1934(S09)年5月 |
旧出雲製織(株)の石見人絹工場として人絹進出を決定 その年12月に石見人絹工場として創設 |
1936(S11)年1月 |
操業開始(人絹:6トン/日) |
1941(S16)年4月 |
錦華、日出、和歌山、出雲の紡績4社合併し 大和紡績(株)石見人絹工場として誕生 |
1943(S18)年2月 |
戦争激化により第3次企業整備法にて操業休止 |
1952(S27)年3月 |
操業再開 |
1961(S36)年8月 |
ポリノジック生産設備完成 |
1973(S48)年7月 |
製紙用レーヨン生産設備完成 |
1982(S57)年4月 |
大和紡績より分離独立したダイワボウ益田(株)設立 |
1982(S57)年6月 |
ポリノジック生産終了 |
1988(S63)年2月 |
製販一体事業のダイワボウレーヨン(株)設立 |
発
駅 |
発
荷主 |
品
目 |
貨
車 |
備
考 |
安治川口 |
四国化成工業(株) |
二硫化炭素 |
タム200形 |
|
新南陽 |
東ソー(株) |
苛性ソーダ液 |
タキ2900形 |
|
新南陽 |
(株)トクヤマ |
液化塩素 |
タキ5450形 |
1995年11月27日付『運輸タイムズ』 |
周防富田 |
徳山曹達(株) |
サラシ液 |
タキ16100形 |
|
幸崎 |
日鉱金属(株) |
濃硫酸 |
タキ5750形 |
幸崎駅は1996年3月に貨物取り扱い廃止 |
▽ボウ硝輸送 コンテナで集荷170km (1994年2月28日付『運輸タイ
ムズ』2面) 東松江駅から郡山貨物ターミナル駅に向けたボウ硝(硫酸ナトリウム)の輸送が、1993年11月開始以来、毎月コンテナ40個ペースで順調に推移している。 JR貨物・郡山総合鉄道部が得た着荷主情報をもとに米子営業所が発荷主に働き掛けるという、両社の連携プレーが結実したもので、発の東松江駅までの集荷 距離は約170km。JR貨物の中で記録的なランクに入る広域集荷のケースとなる。このボウ硝は、紡績大手のダイワボウレーヨン(株)益田工場の副産品で、洗剤、入浴剤、染料固着剤などの原料として使われる。 今回のコンテナ輸送の着荷主である(有)東北産業(福島県 郡山市)が、もともと郡山(タ)でコンテナを利用している関係から、日本フレートライナー(株)を通じて、益田〜郡山間の輸送コストについて郡山総合鉄道 部へ打診したのが発端。この連絡は東松江駅長を通し、米子営業所と地元通運の山陰運送(株)が協議して荷主が納得するコストでの集荷体制を組んだ。また、 着荷主、通運もシステム作りに参加し、着荷主がパレットを供給するお迎え&式による一貫パレを実施した。 ダイワボウレーヨン益田工場から東松江駅までは約170kmの距離があり、新規貨物誘致の条件としては厳しいところだが、今回は約20日の短期間で話が まとまった。 郡山総合鉄道部では、輸送力とコンテナをバランスよく確保するため、着貨物誘致のためのセールスに力を入れてきた。一方、米子営業所はこれまで広域集配 貨物の開発へ果敢に取り組んでおり、両社の息が合って今回の成功となった。 米子営業所の場合、そのエリアは鳥取県・湖山から島根県・益田までの日本海側約300kmに亘る広い地域。営業活動は米子、東松江の両コンテナ基地を拠 点とし、その周辺に集中しがちだが、「輸送成績をあげるため、広域集配圏から新規貨物を開発することを原則としている」(米子営業所)。特にこの不況下 で、それを重要な営業戦略としている。 ボウ硝の発送は12月、1月とも12ftコンテナで40個強、2月も中旬までに30個強と軌道に乗り、通年出荷を予定している。パレット貨物は益田工場 のパレタイザーで1パレット(12型)に1.25トン積みし、ストレッチ包装で荷崩れ防止している。着荷主から供給される空パレットは月間1〜2回程度、 コンテナ輸送される。 |
路
線名 |
所
管駅 |
専
用者 |
第
三者利用者 |
作
業キロ |
記
事 |
北陸本線 |
金沢 |
大和紡績(株) |
日本通運(株) |
0.7 |
|
福井鉄道 |
福井新 |
大和紡績(株) |
日本通運(株) |
1.1 |
専用鉄道 |
紀州鉄道 |
西御坊 |
大和紡績(株) |
日本通運(株) |
0.9 |
|
舞鶴線 |
西舞鶴 |
大和紡績(株)舞鶴工場 |
日本通運(株) |
石炭線1.6 倉庫線1.7 |
1.西舞鶴、四所間途中分岐 2.運賃は西舞鶴までのキロ程による |
山陰本線 |
出雲市 |
大和紡績(株)出雲工場 |
日本通運(株) |
0.2 |
|
長崎本線 |
佐賀 |
大和紡績(株)佐賀工場 |
日本通運(株) |
0.3 |
一部国鉄側線 |