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味 の素グループ

2001.11.14 作成  2005.1.10 更新
<目次>
味の素株式会社
 @年表
 A川崎工場
 B川崎工場
 Cその他工場
味の素製油株式会社(現・J-オイルミルズ株式会社)
味の素ゼネラルフーヅ株式会社
三工株式会社(現・味の素ファインテクノ株式会社)
カルピス株式会社
日本アミノ飼料株式会社(現・伊藤忠飼料株式会社)
味の素物流株式会社
三楽株式会社(現・メルシャン株式会社)

■味の素株式会社  
@年表
味の素株式会社web 沿革  http://www.ajinomoto.co.jp/company/index.html??top3=companyIndex
上場企業の沿革「ザ・ヒストリー」 http://enkaku.gozaru.jp/aa/ajinomoto.htm
1908 (明41) 07月 池田菊苗博士がうま味調味料グルタミン酸ナトリウムの製造法特許取得
                 09月 鈴木三郎助が特許を共有しその工業化を引き受ける
1909 (明42) 05月 「味の素」一般発売開始
1912 (明45) 04月 (資)鈴木製薬所(1907年設立) を(資)鈴木商店と社名変更
1914 (大03) 09月 川崎工場完成、操業開始
1917 (大06) 06月 株式会社鈴木商店を設立
1925 (大14) 12月 (資)鈴木商店と株式会社鈴木商店を統合し、株式会社鈴木商店を新設
1932 (昭07) 10月 味の素本舗株式会社、鈴木商店と社名変更
1935 (昭10) 03月 宝製油株式会社設立、油脂事業に着手
1940 (昭15) 12月 鈴木食料工業株式会社に商号変更
1943 (昭18) 05月 大日本化学工業株式会社に商号変更
1944 (昭19) 05月 佐賀に工場完成 (現.九州工場)
                   〃 宝製油株式会社を合併し、これを横浜工場として開設
1946 (昭21) 02月 味の素株式会社と社名変更
                 05月 「味の素」生産再開
1956 (昭31) 01月 必須アミノ酸(輸液用)発売、アミノ酸事業に着手
1961 (昭36) 03月 四日市に工場完成 (現.東海工場)
1962 (昭37) 09月 米国ケロッグ社と提携(日本におけるケロッグ社製品の総発売元となる)
1963 (昭38) 03月 米国コーンプロダクツ社 (現.コノプコ社) と提携
1965 (昭40) 05月 日本食品工業株式会社をクノール食品株式会社と改称
1967 (昭42) 10月 本社に化成品部を設置、化成品事業に本格着手
1970 (昭45) 12月 味の素レストラン食品株式会社(現.味の素冷凍食品株式会社)設立
1973 (昭48) 08月 米国GF社と提携、GF日本を味の素ゼネラルフーヅ株式会社に改組
1979 (昭54) 05月 「アルギンZ」発売、飲料事業に着手
1981 (昭56) 09月 「エレンタール」発売、医薬品事業に着手
1982 (昭57) 05月 アスパルテーム輸出開始、甘味料事業に着手
1987 (昭62) 09月 CPCインターナショナル社(現.コノプコ社)よりクノール食品株式会社の株式100%取得、及びCPCの東南アジア6カ国9法人の株式50%取得
1990 (平02) 10月 カルピス食品工業株式会社(現・カルピス株式会社)の総発売元になる
1992 (平04) 11月 カルピス味の素ダノン株式会社設立
1996 (平08) 07月 ルセル森下株式会社設立
1997 (平09) 04月 味の素フレッシュフーズ株式会社(現・味の素冷凍食品株式会社)設立
1998 (平10) 10月 味の素ファインテクノ株式会社設立
1999 (平11) 04月 味の素製油株式会社設立
                 12月 味の素ファルマ株式会社設立
2000 (平12) 04月 味の素物流株式会社設立
                 10月 冷凍食品事業を分社化し、味の素冷凍食品株式会社設立
2001 (平13) 04月 油脂事業を分社化
2002 (平14) 04月 株式会社豊年味の素製油設立
                 12月 清水製薬株式会社、シミズメディカル株式会社を買収
2003 (平15) 02月 株式会社ギャバン朝岡(現・株式会社ギャバン)と業務提携
                    〃 ユニリーバ社グループとの合弁会社7社の全株式売却契約を締結
                 04月 株式会社J-オイルミルズ設立
                    〃 味の素冷凍食品株式会社と株式会社フレックが合併
                    〃 冷凍パン事業を分社化し、 味の素ベーカリー株式会社設立

A川崎工場 〜タンク車輸送を中心に〜 
1914(大正3)年9月に操業を開始した。  http://www.ajinomoto.co.jp/kawasaki/profile.html
   1914年   「味の素」生産開始
   1923年   関東大震災により全壊
   1934年   醤油原料「味液」生産開始
   1956年   医薬用アミノ酸生産開始
   1960年   発酵法による「味の素」生産開始、 「アジシオ」生産開始
   1962年   「ハイミー」生産開始
   1970年   「ほんだし」生産開始
    1977年   「中華あじ」生産開始
   1978年   「Cook Do」生産開始
   1983年   業務用調味料・アミノ酸新鋭工場完成
   1995年   業務用液体調味料工場完成
   2002年   川崎物流センター完成
 川崎工場は1914(大正3)年に操業を開始し「味の素」の生産を開始した。当時は川崎駅との間でトラック輸送が行われてきた。[1]
 戦争の拡大に伴い、周辺各工場と共に貨物専用線の必要性が高まり、1945(昭和20)年3月、京急大師線と川崎市電を利用した3線軌条により工事が開 始 された。戦災の影響で完成は遅れ、味の素の工場まで開通したのは1947(昭和22)年3月1日であった。当初のルートは(国鉄)浜川崎〜(川崎市電)桜 本〜(京浜急行)川崎大師の8.0kmであった。[1] 昭和26年版専用線一覧表では以下の通り。[2]

接続駅 契約相手方 第三者使用 作業方法 作業キロ 専用線種別 記事
浜川崎 川崎市
京浜急行電鉄株式会社
日本冶金工業株式会社
味の素株式会社
国鉄機 冶金線6.0
味の素線8.0
側線
鉄道
運転管理

 1952(昭和27)年に「味液」容器輸送委員会(MCT)活動により、タンク輸送が採用された。これは流通コストの低減、需要家へのサービスを向 上させた画期的なことであった。タンク車による「味液」の輸送は、塩酸輸送専用のタンク車を「味液」輸送に利用しようとしたのがはじまりで、1952年5 月にその許可を取った。[3]
 大口の消費地に隣接する場所を選定して、味の素直営あるいは需要家もちで「味液」をストックする基地を設け、そこへタンク車あるいはタンクローリー によって、大量の「味液」を輸送しようという体制が考えられた。1952年12月に大阪の 安治川、名古屋の熱田、1954 (昭和29)年12月には広島の、1955(昭和30)年1月には福岡の 博多 に直営の「味液」基地を設置し、その後1957(昭和32)年までに販売店および直売の需要化もちの基地が青森県八戸をはじ め全国約20箇 所に設けられた。 [3]
 タンク車による輸送は、北は旭川から南は長崎まで約50箇所に達した。タンク車、タンクローリー、そして樽などの使い分け に より、「味液」の輸送に大幅に合理化されたのである。[3]
 工場構内の側線は輸送の増大と共に延長され、1953(昭和28)年には操車場が設置、側線が908m延長され、1964(昭和39)年に11線: 総延長3,263mに達している。鉄道貨物輸送全盛期には発送の「味の素」、澱粉、樽入り「味液」、肥料、到着の石炭、硫安、空き樽などの品目に汎用の有 蓋、無蓋車が多数使用されていた。[1] 1959(昭和34)年には構内引込み線の末端に石炭貯送庫(石炭貨車をそのまま逆さにして石炭の荷おろしがで きるもの)を設置しているが、その後石炭を使用しなくなったため廃止となった。(筆者註:1972年までに廃止)[3]
 1964(昭和39)年品鶴貨物線の浜川崎〜塩浜操(現、川崎貨物)間が開通、味の素へのルートとして塩浜操〜小田新田間248mの連絡線が敷設さ れ、運行管理はそれまでの国鉄から、同時に設立された神奈川臨海鉄道へと移った。専用鉄道の年間輸送量は1961年に43万トン(1日あたり貨車 60〜80両)の記録があり、この頃がピークと見られる。列車ダイヤは国鉄時代は1日2往復、神奈川臨海鉄道移管後1968年まで1日3往復、1972年 まで1日2往復、それ以後は1日1往復が設定されていた。[1] 昭和53年版民鉄要覧による味の素株式会社の専用鉄道の概要は以下。

