所管駅 |
契約相手方 |
第三者使用 |
作業方法 |
作業キロ |
専用線種別 |
記事 |
浜川崎 |
川崎市 京浜急行電鉄 |
日本冶金工業(株) 味の素(株) |
国鉄機 |
冶金線6.0 味の素線8.0 |
側線 鉄道 |
運転管理 |
基地名 |
設置 |
廃止 |
専用線 |
備考 |
八戸(青森) |
1957年まで |
不明 |
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熱田 |
1952年12月 |
不明 |
内外輸送か? |
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安治川 |
1952年12月 |
安治川口駅 | 液体薬品中継 |
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坂(広島) |
1954年12月 |
坂駅 |
味の素(株)専用線 |
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博多 |
1955年1月 |
博多港駅 |
味の素(株)専用線 |
着駅 |
廃止 |
コンテナ化 |
備 考 |
(旭川) |
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東青森 |
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石巻港 |
1996年度 |
12ftタンクコンテナ化 |
飼料コンビナート向けか? |
東新潟港 |
1996年度 |
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半田埠頭 |
1996年度 |
飼料コンビナート向けか? |
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金沢 |
ISOタンクコンテナ化 |
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南福井 |
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湖山 |
1996年度 |
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東広島 |
ISOタンクコンテナ化 |
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熊本 |
1996年度 |
日栄物産(株)熊本貯蔵所向けと思われる |
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(長崎) |
年 月 |
内 容 |
1961年02月 |
日本アミノ飼料株式会社創立、資本金3億円 |
1964年04月 |
社名をアミノ飼料工業株式会社に改称 |
1980年10月 |
河田飼料株式会社と対等合併し社名を伊藤忠飼料株式会社に改称 石巻、千葉、横須賀、名古屋、姫路、門司、福岡、鹿児島の8工場、飼料生産量 120万トン体制 |
1981年09月 | 福岡工場を閉鎖し、門司工場に統合 |
1982年07月 |
横須賀工場を閉鎖し、千葉工場に統合 |
1983年11月 |
コンピュータシステムによる最新鋭の八戸工場稼働、7工場体制を敷く |
1985年12月 |
同社と伊藤忠商事株式会社の出資により南九飼料株式会社を設立 |
1987年08月 |
南九飼料株式会社志布志工場稼働。これにより実質8工場体制 |
1992年06月 |
門司工場内に水産工場併設 |
1994年10月 |
南九飼料株式会社を合併、当社志布志工場となる |
1996年03月 |
姫路工場、鹿児島工場を閉鎖 |
1997年09月 |
千葉工場を閉鎖、これにより、畜産飼料生産は、八戸、石巻、門司、志布
志の4工場体制に集約 |
拠点 |
設置 |
輸送方法 |
用途 |
備考 |
札幌工場 札幌市西区 前田1条11-311-1 |
タンク車 ⇒ローリー車 |
北海道の添加用 |
従来は八代工場からタンク貨車で輸送していたが、 国鉄のタンク貨 車の北海道向輸送が廃止されたため、 ローリー車によ るほかに方法がなくなり、出荷工場も川崎工場に切換えざるを得なくなった。 (筆者註、前述の札幌工場は川崎からタンク車で輸送しているというのは間違いなのか?) |
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秋田アルコール蔵置場 秋田市寺内字 大小路207-29 |
昭和46年11月18日完成 (設置許可が昭和45年) |
タンク車 ⇒タンカー |
東北の添加用 (福島の一部は川崎より 移送) |
従来はタンク貨車で蔵置場引込線まで輸送されていた。 ところがこの引込線は近くの石油基地が引込線の使用を廃止することに なったため、 同社も撤去せざるを得なくなった。 これに代わる輸送方法として、隣の会社のドルフィンを借用してタンク船で輸送する方法に切換。 すなわちタン ク船でドルフィンまで運び、ドルフィンからパイプで蔵置場まで送る。 |
鶴見アルコール蔵置場 横浜市鶴見区 大黒町3-100 内外輸送(株)横浜支店内 |
昭和59年12月12日 川崎工場鶴見アルコール 蔵置場開設 |
タンク車 ⇒タンカー、 ローリー |
流山、藤沢工場用 | 流山・藤沢工場向けにはタンク貨車を利用していたが、国鉄運賃の値上げ
で、 タンク船に切換えたものである。 鶴見の内外輸送(株)の タンクを借用していったんこれに受け入れ、 ここからはローリー車で移送している。 |
灘アルコール蔵置場 神戸市東灘区 住吉浜町18-1 |
昭和44年9月1日設置 | 広島(除山口)、 大阪(除四国)、 名古屋(除静岡の一部) の各支店添加用 |
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四国アルコール蔵置場 坂出市昭和町2-2-1 日本化学塩業(株)内 |
昭和50年9月27日開設 | |||
八代アルコール蔵置場 八代市港町71 |
昭和44年9月10日設置 |