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株式会社ジャパンエナジー

2003.6.1作成  2005.1.2更新 2010.9.5訂補

《目次》
■1.はじめに
■2.会社概要
■3.沿革
■4.輸送基地の概要
 ▼4−1.共同石油(株)設立時の輸送基 地
 ▼4−2.統廃合基地一覧
 ▼4−3.油槽所、LPガス基地、アス ファルト基地
■5.鉄道貨物輸送の概要
 ▼5−1.共同石油(株)設立前の貨車輸 送
  ▽日本鉱業(株)   ▽亜細亜石油(株)   ▽東亜石油(株)
 ▼5−2.地区別の鉄道貨物輸送
  ▽北海道地方  ▽東北地方  ▽関東・甲信越地方
  ▽中部地方    ▽関西地方  ▽中国地方  ▽九州地方
■6.最後に


■1.はじめに  
 押しも押されぬ石油元売り最大手のENEOS(株)であるが、その源流企業の1つに「(株)ジャパンエナジー」がある。現時点では、ジャパ ンエナジーという会社名に懐かしさを感じる人はまだまだ沢山いると思われるが、個人的にはジャパンエナジーに社名変更される前の日鉱共石(株)や共同石油 (株)という旧社名の情緒も捨てがたい(笑)。和製メジャー育成という国策の下に発足した共同石油だが、その後の社会情勢の変化と共に民間会社としての自 立が求められる一方で、発足時にグループを形成していたアジア石油(株)や東亜石油(株)の離脱などの紆余曲折を経て、日鉱共石そしてジャパンエナジーへ と至る複雑な歴史過程は、非常に興味深い。

 当然このような変遷によって同社に関係する鉄道貨物輸送は大きな影響を受けており、共同石油時代を含めたジャパンエナジーの鉄道貨物輸送、当然それは主 に石油輸送となるが、その実態と歴史を解明していきたい。更に共同石油が発足する前の昭和30年代における日本鉱業(株)や亜細亜石油(株)、東亜石油 (株)の鉄道貨物輸送についても、概略をここで纏めることにする。

 ジャパンエナジーの鉄道貨物輸送の特徴の1つとしては、ガソリンや軽油等の石油のタンク車輸送だけでなく、遠距離の潤滑油輸送でタンク車を活用していた 点にある。それも比較的、近年まで複数の輸送ルートが残っていたことや同社所有のタンク車が使われることも多かったため、個人的に印象深い。

 ENEOSに吞み込まれてしまった現在では、旧ジャパンエナジーの油槽所の大半が姿を消してしまったが、時折「JOMO」や「共石」のマークが石油タン クなどに残っていることがある。筆者はそんな時に興奮を禁じ得ないのだが、そのような興奮が鉄道貨物輸送を纏める上で、ジャパンエナジー≠ニいう括りを いつまでも残しておきたいという拘りとなって、このページに結実している。


■2.会 社概要  

【本 社】 東 京都港区虎ノ門2-10-1
【設 立】 1929 年4月
【資 本金】 875.83 億円(2002年5月1日)
【株 主】 富 士石油9.3% 日本トランスシティ信託口3.9% 三菱信託信託口3.2% 興銀3.2%
UFJ信託信託口2.9% (2002年3月)
【従 業員】 単 1,558名(2002年3月)
【取 引先】
(販 売)伊藤忠エネクス、全農、宇佐美
【連 結業績】 売 上高2兆834億円、経常利益254億円
【収 益構成】 石 油事業78%、金属事業13%、電子材料事業3%、その他事業7%(2002年3月期)
(『日経会社情報 2002-V夏号』日本経済新聞社より)



■3.沿革   

http://www.j-energy.co.jp/cp/outline/history/

◆ 日本鉱業(株)
1905(明38).
12月
日本鉱業(株)創業。
赤沢銅山(茨城)を譲り受け、日立鉱山
として再発足させたことに始まる
1912(大元).
9月
久原鉱業(株)を設立し、日立鉱山の事業
を継承
1914(大03).
雄物川(秋田)石油鉱区獲得、探鉱開始
1928(昭03).
12月
久原鉱業を持株会社化し社名を
日本産業(株)と改称
1929(昭04).
4月
日本産業(株)の鉱山・精錬部門の
分離独立により日本鉱業(株)設立
1933(昭08).
9月
国内有数の油田である雄物川浅層油田
(秋田)で出油に成功。原油生産を開始
1939(昭14).
3月
早川石油(株)船川製油所を買収し
石油精製業に進出
1942(昭17).
帝国石油(株)に油田部門を譲渡
1952(昭27).
10月
船川製油所で輸入原油の処理開始
1959(昭34).
中条油業所〔後のジャパンエナ ジー
石油開発(株)
中条油業所〕
開設
1961(昭36).
6月
水島製油所が操業開始

◆ 亜細亜石油(株)
1952(昭27).
10月
亜細亜石油(株)設立
1953(昭28).
3月
興亜石油(株)横浜製油所を買収。操業
開始。同年5月に石油精製業者となる
1953(昭28).
7月
株主に大洋漁業(株)が加わる
1955(昭30).
3月
北海道人造石油滝川工場の蒸留装置
移設。第1常圧蒸留装置完成し、
燃料油の販売開始
1956(昭31).
2月
北日本石油(株)設立
1956(昭31).
11月
北日本石油は函館製油所を完成し
操業開始
1957(昭32).
10月
丸善石油(株)が北日本石油の株式の
50%を取得
1960(昭35).
2月
亜細亜石油と北日本石油が合併、
社名を新亜細亜石油(株)に改称。
日本交通グループ、大洋漁業グループが
各39%、丸善石油22%の出資比率に
1961(昭36).
4月
横浜第二工場の第3常圧蒸留装置が
稼働。精製能力シェアは5.1%
1962(昭37).
12月
社名を亜細亜石油(株)に改称
1963(昭38).
3月
丸善石油は亜細亜石油の全株式を
手放す
1964(昭39).
11月
社名をアジア石油(株)に改称

◆ 東亜石油(株)
1924(大13).
2月
日本重油(株)設立。三井物産(株)の
輸入する重油の一手販売が目的。
日本石油(株)の在京有力特約店の
日米礦油(株)などの出資で発足
1942(昭17).
4月
日本重油は日米礦油の営業エリア
の内、関東以北と中国大陸を継承。
社名を東亜石油(株)に改称
1949(昭24).
4月
日本石油の特約店に復帰
1951(昭26).
6月
潤滑油輸入元売会社の指定を
受ける
1953(昭28).
1月
燃料油輸入元売会社の指定を
受ける
1953(昭28).
11月
川崎市に輸入燃料油基地として
タンクを建設
1955(昭30).
9月
燃料油の基地内に常圧蒸留装置を
完成、運転開始
1956(昭31).
7月
精製・元売業進出を契機に
日本石油との特約店契約を解消
1962(昭37).
3月
第2常圧蒸留装置を完成
合計5万バレル/日に

1965(昭40).8月 日本鉱業(株)、アジア石油(株)、東亜石油(株)の出資で共同石 油(株)設立
1966(昭41).6月 日鉱、アジア石油、東亜石油の販売部門を集 約し、共同石油の営業開始。同年8月富士石油(株)が共同石油に資本参加

◆日本鉱業(株)
◆共同石油(株)


1969 昭44年 袖ヶ浦潤滑油工場(千葉県)開設





1979 昭54年 東亜共石(株)の経営を譲受し、知多石油(株)と改称
1980 昭55年 新素材加工事業本部(後に電子材料事業本部)設置


1983 昭58年 知多石油(株)を併合、知多製油所と改称
        日鉱グールド・フォイル(株)日立工場稼働


1991 平03年 日鉱石油化学(株)設立
1992 平04年 日鉱金属(株)を設立、同社に金属関連部門を譲渡
1967 昭42年 鹿島石油(株)設立。共石スーパーガソリン100発売
1969 昭44年 全国LPガス共石会発足
1970 昭45年 アジア共石(株)を共同設立
        日本共同原油(株)を設立
1972 昭47年 沖縄ターミナル(株)設立
1972 昭47年 アジア共石(株)坂出製油所が操業開始
1973 昭48年 共同ターミナル(株)設立。東亜共石(株)設 立。鹿島石油(株)が資本参加
1977 昭52年 アジア石油(株)の株式取得
1979 昭54年 東亜石油(株)、共石グループ離脱(→昭和石油傘下へ)、東亜共石は共石傘下へ
1980 昭55年 日本共同原油(株)の全株を取得。共石21シリーズ(潤滑油)を発売
1981 昭56年 初の株主配当実施。アジア共石(株)、共石グループ離脱(→大協石油傘下へ)
1982 昭57年 福井石油備蓄(株)設立。共石特約店持株会設立
1983 昭58年 共石ニュースーパーガソリン発売

1986 昭61年 富士石油(株)への資本参加。共石シェット発売
1987 昭62年 (株)ジャパレンに資本参加。共石シェットGP-1発売
1991 平03年 共石MTBEハイオクGP-1プラスを発売

◆(株)日鉱共石

1992(平04).12月 日本鉱業(株)と共同石油(株)が合併。(株)日鉱共石として新発足
1993(平05)年 エネルギー開発部門のうち、中条油業所及び生産・開発段階のプロジェクトに係わる営業を日鉱石油開発(株)〔後のジャパンエナジー石油開発(株)〕へ 譲渡

◆(株)ジャパンエナジー

1993(平05).12 (株)ジャパンエナジーに社名変更。 新社章及び石油事業分野におけるブランドネームに「JOMO」を使用開始
1994 平06年 グールド社解散。(同社の営業は平成6年1月グールドエレクトロニクス社へ、平成5年11月にグールドインスツルメントシステムズ社の全株式を米国企業に 売却)
1996 平08年 日鉱石油化学(株)の石油化学製品の生産にかかわる営業を譲受
1998 平10年 日鉱金属(株)が東京証券取引市場第一部に上場
1999 平11年 鹿島石油(株)を子会社化。(株)日鉱マテリアルズを設立
2002 平14年 日鉱金属(株)と共同持株会社「新日鉱ホールディングス(株)」を設立。新日鉱ホールディングス(株)の上場に伴い、上場廃止
2003 平15年 石油事業を中心とする部門を新設分割し,100%子会社として(株)ジャパンエナジーを設立。これに伴い、ジャパンエナジー電子材料株式会社に社名変更
2010(平22).04 親会社の新日鉱ホールディングスが新日本石油(株)と株式移転を行い、共同持株会社JXホールディングスを設立
2010(平22).07 JXホールディングス傘下の新日本石油並びに新日本石油精製(株)と合併、JX日鉱日石エネルギー株式会社が発足


