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日通商事株式会 社 (本津幡駅)
2021.9.4 作成開始 2021.9.4公開


2021.9本津幡駅

2021.9本津幡駅



 金沢市の東北部に位置する津幡町は、人口3万8千人(2020年12月末)を抱え、金沢のベッドタウンとして発展している。石川県の中央部に位置し、能 登半島の付け根という立地から交通の要所となっている。鉄道は津幡駅で旧北陸本線と七尾線が分岐し、道路では町内を月浦白尾IC連絡道路や津幡北バイパス などの高規格道路が整備され、金沢都市圏の一翼を担っている。

 鉄道貨物輸送の観点でも津幡は興味深い。金沢都市圏には西南部に松任駅という物資別基地が展開していたことを拙web「貨物取扱駅と荷主」の「松任駅」で考察したが、東北部の津幡町内の駅 にも石油、セメント、LPGの基地が存在した。具体的には津幡駅には大協石油(株)、住友セメント(株)、本津幡駅に日通商事(株)の専用線がそれぞれ存 在したのである。

 その中でも本津幡駅の日通商事(株)の専用線は昭和40年代後半には廃止されており、昭和50年代まで残った津幡駅の専用線と比べてその存在感は薄い。 しかし本津幡駅を訪れると、駅構内に隣接して日通マークが印 象的なLPG基地が今なお稼働している。その姿を目撃したことが、第11回「専用線とその輸 送」で、本津幡駅の日通商事(株)を取り上げる原動力となった。同社の充填工場は全国各地に展開し、その1つが本津幡駅に専用線を有した津幡充填工場であ る。専用線廃止は相対的に早かったにも関わらず、LPGのタンク車輸送を行って当時の雰囲気を今に伝えている貴重な駅である。



 それでは、まず本津幡駅の日通商事(株)専用線概要の推移から確認してみよう。「昭和32年版 専用線一覧表」では存在しないが、「昭和36年版」より 同社前身の日通液化ガス(株)として現れる。「昭和42年版」からは日通商事(株)となり、第三者使用から専用者に変更となったが、「昭和45年版」を最 後に姿を消しており、「昭和50年版」では本津幡駅は無く、専用線が存在しないことが分かる。

専 用者
第 三者使用
作 業
方法
作 業
km
S36
S39
S42
S45
備   考
津幡製袋 (株)
日本通運 (株)
日通液化ガス(株)
中山永作
手押
0.2




S42年 版から日通液化ガス(株)無し。
S45年版では専用者は津幡製袋(株)から
(株)マンツネパックに変化
日通商事(株)
日本通運 (株)
手押
0.2






 また金沢鉄道管理局発行の『昭和50年版 貨物輸送概況』(1975年)に「貨物駅集約実績」(p234-235)がある。それによると、本津幡駅は1974(昭49)年度に廃止となっている。本津幡駅は「専用線のみ」 となっており、下記で記載する廃止に至る経緯からしても、日通商事の専用線はこの時に廃止された可能性が高いであろう。

 一方、専用線の開設時期については、少し謎がある。日通商事の前身である日通液化ガスは、1961(昭36)年3月10日に日本通運(株)の全額出資で 設立された。([1]p73)
 ところが、日通液化ガスが専用線として現れる「昭和36年版 専用線一覧表」が1961年1月4日現在の専用線一覧であるため、同社設立以前から専用線 が敷設されていたことになってしまう。同社は設立に先立ち、1960(昭35)年12月に「日通液化ガス設立準備委員会」が設置された([1] p73)とのことで、会社設立と同時に専用線が使用できるように届け出を早めに行っていたのかもしれない。

 ちなみに『石川県統計書』から本津幡駅の貨物取扱量を確認してみると、1960年度は到着量が536トンに過ぎないが、1961年度は同1,219ト ン、1962(昭37)年度は3,438トンと急増しており、取扱量からしても1961年頃に日通液化ガスの専用線が開設されたと考えられる。

 専用線は、1961年から1974年までの15年に満たない寿命だったことになり、比較的短命な専用線だったと言えよう。


 次に輸送体系を考察する。ただ考察と言うほど難しい問題ではなく、ほぼ 確実な情報があり答えは出ていると言えそうだ。

 日通液化ガス(株)設立の前段階として、1960年12月に日本通運(株)とブリヂストンタイヤ(株)は、ブリヂストンがLPGをクウェートから輸入し 川崎基地に陸揚げし、日本通運を元売会社として指定するという日本国内の販売に関する基本協定を締結した。([1]p72)

 日通液化ガス発足当初は、ブリヂストン液化ガス(株)川崎製造所か ら全国各地の日通液化ガスの充填工場へ、遠距離は20トン積みタンク車90両で一次輸送を行っていた([1]p285)と のことで、神奈川臨海鉄道・末広町駅のブリヂストン液化ガス の専用線から本津幡駅へタンク車輸送されていたと想像される。

 その後、1974年にはブリヂストン液化ガス七尾製造所が 完成するなどして、タンク車からローリー輸送が主体となっていった([1]p285)との記述があり、供給元が川崎製造所 から七尾製造所に切り替わった際に専用線が廃止されたと思われる。それまでは一貫して末広 町〜本津幡間でタンク車輸送が行われていたのであろう。1974年というのは、上述したように本津幡駅の日通商事(株)専用線が廃止されたと想定される時 期とも一致するだ けに辻褄は合う。尚、七尾製造所は専用線を介した鉄道輸送を全く考慮しない場所に立地している。

 本津幡駅の貨物取扱量は、1968(昭43)〜1973(昭48)年度まで到着量は年間9千トン程度で安定している。到着量が全てLPGではないかもしれ ないが、年間300日稼働とすると1日30トンの到着量となる。20トン積みタンク車ならば1日1〜2両の到着に相当するが、LPG専用線としてはごく自 然な輸送量と言えそうだ。

 1967(昭42)年度末の津幡充填工場の貯蔵設備(タンク)状況は30トンタンク×2([2]p120)であるが、 1983(昭58)年度末では15トンタンク×1、30トンタンク×1([3]p145)となっている。距離的に近い七尾 製造所からの供給に切り替わったことで必要な在庫量が減ったのかもしれない。

 現在の津幡充填工場の周辺は住宅地となっており、LPGのような危険物を扱う基地の立地としては適当ではない気もするが、国道8号津幡北バイパスの加茂 ICを介して、七尾方面にはアクセスが良い。そういった意味では今後もこの場所に残り続けるのかもしれない。



[1]『日通商事20年のあゆみ』日通商事株式会社、1985年
[2]『LPガス資料年報 VOL.4 1968年版』石油化学新聞社、1968年
[3]『LPガス資料年報 VOL.20 1985年版』石油化学新聞社、1984年

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