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苅田港駅  〜石炭、石灰石、セメント、自動車部品と主力到着品目が流転を続けた貨物駅〜
2015.9.26作成開始 2017.7.1公開
<目次>
はじめに
苅田港駅関連の年表
苅田港駅の概要
苅田港駅の専用 線の推移
石炭輸送
石灰石輸送
セメント輸送
日立金属(株)の輸送
自動車部品輸送
自動車輸送


■はじめに  
 北部九州の代表的な港湾と言えば、関門港や博多港であることは異論を挟まないだろう。両港は外貿コンテナの取扱量が多く、国際拠点港湾に位置付けられ、 数多くの外航・内航の定期コンテナ船が寄港している。一方、同じ福岡 県内には「苅田港」という重要港湾も存在している。定期コンテナ航路は無く、コンテナ埠頭も無いためか、やや地味な印象を持たれがちだが、苅田港には三菱 マテリアル(株)、宇部興産 (株)、麻生セメント(株)といった各セメント会社の主力級の製造拠点や日産自動車(株)九州工場などが立地しており、産業港湾として確固たる地位を占め ている。

 一方、鉄道貨物輸送における同港の拠点として、「苅田港駅」が存在していたのだが、2005年1月をもって貨物列車の運行が中止された。その後もコンテ ナ荷捌所として活用されていたが、その機能も無くなり名実ともに廃止されてしまった。しかし廃止に至るまでの歴史は複雑で、石炭の積み出し港であった苅田 港への貨物線として戦時中に開業、戦後も石炭積み出しの拠点として活躍した。しかしエネルギー革命の進展により、昭和40〜50年代にかけてセメント工場 向け石灰石の到着とセメン ト積み出し拠点へと変化し、更に平成に入りそれらセメント輸送が終焉。一時休止状態を経て自動車部品の到着を主眼としたコンテナ駅へと生まれ変わった。

 福岡や大分両県を中心に北部九州は、日産、トヨタ、ダイハツといった自動車メーカーの生産拠点が相次いで進出し、関連する自動車部品の製造・物流拠点の 新設も活発である。その一翼を担う拠点として苅田港駅は再生したわけだが、結局15年ほどの活躍に止まった。

 苅田港駅がコンテナ取扱駅にリニューアルされたのは、当時の北九州地区の鉄道コンテナ輸送の拠点であった浜小倉駅の構内が狭隘で、取扱量の増加に対応で きないことの救済目的であった。そのため、2002年3月に門司地区に最新鋭設備と広大な敷地を備えた北九州(タ)駅が誕生した時点で、苅田港駅の命運は 決まったと言えよう。

