日本の鉄道貨物輸送と物流: 目次へ
とはずがたりな掲示板 鉄 道貨物スレへ

八戸地区の貨物取扱駅 〜我が国有数の専用線集積地帯の栄枯盛衰の歴史〜
2016.9.19作成開始 2016.10.15公開  2016.10.18訂補 2016.11.8訂補
目次
はじめに
八戸市内各駅と関連年 表
八戸市内各駅の貨物取扱量 (トン)の推移
八 戸貨物駅
 @三菱製紙(株)八戸工場 向けの化学薬品輸送
 A全農の生乳輸送
 B八戸セメント(株)向け の焼却灰輸送
 C日本製粉(株)の小麦粉 輸送
 
D大平洋金属(株)の特 殊鋼輸送
 E鮮魚輸送
 F合同酒精(株)の酒類輸送
本 八戸駅
湊駅
陸奥湊駅
鮫駅
北沼駅
 @三菱製紙(株)八戸工場
 A八戸製錬(株)
 
B東新鋼業(株)

■はじめに
 国内には京浜・京葉臨海部や名古屋港界隈、四日市地区、北九州地区など専用線が高密度に集積していた地域が存在している。このような場所は太平洋ベルト 地帯を中心に数多く存在したが、東北地方を代表する臨海工業都市・八戸市も1980年代半ば頃までは、これら「専用線集積地帯」の1つに位置付けられた。

 2016年9月現在、人口23.4万人を有する八戸市は、盛岡市(29.7万人)、秋田市(31.5万人)、青森市(29.1万人)と並ぶ北東北におけ る拠点都市の1つであり、八戸港を中心とした漁業や製紙、化学、鉄鋼などの重化学工業を基盤に発展を遂げてきた。そして、かつては専用線集積地帯で あったことからも分かるように、鉄道貨物輸送が大変盛んに行われていた時代があった。現在は、八戸貨物駅とそこから分岐する八戸臨海鉄道に鉄道貨物輸送は 集約されているが、市内の至る所に貨物線や専用線が敷設されていた面影が残っている。

 現在、八戸市内を発着する鉄道貨物輸送は、三菱製紙(株)八戸工場関連の輸送の比重が高く、同工場の生産量や鉄道輸送シェアの変動により輸送量が大きく 増減するという構造になっている。かつて八戸市内からタンク車による大量の発送が行われていたセメントや石油類は、今後新たに鉄道輸送を開始する可能性は 低 く、バランスの取れた輸送体系にするには新しい荷主の開拓が急務である。例えば、2015年に稼働したJX日鉱日石エネルギー(株)の東北最大規模の輸入 LNG基地からの輸送など、新規輸送需要の発掘を図っていきたいところである。

 「貨物取扱駅と荷主」の第14回は、八戸地区の貨物取扱駅の歴史を俯瞰し、その栄枯盛衰と今後の可能性を模索したい。

2016.9 八戸貨物駅


■八戸市内各駅と関連年表  
年  月
内   容
1921(大10)年05月
日出セメント(株)(1925年磐城セメント(株)と合併)湊工場が操 業開始
1928(昭03)年06月
陸奥湊駅に磐城セメント(株)の専用線開通
1929(昭04)年05月
三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生
1930(昭05)年
鮫港と湊港を統一し、「八戸港」に改称
1930(昭05)年
松尾鉱業(株)は硫黄の積出港を青森港から八戸港に変更([4] p114)
1939(昭14)年
八戸港が貿易港として開港指定
1939(昭14)年
日東化学工業(株)が八戸工場開設(2001年に同工場を母体にMRC ユニテック (株)設立)
1939(昭14)年
東北無水アルコール(現、合同酒精)が操業開始([5]p49)
1951(昭26)年
八戸港が重要港湾に指定
1951(昭26)年05月
日本高周波鋼業(株)八戸工場開設。淋代海岸(三沢市)の砂鉄鉱区を原 料に銃鉄の生産開始
1951(昭26)年07月
ゼネラル物産(株)八戸油槽所完成([9]p253)
1952(昭27)年
東北砂鉄鋼業(株)八戸製煉所が操業開始([5]p52)
1956(昭31)年08月
八戸ガス(株)設立
1957(昭32)年04月
鮫駅に臨港1・2番線新設(1965年4月に1千トン岸壁公共臨港線と改称)([1] p472)
1957(昭32)年05月
日曹製鋼(株)(現、太平洋金属)八戸工場完成。砂鉄銑の製造開始
1957(昭32)年10月
丸善石油(株)八戸油槽所が新設([10]p6)
1958(昭33)年06月
東北電力(株)初の火力発電所として八戸火力発電所1号機が運転開始
1961(昭36)年11月
大協石油(株)八戸油槽所が完成([11]p509)(1980 年10月に東西OTに譲渡、同社八戸油槽所になる)
1962(昭37)年03月
日東石膏ボード(株)設立
1962(昭37)年12月
昭和石油(株)八戸油槽所が開設([12]p385)
1964(昭39)年01月
エッソ・スタンダード石油(株)八戸油槽所が新設([17] p24)
1964(昭39)年03月
八戸市が新産業都市に指定
1965(昭40)年03月
鮫駅の東北開発(株)専用線使用開始([1] p472)
1965(昭40)年04月
鮫駅の1万トン岸壁公共臨港線使用開始([1] p472)
1965(昭40)年10月
八戸駅に盛岡鉄道管理局管内初のコンテナ基地開設([1]p242)
陸奥湊駅から住友セメント(株)の私有タンク車による輸送開始
([1] p472)
1966(昭41)年03月
三菱製紙(株)八戸工場開設に伴い青森県専用線及び三菱製紙専用線使用開始(八戸線に 北八戸信号場開設)
1968(昭43)年02月
丸善石油(株)八戸油槽所が八戸市大字河原木に移転([10] p11)
1968(昭43)年10月
尻内〜東京市場間でレサ急行列車運転開始([1] p242)
1969(昭44)年03月
八戸製錬(株)本格操業開始
1969(昭44)年04月
北日本造船(株)設立
1970(昭45)年07月
共同石油(株)八戸油槽所が開所([13]p530)
1970(昭45)年08月
鮫、湊駅から横浜市場行きレサ使用開始([1] p230)
八戸駅に日本飼料ターミナル(株)八戸基地が営業開始
1970(昭45)年12月
八戸臨海鉄道(株)が開業。八戸貨物駅が開業(当初は信号場、貨物扱い開始は1971 年10月)
1971(昭46)年02月
八戸線・八戸駅を本八戸駅に改称
1971(昭46)年04月
東北本線・尻内駅を八戸駅に改称
1971(昭46)年10月
八戸臨海鉄道・北沼駅の鉄工団地専用線の第三者利用に八戸製錬(株)承認([3]p18)
1972(昭47)年度
国道45号八戸バイパス(L=13.5km)が暫定2車線で全線開通
1973(昭48)年
八戸港〜苫小牧港間にカーフェリー就航
1973(昭48)年11月
八戸貨物〜百済間でフレートライナー運転開始。関西地区へ鮮魚直送([1] p592)
1974(昭49)年08月
東西オイルターミナル(株)八戸油槽所が設置(丸善石油(株)八戸油槽 所を譲渡)
1974(昭49)年09月
鮫駅の館鼻公共臨港線使用開始([1]p472)
1974(昭49)年10月
本八戸〜湊間の旅客運輸廃止。貨物支線に編入
1976(昭51)年
八戸港の八戸大橋供用開始
1976(昭51)年02月
東京鉄鋼(株)八戸工場製鋼工場が完成
1977(昭52)年07月
長苗代駅〜陸奥湊駅間が連続立体交差化され、本八戸駅及び小中野駅が高 架化
1977(昭52)年08月
住友セメント(株)八戸工場を分離独立し、八戸セメント(株)設立
1981(昭56)年05月
日本高周波鋼業(株)八戸工場を分離して、鋳物専門の高周波鋳造(株) として発足
1982(昭57)年09月
八戸飼料穀物コンビナートに東北グレーンターミナル(株)操業開始([2]p116)
1983(昭58)年04月
コープケミカル(株)が発足。日東化学工業(株)肥料部門が営業譲渡さ れ、同社八戸工場となる
1984(昭59)年02月
鮫駅の貨物取扱いが廃止
1985(昭60)年03月 湊貨物駅が廃止
1986(昭61)年04月
八戸駅の日本飼料ターミナル(株)八戸基地閉鎖
1986(昭61)年11月
陸奥湊駅の貨物取扱いが廃止
1986(昭61)年11月
八戸自動車道の一戸IC〜八戸IC開通(1989年9月安代JCT〜一 戸IC開通)
1994(平06)年
八戸港に東北初の定期国際コンテナ航路である東南アジア航路開設
2001(平13)年01月
八戸貨物駅が着発線荷役(E&S)化
2002(平14)年07月
八戸自動車道の八戸Jct〜八戸北IC開通し百石道路と接続
2002(平14)年10月
八戸貨物駅に24トン31ft対応のトップリフターが導入
2002(平14)年12月
東北新幹線の盛岡〜八戸が延伸開業
2006(平18)年06月
本八戸〜三沢間の米軍三沢基地向け石油タンク車輸送が廃止
2010(平22)年12月
東北新幹線の八戸〜新青森が延伸開業
2015(平27)年04月
JX日鉱日石エネルギー(株)は東北最大規模の輸入LNG基地「八戸 LNGターミナル」の営業開始
(八戸市webサイト、各社社史及びwebサイト、Wikipedia等より作成)


