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北越紀州製紙株式会社
2002.2.11作成 2010.10.3更新開始  2010.12.13公開 2021.9.12訂補
《目次》
北越紀州製紙の会社概要
トピックス
北越紀州製紙(株)新潟工場
 新潟工場の沿革
 新潟工場のト ピックス
 鉄道貨物輸送の概 要
  焼島駅の貨物取扱量の推移   新潟 工場の専用線概要
 鉄道貨物輸送を 中心とした原 料輸送
  木材・チップの 輸送  液化塩素の輸送
  ラテックスの 輸送    そ の他の薬品 の輸送
  石炭・ 石油などの輸 送
 鉄道貨物輸送を 中心とした製 品輸送
  焼島 〜隅田川間の ワキ5000形運用計画
  隅田川ニッソ ウセンターの 利用   ワ キ車からワム車 への置き換え
  本牧埠頭 向けの紙輸送        IPC隅田川の利用開始
  専 用線から のワム輸送と新潟(タ)からのコンテナ輸送
  新 コンテナ 専用線の敷設  ワ ム車による紙輸送 列車をコンテナ列車化
 
20ftコン テナによるモーダルシフトの進展 
北越紀州製紙(株)長岡工場
北越紀州製紙(株)関東工場(市 川)
北越紀州製紙(株)関東工場(勝 田)
紀州製紙(株)紀州工場
 紀州工場の概要
 紀州工場の沿革
 紀州工場のトピックス
 鉄道貨物輸送の概要
 
鵜殿駅の貨物取扱量の推移
 
紀州工場の専用線概要
 鉄道貨物輸送を 中心とした原 料輸送
 鉄道貨物輸送を中心とした製品輸送
 専用線廃止と輸送手段の見直し

2010.8 北越製紙(株)新潟工場

■北越紀州製紙の会社概要  
所 在地
東 京都中央区日本橋本石町3-2-2
設 立年月日
1907 (明40)年4月27日
資 本金
420 億2,094万円
従 業員
連 結 4,071名(2010年3月31日)
売 上高
2009 (平21)年度 1,939億円
同社webサイトよ り)

 北越製紙(株)は、2009(平21)年10月に紀州製紙(株)との株式交換により同社を完全子会社とし、同時に商号を「北越紀州製紙(株)」に変更し た。


■トピックス  
*今年3月に自己破産 旧天間製紙の紙器事業買収 北越製紙、高級分野に進出 『日 経産業新聞』2004年8月2日付、16面

 北越製紙は子会社を通じ、今年3月に自己破産した旧天間製紙(静岡県富士市)の紙器事業を事実上、買収する。買収金額は約4億円。天間が神奈川県綾瀬市 に持っていた工場を引き継いで再開する。北越は汎用紙器が中心のため、天間が得意としていた高級紙器との補完を狙う。紙器事業の売上高を2005年度に約 24億円と03年度から倍増させる方針だ。

 北越製紙子会社で紙器などを手掛ける北越パッケージ(東京・千代田)が、旧天間製紙の東京工場(綾瀬市)の土地(約8千6百平方メートル)と建物、印刷 機や型取り機などの紙器の加工設備一式を買い取る。天間が破産した当時、同工場に約70人いた従業員のうち約30人を引き継ぐ予定だ。工場は停止していた が月内にも再開する。紙器の原紙となる板紙は主に北越製紙が供給する。

 北越パッケージは食品容器や化粧品など汎用紙器を主力とする一方、天間は主に菓子箱や靴箱など高級紙器を手掛けていた。高級分野進出に当たり、設備新設 より投資が少なくて済み、人材・ノウハウを手に入れることもできるため、買収を提案した。

 天間製紙は年間80億円を売り上げていたが、板紙市況の低迷などのあおりを受け、自己破産を申請し破産宣告を受けた。東京工場のほかに、紙器原料となる 板紙をつくる長沢工場(静岡県富士市)を持っていた。北越は自前で板紙を生産しているため、長沢工場は買収対象としない。

 北越パッケージは87.1%の株式を保有する北越製紙の子会社。2004年3月期の売上高は128億円で、うち紙器部門は約12億円。国内の紙器の市場 規模は数千億円規模。中堅の北越パッケージは旧天間の工場買収でシェア10位以内に入ると見られる。

*[新潟の経済50人]三輪 正明さん 北越製紙社長 『朝 日新聞 新潟版』2004年12月16日付
http://mytown.asahi.com/niigata/news01.asp?c=15&kiji=36
 北越製紙は、本社機能こそ東京・日本橋にあるものの、発祥の地は長岡市。生産拠点は今も新潟市にあり、社員の7割は県内出身者が占める。日本製紙や王子 製紙の2大グループの中にあって紙パルプ業界で、12期連続で経常利益率業界1位という健全経営を保つ。今回、突如襲った中越地震にどう対応したのか、そ して、今後の課題などを三輪正明社長(60)に聞いた。(桧山直樹)

――法人登記上の本店は、今も長岡ですね
「最初は、越後平野の水田が生む稲藁(わら)を原料に板紙製造を始めた。信濃川の水流も利用して。次第に原料用地の確保や川への水質問題もあり、原料を木 材チップに転換する頃から新潟市へと拠点を移した」

 工場は、新潟、長岡、関東2カ所の4カ所。主力は新潟工場で、主に印刷情報用紙を集中生産。日本の消費、古紙発生の6割は関東。このため、関東の2工場 は古紙の再生を扱う。長岡工場は、特殊な紙づくりが得意だ。
「長岡工場は様々なユニーク製品を生んでいる。新型肺炎(SARS)対応型のマスクや、半導体工場内を清浄に保つためのエアクリーンフィルター用紙。精密 機器運搬用の緩衝材つきの箱。回転すし用のトレーは、東京駅の東京食堂で使われている。コップは愛知地球博で採用された。生分解プラスチックとの混合なの で、自然界で分解するものです」

――中越地震、長岡工場はどうでしたか
「築70年ほどの古い建物もあり、壁や天井がはがれ、設備にもダメージが出た。新潟工場から当日のうちに40人ほどが援助物資を持って救援に入った。私も 10月25日に郡山経由で入った。在庫から逆算したところ、顧客に迷惑をかけないで済むリミットは1週間。修理業者もすぐ駆けつけてくれ、何とか納期も守 れ、操業再開にこぎつけました」

――関越道もJRも止まりました
「これも痛かった。新潟工場は世界第9位の生産規模を誇り、全社の売り上げの7割を占める。1日3千トンの製品が新潟から首都圏へ送られている。6割はト ラック、4割は貨車です。貨車分の荷を運ぶためトラックを急遽100台手配したり、JR貨物にお願いして普段は客車しか通らない磐越西線や、秋田・青森経 由で運んでもらったりした」

 64年の新潟地震でも被災。経営立て直しのため新潟西港近くの工場用地を売却した。それでも借金が重くのしかかり、大口の新聞用紙部門や、成長が期待で きる段ボール部門には投資できなかった。社業を拡大できない時期が80年代前半まで続いた。

――苦しい経験は生きていますか
「派手さはないが、堅実な経営風土になった。12期連続の経常利益率業界1位はその象徴です。新潟工場も、住宅地に囲まれ、製紙業界一厳しい環境。パルプ 製造工程で発生する独特の臭気をなくそうと研究を重ね、今は臭気成分も燃焼しています。煙突から出ている煙はすべて水蒸気。臭気は出ていません。環境面で は、経済専門紙の評価で環境経営度が業界1位を継続中です」

――2大メーカーのはざまでの生き残り、また海外の動向など課題は
「中国は市場も巨大で、工場能力の巨大化や安い労働単価でライバルになりつつある。しかし従業員1人当たりの生産力や、女性雑誌が求めるような、鮮やかな 表現力をもつコート紙など、日本の技術は負けない。総合メーカーを目指すつもりもない。新潟を拠点に、まだまだ行けます」

■北越製紙■ 1907(明治40)年創立。従業員1,111人。年間生産量125万4千トン。売上高1,475億円(連結)。経常利益124億円。経常 利益率8.4%。木材チップ全体に占める植林木の比率は91%で、主な輸入元は南アフリカ、チリ、豪。天然林を伐採しない「植林サイクル」を確立してい る。

*北越製紙が紀州製紙子会社化 『新 潟日報』2009年3月27日付
http://www.job-nippo.com/news/details.php?t=&k=2494

 北越製紙(長岡市)は27日、10月1日付で製紙業界10位の紀州製紙(大阪府吹田市)を株式交換により完全子会社化すると発表した。経営統合に伴い、 北越製紙の社名は「北越紀州製紙」に変更する。景気後退で需要が減少する中、主力の洋紙などに加え、紀州製紙が得意とする書籍向けなどの特殊紙を強化する 狙い。両社の売上高を合算すると、国内6位になる見通し。紀州製紙は9月25日付で上場廃止となる予定。

 両社は27日、株式交換契約を結び、北越製紙の岸本晢夫社長と紀州製紙の佐々木孝行社長が都内で記者会見した。
 岸本社長は「得意分野が異なり、理想的な補完関係。厳しい経営環境に対応するために必要だ」と強調。佐々木社長は「これまでもOEM(相手先ブランドに よる生産)を供給してきており、良好な関係だった。北越製紙の高い技術を吸収し、新たな成長につなげたい」と話した。

 紀州製紙株1に対し0.195の割合で北越製紙株を、紀州製紙の株主に割り当てる。

 北越製紙は主力の新潟工場(新潟市東区)に最新型の9号抄紙機を導入するなど、洋紙と白板紙では効率的な生産体制の構築を進めている。その一方で、経営 の柱の一つに掲げている特殊紙については、製品の拡充が課題となっていた。

 紀州製紙は、書籍の広告部分などに使われる色上質紙で国内の半分のシェアを占める。景気後退の中で、北越製紙の傘下で特殊紙に特化する。
 両社は、原料を共同で調達することでコスト低減が図れるほか、双方の持つ技術を生かした新たな分野の開拓の可能性も探るという。



■北越紀州製紙(株)新潟工場   
 北越製紙の発祥は新潟県長岡市であるが、新潟市には創業間もなく工場を新設し進出している。それ以降、新潟工場は相次ぐ生産設備の増強により北越製紙の 主力工場としてのみならず、製紙業界においても有数の生産設備を持つ工場としての地位を築き上げてきた。

 新潟工場の立地する新潟市の新潟港付近は、日本石油(株)新潟製油所や昭和シェル石油(株)新潟製油所などの複数の製油所が存在したことから石油産業の 印象の強 い地域であったが、それら製油所は1990年代末期に相次いで石油精製を停止したこともあって、現在の新潟港付近においては石油産業の影は薄くなってい る。その一方で、北越紀州製紙は新潟工場への積極的な投資を行っており、この地域における紙パルプ産業の存在感は非常に大きくなっていると言っていいだろ う。新潟市の工業都市としての地位を確固たるものにしている事業所の1つとして、北越紀州製紙の新潟工場の地域経済に果たしている役割は大変大きいものと 思われる。

▼新潟工場の沿革  
年  月
事    項
1914 (大03)年7月
北越製紙(株)は新潟市に北越板紙(株)を設立
1915 (大04)年
新潟工場に専用側線を敷設([1]p92)
1917 (大06)年2月
北越製紙(株)は北越板紙(株)を合併、新潟工場と称す
1937 (昭12)年5月
新潟市に北越パルプ(株)を設立
1944 (昭19)年3月
北越パルプ(株)を合併、パルプ工場と称す
1957 (昭32)年3月
パルプ工場に晒クラフトパルプ製造設備完成
1958 (昭33)年2月
新潟工場、パルプ工場、新潟支社の三事業所を統合、新たに新潟工場と称 す
1964 (昭39)年6月
新潟工場は新潟地震により被災、ただちに再建工事(新鋭抄紙設備を含 む)に入る
1966 (昭41)年3月
新潟工場の再建工事完成(2号機移設、3号機新設)
1968 (昭43)年8月
新潟工場に長網三層高級白板紙抄紙機(4号機)を新設、わが国初の表裏 のない板紙の生産開始
1970 (昭45)年4月
新潟工場に大型上質紙抄紙機(5号機)を新設
1985 (昭60)年4月
岩手県からの貨車によるチップ輸 送が廃止され、チップは全量トラック輸送化された([1]p396)
1986 (昭61)年7月
新潟工場に上・中質微塗工紙抄紙機(6号機)を新設
1990 (平02)年9月
新潟工場に上・中質塗工紙抄紙機(7号機)を新設
1993 (平05)年2月
隅田川駅構内に「隅田川ニッソ ウセンター」が開業、ワキ24両とコンテナ10個の運用を開始([1]p492-493)
1996 (平08)年3月
ダイヤ改正で本牧埠頭向け の紙輸送がコンテナ化[2]
1997 (平09)年8月
隅田川向けで運用されていたワキ車のワム車への置き換えが完了[3]
1999 (平11)年7月
隅田川駅構内に「IPC隅田川倉庫」が開業し、北越製紙新潟工場で生産される塗工紙を中心に利用開始
([1]p559)

1998 (平10)年7月
新潟工場に上質塗工紙抄紙機(8号機)を新設、ECFパルプを生産開始
2000 (平12)年4月
全社のパルプをECF法に転換
2008 (平20)年7月
9号機稼働を控え焼島駅に接続するコンテナ用の新専用線の使用開始式が行われた
(『MONTHLYかもつ』 2008年8月号、p16)

2008 (平20)年9月
新潟工場に上質塗工紙抄紙機(9号機)を新設
2010 (平22)年10月
焼島〜隅田川間のワム車による紙輸送列車をコンテナ列車化
(『JRガゼット』第68巻第11号、通巻第737号、 2010年、p67)

2018(平 30)年7月
商号を北越コーポレーション(株)に変更
紙製品の出荷で20ft私有コンテナ45基を新たに投入、関西方面の輸送で運用開始
(2019年3月28日付『カーゴニュース』)
2019(令 元)年7月
名古屋地区の顧客納品後のコンテナに紀州工場から製紙用原料を帰り荷と して積んで新潟工場に戻す
スキームを構築(2020年7月9日付『カーゴニュース』)
2020(令 02)年3月
新潟工場から北関東の顧客への輸送をトラックから鉄道にシフト。熊谷 (タ)駅着で段ボール古紙をコンテナ
に積んで戻す(2020年7月9日付『カーゴニュース』)
(註が付記されていない事項は同社 webサイトよ り)



▼新潟工場のトピックス   
*北越製紙 パルプ生産力 1割増強 (『日経産業 新聞』2001 年8月8日付、6面)
5億円投資 塗工紙の増産に対応

 北越製紙は製紙原料となるパルプの生産能力を引き上げる。新潟工場(新潟市)に約5億円を投じて既存設備を改修し、従来に比べ1割増の年産66万トン体 制とする。現在進めている同工場での塗工紙の品質向上、増産投資に対応し、原料部門でも生産体制を強化する。足元の紙需要は減退気味だが、需要回復期での シェア拡大に向けて積極的に投資する。

 同社は今年6月から、新潟工場で6、7、8号機の3台の抄 紙機の品質の向上と効率化に着手した。総投資額は40億円で、投資を終える来年には同工場の塗工印刷用紙の生産能力は年間10万トン増の約60万トンとな る。印刷情報用紙全体では約90万トンに上って、単一工場では 国内最大規模となる。

 北越製紙のパルプ生産拠点は新潟工場のみで、塩素系薬品を使わない「ECF法」を既に導入している。生産したパルプは同工場内の紙生 産向けのほか、長岡 工場(新潟県長岡市)、関東工場市川(千葉県市川市)、同勝田(茨城県ひたちなか市)などにも供給している。今回の投資は釜の新設などはせず、漂白能力の 強化、後行程の改良などが中心となる見通し。来年春 までに上乗せ分の6万トンの生産能力を整え、需給動向をみて本格生産に入る。

 情報技術(IT)関連機器の失速、消費低迷などから国内紙需要は昨年に比べ減少しており、新潟工場も7、8月合計で生産能力の約2割にあたる1万5千ト ン分を減産する計画。ただ、中長期的には塗工印刷用紙の需要の伸びは続くとみられ、同工場の増強を進めている。需要回復期にスムーズにフル生産に移行する ためには、原料部門の強化が不可欠だと判断した。

*北越製紙 黒液回収ボイラ新設 (『日刊工業新 聞』2003年6 月2日付、15面)
新潟工場の生産性向上 日2,900トン処理と国内最大級

 北越製紙は新潟工場(新潟市)に国内最大級の黒液回収ボイラを新設、生産設備の実稼働日数を年間340日から350日程度に引き上げる。新設備は1日当 たり2,900トンの黒液処理能力と、出力8万5,000キロワットの発電能力をもつ。老朽化した予備のボイラ1台を環境対応の新設備に置き換えること で、同工場の環境対策と生産性向上に対応する。設備投資額は130億円。04年9月の完成を見込む。