敷設目的 区間 キロ 免 許
年 月 日
運輸開始
年 月 日
連絡駅 運転管理者
製品及び
諸材料の搬出入
(京浜急行)
川崎大師、会社工場
(国鉄)(京浜急行)
塩浜、小島新田
    

0.7

0.3
1.0


28.3.23

39.1.29


28.4.1

39.3.26


浜川崎

塩浜操


高須運輸

神奈川臨海鉄道


 味の素の製造方法はタム5000形式が導入された当時は分解法という方法で行われていた。分解法とは、大豆と小麦粉を主原料に副原料の「塩酸」を加 えて加水分解を行い、グルタミン酸ソーダ「味の素」とアミノ酸液「味液」を製造するもので、タム5000形式は塩酸を積んで到着し、荷卸し後タンク内洗浄 を行った上、味液を積んで発送するという方法をとっていた。つまり往復のルートは違うものの、往復の積荷輸送が行われていたわけで、タンク車の専用種別は 「塩酸及び味液」「塩酸及びアミノ酸」と表記されていた。[1]
 しかし1962(昭和37)年頃から生産コストの低減のために工程の合理化が行われ、原料塩酸はごくわずかしか使わず、副産物も生じない発酵法で 「味の 素」は生産されるようになり、「味液」は別に直接製造されるようになった。発酵法は、原料の澱粉と糖蜜にアンモニアと発酵菌を加えて発酵によりグルタミン 酸ソーダ「味の素」を生産する。一方、「味液」は大豆に塩酸を反応させる加水分解によって製造される。これにより原料塩酸は社内生産で間に合う範囲とな り、タンク車での到着はなくなった。 [1]
 タム5000形は「味液」発送にのみ輸送が継続され、この頃を契機に車両増備は終了し、現車表記専用種別は次第に「アミノ酸」へと書き換えられて いった。 また同工場には 他社所有の液化アンモニア専用車(筆者註:昭和電工か?)が時々到着していた。計222両あった味の素のタム5000形だ が、1990年代に入っても約80両が活躍を続けていた。しかし、かつては北海道から九州まで数十箇所も存在した「味液」到着駅が1996年ダイヤ改正で 東新潟港石巻港半田埠頭湖山熊本の5駅のみとなり、列車の運転は週2〜3回、 編成は5〜6両という状況になり、1997(平成9)年1月30日に廃止された。[1]
 判明している味タムの発送先は以下。現在「味液」基地は全て廃止になったようだ。コンテナ輸送で一部は鉄道輸送が継続された模様。

味液基地(到着駅) 設置年月 廃止 備考
旭川 初期[3] 青函トンネル開通で薬品輸送廃止に伴いタム輸送終了か?
東青森 1992年頃[5]
八戸 1957年まで[3]
石巻港 1996年3月ダイヤ改正〜1997年1月廃止まで[1] 1997年1月5日に石巻埠頭駅で味タムを撮影。その時点で石巻港駅構内には
味の素(株)所有のアミノ酸専用タンクコンテナが並んでいる。[7]
東新潟港 1996年3月ダイヤ改正〜1997年1月廃止まで[1]
96.08.26東新潟港駅構内と味タム。味液基地のようなタンク施設は見当たらず。 
金沢 末期[6]
南福井 末期[6]
半田埠頭 1996年3月ダイヤ改正〜1997年1月廃止まで[1] ミツカン向け?
熱田 1952年12月[3]
安治川 1952年12月[3] 安治川口駅?
湖山 1996年3月ダイヤ改正〜1997年1月廃止まで[1]
東広島 末期[6]
1954年12月[3] 坂駅貨物扱い廃止後は東広島駅到着に変更か?
博多港 1955年1月[3] 末期[6]
熊本 1996年3月ダイヤ改正〜1997年1月廃止まで[1]
長崎 初期[3]

B川崎工場 〜コンテナ輸送を中心に〜

*味の素(株)のコンテナ利用
 (JR貨物ニュース 2001年5月1月号)
▽輸送条件あえばルート問わず
 味の素(株)では鉄道コンテナの輸送元請けを全国通運(株)に依頼している。輸送力確保や新しい輸送システムの導入などについては常にJR貨物とコ ンタク トを取りながら、ここ数年、鉄道利用を拡大してきた。
 従来から味の素(株)の物流部門(現在SLC)では、川崎・東海・九州・鹿島の4工場をはじめとした国内だけでも58の工場で生産している味の素 (株)製 品とともに、同社が営業活動を行っているグループ会社・クノール食品(株)、熊沢製油(株)(今年4月味の素製油(株)に統合)、旭油脂 (株)、太田油脂 (株)、日本ケロッグ(株)の製品物流も担当している。それら全管轄範囲のドライ製品を工場−物流拠点間輸送する時の鉄道利用率は、現在15%弱。年間の コンテナ利用個数は3万個以上だ。
 味の素(株)の鉄道利用ルートは多く、川崎工場からだけでも札幌、仙台、四日市、大阪、広島、福岡など各地に送っていて、発地も全国各地に及ぶ。鉄 道がよ り有利な長距離ルートほど利用率は高いが、400キロメートル前後の川崎〜四日市間等でもかなり使っている。
 同社の輸送条件は、貨物を着日の午前中に届けることとトータルのリードタイムがトラックと同等であること。その条件下であれば、発着駅がどこでもこ だわら ない。また、どの鉄道利用運送事業者が発着両サイドで集配しているかも、全国通運に任せていて、同社はタッチしない。
 事前に同社はJR貨物と各ルートで使える輸送力を大枠で協議しておく。実際の利用に当たっては、まず週単位で全国通運に荷量を連絡して、集配車の手 配と確 保を要請。そのうえで発送の前日、確定オーダーを入れる。オーダー個数は日により増減するがほとんどの場合、要請に応じた増減を受け入れてもらえている。
 味の素は、なるべく事前の確保数と大きな差異を作らないように配慮しているが「急に倍量くらいを輸送できるかどうか、問い合わせることもあります。 しか し、そんな時、できないものはできないと、むしろ早めに断ってくれるほうがいい。予約した個数はギャランティーしてほしいですが、変更が可能な波動の範囲 は、こちらとしても承知しているつもりです」と魚住課長。

▽SCM、無在庫型デポを指向

 味の素(株)ではオーダーに応じた生産・供給体制、サプライチェーンマネジメント(SCM)を2年ほど前から指向し始めた。今後、一層のSCM推進 を目指 してJIT(ジャストインタイム)型物流や無在庫型の物流基地を展開していく計画だ。
今年4月、国内食品事業の研究、開発、生産、販売を一元的に運営するための組織再編を行うと同時に、営業ロジスティクスセンターと営業物流戦略室を 統合し て「営業企画・ロジスティクスセンター(SLC)」を新設したのも、スピーディな営業活動をめざす意図。
 従来より味の素(株)では倉庫・配送業務について関連3社に業務委託を実施していたが、昨年(筆者註:2000年)4月に3社を統合し味の素物流 (株)を 誕生させた。基盤整備も順調に進み、本年4月よりJR貨物関係についても業務移管を実施し、トラック、鉄道、飛行機、船舶のフルラインを備えさせ、最適な 輸送手段でのローコストオペレーションをめざす体制を整えた。
現段階では工場から物流拠点までの一次輸送は、需要予測をもとに、なるべく在庫移動を平準化させているが、これら計画が進むにつれ工場−物流拠点間 の一次 輸送も、一層オーダーに直結したものになっていくことが予測される。
 たとえば川崎工場の生産品を無在庫型で青森の得意先に届ける場合、オーダーを受けた当日夜中には仙台の無在庫型デポまで届け、夜中から翌朝、青森行 きのト ラックに積み替えるようなタイムスケジュールになるという。そうした変化に鉄道コンテナ輸送も対応できるか魚住課長は、「一番の問題は時間でしょう。しか しトラックに十分対抗できるダイヤが増えていますから、継続して利用できる可能性は高いと考えています」と話す。
 同社は拠点の無在庫化と並行して、現行の需要予測システムの精度向上もめざしている。これを活用して日々の需要波動をコア部分と流動性のある部分に 分け、 輸送手段も鉄道コンテナとトラックに振り分けられると、見込んでいるのだ。
 その背景にはこれまで輸送条件が順守されてきたこと、波動対応時の柔軟性などへの信頼感がある。魚住課長は環境対策からも今後「一次輸送については トラッ ク輸送はなるべく減らし、鉄道または海上輸送に切り替えてゆく」方針を語った。