■八戸市内各駅の貨物取扱量(トン)の推移  
駅  名
本八戸
八戸貨物

陸奥湊

八戸
北沼
合計(その他含む)
年  度
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
発 送
到 着
合 計
1961
105,059
167,197
-
-
144,449
191,899
254,413
3,263
198,766
212,616
40,756
85,255
-
-
764,800
674,701
1,439,501
1965
250,442 247,400 -
-
222,212 223,900 193,647
33,099
152,707
193,967
56,719
135,448
-
-
910,543
865,301
1,775,844
1970
349,167
250,510
-
-
278,213
251,094
284,476
45,821
119,544
94,891
36,892
91,299
86,477
38,084
1,287,696
843,036 2,130,732
1975
325,945
79,205
183,658
290,478
129,940
47,815
503,335
64,605
116,435
108,040
7,665
72,635
211,567
123,817
1,480,735
738,415
2,219,150
1980
240,754
67,976
85,006
179,557
73,136
46,972
267,637
31,945
146,247
276
7,734
63,221
195,079
79,689
1,015,593
484,789
1,500,382
1985
159,505
27,594
171,742
138,414
-
-
50,990
6,657
-
-
4,945
31,192
141,672
40,379
528,854
244,236
773,090
1990
24,140
8,624
187,269
199,052
-
-
-
-
-
-
-
-
235,000
30,000
446,409
237,676
684,085
1995
35,240
9,232 152,343
204,013
-
-
-
-
-
-
-
-
217,965
42,277
405,548
255,522
661,070
2000
10,628
2,400
119,255
165,790
-
-
-
-
-
-
-
-
211,775
40,534
341,658
208,724
550,382
2005
8,800
2,200
130,058
145,935
-
-
-
-
-
-
-
-
248,729
52,610
387,587
200,745
588,332
2010
-
-
122,682
160,975
-
-
-
-
-
-
-
-
276,380
55,495
399,062
216,470
615,532
2014
-
-
110,565
190,996
-
-
-
-
-
-
-
-
325,025
56,085
435,590
247,081
682,671
(『八戸市統計書』より作成)

 八戸市内の鉄道貨物取扱量は、1970年代にピークを迎え、1973年度には2,335,907トンに達した。但し、発送量のピークと到着量のピークに はズレがあり、発送量のピークは全体のピークと同じ1973年度の1,612,020トンであるが、到着量のピークは1967年度の968,248トンで ある。

 発送量の大きな比重を占めたのは、陸奥湊駅で発送量は1972〜1976年度にかけて40〜50万トンで推移している。同駅は住友セメント(株)からのセメント輸送が殆どである。また本八戸駅も 1970年代は、ほぼ30万トン以上の発送を維持しており、石油基地からのタンク車輸送が盛んに行われていたようだ。北沼駅や八戸貨物駅も1970年代は 20万ト ン前後の発送量がある。

 一方、到着量のピークである1967年度を見ると、本八戸駅(当時は八戸駅)、湊駅、鮫駅のいずれも20万トン程度の到着がある。
 本八戸駅は日曹製鋼(株)向け砂鉄、湊駅は日東化学工業(株)向け硫化鉱、鮫駅は松尾鉱業(株)の松尾鉱山からの硫黄がそれぞれ到着の主力であったと思 われる。これら到着品目は、産業構造の変革に伴い輸送需要が無くなるなどの要因もあり、発送よりも早く1960年代後半に鉄道貨物輸送はピークを迎えた。

 八戸地区は1975年度では、まだピーク時に近い約220万トンの取扱量があったものが、5年後の1980年度には約150万トン、その5年後の 1985年度には80万トンを 割っている。10年間で約3分の1に減ってしまったわけで、まさに激減である。そして1980年代半ばには鮫、湊、陸奥湊、八戸の各駅の貨物扱いや駅の廃 止 が相次いでいる。JR貨物発足直前には鉄道からトラックや船舶などの輸送機関への転移と国鉄の合理化によって、現在の八戸地区の鉄道貨物輸送の原型が整え られたと言えよう。

 その後、東日本大震災の影響のあった2011年度を除くと2001年度の528,401トンを底に輸送量は増加傾向であり、2014年度は 682,671トンとなった。これはバブル期の1990年度と同レベルであり、その当時と比べると本八戸駅からの石油輸送が終了したことを踏まえると、相 当健闘していると言えるのではないか。特に近年は八戸臨海鉄道・北沼駅からの発送が大きく伸びているのが特徴である。 荷主である三菱製紙(株)が鉄道コンテナ輸送にモーダルシフ トしているためと思われる。

2001.8 本八戸駅 貨物扱所


■八戸貨物駅  
  八戸市内を発着する一般貨物は、八戸線・八戸駅(現、本八戸駅)や東北本線・尻内駅(現、八戸駅)で取り扱いを行っていたが、設備が老朽化・狭隘化したた め、新たに近代的な設備を備えた貨物駅として八戸貨物駅が誕生した。八戸臨海鉄道と共に1970(昭45)年12月に開業した当時は、信号場扱いでフロン ト扱いは無かったが、1971(昭46)年10月に八戸駅の貨物取扱いが移転し、コンテナ・車扱の取り扱いを開始した。

@三菱製紙(株)八戸工場向けの化学薬品輸 送
 八戸貨物駅等で下記のコンテナを目撃したが、いずれも三菱製紙(株)八戸工場が着荷主と思われる。

 この内、液化塩素は、全国各地からタンク車で北沼駅に輸 送されていた。発駅は港北(北海道曹達)、酒田港(東北東ソー化学)、勿来(呉羽化学工業)、浜五井(旭硝子)、知手(旭硝子)の各駅に拡がっていた。し かし、1988年にはパルプ漂白工程に酸素漂白法を導入し、塩素使用量を半減させた。更に2005年には主力の連続蒸解釜系列は全てECF(非塩素漂白) 化された。それに伴い液化塩素のタンク車輸送は酒田 港駅発のみとなり、2008年まで残っていたが、この輸送がタンクコンテナ 化された。

発  駅
発 荷主
品  目
使 用コンテナ
酒田港
東北東 ソー化学(株)
液化塩素
東北東 ソー化学(株)所有のUT13C形式
酒田港
東北東 ソー化学(株)
カセイ ソーダ液
NRS所 有のISO タンクコンテナ
隅田川
三菱瓦斯 化学(株)
過酸化水 素
NRS所 有のISOタンクコンテナ
鹿島から集荷し、隅田川〜八戸貨物で輸送(2016.10.16 八戸の通運事業者様からの情報)
2014.10 隅田川駅
※急行越前様から大変 貴重な写真を提供して頂きました(2016.11.8)。
ありがとうございます!

京葉久保 田
日本エイ アンドエル(株)
ラテック ス
JOT所 有のISOタンクコンテナ
隅田川
川崎化成 工業(株)
SAQ
NRS所 有のISOタンクコンテナ
名古屋 (タ)
サンノプ コ(株)
ステアリ ン酸カルシウム
JOT所 有のUT11A 形式
百済 (タ)
(株)日 新化学研究所
ステアリ ン酸カルシウム
JOT所 有のUT11A 形式
*カセイソーダ液:八戸工場向けの輸送なのか確証は無いが、同工場内の三菱製紙販売(株)八戸出張所には「苛性ソーダ」タンクが存在する。
           ⇒2016.10.16 八戸の通運事業者様からの情報で、東北東ソーのカセイソーダ液専用のコンテナは同工場向けの輸送ではなくて八戸市内の某工場が荷受人≠ニのこ と。
           ⇒2016.10.18 八戸の通運事業者様からの情報で、同工場向けの苛性ソーダは12ft コンテナトラック併用で受け入れて≠「ると のこと。
            大変貴重な情報提供ありがとうございます!!