 第15回の「貨物取扱駅と荷主」は、主力取扱品目の流転の果てに営業を終えた薄幸の貨物駅=u苅田港」を取り上げることにする。

2002.8苅田港駅


■苅田港駅関連の年表  
年 月
内 容 (赤字:苅田港駅関連)
1920(大 09).05
豊国セメ ント(株)苅田工場(現、三菱マテリアル(株)九州工場)操業 開始
1938(昭 13)
筑豊炭の 積出港として、苅田港の修築計画が閣議決定
1944(昭 19)
岸壁桟橋 一部竣工し送炭開始
1944 (昭19).09
苅 田港駅(かりたこう えき)として開業
1945 (昭20).05
苅 田港駅廃止、苅田港 事務所(かりたこうじむしょ)開業
1949 (昭24).06
苅 田港事務所廃止、苅 田港駅(かりたこうえき)開業。苅田港線の起点を行橋駅から小波瀬駅に変更
1951(昭 26)
重要港湾 に指定(同年、特定重要港湾に指定)
1956(昭 31)
九州電力 (株)苅田発電所の発電開始
1959 (昭34).10
「か んだこうえき」に 呼称変更
1960 (昭35)
県 営臨港鉄道で石炭輸 送開始
1964(昭 39).06
麻生産業 (株)(現、麻生セメント(株))苅田工場操業開始
1964(昭 39).12
宇部興産 (株)苅田セメント工場操業開始
1968(昭 43)
貿易港と して開港
1969(昭 44)
木材輸入 港の指定
1972(昭 47)
豊鋼材工 業(株)苅田スチールコンビナート(現、苅田工場)本格操業開 始
1973(昭 48)
日産自動 車の進出に合わせて日立金属(株)苅田分工場を建設
1974(昭 49).06
日本セメ ント(株)苅田包装所新設
1975(昭 50)
日産自動 車(株)九州工場一部完成、操業開始
1976(昭 51).11
トピー工 業(株)系列の九州ホイール工業(株)設立
1976 (昭51).12
勾 金駅接続の日本セメ ント(株)香春工場の専用線が開通し勾金〜苅田港間にセメント列車運転開始
1977(昭 52).06
日産自動 車(株)九州工場完成
1978(昭53).02
石原町:東洋セメント(株)〜苅田港:宇部興産(株)に石灰石専用列車1往復新設
苅田港駅到着の石炭輸送廃止
1980(昭 55)
日立金属 (株)戸畑工場が苅田に移転し九州工場に改称
1989 (平元).07
勾 金駅発、苅田港駅着 の日本セメント(株)のセメント列車の輸送終了
1990 (平02).10
苅 田港駅でコンテナ取 扱いを開始。日立金属(株)専用線が新設
2004(平 16).03
香春太平 洋セメント(株)が解散、セメント出荷は麻生セメント(株)に 生産委託
2005 (平17).01
苅 田港駅の貨物列車発 着が廃止。日立金属(株)専用線が廃止
2006(平 18).01
トヨタ自 動車九州(株)苅田工場操業開始(エンジン工場)
2006(平 18).02
東九州自 動車道の北九州JCT - 苅田北九州空港IC間開通
2012(平 24).03
構内での コンテナ取り扱い中止
2016(平 28).10
苅田港線 の廃線により廃駅
『苅 田港要覧 平成27年版』、『セメント年鑑』、『貨物輸送年報』、各社webサイト、Wikipediaを参照)



■苅田港駅の概要  

▼ここにも貨物駅 苅田港駅 部品到着、日に60個 (『JR貨物ニュース』 2004年1月15日号、6面)

 苅田港駅は、日豊線の小波瀬西工大前駅から港方向へ分岐する貨物線の終点にあり、東側2kmには日産自動車(株)九州工場が控えるロケーション。船輸送 の拠点・苅田港と共に、同工場への部品供給基地となっている。2003年には、駅構内にテントハウスの日産部品配送センターや積み替え用の上屋が完成し、 輸送力も1日60個に 拡大して、その役割が増大した。

 発送貨物もまた自動車部品で、専用線の繋がる自動車部品メーカーには毎日コンテナ 車4両編成列車が入り、工場構内で発送コンテナを貨車に積載して戻ってくる。それに加えて自動車部品用の通い函回送も重要な仕事。テントハ ウス横に設けた上屋は、空いた通い函を仮り置きするスペースに利用している。

 自動車部品用の通い函は返送時も畳んだりしないものが多いので、往路と同じ容積。鉄道コンテナは、これら容器回送に「積み付け用品割引」を効かせること ができるので、往復運賃が有利になる。

 2002(平14)年度の同駅実績は、発送22,575トン到着13,180トン。しかし駅は2003年に大きく様変わりした。到着だけで も1日8個弱から60個へと一気に増えた。しかも4万平方メートルを切る構内に倉庫や上屋ができたので、構内動線も変えざるを得ない。集配トラックの走 行・駐車スペースを確保しながらコンテナ荷役するため、時間がかかる。

2006.3苅田港駅

 苅田港駅でコンテナ取り扱いを開始した当初は、今後の取扱量の増加によっては、二期工事への拡大も予定=i[1]p37)しているとのことだったが、 このような自動車部品の増強が行われてから、僅か1年強で苅田港駅の貨物列車発着が廃止された。

 この突然の廃止にはいささか驚かされたが、2003年当時はそのような廃止の 見通しもなく、設備投資を行ったのであろうか。JR貨物の場当たり的な営業姿勢を疑ってしまう出来事であった…。