CO2も年7万2,000トン削減
 黒液回収ボイラはチップからパルプを取り出した後に残った廃液を有機物と薬品に分離、有機物を燃料として燃焼させる設備。薬品は再利用している。発生さ せた蒸気は紙の製造工程と発電用タービンの両方に使う。重油使用を削減しバイオマスエネルギーの使用比率を高められる。

 新型ボイラは臭気の漏れが少なく、年間7万2,000トンの二酸化炭素排出量を削減できる。新潟工場では2台が稼働し1台を予備として残している。今 回、老朽化した予備の1台を廃棄し新しいボイラに置き換える。ボイラは点検のために年1回停止しているがエネルギーの供給能力が落ちるため抄紙機の稼働率 が落ち込む。新設備は現在稼働しているボイラ2台分の能力があり、点検時のロスを大幅に軽減できる。

 北越製紙は重点戦略として洋紙、板紙の生産効率向上を掲げている。新潟工場ではコート紙や上質紙、パルプなどを生産し、設備の改善による生産性の向上を 進めている。新ボイラの稼働により生産設備の操業度を引き上げ、競争力強化につなげる。

*北越製紙 基幹設備を新設 10年ぶり 550億円で新潟工場に  (『日 経産業新聞』2006年5月18日付、13面)

 北越製紙は550億円を投じて製紙の基幹設備である抄紙機を10年ぶりに新潟工場(新潟市)に新設する。2008年末の稼働予定で、年産能力は約35万 トンと国内最大規模になる。割安な輸入紙の流入と原燃料高騰を受け、新設備で高品質品の生産を強化する。成長分野である塗工紙市場でシェアを高めることで 生き残りを目指す。

 同社が抄紙機を導入するのは1998年に新潟工場に印刷用紙生産で稼働して以来。新設備が稼働すると同社全体の生産能力は約26%増の年間165万トン になる。生産するのはチラシなどに使用する塗工紙。表面に塗工剤を塗る工程を一体化させた設備で高品質の軽量塗工紙を生産する。

 塗工紙は最近10年間で国内市場が約3割拡大。紙需要全体が頭打ちの国内では成長分野のため、能力増強に踏み切る。
 新設備の稼働開始時には年産20万トン程度と約6割の操業に抑える。中国や韓国の製紙メーカーにOEM(相手先ブランドによる生産)供給するなど 年間約10万トンを輸出に充てる方針。フル稼働は生産開始から2−3年後の見込み。

 製紙業界は98年以降、大型抄紙機の新設を控えてきた。しかし割安な輸入紙流入に加え原燃料高騰が進んできたため昨年に大王製紙が、今月には日本製紙グ ループ本社が国内で大型抄紙機の新設を決めている。

*北越製紙、国内最大級、550億円投じ新抄紙機導入 『日 経産業新聞』2006年5月19日付
http://job.nikkei.co.jp/2007/contents/news/inews/nt21auto005/NIRKDB20060519NSS0099.html

 北越製紙は18日、製紙の基幹設備である抄紙機で10年ぶりの新設備を主力の新潟工場(新潟市)で2008年末に稼働させると発表した。年産能力は約 35万トンと抄紙機で国内最大級。投資額は550億円。新抄紙機の導入で塗工紙の生産を増やし、売り上げ拡大を目指す。

 導入するのは紙の表面に塗工剤を塗る工程を一体化させた抄紙機。パルプ設備も一部増強する。軽量で高品質の塗工紙を生産する。同社全体の紙生産量は 26%増の年間165万トン、特に新潟
工場の塗工紙生産量は年産100万ト ンを超え、世界最大級になる見込み。

 低迷する市況に配慮し、新抄紙機の稼働当初は年産20万トン程度に抑える。中国や韓国の製紙メーカーにOEM(相手先ブランドによる生産)供給するなど 年間約10万トンを輸出に充てる。フル稼働時期は生産開始から2−3年後の見込みだ。

*北越製紙が新設備稼働前倒し 『新 潟日報』2008年5月1日付
http://www.job-nippo.com/news/details.php?t=&k=2024
 北越製紙(長岡市)は30日、新潟工場(新潟市東区)に導入する新たな製造設備「9号機」の商業生産開始を今年9月とする方針を明らかにした。当初予定 の11月から約2カ月前倒しする。
 また、業務提携している日本製紙グループ本社が伏木工場(富山県高岡市)など3工場を9月末に閉鎖するため、新製造設備で印刷用紙の相手先ブランドによ る生産(OEM)を手掛ける。

*北越紀州からのOEM調達 日本製紙が半減 印刷用紙 内需低迷に対応  (『日刊工業新聞』2009年10月12日付、15面)

 日本製紙は北越紀州製紙の新潟工場(新潟市東区)からOEM(相手先ブランド)調達している印刷用紙の量を、近く現行の半分以下に削減する。日本製紙は 旧北越製紙との戦略的業務提携により、新潟工場から9月まで月に約6,000トンのOEM供給を受けていた。しかし、日本製紙と北越紀州は今後も国内需要 が低迷すると判断、OEM量を調整することで、最新鋭の抄紙機を備えた工場の稼働率低下を防ぐ。

自社工場の稼働率維持

 具体的には日本製紙が北越紀州の新潟工場の最新鋭の抄紙機からOEM調達する量を月3,000トン以下に減らす。日本製紙は月3,000トン以下と同量 を、生産効率の高い石巻工場(宮城県石巻市)の最新鋭抄紙機などに振り分けて生産し、北越紀州にOEM供給する。これにより、日本製紙は需要が低迷する中 でも工場の稼働率を維持できると見ている。

 一方、北越紀州は日本製紙向けのOEM供給量が減る分を、回復基調にあるアジアなど輸出向けに振り向けて稼働率を維持する方針。具体的な数量は両者が協 議して近く決定する。

 日本製紙と旧北越は2006年12月に戦略的提携を結び、両社が相次ぎ建設した最新鋭抄紙機の稼働率の早期上昇を目的に相互OEMを開始した。

 2007年に日本製紙の石巻工場で最新鋭抄紙機が稼働した際は、日本製紙の石巻工場から旧北越に月約7,000トンをOEM供給した。旧北越の最新鋭抄 紙機が稼働した08年以降は計画に従い、日本製紙がOEM生産を終了、旧北越が新潟工場からOEM供給を始めた。ただ、昨秋以降の国内需要の低迷を受け て、新潟工場からの供給量は当初計画の月7,000トンを下回り、今年4月以降は月6,000トン前後で推移していた。

*北越紀州製紙、化学パルプさらし設備を改造−生産コスト3割削減 (『日 刊工業新聞』2013年8月30日付)

 北越紀州製紙は約8億円を投じて、化学パルプ(KPクラフトパルプ)さらし設備の改造に乗り出す。漂白工程にプレス型洗浄装置を設置し、漂白に必要とな るカセイソーダと二酸化塩素の使用量を削減することで競争力を高めるのが狙い。既存設備を稼働させながら設置工事を進める計画で、2014年6月ごろの完 成を予定する。約30%のコスト削減効果を見込む。

 新潟工場(新潟市)において改善を図る。KPクラフトパルプの工程は、まず蒸解工程でチップを薬品で煮て、パルプとして木材繊維を取り出す。次に洗浄工 程でパルプに含まれる樹脂分を洗い落とす。樹脂分は回収されボイラ燃料となる。

 洗浄後のパルプは木の色をしており、漂白工程で真っ白なパルプに漂白する。真っ白となったパルプは紙の原料として抄紙機に送られる。今回、漂白工程にプ レス型洗浄装置を設置することでカセイソーダなどの使用量を減らし、生産効率の向上を図る。

*北越コーポ、段ボール原紙事業に参入 通販需要取り込み (2019 年5月28日付『日本経済新聞』)

 北越コーポレーションは28日、段ボール原紙事業に参入すると発表した。新潟工場(新潟市)に約20億円を投じ、2020年に年産能力13万トンの設備 を導入する。オフィスワークのペーパーレス化が進み主力の印刷用紙需要が減少するなか、インターネット通販の普及で成長が続く段ボール需要の取り込みを急 ぐ。

 すでに停止を公表している新潟工場の洋紙向け抄紙機を転用し、中芯と呼ばれる段ボール原紙の製造に切り替える。



▼鉄道貨物輸送の概要  
 北越紀州製紙(株)新潟工場は、焼島駅に専用線があり古くはワキ車による隅田川向けの輸送、その後貨車はワム車に切り替えられたが2010(平22)年 ま で車扱による紙輸送は継続した。一方、2008(平20)年には新生産設備稼働に伴いコンテナ用の新専用線が敷設されるなど、モーダルシフトを積極的に 行っている。またチップや薬品類などの原料輸送においてもかつて鉄道貨物輸送の利用は見られ、その内タンク車で行われていた化学薬品輸送の一部は、ISO タンクコンテナ化などによって現在も 鉄道利用を継続している。

▽焼島駅の貨物取扱量の推移  (単位:トン)
年  度
発 送(車 扱) 到 着(車 扱) 合計
年  度
発 送(車 扱) 到 着(車 扱) 合計
1957(S32)
170,122
362,296
532,418
1975(S50)
498,041
584,464
1,082,505
1960(S35)
234,212
366,619
600,831
1976(S51)
528,914
491,943
1,020,857
1962(S37)
253,811
374,039
627,850
1978(S53)
495,758
443,746
939,504
1964(S39)
366,196
503,194
869,390
1980(S55)
442,410
402,344
844,754
1965(S40)
452,938
608,800
1,061,738
1981(S56)
415,368
347,443
762,811
1966(S41)
556,873
665,063
1,221,936
1982(S57)
376,908
294,578
671,486
1968(S43)



1983(S58)
360,182
181,876
542,058
1970(S45)
572,668
812,743
1,385,411
1984(S59)
342,944
163,313
506,257
1972(S47)
604,761
680,008
1,284,769
1985(S60)
339,385
81,092
420,477
1974(S49)
551,728
657,289
1,209,017
1986(S61)
248,914
56,185
305,099
新 潟県統計年鑑』及び『新 潟市統計書』より作成

年  度
発 送(車扱)
到 着(車扱) 合 計 年  度
発 送(車扱) 到 着(車扱)
合 計
1987(S62)
262,536
39,361
301,897
1997(H09) 164,546 11,061
175,607
1988(S63)
260,222
38,343
298,565
1998(H10) 148,111 9,007
157,118
1989(H 元)
262,453
30,468
292,921
1999(H11) 157,548 9,178
166,726
1990(H02)
283,190
27,083
310,273
2000(H12)
150,764
5,383
156,147
1991(H03)
279,564
27,442
307,006
2001(H13)
153,875
5,365
159,240
1992(H04)
275,791
24,964
300,755
2002(H14)
144,805
5,071
149,876
1993(H05) 204,943 10,243
215,186
2003(H15)
141,147
5,104
146,251
1994(H06) 212,696 11,297
223,993
2004(H16)
84,050
4,261
88,311
1995(H07) 203,800 11,097
214,897
2005(H17)
111,865
4,950
116,815
1996(H08) 172,942 9,968
182,910
2006(H18)
114,096
5,148
119,244
新 潟市統計書』より作成

年  度
車 扱(発送)
コ ンテナ(発送)
発 送計
車 扱(到着)
コ ンテナ(到着) 発 着合計
2007(H19) 114,484
114,484 5,126
119,610
2008(H20) 112,411 59,450 171,861 5,082
176,943
2009(H21)
89,379
72,825
162,204
3,905

166,109
2010(H22)
35,844
95,790
131,634
1,518
15
133,167
2011(H23)

115,215
115,215


115,215
2012(H24)

122,650
122,650


122,650
2013(H25)

153,450
153,450


153,450
2014(H26)

152,400
152,400

5
152,405
2015(H27)

161,225
161,225


161,225
2016(H28)

168,000
168,000


168,000
新 潟市統計書』より作成


1996.8焼島駅 新潟工場専用線

1996.8焼島駅 新潟工場専用線

2003.5焼島駅 新潟工場専用線

2010.8焼島駅 新潟工場専用線

▽新潟工場の専用線概要
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者使用
作 業方法
作 業キロ

1967(昭 42)年版
焼島
北越製紙 (株)
新潟臨港 海陸運送(株)
(株)川合材木店
協和運輸興業(株)
国鉄機
協和運輸機
0.6
(機)木材線0.6
(機)製品倉庫線0.5
(機)原料倉庫線0.5

専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
通運事業者等
作 業方法
作 業キロ
総 延長
キロ
1983(昭 58)年版
焼島
北越製紙 (株)
協和運輸 興業(株)
星光化学工業(株)
協和運輸 機
0.6
5.9

YAHOO!地図より


2010.8焼島駅 新潟工場専用線

2015.10焼島駅 専用線は撤去済み



▼鉄道貨物輸送を中心と した原料輸送  
 ワムやワキなど製品輸送における鉄道貨物輸送が注目されがちだった新潟工場だが、原料輸送においてもかつては車扱輸送が行われ、その一部の原料はコンテ ナ輸送に転換されて現在も継続している。特にラテックス輸送は、ISOタンクコンテナの鉄道貨物輸送の黎明期に着荷主として使用を始めており、モーダルシ フトに積極的な同社らしさは原料輸送の分野においても垣間見られる。

▽木材・チップの輸送  
 我が国の紙パルプ業界はその原料木材を主として北洋材に依存してきたが、1935(昭10)年頃を境に樺太に続々と製紙工場が設立されたため原木が不 足となり、また、島内森林資源の保護の見地から伐採に制限が加えられるようになった。その対策として北越製紙は内地産アカマツを原料としたパルプ製造の研 究を進めた結果、1936(昭和11)年に松脂を抜くことに成功、これを契機に内地材への依存度が高まっていった。そこで1937(昭12)年、新たに 林業部を設け、また林業部関係の駐勤所、出張所を盛岡市、新潟市、米子市、長野市、米沢市、京都に設置し、木材の購入・受け入れ・管理などの業務を行っ た。([1]p117)

 全国各地からの原料木材の大部分は鉄道で新潟へ輸送した が、山陰地方と隠岐島の原木は船で輸送する方が有利であったため、社有船加福丸(機帆船、200トン)をこれに充てた。その後、木材の船舶輸送を本格的に 行うため、関連会社として北越海運(株)を1940(昭15)年5月に設立した。([1]p117)

 1957(昭32)年3月、パルプ工場にBKP年産3万6,000トンの設備を新設して以来、針葉樹から広葉樹への原料転換が進んだ。これに伴い、原木集荷地域も新 潟を中心として距離的に近い山形、福島、群馬、長野以北に集中し、 これまでの九州、四国、中国、北陸、岐阜地区からの集荷は廃止し た。また、原料転換と並行して紙パルプ業界では製材廃材、林地残材、その他薪炭材などを利用してチップを生産し、これを使用してパルプ原価を引き下げる対 策がとられるようになってきた。北越製紙でも1957年からチップの購入・使用を開始し、以来チップ使用技術の向上とチップ生産者の育成に務めながら、 チップ使用量の増加を進めてきた。チップ生産会社としては1959(昭34)年10月、岩手県岩手町の地元業者が北越製紙に納入するチップ生産を目的と して岩手木材興業(有)を設立したが、1961(昭36)年3月、北 越 製紙が資本参加した。([1]p169)

 その結果、北越製紙の全原木使用量に対するチップ使用量は、1957年1%、1960年9%と上昇し、1963年には18%に増加するに至った。 ([1]p194)

 岩手木材興業のチップ輸送は、沼宮内駅を拠点に行われてい た。([4]p191) 
 1970(昭45)年6月15日に沼宮内駅のチップターミナルが使用開始。 ([4]p230)
 沼宮内駅の1974(昭49)年度頃の1日平 均貨物発送トン数は160トンであった。([4] p433)

 1962(昭37)年1月、北越製紙は原木集荷地盤として関係の深い新潟県魚沼地方の国有林伐採に協力して、前橋営林局の支援を得て長岡市に上越開発(株)(北越製紙の出資比率97%)を設立した。当時、紙パルプ業界の 悩み の1つは原木価格の値上がりであったため、政府は対策の1つとして国有林の計画的増伐を決定し、需給緩和と価格の抑制に乗り出した。上越開発は、大白川に チップ工場を新設して年間5,200m3の広葉樹チップを北越製紙に納入した。([1]p209)

 この頃、広葉樹の宝庫と言われた東北地方からの原木集荷を強化するため、下記の会社設立に参加した。([1]p209)
社  名
設  立
所 在地
資 本金・北越製紙
の出資比率
備    考
(有) 荒海チップ
1962(昭 37)年6月
福島県南 会津郡田島町 300万 円・25%