A全農の生乳輸送

2016.9八戸貨物駅
 生乳輸 送と言えば、北海道の十勝輸送の帯広貨物・釧路貨物から首都圏 や関西地区向けのタンクコンテナ輸送が有名であるが、八戸貨物駅でも全農物 流 (株)による生乳コンテナ輸送が行われている。


 全農青森県本部は、年間約8万 トンを主に関東方面へ出荷している。(株)エーコープライン盛岡営業所は2002年秋から、八戸貨物〜隅田川間で生乳の鉄道輸送を開始した。ローリー輸送からの転 換。東北町の冷却処理施設から茨城の乳業メーカーに納入する月間850トンを、 毎日2個のISOタンクコンテナを用いて鉄道で運ぶ。同社では今回5個のISOタンクコンテナを製造した。
(『JR貨物ニュース』2003年7月1日号、3面)

 尚、(株)エーコープラインは、2007年12月に社名を 全農物流(株)に変更した。

 青森県では現在、年間約7万トンの生乳が生産さ れ、約9割が全国各地に出荷。主に関東や東北地方の工場で加工される。
 また青森県の酪農の中心地である上北郡東北町字乙供には、「全農あおもり 牛乳冷却処理所」があり、1989年4月に操業を開始した。

 


B八戸セメント(株)向けの焼却灰輸送

2016.9八戸貨物駅
 八戸セ メント(株)では原料の粘土代替として石炭灰、焼却灰などを積 極的に受け入れている。年間約20万トンの受入れの内、石炭灰、焼却灰が約15万トン、汚染土壌、建設廃土などを合わせると原料系が8割を占める。
 その内、鉄道コンテナで輸送されたのは1999年度からの5年間で汚泥が15,000トン、焼却灰が約26,000トン、年平均では約3,500トンで あった。秋田、千葉方面から10トン用の専用オープントップ・ダンプアップ式コンテナに積載され、八戸貨物駅からトラック配送される。
(『JR貨物ニュース』2004年12月15日号、3頁)

 2002年8月から、京葉久保田駅から住友化学(株)のプ ラント焼却灰を20ftコンテナで八戸セメント(株)向けの輸送を開始した。年間輸送量は1,500トンである。
(『環境にやさしいモーダルシフト』国土交通省関東運輸局、2004年、6頁)

 現在、八戸貨物駅には、隅田川駅や宇都宮(タ)駅などからも焼却灰が無蓋コンテナで到着している。
 特に2015年から隅田川〜八戸貨物間で開始された東京二十三区清掃一部 事務組合から排出された焼却灰の八戸セメント(株)への鉄道輸送は、今後の輸送量増加が期待される。


C日本製粉(株)の小麦粉輸送

2001.8八戸貨物駅
 東北地 方では、日清製粉(株)の隅田川〜仙台(タ)、千葉製粉(株) の千葉貨物〜東青森などの区間でタンクコンテナによる小麦粉輸送が盛んに行われているが、製粉業界2位の日本製粉(株)は、千葉工場から出荷する小麦粉を千葉貨物〜八戸貨物で私有10トンタンクコンテナによる鉄道貨物輸送を 行っている。

 筆者が1996年5月に村田駅(現、千葉(タ)駅)で目撃した際の着荷主は、東洋水産(株)系列の八戸東洋(株)であった。即席麺の原料用の小麦粉を輸送しているものと 思われる。

 また1988年には日本製粉(株)小山工場が北東北の製パン、製麺、製菓メーカーにタンクローリーで輸送していた小麦粉輸送を私有5トンタンクコンテナ (UT10A形式)に切り替えた。その後、10トンタンクコンテナも追加し、両方を利用している。鉄道輸送は宇都宮(タ)〜八戸貨物間である。
(『運輸タイムズ』1990年10月15日付、3面)

 2006年度には横浜工場は、トラックで横浜〜八戸間を輸送していた小麦粉を10トンタンクコンテナによる隅田川〜八戸貨物間を鉄道輸送にモーダルシフ トした。八戸の供給先は製麺工場。
(『日本経済新聞』2006年9月15日付、13面)



D大平洋金属(株)の特殊鋼輸送

1998.4宮城野駅
 大平洋 金属(株)八戸製造所は、かつて本八戸駅が所管する青森県専用線(第一)に接続する専用線を介して鉄道貨物輸送を行っていた。しかし1980年代半ばには 専用線は廃止されたものと思われる。

 一方、コンテナ輸送では、日立金属(株)安来工場が製造す る高級特殊鋼を同社所有のUM13A形式で受け入れて加工を行い、完成した製品を再び発荷主に返送している。日立金属のUM13A形式による同一区間の往復輸送はここだけで、八戸貨物発で1日2個の輸 送となっている。
(『運輸タイムズ』1996年8月5日付、3面)


E鮮魚輸送
 八戸港は1972年の水揚量全国第2位を誇る三陸最大の漁港である。さば、さんまの水揚げが多く、京浜向けに続いて阪神向けの出荷が多い。京浜向けは 1968年10月から高速冷蔵貨車レサによる2日目輸送で国鉄シェアが大半確保されているのに対して(鮫 駅の項を参照)、阪神向けの改善が望まれていた。
 1973年10月の盛岡〜百済ライナー(奥羽線経由)新設を機に、八戸魚市場仲買人協組連、八戸通運など関係荷主団体と冷蔵コンテナによる改善を検討し た結果、当該区間に冷蔵コンテナを専用運用して、3日目の安定輸送を実現している。同年11月7日発からのテスト輸送は以下の通り。

区 間
八戸貨物 〜百済
個 数
5トン冷 蔵コンテナ日発5個(返路は空コン)
コンテナは4日運用で22個専用運用(予備含む)
列 車
8090 レ〜8091レ
通 運
発側:八 戸通運(株)
着側:日本通運(株)
荷 主
発側:産 地仲買、町田商店、水産加工連ほか
着側:大阪市場、大阪東部市場の卸売人
改 善効果
@速達
 従来:湊 11:40発〜百済市場 翌々日2:10着(38時間30分)
 改善:八戸貨物 16:35発〜百済 翌日18:50着(26時間15分)
A輸送力の安定確保
実 績
1973 年11月 総個数63個(運転日1日当たり4個)
(『貨物』1974年1月号、p37)

 京浜向けが車扱のレサによる速達化が図られた一方で、阪神向けはコンテナ輸送が選ばれたというのは興味深い。京浜向けレサ輸送は、1980年代初頭には 姿を消してしまったが、この百済向けの冷蔵コンテナ輸送はその後どうなったのであろうか。長距離輸送であり、冷凍コンテナに切り替えられ鉄道輸送は継続し ているのであろうか。


F合同酒精(株)の酒類輸送
  合同酒精(株)八戸工場は本八戸駅所管の専用線があり、古くから鉄道輸送が行われてきた。本八戸駅高架後も専用線は残ったようだが、JR貨物発足前後の頃 には専用線は廃止された模様。

 同社の鉄道コンテナ利用は焼酎などの酒類製品が多く、JR貨物の汎用コンテナと自社所有の液体輸送用の12ft タンクコンテナを利用している。タンクコンテナは主に八戸工場から発送される原料用アルコール等の輸送に利用しており、タンクコンテナを含めた鉄 道コンテナ輸送の利用割合は同社全体の物流量の約10%を占めている。
 八戸工場の主な使用ルートは、八戸貨物〜越谷(タ)である。数は少ないものの清水工場からタンクコンテナで原料を八戸工場などに鉄道輸送することもあ り、逆に八戸工場などから清水工場にコンテナが輸送されることもある。1997年の利用個数の実績は、八戸工場が716個(内タンクコンテナが568個) であった。(『運輸タイムズ』1998年6月29日付、5面)

 しかし『デーリー東北』2012年2月10日付によると、八戸工場は酒類生産を2012年春で中止するとのこと。グループ全体の体制見直しの一環で、酒 類生産は他工場に移管、統合する。八戸工場は酵素医薬品製造がメーンとなり、操業は継続する。



■本八戸駅  

[6]

2001.8本八戸駅 仙台防衛施設局専用線

[6]





2001.8本八戸駅
青森県の第一専用線と第二専用線が分岐していた小ヤード
八戸ガスのタンクが見える

[6]




