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とはずがたりな掲示板  鉄 道貨物輸送研究スレ
産業振興株式会 社 (南仙台駅)
2024.9.16 作成開始 2024.9.23公開


1975.11南仙台駅 産業振興(株)中田倉庫 専用線
鉄鋼基地となっているのがよく分かる

「地図・空中写真閲覧サービス」よ り)


 ←至 仙台駅      至 岩沼駅→
1975.11南仙台駅及びその周辺 右 上が産業振興、左下が旧出光興産
「地図・空中 写真閲覧サービス」より)



 今年(2024年)9月、開業100周年を迎えたばかりの東北本線・南仙台駅。開業当時の駅名は「陸前中田」であり、1963(昭38)年5月に南仙台 駅に改称した。 2023(令5)年度の1日平均乗車人員は9,500人を超えており、仙台市内のJR駅では仙台、あおば通駅に次ぐ利用者数を誇っている。

 筆者は、鉄道や道路の話題を中心に仙 台都市圏の交通問題を考察しているが、南仙台駅も以前より気になる場所の1つで、最近では西口の新改札構想や高架化 の要望など興味深い動向が報じられている。駅周辺に残る踏切を要因とする渋滞問題も含めて、南仙台駅の利用者増加に対応する方策は、周辺住民に とって喫緊の課題 と言える。そのような状況下で、南仙台駅の貨物取扱駅として歴史については、完全に忘れ去られた過去の話といった感もある。

 ところが先日、筆者は大阪府立中之島図書館にて、「産業振興株式会社」の社史に目を止め、何気なく手を取りページ をめくっていたところ、南仙台駅に存在した専用線に関する記述に遭遇し、思わぬところからの刺激的な情報入手に衝撃と興奮に見舞われた。そして完全に偶然 のタイミングだが、南仙台駅は開業100周年という記念すべき年であるというニュースにも接し、この項を急ぎ立ち上げたのである。


(参考)1996.5新興駅 産業振興(株)横浜倉庫

(参考)1996.5新興駅 産業振興(株)専用線跡
 そもそも産業振興(株)という企業に関しては、荷主研究という観点で は横浜市内の新興駅(1地区)に専用線(第三者利用者)があった僅かな印象のみで、それも現地訪問して専用線の痕跡を目撃した経験によるものだけで、同社 の輸送体系など気にかけたことは無かった。

 そのため、当然、南仙台駅の専 用線を今まで意識したことは無かったのだが、社史の記述から鉄道貨物と結び付いた内陸の鉄鋼流通基地という位置付けであったことが分かり、流通が複雑で全 貌が明らかになりにくい印象が強い貨車による鉄鋼 輸送の一つの実例として、是非とも記録に残すべきと確信したのである。

 しかし、南仙台駅のこの専用 線が存在した期間は非常に短く、廃止も1978(昭53)年と相対的に早い時期でもあり、残念ながら筆者は現地調査したことはな い。そのため写真は国土地理院の上記空撮写真に頼るほかないのが実情である。

 ところで、仙台市内の鉄道貨物輸送の拠点で、専用線ターミナルとして機能していた駅を挙げるとすれば、南仙台駅の真北に位置する長町駅が筆頭であり、石 油やセメント、倉庫、金属など各 社専用線が多数敷設されていた。一方の南仙台駅は昭和40年代前半まで出光興産(株)専用線が存在した程度で、あえて産業振興(株)が高度経済成長期に南 仙台 駅を選んで専用線を開設したというのは、些か興味深い。

 長町駅周辺は、その時点で既に工業化、都市化が進み新たにまとまった倉庫用地を確保する余裕が無かったと推察されるが、長町駅自体も2000年代に完了 した高架化事業 によって操車場や機関区、専用線など鉄道貨物の機能は完全に消え去り、「あすと長町」と呼ばれる土地区画整理事業に伴う再開発によって副都心化も進み、昔 日の面影は無 い。むしろ現在も地上駅のまま使われてる南仙台駅の方が、貨物取り扱いをしていた頃の姿を留めていると言えるかもしれない。