北 星木材工業(株)
1964(昭 39)年5月
福島県南 会津郡田島町
400万 円・30%
日本楽器 製造と北越製紙の共同出資
荒海チップの隣接地に製材工場を建設([1]p209-210)
(有) 館岩チップ
1964(昭 39)年7月
福島県南 会津郡館岩村
500万 円・30%

坂 町チップ工業(有)
1964(昭 39)年10月
新潟県岩 船郡荒川町
800万 円・25%

 なお、当時のチップの集荷は福島県が中心で全体の50%を占め、あとは山形、岩手、群馬、新潟各県からの集荷であった。

 1968(昭43)年12月には、福島県田島町に北越会津木材(株)(資 本金3,000万円、北越製紙出資100%)を設立し、月産2,000m3のチップ生産と400m3の製材事業を開始した。また1970(昭45)年8 月、新潟県に東蒲チップ工業(株)(同850万円、同24%)、同年 12 月には山形県に神町チップ工業(株)(同1,000万円、同94%) を設 立した。いずれもチップ生産能力は月産2,000m3であった。これで林業部は管轄下に16チップ工場を擁するに至った。([1]p277 -278)

 北越製紙は1937(昭12)年、林業部の発足に伴って内地における最初の出張所を岩手県盛岡市に開設した。以来48年間、アカマツ原木、広葉樹原 木、さらに広葉樹チップの輸送に国鉄の貨車を利用してきた。当時の国鉄合理化に相まって、他の出張所がトラック輸送に移行する中で盛岡出張所だけは貨 車輸送を続けていた。しかし1985(昭60)年 春の国鉄運賃値上げが避けられない見通しとなり、さらに北越製紙にとっては新潟工場6号抄紙機新設に伴って建設予定地内の専用側線を 撤去する必要があった。このため同社は1985年4月19日 をもって最後に残っていた岩手出張所からの貨車輸送を全面的に打ち切り、全量トラック輸送に切り替えることに決定した。貨車輸送してきた4万m3の広葉樹 チップは、翌4月20日から北越水運と一部を地元業者の盛岡通運とで盛岡工場までの430kmの距離を連日4台のトレーラーと2台の大型トラックで輸送に あたることとなった。([1]p396-397)

 1998(平10)年、国内チップ集荷のリストラを推進するため、岩手木材興業か らのチップ購入を1999(平11)年上期から中止することとした。岩手木材興業は1959年以来、北越製紙の国内チップ集荷の北の砦として大きな位置 を占めてきたが、新潟工場までの輸送距離は約400kmであり、輸送費のコスト高は避けられない状況であった。輸送コスト低減のため、三菱製紙系列のチッ プ工場とチップの交換を行って着価格の引き下げを図ってきた。更にコストの低減を進めるには、交換チップを解消し、岩手木材興業は直接三菱製紙北上工場へ の専業業者とし、北越製紙が岩手県産のチップ購入を中止する方策しか生き残る道が無いとして、99年上期から全量北上工場に売却することを三菱製紙と同意 した。([1]p555-556)

*北越福島チップ ([1]p555)
1967 (昭42)年9月
福島県耶 麻郡西会津町に北越上野尻チップ(株)として創業
1971 (昭46)年7月
河沼郡会 津坂下町に北越福島チップ(有)として改組
1977 (昭52)年5月
北越製紙 若松出張所と合併して北越福島チップ(株)として改組
1977 (昭52)年9月
坂下工場 火災
1991 (平03)年10月
新鋭工場 の建設・稼働

*奥羽木材工業 ([1]p555)
1967 (昭42)年9月
山形チッ プ(有)として創業。小国、米沢、新庄にチップ工場を建設
1974 (昭49)年10月
鶴岡に チップ工場を建設して4工場体制を確立
1976 (昭51)年5月
社名を奥 羽木材工業に変更
1994 (平06)年3月
庄内工場 に続き小国工場を閉鎖、チップ部門の大減産
1995 (平07)年4月
経営方針 に非チップ部門の充実を掲げる

 長期化する木材業界の低迷により、国内チップ関連6社は苦しい経営が続いたため、事業の再構築が必要となり、2000(平12)年12月をもって奥羽 木材工業の製材部門が廃止された。また、上越開発については、経営の柱となっていたLCの原料不足と国有林生産事業の撤退により、2001(平13)年 10月をもってLC生産を停止し、2002(平14)年3月で閉鎖された。同年4月1日には北越福島チップが存在会社となり、奥羽木材工業、北越フォレ スト、ヤマキタ運送を吸収合併して、新たに(株)北越フォレストが発足した。([1]p606-607)

 一方、外材については1976(昭51)年からは新潟西港の臨港埠頭を借用し、外材チップの荷揚げに充ててきた。しかし物流コストの削減、BKP増産 の要 請から、輸入チップ・パルプは新潟東港に陸揚げすることになり、1987(昭62)年8月に東港中央水路東側に公共岸壁建設とチップヤード用地の賃借を 新潟県に要請し決定した。1990(平2)年5月に「新潟東港チップヤード」が竣工した。輸入チップを使い始めた1976年当時は20万トン程度であっ たが、その頃には3倍にもなっていた。([1]p444-445)


▽液化塩素の輸送  
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨  車
目 撃・備考等
酒田港
東北東 ソー化学(株)
液化塩素
焼島
北越製紙 (株)
タキ 135486
東北東ソー化学(株)所有
1999 年4月1日中条駅で目撃
勿来
呉羽化学 工業(株)
液化塩素
焼島
北越製紙 (株)
タキ 5450形
[2]
能町
日本曹達 (株)
液化塩素
焼島
北越製紙 (株)
タキ 75493
日本曹達(株)所有
1998 年8月14日焼島駅で確認、
能町駅常備から推察[8]
安治川口
ダイソー (株)?
液化塩素
焼島
北越製紙 (株)
タキ 5450形
[2]

 2000(平12)年4月からは、北越製紙は大手で始めて無塩素パルプに全量切り替える。同社はパルプ設備2系列のうち無塩素漂白製法を導入している のは1系列だ けで、生産量は全体の約7割。約10億円で残り1系列を改造、年産約60万トンのパルプを全量、無塩素化する。(『日本経済新聞』1999 年10月26日 付、11面)

*新潟工場D系晒設備のECF(無塩素漂白化) ([1]p562- 563)
 1999(平11)年9月、「ECFの追い風」を最大限活用するため、新潟工場D系晒設備のECF化を前倒しで決定した。改造工事によって新潟工場か ら液体塩素を完全に排除し、北越製紙で製造されるパルプ全てがECFパルプ(エコパルプ)となる。このことが市場に与えるインパクトは強烈で、同業他社及 び競合製品との差別化をさらに強化することが期待された。
 改造工事は1999年9月のドラムバーカー撤去に始まり、2000年4月6日には長年パルプ漂白の核であった液体塩素の処理に入った。これまで液体塩素 は常時100トン以上を保有していたが、この日8トンを残してパルプ漂白処理と切り離された。その後、残塩素は晒液へと姿を変え、4月15日に塩素は新潟 工場から完全になくなった
 一方、ECF切り替え工事は予定通り進捗し、4月7日に原料が供給されて完全無塩素化が達成された。


▽ラテックスの輸送  
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨 車・コンテナ
目 撃・備考等
奥野谷浜
日本合成 ゴム(株)
鹿島工場
ラテック ス
沼垂
北越製紙 (株)
タキ 23817
日本石油輸送(株)所有
1996 年8月25日沼垂駅で目撃
奥野谷浜駅臨時常備より予想
沼垂のラテックス輸送は1998年4月頃に廃止[8]
神栖
JSR (株)鹿島工場
ラテック ス
新潟 (タ)
北越製紙 (株)
ISOタ ンクコンテナ
(『JR 貨物ニュース』2000年9月15日号、2面)
京葉久保 田
日本エイ アンドエル(株)
ラテック ス
新潟 (タ)
北越製紙 (株)
ISOタ ンクコンテナ

四日市
JSR (株)四日市工場
ラテック ス
新潟 (タ)
北越製紙 (株)?
ISOタ ンクコンテナ
2003 年5月10日直江津駅で目撃


1996.8沼垂駅
タキ23817(ラテックス専用)

1996.8沼垂駅
タキ23817 奥野谷浜駅臨時常 備 借受者:日本合成ゴム(株)

2003.5直江津駅
JOTU671239_0 ラ テックス専用

2003.5直江津駅
JOTU671239_0 ラ テックス:四日市→新潟(タ)

 1999(平11)年4月に京葉臨海鉄道・京葉久保田駅に 30ft、24トン対応トップリフターが配備され、10月から新潟と大阪に向けてISOコンテナの輸送が始まった。そして11月5日に京葉臨海鉄道は京葉 久保田駅でISOコンテナ列車の出発式を行った。新潟向けは京葉久保田駅から、コキ106型貨車1両に総重量20トンのISOコンテナを2個積載して出 発。都内の隅田川駅で、ほかの貨物列車に連結して 新潟(タ)駅まで輸送する。(『物流ニッポン新聞』1999年11月12日付)

 新潟向けの荷主は、日本エイアン ドエル(株)で、同社はラテックス製造の東日本の拠点として4月から住 友 化学(株)千葉工場で生産を開始している。北越製紙などへの安定供給のため 鉄道貨物輸送を選択した。(『カーゴニュース』1999年11月9日付)

*コキ200形 新型貨車に期待 JSR物流 (『JR 貨物ニュー ス』2000年9月15日号、2面)

 固形ゴムやラテックス(液状ゴム)等を生産している茨城県神栖町のJSR(株)鹿島工場で物流を担当するJSR物流且ュ島営業所は、今年、新潟向けのラ テッ クス輸送をトラックからISOタンクコンテナ鉄道輸 送 に切り替えた。同工場から出荷されるラテックスは、 製紙メーカーに納品しているもので、洋紙の表面をコーティングするための原料となる。同社では鉄道輸送用に現在、20ftタイプのISO規格タンクコンテ ナを12個リースし月曜日から土曜日まで1日2個 ずつ送っている。

 過去にはラテックスも私有タンク貨車で各地に車扱輸送していた時期があり、工場内には専用線が敷かれている。ところがタンク貨車の老朽化や車扱列車ダイ ヤの 延滞、さらに盆暮れなどの列車運休による不便さなどから、およそ3年前にラテックス輸送を全てISOタンクコンテナによる道路輸送に切り替えた。

 鉄道への 輸送再切り替えは、荷重48トンの新型コキ200形式貨車が開発されたことにより、大型コ ンテナで大量の製品を鉄道で効率的に運べる環境が整ったと判断したからだが、環境負荷や輸送コストを見直した結果、当面鉄道転換は新潟向け製品に限っている

 200形式貨車は開発されたものの、実運用にはもう少し時間がかかるので、JR貨物は現在、新潟向け輸送に荷重40.5トンの100系貨車を運用してい る。そのためJSR物流の担当者は「せっかくISOコンテナを導入しても、貨車の荷重が限られているので、フル積載なら20トン積めるところを現状では 16.5トンしか積めない。輸送効率を上げるためにもコキ200形式貨車が本格的に量産されたら、一刻も早く使わさせてもらいたい」と要望している。
2003.5神栖駅

 JSR鹿島工場からのラテックス輸送は、鹿島におけるラテックス生産が四日市工場に集約されたことから四日市駅発送に切り替えられたものと思われる。
*JSR ラテックス生産体制再編 鹿島停止、四日市に集約 『化 学工業日報』2005年1月25日付、3面

 JSRは24日、合成ゴムラテックスの生産体制を再編したと発表した。このほど鹿島工場での製造を停止、四日市工場に集約した。鹿島での年産能力1万6 千トン設備を休止する代わりに四日市で同2万トンの増強を図り、1工場同12万トン体制に移行した。同社では、石油化学系事業での効率化を推進しており、 すでに合成ゴムではラインの休止などを実施している。合成ゴムに次ぐ石化系事業のラテックスでも効率体制を構築することで、石化事業の競争基盤強化につな げる。

石化競争基盤 より強化へ

 JSRが生産体制を再編したのは、スチレンブタジエンゴム(SBR)などの合成ゴムをエマルジョン化してつくる塗工紙用ラテックス(PCL)。同社で は、鹿島で年産能力1万6千トン、四日市に同10万トンの製造設備を保有し、国内最大手として製紙メーカーなどに供給を図っている。

 ただ、慢性的な競争状態にさらされていることなどから、近年は採算面での苦戦が続いてきた。このため、これまでに進めてきたグレード統合などの取り組み に加え、生産体制の抜本的な再編も実施して、収益体質の構築を果たしていくことを決めた。

 鹿島、四日市の2工場のうち、比較的規模の小さい鹿島での製造を停止し、四日市での1拠点化によって効率化を推進する。四日市では、設備増強を図ると同 時に、他の生産設備の転用、生産性向上のためのソフトを導入するなどして、年産2万トンの能力引き上げを実施。総能力も同11万6千トンから12万トンへ とわずかながら増える。また、鹿島ではタンクなど物流設備もあることから、製造停止後も供給拠点としていくことも選択肢の1つとなる。

 JSRでは、合成ゴム、ラテックスなどの石化系事業の基盤固めを図る一方、光・情報電子材料を軸とした新規事業を成長の核とした拡大戦略を描いている。 石化系事業では、高付加価値製品の投入加速とともに生産体制の効率化に力を入れており、すでに合成ゴムでは全体の3割にあたるラインの休止などを実施して いる。ラテックスも、グレード統合や効率生産方式の取り入れで採算性は向上しつつあるが、1工場への集約でさらに競争力を強化する。

*新潟(タ)駅で目撃したラテックスのISOタンクコンテナ
 新潟貨物ターミナル駅には数多くのISOタンクコンテナの取り扱いが見られるが、その中でもラテックス専用が特に目立つ。その全てが北越製紙(株)向け の輸 送なのかは不明だが、各荷主の各工場からの輸送が想像され、非常に興味深い。

2010.8新潟(タ)駅
JOTU671187_7 ラテックス専用

同形式番号のコンテナを2010 年8月10日に蘇我駅で目撃しており、
日本エイア ンドエル(株)が荷主の京葉久保田〜新潟(タ)間で運 用さ れている輸送と思われる。

2010.8 新潟(タ)駅
NRSU391008_5 ラテックス専用

NRSU391013_0(ラテックス専用)を2004年8月12日に 高岡貨物駅で目撃し、
その運用区間は川崎貨物〜高岡貨物であった。
発荷主は旭化成ケミカルズ(株)又は日本ゼオン(株)が想定される。

形式番号が近いことから、左のコンテナも川崎貨物〜新潟(タ)の運用であろうか。


▽その他の薬品輸送  
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨 車
目 撃・備考等
羽後牛島
東北肥料 (株)
濃硫酸
焼島
北越製紙 (株)?
タキ 85784
東北肥料(株)所有
吉 岡心平氏webサイトより
1989年12月に廃車
西明石
星光化学 工業(株)
ペースト
サイズ剤
焼島
北越製紙 (株)?
タキ 6351
星光化学工業(株)所有
吉 岡心平氏webサイトより
1983年9月に廃車

 1989(平元)年7月に新潟東港資材倉庫2棟が完成した。主に輸入カオリンの保管に使用され ることとなった。他の輸入原料と同様、このカオリンも従来は横浜港に陸揚げしたものを新潟工場に配送したものを新潟 工場に配送していたので、物流経費の大幅な改善が実現されることとなった。([1]p448)


▽石炭・石油などの輸送  
 太平洋戦争の進展に伴い樺太の小田洲炭鉱からの石炭輸送が困難となり、また統制のため買炭も必要量を満たせなくなったため、北越製紙は新潟県下もしくは 近県で炭鉱で自営する必要に迫られた。そこで、新潟県北蒲原郡赤谷村(現・新発田市)の赤谷炭鉱を買収、1942(昭17)年3月に同社赤谷鉱業所を開 設した。([1]p129)

 当初は石炭を簡易索道によって中間貯炭場へ送り、更にそこから馬によって駅まで搬出したので、1日当たりの最大搬出能力は40トン未満であった。従っ て、石炭を増産しても輸送面で制約されるため、1943(昭18)年2月に架空索道の建設許可を受け、また鉄道側線の 増設許可も得て戦争末期の1945(昭20)年2月に完成、同炭鉱からの出炭に役立てた。その後、炭層が枯渇したため、1951(昭26) 年5月20日に閉鎖した。同炭鉱での操業中の9年間に採掘した石炭の総量は13万9,000トンに達した。([1]p130)