2001.8本八戸駅 貨物扱所 広大なヤードを備えていた

▼本八戸駅接続の専用線一覧
専用者
第 三者利用者
(真荷主又は通運事業者等
1953
年版
1957
年版
1961
年版
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
八戸運輸倉庫(株)
八戸通運(株)






×
×

合同酒精(株)
八戸通運(株)









丸石産業(株)









青森県(第一専用線) 八戸ガス(株)
昭和石油(株)









1964年版以前は青森県専用線(第一、第二の区別無し)
1967年版は第三者利用者にエッソ、出光、共石等が追加
1983年版では八戸ガス(株)、昭和石油(株)無し
大平洋金属(株)
八戸通運(株)








青森県第一専用線に接続
東北電力(株)
八戸通運(株)








青森県第一専用線に接続
日本石油(株)
大協石油(株)
八戸運輸倉庫(株)
八戸通運(株)
石油荷役(株)
日本石油輸送(株)
日本オイルターミナル(株)









青森県第一専用線に接続
八戸運輸倉庫(株)は1975年版以降無し
日本石油輸送(株)、日本OT(株)は1983年版のみ
1983年版では大協石油(株)無し

青森県(第二専用線)









青森県第一専用線から接続
エッソ・スタンダード石油(株)
八 戸通運(株)
日本石油輸送(株)







×
青森県第二専用線に接続 JOTは1975年版のみ
仙台防衛施設局









青森県第二専用線に接続
出光興産(株)
八 戸通運(株)
日本オイルターミナル(株)








青森県第二専用線に接続 日本OT(株)は1983年版のみ
共同石油(株)
八 戸通運(株)
日本オイルターミナル(株)








青森県第二専用線に接続 日本OT(株)は1983年版のみ
丸善石油(株)
→東西オイルターミナル(株)
共同石油(株)
八 戸通運(株)
日本オイルターミナル(株)








青森県第二専用線に接続 
1983年版から丸善石油(株)が東西OT(株)に変更
共同石油(株)、日本OT(株)は1983年版のみ
−:未開業 ○:存在 △:一部廃止 ×:廃 止

 本八戸駅は青森県専用線を基幹に各石油元売会社の専用線が接続し、タンク車による大量の石油輸送が行われていた。昭和50年代には当時の石油元売会社 13社の内、日石、出光、丸善、大協、昭石、共石、エッソの7社の専用線が存在した(シェル、モービル、三菱、ゼネラル、キグナス、九石の6社は無し。但 し三菱とゼネラルは時期は多少ずれるものの鮫駅に専用線有り)。

 更に仙台防衛施設局の専用線は米軍三沢基地向けジェット燃料輸送であり、八戸地区の最後の石油タンク車輸送となったが、2006年6月に廃止された。タ ンクローリーに転換されたものと思われる。
1995.9 本八戸駅 仙台防衛施設局専用線
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.11.8)。 ありがとうございます!

 本八戸駅の石油元売り各社の専用線からの発送先は、北東北(青森、秋田、岩手)各地の内陸油槽所や工場で下記のような着駅が想定される。

▼1975年当時の北東北の石油関係専用線
石 油元売会社
石 油元売会社所有の専用線所管駅
そ の他石油関係の専用線
日本石油 (株)
北上、青 森、大館
山ノ目: 亀井商店(株)、花巻:亀井商店(株)、上盛岡:亀井商店(株)
出光興産 (株)
日詰
仙北町: アポロ石油(株)
共同石油 (株)
仙北町、 白沢
有壁: (株)浅東油店(エネオス系列だが共石系列なのは筆者予想)
昭和石油 (株) 村崎野

シェル石 油(株)
二枚橋、 野内
上盛岡: 中川石油(株)(シェル系列)
エッソ・ スタンダード石油(株)
厨川

大協石油 (株)
厨川、大 館

丸善石油 (株)
日詰(和 賀仙人鉱山(株)第三者利用者)、扇田

(『1975年版専用線一覧表』等より作成)

 上記表以外にも陸中松川駅の東北開発(株)、二枚橋駅や和賀仙人駅の日本重化学工業(株)、藤根駅の岩手製鉄(株)、宮古駅のラサ工業(株)など需要家 直 送の重油輸送もあった可能性あり。特に宮古に関しては、当webサイトで頻繁に引用している野尻 亘氏の論文「素材の鉄道輸送」内で提示されている資料で、輸送先として挙げられている。

 野尻氏によると1977〜1978年の本八戸駅からの石油の鉄道輸送は下記の通りである。
系 列
発 送所
発 駅
着 駅数
着 駅あたり
平均輸送距離
最 短輸送距離
(実km)
最 長輸送距離
(実km)
月 間総出荷量
(千トン)
最 大量到着地
(千トン/月間)
6社
八戸油槽 所
本八戸
12
146.1km
青森 102km
宮古 216km
40.0
仙北町 8.6
([7]p57より抜粋)

 系列≠ェ6社とあるので、1975年〜1983年の間に専用線が廃止されたエッソ石油(株)を除外した日石、出光、共石、昭和+シェル、大協、丸善の 6社 と判断する。
 尚、エッソ石油(株)盛岡油槽所は、1980年6月30日に閉鎖されていおり([17]p82)、この時点で同社八戸油 槽所の専用線も廃止されたのかもしれない。

 さて、着駅だが、上記表を参考にして青森野内大 館白沢大館扇 田厨川仙北町日 詰二枚橋村崎野宮 古で12駅となる。野尻氏の図表([7]p58)では、一ノ関・北上地区は塩竈地区からの到着のようにも見えるた め、八戸地 区から有壁や山ノ目、北上といった各駅向けの石油輸送は無かったのかもしれない。

 1981年10月に盛岡(タ)駅に日本オイルターミナル(株)(日本OT)盛岡営業所が開業し、本八戸〜盛岡(タ)間に石 油専用列車が設定された。「1983年版専用線一覧表」では、日石、出光、共石、東西オイルターミナルの第三者利用者に日本OTの名が見え る。

 このような北東北の鉄道による石油輸送の発送拠点として重要な地位を占めていた本八戸駅であるが、1985年10月に日本石油は盛岡(タ)の日本OT向 け輸送を仙台北港発に転移し([8]p98-99)、1987年4月に共同石油も同様に仙台北港発に転移([8p99])し た。

 本八戸駅の発送量は、1984年度207,521トン1985年度159,505トン1986年度103,764トンと推移したが、1987年度は一気に23,280トンに落ち込んでいることから、この頃まで各元売り会社の輸送は仙 台北港駅発送に集約され終了したものと思われる。

 同時期に塩釜埠頭駅からの石油輸送も仙台北港駅に転移しており、この時期に東北地方の石油タンク車の輸送体系は、臨海油槽所から内陸油槽所への輸送は姿 を消し、製油所からの発送に集約されるという大きな変貌を遂げたことになる。

 臨海油槽所から内陸油槽所へのタンク車輸送は、JR貨物発足後も西港(釧路開発埠頭)、石油埠頭(苫小牧港開発)、汐見町(名古屋臨海鉄道)、安治川口 などの駅からの発送は維持されていたが、これらも1990年代〜2000年代初頭にかけて一気に全 廃されたので、東北地方は早い段階で石油輸送の合理化が進展した地域だったと言えそうだ。

 尚、これら油槽所向けの輸送として、コスモ石油(株)が千 葉製油所で製造する潤滑油を村田(現、千葉貨物)〜八戸貨物 でコンテナ輸送し八戸油槽所に供給している(『運輸タイムズ』1996年4月29日付、4面)とのことで、同様な輸送は他 社でもあるかもしれない。



■湊駅  
 湊駅は1894(明27)年10月に開業した。当時は旅客も営業する一般駅であったが、1974(昭49)年10月に本八 戸〜湊間は旅客営業を廃止し貨物支線に編入され、湊駅は貨物駅となった。1985(昭60)年3月に本八戸〜湊間が廃止された。


[6]


▼ 湊駅接続の専用線一覧
専用者
第三者利用者
(真荷主又は
通運事業者等)
1953
年版
1957
年版
1961
年版
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
日東化学工業(株)











(株)組合貿易







×


東北砂鉄鋼業(株)






×
×
1953年版では東北電化工業(株)

日東金属鉱山(株)






×
×


日東石膏ボード(株)







×


丸善石油(株)






×
×


青森県くみあい飼料(株)







×


八戸製錬(株)






×
×


安宅産業(株)
→伊藤忠商事(株)










八戸通運(株)









共栄(株)
日東石膏ボード(株)
北東北くみあい飼料(株)
(株)組合貿易









日本高周波鋼業(株)
八戸通運(株)







×


日東石膏ボード(株)







