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三菱製紙株式会社(本社・東京都千代田区)は、紙.パルプ.写真感光材料の製造、加工および販売を行っており、2007(平成19)年3月期の連 結業績は、売上高2,443億円、経常利益53億円。
営業品目は、晒クラフトパルプ、印刷.筆記用紙(コーテッド紙、上質紙)、書籍用紙、情報用紙
(ノーカーボン紙、OCR用紙、フォーム用紙、感熱紙、熱転写受像紙、磁気記録紙、インクジェット用紙)、事務用紙(トレーシングペー
パー、PPC用紙、タイプライター用紙、バンクペーパー)、
高級白板紙、特殊用紙 (電気絶縁紙、プレスボード、不織布、その他特殊紙)、写真印画紙(白黒印画紙、カラー印画
紙)、
カラーフィルム 、レンズ付フィルム、写真用原紙、印刷製版材料(銀塩方式及び電子写真方式ダイレク
ト製版システム)、
版下作成材料(イメージセッター用・スキャナー用・電算写植用・写植用フィルム及び印画紙、明室返し用、拡散転写紙)、工業用複写印画紙
、ジアゾ感光紙、関連機器、処理薬品、その他である。 (http://web.infoweb.ne.jp/mpm/company/gaiyo.html
より)
=目 次=
<年表>
<高砂工場
>
<浪速工場
>
<京都工場
>
<中川工場
>
<白河工場
>
<北上工場
>
<八戸工場
>
<北越製紙株式会社との提携とその解消
>
<中越パルプ工業株式会社との合併
構想とその破談
>
<年表> http://web.infoweb.ne.jp/mpm/company/history.html
などより筆者が作成
1898(明治31)年04月
神戸市三宮においてウォルシュ氏兄弟が経営していた製紙会社を岩崎久弥が譲り受け合資会社神戸製紙所を設立し洋紙の抄造および販売を開始(三菱製紙の創
立)
1901(明治34)年07月 神戸市三宮から、兵庫県高砂市に工場を移転(現在の高砂工場)
1904(明治37)年06月 社名を合資会社三菱製紙所と改称
1911(明治44)年06月 台湾に台湾三菱製紙所を建設し、亜流酸法による竹パルプの製造を開始
1913(大正02)年05月 高砂工場、洋紙と併せ、手漉による和紙の製造を開始
1915(大正04)年05月 高砂工場、六桜社よりの依頼により写真用紙を試抄
1916(大正05)年04月 台湾三菱製紙所を閉鎖
1917(大正06)年01月 東京都葛飾区新宿に中川工場を建設
1917(大正06)年11月 組織を株式会社に変更し、社名を三菱製紙株式会社と改称
1918(大正07)年04月 中川工場構内に江戸川バリウム工業所を建設、操業開始
1920(大正09)年07月 東京都文京区駒込に三菱製紙研究所を開設
1925(大正14)年12月 本社を兵庫県高砂市から東京都千代田区有楽町に移転
1933(昭和08)年01月 高砂工場で、バライタ原紙(写真用原紙)を試抄。中川工場から、真珠アルトン紙を売り出す
1935(昭和10)年06月 高砂工場で、バライタ原紙(写真用原紙)の抄造開始
1944(昭和19)年02月
京都写真工業株式会社(京都府長岡京市所在)との合併成立。写真印画紙に対する京都試製工場とする(後に現在の京都工場と改称)
1944(昭和19)年08月 浪速製紙株式会社(大阪市福島区大開町所在)との合併成立。引続き板紙の抄造にあたり浪速工場と改称
1950(昭和25)年07月 京都工場で、螢光剤を使用した「月光V」(青黒調)を発売。多大の反響を呼ぶ
1956(昭和31)年04月 京都工場で、迅速複写紙「ヒシラピッド」を発売
1958(昭和33)年07月 高砂工場バライタ紙製造関係を中川工場へ移管
1962(昭和37)年06月 米国The National Cash Register Co.と日本国内のNCR紙の製造につき技術提携契約調印
1965(昭和40)年04月 三菱カラー印画紙販売
1965(昭和40)年10月 白河パルプ工業株式会社と合併契約調印
1966(昭和41)年04月 青森県八戸市に八戸工場を新設
1966(昭和41)年04月 白河パルプ工業株式会社(資本金10億円)との合併成立。同社の白河工場、北上工場が三菱製紙の工場となる
1966(昭和41)年12月 浪速工場を閉鎖
1985(昭和60)年04月 ニューヨーク(アメリカ)に、現地法人Mitsubishi Paper International,Inc.を設立
1989(平成元)年01月 筑波研究所を新設(現在の総合研究所)
1989(平成元)年08月 デュッセルドルフ(西ドイツ)に、現地法人Mitsubishi Paper GmbHを設立
1995(平成07)年01月 ニューヨーク(アメリカ)に合弁販社Mitsubishi Imaging(MPM),Inc.を設立
2000(平成12)年07月 北越製紙株式会社と業務、資本提携
2001(平成13)年01月 コダック株式会社と合弁でコダックダイヤミック株式会社を設立
2003(平成15)年03月 中川工場を閉鎖
2005(平成17)年04月 北上工場を北上ハイテクペーパー株式会社として分社化
2005(平成17)年10月 中越パルプ工業株式会社と合併予定が破談
2006(平成18)年01月 北上ハイテクペーパー株式会社に特種製紙株式会社が資本参加
2007(平成19)年04月 北上ハイテクペーパー株式会社を三菱製紙株式会社が完全子会社化
2007(平成19)年11月 三菱製紙株式会社と王子製紙株式会社が情報用紙分野で業務提携