 産業振興(株)による仙台地区における倉庫開設と鉄道貨物輸送の展開は、社史の記述から色々と窺い知ることができる。

 同社は明治時代に創業した長い歴史があるが、第二次世界大戦後の1950(昭25)年に当時の富士製鐵(株)室蘭、釜石、広畑の各製鉄所構内において製 鉄原料、スラグ処理、その他付帯作業等の請負作業を開始し、1963(昭38)年にその富士製鐵が資本参加するなど、富士製鐵系(新日鐵⇒日本製鉄)の企 業として発展を続けてきた。物流事業としては、現在も横浜物流センター、仙台物流センターの2カ所で日本製鉄系の鉄鋼基地を運営している。

 そのような歴史もあり、産業振興は釜石事業所を有しており、その組織内に仙台出張所を設置していた。1965(昭40)年には業容拡大を目指し、東北地 区の基地を強化する目的で仙台出張所を同社釜石事業所仙台営業所に改称した。更に仙台市 燕沢字苗代西(現、同市宮城野区燕沢2丁目)の土地を購入、事務所、倉庫を建設して倉庫業を開始し、富士製鐵(株)の指定倉庫となり、軽量形鋼、ガード レール、コルゲートパイプ、軽量鋼矢板の 荷役、保管、配送業務を行うこととなった。([1]p129)
 この倉庫は、立地的に鉄道駅には隣接しておらず、貨車輸送を行っていた形跡は無い。(時期的に貨物取扱駅からのトラックによる横持ちがあったとしても不 思議ではないが…)

 その4年後の1969(昭44)年10月には、富士製鐵の要請も あって、南仙台駅に隣接した土地に事務所と倉庫を建設して移転し、名称を「中田倉庫」とし、国鉄専用線を 引き込んだ富士 製鐵の内陸型鋼材倉庫として創業を開始した。([1]p129-130、p320)
 「富士製鐵の要請」というのがポイントで、富士製鐵が貨車輸送に適した(仙台市内の)土地に倉庫を移転するように促したようにも感じられる。1971 (昭46)年7月に開港の仙台港が供用開始する以前であり、道路整備が不十分な当時としては釜石製鐵所から仙台地区への鉄鋼製品の輸送手段として、釜石駅 からの専用線を介した車扱輸送を重視していたと想像される。

 また1969年10月、産業振興・仙台営業所は(株)伊藤製鐵所 石巻工場鉄屑納入を開始した。([1] p320)
 ここで伊藤製鐵所の名が出てくるのも、非常に興味深い。仙石線・石巻埠頭駅には、「1970年版 専用線一覧表」では伊藤製鐵所の専用線が存在してお り、南仙台〜石巻埠頭間の貨車による鉄屑輸送を想起させる。 現代的な感覚ではトラックが断然有利な短距離輸送となるが、この当時は例えば塩竈埠頭〜岩沼間で大昭和製紙(株)向けのチップが貨車輸送されていたりもす るので、鉄道輸送にそれほど違和感は無いと言えるかもしれない。

 1970(昭45)年3月に産業振興・仙台営業所は通運事業免許登録を し、また4月1日に釜石事業所から独立して、仙台営業所となった。同年に釜石製鐵所、東北特殊鋼、北越メタル、伊藤製鐵所等に鉄屑を納入開始した。([1] p321)
 鉄屑の納入先として北越メタル(株)があるのが面白い。同社は北長岡駅に専用線を有しており、南仙台〜北長岡間で車扱による鉄屑輸送があったのかもしれない。