×

−:未開業 ○:存在 ×:廃止
 
 湊駅からは鮮魚輸送も行われていたが、その詳細は下記の鮫駅の項で纏めている。

 ここでは日東化学工業(株)八戸工場の輸送を中心に考察し たい。1965(昭40)年頃の同工場の原料の状況は下記の通り。

▼ 八戸工場原料使用量([14]p6)
銘 柄
年 間使用量
原  油
重 油
土 硫 黄
硫化鉄鉱
燐 鉱 石
塩化加里
防 結 剤
水酸化マグネシウム
硼 素
48,000kl
19,000kl
68,500トン
61,000トン
55,000トン
10,000トン
1,100トン
750トン
18トン
▼ 硫化鉱出鉱地別購入量([14]p8)
出 鉱地
土 硫黄
硫 化鉄鉱
松  尾
6,000 トン/月
4,000 トン/月
大  揚

800 トン/月
鉛  山

300 トン/月
立  又

200 トン/月

6,000 トン/月 5,300 トン/月

 この内、鉄道貨物輸送と関係が深いのが「土硫黄」と「硫化鉄鉱」で、主に 松尾鉱業(株)から貨車で到着している。特に土硫黄は全量が松尾鉱業であり、硫化鉄鉱は大部分が松尾鉱業だが、そのほか大揚(下北)、鉛 山、立又(秋田県)などからも入っており、殆どが貨車で到着していた([14]p7)

 松尾鉱業以外の3鉱山の概要は下記の通りである。
鉱 山名
会 社名
所 在地
閉 山
鉄 道輸送
大揚
日東金属 (株)
青森県む つ市川内町
1971 年9月
最寄りは大湊駅。専用線は無し
鉛山
同和鉱業 (株)
秋田県小 坂町
1984 年9月
小坂駅から輸送
立又
大日本鉱 業(株)
大館市比 内町
1973 年
扇田駅に大日本鉱業(株)の専用線あり

 尚、松尾鉱業の松尾鉱山は1969年11月に閉山となった。大揚、立又も1970年代前半には閉山となっており、同和鉱業(株)鉛山鉱山が1980年代 半ばまで稼働していた。下記の湊駅に到着する鉱産品で最後まで残ったのはこの鉛山鉱山からの硫化鉄鉱と思われる。
 一方、日東化学工業(株)八戸工場の主力製品は、化学肥料であり、湊駅の発送の化学工業品の大部分がこの化学肥料と予想される。

▼湊駅の主要品目別(水産品を除く)発送量  (単位:トン)
年  度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1984
化 学工業品
87,489
78,307
73,365
73,584
66,808
47,731
48,585
25,583
繊 維工業品
31,440
26,736
27,740
25,304
21,300
7,888
43
-
食 料工業品
10,195
5,974
3,285
4,447
4,344
3,922
2,926
-
農 産品
33,763
10,805
2,920
3,224
2,128
1,658
1,125
-
そ の他
9,844
8,441
5,840
2,222
1,593
869
921
606
合  計
172,731
130,263
113,150
108,781
96,173
62,068
53,600
26,189
(『八戸市統計書』より作成)

▼湊駅の主要品目別(水産品を除く)到着量  (単位:トン)
年  度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1984
鉱 産品
50,869
5,230
4,745
3,210
1,472
2,422
1,395
-
化 学工業品
31,812
26,349
15,330
15,732
24,092
18,059
15,155
6,061
繊 維工業品
6,494
5,000
5,840
3,485
6,476
6,167
2,327
-
農 産品
23,636
19,001
12,410
22,687
28,088
16,424
10,561
880
そ の他
26,235
17,104
9,125
3,742
4,486
3,161
2,351
409
合  計
139,046
72,684
47,450
48,856
63,142
46,233
31,789
7,350
(『八戸市統計書』より作成)

 湊駅は1985年3月に廃止された。日東化学工業から発送される肥料は年々減少していったようだが、湊駅廃止後は一部は八戸貨物駅からのコンテナ輸送に 転換された。
 尚、湊駅廃止直前の1983年4月に日東化学工業の肥料部門は、東北肥料(株)、サン化学(株)、ラサ工業(株)の肥料部門と経営統合し、コープケミカ ル(株)が発足した。

 コープケミカル(株)八戸工場は稲作用の肥料を製造しており、1991年の肥料年度(7月〜翌6月)は8千トンをコンテナ輸送した。1992年度は1万 2千トンに増やす計画である。八戸貨物駅からの輸送先は、古川駅と石巻港駅。(『運輸タイムズ』1992年7月27日付、2面)



■陸奥湊駅  

[6]
 住友セメント(株)八戸工場(1977年に八戸セメント(株)として 分離独立)から北東北各地の内陸SSにタンク車でセ メントを輸送していた。陸奥湊駅は、1970年代半ばには年間50万トン以上の発送があり、工場全体の出荷量の約3分の1を鉄道輸送が占めていたと思われ る。

 「昭和50年 専用線一覧表」によると水沢、仙北町、東青森、横手、秋田操、白沢、川部の各駅に住友セメント(株)の専用線がある。また野尻氏の論文に おいても1977〜1978年の住友セメント(株)八戸工場の出荷先が上記7駅であることが明らかである([7]p53-54)

▼北東北の住友セメント(株)の各包装所の開設年月
1965 年9月
1965 年10月
1969 年11月
1970 年8月
1972 年10月
1972 年11月
川部包装 所(川部)
秋田包装 所(秋田操)
仙北町包装所(仙北町)
青森包装 所(東青森)
横手包装 所(横手)
白沢包装 所(白沢)
水沢包装 所(水沢)
(『セメント年鑑』より作成)

 1977〜1978年における八戸工場からの鉄道輸送は下記の通りである。
工 場名
発 駅
着 駅数
着 駅あたり
平均輸送距離
最 短輸送距離
(実km)
最 長輸送距離
(実km)
月 間総出荷量
(千トン)
最 大量到着地
(千トン/月間)
八戸
陸奥湊
7
160.7km
東青森 102km
秋田操車場 290km
37.8 川部 7.0
([7]p54より抜粋)

 尚、野尻氏の論文によれば、南東北の拠点である住友セメント(株)田村工場は、大越駅から漆山、郡山、長町、広田、笹木野、渡波、鶴岡、野崎の各駅の専 用線にセメントを鉄道輸送していたようであり、住友セメントは1980年代半ばまで東北地方を北と南に分ける形で、八戸と田村の両工場からの鉄道輸送でセ メントを供給する体制が整っていた。

■陸奥湊駅の発送量(単位:トン)
年 度
1971
1973
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
発送量
348,503
497,120
503,305
448,950
364,774
469,646
308,320
267,637
193,535
160,115
101,754
82,798
50,990
21,812

 1970年代は年間30〜50万トンの発送量があった陸奥湊駅だが、1980年代に入ると急激に発送量が落ち込んでいく。そして1986年10月末を もって八戸セメント(株)の専用線は廃止され、陸奥湊駅の貨物取り扱いも廃止となった。末期は、東青森と川部向けの鉄道輸送が残っていたようである。

 鉄道輸送を行っていたセメント各社の主要生産拠点が、1990年代後半から 2000年代初頭まで鉄道輸送を維持したのに比べ、八戸セメントの鉄道輸送廃止は相対的に早かった。内陸SSはそのまま維持されたようであり、鉄道輸送分 はトラッ ク輸送への転換が主だったと考えられるが、冬場の道路事情の厳しさ等を考えると他地区よりも特にトラックが有利とも思えない。廃止は国鉄側の意図もあった のだろ う か。

 八戸セメント(株)からの車扱によるセメント輸送は無くなってしまったが、八戸貨物駅の項で述べた通り、現在 では焼却灰 等がセメントの原料として無蓋コンテナによって各地から到着している。八戸地区にとって今なお八戸セメントは、主要荷主として位置付けられるだろう。



■鮫駅  

[6]
▼ 鮫駅接続の専用線一覧
専用者
第三者利用者
(真荷主通運事業者 等)
1953
年版
1957
年版
1961
年版
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
松尾鉱業(株)
八戸通運(株)
ゼネラル物産(株)
出光興産(株)






×
×
出光は1957年版〜1964年版
ゼネラルは1961年版まで
(株)三田商店 ゼネラル物産(株)
三菱石油(株)
日本石油輸送(株)
八戸通運(株)








ゼネラルは1964年版まで
三石は1964年版〜1975年版
JOTは1967年版〜1983年版
八戸通運は1964年版まで
青森県
(1千トン岸壁)