<高砂工場> ▲
『三菱製紙100年史』より
三菱製紙の発祥は兵庫県の高砂工場である。合資会社神戸製紙所が高砂町に工場を建設、1901(明治34)年5月に第1号抄紙機の運転を開始し
た。 [1]
資材・製品輸送には当初ほとんど馬車を使って山陽鉄道加古川駅まで運んでいたが、1914(大正3)年に播州鉄道が敷設されると、翌1915年2月高砂
駅分岐点から構内までの 専用側線の敷設契約を結び、これによって製品輸送力は飛躍的に上昇することになった。1919(大正8)年には複
線化、1923(大正12)年には構内部分の100mの延長工事を行った。
[1]
高砂工場は1930年代初頭では7割以上が鉄道輸送であった。また運賃価格の動向を見ながら、10%程度は船便も利用されていた。[1]
1983(昭和58)年9月からは国鉄高砂線廃止に備え北上工場のパルプの船輸送テストを実施したが、かなりのコスト削減が期待できたこと
から高砂線の廃止を待たずに切り替えることにした。 [1]
しかし1998年の筆者の調査では、六原(三菱製紙北上工場)→姫路貨物(三菱製紙高砂工場)
のコンテナ輸送を目撃しており、一部はコンテナ輸送で鉄道輸送が継続されているようだ。(→北上工場参照)
この輸送の船舶と鉄道(さらにはトラック?)の輸送比率が気になるところではある。
1987(昭和62)年度ローリングプランでは、「情報関連用紙の主力工場として、ノーカーボン紙・感熱紙のコストダウンを強力に推進する」との
位置付けであった。
[1]
*高砂工場の専用線概要の推移
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ | 記事 |
昭和26年版 | 高砂 高砂港 |
三菱製紙(株)高砂工場 三菱製紙(株)高砂工場 |
相手方機 国鉄機 |
0.5km 0.2km |
||
昭和28年版 | 高砂 | 三菱製紙(株) | 日本通運(株) | 相手方機 | 0.5km | |
昭和32年版 | 高砂港 | 三菱製紙(株)高砂工場 | 国鉄機 | 0.2km | 使用停止 | |
昭和39年版 | 高砂 | 三菱製紙(株)高砂工場 | 日本通運(株) | 日通機 | 0.5km | |
昭和42年版 | 高砂 | 三菱製紙(株)高砂工場 | 日本通運(株) | 日通機 | 0.5km | |
昭和45年版 | 高砂 | 三菱製紙(株)高砂工場 | 日本通運(株) | 日通機 | 0.5km | |
昭和58年版 | 高砂 | 三菱製紙(株)高砂工場 | 日本通運(株) | 日通機 | 0.5km |
1984(昭和59)年2月1日には高砂線の鉄道貨物輸送が廃止されたため、この時点までに車扱輸送は全廃になったのだろう。
<浪速工場> ▲
『三菱製紙100年史』より
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ |
昭和28年版 | 野田 | 三菱製紙(株)浪速工場 | 浪速通運(株) |
浪速通運 会社機 |
1.3 |
昭和32年版 | 野田 | 三菱製紙(株)浪速工場 | 浪速通運(株) | 浪速通運 会社機 |
1.3 |
昭和39年版 | 野田 | 三菱製紙(株)浪速工場 | 浪速通運(株) | 浪速通運 会社機 |
1.3 |
昭和42年版 | 野田 | 三菱製紙(株)浪速工場 | 浪速通運(株) | 浪速通運 会社機 |
1.3 |
昭和45年版 | 野田 | 三菱製紙(株) | 日本運輸倉庫(株)大阪支店 浪速通運(株) (株)菱三商会 |
浪速通運機 | 1.3 |
昭和58年版 | 野田 | 三菱製紙(株) | 日本運輸倉庫(株)大阪支店 浪速通運(株) 三菱製紙販売(株)大阪支店 |
浪速通運機 | 1.3 |
<京都工場>
1938(昭和13)年6月に京都写真工業が創立され、1944(昭和19)年には三菱製紙に吸収合併され同社京都試製工場となり、翌年には京都工場と改
称された。写真印画紙や印刷製販材料を製造している。[1]
1974(昭和49)年3月には日本石油輸送株式会社は、三菱製紙京都工場向けに感光紙輸送用冷蔵コンテナ(UR1型)を建造しリースを
開始している。[2]
戦時下に極度の輸送難を経験して以来の懸案であった金町駅構内専用線から分岐する専用側線の建設は、終戦直後から具体化が検討された。延長
1,500mの専用側線を敷設し江戸川工業所にも分岐すれば、両社ともに運搬経費と時間の節約が可能であった。1948(昭和23)年3月から着工し、
1949(昭和24)年5月に完成し以後その利用度は飛躍的に伸びることとなった。 [1]
1958(昭和33)年に決定した第1次事業計画では、中川工場のアート紙製造を月産500トン増加させることを計画した。中川工場のアート紙増産を計
画の中心に据えたのは、アート紙が今後も需要の拡大が見込まれる付加価値の高い戦略商品で、三菱製紙が競争力を維持し得る商品と認めたからであった。大消
費地の東京に立地し、原料供給を白河パルプ工業に求める関係から、中川工場が量産を図る上で最適な工場と選定された。中川工場は1955(昭和30)年1
月に6号抄紙機を含むバライタ紙製造の一貫工場が稼動しており、1958年7月には高砂工場のバライタ紙を中川工場に移管していた。そしてこのアート紙増
産計画により、三菱製紙の主力工場としての中川工場の性格が一層鮮明に打ち出された。[1]
*中川工場の専用線概要の推移
