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三井化学株式会社
2016.10.30作成開始
<目次>
1.三井化学の概要
2.三井化学の沿革
3.三井化学のトピックス
4.三井化学の鉄道貨物輸送
 4-1.市原工場
 4-2.茂原分工場
 4-3.名古屋工場
 4-4.大阪工場
 4-5.岩国大竹工場
 4-6.大牟田工場
 4-7.鹿島工場
 4-8.北海道三井化学(株)
 4-9.下関三井化学(株)
 4-10.三井東圧肥料(株)



4-3.名古屋工場

4-5.岩国大竹工場  

1965年頃の大竹駅の三井石油化学工業叶齬p線([1] p307)
 我が国最初の石油化学コンビナートである三井石油化学(株) 岩国 工場は、1958(昭和33)年4月にエチレン年産2万トンで操業を開始した。1962(昭和37)年に第2系列6万トン、1964(昭和39)年には第 3系列の新設と既存設備の増強が実施され、年産16万トンに拡大した。([1]p41)

<主要製品> (同社 webサイトより)
PTA(高純度テレフタル酸)、PET樹脂アーレン(高い耐熱性と強度を備え、吸水性は低い樹脂)、TPX(耐熱性、透明性、剥離性などに優れた樹脂。世界で唯一、同工場でのみ生 産。携帯電話の基板製造工程や電子レンジ用耐熱ラップなどに利用

<主要プラント> (同社 webサイトより)
◆国内最大級のPETプラント。年間14万8千トンの生産能力がある。
◆機能性材料のTPXプラント。2005年度には年間1万3千トンまで生産能力を増強した。
◆原料の受入や製品の出荷のため、公共の港である「岩国港」を主に利用している。
 

▼1974(昭和49)年度荷主別輸送量 ([2]p127)
 広島鉄道管理局においては三井石油化学(株)車扱159千トンであった。これは 管内で第6位(車扱)の実績であった。また三井ポリケミカル(株)コンテナ30千トンであった。これは管 内で第4位(コンテナ)の実績であった。

▼大竹〜三島間の化学薬品輸送
 JR貨物発足当時(1987年)の輸送として、大竹〜三島間にワキ5000形を利用した化学薬品輸送があった([5]p37)。おそらく大竹の三井石油化学から三島の東レ(株)向けのテレフタル酸輸送であったと思われる。ワキ内にフレコンを積んだ輸送方法であっ たようだ。
1996.3 東港駅 ワキ35639(大竹駅常備)

▼三井化学(株)岩国大竹工場 10トンコンテナを12トン化 増備せず増送可能に  (『運輸タイムズ』1998年6月1日付2面)

 三井化学(株)岩国大竹工場は沼津駅管内の大口ユーザーに毎日、テレフタル酸を私有20ftタンクコンテナで出荷している。工場内の専用線上で製品を充 填し、大竹駅から沼津駅に輸送。沼津駅からユーザーへはトレーラーで配送している。
 この輸送は5年前まで車扱輸送だったが、同工場がタンクコンテナを84個製造しコンテナ化した。

 1998年5月18日からこのタンクコンテナの積載量を10トンから12トンに増トンした。JR貨物がそれに伴う運用貨車の変更や荷役機器の改造等を実 施、1日の輸送個数は15個から14個に減り、輸送量は150トンから168トンに増やすことが可能となった。

 同工場の物流課花本課長によると、
○私有コンテナを増備することなく一日の出荷量を増大
○年間で1万トン程度までの納入量増にも対応可能
○コンテナの運用に余裕ができ、輸送障害などの危機管理体制が充実
という効果があった。  一方JR貨物はこの増トンのために、運用貨車を5車からコキ106形7車に増やし、2列車に分けて沼津に着けるように変更した。コンテナの総重量が 15.5トンとなるため、コキ106系など海上コンテナ対応貨車でないと輸送は不可能。また沼津駅のフォークリフトを増トンに耐えるように改造した。