■4.輸送基地の概要  


▼4−1.共同石油(株)設立時の輸送基地
  

集約時(1966年3月末現在)
日 本鉱業(株):日鉱  亜 細亜石油(株):亜石  ア ジア石油(株):ア石  東 亜石油(株):東亜  共 同石油(株):共石 

□札幌事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
風連 上川郡風 連町新生町213-12
150kl 日鉱
宗谷本 線・風連駅に専用線無し
旭川 旭川市東 旭川町北2丁目 216kl 日鉱
東旭川駅 近くか? 1962年時点で現、旭川市東旭川
北1条3丁目1に油槽所あり
留萌 留萌市明 光町4-19 100kl 共石 留萌
S45年 版に共同石油あり
増毛
増毛郡増 毛町字増毛村4-30 1,640kl 日鉱 増毛
共石
紋別
紋別市港 町5丁目 1,000kl





北見
北見市南 仲町
390kl
日鉱



1953.10 開所、1985.3廃止([1]p419)
北見駅の南東部に石油タンクあり
帯広(第 1) 河東郡音 更町下音更木野4区 445kl 日鉱



1963.12 開所、1983.9廃止([1]p419)
帯広(第 2) 河東郡音 更町下音更木野4区 130kl ア石



1963.12 開所、1983.9廃止([1]p419)
釧路
釧路市南 浜町3-1
3,200kl
日鉱
浜釧路

日鉱
共石

札幌 札幌市菊 水上町83-1 3,200kl ア石 東札幌
亜石 共石
小樽 小樽市厩 町87 3,590kl 日鉱 手宮 日鉱
日鉱 共石
函館西 函館市入 船町17-18 300kl 日鉱

函館油槽 所は1985.3廃止([1]p419)
入船漁港近く

□仙台事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
盛岡
盛岡市向 中野字下久野27-4
100kl
日鉱
仙北町
日鉱
日鉱
共石

横手
横手市前 郷字上横山218
200kl
日鉱




横手駅近 くか?
山の目
一関市山 の目3-41
90kl
日鉱
山ノ目
※1
※1
※1
※1 亀井商店
仙台 仙台市長 町字大道東北30-3 1,300kl 日鉱 長町 日鉱
日鉱 共石

鶴岡
鶴岡市大 宝寺
300kl
日鉱
鶴岡

日鉱
共石
1963.12 開所(『庄内経済連40年の歩み』p413)
蔵王
山形市南 山形字松原397-3
400kl

蔵王
※2
※2
日鉱
※2 富士鉱油
会津若松
会津若松 市
不 明

西若松



1963.9 開所、1984.6廃止([1]p419)
旧三愛石油(株)油槽所か?
坂下
河沼郡会 津坂下町石田1496
100kl
日鉱
会津坂下


共石
坂下油槽 所から会津若松油槽所に移転か?

□東京事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
石越
登米郡石 越町北郷
200kl
ア石





矢吹
白河郡矢 吹町大字矢吹
600kl
ア石
矢吹

亜石
共石

日立港
日立市久 慈町字古房4963
3,900kl
日鉱





日立
日立市宮 田町字津崎1798
800kl
ア石
日立
日立
日立
日立

結城
結城市白 銀町7382
1,000kl
ア石
結城
亜石
亜石
共石
1961.11 開所、1984.3廃止([1]p419)
宇都宮第 一
宇都宮市 住吉町628
350kl
日鉱
西川田


共石
1961.7 開所、1984.3廃止([1]p419)
所在地はミスか?
宇都宮第 二
宇都宮市 日の出町2-23
472kl
東亜




南宇都宮 駅付近
高崎第一
高崎市倉 賀野町2358
900kl
ア石
倉賀野
亜石
亜石
共石

高崎第二
高崎市本 町124
400kl
日鉱
倉賀野
日鉱
日鉱
共石

川俣 邑楽郡明 和村字仲谷241
500kl
東亜
川俣

東亜
共石

船橋
船橋市西 浦町27
1,200kl
東亜





阪和船橋
船橋市日 の出町4
300kl






佃島
東京都中 央区佃島50
1,945kl
東亜




1963.7 開所、1985.3廃止([1]p419)
城北
東京都足 立区新田3-25
3,500kl
ア石





川崎
川崎市水 江町1-2
103,834kl
日鉱
水江町
日鉱
日鉱
日鉱
S36年 版は浜川崎駅
甲府
甲府市住 吉本町2506
280kl
東亜
南甲府
東亜
東亜
共石

上田
上田市南 天神町
305kl
東亜




上田駅付 近か?
松本
松本市大 字芳川小屋字新林645
700kl
ア石
村井
亜石
亜石 共石 1961.4 開所、1983.9廃止([1]p419)
村井
松本市村 井町223
120kl
東亜




村井駅付 近と思われる
新潟
新潟市沼 垂字牛街道4914
2,800kl
ア石
東新潟港

亜石
ア石
1962.4 開所、1986.1廃止([1]p419)
S42年版には共石もあり
長岡
長岡市大 島町字谷内甲1136
400kl
東亜
西長岡


共石

伊東
伊東市湯 川字山岸292
100kl
東亜
伊東
東亜
東亜
共石
1965.8 開所、1986.3廃止([1]p419)
開所が専用線存在時期と矛盾
沼津第一
沼津市千 本港町127
1,400kl
ア石




沼津港駅 付近
沼津第二
沼津市東 高沢町200-1
48kl
日鉱





原第一
駿東郡原 町堀金
650kl
ア石

亜石
亜石
共石
1958.12 開所、亜細亜石油の第1号の油槽所
(『明石八十年史』p317)
原第二
駿東郡原 町415
150kl
東亜





田子ノ浦
吉原町鈴 川字砂山
500kl
東亜





焼津
焼津市小 川町下之島
400kl
ア石





菊川
小笠郡菊 川町堀之内557-16
130kl
東亜
菊川
東亜
東亜
共石


□名古屋事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
小坂井
宝飯郡小 坂井町伊奈縫殿53
550kl
ア石
西小坂井
※3
※3
※3
※3 明石産業(株) 亜細亜石油の特約店
1960.11.15開所、亜細亜石油の第2号の油槽所で
側線と付帯設備は1961.4完成
(『明石八十年史』p317-318)
東陽第一
名古屋市 港区船見町56
5,950kl
東亜





東陽第二
名古屋市 港区船見町56 850kl
ア石





名古屋
名古屋市 港区潮見町48
15,030kl
日鉱
汐見町
日鉱
日鉱
共石

三光第一
名古屋市 港区潮見町11‐1
1,900kl
東亜
名電築港

東亜

三井物産 (株)の第三者利用者
三光第二
名古屋市 港区潮見町11‐1 930kl
ア石
汐見町

亜石
共石
東陽油槽 (株)の第三者利用者
富山
富山市草 島町新港埋立地
2,300kl
日鉱




1964.11 開所、1983.10廃止([1]p419)
伏木
高岡市伏 木町臣人浦
5,500kl
ア石
伏木


共石

藤江
金沢市藤 江町北2-19-3
360kl






粟津
小松市符 津町
300kl
日鉱
粟津

※4
※5
※4 (株)三島進商店
※5 三島石油(株)
三国
坂井郡三 国町新保
3,800kl
日鉱






□大阪事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
敦賀
敦賀市泉 100-1
231kl
日鉱
敦賀


共石

港北
大阪市此 花区北港本町10-1
4,400kl
ア石





桜島
大阪市此 花区梅町1-2
14,870kl
日鉱
桜島
日鉱
日鉱
共石

鶴町
大阪市大 正区鶴町1-29
6,660kl
東亜





和歌山
和歌山市 築港2-1-1
900kl
日鉱




1960.7 開所、1985.9廃止([1]p419)
加古川
加古川市 別府町別府1308
1,100kl
日鉱




1962.10 開所、1984.12廃止([1]p419)
飾磨
姫路市飾 磨区納江字宮前1093
800kl
日鉱





徳島
板野郡茂 町笹木野
400kl
ア石





坂出
坂出市車 浜
1,800kl
東亜





新居浜
新居浜市 阿島
325kl
東亜





玉島
玉島市乙 島字亀の首49
400kl
ア石






□広島事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
高松
高松市朝 日町
400kl
日鉱





多度津
仲多度津 郡多度津町大字多度津東浜
507kl
日鉱





松山
伊予郡松 前町大字筒井字江川
500kl
日鉱





岡山
岡山市築 港元町3
1,300kl
東亜




1959.9 開所(『岡山臨港鐵道50年史』p52)
福山
福山市新 浜1-319
250kl
日鉱





大野廿日 市
佐伯郡廿 日市町東浜
530kl






鳥取
鳥取市行 徳437-1
190kl
日鉱
鳥取
※6
※6
※6
※6 鳥取米油(株)
米子
米子市昭 和町2-1
190kl
日鉱
米子
日鉱
日鉱
共石

出雲
出雲市今 井町塚根1132-2
150kl
日鉱
出雲市

※7
※7
※7 島根県経済農協連
1961年開所(『島根経済連五十年のあゆみ』p251)
1975.8廃止(『島根経済連五十年のあゆみ』p624)
岩国
岩国市大 字装東字帆場縫
975kl
日鉱




1963.3 開所、1984.3廃止([1]p419)
宇部
宇部市西 区海岸通3
1,300kl
日鉱






□福岡事務所
油 槽所名
所 在地
貯 油能力
旧 所属
専 用線
S36 年版
S39 年版
S42 年版
備  考
小倉
北九州市 小倉区末広町1-196
9,850kl
日鉱
東小倉
日鉱
日鉱
共石

大分
大分市大 字駄原字豊久北浦
2,000kl
日鉱
大分港

日鉱
日鉱
S42年 版:共石は第三者利用者
鹿児島
鹿児島市 宇宿町314-20
2,100kl
日鉱








▼4 −2.統廃合基地一覧  

◆統廃合基地一覧(1986年3月25日現在) ([1]p419より作成)

*油槽所
油 槽所
開 所
専 用線
廃 止
協 力会社
代 替基地
専 用 線・側線
備  考
旭川
1968.11
新旭川
1977 頃
不明
共同石油 (株)旭川油槽所
北旭川
貨物取扱 駅と荷主「北旭川駅」参 照
北見
1953.10
(北見)
1985.3
石油荷役
共同石油 (株)釧路西港油槽所
西港
北見駅に 専用線無し
上常呂駅に共石特約店の(株)リヨーユウ専用線あり
帯広
1963.12
(木野)
1983.9
熱原輸送
共同石油 (株)西帯広油槽所
帯広 (貨)
木野駅に 専用線無し
手稲
1972.3