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ | 記事 |
大正12年版 | 金町 | 三菱製紙(株) | 手押 | − | ||
昭和5年版 | 金町 | 三菱製紙会社 | 手押 | 0.1 | ||
昭和26年版 | 金町 | 三菱製紙(株) | 白井運送(株) (株)江戸川工業所 |
相手方機 | 1.0 | |
昭和28年版 | 金町 | 三菱製紙(株) | 白井運送(株) (株)江戸川工業所 |
相手方機 国鉄機 |
1.0 | |
昭和32年版 | 金町 | 三菱製紙(株) | 白井運送(株) | 私有機 国鉄機 |
1.0 | |
昭和39年版 | 金町 | 三菱製紙(株)中川工場 | 白井運送(株) | 国鉄機 私有機 |
1.0 | |
昭和42年版 | 金町 | 三菱製紙(株)中川工場 | 白井運送(株) | 国鉄機 私有機 |
1.0 | |
昭和45年版 | 金町 | 三菱製紙(株)中川工場 | 白井運送(株) | 私有機 | 1.0 | |
昭和58年版 | 金町 | 三菱製紙(株)中川工場 | 白井運送(株) | 白井通運機 | 1.0 | 一部国鉄側線使用 |
2003(平成15)年3月に中川工場は閉鎖された。下記にあるように、物流拠点としての機能は埼玉県新座市に建設された三菱倉庫株式会社新座配 送センターに移された。八戸工場(北沼駅)からの車扱による鉄道輸送も 新座貨物ターミナル駅着 へと変更の上、コンテナ化された。(→八戸工場参照)
2005.2.26三菱倉庫(株)新座配送センター
*三菱製紙/関東の物流体制再編/品質向上へ2拠点体制 [3]
三菱製紙は、関東地区の物流体制を再編する。4月をメドに、三菱倉庫の新座配送センター内(埼玉県新座市)に、関東地区の内陸拠点倉庫を設置。有明倉庫
(東京都江東区)と2拠点体制で物流品質向上を図る。
三菱製紙では、最近の需要家が東京都西北部から埼玉県南部に集中する傾向にあったため、従来の花の木倉庫(葛飾区)と有明倉庫を活用した物流体制見直し
が求められていた。3月末に中川工場(同)が生産を中止することから花の木倉庫も閉鎖、機能を新センターへ移管する。今後、年間1万トン(筆者註:月間1
万トンの誤りではないか?)に及ぶ商品を取り扱う。
また、八戸工場から新拠点への製品輸送は専用コンテナ列車を使用。有明倉庫向け専用船輸送と合わせ、モーダルシフトも推進する。同社では
「体制再編で、年間1億円以上のコスト削減効果がある」としている。
*新座拠点4月完工/首都圏内陸の営業強化/三菱倉庫 [4]
三菱倉庫(本社・東京、鈴木恭明社長)が埼玉県新座市に建設中の「新座配送センター」が今年4月完工する。倉庫の半分以上のスペースを山之内製薬の専用
に充てる。首都圏内陸部の営業拠点拡充が期待される。
同センターは、敷地面積が約1万5,300平方メートル、延べ床面積が約2万8,600平方メートルの鉄筋5階建て。JR新座貨物駅から約3キロ、関越
道所沢インターチェンジから約4キロ。同社はこのほど、山之内製薬の物流業務を受託。約1万5,000平方メートルを山之内専用スペースとする予定で、医
薬品対応のため薬事法基準に適合した定温、防じん機能を施し、東日本エリア全域をカバーする保管・配送の一貫サービスを展開する。
また、三菱製紙の関東内陸部の物流拠点として、約1,150平方メートルの全天候型荷さばき場を設置。大量の入出庫対応で、JRコンテナの横付け
に便利なピアー型トラックバース も設けている。
同社の埼玉県内の倉庫は戸田市、児玉郡、八潮市に次いで4カ所目。合計の延べ床面積は約8万3,000平方メートル。
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ | 記事 |
昭和26年版 | 磐城西郷(信) | 白河パルプ工業(株) | 国鉄機 | 1.0 | ||
昭和28年版 | 磐城西郷(信) | 白河パルプ工業(株) | 白河通運(株) | 国鉄機 | 1.0 | |
昭和32年版 | 磐城西郷 | 白河パルプ工業(株) | 西郷通運(株) 荒川林産化学工業(株) |
国鉄機 私有機 |
原料線0.9 製品線1.7 薬品線1.6 塩酸線1.6 |
国鉄機による入線は 原料線のみとする。 |
昭和39年版 | 磐城西郷 | 白河パルプ工業(株) | 西郷通運(株) 荒川林産化学工業(株) |
私有機 | 原料線0.9 製品線1.7 薬品線1.6 塩酸線1.6 |
|
昭和42年版 | 磐城西郷 | 三菱製紙(株) | 西郷通運(株) 荒川林産化学工業(株) |
私有機 | 原料線0.9 製品線1.7 薬品線1.6 塩酸線1.6 |
|
昭和45年版 | 磐城西郷 | 三菱製紙(株) | 荒川林産化学工業(株) 西郷通運(株) |
私有機 | 原料線0.9 製品線1.7 薬品線1.6 塩酸線1.6 |
|
昭和58年版 | 新白河 | 三菱製紙(株) | 福菱工業(株) | 福菱工業機 | 原料線0.9 製品線1.7 薬品線1.6 塩酸線1.6 |
年度 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 |
輸送量(トン) | 2,916 | 2,312 | 3,740 | 1,496 | 1,394 | 476 |
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ |
昭和42年版 | 六原 | 三菱製紙(株)北上工場 | 岩手通運(株) | 岩手通運機 | 0.8 |
昭和45年版 | 六原 | 三菱製紙(株)北上工場 | 岩手通運(株) | 岩手通運機 | 0.8 |
昭和58年版 | 六原 | 三菱製紙(株)北上工場 | 岩手通運(株) | 岩手通運機 | 0.8 |
年度 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 |
輸送量(トン) | 4,548 | 3,196 | 4,352 | 2,176 | 3,570 | 3,468 |
発駅 | 発荷主 | 品名 | 着駅 | 着荷主 | コンテナ | 目撃 |
六原 | 三菱製紙(株) | 空袋 | 富士 | 日本食品化工(株) | 18D 複数 | 2002年2月16日 富士 |
六原 | 三菱製紙(株) | クラフトパルプ | 大阪(タ) | 紀州製紙(株) | 18C 4個 | 1998年2月26日 黒磯 |
六原 | 三菱製紙(株) | クラフトパルプ | 姫路貨物 | 三菱製紙(株)高砂工場 | C36 3個 | 1998年2月26日 黒磯 |
六原 | 三菱製紙(株) | クラフトパルプ | 高知 | 日本板紙(株) | C31 | 1998年3月11日 幸田 |
発駅 | 発荷主 | 品名 | 着駅 | 着荷主 | タンク車 | 目撃 |
酒田港 | 東北東ソー化学(株) | 液化塩素 | 六原 | 三菱製紙(株) | タキ135499 東北東ソー化学(株) タキ135472 関西化成品輸送(株) |
1998年5月4日 仙台港 2004年6月6日 酒田港 |
仙台北港 | 東北石油(株) | 重油 | 六原 | 三菱製紙(株) | タキ1500、タキ9650 | 1998年5月4日 仙台港 |
勿来 | 呉羽化学工業(株) | 液体塩素 | 六原 | 三菱製紙(株) | タキ145483 日本石油輸送(株) | 2001年11月8日 宮城野 |
専用線一覧表 | 所管駅 | 専用者 | 第三者利用者 | 作業方法 | 作業キロ | 記事 |
昭和42年版 | 北八戸(信) | 三菱製紙(株) | 星光化学工業(株) 八戸通運(株) |
八戸通運機 | 8.7 | 青森県専用線 から接続 |
昭和45年版 | 北八戸(信) | 三菱製紙(株) | 星光化学工業(株) 八戸通運(株) |
八戸通運機 | 8.7 | 青森県専用線 から接続 |
昭和58年版 | 北沼 | 三菱製紙(株) | 星光化学工業(株) 八戸通運(株) |
社機 | 0.8 | |
昭和58年版 | 北沼 | 三菱製紙(株)(北沼線) | 八戸製錬(株) 住吉工業(株) 吉田産業(株) 鋼管商事(株) スチール工業(株) 東新工業(株) 東北砂鉄工業(株) 八戸通運(株) |
社機 | 0.3 |
1987(昭和62)年現在では、北沼駅から金町駅、越中島駅にワム
80000型による紙輸送があった。[5]
越中島駅には東京都の専用線があり、1989年2月9日の同線廃止時には晴海埠頭への新聞用の紙輸送が残っていた。[11]
1988(昭和63)年10月末に南四日市発(筆者註:発荷主は日本 合成ゴム株式会社) 北沼着のラテックス輸送が船舶輸送に転移した。同輸送は 年間12千トン〜15千トンの規模であった。[15]
*八戸臨海鉄道の輸送量(トン)推移 (1999年度までは鉄道統計年報、2002年度は八戸市統計書より筆者が作成)
年度 | 車扱 | コンテナ | 合計 |
1989年度 | 183,391 | 52,765 | 236,156 |
1990年度 | 183,459 | 76,350 | 259,809 |
1991年度 | 188,276 | 92,495 | 280,771 |
1993年度 | 158,572 | 103,625 | 262,197 |
1994年度 | 140,120 | 99,080 | 239,200 |
1995年度 | 136,734 | 116,340 | 253,074 |
1997年度 | 130,778 | 118,564 | 249,342 |
1999年度 | 125,822 | 106,294 | 232,116 |
2002年度 | 129,282 | 130,725 | 260,007 |
『三菱製紙100年史』より
1991(平成3)年10月、DIP(古紙パルプ)設備が完成した。古紙の利用率は板紙では高水準であったが、紙類では依然低かった。そこでオ
フィス古紙を回収して再生する取り組みが始まった。東京丸の内を中心とするオフィス古紙回収・再生化の試みは、三菱グループ各社の協力も得て、1991
(平成3)年2月からスタートした。同年12月までの回収実績は、八戸工場搬送分563.5トン、業者売却分240トン、合計803.6トンであり、順調
な立ち上がりであった。参加企業数は、三菱製紙と明治生命1社からスタートしたが、次第に増加し1992年度末には24社(30事業所)及び日本道路公団
になった。
[1]
三菱製紙は1993(平成5)年度下期に主力工場で臨海型の八戸工場(青森県八戸市)を中心に出荷体制を見直す。同工場は国内6工場の中でも塗工(コー
テッド)紙、上質紙、情報用紙など製品分野が広く、同社の紙の出荷額の6割を占め、物流効率化の余地が多い。専用船、トラック、貨物鉄道の3通りで出荷し
ているが、港で乗用車を陸揚げした貨物船が帰る際に製品を載せるなど、専用船以外の船便も利用する考え。同社の物流費は年間約100億円。93年度下期に