 同工場では、テレフタル酸(粉状)を全国各地のユーザーに向けて、私有コンテナのほか1トン・2.5トンフレコン、ローリー等の各種荷姿で出荷してい る。沼津以外の鉄道利用は汎用コンテナにフレコン積み。沼津向けは年間数万トン規模を出荷する大口ユーザーで、多少の季節波動はあるが、15個〜9個のタ ンクコンテナを毎日発送していた。しかしコンテナ運用には余裕がなく、特に阪神淡路大震災以降、同工場は運用状態の改善を目的に、タンクコンテナの増備や 同コンテナによる船輸送、トラック輸送への転換など様々な方法の検討をしていた。しかしコンテナの増備や鉄道・船両用への改造はコストが高く、トラック転 換は800kmの長距離のため、鉄道輸送が有利だった。そこで、10トン積んでも内容積に余裕があるタンクコンテナの増トンをするというアイデアが浮上し た。

 JR貨物の技術開発室によると、今回増トン対象となったコンテナは、製造メーカーが厳しい条件で強度試験を行なっていた。このため12トン積載できる強 度があることを確認できたと説明している。また沼津駅のフォークリフトは15トン用だったが、20トン用の機台で製造されていたため改造で荷役可能となっ た。

 テレフタル酸輸送の着荷主は、富士宮市の富士フイルム(株)である。この輸送については、拙web「貨物取扱駅と荷主」の「富士駅」の富士フイルム(株)のコンテナ輸送も参照さ れた い。

▼JR貨物は12フィートコンテナの6トン化を試行開始 (『運輸 タイムズ』1999年5月10日付)



▼三井化学(株)岩国大竹工場の同社市原工場向け輸送 ISOコンテナ化  (『JR貨物ニュース』2000年8月1日号)

 1958年に日本初の総合化学工場として操業を開始した三井化学岩国大竹工場は、ポリエステル繊維原料・高純度テレフタル酸や、ペットボトル原料のペッ ト樹脂をはじめ各種の石油化学品・樹脂を生産している同社の主力工場だ。世界でも生産しているのは本工場だけ、という製品もあり、今回、車扱輸送をコンテ ナ化した4メチルペンテン1も その1つだ。

日数は短縮、大きな設備変更なし

 三井化学岩国大竹工場の総務部購買・物流グループリーダーの佐々木英俊氏と同グループ液ガス品物流チームリーダー山本洋治氏にコンテナ化の経緯を聞い た。
 山本チームリーダーによると4メチルペンテン1は医療・実験器具、電気・電子部品、食品包材など、耐熱性と透明性を活かした多くの分野で使用されてい る。TPX(ポリメチルペンテン)の原料で、比重は0.66の水より軽い液体(常温以下)だ。同工場で年間13,000トンが生産され、うち6,000トンを同社市原工場に送っている。
 本輸送は約20年前に始まって以来、岩国大竹工場と市原工場の専用線間をタンク車で車扱輸送してきたが、今年7月にコンテナ化。大竹−東京(タ)間を 20ftのISOタンクコンテナで鉄道輸送する。専用線を使わず、岩国大竹工場〜大竹駅、東京(タ)〜市原工場間はいずれも日本通運によるトレーラー集配 だ。コンテナ化で輸送日数は片道4日から2日に大きく短縮した。
 輸送単位はタンク車の35トン(55立方メートル)から16トン(26立方メートル)に半減したが、回転効率がよいのでリースしたコンテナ個数は予備も含め10個。車扱輸送では1日1〜2車の輸送需要に対し13 車を保有していたことに比べると、その有利さがよく分かる。

 コンテナはタンク車同様、日本石油輸送(株)からリースした。4メチルペンテン1は消防法第一石油類に該当し、安全弁を備えた遮熱性の高いISOタンク コン テナを使用する。危険品の輸送手段転換で気になるのは安全性の確保だが、岩国大竹工場では以前から、輸出用に同種のISOコンテナを使っており、機器の性 能、安全性を改めてテストする必要は無かった。また鉄道には20数年間、タンク車で安全に輸送してきた実績がある。「道路は公共のものですから、トラック 輸送では前後にどんな車が来るか分からない。その点鉄道は専用のレールを走るので安心です」と佐々木グループリーダーは評価する。
 コンテナ化に備えJR貨物は大竹駅に24トン対応型のトップリフターを配備した。しかし本製品は比重が小さいのでフル積載しても総重量が20トンに納ま る。JR貨物には100系コキ車にコンテナを2個積載できる効率よい輸送形態だ。

