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北越製紙(株)2002.2.11作成
 

 北越製紙は1907年に長岡市に設立された。現在,本社は東京都中央区日本橋にあり,2000年3月期の売上高は1160億円,経常利益は42億円。工場は新潟,長岡,関東(市川,勝田)である。[1]

 長岡工場は北長岡駅接続の専用線があったが,1984年いっぱいで廃止された。[2] 
 また関東工場(市川)も昭和42年版専用線一覧表には,市川駅接続の専用線があった。[3]
 
 1993年2月に,JR貨物とタイアップし隅田川駅にニッソーセンターを建設した。主力の新潟工場からの直送メリットを追求するとともに,関東圏における物流の拠点と位置づけられることになった。[1]





新潟工場は焼島駅接続の専用線があり,現在も車扱輸送が行われている。
 1996年3月16日のダイヤ改正で,横浜本牧への紙輸送がコンテナ化された。コンテナは新潟(タ)駅発送である。1996年3月現在,焼島駅の北越製紙の専用線はワキ5000による隅田川駅への紙輸送,勿来,酒田港,安治川口から到着する液化塩素の取扱いが行われてる。紙輸送は土,日曜日以外は毎日運転(土曜運転の場合あり)で,平均して1回にワキ20〜24両発送されている。工場内入れ換えを担当する北越水運鰍ノよると,北越製紙とJR貨物はコンテナ化か新型ワキ車かでもめている状態とのことである。[4]
 
 1996年秋頃からは,ワム80000がワキ5000と混用されはじめ,1997年3月ダイヤ改正からは青ワムも復活した。そして5〜6月に青ワム車の一部に全検を施工し,ワキ車全面置き換えに対応した。ワキ車の置き換えは8月29日到着の5787レから開始され,31日到着の5787レで全てワム車への置き換えが完了した。北越製紙は2001年までJR貨物と契約しているらしいが,ワム車がそこまで持つかが不安である。[5]

 1998年3月21日に,横浜本牧駅において,洋紙:新潟(タ)(北越製紙)発送本牧埠頭到着の18Dコンテナを確認。
 ちなみに神奈川臨海鉄道の荷主に紙:日本紙運輸倉庫鰍ェある。[6]
 また横浜本牧・本牧埠頭両駅は向浜,北沼,岩沼,石巻港などから輸出用の紙が到着している。[7]

 1998年8月14日に,タキ75493(能町駅常備日本曹達所有)が焼島駅にて確認。[8]
 1999年4月1日に,タキ135486が酒田港から焼島に運用されるのを中条駅で確認。

 1998年8月に新潟工場に新規生産設備(月産能力約2万トン)を増強し,同時に日本初のパルプの無塩素漂白設備を導入した。ヨーロッパでは無塩素漂白のパルプ以外は使用が規制され,アメリカ合衆国でも2001年から規制が始める。環境対策を進めた結果,海外向けの印刷物の需要が増え,販売量が増えおり,鉄道輸送の増加につながっている。
 同社は以前から隅田川駅のニッソウセンターへワム貨車40両とコンテナ40個で800トンの製品を毎日輸送していた。また新潟工場の新生産設備が稼働した1998年8月からは,飯田町紙流通センター(以下IPC)へコンテナ20個の利用も開始した。IPCが隅田川駅と新座(タ)駅に移転した1999年6月からは,コンテナ50個を隅田川駅着でIPC隅田川へ入庫している。現在,新潟工場からは毎日1050トンの製品が隅田川駅へ到着している。同社は製品の工場直送化を進めており,首都圏向けの直送率は約50%となっている。しかし隅田川駅構内の倉庫については,大消費地の顧客サービスに有利と評価している。また鉄道輸送をトラックによる直送化に転換すると,トラックが100台以上も必要となり,環境面からも鉄道輸送はメリットがある。
 専用線が入ったニッソウセンターとIPC隅田川を同社は 高く評価している。荷痛みが発生しないため,船舶輸送では必要なバンド掛けも不要である。駅構内にあるといっても,専用線がなければ両倉庫は使わないと同社は話す。ただ同社は,コンテナ輸送のロットは小さいと考えている。「JR貨物はIPCとの契約以前に新しい35トン積み貨車の製造プランを示してきた。」「大型化した方が作業性が良くなると思うので,35トン積み貨車のテスト車両を早く導入して確認したい。」と話している。[9]