▽3者が情報を共有
 味の素(株)が鉄道利用拡大の当初から求めたのが、同社とJR貨物、そして両端輸送を受け持つ全国通運の「一気通貫」である。三者が互いに情報を共 有し て、互いが利を得る方策を模索しあう関係を築いた。その結果として、JR貨物の同社に対する提案営業も多く実を結び、魚住課長も「提案力には非常に満足し ています」と評価する。昨年実現した31フィートクールコンテナ等による冷凍食品の鉄道転換もそのひとつ。

▽15フィートコンテナ採用を検討中
 そして、いままた提案を受け「大変関心を持って」検討しているのが15フィートコンテナの採用だ。同社ではトラックの増トン化なども実施して輸送単 位の大 型化を図っているが、一方、12フィートコンテナに見合うロットも「使いやすい輸送単位」と捉えている。だが12フィート鉄道コンテナだと、容積が小さす ぎて6パレット(T11型)しか積めず、積載効率が悪い。その結果パレット輸送しているのは重量物の油脂製品の、その中でも一部に限られており、軽量品は 8パレット分位の貨物を手積みせざるを得ない現状だ。
その点15フィートコンテナは8パレットを積める新規格。「それなら積載効率もよい。また12フィートコンテナはパレット貨物を載せるとき(両側開 きのコ ンテナでないと)フォークリフトで一旦載せた貨物を、奥に押し込まねばなりません。それでは手間がかかるので、ウイングタイプのコンテナを是非ほしいと希 望しています」と語った。

▽味の素の多摩物流センター発貨物が四日市の東海物流センターに届くまで

1.川崎運送(株)が多摩物流センターに空コンテナを持ち込む。
2.積み込みは2ヵ所で行い、2個のコンテナに積み終えるまで2時間近くかかった。
3.用意してきた荷票を差す
4.梶ヶ谷(タ)で名古屋(タ)行き列車にコンテナを積む
5.翌早朝、名古屋(タ)に到着
6.日本トランシティ(株)の配送車に積み替え
7.四日市の東海物流センターに到着

▽元請けの全国通運(株) グループ力生かし波動対応

 全国通運(株)は昭和34年、戦後、貨物駅の通運事業免許を新規に取得した会社団体である全国通運業連合会(全通連)のもとで、交互計算会社として 設立さ れた。
 既存通運会社の日本通運(株)では従来から計算機構を備えて全国展開していた。それに伍して、同グループといっても異なる2社が発着両サイドで連携 した集 荷・配送業務を行うには、グループ全体をカバーする計算会社が不可欠だ。複数会社間で発生する金銭の収受を互いに相殺して支払い・受け取りを単純化する機 能の整備は“新免”業界の悲願とまでいわれた。
 全国通運設立は、その後、全通連がもうひとつの目標としていた政府米輸送の元請け獲得にもつながった(昭和43年)。特定駅間の輸送だけなら、その 地域に 詳しい会社が直に受ける方が、話が早い。全国通運が元請けとなるメリットは、政府米のように全国各地間の輸送を一括して引き受ける時に大きい。味の素 (株)の元請けも同様のケースだった。
全国通運(株)光井仁司常務取締役は、「現在、グループ各社260余のうち、180社くらいが全国各駅で鉄道利用運送事業を行っています。これらの 会社 に、お客様の指定する輸送条件で集荷・配送をしてもらうのですが、あくまでも最終責任は全国通運にあります。全国一律の輸送条件を徹底するには、一括元請 けの方がお客様にも利用していただきたいし、グループ会社も仕事がしやすいといっています」と語った。
 味の素(株)では輸送条件(発送の翌日午前着)をクリアできれば特に発着駅を指定していない。そこで四日市の東海物流センターに納入する多摩物流セ ンター 発貨物などは、梶ヶ谷(タ)発で四日市駅まで鉄道輸送すると、12:55着列車しかないので、翌朝6:37着の名古屋(タ)行きに載せている。名古屋 (タ)〜東海物流センター間は40キロメートル弱の配送距離だ。
また常に心がけているのは「オーダーを断らない」こと。急にオーダーが増えた場合などには、周辺駅のグループ会社に応援を求める手法など、グループ の強み を活用して完送している。
一方、グループ各社の車両手配事情や発着場所により異なる荷役条件(積み下ろし場所の屋根の有無や、トラックを後ろ付けしかできない施設など)を把 握し て、それがお客様に影響の出ないように調整するのも全国通運の大事な役目だ。
 最近、鉄道貨物輸送全体の課題になっている異常時対応についても、味の素(株)は「迅速に連絡を入れてくれる」(魚住課長)と評価する。輸送障害発 生時、 全国通運では味の素(株)のSLCはじめ同社の総合配車センター・そして各ルートの集荷・配送先に連絡。そのうえで味の素(株)とともにコンテナの載って いる列車位置情報などをキャッチしながら対応を判断し、指示をJR貨物に伝えている。
 
*ISOタンクコンテナによる鉄道輸送を開始(広島、北陸向け) http://www.jrkanto.com/case/index_chemi_ajinomoto.htm
 味の素(株)川崎事業所から出荷される「アミノ酸液」は、醤油、調味料、加工食品など幅広く利用されている。
 「アミノ酸液」は以前、専用線を使いタンク車で送られていたが、専用線の廃止によって、タンクローリーとコンテナ船の輸送に切り替えていた 。しかし、鉄道の大型コンテナ輸送の拡大に伴い、2年前(2002年)からISOタンクコンテナを利用し再び鉄道輸送にシフトした。
 その経過を川崎物流センター生産物流グループの高野清部長と古畑崇嘉氏は、
「広島行きコンテナ船は出航日が限られており、ラウンド日数が1〜2週間とかかりすぎる問題がありました。鉄道はデイリー発送でき、コンテナも4日で戻っ てきます。 また、北陸へのタンクローリー輸送は冬季の道路状況で輸送生涯が起きること、長距離往復輸送の大変さと帰りの空回送の負担がありました。これからの労働条 件など過酷なところをすぼめていき、そこを鉄道にお願いしていきたい。 コスト面では、輸送距離が500キロ以上でメリットが出てきます。要望としては到着の問題があります。お客様のそばに貨物駅があるのに、トップリフターが ないので取り扱いが出来ないことがあります。ISOタンクコンテナを取り扱える駅、そして列車枠が増えることで鉄道利用がもっと利用しやすくなります。」 と話す。

※新貨車通信掲示板ログ
  http://www.kururin.jp/bbslog/log-s200206.htm
川口雑貨店@本部氏 投稿日:2002年 6月16日(日)21時54分39秒
ユーロテナーのISOコンテナが調味液輸送として運用され始めました。(本日は川崎貨物→金沢行きでした。)
味の素物流使用者でコンテナ側面にも社名が書かれています。
 