 三井化学としては「輸送単位は大きければ大きいほどよい」ので、一時は船輸送(タンカー、輸送単位は少なくとも250トン)への転換が有力だった。発着 両工場ともに港に隣接しているので、港からすぐパイプ搬入できるし輸送単位も大きいから単価が安い。ただ、港の受け入れ設備を本輸送用に改造するイニシャ ルコストが大きかった。
 その点ISOコンテナ転換には大きな設備変更がいらない。それが決め手となった。「トータルメリットではJR貨物大竹営業支店が提案するコンテナ化が有 利だと判断しました。JR貨物と日本通運、日本石油輸送がチームワークよくコンテナ化プロジェクトを進めてくれました」。

構内専用線スペース活用

 この車扱輸送の転換を同工場で検討し始めたのは、タンク車の耐用年数が迫ってきたことに加え、専用線通過貨物量の減少に伴い線の維持費が割高になってき たからだ。また工場構内の専用線は相当な面積を占めており、撤去して有効活用する構想も持ち上がった。
 「工場がもっと大竹駅に近ければ専用線を止めようとは考えません。工場入 口までJR貨物が管理してくれるのなら大歓迎です」。同工場の専用線は大竹駅から約1kmの長さで、小瀬川の鉄橋や陸橋もあり、そのための 維持費もいるのだ。
 現在も同専用線には工場で車上荷役した汎用コンテナ列車が走っているものの、今回のコンテナ化で専用線に関する論議は一層煮詰まりそうだ。当面、岩国大 竹工場では今回コンテナ化したタンク車が入線していた構内線の使用を休止した。

 またこれに伴い、同工場にタンク 車で納入されていた過酸化水素も「JR貨物が大竹駅にトップリフターを配備して戴いたのを機にISOコンテナに転換する ことにした」。大型荷役機械設備導入の相乗効果が早速現れた形だ。
 だが車扱輸送にも大きな利点はあった。「生産する銘柄により4メチルペンテン1の使用量が日々異なります。タンク車は、そのために生じる需要量と生産量 のバランスを調整する一時的な保管機能を担ってくれていました」と、年間約330日は稼働する生産ラインで果たしていたタンク車の役割を説明。
 最後に、コンテナ化後は「年末年始や5月の連休等長期運休時の製品オーバーフロー対策を今まで以上に考慮して欲しい」とJR貨物に注文した。

 上記の「タンク車で納入されていた過 酸化水素」が「ISOコンテナに転換することにした」というのが、どのメーカーなのか気になるところだったが、大竹駅の概要で引用した『JR貨物ニュース』2000年7月15日号1面には、「到着貨物のISOコンテナ化をも促し」「福島から同種コンテナが早速到着し始めている」とあったため、俄然、郡山の日本パーオキサイド(株)を注目していた。

 そして2003(平成15)年8月に横浜本牧駅で遂に(返空ではあったが)その輸送を目撃することができた。
 尚、日本パーオキサイド(株)は郡山(タ)からISOタンクコンテ ナを東水島大竹福岡(タ)各駅へ月間約20個発送しているとのこと。(『MONTHLYかもつ』2010年3月 号、p10)

▼JRコンテナによる輸送
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
コ ンテナ
確 認・備考
大竹
三井石化岩国
PTA
豊橋
三菱レイヨン
C31
1996.9.8豊橋駅

▼和木と大竹結ぶ旧鉄橋撤去へ (『中 国新聞』2009年10月11日付

 太平洋戦争中の1944(昭和19)年、山口、広島県境の小瀬川に架けられた旧鉄道橋が来年から撤去されることになった。山口県和木町の陸軍燃料廠への 引込線の一部として造られ65年。戦後はコンビナートの成長を支え、9年前まで現役だった歴史的な構造物が姿を消す。

 大竹市と和木町をつなぐ鉄道橋は全長約206メートル、幅約1.8メートル。大竹駅から燃料廠までの約2キロに敷かれた引き込み線の名残だ。周囲には、 立ち入り禁止の柵が張られ雑草が茂る。橋には錆が目立つが、鉄骨を組み合わせた無骨な造りが目を引く。