1983.9
北海道共 石油送
伊藤忠燃 料(株)にリース


函館 寄託

1985.3
北斗興業
アジア石 油(株)函館製油所
七重浜

会津若松
1963.9
西若松
1984.6
会津共栄
日本オイ ルターミナル(株)郡山営業所
郡山

結城
1961.11
結城
1984.3
志村興業
日本オイ ルターミナル(株)宇都宮営業所 宇都宮 (タ)
結城駅に は鹿島石油から石油到着[2]
宇都宮
1961.7
西川田
1984.3
関東共石 油送
共同石油 (株)日立港油槽所、
勝田倉庫


佃島
1963.7

1985.3
志村興業
東亜石油 (株)川崎製油所
水江町

松本
1961.4
村井
1983.9
長野油送
共同石油 (株)新甲府油槽所
共同石油(株)高崎油槽所
東花輪
倉賀野

新潟
1962.4
東新潟港
1986.1
山久運送
共同石油 (株)新潟東港油槽所


伊東
1965.8
伊東
1986.3
志村興業
東亜石油 (株)川崎製油所
水江町

清水
1966.9

1985.8
日東石油 輸送
(株)東 燃 清水製油所
共同石油(株)大井川油槽所
清水


富山
1964.11

1983.10
富山港湾 運送
共同石油 (株)金沢油槽所


武生
1970 年代
西武生
1970 年代
不明
共同石油 (株)福井油槽所

武生油槽 所は[1]p419に無し
福井港の福井油槽所は1978.12開所。拙 web参照
守山
1973.10
守山
1984.3
近畿共石 油送
昭和四日 市石油(株)四日市製油所
丸善石油(株)堺製油所
ゼネラル石油(株)堺製油所
塩浜



和歌山
1960.7

1985.9
近共油業
(株)東 燃 和歌山製油所
初島

加古川
1962.10

1984.12
別府運送
共同石油 (株)高砂油槽所


徳島
1971.2

1986.3
石油荷役
モービル 石油(株)小松島油槽所


岡山
1970.6
(岡山 港)
1983.3
丸運
日本鉱業 (株)水島製油所
東水島
岡山臨港 鉄道には岡南の油槽所(共石等)
向けの機械油の到着あり
(『岡山臨港鉄道の生立ちと30年のあゆみ』p101)
岩国
1963.3

1984.3
丸楽運輸
共同石油 (株)広島油槽所


佐世保
1968.3

1986.3
石油荷役
モービル 石油(株)佐世保油槽所


土々呂
1970.7

1984.10
センコー
東西オイ ルターミナル(株)日向油槽所




1980.10結城油槽所 
地図・空中写真閲覧サービスより)

1975.1宇都宮油槽所
 地図・空中写真閲覧サービスより)

松本油槽所 (『鈴与百七十年史』1971年、カラー)

1975.10新潟油槽所
 地図・空中写真閲覧サービスより)

2019.3武生油槽所

1982.10守山油槽所
 地図・空中写真閲覧サービスより)


LPガス基地
基 地名
開 設
専 用線
廃 止年月
協 力会社
代 替基地
専 用線
備  考
船川
1975.3
船川港
1986.3
日本鉱業
三井液化 ガス(株)青森基地 野内
2001.8 現地(野内) 現在、青森液化ガス(株)
会津若松 1962.11 西若松 1986.3 会津共栄 委託

高松
1968.2

1985.4
石油荷役
アジア共 石(株)坂出製油所



アスファルト基地
建 設年月
基 地名
廃 止年月
協 力会社
代 替基地
専 用線
備  考
川崎
寄託
1983.10
菱和共石
富士石油 (株)袖ヶ浦製油所
北袖


寄託
1984.3
北坂石油
姫路基地


福岡
1973.3
1985.9
丸運
廃止





▼4 −3.油槽所、LPガス基地、アスファルト基地  

1987年7月1日現在の油槽所、LPガス基地 アスファルト基地  [1]

□札幌支店

名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p494
開 所 S58 年版
専用線
備  考
稚内油槽 所

稚内市新 港町1 14,000kl 1972.10.01
北洋埠頭
稚内LPガス基地 ×
×
油槽所に 併設 800t 1974.11
1987.7.1 現在では無し
留萌油槽 所

留萌市塩 見町3690 46,230kl 1969.11 留萌 モービル 石油と共同で建設([1]p317)
留萌アスファルト基地
×
留萌市元 町3丁目 3,500kl


旭川油槽 所
×
旭川市永 山町6-23-3 7,190kl 1977 年頃 北旭川 東西OT に統合か?
小樽油槽 所 ×
×
小樽市手 宮1-6-1 4,896kl
手宮

札幌オイ ルターミナル


札幌市白 石区流通センター3-1-28


〔札幌 (タ)〕
専用線無 し
札幌油槽 所(潤滑油)
×
札幌市白 石区菊水上町4条4-93-1

「1975 年版専用線一覧表」では東札幌駅に専用線あり
釧路西港 油槽所

釧路市西 港1-98-9 32,200kl 1977.12 西港 西港〜帯 広で石油輸送を実施。
シェル石油と共同で建設([1]p317)
西帯広油 槽所
×
帯広市西 25条南1-6-11 14,600kl 1971.08.09 帯広 共石集約 時(1966年)は帯広油槽所は
音更町木野にあり
苫小牧油 槽所
×
苫小牧市 真砂町18 58,752kl 1966.12.01 石油埠頭 1968.12.3 石油埠頭駅の共同石油(株)専用線運輸開始
(『苫小牧港開発株式会社二十年史』1980年、p259)
苫小牧LPガス基地
×
油槽所に 併設 800t 1967.11.24 石 油埠頭

函館油槽 所

×
上磯郡上 磯町七重浜6-4-3


七重浜
1987.7.1 現在では無し。製油所閉鎖後に設置か
函館LPガス基地
×
上磯郡上 磯町七重浜1-3-2 800t 1981.11.26 七重浜


1977.9留萌油槽所 (地図・空中写真閲覧サービスより)

1977.9西帯広油槽所 (地図・空中写真閲覧サービスより)


□仙台支店
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p494
開 所 S58 年版
専用線
備  考
青森油槽 所
×
青森市柳 川2-1-28 16,578kl 1968.01.10
2001.8 現地 東西OTにコスモ、JOMO、日石、モービル
青森オイ ルターミナル


青森市柳 川2-1-9



1987.7.1 現在では無し
八戸油槽 所

八戸市豊 洲2-7 43,760kl 1970.07.01 本八戸 2006.3 現地
八戸アスファルト基地
×
油槽所に 併設 3,000kl
本八戸

盛岡オイ ルターミナル


盛岡市永 井30-39

1981.10.01
〔盛岡 (タ)〕
専用線無 し
船川LPガス基地⇒
船川アスファルト基地

×
男鹿市船 川港船川字芦沢162-1



[1]p494 は無し 1995年はアスファルト基地 
秋田油槽 所 ×
×
秋田市寺 内字後城322-3 8,000kl 1968.10.01
2001.8 現地 廃止され跡地は岩谷産業(株)など
秋田港の油槽所 集積地帯
塩釜油槽 所
×
塩釜市貞 山通3-18-10 10,280kl 1967.02.01 塩釜埠頭 1999.2 現地
塩釜LPガス基地

塩釜市貞 山通3-29-2 850t 1968.02 塩釜埠頭
1999.2 現地〔丸紅エネルギー(株)と同じ敷地〕
丸紅と共同で建設([1]P317)
仙台油槽 所(潤滑油)
×
仙台市太 白区郡山1-10-8 186kl 1973.11 長町 1998.6 現地 ドラム缶と小さなタンクが3基
蔵王油槽 所 ×
×
山形市大 字松原386-1 5,100kl
蔵王 1998.9 現地 廃止されセメントローリー置場に
酒田油槽 所

酒田市大 浜2-2-46 27,600kl 1969.11 1999.2 現地 現役、ニヤクとJA-SSのローリーあり
郡山オイ ルターミナル


郡山市富 久山久保田字前田59-2


(郡山)
専用線無 し
新小名浜 油槽所

いわき市 泉町下川字大剣1-52 24,629kl 1979.09.01
2003.10 現地 東 西オイルターミナル・小名浜合同油槽所


2006.3八戸油槽所

2004.6酒田油槽所


関東配送センター
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p494
開 所 S58 年版
専用線
備  考
日立港油 槽所 ×
×
日立市大 みか町5-5-16 9,980kl

勝田倉庫

×
勝田市佐 和1395-2




百里油槽 所 ×
×
行方郡玉 造町芹沢字榎本1775 1,000kl 1968.02 榎本 1987.7.1 現在では無し  2002.12現地 油槽所なし
鹿島LPガス輸入基地 ×
×
茨城県鹿 島郡神栖町東和田4 218,000t 1974.12 奥野谷浜 [1]p494 では鹿島LPガス調合工場
宇都宮オ イルターミナル


河内郡上 三川町大字多功字天沼2425


〔宇 都宮(タ)〕
専用線無 し
高崎油槽 所 ×
×
高崎市倉 賀野町2358 500kl
倉賀野 1996.8 現地 廃止されていた
高崎LPガス基地 ×
×
油槽所に 併設 150t 1963.10 倉賀野 アジア石 油より移管
高崎オイ ルターミナル


高崎市栗 崎町字原田724


(倉賀 野)
専用線無 し
千葉油槽 所(潤滑油) ×
×
千葉市新 港233 1972.10.01

船橋油槽 所

船橋市西 浦2-17-1 17,663kl

二俣新町 駅近く
朝霞油槽 所

朝霞市台 字長沼98 10,426kl 1972.09
2003.1 現地 河川油槽所(新河岸川)
浮間油槽 所
×
東京都北 区浮間5-13-12 7,960kl 1970.12
河川油槽 所(新河岸川)
城北油槽 所
×
東京都足 立区新田3-36-1 4,900kl

2003.1 現地 廃止され周辺は再開発中
八王子オ イルターミナル


八王子市 北野町586


(八王 子)
専用線無 し
川崎LPガス輸入基地 ×

川崎市川 崎区水江町5-1 82,441t 1967.12.21 水江町 1995.11.1 現在はリスト化漏れか 2010.7現地
京浜油槽 所


横浜市鶴 見区大黒町13-1



1987.7.1 現在では無し
新甲府油 槽所
×
中巨摩郡 田富町布施字牧徳1424 7,600kl 1974.04.06 東花輪 1995.9 現地 
2000.8時点で油槽所廃止。宅地化工事中
松本オイ ルターミナル


松本市市 場1-57


(南松 本)
専用線無 し
上田オイ ルターミナル


上田市大 字下塩字渋草361-2


(西上 田)
専用線無 し
新潟東港 油槽所

新潟市太 郎代字浜辺2881-29 47,656kl 1973.10.19
2003.5 現地 新 潟東港の油槽所集積地帯にあり
長岡油槽 所 ×
×
長岡市大 島新町4-1160 440kl

「1970 年版専用線一覧表」まで西長岡駅に専用線あり
田子の浦 油槽所


富士市鈴 川西町21-13 8,700kl 1968.12.04 2006.5 現地 田子 の浦港の油槽所集積地帯にあり
第2田子 の浦油槽所

×
富士市鈴 川西町21-5



1987.7.1 現在では無し
大井川油 槽所

志太郡大 井川町利右衛門2727-3 7,996kl
1997.3 現地
大井川LPガス基地

志太郡大 井川町利右衛門2726-336 1,318t 1968.01
1997.3 現地 アスファルトタンクあり
日本海油 送(株)
×
×
高岡市伏 木磯町1-6



伏木油槽 所を分離か?