*味の素(株)実証実験をスタート 関東〜関西・九州間を鉄道にシフト (JR貨物ニュース 2003年9月15日)
http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/freight/15108.pdf
 9月9日、味の素(株)は川崎〜関西、同〜九州間で31ftタイプのウイングコンテナにより、製品を鉄道で往復輸送し始めた。このほど国土交通省の「環 境 負荷の小さい物流体系の構築を目指す実証実験」で認定された21件のうち、物流・補助金100万円当たりのCO2削減量が最大となる実験である。味の素グ ループは1995年に鉄道コンテナ輸送を本格的に導入、2000年には食品業界で初めて冷凍食品の幹線輸送にも鉄道コンテナを使い始めた。同グループでは JR貨物と共同で環境物流研究会を開催、物流面での環境負荷低減に取り組んでおり、今回の輸送もその成果のひとつ。
 味の素(株)が認定を受けたのは、川崎〜大阪・九州間の輸送。鉄道用区間は東京(タ)〜大阪(タ)、東京(タ)〜福岡(タ)間だ。味の素ではこれま で、パ レット利用による一貫パレチゼーションの実施を様々な方向から模索・検討してきており、その中で、今回、ウイング式コンテナの採用がなされた。使用される のは、今回の実証実験に向けて日本石油輸送(株)が開発・所有する8個の31フィートウイングコンテナ。緩衝材としてコンパネ16枚、トラックボード大 50枚、小20枚が1コンテナに搭載される予定。
 本輸送は9月9日より始まっているが、開始に当たっては2週間にわたる試験輸送が8月下旬に行われた。テスト輸送が終盤にさしかかった時点で行われ た中間 報告会では、味の素(株)、味の素物流(株)、日本石油輸送(株)、全国通運(株)、JR貨物が集まり、本輸送に向けた改善策を検討。鉄道の場合、集配を 担当する利用運送事業者が発と着で異なる。角当て・トラックボードなどの緩衝材の入れ方やラップフィルムの巻き方等を双方で統一し、荷ずれ、荷崩れを防ぐ ことで一致した。
 味の素・物流企画部企画グループの西原勝則主任は「実際に使ってみったら、使いづらい面もあった。しかし改善すべき点が明らかで、事前準備ができれ ばクリ ア可能。12フィートコンテナでは手積みで行っていた荷役をパレット化することで、ドライバーの負担を軽くでき、また、環境面からも社会的な責任が果たせ ることとなる」と話した。
 味の素物流・総合配車センターの横田昇次郎所長よりは「コンテナ輸送はリードタイムと異常時対応が課題。連絡体制の整備や、トップリフターを備えた 駅が増 えて、どこででも取り下ろしできる体制を整えてほしい」と要望があった。
 基本的には大型トラックと同等の積載量を持つウイングコンテナだが、トップリフター荷役に対応できるよう側面強度を増し、天井の梁部分や床面も厚い 構造と なっているため、若干容積に差が出てしまう。味の素では今後本輸送と並行して、コンテナの構造面を含めて改善・検討を進め、CO2削減効果を実証、実際の モーダルシフト事例としてシステムを確立していく意向だ。
 
*味の素、幹線鉄道輸送に31フィートコンテナを導入 (物流:チェックニュース 2003年9月16日)  http://www.0085.co.jp/check-news/0309/16.html
 味の素は、関東から関西・関東から九州間の幹線輸送に31フィートの大型ウイングコンテナを導入した。1995年からJRコンテナを本格的に利用し てお り、遠距離区間を常温/冷凍輸送へと拡大していた。現在、トンキロベースで18.1%をJRコンテナにシフトしているが、今後さらにJRコンテナの比率を 高めていく計画であるという。
 現状の積載パレットは12フィートコンテナ(5tコンテナ)で11型パレット6枚しか積めないなど効率が悪く、コスト高になることから、11型パ レット8 枚積載可能な15フィートコンテナなどを導入し、比較検討を行っていた。今回は、大型車である10トントラックとほぼ同容量である、31フィートコンテナ に 切り替えることで、これまで以上に積載効率のUPが見込めるとしている。
 31フィートコンテナは、日本石油輸送が製作したものを全国通運がリースして運用していく。
 現在、大型コンテナは特積業者などが自社で保有するのがほとんどであったが、リース方式にすることにより、荷主企業の初期投資を少なくすることが可能と なった。
 また、2002年のCO2排出量の28500トンであり、今回の31フィートコンテナの導入により、5%のCO2削減できるとしている。
 また、味の素は、国土交通省の『環境負荷の小さい物流体系の構築を目指す実証実験』にも申請・認定されている。
 
*モーダルシフト率 23.4%へ 物流における環境負荷削減活動を推進 15フィートコンテナ導入で更なる削減目指す
味の素株式会社 広報部 2004年10月28日 http://www.ajinomoto.co.jp/press/2004_10_28.html
2004.12四日市
 味の素株式会社(社長:江頭邦雄 本社:東京都中央区)は「Environmentally Friendly Logistics」をスローガンに、「モーダルシフト」を進めることでCO削減を図るなど、物流業務における環境負荷削減に向けた取り組みを推進しています。2003年度のモーダルシフト率は、トンキロ ※1ベースで23.4%と前年より1.6%改善し、環境負荷を削減しました。CO 排出量は44,933t−COと前年並みでしたが、CO排 出量原単位※2(対トンキロ)は134g−CO/トン キロ(前年度比96.4%)となり、着実に環境負荷削減を実現しています。
 さらに2004年8月より、トラック輸送が主流の中距離区間「関東⇔四日市」間の往復で、*パレット8枚分が積載可能な15フィートコンテナ を導入 しました 。これにより年間CO排出量は同区間輸送の約2,060t−COに対し、約540t−COの削減を見込んでいます。
*T−11型パレット:1100mm×1100mmのパレット。
 味の素グループでは1995年度より鉄道コンテナを本格的に導入し、以来、実施区間の拡大に努め、2002年度からは日本貨物鉄道株式会社の協力の もと、 「環境物流研究会」を定期的に開催し、物流における環境負荷削減につながるテーマに継続して取り組んでいます。また、トラック輸送についても、デジタル式 運行記録計(デジタルタコグラフ)を車両に取り付け、運行記録の解析を行い、低燃費運行によるCO削 減、NOx、PM(粒子状物質)などの環境負荷物質の排出削減を進めています。
 今後も幹線輸送・地場配送・倉庫運営などの物流業務における環境負荷低減の取り組みを多角的に進め、味の素グループ全体で「味の素グループ・ゼロエ ミッ ション」を推進していきます。
※1.トンキロ:輸送における単位。1トンの貨物を1km輸送した場合、1トンキロとなる。
※2.原単位:製品輸送で発生する環境負荷をCO排出量で換算した1 トン キロあたりの単位。
<原単位(国土交通省提 示)>大型トラック:176g−CO2/トンキロ、 鉄道コンテナ:22g−CO 2/トンキロ 海上コンテナ:48g−CO2/トンキロ
【「味の素グループ・ゼロエミッション」の定義】
味の素グループ独自の統一自主基準により、全ての事業活動から発生する各種の環境負荷の極小化をめざす活動

Cその他工場 

工場名 製品 原料・副原料 接続駅 輸送先 備考
東海
工場
「味の素」
「芒硝」
メタン・窒素:東海瓦斯化成株式会社(後の三菱油化株式会社旭工場)

アクリルニトリル、オキソガス:
三菱化成株式会社

苛性ソーダ:三菱モンサント株式会社

重油:昭和四日市石油株式会社

コンビナートの4工場からの各種原料受け入れに地上および地価配管が敷設された。

南四日市 鉄 道引込線計画は予想外に難航したが、日永信号所の旅客駅昇格、専用側側線増設を含めた南四日市駅総合開発として工事を行うことになり、1962(昭和 37)年6月着工、1964(昭和39)年1月に竣工した。工場内引込線は1962年6月に着工して1963(昭和38)年1月に完成、その間は応急施設 で工場の試運転には影響ないように配慮した。[3]

昭和58年専用線一覧表には南四日市駅接続の味の素(株)専用線(作業キロ0.8キロ)がある。
近藤弘志氏によると、「もう20年程前に廃止になったと思われます」(2001年)との証言[8]があるため、1984年2月のダイヤ改正時に廃止になっ たと考えるのが妥当か?

松山→四日市(99.3.28四日市にて返空を目撃)

東海瓦斯化成(株)、三菱化成(株)、三菱モンサント(株)はいずれも現在三菱 化学(株)
九州
工場

甘藷澱粉:近隣生産地
塩酸、苛性ソーダ、液体アンモニア:北九州工業地帯
諸富


これまでに目撃したコンテナ輸送

発駅 発荷主 品名 着駅 着荷主 形式 コンテナ所有 備考
富士 味の素 新エスサン 東福山 備南ハイフーズ UR4 JOT 1998.2.28富士 エスサンは味の素のブランド
備南ハイフーズ(株)は本社:福山市曙町2-17-12、魚肉加工品メーカー


■味の素製油株式会社 (現、株式会社J‐オイル ミルズ)
<株式会社J-オイルミルズ発足の経緯>
2001年4月 味の素株式会社が油脂事業を分社化、味の素製油株式会社を発足。
2002年4月 豊年味の素製油株式会社が発足
株式会社ホーネンコーポレーション、味の素製油株式会社が経営統合、持ち株会社・豊年味の素製油株式会社を発足。吉原製油株式会社と業務提携。
2003年4月 株式会社J-オイルミルズが発足
吉原製油株式会社が経営統合に参加し、持ち株会社を「株式会社J-オイルミルズ」に変更。
2004年7月 各事業子会社を吸収合併
「株式会社J-オイルミルズ」として、事業及び事業子会社を完全統合。
 