 
 また1999年4月に,京葉久保田駅は30フィート,24トン対応トップリフターを配備し,10月からISOコンテナの輸送が始まった。そして11月5日に京葉久保田駅でISOコンテナ列車の出発式が行われた。[10]
 この内,日本エイアンドエルはラテックス製造の東日本の拠点として,4月から住友化学千葉工場で生産を開始しているが,北越製紙などへの安定供給のため鉄道輸送を選択した。[11]
 新潟向けは京葉久保田駅から、コキ106型貨車1両に総重量20トンのISOコンテナを2個積載して出発。都内の隅田川駅で、ほかの貨物列車に連結して新潟(タ)駅まで輸送する。[10]

 2000年4月からは,北越製紙は大手で始めて無塩素パルプに全量切り替える。同社はパルプ設備2系列のうち無塩素漂白製法を導入しているのは1系列だけで,生産量は全体の約7割。約10億円で残り1系列を改造,年産約60万トンのパルプを全量,無塩素化する。[12]

 2000年6月現在では,北越製紙は新潟(タ)駅からコンテナで1日に170個程運んでいる。その大部分は隅田川駅へ送られる。[13]

 1996年8月25日に沼垂駅に行った際には,タキ23817【奥野谷浜駅臨時常備,借受者 日本合成ゴム(株)】を目撃した。
 沼垂のラテックス輸送は,1998年4月頃に廃止された。[15]
 
JSR(株)鹿島工場で物流を担当するJSR物流(株)鹿島営業所は,2000年に新潟向けのラテックス輸送をトラックからISOタンクコンテナ鉄道輸送に切り替えた。同工場から出荷されるラテックスは, 製紙メーカーに納品しているものである。同社では鉄道輸送に20フィートタイプのISO規格タンクコンテナを12個リースし月曜日から土曜日まで1日2個ずつ送っている。
 過去にはラテックスも私有タンク車で各地に車扱輸送していた時期があり,工場内には専用線が敷かれている。ところがタンク車の老朽化や車扱列車ダイヤの延滞,さらに盆暮れなどの列車運休による不便さなどから, およそ3年前にラテックス輸送を全てISOタンクコンテナによる道路輸送に切り替えた。鉄道への輸送再切り替えは,コキ200形式貨車が開発され,大型コンテナで大量の製品を鉄道で効率的に運べる環境が整ったと判断したからだが,環境負荷や輸送コストを見直した結果,当面鉄道転換は 新潟向け製品に限っている。[16]

 1996年8月25日に焼島駅に行った際には,北越製紙の工場内にジャパンエナジーのタンクローリーがいた。

 北越製紙は2001年6月から,新潟工場で6,7,8号機の3台の抄紙機の品質の向上と効率化に着手した。総投資額は40億円で,投資を終える2002年には同工場の塗工印刷用紙の生産能力は年鑑10万トン増の約60万トンとなる。印刷情報用紙全体では約90万トンに上って,単一工場では 国内最大規模となる。
 北越製紙のパルプ生産拠点は新潟工場のみで,塩素系薬品を使わない「ECF法」を既に導入している。生産したパルプは同工場内の紙生産向けのほか,長岡工場,関東工場市川,同勝田などにも供給している。今回の投資は釜の新設などはせず,漂白能力の強化,後行程の改良などが中心となる見通し。2002年春までに上乗せ分の6万トンの生産能力を整え,需給動向をみて本格生産に入る。[17]

[1]『北越製紙株式会社入社案内』2001年
[2]岩堀春夫編『鉄道番外録3』ないねん出版,1995年,65頁
[3]名取紀之・滝澤隆久編『トワイライトゾ〜ン・マニュアル5』ネコ・パブリッシング,1996年,283頁
[4]『レイル・マガジン9月号』第13巻第16号,通巻156号,ネコ・パブリッシング,1996年,74〜75頁
[5]『レイル・マガジン2月号』第15巻第2号,通巻173号,ネコ・パブリッシング,1998年,52〜53頁
[6]『鉄道ピクトリアル』第43巻第3号,通巻第572号,鉄道図書刊行会,1993年,52頁
[7]『鉄道ダイヤ情報』第28巻3号,通巻197号,弘済出版社,1999年,44頁
[8]『レイル・マガジン12月号』第15巻17号,ネコ・パブリッシング,1998年,77頁
[9]運輸タイムズ,1999年8月2日
[10]物流ニッポン新聞,1999年11月12日
[11]カーゴニュース,1999年11月9日
[12]日本経済新聞,1999年10月26日,11面
[13]JR貨物ニュース,2000年6月1日,4面
[14]http://www.jrfreight.co.jp/eigyou/syaatsukai/old.html
[15]『レイル・マガジン12月号』第15巻第17号,ネコ・パブリッシング,通巻183号,1998年,77頁
[16]JR貨物ニュース,2000年9月15日,2面
[17]日経産業新聞,2001年8月8日,6面