 1974(昭49)年5月に仙台営業所は吾嬬製鋼、藤沢製鋼に鉄屑の納入開始し、同年11月に岩沼ヤードを開設(鉄屑の集荷、処理加工)した。([1] p323)
 吾嬬製鋼、藤沢製鋼は、現在のJFEスチール(株)、JFE条鋼(株)に繋がる電炉メーカーだが、こちらは貨車輸送とはあまり関係は無さそうだ。岩沼 ヤードの所在地は不明だが、中田倉庫のように貨車輸送を前提とした立地では、もはや無いと思われ、吾嬬製鋼や藤沢製鋼への鉄屑輸送は専らトラックだったの であろう。

▼南仙台駅の品目別貨物取扱量(トン)の推移

発   送
到   着

年 度 又は
  総 数
金 属機器
工業品

  その他
  総 数
金 属機器
工業品

  その他
 合 計
1968 (昭43)年度
1,280
-
1,280
5,747
219
5,528
6,808
1969 (昭44)年度
3,574
1,876
1,698
13,309
11,141
2,168
16,883
1970 (昭45)年度
6,063
4,101
1,962
25,372
23,380
1,992
31,435
1971 (昭46)年度
9,239
8,043
1,196
21,418
20,163
1,255
29,402
1972 (昭47)年度
7,916
7,847
69
10,931
10,583
348
18,847
1973 (昭48)年度
5,437
5,419
18
8,365
8,356
9
13,802
1974 (昭49)年度
5,663
5,652
11
4,169
4,053
116
9,832
1975 (昭50)年度
2,541
2,519
22
3,426
3,219
207
5,967
1976 (昭51)年
388
367
21
2,473
2,413
60
2,861
1977 (昭52)年
783
783
-
1,039
1,039
-
1,822
(『仙台市統計書』より作成)

 仙台市が発行する「仙台市統計書」から南仙台駅の貨物取扱量の推移を確かめると、産業振興(株)専用線の栄枯盛衰が伝わってくる。専用線が開設された 1969年度から金属機器工業品の到着量が急増し、1970〜1971年度にかけて年間2万トンを超える到着があった。一方で、同品目の発送は、 1971〜1972年度に年間約8千トンでピークを迎えており、鉄屑の発送も鉄鋼製品の到着の3分の1程度ながら、なかなか多かったと評価できそうであ る。

 しかし先述した通り、1971年には仙台港が開港しており、その影響なのか1972年度から金属機器工業品の到着が急減し始めている。鉄屑の発送は、船 舶よりもトラック輸送の影響が大きそうだが、1975年度には東北自動車道の岩槻IC〜泉IC間が一本に繋がるなど、東北地方の道路整備が急速に進むのだ が、それを反映してか発送量が1975〜1976年にかけて急速に縮小した。また1975年11〜12月にかけて起きた所謂「スト権スト」による国鉄離れ の影響もあるかもしれない。

 別の角度で見ると、1970年には戦後最大級≠ニ言われた富士製鐵と八幡製鐵の合併によって、新日本製鐵(株)が発足したが、粗鋼生産能力的にも主力 は千葉県に建設された最新鋭の君津製鐵所であり、釜石製鐵所の鉄鋼製品を貨車で運ぶことを前提にした中田倉庫の鉄鋼基地は、早晩、時代遅れになっていたと 言えそうである。

 1976(昭51)年11月に産業振興は仙台新港作業所(後の仙台港倉庫)を開設したことにより、中田倉庫はその業務を移管し、鉄屑扱いの拠点として運営することになった。([1] p130、p324)
 鉄鋼基地としての役割を終えたものの、中田倉庫は貨車による鉄屑輸送を当面は残すことを考えていたのかもしれない。取扱量として年間数千トン程度だが、 釜石製鐵所や北越メタルのような道路輸送が不利となり得る遠隔地の納入先もあることから、貨車輸送が必要という考え方も当時としては不思議ではあるまい。

 しかし実際には、すぐにその状況は変化したようで、1977(昭52)年4月、仙台新港作業所は新日本製鐵(株)仙台鋼材ヤードの受け渡し業務を開始 し、同年7月に仙台新港作業所を仙台営業所に統合([1]p324)に続き、1978(昭53)年4月に産業振興・仙台営 業所は、国鉄の合理化に伴う専用線廃止により、通運事業を廃止した。([1]p325)