 鉄道橋を含む引き込み線は戦後、燃料廠跡地に日本で初めて建設された総合化学コンビナートなどの5社が共同で使った。物流の主力がトラックなどに移る中、最後まで残っていた三井化学岩国大竹工場(和木町)も2000年に使用をやめた。 旧鉄道橋は現在、中国財務局山口財務事務所が管理している。

 撤去工事をする国土交通省太田川河川事務所によると、2010年秋ごろに着工して12年春ごろに終了する予定という。費用は約5億円を見込んでいる。


4-7.鹿島工場

▼ 三井化学、鹿島工場を閉鎖、40年余りの歴史に幕 (2017 年10月25日付『日本経済新聞』

 三井化学(株)は、2017(H29)年10月末で鹿島工場(茨城県神栖市)を閉鎖する。既に2016(H28)年にウレタン原料の製造を停止してお り、生産品目が無くなっていた。

 鹿島工場の前身は、武田薬品工業(株)が1972(S47)年に稼働させた化学工場で、「鹿島コンビナート」の発足当初から操業していた。 2001(H13)年に武田薬品工業の化学品事業と三井化学のウレタン事業を統合した三井武田ケミカル(株)が引き継ぎ、2009(H21)年からは三井 化学(株)鹿島工場となった。

 これまでに自動車用のシートや家具のクッション材になるウレタン原料のほか、コハク酸などの原料になる無水マレイン酸や入浴剤などに使うフマル酸を生 産してきた。ただ、主力のウレタン原料はアジア地域への輸出が多く、近年は大規模生産によって安値攻勢をかける中国品に押されて競争力を失っていた。

 三井化学は、中核事業を 価格競争に陥りやすい汎用品から、レンズ材料や電池材料など高機能品へシフトさせており、機能集約を進める一環で、鹿島工場の半世紀近い歴史に幕を下ろ す。


4-10.三井東圧肥料(株)
 1981(S56)年に三井東圧化学(株)の肥料部門が分離独立して、三井東圧肥料(株)が設立された。本社は東京で、北海道、岩手、千葉、大牟田の4 工場で各種化学肥料を中心に農業用資材を製造していた。

▼三井東圧肥料(株)岩手工場 短期間に集中大量出荷 宮城県経済連向けに「春肥」を先送り  (1993年12月6日付『運輸タイムズ』3面)

 三井東圧肥料(株)岩手工場(岩手県西根町)の製造品目は水稲用合成培土、中成苗用培土(床土用)、野菜用ソイルフレンド、りんどう用培土(花用)な ど。供給エリアは岩手県と宮城県で、年間生産量1万8,500トンの うち1万5,000トンを岩手県経済連へ、3,500トンを 宮城県経済連へ販売している。

 輸送手段は岩手県はトラックだが、宮城県へは全量が鉄道コンテナ。大量集中出荷に対する輸送力があることやトラックに比べて運賃が有利なことから、 200km未満の中距離ではあるが、鉄道コンテナを使っている。

 宮城県経済向けの肥料は、傘下の農家が翌年4〜5月に使うもので、出荷は肥料年度始めの7月から開始するが、全出荷量の80〜85%は11、12月に集 中する。秋に収穫した新米が倉庫から出た後へ、年内に先送りして保管している。

 長期の不況でトラック輸送に余力があるとは言っても限られた期間内に安定した輸送力を確保することは難しく、こうした短期集中出荷に対応できるのは鉄道 の輸送力の特長。

 肥料は元来、長距離大量貨物であり、陸上輸送は鉄道が中心であった。岩手工場が発足する前は、三井東圧肥料(株)大牟田工場から宮古港(岩手県)へ海上輸送して宮古駅へ運び、同駅から岩手県の奥地や宮城県へ車扱輸送していた。

 1982(S57)年に岩手工場が製造を始めた後も、一時期は車扱輸送していたが、1983(S58)年の貨物駅集約とコンテナ化推進で、宮城県向けは コンテナ輸送に変わった。トラックが貨物輸送の中心になった今でも、鉄道コンテナ輸送の安定性を評価して利用しており、宮城県経済連と行う販売契約の中 で、コンテナ輸送についての契約も行っている。

