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江守商事株式会 社 (南福井駅)
2020.5.24作成開始 2020.5.26公開


江守商事(株)南福井倉庫(物流センター)

1998.3南福井駅 江守商事(株)専用線 既に休止状態と思われる



 南福井駅は、福井駅の客貨分離で生まれた貨物駅だが、歴史は意外と古く1940(S15)年12月に福井操車場として開業したことに始まる。1952 (S27)年12月には駅に格上げされ南福井駅となったが、高度経済成長期に整備された各地の貨物駅と比べると、立地的には中心市街地に近い感があり、周 辺 は福井鉄道の駅や 線路、商業地、住宅地が混在し、いわゆる流通センターのような整然とした雰囲気とは対照的な、何やら混沌とした地域ではある。

 南福井駅には、近年まで現役だったセメント専用線の痕跡があったり、今は撤去されてしまったが数年前までワム車が留置されている味わい深い貨物上屋が 残っていたり、近隣の福井鉄道・花堂駅には専用線跡が レールと共に残存していたりと、結構趣味的な視点でも面白い場所だと思うのだが、地味なイメージがあるせいか、何故かあまり話題に上ることも無いのは残念 だ。

 さて、福井都市圏の内陸油槽所について、国鉄ではなくて、福井鉄道や京福電鉄といった私鉄沿線に多いということは、拙web「貨物取扱駅と荷主」の「西武生駅」においても指摘した通 りだ が、実 際、南福井駅には石油会社の専用線は存在しない。その一方で、近隣の花堂駅には(株)田中油商店の油槽所に専用線があったり、福井駅北側の京福電鉄・福井 口駅に シェル石油(株)専用線があるなど、南福井駅が周辺駅の専用線を集約すべき貨物駅という位置付けで捉えると、中途半端感は否めない。

 とは言っても、南福井駅にはセメントが3社〔敦賀セメント(株)、住友セメント(株)、大阪セメント(株)〕、LPGが1社〔三谷商事(株)〕、化成品 が1社 〔江守商事(株)〕と、石油以外には物資別適合ターミナル的な専用線が充実していた。それら専用線は全て、市街地化が相対的に遅れていた駅の南東方向に固 まって敷 設されており、南福井駅が専用線の面で発展できたのは、その一帯に限られていた。

 今回、第10回「専用線とその輸送」では、その中でも江守商事(株)の専用線に着目してみた。小規模な化成品基地向けの専用線で、同社の社史によって輸 送の一端を垣間見ることができた気がしたため、取り上げることにした。尚、同社は2015(H27)年5月に興和(株)と業務提携し、そ の後、興和グループの完全子会社となり、2020(R2)年4月には興和江守(株)に社名変更されている。




 江守商事(株)は、福井にて1906(M39)年に江守薬店として創業したが、工業薬品商社として成長し、1946(S21)年には江守商店に改称、 1958(S33)年には法人として(株)江守商店が設立された。

 終戦直後の1946年に東亞合成化学工業(株)の特約販売店となり、高岡工場で生産する苛性ソーダ合成塩酸晒粉トリクロロエチレン(トリクレン)など を拡販し、同社の戦後からの復興に貢献したという。([1]p168)

 そして、当時の江守商店の先見性の現れの1つとして、東亞合成化学工業(株)高岡工場からタンク車による直送方式を推進して物流合理化を進め、 1956(S31)年11月 には江守商店・花堂倉庫として各種貯槽を備えた製品基地を開 設し、タンクローリーに中継して製品配送を行ったことが挙げられる。([1]p168、p219)

 ただ「専用線一覧表」を確認すると、昭和39年版で初めて福井鉄道の花堂 駅に (株)江守商店の専用線が現れるため、1956年の花堂倉庫開設当初は、福井鉄道の側線扱いだったのかもしれな い。

 そして、この基地は10数年を経て南福井駅に移転することになり、1970(S45)年10月に南福 井倉庫が新設された。そして、同時にこの時期は、南福井駅に専用線の設置が相次いだ時期でもあった。関係する出来事を下表の通り、纏めてい る。石油系専用線の無かった南福井駅ではあったが、この時期に専用線ターミナル的な地位も、遅ればせながら獲得できたと言えそうだ。

年  月
項    目
1959(S34) 年05月
三谷商事 (株)がLPガスの販売開始同社webサイトよ り)
1964(S39) 年12月
三谷商事 のプロパン基地内に敦賀セメント(株)福井SSが完成([2] p87)
1969(S44) 年11月
住友セメ ント(株)南福井包装所が開設([3]p277)
1970(S45) 年10月
江守商事(株)南福井倉庫(物流センター)完成([1] p221)
花堂倉庫は化成品基地が移転し、花堂加工所に改名
([1] p99‐100)
1971(S46) 年04月
大阪セメ ント(株)南福井SSが開設([3]p280)
1987(S62) 年頃
江守商事(株)南福井倉庫には苛性ソーダ硫酸などのタンクがあり、
東亞合成化学工業(株)は福井地区の拠点として活用している([1] p169)


 上記表にある通り、1987年のJR貨物が発足した頃は、まだ専用線は使用されていた可能性は高そうで、苛性ソーダや硫酸がタンク車で到着していたと考 えら れる。

 一方で東亞合成化学工業は、高岡工場の生産品目は時代とともに変遷している。上記品目を例に挙げると、晒粉は1955(S30)年に製造中止、トリクロロエチレンは1973(S48)年に製造中止、さらに苛性ソーダは1976(S51)年に製造中止となっている。([4] p262、p264)

 一方、硫酸は名古屋工場で製造を続けており、塩酸は高岡工場と徳島工場で生産を行っていた。([4] p262、p263) (※但し塩酸の生産は、現在では徳島工場のみ)

 これら情報を基に考えると、1987年頃の東亞合成からの鉄道貨物輸送は、苛性ソーダが昭和町駅(名古屋工場)からタンク車で到着していたと思われる。一方で、硫酸は 東亞合成は貨車輸送していた形跡が少ない。「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」では、昭和町駅常備の濃硫酸専用タンク車は(株)服部商店所有が 4両のみである。その4両ですら、「昭和60年9月30日現在 私有貨車番号表」では消滅している。もしかすると、この期間に硫酸はタンクローリー輸送に 転換されたのかもしれ ない。

 また硫酸という品目で考えると、福井県という立地から敦賀駅の日本 鉱業(株)や神岡鉱山前駅の神岡鉱業(株)から到着していた可能性も 考えられる。

 想像でも良いので、もう少し輸送体系が複雑かつ多岐に亘ると盛り上がってくるのだが、今のところ、これぐらいの輸送しか語ることができない。専用線の廃 止時期も不明で あり、色々とこの地味な感じがまた南福井駅らしい、ということかもしれない。



* 註
[1]『江守商事八十年史』江守商事株式会社、1987年
[2]『敦 賀セメント二十年史 敦賀工場三十年の歩み』敦賀セメント株式会社、1968年
[3]『セメント年鑑 1995』セメント新聞社、1995年
[4]『東亞合成五十年史』東亞合成株式会社、1995年

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