*大手8社の大豆抽出能力と食用油の販売量と市場占有率 [3]204頁
会社名 大手8社の大豆抽出能力
(単位:t/日)
食用油の販売量と
市場占有率(注1)
(単位:万トン(シェア))
備 考
1953(昭和28)年度 1959(昭和34)年度 2000(平成12)年
豊年製油(株) 1079@ 1725@ 26.09(13.6%)A 現ホーネンコーポレーション(株)
味の素と提携→J-オイルミルズ
味の素(株) 338C 803A 22.20(11.6%)B ホーネンと提携→J-オイルミルズ
吉原製油(株) 313D 778B 16.70(8.7%)D →J-オイルミルズ
日華油脂(株) 514A 649C
2000年、株式交換でホーネン100%出資(注2)
日清製油(株) 208F 518D 39.30(20.5%)@ ニッコー製油及びリノール油脂と統合
→日清オイリオ
昭和産業(株) 378B 449E 18.30(9.5%)C
日本興油工業(株) 228E 368F 12.00(6.3%)E 現ニッコー製油(株)日清製油及びリノール油脂と統合
→日清オイリオ
富国油脂(株) 112G 159G
1957年日華油脂、富国油脂を買収(注3)
リノール油脂(株)

9.00(4.7%)F 日清製油及びニッコー製油と統合→日清オイリオ
注1 2001年11月19日付 日本経済新聞(夕刊)
注2 会社四季報 未上場会社版 2002年下期版
注3 <ウェッブサイトjncm.co.jp>http: //www.jncm.co.jp/necessities/necess_history/nhistory_03.html
 
*味の素製油株式会社
  http://www.jrfreight.co.jp/eigyou/jirei/ajinomoto.html
1994(平成6)年、物流ネットワークの改善取り組みを開始。その一環として、鉄道コンテナ利用拡大を計画。
1995(平成7)年、年間約1,000個の鉄道コンテナ利用を実施。そして現在(筆者註1998年)、年間で1995(平成7)年の30倍 である 30,000個を利用。
原則300kmを超える在庫移動は、鉄道コンテナ輸送という物流方針を策定・実施。
「輸送手段の多様化。環境問題。物流費改善。幅広い視野で、レベルの高い物流システムを再構築する。」 味の素製油株式会社横浜工場 管理部 課長補佐 早野 一雄氏
 以前、輸送形態は大型トラックが中心でした。しかし社会的背景を考えてもトラック一辺倒ではリスクが大きい。特にCO2削減は物流を考えるうえで大 きな課 題ですし、社会的な責任もあります。そこで横浜工場と味の素(株)物流部が企画立案し、味の素(株)グループ全体で輸送手段の多様化を図ろうと考えまし た。輸送手段の多様化というと、まずモーダルシフトがあげられます。長距離大量輸送手段としては、鉄道コンテナと内航海運の2つがあげられますが、それぞ れの輸送手段の特性に合わせて利用することを検討しました。
 鉄道コンテナは、毎日目的地までの時間が正確に決まっており、何と言っても5トンという比較的小ロットの単位で長距離輸送でき る 。また、単位あたりコストも長距離トラックと比較して優位であることから、物流費の改善も視野に入れ、鉄道コンテナ利用拡大を計画し、推進 することになりました。
 しかし、鉄道コンテナの利用を具体化していくためには、鉄道部分だけでなく、集貨から配達までの全体のシステムが柔軟に対応できる体制として整えら れてい るのか、という確信が必要でした。
そして次に懸念されていたのが災害時の輸送中断です。これについては、JR貨物本社営業部および営業支店を通じて復旧活動の情報を非常に緊密に連絡 をとれ るようになっており、しかも復旧後の再出荷の段取りが以前より素早くなっている。代替輸送についても機動力を持って対応してくれます。
 物流費を下げたとしても、物流のレベルを下げるわけにはいきませんから、このような条件を兼ね備え、物流システムを構築していくことが大切なので す。この ようにいろいろな課題をJR貨物の本社営業部および営業支店関係者と味の素(株)グループの物流担当者がひとつひとつ丁寧に解決していき、利用拡大の枠組 みを整え、平成7年4月、300kmを超える長距離輸送は鉄道コンテナにシフトするという方針が決まったのです。
 現在、全輸送配送量の10%が鉄道コンテナによる輸送に切り替わり、鉄道コンテナ拡大による物流費改善は億単位の成果を得る ことになりました。また導入後もJR貨物の本社営業部および営業支店から積極的な提案があり、大きな安心を得ることができています。今後もJR貨物と双方 向コミュニケーションをとりながら、コンテナ利用は今後も拡大できると考えています。これからもお互いの信頼関係を深めていきたいです。
[1]渡辺一策「味の素専用線と貨車輸送」、『レイルマガジン』第15巻第8号、通巻第178号、1998年、62頁
[2]『トワイライトゾ〜ンMANUAL8』1999年
[3]『味の素株式会社社史2』味の素株式会社、1972年
[4]渡辺一策・前沢浩二「東京圏を走る貨物列車あれこれ」、『鉄道ピクトリアル』第47巻第3号、通巻634号、1997年、45〜46頁
[5]『鉄道ピクトリアル』第42巻第11号、通巻第567号、1992年、89頁
[6]大坪康二「味の素専用線の最後」『レイル・マガジン8月号』第14巻第12巻、通巻167号、1997年、89頁
[7]『レイル・マガジン6月号』第14巻第8号、通巻165号、1997年、77頁
[8]近藤弘志「四日市の廃止専用線」『トワイライトゾ〜ンMANUAL10』2001年
 
■味の素ゼネラルフーヅ株式会社
<年表> http://www.agf.co.jp/6_about/6_3index.html
1954年 03月2日 「ゼネラル・フーヅ」株式会社設立
      12月    兵庫県伊丹市北村字北上河原に工場を竣工
1970年 11月     三重県鈴鹿市南玉垣町に工場を竣工
1973年 08月1日 味の素株式会社と米国ゼネラルフーヅ社との合弁会社「味の素ゼネラルフーヅ株式会社」を設立
1976年 11月      鈴鹿工場にフリーズドライインスタントコーヒーの設備を新設
1991年 04月      鈴鹿工場にペットボトルコーヒーの設備を新設
1995年 01月      株主会社がクラフトフーヅ社に名称変更
1996年 03月      群馬県新田郡尾島町に工場竣工

これまでに目撃したコンテナ輸送

発駅 発荷主 品名 着駅 着荷主 形式 コンテナ所有 備考
四日市 AGF 456 宮城野 AGF C36 JR貨物 1998.10.3宮城野
四日市 AGF 浜小倉 18A JR貨物 1999.3.28四日市


■三工株式会社 (現、味の素ファインテクノ株式 会社)
<沿革> 『味の素株式会社社史2』味の素株式会社、1972年
 昭和17年9月、日本石油(株)と味の素(株)の共同出資により、味の素(株)川崎工場の隣接地に設立した日本特殊油製造(株)が前身。パラフィンの塩 素 化による高級潤滑油の製造を行っていたが、終戦と同時に操業を停止し、昭和21年4月に味の素(株)が全株を引き受けて5月に三工(株)に社名変更した。 昭和22年にはDDT液剤、昭和23年には同原薬を製造し、昭和24年からは 塩化パラフィン「エンパラ−40」および「エンパラ− 70」を製造・販売するようになり、その後昭和39年10月からイノシン酸製造に使用するオキシ塩化燐の生産を開始した。
<年表>  http://www.ajinomoto-fine-techno.co.jp/profile.html#Anchor-55215
1950年 パラフィンワックスを原科とする「エンパラ」の製造開始
1967年 ノルマルパラフィンを原料とする「エンパラ」の製造開始
1996年 「エンパラ」の製造中止(OEM品に切替)
1942年 味の素(株)と日本石油(株〉との共同出資により日本特殊油製造(株)を設立
1946年 味の素(株)が日本石油(株)の全持ち株を引き受け、商号を三工(株)に変更
1950年 パラフィンワックスを原科とする「エンパラ」の製造開始
1967年 ノルマルパラフィンを原料とする「エンパラ」の製造開始
1976年 石膏凝結遅延剤「パフタード」製造開始
1977年 天然調味料製造開始
1982年 塩化ビニル樹脂安定剤「プレンライザー」STシリーズ製造開始
1983年 難燃剤「ポリセーフ」製造開始
1988年 一液性エポキシ系接着剤「プレーンセット」製造開始
1995年 顆粒ワックス製造開始
1996年 「エンパラ」の製造中止(OEM品に切替)
     アルカリ洗浄剤製造開始
1998年 味の素(株)のケミカル事業、電子材料事業と既存事業を統合
      商号を味の素ファインテクノ(株)に変更
1999年 北越炭素工業(株)と合併、活性炭事業本部設立 ・絶縁材料用ワニス工場増設
2000年 TAB用ソルダーレジストインキ工場増設
     一液性エポキシ樹脂硬化剤「アミキュア」製造開始
2001年 絶縁材料用ワニス工場新設
2003年 吸着樹脂工場更新、増設