 肥料の鉄道輸送は、着駅(オンレール)渡しが商慣行となっており、荷主は着駅までの運賃、荷受側(この場合は宮城県経済連)は着駅から倉庫までの引取り 運賃を負担する。経済連との販売契約に当たっては価格交渉も行うが、その中には荷主が負担する運賃も原価構成の1つとして入っている。このため、貨物駅集 約の影響で着駅から倉庫までの距離が遠くなり、経済連の負担運賃が大きくなったことがある。尚、何らかの事情で鉄道より高い運賃でトラックを利用した場 合、経済連がその差額を負担する仕組みとなっている。鉄道を基本的な輸送手段としてきた経緯から、鉄道をベースに運賃計算しているためだ。

 岩手工場は、輸送力と経済性の他にコンテナ輸送のメリットとして次の点を挙げる。
 「着駅から農協倉庫へのコンテナ配達は、経済連傘下のくみあい運輸か地元通運業者が行うが、通運業者は倉庫所在地(変更することがある)を把握している ほか、倉庫との連携で空き具合も調べたうえで配達するので、スムーズな作業ができる。しかしトラック輸送では、倉庫の現状把握が難しく、配達先で長時間待 たされたり、別の倉庫へ配達するよう指示され、ドライバーとの間でトラブルを起こすことがある」

 コンテナの発駅は、盛岡貨物ターミナル駅で、着駅は古川宮城野石巻港など。輸送量は毎年1千トン近く増加する岩手工場の生産量に比例 して伸びている。

▼到着駅からの配達を迅速に 三井東圧肥料(株) (1995年 10月30日付『運輸タイムズ』5面)

 三井東圧肥料(株)岩手工場が製造する肥料のうち、宮城県経済連へ販売する約3,000トンは全量、鉄道コンテナで輸送している。同経済連が春肥として 本年度購入する数量は前年並みである。需要量がほぼ固定化しているためである。

 肥料の出荷期は10月から翌年4月までの半年間で、前年の10〜1月に80%、2〜4月に20%を出荷する。出荷量が集中するのは、米収穫後の11、 12月である。中距離地区の隣県へ鉄道輸送するのは、短期集中出荷に鉄道の輸送力を活用するためと、運賃メリットを活かすためである。

 発駅は盛岡貨物ターミナル、着駅は宮城野、古川、石巻港など経済連傘下農協の最寄りコンテナ取扱駅である。肥料のコンテナ輸送の問題点は、駅到着後、農 業倉庫への配達が滞ること。車扱からコンテナに切り替わり、駅集約が進んだ結果、着駅における荷捌きが難しくなった。一駅当たりの到着量が増えたためであ る。

 また集中出荷期は、宮城県産米の出荷期でもあり、通運の輸送力不足が着駅滞貨を生む原因ともなっている。通運には、作業力を増強して配達に全力で当たる ことを強く求めたい。JR貨物の輸送力も秋冬期は不足するので、鉄道輸送力の確保にも万全を期して欲しい。

 通運作業の効率アップには、パレット輸送が不可欠と考える。現在、岩手工場は大型の木製パレットを使用しているが、コンテナには手積みしている。パレタ イズした肥料1トンの大型パレが12ftコンテナに効率よく積めないからである。使用済みパレットの回収システムが未確立であることも、パレット化の阻害 要因となっている。一貫パレット輸送システムは、荷主(経済連、農協、全農)、輸送(JR貨物、通運)が一体となって問題解決に当たる必要があることを強 調したい。 (三井東圧肥料(株)東京支店長代理、岩手出張所長)

 1982(S57)年に岩手県・西根町(現在八幡平市)の誘致企業として、「三井東圧肥料株式会社」が水稲用・園芸用培養土の生産工場として設立され、 工場の製造部門を請け負う会社として、「東部開発有限会社」が設立された。

 2001(H13)年10月に「東部開発有限会社」の社名を「三研ソイル株式会社」に改名し、「三井東圧肥料株式会社」より岩手工場の全ての業務を引き 継ぎ、水稲用・園芸用培養土の製造販売を開始。



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