半期分約50億円の5%削減を目指す。東京、大阪に倉庫を持つ販売代理店の三菱製紙販売(東京・中央)と共同で配送網を見直す。[12]
1986年に八戸工場はコンテナ輸送を開始した。1999年現在では、隅田川や百済などを主な着駅として全国一円にコンテナで紙を発送している。到着は、古紙
、デンプン、塩素などがある。荷役はコンテナ積みコキ車が直接専用線に入り、車上積込みで
行っている。コキ車はコキ104、50000型が主である。また八戸工場は金町駅にある三菱製紙の中川工場に向けてワム80000形式32両を発送してい
る。なおこの列車は途中で六原発のワムを増結して、金町着は40両になる。また金町駅の専用線は現在曲線の緩和など設備改良の検討中で、その結果によって
はコンテナ化される可能性がある。八戸臨海鉄道内の列車はそれぞれコキ車5〜10両で組成され、16レ以外はワムやタキ5450が組み込まれることがあ
る。[13]
*お客様事例 三菱製紙株式会社 八戸工場 物流統括担当者のコメント[14]
(Copyright 2000年)
鉄道コンテナ輸送を始めたきっかけは、横浜の本牧埠頭までトラック輸送で輸出向け製品を運んでいた
のを、コストダウンのために切り替えたことである。八戸から大体1,000kmを分岐点として鉄道輸送のコストメリットが出る。
現在は、鉄道の持ついくつかの課題も解決に向かっているので、今後も鉄道輸送の割合を増やしていきたい。
*荷主さん訪問 三菱製紙(株)八戸工場 (JR貨物ニュース 2001年2月15日号 3面)
八戸港の臨海部東側に位置する八戸工場は、三菱製紙(株)の東の生産拠点で操業開始は昭和42年。塗工紙、上質紙、板紙等を年間約80万トン、全国各地
に出荷している。販売代理店を通して製品のオーダーが入ると、顧客別に情報をインプットしてある工場のコンピュータで輸送モードを選択する仕組みだが、関
東・関西の大消費地から遠いので、船や鉄道の依存が高い。出荷製品の約4割を同社保有の船で八戸港から積み出し、東京の有明と芝浦埠頭や大阪南港に陸揚げ
している。一方、 鉄道でも製品の約3割を輸送している。
16万5,6000平方メートルの広大な工場の構内に、八戸臨海鉄道・北沼駅の側線が引き込まれていて、同社の中川(東京)工場内にある関連会社の倉庫
に月間1万トンを車扱輸送する。中川工場にも金町駅から引き込み線が延びているのだ。 また月1万トン弱を百
済、福岡(タ)
をはじめとした全国各地にコンテナでも発送している。この場合も引き込み線での車上荷役だ。
同工場の営業管理課江口課長に鉄道利用について聞くと「かつて製紙業は典型的な内需消費型産業だったが、最近は特にアジア周辺諸国から紙の輸入が増えて
いる。携帯電話の取り扱い説明書等が大きな需要である一方で、価格の安い輸入紙がシェアを伸ばしており楽観はできない。紙はもともと、外見的にも品質的に
も差別し難い商品なので価格に目がいくのは仕方の無いこと」と、まず紙業界が現在おかれている状況を説明してくれた。そのため「物流セクションには、どう
やって安く物を運ぶかが強く求められている」という。
鉄道輸送がいかに定時・安定性に優れていても、輸送手段選択の要はやはりコスト。
鉄道が有利なのは静岡県沼津市以遠の陸送だ。「しかし納期にゆとりがある場合でないと」使えず、トラック輸送するケースもある。ト
ラックなら八戸市から首都圏には1日で到達する。しかし鉄道だと、隅田川駅には翌日朝着いても、新座(タ)だと3日目着になってしまうからだ。
この点、今年1月22日に北沼駅の玄関口である八戸貨物駅発着列車のリードタイムがE&S化で改善されたことを歓迎し「コンテナの利用機会を増やせるの
ではないか」と期待している。
ただ同社では鉄道依存度が高いだけに輸送障害の影響が大きい。「最近は自然災害とはいえ大雨や大雪等、輸送障害が目立つ。列車が止まってしまった時の代
行手配や情報提供等、今後とも迅速にお願いしたい」と江口課長は注文した。
*東北支社管内発の紙輸送 4月〜 コンテナ化進む (JR貨物ニュース 2003年3月15日 2面)
2003年4月、八戸貨物発金町行きの車扱列車が新座(タ)着のコンテナ輸送に変わる。八戸貨物発金町行き紙輸送列車は、荷主が紙の保管場所を金町から
新座(タ)近郊の新設倉庫へ移すのに伴うコンテナ化で、着駅も新座(タ)に変わる。すでに12フィートコンテナで日発30個が八戸貨物から新座(タ)に着
いていて、これにより荷崩れや荷ずれ防止策の確認を行っている。4月からの全面コンテナ化に備えた前倒し措置だ。
筆者が目撃した八戸工場に関係する鉄道輸送は以下の通り。
*コンテナ輸送
発駅 | 発荷主 | 品名 | 着駅 | 着荷主 | コンテナ | 目撃 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 P | 隅田川 | ? | 19D | 1998年3月21日 隅田川 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 P | 本牧埠頭 | 紙ランマ | 18D | 1998年9月19日 宮城野 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 | 静岡貨物 | サンキョウ | V18C | 1998年2月26日 黒磯 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 | 静岡貨物 | ダイニチ | 19B | 1998年2月26日 黒磯 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 P | 刈谷 | プリテック | 18D | 1998年3月11日 刈谷 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 P | 名古屋(タ) | 小牧 | 18D | 1998年9月19日 宮城野 |