■苅田港駅の専用線の推移  
専  用 者
第 三者利用者
総 延長
キロ

S58
S50
S45
S42
S39
S36
備   考
上田鉱業 (株)
山一運輸 (株)
古河鉱業(株)
三井鉱山(株)
日豊石炭販売(株)
0.8
×
×




S45: 一部使用休止
山一運輸(株):S42〜S36
福岡県

2.6






公共臨港 線
福岡県
三井鉱山 (株)
(株)上組
0.3






三井鉱山 (株)は真荷主
三井鉱山 (株)
(株)上 組
0.3






国鉄側線
日本セメ ント(株)
末広海運 (株)
2.4






専用貨車 に限る
九州電力 (株)
九州火力 工業(株)
日本通運(株)
材 料線1.7
石炭線1.9
×
×




九州火力 工業(株)は真荷主
日豊石炭 販売(株)
国土産業 (株)
三井鉱山(株)
九州商運(株)
0.1






国土産業 (株)は真荷主:S58〜S50
三井鉱山(株)、九州商運(株)は真荷主:S45〜S36
国土産業 (株)
日産自動 車(株)九州工場
苅田港海陸運送(株)
0.2






一部国鉄 側線
日産自動車(株)九州工場は真荷主、S58のみ
専用者は九州商運(株):S42〜S36 アッシュ線:S39〜S36
麻生セメ ント(株)

6.4
×






九州電力 (株)
九州火力 工業(株)
3.5





発電線に 接続
九州火力工業(株)は真荷主、S50のみ
専用者は西日本共同火力(株):S45〜S39
宇部興産 (株)
(株)上 組
2.6







○:存在 △:使用休止 ×:記載無し −:未開通



■石炭輸送  
 
▼荷受人別石炭卸数量

三  井
上  田
港  運
九  電
そ の他
合  計
1972 年度
457,922
5,016
17,356
187,057
4,276
671,627
1973 年度
82,681
1,082
23,397
189,076
2,460
298,876
1974 年度
49,035

23,832
166,929
2,427
242,223
1975 年度
33,274

4,044
110,584
2,023
149,925
1976 年度
10,113

6,053
61,571
1,802
79,539
1977 年度
16,231

3,978


20,209
(『貨物輸送年報』門司鉄道管理局より作成)

 苅田港駅の石炭輸送は、行橋駅から分岐する田川線(現、平成筑豊鉄道)を経由して運ばれてくるものがメインであったようだ。
 
 1953(昭28)年当時のダイヤでは、伊田、西添田、豊前川崎、後藤寺の各駅から1日7本の石炭列車が苅田港駅に到着していた。このうち、伊田発の2 本、西添田、豊前川崎発の各1本は、(急)マークを表示したセム、セムフ30両編成を使用したピストン輸送の石炭列車だった。([1]p37)

 「1970(昭45)年版 専用線一覧表」によると、筑豊炭田の主な専用線は下記の通りであった。
 豊前川崎駅:川崎炭業(株)、上田鉱業(株)、鯰田(筑豊本線):三菱高島炭礦(株)、飯塚駅:住友石炭鉱業(株)、筑前宮田・菅牟田(宮田線):貝島 炭礦(株)、白井(上山田線):新明治鉱業(株)、上山田:上山田炭礦(株)

 「1975(昭50)年版 専用線一覧表」によると、上記専用線のうち、豊前川崎駅:川崎炭業(株)、筑前宮田・菅牟田(宮田線):貝島炭礦(株)が残 るのみである。尚、菅牟田駅は1977(昭52)年7月に廃止された。



■石灰石輸送  

荷  主
発  駅
着  駅
1980 年度
1981 年度
住友セメ ント(株)
石原町
苅田港
171,240 トン
155,130 トン
(『貨物輸送年報』門司鉄道管理局より作成)

荷  主
発  駅
着  駅
1980 年度
1981 年度
三井鉱山 (株)
船尾
苅田港 374,498 トン
270,859 トン
(『貨物輸送年報』門司鉄道管理局より作成)

