高
砂 |
高
砂 港 |
別
府鉄道 |
飾
磨 |
飾
磨 港 |
北
沢産業 |
合 計 |
|
駅・
鉄道 開業年月 |
1914
(T3)年9月 |
1914 (T3)年9月 | 1921
(T10)年9月 (野口線) 1923(T12)年3月 (土山線) |
1897
(M30)年11月 |
1895
(M28)年4月 |
1944
(S19)年6月 (専用鉄道) 1966(S41)11月 (地方鉄道) |
|
1969
(S44)年度 以前 |
363,000 (1960年度) |
161,017 (1965年度) |
734,338 (1968年度) |
256,141 (1968年度) |
16,765 (1967年度) |
‐ |
|
1970
(S45)年度 |
427,000 |
217,393 |
719,386 |
263,936 |
12,540 |
1,640
千トン |
|
1975
(S50)年度 |
283,000 |
149,955 |
292,507 |
106,506 |
5,688 |
838
千トン |
|
1980
(S55)年度 |
273,487 |
123,222 |
202,458 |
73,233 |
5,572 |
678
千トン |
|
1981
(S56)年度 |
261,408 |
122,520 |
166,386 |
61,424 |
4,657 |
616
千トン |
|
1982
(S57)年度 |
220,163 |
118,264 |
122,405 |
59,263 |
4,386 |
524
千トン |
|
1983
(S58)年度 |
150,360 |
77,847 |
92,119 |
42,774 |
2,924 |
366
千トン |
|
1984
(S59)年度 以降 |
‐ |
‐ |
‐ |
29,341 (1986年度) |
‐ |
‐ |
29
千トン (1986年度) |
貨
物取り扱い 廃止年月 |
1984 (S59)年2月 | 1984 (S59)年2月 | 1984 (S59)年2月 | 1986
(S61)年11月 |
1984
(S59)年2月 |
1984
(S59)年2月休止 1989(H元)年5月廃止 |
|
主
な専用線 (荷主) |
キッ
コーマ
ン(株) (株)神戸製鋼所 播磨耐火煉瓦(株) 三菱製紙(株) |
鐘
淵化学工業(株) 福栄肥料(株) |
多木化学
(株) 製鉄化学工業(株) |
新
日本製鐵(株) 製鉄化学工業(株) (株)神戸鋳鉄所 |
三
菱金属鉱
業(株) 兵庫県(公共臨港線) |
(株)東
芝 西芝電機(株) |
|
貨物列車 1980年10月時点 |
高砂〜加古
川 3往復 |
不明 |
不明 |
下り4本 上り4本 |
下り3本 上り2本 |
不明 |
昭和30年代後半の高砂駅(野田醤油、新三菱重工業、神 戸製鋼など) |
昭和30年代後半の高砂港駅(鐘紡、鐘淵化学工業など) |
高
砂市民様からの情報 |
備
考 |
|
到
着 |
主にクラ
フトパルプが到着 六原、磐城西郷、八戸などが発駅 ※パルプを輸送したワムの空車をキッコーマンにもっていき そこから醤油の発送に使用 |
三菱製紙
(株)北上工場、白河工場、八戸工場が 発荷主 |
発
送 |
殆ど無
く、コンテナで姫路から輸送されていた模様 |
高
砂市民様からの情報 |
備
考 |
|
発
送 |
主に西日
本エリアに醤油を発送 東海・北陸: 大府、新守山、南福井、金沢 四国: 高松、今治、松山、宇和島、高知、中村、徳島 中国: 東広島、米子、下関 九州: 東小倉、福岡港、宮崎、鹿児島、山川 など ※三菱製紙に到着したワムを醤油の発送に使用 |
|
到
着 |
*空き瓶
など 返送元は上記発送先の駅が多かった *野田市駅からの製品到着もあり *兵庫港駅で陸揚げされた大豆をワム車で輸送 ※キッコーマンは発着貨物ともに多かった |
野田市駅は1985年3月に貨物取り扱い廃止 兵庫港駅は1984年2月に廃止 |
高
砂市民様からの情報 |
備
考 |
|
到
着 |
稀に無蓋
車で原材料輸送あり 発駅は酒田港駅、安中駅を記憶している 国鉄高砂工場で廃車解体された鉄屑を無蓋車で神戸製鋼に輸送していた |
酒田港:
東北東ソー化学(株)、 安中:東邦亜鉛(株)が発荷主と思われる |
発
送 |
加古川製
鉄所で生産された鋼板を高砂港駅まで輸送し、そこからトキ
23000を 使って東三条駅、加茂駅、燕駅などの新潟エリアに輸送 |
加古川製