1975.1百里油槽所 
地図・空中写真閲覧サービスより)

2003.1朝霞油槽所

1995.9新甲府油槽所

1995.9新甲府油槽所

2010.8新潟東港油槽所

2009.8大井川油槽所


□名古屋支店
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p495
開 所 S58 年版
専用線
備  考
蒲郡油槽 所 ×
×
蒲郡市三 谷町水神町通12-1 12,019kl

名古屋油 槽所
×
名古屋市 港区潮見町48 32,039kl
汐見町 2002.2 現地 北袖、東水島から潤滑油が到着
東陽油槽 所 ×
×
名古屋市 港区船見町56 3,444kl


名古屋アスファルト基地 ×
×
東陽油槽 所に併設 3,600kl 1976.02

津油槽所 ×
×
津市雲出 鋼管町2 5,550kl 1971.10
モービル 石油と共同で建設([1]p317)
富山LPガス基地
×
富山市草 島字高砂1020 1,050t 1984.11
丸紅と共 同で建設([1]p317)
伏木油槽 所 ×
×
高岡市伏 木磯町1-11 16,350kl
伏木 1987.7.1 現在では無し 1999.4現地 油槽所無し
金沢油槽 所

金沢市大 野町4丁目ソ部-5 28,626kl 1970.11 金沢港の 油槽所集積地帯にあり
粟津油槽 所
×
小松市島 町ヨ19-3 341kl
粟津 1999.4 現地
福井油槽 所
×
坂井郡三 国町新保96字三里浜1-4 16,250kl 1978.12 エッソ石 油と共同で建設([1]p317)


1995.12名古屋油槽所

2003.1名古屋油槽所

1975.9伏木油槽所 
地図・空中写真閲覧サービスより)

2012.6粟津油槽所


大阪支店
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p495
開 所 S58 年版
専用線
備  考
桜島油槽 所
×
大阪市此 花区梅町1-1-11 34,537kl
桜島 1996.12 現地
1998年度に燃料油の取扱中止(『石油文化』46-3、1998年)
梅町油槽 所(潤滑油)
×
大阪市此 花区梅町2-3-55 1974.10

青岸油槽 所 ×
×
和歌山市 湊字青岸坪1342-38 5,600kl 1974.11 大岩石油(株)青岸油槽所
尼崎油槽 所

尼崎市東 海岸町17 39,670kl 1970.07.01

尼崎LPガス基地
×
尼崎市東 海岸町14 968t 1983.11.07
モービル 石油と共同で建設([1]p317)
高砂油槽 所
×
高砂市伊 保町梅井字西新浜堤防814-5 18,816kl 1981.08.04

姫路油槽 所 ×
×
姫路市飾 磨区中島字宝来3063 2,960kl 1978.10
1987.7.1 現在では無し
姫路アスファルト基地
×
姫路市飾 磨区細江字浜万才1306 2,600kl 1972.07
横田瀝青興業(株)アスファルト基地


1975.3桜島油槽所〔東洋埠頭(株)〕
地 図・空中写真閲覧サービスより)

2021.10尼崎油槽所


広島支店
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p495
開 所 S58 年版
専用線
備  考
鳥取油槽 所
×
鳥取市五 反田町11 3,160kl 1974.12 湖山
共石の代 理店であった鳥取米油(株)専用線あり
1978年6月に鳥取米油は共石との代理店契約解消し、エッソ石油に集約
「1983年版専用線一覧表」では廃止
境港OT (東西)


境港市昭 和町2



1987.7.1 現在では無し
松江油槽 所 ×
×
松江市富 士見町3 8,560kl 1969.02.23
東西OT 境港油槽所にJOMO参加(1998.8現地)
松江LPガス基地 ×
×
油槽所に 併設 820t 1970.09.01

福山油槽 所 ×
×
福山市箕 沖町113 15,400kl 1980.08.25
1987.7.1 現在では無し
広島油槽 所

広島市南 区月見町2244-16 7,510kl

広島港の 油槽所集積地帯にあり
広島LPガス基地

油槽所に 併設
1,000t 1968.02

宇部油槽 所
×
宇部市港 町1-15-28 5,800kl

昭シェル との提携で廃止(1999年1月16日付『日本経済新聞』)


鳥取油槽所 (『鳥取県経済連40年史』 1992年、巻頭)

1976.9松江油槽所 (地図・空中写真閲覧サービスより)


高松支店
名  称
1995
11.1
2008
12.1
所 在地
貯 油能力
[1]p495
開 所
備  考
高松油槽 所 ×
×
高松市朝 日町4-18-1 900kl

松山油槽 所
×
伊予郡松 前町筒井1317-2 6,071kl
2003.1 現地 JOMOの油槽所の確認できず、コスモ松山へ統合か
高知油槽 所
×
高知市五 台山タナスカ4985 6,200kl 1968.12.10 1997.7 日本OT高知営業所となる


□福岡支店
名  称 1995
11.1
2008
12.1
所 在地 貯 油能力
[1]p495
開 所 S58 年版
専用線
備  考
小倉油槽 所
×
北九州市 小倉北区末広2-1-1 10,828kl
東小倉 2000.12 現地付近を訪れたが、当該油槽所には気付かず
福岡油槽 所
×
福岡市中 央区荒津2-3-37 11,080kl 1968.07.19
博多港(荒津)の 石油基地集積地区にあり
大分油槽 所
×
大分市大 字駄原豊久北浦2908 6,615kl
大分港
佐賀関油 槽所
×
北海部郡 佐賀関町大字関字太田5683 600kl 1969.10

八代油槽 所 ×
×
八代市大 島町5059 6,850kl 1968.12.18

鹿児島油 槽所 ×
×
鹿児島市 宇宿2-3-24 6,237kl


鹿児島LPガス基地

油槽所と 併設
1,300t 1967.02
鹿児島 OT(東西)


鹿児島市 谷山港1-5-1



1987.7.1 現在では無し
加治木アスファルト基地
×
鹿児島県 姶良郡加治木町新田1-2 4,000kl 1975.05.27



1975.3小倉油槽所 (地図・空中写真閲覧サービスより)

1975.3大分油槽所 (地図・空中写真閲覧サービスより)


沖縄支店
名  称
1995
11.1
2008
12.1
所 在地
貯 油能力
[1]p495
開 所
備  考
沖縄油槽 所
×
沖縄県島 尻郡佐敷町字津波古西原1214 7,600kl 1972.04
沖縄LPガス基地
×
油槽所に 併設 890t 1972.05



■5.鉄道貨物輸送の概要   


▼5−1.共同石油(株)設立前の 貨車輸送  
 共石設立前の昭和30年代における日本鉱業(株)、亜細亜石油(株)、東亜石油(株)の3社それぞれの石油輸送については、資料は不足し確 定的な情報は少ない。
 しかし、当時はジョイント輸送は少ないと思われ、基本的に製油所から自社の油槽所向けの輸送だったと想定されることから輸送体系を予想することは難しく は無いと考えている。筆者の予想による考察が大半となるが、貨車輸送の実態を纏めておきたい。


▽日本鉱業(株)
 秋田県の船川製油所と岡山県の水島製油所という東西2カ所の製油所から油槽所に向けて貨車輸送が行われていたと思われる。

*日本鉱業(株)船川製油所
着 駅
着 荷主
品  目
貨 車
所 有者
備  考
仙北町
日本鉱業(株)盛岡油槽所
石油
タンク車
不明
S50年版:共石 S58年版無し
長町
日本鉱業(株)仙台油槽所
石油
タンク車
JOT
S58年版:共石
会津坂下
日本鉱業(株)坂下油槽所
石油
タンク車
不明
S45年版:共石 S50年版無し
楯山
エッソ・スタンダード石油(株)
石油
タキ5000形
不明
S58年版:エッソ (『黄帯を巻いた貨車』p7、p31)
鶴岡
日本鉱業(株)鶴岡油槽所
石油
タンク車
不明
S45年版:共石 S50年版無し

*日本鉱業(株)水島製油所
着 駅
着 荷主
品  目
貨 車
所 有者
備  考
鳥取
日本鉱業(株)鳥取油槽所
石油


鳥取米油(株) S50年版は湖山駅に移転。S58年版無し
米子
日本鉱業(株)米子油槽所
石油


S45年版無し
出雲市
日本鉱業(株)出雲油槽所
石油


S50年版まで島根県経済連(油) S58年版無し


1965.6仙北町駅
  (地図・空中写真閲覧サービスより)
日本鉱業(株)盛岡油槽所

島根県経済連 出雲油槽所
(『島根経済連五十年のあゆみ』p251)


