株
式会社東京液体化成品センター 【設立】 昭和42年8月11日 【本社】 東京都千代田区三崎町3−1−1 高橋セーフビル 【資本金】 4億2,000万円 【売上構成(%)】 化学薬品の輸送とタンク管理80、苛性ソーダ・濃硫酸の販売20 【沿革】 昭和42年8月 資本金1億4,000万円で液状の化学工業薬品の通運会社として設立。 【業績】 1994年3月期 営業収入 708百万円 当期利益 7百万円 1998年3月期 営業収入 508百万円 当期利益 ▲156百万円 【主要取引先】 (荷主)日産化学、三井物産、住友化学、関東電化、東亞合成 【大株主】(株主数22名・98.3現在) JR貨物 420,000 日産化学 157,730 三井物産 60,000 宇部興産 31,220 呉羽化学 20,696 花王 20,556 (『1999年版 会社総鑑(下巻)<未上場会社版>』日本経済新聞社、1999年、p5163参照) |
▼
「越中島基地」の必要性 (『運輸と経済』第27巻第10号、1967年) 京浜葉地区における液状化学工業品の鉄道輸送による到着状況は、年々需要の増大に伴い輸送量も増加の傾向にある。しかし、到着したもののうち約40%は 直接大量消費工場へ専用線により入場、収納されるので問題は少ないのであるが、残りの60%は、駅頭タンクを経由し、または貨車から直卸しされ、タンク ローリーによる配送を行うといった複雑な形態をとっているので、輸送、荷役面において改善されなければならない種々の問題を含んでいる。 まず第1は、各荷主ごとにそれぞれ別の場所で荷役作業を行っているため、用地及び中継施設への投資が増大することである。 第2は、鉄道輸送に利用される私有タンク車の回転率が一般貨車と比較して極めて低く、輸送量の増加に伴って私有貨車に対する荷主側の投資が負担となるこ とである。 第3は、駅頭における硝酸、硫酸等危険品の荷役作業が、保安、公害の面からして従来の設備では十分ではなく、合理的荷役にほど遠いことである。 第4は、国鉄貨物駅の設備改良、輸送体系の改善から、貨物取扱駅を集約化する過程で駅頭荷役の場が少なくなってきていることである。 これらの諸問題を解決するためにも、集約着基地の設置を必要とし、需要地への経済的な距離及び国鉄の提供可能用地を考慮して、総武線越中島駅隣接用地に 建設することとした。 <越中島基地の概要> *規模及び施設 ・用地 約1万5千平方m ・側線 約900m ・タンク 52基 主なものは、希硝酸10基、濃硝酸9基、苛性ソーダ、フタル酸ジブチル各4基等である。 ・その他設備 ローリー充填場、ボイラー、小分け設備等 この基地を利用することにより、荷主は集約管理された荷役方式により取扱経費が従来より軽減されるであろうし、輸送及び荷役のスピードアップにより私有 貨車の回転率向上も期待できる。また、特殊な事例であるが、花王 石鹸、日本化学等の会 社は東京の工場に専用側線をもたないが、基地を利用することによって、十分にタンク車の有利性を活用できることなども挙げるこ とができよ う。国鉄としても、一定の資金によりその数倍にのぼる施設の建設ができ、鉄道輸送面のサービス向上による輸送量の増加がはかられ、ひいては集約輸送による 輸送経費の低減が期待できる。 <株式会社東京液体化成品センター誕生> *出資者及び出資額 ・基地利用荷主 6千万円 日産化学工業(株) チッソ(株) 花王石鹸(株) 日本水素工業(株) 宇部興産(株) 信越化学工業(株) 住友化学工業(株) 日本カーバ イト工業(株) 呉羽 化学工業(株) 三菱化成工業(株) 東邦亜鉛(株) 日本化学工業(株) ダイセル(株) (株)浦野商店 同和興産(株) 東曹産業(株) ・国鉄 8千万円 *建設費 タンク その他設備費 3億3千万円 *取扱数量 1968年度の取扱数量は約12万5千トンであって、伸び率を年間8.5%と推定し、1972年度では約20万トンを見込んでいる。 *取扱品種 現在のところでは苛性ソーダ、希硝酸、濃硝酸、クロルスルホン酸、アンモニア水、珪酸ソーダ、二硫化炭素、塩酸、酢酸エチル等19品目で あるが、増設余地が十分にあるので、今後さらに品種的にも増加することが想定されている。 *営業開始時期 各利用荷主とも早期取扱の希望が強いため、国鉄関係工事をはじめ監督官庁の免許等の手続きを完了したうえ、1968年3月を目途に営業を開始する予定で ある。 液体化学工業品の輸送改善の計画は、その第一歩を踏み出したのであるが、この越中島基地の設立をもってすべてが完了したとはもちろん考えていない。 1965年に大阪安治川口に設立された化成品輸送株式会社も国鉄が投資こそしていないが、後援してきたものである。越中島基地の欠点として、船舶との連絡がないとの批判が一部にあるが、 この点については、今後の 問題として更に検討を続けていきたい考えている。 (日本国有鉄道貨物営業局工業品課長) |
年
度 |
1968 |
1969 |
1970 |
1975 |
1980 |
1985 |
1986 |
1987 |
1990 |
1995 |
鉄道入荷
量 |
84 |
149 |
189 |
160 |
172 |
94 |
92 |
84 |
93 |
67 |
時
期 |
タ
ンク 基数 |
能
力 |
取
扱 品 目 |
備
考 |
1968
年の設立当時 |
50
基 |
6,501t |
希硝酸
10基、濃硝酸9基、 苛性ソーダ、フタル酸ジブチル各4基など |
『運輸と
経済』昭和42年10月号及び 『貨物鉄道百三十年史(中巻)』p437 |
1969
年9月増強 |
65
基 |
6,700t |
不
明 |
『昭和
44年度 鉄道貨物輸送概況』p7 |
1975
年3月現在 |
68
基 |
7,000t |
硫酸、希 硝酸、苛性ソーダ、 珪酸ソーダ、液体アンモニアなど | 『化学工
業年鑑 昭和51年版』p34 |
1990
年頃 |
46
基 |
6,100t |
不
明 |
『'90
貨物時刻表』同社広告 |
1997
年(移転直前) |
28
基 |
不
明 |
塩酸、硝
酸、硫酸、液体アンモニアなど |
鈴木康弘
氏のwebサイト「東京液体化成
品センター」 |
荷
主 |
発
駅 |
品
名 |
貨
車 |
備
考 |
旭化成工
業(株) |
富士 |
希硝酸 |
タム
2100形 |
|
宇部興産
(株) |
宇部港 |
希硝酸 |
タキ
10700形 |
1997
年移転時まで輸送存続? |
呉羽化学
工業(株) |
勿来 |
塩酸 苛性ソーダ液 |
タム
5100形 タキ2600形・タキ4200形 タキ7750形 |
1997
年移転時まで輸送存続? 1997年移転時まで輸送存続? |
昭和工業
(株) |
守山 |
二硫化炭
素 |
タム
5900形・タキ5100形 |
宇島駅臨
時常備の表記あり。 |
新日本製
鐵(株)広畑製鐵所 |
飾磨 |
ベンゾー
ル |
タム
3250形 |
飾磨駅は
1986年11月1日廃止。 |
新日本製
鐵化学(株) |
西八幡 |
粗製メチ
ルナフタリン |
タサ
1050形 |
|
住友化学
工業(株) |
桜島 |
濃硝酸 |
タキ
29000形(JOT) |
|
ダイセル
化学工業(株) |
新井 |
酢酸エチ
ル 無水酢酸 |
不明 不明 |
|
電気化学
工業(株) |
青海 |
苛性ソー
ダ液 |
タム
3900形 |
1997 年移転時まで輸送存続? |
東邦亜鉛
(株) |
安中 |
濃硫酸及
び発煙硫酸 |
タキ
4000形(蔵町工業) |
1997 年移転時まで輸送存続? |
東北東
ソー化学(株) |
酒田港 |
苛性ソー
ダ液 |
不明 |
1997 年移転時まで輸送存続? |
東洋化成
工業(株) |
五分市 |
二硫化炭
素 |
タム
200形 |
福井鉄道
南越線は1981年4月廃止。 |
同和鉱業
(株) |
小坂 |
濃硫酸 |
不明 |
|
日産化学
工業(株) |
速星 |
液化アン
モニア 希硝酸 濃硝酸 |
不明 タキ8100形 タキ7500形・タキ10450形 |
1997
年移転後はタンクコンテナ化。 1997年移転後はタンクコンテナ化。 |
日本カー
バイド工業(株) |
魚津 |
苛性ソー
ダ液 |
タキ
2800形 |
◇日本
カーバイド工業は、液状苛性ソーダのストックポイントとして、1962年4月に東京都 江戸川区平井に60トン1基、1964年10月 40トン1基のタンクを設置した。 (『日本カーバイド工業株式会社30年史』p126) ◇「昭和39年版専用線一覧表」によると平井駅には日東硫曹(第三者:日東 薬品仲継) の専用線あり。平井駅の貨物廃止後に東京液体化成品センターへ移転か? |
日本化成
(株) |
宮下 |
尿素樹脂
接着剤 ホルマリン |
タム
3700形 タム3050形(内外輸送) |
1997年移転時まで輸送存続? |
日本鉱業
(株) |
日立 |
濃硫酸 |
タキ
300形 |
|
日本曹達
(株) |
二本木 |
苛性ソー
ダ液 |
不明 |
1997 年移転時まで輸送存続? |
古河鉱業
(株) |
足尾 |
濃硫酸 |
タキ
300形 |
足尾線は
1987年に貨物営業廃止。 |
三井東圧
化学(株) |
茂原 |
液化アン
モニア |
タサ
4100形 |
|
三菱化成
工業(株) |
黒崎 |
クロール
スルホン酸 |
タキ
8200形(JOT) |
![]() 1997.10越中島貨物駅 (株)東京液体化成品センター 東京営業所 |
![]() 1997.10越中島貨物駅 (株)東京液体化成品センター 東京営業所 |
![]() 1997.10越中島貨物駅 (株)東京液体化成品センター 東京営業所 |
![]() 1997.10越中島貨物駅 (株)東京液体化成品センター 東京営業所 |
時
期 |
タ
ンク 基数 |
能
力 |
取
扱 品 目 |
備
考 |
1997
年10月(移転時) |
16
基 |
1,705t |
苛性カ
リ、濃硝酸、希硝酸、液体アンモニア、 アンモニア水、クロルスルホン酸 |
鈴木康弘 氏のwebサイト「東京液体化成 品センター」 |
2005
年頃 |
16
基 |
1,700t |
不
明 |
『'05
貨物時刻表』同社広告 |
2012
年頃 |
14
基 |
1,515t |
不 明 | 『'12
貨物時刻表』同社広告 |
![]() 2003.8川崎営業所 |
![]() 2009.5川崎営業所 |
▼東京液体化成品センター 名古屋営業所の化成品輸送 コンテナに切り替え サービス向上で顧