鉄所は専用線無し |
高砂市民様からの情報 |
殆ど発着
が無かったが、現在も活躍するシキ1000が工場前のヤードに常置されていた |
高
砂市民様からの情報 |
備
考 |
|
発
送 |
鐘淵化学
の専用線があり、タキ7750が3両常備されていた 松尾寺駅、新井駅への車票を挿していた マーガリンをワム車で石岡、東札幌に発送 |
タキ
7750形:苛性ソーダ液専用 松尾寺:日本板硝子(株) 新井:ダイセル化学工業(株)が 着荷主と思われる |
2002.1飾磨駅 新日鐵の専用線跡地 |
【播
但線(通称:飾磨港線)】 飾磨港線の主要荷主であった新日本製鐵(株)広畑製鐵所は、昭和末期より生産体制の縮小傾向が続き、遂に1993(H5)年には高炉を休止し銑鋼一貫工 場では無くなった。1965(S40)年度に は、井倉〜飾磨で319千トン、足立〜飾磨で178千トンの計497千トンの石灰石輸送が行われていた(天野 正雄「最近の石灰石需給状況と鉄道輸送」『貨物』第16巻第7号、1966年)が、高炉休止により、この需要そのものが消滅したことにな る。 また三菱金属鉱業(株)は生野銀山から到着する鉱石輸送がメインであったと思われるが、1973(S48)年に閉山となっている。 さらに兵庫県の公共 臨港線 は、「1975年版専用線一覧表」では姿を消しており、昭和40年代末期には早くも廃止されたようだ。 飾磨駅の719千トン(1970年度)の取扱量の内、到着が466千トンを占め、その大半が石灰石であった。 |
【北
沢産業】 北沢産業は、地方鉄道として1980年代まで維持されていたのが不思 議なくらいの鉄道であるが、元々は1944(S19)年6月に開業した東京芝浦電気 (東芝)の専用鉄道で、1966(S41)年11月に地方鉄道に転換された。途中の上余部駅や中浜田駅には(株)東芝や西芝電機(株)の工場に向けた専用 線のほか、終点の浜田港駅は木材輸送の拠点であったようだ。この点は臨港鉄道らしいと言えるだろう。 ちなみに北沢産業の1967(S42)年度輸送量16,765トンの内、3,601トンを木材が占めていた。その後、木材は1968(S43)年度: 2,011トン、1969(S44)年度:1,825トン、1970(S45)年度:689トン、1971(S46)年度:308トンと減少し、1972 (S47)年度以降は0となった。そして地方鉄道に変更後、輸送実績の無かった中浜田〜浜田港間は1967年2月には休止、そして1973(S48)年2 月に廃止された。1974(S49)年度以降、北沢産業は年間 5,000〜6,000トン程度の輸送量で推移していたのだが、そのような輸送量でも1980年代半ばまで鉄道が存続したのは興味深い。東芝や西芝電機の 強い意向もあったのであろうか。主な到着貨物は、岐阜県土岐市からの珪砂などで、真空管や蛍光灯などの原料になったとのことで、幌掛けされたトラ 70000形が3両ほどが線内を走る写真が残されている。 |
2019.10北沢産業跡地 一部レールが残る |
2006.9多木化学(株) |
これら播磨地区4路線の荷主には、多木化学(株)や
福栄肥料(株)、製鉄化学工業(株)〔現、住友精化(株)〕といった化学肥料メーカーが目立つのも特徴である。化学肥料の輸送は、かつては国鉄への依存度
が高くワム車を中心に全国各地の貨物取扱駅に輸送されていた。しかし1984(S59)年2月のヤード系輸送廃止により、トラック輸送に一気に転換されて
おり、
別府鉄道の廃止にも繋がった。更に製鉄化学工業(株)に至っては、化学肥料事業からは撤退し、住友精化(株)に社名変更した今では吸水性樹脂を中心とした
ファ
インケミカルの企業に変貌している。 このように各路線とも主要荷主の事業再編により、輸送需要そのものが大きく変化し、輸送量が大きく減少していったことは見逃せない。単純にトラックや船 舶に転換したとは言えない重厚長大産業の構造的な変化があったと言えるだろう。 |
1970
年度 |
1980
年度 |
1990
年度 |
2000
年度 |
2010
年度 |
2017
年度 |
|
発
送(トン) |
181,345 |
76,545 |
303,446 |
221,821 |
274,925 |
306,916 |
到
着(トン) |
249,675 |
94,412 |
114,562 |
141,459 |
177,754 |
197,903 |
合
計(トン) |
431,020 |
170,957 |
418,008 |
363,280 |
452,679 |
504,819 |