同社では1996年にエンパラを製造中止し、OEM品に切り替えているが、OEM先はどこなのか?
その答えは以下のコンテナ輸送の目撃にある。
1999年2月19日 酒田港駅にて目撃 (駅構内には三工や東北東ソー化学所有の塩化パラフィンコンテナ多数)

UT1-645 塩化パラフィン 電気加熱付 東北東ソー化学株式会社
空タンク(東ソー):四日市(トランシィ)→酒田港(ン)
UT1-644 塩化パラフィン 東北東ソー化学株式会社
返送タンク:百済(ン)→酒田港(ン)
2004年6月6日 酒田港駅にて目撃 (前回と同様、駅構内には三工や東北東ソー化学所有の塩化パラフィンコンテナ多数)

ご覧の通り沢山 の私有タンクコンテナが留置されていた。(2004.6.6)

UT1-520 JOT 塩化パラフィン液専用 三工株式会社
川崎貨物(全国通運)→酒田港
UT1-643 塩化パラフィン専用 東北東ソー化学株式会社
返送私有:四日市(トランシ)→酒田港(酒田海陸)
UT1-645 塩化パラフィン専用 電気加熱付 東北東ソー化学株式会社
百済(大阪合通)→酒田港(ン)

つまり東北東ソー化学(株)が三工(株)の塩化パラフィンのOEM先だろう。
1967年の「ノルマルパラフィンを原料とするエンパラの製造開始」から考えられるのは、(株)ジャパンエナジーの 輸送だ。→ http://buturyu.e-city.tv/jomo.html#45
ノルマルパラフィンが東水島→酒田港で輸送されているが、これはエンパラの原料かもしれない。花王向けの輸送かと思っていたのだが・・・。

■カルピ ス株式会社 
<年表> http://www.calpis.co.jp/kigyou/k/corporate2.html
1917年10月 当社の前身ラクトー株式会社設立(当社創業)
1919年07月 わが国で初めての乳酸菌飲料「カルピス」発売
1923年06月 ラクトー株式会社をカルピス製造株式会社に商号変更
1948年12月 カルピス食品工業株式会社設立(資本金300万円)
1990年08月 飲料事業の拡大を図るため、味の素株式会社と業務提携
1991年02月 味の素株式会社の飲料事業を当社飲料事業と統合
1992年11月 カルピス味の素ダノン株式会社設立
1997年09月 カルピス食品工業株式会社をカルピス株式会社に商号変更
1999年12月 仏国グループ・ダノンと事業提携を強化・拡大することで合意
2000年04月 カルピス伊藤忠ミネラルウォーター株式会社設立
2001年05月 アサヒ飲料株式会社と自販機における業務提携
2002年05月 株式会社伊藤園と「evian」の販売契約を締結
2002年10月 カルピス味の素ダノン株式会社館林工場竣工 本格生産開始
2002年12月 サッポロビール飲料株式会社と「evian」の販売契約を締結
2003年04月 自販機事業の統括会社カルピスビバレッジ株式会社(本社)設立
2003年05月 株式会社伊藤園と自販機における業務提携
2004年01月 岡山工場 ペットボトル・壜兼用ライン稼動
 
<生産拠点> http://www.calpis.co.jp/kigyou/k/activity2.html
相模工場・・・・・1961年操業開始
「カルピスウォーター」、「アミノカルピス」などのペットボトル飲料及び缶飲料、「カルピスサワー」などの低アルコール飲料の生産をはじめ、「カルスポリ ン」などの飼料添加物も生産。また、自動立体倉庫など首都圏の物流基地としての役割も担う。
○敷地面積:86,464平方メートル ○建築面積:33,537平方メートル
○製造設備:ペットボトルライン(550本/分)、缶ライン(1,200本/分)、飼料生産設備
岡山工場・・・・・1968年操業開始
「カルピスウォーター」、「アミノカルピス」などのペットボトル飲料及び「アミールS」、「ウェルチ」などのビン飲料、ビン・紙容器入り「カルピス」、缶 飲料、低アルコール飲料、ギフトセット、〈特撰バター〉を生産。
○敷地面積:81,343平方メートル ○建築面積:36,067平方メートル
○製造設備:ペットボトル、ビン兼用ライン(500本/分)、缶ライン(1,200本/分)、「カルピス」紙容器ライン(150本/分)、バター生産設 備、詰め合わせライン他
98.8.8総社

群馬工場・・・・・1972年操業開始
ビン・紙容器入り「カルピス」、ペットボトル飲料、「アミールS」、「インターバランスL-92」、「カルピスキッズ」、ギフトセット、<特撰バター>、 低アルコール飲料、小ビン飲料などを生産。
○敷地面積:135,960平方メートル ○建築面積:54,758平方メートル
○製造設備:小ビンライン(600本/分、ペットボトル兼用)、ペットボトルライン(300本/分)、「カルピス」ビンライン(500本/分)、「カルピ ス」紙容器ライン(140本/分)、チルドライン、バター生産設備、詰め合わせライン他
 
*カルピス食品工業 岡山工場 (1993年9月7日 日経産業新聞 16面)
《施設概要》
▽所在地 岡山県総社市真壁800
▽代表者 中村桂太郎取締役工場長
▽人 員  210人
▽設 備  敷地面積79,100平方メートル、建築面積34,100平方メートル
▽沿 革  1967年5月稼動。缶ラインと物流センターは1993年3月に稼動。
 最新設備と26年間変わらずに稼動しているライン−−。カルピス食品工業は今春、西日本の生産拠点の岡山工場に40億円を投じ、缶飲料を毎分 1,200缶 生産できる設備と物流施設を新設した。缶入り濃縮カルピスの生産現場では、工場を設立した当時のラインを稼動。新旧の設備を同居させている。

▼「缶」も「瓶」も生産
 岡山市から電車で30分のJR総社駅近く。岡山工場は田園の中にある。赤い屋根と田園の縁の対比が印象的だ。建物は大きく4棟。缶ラインの生産棟と 物流施 設は、野球場をつぶして新設した。残り2棟では原液と瓶製品を作っている。
 カルピスの東日本の生産拠点の相模工場(神奈川県相模原市)は缶飲料、群馬工場(群馬県館林市)は濃縮カルピスだけを生産している。岡 山工場はカルピスで全製品を生産する唯一の工場 となった。
 缶飲料の生産能力は年間1千万ケース(1ケースは24本入り)。今年は春からの立ち上げということもあって6百万ケースを生産するという計画。濃縮 カルピ スは3,500万本の予定だ。瓶の生産ラインは一直体制なのに対し、缶は三直24時間体制で生産している。
 缶ラインの目玉は直径5メートルの円形をした充填機(フィラー)。ラインを流れてきた缶が充填機を回る間に液を詰める。処理能力は飲料業界で最高レ ベル。 製品を次々と生み出していく光景は、弾丸を次々とはじき出すマシンガンを連想させる。
 ここで生産する缶製品の4割はカルピスウォーターでコーヒーのブレンディとカルピスソーダがそれぞれ2割を占める。1つのラインで異なる製品を生産 するた めに、洗浄や部品の交換が必要。中村桂太郎取締役工場長は「切り替え作業などに慣れれば年間1,300万ケースは作れるようになる」とみている。

▼行き先別に仕分け
 カルピスの原液は牛乳から分離した脱脂乳に乳酸菌と酵母を入れ、二段階に分けて発酵させたもの。水は一切入れていない。岡山工場だけで年間1万トン の牛乳 を消費している。発酵の第一段階では乳酸菌が働いてヨーグルトのような味にする。二段階目がカルピスの門外不出の独自技術。酵母が働いて独特の酸味とまろ やかな香りを生み出す。
 原液の生産棟には複数の部屋に銀色の大型タンクが並んでいる。各部屋は、工程に最適な温度条件に設定。コンピュータで工程を管理している。カルピス ウォー ター用は、長期間保存してもタンパク質が沈殿しないように別な処理を加える。この技術を完成させたことにより、大ヒットしたカルピスウォーターが実現した のだ。
 隣接する物流施設では箱詰めした製品を高く積み上げている。保管できるのは60万ケース。行き先別に製品を仕分けする方式を導入したため、運送会社 などの 倉庫を使わずに問屋や量販店に直接運ぶことができるようになった。