客開拓 (2000年9月13日付『交通新聞』3面) JR貨物グループの東京液体化成品センターは、1970年代の営業開始時から続けてきた名古屋営業所のタンク貨車による化成品搬入を本年度いっぱいで取 りやめ、来年4月からISOタイプのタンクコンテナ利用に切り替える。現在は貨物専用の西名港線が、4年後をめどに旅客線化されるのに先行した輸送手段変 更で、JR貨物が進める1車貸切の車扱からコンテナへのシフトにも沿った取り組み。コンテナ輸送は列車速度がアップするほか、需要の波動にきめ細かく対応 できるなどのメリットを備えており、同社では荷主企業に利用促進を働き掛ける構え。鉄道貨物輸送の利用促進に繋がる試みとして、JR貨物も大きな期待を寄 せている。 同社は1967(昭42)年、旧国鉄(現JR貨物)を中心に大手化学工業品メーカーなどが共同出資し、国鉄の物資別ターミナル構想に沿って設立。名古 屋営業所は72年、JR名古屋駅から10キロほど南方の名古屋港西側(名古屋市港区)に開設され、塩酸、硝酸、硫酸といった工業用薬品を年間約13万トン取り扱う。瀬戸内や北陸地区のメーカーで生産さ れた化成品類は、それまで一般の貨物列車でバラバラに運ばれていたが、消費地に保管と出荷基地の役目を果たす営業所を設けて一括輸送。そこからタンクロー リーに積み替えるスタイルで、物流効率化に欠かせない役割を果たしてきた。 製品搬入には鉄道のほか、貨物船、ローリーの3手段が使用され、このうち鉄道は名古屋から南に延びる西名港線経由でタンク貨車を直接営業所まで乗り入れ ている。しかし、同線の旅客線化で貨車の直行は不可能になるため、同社では一昨年からプロジェクトチームを組んで準備に掛かり、近く工事に着手するところ までこぎ着けた。 計画によると来春のコンテナ化後は西名港線名古屋貨物ターミナル駅まで鉄道で輸送した後、トラックに積み替えて営業所に搬入。これに伴い、荷受け(揚 液)方法変更が必要になるため、取り卸し場や検重用のトラックスケール新設などが工事の柱になる。車扱からコンテナへの変更で、大きく変わるのが輸送ス ピード。車扱貨車は最高でも時速75キロしか出せないが、JR貨物がISOコンテナ用に増備を進める新鋭のコキ200形貨車は特急並みの110キロで走 れ、回転率はアップして輸送効率は大幅に向上。また、1車35トン積みの車扱貨車に対し、1個当たり20トンの化成品を積載できるコンテナの方が、需要の波動にきめ細かく対応できるのも見逃せないメリットだ。 東京液体化成品センターでは、こうした競争力強化を武器に新たな荷主企業に利用を働き掛ける構えで、600トンの貯蔵用タンクも需要増に備えて新設する。 同社では既に3年前、同様のプロジェクトを東京営業所の川崎市臨海部への移転時に成功させており、今回もそうしたノウハウを活用する。「当社の取り扱う 化成品は保管規制が厳しくなっていて、そうした点を考えれば名古屋営業所をご利用戴く可能性はまだ十分にあるはず。工事を無事故でスケジュール通り進める とともに、荷主企業にメリットをアピールする中から、自社とJR貨物の利用促進につなげたい」と陣頭指揮を執る水谷忠男常務。 |
時
期 |
タ
ンク基数 |
能
力 |
取
扱 品 目 |
備
考 |
1968
年の設立当時 |
15
基 |
9,480t |
不
明 |
『貨物鉄
道百三十年史(中巻)』p437 |
1975
年3月現在 |
9
基 |
7,000t |
硫酸、苛 性ソーダなど7品目 | 『化学工
業年鑑 昭和51年版』p34 |
1990
年頃 |
15
基 |
9,500t |
不
明 |
『'90
貨物時刻表』同社広告 |
2005
年頃 |
15
基 |
9,500t |
不
明 |
『'05
貨物時刻表』同社広告 |
2012
年頃 |
12
基 |
9,280t |
不
明 |
『'12
貨物時刻表』同社広告 |
![]() 1995.1名古屋営業所 |
![]() 2007.2名古屋営業所 |
関
西化成品輸送株式会社 【設立】 昭和40年4月1日 【本社】 大阪府此花区島屋6−1−135 【資本金】 1億8,000万円 【売上構成(%)】 化成品事業55、車両事業30、桜島事業11、鉄道事業3、不動産事業1 【沿革】 昭和40年4月資本金5,000万円で液体化成品輸送叶ン立。同55年4月現商号に変更。 【業績】 1994年3月期 営業収入1,617百万円 当期利益24百万円 1998年3月期 営業収入1,624百万円 当期利益29百万円 【主要取引先】 (荷主)旭硝子、ダイソー、旭化成、日本オキシラン、ダイセル化学、日本硫炭工業、日本触媒、チッソ、日産化学、日本曹達、東亞合成、東北東ソー 【大株主】(株主数6名、98.3現在) JR貨物 144,000 辰巳商会 126,000 日本運輸倉庫36,000 日本通運 18,000 東急車輛 18,000 川崎重工 18,000 (『1999年版 会社総鑑(下巻)<未上場会社版>』日本経済新聞社、1999年、p5092参照) |
▼
安治川口駅における液体化学薬品の中継基地について (『貨物』第16巻第8号、1966年) 安治川口駅 は、液体化学薬品の消費地域に所在し、立地的に好条件であり、同駅には従来安治川から陸揚される石炭の中継を行うための貯炭場があり、これが殆ど遊休化の 状態であったため、その活用を図ることとして、国鉄はここに液体化学薬品の中継施設を設けることとした。1965年4月、この中継施設におけるタンク設備 の建設、運営を行う会社として、液体化成品輸送株式会社を設立した。同会社は、当該用地について、国鉄から使用承認をうけ、1966年3月16日、一部荷 主のタンク設備の建設を終わり完工式を開催するに至った。 液体化学薬品の鉄道輸送の比重は約40%(1963年度)と 推定されるが、その殆どがタンク車によって輸送されており、主に生産工場の専用線から大口需要家の専用線へ、或いは中継施設をもつ専用線あてに行われてい る。大阪府を中心としての液体化学薬品の流動は、発送18品目(月間4万トン)、到着22品目(月間3万5千トン)で、硫酸の約2万トンを筆頭に苛性ソーダ、塩酸、ホルマリン、メタノール、塩素、硝酸となっている。地域別流動をみると、発送では関東、中部、四国、山 陽の順で、到着では四国、信越、北陸、山 陽の順となっており、駅別の輸送量では、安治川口、浪速、淀川、桜島の順で、概ね大阪臨港地帯に集中している。 安治川口のこの中継基地には、化学薬品の種類に応じたタンク施設を設置し、タンク貨車よりパイプにより受け入れ、市内消費者へ配送、或いは船舶よりパイ プで受け入れ、内陸へタンク貨車により輸送することとする。 <中継基地の概要> (1)敷地 安治川口駅構内西貯炭場約8,800平方m (2)線路設備 旧石炭1・2番線(約600m) 国鉄は専用の貨物取扱線として提供 (3)専用岸壁 約300m 水深約5.5m 1,500重量トン船着岸可能 繋船ピット5基 (4)タンク及び付帯施設 荷主の要望に応じた薬品別タンク及び付帯施設を建設する。現在完成しているタンク施設。 ・酢酸ビニールモノマ 90キロリットル 2基 ・氷酢酸 500キロリットル 1基 (5)取扱量 将来年間20万トンの取扱を計画 (6)輸送方法 本基地に対する輸送方法としては、関東方面行き貨車は鉄鋼及び液体薬品列車として吹田操パスで、北陸方面行きはコークス及び液体薬品列車として吹田操パス で、関東方面発のものは新鶴見発安治川口行きの列車により、北陸方面発のものは、富山操発安治川口行きの列車により輸送する計画である。 |
▼
液体化学薬品の鉄道輸送近代化 液体化成品輸送株式会社 (『運輸と経済』第28巻第1号、1968年) 当社は、もともと石炭荷役をしていた関係上、安治川に沿った東西300mの繋船可能岸壁と、これに並行して有効長300mと200mの専用線をもち、船車 中継基地として、海陸輸送の接点に最適地であることが強みとなっている。とはいえ、当初は駅構内の線路群間に挟まれているためその基地整備には2線またが りの踏切道を合わせて延長250mの専用通路、線路を横断して各160mの架空動力線と水道管の引き込み等、国鉄当局の絶大なる支援と協力を得、1965 年12月最初のタンク2基の建設を終わり、一応の体制が整ったため翌1966年1月から営業を開始した。その後、引き続き事務所の建設とタンクの増設を進 め、現在タンク7基を数えるが、更に1968年3月末までに6基を加え、計13基のタンク群となり、なお引き続きタンクの建設を急ぎ、最終的には20数基 のタンク群にする予定である。 取扱品目は現在、酢ビ、酢酸、メタノール、サルファン、ナルケンで、更に硫酸、塩酸な ど4品目を追加する計画を進めてい る。 取り扱っている液体化学薬品の輸送ルートは、主としてタンク貨車で北陸、関東、九州地方発安治川口駅着のものと、関東から船で安治川まで来たものを、安治 川口駅からタンク貨車で発送しており、取扱量は月間3,500トンに及んでいる。関西地区のユーザーにはタンク貨車、タンクローリーで送り届け、小口はド ラム缶詰にしてトラックで運搬している。上記の輸送ルートは、いずれも北陸、関東方面への輸送力の強化を図るため安治川口駅−富山操および新鶴見操間の快 速貨物列車を設定し、輸送時間は短縮され、タンク貨車の運用効率を約30%も上げるなど着々と実績を上げて荷主から大変喜ばれた。 |
▼液体化成品輸送株式会社 (『創業五十年
史』株式会社辰巳商会、1970年、