 石原町・船尾〜苅田港で行われていた石灰石輸送は、麻生セメント(株)苅 田工場が着荷主と思われる。『セメント年鑑』(セメント新聞社)によると、麻生セメント(株)の石灰石の購入先として、三井鉱山(株)と住 友セメント(株)が挙げられている。この輸送は、1980年代初頭時点で年間40〜50万トン程度の量があったが、苅田港駅の麻生セメント(株)の専用線 は、「1983(昭58)年版 専用線一覧表」では消滅しており、この頃に石灰石輸送は、鉄道からトラックに転換されたものと思われる。



荷  主
発  駅
着  駅
1980 年度
1981 年度
日鐵鉱業 (株)
船尾
苅田港
173,060 トン
166,658 トン
(『貨物輸送年報』門司鉄道管理局より作成)

 日鐵鉱業(株)船尾鉱業所は、八幡製鉄所向け石灰石供給を主目的に開発された鉱山だが、海送石灰石に切り替えられたため1978(昭53)年度以降、鉄 鋼向け石灰石が皆無となったために新日本製鐵化学工業(株)及び宇部興産 (株)苅田工場などセメント向けに増販・新規需要の開拓に努め、大幅減産を避けてきた。
(『四十年史』日鐵鉱業株式会社、1979年、p371-373)

 苅田港の宇部興産(株)苅田セメント工場は、1964(昭39)年に操業を開始しているが、「専用線一覧表」の苅田港駅にその名が現れるのは、1983 (昭58)年版からである。日鐵鉱業(株)からの石灰石輸送の開始によって専用線が敷設されたものと思われる。



■セメント輸送  

 三菱マテリアル(株)、宇部興産(株)、麻生セメント(株)の計3社の巨大なセメント工場が集積する苅田港であるが、苅田港駅からタンク車やホッパ車等 のセメント専用貨車による発 送は行われなかったようで、苅田港駅常備のセメント専用貨車は過去ずっと存在しなかった模様である。そもそも三菱マテリアル(株)(※専用 鉄道が存在したのは豊国セメント(株)時代である)は、苅田駅を拠点としていたし、苅田港駅に専用線のあった宇部興産(株)と麻生セメン ト(株)は、上述の通り専ら原料の石灰石の到着に鉄道輸送を活用したのみのようだ。(ワム車による袋詰セメント輸送はあったかもしれない)

 しかし、昭和50年代に入ると、日本セメント(株)によってタンク車による新たなセメントの到着が始まったのである。

荷  主
発  駅
着  駅
1980 年度
1981 年度
日本セメ ント(株)
勾金
苅田港
589,878 トン
621,148 トン
(『貨物輸送年報』門司鉄道管理局より作成)

 日本セ メント(株)は、第1次石油ショック後の1975(昭50)年 10月、集中生産方式への転換の一環として、香春工場に同社で最大生産能力を有する7号キルンが完成した。これにより香春工場は既存の6号キルンと合わ せ、日産1万トンの大規模工場となった。

 出荷面では、従来香春工場から門司、小倉両包装所にいったん出荷し、そこからタンカー積を行ってい たが、生産量の増加によりこれでは追いつかなくなり、新規の船積み基地が必要となった。そのため、苅田包装所を開設し、 香春工場〜苅田包装所間をピストン 列車で結ぶ計画を立案した。

 休止していた国鉄線を復活して香春工場から勾金駅まで引き出し、そこから田川線、 日豊線を経由して苅田港に至る最短ルートを設定したが、1日当たり最大2,400トン(筆者註:40トン積貨車60両に相当)の セメントが運ばれるため、 沿線住民との折衝並びに国鉄当局とのダイヤ設定交渉は難航した。しかし、この輸送が成立しなけれ ば日本セメント最大の新鋭キルンも能力半減となることは明らかであったので、九州支店、香春工場の担当者は、懸命の折衝を重ねた。

 その結果、1976(昭51)年12月、無事開通の運びとなった。これにより香春工場は、内陸部に位置しながらも門司、小倉、苅田と3カ所の船積み包装 所と直結し、海岸工場同 様の機能を持つ工場となった。

(『百年史』日本セメント株式会社、1983年、p443-444)

 セメント専用列車は、勾金〜苅田港間に3往復設定され、1976年12月25日に輸送が開始された。(『昭和51年度 貨物輸送年報』門 司鉄道管理局、p83)

