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喜 多村石油株式会社 (荒木駅)
2017.1.8作成開始 2017.2.12公開
2003.8荒木駅

 鉄道による石油輸送は、日本オイルターミナル(株)を中心とした共同石 油基地や石油元売り会社の油槽所向けが大半だが、全国各地の特約店向けの石油輸送にもタンク車輸送が行われていた。比較的近年まで残っていたこのような輸 送先とし ては、北館林荷扱所:両毛丸善(株)、下館駅:(株)ミツウロコ、辰野駅:(株)豊島屋、守山駅:上原成商事(株)などの各社専用線向けがあり、第1回 「専用線とそ の輸送」で取り上げた西湘貨物駅のダイヤ物産(株)もまたそのような専用線であった。これら専用線は、JR貨物発足後も点在していたのだが、1990年代 後半〜2000年代前半にかけて一気に 姿を消していき、辰野駅の豊島屋向けの輸送だけが、奇跡的にも2009年3月まで残っていたのは記憶に新しい。

 一方、中国・四国以西の西日本における石油輸送は、そもそも内航海運とタンクローリーが古くから主流であり、石油タンク車輸送は西埠頭〜湖山、新南陽〜 益田、鶴崎〜神崎・ 竜田口など極めて限定的な輸送に留まった。これら輸送も1990年代後半までには全廃され、現在、西日本でタンク車による石油輸送を見ることはできない。

 そのため、西日本において特約店などの石油元売り会社以外の油槽所向けの輸送は、より一層珍しく、まさに「専用線とその輸送」で取り上げたい存在であ る。第7回「専用線とその輸送」は、そんな鹿児島本線・荒木駅に専用線を所有していた喜多村石油(株)を取り上げる。


 喜多村石油(株)は、福岡県久留米市に本社を置き、エネオスブランド のガソリンスタンド運営を中心とした石油製品等の販売を主な事業としている。

 資本金7,000万円、2015年度の年商は182億円。創業は1911(明44)年 で、100年以上の歴史を誇る。久留米地区を中心に北九州を除く福岡県下全域、さらに佐賀県、長崎県、大分県、熊本県の一部も営業範囲となっている。

 1985(昭60)年1月現在では、日本石油(株)荒木油槽所が同社の商品寄託油槽所として存在しており([2])、喜多村石油の久留米配送センター が、日石の筑後地区の拠点として機能していたことが窺える。

 九州地方は主要都市の殆どが沿岸部に位置するため、臨海油槽所が多いが、筑後平野には久留米市や佐賀市といった内陸に20万人クラスの都市があり、鉄道 輸送を活用した内陸油槽所が成立したと考えられる。

 尚、筑後平野には長崎本線・神崎駅に三愛石油(株)神崎油槽所の専用線があった。久留米市の南に喜多村石油、西に三愛石油という油槽所立地である。

久留米配送センター[1]

 荒木駅と喜多村石油の沿革は下記の通り。
1910 (明43)年
荒木駅が 開業
1911 (明44)年
久留米市 で喜多村石油店が創業
日本石油(株)の特約店となる
1933 (昭08)年10月
筑邦町荒 木(現 久留米市荒木町)に石油貯蔵所を設置(現 物流セン ター久留米)

1934 (昭09)年4月
荒木油槽 所増設
1936 (昭11)年9月
荒木油槽 所タンク2基増設許可
1950 (昭25)年
(株)喜 多村石油本店に法人化
1962 (昭37)年
喜多村石 油(株)に商号変更
1978 (昭53)年
日本石油 瓦斯(株)(現 ENEOSグローブ(株))の特約店となる
1987 (昭62)年4月
国鉄分割 民営化により九州旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる
1989 (平元)年3月
ダイヤ改 正で荒木駅発着の貨物列車が消滅
2007 (平19)年
物流セン ター久留米を改装
([1]及び喜多村石油 (株)webサイト等より作成)

 荒木駅には、「喜多村禎勇」が契約相手方の専用線が「昭和28年版 専用線一覧表」で確認できる。作業方法:「手押」、作業キロ:0.1km、記事には 「石 油」とある。

 専用線が敷設された当時は、日本石油(株)下松製油所からタンク車や有蓋車で荒木駅に石油類が運ばれていたものと思われる。
 
 高度経済成長期には、九州地方唯一の製油所を擁する九州石油(株)が設立され、同社大分製油所(現、JXエネルギー(株)大分製油所)が1964(昭 39)年4月に営業運転を開始した。
 同製油所には鶴崎駅から専用線が敷設され、九州内の神崎駅(三愛石油)や竜田 口駅(日本石油)等にタンク車による石油輸送を行っていた。荒木駅向けの石油輸送も、下松駅から鶴崎駅に発駅がシフトしたと考えられるが、1989(平元)年3月ダイヤ改正で荒木駅発着の貨物列 車が消滅しており、この時点で喜多村石油の専用線が廃止されたと考えられる。

 一方、1987年に大分自動車道の鳥栖Jct〜朝倉ICが開通、その後も延伸を続け1996年度には全線開通、1999年には福岡都市高速が大宰府IC に直結するなど筑後平野に至る道路事情の改善により、鉄道輸送の優位性が失われただけでなく、内陸油槽所の必要性も薄れていったことは想像に難くない。

 筆者が2003年8月に現地を訪問した際は、石油タンクは無くLPGタンクのみが残っていた。さらに10年後の2013年4月に現地を訪れると、その LPGタンクも無くなり、ドラム缶が多少置かれてはいるものの、石油貯蔵施設としての機能はかなり縮小されてしまったようである。上記年表の2007年に 「物流センター久留米を改装」とあるので、その際にLPGタンクを撤去したと想像される。


2013.4荒木駅

2013.4荒木駅

 大分〜久留米は約150km、福岡〜久留米は約50kmという距離であるので、大 分製油所や大型臨海油槽所が集中する博多港を拠点に、筑後平野の需要家へタンクローリーで直送する方が経済性に優れると判断したのであろう。

 九州内の車扱輸送は、かつては石炭、その後はセメント、石灰石が重きを成したが、地味ながらも石油輸送も行われていた。荒木駅北側の小さな踏切に残る専 用線の痕跡が、そのことを控えめに主張しているように感じられる。



[1]『士魂商才 喜多村石油70年の歩み』1982年、喜多村石油株式会社
[2]『日本石油百年史』1988年、日本石油株式会社

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