p338-340) 液体化成品輸送(株)は昭和40年4月、辰巳商会、日本運輸倉庫、日本通運、帝国車両(現東急車輌製造)、川崎車両(現川崎重工業)各社の共同出資に よって 設立された。出資比率は辰巳商会40%、日本運輸倉庫30%、日本通運、東急車輌製造、川崎重工業各10%である。液体化成品輸送は、大阪鉄道管理局長の 斡旋によって生まれたもので、国鉄安治川口駅構内7,000平方メートルの貯炭場跡地に液体化成品の流通センターを設け、鉄道輸送と中継基地の運用を一元 的に行うものである。辰巳商会からは代表取締役社長、常務取締役、取締役が就任した。液体化成品輸送の設立経過は次の通りである。 国鉄安治川口駅は戦前から九州、四国との船車中継駅として、石炭の集積基地であったが、昭和30年以降のエネルギー革命により、石炭の需要が激減して、 構内7,000平方メートルの貯炭場が遊休地となった。大阪鉄道管理局はこの土地をどう活用するかについて、市場調査を行い検討した結果、39年9月「大 阪を中心とする液体薬品類の流動状況の分析と基地設置について」の資料がまとまった。液体化学薬品の輸送量が増えてきたのに、国鉄のタンク車をどの駅に着 けるか、危険品でもありメーカーも鉄道側も頭を痛めているとき、水陸輸送の接点であり広い用地を持つ安治川口駅の貯炭場を、液体薬品の中継基地として再出 発させることは最適である、と大鉄局の意見が決まった。これはまた、国鉄貨物営業の基本方針である物資別輸送体系を整備確立する点からも、最良の方法で あった。 次に、この基地の運営形態をどうするか、という点に検討が加えられた。国鉄で直営するわけにはいかぬため、安治川口駅 で実績のある液体薬品仲継(株)を中心に新しい会社を設立する案が出たが、同社が踏み切らず、話は辰 巳商会に回ってきた。39年10月 だった。 辰巳商会で引き受けるかどうか、慎重に検討した。戦後、当社で出資した会社は2、3あるが、成功率は低く、新会社の前途は難しいとの消極論も出た。しか し、当社には福崎基地の経験もあり、運営の自信はある。この際、国鉄の要請を容れて前向きに取り組んでみようということになった。準備委員が市場調査を始 め、国鉄側の資料も参考にした。大鉄局も乗り気で協力を惜しまず、広い用地が使えるという魅力も大きい。新会社設立へのお膳立てが着々と進んだ。こうして 40年4月、辰巳商会を中心として液体化成品輸送の発足となった。 設立後の1年間は用地、専用線の整備、石炭専用クレーンの撤去、進入道路の新設などと併行して、電気化学、チッソ両社のタンク建設を進め、一部営業開始 にこぎつけたのは41年3月であった。この間国鉄は40年10月の列車時刻改正にあたり、安治川口〜新鶴見、安治川口〜富山間に快速貨物列車を新設して、 液体化成品の輸送に力を入れた。その後、利用各社のタンクが相次いで完成し、44年12月末現在、液体化成品輸送のタンク施設は次の16基となった。
|
所
名 |
基
数 |
能
力 |
品
目 |
液体化成
品輸送 |
20基 |
3,880kl |
酢酸ビニ
ルモノマー、メタノール、無水酢酸、アルキルベンゼン、 パークロルエチレン、塩酸、濃硫酸、ジメチルホルムアマイドなど |
▼二硫化炭素 FMC法の生産技術のライセンスを受けて共同設立された日本硫炭工業(株)は大分の昭電工場内に生産工場を建設、操業を開始したが、全国市場をを視野に入れ て物流拠点 を探していたが、安治川口駅の関西化成品輸送内に 基地適地が見付かり1980年に設置を決定、専用タンク2基(1,500t)、貨物積み込み設備、専用桟 橋を 建設、1981年2月に完成した。 (出典:『四国化成五十年史』四国化成工業株式会社社史編纂室、1997年) 二硫化炭素のタンク車(タキ5100形、11000形)は、1990年代末期は四国化成工業(株)、東洋化成工業(株)、東レ・ファインケミカル (株)、日本陸運産 業(株)の各社が所有していたが、2000年代に入ると日本硫炭工業(株)所有に統一されていったようである。最後まで残った安治川口〜美濃赤坂間の二硫 化炭素の タンク車輸送は2007年3月頃に廃止になったようだが、日本硫炭工業のタキは2011年8月現在も関西化成品輸送内の専用線に留置されたままになってい る。 ![]() コンテナ化はタンク車輸送が廃止になる前から開始さ れており、コンテナは関西化成品輸送が所有している。 安治川口〜郡山(タ)・仙台(タ)の運用でタンクコンテナ 輸送が開始されたようだが、二本木〜安治川口間で行われていた二硫化炭素のタキ輸送の廃止に伴い日本曹達(株)二本木工場製造の二硫化炭素は黒井〜安治川口間の運用でコンテナ化された模様。 詳細は、拙web「私有コ ンテナ総覧」のUT7C-5010を 参照。 ![]() |
▼関西化成品輸送が危険物複合取扱所 来月末本社敷地に完成 (2006年2月
24日付『化学工業日報』10面) 輸入コンテナなど 小分け業務の拠点に 関西化成品輸送は、液体危険物の移し替え目的にした複合取扱所を3月末に完成する。主にISOコンテナで持ち込まれた液体化学品をタンクローリー、 IBC(中型複合容器)、ドラム缶、ポリエチレン缶などに小分けして、関西地区を中心にした化学品ユーザーの要望した荷姿で納入する。本社内の敷地を整備 して建設中で、投資額は1億数千万円になる。 建設中の危険物複合取扱所は一般化学品から毒劇物、危険物第四類一石油類まで幅広い工業薬品を対象にISOコンテナ、IBC、ドラム缶、ポリ缶、タンク ローリー、タンク貨車間の移し替えが行える。この施設では10キロリットルタンクを3基設置することで、持ち込まれた容器を留めることなく、直ちに返却で きることで物流合理化が図れる。 また貯蔵タンクには保温及び加温、ISOコンテナとドラム缶は加温設備を持っており、凝固点の高い化学品や常温では粘度の高い化学品の加温作業などが可 能になる。 危険物複合取扱所は、小型容器から大型容器への移し替えも行うが、主体は海外を中心にISOコンテナで持ち込まれた化学品のタンクローリーやドラム缶な ど小型容器への小分け業務になるとして重点的に営業活動を展開する。 また同社は、大阪市が計画した此花西部臨海地区に新規に緑地や道路を建設する土地区画整理事業の対象になっていた自社敷地の一部が大阪市の区画整理計画 の縮小によって、その対象外となったため、新たに同地に危険物立体倉庫を建設する方針を固めた。配合・希釈など物流加工設備の充実を図り、関西地区を基盤 に受注活動を強化する方針。 |
大日本インキ化学工業、三菱商事 、JR
貨物
が共同で敦賀市に化学品のタンク基地を建設する。JR貨物が所有する土地に、総容量1万キロリットルの備蓄能力を持つタンクを設置する。
日本には20弱の大型化学品タンク基地があるが、日本海側には1カ所も無かった。韓国、中国、台湾などからトルエン、フェノールなどを輸入するための基地
として活用する。3社が均等出資して92年に設立した敦賀ターミナル準備社(東京・千代田)が事業主体となる。 計画では17,000平方メートルの土地に、容量1,000〜2,500キロリットルのタンクを6〜7基建設する。来秋の操業を目指す。運営のノウハウ は三菱商事が提供する。将来的には基地を拡大する計画。 貯蔵する化学品は、トルエン、フェノール、メタノール、スチレンモノマーなど。主に韓国、台湾から輸入する。関西、中京地区の化学企業に供給するほか、 一部は石川県美川町にある大日本インキの美川工場にも供給する。美川工場はこれまで主要原料を国内の石油化学基地から調達していたが、敦賀のタンク基地を 活用し、 安価な輸入原料を調達できるようになる。 (1994年2月25日『日経産業新聞』17面) |
年
月 |
事
項 |
1992年11月 |
3社によるF/Sの為のパイロットカンパ
ニー「敦賀ターミナル準備(株)」
を設立 |
1994年10月 |
準備会社から事業会社への移行により社名変
更登記 |
1996年02月 |
工事着工 |
1996年04月 |
本社を福井県敦賀市金ヶ崎町22-1へ移転 |
1996年12月 | 工事完成(タンク7基) |
1997年01月 |
営業開始(国土交通省登録営業倉庫許可) |
2000年03月 |
タンク2基増設 |
2005年03月 |
タンク2基増設 |
所名 | タンク基数 | 貯蔵能力 | 桟橋能力 | 取扱品目など備考 |
敦賀ターミナル | 11基 | 18,399kl |
3,000DWT -10m |
トルエン、フェノール、メタノール、スチレンモノマーなど。 主に韓国、台湾から輸入する。 |
所 名 |
専
用線 所管駅 |
概 要 |
|
大
宮事業所 |
日
進駅 |
1967(昭42)年4月には日本ゼオンの要請に基づいて大
宮 事業所(大宮市大成町4-884)が開設された。3,125m2の広さ をもつ大宮事業所は関東地区における塩化ビニール樹脂の バルク(粉体)輸送センターとして位置付けられており、我が国 で最大規模の塩化ビニール樹脂貯蔵タンクが設置さ れた。構 内には三和倉庫で初めて貨物の専用側線が引き込まれてい たので、鉄道によって荷主と直結した輸送体制をとることがで きた。 大宮事業所が建設された場所は日進駅のほぼ500mの至近 距離にあり、国道16号、17号など幹線道路を通じて関東一円 の需要家との配送に便利だった。この土地はもともと日進駅が バルク製品や液状製品の基地として活用することを予 定してい たことでも分かるように、ストックポイントとして非常に優れて いた。 日本ゼオンから委託された作業は同社高岡工場から専用貨 車で運ばれてきた塩化ビニール樹脂粉末をいったん側線際の 大型貯蔵タンク(サイロ)で保管した後、専用タンクローリー車 に積み替えて需要家へ配送することである。このため専用貨車 から塩化ビニール樹脂を取り出す装置(エアースライド)、貯蔵 タンク(250t3基)、サイロへの空気圧送装置、サイロからの搬 出装置などがあった。 1967年10月には、日本曹達のポリプロピレングリコール用タ ンク2基(100m3、200m3)が、1970(昭45)年には250t型塩化 ビニール樹脂用サイロ1基が建設された。 日本パーオキサイドから受託した過酸化水素保管用貯蔵タン ク(50t)と純水製造設備も建設された。その後、過酸化水素の 希釈作業、貨物自動車運送も始められた。1971年夏には敷地 面積1万m2、合計倉庫面積3,500m2、塩化ビニール用サイロ4 基(530t)、ポリプロピレングリコール貯蔵タンク2基、過酸化水 素タンク3基、タンクローリー11台の規模を持つ総合的物流基 地となった。 しかし、1984(昭59)年に川越線の複線化工事が始まったこと で、引込線部分を国鉄に返還したので、引込線を利用すること によって機能していた塩化ビニール用サイロを撤去した。塩化 ビニール用サイロの跡地には普通倉庫が建設された。 (『三和倉庫50年史』2000年、p39-40) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p39) ![]() 2006.6三和倉庫(株)埼玉事業所 |
鐘ヶ
淵倉庫 |
鐘ヶ
淵駅 |
1954(昭29)年2月に東武鉄道鐘ヶ淵駅構内に鐘ヶ淵倉庫 (東京都墨田区墨田町3番地)が開設された。 鐘ヶ淵倉庫は東武鉄道から100坪を借地して化学工業薬品 400tを保管した。液状苛性ソーダ用タンク1基と製品検査 室が 置かれた。日本曹達が資金を出してタンクを建設し、運用と管 理は三和倉庫が担当することになった。東武鉄道側の了承を 得て、1955(昭30)年10月に倉庫の建設が完了した。 (『三和倉庫50年史』2000年、p13-14) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p13) |