 この輸送は、田川線がJR九州から平成筑豊鉄道に転換される直前の1989(平元)年7月9日に廃止された。輸送開始から廃止までセメント専用列車3往 復の設定で あった。尚、日本セメント(株)香春工場は、合併により太平洋セメント(株)香春工場となった後、生産規模縮小により2000(平12)年12月に香春太 平洋セメント(株)として分社化。2004(平16)年3月末をもってセメント生産を中止、同社は解散となった。

 セメント内需の減少という市場環境の中 で、最終的には内陸工場という立地の不利さを克服することができなかったと言えよう。



■日立金属(株)の輸送  

▼10月以降、専用線から コンテナ輸送量も増加 日立金属九州工場  (1990年6月18日付『運輸タイムズ』3面)

 日立金属(株)九州工場は1990年10月以降、苅田港駅分岐の専用線から製品のコンテナ輸送を開始し、現在浜小倉駅からの輸送より数量を増やす計画。

 今秋、JR貨物が苅田港駅でコンテナ取り扱いを開始するのに合わせて専用 線を敷設、同線からの輸送に切り替えるもの。
 同工場は昨年から関東向けの自動車部品の一部を船舶、トラックからコンテナに移し現在、1カ月に約350個のコンテナで宇都宮(タ)、越谷(タ)その他 の駅に輸送している。

 10月以降の輸送量は、地元運送事業者等との絡みではっきりしていないが、浜小倉駅からの出荷より増える見込みで、輸送先も中部地区などへ拡大する。コ ンテナによる輸送量を増やすのは、顧客の小ロット・多頻度納入の要請に、スピードがあり発着時間が明確なコンテナ輸送で対応する。

 現在、主力送り先の宇都宮(タ)駅では駅頭でコンテナから製品を取り出し、顧客へ必要量をトラックで納入しており、保管スペース削減効果を挙げている。
 自動車部品は鋳造品を中心に各種あり、専用ボックスパレットに詰めて、12ftコンテナに6パレット積んでいる。

 JR貨物発足後に新設された専用線は稀有な存在であり、コンテナ扱いをする専用線となると尚更である。
 著名なものとして2008(平20)年7月に完成した焼島駅の北越紀州製紙(株)専用線が挙げられるが、これは車扱からコンテナ輸送への転換に伴う移設 による新設であり、純粋な新設とは異なる。そういった点では、苅田港駅の日立金属(株)の専用線は、まさに新設であったのだが、苅田港駅と命運を共にし て、 2005(平17)年1月に廃止されてしまった。

 新設から15年間の活用に止まったわけだが、苅田港駅のコンテナ取り扱いは北九州(タ)駅に統合されるのはやむを得ないと理解する一方で、この専用線が 廃止 に追い込まれたのは残念であった。

発  駅
発 荷主
品  目
着  駅
着 荷主
コ ンテナ
目  撃・備 考
苅田港
日立金属 (株)
部品
宇都宮 (タ)
日産
C36
2001.12 熱田駅 着荷主は日産自動車(株)栃木工場か?
苅田港
日立金属 (株)
部品
越谷 (タ)
熊谷
JRコン テナ
1997.3 稲沢駅 着荷主は日立金属(株)熊谷工場か?


2002.8日立金属(株)専用線

2006.3撤去された日立金属(株)専用線



■自動車部品輸送  
 日産自動車(株)は、関東地方に生産拠点が集中していたが、それに次ぐ生産拠点として九州工場を苅田港に新設した。一部操業開始は1975年4月であ る。同工場と苅田港駅の縁は深く、操業 開始直後から鉄道貨物輸送を利用したようだ。

 国鉄時代には、コンテナ輸送ではなくて、苅田港〜相模貨物間で「ワキ5000形」を用いて自動車エンジン輸送を行っていた。10数種類のエンジンを固定 積載できる特殊パレットを用い て遠隔地工場間の往復輸送を行っていた。(『貨物』1981年5月号、目次)

  おそらく九州工場と今は無き座間工場の間の工場間輸送が行われていたものと思われる。

 モノフォトショップ添田カメラのwebサイトに1981年 当時の苅田港駅の貴 重な写真が多数掲載されている。その写真の中にワキ車の入れ替えも含まれており、自動車部品輸送用のワキであろう。