×
公共臨港線
青森県
(1万トン岸壁)









公共臨港線
青森県(館鼻)









公共臨港線
住友セメント(株)
八戸通運(株)






×
×

東北開発(株)
八戸通運(株)








八戸港1万トン岸壁臨港線
から分岐
−:未開業 ○:存在 △:使用 休止 ×:廃止

【石油】
 鮫駅には、ゼネラル、出光、三石の油槽所があったようだが、ゼネラルと出光は「1967年版専用線一覧表」では姿を消している。 本八戸駅に油槽所を移転したためと思われる。

【セメント】
 東北開発(株)専用線は、陸中松川駅の同社岩手工場からセメントが到着する包装所(SS)だったのだろうか。
 また住友セメント(株)専用線は、八戸工場のセメントを船積みする拠点だろうか。現在は八戸セメント(株)から直接パイプラインで船積み可能となってい る が、かつて工場から臨海SSへ向けて陸奥湊〜鮫間と言う短距 離だが鉄道輸送していたのかもしれない。

【鮮魚】
 鮮魚は鮫、湊の両駅が発駅である。鮫駅には第一魚市場(1千トン岸壁)、第三魚市場(舘鼻)、湊駅には第二魚市場があり、それぞれ側線が引き込まれ鉄道 輸送に対応していた。
1981.8 鮫駅 レム5000形
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.11.8)。 ありがとうございます!

 1968年10月からレサ5000形(24トン積み、85km/h走行)による急行貨物列車「東鱗1号」(八戸、気仙沼、陸中山田、釜石〜東京市場、横 浜市場)が設定された。八戸の場合、従来34時間強かかっていたものが、15時間弱に短縮(トラック輸送の場合16時間)した。東鱗1号の1969年度実 績は、1日平均6両、年間28,400トンであった。
(『貨物』1971年2月号、p18)

▼1969 年度八戸港主要仕向地別流通量
市  場
東 京・横浜
名  古 屋
大 阪・京都・
神戸
小  計
そ の他
合  計
流通量
52 千トン
20 千トン
36 千トン
108 千トン
92 千トン
200 千トン
▼ 八戸〜東京市場間輸送機関別シェア
年 度
1967
1969
国 鉄
2 千トン
6%
22 千トン
73%
ト ラック
26 千トン
94%
8 千トン
27%
流 通量総計
28 千トン
100%
30 千トン
100%






(『貨物』1971年3月号、p21)
 八戸港の漁獲量は1968年度に全国1位となるなど、釧路港と並ぶ主要な漁港である。
 出荷先は京浜市場向けが4分の1を占めるが、距離的に約700kmと近く、2日目売りが可能なトラックにシェアを奪われ、1967年度では国鉄は僅か 6%のシェアに止まっていた。1968年10月の東鱗1号により東京市場2日目売りを実施した結果、トラックに対し運賃も安く、保冷性能も優れているた め、そのシェアを逆転し、1969年度には国鉄が73%を占めるに至った。1970年8月から横浜市場向けも始まり、シェアを回復しつつある。
(『貨物』1971年3月号、p21)

▼鮫駅及び湊駅の「水産品」発送量(単位:トン)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983

67,087
47,106
71,540
48,112
57,499
21,537
-

51,541
35,124
16,790
4,906
6,549
75
-
合  計
118,628
82,230
88,330
53,018
64,048
21,612
-
(『八戸市統計書』より作成)

 しかし1978年12月には東北自動車道が首都圏〜盛岡まで繋がり、1986年には八戸自動車道の一部区間が開通するなど道路整備が進むと、国鉄は相次 ぐストや運賃値上げなどにより競争力を失い、1980年代初頭に鮫、湊の両駅からの鮮魚輸送は姿を消した。



■北沼駅  

[6]

2006.3北沼駅 ヤード

▼「1970年版専用線一覧表」より抜粋

所 管駅
専 用者
第 三者利用者
(真荷主通運事業者等)
作 業方法
作 業
キロ
総 延長
キロ
記  事
北八戸(信)
青森県
三菱製紙(株)
星光化学工業(株)
八戸通運機
6.8
7.3


三菱製紙(株)
星光化学工業(株)
八戸通運(株)
八戸通運機
8.7
4.1
青森県専用線から接続

八戸鉄工団地協同組合
八戸通運(株)
八戸通運機
0.3
0.4


▼「1983年版専用線一覧表」より抜粋
所 管駅
専 用者
第 三者利用者
作 業方法
作 業キロ
記  事
北沼
三菱製紙(株) 星光化学工業(株)
八戸通運(株)
社機
0.8


三菱製紙(株)
(北沼線)
八戸製錬(株)
住吉工業(株)
吉田産業(株)
鋼管商事(株)
スチール工業(株)
東新工業(株)
東北砂鉄工業(株)
八戸通運(株)
社機
0.3


八戸鉄工団地協同組合
八戸製錬(株)
八戸通運(株)
三井物産(株)
社機
0.3


@三菱製紙(株)八戸工場
 三菱製紙(株)八戸工場はパルプ・紙一貫工場であり、同社の主力生産 拠点である。2014年の生産実績は、パルプが529,184トン、紙が 604,074トン、板紙が52,135トンである。
 八戸工場の中心部を専用線が貫通しており、出荷に占める鉄道コンテナ輸送の割合は4割以上と高い。

 同工場は1964年12月に建設に着手し、1966年3月には専用側線が開通した。1967年4月には工場竣工式を挙行、1970年1月には専用岸壁も 完成し、製品やチップの専用船も相次いで就航している([15]p19-20)

 八戸工場は2008年度の操業度が94%、生産量が85万トンだったが、リーマンショックによる需要減により2009年度は78%、70万トンにまで落 ち込んだ。そこで操業度向上を目指し、2009年秋から高砂工場から情報用紙原紙の製造ラインを順次移管、輸出も増やし2011年度には90%、80万ト ンを目指す『デー リー東北』2010年5月19日付予定だったが、2011年3月の東日本大震災で被災し操業を停止した。しかし復旧により同年秋に は、震災前の月産6万8,000トンの水準に回復した。

 更に三菱製紙(株)は王子製紙(株)との連携を深めており、八戸工場で王子向けに供給する情報用紙を増やすことで15年度に69万トンだった生産量を 18年度には5万トン増の74万トンにする。印刷用紙の比率も6割程度に抑える。王子向けの情報用紙の多くは同社の海外拠点へ輸出されるとみられる『日 本経済新聞』2016年5月29日付

 この施策により、鉄道コンテナ輸送の増送も期待できるかもしれない。

2006.3北沼駅 三菱製紙(株)八戸工場専用線

▼北沼駅の品目別発送量(単位:トン) ([3] p167-174)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1985
1987
1989
1991
品 目
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計

129,077
132,747
140,726
177,372
154,691
121,679
121,773
10,740
123,336
134,076
14,580
129,520
144,100
52,680
151,142
203,822
92,220
150,078
242,298
パ ルプ
79,556
77,304
23,302
16,573
12,014
3,060
315
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
他 繊維工品
716
330
586
314
-
-
678
-
759
759
-
484
484
-
528
528
-
452
452
合   計:
209,349
210,381
164,614
194,259
166,705
124,739
122,766
10,740
124,095
134,835
14,580
130,004
144,584
52,680
151,670
204,350
92,220
150,530
242,750

*1971年度に八戸臨海鉄道は三菱製紙(株)と下記のような運賃割引併用の定形貨物運送契約を締結した([3]p18)
 ・金町及び越中島着 白板紙の輸送
 ・興津及び松田着  パルプの輸送

年 度
1993
1995
1997
1999
2001
2002
品 目 コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計

89,370
125,767
215,137
95,245
115,703
210,948
97,305
113,378
210,683
93,915
98,434
192,349
95,260
100,597
195,857
115,315
90,159
205,474
パ ルプ
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
9,610
-
9,610
9,040
-
9,040
他 繊維
570
59
629
645
-
645
814
-
814
929
-
929
815
-
815
810
-
810
合 計
89,940
125,826
215,766
95,890
115,703
211,593
98,119
113,378
211,497
94,844
98,434
193,278
105,685
100,597
206,282
125,165
90,159
215,324

年 度
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
品 目
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ

204,695
228,590
240,625
286,165
267,470
264,435
218,100
272,995
パ ルプ
7,500
335
-
-
-
-
-
-
他 繊維
595
625
5,130
4,725
4,140
4,360
525
355
合 計
212,790
229,550
245,755
290,890
271,610
268,795
218,615
273,350


1995.9北沼駅 三菱製紙(株)八戸工場専用線

1995.9北沼駅 三菱製紙(株)八戸工場専用線
三井物産(株)所有のタキ5750形。北沼駅の八戸製錬(株)専用線から濃硫酸が到着か?
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.11.8)。 ありがとうございます!