▽亜細亜石油(株)
 亜細亜石油(株)横浜製油所は新興駅に専用線があった。南東北から関東甲信越、東海地方まで広範囲に亘ってタンク車輸送を行っていたと思われる。

着 駅
着 荷主
品  目
貨 車
所 有者
備  考
矢吹
亜細亜石油(株)矢吹油槽所
石油


S50年版:共石 S58年版無し
東新潟港
亜細亜石油(株)新潟油槽所
石油


S58年版:共石
倉賀野
亜細亜石油(株)高崎油槽所
石油


S58年版:共石
日立
亜細亜石油(株)日立油槽所
石油


S45年版:共石 S50年版無し
結城
亜細亜石油(株)結城油槽所
石油


S58年版:共石
村井
亜細亜石油(株)松本油槽所
石油


S58年版:共石

亜細亜石油(株)原油槽所
石油


S58年版:共石
西小坂井
亜細亜石油(株)小坂井油槽所
石油


S45年版:明石産業(株) S50年版無し


1962.5東新潟港駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
亜細亜石油(株)新潟油槽所

1961.6倉賀野駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
亜細亜石油(株)高崎油槽所

1959.10原駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
亜細亜石油(株)原油槽所

1961.5西小坂井駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
亜細亜石油(株)小坂井油槽所


▽東亜石油(株)
 東亜石油(株)川崎製油所は水江町駅に専用鉄道があった。亜細亜石油(株)と比較すると少し狭い範囲となるが、関東甲信地方と静岡県にかけてタンク車輸 送を行っていたと予想される。

着 駅
着 荷主
品  目
貨 車
所 有者
備  考
川俣
東亜石油(株)川俣油槽所
石油


S45年版無し
南宇都宮
東亜石油(株)宇都宮油槽所
石油


専用線無し
伊東
東亜石油(株)伊東油槽所
石油


S50年版:共石 S58年版無し
上田
東亜石油(株)上田油槽所
石油


専用線無し

東亜石油(株)原油槽所
石油


S58年版:共石
菊川
東亜石油(株)菊川油槽所
石油


S45年版無し
南甲府
東亜石油(株)甲府油槽所
石油


S50年版:共石 S58年版無し


1962.10南宇都宮駅
 地図・空中写真閲覧サービスより)
東亜石油(株)宇都宮油槽所

1962.8菊川駅
 地図・空中写真閲覧サービスより)
東亜石油(株)菊川油槽所



▼5−2.地区別の鉄道貨物輸送  


『昭和54(1979)年版 私有貨車所有者別番号・常備駅一覧 表』より
共同石油(株)を抜粋  (昭和54年3月31日現在)
常 備駅
専 用種別
形 式
両 数
合  計
七重浜
〔アジア石油(株)
函館製油所〕
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
アスファルト
アスファルト
LPガス
LPガス
タキ2100
タキ17000
タキ45000
タキ9900
タキ35000
タキ9200
タキ11700
タサ5700
タキ25000
9
10
3
14
4
4
4
1
2








51
手宮(小樽油槽所)
石油類「ガソリンを除く」
タキ1500
1
1
船川港
〔日本鉱業(株)
船川製油所〕
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
ガソリン
ガソリン
タキ1500
タキ45000
タム500
タキ3000
タキ9900
タキ35000
28
8
2
14
5
15





72
北袖
(日本鉱業)
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
タキ45000
タキ35000
14
5

19
水江町
(東亜石油及び
共石LPガス基地)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
LPガス
LPガス
タム9200
タキ1500
タキ10000
タキ45000
タキ9900
タキ35000
タサ5700
タキ25000
1
7
10
10
6
3
7
3







47
新興
(アジア石油)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
ガソリン
ガソリン
ガソリン
LPガス
LPガス
タキ1500
タキ9800
タム500
タサ1700
タキ3000
タキ9900
タキ35000
タサ5700
タキ25000
32
15
5
10
35
22
3
6
6








134
汐見町
(名古屋油槽所)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
タキ1500
タキ9800
タキ35000
1
3
2


6
伏木(伏木油槽所)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
タキ1500
タキ9800
8
4

12
東水島
(日本鉱業)
石油類「ガソリンを除く」
LPガス
タキ45000
タサ5700
11
1

12
東小倉(小倉油槽所)
ガソリン
タム500
1
1
合計:
355
『昭和60(1980)年版 私有貨車所有者別番号・常備駅一覧 表』より
共同石油(株)を抜粋  (昭和60年9月30日現在)
常 備駅
専 用種別
形 式
両 数
合  計
留萌
(留萌油槽所)
石油類「ガソリンを除く」
タキ17000
5
5
西港
(釧路西港油槽所)
石油類「ガソリンを除く」
タキ17000
5
5
石油埠頭
(苫小牧油槽所)
ガソリン
タキ35000
4
4
船川港
(日本鉱業)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
ガソリン
タキ1500
タキ45000
タキ3000
タキ9900
タキ35000
13
10
1
5
15




44
北袖
(日本鉱業)
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
タキ45000
タキ35000
13
5

18
水江町
(東亜石油及び
共石LPガス基地)
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
LPガス
タム9200
タキ10000
タキ45000
タキ35000
タキ25000
1
8
10
3
5




27
新興
(アジア石油)
石油類「ガソリンを除く」
ガソリン
ガソリン
ガソリン
LPガス
タキ45000
タキ3000
タキ9900
タキ35000
タキ25000
1
3
19
3
4




30
汐見町
(名古屋油槽所)
ガソリン
タキ35000 2
2
東水島
(日本鉱業)
石油類「ガソリンを除く」
タキ45000
11
11
合計:
146



▽北海 道地方  

 1966(昭41)年6月の共同石油(株)の営業開始時は、アジア石油(株)函館製油所の専用線があった七重浜駅が北海道内のタンク車輸送の主要な発送 拠点であったようだ。

 しかし臨海油槽所の専用線が次々と敷設された。1968(昭43)年12月には苫小牧港開発(株)石油埠頭駅が開業し、共同石油(株)苫小牧油槽所の専 用線が使用を開始した。1969(昭44)年11月にはモービル石油(株)と共同建設した留萌油槽所が開所した。更に浜釧路駅に専用線のあった釧路油槽所 は、昭和30年代後半に開所したと思われ、1977(昭52)年12月に開所した釧路西港油槽所に引き継がれる。このように七重浜、石油埠頭、留萌、浜釧 路(後に西港)の各駅から内陸油槽所、需要家にタンク車輸送されていたようだ。


〇七重浜駅からの輸送
 七重浜駅発送の鉄道輸送 は、1970年代後半の概要が判明している。これによると月間総発送量が2,100トンであり、平均すると1日70トン程度となり35トン積みタンク車2 両程度となってしまう。この時点で石油埠頭駅が道内発送のメインとなっていたと考えられる。

1977〜1978年の七重浜駅発送の石油の鉄道輸送
発送所 発駅
月間総発送量
到着先の市・町名
備 考(筆者註)
函館製油所
七重浜
2.1千トン
札幌市
旭川市
十勝支庁音更町
江別市(パルプ)
胆振支庁白老町(パルプ)
共石札幌油槽所あり
共石旭川油槽所あり
音更町の木野駅に昭和石油(株)帯広油槽所あり
王子製紙(株)江別工場
大昭和製紙(株)白老工場
([2]59頁より筆者が作成)

 上記表以外の輸送として、七重浜〜留萌間でタキ11700形(アスファルト専用)の運用があった模様で、共同石油(株)留萌油槽所向けの輸送と思われ る。

 1981(昭56)年9月にアジア石油は共石グループを離脱し、大協石油グループに移行するが、「昭和58年版 専用線一覧表」によると、アジア石油 (株)函館製油所の第三者利用者に共同石油(株)、(株)ほくさん、シェル石油(株)があり、その時点では引き続き共石向けの出荷拠点として機能していた ようだ。

 1984(昭59)年2月ダイヤ改正で、七重浜駅の貨物取り扱いが廃止されており、同時にアジア石油の専用線が廃止されたと思われる。尚、その後の函館 製油所は1985(昭60)年3月に生産活動を停止し、同年7月には油槽所及び石油備蓄業務に移行し、函館事業所に改称された。


〇石油埠頭駅からの輸送
 七重浜駅からのタンク車輸送廃止前より、苫小牧油槽所が石油埠頭駅を介して道央や道北へのタンク車輸送の中心だったと思われる。苫小牧油槽所の貯油能力 は上述の1987年7月時点で、同社最大となっており大型臨海油槽所から内陸油槽所へのタンク車輸送が函館製油所からのタンク車輸送よりも盛んに行われて いたと思われる。

油槽所名
着駅
S45
S50
S58
備  考
共同石油(株)旭川油槽所
新旭川


×
共石設立時は旭川市東旭川町に旭川油槽所あり
共同石油(株)旭川油槽所
北旭川




共同石油(株)留萌油槽所
留萌



留萌油槽所⇒旭川油槽所のタンク車輸送の可能性も考えられる
共同石油(株)増毛油槽所
増毛

×
×
臨海油槽所だが小規模なため、苫小牧油槽所から石油到着と予想
共同石油(株)札幌油槽所
東札幌


×

日本オイルターミナル(株)札幌営業所
札幌(タ)




共同石油(株)小樽油槽所
手宮



臨海油槽所だが小規模なため、苫小牧油槽所から石油到着と予想
S45、S50、S58は「専用線一覧表」
−:未開業 〇:存在 ●:国鉄側線 ×:廃止

 苫小牧港開発(株)の1991(平3)年度の主要荷主に、共同石油(株)、日本オイルターミナル(株)等がある。[3]

 苫小牧港開発は、1998(平10)年3月末で営業休止となったが、日本OT札幌営業所の1998年度の取扱量見通しは一部の元売が撤退することから対 前年 比 マイナスの見通し(1998年8月6日『交通新聞』1面)とあり、ジャパンエナジーは新日本石油精製(株)室蘭製油所から タンク車によるジョイント輸送をすることな く、鉄道輸送から撤退した可能性がある。


〇浜釧路駅、西港駅からの輸送 [18]
 昭和30年代後半に釧路港の釧路市南浜町に日本鉱業(株)釧路油槽所が開設されている。浜釧路駅に接続する専用線から北見や帯広地区にタンク車輸送され ていた。

油槽所名
着駅
S45
S50
S58
備  考
共同石油(株)北見油槽所
北見



ホクレン専用線で取り扱いと予想
(株)リョーユウ
上常呂


×
S45は北見菱雄(株)
共同石油(株)帯広油槽所
木野



側線で貨車扱いと予想
共同石油(株)西帯広油槽所
帯広(貨)