北沼 | 三菱製紙(株) | 紙 | 四日市 | イセ紙業 | 18D | 2004年12月12日 四日市 |
富士 | 東洋インキ製造(株) | インキ | 八戸貨物 | 三菱製紙(株) | 18D | 1998年2月16日 富士 |
富士 | 日本食品化工(株) | MS#4600 | 北沼 | 三菱製紙(株) | UR17A | 1996年12月28日 富士 |
名古屋(タ) | サンノプコ(株) ※ | ステアリン酸カルシウム | 八戸貨物 | 三菱製紙(株)? | UT11A-5065 | 2000年9月2日 一ノ関 |
百済 | (株)日新化学研究所 | ステアリン酸カルシウム | 八戸貨物 | 三菱製紙(株) | UT11A-5076 | 1996年12月24日 百済 |
サンノプコは三菱製紙以外にも、タンクコンテナで名古屋(タ)発宮城野着(大昭和製紙岩沼)、秋田貨物着(東北製紙?)にステアリン酸カルシウム
を発送している。
同様に(株)日新化学研究所もタンクコンテナで他に梅田発宮城野着(日本製紙石巻)にステアリン酸カルシウムを発送している。ステアリン酸カルシウム輸
送にはちょっと注目だ。
1996.12.24百済駅
*車扱輸送
発駅 | 発荷主 | 品名 | 着駅 | 着荷主 | タンク車 | 目撃 |
酒田港 | 東北東ソー化学(株) | 液体塩素 | 北沼 | 三菱製紙(株) | タキ145451 東ソー(株) タキ145498 関西化成品輸送(株) |
2001年11月8日 宮城野 2004年6月6日 酒田港 |
勿来 | 呉羽化学工業(株) | 液体塩素 | 北沼 | 三菱製紙(株) | タキ165461 日本陸運産業(株) | 2001年11月8日 宮城野 |
(注) ECF:Elemental Chlorine Free パルプ漂白工程で塩素を使用しない漂白法
AOX:Adsorbable Organic Halogen 排水中に含まれる塩素などの吸着性有機ハロゲン化合物の量
*三菱製紙 パルプ製造設備増強 八戸工場 月産5万5,500トン 完全自
給達成へ (2007年3月27日 日経産業新聞 16面)
三菱製紙は今夏をめどに主力の八戸工場(青森県八戸市)のパルプ製造設備を増強する。70億円を投じて連続蒸解釜や回収ボイラーなどを改造。生産量を月
間5,000トン増の5万5,500トンへと増やし、パルプの完全自給を達成する。割高な外部からのパルプ調達をやめることで、2008年3月期に10億
円(連結経常利益ベース)の増益効果を見込む。
連続蒸解釜は木材チップを連続的に煮てパルプにする設備で、回収ボイラーは蒸解工程で出る「黒液」を濃縮した後、燃焼させて蒸気と電力を得るための付帯
設備。改造による出力向上でパルプ生産量を引き上げることが可能になる。パルプ増産で、従来の外部調達分2,500トンを代替したうえ、八戸での洋紙生産
も増やす計画だ。
三菱製紙は05年に策定した経営再建策「フェニックスプラン」で08年3月期の連結経常利益を06年3月期比45%増の70億円にする目標を掲げてい
る。八戸工場改修による10億円のほか、子会社の採算の改善、人員削減などで目標額を達成できると同社ではみている。
八戸工場を主力とする洋紙事業の売上高は1,124億円。今期は前期比3.2%増の1,160億円を見込む。不振だった写真印画紙の原紙など、写真感光
材料事業の黒字化にメドが立ってきており、来期は主力の洋紙事業の強化に重点を移せるとしている。
<北越製紙株式会社との提携とその解消> ▲
*三菱・北越製紙が提携 業界の第3勢力に浮上 (河北新報、2000年7月12日付、8面)
製紙業界5位の三菱製紙と、6位の北越製紙は11日、取締役会を開き、株式を相互に持ち合い、資本・業務提携することを決めた。提携関係の進展によって
は事業統合に踏み込む可能性があり、同業界では王子製紙、日本製紙・大昭和製紙グループに次ぐ第三勢力となる見通しだ。
三菱製紙が北越製紙株2百万株(発行株式の1.29%)を、北越が三菱株の7百万株(同2.14%)を取得する。投資額はいずれも20億円程度とみられ
る。
日本製紙と大昭和製紙が今年3月に経営統合を決め、製紙業界の市場の4割を上位2グループが握ることになった。このため三菱、北越製紙は6月初めにトッ
プ会談を開き、協力関係に入ることによって二大グループに対抗することで一致した。
両社は今月中に提携推進委員会を設置、@技術開発A生産・販売B資材共同購入−の3分野について具体的な協力策の検討に入る。現時点では「合併や事業統
合を意図するものではない」としている。
三菱製紙の2000年(平成12年)3月期決算(連結ベース)は売上高2,439億円だが、経常赤字113億円。経営基盤強化のためフィルム・印画紙大手
の米イーストマン・コダックへの原紙供給などの販路拡大を模索している。一方、新潟県に主力向上を持つ北越製紙は売上高1,327億円、経常利益49億
円。
*年50億円の収益改善 三菱製紙 北越製紙 提携で効果試算 (日経産業新聞、2000年12月25日付、10面)