 戦後、石炭需給が窮迫した時期に新潟県下の天然ガスは廉価かつ豊富であったため、その価値が改めて評価され、北越製紙は1948(昭23)年1月、新 潟支社内に新潟鉱業所を開設した。同社の天然ガス開発の歴史は、1940(昭和15)年に新潟工場、パルプ工場それぞれの敷地内に各1号井を掘削したこと から始まる。その後、年々天然ガス井の数を増やし、1947(昭22)年には新潟工場で6号井を、また1948年、パルプ工場では8号井まで掘削し、工 場燃料資源として活用してきた。さらに帝国石油からも天然ガスの供給を受けることになり、パルプ工場は1950年(昭25)年7月、新潟工場は1952 (昭27)年1月から買い入れを開始、両工場とも熱資源の重点を天然ガスに移すこととなった。尚、両工場の天然ガス使用量は1951年以降急伸するが、 1953(昭28)年の使用量2,800万m3は石炭4万5,600トンに相当し、全熱資源に対し69%を天然ガスに依存していた。

 その後、地盤沈下に伴うガス採取規制により、重油ボイラーを設置することになり、製造第一部1、2、3号缶は1959(昭34)年8月、製造第二部5 号缶は1960(昭35)年1月、それぞれ重油ボイラーに切り替えた。([1]p176)

 1996(平8)年8月25日に焼島駅に行った際には、新潟工場の工場内に(株) ジャパンエナジーのタンクローリーが存在するのを目撃した。



▼鉄道貨物輸送を中心と した製品輸送  

1996.8焼島駅 新潟工場専用線

2003.5焼島駅 新潟工場専用線

2010.8焼島駅 新潟工場専用線

2015.10焼島駅 専用線撤去済み

*コンテナ輸送拡大へ (1990年9月24日付『運輸タイム ズ』7面)

 北越製紙(株)新潟工場は焼島駅分岐の専用線内で貨車積みし、30トン積 みハワム24両編成の専用列車に仕立てて1日700トンの 紙を隅田川へ輸送している。このほか輸出用の紙を1ケ月 2,000トンを本牧埠頭駅へ送っている。コンテナは新潟(タ)駅から関東・関西・北海道向けで、輸送量は1ケ月3,000トンである。全出荷量の60% は鉄道で、車扱50%コンテナ10%となっている。

 新潟工場から関東向けコンテナ輸送は9月から新しく始めたもの。現在はテストの段階で当面、1日にコキ2両(12ftコンテナ8個)を計画している。同 工場は1990年秋、新マシンが稼働するため生産量が増えるが、トラック輸送力の確保が難しいため、安定輸送できるコンテナにした。

 コンテナ輸送でJR貨物に希望したいのは両側面開きコンテナの供給、運賃割引、輸送要請への即応体制と荷痛みの解消である。両側面開きコンテナは、着地 での取り卸しを容易にするだけでなく、工場での横付け作業も合理化できる。

 JR貨物は専用列車による輸送をコンテナに転換することを検討しており、北越製紙も対応を考えている。JR貨物が他社の車扱輸送の代替として開発した 30Aコンテナによるテスト輸送に関心がある。新潟工場の貨車積みホームはハワキ向きに設計されており、コンテナ(10トン)に替えた場合、コキを専用線 に入れホームから直接積み込むのは、貨車積み作業と同じようにスムーズにはできない。そのため工場構内に広いコンテナヤードを設け、ここで積載するのが望ましい。そ して、ヤードには5トン、10トンのコンテナをストックし、出荷量に合わせて自由に使えるようにすることが必要と考えている。


▽焼島〜隅田川間のワキ 5000形運用計画  
運 用区間
発 駅:焼島 着駅:隅田川
品  名

真 荷送人
北 越製紙
真 荷受人
共 立運輸
年 間輸送トン数
171 千トン
月 間輸送トン数
14,250 トン
月 間稼働日数
24 日
1 車当り積トン
25 トン
1 日平均使用車
24 車
配 置両数
70 両
輸 送距離
335km
1989(平元)年度の資料と思われる[5]


*わが社の輸送手段見直し 北越製紙(株) コンテナ化≠フ流れに沿って 車扱輸送の転換を 検討 (『運輸タイムズ』1991年5月6日付3面)

 北越製紙(株)新潟工場は1990年秋、生産設備増強に伴う出荷増に対応するため、新座(タ)駅向けコンテナ輸送を始めた。それに次いで、隅田川駅向け も車扱からコンテナ輸送への転換を考えているが、工場専用線にコキを入れて車上荷役するには、車扱用に設計してある専用線設備を大改造しなければならな い。

 新潟工場は、大阪へは鉄道コンテナを主力輸送手段としており、名古屋へはコンテナとトラックで輸送している。また東京へは車扱とトラックで輸送している が、一部はコンテナも利用している。着駅は新座(タ)越谷(タ)相模貨物本牧埠頭など。

 焼島駅から隅田川駅への輸送は、大量性と効率性から車扱は非常に有効な輸送方法。特に工場ホームから貨車へ直接フォークリフトが入るため、一線上で効率 よく積込み作業ができる。一方、コンテナ輸送は、ユーザーによっては取引単位や受入設備等からコンテナ単位の配達ができず、着駅でトラックに積み替えて配 達しなければならないケースがあるなどの問題がある。工場の出荷ホームの構造がコンテナ輸送に適していないという問題があり、大規模な投資をしてホームを 改造する必要がある。JR貨物の将来計画を見据えて、最終的な転換を判断するとしている。


▽隅田川ニッソウセンターの利用  
*隅田川ニッソウセンターの開業 ([1]p492 -493)

 1993(平5)年2月26日、首都圏における新流通基地「隅田川ニッソウセンター」が開業した。
 同センターは北越製紙と十條製紙(現、日本製紙)が荷主となり、JR貨物が90億円を投資して隅田川駅構内に建設したものであった。規模は敷地面積が1 万8,600m2、建物が地下1階・地上6階建て延べ床面積3万4,700m2、到着貨物取り扱い能力が年間33万トン、在庫保管能力が4万トンと、都内でも最大級の紙在庫保管倉庫の誕生となった。

 建物は1、2階が共同荷捌施設と事務所で、北越製紙は3階と6階を使用することになった。庫内には最大2トン積載の垂直搬送機(オムニリフター)が6 機、荷物用エレベーター1基が設置された。
 同社が同センターを首都圏における新しい流通基地に選択した理由は、工場と都心を直結した一括長距離輸送の実現、将来の環境問題に対する配慮、東京を消 費地とする新流通基地の拡充など、将来を想定した物流戦略の一環として考えたことによる。新潟工場製品の消費地在庫基地として、当面、貨車扱いパワキ24両(約 600トン)コンテナ10個1日当たり約650 トン体制で運用し、同年夏以降はコンテナを35個に増やして1日800トン体 制とした。

 なお、同センターは日本運輸倉庫が管理運営し、同社社員が常駐して入出荷情報の処理や荷役作業に従事するが、共立運送も配車担当と荷役作業担当として常 駐することとなった。

2015.2 隅田川駅

*日本運輸倉庫株式会社 隅田川ニッソウセンター  (『MONTHLYかもつ』2006年5月号、p18)

 隅田川ニッソウセンターは紙製品専用の倉庫として機能しており、日本製紙(株)、北越製紙(株)から1日5便で約1千トンの製品が到着するが、それぞれ の列車 の荷役作業時間が短く取り卸しホームではフォークリフトが目まぐるしく走り回る。

 杉崎充支店長は「レール貨物の受け皿として平成5年に開業したが、17年度は年間27万トンが入荷し、同量が出荷している。ここでは特定の利用運 送事業者は無く、たくさんのトラックが出入りするので、構内の運転事故には神経を使う。洋紙製造会社と利用業者との間に時間的ロスのないようジャス トインタイムの物流、高品質サービスに努めている」と話す。
 



▽ワキ車からワム車への置き 換え  
 1996(平8)年3月16日のダイヤ改正で横浜本牧への紙輸送がコンテナ化された。コンテナは新潟(タ)駅発送である。1996年3月現在焼島駅の 北越製 紙の専用線はワキ5000形による隅田川駅への紙輸送、勿来、酒田港、安治川口から到着する液化塩素の取扱いが行われてる。紙輸送は土、日曜日以外は毎日 運 転(土曜運転の場合あり)で平均して1回にワキ20〜24両発送されている。工場内入れ換えを担当する北越水運(株)によると北越製紙とJR貨物はコンテ ナ化か新型ワキ車かでもめている状態とのことである。[2]

 1996年秋頃からはワム80000形がワキ5000形と混用され始め、1997(平9)年3月ダイヤ改正からは青ワムも復活した。そして5〜6月に 青 ワム車の 一部に全検を施工し、ワキ車全面置き換えに対応した。ワキ車の置き換えは8月29日到着の5787レから開始され、31日到着の5787レで全てワム車へ の置き換えが完了した。北越製紙は2001(平13)年までJR貨物と契約しているらしいがワム車がそこまで持つかが不安である。[3]

1996.8焼島駅

1996.8焼島駅


▽本牧埠頭向けの紙輸送  

2010.8新潟(タ)駅

  1996(平8)年3月16日のダイヤ改正で新潟工場から本牧埠頭駅への紙輸送がコンテナ化された。[2] この輸送の発駅は新潟(タ)駅である。

 神奈川臨海鉄道の1993(平5)年度の荷主に紙:日本紙運輸倉庫(株)が ある。([6]p52) 尚、日本紙運輸倉庫(株)横浜支店は横浜市中区本牧埠頭1−1(神 奈川臨海鉄道本牧埠頭第一ビル)にある。同 社webサイトより)

 横浜本牧・本牧埠頭両駅の到着は輸出用の紙が大部分を占め、北沼向浜岩 沼石巻港などが主要な発送駅である。([7] p44)

 また1998(平10)年3月21日には横浜本牧駅でV19Aコンテナによる板 紙:水戸→横浜本牧の輸送を目撃した。この輸送は北越製紙(株)関東工場(勝田)からの可能性が高いと思われる。

 しかし、新潟工場から横浜へのこの輸出用の紙輸送は、輸出港が新潟東港に変更されつつあるため、減少傾向にあると思われる。詳しくは下記記事を参照。
*北越製紙、新潟東港から輸出倍増 『新 潟日報』2007年11月27日付
http://www.job-nippo.com/news/details.php?k=1846

 北越製紙(長岡市)は、新潟工場(新潟市東区)で建設中の新生産施設「9号機」の完成後、新潟東港からの輸出を現在の月2,000トンから2.5倍の約 5,000トンへ段階的に引き上げる。現在、輸出品の大部分は横浜港から出荷しているが、同工場に近い新潟東港に振り向け、陸送費をカットするとともに、 積み荷が少ないため割高になっている同港からの船賃などの値下げ交渉に生かす考えだ。

 同社は印刷情報用紙を、東南アジアやオーストラリアに輸出している。輸出量は年間生産量の約6%の約6万トン。東港から輸出している製品はその一部に当 たる。
 同工場では現在、印刷情報用紙を年間94万トン強生産している。同社は、単体で同35万トンの生産能力を持つ9号機が2008年秋に営業運転を開始する のに伴い、印刷情報用紙の輸出を約15万トンへ段階的に引き上げる計画だ。

 これに合わせ東港からの輸出も増やす。製品は国際的な中継港である韓国・釜山港に向かう輸送船に載せ、同港で輸出先に振り向ける。
 寄港する輸送船が多く、航路も豊富で需要期を逃さず出荷できるとして、同社はこれまで主に横浜港を利用し てきた。昨秋から新潟東港を使い始めたが、積み 荷の少なさから船賃などは割高で、現状では輸出経費は陸送費を含めても横浜港を利用した場合とほとんど差がないという。

 国際的な競争力のある製品価格を維持するため、コストの削減は不可欠。同社は、同工場に近い東港の活用で陸送費を抑えるとともに、積み荷の増加を理由と して、船会社に船賃などの値下げを働きかけていく。
 同社は「環日本海の拠点として発展が見込まれる新潟東港を、地域の企業として積極的に活用していきたい」と話している。

*北越紀州製紙 印刷紙 東南アジア開拓 新潟工場の輸 出増 (2017年2月9日付『日経産業新聞』13面)

 北越紀州製紙は印刷用紙の輸出を増やす。主力の新潟工場で物流作業を内製化し、コスト競争力を高める。従来の北米に加え、新たに東南アジア向けの販売も 開拓する。国内の紙需要が縮小するなか、海外販売の拡大を重視する。海外勢に負けない品質とコストを謳い、新潟工場の輸出比率を2018年度に3割に引き 上げる。

 新潟工場の生産規模は年110万トンで、大王製紙の三島工場(230万トン)に次ぐ国内2位の規模だ。2008年に稼働した「N-9マシン」など大型の 抄紙機による大量生産が特徴だ。主力製品は紙の表面に薬品を塗って光沢を出した「塗工紙」だが、国内では印刷用紙の需要が減っており、海外向けを強化して いた。

 16年度の新潟工場の輸出量見込みは28万トン。18年度 は生産量全体の約3割に相当する30万トンにまで高める方針だ。これまで輸出先は北米や韓国、台湾が中心だった。17年度から東南アジア向けも本格的に輸 出を始める。東南アジアは人口増と経済成長で印刷用紙の需要が増えている。ベトナムやミャンマーなどに教科書やパンフレット向けなどに塗工紙を受注し、更 なる受注拡大を目指す。

 同時に輸出業務の効率化も進める。新潟工場から輸出港までは約20km離 れており、専用の鉄道線などを使って輸送している。コンテナへの積込み作業は大部分を外部委託していたが、17年度から内製化を進める。 16年度に輸出量全体の1割以下だった内製化比率を17年度には4割に 引き上げる。

 輸出用紙の輸送費は1キロあたり1〜4円程度と見られるが「国内に運ぶのとそう変わらない」。この輸送費を低減して輸出競争力を高める。内製を広げるこ とで、輸出に伴う輸送コストを約4割低減できる見通しだ。

 北越紀州はコスト低減で競争力を高め、輸出事業の収益拡大に繋げたい考え。「将来的に輸出比率を4割にまで高めれば、為替変動に左右されない収益体質に なる」(同社取締役)。効率的な輸出体制を整えて洋紙事業の安定に活かす。


▽IPC隅田川の 利用開始  
2016.6隅田川駅
*IPC隅田川倉庫のオープン ([1]p559)

 1999(平11)年7月1日、隅田川駅構内に(株)飯田町紙流通センター(IPC)隅田川倉庫がオープンした。同倉庫は延べ床面積1万6,981m2 の 5階建て、JR貨物が建設し、管理を飯田町紙流通センターが行うことになった。

 北越製紙は新潟工場8号抄紙機稼働に伴う東京消費地の物量増加に対応し、製品在庫6,000トンの計画で塗工紙を中心に利用することとした。
 利用メリットとして消費地保管能力の向上はもちろん、代理店の保管能力不足の支援、ニッソウセンターと至近距離に位置することによる輸送効率化、レール 輸送と在庫保管の一体化などが期待された。



▽専用線からのワム輸 送と新潟(タ)からのコンテナ輸送  

1996.8焼島駅

2003.5焼島駅

*北越製紙(株) IPC隅田川に毎日50個 (1999 年8月2日付『運輸タイムズ』2面)

 北越製紙は、1998年8月に新潟工場において新規生産設備(月産能力約2万トン)を増強し、同時に日本初のパルプの無塩素漂白設備を導入し、同社の全 工場(新潟、長岡、市川、勝田)に供給して原料の殆どをエコパルプに切り替えた。環境対策の成果で、海外向けの印刷物などの需要が増え、生産設備増強が販 売量増に繋がり、鉄道利用も増えている。

 新潟工場の新生産設備が稼働し た1998年8月に第一段階として、飯田町紙流通センター(以下IPC)の旧飯田町倉庫に1日コンテナ20個の輸送を開始した。
 今年7月、IPCが隅田川駅構内にIPC隅田川を稼働させると同時にコン テナ利用個数を30個増やし、計50個を新潟(タ)駅から隅田川駅着で同倉庫に到着させている。以前から利用している隅田川駅のニッソウセ ンターへワム貨車40両とコンテナ40個で計800トンの製品を毎日輸送しており、新潟工場からは毎日1,050トンの製品が隅田川駅へ送り込まれること になり、北越製紙の首都圏拠点機能はIPC隅田川開設で更に強化された。

 同社の新潟・長岡・市川・勝田の4工場はいずれも首都圏から300km圏内。製品 の工場直送化を進めており、首都圏向けの直送率は約50%に 及ぶ。スプロール化現象でユーザーの立地が新潟寄りに移ってきたことも直送化を促進した。しかし隅田川駅構内の倉庫については、大消費地の顧客サービスの ため、販売戦略に合う立地の物流拠点を持つ有利さは大きいとのこと。

 また消費地側の在庫を全て工場直送に切り替えると、トラックが100台以上も必要となり、環境への配慮からも鉄道輸送による消費地在庫は欠かせない。特 にIPC隅田川やニッソウセンターは鉄道輸送とダイレクトに繋がるメリットを評価。北越製紙は他の首都圏拠点を集約してきた。