中
央倉庫 |
(業平橋駅) |
1960(昭35)年12月に三和倉庫初の本格的倉庫として 中央倉庫(東京都墨田区押上1丁目)の建設に着手、竣工は 1961(昭36)年10月であった。 中央倉庫最大の利点は、東武鉄道業平橋構内の貨物側線 に面して立地されたことであった。従来の業平橋倉庫は線路 を横切って貨物を運搬していたが、倉庫の線路側に面した壁 にプラットホームが設置されたので、東武鉄道の貨車から直 接倉庫内に貨物を搬入できるようになり、作業能率は格段に 向上した。 (『三和倉庫50年史』2000年、p20) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p20) |
川
崎事業所 |
安善駅 |
川崎事
業所(川崎市川崎区白石町4-3)は1975(昭50)年 6月、三和倉庫と関連の深い農林中央金庫の斡旋によって、 日魯漁業から一括購入して営業を開始した。東京湾を目前に し、かつ横浜と東京という巨大消費地の中間点にある川崎市 に輸出入の拠点倉庫を保有することは営業戦略上も大きな メリットがあると判断して、購入することになったものである。 国鉄鶴見線の安善駅の近くに立地しており、専用線も引き 込まれていたので、当初は日本曹達高岡工場から輸送されて きた貨車を直接所内に引き入れて、荷扱いすることができ、 この専用線の利用は昭和60年代に入るまで継続した。 (『三和倉庫50年史』2000年、p42) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p42) |
名
古屋荷扱所 |
(大高駅) |
1957(昭32)年7月、愛知県知多郡大高町の東海道本線 大高駅構内に名古屋荷扱所を開設した。名古屋荷扱所は日 本曹達が液状化学製品の配送ターミナルとして建設したもの で、液状苛性ソーダを保管する貯槽タンク(貯蔵能力70t) を備 えていた。名古屋荷扱所は日本曹達の所有になるものである が、三和倉庫は荷扱い(配送)業務と設備管理業務の一切を 日本曹達から受託した。 尚、名古屋荷扱所は中京地区における苛性ソーダ需要の 急増に対応するために建設された。 (『三和倉庫50年史』2000年、p17-18) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p17) |
桃
山荷扱所 |
(桃山駅) |
拙
web「貨物取扱駅と荷主」の桃山駅の 三和倉庫鰍フ苛性 ソーダ輸送を参照。 |
|
淀
川荷扱所 |
淀川駅 |
1961(昭36)年2月に国鉄淀川駅構内に淀川荷扱所を開 設した。淀川荷扱所は日本曹達大阪支店の液状化学製品配 送ターミナルである。三和倉庫は化学製品貯蔵タンクの管理 と荷役に関する業務を受託したものである。 淀川荷扱所は国鉄淀川駅内に設置されていたが、同駅が 国鉄の合理化によって廃止されたのに伴い、1982(昭和57) 年11月に閉鎖された。 (『三和倉庫50年史』2000年、p24-25) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p24) |
糸
崎荷扱所 |
− |
1964(昭39)年10月に糸崎荷扱所(広島県三原市糸崎)を 開設した。糸崎荷扱所は日曹油化糸崎貯蔵所の液状化学製 品配送ターミナルである。三和倉庫は化学製品貯蔵タンクの 管理と荷役に関する業務を受託したものである。 糸崎荷扱所には800tクラスのタンクが2基あった。 日曹油化の四日市工場、五井工場から運搬されてきたエチ レングリコールを貯蔵しておき、指定書類に基づ いて顧客の 工場に出荷する業務である。 (『三和倉庫50年史』2000年、p24-25) |
![]() (『三和倉庫50年史』2000年、p24) |
2002.1 ↑この通路は専用線跡地と 思われる |
2009.1 小振りだが各種タンクがず らりと並ぶ |
2009.1 タンクローリーが多数 |
2009.1 ISOタンクコンテナも多い |
有機錫脂 肪酸エステル(ローリー有り) | メタノー ル | 38%亜 硝酸ソーダ | 36%亜 硝酸ソーダ | 亜硝酸 ソーダ | ノルマル ヘキサン |
ホルマリ ン(JOTのISOコンテナ有り) | アクリル ニトリル | 希硝酸 | アニリン | メルトラ クタム | VAE |
品
目 |
形
式 |
常
備 両数 |
備 考 |
石油類「ガソリンを除く」 |
タキ1500 |
1 |
|
メタノール |
タム3700 |
1 |
|
〃 |
タキ5200 |
1 |
|
液体肥料 |
タキ6000 |
1 |
|
希硝酸 |
タキ10700 |
4 |
越中島駅・西名古屋港駅の(株)東京液体化成品センター向けに運用された。 |
濃硝酸 |
タキ10450 |
1 |
|
〃 |
タキ7500 |
1 |
|
〃 |
タキ29000 |
14 |
|
加硫促進剤水溶液 | タキ20800 |
1 |
奥野谷浜駅に運用。日本合成ゴム(株)向け輸送と思われる。 |
基
地名 |
事 項 |
|||||||||||||||
安
治川仲継所 |
1956(昭
31)年09月 安治川仲継所竣工 2001(平13)年 廃止 日明仲継基地からケミカルタンカーで塩素などが到着していたと 思われる。廃止後はどうなったのであろうか? ダイソーは関西化成品輸送(株)を利用しているので、そこに統合 された可能性がありそう。 |
![]() |
||||||||||||||
三
島流通基地 |
1957(昭
32)年05月【大曹商事(株)】三島流通基地竣工 現在はダイソーケミカル(株)三島基地 所在地:四国中央市三島宮川1丁目字神之先2329 |
![]() |
||||||||||||||
日
明仲継基地 |
1956(昭
31)年07月【小倉工場】日明仲継基地竣工 |
![]() |
||||||||||||||
大
門仲継基地 |
1954(昭
29)年01月【小倉工場】大門仲継基地竣工 1955(昭30)年11月【小倉工場】大門仲継基地増強 九州電力(株)より借用中の側線の権利買収 1957(昭32)年08月【小倉工場】大門仲継基地拡張 1997(平09)年 廃止 ▼「昭和58年版 専用線一覧表」より
|
![]() |
所
名 |
タンク基数 |
貯蔵能力 |
取
扱
品目 |
備
考 |
川崎総合油槽所 |
66基 |
141,090kl |
石油、化学品、動物油脂 |
現在アルコール取扱 |
名古屋 〃 |
45基 |
139,640kl |
石油、化学品 |
現在化学品基地 |
神戸 〃 |
71基 |
115,105kl |
石油、化学品、油脂 |
|
〃 〃 |
8基 |
62,200t |
LPG |
現在三液輸入基地 |
鹿島 〃 |
15基 |
103,200kl |
化学品 |
|
室蘭 〃 |
12基 |
8,020kl |
化学品、石油 |
|
堺 〃 |
14基 |
12,900kl |
化学品 |
|
鹿川 〃 |
29基 |
603,030kl |
石油類、化学品 |
現在アルコール取扱 |
市原 〃 |
29基 |
21,000kl |
化学品 |
|
1975(昭50)年3月現在 |
事
業所名 |
所
在地 |
専
用線 |
備
考 |
室蘭事業所 |
北海道室蘭市港北町 |
本輪西駅 に専用線 |
![]() 夕方と言うこともあって、荒涼とした風景が広がっていた…。 |
市原事業所 |
市原市八幡海岸通74番地1 |
− |
2008年3月に辰巳商会に売却し、ティー・エム・ターミナル鰍設
立。 【タンク設備】 基数:計27基、総容量:19,563KL(最少タンク37KL〜最大タンク2,396KL) |
川崎事業所 |
川崎市川崎区千鳥町9番1号 | − |
アルコール販売事業・輸入事業の営業
所名簿に載っている。(物産・商事) 隣接地にある桟橋を活用、 配管の増設と延伸で1,000トン級の内航船の入出荷が行えるようにした。 【タンク設備】 基数:計42基、総容量:114,186KL(最少タンク31KL〜最大タンク18,040KL) |
名古屋事業所 |
名古屋市港区潮見町37番地16 | 汐見町駅 に専用線 |
拙web「貨物取扱駅と荷主」の汐見町駅のエム・シー・ターミナルを参
照。 辰巳商会に売却、2002年11月に同社の名古屋ケミカルターミナル開設。 【タンク設備】 基数:計45基、総容量:100,197KL(最少タンク10KL〜最大タンク14,350KL) |
神戸事業所 |
神戸市東灘区御影浜町6番地 | − |
三菱液化ガスの輸入基地あり。(2001年11月現在の三液のwebサ
イトより) 2008年3月に辰巳商会に売却し、ティー・エム・ターミナル鰍設立。 【タンク設備】 <石油・化学品用> 基数:計60基、総容量:107,267KL(最少タンク20KL〜最大タンク9,900KL) <LPG用> 基数:8基、総容量:62,200トン |
鹿川事業所 |
広島県佐伯郡能美町大字鹿川字大矢 | − |
アルコール販売事業・輸入事業の営業
所名簿に載っている。(物産・商事) 2008年10月、エム・シー・ターミナル(株)鹿川事業所から吸収分割され、鹿川ターミナル(株)として 新しくスタートを切った。総容量約76万キロリットルの原重油タンクを保有する石油物流会社である。 |
▼三菱商事 タンクターミナルを再整備 中国・アジア積極投資
室蘭・名古屋は整理川崎では配管など増強 (2003年1月8日付『化学工業日報』9面)
三菱商事は、タンクターミナル事業で国内外基地の再整備を進めるとともに、昨春から取り込んだタンカー用船業務に基づいて液体貨物の一貫物流に本格的に 取り組む。国内では室蘭、名古屋両事業所を整理する一方で、海外では中国・張家港(江蘇省)でモノエチレングリコール(MEG)などのタンク増強を実施、 また寧波(折江省)やインドネシア・ジャカルタでの新規投資、台湾・高雄、タイ・バンコクでの都市再開発計画による見直しを行う。 三菱商事は国内外にタンクターミナルを運営している。近年、化学業界の海外生産シフトなどに対応を求められていることから、国内では室蘭事業所を閉鎖、 すでに更地化し、また名古屋事業所についても昨年10月に売却した。一方で川崎事業所では隣接地にある桟橋を活用、配管の増設と延伸で一千トン級の内航船 の入出荷が行えるようにした。 なお同社ターミナル室は昨年4月からタンカー用船業務を引き継いだが、今後ケミカル品など液体貨物の一貫物流いわゆる3PL事業の展開を本格化する。 |