2006.3苅田港駅
▼日産自動車(株) 年2万トンの部品を鉄道で
 苅田港駅をJIT輸送の緩衝材に (『JR貨物ニュー ス』2004年1月15日号、1面)

 九州工場向けの部品は全国13駅から発送して、主に苅田港駅に着けている。1台の車を生産するのに必要な部品は2,000を超える。九州工場では1日に 4回のタクトを組んで、約2,000台を生産しているが、4回分を一気に工場へ運ぶと広大な置き場が必要になる。

 そこでJR貨物は本輸送に備え、苅田港駅構内に到着した部品を置くテントハウス倉庫2棟と上屋1棟を新設。九州工場には同倉庫から必要な時間に必要な部 品だけを、持っていくことにした。

 11月には苅田港駅着の輸送力も増強され、50〜65個のコンテナが各地から部品を載せて届くようになった。

 今のところ鉄道コンテナでミルクラン方式の集荷はしておらず、1コンテナに1社の部品が載ってくる。だが数品目の数次納入分をまとめて積載する時、仕分 けしやすいように納入回別に積むか、積載効率を重視して積むかは、作業性とコスト見合い。苅田港駅の倉庫で仕分け業務を担当している日本通運(株)が判断 している。

 苅田港駅の貨物列車発着廃止後も暫くは、日本通運(株)が日産向けの鉄道コンテナの荷捌所として利用していたようで、2006年3月時点ではコンテナが 多数置かれていた。
 しかし、2017年7月現在、Google Mapやストリートビューを見る限りテントハウスこそ残るが、日本通運(株)の拠点では無くなり、別の運送会社が使っているようだ。鉄道コンテナの姿も見 当たらない。


▼九州向け自動車部品をカーフェリーから転換 (株)東京精鍛工所 六日町工場  (1994年2月28日付『運輸タイムズ』5面)

 (株)東京精鍛工所六日町工場(新潟県六日町)は昨年8月、関東へトラック輸送してカーフェリーで九州へ送っていた自動車部品を、鉄道コンテナ輸送に切 り替えた。週2便のカーフェリー輸送に比べて、コンテナは毎日輸送できるため顧客のニーズに合わせた納品ができ、品質保全(カーフェリーでは海水などによ る腐食の心配がある)にも効果があるほか、関東へのトラック輸送が無くなったため、物流コストが節減された。発駅は南長岡、着駅は苅田港駅であ る。

 (株)東京精鍛工所(本社・千葉県市川市)が六日町工場を新設したのは1976年。同工場が製造する自動車部品の出荷先は関東と九州で、関東向けは全て トラック輸送。九州へは関東へトラックで送り、フェリーで海上輸送していたが、これを昨年8月、鉄道コンテナ輸送に替えた。

 工場からの出荷手段はトラックで変わらないが、関東の港でフェリーに積み替えていた九州向けを、地元の南長岡駅で鉄道に積み替えることにしたが、これに より物流コストが節減された。フェリーの運賃はコンテナに比べて高くはないが、港までのトラック運賃の負担が大きかった。これをコンテナ輸送にしたことで トラック運賃が節減され、トータルの物流コストが安くなった。空パレットの返回送が不要になった分も含めて、九州向けは約30%運賃が軽減した。

 従来は特殊パレット使用後は運賃をかけて返送していたが、これをコンテナ輸送を機に親会社の九州工場が関東へ送っていた製品のコンテナ輸送に使うように したため、管理及び返回送コストが不要になった。ただ、部品の顧客である自動車メーカーが今後、自社指定のパレットに替える計画のため、現在のパレットは 使えなくなり、メーカーのパレット搬入のための運賃が必要になるとみている。

 カーフェリーは週2便運航と便数が少ないため、着地にデポ(営業倉庫)を置いて部品を保管し、顧客の納入指示に対応していたが、安定供給に不安があっ た。しかし、コンテナは毎日輸送できるので、顧客のオーダーに合わせて工場出荷ができ、定時定型輸送なので指定日に確実に届けることができる。緊急オー ダーにはデポ在庫部品を充当する体制をとっているので、顧客への安定供給が一段と強化された。