共同石油(株)札幌油槽所
東札幌


×
『黄帯を巻いた貨車』p27
S45、S50、S58は「専用線一覧表」
−:未開業 〇:存在 ×:廃止



1977.9上常呂駅
 地図・空中写真閲覧サービスより)
(株)リョーユウ 油槽所

1977.10木野駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
共同石油(株)帯広油槽所

 釧路西港の開発に伴い、北埠頭にあった石油施設が西港側に新設移転されることになり、1975年10月に国鉄と石油業界が釧路開発埠頭(株)に出資し、 新 富士〜西港間は1977年12月に開業した。

 西港駅は日石、コスモ、三菱、出光、ジャパンエナジーの専用線があり、1978年の西港石油基地整備の完了とともに、十勝・北見・網走など東北海道一帯 へ の石油タンク車輸送が本格化し、1日にタキで100両以上発送したこともあったが、1981年の石勝線開業に伴い十勝への石油流通経路が同線経由になった り、内陸油槽所の閉鎖等により西港駅からの石油輸送量は激減した。

 1997年3月までは西港〜中斜里間の石油輸送があったが廃止され、西港駅からは帯広駅着のみの輸送となり、1日あたりタキ5両程度の輸送となった。積 荷 の石油は、ガソリン・灯油・A重油・C重油と各種あり、重油は日本甜菜製糖の専用線に入るものが多い。荷主は三菱石油とジャパンエナジーの2社となってい る。

 1999年6月に釧路開発埠頭の西港駅からの石油輸送は廃止された。帯広地区には、本輪西駅から石油が到着しているが、ジャパンエナジーの輸送が ジョイント輸送で残っているかは不明である。



▽東北地方   
 東北地方には日本鉱業(株)船川製油所が立地し、昭和30年代までは東北地方一円にタンク車輸送されていた。しかし昭和40年代以降は精製の中心が太平 洋側の新鋭製油所に移ったため、東北地方の発送拠点は八戸油槽所や塩釜油槽所などの大型臨海油槽所に移行した。更にその後、東北石油(株)仙台製油所から のジョイント輸送に移行した。


〇船川港駅
からの輸送
 まずは日本鉱業(株)船川製油所の歴史を纏めておく。
 日本鉱業は、1937(昭12)年に船川港に原油タンクを建設し、早山石油、三菱石油、新津石油などに供給していた。しかし同年の日中戦争勃発により海 軍の命令により航空ガソリン生産ができない製油所への原油供給をストップすることになり、1936(昭11)年に建設された早川石油船川工場への供給停止 を検討せざるを得なくなった。そこで日本鉱業は、海軍より品質の優秀性に着目されていた雄物川油田の隣接地に秋田製油所を建設する計画を固めたが、精製に 必要な装置が太平洋戦争により入手が不可能となり、計画の見直しを迫られた。([4]p7)

 早川石油船川工場は雄物川油田の原油処理を目的に設置されたのだが、秋田製油所建設により原油供給が閉ざされるため、その補償として日本鉱業が買収する ことになり1939(昭14)年9月に日本鉱業船川製油事務所が開設された。([4]p7-8)

*引継時の船川工場概況
処理能力:27,000石/月
タンク容量:59,000石(旧日鉱原油タンクを除く)
製缶能力:4,000缶/日
引込線:390m
([4]p9より作成)


<原油輸送>[5][6]
 1959(昭34)年8月から石油資源開発(株)秋田鉱業所の申川原油はタンクローリーにて日本鉱業(株)船川製油所へ精製用原油用に輸送開始した。当 時の輸送量は60kl/日程度であったが、申川鉱場から船川製油所までの道路状況やタンクローリーの積載量の関係で、ほぼ限界であった。([5]p85)

 申川原油の大量輸送を行うために1960(昭35)年から翌年にかけて申川〜脇本送油線(約11km)と脇本積込所及び脇本駅構内に原油積込専用線(タ ンク車出荷用設備)を建設し、1960年4月27日に開通式を行った。これにより申川原油は150kl/日の大量輸送が可能になった。([5]p84- 85)

 脇本〜船川港で原油輸送開始。八郎潟西岸の若美町申川地区にある石油資源開発(株)秋田鉱業所申川鉱場で原油の商業生産開始。若美町か ら 総延長11.1kmのパイプラインで脇本駅北側に隣接する貯蔵施設に届けられた原油を、約9.5km 離れたジャパンエナジーの製油所まで鉄道輸送していた。
 1970年度のピーク時には、脇本駅の発送量は12万トン/年であったが、1999年度には4万トン/年に落ち込んだ。
 そして申川鉱場の原油産出量が減少していることからタンクローリー輸送のための出荷施設が完成し、2001年度からタンクローリー輸送に切り替えられる こ とになり、脇本駅発を2001年3月30日の列車をもって原油輸送は廃止された。

<石油輸送>[7]
1962年10月に塩釜〜船川で初の複式輸送(日本石油輸送株式会社)
 空タンク車の輸送効率を解消するために考え出されたのが「複式輸送」である。
@:三菱石油塩釜油槽所(塩釜埠頭駅)から同社秋田油槽所(秋田港駅)に製品を輸送し、荷卸しを終えたタンク車を日本鉱業船川製油所(船川港駅)に回送す る。
A:三菱石油塩釜油槽所(塩釜埠頭駅)から同社酒田油槽所(酒田港駅)に製品を輸送し、荷卸しを終えたタンク車を日本鉱業船川製油所(船川港駅)に回送す る。
B:@とAのタンク車に、日本鉱業船川製油所(船川港駅)において製品を積み込み、同社仙台油槽所(長町駅)まで輸送し、荷卸しを終えたタンク車を三菱石 油塩釜油槽所(塩釜埠頭駅)へ回送する。
C:Bのタンク車に、三菱石油塩釜油槽所(塩釜埠頭駅)において製品を積み込んで、再び@Aの輸送を行う。
この輸送により、空車の回送距離は、2社分合わせておよそ6分の1に短縮することができた。
([7]p70)


*(株)ジャパンエナジー 船川製油所
 ジャパンエナジーは1995年からローコスト体質構築のため、400億円のコスト削減をねらいとした「構造改革計画」を推進の一環として、1997 年4月以降 、船川製油所における原油処理を休止する。船川製油所は昭和14年に操業を開始し、30年代には日本海沿岸屈指の製油所として、北海道・東北・北陸地区へ の燃料油供給及び潤滑油供給の役割を担った。しかし、その後、精製の中心が太平洋岸の新鋭製油所に移ったことから、同所の原油処理能力は、他の製油所への 移設などにより、6,000バーレル/日まで縮小され、近年は同所での原油処理は、国産原油を主体に年間6万キロリットル程度にとどまっている。
 今後は引き続き潤滑油事業、医薬・バイオ事業などの生産拠点として、また日本海沿岸唯一の大型油槽所として発展を期している。また、秋田県内産原油につ い ては、今後も生産に支障を来さぬよう、同所の原油貯蔵機能は引き続き保持する予定である。(『石油文化』第45巻第2号、1997年、34頁)


 ジャパンエナジーは合理化の一環として1997年6月に船川製油所の原油処理を休止してきたが、2000年4月1日付けで同所を「船川事業所」へ改組 し、 さらなる運営体制の合理化・効率化を図る。船川製油所の業務の受託会社として、新会社「男鹿テクノ」(仮称)を設立し、4月1日付けで、原則として同事業 所における全ての業務を新会社へ委託する。
 新会社の本社は秋田県男鹿市船川港船川、資本金5,000万円(全額ジャパンエナジー出資)、事業は原油及びガソリン等石油製品の受入・保管及び出荷、 重 油・潤滑油その他の石油製品製造、倉庫、香料原料製造、産業廃棄物処理など。従業員数は約100名で、全員ジャパンエナジーから出向。(『石油文化』第 48巻第1号、2000年、42頁)


○船川港駅からの石油輸送
発駅
品名
着駅
貨車
備考
船川港
トランス油
越中島貨物
タキ35000型
[8]
船川港
機械油
北袖
タキ36065、36067
1999.3北袖駅
船川港
トランス油
博多港
タキ35000型
[8]
※1999年10月に小坂〜船川港間の硫酸輸送の着駅が秋田北港駅に変更され、船川港駅発着の貨物列車は脇本〜船川港間の原油輸送のみとなったが、その際 にこれらの潤滑油輸送は廃止になったと思われる。


 ジャパンエナジーは1998年、船川製油所におけるブラシル酸の生産能力を、現在の年産380トンから500トンへ増強し、その工事が完 成 した。
 ブラシル酸とは長鎖二塩基酸の一種であり、炭素数が13の白色結晶状の化合物である。同社はノルマルパラフィンを原料として、発酵法を用いて製造し、ム ス ク系香料として販売している。ムスク系香料(独特の甘い香り)は、大環状ムスク、多環ムスク、ニトロムスクの3つに大きく分類され、ブラシル酸は、この中 の大環状ムスクの一種であるエチレンブラシレートの原料として使用されている。ムスク系香料のうち、ニトロムスクは、安全性の問題を理由に、従来から先進 国では使用が自粛されており、大環状ムスクと多環ムスクがムスク系香料市場の大半を占めていた。しかし1996年から欧州で多環ムスクに関する環境上の問 題がクローズアップされ、その使用が自粛されるようになり、需要は大環状ムスクへと移行している。こうした状況から同社のブラシル酸への需要が拡大するこ ととなり、1997年、同社はブラシル酸の生産能力を年産300トンから380トンに増強、さらなる需要の増大に対応するため、今回新たに増強したもの。 (『石油文化』第46巻第6号、1998年、37頁)

<化成品輸送>
1996年9月目撃 磐田駅に留置のJRコンテナ
ブラシル酸:秋田貨物(ジャパンエナジー)→西浜松


〇本八戸駅からの輸送

油槽所名
着駅
S45
S50
S58
備  考
共同石油(株)盛岡油槽所
仙北町


×

日本オイルターミナル(株)盛岡営業所
盛岡(タ)




共同石油(株)
白沢


×
1975.11時点の空中写真では油槽所が見当たらず。
LPGタンクのようなものあり。船川港
S45、S50、S58は「専用線一覧表」
−:未開業 〇:存在 ●:国鉄側線 ×:廃止