今年7月に資本・業務提携した三菱製紙と北越製紙は22日、両社で実施する具体的な提携内容と収益改善効果をまとめた。提携後、原材料の共同調達や製品
の相互OEM(相手先ブランドによる生産)を実施することにしており、今後3年以内に合計で年間50億円規模の収益改善効果があるとした。今後、生産設備
の新設や電子商取引などでも共同投資の可能性を探る。
収益改善効果はチップやパルプ、燃料、資材など原材料の共同調達が両社合計で11億円、製造技術の相互導入や物流合理化で25億円、製品の相互OEMで
10億円、情報用紙・機能紙の生産設備の共同利用で4億円。相互OEMでは三菱製紙が上質紙を、北越製紙が塗工紙をそれぞれ年1万トンずつ生産し、供給す
る。印刷情報用紙など今後生産設備を新設する際は共同投資も検討する。
三菱製紙と北越製紙は7月、株式の持合を含む業務提携で合意。その後、提携推進委員会を設置し、具体的な提携内容を協議していた。
*三菱製紙と北越製紙 製品輸送を共同化 来年度から (日刊工業新聞、2003年10月30日付、1面)
三菱製紙と北越製紙は物流の共同化に乗り出す。自社倉庫から需要家への製品輸送(2次物流)を共同配送に改めコスト削減を実現する。専門のワーキンググ
ループ(WG)を年明けにも設け、来春までに成案を得て04年度春から実施に移す方針。両社は00年7月に業務・資本提携を結んだが、具体的なアライアン
スは原材料の共同購入や技術交流など限定的だった。今回、販売分野で手を握ることが弾みとなって、より戦略的な提携に向け加速・発展する可能性も出てき
た。
両社は3ヵ月ごとに業務提携推進委員会を開催中。次回は1月の予定で、この時に同委の下にある生産・販売部会内に2次物流の効率化を検討するWGを設置
する。両社は現在、首都圏や近畿圏近隣の倉庫から紙の需要家にそれぞれトラックで運んでおり、WGでは同輸送を共同配送化することを中心に話し合い、業務
効率化と物流費の圧縮を目指す。
コスト削減目標などは明らかにしていないが、両社が00年12月に公表した提携効果試算では製造技術の相互導入や人員・物流の合理化で年25億円の収益
向上が見込めるとしている。
両社に限らず製紙業界では、工場から倉庫への1次物流の効率化はある程度進んでいるものの、2次物流の改革は遅れ気味だった。
三菱と北越の提携は資本面で株式を2%程度持ち合いし、業務面では調達や製造技術の相互開示、工場技術者の交流などを行う程度にとどまっていた。物流共
同化に踏み出すことで両社の提携関係が今後、生産や投資分野などにも広がることも予想される。
*2005年7月に三菱製紙と北越製紙、提携解消を発表 http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=AT1D01048%2001072005&g=S1&d=20050701
三菱製紙と北越製紙は1日、業務・資本提携を解消すると発表した。今月10日で5年の期限を迎えるため予定通り提携関係を終了させる。
両社は原料の共同購入などにより5年間で約55億円(三菱紙28億円、北越紙27億円)のコスト削減効果を上げた。三菱紙は北越紙株を約1.3%、北越
紙は三菱紙株を約2.2%をそれぞれ持ち合っていたが、両社は売却する公算が大きい。
2000年に王子製紙や日本製紙の大手メーカーに対抗するため両社は業務・資本提携で合意。合併を検討した時期もあったが、不振に悩む三菱紙の北上工場
(岩手県北上市、現在は分社化)の扱いを巡り意見が対立した。三菱紙は今年1月、中越パルプ工業との合併を発表したが販売政策で折り合わず破談。今回の提
携終了で北越紙との合併の可能性もなくなり、三菱紙は単独での生き残りを目指すことになる。
(19:14)
<中越パルプ工業株式会社との合併構想とその破談> ▲
北越製紙との提携から経営統合に進むかと思っていたところ、中越パルプ工業との合併が発表された。しかしこれに北越製紙が合流する可能性もあったがいず
れも交渉不調。
*三菱製紙・中越パルプ 10月合併 生き残りへ最後のカケ (日経産業新聞、2005年2月1日付、3面)
製紙業界第5位の三菱製紙と第7位の中越パルプ工業は31日、今年10月に合併すると発表した。業界順位は5位のままだが、連結売上高は約3,500億
円、主力の印刷・情報用紙のシェアは業界3位の13%に拡大する。同日の記者会見では、業界上位の日本製紙グループ本社や王子製紙に次ぐ第三のグループを
目指す考えを強調した。伸び悩む市場の中で、中堅企業の両社は最後のカケに出た。
▽印刷・情報用シェア3位に 「北越」統合も視野
新会社の名称は「三菱中越製紙」の予定。合併は中越パルプ工業が三菱製紙を吸収する方式で、出資比率は今後詰める。新本社は東京・千代田の三菱製
紙の本社とする。社長には、王子製紙元副社長の長岡剣太郎・中越パルプ顧問が就く公算が大きい。
「これからはお互い大変になりそうですね」。今回の合併話が持ち上がったのは昨年11月のこと。都内のパーティーの席上で三菱製紙の佐藤健社長と中越パ
ルプの菅野二郎社長は意気投合し、合併を含む両社の経営拡大策について話し合いを始めた。
製紙業界の中で三菱製紙は売上高5位、中越パルプ工業は同7位の中堅メーカー。両社は需給の逼迫する紙の原料確保や中国メーカーの台頭などを理由に合併
するとしているが、今回の合併劇に執念を燃やしたのは三菱製紙の佐藤社長だったとみられる。
三菱製紙は国内での紙の需要の伸び悩みなどに伴い、2005年3月期決算で最終赤字に陥る見込み。前の期は黒字を確保したが、02年度あたりから経営が