 特に両倉庫の車上荷役を評価して、駅の構内倉庫でも「引込線が無かったら使わない」とのこと。フォーク荷役の無い専用線間輸送では荷痛みが発生しない。 そのため船舶輸送では必要なバンド掛けも不要である。IPC隅田川の荷役は、毎日8時と9時の2回に分けて入線する。1回目が7車(コンテナ35個)、2 回目が3車(同15個)である。

 ただ北越製紙が評価するのは、コンテナ以上に大ロットの貨車輸送である。「JR貨物はIPCとの契約以前に新しい35トン積み貨車の 製造プランを示してき た。トラックも大型化しているのにコンテナの5トン単位は小さすぎる。積卸しについても大型化した方が作業性が良くなると思うので、35トン積み貨車のテ スト車両を早く導入して確認したい。」と要望した。

*ルポ・新潟貨物ターミナル駅 新時代の物流ターミナル (『JR 貨物ニュース』2000年6月1日号、4面)

 新潟(タ)駅の1998(平10)年度輸送実績はコンテナ・車扱合わせて31万2,000トン。そのうち紙が12万6,200トンを占める。紙は新潟(タ)駅からおよそ10kmのところに ある製紙工場から1日にコンテナで170個程運ばれ、その大部分は大 規模な紙の物流施設がある隅田川駅へ送られる。

【鉄道便利ですか】 駅構内倉庫へ コンテナと車扱で出荷 北越製紙(株)新潟工場 (『JR貨物ニュース』2002年7月15日号、3面)

 エコペーパーなどの開発で環境対応に先進的に取り組む北越製紙(株)(本社・東京都中央区)はモーダルシフト推進にも熱心だ。同社の主力工 場で ある新潟工場でもここ1〜2年、鉄道コンテナの利用を増やしている。

6割が東京・関東向け
 北越製紙(株)新潟工場は、原料を繊維に分解する蒸解釜2基、紙を抄き上げる抄紙機を7台設備して、年間約85万トン(平成13年度実績)の洋紙や板紙 製品 を出荷している。
 同工場から出荷する製品のほぼ約6割は東京と関東周辺向け。 輸送モード別の利用割合はトラックとフェリーで計56%、鉄道がコンテナ・車扱合わせて 44%。車扱貨物は焼島駅とつながる工場内専用線から発送している。コンテナ輸送の発駅は新潟(タ)。ちなみにフェリーは、北海道の小樽港行き製品は新潟 港から、九州の博多港行き製品は運航スケジュールの関係で120km離れた直江津港から船積みしている。

構内の複数倉庫で積込み
 同工場の鉄道利用について、同社製品管理課の村上課長と、同工場の原料調達から製品出荷まで物流を元請けしている北越水運(株)の宮村常務取締役物流業 務部 長に話を聞いた。
 製品の中には新聞用紙のように、倉庫や紙問屋を経由せず工場からユーザーに直送するものもあるが、鉄道で運ぶ製品は殆どが同社の消費地倉庫向け。
 特に首都圏向け消費地倉庫を駅構内に設けていることから、新座(タ)隅田川への利用が車扱・コンテナとも多い。その他、百済名古屋(タ)向けのコン テナ利用が最近増えた。また香港などへの輸出品も横浜本牧駅着 でコンテナ輸送している。
 隅田川駅構内倉庫のニッソウセンターとIPCには、土日を除く毎日、12ftコンテナで100個を2080列車と2084列車で運ぶ。また新座(タ)のIPC には2090列車で15個を輸送する。
 このように1日の発送個数が130〜200個となる新潟工 場では、コンテナ積込みを工場内の複数倉庫に分散させて行っている。
 荷姿は巻取製品ならば縦に二段棒積み、平紙は製品サイズに合わせたパレット積載〔パレットは(株)製紙パレット機構に共同回収を委託している〕。
 積込みを終えたコンテナを新潟(タ)まで持ち込むのに要する時間は30分位だ。

工場に車扱専用ホーム
 また同工場の車扱専用ホームは、その上階で4台の抄紙機が稼働するようなラインと直結するロケーション。15トン積みのワム車を、積込み口が柱で区切ら れた作業場に合うように次々入線させながら、朝8時から夕方4時半までフォークリフトで慎重に荷物を積む作業が続く。
 積込みを終えたワム車は焼島駅から新潟(タ)に持ち込み40両編成列車に組成されて、隅田川のニッソウセンターとIPCの構内線に製品を届けている。


1996.8新潟工場専用線

『MONTHLYかもつ』2008年8月 号、p17

「車扱の将来ビジョンを」
 こうした現場の活気について、宮村常務取締役物流業務部長は「新潟工場は昭和39年の新潟地震で設備・建物とも壊滅的な打撃を受けた。以降設備投資など 慎重に行ってきた。その結果、技術力の育成に繋がり一人当たりの生産性パフォーマンスが高い。需要が拡大しているのはこの高い生産性に加え、品質・技術・ デリバリーのきめ細やかさが強みになっている」とコメント。

 一方、村上課長は「車扱輸送は全国的にどんどん減っているように聞いているが、この工場ではまだ多く利用している。当社では現在、15トン積の貨車を 159両使わせてもらっているが、貨車の老朽化でこの先いつまで車扱を利用できるのかよくわからない。コンテナに転換してくれというのなら、車扱ホームの 全面改修が必要になる。JR貨物の車扱輸送に関する将来ビジョンが見えない」とJR貨物に説明を求めた。



▽新コンテナ専用線の 敷設  
(『MONTHLYかも つ』2008年8月号、p17)
*JR貨物と北越製紙 工場内に新コンテナ専用線 環境重視の鉄道輸送推進  (『交通新聞』2008年7月8日付、1面)

 JR貨物と北越製紙は3日、新潟市の北越製紙新潟工場内で、増産用の新生産施設(9号抄紙機=N9)内に併設した新専用線の使用開始式を開催した。N9 の製品輸送手段として新たにコンテナ専用線を敷設したもので、環境にやさしい貨物鉄道輸送を推進し、製品出荷時の二酸化炭素(CO2)排出量の削減を図 る。JR貨物発足以降、工場にコンテナ専用線を新設したのは今回が初めて。

 N9の生産能力は国内最大級の年間35万トンで、主に印刷情報用紙を生産。工場全体の生産能力は、現在の年間100万トンから135万トンに増強され る。既に今年6月から試運転を始めており、9月に営業運転を開始して、徐々に生産量を増やしていく予定。

 同工場の製品出荷形態は現在、鉄 道36%トラック62%フェリー2%。同社では、N9完成後も鉄道輸送の割合を維持し、今後引 き上げていくため、コンテナ専用線を併設することにした。
 新専用線は、焼島駅の東新潟港駅方約50メートルから分岐。線路長210メートル、コンテナホームは2面2線あり、それぞれコンテナ貨車9両編成に対応 する。荷役施設の面積は約9,000平方メートル、1日当たりの取り扱い個数は最大でJR12ftコンテナ(5トン)85個。

 N9で生産される年間35万トンのうち、36%に当たる12万〜13万ト ンをJRコンテナで運ぶ計画。コンテナ貨車は、焼島駅から専用列車で新潟貨物ターミナル駅に運び、同駅から高速列車に継走する。製品は、主 に首都圏の熊谷貨物ターミナル駅、隅田川駅に出荷される。

 使用開始式は、JR貨物関東支社新潟支店と北越製紙新潟工場が主催。
 北越製紙の新潟工場長は、「新潟工場では、有蓋貨車32両の他に、新潟貨物ターミナル駅までコンテナをトラックで運んでいるが、このトラックの台数も減 らしたいと 専用線を計画した。9月以降に徐々に生産を増加するが、輸送の動脈になってくれることを期待している」と挨拶。

 JR貨物・関東支社長も、「コンテナ専用線を造る計画は、平成13年から足かけ7年にわたって実現し、感慨深いものがある。モーダルシフトの高まりの中 で、様 々な企業が専用線を造る可能性があり、そのモデルケースとなる」と述べた。

SPOT LIGHT 北越製紙株式会社 (『MONTHLY かも つ』2008年8月号、p16-18)
鉄道とトラックの利用比率は1:2 増産後もモーダルシフトをめざし、 専用線を新設


▲建屋の上階が新生産ライン9号機、1階が製品倉庫9倉≠ノなって いる

 北越製紙(株)新潟工場は、信越線の新潟−越後石山(上沼垂信号場)駅間から分かれて東新潟港に至る信越貨物支線の沿線に立地している。以前より同工場 の構 内には、途中の焼島駅から数線の専用線が伸びているが、このほど新生産ライン9号抄紙機の9月稼働を控え、焼島駅と新ラインを繋ぐ専用線2線を新たに増設 した。

 新ラインには、1階に製品倉庫“9倉”と9,000m2のコンテナホームが設けられ、コンテナ車を一度に9両入線できる210mの荷役線を2線備えてい る。
 7月3日、新専用線のコンテナホームで使用開始式が行われた。ゆくゆくは9号機で生産した製品を1日に425トン、新ホームから発送する予定である。
 新9号機とは市道を挟んで反対側の新潟工場構内では、従来から2〜8号機抄紙機計7台により上・中質紙や高級白板紙、塗工印刷用紙などを生産している。

 佐々木啓一物流担当部長は「2年前に9号機の建設を決定した。これにより新潟工場の生産量は35%増加する。これまで製品の出荷手段には1:2の割合で レールとトラックを利用してきた。鉄道には大量輸送・定時輸送に加えCO2削減効果等のメリットがある。そこで新専用線を敷設し生産量の増大につれ増加す るレール輸送製品を、9倉併設のコンテナ積込み施設から出荷できるように計画した」と説明した。

 新専用線ができるまで2〜6号機の製品は、ワム車32両の車扱列車で1日に480トンを既存の専用線から隅田川駅の紙倉庫へ輸送していた。また7・8号 機の製品については、1日に850トンを約170個のコンテナに積み込み新潟(タ)まで持ち込んで発送していた。
 9号機稼働後は新潟(タ)まで17両編成のコンテナ列車で輸送し、新潟(タ)からのコンテナ列車に継走する予定である。

 9倉のコンテナホームでは、9号機の生産品を主体に取り扱う予定だが、「仕向け地によっては7・8号機生産品のコンテナ発送も同施設で」と、佐々木部長 は相互運用の可能性を示唆した。また「将来的には車扱輸送を廃止することになるだろう。9倉の新設コンテナホームをその時には代替ホームとして活用した い」と語った。

 新潟工場の製品は、新潟(タ)から鉄道コンテナで関東・関西を始めとした全国各地に発送されているが、9号機が稼働するまでは7・8号機の製品の一部が 新専用線発のコンテナ列車で、新潟(タ)を経由して、熊谷(タ)と隅田川駅に輸送される。
 

*北越製紙(株) 新たな専用線建設で鉄道比率36%を維持 (『JR 貨物ニュース』2009年1月15日号、1面)

 北越製紙(株)(本社・東京)は昨年7月、新潟工場構内に専用線を新設した。同社はもともと製品輸送に鉄道を利用していたが、安定輸送と コス ト対応、さらに環境対策を進める観点から、専用線によるコンテナ輸送を増強した。


 北越製紙(株)は2006年5月、グローバル化が進む情報印刷用紙市場に向け、新潟工場に世界最大級の抄紙機(以下N9号機)の導入を決めた。N9号機 が稼 働すると、輸送力が逼迫する。そこで、N9号機に隣接して新しい専用線を敷設することになった。

 北越製紙は従来、製品の36%を鉄道で輸送。焼島駅から延びる既設専用線を使った車扱輸送と、新潟(タ)からのコンテナ輸送を併用している。車扱は有蓋 貨車32両編成で、主に隅田川駅へ発送。コンテナは新潟(タ)から日発約170個を隅田川駅・熊谷(タ)・新座(タ)へ発送している。
 JR貨物の有蓋貨車による車扱輸送を縮小する計画を受け、北越製紙は現行の車扱輸送を順次コンテナ輸送に切り替えていこうとしていた。またN9号機のフ ル稼働時には生産量が年間35万トン増加することから、輸送体制を整える必要にも迫られていた。

 さらに新潟工場は新潟市内に位置する都市型工場。周りを住宅地に囲まれており、大量の原材料入荷と製品出荷をトラックで行うことは適切ではないとの認識 から、北越製紙は新専用線による鉄道輸送強化を打ち出した。

 ▽鉄道輸送比率を現在の36%程度に維持する。 ▽構内にコンテナ輸送専用線を建設し、車扱輸送のコンテナ化に対応する。 ▽新潟(タ)への横持ちを増 加させずCO2削減に貢献する。以上を目標に掲げ、N9コンテナ専用線を建設したのだ。

 「専用線建設決定時には、N9号機稼働が2年後に決まっていたので、そこから逆算して様々な準備をした。手続きが複雑で苦労したが、もし公道を 横切る踏切があったらもっと時間がかかっていたと思う」と工務部技術室の佐々木物流担当部長は振り返る。
 また、周りの住民に専用線建設の説明会を開いたところ、「新潟(タ)への集配トラックが減るのは好ましい」と歓迎された。北越製紙も「CO2・コスト・ トラック台数が減る」と評価する。
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 新設した専用線は線路長210メートル、コンテナ車が9両入線できる線路が2線で、両側に計9,000平方メートルのコンテナホームが広がる。

 物流を請け負う北越物流(株)新潟支社物流業務部の村上取締役部長は「倉庫内では小型フォークを使用していたが、12トンフォークリフトでのコン テナ 荷役経験はなかったので、早い段階からオペレーターの訓練やIT-FRENSの習得に取り組んだ。新専用線の取扱いは1線9両から始め、作業面が安定 した11月には2線15両に増やした」と話す。
 現在1日の取扱いは12ft級コンテナ75個だが、取扱個数を増やすためには、列車ダイヤの調整と共に専用線をいかに効率的に活用するかがカギとなる。

 北越製紙では段階的に有蓋貨車輸送を減らし、コンテナ輸送にシフトしていく。車扱専用線の使用停止は平成24年3月をリミットとしているが、「体制の 整った時点で一気に切り替えるか、車扱輸送分を新潟(タ)へ持ち込むなどして、実際にはもっと早くコンテナへの切替えを完了する見込み」と佐々木部長 は語った。

*北越製紙 新コンテナ専用線を敷設、鉄道利用比率36%を維持  (『カーゴニュース 第3786号』2009年3月31日付)
http://www.cargo-news.co.jp/kiji/2009/03/090331hoku.html
「コンテナ専用線の敷設は降ろす方の条件が合えばメリットがでる」

 北越製紙は昨年9月、製紙・パルプの工場としては国内最大級の新潟工場にコンテナ専用線を新たに敷設し鉄道輸送の拡大と環境負荷低減を 進めている。専用線はメーカーの大規模工場などに敷設されているが、貨物輸送の構造転換などで近年でも廃止される例が続いている。

 しかし、今回の敷設は専用線としてはJR貨物民営化後の2例目であり、コンテナ専用線としては初の事例となった。今回、北越製紙の鉄道貨物輸送の戦略に ついて聞いた。
 新コンテナ専用線はJR貨物の東新潟港駅と焼島駅の間から分岐させ、210メートルのプラットフォームを設置、コンテナ車9両が入れるコンテナホームを 2本設けた。

 現在、新潟工場から鉄道輸送を使用する場合、3ルートがある。ひとつは新コンテナ専用線を利用したもので1日12ftコンテナ75個分。2つ目は新潟貨 物ターミナルからのコンテナ輸送でこちらも同コンテナ75個分(この2ルートで750トン)。もうひとつは従来からある車扱専用線を利用した有蓋貨車32 両編成(480トン)によるもの。
 関東向けが大半以上を占めており、隅田川駅新座貨物ターミナル熊谷貨物ターミナル、輸出は横浜本牧駅まで輸送する。

●鉄道輸送比率36%を維持
 新コンテナ専用線の計画は2年半前に遡る。新潟工場では新聞のチラシ、通販のカタログなど印刷情報用紙の増産を図る目的で、最新設備(9号抄紙機)の導 入を決めた。新設備の稼働で3割程の増産が予定され、当然、貨物量も増加する。従来から同工場に設置してある車扱専用線は手いっぱいである上に、新潟貨物 ターミナルも取扱増に対応する余力もない。さらに「CO2削減のためにも現在の鉄道輸送比率の36%は維持して運びたかった」(佐々木啓一・新潟工場工務 部技術室物流担当部長)と述べる。

 9号抄紙機は大型で全長が約200メートルに及ぶ。このため既存の新潟工場にはスペースに空きがなく、新たに隣接する土地を購入し、そこに新設備を設置 した。総投資額は550億円、このうちコンテナ専用線は2億円。隣接地のすぐ脇には貨物線が通っていた。