所 名 |
立
地 |
タ
ンク 基数 |
タ
ンク 能力(kl) |
取扱品
目 |
備 考 |
品川油槽所 |
22基 |
6,700 |
化学品 |
||
市川油槽所 |
15基 |
17,000 |
化学品 |
||
川崎油槽所 | 2基 |
3,500 |
化学品 |
||
横浜油槽所 |
3基 |
2,800 |
化学品 |
||
清水油槽所 |
袖 師 |
7基 |
26,500 |
化学品 |
カナダからメタノールの輸入のために専用タンク整備 |
名古屋油槽所 |
潮見町 |
11基 |
6,150 |
化学品 |
名古屋臨海鉄道・汐見町駅の開業時(1965年度)の荷主及び専用線に三井物産(株)があり、主な扱い品
名は 「重油、軽油、灯油、揮発油」であった。専用線は、1976(昭51)年度に廃止された。 (『15年のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年、p56・p89) |
大阪油槽所 |
19基 |
8,110 |
化学品 |
||
和歌山油槽所 |
3基 |
2,200 |
化学品 |
||
神戸油槽所 |
3基 |
2,600 |
化学品 |
||
福岡油槽所 |
3基 |
700 |
化学品 |
||
1975(昭50)年3月現在 |
事業所名 | 所在地 |
タンク 基数 |
タンク容量 (KL) |
桟橋能力 (DWT) |
備 考 |
名古屋油槽所 | 名古屋市港区潮見町37-7 | 28基 | 39,439 | 5,000 | アルコール販売事業・輸入事業の営業所名簿に載っている。(物産・商事) 2008年8月、日本ヴォパック(株)に売却。 |
門司油槽所 | 北九州市門司区瀬戸町2-1 | 19基 | 46,280 | 33,000 | アルコール販売事業・輸入事業の営業所名簿に載っている。(物産・商事) 2008年8月、日本ヴォパック(株)に売却。 |
小倉油槽所 | 北九州市小倉北区西港町97-2 | 8基 | 7,405 | 1,480 |
分 類 | 500KL未満 | 500〜1,000KL未満 | 1,000KL以上 | 計 |
名古屋 |
2基
|
12基
|
14基
|
28基
|
門司 |
5基
|
9基
|
5基
|
19基
|
小倉 |
1基
|
7基
|
0
|
8基
|
社
名
所名 |
立
地 |
タンク基
数 |
貯蔵能力 |
取
扱 品 目 |
備
考 |
北港油槽所 |
大阪北港 |
13基 |
46,000kl |
石油 |
|
32基 |
19,000kl |
化学品 |
|||
5基 |
1,500kl |
LPG |
|||
京葉ケミカルタンク基地 |
14基 |
8,000kl |
BTX、EDC等の化学品 |
||
1975(昭50)年3月現在 |
▼1993
年9月30日付『
日経産業新聞』18面 住友商事は国内所有唯一の石油・石油化学製品基 地の北港油槽所(大阪市)を分社化。全額出資で設立の「北港油槽所」に業務を移した。石油保管用タンク10基全部を石油製品用に改造中。11月中には完了 する予定。保管能力は2万キロリットルから3万キロリットルに向上する。 |
所
名 |
タン
ク基数 |
能
力 |
取 扱 品 目 |
備
考 |
丸紅 川崎油槽所 |
16基 |
8,050kl |
アルコール類、芳香族、 ケトン類、グリコール類 |
|
丸紅 堺油槽所 |
2基 |
4,000kl |
芳香族 |
|
神港ケミカルタンク(神戸) |
32基 |
17,710kl |
アルコール類、エステル類、 塩素系溶剤、グリコール類 |
|
東海ケミカルタンク(名古屋) |
15基 |
3,680kl |
〃 |
|
神港ケミカルタンク(坂出) |
4基 |
450kl |
無機薬品 |
「昭和58年版 専用線一覧表」に国鉄・坂出港駅に丸紅(株)坂出油槽所の専用線あり |
博多ケミカルタンク |
9基 |
2,700kl |
アルコール類、ケトン類 |
|
1975(昭50)
年3月現在 |
創
立 |
1967
(昭和42)年9月 |
資
本金 |
4.9億
円 |
株
主 |
丸紅
(株)55% 丸紅ケミックス(株)29% 西村(株)12% その他2社4% |
年
商 |
10億円 |
社
名
所名 |
立 地 |
タンク基
数 |
貯蔵能力
(kl) |
取 扱品目 | 備
考 |
(旧)伊藤忠商事 |
|||||
名古屋油槽所 |
名古屋市 港区潮見町 |
30基 |
15,600 |
BTX、硫酸 |
かつて汐見町駅に専用線あり。現在はケミカルロジテック(株)名古屋油槽所。 拙web「貨物取扱駅と荷主」の汐見町駅の伊藤忠商事を参照。 |
大阪・木津川貯蔵所 |
大阪市 大正区 平尾1-1-17 |
6基 |
4,000 |
トルオール、 シンナー |
1960年1月、近畿輸送倉庫(株)(現、アスト)は伊藤忠商事(株)木津川油槽所の管理荷捌を受託。 現在、アスト(株)千島第1ターミナル |
福岡油槽所 |
福岡市 中央区 荒津 1-2-12 |
5基 |
3,000 |
石油系溶剤 |
現在は伊藤忠エネクス(株)福岡油槽所 【タンク基数】10基:石油製品 【タンク容量】8.9千KL |
(旧)安宅産業 |
|||||
江田島油槽基地 |
広島県 江田島市 |
8基 |
17,600 |
石油、苛性ソーダ |
現在は伊藤忠エネクス(株)江田島油槽基地 【タンク基数】8基:石油製品(4基)/ 苛性ソーダ(4基) 【タンク容量】144千KL |
大井川油槽所 |
静岡県 大井川町 |
8基 |
12,000 |
石油製品、 アスファルト等 |
1997年3月時点で大井川港には伊藤忠オイルターナル(株)大井川油槽所(=昭シェル系)があった。 現在は伊藤忠エネクス(株)大井川油槽所となる。 【タンク基数】10基:石油製品(2基)/ 化学品(8基) 【タンク容量】15千KL |
東海油槽所 |
8基 |
3,300 |
化学品全般 |
||
阪神油槽所 |
23基 |
5,900 |
〃 |
「昭和42年度版の専用線一覧表」には国鉄・桜島駅の東洋埠頭(株)大阪支店の専用線の第三者使用に安宅
産業
あ
り。 昭和58年版には無し。 |
|
東京油槽所 |
43基 |
2,000 |
〃 |
||
室蘭、苫小牧 等 |
10基 |
9,150 |
〃 |
||
1975(昭50)年3月現在 |
駅 名 |
専
用線 使用者名 |
取扱品目 |
そ
の他・特記事項 |
岳南富士岡 |
東海電化工業(株) |
過酸化水素 |
第三者利用者に安宅産業と丸正産業。東
海電化工業は旭電化工業系で1999年4月に同社に吸収合併された。 1996年12月時点では岳 南富士岡駅の同社専用線には、過酸化水素専用タンク車が休車状態で留置されていた。 |
釜石 |
新日本製鐵(株) |
濃硫酸 |
「昭和50年版 専用線一覧表」の釜石駅の新日本製鐵の
第三者利用者に安宅産業あり。 「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」では伊藤忠商事所有で釜石駅常備の濃硫酸専用タンク車7両あり。 |
宮下 |
東邦亜鉛(株) |
濃硫酸 |
「昭和50年版 専用線一覧表」の宮下駅の東邦亜鉛の第三者利用者に安宅産業
あり。 「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」では伊藤忠商事所有で宮下駅常備の濃硫酸専用タンク車41両あり。 |
焼島 |
三菱瓦斯化学(株) |
アセトアルデヒド |
「昭和58年版 専用線一覧表」の焼島駅の三菱瓦斯化学の第三者利用者に伊藤忠
商
事あり。 「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」に伊藤忠商事所有で焼島駅常備のアセトアルデヒド専用タンク車1両あり。 ◆これらの事実より推定。三菱瓦斯化学が当時同所で同品目を生産していたかは未調査。 |
王子 須加 田端操 |
旭電化工業(株) |
プロピレングリコール |
「昭和42年版 専用線一覧表」の田端操に旭電化工業(株)
(第三者利用者に安宅産業)あり。
また須賀(王子、須賀途中分岐)に旭電化工業鰍り。「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」に王子駅及び田端操駅常備の伊藤忠商事所有のプロピレ
ングリコール専用タンク車あり。岳南富士岡にも
見えるように旭電化と親密? ◆これらの事実より推定。旭電化が当時同所で同品目を生産していたかは未調査。 |
所
名 |
立
地 |
タ
ン
ク 基数 |
タ
ン
ク 能力 |
取
扱品目 |
備
考 |
川崎油槽所 |
川崎市川崎区千鳥町 |
21基 |
101,800kl |
石油 |
「昭和58年版 専用線一覧表」では千鳥町駅に専用線
2線(専用線番号:4204、4207)あり。 ◇4204の第三者利用者:日本通運(株)、内外輸送(株)、日本陸運産業(株)、日本石油販売(株) ◇4207の第三者利用者:内外輸送(株) ◇「昭和54年3月31日現在 私有貨車番号表」ではタキ9800(石油類「ガソリンを除く」専用)3両が千鳥町駅常備 ◇1964(昭39)年5月1日に千鳥町駅の日商(株)専用線が開設、1986(昭61)年4月30日廃止。 (『神奈川臨海鉄道30年史』1993年、p12・p71) 現在は双日100%出資の東京油槽(株)となっている。 |
7基 |
3,000t |
LPG |
|||
3基 |
600kl |
化学品 |
|||
千葉油槽所 |
千葉市美浜区新港231番地 |
11基 |
11,600 |
化学品 |
1983年6月1日に日商岩井から分離独立してエヌアイケミカル(株)が設立された。 |
北港油槽所 |
大阪府此花区梅町 |
20基 |
5,540 |
化学品 |
隣接して北港化学(株)(キグナス系)あ
り。1996年12月確認。 「昭和58年版 専用線一覧表」には国鉄桜島駅の東洋埠頭(株)大阪支店の専用線の第三者利用者に日商(株)あり。 ![]() |
六連油槽所 |
山口県下関市六連島 |
3基 |
11,000 |
石油 |
大
東タンクターミナル(株)に譲渡か。 |
1975(昭50)年3月現在 |
所名 | タンク数 | 能力 | 備 考 |
液体薬品仲継 | 35基 | 3,650kl | 化成品、劇・毒物 |