 鍛造素材部品は錆びやすいので雨水、海水を嫌う。カーフェリーでは海水による錆びのおそれがあるが、気密性の高いコンテナにはその心配がなく、梅雨時は 通風コンテナを使うことで、品質を完全に保持できる。

 同工場は稼働以来、鉄道コンテナ輸送を考えていなかった。しかし、トラック輸送は運転手不足になると運賃値上げが避けらないこと、500kmを超す長距 離輸送はコンテナに運賃メリットがあること、環境問題にも対応できる――などから物流改革に取り込んだ。

 そしてコンテナ輸送で実績のある親会社の九州工場から話を聞き、地方の通運会社を窓口にJR貨物とも折衝し、輸送手段変更に踏み切った。
 (株)東京精鍛工所は、1983(昭58)年に日立金属(株)の連結子会社化。2001(平13)年に社名を(株)セイタンに改称


▼自動車部品の輸送 九州向けを増やす 定時制、低コストで 奥羽自動車部品工業  (1996年3月11日付『運輸タイムズ』3面)

 奥羽自動車部品工業(株)(本社・山形県)は日産系の部品メーカーで、昨年秋から九州向け新車用部品のコンテナ輸送を増やした。山形駅から発送して苅田 港駅へ着けており、日産自動車(株)九州工場が納入先。コンテナ輸送個数を増やしたのは、昨年10月以降で従来の1ケ月120〜150個(平均140個) を170〜180個にした。
 コンテナ利用増について同社では、「新車生産台数の増加に伴い、ユーザーの発注量が右肩上がりに上向いてきたため」と説明している。

 コンテナ輸送しているのは、鉄道の定時性を生かしてジャスト・イン・タイム納品するため。山形駅を発送して苅田港駅に到着するのは4日目の8時。着地で は親会社の桐生機械(株)(本社・群馬県桐生市)の部品専用デポへ配達し、顧客の指定で自動車製造ラインへ納入している。拠点間をコンテナ輸送すること は、物流コストの削減にもなり、顧客の値下げ要請に対応できることになる。

 苅田港駅に着けるようになったのは、昨年の10月から。それ以前は浜小倉駅着だった。浜小倉駅は3日目朝着で苅田港駅は1日多くかかるが、配達距離が近 いので、輸送個数を増やしたのは機に着駅を変更した。

 コンテナ輸送しているのは、自動車の足回りに使用するブレーキドラム。専用のボックス型パレット(11型)に直接積んでおり、コンテナ1個に6パレット 積み。使用後はコンテナで回収している。回収の便を図るため昨夏から折り畳み式に切り替え、10月に全面的に切り替えた。これにより積載量は約3倍に増え た。

 なお、同社はJR貨物に対して、@山形駅を10トンコンテナ取扱駅にすること A輸送を効率化するためにJR貨物が10トンコンテナを保有し、荷主へ提 供すること B鉄道運賃の割引率を引き上げること C雨水などが入らない、整備の行き届いたコンテナで集配すること――などを注文している。
 奥羽自動車部品工業(株)は1973(昭48)年に設立。現在は(株)キリウ山形


 (株) ユニシアいわきは、自動車エンジンのバルブタイミングコントロールシステム(VTC)や各種センサー、サスペンションを製造している。
 鉄道コンテナはサスペンションを小 名浜駅から九州の日産自動車と広島のマツダに運ぶために長距離輸送手段に利用している。コンテナの利用は、苅田港行き が平均1日3.5個、広島(タ)行きが同2.5個である。

 九州と広島への輸送リードタイムを72時間で見ているが、自動車メーカー側では発注リードタイムをさらに縮小する動きがある。リードタイムを60時間以 下にしなければならなくなった時、現状のダイヤでは鉄道が使えなくなるため、改善して欲しいとのことである。

(『JR貨物ニュース』2002年4月15日号、3面)