▼従業員は専任体制
 従業員のうち42人を缶ライン、160人を原液と瓶入りの生産ラインに振り向けている。缶ラインは、装置の取り扱い方から勤務体制までが瓶のライン と全く 異なるので従業員は専任だ。中村工場長は全製品を生産している特長を生かして、会社の研修・教育拠点としても活用したい考え。将来は「カルピスが海外に生 産拠点を設けた際の技術指導の拠点にしたい」と張り切っている。(佐藤敦)

*カルピス 群馬工場 (花上嘉成「東武鉄道 貨物列車ものがたり3」『鉄道ファン』第44巻第7号、通巻519号、2004年)
 1972(昭和47)年5月、東武鉄道佐野線渡瀬〜田島間に北館林荷扱所が新設された。これはカルピスの新工場進出とともに、この製品を 輸 送するためのもので、当初は北館林から久喜のほか、伊勢崎・佐野・北千住経由で 全国に輸送されていた。
 1986(昭和61)年11月ダイヤ改正で北館林荷扱所の専用線3社が廃止になったとある。昭和58年版専用線一覧表では、北館林荷扱所はカルピス 食品工業(株)、正田卯平商店、東武運輸(株)、両毛丸善(株)の4社であるため、両毛丸善を除く3社が廃止になったはずだ。そのため この時点でカルピスの専用線は廃止されたと思われる。

■日本ケロッグ株式会社 
※96.08.25倉賀野のケロッグ専用線 (跡)
1962 (昭37)年9月に米国ケロッグ社と提携(日本におけるケロッグ社製品の総発売元となる)した。
味の素に製造販売を委託していたが、販売量の伸びとともに自社工場を設立した。(S44)
倉賀野に工場及び専用線あり。専用線は小麦の移入に使用か?
日本ケロッグ(株)高崎工場は保税工場。「保税作業」はコーンフレーク、コーンフレスト、「使用する外国貨物の種類」は、コーンフレーク製造用とう もろこし、砂糖。 http://www.customs.go.jp/hozei/pdf-data/tokyo-koujou.pdf

■日本アミノ飼料株式会社 (現、伊藤忠飼料株式 会社)
<沿革> 『味の素株式会社社史2』味の素株式会社、1972年
 脱脂大豆は、直分解「味液」、「エスサンミート」、「プロリッチ」の原料として使用したほかは、脱脂大豆「エスサンフレーク」として外販された。用途は 家 畜の飼料用で、全購連が主要な販売先であった。
 畜産業の発展に伴い飼料需要は年々増大して、昭和36年度には農家の飼料支出は肥料支出を上回り、日清製粉(株)、大洋漁業(株)、昭和産業(株) 等の大 手会社が飼料業界に進出するようになった。
 味の素(株)は、このような情勢に対処して飼料業界への進出を図り、曲折を経て昭和36年2月に伊藤忠商事(株)、三楽酒造(株)、森永乳業(株) の3社 と共同して、日本アミノ飼料(株)を設立(資本金3億円、出資比率は味の素60%、伊藤忠20%、三楽オーシャン10%、森永乳業5%、その他5%)し た。神奈川県横須賀市田浦港町に工場を建設、昭和37年9月から操業を開始した。味の素(株)は、これに原料として脱脂大豆を供給し、製品である完全配合 飼料「味えさ」の発売元となり、伊藤忠が総代理店として販売を担当した。「味えさ」は、育雛用3種、ブロイラー成鶏用4種、肉豚用4種、乳牛用4種など合 計16品種であった。
<年表>  http://www.itochu-f.co.jp/corpolate_guide/summary/history.html
●1961年02月 日本アミノ飼料株式会社創立、資本金3億円
●1964年04月 社名をアミノ飼料工業株式会社に改称
●1980年10月 河田飼料株式会社と対等合併し社名を伊藤忠飼料株式会社に改称。これにより、石巻、千葉、横須賀、名古屋、姫路、門司、福岡、鹿児島の8工場、飼料生産量 120万トン体制となる
●1981年07月 岐阜研究所を閉鎖し、黒磯研究所に統合
●1981年09月 福岡工場を閉鎖し、門司工場に統合
●1982年07月 横須賀工場を閉鎖し、千葉工場に統合
●1983年11月 コンピュータシステムによる最新鋭の八戸工場稼働、7工場体制を敷く
●1985年12月 当社と伊藤忠商事株式会社の出資により南九飼料株式会社を設立
●1987年08月 南九飼料株式会社志布志工場稼働。これにより実質8工場体制となる
●1990年07月 畜産事業部を設置(現、畜産食品部、鶏卵食品部)
●1991年01月 水産事業部を設置(現、水産食品部)
●1991年05月 本社を東京都江東区亀戸に移転
●1992年06月 門司工場内に水産工場併設
●1994年10月 南九飼料株式会社を合併、当社志布志工場となる
●1996年03月 姫路工場、鹿児島工場を閉鎖
●1997年09月 千葉工場を閉鎖、これにより、畜産飼料生産は、八戸、石巻、門司、志布志の4工場体制に集約

伊藤忠飼料になった事から判断するに伊藤忠の主導へ移行したか。
1973年頃の日本飼料ターミナル(株)倉賀野基地への輸送経路の1つに田浦→倉賀野がある。※中津川亨「物資別共同基地について」 『鉄道ピクトリアル』第23巻第12号、通巻第287号
1982年7月に横須賀工場が閉鎖された際に同輸送は廃止か? 千葉工場発送に変更か?
2002年11月4日、田浦に現地訪問。横須賀工場はサイロごと残っていたが、全く使用していないのだろうか?


■味の素物流株式会社 
http://www.ab-kk.co.jp/annai/gaiyou/index.html
味の素物流(株)は2000年4月に、味の素株式会社の物流子会社、(株)サンミックス(1952年10月設立)、三福(株)(1959年4月設立)、三 宝運輸(株)(1957年4月設立)の3社が合併して発足。
 

■三楽株式会社 (現、 メルシャン株式会社) 
三楽(メルシャン)は味の素系。昭和60年に三楽オーシヤン(株)から三楽 (株)に社名変更。
三楽株式会社社史編纂室編『三楽50年史』三楽株式会社,1986年

@アルコール関連
311頁
三楽のアルコール出荷体制
 アルコールの生産は川崎、八代両工場に集約されたが、得意先からアルコールの納入日時を指定されるケースが増えてきて、両工場からの直接出荷だけで は間に合わなくなってきた。そこで当局の許可を得て、要所要所に蔵置場を設けアルコール貯槽を置いて、あらかじめストックしておいたものを出荷する体制を 整えた。

工場および蔵置場 輸送方法 設置年等 備考
札幌工場 川崎よりタンク車(鉄道) 

秋田蔵置場 八代よりタンク車(鉄道)  秋田営業所内(S45年設置) (筆者註,2001年8/24訪問,現メルシャン(株)秋田支店 秋田アルコール蔵置場) 
藤沢工場 川崎よりタンクローリー

灘蔵置場 八代よりタンク船
(小型タンカー) 
大阪佃工場内(S28年設置,S44年灘の設置に伴って廃止)
灘(神港ケミカル株式会社とリース契約,S44年設置)
=多木化学がPACの東京地区のSPで東京化成品ターミナルと契約したようにこの手の輸送ではリース契約と いう形を取ることが多いのでは?
関西工場 灘からタンクローリー 

四国蔵置場 八代よりタンク船
(小型タンカー)
S50年には坂出(日本化学塩業株式会社とリース契約)にも蔵置場を設置した。 
=日本化学塩業はS58の段階で坂出港に専用線保有。


324〜330頁
 S39年に合理化推進委員会が設置された。そのもとには運輸業務合理化推進委員会を設けられ検討を行った。
 そしていくつかの提案を行ったのだが、一例をあげれば、八代工場から大阪佃工場へのアルコール輸送がある。従来はドラム缶詰で貨車輸送していたが、これ を 船便(八代工場〜尼崎港)に変更し、尼崎から大阪佃工場まではトラック便による方法とし、空容器の返送は貨車による方法となった。