▼北沼駅の品目別到着量(単位:トン) ([3] p175-182)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1985
1987
1989
1991
1993
1995
品 目
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
白 土
6,466
14,953
-
10,277
4,170
2,730
2,520
-
560
8,766
-
396
396
-
56
56
-
-
-
パ ルプ用材
61,421
10,250
5,049
183
3,331
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
チッ プ
12,556
1,143
-
13
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
硫 酸
2,228
2,723
-
5,615
7,234
5,576
4,734
4,632
840
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
液 体塩素
10,014
11,212
-
11,609
12,824
10,523
11,266
10,584
10,976
10,920
-
7,224
7,224
-
8,568
8,568
-
8,960
8,960
ラ テックス
792
3,521
-
7,046
9,463
14,583
13,309
14,743
13,770
2,444
-
3,286
3,286
-
2,315
2,315
-
851
851
コー ンスターチ
7,031
9,694
10,974
2,983
4,061
4,365
5,111
4,395
671
4,930
-
5,775
5,775
11,400
7,832
19,232
12,475
1,199
13,674

-
35
-
1,948
1,849
1,431
1,346
767
113
205
25
8,932
8,957
-
7,128
7,128
-
6,523
6,523
パ ルプ
1,314
5,092
18,670
18,301
1,095
6,183
9,984
1,854
2,055
-
-
6,665
6,665
1,070
-
1,070
-
-
-
合   計:
101,822
58,623
34,693
57,975
44,027
45,391
48,270
36,975
28,985
27,265
25
32,278
32,303
12,470
25,899
38,369
12,475
17,533
30,008

*白土:板谷駅のジークライト化学礦業(株)からの到着と思 われる。同社所有のタンク車は1984年に廃車となっており、この時点で廃止されたと思われる。
      1988年2月より越中島行きハワム列車の返空を活用して、小名木川〜北沼間で白石工業(株)が八戸工場に納入している白土を鉄道輸送へ誘致。
     大井埠頭で陸揚げされた海上コンテナを小名木川駅でハワムに積み替えて輸送(『運輸タイムズ』1988年2月22日付、2面)。 しかしこの輸送は短期間で終了したようだ。
*硫酸:八戸工場向けの輸送なのか不明ではあるが、同工場内の三菱製紙販売(株)八戸出張所には「濃硫酸」タンクが存在する。
*ラテックス:南四日市〜北沼間の輸送は、1988年10月末から船舶輸送に転移した([8]p100)。荷主は日本合成ゴム(株)である。
*コーンスターチ:1992年6月に日本食品化工(株)富士工場か ら三菱製紙(株)八戸工場への輸送が船から富士〜北沼間のコンテナ輸送に切り替えた(拙web参照)。

年 度
1997
1999
2001
2002
2003
2004
2005
品 目 コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
パ ルプ用材
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
3,150
-
3,150
液 体塩素
-
8,680
8,680
-
8,960
8,960
-
7,112
7,112
-
6,076
6,076
-
5,460
5,460
-
5,768
5,768
-
3,920
3,920
ラ テックス
-
1,211
1,211
-
2,856
2,856
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
コー ンスターチ
1,660
-
1,660
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
他 食工品
2,720
-
2,720
2,480
-
2,480
1,440
-
1,440
820
-
820
-
-
-
145
-
145
400
-
400

10
6,336
6,346
250
16,236
16,486
90
16,346
16,436
865
25,751
26,616
34,320
-
34,320
34,080
-
34,080
39,660
-
39,660
パ ルプ
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
1,905
-
1,905
5,000
-
5,000
合 計:
4,390
16,227
20,617
2,730
28,052
30,782
1,530
23,458
24,988
1,685
31,827
33,512
34,320
5,460
39,780
36,130
5,768
41,898
48,210
3,920
52,130

*パルプ用材:2005年からパレットを表示する
*コーンスターチ:1999年に全面的に船輸送転移
*他食工品:2004年に横浜羽沢駅から澱粉の到着開始。
        1988年2月から松谷化学工業(株)が輸 入澱粉を小名木川〜北沼のハワム返送を利用して八戸工場に納入(『運輸タイムズ』1988年2月22日付、2面)していた ので、同社が荷主か。
*パルプ:2004年に六原駅から到着開始。尚、八戸工場は2007年夏にパルプ設備を増強し、完全自給を達成しており(『日経産業新聞』 2007年3月27日付、16面)、一時的な輸送だった模様。

年 度
2006
2007
2008
2009
2010
品 目 コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
パ ルプ用材
6,010
-
6,010
5,985
-
5,985
6,085
5,095
5,485
液 体塩素
-
2,940
2,940
-
2,576
2,576
-
-
-
他 食工品
70
-
-
-
-
-
-
-
14,520

39,370
-
39,370
38,170
-
38,170
36,275
28,830
34,910
パ ルプ
7,050
-
7,050
1,000
-
1,000
-
-
-
合 計:
52,500
2,940
55,440
45,155
2,576
47,731
42,360
33,925
54,915


A八戸製錬(株)
 八戸製錬(株)は、三井金属鉱業(株)50%、同和鉱業(株) 20%、日本鉱業(株)10%、三菱金属鉱業(株)10%、東邦亜鉛(株)5%、日曹金属(株)5%の出資比率で1967年2月に設立された。当初計画で は、月産で亜鉛4,500トン、鉛2,000トン、硫酸10,000トンで、ISP方式により亜鉛・鉛同時製錬を行うものであった。1969年3月には全 面操業が始まっている([16]p16-18)

 原料精鉱は、約8割が海外鉱、約2割が国内鉱である。国内鉱は、船、貨車、トラックで産地から運ばれてくるが、東北地区産出鉱が圧倒的に多く、特に秋田 県北部を中心に産出する黒鉱は、複雑鉱処理可能なISPに適しており、立地的にも同社の有力な原料となっていた([16]p83-84)

 同社では、亜鉛地金1トンに対して2トン、鉛1トンに対して1トンの割合で硫酸を生産している。主な販売先は東北・北海道地区の肥料会社(日東化学工業(株)八戸・釧路両工場日東肥料化学工業(株)室蘭工場ラサ工業(株)宮古工場など)であり、これらの輸送は殆どが専用船で 行われるが、内陸向けはタンク車及びローリー車が使用される。1976年度の硫酸の出荷量12万トンのうち、東北が5.1万トン、関東が2.7万トン、北 海道が1.5万トン、中部5千トン、西部2.2万トンとなっている([16]p88-89)

 同社は溶鉱炉の燃料及び還元剤として、年間約7万トンのコークスを使用する。購入先は東京ガス(株)日本化成(株)である([16]p91)が、 このうち東京ガスは隅田川駅発で鉄道輸送される予定だったが、発地公害問題により海上輸送に転移したとのこと([3]p18)で ある。日本化成は、小名浜〜北沼間で鉄道輸送された可能性はあるが、下記の品目別到着量を見る限りコークスが大量に到着した形跡は無く、こちらも船輸送 だったようだ。

2001.8北沼駅 八戸製錬(株)専用線(休止中)

▼北沼駅の品目別発送量
(単位:トン) ([3]p167-174)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1985
1987
1989
1991
1993
1995
1997
1999
品 目
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
車 扱
合 計
コ ンテナ
鉱 石
185
3,019
3,782
511
676
322
1,348
35
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
亜 鉛
2,054
7,769
4,766
3,152
2,302
1,799
1,149
-
-
-
-
750
-
750
945
-
945
575
-
575
955
硫 酸
7,542
13,870
6,226
7,676
9,804
2,584
1,672
1,102
1,064
1,026
1,140
-
1,520
1,520
-
1,710
1,710
-
836
836
-
合   計:
9.781
24,658
14,774
11,339
12,782
4,705
4,169
1,102
1064
1,026
1,140
750
1,520
2,270
945
1,710
2,655
575
836
1,411
955

*硫酸:タンク車輸送は、東北・新潟・関東地区向けと思われる。酒田港:東北東ソー化学(株)、羽前水沢:水澤化学工業(株)、中条:(株)クラレ、高 萩:日本加工製紙(株)といったところか。
     1997年度で車扱による輸送は廃止となった。
1995.9 北沼駅 八戸製錬(株)専用線
※急行越前様から大変貴重な写真を 提供して頂きました(2016.11.8)。 ありがとうございます!