 「鉄道利用比率は守っていくことが大前提でコンテナ専用線の投資効果は考えていない。トラックが増えれば近隣住民に迷惑がかかる。横持ち費用や効率化と いうよりは、CO2を削減するというメリットが大きい」(同)と新コンテナ専用線の導入目的について強調する。

●着側に倉庫があればメリットが出る
 一方、新潟工場では従来から焼島駅から車扱列車の専用線が敷設してあり、現在でも運行されている。車扱の有蓋貨車は発車するまでに並び替えて組み直す必 要があり、時間と手間がかかる。さらに、線路は公道を横切って工場に入るため近隣の交通の妨げになる。この点、新コンテナ専用線はすぐ隣が工場となるた め、公道を跨がずに輸送できる。

 同社は最新設備(9号抄紙機)を導入するにあたり、官公庁との間で交渉が長引いた経緯がある。新設備を設置した敷地と新潟工場の間には公道が通ってお り、パイプラインによってボイラーとパルプを供給している。そのパイプラインを地下に通すか、上を通すかで手続きに手間がかかったという。
 結論は上を通すことになったが「新しく公道に踏切を作るのは至難の業」(同)と述べる。新コンテナ線は道路を渡る必要がないため官公庁の許認可はいら ず、手続きはJR貨物との交渉だけで済んだ。

 他方、環境という視点で鉄道輸送が見直されモーダルシフトを拡大しているメーカーは増えているが、専用線は近年でさえ廃止が続いている。コンテナ線を導 入するメリットを訊くと、「着側に専属の倉庫があることが大きい。隅田川駅にJR貨物の倉庫と専属契約し、横浜本牧駅でも埠頭に倉庫がある。線路から降ろ してすぐ倉庫に保管できるメリットがある。降ろすほうの条件が合えばメリットが出るのではないか」(同)と言う。

 今後、車扱列車は2〜3年で廃止し、新コンテナ専用線と新潟貨物ターミナルからのコンテナ輸送に切り換えていく。有蓋貨車の利用は現在、王子製紙と北越製紙の2社だけとなっており、JR貨物からは平 成24年3月のダイヤ改正までの廃止が伝えられている。廃止後、旧専用線の線路と施設は取り壊す予定だという。

 北越製紙では有蓋貨車の廃止後も鉄道利 用比率の36%を維持する方針で、環境負荷低減に向けて積極的に鉄道輸送に取り組む。


▽ワム車による紙輸送列車をコ ンテナ列車化  
*焼島〜隅田川の紙輸送列車をコンテナ列車化 (『JR ガゼット』通巻第737号、2010年、p67)

 JR貨物は10月5日、隅田川駅を発着する列車で2軸有蓋車ワム80000形(通称:ワムハチ)を使用していた紙輸送列車(焼島〜隅田川間1往復/ワム 20両+コキ7両)をコンテナ列車に変更した。同社は車扱列車のコンテナ化を進めており、次のダイヤ改正で同列車の最高時速は95kmに引き上げられ、所 要時間の短縮等が図られる。

 ワム80000形は、1960年から1981年にかけて2万6,605両が製造されるなど、同一形式では鉄道貨車最大の製造両数を誇る主力貨車であった が、コンテナ列車化の推進や老朽化等で両数は年々減少し、今年度初の在籍数は401両。今回コンテナ化された列車は、隅田川駅発着でワム80000形を使用する最後の列車であったことから、前日の 4日にはワムハチの引退セレモニー≠ェ実施された。


▽20ftコンテナによるモーダルシフ トの進展   
*【荷主レポート】20ftコンテナでユーザーへの直送拡大 北越コーポ (2019 年3月28日付『カーゴニュース』第4753号)

 北越コーポレーション(本社・東京都中央区)は昨年10月から、新潟工場(新潟市東区)からの紙製品の出荷で20ftコンテナ45基を新たに投入し、鉄道へのモーダルシフトを推進 している。トラックドライバー不足に対応するとともに、エンドユーザーへの直送を拡大するのが狙いで、同工場からの鉄道輸送比率を4割程度まで高めたい考 えだ。

 同社のコア事業は、洋紙事業、白板紙事業、特殊紙事業、紙加工事業、パルプ事業の5つである。物流全般は本社の物流企画本部が担当し、大阪工場以外の新 潟工場、紀州工場、関東工場(市川)、関東工場(勝田)、長岡工場では100%子会社の北越物流が構内作業や運送手配を手掛けている。

 紙・板紙の需要はとくに印刷・情報用紙で前年比3〜5%の減少傾向で推移しているが、「それ以上にトラックドライバーが減少し、需要期にトラックが確保 しにくい。とくに巻取り紙は『転がし積み』という特殊な荷役 作業を伴い、そうした技能を持つドライバーが少なくなっている」と高橋物流企画本部物流企画部物流企画担当課長は話す。

 主力の新潟工場では鉄道の側線を有し、1941年焼島駅開業以降から鉄道輸送を実施。5年前までは同工場出荷分の輸送分担率はトラック70%、鉄道30%とトラックが主体だったが、年々、鉄道コン テナ輸送を増やしている。従来は12ftコンテナで出荷していたが、納入先への直送比率向上を目指す中で課題が浮上した。

トラック不足対応と直送比率アップが課題

 二次配送拠点を経由せず、12ftコンテナでエンドユーザーに巻き取り紙を直送しようとすると、「転がし積み」ができない。トラック不足で鉄道コンテナ輸送 を拡大したいが、12ftコンテナでは直送比率を上げられないことがネックとなった。そこでまず注目したのが31ftコンテナだ。

 31ftコンテナは10tトラックと同じ内容積で、「転が し積み」にも対応できるためエンドユーザーにも直送できる。15年から大阪 貨物ターミナル駅、京都貨物駅向けに運用開始したが、エンドユーザーの構内や周辺道路事情によって、トレーラでは納入できないケースも多く、直送比率が上がらないことが分かっ た

 そこで新たな候補に浮上したのが20ftコンテナ。20ftコンテナはJR貨物の所有数が少ないため、私有コンテナ45基を自社で製作・保有。積載率を 高めるため不要な装備をなくして軽量化し、通常の20ftコンテナが8.7トンしか積載できないところを10トン積めるようにした。また、パレット貨物に 対応するためラッシングベルトのフックロックも取り付けている。

 新潟工場から関西方面への輸送で昨年10月から運用を開始。12ftコンテナ(5トン)の倍を一度に輸送でき、トラック輸送に比べCO2排出量を約9割 削減できる。なお、関西のエンドユーザーに納入後、空になったコンテナにはパレット貨物を積んで返送することができ、復路でのコンテナ活用を呼び掛けてい る。

 このほか新潟工場からの出荷では、関東発のトラックの帰り便の有効活用を進めている。販売戦略の一環として、前日の夕方の受注で翌日午前中に納品する “クイックデリバリー”サービスを提供しているが、新潟発のトラックが減っていることもあり、関東から新潟に荷物を運んでくるトラックの帰り荷に紙製品を 積んで戻す。

 海上輸送の拡大も検討する。新潟工場の出荷先は国内製品で東京、名古屋、大阪の3大都市圏で8割を占める。北海道、九州向けではRORO船を活用してい るが、3大都市圏への出荷はトラックと鉄道輸送のみ。受注の前倒しも念頭に、新潟〜青森〜東京、新潟〜門司〜大阪などで海上ルート活用の可能性を探る。

2021.5 大阪(タ)駅

*鉄道輸送拡大へコンテナを往復利用 北越コーポ (2020 年7月9日『カーゴニュース』第4877号)

 北越コーポレーション(本社・東京都中央区)は、コンテナの往復利用により鉄道輸送を拡大する。今年度は、新潟工場(新潟市東区)から北関東の顧客向け の輸送をトラックから鉄道にシフト。新潟工場は4月から段ボール原紙の製造を開始しており、紙製品を出荷するコンテナに、原料となる段ボール古紙を積んで 新潟工場に戻す。夏以降、飲料メーカーと協業し、新潟向けの飲料製品も同じコンテナで運ぶ。調達物流や共同物流を組み合わせることでコスト抑えながら中距 離でのモーダルシフトを実現し、将来的なトラックドライバー不足の深刻化に備える。

「転がし積み」対応の20ftコンテナ導入

 主力の新潟工場では2018年10月から、鉄道コンテナ輸送を拡大。従来は12ftコンテナを利用していたが、二次配送拠点を経由しない直送比率を向上 させるため、巻き取り紙の「転がし積み」にも対応できる20ftコンテナ(私有)を導入。積載率を高めるため不要な装備をなくすことで通常8.7トンしか 積載できないところを10トン積めるようにし、パレット貨物も想定し、ラッシング装置も取り付けた。

 第1弾として、新潟工場から関西方面の顧客向けに20ftコンテナによる鉄道輸送(写真)をスタート。「大阪貨物ターミナル駅へ9基名古屋貨物ターミナル駅へ3基京都貨物駅へ3基姫路貨物駅へ1基と計16基を1日に運行させている」(高橋営業推進本 部物流企画部物流企画担当課長)。5トン積みの12ftコンテナの2倍の量を一度に輸送できるため、トラックドライバー不足を緩和するとともにCO2排出 量の削減にも貢献する。

 昨年7月から、名古屋地区の顧客に納品した後のコンテナに、紀州工場(三 重県紀宝町)から製紙用原料を帰り荷として積んで新潟工場に戻すスキームを構築。コンテナの往復利用により、CO2排出量を約45%、ドラ イバーの運転時間を約60%削減したことが評価され、今年6月には、日本物流団体連合会の第21回物流環境大賞で「物流環境保全活動賞」を受賞した。関西 でのコンテナの往復運用も模索している。

帰り荷の確保では飲料メーカーと協業も

 さらに、JR貨物の3月のダイヤ改正に合わせ、新潟工場から北関東の顧客への輸送をトラックから鉄道にシフト。12ftコンテナには巻き取り紙の「転が し積み」ができないため「縦積み」し、熊谷貨物ターミナル駅近 隣の中継倉庫のヤードでトラックに積み替えて、埼玉県内の顧客に配送する。9月以降は20ftコンテナ3基を投入する計画で、熊谷貨物ターミナル駅から顧客 への直送も可能とする。

 新潟から北関東までの輸送で鉄道を使うとコスト高になるが、新潟工場が4月から段ボール原紙の製造を開始したことに伴い、北関東で回収された段ボール古紙をコンテナに積んで新潟工場に戻し、往 復利用することでコストを抑制する。リードタイムの制約上、20ftコンテナ3基と12ftコンテナ10基を併用し、夏以降、12ftコンテナの帰り荷で 飲料製品を運ぶ計画。「製紙メーカーと飲料メーカーによる協業の先駆け」(高橋氏)となる。

需要減で在庫過多、直送比率向上が課題

 主力の新潟工場で製造する印刷・情報用紙の需要は近年減少傾向で推移していたが、新型コロナウイルスの感染拡大がさらに追い打ちをかけている。関本取締 役営業推進本部長兼物流企画部長(段ボール事業部担当)は5月の出荷量について、「新潟工場は6〜7割の出荷量まで落ち込んでおり、5、6月は生産調整も 行った。大口需要家のちらしや機内誌、旅行会社のパンフレットなどの需要減の影響が大きい」と話す。

 インターネット通販需要を見込み、新潟工場では段ボール原紙の製造にも参入。ただ、「製紙業界全体をみると、3、4月は通販や加工食品などの“巣ごも り”需要で段ボール原紙の出荷は対前年比100%を超えたが、5月に入ると飲料製品用などで需要は減少に転じ、一服感がみられる」(関本氏)という。今後 は、段ボール原紙事業とともに、耐水性や耐油性に優れたプラスチック代替の紙素材の販売強化などに活路を見出したい考えだ。

 目下の物流の課題となっているのが、需要減に伴う在庫の過多とコストの上昇。「紙の需要は観光、行楽といった人の移動と連動するため、新型コロナの影響 で在庫が積み上がっている」という。コスト増につながる消費地での保管と二次配送を減らすため、直送比率のさらなる向上に取り組むとともに、「他社との競 争ではなく、共同で総需要減と戦う」ため、他の製紙メーカーとの共同物流も検討していく。




■北越紀州製紙(株)長岡工場   
 長岡工場の製品の輸送は山三運送店に請け負わせて搬出し、工場から長岡駅間を馬車運送した。初代専務田村文四郎や新町地元民の尽力で城岡駅(現・JR北 長岡駅)が開業したので、1923(大12)年12月には同駅から工場間1.4kmに軽軌条(16ポンドレール)の専用側線敷設を完成し、手押しトロッ コによる輸送に改めたため輸送費は著しく軽減した。さらに工場の生産量の増加に伴って、1924(大13)年5月には信越線と同一軌間の側線敷設を完了 して、手押し作業で貨車の工場出入りが可能となった。さらにドイツ製のガソリン機関車1台を購入して、同年12月からこれによって工場内への貨車出入り作 業を直接行えるようになり、運送費はこれまでの半分に低減した。([1]p92)

 1984(昭59)年12月、国鉄の合理化により、長岡工場と北長岡駅を結ぶ専用側線が廃止された。この専用側線は、1924(大13)年に当時の 長岡工場の主要製品であった黄ボール紙原料(稲藁)輸送と製品輸送の合理化対策を目的として、長岡工場〜城岡(現・北長岡)間1.4kmに敷設された。 ([1]p395)

 長岡工場は、かつて専用線から鉄道輸送していたが、専用線を廃止しトラック輸送している。(『運輸タイムズ』1990年9月24日付7 面)

*北越製紙、長岡工場一部休止へ 『新 潟日報』2009年3月28日付
http://www.job-nippo.com/news/details.php?k=2496

 北越製紙(長岡市)は27日、景気後退による需要減少により、長岡工場と関東工場市川工務部(千葉県市川市)の一部設備を5月以降停止する、と発表し た。これに伴い、2009年3月期に特別損失20億円を計上した。

 長岡工場で停止するのは6台の抄紙機のうち、2台。1号機は5月から、5号機は7月から休止する。自動車や半導体などの製造工程で使われる特殊紙を製造 していた。
 両機に携わっていた従業員は、同社やグループ会社への配置転換を検討しているという。

 同社は同日、09年3月期の業績予想を下方修正して発表した。需要減少のほか、特別損失の計上で、連結の純利益は1月公表の41億円から16億円に大幅 に減少する見込み。売上高1880億円は同じく1820億円に、経常利益は80億円を70億円とした。



■北越紀州製紙(株)関東工場 (市 川)  
2006.11 関東工場(市川)

 市川工場から市川駅間には既に軽軌条の専用側線1kmを敷設していたが、搬入・搬出貨物の増加に伴って、総武線と同一軌間の側線に改め、 工場構内へ貨車 の引き込み作業ができるよう1932(昭7)年に着工、1933(昭8)年3月に完成した。([1]p96)

 1969(昭44)年5月末、国鉄総武線の増強に伴う高架線工事に関連して、市川駅から市川工場へ引き込まれていた専用側線(延長約1km)が廃止さ れた。1933年に国鉄引込線として敷設された以来、36年にわたって同工場の動脈として活躍してきたが、これを機に全面的にトラック輸送に切り替えと なった。跡地は1970(昭45)年9月市川市に売却し、市道となった。([1]p259)

 市川工場は小名木川駅から北海道、関西へ1ケ月400トンをコンテナで輸送しており鉄道利用率は4%である。(『運輸タイムズ』1990年 9月24日付7面)



■北越紀州製紙(株)関東工場 (勝田)  

 勝田工場は1ケ月400トン水戸駅から関西方面へコンテナ輸送しているほか、本牧埠頭駅へも車扱輸 送している。鉄道利用率は4%だ。(『運輸タ イムズ』1990年9月24日付7面)

*北越製紙 勝田工場 輸出用紙製品 車扱をコンテナ化 (『運 輸タイムズ』1995年8月14日付3面、1996年3月18日付3面)

 北越製紙(株)勝田工場は、水戸駅から本牧埠頭駅へハワムで輸出用の特殊 板紙をパレット化して輸送していたが、3月16日のダイヤ改正からこれをコンテナ輸送に切り替えた。車扱輸送は水戸駅までトラックで横持ち し、ハワムで本牧埠頭駅に着けていたが、コンテナ輸送も基本的にこれと同じ方式とした。

 車扱では1ケ月700〜1,000トン輸送していたが、ト ラックに移行した一部を除き、コンテナ化された。ハワムの老朽化などでJR貨物が進めている車扱のコンテナ化に対応したもので、鉄道輸送は輸送の安定性、 輸送力の確保、低コスト輸送が可能なため継続利用する。またトラックの帰り便は出荷が夕方に集中するため作業が輻輳するが、コンテナ輸送は平準化した時間 帯の中で通運が集荷するというメリットもある。

 コンテナ化に際して、JR貨物は毎日(月〜土曜)12ftコンテナ6個の 指定枠を確保。空コンテナは通運が必要個数を手当している。1日の発送が6個以上になる時は、JR貨物と通運が適切に対応する。輸送所要日数は、車扱が翌 日着に対して、コンテナは3駅で中継するため4日目着。しかし余裕をもって出荷することで、リードタイムの問題は無いとみている。

 尚、国内向け製品をコンテナ輸送(水戸駅でコンテナ積みし、大阪貨物ター ミナル駅などへ1ケ月約100個)している が、今回の車扱のコンテナ化がその障害になることはない。

 横浜に着いた製品は、着駅近くの倉庫(保税上屋)へ配達し通関手続きを経て船積みするが、倉庫保管の時点で取扱商社の手に移る。


2010.12水戸駅

1998.3本牧埠頭駅

 筆者が目撃した水戸駅発送のコンテナの品目に板紙、紙があるが、これがまさに北越製紙が荷主の輸送と思われる。
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
コ ンテナ
目 撃・備考
水戸
北越製紙 (株)?
板紙
横浜本牧
日本紙運 輸倉庫(株)?
V19A
1998.3.21 横浜本牧駅にて目撃
水戸
北越製紙 (株)?