548〜550頁
物流部門の現況 アルコールの移送システム
 アルコール製造が、川崎及び八代の2工場に集約されたことはすでに述べたが、川崎工場の製造量は自家用のみでいっぱいであり、殆ど他にまわす余裕がな い。 従って他の工場への移送はもっぱら八代工場から行われている。
 これらの輸送方法は、灘、四国向けは国鉄料金の値上げにより早くからタンク船輸送に切換えていたが、他はすべてタンク貨車に頼っていた。 と ころが近年の国鉄の合理化強化によって運賃がますます値上げにとなったこと、さらにはタンク貨車の使用が中止になる等の事情が重なったために、輸送方法は 大幅な変更を余儀なくされたのである。

アルコールの移送方法
拠点
設置
輸送方法
用途
備考
札幌工場
札幌市西区
前田1条11-311-1

ローリー車 北海道の添加用
従来は八代工場からタンク貨車で輸送していたが、国鉄のタンク貨 車の北海道向輸送が
廃止された
ため、
ローリー車によ るほかに方法がなくなり、出荷工場も川崎工場に切換えざるを得なくなった。 
(筆者註、前述の札幌工場は川崎からタンク車で輸送しているというのは間違いなのか?)
秋田アルコール蔵置場
秋田市寺内字
大小路207-29
昭和46年11月18日完成
(設置許可が昭和45年)
タンカー
東北の添加用
(福島の一部は川崎より
移送)
 従来はタンク貨車で蔵置場引込線まで輸送されていた。
ところがこの引込線は近くの石油基地が引込線の使用を廃止することに なった
ため、
同社も撤去せざるを得なくなった。
これに代わる輸送方法としては、隣の会社のドルフィンを借用してタンク船で輸送する
方法に切換え た。すなわちタン ク船でドルフィンまで運び、ドルフィンからパイプで蔵置場まで送る。
鶴見アルコール蔵置場
横浜市鶴見区
大黒町3-100
内外輸送(株)横浜支店内
昭和59年12月12日
川崎工場鶴見アルコール
蔵置場開設

流山、藤沢工場用  流山・藤沢工場向けにはタンク貨車を利用していたが、
国鉄運賃の値上げで、タンク船に切換えたものである。
鶴見の内外輸送(株)の タンクを借用していったんこれに受け入れ、
ここからはローリー車で移送している。
灘アルコール蔵置場
神戸市東灘区
住吉浜町18-1
昭和44年9月1日設置
広島(除山口)、
大阪(除四国)、
名古屋(除静岡の一部)
の各支店添加用

四国アルコール蔵置場
坂出市昭和町2-2-1
日本化学塩業(株)内
昭和50年9月27日開設


八代アルコール蔵置場
八代市港町71
昭和44年9月10日設置




行先  輸送方法 使用先 備考その他
札幌工場
北海道の添加用 
秋田蔵置場 タンカー 東北の添加用(福島の一部は川崎より移送) 
鶴見蔵置場  〃  流山、藤沢工場用
灘蔵置場  〃  広島(除山口)、大阪(除四国)、名古屋(除静岡の一部)の各支店添加用
四国蔵置場  〃  四国の添加用 

年表の74〜83頁
昭和44年5月     大阪佃工場、添加用アルコール業務中止
S53.10    磐田工場、添加アルコールの移出業務を中止
S58.2.26  札幌工場、酒類倉庫と添加用アルコールの出荷業務だけとなる

流山工場 流山市流山6−669
川崎工場 川崎市川崎区鈴木町3−1
藤沢工場 藤沢市城南4−9−1
磐田工場 磐田市中泉字西御殿1810−2
関西工場 向日市上植野町大門5 (写真ではタンクのすぐ後ろを東海道本線が走る。専用線?)
大阪佃工場 大阪市西淀川区佃4−11−14
八代工場 八代市三楽町3−1

334〜335頁
磐田工場
 旧オーシヤン(株)の工場で、合併後、アルコール、焼酎の製造は川崎へ、清酒は藤沢(後さらに流山へ)へ移管し、 もっぱら甘味果実酒の主力工場として機能していたが、洋酒類を藤沢に集中し、また関西工場も設置の運びとなったため、酒類の製造は全面ストップし、昭和 41年より化学薬品部門の拠点として再出発した。

348頁
日本合成アルコール(株)の設立
 従来のアルコール製造法、すなわち甘藷あるいは糖蜜を原料とする発酵法 がコスト面で限界に近づきつつあり、かつ工業用(専売)アルコールは発酵法からの転換を図る必要があるのではないか、そのような発想で設立されたのが日本 合成アルコール(株)である。同社は エチレンを原料として合成法によってア ルコールの製造をしようというもので、通産省の斡旋で、三楽オーシヤン(株)、宝酒造(株)、協和発酵工業 (株)の大手3社の共同企業 として設立されることになった。昭和38年8月に東京都港区に本社および事業所を置いて正式に発足した。資本金は4億8000万円で、各社が3分の1ずつ 出 資した。同社は昭和42年8月からアルコールの溜出を開始した。
 
A飼料関係
226頁
八代工場でグルタミン酸の製造を始める
昭和35年7月に製造を開始し、8月中旬に初出荷を行った。製品は「味の素」の原料として、全量味の素に入している。

年表80頁
S58.4.1 八代工場、アミノ酸製造中止

228〜231頁
飼料部門への進出
 アルコールの製造には蒸留廃液が伴うが、これには有効成分が含まれるため、資源の再生という観点から飼料化することとした。同社の飼料工場第1号は昭和 32年3月に八代工場内に建設された。八代飼料工場は昭和35〜36年には生産能力を拡大した。
 なお昭和36年8月には八代工場の飼料専用側線完成した。(年表70頁)
 この頁には、見逃すことの出来ない記述がある:農林省畜産局の言葉から「・・・国内飼料資源の活用の問題をかんがえてみますに、例えばアルコール 発酵廃液、亜硫酸パルプ廃液等、なお相当国内自給の余地が残されているので・・・(以下略)」

ここで思い出すのは、日本製紙岩国の亜硫酸パルプ廃液の行先に石巻港駅があったこと。亜硫酸パルプ廃液はコンクリート混和剤の原料ではなく、飼料 原料として石巻に到着していたのかもしれない。他の駅着も含めて。
 閑話休題!

346〜347頁
飼料部門の拡大
 酪農、畜産と言えば何といっても北海道であり、同社の飼料部門も販路が拡大するにつれて北海道にも進出した。
 昭和36年頃のことである。当初は札幌工場の倉庫を中心基地として、八代で生産した飼料の販売を行った。
 輸送には貨車(鉄道)と船の両方を利用したが,いずれにせよ八代から遠いため時間がかかり飼料が傷むほか輸送費もかさんだ。そのため昭和43年から札幌 工 場での飼料生産が開始された。 販売面は北海道日東(株)を通してホクレンに納入しているが、その量は43年の300トンから、46年には1万トンを超えるまでに増大した。
=その後、苫小牧工場を買収して札幌工場は閉鎖へ

458頁
熊本くみあい飼料株式会社の設立
 昭和40年代の半ばから九州地方、特に熊本・宮崎・鹿児島の南九州3県では農林省の育成政策もあずかって畜産が急速に発展を始め、これに伴い飼料の需要 も急増 した。これに対応するため、八代工場の飼料製造設備を大幅に増強するか、あるいは新工場を建設するか、三楽および農協関係者等の間で検討が行われた結果, 全農からの委託生産を中心に行う新会社の設立が決まった。
 新会社は熊本くみあい飼料(株)と命名され、昭和46年11月設立時の払込資本金は 5000万円(のち2億円)で 三楽と熊本県経済連が折半出資した。同社は八代市新港町に本 社及び工 場を建設し、昭和48年7月より操業を開始した。
くみあい飼料各 社が越県合併するなかで熊本くみあい飼料が単独で事業を継続したのは三楽系でもあるという事情からであろう。

459頁
苫小牧工場の開設
 昭和57年11月、三楽は日魯漁業(株)の苫小牧配合飼料工場を買収し、苫小牧工場を開設した。同工場は苫小牧臨海工業地帯の中央南埠頭 の 食品飼料団地内に立地していた。
 生産能力は月産約6,000トンであった。ただ日魯漁業(株)の時代には鶏および豚用の配合飼料を中心に製造していたので、三楽はこれを牛用に転換する ため の設備調整を行い、昭和58年から本格的に操業を始めた。なお、これに伴い札幌工場における飼料の製造は昭和58年2月26日で中止し、全面的に苫小牧工 場に移管することになった。
苫小牧工場 苫小牧市真砂町38-5

年表76頁
昭和46.3 大津飼料中継基地設置

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