 関東各 地や静岡にある部品メーカー10社(曙ブレーキなど)を対象に、ト ラックで回収したコンテナを越谷 (タ)駅西浜松駅に 持ち込み、苅田港駅まで鉄道で輸送する。苅田港駅内には専用の保管場 所が設けられており、そこから日産自動車九州工場までJIT方式で部品を多数回納入する。1日当たりの輸送量は5トンコンテナで約50個。これは国内部品総取引額の約3%、重量ベースで約0.5%に相当する とのこと。

(2006年2月28日付『カーゴニュース』p31-32)
※西浜松駅の発送は、苅田港駅構内で目撃されたコンテナから(株)リズムと思われる。


 上記を含む自動車部品輸送の概要を纏めると以下の通り。
発  駅
発 荷主
品  目
着  駅
着 荷主
コ ンテナ
目  撃・備 考
山形
奥羽自動 車部品工業(株)
ブレーキ ドラム
苅田港
日産自動 車(株)
九州工場
JRコン テナ
1995 年10月以降、170〜180個/月輸送
小名浜
(株)ユ ニシアいわき
サスペン ション
苅田港

JRコン テナ 3.5個 /日
南長岡
(株)東 京精鍛工所
六日町工場
鍛造素材 部品
苅田港

JRコン テナ
1993 年8月、フェリーから鉄道コンテナに転換
熊谷 (タ)
日立金属 (株)
熊谷工場
アルミホ イール
苅田港

JRコン テナ
1990 年11月輸送開始(『運輸タイムズ』1990年12月3日、2面
『Monthlyかもつ』1991年3月号、p13)

越谷 (タ)
曙ブレー キ工業(株)
自動車部 品
苅田港

JRコン テナ

西浜松
(株)リ ズム
自動車部 品
苅田港

JRコン テナ

苅田港
日産自動 車(株)
九州工場
クランク シャフト
苫小牧
いすゞ自 動車(株)
苫小牧工場
18Dコ ンテナ
返回送特 殊パレットも鉄道コンテナ輸送
(『運輸タイムズ』1996年2月19日、3面)


2006.3苅田港駅


■自動車輸送  

2009.11宇都宮(タ)駅
  1991(平3)年10月に登場した日産自動車の「カーパック」(U41A-9500番台)コンテナは、同社九州工場と栃木工場との間で、新車の乗 用車を往復輸送する。
 コキ車1両にカーパックが3個積まれ、1日当たり3両、乗用車18両が発着している。苅田港からは、シルビア、パルサーが発送され、宇都宮(タ)駅から はセドリック、シーマなどが到着している。([1]p37)

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▼カーパックNo.2始動 (『運輸タイムズ』1997 年1月20日付、2面)
 1997(平9)年1月20日、宇都宮ターミナル運輸(株)は苅田港〜新潟(タ)、苅田港〜金沢駅の2ルートで日産陸送(株)の新規完成車輸送を開始す る。同社は、本輸送のため宇都宮(タ)〜苅田港間で完成車輸送に運用している日産カーパックを一部改造して北陸ルートのトンネル限界に合う高さ4,100 oの「カーパックNo.2」(U38A形式)を開発。

 新規ルートは土日を除く毎日3個ずつ(完成車6台)、夏季休暇等を除き年間240日の輸送計画である。「カーパックNo.2」は今回全部で33個製造し ており、両ルートとも1回転5日の運用である。

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 「カーパックNo.2」の新潟(タ)着は短期間で終わり、1998(平10)2月より需要の多い秋田貨物着に変更され、U38Aは13個増備された。 ([2]p20、p24)

 このようにカーパック≠ヘ、苅田港駅を彩る独特なコンテナとして異彩を放ったわけだが、2000年代に入ると日産自動車(株)の工場再編等もあり、 カーパックの運用はかなり減ってしまったとのことで、苅田港駅廃止の頃には同駅発着では殆ど運用がされていなかった模様。その後、宇都宮(タ)〜横浜本牧 間を中心に運用されていたカーパックだが、日産自動車の輸出港が横浜港から常陸那珂港に変更されたため、全て廃棄されてしまった。




[1]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻139号、1995年
[2]渡辺 一策「日本海物流の新しい流れ」『鉄道ダイヤ情報』通巻第203号、2001年

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