百済

JRコン テナ
1996.12.24 百済駅にて目撃

 

■紀州製紙(株)紀州工場  
2004.3鵜殿駅  紀州製紙(株)紀州工場

▼紀州工場の概要  
所 在地
三重県南 牟婁郡紀宝町鵜殿182番地
敷 地面積
330,000m2
従 業員数
311名
生 産能力
晒クラフ トパルプ:20万トン/年  洋紙:31万トン/年
生 産品目
色上質 紙、純白ロール紙、片艶晒クラフト紙、育果紙、上質紙、
晒クラフト紙、フォーム印刷用紙、PPC用紙、色カット紙、OCR紙
同 社webサイ トより)



▼紀州工場の沿革  
年  月
事  項
1950(昭25)年10月

三重県南牟婁郡に紀州製紙パルプ(株)を設立

1951(昭26)年05月
紀州製紙パルプは国鉄・天王寺鉄道管理局に10トン貨車1日当たり8両の配車を申請([11]p10)
鵜殿駅構内に木造平屋の製品出荷倉庫を建設し、遊休待避線を利用し引 込線として使用([11]p10)
1951(昭26)年08月
同所に紀州工場を建設し、未晒クラフトパルプの生産を開始
1953(昭28)年04月

未晒クラフトパルプから晒クラフトパルプへ転換

1954(昭29)年11月
紀州工場で洋紙の生産を開始
1957(昭32)年12月
困難な用地買収を解決し鵜殿駅から1・2号抄紙機南側に至る延長1,495mの専用線が完成
原木・資材の搬入、パルプ・洋紙の搬出を専用線から行うように([11]p10)
1958(昭33)年02月
燃料を石炭から重油に転換([11]p190)
1960(昭35)年01月
日 曹法による二酸化塩素発生装置完成。連続五段漂白に([11]p190)
1960(昭35)年05月
商号を紀州製紙(株)に改称
1961(昭36)年02月
紀州製紙と大和銀行の折半出資で紀州造林(株)が設立([11] p154)
1966(昭41)年01月
紀州工場内に8,000m2のチップヤードが完成。カーダンパーやト ラックスケールなど設置([11]p69)
1966(昭41)年05月
三 輪崎港(新宮市)に各種チップ荷役設備・貯蔵設備が完成し、作業を開始([11]p67)
1966(昭41)年12月
四国・九州方面からのチップ輸送のため、大阪機船(株)所属の「豊龍 丸」が専用船として就航([11]p68)
1967(昭42)年12月
紀州工場の調木工程が廃止され、全量チップで購入し屋外に野積みするOCSに移行([11] p68)
1968(昭43)年04月
三輪崎港のチップ荷揚げ設備が増設し、能力が一挙に倍増([11] p68)
1968(昭43)年09月
三輪崎港に購入パルプの在庫スペースのため、収容能力1,000トンの倉庫を建設([11] p68)
1969(昭44)年10月
国道42号と紀州工場の間に総延長342mの専用道路が完成([11] p68)
1979(昭54)年04月
山陽国策パルプ(株)岩国工場から2,000トン/月の外材チップを購入することになった([11]p131)
1980(昭55)年02月
鵜殿港開港に伴い、重油・薬品を船から受け入れるための設備が完成。
重油タンク920klが5基、750klが2基、苛性ソーダタンクが2基、硫酸バンドタンクが2基設置([11]p106)
1980(昭55)年12月
チップ専用船「第二豊邦丸」が就航。釜石と鵜殿港間を月3回航海。
船舶輸送に依存するチップ輸送77%のうち東北は45%を占める([11] p99、106)
1981(昭56)年04月
鵜 殿港が開港し、入港式が挙行。三輪崎港に入港していたチップ等の原材料は全て鵜殿港から直接
工場へ荷揚げされることになり、横持ち費用が不要になりコスト面に大きく寄与([11]p97)
粉体で入荷していた二酸化塩素製造の主原料である塩素酸ソー ダを42%液体(クローレート)に変更
する切り替え工事を実施し、輸送コストを大幅にダウン
([11]p106)
1982(昭57)年01月
経費節減のため船輸送に着目し、鵜殿港から東京、大阪へテスト輸送を開始([11]p106)
1982(昭57)年05月
東京地区については中央区晴海の東洋埠頭(株)を新たに営業倉庫として契約([11]p106)
1982(昭57)年10月
鵜殿港から東京への船輸送は月4船になった([11]p106)
1983(昭58)年08月
高温塩素化と高温ハイポを含む最新の4段漂白に更新。省エネと薬品の低 減に寄与([11]p99)
1986(昭61)年03月
苛 性化設備の増強でロータリーキルンを新設。燃費の節減と焼成石灰を確保([11]p99)
1987(昭62)年01月
酸素脱リグニン設備を設置し、塩素漂白薬品を約40%削減([11] p99)
1989(平元)年03月
鵜殿港から東京への船輸送は月8船になった([11]p107)
1993(平05)年02月
東洋埠頭(株)晴海営業所が再開発のため閉鎖、有明地区10号地の新倉 庫利用開始([11]p144)
1993(平05)年10月
車扱からコンテナの転換に向けて、東京向けコンテナのテスト輸送を開始([11] p144)
1994(平06)年10月
鵜 殿〜品川間のパワムによる紙輸送が着駅を東京(タ)駅な どに変更の上、コンテナ列車化([9]p29)
1995(平07)年10月
9月30日限りで紀伊佐野駅の(株)巴川製紙所からのコンテナ輸送が廃止され、
鵜殿発のコキが6車から8車に増車([9]p29)
2009(平21)年10月
株式交換により北越紀州製紙(株)の完全子会社となる
2013(平25)年03月
鵜殿駅に発着する定期貨物列車が廃止。一部コンテナ輸送は四日市駅までトラック化([12]p130)
(註が付記されていない事項は同社webサイトより)

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場



▼紀州工場のトピックス   
*競争力強化へ設備改良 紀州製紙、12億円を投資 『日 経産業新聞』2005年6月15日付、15面

 紀州製紙は今年度、主力の色上質紙や特殊紙などの生産性向上に向け工場設備を改良する。紀州工場(三重県鵜殿村)で色上質紙の裁断加工設備の処理能力を 高めるほか、大阪工場(大阪府吹田市)ではマークシート用紙などを生産する抄紙機を改造してスピードを上げる。投資額は約12億円。色上質紙では大王製紙 や日本製紙との競争が激しくなっているため、コスト競争力をつける。

 今夏に、紀州工場の主に色上質紙を裁断するカッターと呼ぶ設備の処理能力を上げる。投資額は3億6千万円。従来の設備は老朽化しているため。約1億7千 万円を投資、製紙原料パルプの製造工程でチップを煮る蒸解工程を改良、チップから不要物を取り除く能力を高める。
 大阪工場では、マークシート用紙など特殊紙を主に製造する抄紙機2台の操業スピードを上げるため、設備を2億7千万円かけて改良する。

 紀州製紙はパルプから紙まで一貫生産しており、年間生産量は約30万トン、連結売上高約500億円の中堅メーカー。
 昨年7月に紀州工場の抄紙機の生産スピードを上げるため設備を改良したが、紙を巻き取りながら所定の幅に整えるワインダーと呼ぶ設備に不具合が生じ、操 業度が大幅に低下。販売機会損失などで赤字に転落した。今年度に入り設備の不具合は解消されており、今回の投資で生産性を高め黒字転換を目指す。

▼色上質紙
 高品質のパルプと染料からつくる色付き紙。書籍の表紙などに使う。安い原料を使うファンシーペーパーなどに押されており、2004年の国内出荷量は14 万9千トンと、この6年で2割ほど減った。3社の寡占市場。最大手は紀州製 紙でシェア約50%、大王製紙、日本製紙が続く。

*紀州製紙 30億円のコスト削減実施 バイオマスボイラー稼働 重油の使用8割減 『日 経産業新聞』2007年12月27日付、17面

 紀州製紙は2009年3月期の黒字転換に向けて約30億円のコスト削減策を実施する。08年春に主力工場でバイオマス(生物資源)ボイラーを稼働させて 重油使用量を8割カット、年間で10億円以上の燃料費を削減することが柱。人件費削減や不採算品種からの撤退なども継続して行い、収益力を回復させていく としている。

 主力洋紙工場である紀州工場(三重県紀宝町)にバイオマスを燃料に使うボイラーを設置する。紀州工場が使う重油は現在年間で6万−7万キロリットルだ が、今後は1万キロリットル程度に抑制。原油価格が現在の水準で推移する場合で、10億円以上の経常利益押し上げ効果が期待できるという。

 新ボイラーはJFEエンジニアリングが整備する。1時間当たりの蒸気量は130トン。もう1つの工場で特殊紙を専門とする大阪工場(大阪市吹田市)はす でに都市ガスを使用しており、紀州工場での燃料転換が完了すれば、同社の重油依存度は一気に低下する。

 原油価格高騰などもあり、紀州製紙は08年3月期まで4期連続の経常赤字が避けられない情勢。原料の木材チップの物流体制見直し、不採算品種縮小などの 策も積み上げることで30億円のコストを削減、来期に黒字化できるとみている。
 ただ、チップや古紙パルプなどの原料価格が高水準で推移すれば、一層のコスト削減や製品価格の修正の必要に迫られる可能性もある。




▼鉄道貨物輸送の概要   
 紀勢本線に唯一残る定期貨物列車が鵜殿駅から発送される紀州製紙の紙輸送である。かつてはワム車による専用貨物列車であったが、相当早い時期(1994 年)にコンテナ列車化された。道路事情の良くない紀伊半島南部に紀州製紙が立地しているため、鉄道貨物輸送が相対的に競争力を持っているものと思われる が、今後の紀勢自動車道の延伸などによってこの優位性を維持できなくなることも予想され予断を許さない状況であったが、2013年3月をもって貨物列車の 設定が廃止され、高速道路延伸を前にして船舶輸送をメインとする輸送体系に変更された。

▽鵜殿駅の貨物取扱量の推移  (単位:トン)
年  度
発 送
到 着
合 計
年  度
発 送
到 着
合 計
1965 (昭40)
125,650
60,254
185,904
2000 (平12)
57,731
6,518
64,249
1970 (昭45)
122,159
37,836
159,995
2001 (平13)
57,439
5,006
62,445
1975 (昭50)
111,919
35,844
147,763
2002 (平14)
57,572
3,500
61,072
1980 (昭55)
123,634
20,783
144,417
2003 (平15)
57,790
3,375
61,165
1985 (昭60)
95,804
9,419
105,223
2004 (平16)
56,560
2,915
59,475
1990 (平02)
66,456
6,075
72,531
2005 (平17)
58,100
3,350
61,450
1991 (平03)
71,154
6,408
77,562
2006 (平18)
57,925
3,125
61,050
1992 (平04)
68,803
6,498
75,301
2007 (平19)
57,450
2,985
60,435
1993 (平05)
68,130
6,330
74,460
2008 (平20)
55,825
3,315
59,140
1994 (平06)
55,684
7,399
63,083
2009 (平21)
55,125
3,670
58,795
1995 (平07)
52,102
9,628
61,730
2010 (平22)
53,725
13,970
67,695
1996 (平08)
54,358
8,666
63,024
2011 (平23)
50,815
4,840
55,655
1997 (平09)
58,766
7,677
66,443
2012 (平24)
48,295
4,450
52,745
1998 (平10)
57,645
6,465
64,110




1999 (平11)
58,531
5,907
64,438




『三重県統計書』よ り作成)

 ネット上で公開されている『三重県統計書』には、1971年度までは駅別の主要品目別貨物発送到着トン数が掲載されている。一部品目の分け方に変遷はあ るものの、鵜殿駅の貨物輸送の発着トン数から、紀州製紙がどのように鉄道貨物を利用していたかが伺える。惜しむらくは、1971年度までという時期で、せ めて国鉄末期までの統計があればより実態の解明に繋がったのだが、それでも高度成長期の貨車輸送の実状を想像することができ、興味深い。


1961年度
1964年度
1967年度
1970年度

品  目
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
備    考
合   計
62,621
44,516
117,934
78,474
126,434
58,450
122,150
37,813

鉱 石
-
2,231
10
3,730
45
3,499
15
5,063

パ ルプ用材
3,420
7,024
3,493
14,261
1,306
4,603
1,446
2,364

そ の他木材
14,367
252
16,123
100
8,431
4,004
3,049
5,928
1961 年度は木材、1964・1967年度は原木、製材含む
そ の他林産品
1,687
1,857
1,251
14
1,130
9
1,037
9

甲 種鉄道車輌
7,433
495
11,680
-
5,094
-
2,489
8
1961 年度は機械・車輌類
石 油
70
14,490
-
24,129
-
1,122
-
113
1961 年度は石油、アルコール
石 灰
-
2,908
-
2,874
-
6,130
-
2,650
1970 年度は窯業製品
化 学薬品
85
10,042
148
15,991
-
21,497
21
14,951

紙・ パルプ
34,348
397
82,868
6,086
105,901
3,060
112,251
550

そ の他
1,211
4,820
2,361
11,289
4,527
14,526
1,842
6,177

『三重県統計書』よ り作成)

 パルプ用材の到着は1964年度は1万4千トンもあったが、船舶によるチップ輸送への切り替えで1970年度には2千トン程度に減少している。
 また重油と思われる石油も1964年度には2万4千トンあったものが、1970年度には僅か100トン程度にまで減っており、重油のタンク車輸送は昭和 40年代にほぼ無くなったようだ。発送元は、初島駅の東燃や下津駅・加茂郷駅の丸善石油、四日市駅の大協石油、塩浜駅の昭和四日市石油など候補となる駅は 多数ある。
 化学薬品の到着は、液化塩素がメインと思われるが、苛性ソーダ等もあると思われる。


▽紀州工場の専用線概要
専 用線一覧表
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
(通運事業者等)
作 業
方法
作 業キロ
総 延長
キロ
1961(昭 36)年版 鵜殿
紀州製紙 パルプ(株)
日本通運 (株)
国鉄機
手押
製品積込 線1.5
資材到着線1.0

1964(昭 39)年版
鵜殿
紀州製紙 (株)
日本通運 (株)
藤本産業(株)
私有機
手押
製品積込 線1.5
資材到着線1.0

1967(昭 42)年版
鵜殿
紀州製紙 (株)
日本通運 (株)
藤本産業(株)
北作商事(株)
日通機
手押
製品積込 線1.5
資材到着線1.0
新積卸線0.6

1970(昭 45)年版
鵜殿
紀州製紙 (株)
日本通運 (株)
藤本産業(株)
北作商事(株)
日通機
手押
製品積込 線1.5
資材到着線1.0
新積卸線0.6
3.1
1975(昭 50)年版
鵜殿
紀州製紙 (株)
日本通運 (株)
藤本産業(株)
北作商事(株)
日通機
手押
製品積込 線1.5
資材到着線1.0
新積卸線0.6
3.1
1983(昭 58)年版
鵜殿
紀州製紙 (株)
日本通運 (株)
藤本産業(株)
北作商事(株)
日通機
手押
製品積込 線1.3
資材到着線1.0
新積卸線0.6
2.9

YAHOO!地図よ り


2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り
左側のタンクは、硫酸バンド原液



▼鉄道貨物輸送を中心と した原料輸送  
発 駅
発 荷主
品 目
着 駅
着 荷主
貨 車
備 考
能町
日本曹達 (株)
液化塩素
鵜殿
紀州製紙 (株)
タキ 5450形
[9]p29
安治川口
ダイソー (株)?
液化塩素
鵜殿
紀州製紙 (株)
タキ 5450形
[9]p29

 1985(昭60)年当時は月500トンの塩素が鵜殿駅に到着して いた。([11]p107)

