
管駅 |
専
用者 |
第三者使用 |
作
業 方法 |
作
業 キロ |
記
事 |
○ |
○ |
○ | ○ |
○ | ○ |
○ |
○ |
○ |
宇 治 |
ユニチカ(株) |
日本通運(株) |
私有機 |
2.4 |
専用者は、昭和42年版までは日本レイヨン(株) 昭和26・28年版:作業キロ0.9 昭和32年版:作業キロ1.6 昭和36年版以降:1番線1.1 2番線1.2 3番線1.5 4番線1.6 5番線1.6 |
− |
− |
○ | ○ |
○ | ○ |
○ |
× |
× |
宇 治 | (株)さし治商店 | 手押 | 0.1 | 国鉄側線 |
年
月 日 |
事
項 |
1954(昭 29)年8月 | 三和倉庫・桃山荷扱所(国鉄桃山駅構内・伏見区毛利長門町33番地)が 開設 |
1953(昭
28)年〜1961(昭36)年 |
宇治・日本レイヨンの専用線が増強される |
1961(昭 36)年2月 | 日本カーバイド工業が京都市伏見区桃山に苛性ソーダ用75トン1基のタ
ンクを設置 |
1964(昭
39)年9月 |
日曹油化工業が京都府桃山にエチレングリコール貯蔵タンク基地を設置。
京葉臨海鉄道・浜五井駅からタンク車で輸送 |
1975(昭 50)年11月 | 日本車輛でタキ47785〜47787が3両ロットで製作。日本曹達
(株)
所有で常備駅は二本木駅 |
1980(昭
55)年10月 |
タキ47786の常備駅が京葉臨海鉄道の甲子駅に移動 |
1981(昭
56)年12月 |
この時点でタキ47786は大阪東港の化成品基地と宇治間の運用に使用
されている(但し写真では二本木駅常備となって
いる) 同じ頃、甲子駅の日曹化成(株)は桃山駅向けに苛性ソーダの発送を行っていた模様 |
1984(昭
59)年2月 |
ダイヤ改正で桃山駅、宇治駅の貨物取扱い廃止 |
1985(昭
60)年9月30日 |
この時点で甲子駅常備の日本曹達(株)所有の貨車は、苛性ソーダ液のみ
(タ
キ2600形・16両、タキ4200形・4両、タキ7750形・19両) |
1985(昭 60)年11月 | 桃山駅の日本曹達の苛性ソーダ基地である三和倉庫の桃山荷扱所閉鎖。取
扱は(株)辰巳商会(安治川)に移管 日曹油化工業が桃山に設置したEG貯蔵タンク基地が廃止 |
1986(昭 61)年8月 | タキ47786の常備駅が再び二本木駅に戻る |
1986(昭 61)年11月1日 | 浪速駅に統合された旧大阪東港駅の側線扱いでの営業も廃止となった([6]) |
2007(平 19)年10月 | タキ47786除籍 |
2008(平 20)年3月 | ダイヤ改正で甲子駅の日本曹達(株)専用線の使用は中止された模様 |