1976.9仙北町駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
共同石油(株)盛岡油槽所

1975.11白沢駅 
地図・空中写真閲覧サービスより)
赤丸にLPGタンクのようなものが見える


〇塩釜埠頭駅からの輸送

油槽所名
着駅
S45
S50
S58
備  考
共同石油(株)蔵王油槽所
蔵王




共同石油(株)仙台油槽所
長町




共同石油(株)矢吹油槽所
矢吹


×

共同石油(株)会津若松油槽所
西若松




共同石油(株)坂下油槽所
会津坂下

×
×

共同石油(株)鶴岡油槽所
鶴岡

×
×

S45、S50、S58は「専用線一覧表」
−:未開業 〇:存在 ×:廃止



〇東北石油(株)によるジョイント輸送
 1971年10月1日より仙台臨海鉄道仙台北港駅から東北石油(株)の石油輸送が開始された。仙台臨海鉄道の1972年度から1983年度にかけての共 同 石油(株)の発送トン数は、1万3千〜2万トン/年程度であるが、1985年度には約6万トン、1986年度には約7万トンに急増する。[12] これは 共同石油(株)蔵王油槽所向けの輸送が増加したためであるが、塩釜埠頭駅からの切り替えによると思われる。
 しかし、共同石油(株)蔵王油槽所は1987年6月に閉鎖された。[12]
 一方、共同石油(株)の八戸発盛岡OT着の石油が1987年4月に仙台北港発に変更された。[12] このジョイント輸送は現在も継続していると思われ る。



▽ 関東・甲信越地方  

 上記の『昭和54(1979)年版 私有貨車所有者別番号・常備駅一覧表』よりわかるように、当時は新興駅のアジア石油及び水江町の東亜石油が関東地方 に おける共同石油の鉄道輸送の出荷拠点であったのだが、アジア石油及び東亜石油は1980年前後に共石グループから離脱してしまい(→年表参照)、1986 年に共同石油は富士石油に資本参加をした。(富士石油は共同石油に資本参加済み)

『昭和53年度 民鉄要覧』より共同石油(株)の関東地方に関係する専用鉄道を抜粋
会社名
敷設目的
目的外使用
区 間
km程
免許
年月日
運輸開始
年月日
連絡駅
運転管理者
共同石油(株)
東亜石油(株)
(共用)
川崎製油所から発送する
石油同製品の輸送
なし
第1工場
神奈川臨海鉄道水江線2.163米
〜第2工場
0.6

37.2.12

37.5.22
塩浜操
神奈川
臨海鉄道
共同石油(株)
川崎油槽所の製品及び
諸材料の搬出入
出光興産の石油製品、
用器類輸送
日立造船専用鉄道
起点1.057キロ、川崎油槽所
0.5

29.2.24

29.4.28
塩浜操
神奈川
臨海鉄道

 こうした中で、1985年7月から新興駅(アジア石油)発から北袖駅(富士石油)発に輸送ルートを変更(宇都宮・倉賀野・八王子・東花輪向けの合計58 万 トン)し、さらに1987年4月に水江町駅(東亜石油)から北袖駅(富士石油)への輸送ルート変更(郡山向けの11万トン)が実施された。[13]

*北袖駅
○1982年頃の北袖駅発送の共石・日本鉱業[14]
会社名
品 目
着 駅
備  考
共同石油
揮発油・灯軽重油
上白石
郡山
西武化学前
住友セメントだろう
保土谷化学などの化学工場到着か?
上武鉄道、西武化学だろう
共同O・T
揮発油・灯軽重油
郡山

日本鉱業
機械油
粟津
尼崎港
桜島
船川港
東小倉

尼崎油槽所到着か?
桜島油槽所到着か?
※当時の北袖駅は、大協石油が伊勢崎、武川、水戸、渋川、天竜川、長野、北館林荷扱所、大協O・Tが郡山、宇都宮(タ)に揮発油・灯軽重油を発送してい た。富士石油は大協石油、日本鉱業が出資しており、富士石油の鉄道輸送は大協石油分の方がメインであったようだ。しかし1986年の大協石油、丸善石油、 旧コスモ石油(1985年に大協、丸善の精製部門統合)の合併に伴うコスモ石油(株)発足により、コスモ石油の関東地方の鉄道輸送は浜五井駅発送に集約さ れたのだろう。

○1996年度実績の北袖駅発送の富士石油(株)・(株)ジャパンエナジー[13]
会社名
品 目
着 駅
備  考
富士石油
揮発油・灯軽重油

倉賀野
郡山
八王子
宇都宮(タ)
東花輪
日本OT 2003.5現地訪問、JOMOローリー目撃
日本OT
日本OT
日本OT 1999.3現地訪問、JOMOローリー目撃
1995.9現地訪問 1998.9.29鉄道輸送廃止(『レイルマガジン』第15巻第17号、1998年、p111)
ジャパンエナジー
機械油
汐見町
船川港



1996.5北袖駅 富士石油(株)専用線

○(株)ジャパンエナジーの基地別石油類輸送量(単位:千トン)[13]
荷 主
年 度
1983
1985
1988
1989
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
日本オイルターミナル(株)
郡山
倉賀野
宇都宮(タ)
八王子
西上田


0.8


0.9
150.5
152.6
63.6

115.6
230.7
231.3
142.6

112.4
229.8
226.8
126.8

39.8
261.4
264.3
89.5
2.0
32.5
257.7
249.0
94.8
0.4
34.0
261.7
272.5
95.4
0.0
36.4
270.4
278.8
99.5
1.8
36.3
278.6
291.3
97.4
0.0
34.7
273.2
298.1
96.9
0.0
36.0
264.2
273.2
60.5
0.0
日本石油輸送(株)
東花輪
その他

19.2
63.4
8.6
100.6
9.6
95.9
7.5
84.5
5.0
104.9
4.5
105.4
5.7
110.0
5.4
111.6
5.2
108.3
6.2
88.1
3.4
合  計
20.0
439.6
830.4
799.2
746.5
743.8
774.7
802.3
820.4
817.4
725.4
※郡山駅着が1989年と比較して1991年から大きく落ち込んでいるが、これは1991年10月に台風による武蔵野線長期不通により、仙台北港駅(東北 石油)から郡山地区に応援出荷が行われ、引き続きその輸送が続いたとあり、荷主はわからないが、ジャパンエナジーは仙台北港〜盛岡(タ)のO・T向け輸送 で東北石油からのジョイント輸送があるため、 郡山向けも仙台北港駅発に切り替わったのではないか。[19]

○北袖駅関係の目撃
発駅
品名
着駅
荷主
貨車
備考
北袖
潤滑油
機械油?
汐見町
粟津
(株)ジャパンエナジー 名古屋油槽所
三島石油(株) 粟津油槽所
北陸オイルサービス(株)
タキ40120
タキ35454
2002.2、2003.1汐見町 着荷主は筆者判断
1999.3北袖 返空を目撃 着荷主は筆者判断
船川港
機械油
北袖
ジャパンエナジー側入
タキ36065、36067
1999.3北袖


1996.5北袖駅 (株)ジャパンエナジー専用線

2004.8北袖駅 専用線廃止後すぐに線路は撤去され た模様


*三島石油(株)について (http://www.mishimaoil.jp/より)
◇本社:石川県小松市問屋町25番地
◇資本金:4,000万円
◇創業:嘉永5年
◇設立:1950(昭25)年10月
◇会社沿革抜粋:
昭和24年04月 日本鉱業株式会社石川県特約店となる
昭和25年10月 法人組織に改組、(株)三島油店を設立
昭和34年03月 小松市島町に粟津油槽所建設、輸送体勢確立の第一歩を踏み出す
昭和39年04月 社名を三島石油(株)に変更
昭和41年07月 日本鉱業・東亜石油・アジア石油の石油販売部門の集約により共同石油(株)が設立されると同時に特約店となる
昭和53年08月 北陸オイルサービス(株)設立、倉庫管理、業務および配送部門として独立

*鹿島石油(株) 『会社四季報 未上場会社版 2002年下期』東洋経済新報社 及び http://www.kashima- oil.co.jp/より作成
【本社】東京都港区虎ノ門2-10-1 新日鉱ビル
【設立】1967年10月
【資本金】20,000百万円
【株主】ジャパンエナジー36.6% 三菱化学19.9% コスモ石油17.2% 日鉱石油化学16.9% 東京電力7.9% 日本郵船1.5%
【販売先】ジャパンエナジー 三菱化学 東京電力 日鉱石油化学
【製品品目】LPG、ナフサ、ガソリン、ジェット燃料、灯油、軽油、重油、アスファルト、硫黄、石化用リフォメート、パラキシレン

 1978年5月25日〜1983年8月6日にかけて行われた成田空港向けの航空燃料の鉄道輸送は、京葉臨海地区(丸善・出光・極東石油工業)と鹿島石油 〜成田間で実施された。
 鹿島石油からの鉄道輸送はこの航空燃料輸送がほとんどであったが、それ以外の輸送も存在した。

○1977〜1978年の奥野谷浜駅発送の石油の鉄道輸送
発送所
発駅
月間総発送量
  (千トン)
到着先の市町村名
筆者註
鹿島製油所
奥野谷浜
成田以外は6.8
水戸
結城
長野県東部町
上越(化学)
成田(航空用)
1983年専用線一覧表には水戸駅に(株)茨石の専用線あり
結城油槽所は1984年3月に廃止(統廃合基地参照)
田中駅に四日市油槽(株)の専用線あり→コスモ四日市からの発送に変更→油槽所廃止
「1983年専用線一覧表」には直江津駅に(株)化成直江津の専用線あり
1978年5月25日〜1983年8月6日にかけて実施
※[2]59頁より筆者が作成

○鹿島臨海鉄道の石油(航空燃料以外の一般)輸送量の推移[20]
年 度 1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
輸送量(千トン)
30
41
55
58
73
80
97
84
91
86
99
78
72
※最大の輸送量は1981年度の99千トンであり、10万トンにも満たない。北袖駅発送が70〜80万トンに達するのと比較してもかなり少ない。輸送先も 上記のように限られており、廃止はやむなしか。むしろ関東地方の石油の鉄道輸送は、北袖駅の富士石油に集約されて望ましいといえる。


2003.5奥野谷浜駅 鹿島石油(株)専用線跡


*ジャパンエナジーと物流提携/年間4億、コスト削減…………日本石油 1998. 5.10〜 5.16 物流ニッポン新聞社(http://www.transport.or.jp/butsuryu/f_news.htmlより)
 日本石油(株)は13日、(株)ジャパンエナジーとガソリンなどの石油製品を相互融通する物流提携に踏み切る、と発表した。
 1998年10月以降、日石は室蘭製油所から北海道内にあるジャパンエナジーのスタンドに製品を供給し、ジャパンエナジーは関連会 社、鹿島石油(株) (東京都千代田区)の鹿島製油所から北関東地区の日石スタンドに供給する。日石、ジャパンエナ ジーが相互融通するのは、ガソリン、灯油、軽油とA重油が対象。
 日石はこれまで日本石油精製(株)(東京都港区)の根岸製油所から茨城、栃木両県など北関東地区への配送を行っていた。ジャパンエナジー で は鹿島製油所から内航タンカーを利用し北海道へ輸送していた。相互融通で両社の物流費は年間4億円の削減が可能となる。物流システムの変更は、陸上輸送、 内航タンカーなどの運輸業界へ経営を圧迫する可能性が大きい。