悪化。02年、03年度には最終赤字を計上した。
経営立て直しに向けて登場したのが佐藤社長だった。経費削減などリストラを徹底的に進めるとともに社内風土の改革を推進したが、思うように実が上がらな
かった。
製紙業界は01年3月末に日本製紙と大昭和製紙が経営統合し、日本ユニパックホールディング(現日本製紙グループ本社)が誕生。王子製紙と日本ユニパック
の二強体制が確立した。国内の紙需要も大きな伸びが見込めない中で、二強は中国など海外進出を計画。大王製紙以下のメーカーは生き残りに向けた対応を迫ら
れていた。
三菱製紙はすでに売上高6位の北越製紙と原料の共同調達などで業務・資本提携しており、製紙業界の中でかろうじて存在感を誇示してきたのが実情。だが、
両社の提携は今年7月に期限切れを迎える。
実は佐藤社長は就任後、業績拡大を続ける北越製紙との合併を模索していた時期があったが、北越側は「現在の三菱製紙の業績状態ではお荷物になりかねない」
(幹部)として、三菱製紙の経営改善策を見守ってきた。結果的には「お互いの必要度が一致することはなかった」(佐藤社長)。
製紙業界は典型的な装置産業で、ある程度の規模の経営体力は不可欠。合併新会社の業績次第では、北越製紙との合併も視野に入ってくるとみられる。新会社
が今後、合併効果などをテコに、どれだけ企業体力を強化できるかにかかっている。(田中良喜)
中越パルプ工業 | 三菱製紙 | |
事業概要 | 新聞用紙や印刷用紙などが 主力で製紙業界では第7位 |
写真用印画紙や上級コート紙などが 主力で製紙業界では第5位 |
設立 | 1947年に富山県で高岡製紙 として創業 |
1898年に神戸市で岩崎久弥氏が 神戸製紙所として創業 |
資本金 | 173億円(04年9月現在) | 309億円(04年9月現在) |
売上高 | 1,087億円(04年3月期連結) | 2,370億円(04年3月期連結) |
経常利益 | 45億円(04年3月期連結) | 15億円(04年3月期連結) |
従業員数 | 1,940人(04年3月末連結) | 5,219人(04年3月末連結) |
製紙大手の売上高
社 名 | 売上高(億円) |
@日本製紙グループ本社 | 11,926 |
A王子製紙 | 11,804 |
B大王製紙 | 3,915 |
Cレンゴー | 3,751 |
★合併新会社 | 3,457 |
D三菱製紙 | 2,370 |
E北越製紙 | 1,476 |
F中越パルプ工業 | 1,087 |
G東海パルプ | 550 |
H紀州製紙 | 530 |
I巴川製紙所 | 430 |
<註>
[1]『三菱製紙百年史』三菱製紙株式会社、1999年
[2]『日本石油輸送50年史』日本石油輸送株式会社、1997年
[3] 物流タウンweb「最新物流情報」ロジクロ、2003年2月24日更新 http://www.transport.or.jp/butsuryu/pastnews/h030204c.html#kiji7
[4] 物流タウンweb「最新物流情報」輸送経済新聞社、2003年2月18日更新 http://www.transport.or.jp/butsuryu/pastnews/h030203y.html#kiji9
[5]渡辺喜一「JR貨物の車両ガイド@貨車篇」『鉄道ダイヤ情報』第16巻第11号、通巻47号、弘済出版社、1987年、36〜37頁
[6]『’90貨物時刻表』鉄道貨物協会、1990年、7頁
[7]『’94貨物時刻表』鉄道貨物協会、1994年
[8]伊藤博志「北上地区の貨物輸送近況」『トワイライトゾ〜ン・マニュアル11』ネコ・パブリッシング、2002年、128〜129頁
[9]渡辺一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』第24巻11号、通巻154号、弘済出版社、1995年、13頁
[10]曽我治夫「臨海鉄道13社の現況」『鉄道ピクトリアル』第43巻第3号、通巻572号、鉄道図書刊行会、1993年、43頁
[11]石原明成「東京都の専用線全廃」『鉄道ピクトリアル』第39巻第5号、通巻511号、鉄道図書刊行会、1989年、91頁
[12]日本経済新聞、1993年10月22日、13面
[13]渡辺一策・藤岡雄一「臨海鉄道パーフェクトガイド」『鉄道ダイヤ情報』第28巻3号、通巻197号、弘済出版社、1999年、27頁
[14]日本貨物鉄道株式会社web お客様事例 http://www.jrfreight.co.jp/eigyou/jirei/mpm.html
[15]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として』仙台臨海鉄道株式会社、1990年、100頁及び108頁
[16]上記同書、170頁
[17]三菱製紙株式会社web http://web.infoweb.ne.jp/mpm/news/040308.html
[18]日本経済新聞、1999年10月26日、11面
[19]吉岡心平氏web 私有貨車研究所 http://shimpei.3.pro.tok2.com/0001/123_pfc-special3/pfs117_taki6354.htm
[20]吉岡心平氏web 私有貨車研究所 http://shimpei.3.pro.tok2.com/0001/121_pfc-special1/pfs031_taki23951.htm