 専用線による貨物取り扱い廃止時期だが、「仙台市統計書」では1978(昭53)年(※年度では無い)の南仙台駅の貨物 取扱量は0であり、1977年12月までに専用線の使用は終了していた模様だ。そして翌年4月には、取り扱いが皆無になっていた専用線を正式に廃止したと 考えられる。この廃止に至る経緯は、社史の記述からすると、取扱量が激減したため国鉄の方針で専用線廃止になったとも読み取れる。産業振興としては鉄屑輸 送の一部は貨車輸送を継続したかったのかもしれない。



 南仙台駅に敷設された産業振興(株)の専用線は、活躍できたのが10年にも満たない期間であり、年間約3万トン程度の取扱量のピークが2年に過ぎず、そ れ以降は急減していくという数字を見ると、高度経済成長期特有の時代の移り変わりの目まぐるしさ、鉄道貨物輸送の急激な衰退、インフラ整備に伴う船舶やト ラック輸送の台頭、新日鐵・釜石製鐵所の地位低下など、様々な要因が頭をよぎる。

 その一方で南仙台駅周辺は、国道4号仙台バイパスや県道仙台館腰線等の道路整備も相まって宅地化が急速に進み、東北本線のダイヤが改善されたこともあり 南仙台駅は利用客の増加が続いた。

 同駅に産業振興の専用線が開業した1969年の1日当たり乗車人員は1,286人だったのだが、専用線が廃止された1977年は同2,178人と倍近く に増えていた。その10年後、ちょうどJRが発足した1987(昭62)年度に同4,979人にまで倍増しており、その後も増加ペースは落ち着きつつもコ ロナ禍前の2019年には同10,017人に達し、1万人の大台を超えた。コロナ禍で一旦は8,000人強まで落ち込んだが、直近の2023年が 9,518人と再び増加基調にある。南仙台駅の旅客面での重要性は、昭和40年代から格段に増していると言えるだろう。

 そして産業振興の倉庫があった場所だが、実は現在も物流基地として機能しており、Googleマップによると広友ロジックス(株)東北エリアセンターが 立地している。建物は建て替えられ、鉄鋼ヤードでもないので当時の面影は残ってはいないのだが、旅客輸送で成長する駅に接しながら物流拠点がそのまま残っ ているというのが、何とも興味深い。更に言えば、かつて出光興産の専用線のあった場所には、現在も油槽所機能が残り、出光リテール販売(株)東北カンパ ニー仙台配送センターが立地している。旅客輸送の利便性向上に向けた具体的な動きがある南仙台駅において、貨物輸送の残渣が色濃く残っている現状は、同駅 周辺の再開発に向けたポテンシャルがあるとも受け止められる。

 鉄鋼製品の貨車輸送は、専用列車では無い小口の輸送形態では着駅側には専用線を必要としないケースが多かったと思われる。例えば、JRになってからも鉄 鋼製品の車扱輸送による到着があった東三条駅や柏崎駅、新湊駅などでは駅頭荷役が行われていた。しかし南仙台駅では、産業振興が専用線と内陸型鉄鋼ヤード を整備し、その経緯や廃止までの正式な記録が残る稀有な例であると思われ、筆者としては非常に面白いと感じている。更に、これまで情報の殆ど無かった鉄屑 の貨車輸送も、直接的な言及こそ無いものの、輸送体系の大きなヒントが得られ、その観点でも貴重な情報と感じている。

 南仙台駅開業100周年に当たって、改めてこの専用線の存在と魅力を微力ながら世に広めたいと考え、そのことによって現役当時の写真や記録が発掘される ことを勝手に期待していることを表明し、この項を終了したい。


* 註
[1]『産業振興60年社史』産業振興株式会社、1998年

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