『化学工業年鑑 昭和51年度版』より |
塩酸の
取扱量が逐年増加し、月間2,000t近くになった昭和31年、味
の素社が味液及び塩酸の中継基地として利用してい
る安治川の「液体薬品仲継株式会社」の用地内に、当社の塩酸貯蔵タンクを建設した(当初
50m3、後に90m3に増強)。 (『ソーダニッカ35年の歩み』ソーダニッカ株式会社、1982年、p230-231) |
![]() 2002.1液体薬品仲継(株) |
![]() 2002.1液体薬品仲継(株) 東亞合成(株)所有のタキ47754が留置 |
![]() 2002.1液体薬品仲継(株) 苛性カリ48%タンク |
![]() 2009.1液体薬品仲継の施設は撤去されローリー置き場と化した |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 通運事業者等 |
作
業方法 |
作
業 キロ |
総
延長 キロ |
吹田操車
場 |
昭和電工
(株)大阪支店 |
(株)川本倉
庫 日本化学工業(株) 電気化学工業(株) 徳山石油化学(株) |
国鉄機 |
0.6 |
0.8 |
吹田倉庫
−1962(昭37)年7月、大阪府吹田市の川本倉庫の一部に開設。西淀川工場の製品を除く製品を取扱い、関西地区の中継地となっている。一般倉庫のほ
かに、無水クロム酸、赤リン、過マンガン酸カリの危険物倉庫及びリン酸タンクを有している。国鉄の専用線は、国鉄の合理化で1984
(昭59)年2月に廃止された。 |
![]() 2003.4 吹田にあったデンカビニールストックポイント |
エアー
スライド貨車は主に工場間あるいは工場⇔ストックポイント間に使用され、通常30トンホキ車で、内部にエアースライド装置を設け、タンク内部の傾斜面に
沿って流下排出される。 電気化学工業では青海工場⇔大阪ストックポイント間など、 塩化ビニル樹脂輸送に使用している。 (『デンカ60年史』電気化学工業株式会社、1977年、p361) 使用された貨車については、吉岡心 平氏のwebサイトのホ キ5800型5802を参照。貨車は1985(昭60)年12月に廃車となったとのこと。専用線は日本化学工業の記述から1984年2月に廃止 されたと考えてよかろう。 |
品
目 |
形
式 |
両
数 |
常
備駅 |
酢酸 |
タサ
5200 |
2 |
周防富田 |
〃 |
タキ
3700 |
10 |
〃 |
酢酸エチ
ル |
タサ
4300 |
5 |
〃 |
酢酸ビニ
ル |
タサ
4500 |
2 |
〃 |
〃 |
タキ
8700 |
3 |
〃 |
常磐線亘理駅に専用線を持
つ木田(株)は、国鉄の貨物取扱駅集約計画によりかねてから専用線廃止の予告を受けていたが、1983(昭58)年3月末限り、亘理駅の
貨物
取扱いを廃止する最後通告を受けた。 1973(昭48)年3月仙台臨海鉄道に専用線新設を打診してきた経緯もあり、当時から仙台港地区に基地の移転を希望していた同社として は、この機に一挙にこの問題を解決する決意を固めたものと思われる。 1982(昭57)年2月20日、木田(株)仙台支店長が仙台臨海鉄道を訪れ、専用線の敷設を前提に将来船舶輸送も可能な化成品センター適地選定の依頼 を 受けた。 仙台臨海鉄道は木田の意向を汲みながら、雷神埠頭に近い港湾関連用地及び東北石油(株)と仙台北港駅用地に接する工業用地を選定し木田に連絡した。木田 はこ れに基づき県当局と用地について折衝を重ねた結果、1983年3月28日仙台北港駅に接する用地5,343平方メートルの譲渡の内諾を受けた。 これに先立って1983年2月木田から専用線敷設の要請を受けた仙台臨海鉄道は、仙台北港駅から分岐する専用線新設計画を策定したが、たまたま1984 (昭59)年2月の大輸送改革を計画していた国鉄から、59.2輸送改革実施、更に近い将来この改革を深度化する計画もあるところから、この専用線新設 後の極めて近い将来、化成品等の輸送に応じられないことも予想されることから、この計画を断念させるべきであるとの意見がもたらされた。 しかし、木田の専用線敷設の要望は極めて強く、その後数回に渉る木田との折衝、国鉄当局との協議を重ねた結果、木田は将来輸送不能の事態になっても求償はしない条件で決着し、昭 和58年4月18日専用線の敷設を承認した。 この専用線は仙台北港駅安全側線から分岐した有効長約100mの専用線で同年11月10日使用開始した。また貨車の出入作業は入換料を収受して仙台臨海 鉄道で行うこととした。 取扱品目は液体塩素・濃硫酸・苛性ソーダ等の化学薬品であり、タンク車による輸送のほかコンテナ輸送も利用しており、その取扱量は次の通りである。 (単位:トン)
|
▼木田蒲A送取扱実績 (単位:トン)
|
![]() 木田(株)専用線 |
![]() 1998.5仙台北港駅 木田(株)専用線 |
![]() 2007.5仙台北港駅 撤去された木田(株)専用線 |
48%液体苛性ソーダ用貯槽 |
1基20
立米 |
25%液体苛性ソーダ用貯槽 |
1基50
立米 |
塩酸用貯槽 |
1基50
立米 |
濃硫酸用貯槽 |
1基20
立米 |
希硫酸用貯槽 |
1基20
立米 |
次亜塩素酸ソーダ用貯槽 |
1基30
立米 |
ポリ塩化アルミニウム用貯槽 |
1基20
立米 |
塩化第二鉄液用貯槽 |
1基20
立米 |
![]() |
株式会社関西塩酸センター 【本社】大阪市港区福崎3-1-183 【設立】昭和47年11月1日 【株主】十全(株)、親和物流(株)、ラサ工業(株) 【業務内容】塩酸、苛性ソーダ、希硫酸および塩化鉄の輸 送、保管並びに荷捌業務 【敷地面積】1,971.05u(597.3坪) 【タンク(塩酸)】100立方メートル×12基、280 立方メートル×2基、500立方メートル×3基 【専用岸壁】最大350t荷役許可 |
![]() |
十全(株)郡山基地 【所在地】福島県郡山市 【タンク(塩酸)】100立方メートル×3基 |
![]() 1995.3浪速駅 奥のタンク群が(株)関西塩酸センター |
(株)
関西
塩酸センターは、かつての浪速駅構内に隣接している。 しかし専用線は存在せず、鉄道貨物輸送とは無縁だっ たようだ。 ラサ工業(株)は宮古駅に専用線こそあったが、タンク車は所有せず、 主な輸送手段は船舶だったのかもしれない。 尚、1996年12月の調査では、関西塩酸センターに隣接して、 ラサ工業(株)福崎倉庫が存在した。 |
▼浜松タンク基地 1968(昭43)年2月、日本通運(株)天竜川支店内に浜松出張所が開設された当時は、高度成長時代の前兆の相を呈し、浜松以東、静岡以西の東海道ベ ル ト地帯の各市町村の企業誘致策と相まって、数多くの企業進出計画が出始めていた。静岡支店としてはその進出企業をワークし、浜松−富士間の2点を結び、線 となすべく浜松に事務所開設の計画を持っていた。同年4月正式に静岡支店管轄の出張所としてスタートした。 当面の業務は本社ソーダ部の取引先であった東京セロファン紙(株)浜松工 場・大日精化工業(株)東海工場への納入手 配、及び日通天竜川支店の側線敷地内 に設置された呉羽化学工業(株)の液体苛性ソーダ専用タンク の管理 であった。 同年11月、曹達商事の取引先であった天塩川製紙(株)名寄工場取締役業務部長が日通浜松支店長として着任し、同氏の斡旋を機会に天竜川駅より専用側線 が引 き込まれている土地買収に取り掛かり、1970(昭45)年6月買収を完了し、敷地両サイド40mの約300坪(990平方m)に浜松基地が誕生した。 当初液体苛性ソーダ用タンク1基のみであったが、同年夏に次亜塩素酸ソーダ用タンク完成、翌71年2月に液体苛性ソーダ用タンク・濃硫酸用タンクが完成、更に1973(昭48)年12月には濃硫酸用タンクが追加され、深井戸も完備されて、天竜川基地(後の浜松タンク基 地)が完成した。 この基地が一段とクローズアップされたのは東海道線高架化に伴い、1972(昭47)年11月に遠州鉄道助信駅の貨物取扱いが停止してからである。同 社ではこの事態をいち早く察知し、他社に先駆けて基地建設を始め、71年には完成させていたため、営業面では最大限その機能を発揮することができた。 ![]() |
![]() 1992.8天竜川駅 日本通運(株)専用鉄道とソーダニッカの基地 |
![]() 1992.8天竜川駅 日本通運(株)専用鉄道とソーダニッカの基地 |
発
駅 |
発
荷 主 |
備
考 |
郡
山 |
保土谷化学工業(株) |
|
勿
来 |
呉羽化学工業(株) |
上述のソーダニッカ社史にも「呉羽化学工業(株)液体苛性ソーダ専用タ
ンク
の管理」という記述あり |
浜
五井 |
旭硝子(株) |
|
知
手 |
旭電化工業(株) |
成瀬さんのレポートには苛性ソーダのタンクは「旭電化/ソーダニッカ」
と表記されているとのこと |
鶴見川口 |
鶴見曹達(株) |
吉岡心
平氏のwebサイトのタ
キ7750形27777より |
青海 |
電気化学工業(株) |
1980年3月31日に天竜川駅でタキ22640を目撃(吉岡心
平氏のwebサイトのタ
キ2600形22640より) |
発
駅 |
発
荷 主 |
備
考 |
西
名古屋港 |
(株)東京液体化成品センター |
|
昭
和町 |
東亞合成(株) |
濃硫酸を東亞合成が発送するとは考えにくいので、苛性ソーダの誤りか? |
神
岡鉱山前 |
神岡鉱業(株) |
|
敦
賀 |
日鉱亜鉛(株) |
![]() 2001.12天竜川駅 日本通運(株)専用鉄道もソーダニッカの基 地も 撤去済み |
![]() 2001.12天竜川駅 浜松長瀬(株)天竜川中継所の苛性ソーダタ ンク がポツンと残る |
▼福崎作業所 (『創業五十年史』株式会社辰巳商
会、1970年、p196-198) 1962(昭37)年以降、辰巳商会の福崎FGH倉庫に隣接して、三井東圧化学、日産化学、日本パーオキサイド各社用の、工業薬品ストックポイントが 設置され、現在は合計17基のタンクが林立している。同社は1962年7月、福崎作業所を設け、国鉄貨車でこの中継基地に運び込まれる各種薬品の荷捌き業 務に当たっている。 ▽三井東圧化学大阪貯蔵所 辰巳商会は、陸運部発足の時から、三井化学工業(株)(当時)と大阪におけるストックポイントの建設について話を進めていたが、1961(昭36)年 秋、 両者の意見が整い、辰巳商会がストックポイントの建設と、これに伴う作業及び自動車輸送を引き受けることになった。そこで辰巳商会は、福崎作業所に隣接す る国鉄用地を借り、次の施設を建設した。