年 度
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
品 目
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
亜 鉛
900
1,165
2,025
1,995
2,020 2,070
2,620
2,460
2,630
2,880

  三井金属鉱業(株)は亜鉛の国内トップメーカーである。同社では物流全体の3〜5%を鉄道輸送している。岐阜県の神岡鉱業(株)と青森県の八戸製錬(株) で精錬される亜鉛もその一部である。神岡鉱業では電気分解する電気亜鉛、八戸製錬では沸点の違いを利用する蒸留亜鉛である。成分や用途も微妙に違うが、荷 姿は同じで溶融した亜鉛の地金をインゴット(鋳塊)にして納入する。

 月間の輸送量は神岡鉱山前駅発80個、北沼駅発20個ほ ど。各営業倉庫に輸送されるほか、工場間の中間品輸送にも利 用している。輸送手段は、コストが主 要な選択基準で、距離が500km程度あり、月数十トン単位であればコンテナを使うスタンス。ユーザー側の引込線が徐々に無くなってきてはいるが、取扱量 が大きいところ向けには使いやすいという。

 納入先の製鉄メーカーは通年稼働しているため、季節波動は少ない。亜鉛ダイカスト(射出成形)製品は、自動車、家電、OA機器など幅広く使われる。この ような細かい製品やレアメタルの輸送単位にも12ftコンテナは使い勝手が良い。
(『JR貨物ニュース』2002年3月15日号、4面)


▼北沼駅の品目別到着量(単位:トン) ([3] p175-182)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1985
1987
1989
1991
1997
1999
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
品 目
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
コ ンテナ
鉱 石
9,397
15,881
40,784
23,240
17,723
15,353
3,112
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
他 鉱産品
122
521
257
36
30
-
13
-
24
280
11
340
200
495
355
315
260
285
430
325
635
305
350
合   計:
9,519
16,402
41,041
23,276
17,753
15,353
3,125
-
24
280
11
340
200
495
355
315
260
285
430
325
635
305
350

*鉱石:国内鉱で多いのは、小坂鉱業所(秋田、内岱):鉛鉱、花輪鉱業所(秋田):鉛鉱、下川鉱業所(北海道):亜鉛鉱、田老鉱業所(岩手):亜鉛鉱、秩 父鉱業所(埼玉):亜鉛鉱等である([16]p200)
     鉄道輸送の発駅・荷主は、小坂駅:同和鉱業(株)、田山駅:花輪鉱山(株)、下川駅:三菱金属鉱業(株)、宮古駅:ラサ工業(株)、三峰口駅: 日窒鉱業(株)と思われる。

日鉱金属 亜鉛・鉛委託製錬から撤退 三井金属、同和に事業譲渡 (『化学工業 日報』2005年7月21日付、11面)

 新日鉱グループの日鉱金属は20日、2006年3月末をもって亜鉛・鉛委託製錬事業から撤退すると発表した。亜鉛鉱石マーケットの逼迫や主要な原料供給 源である同社100%子会社の豊羽鉱山(本社・北海道札幌市)が操業休止を予定していることから決定したもので、今後、労働組合および関係先との協議、調 整に入る。

 日鉱金属は、亜鉛・鉛を生産委託しており、2004年度は八戸製錬(本社・東京都品川区)で3万トン、秋田製錬(本社・秋田県秋田市)で4万8千トンを 生産していた。販売量は亜鉛8万6千トン、鉛6千トン、イソジウム31トンで、売り上げは167億円、経常損益が22億円となっていた。

 亜鉛・鉛事業からの撤退に伴い、生産委託先の持分株式は八戸製錬 27.81%は三井金属、秋田製錬24%は同和鉱業にそれぞれ9月末をめどに譲渡することで基本合意している。
 これによって日鉱金属は、2006年3月末を持って亜鉛・鉛地金の販売を停止し、今後は経営資源を銅事業、環境リサイクル事業に集中し、これら事業の一 段の競争力強化と業務拡充に努める。

 なお、同和鉱業は秋田製錬への出資比率引き上げによって八戸製錬での亜鉛 の委託生産の中止を決定した。

三井金属、八戸製錬所の設備増強 亜鉛・鉛のリサイクル原料比率拡大 (『日刊 鉄鋼新聞』2015年12月10日付)

 三井金属鉱業は、亜鉛・鉛製錬拠点である八戸製錬・八戸製錬所(青森県)で、リサイクル原料への対応力を強化するため、製団機の増設などの設備増強を実 施した。新設備は9〜10月に実施した中規模定修に合わせて導入し、すでに稼働を開始している。設備投資額は約7億4千万円。また、蒸留亜鉛で製造する亜 鉛合金の鋳造設備も新設し、来年2月から本格生産を開始する予定。

 リサイクル原料への対応力強化のための増強として、製団機を1基増設(投資額4億9,800万円)して2基体制としたほか、リサイクル原料比率の上昇に 対応するため、亜鉛・鉛精鉱の原料乾燥機の設置(同1億4,000万円)、脱フッ素工程の能力アップ(同5,000万円)、硫酸製造工程での低温活性触媒 の導入(同5,500万円)を行った。

 亜鉛事業の合弁会社「エム・エス・ジンク」のパートナーである住友金属鉱山の播磨事業所(兵庫県)が、9月末で蒸留亜鉛などの生産を終了したことに伴 い、住友金属鉱山・四阪製錬所(愛媛県)からの粗酸化亜鉛の受け入れに対応す ることも今回の増強のねらいの一つ。四阪からの粗酸化亜鉛の受け入れにより、八戸製錬所のリサイクル原料比率は40%から50%にアップした。


B東新鋼業(株)
 1971年度に八戸臨海鉄道は東新鋼業(株)と運賃割引併用の定形貨物運送契約を締結した。内容は、「北沼発神立着線材及び鋼線の輸送」である([3]p18)。 親会社の東京製綱(株)向けに輸送を行っていたようだ。

▼北沼駅の鉄鋼輸送量(単位:トン) ([3] p167-168、p175-176)
年 度
1971
1973
1975
1977
1979
1981
1983
1984
品 目
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
車 扱
鉄 鋼(発送)
8,284
21,786
12,976
12,484
18,071
795


鉄 鋼(到着)
3,161
12,897
9,888
9,395
6,760
1,995
258

合  計
11,445
34,683
22,864
21,879
24,831
2,790
258
-

 八戸臨海鉄道の鉄鋼輸送量の全てが東新鋼業が荷主とは考え難いが、かなりの部分を占めていた可能性は高いと思われる。輸送量は1970年代までは減少傾 向にはあるものの、発着合わせて年間2万トン以上を確保していたが、1980年代に入ると急減し、1984年度以降は車扱による鉄鋼輸送は姿を消した。

 尚、同社は東京製綱のweb サイトによると、1960年に東新鋼業(株)(高級線材の圧延)が設置されたが、2000年に生産停止となっており、現在は会社自体が存在しない ようであ る。




[1]『盛岡鉄道管理局25年史』日本国有鉄道盛岡鉄道管理局、1976年
[2]「大規模工業開発と八戸の工業化」『地方工業地域の展開』大明堂、1986年
[3]『八戸臨海鉄道40年史』八戸臨海鉄道株式会社、2011年
[4]『松 尾鉱業株式会社の成立と展開−第U次世界大戦期まで−』早坂 啓造、1987年
[5]『八 戸臨海工業化と港湾運送企業の近代化(T)』岩坂 和幸
[6]『エアリアマップ都市地図 青森県B八戸市』昭文社、1987年
[7]野尻 亘『日本の物流−産業構造転換と物流空間−』古今書院、1997年
[8]『仙台臨海鉄道のあゆみ(20年間の資料を中心として)』仙台臨海鉄道株式会社、1990年
[9]『ゼネラル石油三十五年の歩み』ゼネラル石油株式会社、1982年
[10]『35年のあゆみ』丸善石油株式会社、1969年
[11]『大協石油40年史』大協石油株式会社、1980年
[12]『昭和石油三十年史』昭和石油株式会社、1974年
[13]『共同石油20年史』共同石油株式会社、1988年
[14]『はちのへ 68号』日東化学工業(株)八戸工場、1965年
[15]『三菱製紙百年史 資料編』三菱製紙株式会社、1999年
[16]『10年のあゆみ』八戸製錬株式会社、1979年
[17]『オーバルのもとに エッソ石油二〇年の歩み』エッソ石油株式会社、1982年

日本の鉄道貨物輸送と物流: 目次へ
とはずがたりな掲示板 鉄 道貨物スレへ

inserted by FC2 system