※上記物流提携により日本石油(株)土浦油槽所は廃止された。この土浦油槽所に向けては根岸〜神立間に石油専用列車が設定されていたが、1996年3月に 同列車は、根岸〜岡部間と同時にタキ1000形式による高速貨物列車化された。1998年10月のダイヤ改正で根岸〜神立間の輸送は廃止された。油槽所も 同時期に廃止されたと思われる。



▽中部地方 

*知多駅
 1973年10月に東亜共石が専用線を設けて、貨物扱いを開始した。同時に南松本のO・Tあてタキ11両(43トン積)の石油専用貨物列車を設定した。 [15]

○1977〜1978年の知多駅発送の石油の鉄道輸送
発送所
発駅
着駅数
着駅あたり
平均輸送距離
最短輸送距離
 (実キロ)
最長輸送距離
 (実キロ)
月間総出荷量
 (千トン)
最大量到着地
(千トン/月)
備 考
名古屋製油所
知多
11
182.3km
美濃本巣 85km
青海 413km
41.1
南松本 18.5
セメント工場向けは石油から石炭へ転換か?
※[2]57頁より筆者が作成

○知多駅発送の目撃
発 駅
品名
着駅
荷 主
貨 車
備 考
知多
重油
揮発油
灯油
石油
重油?
重油?
西上田
西上田
西上田
南松本
高月
石山
日本オイルターミナル(株)
日本オイルターミナル(株)
日本オイルターミナル(株)
日本オイルターミナル(株)
日本電気硝子(株)
東レor関西日本電気
タキ44182
タキ43009
タキ43167
タキ
タキ45284
タキ45448
2002.2知多
2002.2知多
2002.2知多
『鉄道ダイヤ情報』第28巻第3巻、1999年
1999.3東港 返空を目撃
1999.3東港 返空を目撃

 (株)ジャパンエナジーの知多製油所は2000年10月現在で、10万バレル/日の精製能力があったが、2001年6月に精製を休止した。(『石油文 化』第48巻第11号、2000年、4〜5頁)
 2002年3月のダイヤ改正で、名古屋南貨物〜知多間の貨物列車の設定が無くなっており、知多駅の貨物扱いは休止になったようだ。鉄道輸送は昭和四日市 石 油に振り替えになったのだろう。


1995.12知多駅

2002.2知多駅


○シクロヘキサン 知多に10万トン新設 2004年5月完成 計22万トン体制に (2003年5月8日付『化学工業日報』1面)
 ジャパンエナジーは、シクロヘキサンの新プラント建設を決定した。知多製油所に約10億円を投じて夏までに着工し、2004年5月の定修時に完成させ る。 年産能力は10万トン。既存の12万トンプラントと合わせて2系列22万トン体制となり、国内ではトップクラスの生産規模となる。グループの日鉱石油化学 が内外のカプロラクタム(CPL)メーカーに外販するほか、溶剤としても一部自消する方針。原料ベンゼン、水素を自給できる優位性を生かし、アジア市場で 存在感を高めたい考え。
 シクロヘキサンはベンゼンを水素添加して製造され、CPLやアジピン酸の原料となり、最終的にはナイロン繊維、樹脂として広く用いられている。アジアで 140万トンの需要があり、年率4-5%の成長率が見込まれている。国内では住友化学工業が今春、CPLを6万トン増強したほか、韓国カプロラクタムや南 京のDSMのプラント新設も計画されている。
 ジャパンエナジーは知多製油所の競争力のある水素、グループのベンゼンを用いてシクロヘキサンを12万トン生産している。新設の10万トンについても知 多 及び水島製油所のベンゼン、水素で自給可能。知多製油所では2001年6月に常圧蒸留装置を休止しているため、設備全体に余力が生じていたが、シクロヘキ サン新設により水素、動力などのバランスが最適化されるとしている。
 合計の22万トン能力は、千葉、徳山工場で計24万トンを生産する出光石油化学にほぼ匹敵し、国内トップクラス。単一の生産拠点としてはアジア最 大 規模となる 。販売はグループの日鉱石油化学が担当し、韓国、台湾、中国、タイ向けなど輸出は全体の4割程度になる見通し。また自動車分野などで脱アロマ溶剤として需 要拡大が期待できるメチルシクロヘキサン、ジメチルシクロヘキサンを事業化することも検討している。

○Jエナジー 知多製油所 石化ターミナルに転用 トルエン用タンク賃貸 年明け、 大型バースも (2003年12月5日『化学工業日報』1面)
 ジャパンエナジーは、知多製油所(愛知県知多市)を石化原料の輸出入機能を備えた大型ターミナル基地として有効活用する。既存の燃料油タンク1基(2万 7 千キロリットル)をトルエン用タンクに転用するとともに、石化用としては国内最大となる10万トン級タンカーの着桟可能なバースを整備。来年1月から商社 などに対しタンクのスペース貸しを始める。タンク改造にともなう桟橋までの専用配管をつなぎ込み、ストレーナーなど一連の設備投資額は2−3億円にのぼる 見込み。同社は知多に5千−1万キロリットル規模の転用可能なタンクがまだ2−3基あることから、トルエン以外の取り扱い品目の拡大も検討、スペース賃貸 業で5年後に売上高10億円を目指す。
 ジャパンエナジーは2001年6月、昭和シェル石油との精製分野における提携にともない、知多での原油処理装置を休止。一方でタンク・バースなどの現有 設 備を石化原料用のターミナル基地として有効活用をかねて検討してきた。
 今回第一弾として、既存の大型灯油タンクを基礎原料のトルエン用に転用、同時にバースの整備も進めることにした。ジャパンエナジーは石化メーカーや商 社、 ユーザーなどにタンクのスペースを貸すかたちで、トルエンの受入・出荷および管理業務を請け負う。すでに3−4社と賃貸契約を結ぶことで合意しており、来 年1月のスタート時点で2万7千キロリットルの半分以上の取扱量は確保できる見通しという。事業の進展に応じて、ベンゼン、キシレンなど対象品目の拡大も 検討する。
 わが国のBTX生産能力はアジア最大である半面、タンク、バースといったオフサイト装置が韓国・台湾などのライバル諸国に比べ劣位にあるといわれる。同 社 は現有設備の転用で初期投資を抑え、近隣諸国のタンクとも競争力ある賃貸価格を実現した。
 またトルエンの需給はエチレン設備および誘導品プラントの稼働状況によって左右される一方で、国内のタンク能力は総計5万トン程度しかない。同社は国内 需 給のバッファーとしても知多製油所の果たす役割は大きいと判断。輸出入機能のほか、関東および関西の中継基地としても立地の強みを生かす考えだ。


*汐見町
 名古屋油槽所:北袖と東水島から潤滑油が到着していた。
 輸送内容については、拙web「貨物取扱駅と荷主」の「汐見町駅」に(株)ジャパンエナジー 名古屋油槽所の 項を設けている。

 2003年10月ダイヤ改正で汐見町線は廃止となった。



▽関西地方  



▽中国地 方  

*東水島駅

『平成6年度 鉄道要覧』より
会社名
敷設目的
目的外使用
区 間
km程
免許年月日
運輸開始
年月日
連絡駅
運転管理者
(株)ジャパンエナジー
製品輸送
なし
東水島、工場
0.3
昭44.1.25
昭44.7.1
東水島
(株)丸運

 1978〜1978年の東水島発駅の水島製油所発送の石油の到着先の市町村は鳥取市であり、月間総発送量は5.0千トン(筆者註、1日あたりタキ6両程 度 か)であった。[2]
 鳥取市には鳥取油槽所がある。

 1998年8月現地訪問、また倉敷(タ)において返空:汐見町→東水島(ジャパンエナジー)タンク車を目撃。
 1999年1月汐見町駅において、タキ35745(ジャパンエナジー所有)機械油:東水島→汐見町(ジャパンエナジー側入) を目撃。
 また1999年頃の輸送として、東水島駅からは汐見町・酒田港・船川港・粟津などに向けて潤滑油発送がある。[18]


1998.8東水島駅
(株)ジャパンエナジー 水島製油所 潤滑油荷役線

2003.8東水島駅
潤滑油荷役線は廃止、手前にあるヤードは現役であった


2003.8倉敷(タ)駅
タ キ14302 JOT(H15.4.1〜H16.3.31 ジャパンエナジー使 用)
ノルマルパラフィン:東水島→酒田港


ノルマルパラフィンは、東北東ソー化学(株)に到着して、塩素化パラフィンの
原料となっていると思われる。



▽九州地方  




■6.最後に  




[1]『共同石油20年史』20年史編纂委員会編、共同石油株式会社、1988年
[2]野尻 亘『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』古今書院、1997年
[3]曽我 治夫「臨海鉄道13社の現況」『鉄道ピクトリアル』通巻第572号、1993年
[4]『船川製油所五十年の歩み』日本鉱業株式会社船川製油所、1990年
[5]『更なる50年をめざして』石油資源開発株式会社秋田鉱業所、2010年
[6]遠藤 浩一「男鹿線貨物輸送 85年の歴史に終止符」『鉄道ピクトリアル』通巻第703号、2001年
[7]『日本石油輸送50年史』日本石油輸送株式会社、1997年
[8]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻154号、1995年
[9]
[10]
[11]
[12]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として)』仙台臨海鉄道株式会社、1990年
[13]『35年のあゆみ』京葉臨海鉄道株式会社社史編纂委員会編、1999年
[14]『京葉臨海鉄道20年史』京葉臨海鉄道株式会社、1983年
[15]『15年のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年
[16]
[17]
[18]渡辺 一策・藤岡 雄一「臨海鉄道パーフェクトガイド」『鉄道ダイヤ情報』第28巻第3号、1999年
[19]『仙台臨海鉄道のあゆみ−10年間(平成2年度〜平成11年度)の資料を中心として−』仙台臨海鉄道株式会社、2000年
[20]『鹿島臨海鉄道株式会社30年史』鹿島臨海鉄道株式会社、2000年
[21]
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