尚、プロピレングリコールの中継輸送は1968年に中止となったので、同タンクを日本ガス化学の溶剤ジメチルアミン中継タンクに転用し、1969年2月 から大阪市内と周辺の需要者にタンクローリー輸送を始めた。 ▽日産化学薬品仲継所 日産化学工業(株)は、かねて大阪港頭地区に薬品仲継所を設けたいと候補地を求めていたが、辰巳商会のE号倉庫撤去の跡地一帯を最適地として希望し、同 社は 土地を提供することで、同仲継所の作業と荷捌き輸送を引き受けることになった。こうして1963年11月、次の通り6基のタンクが完成した。
同仲継所からの海上輸送は、日本化薬福山工場向けが最初で1964年5月に開始された。(同書p207) ▽日本パーオキサイド大阪出荷センター 日本パーオキサイド(株)は1966年、福島県郡山市に過酸化水素工場を建設、8月から操業を始めた。日本パーオキサイドは関西方面への販路拡張のた め、大 阪に出荷センターを作る計画を立て、三井物産(株)大阪支店の斡旋で辰巳商会が中継輸送業務を引き受けた。1966年7月に福崎作業所内に中継タンク2基を建設し、郡 山から国鉄貨車で到着した過酸化水素をいったん希釈した後、容器詰めの分は雑貨車で、ばら輸送の分はタンクローリーで、京阪神各地や岡山方 面の需要家に配 達を始めた。1968年8月にタンク1基を増設し、月間400トンを扱っている。 |
![]() 1995.3浪速駅 |
![]() 1995.3浪速駅 |
![]() 1995.3浪速駅 |
![]() 1996.12浪速駅 |
▼
輸出苛性ソーダ中継基地 (『創業五十年史』株式会社辰巳商
会、1970年、p225-228)![]() 辰巳商会は、日本ソーダ工業会(加盟33社)の要望に応え、輸出液体苛性ソーダの貯液基地を安治川第3号岸壁沿いの社有地に建設し、保管、中継業務を処 理することを引き受け、1966(昭和41)年7月に着工した。 我が国のソーダ工業は、1955(昭30)年頃までは化学繊維、紙パルプ、石鹸、無機薬品など苛性ソーダ需要産業の発展を軸として、苛性ソーダ中心に 推移してきた。しかし、それ以後は塩化ビニル、溶剤、農薬など塩素利用の有機化学工業の発展により、塩素需要の伸び率が高く、苛性ソーダ需要の伸びを上 回ってきた。ソーダ工業の大きな特色は。苛性ソーダと塩素という用途、性質が全く異なる2つの物質が、同一製造方法(電解法)で常に一定比率(1対 0.86)で併産され、しかも苛性ソーダと塩素の需給状況が必ずしも一致しないということである。 ※苛性ソーダの場合は別にアンモニア法があるが、塩素の製造法は電解法しかない。 従来のように、苛性ソーダ需要量が塩素需要量を上回っていたときは、塩素需要に見合う苛性ソーダを電解法によって生産し、残量をアンモニア法によって生 産すればよかった。しかし、塩素の需要量が苛性ソーダの需要量を上回ると、生産面では調整の手段がなく、何らかの方法で余剰の苛性ソーダを処理しなけれ ば、塩素の需要を満たすことができない。そこで、アンモニア法4社は1966(昭41)年7月に生産を停止し、ソーダ業界は塩素を併産する電解法1本に なった。 日本ソーダ工業会は余剰苛性ソーダ処理の方法として、早くから業界の共同輸出を考えていた。苛性ソーダの輸出は従来固形にして出荷していたが、最近は液 体の輸出も伸びてきた。日本ソーダ工業会は1965(昭40)年度にソ連、韓国などに向け5万トンを輸出し、新たにオーストラリアのアルコア社との間 に、1967(昭和42)年度以降、液体苛性ソーダの長期輸出契約が成立し、輸送には大型船を使うことになった。問題は積み地、揚げ地に大きな貯液タンク を建設することであった。ソーダ工業会は初め大阪の港頭地区にタンク建設の適地を求めたが得られず、名古屋の臨港地帯に土地を持つ三井物産、三菱商事を交 渉を進めていた。 ちょうどそのころ、辰巳商会は液体化成品輸送(株)設立のための市場調査を始めていて、この情報を知った。輸出苛性ソーダの中継基地建設には、1万トン 級の タンカーが接岸して荷役できる臨港地帯という条件があり、液体化成品輸送の安治川口駅の浜は1,500トンの船しか着かないため、むしろ辰巳商会で取り組 むべ問題と考えた。 辰巳商会の安治川基地には、大タンク建設の余地があり、直ちに具体的な計画を作り、日本ソーダ工業会に申し入れた。結局3社の競争入札ということにな り、1966年1月、辰巳商会が建設することに決まった。また、同年10月にはソーダ工業会のメンバーである33社(連名)と中継業務の委託に関する基本 契約を締結した。 1967年4月、7,500キロリットル(1万2,500トン)入り大タンク2基と付属建物が完成した。その後、日本ソーダ工業会の要望により増設した 大タンク1基は1968(昭43)年8月に完成した。これを機会に辰巳商会は防潮堤に接続して係船桟橋を建設、11月に完成して辰巳安治川埠頭と命名し た。2万トン級の苛性ソーダタンカーの接岸が可能で、大タンク3基と桟橋を合わせ、約4億円の設備投資となった。 この中継基地は輸出専用ではあるが、苛性ソーダの国内流通の荷姿が殆ど液体となった現在、国内の需給に緊急事態が生じた場合は、一時的にしろ在庫調節機 能の効用も期待できると、日本ソーダ工業会では見てみる。 辰巳商会と契約を結んだ苛性ソーダの輸出協定者は以下の33社。 旭化成工業、旭硝子、旭電化工業、味の素、大阪曹達、鐘淵化学工業、関東電化工業、呉羽化学工業、山陽パルプ、昭和電工、信越化学工業、住友化学工業、 セントラル化学、セントラル硝子、鶴見曹達、鉄興社、電気化学工業、東亞合成化学工業、東洋曹達工業、徳山曹達、南海化学工業、日産化学工業、日新電化、 日軽化工、日本カーバイド工業、日本曹達、北海道曹達、北陸製塩工業、保土谷化学工業、三井東圧化学、三菱江戸川化学、三菱化成工業、三菱モンサント化 成。 |
▼
安治川口に液状苛性ソーダの輸出センター(昭和41年8月15日 日刊工業新聞) 『運輸と経済』第27巻第10号、1967年 日本ソーダ工業会と化学薬品の運送業務を専門にしている辰巳商会との共同提携により、大阪安治川口に液状苛性ソーダの輸出センターが建設された。 センターの規模は、敷地3,300平方m、7,500キロリットルタンク2基及び給配設備からなるもので、総工費は約2億1千万円である。 この輸出センターは苛性ソーダの輸出が固形から液状に転換する傾向が強くなってきたことと、ソーダ業界の製品過剰傾向から輸出をより強力に進めていくた めといわれている。中継基地を中心に鉄道輸送と船舶輸送とが有機的に結びつ いた例といえる。 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 真荷主 |
第
三者利用者 通運事業者等 |
作
業方法 |
作
業 キロ |
総
延長 キロ |
記 事 |
大阪東港 | 大阪市 |
樺C巳商
会 |
日本通運
|
浪速産業
機 手押 |
東
線0.3 倉庫線0.4 南線0.3 |
1.2 |
樺C巳商
会は液体苛性ソーダの 取扱いに限る。 |
▼梅町仲継所 (『創業五十年史』株式会社辰巳商
会、1970年、p191-192、p195-196) 辰巳商会は1960(昭35)年9月、荒川林産化学のサ イズパイン大阪港貯蔵所(此花区梅町1丁目)建設を機会に、梅町仲継所を設けて連絡拠点とした。100トンタンク1基を建設後に、辰巳商会のタンクロー リーで荒川林産化学・今福工場〜梅町間でサイズパイン輸送を行った。同所からは海上輸送で、神崎製紙富岡工場(徳島県)、荒川林産岩国貯蔵所、三善製紙鶴 崎工場(大分県)、九州製紙鶴崎工場(同)、高千穂製紙福間工場(福岡県)、日本パルプ日南工場(宮崎県)、十条製紙八代工場(熊本県)など四国、九州の 製紙工場向けにタンク船で運んだ。 1961(昭36)年8月、道修町の河野薬品鰍熹~町にクレゾール用鉄タンク2基(合計175トン)を建設し、荷捌き基地とした。梅町タンク中継で大 阪とその周辺に配達するなどしている。 |
※梅町仲
継所からの荒川化学のサイズパインの海上輸送は、約10年ほどで終了したようである。 1960(昭35)年6月、岩国貯蔵所が瀬戸内海地区及び九州地区への供給基地として新設されたほか、川之江(愛媛県)、日南(宮崎県)にも中継基地 が設置された。サイズパインの海上輸送は、1969(昭44) 〜1970(昭45)年にかけて、徳島工場、鶴崎工場が完工、稼働するまで続いた。 (『荒川化学百二十年史』荒川化学工業株式会社、1997年、p49) |
![]() 2002.1梅町ケミカルターミナル |
![]() 2009.1梅町ケミカルターミナル |
事業所名 | 所在地名 | タンク
基数 |
|
|
備 考 | ||
|
|
水深(干潮) | |||||
神戸 |
神戸市長田区 | 50基 | 総容量24,940KL | 30,000DWT |
|
9.2m | アルコール販売事業・輸入事業の営業所名簿に載っている。(物産・商事) |
横浜 | 鶴見区安善 | 54基 | 総容量26,410KL | 20,000DWT |
|
8.6m | |
川崎 | 川崎区千鳥町 | 72基 | 総容量88,850KL | @30,600DWT A2,500DWT |
@171m A89m | @10.4m A6.0m |
アルコール販売事業・輸入事業の営業所名簿に載っている。(物産・商事) |
2001年11月現在の日本ガテックスwebサイトより作成 |
会社名 |
事業所名 |
タンク 基数 |
タンク 貯蔵能力 |
取扱品目 |
備 考 |
日本ガテックス |
横浜ターミナル |
41 |
20,380kl |
化学品全般 |
|
日本ガテックス |
神戸ターミナル |
54 |
25,300 |
〃 |
|
昭和ガテックス |
川崎ターミナル |
69 |
87,010 |
〃 |
![]() 1996.12吉原駅構内に隣接する(株)矢部庄七商店 |
![]() 1996.12矢部庄七商店・専用線 |
![]() 2002.2吉原駅 カクタス化成(株)所有のタキ24027(宮下 駅仮 常備) |
矢部庄
七商店には、南宮下駅の小名浜製錬(株)から濃硫酸が到着してい たようだ。 1998年初めから小名浜製錬のタンク車輸送が中止されたため、宮下駅 の東邦亜鉛(株)から濃硫酸が届くように変更されたようだ。 2002年2月に確認した際は、95%濃硫酸が東邦亜鉛(株)小名浜製錬所か ら到着していた。着荷主は矢部庄七商店(日栄薬品)となっていた。 |
所名 |
タンク
基数 |
能力 |
備 考 |