 液化塩素の タンク車輸送は下記のECF化に伴い廃止されたものと思われる。
*紀州製紙、原料パルプ工程 無塩素漂白100%に 環境対策強化 『日 経産業新聞』2004年8月23日付、14面

 紀州製紙は主力工場の紀州工場(三重県鵜殿村)の製紙原料パルプの漂白工程を無塩素漂白(ECF)ラインに転換する。これまで使用してきた塩素漂白剤は 汚染物質のクロロホルムを発生させる塩素ガスを含むため、工場排水の汚染源となってきた。新ラインの投資額は約27億円。環境対策を強化する狙い。

 導入するECFは塩素ガスの代わりに二酸化塩素を使う。今回の投資で同社が生産する年間20万トンのパルプは全面的にECFとなる。他社からの購入分 (年間約8万トン)は既にECF100%パルプを使用している。
 製紙業界では1998年に北越製紙がECFを導入、王子製紙などもECFを採用している。


 昭和30年代は鵜殿駅に年間1万トン以上のパルプ用材到着があったが、1967(昭42)年には調木工程が廃止され全面的にチップ購入に切り替えられ た。その際に船舶輸送がメインになったようで、三輪崎港に荷役設備が整備され、紀州工場までトラック輸送が行われる体制が構築されたようである。鵜殿駅の パルプ用材や木材の到着量が大きく減少しており、鉄道への依存度が低かったことが分かる。

 1961(昭36)年2月に設立された紀州造林(株)は、徳島県や奈良県熊野川水系の上流に山林を購入し、パルプ材(出材の6〜8割)を紀州工場に運ん だ。その後、紀州製紙は工場内の貯材は原木でなく、チップを野積みするOCSを検討し、チッピングは紀州造林が代行することになった。1963(昭38) 〜1973(昭48)年にかけて、紀伊半島、四国、九州、東北の広範囲でチップ工場を新設または買収した。1971(昭46)年当時の集荷網は、紀伊半島 で直営工場:6、出張所:4、四国で直営工場:2、出張所:8、九州で直営工場:1、出張所:6となり、直営生産の山林80カ所と全国に拡大された。([11] p154-155)

 紀伊半島と四国の資源枯渇が顕著となり、1973年2月に釜石市に岩手県の誘致工場として大型チップ工場が完成した。この結果、生産効率の悪かった御坊 工場を1975(昭50)年、田辺・中村両工場を1977(昭52)年に閉鎖した。([11]p156)
 御坊工場や田辺工場の場所は不明だが、貨車輸送が行われていた可能性はあるかもしれない。

 紀州工場は、「地理的条件から外材チップを敬遠していた」([11]p131)が、広葉樹丸太が全国的に払底した 1979(昭54)年4月にはやむを得ず山陽国策パルプ(株)岩国工場から2,000トン/月の豪州産の外材チップを購入することになった。その頃、船舶 輸送に依存するチップ輸送77%のうち東北チップは45%を占めており、釜石と鵜殿港には月3回の紀州製紙最大のチップ専用船が就航した。([11] p106、p131)

 円高の進行や国内林業の衰退で外材チップの比率は上がり、1989(平元)年は35%と大幅に増加した。外材チップ船は鵜殿港に接岸できないため、大分 県佐伯港に着岸させ、内航船で鵜殿港まで輸送することになった。([11] p132)
 外材チップ比率は年々上昇し、1993(平5)年には50%近くになり、2000(平12)年4月には80%になった。([11] p133)

 大型のチップ専用船で新宮港に入港した「輸入チップ」は、一旦新宮港に荷揚げされた後、内港船で工場に隣接した鵜殿港に運ばれる。環境報告書 2009 紀州製紙(株)


2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 硫酸98%ストレージタンク

2004.3鵜殿駅 液化塩素の荷役線

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り

2004.3鵜殿駅 紀州製紙(株)紀州工場専用線(こ の辺り



▼鉄道貨物輸送を中心と した製品輸送  

 1985(昭60)年当時の貨車輸送は、鵜殿駅から月間約7,600トン(年間9.1万トン)で総出荷量の大半を占 めており、内訳は東京地区(品川駅 着)約4,500トン(同5.4万トン)、大 阪地区(百済駅着) 約1,700トン(同2.0万トン)、名古屋地区(笹島駅着)約1,400トン(同1.7万トン)であったが、鵜殿港からの船舶輸送の 拡大によって大幅に減少した。更に国鉄の民営化に伴う貨物駅削減により、廃止対象に品川駅が含まれていたが、紀州製紙は同年10月に存続の陳情書を提出 し、存続が認められた。([11]p107)

 1985年3月ダイヤ改正では、紙専用列車:紀伊佐野〜□新宮〜△用 宗〜△品川〜汐留(□:連結、△:解放)が設定されている。
 JR貨物発足後の1987(昭和62)年時点では、鵜殿〜品川間、鵜殿〜新守山間 にワム80000形による紙輸送の設定がある。([10]p36)

 紀州製紙からのパワムは、主に品川駅にあった同社ストックポイントへ、1日に13 両くらいの単位で輸送されていた。1994(平6)年までは、品川駅の横須賀線ホームの西寄りにパワムがズラリと並んでいたものだが、そ れが紀州製紙の紙積貨車だった。ところが、東海道新幹線の品川新駅の工事のために、紙倉庫専用線が廃止されることになり、紀州製紙の紙列車は紙輸送のコンテナ化の一番手と して、1994年10月から着駅も東京貨物ターミナル駅などに変更さ れ、コンテナ輸送に切り替えられている。同時に紀伊佐野駅発の(株)巴川製紙所のパワムもコンテナに変わった。([9]p29)
 尚、品川駅には「1983(昭58)年版専用線一覧表」によると専用者:清田商 事(株)、第三者利用者(通運事業者等):千代田倉庫(株)の 専用線が存在した。

 1994年12月ダイヤ改正時点では、コキ車は18D、19Bなどの汎用コンテナ積で、鵜殿へは6両紀伊佐野へは3両の運用で、それぞれコキ車のまま工場専用線へ入り、車上積込を 行っていた。しかし1995(平7)年9月30日限りで巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野駅の貨物取り扱いは廃止され、鵜殿運用のコキ車が紀伊佐野か らの立て替えによって6車から8車に増車されるなど、輸送内容が変更となった。 ([9]p29)

 コンテナ化が実施される一方で、トラックが急増した。その結果、1998(平10)年現在の製品輸送内訳は船20%コンテナ20%トラック60%となった。([11]p144)

 東京地区の倉庫は、有明の東洋埠頭(株)のほか、(株)ヤマタネ、泰晴倉庫運輸(株)、岩谷物流(株)に依頼している。大阪地区は滝田倉庫(株)、岩谷 物流(株)、名古屋地区は平田倉庫(株)、福岡地区は日本紙運輸倉庫(株)にそれぞれ依頼しているほか、札幌、仙台、広島にも物流拠点を持っている。([11] p144)

 関東方面に出荷される製品は主に船舶鉄道輸送を使用しており、製品輸送に関して環境負荷に配慮している。また船舶輸 送の一部では復路で廃棄プラスチック燃料鵜殿港まで運び、往復で空荷を無くすことで輸送の効率化も図っている。環境報告書 2009 紀州製紙(株)
 


▼専用線廃止と輸送手段の見直し  

*北越紀州製紙 新宮港に倉庫 物流コスト削減 (2012 年12月18日付『日刊工業新聞』9面)

 北越紀州製紙は物流コスト削減を目的に、和歌山県新宮市の新宮港に資材や製品などを保管する倉庫を設置する。2013年2月の完成予定で、総投資額は約 10億円。情報用紙や特種塗工紙といった製品を生産する紀州工場向けの物流拠点となる。新倉庫の設置により、年間数億円の物流費の削減を目指す。

 紀州工場ではコンテナを使って製品を鉄道輸送している。物流の効率化に加え、運行中の貨物列車のダイヤ見直しにより、既存の物流拠点が利用し難くなる可 能性がある。そこで新たに物流倉庫を設け、一部の輸送を船便に切り替えることにした。

 新宮港の隣接地に敷地面積1万7,000平方メートルの用地を確保。パルプや薬品などの資材を保管する倉庫と、紀州工場で生産した製品を保管する倉庫を 設ける。これまで海外から調達したパルプなどの資材は大阪港の倉庫に一部保管し、トラックで紀州工場まで輸送していた。今後は輸入したパ ルプは新宮港の倉庫で直接、保管する。

 また、これまで薬品といった資材も横浜港大阪港などで降ろし、トラックで運んでいた。今後、薬品の一部は新宮港 まで船便を使って搬送するようにする。また、紀州工場で生産した製品を新宮港の製品倉庫で保管し、輸送に船便を活用することも検討していく。

2018.11 新宮港 北越コーポレーション(株)新宮港倉庫

*輸送見直し 物流費2割減 北越紀州製紙 (2013 年1月30日付『日経産業新聞』21面)

 北越紀州製紙は4月から同社で2番目の生産規模を持つ紀州工場から最大需要地の関東への輸送を陸送から海上輸送に切り替える。紀州工場近くの新宮港に新 鋭倉庫を整備、海上輸送に切り替えて年間2割の物流費を削減し、数億円を節約する。

 紀州工場は書籍などに使われる汎用品の上質紙やコンピュータの印字に使われるフォーム用紙、コピー用紙などを生産する主力工場。11年の生産量は約26 万トンで、規模は同社6工場のうち新潟に次ぐ。総額で約10億円を投じ、同工場としては初めて本格的な輸送用倉庫を整備する。

 倉庫には紙製品や輸入パルプを合計7,500トン保管できる。これまで関 東への製品出荷はJR貨物でこまめに陸送し、都心に借りた倉庫に保管していた。今後は工場側の倉庫で製品をいったん保管、量がまとまった段階で一度に割安な海上輸送で需要地に製品を送り込む。 関西の港の倉庫に貯めてからトラックで紀州へ運んでいた輸入パルプは新倉庫に直接入れる。

 北越紀州製紙は収益源の多角化や海外需要の取り込みを進めている一方で、国内事業の収益確保も課題となっていた。同社は大王製紙と両社の工場で培った製 造ノウハウを共有し、13年度からコスト削減策を実行していく見込み。現在、具体案を検討中だ。紀州工場での投資も含め、収益底上げの対策を積み上げる考 えだ。

*北越紀州製紙が紀州工場の物流拠点に新倉庫建設、海上輸送にシフト (2013 年2月5日付『カーゴニュース』第4156号)

 北越紀州製紙では、紀州工場(三重県紀宝町)の物流拠点として、和歌山県の新宮港に新倉庫を建設し、今春から稼働させる。紀州工場の製品輸送および資材 調達を海上輸送にシフトするのが狙い。設備投資額は10億円程度。製品と資材の往復輸送を推進するなど物流コストの削減が見込まれるほか、鉄道、トラッ ク、内航船と複数の輸送モードを確保することによって災害時のリスク回避にもつながる。

 2009年10月に北越製紙が紀州製紙を完全子会社化し、社名を北越紀州製紙に変更。11年4月には紀州製紙を合併した。販売体制、生産体制、調達体 制、事務管理体制で経営統合のシナジーを追求する一環として、物流コストを含めた販売管理費の削減の取り組みを進めている。

 紀州工場では現状、鉄道コンテナを主体として、船、トラックの輸送手段があるが、工場立地を考慮した場合、紀州工場から関東向けの出荷においては海上輸 送が望ましい――との構想が従来からあった。

 旧北越製紙は生産地在庫が60〜65%、消費地在庫が35〜40%、旧紀 州製紙は生産地在庫と消費地在庫がそれぞれ50%で、紀州工場の在庫キャパシティの増強による直送体制の構築が課題となっていた。また、 JR貨物のダイヤ改正や機関車の更新もきっかけとなり、鉄道輸送の見直しに着手。

 国内最大級のチップ運搬船が入港する新宮港(和歌山県)に 新倉庫を建設。約1万6,000平方mの敷地に製品倉庫(床面積約4,800平方m、収容能力約4,000〜4,500トン)、資材倉庫(約4,200平 方m、約2,500〜3,000トン)を整備。いずれも耐震性を備えた設計とし、物流子会社の北越物流が運営する。

 紀州工場から関東向けの製品出荷は、ばら積み内航船のほか、リードタイムや雨天時荷役も考慮し、RORO船も採用。製品発送と資材調達の連携により、海 上輸送でラウンド輸送の拡大が容易となる。九州向けについても従来は大阪港の倉庫を経由していたが、これを廃止し、既にRORO船による直送に切り替えて いる。

 なお、東日本大震災や一昨年の台風の経験を念頭に、災害など緊急時の輸送体制として複数の輸送モードを確保。4月以降、関東向けの輸送手段は、基本的には海上輸送に切り替えるが、コンテナ、トラックも併用予定

 新宮港の新倉庫は3月末に竣工し、4月1日から運用開始予定。新倉庫の建設については「費用対効果の面でも効果を出しやすい、コスト低減に直結する―― と判断し、(設備投資の)決断も早かったのではないか」と話している。

*紀勢線のDD51機関車が引退 (2013年3月 7日付『中日新聞』)

熊野灘を背に、煙を上げて貨物を牽引するDD51=紀北町 紀伊長島区道瀬で

 紀伊半島の海沿いを走るJR紀勢線(亀山〜和歌山市)の貨物列車が、16日のダイヤ改正で廃止される。これに伴い、熊野灘の海岸やミカン畑を背に、貨物 列車を牽引する「DD51形」ディーゼル機関車も紀勢線から姿を消す。

 紀勢線はかつて木材などを運搬する貨物列車が多く往来していた。現在は、東海道線稲沢駅と鵜殿駅の間を一日1往復運行している。

 貨物列車の荷主は製紙会社「北越紀州製紙」で、紀宝町鵜殿の紀州工場で製造した上質紙や包装用紙を東京方面に輸送している。鉄道貨物は工場の製品輸送の 半分を占めるが、同社は物流費削減のため、2月中旬に和歌山県新宮市の新宮港に保管倉庫を建設。今月16日から鉄道輸送から船便輸送に切り替えることにし た。

 貨物列車のダイヤは上りが鵜殿駅午後3時40分発で稲沢駅午後10時17分着。下りは稲沢駅午後10時56分発で鵜殿駅に翌日の午前9時36分着。紀勢 線から貨物列車が廃止されることで、県内での貨物列車の定期運行は稲沢駅と四日市市の塩浜駅を結ぶ路線のみとなる。

 北越紀州製紙にヒアリングした結果、定期貨物列車が廃止されなければ環境負荷低減の観点から引き続き鉄道輸送を継続する意向だったとのことである。しかし荷主ニーズがある にも関わらず、JR貨物としては1日1往復の貨物列車を維持するために要員を確保することは難しく、経営資源を主要幹線に集中させるという観点から廃止に 至ったと考えられる。([12]p130)


2017.12鵜殿駅 北越紀州製紙(株)紀州工場

2017.12鵜殿駅

 2014(平26)年11月現在では、専用線の線路が残り国道42号の踏切信号が生きていることが、2014年11月2日付『わかやま新報』の記事にあ る。その当時は休止状態で維持されていたようだ。
 しかし2017(平29)年12月に現地訪問した際は、工場に至る専用線の線路は全て撤去され、工場内も荷役ホームは残るもののレールは消滅していた。 また鵜殿駅構内の側線も姿を消していてバラストが残るのみであった。このように鉄道貨物輸送が行われていた面影は確実に失われつつある。




[1]『北越製紙百年史』北越製紙株式会社、2007年
[2]小山 雄久「ワキ天国焼島」『レイル・マガジン9月号』通巻第156号、1996年、p74-75
[3]小山 雄久「さらばワキ天国」『レイル・マガジン2月号』通巻第173号、1998年、p52-53
[4]『盛岡鉄道管理局25年史』日本国有鉄道盛岡鉄道管理局、1976年
[5]『鉄道ピクトリアル』第40巻第2号、通巻第523号、1990年、p16
[6]曽我 治夫「臨海鉄道13社の現況」『鉄道ピクトリアル』通巻第572号、1993年
[7]渡辺 一策・藤岡 雄一「臨海鉄道パーフェクトガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻第197号、1999年
[8]今井 和博「全国私有貨車クラブ 第70回」『レイル・マガジン12月号』通巻第183号、1998年、p77
[9]渡辺 一策「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』通巻第154号、1995年
[10]渡辺 喜一「JR貨物の車両ガイド@貨車編」『鉄道ダイヤ情報』通巻第47号、1987年
[11]『紀州製紙50年のあゆみ』紀州製紙株式会社、2001年
[12]福田 晴仁「紀勢本線定期貨物列車廃止に見る鉄道貨物の未来」『鉄道ジャーナル』通巻第589号、2015年、p130-131

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