横浜 |
38基 |
21,500 |
化学品全般 |
塚口 |
13基 |
2,980 |
石油化学薬品、劇・毒物、アルコール |
堺 |
10基 |
6,900 |
石油化学薬品、劇・毒物、アルコール |
所 管駅 | 専 用者 | 第 三者使用 | 備 考 | |
真荷主 | 通運事 業者等 | |||
中斜里 | ホクレン農協連 中斜里製糖工場 |
札幌酒精(株) 合同酒精(株) 小林酒造(株) |
日本通運(株) 斜里通運(株) 内外輸送(株) |
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中条 | 協和ガス化学工業 | (株)クラレ (南線に限る) 日本鉱業(株) (北線に限る) |
日本通運(株) (株)丸運 (北線に限る) 内外輸送(株) |
丸運は日本鉱業系の運輸会社。 |
太郎代 | 協和ガス化学工業(株) |
内外輸送(株) |
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□新崎 | 日本アルコール販売(株) | 日本通運(株) | ||
東新潟港 | 日本アルコール販売(株) | S42 |
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二本木 | 日本曹達(株) | 日曹エンジニヤリング(株) (株)日曹建設 曹水化成(株) |
日本通運(株) 一之江(株) 中外貿易(株) 丸正産業(株) 日本アルコール販売(株) 住友商事(株) |
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八木原 | 電気化学工業(株) | 日本通運(株) 内外輸送(株) 三井物産(株) |
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■奥野谷浜 | 三菱油化(株) | 日新運輸倉庫(株) 油化メラミン(株) 内外輸送(株) |
2005(平成17)年7月 鹿島アルコール工場操業開始 |
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●石岡 | 新エネルギー総合開発機構 石岡アルコール工場 |
日本アルコール販売(株) 内外輸送(株) |
石岡地区通運(株) | 2001(H13)年3月 石岡工場廃止(第 一回日本アルコール産業(株)設立委員会議事次第より) |
稲毛 | 東京通商産業局 | 内外輸送(株) 日本アルコール販売(株) |
S42 |
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◇新興 | 内外輸送(株) | (株)大和商会 | 日本通運(株) | |
□千鳥町 | 日商岩井(株) (川崎油槽所) |
日本通運(株) 内外輸送(株) 日 本陸運産業(株) 日本石油販売(株) |
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●浮島町 | 日本合成アルコール(株) (川崎工場) |
内外輸送(株) 日本アルコール販売(株) |
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●磐田 | 日本専売公社 中部支社 |
内外輸送(株) 日本アルコール販売(株) |
日本通運(株) | ◇1995年10月にたばこのワム輸送がトラックに切り替わり、日本アルコール販売へのタンク車 輸送は、1996年2月26日に廃止された。最終日はタム8100形式1両であった。 (『レイル・マガジン8月号』第13巻14号、1996年、86頁) ◇2013年現在でも倉庫は残存している。 |
◇熱田 | 内外輸送(株) | タンク基地残存(2001.9車中より視認) |
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南四日市 | 三菱油化(株) | 山九(株) 四日市倉庫(株) 内外輸送(株) |
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伏木 | 伏木海陸運送(株)(一号線) | 内外輸送(株) | ||
□西富山 | 日本アルコール販売(株) | 内外輸送(株) | タンク基地残存(1999.4.2現地視認) 日本アルコール販売(株)富山支店である。 「専売アルコール」と書かれたタンクローリーがありトラックのナンバーは「習志野」と「富山」であった。 |
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◇塚口 | 内外輸送(株)大阪支店 | |||
■南岡山 | 三井製糖(株) | 内外輸送(株) |
S42 |
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■水島港 | 日本瓦斯化学工業(株) | 化学運輸(株) 内外輸送(株) |
S42 |
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◇西広島 | 内外輸送(株) | S42には五日市に内外輸送がある。 | ||
岩国 | 山陽パルプ(株) | 内外輸送(株) 岩国産業運輸(株) |
S42 |
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防府 | 宝酒造(株) | 内外輸送(株) |
日本通運(株) 防府通運(株) |
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防府 |
協和発酵工業(株) | 内外輸送(株) | 日本通運(株) | |
多度津 | 内外輸送(株) | S42 |
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近永 | 四国通産局 | 内外輸送(株) 井関農機(株) 南 与通運(株) |
S42 2002(H14)年3月 近永工場廃止(第 一回日本アルコール産業(株)設立委員会議事次第より) |
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◇門司 | 内外輸送(株)福岡支店 | |||
協和発酵工業(株) | 内外輸送(株) | 日本通運(株) | ||
伊賀 | 日本アルコール販売(株) | 内外輸送(株)福岡支社 | S42 |
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戸畑 | 明治製糖(株)戸畑工場 | 明治製菓(株)戸畑工場 日本通運(株) 内外輸送(株) |
S42 S58は戸畑の明治製糖の専用線そのものが無くなっている。 |
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荒木 | 森永醸造(株)久留米工場 | 日本通運(株) 内外輸送(株)福岡支店 |
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相知炭坑 | 協和発酵工業(株)相知工場 | 内外輸送(株) 松浦通運(株) |
S42 |
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●肥後大津 | 新エネルギー総合開発機構 肥後大津アルコール工場 |
日本アルコール販売(株) | 日本通運(株) 内外輸送(株) |
2004(H16)年4月肥後大津工場廃止(第 一回日本アルコール産業(株)設立委員会議事次第より) |
三角 | 熊本県 | 日本通運(株) 三角海運(株) 内外輸送(株) |
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●八代 | 三楽オーシャン(株) | 日本通運(株) 内外輸送(株) 日通熊本梱包運輸(株) |
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●出水 | 新エネルギー総合開発機構 出水アルコール工場 |
日本アルコール販売(株) | 日本通運(株) 内外輸送(株) |
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高鍋 | 宝酒造(株) | 日本通運(株) 内外輸送(株) 日向運輸(株) |
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小林 | 三楽オーシャン(株) 小林工場 |
日本通運(株) 内外輸送(株) |
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鹿屋 | 福岡通商産業局 | 日本通運(株) 内外輸送(株) 日 本アルコール販売(株) |
S42 2002(H14)年3月 鹿屋工場廃止(第 一回日本アルコール産業(株)設立委員会議事次第より) |
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□:タンク基地 ◇:内外輸送タンク基地 ●:生産工場 |
昭和58年度版及び昭和42年度版 専用線一覧表より作成 |
1937 (昭和12)年04月 | アルコー ル専売法施行、大蔵省専売局の所管下に専売開始 |
1938 (昭和13)年04月〜16年02月 | 各国営ア ルコール工場操業開始 |
1980 (昭和55)年10月 | 新エネル ギー総合開発機構設立、石油代替エネルギーの総合開発を主業務とする特殊法人として政府及び民間の出資により設 立 |
1982 (昭和57)年10月 | アルコー
ル製造部門が通産省から移管されて新エネルギー総合開発機構内にアルコール事業本部が発足 wikiに 拠るとアルコールを石油代替エネルギーのひとつとして研究する一環としてアルコール製造事業の移管が考慮されたものとのこと |
1988 (昭和63)年10月 | 同機構が 新エネルギー・産業技術総合開発機構へ改称、新たに産業技術の研究開発が業務に追加された |
2001 (平成13)年04月 | アルコー ル事業法施行(アルコール専売法廃止)に伴い一手購入販売の開始 |
2003 (平成15)年10月 | 独立行政 法人化 |
2006 (平成18)年04月 | 日本アル コール産業株式会社設立 |